全794件 (794件中 51-100件目)
ネット巡っていたらデジタル朝日の「アジアで広がる鳥山明さんへの哀悼」というのに出くわしたのです。おお 中国も韓国も鳥山明さんのマンガが好きだったのか・・・悪いのは政権の幹部だけなんだということがバレてしまったなあ。*********************************************************「竜珠」集めるから生き返って アジアで広がる鳥山明さんへの哀悼より8日に発表された漫画家の鳥山明(とりやま・あきら)さんの死去はアジア各地でも伝えられ、追悼の声が相次いでいる。 中国でもこの日、ニュース各社がこぞって鳥山さんの死去を速報した。IT大手テンセントのニュースサイトには、訃報の特設ページも設けられた。 鳥山さんの「ドラゴンボール」は、中国語で「竜珠」と表記され、アニメが放映された1990年代を中心に絶大な人気を誇った。主人公・孫悟空の名前を含め、作品の初期は中国の古典「西遊記」の世界観を色濃く反映していたことも、中国で人気となった理由だ。 もう一つの代表作「Dr.スランプ」も、中国では「阿拉蕾(アラレ)」の名前で人気だ。 ニュースサイト大手「環球網」が掲載した訃報には、1時間足らずで500件以上のコメントが集まった。「(作中でどんな願い事もかなう)7個のドラゴンボールを集めるから生き返って」「幼い頃の自分へくれた無限の楽しさにありがとう」「永遠の古典」といった哀悼と感謝のメッセージが並んだ。 「『ドラゴンボール』を見て育った世代なので、鳥山先生が亡くなったと知って悲しい気持ちでいっぱいです」。北京市の男性(42)は8日、取材にそう語って肩を落とした。中国語版のマンガを読んでいたという。 「自国のコンテンツがまだ乏しい時代の中、『ドラゴンボール』は、80後(80年代生まれ)の若者たちの想像力の窓を開いてくれたんです」 中国外務省の毛寧副報道局長は8日の定例記者会見で、「鳥山明さんの訃報に深い哀悼の意を表する。中国の多くのネットユーザーも鳥山氏の死を悼んでいる。日本のより多くの知識人が日中の文化交流と友好のために積極的に取り組んでくれると信じている」とコメントした。 韓国メディアも8日、漫画家の鳥山さんの死去を相次いで速報した。 聯合ニュースは代表作の「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」が「韓国でも大きな人気を集めた」と紹介し、朝鮮日報(電子版)は「天才漫画家で、商業的に最も成功した作家の一人に数えられる」と伝えた。東亜日報(同)も「代表作の『ドラゴンボール』はアニメやゲームもつくられ、世界的に大きな話題を集めた」と報じた。 シンガポールの主要紙ストレーツ・タイムズは8日、「伝説的なクリエーター、鳥山明氏が68歳で死去」との見出しの記事を配信。「世界的に著名な漫画家の鳥山氏が亡くなった」とした上で、同氏の代表作「ドラゴンボール」が40カ国以上で翻訳され、世界で約2億6千万部が売れた「史上最も売れた漫画の一つ」と伝えた。 鳥山さんについて「ファンの間では、思春期の少年をターゲットにした現代コミックやアニメ映画の祖父と呼ばれている」とし、日本の多くの著名人や、人気漫画など多くのフィクション作品に影響を与えたとしている。また、2013年に朝日新聞の書面インタビューに応じた際の鳥山さんのコメントを引用する形で「僕の漫画を読者が楽しく読んでくれること以外に達成したいことはない」と述べていたと伝えた。(斎藤徳彦=北京、稲田清英=ソウル、河野光汰)「マクロン氏、サイン入り色紙を投稿 欧米からも鳥山明さんたたえる声で、フランスの鳥山明ファンの動向が伝えられています。
2024.03.09
コメント(0)
今お騒がせ中のチャットGPTであるが・・・チャットGPTと生成AIを組み合わせてみると、かなりの創作ができるはずなので以下のとおり質問してみたのです。ゴーギャンの作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」アヴァンギャルドの前兆となった作品でもあるが、生成AIはこのような作品を描き得るのか?【得られた解答】AI生成の作品については、現在の技術ではゴーギャンのような芸術家の感性や哲学的な深みを完全に再現することは難しいですが、AIは抽象的なアートを生成する能力を持っており、新たな視点やアイデアを提供することができます。ここで、以下の茶々を入れると・・・新たな視点やアイデアを例証することはできますか?【得られた解答】もちろんです!新たな視点やアイデアを提供するために、以下のようなアート作品を生成してみましょう。!Quantum Reverie解答は素早いが、内容がいまいちでんな。・・・だけど今、この高機能AIを犯罪者がチャットで活用する状況は、怖いものがあるのです。今お騒がせ中のチャットGPTであるが 5:成功報酬の大きい闇バイトは今お騒がせ中のチャットGPTであるが 4:シシド・カフカのテレビ出演今お騒がせ中のチャットGPTであるが 3:神戸新開地音楽祭今お騒がせ中のチャットGPTであるが 2:チャットGPTの危険性今お騒がせ中のチャットGPTであるが 1:中国の権威主義的資本主義新しい Bing へようこそ:何でも聞いてください
2024.03.09
コメント(0)
サマセット・モームといえば「月と六ペンス」や「剃刀の刃」を思い出すわけで・・・以下を復刻して読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『現代に生きるサマセット・モーム』という本を手にしたのです。モームの代表作と言えば「月と六ペンス」となるのかもしれないが、わたしの出会いは「アシェンデン」だったわけで・・・情報部に属してお国のために働いたモームを評価しているのでおます。【現代に生きるサマセット・モーム】清水明著、音羽書房鶴見書店、2020年刊<「BOOK」データベース>より名作『月と六ペンス』出版から一世紀、いま、時代の岐路に立つ人々への指針となるモーム文学の魅力。<読む前の大使寸評>モームの代表作と言えば「月と六ペンス」となるのかもしれないが、わたしの出会いは「アシェンデン」だったわけで・・・情報部に属してお国のために働いたモームを評価しているのでおます。rakuten現代に生きるサマセット・モーム「第9章 兵士に愛された小説」で『剃刀の刃』を、見てみましょう。p145~149 <1第二次大戦期に登場した兵隊文庫の隆盛> 終戦直後の国内の洋書事情にいついて、かつて飯島正は次のように書いた。…そして敗戦後、ふたたび本さがしもいそがしくなった。新橋よりの銀座の露店に、アメリカ軍の兵隊たちが棄てていった、兵隊用のポケット文庫版が、ドッサリとならんだからである。ぼくたちはひまさえあればそこに駆けつけて、山と積まれた安本の中から、探偵小説やハードボイルド本、そしてこんどはそれにくわえてニューロティック本を、先をあらそって、さがし求めた。…銀座の露店の兵隊版から掘り出した作家では、ウィリアム・アイリッシュが、一番の獲物だったこともつけくわえておく。 飯島はグレアム・グリーンに戦前から注目してきた識者の一人だが、彼がこのように書く兵隊用のポケットブックというのは、“Armed Servicess Editions”日本では「軍隊文庫」「兵隊文庫」などと訳されている小型軽量の特色を活かしたペーパー・バックのことである。グリーンも何冊か同シリーズ中にある。 同叢書は、アメリカ軍が自国の兵士用に大量に発行した文庫シリーズであり、無論一般では入手出来ず、無料で配布され、戦地に向かう兵士の心を慰め、あるいは戦意を直接的にも間接的にも高揚させるという目的があった。 興味深いことに、文庫のサイズは、GIの軍服の胸ポケットに入るぐらいの裁断だったため、文字通り、心の友として本の役割があったのかもしれない。筆者は数年前に、本国のみか、日本の古書店のインターネットのリストや、イギリスの古書店のリストに挙がっているのを見た。必ずしも、当該の文庫が第二次大戦後各地に進駐したアメリカ兵によりその地で売り払われたとは限らないが、彼らが帰国前に読了した本をそこで、前述の回想にあるように処分したことが多かったのは十分想像出来る。(中略) 前置きが長くなったが、このシリーズの一巻にサマセット・モーム『剃刀の刃』(The Razor's Edge,1944)が収録されている。他に、『人間の絆』(短縮版)、『月と六ペンス』、『サミングアップ』などがリストアップされていて、『剃刀の刃』は再版もされている。本作は完全版と銘打ってある。 まず、同書の奥付を見てみよう。ダブルデイ社との取り決めにより出版、1943年、1944年マコール社の版権云々とあるが、出版年月は未記入である。兵隊文庫には各々シリアル番号が付され、『剃刀の刃』はQ31となっている。(中略) <1第二次大戦下のサマセット・モームの小説> ヨーロッパ戦線において連合軍とドイツ軍との戦いの帰趨がほぼ見え始めていた頃、アジア太平洋戦線でも、アメリカ軍の圧倒的な勢力がアジア各地に日本軍を追い詰めていた、そういう時代にあらわれた作品が『剃刀の刃』である。 モームは1940年、長らく本拠にしていたフランスを脱出し、イギリスを経由して、アメリカに「疎開」していた。同地に居住しながら、すでに演劇界からは引退していたが、途切れることなく、小説、エッセイ、ルポルタージュなどを書き続けていた。 ここで、モームの国家との関わりに少し触れる。彼は第一次世界大戦時に。赤十字野戦病院隊に志願し、その後諜報部員としての役割を積極的に担い、国家への貢献を秘密裡に行ない、後年その体験が『アシェンデン』(1928年)として小説化され、モームの立場が世に知られたが、現実は彼がMI6の一員だったことを最近までイギリス当局は公式に一切認めたことはなかった。ところが、2010年になって、イギリス情報部が研究者に託した過去の膨大な内部資料により、モームの役割が天下晴れて公認の事実となった。モームはスパイだったと。 第二次大戦期においても、彼はイギリス情報部から作家として戦争遂行に協力を依頼されていた。『戦うフランス』(France at War,March 1940)という戦時下のフランス人のドイツとの戦いへの備えを称えたルポルタージュである。フランス人の戦争努力への賞賛は、つまりドイツ軍の侵入に備えるべき立場にいるイギリス国民への鼓舞を意味していた。モームは1926年以来、この年まで南仏リヴィエラ海岸の風光明媚なフェラ岬に豪奢な邸宅ヴィラ・モーレスクを構え、そこを本拠ににして世界中を旅していた。 『戦うフランス』出版後、ほどなくして起きたドイツ軍のパリ占領とともに、彼はフランスを離れ、故国に戻るが、それもつかの間、情報省の依頼にて「宣伝と親善の使命を受けて」アメリカに向かうことになった。結局その後モームはほ6年間を大西洋の対岸の地で過ごすことになる。やがて、ヨーロッパ情勢は緊迫の度合いを一層強め、イギリス各地でドイツ軍による空爆が始まる。再び情報省より、今度は直接、戦意が高まっている同国人の士気をアメリカ国民に伝える作品の執筆を要請されることになる。p159~161 <『剃刀の刃』出版の経緯と受容> ここで最後に、『剃刀の刃』が兵隊文庫で再版されるほどの人気作となっていたことに改めて触れておきたい。本論の最初に述べたように、同叢書は、時に短縮されたものもあるが、あらゆる分野の作品が市場で売られているのと同じ内容で印刷され、戦地の兵士に送られた。 ベストセラー、娯楽作品が目立っているが、むろん、同文庫を管轄する委員会の指針はあった。「連合国軍に対して、またいかなる宗派や人種、いかなる職業に対しても害となる発言や姿勢を含んだもの、『アメリカ民主主義の精神』に背いている本は認可されなかった」が、一方、時に共産主義に同情的だと批判される作品も認可されることがあった。概ね、委員会の認可基準は現在想像される以上に緩やかなものだったようだ。 連合国軍対枢軸国軍(すでにイタリアは降伏していた)の戦いが最終段階にきていた1945年にいたって、ヨーロッパ戦線、アジア太平洋戦線などで、『剃刀の刃』を手にする兵士は多くいただろう。その年の前半、銃後の家庭にいる『レッド・ブック』の愛読者が『剃刀の刃』を毎号心待ちにしていたのと軌を一にするように、作品は戦地で読み物に飢える多くの兵士の心を掴んだのだろう。さらに、1944年の後半、ベストセラーになっていた『剃刀の刃』が読まれた後、戦地に「送られた」ということもあったはずである。しかし、彼らはラリーのようにそれを読んで銃(現世)を投げ出すこともなかったのである。 それでは、モームの真の意図は何だったのだろうか。『剃刀の刃』は、もちろん前作のプロパガンダ小説と異なり、作者のより内在的なものからきている。長年、温めに温めぬいた構想、テーマに基いている。 だが、『剃刀の刃』の構想の萌芽は、20年代の短篇と未刊の戯曲にあるだけではなかった。それは、他の大小の作品(『月と六ペンス』、『人間の絆』、「変り種」、「凧」…)に見られるモーム生涯の一つのテーマ(自由な精神への関心、物質的世俗世界への反発する人間の生き方への憧れ)と明らかに共通点があった。いみじくも、物語の前半(第二章第四節)、価値観の相違をめぐってラリーがイザベルと議論する個所があり、その後二人は婚約を解消するわけだが、そこで述べるラリーの想いを引用する。…精神の生活というものが、どんなにわくわくするものなのか、また経験する上でも、どれほど豊かなものなのか、君に分かってもらえるといいのだがな。…それに似た感じが、一つだけある。たったひとりで飛行機に乗り、果てしなく高く舞い上がり、無窮の空間に包まれるときのような感じだよ。いわば、果てしない空間にうっとりしてしまうわけだ。どんな権力、栄光とも決して交換しようとは思わないような爽快な気分になるものでね。…ウン 兵士に愛された『剃刀の刃』という小説が興味深いので、図書館に借出し予約を入れたのです。『現代に生きるサマセット・モーム』1:「月と六ペンス」『現代に生きるサマセット・モーム』2:『剃刀の刃』
2024.03.08
コメント(0)
弥生時代の水田稲作の渡来に、中国、韓国はどの程度関与してきたか知りたいわけで・・・以下の『縄文農耕の世界』を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『縄文農耕の世界』という新書を手にしたのです。おお 縄文農耕か・・・大使にとっての古代のロマンではないか♪照葉樹林文化とか、南海の道とか・・・とにかく漢族の影響を排除したい訳でおます(コレコレ)【縄文農耕の世界】佐藤洋一郎著、PHP研究所、2000年刊<「BOOK」データベース>より 農耕文化は従来弥生時代の水田稲作の渡来が起源とされてきた。だが三内丸山をはじめ縄文遺跡で発掘されるクリは栽培されたものではないか?縄文人は農耕を行っていたのではないか? 著者によれば、「ヒトの手が加えられるにつれ植物のDNAのパターンは揃ってくる」という。その特性を生かしたDNA分析によって、不可能とされていた栽培実在の証明に挑む。 本書では、定説を実証的に覆した上で、農耕のプロセスからそれがヒトと自然に与えた影響にまで言及する。生物学から問う新・縄文農耕論。<読む前の大使寸評>おお 縄文農耕か・・・大使にとっての古代のロマンではないか♪照葉樹林文化とか、南海の道とか・・・とにかく漢族の影響を排除したい訳でおます(コレコレ)なお、著者は『ジャポニカ長江起源説』を著わしたイネ考古学の権威とか。rakuten縄文農耕の世界「畝を伴うと見られる畑」の発掘事例が見られるようになったそうです。 <ヒトに撹乱されてできた耕地>p171~173 栽培行為の広まりによって出現した新たな生態系が農耕のための土地、つまり耕地である。栽培される植物が何であったかによってその生態的な性格に違いはあろうが、耕地は基本的にはヒトによって撹乱されてできた生態系である。 クリのような木の仲間の場合には、耕地は耕地といっても里山の一角の木を払った程度の極めて粗放で手のかからないものであったろう。しかし毎年種子で繁殖する草の仲間、例えば穀類などの場合には、新たに耕地を開くのも、開いた耕地を維持するのも、それなりのエネルギーを要する作業を伴ったに相違ない。 もしその類型を現代に求めるならば、東南アジアの山地部に今も残る焼畑以外に適当なものはないように思われる。 東南アジアの焼畑については佐々木高明さんの名著『稲作以前』に詳しいが、その特徴は、火入れをして木や下草を焼き払い、その灰分を肥料とすること、また肥料分が切れてきたころにはその農地を放棄し(つまり休耕し)、休耕して森に戻っていた土地を新たに開墾することが特徴である。休耕することで耕地であった土地では遷移が進み、やがては森(里山)に戻って行く。縄文時代の農耕も、おそらくこれとそう大きく違わない方法で農耕が行われていた可能性が高いといえよう。 ところで縄文農耕に関係して畑作における畝について触れておきたい。畝とはいうまでもなく畑の土を列状に寄せて作る暫定的な構造物である。縄文農耕に対する関心が考古学の間でも高まりつつあるなか、最近各地で「畝を伴うと見られる畑」の発掘の事例が相次いだ。 畝状の遺構があればそれは畑の跡である可能性が高いということであろう。私もその一部を見せていただいたが、率直なところ、畝状の遺構のすべてが真に畝であったかどうかの自信はない。というのも、畝を立てる作業はかなりの集約的な作業であり、焼畑地帯など粗放な畑作の場ではあまり畝を見ないからである。畝はもともと、水田の裏作など、乾燥を好む作物にはあまり好適でない環境で立てられるものである。 縄文農耕を畑作の類型と考えるのはおそらく正しいが、それは現代の私たちが考えるよりはだいぶ粗放なものであり、畝立てのような高度な作業を伴ったかどうかはわからない。畝状遺構の存在を畑の存在とするにはなお検討が必要であるように思う。 さて、耕地の主人公は栽培食物である。しかし耕地には栽培植物以外の植物が入り込んでくる。後にのべる雑草もそのひとつである。ここに除草という作業が生まれる必然性が生じるが、耕地が耕地としての性格をはっきりさせてくるにつれ、雑草もまた雑草としての性格を一層明確にしてくる。そしておそらく、害虫や病原菌もまた、耕地に棲みつく新たな生物として登場することとなった。『縄文農耕の世界』1:ヒエ日本原産説『縄文農耕の世界』2:「海上の道」の痕跡『縄文農耕の世界』3:ヒトに撹乱されてできた耕地
2024.03.06
コメント(0)
山本容子さんの説くビジュアル系のエッセイがええでぇ♪・・・ということで以下のとおり復刻しようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『パリ散歩画帖』という本を手にしたのです。版画家という本業を駆使して、ビジュアル系のエッセイになっていて・・・・ええでぇ♪【パリ散歩画帖】山本容子著、CCCメディアハウス、2006年刊<「BOOK」データベース>より銅版画家山本容子さんが小路を散歩しながら見つけたパリの日常。フランスパンの袋を、カフェのメニューを、メトロの切符を、キッチュにコラージュ。美しい旅の断片が一冊の思い出の画帖になりました。<読む前の大使寸評>版画家という本業を駆使して、ビジュアル系のエッセイになっていて・・・・ええでぇ♪rakutenパリ散歩画帖モンジュ広場山本さんの食材買出しを見てみましょう。p72~75 <モンジュ広場> 市場の中でもいちばんにぎわっている八百屋にいきました。アジア人のお店で、ほかの店よりも数段安い。だから混んでいるのでしょう。 マルシェはパリの人の胃袋を満たす場所。活気があって、眺めるだけでも楽しくなります。ディスプレイも美しい絵のようです。 近所の人たちにまじって、「ほうれん草を2袋」、「じゃがいもを1キロ」と買ってみます。おいしそうなものを目の前にするとフランス語でのやりとりも自然と弾みます。 にんじん、ほうれん草、じゃがいも、インゲン、たまねぎ、エシャロット・・・・。 「おいしそう」と思ったら、悩まずに、即買うこと。旅の途中ですから、あまり時間をかけずにぱっぱと選んでいきます。メインの料理用とドレッシングを作るうえでベースになる食材を一緒に買っておくのが賢い買い物です。特ににんにくとしょうが、レモンを買っておきましょう。この三つがあることでレパートリーがぐっと広がります。 ここには、総菜屋、魚屋、ハム屋、肉屋、洋服屋、アフリカ雑貨など、なんでもあります。チーズ屋は地方限定のものだけを売っていて、私の好きな赤カビ類のチーズがなかったのが残念!そんななか、卵とハーブを一緒に売っているお店が目につき、そこでシブレット(エゾネギ)を購入。 ご主人は髪の毛が薄いことを、まわりの人にからかわれていましたが、「ジダンに似ていて、いいじゃない」と私がいうとなんだか嬉しかったようです。ジダンの人気は絶大です。 みんな親切でわきあいあいと和やかなムード。パリのスーパー・マーケットの無愛想なキャッシャーとのやりとりと違って、気持ちよく買い物ができます。 ところでなんでフランスの魚屋って、いつも紺と白のボーダーTシャツなんだろう? と疑問を持つと、思わず魚屋のおじさんを描いていました。 そういえば、フランス人は「縞」の使い方が上手です。魚屋のボーダーに始まり、マルシェの看板や、囲い。野菜やチーズは赤と白。卵は黄色と白。*********************************************************『パリ散歩画帖』2:山本さんの食材買出し『パリ散歩画帖』1:友人がみつけてくれたアパルトマン
2024.03.04
コメント(0)
「多和田葉子」、「翻訳小説」という特集を組んだ『群像(2020年6月号)』を再読しようということで、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************本屋の店頭で『群像(2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。【群像(2020年6月号)】雑誌、講談社、2020年刊<商品説明>より[小特集 多和田葉子]・インタビュー「離れていても、孤独ではない人間たちの闘争」 聞き手・構成:小澤英実・評論「多和田葉子の『星座小説』--『星に仄めかされて』をめぐって」岩川ありさ[特集 翻訳小説]・アンケート「最新翻訳小説地図」<読む前の大使寸評>表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。rakuten群像(2020年6月号)「『星に仄めかされて』をめぐって:岩川ありさ」で『地球にちりばめられて』の続編が語られているので、見てみましょうp195~197 <Susanooの物語>『星に仄めかされて』で重要になってくるのが神話をはじめとする物語の存在だ。Susanooは、クヌートやHirukoらの自伝的な物語の扉を開け、いつも同じ結末を持っている神話と渾然一体にすることで、「国産みの神話」や「国家共同体の神話」の内側に他者を閉じ込めようとする。けれども、ムンンやヴィダの存在は、異なる声を喚起し、Susanooを別の物語へと連れ出そうとする。 ムンンがSusanooに「アルタイル」(彦星)の名を与える場面は象徴的だろう。神話の中で、「ダメな弟の役柄」を割り振られ、ヤマタノオロチを退治する物語を延々と演じなければならなかったSusanooが、決められた物語の外側に出る可能性がこの場面からは見出せる。 Susanooが別の物語を生きる可能性について考えるとき、多和田の小説「文字移植」が大きな示唆を与えてくれるだろう。「文字移植」の語り手の「わたし」は、スペイン領のカナリア諸島にやってきた翻訳家である。語り手の「わたし」は、知人の所有する別荘に滞在しながら、ドイツ語で書かれたアンネ・ドゥーデンの小説「アルファベットの傷口」を翻訳しようとするが、「わたし」はこれまでに翻訳を終わらせたことがない。 モチーフとなっている伝説は、聖ゲオルグがドラゴンを退治し、王女を救うという、いつも同じ結末を持つ物語である。語り手の「わたし」は、ドゥーデンのドイツ語の小説を日本語に逐語訳することで、少しずつ統語法をずらし、ひとつの暴力の物語を語り終えることを拒絶し、「傷口」と暴力を明るみに出そうとする。(中略) 満身創痍になり、傷口は露出し、決して、物語は全面的な解決に向かうわけではない。だが、べつの声やべつの見方をとり入れることによって、いつも同じだったプロットが組み替わる可能性を「文字移植」は示唆する。「すっさ、すっさ、NO、NO、NO!」という響きは、アメノウズメが天の岩戸の前で踊ったときのように、凍ったような心を溶かす音楽に聴こえる。 Susanooが、「神話」という、いつも同じ結末を持つ物語の外に出ることができるとすれば、それはべつの声の中へと迎え入れられたときである。そして、その声は、ともにゆく人のいるエクソフォニーにおいて可能になる。 <星は組み替わる クヌートの物語> クヌートは母親であるニールセン夫人と失踪した父のあいだで大きな葛藤を抱いている。だが、その葛藤は、母を愛し、父に去勢され、「父の法」に参入するという、父殺しが主題のオイディプス王の物語をもとにしたエディプス・コンプレックスとは少し異なっている。 ニールセン夫人は、「性」という観念に強く影響を受けているが、クヌートの興味は言葉にあり、二人のあいだにはすれ違いが生まれている。クヌートが言語を習得する過程が詳細に綴られた第六章「ニールセン夫人は語る」で、ニールセン夫人は、地球人の子どもと火星人の子どもが取り替えられるというサイエンス・フィクション映画に夢中になっていたこともあり、大人には理解できないが、幼児たちが用いる言葉は、「複雑なシステムが根底に感じられる言語」であり、「別の星の言葉」なのかもしれないと感じている。 ニールセン夫人は、「具体的に何かしてほしいというメッセージを含んでおらず、話すためだけに話される芸術言語」であるクヌートの言葉を「むにゃむにゃ語」と呼び、幼児の頃のクヌートには親近感を抱いている。この「むにゃむにゃ語」への愛着は、父の言語の中にクヌートが飲み込まれてしまうことへのニールセン夫人による一つの抵抗なのかもしれない。小野正嗣も連載コラム「文芸時評」(5/27)で「多和田語の世界」を取り挙げています。『群像(2020年6月号)』1:翻訳小説に関する辛島デイヴィッドのレポート『群像(2020年6月号)』2:多和田葉子のインタビュー『群像(2020年6月号)』3:ハロー、ユーラシア『群像(2020年6月号)』4:イギリスのコロナウィルス対応『群像(2020年6月号)』5:小野正嗣の小説『群像(2020年6月号)』6:『地球にちりばめられて』の続編
2024.03.03
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その66):「2024年度寺子屋ゼミのテーマは」を追記2024-02-272024年度寺子屋ゼミのテーマはより 未来予測の精度は、問題になっている事象の前段をどれくらい過去まで遡れるかによって決まります。 今起きている事件について1年前から起きたことだけしか知らないなら、1年後や5年後に何が起こるかはわかりません。でも50年前弥100年前からの前段を含んだ「文脈」を知れば、それが選択しうる道筋はある程度見通すことができます。 未来予測をするのは「当てる」ためではありません。不意を衝かれて驚かされないための備えです。 ガザは停戦できるのか、ウクライナ戦争の帰趨はどうなるのか、アメリカはトランプが大統領になったらどうなるのか、中国の人口減と経済停滞はどのような変化をもたらすのか、トルコは帝国の版図を回復できるか、アフリカは中国の「勢力圏」になるのか、ヨーロッパ共同体とNATOは解体するのか・・・どれも熟慮に値する論件です。でも、新聞の解説記事やテレビのニュース解説者の論評くらいではなかなか「文脈」は見えてきません。 ここでいう「世界」にはもちろん日本も含まれます。 日本の「これから」を予測する場合(どのセクターについても)やはりそこにシリアスな問題が起きるに至った「前史」を十分に調べて頂きたいと思います。 以上がテーマについてです。このあとは「ゼミ発表とは何か」というもう少し一般的なことです。 寺子屋ゼミはあくまで「ゼミ」ですから、発表者に求められるのは「モノグラフ(monograph)」の提示です。論点は一つに限定すること。問題を提起し、それについて聴講生たちに十分な情報提供を行い、その論点について私見を述べること。 この間のゼミ発表を見ていると、最後の「私見を述べる」という点の詰めが甘いように思います。 この場合の「私見」というのは別にきわだってオリジナルな意見のことではありません。「私が言わないとたぶん誰も言いそうもないこと」です。必死で頭を絞らなくても、これは出てきます。ふだんだってそれと気づかぬうちにやっていることなんです。 自分が選んだテーマについて、あれこれ調べたり、考えたりしているうちに「ふと思ったこと(たぶん自分以外にはあまり思いつかないこと)」が「私見」です。 もしかすると、みなさんの中には「客観的な事実の摘示にとどめて、私見を述べないこと」が知的に抑制的なふるまいで、「よいこと」だと勘違いしている人がいるかも知れません。それ、違いますよ。「自分以外には誰も言いそうもないこと」だけが学術的な「贈り物」になります。 学術というのは集団的な営みです。あらゆる時代のあらゆる人たちがこつこつと積み上げた「煉瓦」でエンドレスに建物を作るようなものです。大きな岩を運んでくる人もいるし、岩と岩の間の「隙間」にぴったりはまる小石を持って来る人もいます。岩の大小はさしあたりどうでもいいんです。自分にしかできない贈り物をすること。それが学術的営為ということです。僕はみなさんに、みなさんだけの「小石」を見つけて欲しいと思います。2024-02-12箱根の温泉で感じた中国のリアルより 少し前に凱風館にも20人ほど中国からのお客さんを迎えた。引率された毛丹青先生に「この人たち、どういう方なんですか?」と訊いたら、「ビジネスで成功して、もう働く必要がなくなったので悠々自適の生活をしている人たち」だと教えられた。年代は30代から50代。功成り名遂げた中国のお金持ちたちである。アメリカなら、フロリダに屋敷を買って、ゴルフをしたりセーリングをしたり毎晩パーティをしたりして過ごすのが定番だけれど、中国の富豪たちは一味違っていて、彼らの間では今哲学や宗教に対する関心が高まっている。それを求めて訪日したのだと聞いた。 たしかに、物質的な欲望が充足されたあとに「精神的な飢餓感」を覚えるということは理解できる。なにしろ中国では文化大革命で清朝以来の伝統的な施設は解体され、その後は北京五輪と上海万博で「古い中国」の痕跡はほぼ消え去ってしまったからである(北京の伝統的な胡同もその時に壊された)。今の中国人が「古い中国」への郷愁が兆した時にどこに行けばよいのか。 朝鮮半島にも「古い中国」はほとんど残っていない。朝鮮戦争の時に「山奥の寺院に敵兵がたてこもっている」という噂に煽られて、歴史的建造物が惜しげなく焼き払われた。だから、韓国で私が訪れたいくつかの寺院も、遠目からだと美しいが、近くにゆくとほとんどがコンクリート造りの「レプリカ」だった。ソウルにも平壌にも、もう李氏朝鮮時代の建物はほとんど何も残っていないと聞いた。 だから、中国の人たちが「古い中国」の郷愁を覚えた時に行く先は日本しかなくなったとしても不思議はない。たしかに日本には「古い中国」が残っている。宋や明や清の時代のものが日本列島に伝来して、いろいろなかたちで、そのままアーカイブされている。 箱根でも、中国からのお客さんたちもずいぶんリラックスしているように見えた。だって、部屋の床の間には漢詩の掛け軸や南宋画が掛かっているのである(私たちの定宿はロビーの壁に中国の馬だけを描いた巨大な画布がかかっていた)。それを見た時の彼らの安堵はいかばかりであろうか。2024-02-08 『本の本』あとがきよりこの本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。 僕は「ない」と思う。 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.02.29
コメント(0)
大島渚監督も、主演の坂本龍一もすでに亡くなってしまったが、『戦場のメリークリスマス』という映画はこれからも残るわけで・・・以前の日記から以下のとおり紹介します。*********************************************************図書館で「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」という本を手にしたのです。【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実「第六章 躁」では映画撮影の現場がいかなるものか、述べられています。p70~72<第六章 躁> 映画『戦場のメリークリスマス』の撮影は、日本人俳優がラロトンガ入りする直前の8月21日からスタートしていた。収容所でのデヴィッド・ボウイ、トム・コンティの絡みのシーンだ。これが映画のファースト・カットとなった。 大島監督らすでに現地入りしていたスタッフを除く、日本人のキャスト、スタッフらがラロトンガ入りしたのは8月23日。途中、フィジーでの2泊を含む、日本から4日をかけての長旅だった。この長旅の間中、英語の台詞が多い坂本龍一は脚本()とつねに格闘していたという。 到着するなり、そこはもう戦場だった。日本人、外国人のキャスト、スタッフが入り乱れ、宿舎となったラロトンガ・ホテルは収容所ならずとも、戦地のキャンプのような様相を呈していた。 英語、日本語が飛び交い、あちこちで文化の衝突もあれば融合もあった。何人かの日本語に堪能な外国人スタッフたちがその緩衝材、橋渡しの役を担った。 その代表が、外国人キャストへの日本語の台詞指導や大島監督の相談役というポジションにいたロジャー・バルバースだった。ロジャー・バルバース ラロトンガでの撮影中のぼくのスケジュールは、基本的に朝起きてまず、オンボロのトヨタで監督や成島さんらをロケ場所まで送る。ほんとうにこの車は大丈夫かっていうぐらいの錆びた車でした。そして朝食のときに、トム・コンティ、ボウイ、ジャック・トンプソンら外国人俳優と打ち合わせをして、監督の要望を伝えたり、彼らの悩みや相談を聞いたりする。 彼らのほうから「このシーンはこういうふうにやりたいのだけど、どうか?」と訊かれて、監督に伝えもしました。そういうときは監督の答えはほとんど「好きなようにやってください」というものでした。 でも外国人俳優たちに「Do as you like(好きにやって)」と伝えても、彼らはそれに納得しない。自分の提案に対して、もうちょっと監督からの意見や積極的な肯定の言葉がほしい、と。 というと、監督は、そんなのいちいち指示しない、段取りも組まない。好きにやってくれ、と。 撮影現場では本当にそうだったんです。俳優に向かって、ここでこうしなさい、こういうふうに、ということがまったくない。小津安二郎監督とは180度ちがうというか(笑)、本当に演出の指示をしない、俳優にまかせて、大体ワン・テイク。ときには撮影監督がOKを出す前に「よし次!」って(笑)。 監督は、とにかく役者の自発性にまかせて、最初のテイクがいちばんおもしろいっていう天才的なひらめきがある人。自発性とフレッシュネス、新鮮さとその雰囲気を尊重する。フィルムではそれがうまく出ているわけですから正解でした。 これはよく憶えているのですが、あるシーンでトム・コンティが「ロジャー、このハラ軍曹が現れるシーンでは、ぼくはどういうふうにしゃべるのがいいと思う?」って訊いてきたんです。で、ぼくは何気なく「この椅子から立ち上がりながらしゃべるのがいいんじゃない」って答えたら、それを見ていた監督が「ロジャー! 演出するな!」って怒鳴るんですよ。もう本当に北極からの冷たい風が身体を通り抜けたように凍りつきましたね(笑)。「トム、悪いけど自分で考えて好きなようにして!」って(笑)。「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」3:映画撮影の現場「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」2:第二次大戦の日本軍と俘虜の関係「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」1:坂本龍一さんへのインタビュー
