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多和田葉子さんが説くヨーロッパの都市がええので、以下の通り復刻して読み直してみようと思うわけです♪*********************************************************図書館で『溶ける街透ける路』という本を、手にしたのです。この本の目次を見ると・・・ヨーロッパ、北米の都市名が並んでいます。つまりそれだけ動き回っていたわけで、パンスカを生み出した人はすごいでぇ。 【溶ける街透ける路】多和田葉子著、日経BPM(日本経済新聞出版本部)、2007年刊<「BOOK」データベース>より揺さぶられる身体感覚。欧州、北米、中東、日本を駆け巡り、自作を朗読し、読者と話した1年。見る、聞く、歩く、触る、食べる。街の表層が裂け、記憶がゆがむ。待望のエッセイ集。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると・・・ヨーロッパ、北米の都市名が並んでいます。つまりそれだけ動き回っていたわけで、パンスカを生み出した人はすごいでぇ。rakuten溶ける街透ける路ロシアなどの近隣国に翻弄されたラトビアの首都リガを、見てみましょう。 p223~226<リガ Riga> バルト諸国を訪れるのは今回が初めてだった。飛行機が綿菓子のような雲の層を抜けて下界に出ると、秋の色に染まった森の広がる平坦な土地が見えた。山どころか、丘ほどの起伏さえ見当たらない。 飛行場から街へ向かう途中、葉を金色に染めた白樺の間に木造の家が間隔をあけて建っていた。元は濃かったのかもしれない塗装のブルーやピンクがいい具合に色あせている。職人が数人、屋根をなおしている家もあったし、まだ壊れたままで人の住んでいない家もあった。 途中大きな河があったので、「なんという川ですか」と運転手に訊くと、返ってきた答えが「ダウ川」と聞こえた。日本語のようなので驚いたが、あとで他の人に訊いて確かめると、この川は本当に「ダウガヴァ」というのだそうだ。 旧市街に入ると、教会も商館もホテルもすべて見事に修復してある。まずは観光の要になる旧市街から修復されていくのだろう。 リガには12世紀にドイツ人たちがやってきて、ハンザ同盟の町として栄えた。それからポーランド、スウェーデン、ロシアなどの国が次々のしてきて随分苦労したようだ。わたしの頭の中では、ラトビアという国はずっとソビエト連邦の一部だったが、1991年に独立してからどんな風になったのか、よく知らないまま来てしまった。 たとえば、独立後、首都のリガから何十万人ものロシア人が去ったと聞いていたが、町を歩いているとロシア語がたくさん聞こえてくる。旧市街の真ん中にはロシア語劇場もあった。 その夜、Tさんの家にパーティに呼ばれていって、いろいろな人と話をした。この町ではロシア語人口の方がラトビア語沈香より多いのだそうだ。ラトビアが独立からは、ロシア人だけの学校も含めて、すべての学校で60パーセント以上はラトビア語で授業しなければいけないという規則ができたが、代々リガで暮らしてきたロシア人たちにはそれが受け入れられず、いろいろ衝突がある。 しかし最近はまたラトビア人の間でロシア語の価値が再評価されてきているそうで、ロシア系の企業も多いし、ロシア語ができた方がいいと考えるラトビア人が増えているらしい。文学部学生のKさんも「〇」と教えてくれた。 ロシア語と言えば、出発の2日前にベルリンでラジオで偶然「〇」というテーマの番組を聞いた。ドイツ統一直後には、東独の人たちはそれまで第一外国語だったロシア語を投げ捨ててしまおうとしたが、最近になって若い人たちが一部ロシア語を見直し始めている。世界は英語化に向かっていると言うが、もう少し眼を凝らして細部を見れば、そうでないのかもしれない。 わたしがリガに着いた週にはちょうど、バルト三国のドイツ語の先生たちの集まりがリガで行われていて、参加者は全部で約三百人というから、ドイツ語の人気もまだまだ落ち目ではないようだ。バルト三国の主要都市にはすべてゲーテ・インスティチュートかドイツ文化研究所またはその両方があり、盛んに活動している。ウン ドイツ語話者でもある多和田さんが、リガでドイツ語の集まりに参加するとは・・・さすがパンスカ話者である。大使が渡仏の際、アエロフロートの窓からバルト海海岸線で輝く明かりが見えたのです。隣の異国人に「あれはどこか?」と訊ねたら、「リガじゃないかな」と答えてくれたことを思い出したのです。『溶ける街透ける路』2:デュッセルドルフ『溶ける街透ける路』1:パリ *********************************************************■2021年07月07日『溶ける街透ける路』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202107070000/
2026.05.02
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『ガロ』という雑誌が今も続いているかどうか知らないが・・・ガロ(1993年8月号)が取り上げた「つげ義春女性を語る」という記事がええので、復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************三宮センター街の古書店でゲットした『ガロ(1993年8月号)』という雑誌が積んどく状態になっていたので、読み始めたのです。まあ 12月はじめに喪中はがきを出してしまい、暇になったせいもあるんですが…この雑誌で「つげ義春女性を語る」という箇所を見てみましょう。p44<つげ義春女性を語る> 旅先で女性となんかあるってのは、マンガにはよく出てきますけれども、実際はないです(笑)。やっぱり女性が関わると旅のムードが壊れてしまいますよね。すごい通俗的になるんじゃないのかね(笑)。 どこかへ旅して、そこの女性と知り合ってそこに住み着いてしまって、なにかの職について暮らしたいという願望は昔からありましたけれども。それはまあ、一種の蒸発ですよね。 自分の作品に出てくる女性はわりと突き放した感じで描かれてますけれども、それは自分の蒸発的な願望の、そこへ住み着いた場合の手段みたいなもので精神的な部分は関係ないんですね。 だってもしその女性に惚れてしまったら、それは蒸発にならずにそこでまた新たな現実が始まってしまうわけですから。それはただ単に引越しをしたっていうのと同じ事になってしまいますからね(笑)。蒸発ではなくて。 好みのタイプっていうのも別にないんです。自分の作品っていうとなぜか女性について聞いてくる人が多いんですけど、ドラマを作る上で女性がいた方が話が作りやすいから出てくるだけでね。中年のぼてっとした女性が出てくるからって、それが好みっていうわけじゃなくて(笑)、ドラマの中で必用だからああいう描き方をしているだけなんです。飽くまでも自分の内面の問題を描いているだけで。 別になんとも思わないし理想のタイプなんてないんですね。好きだった女優なんかもいないですし。ですから以前、文春文庫の映画の本でアンケートを頼まれたときにも、男優では好みの人もいるんですけど女優は別にいないんですよ。だから女優の蘭にはいないって書いたんですけど。 フェミニズム運動なんかにしても女性にしてみれば男性の欠点も見えるでしょうけど、女性側からは気付かない部分っていうのは我々男性からすれば逆によく気が付きますからね。運動をやってる人からみれば、男には反省すべき点がたくさんあるんでしょうし事実あるとは思うんですが、女性にも反省すべき点はあるように思うんですよね。女性自身がそこに気付かないで男性を攻撃するというのはね。 自分なんかが思うのは、女性は本能的に支配されてる部分が多いっていうことですね。そのことを女性自身は絶対気が付かないですよ。やっぱり男と女は敵ですよ(笑)。北九州に住む女性読者を訪ねようということで、居所をひきはらって旅に出るというような大胆なところもあるつげさんの女性論でした(笑)。【ガロ(1993年8月号)】雑誌、青林堂、1993年刊<商品情報>より特集 「つげ義春」する!-映画『ゲンセンカン主人』公開記念:つげ義春インタビュー、赤瀬川原平・上野昂志・黒川創・川崎ゆきお・とうじ魔とうじ・高野慎三・ユズキカズ・安彦麻理絵・三橋乙揶・杉作J太郎/ガロ名作劇場17 勝又進「狸」/「パースペクティブキッド」刊行記念 ひさうちみちおインタビューイタガキノブオ/松井雪子/鳩山郁子/安部慎一/三本義治/友沢ミミヨ/唐沢商会/QBB/土橋とし子/沼田元氣/みぎわパン/ねこぢる/松沢呉一/高杉弾/中ザワヒデキ/四方田犬彦 etc.<読む前の大使寸評>三宮センター街の古書店でゲットした『ガロ(1993年8月号)』という雑誌なんですが…特集:「つげ義春」する!と銘打った本号が、売価で500円(定価550円)という優れモンでおました♪anamonガロ(1993年8月号)この記事もつげ義春ワールドに収めるものとします。*********************************************************■2016.12.18 つげ義春女性を語るhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201612180000/
2026.04.27
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図書館で『クルドの夢 ペルーの家』という本を手にしたのです。日本の入管と言えば剛腕で知られ、また難民認定に関しては、そのシブさが特筆されるわけで・・・そのあたりが興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table>「第2章 長すぎる収容」の「2 絶望、罪業感、そして死」に入管と外国人労働者との戦いが載っているので・・・見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p69~72<font color="brown">収容所内で人が死ぬ</font> 取材期間中に、予想もしなかったことが起きた。収容所内で死者が出たのだ。 2018年4月13日、東日本入国管理センターのシャワー室で、インド人のディーパック・クマルさんが首を吊って命を断った。 支援者によると、クマルさんは「短期滞在」の在留資格で日本に滞在し、難民申請をしたが不認定となり、オーバーステイとなって収容されていた。2017年7がつに収容されたというから、収容は9ヵ月を超える。仮放免が不許可になったと通知を受けた翌日の死だった。翌月には、あとを追うようにふたりが自殺未遂をした。 この1件を受け、収容者たちはハンガーストライキを行った。その数は100人を超え、前代未聞の規模となった。 抗議の動きは、収容所の外でも起こった。5月の夕暮れ、渋谷区のハチ公前広場にいつになく多くの人だかりができていた。「入国管理局は長期拘留をやめて」「人権守れ」と書かれたプラカードを持った人々が20人程度、スクランブル交差点のほうを向いて並んでいた。中央に立つ男性が、「ご通行中のみなさん、この人が自殺しました。9ヵ月、無期限で収容されていたからです」と、クマルさんの顔写真を掲げた。 クマルさんの死を悼んで入管へ抗議しようと、Twitterで「#FREEUSHIKU」というハッシュタグで呼びかけて集まった人々だった。特定の政党や団体に所属していない。お互いに初めて会う面々だ。SNSの力で、支援者など一部の人々以外にも情報が広がり、収容所の問題は少しずつ知られるようになってきた。入管の前ではなくハチ公前広場を選んだのは、渋谷の町を行き交う大勢の人々に知ってもらうためだろう。「私たちはいま入国管理局で自殺者が出ていることに抗議して、ここに立っています。強制収容所があることをご存知でしょうか。この人(クマルさんのこと)、日本で罪がないのに死んだ人です。クマルさんはひとりぼっちでシャワー室で芯でしまった。渋谷にも外国人がいますよね。友だちもいれば恋人もいるのに、ただ難民というだけで、日本が難民を受け入れていないので、収容所に入れて長期的に放りこんだままにしているので、多くの方が自殺したり病死したりしています」 メガホンの先を、大勢の人々が足早にとおり過ぎる。仕事終わりのスーツ姿の男女、渋谷に遊びに来た若者グループ、交差点で自撮りするさまざまな肌の色の外国人観光客・・・。抗議の声は、雑踏に消えていく。ときおり、怪訝な顔をして立ち止まる人もいた。(中略) メガホンは、収容所で支援活動をしているという男性に手渡された。 「こんなことでいいんでしょうか。これで国際社会? 日本はね、観光立国とかいって年間2000万人以上の外国人をいれています。お金を持ってくる外国人は日本にウェルカム、お金のない困った外国人は日本は排除する。そんなことでいいんでしょうか」 収容施設内で死者が出るのは、これが初めてのことではなかった。収容所や地方入管の収容場で命を落としたのは、2007年以降、クマルさんで14人目だ。 自殺とされるのは中国人やブラジル人、韓国人など5人で、ほかの人は病死や餓死とされている。入管が衣料を放置したことによる病気の悪化を疑われているケースもある。 2014年の3月に東日本入国管理センターで亡くなったカメルーン人男性は、入管職員の監視の元、息を引き取った。1カ月前から胸の痛みを訴え、めまいや不眠に苦しみ、診療を求める申出書を提出していた。 様子がおかしいことに気づいた同室者も、男性を医師に早く診せるよう懇願していたそうだ。それでも診療はかなわず、24時間、職員にカメラで監視される部屋(通称「懲罰房」)へ移された。男性はたびたび苦しみ、もがいてベッドから転げ落ち、監視カメラに向かって職員を呼び出すための「要件あり」と書かれたカードをかざした。だが、職員は対応しなかった。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604240000/" 『クルドの夢 ペルーの家』1></a>
2026.04.26
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図書館で『クルドの夢 ペルーの家』という本を手にしたのです。日本の入管と言えば剛腕で知られ、また難民認定に関しては、そのシブさが特筆されるわけで・・・そのあたりが興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table>「第1章 “クルド難民”バリバイ一家」の「1 収容所で出会ったひとりの青年」にクルド難民一家の窮状が興味深いので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p22~27<font color="brown">「埼玉に集住する在日クルド人」</font> 歴史を振り返ると日本とは縁遠いように思えるクルド人だが、今の日本でも彼らは暮らしている。その数は、およそ3000人といわれる(日本クルド文化協会による)。公的な調査がおこなわれていないので、実際には何人いるのかわからない。国やじちたいによる外国人の調査では、国籍による分類がなされており、クルド人はトルコ人やシリア人にカウントされる。よって、国を持たない彼らの存在は見えにくい。 宗教も文化も違う日本にトルコからクルド人が多く集まったのは、日本とトルコが友好関係にあるからだ。日本は、戦後になってからトルコと経済的に協力関係にあり、文化交流もおこなわれ、ビザ免除措置をとっている。私たち日本人は、事前にビザを取得しなくてもトルコに入国でき、トルコから来日する人も事前にビザを取得する必要がない。 日本に暮らす3000人のうち、1000人以上が関東近郊に暮らしているという。なかでも多いのが埼玉県川口市だ。川口市は、東京都新宿区、東京都江戸川区に次いで全国で三番目に在留外国人の多い自治体である。市内に住む外国人は3万9270人で、市内人口のおよそ6%(2020年6月時点)を閉める。 外国人の多い理由は、ものづくりとして栄えた市の歴史にある。川口市は、江戸時代から鋳物産業が栄え、終戦直後には鋳物生産額が全国の三分の一を閉めた。溶解炉が林立する象徴的な風景は、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で有名になった。鋳物の中小企業では、全国に先駆けて1980年代から外国人労働者の受け入れを始めている。当初は韓国籍や中国籍の人々、そして技能実習精度が導入されるとベトナム国籍などの人々来日し、川口市は多国籍タウンとなっていった。 現在、川口市の在留外国人で中国・フィリピン・韓国・朝鮮・ベトナムに次いで多いのが、トルコ国籍の人々だ(2020年1月時点)。このトルコ国籍の人々のなかに、トルコ出身のクルド人が多く含まれているとみられる。実際、JR蕨駅近くを歩くと、コンビニやスーパーで中東系の顔立ちをした人々とすれ違い、ケバブのレストランや中東料理の食品店を見つけることができる。 2「難民」になれない <font color="brown">村は「地球のにおいがした」</font> 私が収容所で面会したバリバイ・ウェラットさんも、トルコ出身のクルド人だ。川口市内のアパートに、家族と暮らしていた。2018年㋄、私はウェラットさんから聞いた住所を頼りに、家族を訪ねた。 私がインターホーンを鳴らすと、花柄のスカーフを頭に巻いた母のヌリエさんがドアを開けてくれた。奥の部屋には大きな布が敷かれていて、そこに長男のワッカスさん、次男のエルジャンさん、三男のマズラムさん、次女のスザンさんが車座になっていた。 ウェラットさんは四男にあたり、五男にあたる9歳の弟がいることもわかった。ウェラットさんは独身だが、20~30代の兄や姉たちは結婚して子どもを育てており、日本での生活がずいぶんと根付いているように感じられた。 家族がまとまっていた雰囲気を、今も忘れることはできない。全員が2年近くも帰ってこなウェラットさんを思い、悲しみと怒りと失望と疲労の混じった目をしていた。 ヌリエさんに声をかけると、日本語のわからない彼女に代わって、息子たちが通訳をしてくれた。「自分の息子、家に帰ってきてほしいの。私の息子、何もしていない」 息子のひとりがこう付けくわえる。「ママももう年だから、いっぱいがまんができないんですよ」53歳だというヌリエさんは、愛する息子が収容されたことで強いストレスにさらされて体調も優れないようだった。 キッチンに立っていた次女のスザンさんが、真っ赤な色のお茶を淹れてくれる。砂糖を溶かして飲むのだと教えてくれた。トルコに住むクルド人の家庭の味だ。熱々でほんのり甘いお茶を飲みながら、スザンさんが日本語でこう言った。「日本に来ても、トルコと同じ、戦争になっているみたい。私、心、同じだよ」 来日したのは12年も前だという。何から聞いていいのか迷っていると、家族が来日した経緯を話してくれた。 家族が暮らしていたのは、トルコ南東部ガジアンテップ県にある小さなクルド人集落だった。父ムスタファさんは左官などの建設業をしながら羊を飼い、畑でキュウリやトマトを育てて自然と共に暮らしていた。子どもたちも協力してヨーグルトやチーズを作り、街に売りに行ったことを覚えているという。「きれいなところでした。地球のにおいがしました。村に入るとその土地のにおいがしました」母のヌリエさんはそう言いながら、懐かしそうに故郷で撮った家族写真を見せてくれた。樹の下で、穏やかな表情を浮かべる両親のかたわら、幼い子どもたちがじゃれ合っている。ムスタファさんは、クルド人としての民族意識を強く持っていた。街で親クルド政党のチラシを配ったり、息子たちにクルド民族の歴史を語ったりしていたという。そして1980年代以降、政府とクルド人勢力が対立するようになると、ムスタファさんたちの周辺にも争いの影が忍び寄ってくる。 1999年の10月下旬、村は憲兵に襲われた。政府と対立していたPKKをムスタファさんが支援したとの理由で、家を荒らされ、ムスタファさんを含む村人4人が逮捕された。ムスタファさんは拘束された際、電気ショックを受けるなどの拷問を受けたという。翌年以降もたびたび憲兵から家宅捜索を受け、ときにヌリエさんも殴られて連行され、娘のスザンさんを拘留中に出産する羽目になった。</TD></TR></TABLE>