2024.02.25
コメント(0)
ネット巡っていたら、『「ロシアのスパイが戻ってきた」 欧州各地で殺害・世論操作事件』というのに出くわしたのです。おお 反体制派指導者のナワリヌイ氏の殺害疑惑にゆれるロシアであるが・・・韓国・東亜日報の記事が興味深いので以下に紹介します。「ロシアの情報機関はこれまで以上に危険な状態」との指摘は聞き捨てにできないでぇ。*********************************************************「ロシアのスパイが戻ってきた」 欧州各地で殺害・世論操作事件より■「ロシアのスパイが戻ってきた」(英誌エコノミスト)ソ連時代に「KGB(国家保安委員会)」として威勢を誇ったロシアの情報機関が、プーチン大統領の全面的な支援の下、過去の存在感を取り戻そうと奮闘している。ウクライナ侵攻当時、「戦争は数日以内に決着がつくだろう」と誤った判断をするなど大恥をかいた情報機関が、最近、大々的な改革を行い、様々な海外作戦に乗り出したという。特に、13日にウクライナに亡命したロシア人パイロットがスペインで殺害された事件に介入した疑いなどが浮上し、冷戦時代のKGBの「影の戦争(shadow war)」の復活を狙っているという観測も流れている。■ クレムリン宮が情報機関の改革を主導英誌エコノミストによると、ロシアの3大情報機関である連邦保安局(FSB)、対外情報局(SVR)、軍参謀本部情報総局(GRU)は、ウクライナ戦争前から分裂と無能で国際的に軽視されてきた。16日に獄中で不審死した反体制派指導者のナワリヌイ氏を2020年に毒殺しようとしたが失敗した。22年にはウクライナを過小評価し、23日で2年目を迎える長期戦を招いた。長年のライバルである米中央情報局(CIA)のバーンズ長官が先月、外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」の寄稿文で、「ロシアのおかげでCIAの採用機会が増えた」と嘲笑したほどだ。しかし、最近、ロシアの情報当局が過去の過ちを教訓にして大々的な改革に乗り出す動きが見られる。英王立防衛安全保障研究所(RUSI)は20日、報告書で、「セルゲイ・キリエンコ大統領府第1副長官が率いる『特別影響力委員会(GRU)』が主導している」と伝えた。GRUは最近、一連のロシア軍の情報流出を戦争不振の深刻な原因と指摘し、主要部隊でスマートフォンの使用を厳しく禁止した。エコノミストは、「最近、欧州連合(EU)の分裂を狙った一連の事態もGRUの動きと関連している」と分析した。ウクライナ西南部の旧ソ連国家であるモルドバが昨年、EU加盟を推進した際、モルドバ大統領に対する虚偽情報が突然急増したのも、ロシアの情報当局が関与した可能性が高いという。最近、ドイツ外務省は昨年12月20日から1ヵ月間、ロシア政府機関のプロパガンダをドイツ語で掲載したX(旧ツイッター)のアカウントを5万個以上確認した。フランスとポーランドも12日、ロシアのオンライン世論操作ネットワーク「ポータルコンバット」に対する共同対応を予告した。■ NATO崩壊を狙う「影の戦争」ロシアの情報機関の最優先課題は、北大西洋条約機構(NATO)内部の亀裂の拡大だ。戦争相手であるウクライナに対する支援を弱めるためだ。RUSIは、「ロシアの情報機関がこのために英国など欧州各国の選挙に介入する準備をしている」と警告した。これらの機関が冷戦時代にあったような冷酷な作戦に乗り出す兆候もすでに発見されている。ウクライナ戦争中に反旗を翻して亡命したロシア軍パイロット、マキシム・クズミノフ氏が13日、スペインで殺害された事件も、ロシア情報当局が現地マフィアと共謀して起こしたとみられている。英紙タイムズは、「クズミノフ氏の死は、ロシアの情報機関の冷酷さを示す事件であると共に、ウクライナ侵攻後、情報機関が復活している兆候だ」と報じた。特に最近は、東欧で様々な作戦を展開している。エストニア政府は20日、「ロシアの情報機関の指示を受けて内相の車を破壊した容疑でエストニア人とロシア人10人を拘束した」と発表した。カヤ・カラス首相は米CNNのインタビューで、「私たちに対してロシアが影の戦争を行っている」と述べた。KGB出身のプーチン大統領の性格上、情報機関の復活は一過性にとどまらないとみられる。エコノミストは、「スターリン時代に強力だった秘密機関の栄光を取り戻そうとしている」とし、「ロシアの情報機関はこれまで以上に危険な状態」と警告した。洪禎秀 hong@donga.comウクライナ侵攻2年目となるが・・・伝統的な人海戦術・物量作戦を採るロシアが盛り返して、自由世界の脅威が増しています。
2024.02.24
コメント(0)
ガザ地区南部では、イスラエル軍により、市民を巻き込むテロリスト掃討作戦が始まろうとしているが・・・・歴史を省りみると、中東地域の国境線の引き方が極めて欺瞞的であったわけで、以下の本を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************<『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』3>図書館で『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これが借りる決め手になったのです。【サイクス=ピコ協定 百年の呪縛】池内恵著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より百年前の「秘密協定」は、本当に諸悪の根源なのか?いまや中東の地は、ヨーロッパへ世界へと難民、テロを拡散する「蓋のないパンドラの箱」と化している。1916年、英・仏の協定によって地図の上に無理やり引かれた国境線こそが、その混乱を運命づけたとする説が今日では専らだ。しかし、中東の歴史と現実、複雑な国家間の関係を深く知らなければ、決して正解には至れない。危機の本質を捉える緊急出版!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これがかりる決め手になったのです。rakutenサイクス=ピコ協定 百年の呪縛協定区域地図の上に無理やり引かれた国境線こそが諸悪の根源だともっぱら言われるが、果して?p19~21<第1章 サイクス=ピコ協定とは何だったのか>■分かった気にさせるマジックワード「結局、サイクス=ピコ協定が諸悪の根源だ」 近頃、こういったフレーズをよく聞くようになった。中東の混迷の原因は何なのか。一帯誰が悪いのか。誰もが自然に思い浮かべる素朴な義憤に、単純明快な答えを見つけたような気にさせてくれる万能のマジックワードが「サイクス=ピコ協定」である。 要するに、中東の混乱の原因は、イギリスとフランスが、サイクス=ピコ協定によってアラブ世界に不自然な国境線を引いたからである。だからシリアやイラクなど、民族や宗派が違う人々が同じ国に住まされて、まとまりがなく、争いが絶えないのである…云々。にわか仕込みのテレビ・コメンテーターなどが急にこの言葉を用いるようになった。 確かに、こう言ってしまいたくなる気持ちは分かる。「アラブの春」以来、中東情勢の混迷は一向に収束する気配がない。「イスラーム国」が行なって誇示する処刑やテロなどの蛮行の数々は、一般的な感覚からは到底理解が不可能だろう。何か一つのキーワードで「要するに…」と大雑把にまとめてしまってスッキリしたい、という気持ちは分からないでもない。 そして、実際に「サイクス=ピコ協定」は重要な文書である。現在の中東の成り立ちの、ある根本的な部分を基礎づけている。確かにサイクス=ピコ協定は「悪い」。帝国主義・植民地主義の時代にイギリスやフランスやロシアなど「西欧列強」が、そして冷戦時代はアメリカとソビエト連邦など超大国が、中東に介入し、影響力を競ったことで、どれだけ大きな混乱が、戦争の惨禍が、中東を襲ってきたことか。 しかし同時に、「サイクス=ピコ協定が悪い」と言っているだけでは、現実を理解するという意味でも、将来を見通すという意味でも、そして解決策を見出すという意味でも、先に進めない。 これは東アジアに置き換えて考えてみれば少し分かりやすくなるかもしれない。例えば、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発の問題について、「そもそも日本が朝鮮半島で帝国主義・植民地支配をしたから悪い」とだけ言い続ければどうなるだろうか。日本が植民地支配をした挙句、太平洋戦争で敗れて朝鮮半島から撤退したから、朝鮮半島は米ソ冷戦の最前線となって、南北に国家は分断された。 いつ戦争が再開されてもおかしくない緊張状態が続き、北朝鮮は独裁化し、核兵器やミサイルを開発して威嚇する。悪いのは日本の植民地支配だ…と主張したら、どうだろうか。確かに、日本が朝鮮半島を併合して支配していなければ、朝鮮半島は今のような状態にはなっていないかもしれない。おそらく、現在の朝鮮半島の政治情勢に、日本のかつての植民地支配は、多くの日本人が現在意識しているよりももっと大きく影響を及ぼしているだろう。 しかし植民地主義の時代から現代までの間には長い時間が経っており、その間の、より大きな影響を与えた多くの出来事が生じている。もし日本による統治の時代がなければ、もちろん朝鮮半島の歴史は大きく変わっていただろうが、日本の統治下に入る以外の可能性がどれだけあったかとというところが定かでなく、しかも別の可能性がよりましなものであったとも言えない。ロシアや中国に併合されて、現在独立国でいることができなかったかもしれない。それを現在の南北朝鮮の国民の感覚からは、到底受け入れられないだろう。 さらに言えば、現在の朝鮮半島の国家や国際関係が抱える問題に日本が責任がある、ということであれば、「日本が責任を取ってもう一度朝鮮半島に介入して今度はきちんと問題を解決するべきだ」ということにもなりかねない。もちろん、そんなことを現在の日本で本気で主張して実行しようとする人は皆無に近いだろうし、朝鮮半島の民族も決して求めないことだろう。 同じように、「結局、サイクス=ピコ協定が悪いのだ」という議論も、中東の歴史を方向づけた非常に重要な歴史の事象に触れているのだが、それだけでは現在の中東を読み解き、将来を展望するのに十分ではない。『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』1:アラビアのロレンス『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』2:20世紀は難民の世紀『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』3:分かった気にさせるマジックワード
2024.02.21
コメント(0)
ネット巡っていたら、『ベストセラーズインタビュー』シリーズで『bestseller's interview 第77回 絲山秋子さん』というのに出くわしたのです。おお 絲山秋子さんってか・・・これはいけてるかも♪ *********************************************************『bestseller's interview 第77回 絲山秋子さん』より■出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』! 第77回となる今回のゲストは、昨年12月に新刊『薄情』(新潮社/刊)を刊行した絲山秋子さんです。 『薄情』の舞台となっているのは群馬県高崎市。その地での暮らしぶりや季節の移り変わりが丹念に描かれていくなかで、地方都市に暮らす人ならではの葛藤が浮き彫りになっていきます。「暮らし続ける人」、「戻ってきた人」、「移住してきた人」、同じ場所で暮らしながらそれぞれ異なった背景を持つ登場人物たちの出会いと再会の後に起きた出来事とは? この作品の成り立ちについて、絲山さんにたっぷり語っていただきました。 ■Interview Index1.「余所者」には「良い」か「悪い」かしかない2. 「無理に先を書こうとしてもうまくいかない。でも、待っていると 『今だ!』という瞬間がやってくる」3.絲山作品は「あらすじを追わない」方が楽しく読める?4. 取材後記■「余所者」には「良い」か「悪い」かしかない ― 絲山さんの新刊『薄情』は、群馬県の高崎市を舞台にした、いわば「土地」に根を張った作品です。まずは、この小説がどのように着想されたのかというところからお聞きしたいのですが、やはりご自身がこの地で暮らしているということが大きいのでしょうか。著者近影絲山: もちろん、自分が住んでいるからというのはあります。これまで、小説の中であちこちの地方都市を書いてきたのですが、多くは「余所からその土地に来た人」の話でした。ただ、群馬に関しては実際に家を建てて暮らしていて、町内会の活動にも参加しています。方言で話しますし、知人も増えましたしね。それもあって、私自身は東京出身なのですが、群馬を舞台にするのであれば「その土地で生まれ育ってずっと暮らしている人」のことも書けるのではないかというのがありました。前に書いた『ばかもの』も高崎が舞台でしたが、『薄情』はそれをもう一歩進めた形で書きたいという気持ちでしたね。― 「土地」ということでいうと、「生まれてからずっとその土地の中にいた人」と、主人公の宇田川や蜂須賀のように「一度出てから戻ってきた人」、鹿谷さんのように「外からきた人」が作中に登場しますが、それぞれ土地との距離感が違っていて面白かったです。絲山: 自分自身、高崎には会社員時代に2年いて、その後で住みついたのですが、アパート暮らしの時と、家を建ててからでは周りの人との親密度が変わったように感じます。余所者かどうかということでいえば、この先もずっと余所者なのでしょうが、それでも少しずつその土地だとか土地の人との距離感は変わってくるものだと思います。同じように、生まれた時からその土地にいる人でも、家族が代々そこに住んでいるという人と、親の代で移り住んできた人とでは、ものの見方にしても故郷の捉え方にしても少しずつ違ってくるはずです。― 群馬といえば、その「田舎」ぶりがインターネット上でネタにされていたり……絲山: 群馬の人ってそれを知っていて笑いのネタとして、自虐的に話すんですよね。本当は群馬が好きなのにわざわざ自虐に走ってしまう。「未開の地 群馬」と言われたりしますけど、そういうことでも、話題として楽しんだりします。この小説では、そういう群馬の人の気質も含めて、他の人が書いていない群馬の話を書きたいと思っていました。― 東京との距離が絶妙ですよね。遠いは遠いですが、地方とまではいきませんし。絲山: 方言にしても、イントネーションは東京と同じで、昔の「江戸っ子」の言葉に近いんです。「おまえ」が「おめえ」だったり、「はいった」が「へえった」だったり、落語みたいに聞こえるかもしれません。― ただ、宇田川は登場人物の中でもはっきりと東京との距離を感じていますね。絲山: 宇田川もそうですが、群馬は「地元意識」が強い人が多いと思います。そこは埼玉の人との違いかもしれません。埼玉の場合、東京に通勤していたりするので、独自の地元意識はあまりないという人が多いのですが、群馬は地域によって特色が違いつつも全体で「俺たちは群馬」という意識があります。おもしろいのは、群馬の人は東京のことを「都内」って言うんですよ。おそらく無意識に使っているのだと思いますが、群馬は東京の外側なんだから「今日は東京で仕事」でいいはずなのに「今日は都内で仕事」と言う。でも埼玉や長野のことは「他県」と言うんです(笑)。だから埼玉を飛び越えて東京に親近感を持っているんだと思います。以前、この『薄情』を読んでいて群馬弁に驚いたものです。・・・なんか名古屋弁もハダシで逃げそうだがや。だけど、絲山さんは群馬弁どころか、フランス語も操るところろがスゴイ♪【薄情】絲山秋子著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入りを避け日々をやり過ごしてきた。だが、高校時代の後輩女子・蜂須賀との再会や、東京から移住した木工職人・鹿谷さんらとの交流を通し、かれは次第に考えを改めていく。そしてある日、決定的な事件が起きー。季節の移り変わりとともに揺れ動く内面。社会の本質に迫る。滋味豊かな長編小説。<読む前の大使寸評>この新作は、2016年の谷崎潤一郎賞受賞とのこと。絲山秋子ミニブームの勢いで、読んでみるか♪<図書館予約:(10/31予約済み、副本11、予約3)>rakuten薄情文章作成におけるアイデアが述べられているので、メモしたのです。― 推敲のポイントなどがあればという質問も来ています。絲山: これはプリントアウトですね。パソコンのモニタで読むと客観的になりにくいですし、文字も見づらいので、私もゲラを読む時はプリントアウトしたものに手書き赤を入れています。それと、書き終わったらその内容を一度忘れることも大事なので、一日でも二日でもいいので、書いた文章のことを積極的に忘れるように心がけてみるといいと思います。読み返した時に他人の文章を読んでいるような感覚になるのが理想ですね。― ちなみに、ゲラにはたくさん手を入れるタイプですか?絲山: ものすごく手を入れるタイプです。初稿もそうですし、単行本になる時もかなり直します。「宇田川は車を運転したい」と「車を宇田川は運転したい」のように、言葉の順番が違うだけで読んだ印象が全く変わってしまうので、ものすごく注意していますし、いじくり回します。こういうことも、書いた後に一度忘れるようにしているからできるんです。― 最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いいたします。絲山: 私は実在する人物と、小説に登場する架空の人物を分けて考えません。たとえば、実在する人でも、友達の家族だと話は聞いても会うことがなかったりするわけで、登場人物たちについてもそのくらいの感じに捉えています。『薄情』に出てくる登場人物にモデルはいませんが、「絲山の友達」とか「自分の友達の友達」とか、そのくらい身近に思っていただけたらありがたいです。それと、小説を読む時は「あらすじ」を無理に追わない方が味わいやすかったり、楽かもしれませんよ、ということも伝えたいですね。特に私の小説はあらすじを無理に追わない方が楽しく読めるのではないかと思います。
2024.02.19
コメント(0)
「だから、私は平野レミ」というNHK番組を観たのだが・・・良かったので、NHK+で再度覗いてみたのです。*********************************************************NHK<だから、私は平野レミ>より予定調和なしの奔放なトーク、「食べればギョーザ」などの時短レシピの数々。「シェフではなくシュフ」を自称する料理愛好家・平野レミとは何者なのか?読み解くカギは、幼い頃「レミ」と呼ばれていた父が書き溜めた50年分の日記だ。平野レミの若き日の挫折の日々や、夫・和田誠との運命の出会い、そして初めて明かされる胸の内―彼女の料理スタイルには確固たる信念があった。誰も知らない「素顔の平野レミ」を知る43分。この放送をNHK+で観ながら、以下のとおりメモしました。■兄弟の食事用にレミが自己流料理を作って、その腕を上げたという。■「学校やめたい」と父に告げたら、即「やめろ!」と返事があったそうで、「そのかわり、好きなことを徹底的にやれ」と言われ、シャンソンの訓練に勤しんだとのこと。■和田誠氏と電撃的に結婚した時、父は「我が家は救われた」と言ったそうで・・・豪快で優しい父子である。■レミさんの料理を和田さんが旨い旨いとほめてくれたが、レミさんは料理学校に行ったこともなくて・・・人が喜ぶ家庭料理を作りたかったとのこと。■NHKの料理番組に出演するようになって、レミ風トマト炒めを作る際、トマトを手で揉みつぶして・・・「下品」との視聴者コメントがあったが、トマト炒めだと、切るよりつぶす方が味がいいと言い返したそうです。■だから、野菜の太い茎の部分は食器で叩きつぶすんだろうね・・・豪傑やで♪*********************************************************ウーム、アイノコの待遇改善に奔走した父であるが・・・この父にしてこの子ありというか、やはり天才的な血筋が成せるワザなんでしょうね♪NHK「平野レミの早わざレシピ!」もお奨めです。
2024.02.18
コメント(0)
16日に植村直己冒険賞の受賞者4名が発表されたが、高野秀行さんも含まれていた。これまで彼の著作をフォローしてきたが、冒険家の資質はもちろんで、多角的な好奇心が向かう視点がええでぇ♪・・・ということで、山と渓谷オンラインから速報を紹介します。*********************************************************2023年の植村直己冒険賞は2組4人により創造的な冒険・探検に贈られる植村直己冒険賞(兵庫県豊岡市主催)。2023年は異例の2組4人の受賞となった。受賞者は、イラクのティグリス川、ユーフラテス川が作り出した巨大な湿原地帯「アフワール」を探検した山田高司さん(65)、高野秀行さん(57)の2人と、深さ400m以上というアンナプルナ山群の大渓谷「セティ・ゴルジュ」を探検した田中彰さん(51)と大西良治さん(46)の2人。2月16日に東京都内で行なわれた記者発表で、選考委員の関野吉晴さんは「セティ・ゴルジュ、アフワールのどちらかを落としてしまうと悔いが残る。選考の議論はいつもの倍かけ、2組4人が受賞ということに決まった」と経緯を振り返りながら、優劣つけがたい2つの探検の価値を強調した。左から大西良治さんと田中彰さん、山田高司さんと高野秀行さん探検家で環境活動家の山田さん、ノンフィクション作家の高野さんは2018年から6年間、4度にわたって四国に匹敵するという広大なイラクの湿地帯を踏査。伝統的な舟「タラーデ」やカヌーを使って、水牛を飼いながら葦で作った家に暮らし、古代シュメールとほとんど変わらない生活をしている人たちに出会った。そうした中で、世界的にコレクターが珍重する「マーシュアラブ布」(現地では「アザール」)という布のルーツを探りあて、この湿地帯を中心とした文化構造に迫っていく。この探検は『イラク水滸伝』(文藝春秋)にまとめられており、歴史学、地政学、民族問題、環境問題など多角的な視点でアフワールにアプローチしている。広大なイラクの湿地帯を踏査した紀行『イラク水滸伝』を図書館に予約しているのだがなかなか巡ってこないので、オアズケ状態で待っています。【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>この本を図書館に予約しているのだがなかなか巡ってこないので、オアズケ状態で待っています。<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>現在80位rakutenイラク水滸伝
2024.02.17
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その65):「箱根の温泉で感じた中国のリアル」を追記2024-02-12箱根の温泉で感じた中国のリアルより 少し前に凱風館にも20人ほど中国からのお客さんを迎えた。引率された毛丹青先生に「この人たち、どういう方なんですか?」と訊いたら、「ビジネスで成功して、もう働く必要がなくなったので悠々自適の生活をしている人たち」だと教えられた。年代は30代から50代。功成り名遂げた中国のお金持ちたちである。アメリカなら、フロリダに屋敷を買って、ゴルフをしたりセーリングをしたり毎晩パーティをしたりして過ごすのが定番だけれど、中国の富豪たちは一味違っていて、彼らの間では今哲学や宗教に対する関心が高まっている。それを求めて訪日したのだと聞いた。 たしかに、物質的な欲望が充足されたあとに「精神的な飢餓感」を覚えるということは理解できる。なにしろ中国では文化大革命で清朝以来の伝統的な施設は解体され、その後は北京五輪と上海万博で「古い中国」の痕跡はほぼ消え去ってしまったからである(北京の伝統的な胡同もその時に壊された)。今の中国人が「古い中国」への郷愁が兆した時にどこに行けばよいのか。 朝鮮半島にも「古い中国」はほとんど残っていない。朝鮮戦争の時に「山奥の寺院に敵兵がたてこもっている」という噂に煽られて、歴史的建造物が惜しげなく焼き払われた。だから、韓国で私が訪れたいくつかの寺院も、遠目からだと美しいが、近くにゆくとほとんどがコンクリート造りの「レプリカ」だった。ソウルにも平壌にも、もう李氏朝鮮時代の建物はほとんど何も残っていないと聞いた。 だから、中国の人たちが「古い中国」の郷愁を覚えた時に行く先は日本しかなくなったとしても不思議はない。たしかに日本には「古い中国」が残っている。宋や明や清の時代のものが日本列島に伝来して、いろいろなかたちで、そのままアーカイブされている。 箱根でも、中国からのお客さんたちもずいぶんリラックスしているように見えた。だって、部屋の床の間には漢詩の掛け軸や南宋画が掛かっているのである(私たちの定宿はロビーの壁に中国の馬だけを描いた巨大な画布がかかっていた)。それを見た時の彼らの安堵はいかばかりであろうか。2024-02-08 『本の本』あとがきよりこの本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。 僕は「ない」と思う。 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。2024-01-19 朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か?よりもちろん、スーパーマンだって「アイデンティティーの危機」には遭遇します。例えば、スーパーマンが活躍して悪人と戦うとき、巻き添えで市民が傷ついたりすることがあります。すると、その犠牲者の家族が「スーパーマンのバカ野郎。この人殺し」と罵ったりすることがある。つねに歓呼の声に迎えられることになれているスーパーマンは、その言葉に深く傷つき、アイデンティティーの危機を迎えて、鬱状態になります。でも、何かのはずみで再びヒーローとして活躍する機会に恵まれ、市民たちから「ありがとう」と感謝の言葉を浴びると、鬱から癒されて、もとのスーパーヒーローに戻る・・・こういう物語を僕たちは飽きるほど見せられてきました。 アメリカの「ヒーローもの」物語のパターンはすべて同じです。「ほんとうの自分に出会うと人間のパフォーマンスは爆発的に向上し、アイデンティティーが揺らぐと無力になる」。そういう話です。「別人になる」という解はないんです。 ときどき、鬱状態のヒーロー(ウルヴァリンとかランボーとか)が山の中とか外国のスラムとかに「隠棲」するというエピソードはありますけれども、それは「別人」になっているわけではなく、一時的に「偽名」を使っているだけで、そのうちに誰かが探しに来て、困難なミッションを託されて、再びヒーロー復活・・・という展開になるのです。必ず。 欧米型ヒーロー物語は「ほんとうの自分の発見」、ほとんどそれだけを中心に展開します。 でも、これまでの東アジア文化圏では、「ほんとうの自分の発見」ということはほとんど問題になったことがありません。さすがに今では欧米の影響で、そういう考え方をする人が増えてきましたけれども、これはせいぜい20世紀後半からの話です。 修行というのは、「連続的な自己刷新」のことですから、「ほんとうの自分」なんていうものはどこにもありません。昨日の自分と今日の自分は「もう別人」であるというのが修行のかんどころです。 教育論でもよく僕は「呉下の阿蒙」の話や、「名人伝」の紀昌の話を引きますけれど、どちらも「長い努力の末、昔の自分とは似ても似つかぬものになった人」の話です。それが東アジアでは「人格陶冶の正しい道」とみなされてきました。何よりたいせつなのは「今の自分」に居着かないことです。だとしたら「アイデンティティー」が問題になることはあり得ません。 修行は東アジアに固有の「自己陶冶」のあり方です。僕は武道修行を通じて、それを実践してきました。 釈先生は僕の武道に向かう態度やあるいはレヴィナス先生に仕える「弟子」の作法を見て、そこに「仏道修行に通じるもの」を感じて、「宗教の本領」という言葉を口にされたのではないかと思います。こんな説明でご理解頂けたでしょうか。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.02.17
コメント(0)
厳冬期のピークは過ぎたが、陽が暮れれば、冬の星座が見られるベストシーズンですね♪・・・ということで以下のとおり復刻してみます。*********************************************************昼間の雨が上がり、雲間から冬の星座が見られます♪この季節は、冬の大三角、オリオン座、おうし座、スバルなどが見られて・・・・一年中で一番豪華な夜空ではないでしょうか。ちなみに、私の誕生日は牡牛座にあたるので、牡牛座には思い入れがあるんですよ(さよか)おうし座を見つけようより牡牛座はオリオン座の右側に見られます。、赤く輝くのが牡牛の眼:アルデバランです。牡牛の肩あたりにスバルが見られます。清少納言が星はスバルと讃えていましたね♪おうし座ある日のこと。フェニキア王の娘エウロパはいつものように侍女達と海辺で花摘みを楽しんでいたのですが、そこにどこからともなく、大きな牡牛が現れました。雪のように白く美しいその牡牛は、静かにエウロパに近づいてきます。おとなしく人懐こい様子に気を許したエウロパは、躊躇する侍女達をよそに、牡牛に頬擦りをしたり花を飾ったりと戯れ始めました。…しかーし!これは牡牛の罠だったんですねー。おうし座図書館で「星と暮らす。」を借りたので、柄にもなく「冬の星座」を見る気になったわけですが・・・寒気到来で、寒いでぇ。雲がわいてきて星が隠れたので、また別の日に見ることにしましょう。【星と暮らす。】藤井旭著、誠文堂新光社、2012年刊<内容説明>より星空とともに風景をとらえた美しい星景写真をメインとして、星や星座と文明の歴史、暮らしとのかかわりを紹介します。占星術や星座神話に代表される星にまつわる文化、流星やほうき星、隕石など世界各地で古い記録が残る天文現象が当時の人達にあたえた影響、枕草子など文学作品に見る星空を思う人間の心、地動説から天動説、最新の天文学へと続く人類の星や宇宙への挑戦の歴史など、様々な観点から星と人の関わりを紹介し、現代の暮らしの中に星の存在を取り入れてより豊かに生きることを提案します。<大使寸評>天文学入門書としていいかも。時節柄、「冬の星座の見つけ方」から読み始めたのです。冬の大三角、オリオン座、おうし座、スバルなどが見られて・・・・一年中で一番豪華な夜空ではないでしょうか。Amazon星と暮らす。ところで、「冬の星座」といえば、まず思い浮かぶのはオリオン座でしょうね。Satoさんの「星座を見つけよう」からオリオン座を引用します。オリオン座を見つけようよりオリオン座自分の愛する人を殺してしまったアルテミスの悲しみは、たとえようもありません。この一部始終を見ていた神々の王ゼウスは、アルテミスを不憫に思い、オリオンを天に上げ星座にしました。それ以来アルテミスは、銀色の月の馬車に乗り、愛するオリオンに会うため夜空を巡っているのです。<誕生星座>星空の中で太陽の通り道を「黄道」とよび、その黄道上にあるのが黄道十二星座です。これが自分の誕生日と関係ある、いわゆる「誕生星座」とよばれ親しまれているものです。おひつじ座(牡羊座、Aries) おうし座(牡牛座、Taurus) ふたご座(双子座、Gemini) かに座(蟹座、Cancer) しし座(獅子座、Leo) おとめ座(乙女座、Virgo) てんびん座(天秤座、Libra) さそり座(蠍座、Scorpio) いて座(射手座、Sagittarius) やぎ座(山羊座、Capricornus) みずがめ座(水瓶座、Aquarius) うお座(魚座、Pisces) アルデバランとスバルの中間が黄道となっているので、このあたりに最近は木星が見られます。
2024.02.16
コメント(0)