2026.04.24
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図書館で『ウクライナ侵攻までの3000日』という本を、手にしたのです。この本には毎日新聞特派員が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻までの3000日】webp画像につき開示できず大前仁 著、 毎日新聞出版、2023年刊<レビュー>より著者の大前さんは、毎日新聞の特派員として10年以上もモスクワに駐在した正にロシア通の方のようだ。その間2000年代後半から度々ウクライナを訪れ、2014年3月のクリミア併合から2022年2月の全面侵攻までを、特に2019年に行った精力的な取材を通じて線でつなぐ。学者と違い奥深さは少ないとしても、ジャーナリストとしての現地の声の集約などには説得力がある。 <読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/6917f178905c3dd99e6295d6f0b01e0a/">ウクライナ侵攻までの3000日</a></td></tr></tbody></table>「第4章 北方領土とクリミア」に日露の領土問題が出ているので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P95~99<font color="brown"><なぜ島を取り返したいのか></font>「そもそもクリルには、どれくらいの日本人が残っているのですか?」 まずは素朴な疑問から始まった。「1人もいません。ソ連が第二次世界大戦の後で全ての日本人を追い出してしまったからです」 私がこう即答すると、ナゴルニャクは一瞬言葉に詰まった。そして不思議そうに問い返してきた。「もう一人も住んでいないのに、どうして日本は島を返してほしいのですか?」 なぜ彼はこのような質問を発したのか? ソ連が1991年に崩壊してクリミアがウクライナ領になると、人口の6~7割を占める現地のロシア系住民は強く反発し、「本国への復帰」を訴えた。ロシア国内の愛国主義的な勢力もクリミア半島に多くの同胞が残されたと考え、「本国への帰還」を声高に唱えた。 そして運命の2014年3月。前月に起きたウクライナの政変が引き金となり、ロシアは力ずくでクリミアを取り戻したのだ。 ナゴルニャクはソ連崩壊直前に生まれ、独立したゥクライナで育ったが、常に自分がロシア人だとの意識を持ち続けていた。クリミア半島に取り残された身として「本国への復帰」を願い続け、5年前に夢がかなった。 一方で、すでに北方領土に日本人が遺されていないのに、日本政府が返還を求める理由を理解できないという。もはや同法が一人もいないのに、なぜ、その土地を取り戻そうとするのか? 彼は私にそう聞いてきたのだ。<font color="brown"><経済的な理由なのか></font>「それならば日本は経済権益から返還を求めているのですか?」 ナゴルニャクは質問を変えて、尋ねてきた。 答えはノーである。もし二島返還の方針に基づき、日本が歯舞群島と色丹島を日本領に編入し直せれば、排他的経済水域(EEZ)を広げられる。だが経済的な権益はこの程度に限られていた。 当時は日露両政府が北方領土での共同経済活動を始めようと検討していたが、この計画が実現したところで「利益はたかが知れている」(ロシアの担当官)。むしろ変換が実現すれば、日本は島を引き払うロシア人に補償しなければならず、支出の方が確実に多くなる。ナゴルニャクはそう説明した。 それではなぜ? 再び不思議そうな表情を見せたナゴルニャクに対し、次のような説明を試みた。「北方領土問題は日本にとって大事な内政問題なのです。そしてモラルの問題でもあります」 日本が当時のソ連と平和条約交渉を始めてから六十数年が過ぎていた。政府が北方領土返還の意義を訴え続けたことにより、すでに日本国内では「譲れない問題」となっているのだ。「ソ連が不法占拠したのだから、『法と正義』の原則に基づき引き渡してくるべきだ」。今でも大多数の日本人がこう信じて疑わない。 このような思考回路が定着した日本人にとって、北方領土とは「返還されるべき土地」である。またロシアとの2国間関係とは、常に領土問題というフィルターを通してでしか考えられなくなっていた。 私は苦労しながら、上記の点を説明すると、ナゴルニャクは納得した表情に変わった。なぜならば2014年にロシアに併合されるまで、クリミア問題は重要な内政問題だったからだ。自らも「本国への復帰」を唱えてきた手前、日本人の考えを理解できるというのだ。これは意外な反応だった。 一方でナゴルニャクは、ルースキーミール(ロシアの世界)と呼ばれる思想の信奉者である。これまでも取り上げてきたが、ソ連崩壊により各地に取り残されたロシア系住民とロシア本国のつながりを強調し、ロシアの影響圏の拡大を唱えるイデオロギーだ。 当然ながらナゴルニャクはクリミアがロシアに併合されたことを歓迎してきたし、北方領土の返還に真っ向から反対している。「どうせ日本は単独で平和条約問題について判断できないに決まっていますよ。アメリカが邪魔してくるだろうし」 そう鼻で笑ってみせた。 ロシアでは米国への嫌悪感がとどまるところをしらない。その同盟国である日本との間で平和条約を結べるのだろうか?「無理に決まっていますよ」 ナゴルニャクはそう繰り返した。<font color="brown"><絡み合う「クリム」と「クリル」></font> ロシアがクリミア(クリム)を併合したことは、北方領土(クリル)問題とも複雑に絡んできた。(中略) それはロシアがクリミア併合という国際規範を侵したにもかかわらず、日本としては北方領土問題の解決を優先しようとする姿勢の表われだった。露然ながら安倍をはじめとした官邸は対露交渉に前のめりだっただが、当時の日本外務省にも同調する者が少なくなかった証といえる。 一方でクリミアを取り戻したことにより、愛国心を高めたロシア国民は、従来よりも北方領土(クリル)問題で譲歩しなくなっていた。</td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604120000/">『ウクライナ侵攻までの3000日 』1</a>
2026.04.22
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図書館で『ウクライナ侵攻10の焦点』という本を、手にしたのです。この本には朝日新聞取材班 が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻10の焦点】webp画像につき開示できず 朝日新聞取材班(著) 、朝日新聞出版 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりロシアのウクライナ侵攻は、全世界に衝撃をもって受け止められた。侵攻から1年の間に、現地では何が起きていたのか。ウクライナ入りした記者たちのルポを中心に、10の角度から戦争を浮き彫りにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17394527/">ウクライナ侵攻10の焦点</a></td></tr></tbody></table>「第2章 [占領]閉ざされた空間で起きた被害」に監禁された市民の過酷さが見えるので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P59~64<font color="brown">監禁された市民の見たもの</font>穏やかな日差しのなか、その村では子どもたちがキャッキアと走り回っていた。「学校はどこにある?」「あっちだよ」。女の子たちg教えてくれた方向に進むと、れんが造りの校舎がが現れた。屋根は崩れ、窓ガラスは割れている。木の扉を開き、階段を下りる。薄暗い地下室には絵本や布団が散乱していた。静まりかえリ湿った空気に、壁時計の病身のおとが響く。「ここに28日間、350人以上の住民がロシア軍によって閉じ込まれていたのです」と管理人の男性は言った。壁には手書きで、10人分の名前と日付が記されていた。(中略) 村にロシア兵がやってきたのは3月3日のことだった。兵士らは1軒ずつ民家を回り、地下室に隠れる住民たちにライフルを突きつけた。「学校の地下室に行け」 携帯電話や腕時計は、その場で撃たれて破壊された。「パソコンやスマホを隠していたら、あと10人殺すぞ」と脅された。 警察官や元兵士だと疑われた男子たちは、射殺された。少なくとも4人。釣り用の迷彩服を持っていただけに、ウクライナ兵だと疑われて命を落とした人もいたという。 3月6日までには、ほとんどの住民が学校の地下室に集められた。 大小7部屋に350人以上。最大の80平方メートルほどの部屋には175人が押し込められた。 廊下にも人があふれた。子どもたちは70人以上。最も幼い子は1歳半だった。地下室には子どもたちの泣き声が響きわたった。 地下室での生活は過酷をきわめた。歩いて通る隙間もないほで、部屋は人で埋め尽くされた。小さなベッドに子どもたちを寝かせ、多くの大人は座ったまま寝た。 外は雪が降る寒さ。それでも室内は熱気で蒸し風呂のようになった。暑さで福を脱ぐ人さえいた。小さな窓はいたで目張りした。新鮮な空気が欲しくても、激しいほうげきがそれを許さなかった。窓を破って砲弾の金属片が飛び込んでくる恐れがあった。電機はなく、懐中電灯の電池はじきに切れた。どの部屋も、ろうそく1本で灯をとった。トイレも無かった。部屋の隅にバケツを置き、布切れで隠しながら用を足した。恥ずかしさも、やがて感じなくなった。食料の備蓄も足りなくなった。ロシア軍がときおり提供するパンや携行食には人が殺到した。 暗がりの中、時間の感覚も失われていった。 幼稚園の先生を務めるバレンティナ・ダニロバさん(60)は、鉄のドアにきおくを刻み始めた。燃えかすの炭を使い、カレンダーを書いた。毎朝、日付を加えた。砲撃の激しい日には下線を引いた。隣には、死亡した人たちの名前を刻んだ。 最初は3月9日。90歳を超えた男性だった。翌10日にもう1人11日には2人。13日。17日にまた2人・・・。リストはどこまでも続くように思えた。亡くなった人の多くは70代以上の高齢者だった。 地下室には湿気と悪習が充満した。新鮮な空気が足りなかった。ロシア軍が地下室から出ることを赦すかどうかは「その日の彼らの気分次第」。外に出られても1日15分ほで。砲撃を恐れ、地下に閉じこもる人は多かった。 意味不明なうわごとを言ったり叫び始めたりすると、それが死の予兆だった。2日ほどすると、彼らは息を引き取った。ロシア軍の許可が出るまですうじつかん、亡がらとともに眠ることもあった。砲撃の合間をみて、遺体は外のボイラー室の並べられた。「正直、誰も生きて帰れないとおもっていました。ドアに記録を残したのは、誰かにここでの出来事を伝えるためでした」 ダニロバさんはそう言うと。遠い目をした。 住民たちを地下室に監禁する一方で、ロシア兵は学校の1階や周辺の民家に陣取った。 地下に自住民が閉じ込められているため、ウクライナ軍は学校を砲撃することができない。それをいいことに、ロシア軍は住民を「人間の盾」とし、学校を前線拠点にしていた。 ロシア兵は「我々はあなたたちを解放しにきた」「ナチはどこに隠れているんで」と、ロシア政府の主張に沿った定番のセリフを繰り返した。 偽情報を伝えるロシアの新聞を住民に配り、「ウクライナの多くの都市はすでに降伏している」と言いふらした。ときには子どもたちを外で遊ばせ、ロシア兵がお菓子を配るようすをビデオに収めた。ロシア兵の善良な振る舞いを発信するプロパガンダ作戦だった。 解放の日は突然やってきた。 3月30日。いつもより早く、朝10時にロシア軍は地下室のカギを閉めた。車両が騒々しく動く音や砲撃音が2時間ほど続き、やがて静寂に包まれた。 人々は、ドアを破って外に出た。学校の裏庭の並んでいたロシア軍の車両が消えていた。兵士もいなかった。まだ状況をのみ込めなかった。翌日昼、ウクライナ軍の部隊が村に到着した。 住民たちに笑顔が戻った。兵士と抱き合って涙を流した。多くの住民の生存を知り、ウクライナ兵は「まさか生き残っていたとは」と驚いた。長期間の監禁で、人々は歩くのも難しくなっていた。脚がむくみ、靴は切断しないと脱げない人もいた。 オルガ・メニャイロさん(50)は自宅でスマホを見つけ出すと、地下室に戻ってシャッターを切った。「写真を歴史に残すべきだと思ったんです」 地下室内に所狭しと座る人々の顔が並ぶ。疲れ果てた表情のなかに、少しの安堵感がみえる。</td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604120001/">『ウクライナ侵攻10の焦点』1</a>
2026.04.16
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。 <予約中>・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在48位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在103位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在134位 ・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)貸出可能 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在48位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?) 現在17位 ・竹内幸恵『広告の昭和』(10/21予約、副本?、予約11) 現在4位 ・『山田洋次が見てきた日本』(11/05予約、副本?、予約12) 現在9位 ・朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(11/13予約、副本?、予約500)現在366位 ・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、副本?、予約0)・葬式坊主なむなむ日記 (04/08予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・素人校長ばたばた日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』・世界はなぜ日本カルチャーに熱狂するのか:図書館未収蔵・石ノ森章太郎『漫画家入門』・是川夕『ニッポンの移民』・加藤喜之『福音派』・小泉凡『セツと八雲』<予約分受取:12/28以降> ・真山仁『タングル』(12/18予約、12/28受取)・「国境なき医師団」(8/21予約、1/22 受取 ) ・宙わたる教室(2024年12/28予約、1/22 受取 ) ・天気でよみとく名画(3/22予約、1/29 受取) ・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、1/29 受取)・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、03/12受取)**********************************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/05895e22c5f5d3f33cf13a5002e3622b50b592e0.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" /> 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17748858/">潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う</a></td></tr></tbody></table>(中略)<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【イン・ザ・メガチャーチ】.webp画像につき開示できず 朝井リョウ著、日本経済新聞出版 、2025年刊<「BOOK」データベース>より久保田慶彦(47)レコード会社勤務。とある能力を買われ、アイドルグループ運営に参画することに。武藤澄香(19)留学を志す大学生。内向的な気質に悩むうち、一人のアイドルに出会う。隈川絢子(35)契約社員。舞台俳優を熱烈に応援中だが、ある報道で状況が一変する。ファンダム経済を築く者、のめり込む者、のめり込んでいた者…三者三様の視点で浮かび上がる、人間の心を動かす“物語”の功罪。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18328668/">イン・ザ・メガチャーチ</a></td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ヒップホップ・モンゴリア】.webp画像につき開示できず 島本一平著、青土社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(02/18予約、副本?、予約0) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/">ヒップホップ・モンゴリア</a></td></tr></tbody></table> table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【火星の女王】.webp画像につき開示できず 真山仁著、小学館、2022年刊<「BOOK」データベース>より <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17288267/"></a>火星の女王</td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【葬式坊主なむなむ日記】.webp画像につき開示できず松谷真純著、三五館シンシャ 、2026年刊<「BOOK」データベース>より地球外知的生命の探求のため、人生をかけて火星にやってきた生物学者のリキ・カワナベは、スピラミンという物質の結晶構造の変化を発見する。いっぽう火星生まれの学生、リリーE1102は、地球に観光に行くことを夢みて遠心型人工重力施設に通っていた。地球で種子島在住の白石アオトは、ISDA職員として働きながらリリとの約束を思い出していた。カワナベの発見が世界を揺るがすとき、リリの身にも危機が迫りー地球と火星、遠く離れたふたつの星をめぐって人々の心が交錯していく壮大な人間ドラマ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(04/08予約、副本1、予約?) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18331987/"></a>葬式坊主なむなむ日記</td></tr></tbody></table>図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202101200000/">予約分受取目録R26</a><a href="https://book.asahi.com/reviews/">好書好日トップ</a><a href="https://www.lib.city.kobe.jp/">図書館情報ネットワーク 蔵書検索</a>