『御社のチャラ男』を読んだところであるが、「新世紀最高“会社員”小説」を書き上げる筆力に驚いたのです。・・・ということで、絲山秋子ミニブームを以下のとおり改定しました。********************************************************* <絲山秋子ミニブームR10>図書館で絲山秋子さんの小説を『逃亡くそたわけ』、『ラジ&ピース』とたてつづけに借りて読んだが・・・良かったので、更に2冊借りたのです。これらの作品を通じて思うのだが、とにかく車の運転や転勤や方言のお話が多いわけで・・・・突き詰めると、ロードムービー風の東京コンプレックスあるいは漂泊願望の作家ではないかと思うのです。借りた本を(図書館予約中も含めて)、並べてみます。<小説>・まっとうな人生(2022年)・御社のチャラ男(2020年)・薄情 (2015年)・離陸 (2014年)・忘れられたワルツ(2013年)・末裔 (2011年)・不愉快な本の続編(2011年)・妻の超然(2010年)・北緯14度(2008年)・ラジ&ピース(2008年)・ばかもの(2008年)・イッツ・オンリー・トーク(2006年)・逃亡くそたわけ(2005年)<エッセイ>・絲的メイソウ(2009年)・絲的サバイバル(2009年)・豚キムチにジンクスはあるのか(2007年)R10:『御社のチャラ男』を追加【まっとうな人生】絲山秋子著、河出書房新社、2022年刊<「BOOK」データベース>より名古屋出身の「なごやん」と繰り広げた九州縦断の脱走劇から十数年後ー。富山県のひょんな場所でなごやんと再会した「花ちゃん」。夫のアキオちゃんと娘・佳音の成長を愛おしむ日々に、なごやん一家と遊ぶ楽しみが加わった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大でその生活が一変!!続々とやってくる不安の波に押しつぶされそうになりながら、花ちゃんが出会ったもうひとりの自分とは?富山県を舞台に『逃亡くそたわけ』の続編が幕を開ける!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenまっとうな人生【御社のチャラ男】 絲山秋子著、 講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。<読む前の大使寸評>絲山さんの「新世紀最高“会社員”小説」ってか・・・これは面白いはずではないか。<図書館予約:(1/27予約、副本?、予約?)>rakuten御社のチャラ男『御社のチャラ男』1:当社のチャラ男:岡野繁夫『御社のチャラ男』2:我が社のチャラ男:池田かな子【薄情】絲山秋子著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入りを避け日々をやり過ごしてきた。だが、高校時代の後輩女子・蜂須賀との再会や、東京から移住した木工職人・鹿谷さんらとの交流を通し、かれは次第に考えを改めていく。そしてある日、決定的な事件が起きー。季節の移り変わりとともに揺れ動く内面。社会の本質に迫る。滋味豊かな長編小説。<読む前の大使寸評>この新作は、2016年の谷崎潤一郎賞受賞とのこと。絲山秋子ミニブームの勢いで、読んでみるか♪<図書館予約:(10/31予約済み、副本11、予約3)>rakuten薄情「薄情」が谷崎潤一郎賞を受賞したそうだが、「薄情」の絲山秋子さん:著者との60分intereviewを見てみましょう。【離陸】絲山秋子著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より「女優を探してほしい」。突如訪ねて来た不気味な黒人イルベールの言葉により、“ぼく”の平凡な人生は大きく動き始める。イスラエル映画に、戦間期のパリに…時空と場所を超えて足跡を残す“女優”とは何者なのか?謎めいた追跡の旅。そして親しき者たちの死。“ぼく”はやがて寄る辺なき生の核心へと迫っていくー人生を襲う不意打ちの死と向き合った傑作長篇。<読む前の大使寸評>個人的な絲山秋子ミニブームの勢いで、ちょっと厚めの本を借りたのでおます♪<大使寸評>主人公の佐藤は、土木工学科から国交省技官に奉職し、現場勤務を希望するという変わり者である。ある日、佐藤が勤務する八木沢ダムに、イルベールというアフリカ系の外国人が訪ねてきたのです。マルティニーク海外県出身のイルベールは、女優乃緒の息子ブツゾウを預り、結局、育てるはめになっているのだが・・・・子連れのイルベールが、母親の行方を探し求めるというストーリーが、奇しくも最近読んだJ・M・クッツェー著『イエスの幼子時代』に似てなくもないのです。佐藤が異動でパリのユネスコ本部に出向することになったのだが・・・ブツゾウの父親は誰なのか? 1930年代に作られた暗号文書が本当ならパラレルワールドがあるのか?パリに出向している間に、日本では東日本大震災が起きるのです。絲山秋子はパリ生活を経験し、国交省技官という知人がいたのかもしれないが、よくまあ謎めいた破天荒とも思える小説世界をつくったものだと思うのです。rakuten離陸【忘れられたワルツ】絲山秋子著、新潮社、2013年刊<「BOOK」データベース>より地震計を見つめる旧友と過ごす、海辺の静かな一夜(「強震モニタ走馬燈」)、豪雪のハイウェイで出会った、オーロラを運ぶ女(「葬式とオーロラ」)、空に音符を投げる預言者が奏でる、未来のメロディー(「ニイタカヤマノボレ」)、母の間男を追って、ピアノ部屋から飛び出した姉の行方(「忘れられたワルツ」)、女装する老人と、彼を見下ろす神様の人知れぬ懊悩(「神と増田喜十郎」)他二篇。「今」を描き出す想像力の最先端七篇。<読む前の大使寸評>先ごろ読んだ『逃亡くそたわけ』が面白かったので、絲山秋子の作品を短期集中的に読んでいます。amazon忘れられたワルツ【末裔】絲山秋子著、講談社、2011年刊<「BOOK」データベース>より家族であることとはいったい何なのか。父や伯父の持っていた教養、亡き妻との日々、全ては豊かな家族の思い出。懐かしさが胸にしみる著者初の長篇家族小説。<読む前の大使寸評>著者初の長篇家族小説ってか・・・・爆走気味の著者なので、いかなる自叙伝になっているやら。<大使寸評>玄関ドアに鍵穴がないというミステリアスな冒頭があるわけで…現実とも白昼夢とも区別できないような語り口で、これが自叙伝なのか?とも思うが、これもまた一興である♪rakuten末裔『末裔』byドングリ【不愉快な本の続編】絲山秋子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>より女と暮らす東京を逃げ出した乾。新潟で人を好きになり、富山のジャコメッティと邂逅し、そして故郷・呉から見上げる、永遠の太陽ー。不愉快な本を握りしめ彷徨する「異邦人」を描き、文学の極点へ挑む最新小説。<読む前の大使寸評>カミユの「異邦人」を意識した小説とのこと・・・・期待できるかも♪絲山秋子ミニブームがまだ続いています。rakuten不愉快な本の続編不愉快な本の続編byドングリ【妻の超然】絲山秋子著、新潮社、2010年刊<「BOOK」データベース>より文学がなんであったとしても、化け物だったとしても、おまえは超然とするほかないではないか。「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」を収録した異色の三部作。<読む前の大使寸評>先ごろ読んだ『逃亡くそたわけ』が面白かったので、絲山秋子の作品を短期集中的に読んでいます。「作家の超然」は手術を題材にしているので、胃なしの大使にとって切実な思いで読んだのです。rakuten妻の超然【北緯14度】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より 30年の時を越え、やっと神様に会える!西アフリカ・セネガルへの魂の旅。友だちと出会うこと、自分の居場所を見つけること、言葉の本当の意味をさがすこと、大切なことを考え続けた長篇紀行。<読む前の大使寸評>おお 絲山秋子の長篇紀行ってか・・・それも西アフリカ・セネガルへの旅というド田舎と言うか、キワモノではないか♪rakuten北緯14度『北緯14度』6byドングリ【ラジ&ピース】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より女の心は、何も入っていない冷蔵庫のようにしんと冷えていた-。それでも電波は、必ずラジオを見つけて鳴らす。女性DJの心を描く、絲山秋子の最新小説。<読む前の大使寸評>先日読んだ『逃亡くそたわけ』という小説が面白かったので、二匹目を狙って借りた次第です。パラパラめくると、この小説には群馬弁がでてくるんだけどこれが田舎ふうで・・・おっと、鄙びた感じでええでぇ♪rakutenラジ&ピース『ラジ&ピース』byドングリ【ばかもの】絲山秋子著、新潮社、2008年刊<「BOOK」データベース>より気ままな大学生と、強気な年上の女。かつての無邪気な恋人たちは、気づけばそれぞれに、取り返しのつかない喪失の中にいた。すべてを失い、行き場をなくした二人が見つけた、ふるえるような愛。生きること、愛することの、激しい痛み。そして官能的なまでの喜びー。絶望の果てに響く、愛しい愚か者たちの声を鮮烈に描き出す、待望の恋愛長篇。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、どうやら官能小説のようであるが・・・なんでもやれるのが、ええでぇ♪、絲山秋子ミニブームがまだ続いています。rakutenばかもの【イッツ・オンリー・トーク】絲山秋子著、文藝春秋、2006年刊<「BOOK」データベース>より引っ越しの朝、男に振られた。やってきた蒲田の街で名前を呼ばれた。EDの議員、鬱病のヤクザ、痴漢、いとこの居候―遠い点と点とが形づくる星座のような関係。ひと夏の出会いと別れを、キング・クリムゾンに乗せて「ムダ話さ」と歌いとばすデビュー作。高崎での乗馬仲間との再会を描く「第七障害」併録。<読む前の大使寸評>絲山秋子デビュー作とのこと・・・これは期待でじそうやでぇ♪amazonイッツ・オンリー・トーク『イッツ・オンリー・トーク』3byドングリ 【逃亡くそたわけ】絲山秋子著、中央公論新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より逃げるのに理由なんていらない。川端康成文学賞作家、糸山秋子初の書き下ろし長編小説。<読む前の大使寸評>絲山秋子のエッセイを読んだあとなんで・・・彼女の小説ならイケてるんじゃないかと期待するのです♪rakuten逃亡くそたわけ『逃亡くそたわけ』byドングリ【絲的メイソウ】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より「中学生で酒を、高校生でタバコを堂々とやっていた私だが、すき焼きの卵二つはだめだった」。ああ、人生は、なんでジグザグにしか進まないんだ!あっちにぶつかりこっちにぶつかり、ときに迷走、そして瞑想。いつも本気で立ち寄り、本気で考えた毎日を、偽ることなくセキララに描いた、絲山秋子の初エッセイ集。<読む前の大使寸評>どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪なお、絲山さんはマニュアルの外車に乗っているそうで、またヘビースモーカーでもあるそうで、すごい♪借りたのは、2006年刊のハードカバーです。amazon絲的メイソウ『絲的メイソウ』3byドングリ【絲的サバイバル】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より四の五の言わずに外に出ろ!さぁ、七輪持って出かけよう。『絲的メイソウ』に続くエッセイ第2弾は野宿。【目次】たったひとりでいたいのだ/窪地窪地、それと薪ったら薪/親愛なるステファニーへ。/キャンプは日常の延長なのだ/氷上デイキャンプ/キュウリと猫と宇宙人/大都会の小さなオヤジ世界/焚き火は蹴って育てろ!/嫁に行くなら六合村へ/野獣と椅子焼肉〔ほか〕<読む前の大使寸評>先ごろ読んだ『逃亡くそたわけ』が面白かったので、絲山秋子の作品を短期集中的に読んでいます。この本は、オートキャンプのエッセイ集となっているのですが・・・絲山さんは、クーペ・フィアットにキャンプ道具1式、食料を積み込み、一人でキャンプに繰り出すんだそうです。七輪を持って行くところが独特でんな♪rakuten絲的サバイバル【豚キムチにジンクスはあるのか】絲山秋子著、マガジンハウス、2007年刊<「BOOK」データベース>より群馬県高崎市在住、一人暮らし作家の泣くに泣けない自炊生活。試作に試作を重ね、今日も思いつき料理にトライ!?Hanakoから生まれた妙に切ない傑作エッセイ集。絲的おいしい生活24連発。<読む前の大使寸評>絲的な思いつき料理とは、如何なるものか・・・06年芥川賞受賞後すぐに出された初期のエッセイ集のようです。rakuten豚キムチにジンクスはあるのかそれでは、『ラジ&ピース』で群馬弁のあたりを見てみましょう。p54~57 毎週火曜日のこの時間は、「なっから群馬弁」。 初心者の私、相馬野枝に、皆さんの群馬弁を伝授していただくコーナーです。FAXは027-3・・・メールアドレスはwww.joshn-fm・・・ケータイはスラッシュkをつけてください。 先週いただいた「ガショーキ」つまり乱暴とか粗雑って意味なんですけれど、わかんねーよ、使わねーよ、という声多数いただきました。「ガショーキ」は東毛の方の言葉なんですね。高崎、前橋では使わないようです。 さて、今週もたくさんいただいています。ラジオネーム恐妻センター前橋さんのなっから群馬弁。 (嶋野がBGMを切ると同時にあらかじめ録音していた音源を流す。エコーをかけた間島の声が流れる) 「チョットイッテミラァ」 「ハアキャア?」 (BGMをスタートさせる) これは、「帰るよ」「もう帰るのかい?」という意味だそうです。「もう」が「ハア」なんですね。なるほどー。帰るときでも、行ってみらぁなんですんね。「ハア、ケエラア」「ハア、ケエルンベ」になると、もっと帰る意思が強いっていう解説をいただいたんですが、これはすごい。恋人同士で使ったりもするんでしょうか? それからこちらは、えーと藤岡市のバイアス33さんからいただきました。 (嶋野、BGMを切り、音源を流す) 「ミンナンチのカタログ持ってきてクンナイ」 (BGMスタート) この場合「ミンナンチ」っていうのは、「あなたの会社」だそうです。これもびっくりですね。私が藤岡へ行ったら、「ミンナンチの番組いつも聞いてるよ」って言われるのかな、なんだかかわいい言葉ですね。 えーっと、もう1枚行けますね。こちらは高崎市の不眠鳥さん。 (BGMを切る。ここは野枝がメッセージを読む) 「野枝さん、ナカラとオーカとマッサカの使い分けってわかりますか?全部すごくという意味なんですが、ニュアンスが違います。オーカはどっちかというと否定的なニュアンス、マッサカは予想と違う驚きのニュアンスです。これをマスターしたら野枝さんも群馬人ですよ」
2024.02.16
コメント(0)
<横尾忠則を観に行こう♪20‐R1>能登半島地震の支援に明け暮れるご時世ではあるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾忠則 ワーイ!★Y字路より2000年、故郷の西脇で、横尾忠則は夜の三叉路をストロボ撮影しました。すると見慣れたはずの景色が、全く異なる風景となって立ち現れたのです。この写真からインスピレーションを得た横尾は「Y字路」シリーズに着手、それらはやがて彼にとって重要なライフワークとなっていきます。内省的な光と闇の世界は、祝祭的な色彩の爆発を経て、さらに変幻自在なバリエーションを生み出しつつ今日に至っています。2015年、当館では2006〜2015年の作品による「横尾忠則 続・Y字路」を開催しました。本展はいわばそれを補完するもので、シリーズの原点である初期作品(2000〜2005年)、および新近作(2016年〜)により、多彩な「Y字路」シリーズの魅力に迫ります。※本展は、本来はシリーズ誕生20周年を記念し、2020年度に開催される予定でしたが、コロナ禍により延期されていたものです同時開催:Yokoo Tadanori Collection Gallery 2023 Part2 「風景考」期間 2024.1.27 sat. - 2024.5.6 mon.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし2月12日(月・振替休日)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振替休日)は開館、2月13日(火)、4月30日(火)休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円*********************************************************R1<鑑賞後の写真を追記>*********************************************************横尾忠則を観に行こう♪19:横尾忠則の不思議の国横尾忠則を観に行こう♪18:横尾忠則展 満満腹腹満腹
2024.02.14
コメント(0)
高村薫の「リヴィエラを撃て」という小説が忘れがたいのであるが・・・このハードボイルドな小説を女性作家が書いたとは、まったく恐れ入ったのです。*********************************************************年越し用に借りたぶ厚い「リヴィエラを撃て」を、半月ほどかけてやっと読破しました。で、最後の感想をしたためておこうと思うのです。ネタバレになるが、香港返還交渉とか、ワシントンでのロビー工作資金がこの小説の鍵になるわけで・・・・極めて今日的なテーマを扱っていたわけです。(ああ もろにネタバレでんがな)97年以降の香港は、中国官僚にとって賄賂のなる木なんだそうで・・・・今、ジャーナリストがここをつつくと、命がいくつあっても足りないのでは(笑)【リヴィエラを撃て】高村薫著、新潮社、1992年刊<「BOOK」データベースより>国際政治の楽屋裏を発狂させた男〈リヴィエラ〉。夥しい諜報戦士たちの血を吸込んだこのコードネームは、一人の天才ピアニストに死を賭した東京公演を決意させる。顔のない東洋人スパイをめぐって、東京・ロンドン・ベルファストに繰り広げる、流血の頭脳ゲーム。<大使寸評>この本では、歴史的背景、政治的背景もアクションもしっかり描いてあるので、なかなかマッチョというかハードボイルドなわけです♪特に、中華の闇で揺れる日米英の政府中枢など、もろに大使のツボを突いています。Amazonリヴィエラを撃て著者の語り口を味わう意味もあるので、一部を転記して紹介します。p512~513 「閣下。失礼ですが、殺人の捜査権は警察にあります。一人の市民が路上で蜂の巣にされたのが殺人でないというなら、この国に警察はいらないことになります。捜査は警察が厳正に行い、結果を報告します。公表するか伏せるかを決めるのは、内閣です。しかし、その前に何よりまず捜査です」 もう1秒タイミングが遅れたら、ブーイングの応酬になっていただろう。だが、一瞬早く、首相がこくりと一つ頭を縦に振ったのだった。 「分かった・・・。分かったよ。バーキン殺害の捜査は警察がやりたまえ。正直なところ、私もいろいろな意味で興味はある。しかし、だ。ともかく国というものは、すべての機関が協力しあって機能しているものだということを、ここにいる諸君全員がもう少し考えてもらいたい。正義はけっこう。機密もけっこう。しかし、ケンカは最悪だ。何より重要なのは、国政がスムースに運ぶことなのだ。どこからどのような報告が来ようと、私は首相の立場で判断させてもらう。そういうことで、情報部も了解してもらいたい」 「あの手島修三は、私どもの活動にとって有害な人物です」と《6》が言った。 「公爵夫人の旅券違反を捜査しに来たというのは、たしかに困ったことだ」と首相。 「いえ。東京の警視庁はそんな捜査は行っていません。先日申し上げたように、彼は日本外務省の要請を受けてバーキンの情報を探りにきた男です。86年から3年間、こちらの日本大使館に一等書記官として赴任していたが、中身は諜報担当です。ペルソナ・ノングラータとして、国外退去処分にしたいと思います」と《6》は抵抗した。 「判断するのは私だ。で、君の方は?」首相は《5》の長官に首を振った。 「確かに、手島はバーキンから機密に関する情報を入手している可能性があります。追放する前に尋問の必要があります」と《5》は答えた。 「警察は?」と首相。 「追放などとんでもない。尋問など、さらにとんでもない。わが警視庁の威信にかかわります。手島は現時点で、バーキンの事件の捜査に不可欠の証人です。こちらの捜査が終わるまで、指一本触れてもらっては困ります」 首相は四人の男を見渡して何度目かの溜息を吐いた。 「・・・よし。私が決める。追放などという不穏当な話は無しだ。そういう特殊な目的で派遣されてきた人物なら、尋問も効果は期待出来ないだろう。だが、情報部の懸案も分かるので、警察は責任をもって手島某を日本行きの飛行機に乗せたまえ。本日の便が間に合わなければ、明日の早い便で、分かったかね?」日本では、《5》や《6》が存在しないので、このような応酬にはならないだろうが・・・公安警察、警視庁の対立はあるのかもしれないですね。組織の詳細はよく知らないけど。この本で公僕の正義が語られるあたりです。p521~522 「手島さんを評価しない奴らが、この国をこんなふうにしたんだ」と坂上は呟いた。 「違う」と手島は首を横に振った。「坂上、それは違う。・・・僕はただ敗北したのだ。僕は今回、痛切に感じたことがある。当たり前のことなのだが、不正も権力なら、不正を暴くのも権力だということだ。僕はイギリスで友人をひとり失った。素晴らしい能力と正義感の持主だったが、不幸にして彼は権力は持っていなかった。だから殺されたんだ。力を持たない正義ほど虚しいものはない。多分、一介の個人の正義は敗北するしかないのかも知れない。・・・とはいえ、たとえそうであっても戦うことをやめないのが、人間の良心なのだろうけどね」 「手島さんの良心と正義感は、私たち課員の道標なんです。信じて下さい」 「カカシじゃなかったのか」と手島は照れ笑いした。 「まあ、道標だと言ってもらえて僕は嬉しい。だが、道標に従って先へ進むのは君だ。坂上、今は僕の忠告を聞いてほしい。まず《リヴィエラ》を忘れてくれ。それから、上級職のキャリアを無駄にするな。権力を目指せ。最後に・・・僕をもう上司だとは思わないでくれ」ネタバレになるので書きませんが・・・・小説は、北アイルランドでの穏やかな後日譚で終わることになります。国家とはつまるところ権力なんだろう。その権力には正義もあるし不正義もある。不正義を見逃すことのできない頑固な人間が、多かれ少なかれどの国にもいるのが救いと言うか、希望でしょうね。・・・・すべからく文学は、希望を描いてほしいものです。スパイ小説を紡ぐには国家観とか、国益とか、ロビー工作とか、防諜組織に関する知識とか、外せない業界的知識が必要なわけだが・・・・女性作家で、この難行に挑戦した蛮勇・・・・というか作家魂がすごいですね♪amazon高村薫より1953(昭和28)年、大阪市生れ。1990(平成2)年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1993年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。同年『マークスの山』で直木賞を受賞する。1998年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞を受賞。2006年『新リア王』で親鸞賞を受賞。2010年『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞する。他の著作に『神の火』『照柿』『晴子情歌』などがある。フィリップ・マーロウがつなぐ輪『リヴィエラを撃て』1『リヴィエラを撃て』2『リヴィエラを撃て』3
2024.02.14
コメント(0)
ロアルド・ダールの『キス・キス』という短編集が良かったわけで・・・以下のように復刻して読んでみようと思ったのです。*********************************************************図書館で『物語の旅』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。【物語の旅】和田誠著、フレーベル館 、2002年刊<「BOOK」データベース>より書物の国からの絵はがき。著者が選んだ54作品。カラー挿絵とともに四方山ばなし満載!子どもの頃に初めて読んだ「かちかち山」から現在に至るまでの“読書体験”の数々。本好き・装丁好きの著者がその思い出をふり返る。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。amazon物語の旅54作品のうちロアルド・ダールの「南から来た男」を、見てみましょう。p142~144<南から来た男> とにかくダールはぼくの好きな作家の一人である。学生時代に雑誌で短篇の一つか二つは読んでいたのだが、卒業してまもなく早川書房から「異色作家短篇集」の第1弾として出た「キス・キス」を読んだのが、ダールを認識する第一歩だった。 ダールのような作風をジャンル分けすると、「奇妙な味」ということになる。犯罪ものであっても、通常なら犯人が捕まって解決するところを、誰も犯人に気がつかない、という終わり方になり、それまで読んでいたものとは確かに異なる味だった。 「キス・キス」の中でとりわけ奇妙で、不気味なだけに強い印象を残したのが「ウイリアムとメアリイ」と題する作品だった。ウイリアムは女房が煙草を吸うこと、酒を飲むこと、無駄使いをうることなどを許さない、厳しい夫だった。ウイリアムが死んだあと、友人の医者が彼の脳髄を取り出し、人工心臓につないで容器の中で生かしておく。眼球もつないで液面に浮かべる。当然口はきけないが、以前通り意識はある。女房のメアリイが医者を訪ね、容器の中の夫に会う。そして煙草を吸い、煙を眼球に吹きかける。そして家に連れて帰りたいと言う。 これを読んで、ぼくは、結婚とはなかなか大変なものだ、という読後感を持った。ぼくの結婚がずいぶん遅くなったのはダールとは関係ないが。 夫婦の物語では「ビクスビイ夫人と大佐のコート」というのが軽妙で皮肉で面白かった。妻の長年の浮気相手、金持の大佐が別れ際に高価なミンクのコートをくれる。家に持って帰りたいが、どこで手に入れたか言い訳がむずかしい。そこでひとまず質屋に入れ、質札を拾ったと夫に見せる。ここから先は書かないでおこう。 物語を書いてしまうと、これからの読者の感興を削ぐことになるので、オチのある短篇の紹介は非常にむずかしい。ダールの作品はおおむねストーリイを書くことができない。 「キス・キス」に注いで読んだ短篇集は「あなたに似た人」である。その中の「おとなしい凶器」がたいそう面白い。妻が夫を殺す話。凶器は冷凍庫から出したばかりの羊の骨つき肉だ。食料品が把手のある固い鈍器になるところがいいアイデアである。物語はもっと先があるが、これも書かない。 この作品をぼくが最初に読んだのは雑誌に掲載された時で、ダールという名を知らない学生時代だった。「あなたに似た人」で読み返し、こんなに面白い短篇だったのか、と思った。 ダールの作品はどれも面白い。自伝らしきものもあるが、多分にホラ話的である。「チョコレート工場の秘密」のような童話もある。いろいろある中で、代表作はときかれれば、おそらくは多くの人が同意見だろうが、「あなたに似た人」に収められている「南から来た男」と答える。 プールサイドから話が始まる。アメリカの青年がよくつくライターを持っている。外国人らしい老人がやってきて賭けをしようと言う。ライターで十回続けて火がついたら、キャデラックをあげる、失敗したら左手の小指をくれ、と言うのだ。さてどうなるか。ちょっと怖くて小味のきいた、実によくできた話である。阿刀田高さんもロアルド・ダールの『キス・キス』を高く評価しています。『物語の旅』4:南から来た男『物語の旅』3:霧笛『物語の旅』2:アシェンデン 『物語の旅』1:長いお別れ
2024.02.13
コメント(0)
ときとして韓国料理に対する禁断症状が出るのであるが・・・以下の昔の日記を復刻して読んでみるのです。*********************************************************図書館で黒田勝弘著『韓国を食べる』という本を手にしたのです。とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。この本はなんか見たことがあるのだが、まぁいいかと借りたのです。帰って調べると、借りるのは二度目であることが判明しました、で、(その5)としています。【韓国を食べる】黒田勝弘著、光文社、2001年刊<「MARC」データベース>より韓国人は「耳」で食べる? 在韓20年におよぶ著者が、自らの実体験をもとに韓国の食文化に迫る、驚きの韓国・食紀行。食べれば日本人の知らなかった韓国人のメンタリティがわかる。<読む前の大使寸評>とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。amazon韓国を食べる8章「韓国人は魚に弱い」で、「ソガリ」料理を見てみましょう。p82~85 <金日成が好んだソガリとは>より さて、金日成さまといえば、忘れられない淡水魚がある。朝鮮半島の固有の淡水魚である「ソガリ」の話である。 「ソガリ」とは魚類事典によると「コウライケツギョ」とある。茶色あるいは褐色がかった魚体に豹のようなまだら模様の斑点がある。スズキ科というから形はスズキに似ている。精悍な感じがある。ぼくは韓国の淡水魚ではいちばん好きである。男性的な美形といおうか。いつも「食べるのは惜しいなあ」といいながら食べている。 で、なぜ金日成首領さまかというと、1990年だったか、日本の金丸訪朝団が北朝鮮を訪れた折、歓迎の晩餐会でこの「ソガリ」の刺し身が出され、首領さまが自分の大好物とおっしゃったのだ。 この話が韓国に伝わり話題になった。韓国では「ソガリ」というともっぱら「メウンタン」だったが、「北では金日成が刺し身で食ってる!」というのだ。そして、さっそく「なぜだ?」となった。 北朝鮮では当時、金日成首領さまについては国営の「長寿研究所」まであって、国が総力を挙げて健康と長寿に気を使っていた。また70代で子供までもうけているという情報まであった。その風貌や立ち居振る舞いはいかにも精力的に見えた。 金日成氏は韓国民にとっては朝鮮戦争の元凶だから当然、最大のマイナス・イメージで「悪の独裁者」になっていたのだが、それだけに一目置かざるをえない存在でもあった。だからいつも気になる存在だった。 これは韓国民に「金日成コンプレックス」をもたらしているというのがぼくの見立てなのだが、それはともかく、その金日成氏が「ソガリの刺し身」を大好物にしていたとあって「あのパワーはソガリの刺し身のせいだったか!」となったのだ。 とたんに韓国で「ソガリ」の値段が上がってしまった。韓国人は「精がつく」というと何でも飛びつく。ソウル近くでは、臨津江のほか江原道の春川市付近を流れる昭陽江あたりが名産地で「ソガリ」を食わせる店が多く、価格急騰が伝えられた。 「ソガリの刺し身」だけでなく「ソガリ・メウンタン」も含め、金日成首領さまの精力の素として急に人気が出たのだ。もともと、そんなにたくさん獲れる魚ではない。乱獲で激減しているという声もあり、一部では天然記念物として保護すべきとの意見さえある。以来、「ソガリ」の値段は上がったままだ。 「ソガリ」は普通、体長は20~30センチで、身は白身で引き締まっており、味は淡白にしてかすかに甘みがある。刺し身は舌ざわりがよく、「メウンタン」で鍋にして頭の肉をつつくとその白身が実にうまい。 しかしぼくは先の「金日成情報」より以前に韓国の田舎で「ソガリの刺し身」を食べている。したがってことさら驚かなかったのだが、ぼくは最初の「ソガリ」体験はそんなに感動的なものではなかった。 ソウルの南東に位置する忠清北道の忠州だったと記憶する。忠州ダムのほとりの食堂で食ったのだが、出てきた「ソガリの刺し身」を見て驚いた。身がいわゆる刺し身風にスライスされているのではなく、いわばアジのたたき風にきざんであるのだ。 しかもこれをコチュジャン(トウガラシ味噌)か粗塩入りのゴマ油を付け、チシャやゴマの葉などでニンニクとともに包んで食べるのだった。白身なのに惜しい、と思った。田舎とて、いかにも伝統的な刺し身の食べ方だった。醤油を出させてワサビでも食ったが、全体にどうも印象がよくなかった。慰労の飲み会で食べたヤツがソガリかと思われるので、調べてみます。なまず系淡水魚『韓国を食べる』1:フグ鍋p174~176『韓国を食べる』2:韓国豆腐の懐かしさp117~120『韓国を食べる』3:ソルロンタンp37~40『韓国を食べる』4:カムジャタンp208~211
2024.02.12
コメント(0)