2026.04.13
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図書館で『ウクライナ侵攻10の焦点』という本を、手にしたのです。この本には朝日新聞取材班 が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻10の焦点】webp画像につき開示できず 朝日新聞取材班(著) 、朝日新聞出版 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりロシアのウクライナ侵攻は、全世界に衝撃をもって受け止められた。侵攻から1年の間に、現地では何が起きていたのか。ウクライナ入りした記者たちのルポを中心に、10の角度から戦争を浮き彫りにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17394527/">ウクライナ侵攻10の焦点</a></td></tr></tbody></table>「第1章 [開戦]侵攻当初、何が起きていたのか」にプーチンの戦略が出ているので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P14~16 ウクライナに対するロシアの侵攻は、止められなかったのか。14年のクリミア半島併合やウクライナ東部への介入は、そのときも軍事力で国境線を変えてはならないとする国際秩序への朝鮮と受け止められていた。 欧米は、クリミア併合後にロシアを主要国首脳会議(当時G8)から排除し、さまざまな制裁を科した。 だが、エネルギーをロシアに頼る奥州では対ロシア政策で不協和音が生れ、個別にプーチン政権と関係を結ぼうとする国が出てきた。米国ではプーチン氏への好感情を隠さないトランプ大統領が誕生し、対ロシア政策が政治の駆け引きの材料になった。日本は北方領土問題解決の好機とみて国際的に孤立したプーチン政権に接近した。 このとき、米国や欧州各国が欧米以外の国々を巻き込んで、もっとも強くロシアに国際ルールの順守を促すことができれば、結果的に全面侵攻を防ぐことができたかもしれない。 ただ、全面侵攻直前の時期に関していえば、米国やNATOが交渉で侵攻を止められた可能性は極めて低かったというのが大勢の見方だ。 プーチン氏は、ロシアのペースで進んでいた米国、NATOとの安全保障をめぐる交渉でも、要求実現のため最後通告を突きつけることさえなく、一方的に打ち切っており、実際にその要求がどこまでプーチン氏にとって切実なものだったかにも疑問がある。欧米との交渉で時間を稼ぎながら、裏で着々と侵攻への準備を進めていたと考えざるを得ない。 ウクライナは本来、文化的・歴史的にロシアのものだった領土や住民を分け与えてできた「作られた国」だ・・・。プーチン氏は、侵攻3日前の演説でそう主張し、ウクライナをめぐるゆがんだゆがんだ歴史観も隠さなくなっていた。 2月24日、ウクライナは1991年の独立以来、最大の存亡の危機に立たされた。早朝のミサイル攻撃から間もなく、ロシア軍の戦車が東部、北部の国境を越えて地上戦を始めた。 中でも世界に衝撃を与えたのが、電撃的な首都キーウ制圧作戦だ。キーウ北近郊のホストメリの空港に大量の兵員輸送大型ヘリコプターが飛来。降り立った空挺部隊が空港を占拠し、ウクライナ軍と激しい銃撃戦になった。一部は少人数でキーウ市内にも侵入し、攪乱を狙ったゲリラ的な銃撃戦も始めた。 キーウではその日、防空シェルターになった地下鉄の駅に人びとが殺到。首都脱出をはかる車が大渋滞を作り、鉄道駅では西部に向かう列車に乗ろうとする人で一時的なパニックが起きた。 ただ、間もなく、短期間でウクライナのゼレンスキー政権の転覆を狙ったとされるプーチン氏のもくろみは外れる。 ホストメリのウクライナ軍部隊はロシア軍に一部のゲリラ部隊の首都侵入は許したが、それ以外は進軍を郊外で食い止めた。空港施設を破壊し、後続部隊の着陸も不可能にした。ホストメリの北30キロのデミディフ村では、ドニプロ川の水門を破壊し、一帯を水没させて、地上からキーウを目指し南下してきた戦車部隊を押しとどめた。 そして、プーチン氏のウクライナ侵攻は迷走を始める。ウクライナの市民と双方の兵士に多大な犠牲を強いながら。</td></tr></tbody></table>https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604120001/
2026.04.12
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図書館で『ウクライナ侵攻までの3000日』という本を、手にしたのです。この本には毎日新聞特派員が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻までの3000日】webp画像につき開示できず大前仁 著、 毎日新聞出版、2023年刊<レビュー>より著者の大前さんは、毎日新聞の特派員として10年以上もモスクワに駐在した正にロシア通の方のようだ。その間2000年代後半から度々ウクライナを訪れ、2014年3月のクリミア併合から2022年2月の全面侵攻までを、特に2019年に行った精力的な取材を通じて線でつなぐ。学者と違い奥深さは少ないとしても、ジャーナリストとしての現地の声の集約などには説得力がある。 <読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/6917f178905c3dd99e6295d6f0b01e0a/">ウクライナ侵攻までの3000日</a></td></tr></tbody></table>「第4章 北方領土とクリミア」に日露の領土問題が出ているので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P95~99<font color="brown"><なぜ島を取り返したいのか></font>「そもそもクリルには、どれくらいの日本人が残っているのですか?」 まずは素朴な疑問から始まった。「1人もいません。ソ連が第二次世界大戦の後で全ての日本人を追い出してしまったからです」 私がこう即答すると、ナゴルニャクは一瞬言葉に詰まった。そして不思議そうに問い返してきた。「もう一人も住んでいないのに、どうして日本は島を返してほしいのですか?」 なぜ彼はこのような質問を発したのか? ソ連が1991年に崩壊してクリミアがウクライナ領になると、人口の6~7割を占める現地のロシア系住民は強く反発し、「本国への復帰」を訴えた。ロシア国内の愛国主義的な勢力もクリミア半島に多くの同胞が残されたと考え、「本国への帰還」を声高に唱えた。 そして運命の2014年3月。前月に起きたウクライナの政変が引き金となり、ロシアは力ずくでクリミアを取り戻したのだ。 ナゴルニャクはソ連崩壊直前に生まれ、独立したゥクライナで育ったが、常に自分がロシア人だとの意識を持ち続けていた。クリミア半島に取り残された身として「本国への復帰」を願い続け、5年前に夢がかなった。 一方で、すでに北方領土に日本人が遺されていないのに、日本政府が返還を求める理由を理解できないという。もはや同法が一人もいないのに、なぜ、その土地を取り戻そうとするのか? 彼は私にそう聞いてきたのだ。<font color="brown"><経済的な理由なのか></font>「それならば日本は経済権益から返還を求めているのですか?」 ナゴルニャクは質問を変えて、尋ねてきた。 答えはノーである。もし二島返還の方針に基づき、日本が歯舞群島と色丹島を日本領に編入し直せれば、排他的経済水域(EEZ)を広げられる。だが経済的な権益はこの程度に限られていた。 当時は日露両政府が北方領土での共同経済活動を始めようと検討していたが、この計画が実現したところで「利益はたかが知れている」(ロシアの担当官)。むしろ変換が実現すれば、日本は島を引き払うロシア人に補償しなければならず、支出の方が確実に多くなる。ナゴルニャクはそう説明した。 それではなぜ? 再び不思議そうな表情を見せたナゴルニャクに対し、次のような説明を試みた。「北方領土問題は日本にとって大事な内政問題なのです。そしてモラルの問題でもあります」 日本が当時のソ連と平和条約交渉を始めてから六十数年が過ぎていた。政府が北方領土返還の意義を訴え続けたことにより、すでに日本国内では「譲れない問題」となっているのだ。「ソ連が不法占拠したのだから、『法と正義』の原則に基づき引き渡してくるべきだ」。今でも大多数の日本人がこう信じて疑わない。 このような思考回路が定着した日本人にとって、北方領土とは「返還されるべき土地」である。またロシアとの2国間関係とは、常に領土問題というフィルターを通してでしか考えられなくなっていた。 私は苦労しながら、上記の点を説明すると、ナゴルニャクは納得した表情に変わった。なぜならば2014年にロシアに併合されるまで、クリミア問題は重要な内政問題だったからだ。自らも「本国への復帰」を唱えてきた手前、日本人の考えを理解できるというのだ。これは意外な反応だった。 一方でナゴルニャクは、ルースキーミール(ロシアの世界)と呼ばれる思想の信奉者である。これまでも取り上げてきたが、ソ連崩壊により各地に取り残されたロシア系住民とロシア本国のつながりを強調し、ロシアの影響圏の拡大を唱えるイデオロギーだ。 当然ながらナゴルニャクはクリミアがロシアに併合されたことを歓迎してきたし、北方領土の返還に真っ向から反対している。「どうせ日本は単独で平和条約問題について判断できないに決まっていますよ。アメリカが邪魔してくるだろうし」 そう鼻で笑ってみせた。 ロシアでは米国への嫌悪感がとどまるところをしらない。その同盟国である日本との間で平和条約を結べるのだろうか?「無理に決まっていますよ」 ナゴルニャクはそう繰り返した。<font color="brown"><絡み合う「クリム」と「クリル」></font> ロシアがクリミア(クリム)を併合したことは、北方領土(クリル)問題とも複雑に絡んできた。(中略) それはロシアがクリミア併合という国際規範を侵したにもかかわらず、日本としては北方領土問題の解決を優先しようとする姿勢の表われだった。露然ながら安倍をはじめとした官邸は対露交渉に前のめりだっただが、当時の日本外務省にも同調する者が少なくなかった証といえる。 一方でクリミアを取り戻したことにより、愛国心を高めたロシア国民は、従来よりも北方領土(クリル)問題で譲歩しなくなっていた。</td></tr></tbody></table>
2026.04.12
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「ウクライナ侵攻」でしょうか♪<市立図書館> ・クルドの夢 ペルーの家・プラナカン・ウクライナ侵攻までの3000日・ウクライナ侵攻10の焦点<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【プラナカン】webp画像につき開示できず太田泰彦 著、日本経済新聞出版 、2018年刊<商品説明>よりプラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。福建や広東の華人たちは、生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。男たちはマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の妻と所帯を持った。熱帯の日差しを浴びて生まれ育った子孫が、やがて中国でもマレーでもない、万華鏡のように色鮮やかな独自の文化を開花させていった。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を誇ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。19世紀には英国の東インド会社と手を組み、香辛料貿易、スズ鉱山、ゴム栽培で商才を奮った。あるいはアヘン取引、奴隷貿易によって無尽蔵の財をなした。富を現代に継ぐ末裔は、自らの歴史を封印したまま多くを語らない。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b/?variantId=b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b">プラナカン</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻までの3000日】webp画像につき開示できず大前仁 著、 毎日新聞出版、2023年刊<レビュー>より著者の大前さんは、毎日新聞の特派員として10年以上もモスクワに駐在した正にロシア通の方のようだ。その間2000年代後半から度々ウクライナを訪れ、2014年3月のクリミア併合から2022年2月の全面侵攻までを、特に2019年に行った精力的な取材を通じて線でつなぐ。学者と違い奥深さは少ないとしても、ジャーナリストとしての現地の声の集約などには説得力がある。 <読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/6917f178905c3dd99e6295d6f0b01e0a/">ウクライナ侵攻までの3000日</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻10の焦点】webp画像につき開示できず 朝日新聞取材班(著) 、朝日新聞出版 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりロシアのウクライナ侵攻は、全世界に衝撃をもって受け止められた。侵攻から1年の間に、現地では何が起きていたのか。ウクライナ入りした記者たちのルポを中心に、10の角度から戦争を浮き彫りにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17394527/">ウクライナ侵攻10の焦点</a></td></tr></tbody></table>
2026.04.09
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常日頃、ネパール人が作るインドカレーを愛顧しているのだが・・・ここで一歩踏み込んで香辛料貿易が載っている『「香辛料貿易」をめぐる戦い』という本を、再度読み直してみようと思うのです♪*********************************************************<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/ffabefe1f0ec1490b1461983c5dfd6c926211ddb.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" /> 「香辛料貿易」をめぐる戦いが、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスなどの間で繰り広げられたが、その経済的背景には、香辛料貿易が運送が容易な割に利益が大きいという事情があったのです。・・・そのあたりの状況について、ネットを覗いてみました。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50"><a href="https://www.y-history.net/appendix/wh07-023.html#wh1002-002">ハイパー世界史用語集「香辛料」</a>より インド、東南アジアが産地の、西欧の食生活で不可欠とされた産物。インド洋交易圏・東方貿易の主要な交易品であり、特に大航海時代以降の香辛料貿易は活発に行われた。 広い意味で香料ということもあるが、厳密には香辛料(スパイス)は口に入れて刺激を味わうもので、胡椒・丁字・肉桂(シナモン)・ナツメグ(肉ずく)・カルダモン・ジンジャーなどがある。それに対して狭い意味の香料は、香りを楽しむもので、乳香や白檀などであるが、これも東南アジアの特産であった。 これら香辛料類は育成に気候の適したインド、東南アジアの特産のものであったのでインド洋交易圏の主要な交易品であったことが『エリュトゥラー海案内記』などからもうかがえる。さらにムスリム商人によって紅海を経て地中海に運ばれ、レヴァント貿易(東方貿易)で主としてヴェネツィアの商人によってヨーロッパにもたらされ、肉食文化の中で需要が高まり、高額で取引された。一方、香辛料は南シナ海を経て中国にも運ばれていた。 15世紀に入り、オスマン帝国の地中海への進出によってレヴァント貿易が困難になると、香辛料を求めて直接アジアに進出しようとしたポルトガルによってアフリカ南端を廻るインド航路が開発され、ヨーロッパとの間の直接的な香辛料貿易が始まった。つづいてスペインやオランダ、フランス、イギリスなどが香辛料貿易に乗り出し、香辛料はさらに重要な交易品となった。 しかし、インドにおいてはイギリスの覇権が確立する過程で、イギリス東インド会社の扱うインドからの輸出は綿花や茶が主力となっていき、香辛料貿易はインドネシアに進出し、オランダ領東インドを植民地支配したオランダが主導権を握ることとなる。■香辛料の種類と産地 注意しなければならないのは、香辛料と言ってもその種類が多く、また種類ごとに産地が違うと言うことである。またその多くは現在でも産地の風土が限定されるためか、特定の土地に限られることが多い。胡椒は最も広く見られ、インドのマラバール海岸(カリカット、コチンなど)、東南アジアのスマトラ島などが有名であった。肉桂(シナモン)はセイロン島(スリランカ)の特産であった。丁字(クローブ)はモルッカ諸島のテルナテ、ティドーレなど5つの島でしか産出しなかった。肉ズク(ナツメグ)はモルッカ諸島の南のバンダ諸島でしか産出しなかった。 特に丁字・肉ずくの特産は香料諸島と言われ、16~17世紀にはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスが激しくその利権を巡って争うことになる。■香辛料の需要 ヨーロッパでは12世紀頃から、牧草の枯れる冬の前に家畜を屠殺して保存し、食料とする肉食が一般化したが、塩漬けにされた肉を食べるには、胡椒などの香辛料でにおいを消さなければならなかったため、その需要が急速にのびた。つまり、肉の味付けと保存のために胡椒などの香辛料が必要であったので、特に上流社会で次第に多量に用いられるようになった。そしてこの香辛料貿易は、運送が容易な割に利益が大きかったので、貿易商人達は競ってその輸入を行った。</TD></TR></TABLE>「香辛料貿易」をめぐる戦いとしては、以下の本が興味深いのです。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202011110000/">『カレーの世界史』1</a><a href="http://02219715.at.webry.info/201711/article_34.html">『東インド会社とアジアの海賊』4</a>:オランダ東インド会社の登場<a href="https://02219715.at.webry.info/202003/article_14.html">『スパイス戦争』3</a>:日本人海賊の登場運送が容易な割に利益が大きいと言えば、イギリス―清国間のアヘン貿易が酷かったようです。*********************************************************■2021.02.26 「香辛料貿易」をめぐる戦い https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202102260002/
2026.04.06
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宮崎駿編、金原端人訳の『ブラッカムの爆撃機』という本がええわけで・・・・以下の通り復刻して読み直してみようと思ったのです♪*********************************************************図書館に予約していた『ブラッカムの爆撃機』という本を、図書館に借出し予約してほぼ4日後にゲットしたのです。この本には、冒頭と巻末に宮崎駿の漫画を載せているサービス満点の試みがええわけで・・・また、訳者の金原端人さんが、当時の英軍パイロットの皮肉たっぷりの雰囲気を伝えています。【ブラッカムの爆撃機】ロバート・ウェストール著、岩波書店、2006年刊<「BOOK」データベース>よりイギリスの作家ロバート・ウェストールの作品集。大戦下の少年たちの友情と恐怖を描く「ブラッカムの爆撃機」の他、「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の2編に、リンディ・マッキネルによる「ロバート・ウェストールの生涯」と宮崎駿のカラー書き下ろし「タインマスへの旅」を収録。<大使寸評>この本には、冒頭と巻末に宮崎駿の漫画を載せているサービス満点の試みがええわけで・・・また、訳者の金原端人さんが、当時の英軍パイロットの皮肉たっぷりの雰囲気を伝えています。<図書館予約:(6/27予約、7/01受取)>amazonブラッカムの爆撃機この本で著者ロバート・ウェストールの生涯を、見てみましょう。p212~214<ロバート・ウェストールの生涯> ロバート・アトキンソン・ウェストールは、1929年10月7日、イングランド北東部のノーサンバーランド州ノースシールズの、ヴィカレッジ通り7番に生れた。父親もロバートという名前で、近くのガス工場で整備工として働き、職長をしていた。母親のマギーは、生地店で働いていたが、1926年に結婚して退職した。 息子のボブ(ロバートはいつもそう呼ばれていた)はひとりっ子で、家族の愛情を一身に受けて育った。父のロバートもひとりっ子だった。ボブは父方の祖母が大好きで、「ナナ」と呼んで慕った。ナナと祖父は近くに住んでいて、幼少時代のボブに大きな影響を与えた。母方の祖母は未亡人だった。祖父のジョージ・レゲットは、ボブが生まれる3年前になくなっていたが、もとはイングランド東部、ノーフォーク州の羽振りのいい建築業者だった。(中略) ボブが三歳のとき、一家は郊外のボークウェル・グリーン地区に引っ越した。そこは当時、ノースシールズの中でも、緑豊かな野原にかこまれた地域だった。ボブは五歳になると地元のコリンウッド幼児学校に入学し、八歳でチャートン小学校に進んだ。が、このときすでに、同級生よりもかなり優秀な生徒だった。すでに字が読めたのだ。これは偶然の産物だった。 ボブは四歳の頃、父親の膝に抱かれて本を読み聞かせてもらっていた。ボブの父は十二歳まで初等教育を受けたきりで、読みながら指で文字をたどる癖があった。ある日、父が気づくと、ボブはひとりでもっと先を読んでいたので、妻とともに奇蹟でも起こったかのように驚いたという。 ボブは神童のようにもてはやされ、自信を持つようになった。父はまた絵も教えてくれて、ボブは息をするように自然に絵を描けるようになった。授業でも、ボブは真っ先に与えられた課題を終わらせるので、よく、することがなくなってしまった。そのため教師から、「自分で何かみつけてやっていなさい」といわれるようになり、本人いわく「ちび学者」になった。どんな本でも手あたりしだいに読んで、知識を吸収したのだ。 1939年、ボブが十歳になる直前に第二次世界大戦が勃発し、タインサイドはドイツ軍による空襲の標的となった。ボブは戦争に夢中になり、ラジオから流れる戦況のニュースに熱心に耳を傾けた。この時代は大体において、少年にとっては胸おどる時代だったようだ。ウェストール一家も他の家族と同じようにアンダーソン式防空壕を手に入れ、裏庭に組み立てた。この防空壕の中で、昼も夜も、夏も冬も、多くの時間を過ごした。 ボブの父は、昼間のガス工場での仕事に加えて、夜は防空監視員として活躍した。ボブは自転車に乗るようになり、じきに隣町のタインマスの地理にくわしくなった。タインマスは海辺の保養地で、歴史的な建物や史跡がたくさんある。この頃何度も訪れた城跡、修道院の廃墟、コリンウッド提督の記念碑、タインマス有志海難救助隊監視所などが、のちの彼の小説に登場することになる。 1941年9月、十一歳で、ボブは奨学金をもらってタインマス・ハイスクールに進学した。この学校のことを彼はのちに、「天の王国」のようだったと書いている。ボブは水を得た魚のように活躍した。この頃には背ものびてがっしりした体つきになり、ラグビーやテニスも楽しんだ。この学校で出会ったふたりの教師にボブは後々までずっと深い恩義を感じていたが、そのひとりをモデルにした人物が、彼の処女作『“機関銃要塞”の少年たち(原題The Machine-Gunners)』に登場している『ブラッカムの爆撃機』1https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202007090000/上記図に宮崎さんが訳文をつけています。【無線士ゲアリーの乗るG号機】 ドイツ上空時速200km(新幹線よりおそい) イギリス、ヴィカース社製、正式名ウェリントン中型爆撃機 1936年(昭和11年)初飛行、ゲアリー達の乗るⅢ型は最高速度408km/hとあるが、爆弾を積み、フル装備では200km/hが実用的な速度だと思う。 総生産機数11,461機(日本の零戦より多い!) 小説の1943年中頃には、旧型機としてドイツ爆撃からはずされようとしていた。クレフェルトの爆撃行約700機の内、ウィンピーは、もう1割位だったらしい。史実では、この作戦で9機のウィンピーが失われている。おそろしい損失率。
2026.04.02
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図書館で『プラナカン』という本を、手にしたのです。聞き慣れない『プラナカン』ということばが気になるので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【プラナカン】webp画像につき開示できず太田泰彦 著、日本経済新聞出版 、2018年刊<商品説明>よりプラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。福建や広東の華人たちは、生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。男たちはマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の妻と所帯を持った。熱帯の日差しを浴びて生まれ育った子孫が、やがて中国でもマレーでもない、万華鏡のように色鮮やかな独自の文化を開花させていった。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を誇ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。19世紀には英国の東インド会社と手を組み、香辛料貿易、スズ鉱山、ゴム栽培で商才を奮った。あるいはアヘン取引、奴隷貿易によって無尽蔵の財をなした。富を現代に継ぐ末裔は、自らの歴史を封印したまま多くを語らない。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b/?variantId=b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b">プラナカン</a></td></tr></tbody></table>「第3章 日本が破壊したもの・支えたもの」から興味深いあたりを見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P103~107<font color="brown"><英国と中国に協力した「罪」の代償></font> 最終的には6月25日に、5000万ドルの小切手を日本軍に上納する儀式が開かれた。その相手とは、当時の日本の新聞が「マレーの虎」と呼んだ人物。第25軍司令官、山下奉文中将である。 借入金を含めた5000万ドルの小切手が、リン・ブンケンから手渡された。プラナカンたちの血と汗の結晶が、山下の手に渡った瞬間だった。横浜正金銀行の小切手の現物が残っている。漢字で「林文慶」と書いたリン・ブンケンの署名が見える。 式の会場に山下が粗有れるまで、リン・ブンケンらは1時間以上、起立したまま待たされたという。山下は小切手を受け取った後、日本の対英米戦争の意義や日本人の道徳、美徳などについて1時間近く演説したという。 要求を突きつけてから実際の献金に至るまで、日本軍がシンガポールを陥落させてから約3ヵ月しかたっていない。なぜ、これほど急いだのだろう。 献金は第25軍の独断で実行されたようだ。計画の報告を受けた日本本土の陸軍省は、 <font color="brown"><ソチン虐殺事件></font> 日本による占領時代に、プラナカンの歴史は大きく道筋を変えました。その一つの大きな原因が、いまお話ししたように多くのプラナカン家庭の財産が失われたという事実です。 けれども、もう一つ失ったものがあります。プラナカンの人命です。私たちが「ソチンの悲劇」と呼ぶ事件のことをお話ししましょう。ソチン(Sook Ching)は中国語で「粛清」という意味です。そう、日本軍が多くの華人を粛清し、殺害した「ソチン虐殺事件」です。その史実を日本の学校ではあまり教えないようですが・・・。 日本軍はシンガポールに侵略前から「ソチン作戦」の実行計画を練っていたようです。侵攻後の素早い動きからみて、そう考えざるを得ません。1942年2月15日に日本軍がシンガポールを占領すると、彼らは直ちに「好ましくない華人」を見つけ出し、そして殺しました。 その「好ましくない華人」とは誰だったのか。日本軍は「プラナカン」とはいっていません。 しかし、多くのプラナカンが、自動的にこの分類に入りました。日本軍が捕獲と殺害の対象に指定したのは、特に中国の国民政府を資金的に支援していた人々だったからです。(中略)「粛清」は2月末から3月初めにかけて約2週間、続きました。18歳から50歳のすべての華人の男性は、島内のいくつかの登録所に出頭を命じられました。男性だけが対象です。彼らが「好ましい華人」かどうかを日本の軍人がその場で判断し、トラックで運び去りました。何が起きたのか・・・。埋められた大量の死体が後に発見されました。 南京大虐殺のシンガポール版という人もいます。被害者の人数は日本の見解では5000人だと聞いていますが、シンガポールとオーストラリアの歴史家は2万5000人~5万人と推定しています。</td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603290001/">『プラナカン』1</a>
2026.04.01
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図書館で『つげ義春幻想紀行』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画のシーンと旅先の写真が並べてあり興味深いのです。【つげ義春幻想紀行】権藤晋著、立風書房、1998年刊<「BOOK」データベース>よりつげ義春作品と写真で解き明かす。「つげ式」旅術の書。【目次】1 「二岐渓谷」之章/2 「もっきり屋の少女」之章/3 「海辺の叙景」之章/4 「初茸がり」「紅い花」「西部田村事件」之章/5 「ゲンセンカン主人」之章/6 「大場電気鍍金工業所」之章/7 「隣の女」之章/8 「チーコ」「義男の青春」之章/9 「ねじ式」之章/対談 ワラ屋根のある風景(つげ義春/権藤晋)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画のシーンと旅先の写真が並べてあり興味深いのです。rakutenつげ義春幻想紀行大場電気鍍金工業所つげさんの少年時代の情景を、見てみましょう。p95~100<「大場電気鍍金工業所」之章> つげ義春の「大場電気鍍金工業所」は『漫画ストーリー』1973年4月28日号に発表された。この作品は、きわめて私小説的な色彩が濃い。まずは、物語を要約したい。 下町のメッキ工場に勤めている少年が主人公である。工場といっても、社長が前年に肺病で他界したため、その奥さんと少年の二人が研磨の仕事を細々と続けているのが実情である。そんなつぶれかかったメッキ工場に予科練あがりの男が職を求めてやってきた。 人手が増えたのでメッキ作業を再開した方が儲かるとはわかっているのだが、奥さんが金に困ってメッキ作業の部品を売ってしまっていたために、相変わらず研磨に精を出すしかなかった。ところが、ある日とつぜん、奥さんと男の姿がなかった。近所のせんべい屋のおじさんが、二人が夜逃げしたことを少年に伝えた。少年には、深い意味がのみこめなかった。少年は要領を得ないといった面持ちで研磨の作業をたったひとりで続けるばかりだった。 ストーリー全体が、そっくりそのまま作者の体験と重なるのかどうかは、疑問がなくはないけれども、主人公の少年をつげ義春の少年時代とみなして間違いではないだろう。作者は、この作品を発表するはるか前から、エッセイや対談などで、少年時代にメッキ工場に勤務していたことを明らかにしている。 さらに私は、個人的に本人からじかにメッキ工場時代の体験談を耳にする機会を得ていた。だが、正直いって、マンガに接するまでメッキ工場時代のつげ義春の姿やメッキ工場周辺の情景がリアルにイメージできないでいた。 たしかに、私がくらしていた目黒川沿いにも中小のメッキ工場が軒を並べ、いわゆる零細工場の実体がどのていどのものか知らないではなかった。にもかかわらず、私は、この作品から小さくない衝撃をうけた。理由は作者の過去がより具体的に表象されたからではなく、東京のイメージの問題、といえばいいだろうか。それは、荒川と中川にはさまれたある特定の地区のくらしに端を発するものなのだろうか。 話は大きく横道にずれるが、私もまた、東京に生まれ、東京で育った。小学生のころから都電に乗ってあちこちに出かけるのを趣味としていた。だが、私の行きつく先は、渋谷から出る都電の終点までであった。新橋、月島、茅場町止まりである。上野や浅草には親せきがあったので年中かよったが、隅田川より東部についてはほとんど無知であった。あとは、渋谷を拠点にして新宿、恵比寿、下北沢、三軒茶屋までをテリトリーとしていた。(中略) いってみれば、浅草も新橋も神保町も田端も、我が庭のように思いこんでいた。そして、私は、私が知っている場所が東京だと錯覚していた。いや、子どものころから「江東楽天地」という一大娯楽街が隅田川の東にあるらしいと気づいてはいたが、そこが錦糸町であると知ったのは、16、7歳になってからである。まして京成立石だとか川端町などという町が東京に存在することなど想像できなかった。 ようやく本題にたどりついたが、「大場電気鍍金工業所」の舞台は、葛飾区川端町である。といっても、作品の上で特定されているわけではない。作者は、そこが東京の片隅に存在した土地であることすら記さない。したがって、作品から読みとる限りには、舞台が川崎であっても、横浜であってもいっこうにさしつかえがない。 つげ義春が、旧川端町、現在の東立石にあったメッキ工場に勤めていたことを知ったのは、そう古いことではない。前にものべたとおり、つげが12、3歳のころから学校にもかよわずにメッキ工として働いていたことを耳にしてはいたが、勤め先の場所まではわからなかった。そして「」が発表されても、なお正確な地区さえ知り得なかった。 私を含めた“つげ義春研究会”が1993年に渋谷の公園通りぎわの「アート・ワッズ」という画廊で「つげ忠男展」を開いた。このとき、私たちは、つげ義春・忠男兄弟が少年時代をおくった京成立石の周辺の現在がどのような変貌をとげているのかを知ろうと思った。そのとき、知人のK氏が葛飾の図書館から1960年初頭の立石周辺の地図をコピーしてもってきたのである。 その青焼きの地図には、可能なかぎりの個人住宅や工場名が記されていた。私たちは、さらに拡大コピーを利用し、目を皿のようにして、つぶさに工場のひとつひとつをひろっていった。そして、ついに、川端小学校の近くに「川端鍍金工業所」の文字を見つけたのである。「川端鍍金工業所」こそ、作者が少年時代に働いていたメッキ工場であった。『つげ義春幻想紀行』1