満州とか漢字文化圏、中国の少数民族には興味を持ってフォローしているわけで・・・「絶滅の危機にある満州語」について以下のとおり復刻して読んでみます。*********************************************************2013年9月6日の朝日新聞によれば・・・満州族は中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族であるが、漢族との同化が進み、母語の消失がもっとも進んだ民族だそうです。言語の消失は文化の消失とも言えるわけで、他国のこととはいえ、絶滅寸前の満州語の今後が気になるわけです。9/06消えゆく満州語守れ 中国・遼寧省で大学設立の動きより かつて中国大陸を支配した清朝の公用語だったが、今や絶滅の危機にある満州語を教える大学をつくろうと、遼寧省の大学教授が準備を進めている。満州語の文献を読み解ける人材を育て、まだ見えぬ歴史をひもとくのが目標だ。今月には全国の研究者を集めた会議を催し、建学への協力を訴える。 ■人材育て歴史解明目指す 瀋陽師範大学で満州族の歴史や文化を研究する曹萌教授(54)は3年前、遼寧省政府当局に満州語教育や文献保管を兼ねた大学の設立を提案した。満州語が消えゆく現状に強い危機感を抱いたからだ。 曹教授は2003年から東北地方を中心に、満州族の村での資料収集や満州語を話すお年寄りへの聞き取り調査を重ねてきた。清朝前期の公文書や民間史料は満州語だけで書かれている。満州語を操れる人材の育成が不可欠と感じるようになったという。 中国の満州族は10年の国勢調査で1038万人とされる。中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族だ。 だが、1911年の辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受け、49年の新中国成立後も他の少数民族と異なり自治区や自治州は認められてこなかった。80年代に入ってようやく小規模な自治県や民族学校ができた。満州語を母語にする人々はすでに高齢化が進んでいた。漢族との同化も激しく、母語の消失がもっとも進んだ民族に数えられる。2009年にはユネスコから消滅の危機にある言語に指定された。 曹教授によると、国内で満州語を理解し、古い文献も読めるレベルの研究者は10人ほどに過ぎない。北京などに満州族文化の研究機関はあるものの、専門性の高い満州語を教える大学はほとんどないという。 曹教授は「満州語の文献は、多くが解読されぬまま朽ちていったものも多い」とも指摘する。清朝の前身の後金が都を置いた遼寧省撫順市では、山の洞窟に満州族の古い文献や家系図などがトラック5台分ほど保管されているが、軍事的な理由などで警備が厳しい。教授は「普段は閲覧も許されない」と嘆く。 昨年10月、教授が提案した大学設立のための調査研究費として1万5千元(24万円)の予算措置が認められた。今月20日から満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招いた初の会議を開き、協力を訴える。 曹教授は「満州語の継承も研究も、時間との勝負。日本の研究機関との連携も探りながら、若い人材を育て、貴重な民族文化の消失を防ぎたい」。 ■発祥地でも継承難しく 母語消失の危機は満州語発祥の地にも及んでいた。 清朝の発祥地をうたう遼寧省撫順市の新賓満族自治県(人口32万人)。現在、満州族の小学校は1校しかない。校長によると、全校児童約1300人の約94%が満州族だが、「愛新覚羅」など満州族固有の姓を使う児童はいない。 同校は1988年から、児童に満州語を教えてきた。現在も独自の教材をもとに、全学年で1週間に1回の授業を実施しているが、隣接する中学校では満州語を教えていない。校長は「継続性がない」と学習効果に限界を感じている。 満州族の研究者、李栄発さん(67)は、同校の依頼で子供たちに満州語を教えた。昔、生きた満州語が残る黒竜江省の地方都市で満州語の基礎を1カ月間、学んだ経験を買われた。 李さん自身、漢族の言葉「漢語」で育った。初めて出会った満州語は、自民族の言葉なのに全く理解できなかった。戦前に日本が作った満州語と日本語の辞典や、中国国内の満漢字典を使い、単語量を増やしていったという。 90年代には、清朝初代皇帝のヌルハチが後金時代の根拠地にした新賓の城跡「ヘトゥアラ」を観光地にするためのアドバイザーに選ばれた。展示品選びやガイドの育成を任された。 李さんらによると、満州語の母音は六つ。モンゴル語などと同じ、アルタイ語系の言語で、文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語にも似ている。研究者に必要な満州語能力を身につけるためには、少なくとも3年間の勉強が必要という。中国西部の新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族・シボ族は地理的な閉鎖性などから、今も満州語を話している。 李さんは「満州族の歴史や文化を学ぶには、満州語が不可欠だ。体系的な教育制度を設けるとともに、学習後の就職先を確保するなど、文化を守る態勢を構築する必要がある」と話した。(遼寧省撫順市=石田耕一郎) ◆キーワード <満州族> 中国東北地方の先住民族の一つで、かつては女真人とも呼ばれた。清朝をたて、17世紀から3世紀にわたり中国大陸を支配。映画「ラストエンペラー」で知られる最後の皇帝、溥儀は日本による満州国建国に協力した。遼寧省に人口の約半数が集中し、戯曲「茶館」などの作品で知られる作家の老舎も同民族の出身。 新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族は今も満州語を話しているそうで、状況はまだ日本のアイヌ語よりは恵まれているわけですね。でも、満州語の継承も研究も時間との勝負とのことで・・・・待ったなしのようです。 wikipediaによれば、満州族は固有の文化を失いながらも、民族意識はとても強いともいわれているそうです。果たして、満州語の今後はどうなるでしょうね。wikipedia満州民族より■現代の満洲民族第二次世界大戦後に成立した中華人民共和国は、民族識別工作を行って少数民族を中国の内部で一定の権利を有する民族として公認した。この過程で、かつての旗人(八旗に所属した者)の後裔にあたる人々が満族(満人)とされる。満族の人々の間では、現在はごく少数の老人を除いて満洲語を話す者は殆どおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満洲民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満洲語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満洲民族の民族意識はとても強いともいわれている。満州は漢字文化圏に埋没しようとしているけど、漢字文化圏の外縁には文字を持っていた突厥帝国などがあったわけで、興味はつきないのです。
2024.02.12
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その64):「『本の本』あとがき」を追記2024-02-08 『本の本』あとがきよりこの本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。 僕は「ない」と思う。 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。2024-01-19 朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か?よりもちろん、スーパーマンだって「アイデンティティーの危機」には遭遇します。例えば、スーパーマンが活躍して悪人と戦うとき、巻き添えで市民が傷ついたりすることがあります。すると、その犠牲者の家族が「スーパーマンのバカ野郎。この人殺し」と罵ったりすることがある。つねに歓呼の声に迎えられることになれているスーパーマンは、その言葉に深く傷つき、アイデンティティーの危機を迎えて、鬱状態になります。でも、何かのはずみで再びヒーローとして活躍する機会に恵まれ、市民たちから「ありがとう」と感謝の言葉を浴びると、鬱から癒されて、もとのスーパーヒーローに戻る・・・こういう物語を僕たちは飽きるほど見せられてきました。 アメリカの「ヒーローもの」物語のパターンはすべて同じです。「ほんとうの自分に出会うと人間のパフォーマンスは爆発的に向上し、アイデンティティーが揺らぐと無力になる」。そういう話です。「別人になる」という解はないんです。 ときどき、鬱状態のヒーロー(ウルヴァリンとかランボーとか)が山の中とか外国のスラムとかに「隠棲」するというエピソードはありますけれども、それは「別人」になっているわけではなく、一時的に「偽名」を使っているだけで、そのうちに誰かが探しに来て、困難なミッションを託されて、再びヒーロー復活・・・という展開になるのです。必ず。 欧米型ヒーロー物語は「ほんとうの自分の発見」、ほとんどそれだけを中心に展開します。 でも、これまでの東アジア文化圏では、「ほんとうの自分の発見」ということはほとんど問題になったことがありません。さすがに今では欧米の影響で、そういう考え方をする人が増えてきましたけれども、これはせいぜい20世紀後半からの話です。 修行というのは、「連続的な自己刷新」のことですから、「ほんとうの自分」なんていうものはどこにもありません。昨日の自分と今日の自分は「もう別人」であるというのが修行のかんどころです。 教育論でもよく僕は「呉下の阿蒙」の話や、「名人伝」の紀昌の話を引きますけれど、どちらも「長い努力の末、昔の自分とは似ても似つかぬものになった人」の話です。それが東アジアでは「人格陶冶の正しい道」とみなされてきました。何よりたいせつなのは「今の自分」に居着かないことです。だとしたら「アイデンティティー」が問題になることはあり得ません。 修行は東アジアに固有の「自己陶冶」のあり方です。僕は武道修行を通じて、それを実践してきました。 釈先生は僕の武道に向かう態度やあるいはレヴィナス先生に仕える「弟子」の作法を見て、そこに「仏道修行に通じるもの」を感じて、「宗教の本領」という言葉を口にされたのではないかと思います。こんな説明でご理解頂けたでしょうか。2023-12-29 「『街場の米中論』を読んで」より「カウボーイ」が存在したのは、1865年~1890年までの僅か約25年のことで、しかも最下層労働者である「カウボーイ」は、黒人やインディアン、中国人と雑多な人種から形成されていたという事実である。そんな、我々が西部劇で見るような風景と、実際とが全然違うはずなのに、アメリカ人は、カウボーイを「アメリカ的男性のロールモデル」に仕立て上げ、アメリカ人の無意識的な欲望を盛り込まれた幻想的なアイコンになった。 アメリカにおける「カントリーミュージック」の由来は、遅れてきた移民に由来する。彼らには、居住する場所が残されておらず、主にアパラチア山脈の麓に住み始めた。彼らは、「ヒルビリー」という蔑称で呼ばれていた。アメリカには、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オウキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。なかでも「ヒルビリー」については、その情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相〇を繰り返しているなど。これら、蔑称の総称が「ホワイト・トラッシュ」である。 当時、「ホワイト・トラッシュ」に関する映画を調べていたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。この作品は、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているといってもいいだろう。 そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。 アメリカ人は、「ホワイト・トラッシュ」への自責の念からか、どこかで恐怖を覚えている。「ガース・ブルックス」の登場は、1989年である。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、12月3日のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、アメリカは「冷戦後」に突入する。そんなときに必要だったのは、「あるべきアメリカの姿」だったのではないだろうか。そんな「あるべき姿」として、自分たちが蔑んできた「ホワイト・トラッシュ」への差別を一回捻ったうえで、「カントリーミュージック」に託したのではないだろうか。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.02.11
コメント(0)
絵本作家ショーン・タンの出自、作品はわたしのツボでもあるわけで・・・折につけ見てみたいので以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館で『遠い町から来た話』を手にしたが・・・・このなかの絵が、SFタッチでええんやな~♪描かれた絵にディアスポラの不安感が見えるのだが・・・もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この本を借りるのは2度目であるが今回は「訳者あとがき」を追加したのです。【遠い町から来た話】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より町のはずれに住んでいた水牛のこと、覚えている?誰にも愛されなかった物からペットを手作りすることや結婚までのとても危険な道のりの話、それから異次元からのちっちゃな交換留学生のことー。【著者情報】タン,ショーン(Tan,Shaun) 1974年オーストラリア生まれ。幼い頃から絵を描くことが得意で、学生時代にはSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。 これまでに発表したいずれの作品も卓越した内容と表現で評価が高く、オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。作品は世界中で翻訳出版されている。現代を代表する新進気鋭のイラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプトアーティストとして活動の場を拡げている<大使寸評>この絵本に描かれた絵に、ディアスポラの不安感が表れているのです。もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この絵本の装丁が素晴らしいが、オーストラリア版と河出書房新社版でどう違っているのだろうか?それから・・・「ショーン・タン公式サイト」を見てみると、クロスメディアのアーティストなんですね♪2011年には、The Lost Thingでアカデミー賞短篇アニメーション賞を受賞したんだそうです。rakuten遠い町から来た話ショーン・タン公式サイト「訳者あとがき」に、ショーン・タンの経歴や日本人潜水夫(表紙のイラスト)の逸話が載っているので見てみましょう。<訳者あとがき:岸本佐知子>より 『遠い町から来た話』は、オーストラリアのイラストレーター/作家、ショーン・タンが2008年に発表した短篇集/絵本だ。絵と文章を両方を手がけた本としては5作め。文字のないグラフィック・ノベル『アライバル』に続く、彼の最新作である。 ショーン・タンは1974年、西オーストラリアの都市、パース北部の郊外の町に生まれた。父は中国系マレーシア人、母はアイルランド-イギリス系の移民3世で、建築を学ぶためにマレーシアからオーストラリアにやって来た父が、画材店で働いていた母と出合って結婚し、男の子を二人もうけた。その弟のほうがショーンである。 子供のころから絵の才能を発揮するいっぽう、SFやファンタジーを耽読し、西オーストラリア大学で美術と英文学を学んだあと、イラストレーターとして本格的に活動を始めた。以後、世界幻想文学大賞(2009年)、ヒューゴー賞(2010年)、「児童文学界のノーベル賞」と言われるアストリッド・リンドグレーン記念文学賞(2011年)など数々の賞に輝き、同名の絵本をアニメーション化したショートフィルムThe Lost Thingsは、2011年度のアカデミー賞短篇アニメ賞を受賞した。 『遠い町から来た話』の原題は、Tales from Outer Suburbia。“アウター・サバービア”とは、大きな都市の周縁に位置する、まだ自然の多く残った郊外の町を指す。パース(彼いわく「世界一ぽつねんとした州都」)郊外の、スーパーに行くにも学校に行くにも野原を突っ切っていくような町に生まれ育った作者にとって“アウター・サバービア”とは、平凡でありながらどこか非現実的な場所、おとぎ話に出てくる「森」のような、異界の入口のようなものだという。 そして、その二つ(日常と非日常、こちら側の世界とあちら側の世界)を一つに融け合わせたいという要求から生れたのが、この『遠い町から来た話』なのだと語っている。(「壊れたおもちゃ」より) ここに収められた物語は、どれもスケッチブックに残された何気ないスケッチやいたずら書きから生み出された。たとえば、旧式の潜水服を着て街角のデリに入っていこうとする人物の絵。そこから「彼はなぜここにいるのか?どこから来たのか?」という問いが生まれ、結果できあがったが「壊れたおもちゃ」である。(ちなみに、この物語の背景には、19世紀オーストラリアの真珠産業を支えた大勢の日本人潜水夫たちの悲話がある。彼らの多くが潜水病で命を落とし、西海岸のかつての真珠町には、そうした日本人潜水夫の墓が今も多数残されているという) そんな“お話の種”ともいうべき、いたずら書きのほんの一例を、この本の見返しに見ることができる。一つひとつ眺めていると、自分の中にも何やら不思議な物語が芽吹いてくるような気がしてこないだろうか。遠い町から来た話1:大陸間弾道ミサイル遠い町から来た話2:ぼくらの冒険旅行遠い町から来た話3:犬たちの葬送『ショーン・タンの世界』2
2024.02.08
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震3分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は3メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書の申請・発行が19日にスタートしたそうで・・・お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。*********************************************************R3<27日追記>■23日、岸田首相は新企画「能登復興本部」を立ち上げると表明したが・・・投入予算、規模を大きくするのはいいとしても、どんなもんになるやら?■大雪で、日本海側の各JRでは運休する列車が続出しているが・・・酷寒のなか避難所の皆さんの苦難はいかばかりか。■27日、石川県の一般ボランティア受け入れが始まったようで、作業は日帰りで県のバスで往復するとのこと。まだ受け入れ態勢が整ってない地区もあるようです。■受験勉強もままならない人、学校が再開できていない地域もあるようで・・・ただ頑張ってというしかない状況もあるようです。■半島という閉鎖的な地域で余震が続く・・・私が体験した阪神・淡路大震災は開放的な地形だったので、ボランティアの受け入れもスムーズで、立ち直りが早かったわけで・・・能登半島は(年単位の)長期戦を覚悟すべきか(特に水道、電気、排泄物)。■二次避難所でより過酷な条件に陥る人もいるわけで・・・周到な避難者受け入れ計画が求められるのだろう。■農林・水産など一次産業への支援は、隆起した漁港の復興など中長期の構想、避難者の心が萎えないように希望が語られる必要があるのだろう。■輪島塗は124工程にわたる分業システムだったので、復興させるには地域のシステム全体に目を配る必要があり、立ち直り期間の資金支援が必要だろう。*********************************************************R4<2/07追記>:1ヵ月経ち見えてきたこと■旧水道管の復旧をあきらめて、より浅いレベルの新ルートに水道管を敷設する地区もでてきた。・・・それだけ地盤の変形が大きかったということか。■在宅介護サービスが崩壊している地区があるとも報道された。つまり訪問入浴、通所介護(デイサービス)などができなくなっている。■5日、輪島市で無料巡回バスの運行が始まったようです。輪島市に留まって復旧・復興を目指す人たちにとっては朗報ですね。■愛知県などの県外への障碍者集団広域避難が始まったそうで・・・画期的な避難ではあるが、元の介助職員と別れて不安に思う人もいるようです。■志賀原発の116ヵ所のモニタリングポストに欠測(18/116ヵ所)があった問題であるが・・・通信環境のさらなる多重化で対応するとのことであるが有線、携帯通信すべてが欠測するほどの地震、変圧器復旧の目途が立たない現状では、大きな余震に原発は大丈夫か?と懸念されるのだが。■能登半島地震とは直接関連はないのだが、6日の報道では、統一教会に依存した森山大臣に反風が吹いて岸田政権がぐらつき、次期首相レースの3位に上川外相が浮上とのこと。二階さん問題などで詭弁をくりかえす岸田さんの頭の良さは認めるが・・・それだけでは持たないのでは?
2024.02.08
コメント(0)
絲山さんの「御社のチャラ男」という本を読んでいるのだが・・・・そういえば、絲山さんの長篇紀行『北緯14度』が面白かったのを思いだしたのです。英語よりフランス語がいけてる絲山さんがでてくるのが、ええでぇ♪ *********************************************************図書館で『北緯14度』という本を手にしたのです。おお 絲山秋子の長篇紀行ってか・・・それも西アフリカ・セネガルへの旅というド田舎と言うか、キワモノではないか♪【北緯14度】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より 30年の時を越え、やっと神様に会える!西アフリカ・セネガルへの魂の旅。友だちと出会うこと、自分の居場所を見つけること、言葉の本当の意味をさがすこと、大切なことを考え続けた長篇紀行。<読む前の大使寸評>おお 絲山秋子の長篇紀行ってか・・・それも西アフリカ・セネガルへの旅というド田舎と言うか、キワモノではないか♪rakuten北緯14度ムッシュ・イシザキが帰国し、一人でセネガル体験することになった絲山さんを見てみましょう。p70~73 使用人の話になった。以前の運転手が名誉毀損で先生を訴えようとしている話…これは訴えられる側にも問題がある。けれど先生はご立腹だ。今の運転手だってだめだけれど前よりずいぶんましだ、という話になった。 私でさえソレイマンを使っている。ここにいると、バックパッカーでもない限り人を使うということが当たり前なのだが、その難しさを考えるとだんだん、たまらなくなってくる。 本当に勤務態度が悪いのか。それとも、使う側に問題があるのか。もしかしたら人種差別的な要素があるんじゃないのか。 人を使う教育なんて日本人は受けていない。 人種差別に関する教育も、受けていないのだ。 日本大使館はよくしてくれるけど、あそこは日本国だ。セネガルに馴染もうとしている自分にとって、なんだか本当のものが何もないような気がしてならないのだ。日本なんだけど、鎖国しているみたいだ。 日本大使館の人と、セネガルの話をすることはあまりない。日本の話ばかりだ。 ムッシュ・コンプロネと電話して、言いたいことが少しフランス語だったりしてもどかしい。返事するときにアー・ボンと言いたくなるとか。ガルディアンに妬いてるようなことを言われて、そんなのアンクロワイヤーブルだ、とか。それを慌てて日本語に訳して、考えられないよ全然そんなこと、というのがなんか自分でしっくりしない。ありえねー、って言った方がぴったりしてたかなとあとで思う。 セネガル人はオーララとか、ボフとか、サリュとか言わないような気がする。セネガル人が言わない言葉は私も自然に忘れていく。ソレイマンはよく「トロボン」と言う。フランスでは聞いたことがなかったが今では使うのだろうか。日本語にすれば「良すぎじゃねえ?」「旨すぎじゃねえ?」って感じでよくわかる。セネガル人のフランス語は濁音が多い気がする。女性はどうなんだろう。 ホテルのフロントの人のフランス語は聞き取りにくい。銀行はもっとわからない。私の語学力が足りないのだ。まだ目が半分しか開いていないような気がする、もどかしい、もどかしい。もちろん英語は全く通じない。私も英語は喋れない。 今日の飯はアフリカンチャーハン第一弾。米はこっちの長い米。味付けは日本で買うのとは別物のマギーブイヨンと、カーニ。肉は腐ってなければ鶏肉。野菜はインゲンとネギ。あとは卵。うまくいくかなあ。 あーっ! インゲンがかびてました。 しょうがない、ネギチャーハンだ。飯炊いていきなりお茶漬けじゃさびしすぎる。 うーん、いまひとつおいしくない。まだまだ検討の余地がある。 ああオクラでも買っておけばよかった。ウォルフ語でオクラはカンジャ、鶏肉はギナウ、米はチェブ。魚がジェン。食い物の名前ならどんどん覚えられます。 そんなつまらないことを考えているときにトッカリさんから電話。今週、ドゥドゥに会える!家に招待してくれるという。話もして、太鼓もやってくれるという。すげーよ。ミック・ジャガーの家にいきなり行けますかって世界だよ。スティーヴン・タイラーが目の前で歌ってくれますかって世界だよ。すげー、すげー、すげー。興奮の坩堝。 ああ、生きていてよかった。ウーム ドゥドゥの太鼓がそんなにいいのか(ワカラン)。それにしても英語よりフランス語がいけてる絲山さんが、ええでぇ♪ 『北緯14度』1:来たかったセネガル『北緯14度』2:セネガル料理『北緯14度』3:セネガル体験
2024.02.07
コメント(0)
図書館で「映画でみる移民/ 難民/ レイシズム」という本を手にしたのです。この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。【映画でみる移民/ 難民/ レイシズム】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より戦争、虐殺、差別、貧困・格差、植民地主義…現代世界が直面する課題を眼前にしながら、奮闘する映画人たちがいる。日本社会の課題をも照射する映画評論集。<読む前の大使寸評>この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。rakuten映画でみる移民/ 難民/ レイシズム「第3章 ホロコーストからナクバへ」でかつて観た映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を、見てみましょう。p119~122<1『ライフ・イズ・ビューティフル』> レイシズムは究極的に、「なにをしてもかまわない存在」をつくり出す。その発想は具体的な暴力となってあらわれ、果てはジェノサイドに至る。そのひとつの極がナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺だった。2度の大戦後に制定された国際人権条約「自由権規約」の第20条と「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の第4条に、差別扇動の禁止が盛り込まれた大きな要因は、アフリカを震源地とする脱植民地運動の高揚、そして「終戦」からわずか十数年で顕在化してきた反ユダヤ主義とナチス肯定論への警戒と、南アフリカなどで続いていた人種隔離政策への否がある。 西欧諸国が軒並み差別の扇動を法的に禁じているのもナチスの経験ゆえだ。換言すれば「差別扇動の禁止」とは、負の歴史に向きあい、愚行をくり返すまいとする人びとの思いの轍なのだ。 初めて公表されたアウシュヴィッツの記録映像と、廃墟となった現在の映像をモンタージュさせ、ジェノサイドの「表象不可能性」をも描いてみせた歴史的1本『夜と霧』(アラン・レネ監督、1954年)以降、ナチス時代を描いた映画が制作され続けるのも、ひとつは「たとえ描くのが不可能でも、忘却とは闘わねばならない」という制作者たちの志である。作れば一定の客がはいる商業的「安定性」もあるだろう。たしかに志の欠落した駄作も少なくないが、まがりなりにも「記憶の文化」が浸透してきたからこそ、あの時代を描いた作品が興行としても成り立つのだと思う。 ロベルト・ベニーニが監督、脚本、主演の3役をこなした『ライフ・イズ・ビューティフル』は、これらの先人の系譜に連なりながらも、特異な存在感をもつ1本だ。なにが特異か? まずはタイトルである。あの出来事を描いた映画の題がよりによって「人生は美しい」なのだ。V・E・フランクルの著書『それでも人生にイエスという』へのオマージュなのかもしれないが、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)を逆撫でするようなネーミングである。 映画は「夜と霧」の光景ではじまる。子どもを抱いた男性が、視野不良の闇をさまよう、まるで夢のような映像に男性のモノローグがかぶさる。「これは素朴な物語。だが語るのは難しい。童話のように悲しみがあり、童話のように驚きと幸せに満ちている」。これが悪夢のような風景であることがわかるのは最終盤に至ってからだが、不穏な空気は伝わってくる描写である。 だがシリアスな空気は一転、場面は1939年の北イタリアに切り替わる。美しい田園地帯をオープンカーが疾走している。平和な光景だが、すでにムッソリーニが首相になって17年目、第2次世界大戦に参戦し、日独伊3国同盟が結ばれる前年である。『映画でみる移民/ 難民/ レイシズム』1:第9地区
2024.02.05
コメント(0)
日本刀の鉄を生みだすたたら製鉄は個人的なツボでもあるが・・・以前に読んだ『鉄の文化誌』でもたたら製鉄に触れていたので、復刻して読み直してみたいのです。*********************************************************図書館で『鉄の文化誌』という本を、手にしたのです。先日、『森の仕事と木遣り唄』という本でたたら製鉄について読んだところである。森との関わりが深い製鉄は、まあ個人的なツボなので、この本をチョイスしたのです。【鉄の文化誌】島立利貞著、星雲社、2001年刊<「BOOK」データベース>より人類が鉄を発見してから5000年。鉄の歴史は人類発達の歴史である。そしてこれからの未来の発展にどのように関係し、役立っていくのであろうか。【目次】第1章 古墳時代(地球は鉄の星/ヒッタイトの鉄器/古代の製鉄炉 ほか)/第2章 中世(レン炉/低シャフト炉/たたら吹き製鉄法 ほか)/第3章 近世(高炉/鉄と炭素/高炉の西漸 ほか)<読む前の大使寸評>先日、『森の仕事と木遣り唄』という本でたたら製鉄について読んだところである。森との関わりが深い製鉄は、まあ個人的なツボなので、この本をチョイスしたのです。rakuten鉄の文化誌蒸気機関森林保護からはなれて、蒸気機関のあたりを、見てみましょう。p117~119<蒸気機関> ワット機関は、ニューコメン機関に比べて熱効率が格段によく、石炭の消費量は4分の1以下であったという。その後もジョン・ウィルキンソンは、蒸気機関の改良につとめ、さまざまのタイプの熱機関を発明し、その使用分野を拡張し、産業界への貢献は著しかった。 ワット機関が普及するまでは、通常、工場は河川の畔に建てられ水車によって、工場内の機械設備の動力源にしていたが、ワット機関によって、何時でも何処でも、強力な動力が得られるようになり、たまたまこの時代にイギリスに興った産業革命の推進力になった。 ワットはボールトン(企業家、機械技術者)と組み、多数の蒸気機関を製作し、産業革命時代の基幹産業、繊維工業への普及に努めた。 彼らが最初の25年間に製作した蒸気機関325台のうち、繊維関係の工場だけで124台が使われた。 ワットはまた、工学の基礎になる種々の仕事もしている。特に著名なものが、動力の観念およびその測定法の確立、目安としての馬力の制定がある。いまでは馬力は使われていないが、その代わり、彼の名からきたワット、キロワットが公認されており、蒸気機関はいまでは歴史的なものになりつつあるが、単位ワットは、日常語として残っている。 このように、ワットの業績ばかり推賞され、もとの熱機関の発明者ニューコメンの名はとかく忘れられがちのように思える。(中略) それより、ニューコメンの最初の着想こそ偉大な功績というべきである。彼の手柄は、円筒形のシリンダーの中に、気化と液化を繰り返す水蒸気を導入し、熱を「力学的な力」に変換させる装置を思い付いたことであろう。 これこそ、彼の偉大な発明であった。現在使われている自動車のガソリン・エンジンもディーゼル・エンジンもニューコメンが最初に着想したものと同じ円筒型シリンダーの中をピストンが運動して「熱を力に変換」する装置になっている。 この分野の物理学は、実用が先立ち理論が後からできたといわれている通り、その熱力学の創始者の一人サジ・カルノー(フランスの物理学者)は、円筒型シリンダーとピストンの加熱と冷却を繰り返し、シリンダー内の気体を膨張、収縮させる思考実験を基に熱を力学的な力に変換する理論を導いた。ウン 野だたらから始まって・・・木炭高炉、コークス高炉、蒸気式送風機を経て・・・熱力学理論までたどりついたわけで・・・まさに文化誌であったなあ♪『鉄の文化誌』6:蒸気機関『鉄の文化誌』5:幕末の鋳鉄砲『鉄の文化誌』4:近世ヨーロッパのコークス高炉『鉄の文化誌』3:近世ヨーロッパでの製鉄および森林保護『鉄の文化誌』2:たたら製鉄のルーツ『鉄の文化誌』1:日本の「たたら吹き製鉄法」
2024.02.05
コメント(0)