2026.03.31
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図書館で『プラナカン』という本を、手にしたのです。聞き慣れない『プラナカン』ということばが気になるので・・・チョイスした次第です。*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【プラナカン】webp画像につき開示できず太田泰彦 著、日本経済新聞出版 、2018年刊<商品説明>よりプラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。福建や広東の華人たちは、生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。男たちはマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の妻と所帯を持った。熱帯の日差しを浴びて生まれ育った子孫が、やがて中国でもマレーでもない、万華鏡のように色鮮やかな独自の文化を開花させていった。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を誇ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。19世紀には英国の東インド会社と手を組み、香辛料貿易、スズ鉱山、ゴム栽培で商才を奮った。あるいはアヘン取引、奴隷貿易によって無尽蔵の財をなした。富を現代に継ぐ末裔は、自らの歴史を封印したまま多くを語らない。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b/?variantId=b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b">プラナカン</a></td></tr></tbody></table>「プロローグ 謎に包まれた民」に謎の解明が出ているので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P10~14<font color="brown"><東南アジアへの入り口のカギ></font> プラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 マレーシア、シンガポール、インドネシア・・・。マラッカ海峡を囲む一帯に中国大陸から渡来し、古くからこの地に住むマレー民族と混ざり合いながら個性的で豪華絢爛な文化をつくり上げた人々である。 いまはそれぞれの国の中でひっそりと暮らしているけれど、そのきらびやかで神秘的な伝統と文化は異色の存在感を放ち、東南アジア諸国の社会に彩りを添えている。 東南アジアは、地図の上では一つの濃厚な「かたまり」に見える。だが、その内側では多くの民族や宗教が複雑に絡み合っている。東南アジアの政治や社会の成り立ちを、もっと深く理解しようとして、それぞれの国の中に足を踏み入れると、まるで熱帯雨林のジャングルに迷い込んだように実像が見えなくなる。誰が経済を動かしているのか。誰が支配し、誰が支配されているのか・・・。 十ヵ国から成る東南アジア諸国連合(ASEAN)は、20世紀後半からの経済発展で人々の所得が増え、いまや巨大な消費市場へと変貌を遂げつつある。6億4000万人にのぼる人口は、米国を含む北米や欧州連合(EU)の規模を上回る。 日、米、欧、中国、韓国の企業は東南アジアへの直接投資と貿易を伸ばし、経済的な繋がりを深めようとしている。海路でアジアの国々を結び、東南アジアの交通の要所である南シナ海は、米国と中国が軍事的な覇権を激しく競い合う舞台となっている。世界を見回すと、シリア情勢で揺れる中東と並んで、いま東南アジアは世界で最も熱い地域である。 入り口がないジャングルのようなこの地域一帯を、同じアジア人としてより身近に感じ、より深く理解するために、私たちはどこからアプローチすればいいだろう。その隠された入り口の鍵は、謎の民、プラナカンが握っているかもしれない。<font color="brown"><埋もれた古層></font> 19世紀末から20世紀初めを頂点とするプラナカンの興亡の歴史。そして歴史の節目に政治、経済の舞台で活躍した多彩なプラナカンたちの人間像を追うと、埋もれている東南アジア社会の古層が、少しずつ見えてくる。(中略) もともとプラナカン(Peranakan)とは、地元マレーの言葉で「その土地で生れた子」という意味である。プラナカンの男性をババ(Baba)、女性をニョニャ(Nyonya)と呼ぶ。 私はマラッカ海峡に点在するコミュニティーを訪ね、現代を生き抜く多くのババとニョニャに出会った。マレー半島にある古都マラッカ、シンガポール、ペナン島、プーケット島、バンコク、ヤンゴン、ジャカルタ、そして遠く離れたオーストラリア・・・・。彼らは横のつながりを保ちながら、アジア太平洋の各地に散らばり、さまざまな」社会的な地位や職業に就いて暮らしている。華人とマレー人が縁を結んだといっても、何世代も前の話である。顔つきや容姿だけで見れば、いまのプラナカンは、一般の華人とほとんど変わりはない。ひとくくりに「華僑」と見なされることが多い。 それでも実際に間近でプラナカンに会うと、独特の雰囲気をまとった人々であることに気づくだろう。 たたづまいが普通の華人とは違い、東洋人でありながら西洋風である。凛とした雰囲気を漂わせている。高いプライドが感じられる。それでいて、どこか影があるというか、普段でも寂しげな表情をしているように見えることがある。 プラナカンは華人の末裔ではあるが、私たちがイメージする「中国人」とは明らかに異なっている。あるプラナカンは自分のことを「進化した中国人」と呼んでいた。<font color="brown"><源流は明朝・中国南部></font> プラナカンとは何物なのか。その源流をたどると、時代が明王朝から清王朝に移りゆく15~16世紀の中国南部、福建省や広東省にたどり着く。彼らの祖先は漢民族である。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。中国南部の人々は生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。 日本の冬にあたる時期には北から南へ、夏には南から北へと、南シナ海に吹く季節風は、半年ごとに向きを変える。人や商品を運ぶ帆船は、南向きの風をとらえて東南アジアにやってきた。そして北向きの風に乗って中国大陸に戻るには、少なくとも半年は待たなければならなかった。 女性が中国から出国することが禁じられていた時代である。多くの男たちがマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の地元の女性を妻として所帯を持った。本国にもう一つの家族を残したまま、二重の暮らしをする者も多かった。 子供が生まれ、熱帯の日差しを浴びて育った。ハーフの子孫が増え、コミュニティーができた。そのコミュニティーの中でさらに婚姻関係を重ね、次第にプラナカンの人口は増えていった。そして、中国でもマレーでもない独自のハイブリッド文化が開花する。色鮮やかなプラナカン文化の誕生である。</td></tr></tbody></table>
2026.03.29
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図書館で『 宇宙はどこまで行けるか』という本を手にしたのです。この本の表紙に「ロケットエンジンの実力と未来」の表記があるが・・・まったくこのところの宇宙ベンチャー「スペースワン」の小型ロケット「カイロス」3号機の打上げ失敗の連続は、どうなっておるのだとの思いが高じてのチョイスでおました。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 宇宙はどこまで行けるか】webp画像につき開示できず 小泉宏之著 、中央公論新社 、2019年刊<商品説明>よりかつて、宇宙ロケットの打ち上げといえば、国家や国際機関が手がける一大プロジェクトだった。だが、宇宙開発の主役は大学や新興企業に替わりつつある。ロケットの超小型化・量産化が進んだことで、低コスト・高頻度の打ち上げが可能になったからだ。ロケット開発や宇宙探査は現在どこまで進んでいるのか、月や火星まで人を運ぶにはどのような技術が必要なのか、人類は太陽系を飛び出せるか 宇宙の今と未来に迫る。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/50a8576c5e3f3550b8475f016d3cb7b6/" 宇宙はどこまで行けるか></a></td></tr></tbody></table>「第3章 人工衛星から宇宙エレベーターまで」に日本の「みちびき」の挙動が載っていて興味深いので、見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p75~78<font color="brown">日本のみちびき</font> ところで、ここまでお話ししてきたGPSはアメリカ軍の所有物である。常に電波を飛ばしているだけなので、それをほかの人が使おうが使うまいがアメリカ軍には何も損はない。ただ2000年頃までは、軍事上の理由で故意に誤差データを加えられていた。そうすると、正しいデータを知っているアメリカ軍だけが適切に使えるようになる。しかし、いまやGPSは社会インフラに近いので、その運用の可否がアメリカの一存で決まることに対して危険性を感じる人たちがいる。 そこで現在、各国が独自の測位システムを構築する動きがある。EUの「ガリレオ」、ロシアの「グロナス」、中国の「北斗」、そして日本の「みちびき」だ。「みちびき」は2017年10月に4号機が打ち上げられて運用が開始された(最終的には2023年度に7機体制で運用する予定だ)。 GPSが地球全土を対象にしたシステムであるのに対し、「みちびき」は日本の経度付近に特化したシステムである。このためにGPSのような30基よりもずっと少ない数で機能し、2017年から4基体制となり、2018年後半から本格運用がはじまる。(中略) 現在、「みちびき」単体では測位システムとして完全には機能しておらず、GPSと併用して使われている。今後の予定では、2020年に古くなった1機を交換、2023年度までにもう3機を飛ばし、合計7機の「みちびき」だけで測位ができるようにする。ただし、そうなっても、GPSと一緒に使ったほうが精度は高い。そのため、「みちびき」はGPSと互換性を持つ信号フォーマットを有している。 <font color="brown">静止軌道衛星</font> 身近な存在という点ではGPSがいちばんだろうが、現在まで宇宙産業界で最大の需要を誇るのが静止衛星だ。これまで何回か出てきたが、その特性を詳しく見てみよう。 静止衛星とは、地上から見て止まっているように見える衛星だ。このためには、24時間周期、円軌道、そして赤道上空の3つの条件が求められる。まず周期はあきらかだろう。地球の自転と合わせることが必要だ。 次に「円」の理由について理解するには、軌道の特徴の1つを押さえておこう。それは衛星が地球を回る速さは、地球から離れるほど遅くなるということだ。つまり、軌道が楕円だと衛星の速さは一定ではない。すると、衛星の周期が地球の自転と一緒であっても、地表に対し「追いつ追われつ」となり、地上から見て東や西に動いてしまう。 この最初の2つの条件を満たすのは、高度3万6000キロの円軌道だ。そして、このリングは、赤道上空ぴったりになければいけない。もし傾いていたら、衛星は北半球と南半球を交互に訪れることになり、地上から見て南や北にぶれていることになる。結局、赤道上空で高度3万6000キロの円、この地球に1つしかないリング、それが静止衛星の軌道、静止軌道だ。</TD></TR></TABLE><a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/50a8576c5e3f3550b8475f016d3cb7b6/" 『 宇宙はどこまで行けるか』1></a>
2026.03.27
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*********************************************************図書館で『激動の日本列島 誕生の秘密』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、全ページにわたってカラー画像満載で・・・ええでぇ♪【激動の日本列島 誕生の秘密】Nスペ「列島誕生ジオ・ジャパン」、宝島社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりこの地球に、奇跡の大地があること。ご存知でしょうか?それは、私たちの住む日本列島です。驚くほど表情豊かな四季ー。国土の真ん中にそびえる3000m級の山々-。流氷からサンゴ礁まで驚くほど多様な四方を囲む海ー。そして、密集する110もの活火山ー。こんな場所は地球上に日本列島しかありません。知られざる大地の物語を紐解き、奇跡の列島誕生の秘密に迫ります。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、全ページにわたってカラー画像満載で・・・ええでぇ♪rakuten激動の日本列島 誕生の秘密古座川の一枚岩「第3章」で紀伊半島で起きた超巨大カルデラ噴火を・・・見てみましょう。p67~76<第3章「世界最大規模のカルデラ噴火」>■熊野地方に半円状に広がる巨石群 古座川の一枚岩は、和歌山県古座川町の古座川河岸にある、高さ約150m、幅約500mの巨岩である。地上に現れている一枚岩としては、日本最大の大きさだ。この一枚岩ができたのは、日本列島が島国となった直後、約1400万年前のことである。那智の滝、熊野信仰発祥の地と信じられている神倉山の御神体ゴトビキ岩をはじめ、熊野地方にはこのような巨石が至るところに点在しており、古くから信仰の対象となってきた。 そして、これらの巨石がある場所を地図に書き込むと、ほぼ半円状に並んでいることがわかっている。■紀伊半島の地下には謎の巨大な岩が存在する またこの巨石のそばには、湯の峰温泉、川湯温泉など、30ヵ所近くもの温泉が分布している。しかもこれらの温泉は、どれも高温である。 多少温泉の知識にくわしい方であれば、ここでひとつの疑問が浮かぶだろう。ふつう温泉は火山の近くにあり、火山のマグマによって地下水が暖められたものであるはずだ。しかし、紀伊半島には活火山は存在していない。 その謎の答えは、古座川の一枚岩にあった。一枚岩の成分を分析した結果、巨大な火成岩であることがわかったのだ。しかも、一枚岩の周辺には、20㎞にわたって火成岩が延々と続いていることが明らかになった。火成岩は、マグマが地上に噴き出す寸前に地下で固まったガラス質の火山岩の一種だ。 一方、地震波や電気抵抗による調査によって、紀伊半島の地下には中央部から南部にかけて、周囲より熱い巨大な岩が存在することがわかっている。地質学者である電力中央研究所の三浦大助上席研究員のらの調査によると、その岩は、紀伊半島の地下1~20㎞付近にあり、神奈川県ほどの大きさもある巨岩だという。 そしてこの地下の巨岩は、地下深くのマグマが固まってできた花崗岩であることがわかっている。火山がなくても紀伊半島に高温の温泉が湧くのは、この巨岩による熱のためだったのだ。■1400万年前、紀伊半島で超巨大噴火が起こった! 紀伊半島南東部には、先述したような「1400万年前にできた巨大なガラス質の火砕岩・一枚岩があること」「火砕岩がリング状に存在していること」「地下に巨大な花崗岩があること」などから、三浦氏らは、かつて紀伊半島でとてつもない大噴火が起こったと結論づけた。 それは、1400万年前に起きた地球でも最大規模のカルデラ噴火だ。カルデラ噴火とは、地価の膨大なマグマが、大地の陥没をともなって一気に噴き出す巨大な噴火である。 ■巨石が並ぶ半円形は巨大カルデラ噴火の火口 紀伊半島で起きたという超巨大カルデラ噴火を振り返ってみよう。 1400万年前、日本列島にはほとんどヤマハなく、湿地が広がり、ゾウやワニの祖先が暮らしていた。 超巨大カルデラ噴火が始まると、地下に溜まっていたマグマが、南北40㎞、東西23㎞にわたる半円形の裂け目の噴火口から一気に噴出し、内部の大地は大きく陥没した。そして周囲には大量の火山灰が降り積もり、カルデラ噴火の裂け目に残ったマグマは、固まって硬い岩となった。(中略) この超巨大噴火では、噴火のあとも膨大なマグマが地下に残っていた。その一部が冷えて固まったものが、紀伊半島の中央部から南部にかけて地下に存在する、巨大な花崗岩の塊なのである。■花崗岩の浮力によって西日本の高山が誕生した 地質学者の三浦氏らの研究チームが明らかにした、紀伊半島の地下にある巨大な花崗岩の存在。その花崗岩がさらに、日本列島を山国に変える、思わぬ出来事を引き起こしていた。 じつは花崗岩は、地球内部・地殻をつくる岩石より密度が低い。つまり、まわりの岩石より軽いので、長い時間をかけて浮き上がり、少しずつ大地をもち上げていくことになる。 最初、地下深くにあった花崗岩は、1千数百万年かけて10㎞以上も上へと浮かび上がり、持ち上げられた大地によって今日のような高い山々がつくりだされたのである。『激動の日本列島 誕生の秘密』3:大地の移動『激動の日本列島 誕生の秘密』2:大陸からの分離『激動の日本列島 誕生の秘密』1:まえがき
2026.03.26
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退職前には頻繁に韓国に出張したが、韓国料理が食べられるという恩恵があったわけで・・・その辺りを以下の通り復刻して紹介します♪*********************************************************度重なる出張で韓国に行って以来、デジクッパ、ソルロンタン、キムチチゲなどの汁ものに病み付きなったわけで・・・以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館で黒田勝弘著『韓国を食べる』という本を手にしたのです。とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。この本はなんか見たことがあるのだが、まぁいいかと借りたのです。帰って調べると、借りるのは二度目であることが判明しました、で、(その5)としています。 【韓国を食べる】黒田勝弘著、光文社、2001年刊<「MARC」データベース>より韓国人は「耳」で食べる? 在韓20年におよぶ著者が、自らの実体験をもとに韓国の食文化に迫る、驚きの韓国・食紀行。食べれば日本人の知らなかった韓国人のメンタリティがわかる。<読む前の大使寸評>とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。amazon韓国を食べる8章「韓国人は魚に弱い」で、「ソガリ」料理を見てみましょう。 p82~85<金日成が好んだソガリとは>より さて、金日成さまといえば、忘れられない淡水魚がある。朝鮮半島の固有の淡水魚である「ソガリ」の話である。 「ソガリ」とは魚類事典によると「コウライケツギョ」とある。茶色あるいは褐色がかった魚体に豹のようなまだら模様の斑点がある。スズキ科というから形はスズキに似ている。精悍な感じがある。ぼくは韓国の淡水魚ではいちばん好きである。男性的な美形といおうか。いつも「食べるのは惜しいなあ」といいながら食べている。 で、なぜ金日成首領さまかというと、1990年だったか、日本の金丸訪朝団が北朝鮮を訪れた折、歓迎の晩餐会でこの「ソガリ」の刺し身が出され、首領さまが自分の大好物とおっしゃったのだ。 この話が韓国に伝わり話題になった。韓国では「ソガリ」というともっぱら「メウンタン」だったが、「北では金日成が刺し身で食ってる!」というのだ。そして、さっそく「なぜだ?」となった。 北朝鮮では当時、金日成首領さまについては国営の「長寿研究所」まであって、国が総力を挙げて健康と長寿に気を使っていた。また70代で子供までもうけているという情報まであった。その風貌や立ち居振る舞いはいかにも精力的に見えた。 金日成氏は韓国民にとっては朝鮮戦争の元凶だから当然、最大のマイナス・イメージで「悪の独裁者」になっていたのだが、それだけに一目置かざるをえない存在でもあった。だからいつも気になる存在だった。 これは韓国民に「金日成コンプレックス」をもたらしているというのがぼくの見立てなのだが、それはともかく、その金日成氏が「ソガリの刺し身」を大好物にしていたとあって「あのパワーはソガリの刺し身のせいだったか!」となったのだ。 とたんに韓国で「ソガリ」の値段が上がってしまった。韓国人は「精がつく」というと何でも飛びつく。ソウル近くでは、臨津江のほか江原道の春川市付近を流れる昭陽江あたりが名産地で「ソガリ」を食わせる店が多く、価格急騰が伝えられた。 「ソガリの刺し身」だけでなく「ソガリ・メウンタン」も含め、金日成首領さまの精力の素として急に人気が出たのだ。もともと、そんなにたくさん獲れる魚ではない。乱獲で激減しているという声もあり、一部では天然記念物として保護すべきとの意見さえある。以来、「ソガリ」の値段は上がったままだ。 「ソガリ」は普通、体長は20~30センチで、身は白身で引き締まっており、味は淡白にしてかすかに甘みがある。刺し身は舌ざわりがよく、「メウンタン」で鍋にして頭の肉をつつくとその白身が実にうまい。 しかしぼくは先の「金日成情報」より以前に韓国の田舎で「ソガリの刺し身」を食べている。したがってことさら驚かなかったのだが、ぼくは最初の「ソガリ」体験はそんなに感動的なものではなかった。 ソウルの南東に位置する忠清北道の忠州だったと記憶する。忠州ダムのほとりの食堂で食ったのだが、出てきた「ソガリの刺し身」を見て驚いた。身がいわゆる刺し身風にスライスされているのではなく、いわばアジのたたき風にきざんであるのだ。 しかもこれをコチュジャン(トウガラシ味噌)か粗塩入りのゴマ油を付け、チシャやゴマの葉などでニンニクとともに包んで食べるのだった。白身なのに惜しい、と思った。田舎とて、いかにも伝統的な刺し身の食べ方だった。醤油を出させてワサビでも食ったが、全体にどうも印象がよくなかった。慰労の飲み会で食べたヤツがソガリかと思われるので、調べてみます。『韓国を食べる』1:フグ鍋p174~176『韓国を食べる』2:韓国豆腐の懐かしさp117~120『韓国を食べる』3:ソルロンタンp37~40『韓国を食べる』4:カムジャタンp208~211『韓国を食べる』5:ソガリ料理p82~85*********************************************************■2025.01.19『韓国を食べる』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202501190000/
2026.03.24
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図書館で『 宇宙はどこまで行けるか』という本を手にしたのです。この本の表紙に「ロケットエンジンの実力と未来」の表記があるが・・・まったくこのところの宇宙ベンチャー「スペースワン」の小型ロケット「カイロス」3号機の打上げ失敗の連続は、どうなっておるのだとの思いが高じてのチョイスでおました。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 宇宙はどこまで行けるか】webp画像につき開示できず 小泉宏之著 、中央公論新社 、2019年刊<商品説明>よりかつて、宇宙ロケットの打ち上げといえば、国家や国際機関が手がける一大プロジェクトだった。だが、宇宙開発の主役は大学や新興企業に替わりつつある。ロケットの超小型化・量産化が進んだことで、低コスト・高頻度の打ち上げが可能になったからだ。ロケット開発や宇宙探査は現在どこまで進んでいるのか、月や火星まで人を運ぶにはどのような技術が必要なのか、人類は太陽系を飛び出せるか 宇宙の今と未来に迫る。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/50a8576c5e3f3550b8475f016d3cb7b6/" 宇宙はどこまで行けるか></a></td></tr></tbody></table>「第1章 近くて遠い宇宙」の冒頭の「Ⅰ 1年間で20本のロケットを打ち上げる会社」が興味深いので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p1~5<font color="brown">スペースⅩの衝撃</font>近年、国の威信をかけて飛ばしていたロケット、その肝であるロケットエンジンのトレンドが変わりつつある。かつては、高度な技術を要する性能の高いタイプのロケットエンジンを使い、扱いは厄介だが燃費の良い液体水素を使うという、馬力および燃費ともにもっとも優れたロケットを開発するのがトレンドだった。性能が最優先で、製造コスト・信頼性の問題は技術進展によって解決できるだろうという思想だったのである。ところが、いまは既存の成熟した技術の有効利用がトレンドになっている。さらに、ロケットエンジンそのものの買い取りやライセンス製造、技術的に確立されたものを束ねての仕様など、高性能だけを求めるのではなく、産業としての持続可能性、すなわちコストと信頼性を重視するのだ。ほかにも、新規技術の導入には低コストの小型ロケットを活用することで、開発リスクを最小限に抑えることもある。 そうして、失敗を含めた多くの実績および経験を積むことができれば、技術の発展および成熟にもつながる。国の威信をかけた一点突破開発の時代時代から、トライ&エラーによる開発の時代へ移っているとも言える。 こうした流れの中で、もっとも注目を集めているのが、アメリカのアメリカの民間ロケット打ち上げ企業スペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ、通称「スペースⅩ」だ。 オンライン決済サービスを提供するIT企業、ペイパルの創始者イーロン・マスクにより設立された同社は、ロッキードやボーイングというこれまでのロケット打ち上げ企業とはコスト意識がまったく違う。打ち上げ数を稼がなければコストが削減できないことも考え、本業のITの感覚で宇宙産業に乗り込んで存在感を増している。 同社のサイトにはロケットの値段が掲載されていて、誰でも見ることができる(図)。通常、ロケットの値段を定価で明記することはない。日本のH2Aロケットを開発している三菱重工のサイトにも「H2Aは1本、100億円」などとは掲載されていない。ロケットの値段は時価なのだ。 同社のロケット「ファルコン9」の1本の値段は6200万ドルで、おおよそ62億円だ。国産H2Aロケットの輸送能力はその約半分であり、値段は約100億円と言われているので、同社のロケットはとんでもなくコスパが高いことがわかる。 この低コスト化は、ロケット増産態勢と関係がある。実際、2010年のファルコン9の初打上げから2018年7月22日までに58機を打ち上げている(射場で爆発したものを入れると59機)。 日本のH2Aロケットは2001年のデビューから2018年6月12日までに39機のペースなので、どれだけ多いかわかるだろう。その後もファルコン9の打上げペースは上がり続けており、2017年には年間18本の打上げ、2018年には20本を超える勢いだ。 ファルコン9では、ロケット1本あたり10機ものエンジンを使う。地上用に9基のエンジンが束ねられ、宇宙で使うために1基のエンジンをもつのだ(図)。つまり、2017年で言えば、1年間で180機のロケットエンジンの試験をしたのと同じことになる。ほかの会社、研究機関に比べて相当な数だ。 日本のH2Aロケットも、打上げ数を着実に増やしており、総数で見ればスペースⅩと同程度である。しかも、打上げの成功率を見れば、ファルコン9は54機中51.5機の成功(部分的失敗を0.5木成功と数えた)の95.3パーセントに対して、H2Aロケットは通算39機中38機成功の97.4パーセントと、その成功率は目を見張るものがある。 決して日本の技術力が劣っているわけではない。スペースⅩはとにかく打上げ頻度が圧倒的に高く、技術開発を進めるスピードが速いのだ。</TD></TR></TABLE>アメリカのスペースⅩの最新情報が<a href="https://sorae.info/ssn/20260318-starlink-10000.html" 軌道上のスターリンク衛星が1万機を超える 初打ち上げから約7年></a>で見られます♪
2026.03.22
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?天気予報で彼岸、春分と報じているので気づいたが、もっとも寒い3月ではないか・・・『日本のならわしとしきたり』という蔵書を開いて、二十四節季を読み直してみようではないか♪</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">【日本のならわしとしきたり】<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/666097396b2a37076607083f6fd0785d92fc4a89.26.2.9.2.jpeg" alt="しきたり" border="0">ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9-Town-Mook/dp/4197103212">日本のならわしとしきたり</a></TD></TR></TABLE><img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/be240a353a6ea9e5a4a86e0b6311c37b12c57c34.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />この本で、春分のあたりを見てみましょう。<TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">和暦p10<font color="brown"><春分></font><font color="brown">五穀豊穣への祈りと祖霊への感謝を捧げる節目の節季</font> 春分は、現行暦では3月21日ころから始まる15日間の節である。春分に入る当日が「春分の日」となり、国民の祝日になっている。 ちなみに春分の日は、1878年(明治11)に制定された「春季皇霊祭」を前身として生まれた祝日で、1948年(昭和23)に交付・施行されている。 前身時代も含めて春分の日の趣旨は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」であり、旧暦で暮らす時代の人々は、「自然に感謝し春を祝福する日」と捉えていたようだ。この日は、仏教行事として「春季彼岸会」が行われており、その影響からか、多くの人が「先祖のお墓参り」に出かける。 春分の日は、太陽が真東から昇り真西に沈むため、しばしば「昼と夜の長さが同じになる日」と言われているが、実際には昼のほうが長い。また「夜の長さが一番長い日」と言われている冬至も、実際は冬至の当日ではない。冬至から4分の1年(91.31日)後が春分の日になる。 春分の日から夏至までは、昼が少しずつ長くなる。二十四節季では、春分の日の3日前から数えて7日間を「彼岸」とし、春分の日を「彼岸の中日」としている。この時期の七十二候は、次のようになる。 初候「雀始巣(すずめ、はじめて、すくう)」 次候「櫻始開(さくら、はじめて、ひらく)」 末候「雷乃発声(かみなり、すなわち、こえをはっす)」</TD></TR></TABLE>また、当節は寒気も緩んで、 『朧月夜』 という唱歌が歌うとおりとなってきましたね。<TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">『朧月夜』 1番菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端(は)、霞ふかし。春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し。2番里わの火影(ほかげ)も、森の色も、田中の小路をたどる人も、蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、さながら霞める 朧月夜。1914年(大正3年)『尋常小学唱歌 第六学年用』に初出。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202202030000/">二十四節季の立春に注目(復刻)</a>
2026.03.19
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図書館に予約していた『ヒップホップ・モンゴリア』という本を待つこと10日ほどでゲットしたのです。人類学ドキュメント(韻がつむぐ人類学)と銘打ったこの本が興味深いので、チョイスした次第です。*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ヒップホップ・モンゴリア】webp画像につき開示できず島村一平著、青土社、2021年刊<商品説明>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/">ヒップホップ・モンゴリア</a></td></tr></tbody></table>「第1章 創世記」にモンゴルのラッパーの面白さが表れているので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P79~81<font color="brown"><ユーロダンス系のラッパー></font> このような欧米の音楽の流入呼応する形で、モンゴルにおいてもロック・バンドが結成されるようになった。1989年には、モンゴル最初のハードロック・バンド「ハランガ」が結成された。モンゴルで最初のラップをしたのは、1992年に結成されたラップヂュオ、ハル・サルナイ(英語名Black Rose)である。シンセサイザーの射ち込みによるユーロダンス系の音楽に合わせて激しく踊りながら、「創り滅す」という曲では「俺たちはすべてを創る/すべてを滅ぼす」と絶叫するようにラップする。ファッションはナチスのssのような軍服にサングラス。空手の四股立ちのようなポーズ。殴ったり蹴ったりといった喧嘩のパントマイムのようなダンス。 曲もダンスも明らかにヒップホップではなかったが、1995年当時のモンゴルの少年少女たちは、この“新しいスタイル”に飛びついた。彼らは自らの音楽をレップ(Rep)と呼んだ。だが、やがてヒップホップの時代がやってくると、彼らの音楽はヒップホップではなくて「テクノ・ラップ」と呼ばれるようになる。 またダンスグループから発展して1992年にラップをするようになったハル・タス(英語名Black Èagle)というグループもあった。彼らの音楽はテクノ系ではなくてヒップホップだったが「曇り空」というヒット曲を一曲出して姿を消した。ハル・サルナイ、ハル・タスに共通しているのは、二組とも社会主義時代の党エリート、すなわち「上流階級」の子女だったことだ。ハルサルナイのリーダー、アムラーは、社会主義時代の民族舞踏の一大権威である舞踏家S・スフバートルの息子であったし、ハル・タスのリーダー、マルカも父親が著名な作曲家だった。彼らは社会主義時代の親のコネクションがあったからこそ、テレビやラジオに取り上げられやすかった。 一方、MCITエンフタイワンやBIG Geeのようなゲル地区出身の本格的なラッパーたちが活躍し始めるのは、それよりだいぶ後のことだ。<font color=”brown”><ディスコ、クラブとDJの誕生></font> ところでヒップホップの「現場」といえば、ストリートとクラブだろう。本来、ストリート性の強い音楽であるヒップホップにこの二つの空間は欠かせない。特にストリートでは、円状に人が自由に集まってラップやブレイクダンスの技能を競う。サイファーである。 ところがモンゴルは、サイファーのようなストリート文化が発達してこなかった。夏を過ぎると夜は氷点下、真冬はマイナス30度以下になり街路は凍結する。アパートの共用玄関「オルツ」は、ストリートに比べれば暖かいが、ダンスやラップのバトルをするには狭すぎる。 となるとモンゴルにおけるロックやヒップホップの現場は、ストリートではなく空間的に閉鎖された建物にならざるを得なかった。ディスコあるいは最近ではクラブ(モンゴル語ではロシア語風にクルーブと発音する)と呼ばれる場所である。 ちなみに寒冷地という気候は、後に2010年代、スマホを使ったウェブ上のフリースタイル・バトルという文化を生み出した。ちなみに90年代当時のモンゴルでは、ディスコとクラブというものの違いはほとんど認識されていなかった。 モンゴルの初期のディスコは、社会主義末期、社会が混乱する中、機能しなくなった社会主義の諸施設(例えばビスタフカ(国際見本市会館)やヤラルト映画館)のホールにオーディオ・コンポを持ってきて音楽をかけて、踊りはじめたというのが始まりである。特にビスタフカには数千人が集まって踊るほど賑わっていたという。</td></tr></tbody></table>