好きな料理といえば、讃岐うどんかカレー、あるいはレバニレラ炒め、ジンギスカンあたりになるわけで、カレーライスはけっこう好きなんです。・・・ということで、以下復刻してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『カレーの世界史』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、世界各地のカレーや、日本発祥のカレーライスなどが見られます。最近はインドカレーの店に通う太子としては、奥深いカレーが気になるのでおます。【カレーの世界史】井上岳久著、SBクリエイティブ、2020年刊<「BOOK」データベース>よりゴロッとした肉と野菜にかぶさる褐色のルウ、そして立ちのぼる強烈なスパイスの香り…。私たちが普段何気なく口にしているカレーは、数奇な運命をたどって日本にやってきた。だが、その道のりから見えてくるのは、決して明るいストーリーだけではない。差別と被差別、支配と隷属、禁忌と戒律など、さまざまな要因から強い影響を受けながらその姿を自在に変えてきたカレー。歴史と地理を縦横の糸にして編み込んだ、料理と人との壮大な物語。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、世界各地のカレーや、日本発祥のカレーライスなどが見られます。最近はインドカレーの店に通う太子としては、奥深いカレーが気になるのでおます。rakutenカレーの世界史チキンティッカマサラ料理が不味いとの定評が根付いてしまったイギリスであるが・・・同国のカレー「チキンティッカマサラ」を見てみましょう。p68~71<イギリスの国民食「チキンティッカマサラ」> イギリス人の食卓から姿を消しつつあったカレーですが、まったくなくなったわけではありませんでした。 それどころか形を変えて、イギリスの食文化に根付いていったのです。それが、1960年代にイギリスのインド料理店で生れたといわれるている「チキンティッカマサラ」です。 “ティッカ”とは、スパイスに漬け込んだブロック肉のこと。これをタマネギと一緒に炒め、トマトやバターでつくったソースで煮込んだものが、チキンティッカマサラです。 酸味がありつつもクリーミーな味わいは、どこかバターチキンカレーに似ています。 チキンティッカマサラは、イギイスでは国民食といえるほど親しまれている料理です。2001年、当時のイギリスの外相ロビン・クックは、チキンティッカマサラについて「真のイギリスの国民料理だ。それは、一番人気があるというだけでなく、イギリスが外部の影響をどう吸収し、適応させるかを完璧に体現しているからだ」と語り、話題になりました。 当初はカレーに親しんだイギリス人ですが、それが人々の好みに合わせて形を変えていき、その最終形がチキンティッカマサラになったということでしょう。 多様な文化を柔軟な姿勢で吸収するイギリス人ならではの料理だといえるかもしれません。<カレーはなぜイギリスに定着しなかったのか> それにしても、日本にカレーを伝えたイギリスでは家庭でカレーが食べられなくなり、一方の日本ではカレーは国民食となって老若男女に親しまれている…。 この違いは一体どういうことなのでしょうか? イギリスでカレーが衰退したのは、上流階級の食事のパターンが変化したしたことが原因だという見方があります。 週単位で食事のパターンが決まっていたとされる上流階級の習慣には、日曜日に巨大なローストビーフを焼いて食べるというものがありました。 しかし、あまりにも大きいローストビーフはどういても食べきれずに余ってしまいます。そこで、残り肉はカレーに使うのが効率的であり、経済的だとされていました。 ところが、牛肉の値段が高騰して、ローストビーフ自体が入手しづらくなったのです。その結果、次第にカレーを食べる機会も減ってきました。肉が余ってこそのカレーだったということでしょう。<イギリス最初のインド料理店の顛末> 一説によれば、今、ロンドンには1000軒を超えるインドレストランがあるといわれています。 価格もかなりリーズナブルなので、カレーを食べたくなったら近くのインド料理店へ出向けばいいわけです。わざわざ家庭でつくる必要は、もうなくなったのでしょう。 今ではイギリス中にあるインドレストランですが、最初の店は大成功とはいいがたいものでした。 イギリスで初めてのインド料理店は、デイーン・マホメッドというインド人が、1810年にロンドンのジョージストリートに開店した「ヒンドスタニー・コーヒーハウス」です。 マホメッドは、カレーをはじめとするインド料理の本格的な味わいや店の雰囲気といったものを、インド本国のスタイルで忠実に再現しようと試みます。 新聞に広告を出すなど積極的な経営を展開しますが、なかなか振るわずに、1811年に惜しくも閉店。 理由についてはいろいろな意見がありますが、当時はまだ外食文化が十分に根付いていなかったこと、また、彼がターゲット層としていた裕福な顧客たちの興味が薄かったことが大きいのではないかと考えられています。『カレーの世界史』1
2024.02.02
コメント(0)
<和田誠アンソロジーR5>図書館で「和田誠切抜帖」という本を借りたこの際、和田誠アンソロジーを作ってみました。・ISSUE 和田誠のたね(2021年刊)・(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズ(2019年配信)・オフ・オフ・マザー・グース(1989年刊)・物語の旅(2002年刊)・青豆とうふ(2003年刊)・ほんの数行(2014年刊)・和田誠切抜帖(2007年刊)・字幕の中に人生(1994年刊)・仕事場対談(2001年刊)R5:『ISSUE 和田誠のたね』を追記、その他見直し【ISSUE 和田誠のたね】和田誠著、スイッチ・パブリッシング、2021年刊<「BOOK」データベース>より【目次】不合格のための世界史/LONG INTERVIEW和田誠 美しい発芽(文・インタビュー構成=川口恵子)/だから冒険はやめられない/家族のヒント/これからのお楽しみ/ぼくの好きな先生/これ、何のたね?/はじまりの一冊<読む前の大使寸評>とにかく、和田誠が描いた絵日記から漫画、インタビューなどを通じて和田誠のたねに迫る本になっているようです。rakutenISSUE 和田誠のたね「ISSUE 和田誠のたね」1<(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズ>10月7日に和田誠さんが逝去されたが(10月11日事務所が発表)、10月10日朝日配信のシリーズ#963には、もちろん言及はありません。 この(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズには和田誠さんの挿絵やカットが添えられているように、三谷さんと和田さんの付き合いは古いわけで・・・三谷さんは、この訃報にふれて、「和田誠さんになりたい!」と題した追悼のコメントを発表したそうです。「和田さんの描く絵は、どれもスマートで、繊細で、暖かい。和田さんご自身もそんな方でした」「今も変わらず僕は思い続けます。和田さんのようになりたい、和田さんのように生きたい、と」不肖、太子のブログにもシリーズ#963を取りあげていたので、以下のとおり紹介します。(三谷幸喜のありふれた生活963)記憶に残った映画の宣伝<『オフ・オフ・マザー・グース』>お話しをひとつ、見てみましょう。p4~5<ねことヴァイオリン>ぎこぎこ ごりんねことヴァイオリン牝牛が月をとびこした子犬がそれ見て笑った そしてお皿がおさじと逃げだしたTHE CAT AND THE FIDDLEHey diddle, diddle,The cat and the fiddle,The cow jumped over the moon;The little dog laughedTo see such sport,And the dish ran away with the spoon.【オフ・オフ・マザー・グース】和田誠訳、筑摩書房、1989年刊<「BOOK」データベース>より和田誠の新訳60篇。原詩の韻にこだわって。やっぱりマザー・グースは面白い。<読む前の大使寸評>おお 和田さんが訳したマザー・グースではないか・・・絵本はやはりイラストレーターが訳するのがええでぇ♪rakutenオフ・オフ・マザー・グース<『物語の旅』1>図書館で『物語の旅』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。【物語の旅】和田誠著、フレーベル館 、2002年刊<「BOOK」データベース>より書物の国からの絵はがき。著者が選んだ54作品。カラー挿絵とともに四方山ばなし満載!子どもの頃に初めて読んだ「かちかち山」から現在に至るまでの“読書体験”の数々。本好き・装丁好きの著者がその思い出をふり返る。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。amazon物語の旅『物語の旅』3:霧笛『物語の旅』2:アシェンデン 『物語の旅』1:長いお別れ<『青豆とうふ』>図書館で『青豆とうふ』という本を、手にしたのです。この本は二人がかわりばんこにエッセイを綴ったもので・・・したがって目次のページがないのです。どこから読んでも面白い♪【青豆とうふ】安西水丸×和田誠著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より二人がかわりばんこに文と絵をかいた、楽しさあふれるしりとりエッセイ。タイトルは村上春樹さんが付けてくれました。描下ろしカラーイラストレーション満載!<読む前の大使寸評>この本は二人がかわりばんこにエッセイを綴ったもので・・・したがって目次のページがないのです。どこから読んでも面白い♪amazon青豆とうふ『青豆とうふ』3:和田さんや安西さんのロボット談義『青豆とうふ』2:和田さんの映画談義<ほんの数行>図書館予約で借りた和田誠著『ほんの数行』を読んでいるが・・・ええでぇ♪安西水丸さんが亡くなり・・・イラストレーター界の大御所のような存在であるが、偉ぶらないのが和田さんの持ち味なんでしょうね。この本で、装丁した3000冊を超える本から名ゼリフがキラリと光る100冊を選んだとのことです。表紙のイラストとエッセイが楽しめる構成が、グリコのアーモンド味みたいで・・・ええでぇ♪100冊のうち、1冊を紹介します。<イブのおくれ毛>よりp72~73「そら、マサシゲさんかてしたはるわ。マサツラさんがいてはるもん」 田辺聖子「イブのおくれ毛」(文芸春秋)より 田辺さんは「文芸春秋」に「女の長風呂」というタイトルのもとにエッセイを6年ほど連載されていた。それが5冊の単行本になり、さらに「ベスト・オブ女の長風呂」として3冊のアンソロジーにまとめられた。その3冊の装丁をぼくが担当したわけです。「女の長風呂」はシモネタが多かった。シモネタと言っても下品ではない。ユーモアのオブラートに包まれていて、楽しいのである。 引用した数行は、女学生時代にセックスについての知識を仕入れた同級生が友だちに一人ずつ耳うちしたが、当時の田辺さんは楠木正成までそんなことしたとは信じられず、その話の63パーセントはウソだと思う、ときいて発した同級生の言葉。 戦時下のことである。後醍醐天皇を守る楠木正成は忠臣中の忠臣と教えられたいた。銅像も立っていた。「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ・・・」という歌も知られていた。戦場に向かう正成を追ってきた息子の正行を泣きながら国に帰す情景を歌ったもので、このエピソードは小学校(当時は国民学校)の学芸会の演目にさえなっていた。 そんな正成は多くの日本人の尊崇の的だったので、セックスと結びつけることなど畏れ多いことだったのだ。でもこの同級生は「正成さんにも正行さんという息子がいるのだから、セックスしている筈だ」とクールに言う。そういうセリフが面白い。【ほんの数行】和田誠著、七つ森書館、2014年刊<商品の詳細説明>より 半世紀以上にわたってイラストレーター、デザイナー、映画監督と多才な活躍を続ける和田誠さん。装丁した3000冊を超える本から、名ゼリフがキラリと光る100冊を選びました。和田さんのインスピレーションを刺激した「ほんの数行」のフレーズとブックデザインをめぐる想い出を、装丁家ならではの視点で楽しく綴ります。<読む前の大使寸評>「この本の装丁も和田誠だったのか」といつも思うのです♪「商品の詳細説明」の目次に、和田さんの好みとか交友関係が表れているようです。<図書館予約順番:7(9/23予約、11/18受取)>rakutenほんの数行<和田誠切抜帖> 図書館で借りた「和田誠切抜帖」から、和田さんの人となりの一部を紹介します。西域フェチの大使にとって「月の砂漠」という童謡は気になる歌でもあるのですが…和田さんはこの童謡から古い映画にさかのぼって語っているので、紹介します。<「月の砂漠」異説>よりp5~7 童謡「月の砂漠」は七五調の詞に曲がついたもので、形は典型的な日本の童謡だが、詞の中身はまるで日本調ではない。王子と姫が金と銀の鞍をつけたラクダに乗って砂漠を旅する風景なのだから。(中略) まず、加藤まさお氏(作詞者)は抒情詩を書いた人でもあるが、本業は挿絵画家だった。とすると、「アラビアン・ナイト」などの挿絵を描いたことがあるのではなかろうか。少なくともそういう風景に興味を持つことはあったのだあろう。イマジネーションで、アラビアン・ナイト的な詞を書いても何の不思議もない。 モデルの存在を晩年になって認めたことについて考えると、発表された大正年間は、たぶんのんびりした時代であり、詞のヒントについて問いただされることもなかったのではなかったのではないか。時が過ぎ、リアリズムが尊ばれるようになって、どこの砂漠をイメージしたのですか、などと訊ねられ、うーむと考えていると、あなたは若い頃御宿海岸で過ごしたことがあると聞くが、そこではないのか、と畳みかけられて、そうかもしれない、と答えたのが広く伝わったのではないか。 そこまで考えて、ぼくはふと「カスバの女」という流行歌を作詞した久我山明さんに会った時のことを思い出した。あの歌の舞台はアルジェリアである。ヒントは何ですか、とぼくが聞いたら「映画ですよ。私たちが若い頃は『モロッコ』だの『外人部隊』といった映画をよく観ていましたから」と答えてくれたのだ。(中略) それから十年ほどたって、『別冊太陽』で『童謡・唱歌・童画100』というのが出た。「月の砂漠」のページも当然ながらあって、加藤まさおのご子息、嶺夫氏のエッセイが載っていた。それによると「特定の場所などを描いたりはしていないといっていいだろう」「父は砂漠も砂丘も見たことがない」とあり、千葉県のある海辺の町に関しては、「ある方が本人に話したところ、『せっかく観光のメダマにしてくれているのに反対するほどのこともないでしょ』と笑いながら答えたという」と記してあった。【和田誠切抜帖】和田誠著、新書館、2007年刊<「BOOK」データベース>より「昭和15年、4歳。そのころからイラストレーションを描いてました」何が飛び出すか。ほんのすこし懐かしい、不思議なスクラップブックです。<読む前の大使寸評>週間文春の表紙を書き続けているイラストの大家であるが・・・大使より一回り年上の和田さんの、ややスローな感性に癒されるわけです。rakuten和田誠切抜帖 <字幕の中に人生>戸田奈津子さんの『字幕の中に人生』という本の表紙を和田さんが手がけているが・・・これがええでぇ♪アメリカ映画に造詣が深い和田さんだから、戸田奈津子さんとお付き合いがあったのでしょうね。【字幕の中に人生】戸田奈津子著、白水社、1994年刊<「BOOK」データベース>より一秒四文字、十字×二行以内のせりふ作りにすべてを賭ける映画字幕の第一人者が、『第三の男』の名訳を目にして以来あこがれつづけた字幕翻訳者への道が『地獄の黙示録』で花開き、以来ひっぱりだこの人気と実力を得るようになった今日までの半生をたどる、はじめての書き下ろしムーヴィー・ライフ。<大使寸評>今はなき大御所清水俊二さんの薫陶を受けた戸田奈津子さんであるが・・・映画字幕に入れあげた末に、大御所にまでのぼりつめた感があるのです。映画の台詞とは異文化そのものともいえるが、その翻訳がこれほどアナログな世界であるとは・・・いつまでたっても自動化できない世界のようですね。『第三の男』で字幕に開眼し、『地獄の黙示録』で大ブレークするあたりが、シブいというか・・・映画が好きなんでしょうね♪それはそうと、和田誠の表紙イラストがええなぁ♪rakuten字幕の中に人生 <仕事場対談>和田誠さんの「仕事場対談」という本を読んだのですが、一歩間違えば変人と言われかねない規格外の人がいたりして、面白いのです。これをきっかけに、イラスト作品が気にいっている人、その生き方が面白い人など・・・ネットからイラスト作品を探してみました。なお東京イラストレーターズ・ソサエティ(略称TIS)の顔ぶれを見てみると・・・和田さん交遊関係や私のご贔屓は旧世代になっていることがわかります。当然かもしれないが。【仕事場対談】和田誠著、河出書房新社、2001年刊<「MARC」データベースより>和田誠が仕事上影響を受けて来たイラストレーター24名の仕事場を訪れ、制作から過去・日常・趣味までさまざまな話を聞き出し、創作の秘密に迫る! 巻末に番外編・同世代3名との対談つき。『イラストレーション』連載。 <大使寸評>27人との対談なので、和田さんが嫌う人でなければ(笑)、古手の著名イラストレーターは、ほぼ網羅しているのかも。一歩間違えば変人と言われかねない規格外の人がいたりして、面白い本である。個人的に気になる人は・・・下谷二助、沢野ひとし、安西水丸、南伸坊、田島征三、横尾忠則、ささめやゆき、山本容子、長新太、宇野亜喜良、etcAmazon仕事場対談
2024.02.02
コメント(0)
NHK国会中継では、論点は裏金疑惑に尽きるとも言わんばかりである。野党からの数多い追及に応える岸田さんの説明責任も大変であるが・・・ここで、かつての日記(2018年の日記)から、自民党の政治手法に触れたものがあるので読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************衆院選挙(2018年)では、小池さんの誤算があったにせよ、あらためて自公の強さを思い知ったわけでおます。ということで、図書館に予約している『自民党―「一強」の実像』という本を、心待ちしているのです。【自民党―「一強」の実像】中北浩爾著、中央公論新社、2017年刊<BOOK」データベース>より自民党は結党以来38年間にわたり政権を担い、2度「下野」したが、2012年に政権に復帰。一強状態にある。その間、自民党は大きな変貌を遂げた。本書は、関係者へのインタビューや数量的なデータなどを駆使し、派閥、総裁選挙、ポスト配分、政策決定プロセス、国政選挙、友好団体、地方組織、個人後援会、理念といった多様な視角から、包括的に分析。政権復帰後の自民党の特異な強さと脆さを徹底的に明らかにする。【目次】第1章 派閥ー弱体化する「党中党」/第2章 総裁選挙とポスト配分ー総裁権力の増大/第3章 政策決定プロセスー事前審査制と官邸主導/第4章 国政選挙ー伏在する二重構造/第5章 友好団体ー減少する票とカネ/第6章 地方組織と個人後援会ー強さの源泉の行方/終章 自民党の現在ー変化する組織と理念<読む前の大使寸評>衆院選挙では、小池さんの誤算があったにせよ、あらためて自公の強さを思い知ったわけでおます。・・・ということで、時宜を得たこの本を読んでみます。<図書館予約:(7/18予約、2/01受取)>rakuten自民党―「一強」の実像「第6章 地方組織と個人後援会」から自民党の強さの源泉を、見てみましょう。p237~<保守系無所属という存在> 自民党を最も基底の部分で支えているのが、保守系無所属の地方議員である。ここでの無所属には異なる二つの意味があり、一つが立候補届出時に無所属とする議員、もう一つが自民党籍を持たない議員である。自民党では後者の意味で使う場合が多いようであるが、それはどのような存在なのか。 保守系無所属が大きな割合を占める町村議会について、全国町村議会議長会が2011年に実施した意識調査およびそれに基づく報告書「町村議会議員の活動実態と意識」から探ってみよう。 まず注目されるのは、議員報酬の平均が月額約21万円と低く、町村議会議員の世帯の年収総額に占める議員報酬の割合が、五割未満という回答が全体の69.5%に達することである。九割以上という回答は4.5%にすぎない。そのため、議員専業を意味する無職の比率が、23.4%と少ない。 しかも、無職のかなりの割合は、定年退職後の男性や専業主婦の女性が占めているようである。一般の会社員は兼職が難しい以上、町村議会議員になることに高い金銭的なハードルが存在する。 したがって、町村議会議員に就任するのは、兼職が可能な自営業者や会社・団体役員が必然的に多くなる。職業別の構成比を見ると、国勢調査では2.1%にすぎない農林水産業が町村議会議員の44.6%、同じく1.4%の商業が20.4%を占めている。 いうまでもなく、農林水産業、商業、会社経営といった職業は、自民党の支持者に多い。議員報酬の低さが一因となって、町村議会の構成は自民党に有利になっている。 もちろん、議員報酬だけが理由ではない。農民や商工業者といった旧中間層は、職業を世襲的に相続することが多く、人的ネットワークを幅広く持ち、仕事柄、地域に対する関心が強い。リソースなどの面で地域のリーダーになりうる存在なのである。しかも、農村部では社会の同質性が高いため、急中間層のなかの有力者が、そのまま重要な政治的地位を占める傾向がある。実際、町村議会議員は、町村内の各地域を代表するポストとみなされ、有力者間の調整によって決められる場合が少なくなかった。(中略) 自民党幹事長を務めた加藤紘一は、保守系無所属とは人徳を有する地域のリーダーであると書いた。比較的高い教育を受けて時間や金銭的に余裕があり、お祭りや年中行事を取り仕切ったり、農作業の段取りや田畑への水の配分を公平に行ったりと、地域のために積極的に貢献するような人物である。 加藤は「保守勢力とは、地域リーダーシップが代表する地域意思の総体であって、自由民主党とイコールではない」と強調しているが、さらに「最近地方が自民党から離れ始めているような気配が感じられるようになった」という危機感を示している。2009年に自民党が下野する直前のことである。 野党時代の自民党は、地域で少人数の会合を開く「ふるさと対話集会」を開始したが、それは加藤の提案によるものであった。地域に根を張る保守系無所属に依拠しつつ自民党を再構築する試みといえる。 その一方で、保守系無所属の地方議員を自民党の内部に組み込み、地方組織を強化する努力もなされている。そのための枠組みが、地方議員連絡協議会である。『自民党―「一強」の実像』3:自民党の強さの源泉『自民党―「一強」の実像』2:小泉さんや安倍さんの政治手法(続き)『自民党―「一強」の実像』1:小泉さんや安倍さんの政治手法
2024.01.31
コメント(0)
ビゴーといえば、歴史の教科書なんかにビゴーの風刺画が出てくるが・・・辛辣で才気活発な人物像が面白いので、復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『明治の世相:ビゴー素描コレクション2』という大形本を手にしたのです。パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。【明治の世相:ビゴー素描コレクション2】ジョルジュ・ビゴ-, 芳賀徹著、岩波書店、1989年刊<「BOOK」データベース>より明治20年から23年まで、横浜居留地で刊行された『トバエ』は、当時の日本の世相を冷徹な眼力で描いたもので、その辛辣な政治諷刺は、ビゴーの諷刺画の最高傑作といわれている。『トバエ』を中心に220余点収録。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。rakuten明治の世相:ビゴー素描コレクション2p149~150 <フランスから来た浮世絵師:芳賀徹> 『トバエ』を中心としたこの素描集を繰ってゆくと、ジョルジュ・ビゴーというのはまことに才気活発、あらゆる意味で「達者な男」だったことに、あらためて気がつき、感心する。 彼自身、『トバエ』では第一号の表紙にピエロ姿で登場するのをはじめ、ときどき思いがけないところに自分の顔を出している。他に水彩の自画像などもある。 それらを見ても、この絵師は日本人の生活と社会にぶしつけなほどの好奇心を向け、そのなにげない細部にまで鋭敏な眼を走らせ、日本人との少々のトラブルなどは持ち前の陽気さとフランス人としての優越感によってまたたくまに乗りこえてしまったにちがいないと思われる。少なくても画中に見えるところではそんな風な男だ。 18年の日本滞在中、後半になるとさすがに少し太ったようではあるが、それでも背は高くて高すぎず、顔は面長で眉は濃く、黒っぽい眼は丸く大きくれ、よく動きよく笑う。長くて高い鼻の下には濃い口ひげを生やしたり、剃ったりしている。艶のいい頬やもみあげのあたりからはいつもオー・ド・コローニュのいい匂いなどさせていたのではなかろうか。そんな風にも思われるほど、こざっぱりとして、身奇麗だ。(中略) 明治15年(1882)4月、来日して3ヶ月目に横浜で撮ったという侍姿の写真も残っているが、なかなかハンサムな優男に写っている。これではビゴーの身辺にさまざまな日本女性が出入りしたというのも、もっともだと思われる。作品から推しても彼自身かなりの色好みだったと思われるが、女のほうから眺めてもちょっと惚れたくなるような洒落者だったのだろう。 口にくわえている曲がったパイプをちょっとはずすと、たちまち軽快な早口のフランス語が飛び出し、それに片言の面白おかしい日本語や、ときに英語も混じったのにちがいない。男の眼は愉快そうにまた皮肉っぽく、いきいきと輝きながら・・・・。 このようなパリ生まれのパリっ児の才人が、1870年代の後半、ジャポニスムがいよいよさかんになるパリで、フェリックス・ビュオやエドモン・ド・ゴンクール、フェリックス・レガメなどと知り合いになり、日本に憧れてついに明治15年(1882)1月末、22歳の若さで横浜にやって来たのである。 そしてそれから明治32年(1899)6月、39歳で帰国するまで、前に記したように実に18年の間を日本で暮らした。 いわゆる文明開化時代の終りの頃から、自由民権と鹿鳴館の時代、そして憲法発布と日清戦争、またなによりも条約改正へと、内にも外へも揺れ動き、急速に変転する明治半ばから後半の日本列島の情景を、あのよく動く眼で上から下から、表から裏から、外国人の治外法権の特権を生かしながらも大概は斜めから、ほとんど絶え間もなく観察し、記録し、風刺をこめて描いていったのである。ビゴーのこの漫画集、石版素描集が面白くないはずがない。 ビゴーの作品は、『トバエ』などの石版画のみならず、その水彩や油彩の作品も含めて、まだまともにフランス美術史のなかに位置づけられてはおらず、フランス・ジャポニスム運動の一環に名をとどめるにすぎないという。それは無理もないことである。 ビゴーは才気ある絵師にはちがいなかったが、同時代のマネヤモネやルノワールやゴーガンとならぶような第一流の独創の天才ではもちろんなかった。第二流でさえなかったろう。しかし、この異国における風刺の絵師をそのように同時代母国の画壇にすぐさまひきもどして格付けをしてみようというのは、たとえば徳川美術史の上で淋派や南画派と浮世絵師とを直接にならべてどちらが偉いかと問うのにも似て、あるいはそれ以上に、ジャンル、技法、また職分の別を故意に無視してしまうことになりかねない。 ジョルジュ・ビゴーにはジョルジュ・ビゴーの、19世紀後半の東西美術・文化交流史、また明治日本社会史の上における「分」、役割というものがあったのであって、彼はそれを十分に立派に果たした。おそらくはドーミエの風刺画の流れに北斎漫画の刺激が加わった画環境のなかから出てきて日本に渡来し、その資質と境遇とさまざまの偶然とから、明治日本の世態風俗を独自の見方で思うさまに描き批評するのが、その生涯の主要な仕事となってしまった画家。 彼はみずから「仏国の江戸っ子なりと自称」していたそうだが、まさにフランス生まれの浮世絵師、パリからやってきた明治の浮世絵師として、河鍋暁斉、チャールズ・ワーグマン、小林清親ら、日本における先輩・同僚の向こうを張ることとなったのであった。私たちはそのような日本なりの評価を添えて、いつか彼をフランスの近代美術史、美術社会史の分野に一時帰国させてやればよいのであろう。■ビゴー漫画のプロンプター ところが、明治の世相風刺の絵師としても、ビゴーの独創性はどの程度であったか、どのあたりまでが彼自身のものといえるのか、一応は疑ってみる必用のある作も少なくない。 とくに『トバエ』を中心としたこの「明治の世相」の巻で、日本語の文章を長短さまざまに書き入れた政治風刺の作については、かならずや日本側の協力者がいたにちがいない。達筆で書かれたその文字はもちろん、ときに中国の故事や漢詩の数句を織りこんだりする文章も、日本人でかなり学のある者でなければ書けないものであることは確かである。さらには風刺の発想そのものも日本人協力者から来ているのではないかと思われる例もある。トバエの数枚を見てみましょう。
2024.01.30
コメント(0)
神戸出身の作家ということで市民から好かれているわけで・・・復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『雨過天青』という本を、手にしたのです。陳舜臣さんというフィルターを通すと、神戸の街や陳さん好みの事物が輝きを増すのです♪【雨過天青】陳舜臣著、集英社、1999年刊<「BOOK」データベース>より故宮の文物から始まり、茶の話、世界各地の旅で感じたこと、住まいである神戸の街のこと、友人たちとの交流などを綴ったエッセイ。「雨過天青」とは雨上がりの雲の去った天の青さで、著者は青という色を「青年とか青春とか、生命力に満ちたものに用いられる。私たちが、さまざまな青を愛し、青磁の色に自分たちの理想を託そうとするのは、生命を愛するからにちがいない」と言う。<読む前の大使寸評>陳舜臣さんというフィルターを通すと、神戸の街や陳さん好みの事物が輝きを増すのです♪借りたのは1994年刊のハードカバーです。rakuten雨過天青兵馬俑坑の発掘あたりを、見てみましょう。p230~232<書かれざる歴史> 位置からいって、長江と中原との中間にある重要な場所であり、文献からもれているとは信じられない。そのあたりには随という国があった。曽候乙墓も随州市の郊外で発見されたのである。 戦国初期から千年ほどのち、随に封ぜられた楊堅が、天下を取ったとき、国号を「隋」とした。「随」の字のなかのシンニュウは「走る」という意味で、短期王朝を暗示するというので、それを抜き取って、新しい文字をつくったのである。そんな小手先細工をしても仕方がないもので、隋は三十数年という短期王朝に終わった。 この「随」もしくは「隋」は、春秋戦国の昔から現在に至るまで地名でありつづけたのに、「曽」はないのである。曽候乙墓研究の段階で、曽とは随の別名ではなかろうか、という説もあったようだ。だが、出土品に「随」を示唆する文字はないし、同時代の楚の恵王はかつて随に亡命したことがあり、それには「隋」と明記されている。どうやら同地異名説は不利なようである。 交通の要衝であり、豊かな土地であったはずなのに、文献にのせられていない。これはなにも「曽」だけではないだろう。文献は歴史のごく一部分を記載するだけで、全体をカバーできないものである。 歴史は文献と等身大ではない。文献よりも歴史のほうがはるかに巨大であり、歴史をさぐるには、書斎で本ばかり読んでもつかみ切れない。ほうぼうに出むき、ときには土も掘らねばならないのである。 兵馬俑坑は世界に衝撃を与えた大発見であった。1号坑だけで、六千体の陶兵、陶馬が埋められていたのである。いずれも等身大(平均1.8メートル)であり、「地下の軍団」と呼ばれるにふさわしい。膝をついて弓をひきしぼっている兵士は、とうぜん靴のうらをみせているが、靴底のすべりどめの鋲まで、ていねいに表現されている。しかも容貌は、一人一人が特徴をおっているのだ。型から大量生産されたのではない。陶兵たちが手にしていた武器は、ほんものの青銅製のものであった。 1号坑は東西230メートル、東西62メートルの規模で周囲に回廊があり、東西に9条の溝が走っている。これほどのものが、文献のなかに記載されていないのである。 司馬遷は『史記』のなかで、始皇帝陵のもようを詳述し、秦滅亡後に墓が荒されたいきさつまで記しているのに、兵馬俑坑については一行もふれていない。 いまの私たちは目をみはって驚くが、当時の人たちは、「たかが粘土を焼いた人形」と、おもっていたにちがいない。 始皇帝の陵は、項羽が三十万人を動員し、三十日かかって運び出したが、それでも運びきれず、あとは火を放った。銅板を熔かして銅を得るためである。火は九十日ものあいだ燃えつづけたという。徹底的に略奪されたのに、粘土を焼いた人形は誰も持ち出さなかった。お金にならないからである。 兵馬俑は誰にもかえりみられず、いつしか土砂に埋もれてしまった。当時の人はもちろん、百年しかたっていない時代の司馬遷も、そんなものを記述しようという気持をおこさなかったのである。 記述意欲は価値観によって左右される。だが、価値観は時代によって変遷する。 いまの私たちは、始皇帝陵墓内を覆っていた銅板を熔かすよりは、兵馬俑一体を失敬するほうが、よほど金になるとおもっている。 先人が苦労して我々に記述して残してくれたものは、たしかにありがたいが、それよりもずっと大切なものが記述されなかったはずである。そのいくらかを取り戻そうとするのが、いわゆるフィールド派の作業といえるだろう。『雨過天青』4:兵馬俑坑の発掘『雨過天青』3:械闘なるもの『雨過天青』2:茶の文化『雨過天青』1:カササギの橋
2024.01.29
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震3分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は3メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書の申請・発行が19日にスタートしたそうで・・・お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。*********************************************************R3<27日追記>■23日、岸田首相は新企画「能登復興本部」を立ち上げると表明したが・・・投入予算、規模を大きくするのはいいとしても、どんなもんになるやら?■大雪で、日本海側の各JRでは運休する列車が続出しているが・・・酷寒のなか避難所の皆さんの苦難はいかばかりか。■27日、石川県の一般ボランティア受け入れが始まったようで、作業は日帰りで県のバスで往復するとのこと。まだ受け入れ態勢が整ってない地区もあるようです。■受験勉強もままならない人、学校が再開できていない地域もあるようで・・・ただ頑張ってというしかない?状況もあるようです。■半島という閉鎖的な地域で余震が続く・・・私が体験した阪神・淡路大震災は開放的な地形だったので、ボランティアの受け入れもスムーズで、立ち直りが早かったわけで・・・能登半島は(年単位の)長期戦を覚悟すべきか(特に水道、電気、排泄物)。■二次避難所でより過酷な条件に陥る人もいるわけで・・・周到な避難者受け入れ計画が求められるのだろう。■農林・水産など一次産業への支援は、隆起した漁港の復興など中長期の構想、避難者の心が萎えないように希望が語られる必要があるのだろう。■輪島塗は124工程にわたる分業システムだったので、復興させるには地域のシステム全体に目を配る必要があり、立ち直り期間の資金支援が必要だろう。