2026.03.18
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/29c05c8423994732723758730e829579c1779831.26.2.9.2.jpeg" alt="内田" border="0">最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、西加奈子さんは♪で区別します。今回表示分は*) *「資本主義末期の国民国家のかたち」*日本にとって「最悪の事態」・「環球時報」からの質問への答え・橋本治『「わからない」という方法』の韓国語版解説 ・移民問題の本質・遠ざかる戦争の記憶・「内田樹論第三部」 のためのまえがき・ 勝ちに居着く・ 敗戦から80年・ 日本の現状と危機について ・沈む祖国を救うには・『知性について(仮題)』まえがき・これだけは確かなもの・兵庫県知事選とメディアの役割・自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」・「パンとサーカス」解説・共感ベース社会の陥穽・死ぬってどういうことですか?・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他 ・安倍政治を総括する(目次全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/6056/">ここ</a>)(その83):『 資本主義末期の国民国家のかたち 』を追記<hr size=3 color=green> 内田先生が、日中関係の危うさを説いております。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">2026-02-27 <a href="http://blog.tatsuru.com/2026/02/27_0703.html"> 『資本主義末期の国民国家のかたち』 </a>より 平成、令和と二代「明君」が続いた。彼らが国際社会に向けて、日本国の道義性と文化的なクオリティを担保していることに異論のある人はいないだろう。そして、天皇は独裁者になる気がない。日本を独裁制にするためには、21世紀の「昭和維新」を企て、天皇を宮城の奥に閉じ込めて外部との連絡を断ち、「帷幄上奏権」を独占する軍人たちが「天皇の代弁者」として君臨するという胡散臭いシステムを採用するしかない。だが、あまりに既視感の強いこの独裁制モデルを「民主主義のオルタナティブ」として差し出しても拍手はまばらだろう。天皇を廃位して、独裁者が「新皇」の称号を名乗るという「平将門モデル」はさらに人気がないと思う。 そう考えると、日本では「民主主義のオルタナティブ」を構想することを天皇制の存在が阻んでいるということが分かる。日本の民主主義を守護しているのは天皇制なのである。 事実、戦後80年間、日本国憲法の下で、太古的起源を持つ天皇制と近代的な立憲デモクラシーは葛藤しつつも共存してきた。2016年の「おことば」は、天皇の「象徴的行為」とは何かについての踏み込んだ憲法解釈を天皇陛下ご自身がなされたという点で画期的なものだったと思う。 その「おことば」の中で陛下は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という憲法第一条が具体的には何を意味するかについて、新しい解釈を下した。それは「かつての戦地に赴き、そこで死んだ人々の霊を鎮め、災害で苦しんでいる被災民のかたわらに膝をついて慰藉する」ことである。鎮魂と慰藉、それが「象徴的行為」であるというのが新しい憲法第一条解釈であった。 これを天皇が国事行為について自分で解釈を下すなど違憲であるといきりたつ人がいたが、私はそうは思わない。憲法第一条における「象徴」の意味を思量する仕事を国民が怠っていたので、天皇陛下が自分でその仕事を引き受けたのである。これは天皇陛下が国民に向けて投げた「ボール」である。これに国民は答える権利があり、義務がある。私はそう思っている。「おことば」発出の直後に「私は天皇陛下の解釈を支持します」というステートメントを私は出した。別にそれを天皇陛下が読むと思って書いたわけではない。この問題提起に返事をするのは国民の権利であり義務だと思ったからそうしたのである。 こういう「やりとり」が存立し得るというところに、日本において民主主義が生き延びるための一筋の道が通っている。私はそんなふうに考えている。 話が長くなったので、そろそろまとめに入る。主題は「資本主義末期における国民国家のかたち」である。私の答えは、これに一般解はないということである。「国民国家」というのはウェストファリア条約以後の政治概念であって、人種、宗教、言語などにおいて同質性の高い「国民(Nation)」が「国家(State)」を形成していると、いろいろ便利(特に戦争に強い)というだけの話である。国民国家というのは、昔からあったものではないし、いつまでもあるものでもない(日本だって国民国家になったのは明治維新の時である)。国民国家は暫定的な政治制度である。でも、今のところ私たちの手元にはこれしか使えるものがない。ならば、瑕疵のあるところを補正し、欠落を埋め、圭角を削ぐというby piece-mealな手直しを繰り返して使い延ばすしかない。 さしあたりの急務は、外国ルーツの住民が全人口の3%を占め、このまま増え続ける中で、どうやってNationという概念を上書きしてゆくかという問いである。「日本は単一民族」というような妄想に取り憑かれたまま、昔ながらのNation概念で突っ張ってゆけば、外国ツールの人たちはみな「非日本人」だということになる。現に日常生活のさまざまな場面で遭遇し、協働している人々を「よそもの」として遠ざけ、その権利を制限する排外主義に私は人道的に反対である。それよりは、理解も共感も絶した他者と共生し、協働して「よきもの」を創り出すことができるだけの市民的成熟を日本人がめざすことの方を私は選びたい。その努力を通じてNationの概念はむしろ厚みと広がりを増すだろう。 紙数も尽きたので、ここで筆を擱く。まとまりのない話で申し訳ない。(Greenz, 2月26日) </TD></TR></TABLE> <hr size=3 color=green>以降の全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202602090000/">内田先生かく語りき62</a>による。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511290001/">内田先生かく語りき82</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511010002/">内田先生かく語りき80</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202509270000/">内田先生かく語りき79</a><hr size=3 color=green>以降の全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202602090000/">内田先生かく語りき62</a>による。
2026.03.17
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『The ROALD DAHL Treasury』という本は挿絵の多い絵本だが、残念ながら挿絵を観ることができないのです。でも、英文とかネット情報がええので、以下の通り復刻して紹介します♪ *********************************************************図書館で『The ROALD DAHL Treasury』という本を、手にしたのです。この本は絵本でもあるわけで・・・当然、カラーの挿絵が満載で、見るだけでも楽しい本になっています。 【The ROALD DAHL Treasury】webp画像につき開示できずロールド・ダール著、Puffin、1997年刊<カスタマーレビュー>よりこどもの本とくにロールドダールの本を多読したい大人向きです。英語はやさしくて、どのお話も短いので、ひとつひとつ読み進むと、読み応えがあります。挿絵もとってもかわいくて、いいですよ! 洋書を試したい初心者の大人の方にお勧めします。<読む前の大使寸評>この本は絵本でもあるわけで・・・当然、カラーの挿絵が満載で、見るだけでも楽しい本になっています。amazonThe ROALD DAHL Treasury ロールドダールは第二次大戦時は英空軍に入隊したが、就役早々、リビア砂漠に墜落してしまうのです。その墜落について「Survival」の一部を見てみましょう。 p432~433<Survival>I flew straight for the point where the 80 Squadron airfild should have been. It wasn't there. I flew around the area to north,south,east and west, but there not a sign of an airfield. Below me there was nothing but empty desert,and rather rugged desert at that, full of large stones and boulders and gullies.At this point, dusk began to fall and I realised that I was in trouble.My fuel was running low and there was no way I could get back to Fouka on what I had left. Icouldn't have found it in the dark anyway. The only course open to me now was to make a forced landing in the desert and make it quickly, before it was too dark to see.I skimmed low over the boulder-strewn desert searching for just one small strip of reasonably flat sand on which to land. I knew the direction of the wind so I knew precisely the direction that my approach should take. But where,oh where was there one little patch of desert that was clear of boulders and lumps of rock.There simply wasn't one. It was nealy dark now. I had to get down somehow or other. I chose a piece of ground that seemd to me to be as boulder-free as any and I made an approach. I came in as slowly as I dared, hanging on the prop, travelling just above my stalling speed of eighty miles an hour. My wheels touched down. I throttled back and prayed a bit of luck.I didn't get it. My undercarriage hit a boulder and collapsed completely and the Gladiator buried its nose in the sand at what must have been about seventy-five miles an hour.My injuries in that bust-up came from my head being thrown forward violently against the refrector-sight when the plane hit the ground(in spite of the fact that I was strapped tightly, as always, into the cockpit),and apart from the skull fracture, the blow pushed my nose in and knocked out a few teeth and blinded me completely for days to come.It is odd that I can remember bery crearly quite a few of the things that followed seconds after the crash. obviously I was unconscious for some moments, but I must have recovered my senses very quickly・・・(後略)ダールの数奇な経歴がネットに出ていました。 英空軍パイロットから作家に大転身より 8歳で日記をつけ始め、ウェストン・スーパー・メア時代にはホームシックから母ソフィーにあてて週1回、手紙を書くようになったダールだが、国語(英語)の成績は芳しくなく、レプトン校時代はスポーツ選手としてならしたという。 18歳になったダールは大学に進まず、「アフリカか中国か、どこか遠くに行ってみたい」と切望し、シェル石油に勤務。中央アフリカ東部の英領タンザニアに赴き、スワヒリ語を習得するなど意欲的に働いた。しかし、39年に第二次世界大戦が勃発。ダールは志願して空軍パイロットになったものの、所属部隊のもとへ向かう途中、基地側の計算違いで燃料が切れてリビア砂漠に墜落、頭蓋骨骨折など重傷を負ってしまう。 戦線復帰は無理と判断され、41年、ダールはイングランドに送還された。瀕死の重傷を負ったことは不幸だったが、戦死することからは免れたわけで、振り返ってみれば幸運なことだったといえる。しかも、起き上がれるようになったダールは、前線ではなくワシントンに派遣される。米国民が欧州でドイツ相手に戦う英軍に対して好意的なイメージを抱き、協力してくれるよう推奨することを目的とした、英軍の広報活動を補佐するのが任務だった。 ここで、ダールが依頼されて「下書き」として書いた「Shot Down Over Libya」が、『戦記』としてサタデー・イヴニング・ポスト紙に掲載されるというチャンスに恵まれた。42年8月、作家、ロアルド・ダールはこうして予期せぬデビューを飾ったのである。以後、ダールは短編・長編を次々に発表、多彩な著述活動を展開する。 以後『チョコレート工場の秘密』『マチルダは小さな大天才』『魔女がいっぱい』といった児童文学にとどまらず、映画『007は二度死ぬ』『チキ・チキ・バン・バン』などの脚本もてがけた。『The ROALD DAHL Treasury』2:「The Enormous Crocodile」『The ROALD DAHL Treasury』1:「The Owl and the Pussy-Cat」 *********************************************************■2018.04.11『The ROALD DAHL Treasury』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201804110001/
2026.03.15
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今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館> ・宇宙はどこまで行けるか・ヒップホップ・モンゴリア・Newton別冊 無その深淵へ<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 宇宙はどこまで行けるか】webp画像につき開示できず 小泉宏之著 、中央公論新社 、2019年刊<商品説明>よりかつて、宇宙ロケットの打ち上げといえば、国家や国際機関が手がける一大プロジェクトだった。だが、宇宙開発の主役は大学や新興企業に替わりつつある。ロケットの超小型化・量産化が進んだことで、低コスト・高頻度の打ち上げが可能になったからだ。ロケット開発や宇宙探査は現在どこまで進んでいるのか、月や火星まで人を運ぶにはどのような技術が必要なのか、人類は太陽系を飛び出せるか 宇宙の今と未来に迫る。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/50a8576c5e3f3550b8475f016d3cb7b6/" 宇宙はどこまで行けるか></a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ヒップホップ・モンゴリア】webp画像につき開示できず 島村一平著、青土社、2021年刊<商品説明>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/">ヒップホップ・モンゴリア</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【Newton別冊 無その深淵へ】webp画像につき開示できず月刊誌 、ニュートンプレス 、2025年刊<レビュー>より特集「無:その深淵へ」では、かつて「無」の概念は「神の不在」として忌み嫌われていたという点が興味深く感じた。ボイルの空気ポンプによる実験を経て、電子やX線の発見、さらには現代物理学の「量子ゆらぎ」へと至る歴史も語られる。<読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://booklog.jp/item/1/B0FFMGRQS9">Newton別冊 無その深淵へ</a></td></tr></tbody></table>