2024.01.28
コメント(0)
江戸18世紀の外国文化受容に対する独特な視点は著者・田中優子さんというべきか♪・・・ということで復刻してみたのです。*********************************************************図書館で『江戸の想像力』という本を、手にしたのです。江戸の想像力もさることながら・・・想像力を膨らませて、この本を書ききる著者のガムシャラな筆力に驚くのでおます♪ところで、この本にはデジャブを感じて借りたのだが、帰って調べると3ヶ月ほど前に借りていたのです(またか)【江戸の想像力】田中優子著、筑摩書房、1992年刊<「BOOK」データベース>より近世的なるものとは何だったのか―。平賀源内と上田秋成という同時代の異質な個性を軸にしながら、博物学・浮世絵・世界図・読本といったさまざまなジャンルの地殻変動を織り込んで、江戸18世紀の外国文化受容の屈折したありようとダイナミックな近世の〈運動〉を描いた傑作評論。1986年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞作。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、思いのほか画像の多いのが楽しい本である。この本のデータは1992年刊の文庫本のものだが、借りたのは1986年刊のハードカバーでした。amazon江戸の想像力「第1章 金唐皮は世界をめぐる」の冒頭から、見てみましょう。<第1章 金唐皮は世界をめぐる>p3~7 江戸に「きんからかわ」というものがあって、世界をめぐりめぐったすえ、刀がなくなって腰のあたりがすーすーする明治の男たちの腰を飾った。 もっとも、明治になる前からもう男たちの腰は空しかった。鉄砲用の火薬は使いどころが無くなり、男たちの身体から射撃されるかわりに、両国橋の花火となって炸裂した。刀は腰にさびついて、鞘は単なる腰の飾りとなった。そして、どうせアクセサリーならもっと飾ってやろうと、印籠には根付や緒締めの玉を細工し、煙草入れや巾着には15世紀イタリアのルネッサンスと、17世紀ヨーロッパのバロックと、18世紀フランスのロココとを、オランダを介して持ち込んだのだった。 江戸の男を18世紀末のピーコックにしたのは、東インド会社という、アギーレをサラリーマン化したような連中だった。むろん彼らはピーコックになるひまがなかった。日本からきんきらきんの皿や壷を積み出し、帰りにデルフトの応接間の壁から「きんからかわ」を剥ぎ取って来るので忙しかった。 「きんからかわ」は「金唐皮」と書く。「金唐皮」とは、その研究の第一人者である徳力彦之助氏に拠って出来るだけ正確に表現すると、タンニンでなめした皮革に接着塗料を塗って合金の箔を貼り、金属に彫った型でプレスしてエンボス(浮き出し)を作り、さらにその上から塗料で彩色等をほどこして壁材などに使用したもの、である。 このうちのどれが欠けても偽物であるが、江戸における金唐皮を語ろうとすると、多くの偽物について語ることになる。■世紀末天明様態 ここで話は変わる。山東京伝は天明の洒落本に『通言総籬』というのを書いた。黄表紙『江戸生艶気樺焼』が受けに受けたので、同じ主人公に洒落本という別のジャンルにも出演してもらったのだった。 その黄表紙界のスター・艶二郎は、『通言総籬』で頭のてっぺんから足の先まで、「天明ぶり」という華麗にして遊惰、安逸、骨なしのファッションで登場したのだった。 黒茶の小紋が入った黄八丈の着物に、お納戸茶の帯をしめ、黒八丈のずらりと長い羽織をひっかける。八丈の下には、さらに舶来広東縞の着物、さらにその下には紺螺鈿絞りの襦袢を着けて、下からは花色縮緬の裾廻しがちらりと見えるしかけ。頭巾を襟巻にして、吉原の通人用の草履を穿き、黒皮の足袋をつける。 梅花形の模様のついた脇差を差し、諏訪町の有名理髪師に額の毛を抜かせて、広くなったおでこを見せながら、当時はやりの本多まげを結い上げる。さかやきはもちろん剃って二日目、この日がいちばんキマるのだ。 艶二郎の本多まげは、天明の男たちの流行の最先端である。堅気の人々はしぶい顔をして、これを「疫病本多」と呼ぶ。髪の毛をわざわざ少なくするからである。眉毛は、男も剃って細くする。これを「かったい眉毛」という。「かったい」とは「癩」と書く。ハンセン氏病のことである。帯は極細で、これも嫌悪をこめて「首つり帯」と呼ばれる。 羽織はあくまでも長くだらしない。織り方は縮緬と八丈が流行った。小袖は黒、帯は緋、その他は鳶色と鶸茶色の使用が群を抜いていた。刀は完全に装飾品となり、細みの大小が好まれる。そして男女とも面を包む頭巾が用いられた。 こういうわけのわからないファッションには、いつの時代でも、眉をひそめる人がいるものだ。あるひと、怒り心頭に発してこう書かずにはいられなかった。天明年中、おろかなる弱輩もの、かくのごとく流行るなれど、心有る人達は流行姿に心を移さず。皆小家の供侍、または軽き御家人、町方は職人等の手下、おろか者の致せし事、(『宝暦現来集』)ウーム 「疫病本多」ってか、いつの時代にもバカタレはいるもんで・・・昨今の男性のヘアファッションだって、相当に疫病がかっているけどね。『江戸の想像力』4:金唐皮は世界をめぐる『江戸の想像力』3:日本人のアジア交易pi~vi『江戸の想像力』2:江南から日本列島への亡命者p134~137『江戸の想像力』1:中国文化、特に中国版画p95~97
2024.01.27
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その63):「「宗教の本領」とは何か?」を追記2024-01-19 朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か?よりもちろん、スーパーマンだって「アイデンティティーの危機」には遭遇します。例えば、スーパーマンが活躍して悪人と戦うとき、巻き添えで市民が傷ついたりすることがあります。すると、その犠牲者の家族が「スーパーマンのバカ野郎。この人殺し」と罵ったりすることがある。つねに歓呼の声に迎えられることになれているスーパーマンは、その言葉に深く傷つき、アイデンティティーの危機を迎えて、鬱状態になります。でも、何かのはずみで再びヒーローとして活躍する機会に恵まれ、市民たちから「ありがとう」と感謝の言葉を浴びると、鬱から癒されて、もとのスーパーヒーローに戻る・・・こういう物語を僕たちは飽きるほど見せられてきました。 アメリカの「ヒーローもの」物語のパターンはすべて同じです。「ほんとうの自分に出会うと人間のパフォーマンスは爆発的に向上し、アイデンティティーが揺らぐと無力になる」。そういう話です。「別人になる」という解はないんです。 ときどき、鬱状態のヒーロー(ウルヴァリンとかランボーとか)が山の中とか外国のスラムとかに「隠棲」するというエピソードはありますけれども、それは「別人」になっているわけではなく、一時的に「偽名」を使っているだけで、そのうちに誰かが探しに来て、困難なミッションを託されて、再びヒーロー復活・・・という展開になるのです。必ず。 欧米型ヒーロー物語は「ほんとうの自分の発見」、ほとんどそれだけを中心に展開します。 でも、これまでの東アジア文化圏では、「ほんとうの自分の発見」ということはほとんど問題になったことがありません。さすがに今では欧米の影響で、そういう考え方をする人が増えてきましたけれども、これはせいぜい20世紀後半からの話です。 修行というのは、「連続的な自己刷新」のことですから、「ほんとうの自分」なんていうものはどこにもありません。昨日の自分と今日の自分は「もう別人」であるというのが修行のかんどころです。 教育論でもよく僕は「呉下の阿蒙」の話や、「名人伝」の紀昌の話を引きますけれど、どちらも「長い努力の末、昔の自分とは似ても似つかぬものになった人」の話です。それが東アジアでは「人格陶冶の正しい道」とみなされてきました。何よりたいせつなのは「今の自分」に居着かないことです。だとしたら「アイデンティティー」が問題になることはあり得ません。 修行は東アジアに固有の「自己陶冶」のあり方です。僕は武道修行を通じて、それを実践してきました。 釈先生は僕の武道に向かう態度やあるいはレヴィナス先生に仕える「弟子」の作法を見て、そこに「仏道修行に通じるもの」を感じて、「宗教の本領」という言葉を口にされたのではないかと思います。こんな説明でご理解頂けたでしょうか。2023-12-29 「『街場の米中論』を読んで」より「カウボーイ」が存在したのは、1865年~1890年までの僅か約25年のことで、しかも最下層労働者である「カウボーイ」は、黒人やインディアン、中国人と雑多な人種から形成されていたという事実である。そんな、我々が西部劇で見るような風景と、実際とが全然違うはずなのに、アメリカ人は、カウボーイを「アメリカ的男性のロールモデル」に仕立て上げ、アメリカ人の無意識的な欲望を盛り込まれた幻想的なアイコンになった。 アメリカにおける「カントリーミュージック」の由来は、遅れてきた移民に由来する。彼らには、居住する場所が残されておらず、主にアパラチア山脈の麓に住み始めた。彼らは、「ヒルビリー」という蔑称で呼ばれていた。アメリカには、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オウキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。なかでも「ヒルビリー」については、その情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相〇を繰り返しているなど。これら、蔑称の総称が「ホワイト・トラッシュ」である。 当時、「ホワイト・トラッシュ」に関する映画を調べていたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。この作品は、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているといってもいいだろう。 そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。 アメリカ人は、「ホワイト・トラッシュ」への自責の念からか、どこかで恐怖を覚えている。「ガース・ブルックス」の登場は、1989年である。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、12月3日のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、アメリカは「冷戦後」に突入する。そんなときに必要だったのは、「あるべきアメリカの姿」だったのではないだろうか。そんな「あるべき姿」として、自分たちが蔑んできた「ホワイト・トラッシュ」への差別を一回捻ったうえで、「カントリーミュージック」に託したのではないだろうか。2023-11-16 月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」より― ウクライナ戦争に続いてイスラエル・ハマス戦争が起こりました。この事態をどう受け止めていますか。内田 強い衝撃を受けました。これまでもイスラエルとパレスチナは衝突を繰り返してきましたが、今回は暴力性の次元が違うと感じます。イスラム組織ハマスがパレスチナ自治区ガザから攻撃を仕掛け、イスラエルは「戦争状態」を宣言して以来、徹底的な報復攻撃を行っています。欧米はイスラエルの自衛権を支持していますが、「これは自衛の範囲を超えている」と批判している国も多くあります。 でも、今回の事態を何と表現すればいいのか、私にも実はよく分からないのです。これは近代的な国民国家間の戦争ではありません。かといって、ポストモダン的な非国家アクターによるテロではないし、単なる民族抗争、宗教戦争とも言い切れない。そのどれでもなく、そのどれでもあるような、複合的な戦いが起きている。このような事態を適切に表現する言葉を私たちは持っていないという気がします。私たちはまず「何が起きているのかうまく説明できず、解決方法もわからない」というおのれの無知と無能を認めるところから出発する必要があると思います。 ただ、イスラエル側の認識には前近代的な宗教戦争や「聖戦」思想に近いものを感じます。今回、ハマスは非戦闘員を含むイスラエル国民を無差別に虐殺しました。これについてネタニヤフ首相はハマスを「新しいナチス」と呼び、演説では「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解を示しました。イスラエルの国防大臣は「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」とまで言い切りましあ。イスラエルによれば、今回のハマスとの戦闘は、二つの国家がそれぞれの国益を守るために行う「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。 戦時国際法では、攻撃してよいのは敵戦闘員か軍事基地などに限られます。降伏者、負傷者、病人などの非戦闘員は攻撃目標にしてはなりませんし、医療施設も教育施設も宗教施設なども軍事目標にしてはならない。もちろん、実際の戦闘においては、市民や非軍事的な施設が「巻き添えを食う」ことは避けられませんが、それでも交戦時には「巻き添え被害」を最小限にとどめることがすべての軍隊には求められています。 しかし、今回のイスラエルのガザ空爆は敵国の構成員は原理的にはすべて潜在的な戦闘員だという理解に基づいています。たしかに戦闘員と非戦闘員の線引きは困難ですけれども、交戦に際しては、その線引きのために最大限の努力をすることが求められている。自分が殺そうとしている相手が戦闘員か非戦闘員かがわからないときには、引き金を引くことを「ためらう」ことを求めている。それは正義の実現とはほど遠いけれども、犯さなくてもよい罪は犯さない方がいいと命じている。ことは原理の問題ではなくて、程度の問題なんです。 ところが、今回イスラエルは、敵国の構成員である以上、子どもも大きくなれば兵士になるかも知れないし、医療施設で治療を受けた人間は治癒すれば前線で戦うかも知れないという理屈で「子どもも殺すし、病院も爆撃する」ことを正当化している。「ジェノサイド」と呼ばれるようになったのは、そのためです。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.01.25
コメント(0)
<満州あれこれR16>『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んでいるのだが・・・このところ集中的に満州関連の本を読んでいるので、その本やメディア情報を集めてみました。・ 映画パンフレット『ラストエンペラー』(1988年刊)・『韃靼漂流記』(1991年刊)・『張学良の昭和史最後の証言』(1995年刊)・『満州の誕生』(1996年刊)・『満州鉄道まぼろし旅行』(2002年刊)・『馬賊で見る「満州」』(2004年刊)・『満州事変から日中戦争へ』(2007年刊)・『マンチュリアン・リポート』(2010年刊)・『カズオ・イシグロ』(2011年刊)・『絶滅寸前の満州語』(2013年9月朝日)・『「満州国化」する日本』(2014年1月朝日)・『太平洋戦争入門』(2016年刊)・『天子蒙塵(1)』(2016年刊)・『天子蒙塵(2)』(2016年刊)・『天子蒙塵(3)』(2018年刊)・『天子蒙塵(4)』(2018年刊)・『日中戦争前夜 絡み合う思惑』(2018年朝日)・『歴史講義満州事変』(2018年刊)・『火の鳥 54』(2020年朝日)・『満州国のラジオ放送』(2020年刊)・『地図と拳』(2022年刊)・『満州国グランドホテル』(2022年刊)南満州鉄道株式会社 経営施設概要R16:『満州事変から日中戦争へ』『満州国グランドホテル』を追加*****************************************************************************<映画パンフレット『ラストエンペラー』>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。今時の映画パンフレットは、だいたい700円くらいするので手元不如意の大使は手がでないのです。【ラストエンペラー】ベルナルド・ベルトルッチ監督、1987年イタリア・中国制作<商品の説明>より映画パンフレット「ラスト・エンペラー」(1988年刊)、出演 ジョン・ローン/坂本龍一/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/高松英郎/立花ハジメ<大使寸評>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。amazonラストエンペラー映画パンフレット『ラストエンペラー』2:幻影の王国とスペクタクル映画パンフレット『ラストエンペラー』1:関東軍によってつくられた「満州」という国*****************************************************************************【韃靼漂流記】園田一亀著、平凡社、1991年刊<カスタマーレビュー>より 17世紀の半ば、越前国新保村の竹内藤右衛門ら58名は、松前貿易のために三国浦を船出しますが、航海中暴風のため難破の憂き目に遭い、今の沿海州ポシエット湾の辺り、「韃靼」の地に漂着します。仲間の大半は現地民とのトラブルにより非業の最期を遂げますが、生き残った15名は瀋陽を経て北京に送られ、当局の保護の下、暫し北京滞在の日々を送ることとなります。<読む前の大使寸評>興味深い史実であるが・・・ぱっと見とにかく、漢字の密度が多い文章である。歴史的仮名遣いは丸谷才一さんほどではないけど、読みにくいことこの上ないのだ。amazon韃靼漂流記『韃靼漂流記』7:北京留置の理由『韃靼漂流記』6:北京の見聞談、満州語の紹介『韃靼漂流記』5:奉天官憲の取調べ『韃靼漂流記』4:韃靼国の都・奉天までの旅『韃靼漂流記』3:下手人の素性『韃靼漂流記』2:遭難の状況『韃靼漂流記』1:著者による序言*****************************************************************************【張学良の昭和史最後の証言】臼井勝美編、角川書店、1995年刊<「BOOK」データベース>より関東軍により爆殺された張作霖の長男、張学良。父を敬愛し、頭脳明晰であった彼はまた、プレイボーイと呼ばれ、西洋人と交流する一面も併せ持っていた。西安事件で蒋介石を監禁し国共合作を迫った張学良は、以来半世紀をこえる幽閉生活を送ってきた。そしてついに沈黙を破り、その数奇な生涯と日中に横たわる謎がときあかされた―。張作霖爆殺事件から西安事件までの日中秘話。<読む前の大使寸評>おお この本の発刊時(1995年)、張学良は生きていたのか・・・近代史の生き証人の感があるで♪amazon張学良の昭和史最後の証言『張学良の昭和史最後の証言』5:エピローグp254~257『張学良の昭和史最後の証言』4:満州の政治状況p88~90『張学良の昭和史最後の証言』3:張作霖死亡時の張学良の行動p71~74『張学良の昭和史最後の証言』2:日本訪問p41~44『張学良の昭和史最後の証言』1:プロローグp13~16*****************************************************************************【満州鉄道まぼろし旅行】川村湊著、 文藝春秋、2002年刊<商品の説明>より超豪華特急「あじあ号」でめぐる建国の旅大連、旅順、奉天……。特急「あじあ号」に乗って、満州全都市と三大温泉を巡る架空旅行記。昭和12年当時の資料を元に書き上げた。<読む前の大使寸評>追って記入amazon満州鉄道まぼろし旅行*****************************************************************************【満州の誕生】久保尚之著、丸善、1996年刊<「BOOK」データベース>より19泊20日にもわたる“満鮮支”修学旅行を体験し、卒業後は就職の場を求めて大陸へと渡っていった商業学校の生徒たち。満鉄総裁になった旧友・中村是公の招きで満州を訪れた夏目漱石が、その目でとらえ、書き残したもの。アメリカの鉄道王が日本政府とかわした満鉄共同経営の約束を電報一本で反古にされた「ハリマン事件」の真相など、日本の敗戦とともに消滅した“満州”にまつわる歴史と人の生きざまを掘り起こす。<読む前の大使寸評>副題に「日米摩擦のはじまり」とあるように・・・日本だけが悪者だったわけでもないようです(当然だけど)amazon満州の誕生『満州の誕生』4:ニッポンの帝国主義メカニズム『満州の誕生』3:中国の民族主義『満州の誕生』2:アメリカの陰謀『満州の誕生』1:児玉・後藤の移民政策*****************************************************************************【馬賊で見る「満州」】澁谷由里著、講談社、2004年刊<「BOOK」データベース>より馬賊が誕生した清末期。あるものは官憲の銃弾に倒れ、あるものは混乱を潜りぬけ略奪者から脱却し、軍閥の長として中原の覇権をうかがう。覇権に最も近づいた男=「東北王」張作霖とその舞台の激動の歴史をたどり、併せて日本にとって「満洲」とは何だったのかを考える。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/01予約、10/06受取)>rakuten馬賊で見る「満州」『馬賊で見る「満州」』5:間島地域『馬賊で見る「満州」』4:日清戦争の衝撃『馬賊で見る「満州」』3:清朝滅亡時の国家組織『馬賊で見る「満州」』2:中国最後の王朝・清朝『馬賊で見る「満州」』1:馬賊誕生の背景*****************************************************************************【満州事変から日中戦争へ】加藤陽子著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「満蒙の沃野を頂戴しようではないか」-煽動の背景に何があったのか。満蒙とは元来いかなる地域を指していたのか。1931年の鉄道爆破作戦は、やがて政党内閣制の崩壊、国際連盟脱退、2.26事件などへと連なってゆく。危機の30年代の始まりから長期持久戦への移行まで。日中双方の「戦争の論理」を精緻にたどる。<読む前の大使寸評>1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。rakuten満州事変から日中戦争へ『満州事変から日中戦争へ』1:張作霖爆殺あたりの軍事的・政治的背景『満州事変から日中戦争へ』2:石原莞爾ら陸軍中堅の考え方『満州事変から日中戦争へ』3:陸軍の対ソ認識、対中認識*****************************************************************************【マンチュリアン・リポート】浅田次郎著、講談社、2010年刊<「BOOK」データベース>より昭和3年6月4日未明。張作霖を乗せた列車が日本の関東軍によって爆破された。一国の事実上の元首を独断で暗殺する暴挙に昭和天皇は激怒し、誰よりも強く、「真実」を知りたいと願ったー。混沌の中国。張り巡らされた罠。計算と誤算。伏せられた「真実」。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenマンチュリアン・リポート*****************************************************************************【カズオ・イシグロ】平井杏子著、水声社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりデビュー作(『遠い山なみの光』)から最新作(『夜想曲集』)までの全作品をとりあげグローバルな作家の全貌にせまる。本邦初のイシグロ論。<読む前の大使寸評>カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したのは2017年であるが、2011年にこれだけの本(本邦初のイシグロ論とのこと)が出ていたことに驚くわけでおます。amazonカズオ・イシグロ『カズオ・イシグロ』2:幻想の上海租界*****************************************************************************<絶滅寸前の満州語>6日の朝日新聞によれば・・・満州族は中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族であるが、漢族との同化が進み、母語の消失がもっとも進んだ民族だそうです。言語の消失は文化の消失とも言えるわけで、他国のこととはいえ、絶滅寸前の満州語の今後が気になるわけです。9/06消えゆく満州語守れ 中国・遼寧省で大学設立の動きより かつて中国大陸を支配した清朝の公用語だったが、今や絶滅の危機にある満州語を教える大学をつくろうと、遼寧省の大学教授が準備を進めている。満州語の文献を読み解ける人材を育て、まだ見えぬ歴史をひもとくのが目標だ。今月には全国の研究者を集めた会議を催し、建学への協力を訴える。 ■人材育て歴史解明目指す 瀋陽師範大学で満州族の歴史や文化を研究する曹萌教授(54)は3年前、遼寧省政府当局に満州語教育や文献保管を兼ねた大学の設立を提案した。満州語が消えゆく現状に強い危機感を抱いたからだ。 曹教授は2003年から東北地方を中心に、満州族の村での資料収集や満州語を話すお年寄りへの聞き取り調査を重ねてきた。清朝前期の公文書や民間史料は満州語だけで書かれている。満州語を操れる人材の育成が不可欠と感じるようになったという。 中国の満州族は10年の国勢調査で1038万人とされる。中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族だ。 だが、1911年の辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受け、49年の新中国成立後も他の少数民族と異なり自治区や自治州は認められてこなかった。80年代に入ってようやく小規模な自治県や民族学校ができた。満州語を母語にする人々はすでに高齢化が進んでいた。漢族との同化も激しく、母語の消失がもっとも進んだ民族に数えられる。2009年にはユネスコから消滅の危機にある言語に指定された。 曹教授によると、国内で満州語を理解し、古い文献も読めるレベルの研究者は10人ほどに過ぎない。北京などに満州族文化の研究機関はあるものの、専門性の高い満州語を教える大学はほとんどないという。 曹教授は「満州語の文献は、多くが解読されぬまま朽ちていったものも多い」とも指摘する。清朝の前身の後金が都を置いた遼寧省撫順市では、山の洞窟に満州族の古い文献や家系図などがトラック5台分ほど保管されているが、軍事的な理由などで警備が厳しい。教授は「普段は閲覧も許されない」と嘆く。 昨年10月、教授が提案した大学設立のための調査研究費として1万5千元(24万円)の予算措置が認められた。今月20日から満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招いた初の会議を開き、協力を訴える。 曹教授は「満州語の継承も研究も、時間との勝負。日本の研究機関との連携も探りながら、若い人材を育て、貴重な民族文化の消失を防ぎたい」。 ■発祥地でも継承難しく 母語消失の危機は満州語発祥の地にも及んでいた。 清朝の発祥地をうたう遼寧省撫順市の新賓満族自治県(人口32万人)。現在、満州族の小学校は1校しかない。校長によると、全校児童約1300人の約94%が満州族だが、「愛新覚羅」など満州族固有の姓を使う児童はいない。 同校は1988年から、児童に満州語を教えてきた。現在も独自の教材をもとに、全学年で1週間に1回の授業を実施しているが、隣接する中学校では満州語を教えていない。校長は「継続性がない」と学習効果に限界を感じている。 満州族の研究者、李栄発さん(67)は、同校の依頼で子供たちに満州語を教えた。昔、生きた満州語が残る黒竜江省の地方都市で満州語の基礎を1カ月間、学んだ経験を買われた。 李さん自身、漢族の言葉「漢語」で育った。初めて出会った満州語は、自民族の言葉なのに全く理解できなかった。戦前に日本が作った満州語と日本語の辞典や、中国国内の満漢字典を使い、単語量を増やしていったという。 90年代には、清朝初代皇帝のヌルハチが後金時代の根拠地にした新賓の城跡「ヘトゥアラ」を観光地にするためのアドバイザーに選ばれた。展示品選びやガイドの育成を任された。 李さんらによると、満州語の母音は六つ。モンゴル語などと同じ、アルタイ語系の言語で、文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語にも似ている。研究者に必要な満州語能力を身につけるためには、少なくとも3年間の勉強が必要という。中国西部の新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族・シボ族は地理的な閉鎖性などから、今も満州語を話している。 李さんは「満州族の歴史や文化を学ぶには、満州語が不可欠だ。体系的な教育制度を設けるとともに、学習後の就職先を確保するなど、文化を守る態勢を構築する必要がある」と話した。(遼寧省撫順市=石田耕一郎) ◆キーワード <満州族> 中国東北地方の先住民族の一つで、かつては女真人とも呼ばれた。清朝をたて、17世紀から3世紀にわたり中国大陸を支配。映画「ラストエンペラー」で知られる最後の皇帝、溥儀は日本による満州国建国に協力した。遼寧省に人口の約半数が集中し、戯曲「茶館」などの作品で知られる作家の老舎も同民族の出身。 新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族は今も満州語を話しているそうで、状況はまだ日本のアイヌ語よりは恵まれているわけですね。でも、満州語の継承も研究も時間との勝負とのことで・・・・待ったなしのようです。 満州は漢字文化圏に埋没しようとしているけど、漢字文化圏の外縁には文字を持っていた突厥帝国などがあったわけで、興味はつきないのです。絶滅寸前の満州語byドングリ*****************************************************************************<「満州国化」する日本> 京大人文科学研究所長・山室信一さんががインタビューで「一元的な政権が米国の傀儡の性格を強めている」と説いているので、紹介します。(2014.01.10デジタル朝日から転記) かつて中国の東北部に、13年間だけ存在した「国」があった。満州国と呼ばれたその国は、高い理想を掲げながら、矛盾と偽りに満ちていた。安倍政権の誕生から1年を経た今、山室信一さんは「いま進んでいることは、日本の満州国化だと思っています」という。2014年の日本は、あの国とどこが似てきているのだろうか(長くなるので省略、全文はここ) 「満州国化」する日本山室信一2014.01.10*****************************************************************************【太平洋戦争入門】洋泉社編、洋泉社、2016年刊<「BOOK」データベース>より満州事変からポツダム宣言受託まで太平洋戦争の全貌に迫る!15年にわたる「戦争の時代」を1年ごとに徹底解説!【目次】はじめに いまこそ知りたい「戦争の時代」の真実/第1章 なぜ開戦は避けられなかったのか?開戦目前!日米英中ソの思惑と世界情勢(日露戦争の勝利を列強はどう見たのか/第一次世界大戦参戦と拡大する領土 ほか)/第2章 満州事変から終戦までの15年間を1年ごとに徹底解説 1931-1945太平洋戦争の全貌(31年 満州事変、はじまる/32年 五・一五事件が起こした波紋 ほか)/第3章 建国から崩壊まで、その知られざる真実に迫る 王道楽土・満州帝国の実像(日本の大陸進出と日清戦争/日露戦争での勝利と満州への進出 ほか)/第4章 歴史を動かした日本の指導者たち 太平洋戦争人物列伝(石原莞爾/板垣征四郎 ほか)<読む前の大使寸評>日本はなぜ遅れながらも帝国主義を追い求めたのか? なぜ太平洋戦争開戦は避けられなかったのか?・・・という視点で読んでみようと思うわけでおます。rakuten太平洋戦争入門『太平洋戦争入門』3:拡大する日中戦争『太平洋戦争入門』2:満州事変後の日中戦争『太平洋戦争入門』1:張作霖爆殺事件あたり*****************************************************************************【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。<図書館予約:(1/24予約、2/02受取)>amazon天子蒙塵(1)『天子蒙塵(1)』3:天津の日本租界『天子蒙塵(1)』2:浅田治郎独占インタビュー『天子蒙塵(1)』1:序章の語り口*****************************************************************************【天子蒙塵(2)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より父・張作霖を爆殺された張学良に代わって、関東軍にひとり抗い続けた馬占山。1931年、彼は同じく張作霖側近だった張景恵からの説得を受け、一度は日本にまつろうがー。一方、満洲国建国を急ぐ日本と、大陸の動静を注視する国際連盟の狭間で、溥儀は深い孤独に沈み込んでいた。<読む前の大使寸評>この『天子蒙塵』の4巻シリーズは副本が多いわりに予約がすくないので・・・予約すると即、入手できるのが、ええでぇ♪、『蒼穹の昴』と比べて地味な印象を受けるのかなあ。<図書館予約:(2/07予約、2/10受取)>rakuten天子蒙塵(2)『天子蒙塵(2)』1:馬占山が張作霖を回顧するあたり*****************************************************************************【天子蒙塵・第三巻】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より運命に導かれ、それぞれの楽土を目指せ。満洲の怪人・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、欧州に現れた吉田茂。昭和史最大の事件「日中戦争」前夜、大陸に野望を抱き、夢を掴もうとする者たちが動き出す。そして、希望の光をまとい、かつての英雄が中原のかなたに探し求めた男がついに現れた。その名はー。<読む前の大使寸評>おお 著者の『蒼穹の昴』に摂り付いて以来、ついに「日中戦争」前夜まで辿りつくことになるのか♪<図書館予約:(3/25予約、6/11受取)>rakuten天子蒙塵・第三巻『天子蒙塵(3)』2:ヌルハチ公神話を語る主人公『天子蒙塵(3)』1:ヌルハチの伝説*****************************************************************************【天子蒙塵(四)】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲でラストエンペラー・溥儀が皇帝に復位しようとしている。そんななか、新京憲兵隊将校が女をさらって脱走する事件が発生。欧州から帰還した張学良は、上海に襲い来る刺客たちを返り討ちにしていた。一方、日本では東亜連盟を構想する石原莞爾が関東軍内で存在感を増しつつあり、日中戦争突入を前に、日本と中国の思惑が複雑に絡み合う。満洲に生きる道を見いだそうとする正太と修の運命は。長い漂泊の末、二人の天子は再び歴史の表舞台へと飛び出してゆく。<読む前の大使寸評>この本は、どうゆう訳か図書館予約システムでは借りられなかったのだが・・・とうとう図書館内で手にしたのです、ラッキー♪rakuten天子蒙塵(四)『天子蒙塵(四)』1:冒頭の語り口************************************************************【歴史講義満州事変】 倉山満著、ベストセラーズ、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲事変は人類が不幸になっていく始まりの大事件である。世界最強の大日本帝国を滅ぼした要因!現代日本の病巣の全てがここにあった!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten歴史講義満州事変************************************************************<日中戦争前夜 絡み合う思惑> 『浅田次郎さんの「蒼穹の昴」第5部が完結』という朝日の記事を、紹介します。(浅田次郎さんの記事を12/02デジタル朝日から転記しました)日中戦争突入を前にした中国を描く浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結した。1996年から続く「蒼穹の昴」シリーズの第5部。満州国皇帝の座に就こうとする溥儀と、欧州から上海に帰った張学良。2人が歴史の表舞台に出ようとする激動の中、絡み合う日中の思惑があぶりだされる。 「第5部まできましたが、シリーズは続きます」。あと2部で5巻ほど、という見通しを立てている。「どこからでもいい。おもしろければ、最初から読んでいただけたら」 「蒼穹の昴」シリーズは、西太后が権力を握る清朝末期を舞台にスタート。『珍妃の井戸』『中原の虹』と続き、第4部『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件を扱った。第5部では、欧州に向かった張学良が上海に帰還し、刺客たちを返り討ちに。清朝最後の皇帝溥儀は、満州国で再び皇帝の座に就こうとする。関東軍では東亜連盟を構想する石原莞爾が勢いを増していく。それを持つものは世を統率する力を持つ、とされる「龍玉」の伝説も、随所に織りこまれる。 シリーズ累計530万部超。第4部まで文庫本で10冊。第5部は単行本4冊、という破格の規模で、近代の中国と日本の分かちがたい関係を浮かび上がらせてゆく。中国には40回ほど渡った、という浅田さん。最初に取材目的で渡った20年ほど前は、いまほどの経済大国になるとは考えていなかった。「中国そのものが変わっていっている。いろんな意味で、このシリーズは早く書けません」「人も街も画一的ではなく、なぞが多く、奥が深い」と中国を評する。中学の頃から漢文の美しい言葉にあこがれるようになり、10代の頃からこつこつと通史などを学んできた。中国出身の担当編集者は「偏らない見方で、日本と中国が描かれている。知らなかったことも多く、読みながら歴史を知る思いです」と言い添える。■96年から刊行「シリーズ続く」「早くは書けない」 シリーズで一貫して描かれているのは不屈の人々。波乱の人生を送った張学良は、100歳まで生きた。最新刊では「嘆く間があるのなら、どうにかするのですよ」と、溥儀を幼い頃から支えてきた人物が語る最終盤の場面が印象深い。 そんな精神の強さは「負けず嫌い、ということで生きてきたようなもの」という自身の歩みとも重なる。 例えば、出版不況ということも安易に信じない。「時代のせいにしたら、終わりです。本が売れなくなった背景に、刊行点数が多すぎ、内容もよくない本が目立つようになったことがある。もっと、いい本をつくっていかなくては」。そのうえで「子供が最初に出合う本がつまらなければ、もう読まなくなります」と将来を見据える。 「いい小説というものは、分かりやすく、美しく、おもしろく」と3ヵ条を示す。根っこにあるのは、小説の神様の存在を信じる思い。小説とは考えて書けるものではなく、素材そのものが落ちてくるものという。それも若いからいただけるのか、と考えていたが、「意外とジジイになっても降ってくることが分かりました」と明かす。 もうすぐ67歳。「贈りものを受け止められるよう、一定のテンションに張り詰めていく努力はしております」(聞き手・木元健二)日中戦争前夜 絡み合う思惑2018.12.02*****************************************************************************<火の鳥 54>このところ新聞のスクラップとその記事のデジタル保存に勤しんでいるが・・・なにしろ、コロナウィルス対応の自粛で読む本に事欠いてきたので、連載中のこの「火の鳥」を読んでみようかと思い立ったわけでおます。デジタル朝日の記事をコピペしたので見てみましょう。2020年5月23日火の鳥 大地編:54より〈四章 東京 その七 赤い夕日の満州国〉の続き。要造は、火の鳥調査隊の4代目の隊長として、保の息子で陸軍少尉の緑郎を指名。家庭内のゴタゴタもあって、緑郎を自分と重ね、思い入れを強めるのだった。緑郎がタクラマカン砂漠に向かった後、石原莞爾、山本五十六とともに要造は「鳳凰機関」として、相談を重ねる。一方、日本国内では、軍部や右翼団体によるクーデターやテロが相次ぎ、不穏な空気が漂っていた。要造の継母・雪崩も標的となる。火の鳥 53この連載小説の背景ともいえる満州に関しては浅田次郎さんの日中戦争前夜 絡み合う思惑がお奨めです。*****************************************************************************<『満州国のラジオ放送』>図書館に予約していた『満州国のラジオ放送』という本を、待つこと3ヵ月ほどでゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。【満州国のラジオ放送】代珂著、論創社、2020年刊<商品の説明>より満州国のラジオ放送の実相に迫る。本邦初公開の資料なども駆使して、満洲国でのラジオ放送内容、番組構成、機能と効果、文化形成に対するラジオ放送の影響などを検証。メディアとしてのラジオの役割を当時の文化状況に迫りながらラジオ放送の機能とその効果の検証を試みている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。<図書館予約:(2/26予約、5/20受取)>amazon満州国のラジオ放送***************************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>ゲッ! 分厚い本ではないか、読破できるかな? というのが第一印象でおました。<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳***************************************************************************【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル
2024.01.23
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震1分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は1メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書のデータシステムが19日にスタートしたそうで、お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。
2024.01.22
コメント(0)
*********************************************************図書館で『ペンの力』という新書を手にしたのです。おお 「政治と文学」をめぐる巨頭の緊急対談ってか・・・これは興味深いのでおます。【ペンの力】浅田次郎×吉岡忍、集英社、2018年刊<「BOOK」データベース>より戦後70年間、暗黙のうちに、政治的な立場を表明せずに中立を保つことが作家のとるべき理想的態度とされてきた。だが、特定秘密保護法案やいわゆる「共謀罪」が可決され、言論の自由が岐路に立たされつつあるいま、「政治と文学」をめぐる従来的なスタンスは根本から問い直されている。閉塞感にあふれた「もの言えぬ時代」の中で、日本ペンクラブ前会長・浅田次郎と現会長・吉岡忍が、もはや絵空事とはいえなくなった「言論弾圧」の悪夢に対して警鐘を鳴らした緊急対談。<読む前の大使寸評>「政治と文学」をめぐる巨頭の緊急対談ってか・・・これは興味深いのでおます。rakutenペンの力第6章でエネルギーや環境問題あたりを、見てみましょう。p198~202<第6章 それでも私たちは戦争に反対する>■ソ連のチェルノブイリ原発事故吉岡:福島へは、ペンクラブの面々もずいぶん行きましたよ。そうね、スリーマイルやチェルノブイリのときは、どうだろう、何か声明みたいなものを出しているのかしら。浅田:ペン小史を読んでいるんですけど、出てこないですね。信じられないな。吉岡:いずれにしても、よくも悪くも世界が身近になって、北朝鮮のミサイルと核開発や中国の言論状況はもちろん、世界中のテロと世界と難民問題でも、エネルギーや原発問題でも、何かすべてがつながって、日本の問題、ペンクアブの課題になってくる。そんな時代ですね。浅田:そうなんでしょうね。だから、ある意味、井上ひさし会長時代から、ちょこちょこそういうことを、ペンクラブでやり始めた。吉岡:やっぱり9.11があったからですよ。冷戦崩壊後のグローバリズムの・・・あれは一つの帰結ですね。浅田:9.11があったから。■地球環境問題吉岡:さっき言ったように、梅原猛会長の時代にね、地球環境ということを積極的に言い始めたんですよ。むろん戦争は最大の環境破壊である、と言うことも可能なので、それ以前から意識はされていたとも言えるんですが。 でも、例えば、石牟礼道子さんの『苦海浄土』をどう受け止めたのか。あの作品はチッソの水銀汚染だけじゃなく、人間と歴史の関係、文明のあり方の問題まで、魂に触れるような言葉で描いていますが、それがペンのなかで問題になったという話はあまり聞いてないですね。浅田:環境問題というのも、僕もずっと覚えているけれども、いろいろな問題が積み上げられてきたよね。 でも、それは、どこかで、原発の肯定にすり変わったんだよ。原発が一番クリーンなエネルギーであるという話に変わったんだよ。吉岡:ああ、そうだね。使用済み核燃料を10万年も保管しつづかなきゃいけない、なんていう問題はなかなか頭に浮ばなかったんですもんね。浅田:何かね、あそこが、やっぱり一つの分岐点だったね。吉岡:いや、3.11で福島原発事故が起きたあと、ペンの主催で、日比谷の日本プレスセンターで集まりをやりましたよね。会員同士、ペンは原発問題についてどう考えるのかを議論した。 その会場で、会員のなかから、東京電力の原発キャンペーンのCMに出ていたような会員を除名すべきだ、という意見が出たでしょう。何人も賛成者がいて、ちょっともめたことがありました。浅田:あった。吉岡:どう考えるんだと言われて、壇上に、浅田さんや僕もいて・・・。浅田:つるし上げられたな。吉岡:そうとう批判されましたよ。でも、その場で答えなきゃいけない。 僕が言ったのは、僕自身は原発に反対だ、と。だけど、原発に賛成した人を追い出す、除名する、そういう組織のあり方がいいとも思わない、ということね。僕だって、いまこうやってしゃべっていることが、いつか間違いだったと気づくことがあるかもしれない。誰だって、何かを間違えることがあるんだから。 それはね、言論表現の自由を主題とする団体として、いつも考えておかなくちゃいけないことだと思うんですよ。対話する、議論する、考える、そういうなかで間違いなら間違いを修正していく、やっぱりそれがペンのあり方なんじゃないか。 もちろん会員もそのことは十分理解しているから、その場はそれで収まりましたけど、あのときはペンの存在意義が問われているな、と感じました。逆に言えば、それだけ原発問題を僕らがちゃんと考えてこなかった、ということでもあったんですけどね。浅田:3.11の前までは、原発論議は、環境問題に押しまくられていたよ。吉岡:そうでしたね。浅田:むしろ問題は、火力発電のCO2をいっぱい出す問題とかさ、水力発電の自然破壊だとかさ。吉岡:温暖化問題ですね。浅田:そう、そう、そう。そういうふうに言われていたから。 あのね、僕は、もちろん、原発には反対ですけれども、それ以前にあまり言われてないことなんだけれども、あるにしても、数が多過ぎる問題。『ペンの力』3:エネルギーや環境問題『ペンの力』2:作家が従軍するもう一つの理由『ペンの力』1:日中戦争期の戦争と文学
2024.01.19
コメント(0)
鄭成功の倭寇貿易とか清朝の没落などは、中国歴史のエポックメーキングなあたりなので・・・以下復刻して読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『コロンブスからはじまるグローバル社会1493』という本を、手にしたのです。タイム誌ベストノンフィクション部門の第1位になったとか・・・さて、どんなグローバル社会なのか。【コロンブスからはじまるグローバル社会1493】チャールズ・C・マン著、あすなろ書房、2017年刊<「BOOK」データベース>よりコロンブスのアメリカ到達によって、世界はどう変わったのか?さまざまな思惑によって、人とモノが行き交い、世界がつながっていく様子をダイナミックにたどる新しい歴史入門書。タイム誌ベストノンフィクション部門(2011年度)第1位の大著が、わかりやすくコンパクトに!<読む前の大使寸評>タイム誌ベストノンフィクション部門の第1位になったとか・・・さて、どんなグローバル社会なのか。rakutenコロンブスからはじまるグローバル社会I493鄭成功「第6章 中国のタバコとトウモロコシ」で海賊王・鄭成功を、見てみましょう。p127~131<鄭成功の物語> 17世紀半ば、清王朝が沿岸部の人々を内陸部へ強制移住させたため、マニラのスペイン人は福建商人との貿易ができなくなった。交易をつづけられるのは海賊のみ、倭寇だけになった。 倭寇貿易は、日本人を母にもつ鄭成功が牛耳るようになっていた。鄭は海賊としてずっと明王朝に歯向かってきたが、清の支配がはじまると、倭寇にとっては明の統治の方が有利であると気づいた。そこで、明の皇族・遺臣が樹立した対抗政権側の軍人となり、今しもその政権を倒そうとしていた清軍に対し、海上から大規模な攻撃をしかけて援護した。 それから海賊へもどり、ある記録によると、1万5000から2万隻からなる倭寇の大艦隊を編成したという。月港の川向かいにある城を根城として、中国の南東部沿岸を支配した。鄭こそ、まさしく海賊王だった。 1657年からは、中国製の商品とスペイン銀を交換する貿易をマニラで開始した。ところが、清との戦いに気をとられていたせいか、鄭は二つの重大な事実に気づいていなかった。それは、スペイン人が絹や陶磁器を手に入れるには、自分しかルートはないということと、鄭自身が倭寇の大艦隊を率いる海賊の頭だということだ。 1622年、鄭はマニラのスペイン人へ、取引条件の変更を通告した。おまえたちは従来どおりすべての銀を引き渡せ、その見返りにこちらは命だけは助けてやろうと…。スペイン人は恐慌をきたし、フィリピン在住の中国人をかり集めるや、その多数を殺害し、残りの者は船に詰めこんで送り返した。しかし、そんな対抗措置は結局むだになった。その二ヵ月後、おそらくはマラリアのために、鄭が急死したのだ。彼の息子たちが後継争いをはじめ、マニラでの貿易は捨て置かれた。 清王朝が沿岸部の人々を強制移住させたため、海上貿易もとだえたが、この政策は裏目に出た。銀貿易が中断されて、国内の通過供給がまひしてしまったのだ。銀は磨耗して失われやすいし、あるいは隠しもったり埋められたりして蓄えられていたので、通貨保有量は減少しつつあった。1681年、清は仕方なく遷界令を解いて、銀貿易を再開させたのである。<森林破壊と洪水> 清政府は、沿岸部の人々を内陸の高地へ追い立てただけでなく、乾燥した中央部への移住を、さらに積極的に進めた。政府は、ほとんど無人の中央部山岳地帯へ、多くの人を送りこむことが王朝の将来にとって重要だと考えたのだ。といっても、そこにはすでに異民族集団が住んでいたのだが…。 減税措置と安い土地に誘われて、東部の人々は群れをなして中央部へ移った。移民の大半は棚民と同じく貧しかった。そして棚民と同様に、森を伐採した新開地の急斜面に、サツマイモ、トウモロコシ、後にはジャガイモを植えた。こうして国内の農耕地は急増した。そこからとれる農産物も急増し、人口が増えた。わずか100年間で、人口が100倍になった地域まで複数あったほどだ。(中略) しかし、耕作地の急激な増加には、深刻な事態がともなった。木を失った山の急斜面から、雨水が激流となってかけ下り、土中の養分を洗い流した。トウモロコシ栽培の経験のない農民たちは、階段状に畝を立てず、斜面に沿って縦方向に畝を作った。これでは雨水が流れる溝を作ったのと同じことになり、浸食はさらに進んだ。おまけに、土地を借りているだけの移民たちは土地所有者とは違い、灰や堆肥をほどこして、流亡した土の養分を補ったり、収量をあげようとは考えなかった。当然、新たに開墾された山の耕作地は、たちまち疲弊した。(中略) もちろん、清の崩壊にはほかの要因も関係していた。キリスト教に感化された客家が主導する太平天国の乱で、国は大きく分断された。また、非力な皇帝たちは政府内の腐敗をただすことができなかった。さらには、清朝は、麻薬アヘンを中国へ密輸させていたイギリスとの二度の戦争にも敗北し、沿岸部の重要な港を開港させられた。しかしながら、清朝の没落への道は、コロンブス交換によって既にひらかれていたのである。『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』5:海賊王・鄭成功『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』4:倭寇や客家『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』3:ガレオン貿易『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』2:鄭和の大遠征『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』1:コロンブス交換
2024.01.18
コメント(0)
「図説 第二次世界大戦」という本を読んだところであるが・・・陸軍の対ソ認識、対中認識が出てくるこの『満州事変から日中戦争へ』という新書を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『満州事変から日中戦争へ』という新書を、手にしたのです。1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。【満州事変から日中戦争へ】加藤陽子著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「満蒙の沃野を頂戴しようではないか」-煽動の背景に何があったのか。満蒙とは元来いかなる地域を指していたのか。1931年の鉄道爆破作戦は、やがて政党内閣制の崩壊、国際連盟脱退、2.26事件などへと連なってゆく。危機の30年代の始まりから長期持久戦への移行まで。日中双方の「戦争の論理」を精緻にたどる。<読む前の大使寸評>1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。rakuten満州事変から日中戦争へ陸軍の対ソ認識、対中認識を「おわりに」で、見てみましょう。p235~236<おわりに> ここまで読み進めてこられた読者はすでにお気づきのことと思うが、昭和戦前期の日本においては、国防思想普及運動などによって国民を巻き込み、扇動し、満州事変への支持を調達した陸軍などが真にめざしていたものと、扇動の過程で国民の前で強調され、展開された論理との間には、実のところずれがあった。 石原莞爾が望んだのは、1.ソ連がいまだ弱体な時、2.中国とソ連の関係が悪化している時、3.日本とソ連が将来的に対峙する防衛ラインを、中ソ国境の天然の要害まで北に西に押し上げておくことであった。将来的な対米戦の補給基地としても満州は必用とされていた。しかし、それは国民の前には伏せられ、条約を守らない中国、日本品をボイコットする中国という構図で、国民の激しい排外感情に火が点ぜられた。 松岡洋右が、そして建川美次までが連盟に止まろうと奮闘した1932年暮れから33年初頭、ジュネーブ軍縮会議の陸軍側随員の1人として同じくジュネーブに居合わせた石原は、早期脱退をぶつのでもなく、冷静に傍観していたとの証言がある。戦略上の目的が達成されれば日中紛争の帰結など問題ではなかったのだろう。掻き立てられ、後に放置された国民の憤怒は「満州事変は復仇」との自己説得の論理に、より強く結びつけられてゆくほかはない。 ずれは日中戦争においても起きた。参謀本部第一部長だった石原は、37年後半にもソ連の対日参戦がありうると見ていた。ソ連を警戒するあまり、満州に駐屯していた現役兵の多い屈強な師団には手をつけず、荒木貞夫が喝破したように、後備兵の比率の高い弱体な特設師団に上海・南京戦を戦わせた。いっぽう、軍内の拡大派もまた、目の前の中国との戦争を名目に臨時軍事費を獲得し、実のところ将来の対ソ戦に備えた拡充計画、国防国家化に予算の6割を振り向けていた。 陸軍の不拡大派も拡大派も、その実、中国と正対していなかったのである。『満州事変から日中戦争へ』1:張作霖爆殺あたりの軍事的・政治的背景『満州事変から日中戦争へ』2:石原莞爾ら陸軍中堅の考え方『満州事変から日中戦争へ』3:陸軍の対ソ認識、対中認識
2024.01.17
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震1分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。
2024.01.16
コメント(2)
かつて三宮の阪急神戸ビルの中にアートシアターギルドという映画館があり、マイナーな映画をよく観にいったものです。・・・ということで、以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************1960年台ににATG(アートシアターギルド)という映画配給会社があった。その配給映画を継続して見せるアートシアター(映画館)が三宮にあり、よく見に行ったものです。興味ふかいが(芸術的)、マイナーな映画をよくこんな常設館で続けられるもんだと驚いていましたが、比較的都会だったから経営できたのかもしれません。ATGはたぶん経営不振かなんかで、10年くらい(洋画配給1962~1974年)で活動を終えたが、洋画で75本、邦画も多数配給し、映画ファンに楽しみを与えてくれた。ATGの配給作品のうち、記憶に残っている作品を挙げてみると・・・・・・気狂いピエロ(ゴダール)・かくも長き不在(アンリ・コルピ)・尼僧ヨアンナ(カワレロウィッチ)・華氏451(トリュフォー)・道化師の夜(ベイルマン)・彼女と彼(羽仁進)・肉弾(岡本喜八)・・とかです。*********************************************************なお かくも長き不在、尼僧ヨアンナについては、なでしこさんの日記にすばらしい感想が載っているので覗いてみてはどうでしょう。清水義範さんが『映画でボクが勉強したこと』で、ATGの配給作品を取り上げています。また、ゴダールの「中国女」や「気狂いピエロ」については、『ゴダールの「中国女」』で取り上げております。*********************************************************
2024.01.12
コメント(0)
樹木もまた私のツボでもあるので・・・『地球遺産最後の巨樹』という本を復刻して読んでみようと思うのです。*********************************************************図書館で『地球遺産最後の巨樹』という大型本を、手にしたのです。全ページにわたってカラー写真満載の大型ビジュアル本である・・・写真と文章の著作コンビが世界中を訪ねた熱意と薀蓄がええでぇ♪【地球遺産最後の巨樹】吉田繁, 蟹江節子著、講談社、2002年刊<「BOOK」データベース>より【目次】プロローグ 地上に残った巨樹たち/奇樹バオバブ(マダガスカル)/世界一の巨樹の森(米国カリフォルニア州)/世界最長寿の樹(米国カリフォルニア州東部)/樹幅世界一の巨樹(メキシコ)/台湾神木十傑(台湾)/日本最大級の巨樹(日本)/宝石になった巨樹(米国アリゾナ州)/古代文明を支えた巨樹(レバノン)/森を失った国に残された巨樹たち(イギリス)/星の王子さまのバオバブ(ジンバブエ)/世界一の巨樹発見(南アフリカ)/世界を創った森の神(カナダ クイーン・シャーロット諸島)<読む前の大使寸評>全ページにわたってカラー写真満載の大型ビジュアル本である・・・写真と文章の著作コンビが世界中を訪ねた熱意と薀蓄がええでぇ♪rakuten地球遺産最後の巨樹レバノンスギレバノンスギの今について、見てみましょう。p95~98太古の巨樹を守る現代の救世主:LEBANON 横に大きく扇を広げたようなしなやかな枝ぶり。まっすぐに天空に伸びたたくましい幹。そして芳しい香りを放つレバノンスギ。 カディーシャ渓谷の石窟につくられた修道院には「神に従う人はナツメヤシのように繁り、レバノンスギのようにそびえる」と旧約聖書の言葉が掲げられている。 残された太古の森を「神の杉の森(アルゼラブ)」と名づけたのはマロン派の人々である。弟子たちを連れて高い山に登ったイエスはそこで神に姿を変え、最も大切な樹を植えた。その樹こそがレバノンスギで、高い山がこの森だと言い伝えられているからだ。神の杉の森の中心には、そのときの様子が描かれた祭壇画が飾られた小さな石造りの教会がある。 しかし、敬虔なクリスチャンたちが守り続けてきた小さな森にも陰りが見えてくる。数千年を生きたレバノンスギの中には無残に倒れるものが現れ、樹皮が剥がれ落ち痛々しく木肌をさらす古木が増えてきたのだ。 だが太古の貴重な森には現代も救世主がいた。 太古の巨樹を救おうと最初に立ち上がったのは国際日本文化研究センターの安田嘉憲教授である。その依頼を受けてアルゼラブにやって来たのは、漢方薬を主成分とした樹勢回復剤を弱った樹に注入しているのが広島県の戎晃司氏。戎さんは広島大学の中根周歩教授と共同開発したマツ枯れ防止剤を数千万円以上無償提供し、ボランティアで毎年この森の治療にやってくる。 戎さんが1本1本樹勢を調べたレバノンスギは620本。推定樹齢6500年の巨樹も含め、治療を施した樹は大量の花と実をつけた。レバノンスギの活力が復活してきたことを示すように、枯れたように見えた樹肌にはマツヤニがにじみ出した。 破壊し尽くした人類の歴史から奇蹟的に生き残った太古の巨樹。その行く末をレバノンから遠く離れた日本人が今、見守っている。そして、それに続くように村人たちもまた苗木をつくり、神の杉の森の周囲に若い森を育て始めている。『地球遺産最後の巨樹』3:レバノンスギ『地球遺産最後の巨樹』2:台湾ヒノキ『地球遺産最後の巨樹』1:イギリスのオーク
2024.01.11
コメント(0)
このところ、多和田葉子の作品を集中的に読んでいるのだが・・・デジタル朝日で『(文化の扉)多和田文学、ふわり越境』という記事を見て、この際、多和田さんのアンソロジーを編んでみました。・白鶴亮翅(2023年)・太陽諸島(2022年)・オオカミ県(2021年)・多和田葉子の〈演劇〉を読む(2021年)・星に仄めかされて(2020年)・(文化の扉)多和田文学、ふわり越境(2019年)・文学界(2019年1月号)(2019年)・歓待する文学(2018年刊)・地球にちりばめられて(2018年刊)・言語、非言語、文化、異文化のはざまで言葉を編む(2016年)・献灯使(2014年刊)・雪の練習生(2011年刊)・尼僧とキューピッドの弓(2010年)・ソウル-ベルリン玉突き書簡(2008年刊)・溶ける街透ける路(2007年刊)・エクソフォニー(2006年刊)・容疑者の夜行列車(2002年刊)・球形時間(2002年刊)R14:「オオカミ県」を追加***********************************************************************『白鶴亮翅』1:冒頭の語り口 『太陽諸島』2:バルト海の料理『太陽諸島』1:第1章 Hirukoは語るオオカミ県『星に仄めかされて』3:ハンブルグまで行く連中『星に仄めかされて』2:「だるまさんが転んだ」という遊び『星に仄めかされて』1:「パンスカ」が出てくるあたり『文学界(2019年1月号)』2:古市憲寿とメディアアーチスト・落合陽一との対談『文学界(2019年1月号)』1:台湾人作家・温又柔との対談『地球にちりばめられて』4:「第10章 クヌートは語る3」『地球にちりばめられて』3:「第9章 Hirukoは語る3」『地球にちりばめられて』2:第6章 Hirukoは語る2『地球にちりばめられて』1:独自の言語“パンスカ”『歓待する文学』4:小野正嗣さんのフランス体験『歓待する文学』3:J・M・クッチェーの『マイケル・K』『歓待する文学』2:村上春樹の自伝的エッセイ『歓待する文学』1:雪の練習生『献灯使』5:献灯使の選定『献灯使』4:言語の輸出入『献灯使』3:日本の鎖国『献灯使』2:「ナウマン象」『献灯使』1:『献灯使』の語り口『雪の練習生』:冒頭部あたりの語り口『尼僧とキューピッドの弓』1『ソウル-ベルリン玉突き書簡』4:ヨーロッパの景観『ソウル-ベルリン玉突き書簡』3:旅の楽しみ『ソウル-ベルリン玉突き書簡』2:中国人ディアスポラ『ソウル-ベルリン玉突き書簡』1:漢字や東アジア人の名前『溶ける街透ける路』3:リガ『溶ける街透ける路』2:デュッセルドルフ『溶ける街透ける路』1:パリ『エクソフォニー』4:ハンブルグ『エクソフォニー』3:森鴎外とドイツ語『エクソフォニー』2:マルセイユ『エクソフォニー』1:北京『容疑者の夜行列車』3:ハンブルグへ『容疑者の夜行列車』2:北京へ『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ『球形時間』1:冒頭の語り口************************************************************【白鶴亮翅】多和田葉子著、朝日新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>よりベルリンで一人暮らしをする美砂は、隣人Mさんに誘われて太極拳学校へ。さまざまな文化的背景の人びととの出会い、第二次大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれ、名作を女性の視点で読み直す。<読む前の大使寸評>おお 多和田葉子の最新小説ではないか♪・・・ということで予約していた本です。<図書館予約:(8/2予約、副本?、予約57)>rakuten白鶴亮翅************************************************************【太陽諸島】多和田葉子著、講談社、2022年刊<出版社>より世界文学の旗手が紡ぐ、初の連作長篇三部作、完結!響きあう言葉とともに地球を旅する仲間たちの行方はーー。国境を越えて人と人をつなぐ、新しい時代の神話言葉で結びついた仲間たちの、時空を超えた出会いと冒険を描く、多和田葉子の新たな代表作。『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』に続くサーガ、ついに完結!<読む前の大使寸評>サーガ三部作の完結編とのことで、期待が大きいのです。バルト海沿岸の港町が舞台とのことで・・・ウクライナあるいはロシアのスパイは出てくるか?(それはないか)<図書館予約:(11/21予約、副本5、予約17)>rakuten太陽諸島***********************************************************************【オオカミ県】多和田葉子×溝上幾久子著、論創社、2021年刊<「BOOK」データベース>より都会の白兎は何を食って生きているのかー。不思議さ、可笑しさ、不気味さをはらむ物語を美しく細密な銅版画絵で彩るアート絵本です。10代から大人まで楽しめます。<読む前の大使寸評>多和田葉子著の絵本ということでチョイスしたのだが・・・言ってることはよくわからないけど、絵がいいのです。rakutenオオカミ県この絵本にはページ数が書かれていないのだが、最終部分を見てみましょう。オオカミは人を襲う狂暴な動物だと思いこんでいる人がいるようだが、それは違う。オオカミが人を襲うことなどありえない。人に襲われた時に抵抗するだけだ。そのまま放っておいてくれれば静かに生活しているんだが、そんな危ないものをつくる工場を押しつけてこられたのでは、こちらの命が危ない。そうなったらもう、犬みたいにお偉方に尻尾をふっているわけにはいかねえ。ぶじゅっとオオカミになろうぜ。オオカミに。***********************************************************************【多和田葉子の〈演劇〉を読む】多和田葉子著、谷川道子(編集)、論創社、2021年刊<amazon>より〈演劇人間(ホモテアトラーリス)〉としての多和田葉子に本格的に光をあてる初の試み。劇評、演出ノート、作品論、ドキュメント、初邦訳戯曲2本他で多和田の演劇ワールドを探り、パノラマ・可視化する。多和田書き下ろしエッセイ「多声社会としての舞台」も収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/31予約、副本1、予約2)>amazon多和田葉子の〈演劇〉を読む***********************************************************************【星に仄めかされて】多和田葉子著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より世界文学の旗手が紡ぎだす国境を越えた物語の新展開!失われた国の言葉を探して地球を旅する仲間が出会ったものはー?<読む前の大使寸評>多和田葉子さんと言えば・・・ドイツに在住の作家で、なんといっても「パンスカ」という言葉を造語した言語感覚が素晴らしいのです。つまり汎スカンディナビア語を「パンスカ」としたのです♪<図書館予約:(1/05予約、副本5、予約20)>rakuten星に仄めかされて***********************************************************************<(文化の扉)多和田文学、ふわり越境>デジタル朝日が「日独2言語で/言葉遊びとユーモアと」と説いているので、紹介します。この記事を紙媒体でスクラップしたのだが、電子媒体でも保存するところが、いかにも老人であるなあ。(この記事を6/24デジタル朝日から転記しました)ドイツ在住の作家、多和田葉子が世界的に注目を集めている。日本、ドイツ、米国で権威ある文学賞を受けてきた。作風は前衛的で国境や言語にとらわれないコスモポリタン。と同時に、日本語の魅力を追究した日本文学である。 多和田葉子は大学卒業後、22歳でハンブルクに移住した。現在はベルリンに暮らす。日本語とドイツ語の両方で、小説や詩を発表してきた。日本では芥川賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞といった純文学の大きな賞を次々に受賞。ドイツではクライスト賞を受け、独特の文体が評価された。いま、世界で活躍する日本人作家のひとりだ。 昨秋には英語版の「献灯使」が米国の権威ある文学賞、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した。大災厄の後に鎖国を選んだ近未来の「日本」が舞台。訳者の満谷マーガレットさんは、「受賞作は震災後の汚染された日本を描く。決して日本だけの問題ではない。全米図書賞という重要な賞を受けたことでこの作品が世界で広く読まれ、受け止められる、その意義は大きいと思う」と話す。 100歳を超えても頑丈な老人たちが社会を支え、子どもは弱くて歩けない。「彼女のファンタジーは現実に根ざしているから力がある」と満谷さん。深刻な物語だが、ユーモアに包まれ、読後感は朗らか。理由の一つに多和田作品の特徴である言葉遊びがある。「献灯使」では「みどりの日」があるなら「赤の日」も、と休日が際限なく増えていく。すたれてきた性交を奨励する「枕の日」、「インターネットがなくなった日を祝うのは「御婦裸淫の日」だ。***********************************************************************<『文学界(2019年1月号)』1>図書館の放出本のラックで『文学界(2019年1月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。【文学界(2019年1月号)】雑誌、文芸春秋、2019年刊<商品の説明>より▼2019年を占うビッグ対談落合陽一×古市憲寿 「平成」が終わり、「魔法元年」が始まる多和田葉子×温又柔 「移民」は日本語文学をどう変えるか?<読む前の大使寸評>表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。amazon文学界(2019年1月号)『文学界(2019年1月号)』1:台湾人作家・温又柔との対談*********************************************************************** <『歓待する文学』>図書館で『歓待する文学』という本を手にしたのです。小野正嗣が選りすぐりの作品について十三回の放送で紹介する構成であるが、取りあげた作品が、ええでぇ♪【歓待する文学】小野正嗣著、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より文学は私たちの心にどう入り込み、個人の生活や社会に影響を与えるのか。芥川賞作家である著者が欧米、アフリカ、中東、アジアの選りすぐりの作品を紹介。書き手がどのような土地に根ざし、どういう言語で作品を生み出したのか、それが読み手にどう作用するのかを探る。<読む前の大使寸評>小野正嗣が選りすぐりの作品について十三回の放送で紹介する構成であるが、取りあげた作品が、ええでぇ♪歓待する文学この本でJ・M・クッチェーが語られているので、『多和田葉子アンソロジー』R5を参照ください。***********************************************************************【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>言語学的なSFは、モロに太子のツボであるが・・・ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出したHirukoという元ニッポン人が、興味深いのです。<図書館予約:(2/18予約、8/28受取)>rakuten地球にちりばめられて***********************************************************************以降については、『多和田葉子アンソロジー』R8による。
2024.01.10
コメント(0)
軍事関係オタクのような宮崎駿さんは、オタク的作品を雑草と呼んで謙遜するがいやどうして、それらこそが主要テーマなのかもしれないですね。・・・ということで、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館に予約していた『宮崎駿の雑想ノート』という本を、図書館に借出し予約して4日後にゲットしたのです。なかを覗くと、これが全ページ漫画、それも戦記ものというレアなつくりでおます♪【宮崎駿の雑想ノート】宮崎駿著、大日本絵画; 増補改訂版、1997年刊<「BOOK」データベース>より宮崎駿の、目も眩む雑学と妄想の世界!アニメ映画風の谷のナウシカ、となりのトトロ、もののけ姫の監督、宮崎駿が、その豊富な知識と妄想で構築した超趣味的世界!兵器と人間が織り成す、バカバカしい狂気の情熱を描いた、珍奇なる物語13編。大ヒット映画「紅の豚」の原作、「飛行艇時代」を収録。<読む前の大使寸評>なかを覗くと、これが全ページ漫画、それも戦記ものというレアなつくりでおます♪<図書館予約:(7/07予約、7/11受取)>amazon宮崎駿の雑想ノート1ダースもの高射砲塔が見られる場所を、見てみましょう。p43~46第7回 高射砲塔 第二次大戦中に建設されたベルリンの高射砲塔は有名である。しかしリュースベルクという聞いたこともない町に建てられ、連合軍のパイロット達に『ど田舎のトゲ』と憎しみをもって語られた高射砲塔について知る人は少ない。 リュースベルク・・・人口3万にもみたない平和な小都市が、Uボートの魚雷のエンジンとホーミング装置のすべてをまかなう工場をもったために、重要な戦略目標になってしまったのであった。 折りしも1943年、英国の夜間爆撃は次第に激しさを増し、魚雷生産の確保は重要課題のひとつになった。しかし、城壁にかこまれた同市と工場は、森におおわれた低地に突出した台地の上にあり、防空部隊が何処に砲座をすえても、射角がいちじるしく制限されてしまう。この難問にとり組んだのが左の男(エルンスト・ジグラー博士)であった。 高射砲塔の建設が彼の答である。彼はドイツ式完全主義で、この小さな町を1ダースもの高射砲塔と射撃管制塔ですき間なく固めるというプランを提出した。 おどろくべきは、この土建屋万才的計画が承認され、しかも、建造中止となった新造艦のための最新式砲が、このど田舎にふりわけられたことであった。『宮崎駿の雑想ノート』2:高射砲塔が見られる場所『宮崎駿の雑想ノート』1:序文『ブラッカムの爆撃機』2:著者ロバート・ウェストール『ブラッカムの爆撃機』1:ウェリントン中型爆撃機(宮崎さんの訳文)
2024.01.06
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その62):「『街場の米中論』を読んで」を追記2023-12-29 「『街場の米中論』を読んで」より「カウボーイ」が存在したのは、1865年~1890年までの僅か約25年のことで、しかも最下層労働者である「カウボーイ」は、黒人やインディアン、中国人と雑多な人種から形成されていたという事実である。そんな、我々が西部劇で見るような風景と、実際とが全然違うはずなのに、アメリカ人は、カウボーイを「アメリカ的男性のロールモデル」に仕立て上げ、アメリカ人の無意識的な欲望を盛り込まれた幻想的なアイコンになった。 アメリカにおける「カントリーミュージック」の由来は、遅れてきた移民に由来する。彼らには、居住する場所が残されておらず、主にアパラチア山脈の麓に住み始めた。彼らは、「ヒルビリー」という蔑称で呼ばれていた。アメリカには、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オウキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。なかでも「ヒルビリー」については、その情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相〇を繰り返しているなど。これら、蔑称の総称が「ホワイト・トラッシュ」である。 当時、「ホワイト・トラッシュ」に関する映画を調べていたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。この作品は、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているといってもいいだろう。 そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。 アメリカ人は、「ホワイト・トラッシュ」への自責の念からか、どこかで恐怖を覚えている。「ガース・ブルックス」の登場は、1989年である。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、12月3日のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、アメリカは「冷戦後」に突入する。そんなときに必要だったのは、「あるべきアメリカの姿」だったのではないだろうか。そんな「あるべき姿」として、自分たちが蔑んできた「ホワイト・トラッシュ」への差別を一回捻ったうえで、「カントリーミュージック」に託したのではないだろうか。2023-11-16 月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」より― ウクライナ戦争に続いてイスラエル・ハマス戦争が起こりました。この事態をどう受け止めていますか。内田 強い衝撃を受けました。これまでもイスラエルとパレスチナは衝突を繰り返してきましたが、今回は暴力性の次元が違うと感じます。イスラム組織ハマスがパレスチナ自治区ガザから攻撃を仕掛け、イスラエルは「戦争状態」を宣言して以来、徹底的な報復攻撃を行っています。欧米はイスラエルの自衛権を支持していますが、「これは自衛の範囲を超えている」と批判している国も多くあります。 でも、今回の事態を何と表現すればいいのか、私にも実はよく分からないのです。これは近代的な国民国家間の戦争ではありません。かといって、ポストモダン的な非国家アクターによるテロではないし、単なる民族抗争、宗教戦争とも言い切れない。そのどれでもなく、そのどれでもあるような、複合的な戦いが起きている。このような事態を適切に表現する言葉を私たちは持っていないという気がします。私たちはまず「何が起きているのかうまく説明できず、解決方法もわからない」というおのれの無知と無能を認めるところから出発する必要があると思います。 ただ、イスラエル側の認識には前近代的な宗教戦争や「聖戦」思想に近いものを感じます。今回、ハマスは非戦闘員を含むイスラエル国民を無差別に虐殺しました。これについてネタニヤフ首相はハマスを「新しいナチス」と呼び、演説では「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解を示しました。イスラエルの国防大臣は「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」とまで言い切りましあ。イスラエルによれば、今回のハマスとの戦闘は、二つの国家がそれぞれの国益を守るために行う「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。 戦時国際法では、攻撃してよいのは敵戦闘員か軍事基地などに限られます。降伏者、負傷者、病人などの非戦闘員は攻撃目標にしてはなりませんし、医療施設も教育施設も宗教施設なども軍事目標にしてはならない。もちろん、実際の戦闘においては、市民や非軍事的な施設が「巻き添えを食う」ことは避けられませんが、それでも交戦時には「巻き添え被害」を最小限にとどめることがすべての軍隊には求められています。 しかし、今回のイスラエルのガザ空爆は敵国の構成員は原理的にはすべて潜在的な戦闘員だという理解に基づいています。たしかに戦闘員と非戦闘員の線引きは困難ですけれども、交戦に際しては、その線引きのために最大限の努力をすることが求められている。自分が殺そうとしている相手が戦闘員か非戦闘員かがわからないときには、引き金を引くことを「ためらう」ことを求めている。それは正義の実現とはほど遠いけれども、犯さなくてもよい罪は犯さない方がいいと命じている。ことは原理の問題ではなくて、程度の問題なんです。 ところが、今回イスラエルは、敵国の構成員である以上、子どもも大きくなれば兵士になるかも知れないし、医療施設で治療を受けた人間は治癒すれば前線で戦うかも知れないという理屈で「子どもも殺すし、病院も爆撃する」ことを正当化している。「ジェノサイド」と呼ばれるようになったのは、そのためです。以降の全文は内田先生かく語りき38による。
2024.01.02
コメント(0)
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。年初にあたり、大阪弁ブンガク論について復刻して読んでみようと思うのです(毎度手抜きですんまへん)。*********************************************************図書館で『K氏の大阪弁ブンガク論』という本を、手にしたのです。K氏の説く大阪弁ブンガク論とあれば・・・あだやおろそかにはできんなあ♪【K氏の大阪弁ブンガク論】江弘毅著、ミシマ社、2018年刊<「BOOK」データベース>より国民的作家から現代の人気作家まで縦横無尽!長年街場を見つめてきた著者がボケてつっこむ!唯一無二のブンガク論。【目次】ブンガク論に入る前に、ちょっと地元のこと。K氏の場合。/日本ブンガクを席巻する関西弁の技法/黒川博行ブンガクを支える「口語」表現/『細雪』-大阪弁が現代文で書かれるようになった時代/『細雪』はグルメ小説や!/大阪語・標準語の書き分けによるブンガク性/ほか<読む前の大使寸評>K氏の説く大阪弁ブンガク論とあれば・・・あだやおろそかにはできんなあ♪rakutenK氏の大阪弁ブンガク論「起きりー! 朝やでぇ!」第9章「泉州弁で描ききる先端性」で村上海賊の泉州弁を、見てみましょう。p189~193<ルビ使いが最高!> K氏は『村上海賊の娘』を読んで、「こんなんありか」と声を上げた。「ダントツにおもろい。とんでもなく凄い歴史小説や」と思った。 それは海賊武士の話し言葉が「泉州弁」で書かれたものだからだ。「泉州」は旧「和泉国」で大阪府南部。大和川から南、堺から和歌山までの地域で、とりわけ特徴がある「泉州弁」は、K氏が生まれ育った岸和田から南部の「泉南方言」だとされる。 合戦の際の台詞が「者ども、うろたえるでない。駆けよ」でなく、「お前ら、びびったらあかんど。走らんかえ」なのである。 この長編小説は戦国時代の大阪で起こった「第一次木津川口の戦い」を再現した小説である。「これや、これ」とK氏が本棚から抜き出してきたのは『信長公記』の現代語訳の文庫本だ。子供の頃から司馬遼太郎や海音寺潮五郎とかの合戦ものが好きだったK氏であるが、「『信長公記』はやなあ、1560年の桶狭間合戦から本能寺までハイライトが、岸和田の藤井町の地車(だんじり)に彫刻してあるんや」とのことだ。合戦をこの場で見てきたごとくことさらK氏は熱く語るのだが、正直「また岸和田だんじりか」とあきれてしまう。『信長公記』は、慶長年間(1600年頃)に太田牛一が著した織田信長の伝記である。信長の7歳年長だった太田は、彼の英雄に仕え元服から本能寺で切腹するまで生涯を実見してきた。したがってこの信長の一代記は歴史書としても信用度が高く、叙事文学・戦記文学としても優れた作品だというのが定説だ。『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)の巻九/(1576)、「木津浦の海戦」には次のように記録されている。 七月十五日のことであった。中国筋安芸の水軍、能島元吉・来島通総・児玉就英・栗屋元如・乃美宗勝という者が、大船七、八百艙を率いて大坂の海上に来航し、大坂方に兵糧を補給しようとした。 これを阻止しようと迎え撃ったのは、真鍋七五三兵衛・沼野伝内・沼野伊賀・沼野大隅守・宮崎鎌太夫・宮崎鹿目介・尼崎の小畑、花熊の野口。これらも三百艙余を漕ぎ出し、木津川河口に防衛線を張った。敵は八百艙ほどである。互いに漕ぎ寄せて、海戦となった。 という歴史的史実だ。泉州武士を中心とした織田信長側の軍勢が村上海賊の本願寺側に敗れる海戦だった。本願寺方の村上海賊と織田信長方の泉州武士のいわば代理戦争であるが、この小説で主人公と戦う真鍋七五三兵衛はじめとする泉州海賊侍が、場面場面で口にする台詞があまりにも凄すぎるのだ。「真鍋海賊の武勇を見せちゃらんかい」「ああ、そらあれじょ。直政っさんの国がド田舎やさかいじょ」「おのれんとこの小倅ぁ、おのれより戦上手やど」「面白いのぉ、こいつら」「わっしょれ~。なんやこら、正統派の泉州弁そのままやしな」とK氏はそれらの台詞をいちいち声を上げて自らの泉州弁で読んで、「最高やのぉ」と反芻しながら、単行本上下巻あわせて1000ページ弱もある長編を一気読みである。 まるでだんじり祭で地車を命懸けで曳行している最中に発せられる「浜言葉」そのもの。それも地元民でもおもわず苦笑してしまう荒っぽい会話の台詞に、「そうか泉州の海賊侍の合戦のときの言葉は、祭のときにおがってる(叫んでる)のとおんなじや」と膝を叩いて喜ぶのだった。「殺(い)てまえ!」「不味(あかなし)いよぉ」「塩で食(いか)んかえ」 という、表意文字の漢字とそこに付くひらがなまでを含めて、リアルな泉州弁に読ませるためにルビを振っているところで、「なるほどそういう手があったんか」とK氏は感嘆するのだった。『K氏の大阪弁ブンガク論』3:尾野真千子の泉州弁『K氏の大阪弁ブンガク論』2:大阪語・標準語の書き分け『K氏の大阪弁ブンガク論』1:多様な関西弁
2024.01.01
コメント(0)
私が思い描く日本の近代史は、日清戦争、日露戦争から始まるので・・・明治維新はやや疎くなるのだが、半藤一利さんの対談を見てみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『明治維新とは何だったのか』という対談本を、手にしたのです。おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。【明治維新とは何だったのか】半藤一利×出口治郎著、祥伝社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりあのとき、日本を動かしたのは龍馬でも松陰でもなかった!知の巨人2人が、薩長史観に隠された「幕末・維新」を語る。<読む前の大使寸評>おお 半藤一利さんが明治維新について出口治郎さんと対談しているのか・・・これは面白そうである。rakuten明治維新とは何だったのか『第2章 「御一新」は革命か内乱か』で戊辰戦争を、見てみましょう。p89~91五万石を薩長に「盗まれた」長岡藩出口:戊辰戦争の話に戻りますが、最後は榎本武揚が北海道まで逃れました。半藤:東北での戦いは慶応4年(1868年)にはほとんど片がついていましたが、いわゆる函館戦争は明治2年(1869年)まで続きました。新政府の徳川家に対する処置があまりにも厳しく、およそ8万人の幕臣を雇うことができなくなったので、海軍副総裁の榎本武揚が幕臣たちを蝦夷地に移住させ、函館政権を樹立したんですね。それが新政府軍に屈したところで、戊辰戦争は終結しました。出口:暴力革命が成就したわけですね。それが、新しい国家を築くための正義の戦いだったように語られたわけですね。半藤:私も子供の頃から皇国史観という名のいわば「薩長史観」を学校で教え込まれていましたが、父方の祖母には逆のことを教わりましたよ。父の実家は越後なんですが、夏休みに遊びに行くと、祖母が 「東京には勲章をつけた偉い奴がたくさんいるみたいだけど、あの連中はみんな泥棒だよ。無理やり喧嘩を売ってきて七万四千石の長岡藩から五万石を盗んでいったんだ。おまえは、あんな奴らを尊敬することないだぞ」という話をされたものですよ。出口:なるほど、 「盗まれた」という感覚なんですね。半藤:実際、長岡藩は降伏した後で五万石を取り上げられて、二万四千石しか残らなかったんですよ。祖母からそんな話を聞かされて、「へえ、そういう見方もあるのか」と気づかされたおかげで、あまり皇国史観に毒されることなく育ちましたね。 ともかく戊辰戦争で負けてからの長岡は大変な苦労をしたんですよ。たとえば「米百俵」で有名な長岡藩の大参事・小林虎三郎がお寺の本堂を借りて国漢学校をつくったのも、もう人材を育てる以外に復興の術がなかったからです。それを首相時代の小泉純一郎さんは間違った形で引用しましたが(笑)。出口:あの国会演説では、 「痛みに耐えろ」と我慢を強調していましたが、教育政策とはあまり関係のない話になっていましたね。半藤:そうなんですよ。ほかに方法がないから、小林虎三郎は周囲の反対を押し切って「米百俵」を売ったお金を学校と病院の建設に使ったんです。人材育成の重要性をいわなければ、「米百俵の精神」の意味を正しく理解いたことにはなりません。出口:小林の人材育成の目的は、いわば薩長の暴力革命に対する一種のリベンジですよね。半藤:そういうことです。出口:会津藩もじつに可哀想で、負けて全部召し上げられるんですよね。その後、青森の斗南藩に行くんですが、気候が厳しいので、みんな死んでいくんですよ。それで、これは本当かどうかわかりませんが、もともと斗南で暮らしていた女性たちが、 「こんな可愛い男の子を死なせるのは可愛そうだ」とか 「こんな親切な人を殺しちゃいけない」など、ハンサムな男性や、女性にマメな男性を養ったおかげで、辛うじて会津の血が受け継がれたという話があるぐらいです。それ以外の男はみんな死んでしまった。半藤:しかも明治時代に入ってから、いわゆる「賊軍」の人たちはひどく差別を受けました。たとえば司馬遼太郎さんが『坂の上の雲』で描いた秋山真之、秋山好古、正岡子規の松山藩は賊軍です。だから、ものすごく苦労した。差別があるから、軍の学校にしか行けないわけですよね。『明治維新とは何だったのか』2:薩長のスタンス『明治維新とは何だったのか』1:起きて困ることは「起こらない」と思い込む日本人
2023.12.30
コメント(0)
夏から秋をやり過ごして冬となったような今年であるが・・・秋を偲ぶような日記を復刻してみましょう。*********************************************************枯れ葉散る秋たけなわとなり、シャンソンが似合う季節となりましたね・・・・古いシャンソンの感傷にひたる大使である(アホやで)滞仏中の話になりますが・・・・正調シャンソンを聴きたい大使は、シャンソニエ(歌声酒場)にでかけたのです。一人では入りにくいので、日本人1~2人?を引き連れてモンマルトルのラパンアジルにくりこんだわけです。私の悪友のうち誰を選んだか忘れたのだが、当時のパリには根無し草(デラシネ)のような不良日本人がたむろしていたのです(笑)入場料は確か1000円?程度であり、窮乏生活で不如意な私でも払える値段だったように記憶しています。ラパンアジルこの種のワイン1杯込みの歌声酒場はシャンソニエと呼ばれ、歌われる曲は古くからある曲が主で、我々日本人は知らない曲が多かったようです。でも、営業用のお愛想で歌ってくれた「サクラ、サクラ」に我々は感激したわけです(笑)ちなみに、店名の「ラパンアジル」とは敏捷なウサギという意味です。それでは、ラパンアジルHPで「さくらんぼの実る頃」を聴いてみましょう。Le Temps des cerises Paroles:Jean-Baptiste Clement Musique:Antoine RenaQuand nous chanterons le temps des cerisesEt gai rossignol et merle moqueurSeront tous en fete …Les belles auront la folie en teteEt les amoureux du soleil au coeurQuand nous chanterons le temps des cerisesSifflera bien mieux le merle moqueurMais il est bien court le temps des cerisesOu l'on s'en va deux cueillir en revantDes pendants d'oreille …Cerises d'amour aux robes pareillesTombant sur la feuille en gouttes de sangMais il est bien court le temps des cerisesPendants de corail qu'on cueille en revantQuand vous en serez au temps des cerisesSi vous avez peur des chagrins d'amourEvitez les belles …Moi qui ne craint pas les peines cruellesJe ne vivrais point sans souffrir un jourQuand vous en serez au temps des cerisesVous aurez aussi vos peines d'amourJ'aimerai toujours le temps des cerisesC'est de ce temps la que je garde au coeurUne plaie ouverte …Et Dame Fortune, en m'etant offerteNe pourra jamais fermer ma douleurJ'aimerai toujours le temps des cerisesEt le souvenir que je garde au coeur・・・・ムムム♪ しびれるな~♪我が20代の愚かで夢見るような「ラ・ボエーム」である・・・それでは、アズナブールのLa Bohemeを、おまけだ!♪ラパンアジルのアクセス
2023.12.26
コメント(0)
図書館大好き老人であるが・・・紙の本に拘りがあるわけで、選書はもっぱら手あたり次第なのです。アナログな印刷屋の老人が説くIT奮闘記を復刻して読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『スマート老人の逆襲』という本を、手にしたのです。この本の表紙の副題が「還暦印刷屋の電子書籍&IT奮闘記」とあるが、興味深いのです。【スマート老人の逆襲】中西秀彦著、印刷学会出版部、2020年刊<「BOOK」データベース>より還暦世代が少年だった頃、パソコンが出現した。当時のパソコン少年たちは、中年を経てパソコン老年となった。活版、電算写植、デジタル印刷を経験した老舗印刷屋の経営者が情報化社会を語る。<読む前の大使寸評>この本の表紙の副題が「還暦印刷屋の電子書籍&IT奮闘記」とあるが、興味深いのです。rakutenスマート老人の逆襲本やネット情報の内容をコピペすることが語られているので、見てみたのです。p102~104<コピペのいたちごっこ> 2014年の科学界を騒がせたSTAP細胞は幻だったようである。この事件は、色々と考えさせられることがあったわけだが、電子時代ならではの経緯をたどったともいえる。まず論文が電子版で発表され、その後直ちに実験の写真への疑惑などがSNS上で指摘されて、一気に科学界を揺るがす事態となった。 その経過はとてつもなく速く、以前の紙ベースだったら、雑誌、疑惑の指摘などが、郵送ベースで行われていたはずで、少なくとも何ヶ月かはかかったと思う。電子媒体の普及は、このことだけでも、単に紙の情報を電子ネットワークに移し替えたという以上の変化をあらゆるところにもたらしたことがわかる。 さらに、この疑惑に触発されるように、著者の博士論文剽窃疑惑もネットを通じて広まっていった。この剽窃の方だが、20ページもの剽窃があったと言われている。では、この剽窃は、はたして一字一字入力されたのだろうか。とてもそうは考えられない。おそらくコピー&ペースト(以下コピペ)が使われたはずだ。 コピペは、もちろん剽窃に使われるばかりではない。研究者の論文の表面的生産性は、コピペによって画期的に上がった。論文には引用が欠かせない。過去の研究を下敷きにするためには、今までどんな研究がなされて、どのようなことが述べられたかを元の論文や著作から書き写さねばならないからだ。昔は、これを文字通り書き写していたし、ワープロ時代になっても、いちいち打ち込んでいた。当然、引用は引用のルールに従う必要がある。他書からの引用であることが明確にわかるようにし、出所も明らかにしなければならない。引用と断らずにコピペをすれば剽窃である。しかし、そこは紙一重の差しかない。 コピペは引用の生産性を上げたが、同時に剽窃の生産性をも上げてしまったことになる。しかし、これは論文を審査する方にとってみれば厄介きわまりない。全世界では何十万もの論文雑誌があり、何百万もの論文が発表されている。専門分野は限られるとしても、審査する側も全世界で発表されたすべての論文を詠めるはずもないし、細かいところが変更してあれば、剽窃かどうかなど個人の記憶力だけで見破ることはまず不可能である。もちろん、科学の真実は研究者の良心が頼りなのだが、それだけでは心許ない。 よくしたもので、何か発展があれば、またその対抗策が考え出されるのは世の常。実際これを聞いたときは感心するより、笑ってしまったのだが、「剽窃検知サイト」があるというのだ。ネットに載った全世界の全論文を検索して、投稿されてきた論文が、どこかの論文に似ているかどうかを評価して、剽窃の疑いがあれば知らせてくれるというサイトなのだ。まだ英文論文の世界に限られているが、こういうサイトが日本でも開設されるのは時間の問題のような気がする。『スマート老人の逆襲』2:電子書籍は記憶に残らない『スマート老人の逆襲』1:はじめに
2023.12.25
コメント(0)
全794件 (794件中 51-100件目)