2026.03.13
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。 <予約中>・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在48位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在103位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在134位 ・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)貸出可能 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在48位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?) 現在17位 ・竹内幸恵『広告の昭和』(10/21予約、副本?、予約11) 現在4位 ・『山田洋次が見てきた日本』(11/05予約、副本?、予約12) 現在9位 ・朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(11/13予約、副本?、予約500)現在366位 ・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、副本?、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ<予約候補> ・テレビプロデューサーひそひそ日記・素人校長ばたばた日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』・世界はなぜ日本カルチャーに熱狂するのか:図書館未収蔵・石ノ森章太郎『漫画家入門』・是川夕『ニッポンの移民』・加藤喜之『福音派』・小泉凡『セツと八雲』<予約分受取:12/07以降> ・ババヤガの夜(10/28予約、12/07受取)・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、12/11受取)・真山仁『タングル』(12/18予約、12/28受取) ・「国境なき医師団」(8/21予約、1/22 受取 ) ・宙わたる教室(2024年12/28予約、1/22 受取 ) ・天気でよみとく名画(3/22予約、1/29 受取) ・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、1/29 受取)・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、03/12受取) **********************************************************************【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(中略) 【十五年戦争小史】江口圭一著、筑摩書房、2020年刊<出版社>より戦争は、誰によっておこされ、どのように展開したか 。本書では、1931年の柳条湖事件の謀略に始まり、45年ポツダム宣言受諾と降伏文書調印によって終わった一連の戦争を「十五年戦争」と呼び、その曲折に満ちた過程と全体像を克明に描く。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/16予約、副本?、予約?)>chikumashobo十五年戦争小史 【広告の昭和】竹内幸恵著、青土社、2025年刊<「BOOK」データベース>より60秒に凝縮された、知られざる白熱の群像劇。図版多数。戦前、国家メディア戦略に加担した「動く広告」。それは戦後になって一転、新しいメディアであるテレビに舞台をうつし、昭和の前衛を牛耳ると同時に“普通の人々”の心をも掴んでいく。制作したのは時代を先駆けるランナーたち…かれらは広告だからこそ、既成のもとにとらわれない冒険ができた。広告の視座から激動の昭和を問い直す、唯一無二の試み。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/21予約、副本?、予約11)>rakuten広告の昭和【山田洋次が見てきた日本】 .webp画像につき開示できず クロード ルブラン 著、大月書店 、2024年刊<JPRO>よりフランスで山田洋次作品を普及するジャーナリストが監督の懐深くに飛び込み、大胆かつ細やかに著した評伝の決定版。旧満州での生立ち、『こんにちは、母さん』まで全90作品の魅力、作品が映し出す日本社会論など、ファン必携。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/05予約、副本?、予約12)>rakuten山田洋次が見てきた日本 【イン・ザ・メガチャーチ】.webp画像につき開示できず 朝井リョウ著、日本経済新聞出版 、2025年刊<「BOOK」データベース>より久保田慶彦(47)レコード会社勤務。とある能力を買われ、アイドルグループ運営に参画することに。武藤澄香(19)留学を志す大学生。内向的な気質に悩むうち、一人のアイドルに出会う。隈川絢子(35)契約社員。舞台俳優を熱烈に応援中だが、ある報道で状況が一変する。ファンダム経済を築く者、のめり込む者、のめり込んでいた者…三者三様の視点で浮かび上がる、人間の心を動かす“物語”の功罪。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakutenイン・ザ・メガチャーチ 【ヒップホップ・モンゴリア】.webp画像につき開示できず 島本一平著、青土社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(02/18予約、副本?、予約0) >rakutenヒップホップ・モンゴリア 図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2026.03.13
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人面牛身の妖獣クダンといえば、やや怖いのだが・・・クダンを求めて日本各地をめぐる旅が面白いので、以下の通り復刻して読み直してみます♪*********************************************************図書館で『クダン狩り』という本を、手にしたのです。人面牛身の妖獣クダンの剥製が見世物として興行されていたそうで・・・興味深いでえ♪ 【クダン狩り】東雅夫著、白澤社、2021年刊<「BOOK」データベース>よりその予言は必ず当たるといわれる人面牛身の妖獣クダンの謎、六甲山地に出没する牛頭女身の牛女の禍々しき魅力。内田百〓、小松左京ら文豪たちをも魅了した謎めいた予言獣クダンの足あとを辿って岡山・牛神社、大分・別府温泉、兵庫・六甲山地、京都・丹後半島を探訪するクダン狩りの旅。怪談文芸の第一人者である著者のクダン論を集大成するとともに、第二部にクダンをモチーフにした傑作文学、内田百〓「件」、小松左京「くだんのはは」を収録。第三部としてクダン研究者・笹方政紀氏との対談を掲載。<読む前の大使寸評>人面牛身の妖獣クダンの剥製が見世物として興行されていたそうで・・・興味深いでえ♪rakutenクダン狩り「第一部 第三章」を、見てみましょう。 p36~39<第三章 未来を予言する怪物、クダンを追う>■「クダンをご存知ありませんか?」 来日から3年目の明治25年(1892)、夏季休暇を利用して近畿から山陰各地を探訪中のラフカディオ・ハーンは、鳥取の堺港から隠岐島へ渡る船中で、不思議な話を耳にした。 船が美保関の沖合にさしかかったときのことである。例年この辺りは、盆前には穏やかな凪の日が続くのだが、先週は珍しく突風が吹いた。土地の者の話では、それは美保関の神様の怒りに触れたためで、原因は<クダン>にあったというのだ。 ハーンは首をかしげる。「クダンとは何ですか?」「クダンをご存知ありませんか? クダンというのは、顔が人間で、胴体が牛でしてね。どうかすると、牛から牛から生まれることがあるんですが、これが生まれると、何かが起こる前兆なんですな。件というやつは、つねに本当のことしか喋らない。ですから、日本の手紙や証文には『依って件の如し』という文句をよく使いますが、あれはつまり『件のように真実をもって』という意味なんですよ」 「でも、美保関の神様が、なぜその件で怒られたのですか?」「それがね、なんでも剥製の件だったそうでね。わたしは見ないから、どんなふうに出来ていたものか申しあげられないが、なんでも大阪から旅回りの見世物師が境へ巡業にきて、虎だの何だの、いろんな珍しい動物をもってきたなかに、その剥製の件があったんですな。そいつをもって、出雲丸で美保関へやってきた。 と、汽船が入港したとたんに、にわかの突風です。神社の神主たちが、これはなにか不浄のものを――死んだ動物の骨か何かを町へ持ってきたから、神さまがお怒りになったんだというんで、香具師の連中は船から上陸することを許されずに、そのままその船で、境まで送り返されたそうでしてね。ところが、連中が行ってしまったら、とたんに天気が晴れて、風がぴたりとやんだもんだから、土地の人達は、やっぱり神主のいったことは本当だったと思ったというんですよ」 来日後、最初に著された大著『日本瞥見記Glimpses of unfamiliar Japan』(1894)所収「伯耆から壱岐へ」の片隅にチラリと登場するこのエピソードは、おそらくは近代日本で最初の文学的<クダン>捕獲例である。それが後に近代妖怪文学の大古典『怪談Kwaidan』(1904)を著す小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの手で記録されたというのも因縁めいているが、それ以外にも右の一節は、われわれ<クダン>ハンターの妄想を掻きたててやまないディティールを孕んでいる。『クダン狩り』2:くだんのはは『クダン狩り』1:第一部 第1章の冒頭 ********************************************************■2022.04.13クダン狩り3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202204130000/
2026.03.12
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図書館で『自民崩壊2.8』という本を、手にしたのです。克ちゃん(西原理恵子の旦那)が説く自民崩壊が興味深いので、見てみようと思った次第です♪*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 自民崩壊2.8】webp画像につき開示できず 高須克弥×井川意高 著 、徳間書店 、2024年刊<「BOOK」データベース>より裏金問題から派閥解体。総理の座を離さない岸田。上向く材料がない支持率。55年体制終焉と下野…2度の危機を生き延びた自民党がついに崩壊へと向かう。その正体とは、なぜここまで堕ちたのか、2024年衆院選の予測、日本の政治はどうなるー歴史や秘話を交えながら気鋭の論客2人が立体的に「自民党」を解剖した!<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17749392/" 自民崩壊2.8></a></td></tr></tbody></table>「第1章 自民=保守の嘘」で語られる当時の韓国などが興味深いので、見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P27~31<font color="brown"><岸信介と日米間裏面史></font><font color="red">高須 </font>岸さんというのは本当に面白い人で、暴力団とか怪しげな人間とも上手く付き合える人でした。<font color="green">井川 </font>戦後史として有名なのは「フィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫氏との繋がりですよね。<font color="red">高須 </font>僕は、1973年7月11日の六本木のTSK・CCCターミナルビルのオ^プニングパーティーに行く機会があったんです。「TSK」は、広域指定暴力団「東声会」の略で、設立者の町井久之さんもいらっしゃって。 そしたら、そこに岸さんもいて、児玉誉士夫さんもいて。確かパーティーを仕切っていたのが、渡辺恒雄(読売新聞グループ本社代表取締役)でしたね。 僕は医者になりたてでしたが、バリバリ若者でしたので、おぉ、いいぞ~って盛り上がって、「 東声会バンザーイ」って声を上げていた(笑)。<font color="green">井川 </font>この辺りの話ハロバート・ホワイティング氏の『東京アンダーワールド』(角川書店)に詳しいですね。 1953年に朝鮮戦争が休戦したものの、アメリカは共産主義圏の拡大を恐れました。そこで「西側のショーケース」として韓国への投資を促進し、経済発展を目指します。 まず対米強硬派だった李承晩から、元帝国軍人の朴正煕への政権交代を後押し。1963年に朴正煕が大統領に就任すると、1965年6月22日には日韓基本条約締結にこぎ着けます。 この裏側で韓国とのパイプとして暗躍したのが児玉氏。児玉三羽ガラスの1人町井氏は、在日韓国人で、対韓裏外交の実働部隊として動きます。この時の対韓投資の成功によって、町井氏は東声会を辞めて「東亜相互企業社長」という肩書きのビジネスマンに転向。その成功の象徴がTSKビルでした。 また読売新聞はアメリカが日本を「核の平和利用モデル」にする政策の旗振り役でした。「大正力」こと正力松太郎氏がCIA(アメリカ中央情報局)の要請によって、読売新聞紙上で原発推進キャンペーンを行っていたからです。 そのオープニングパーティーは戦後の極東アジア史の裏側を象徴するような集まりですね。 <font color="red">高須 </font>あのころ、日韓トンネルを通すのに一生懸命やっていた時でした。<font color="green">井川 </font>そう言えば最近、SNSでは日本の九州から韓国を結ぶ「日韓トンネル」が散発的に話題になります。韓国の政権は左派・右派が概ね入れ替わるのですが、左派は反米・半島統一ということで親北。右派は親米・独立ということで親日の傾向が強い。 猫の目のように外交姿勢が変わるので信用できない国なのですが、現在の尹そんにょる錫悦政権は右派。ということで、亡霊のごとき「日韓トンネル」ネタが甦っているようです。 このおよそ現実的には不可能な構想が生れたのは、日韓基本条約時代だったんですよね。 <font color="red">高須 </font>そうなんです。岸さんは韓国の朴正煕大統領とは兄弟仲ですから。ちなみに、朴正煕大統領のころは、僕は美容整形なんて考えてなかったんですよ。<font color="green">井川 </font>それはどうしてですか? <font color="red">高須 </font>いまでこそ韓国と言えば、“整形大国”のイメージが強いですが、朴正煕大統領は美容整形が大嫌いだったんです。 実は、その後の盧泰愚大統領も、廬武鉉大統領も、みんな美容整形に強い拒否反応を持っていた。 日本で美容整形をして帰ってきたら、パスポートを没収して、二度と日本に行けないようにしていたこともあるくらいです。 そこで僕は、韓国で弟子を養成した方が早いなと思って、その弟子たちが、いまの「大韓美容形成外科学会」を作りました。だから、僕は韓国美容整形の創始者なんですけど、いつのまにか歴史から消されちゃった(笑)。<font color="green">井川 </font>廬武鉉大統領の目は作られたかのような二重だったので、驚きです。</td></tr></tbody></table>
2026.03.11
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図書館で『安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来』という本を、手にしたのです。昨日、高裁から統一教会への解散命令が出たので、以下の通り復刻して見てみようと思った次第です♪*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来】webp画像につき開示できず 渡邉哲也 著、徳間書店、2022年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月8日、日本と世界は「リーダー」を失った…戦時の「日本」成長は、安倍元総理が目指した「未来像」を継承し発展させることでしか実現できない。今こそ知らなければならない「戦後レジームからの脱却」の深層を明らかにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17248174/">安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来</a></td></tr></tbody></table>「第5章 安倍政治は終らない」に、台湾有事や核抑止議論が載っているので、見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P196~201<font color="brown"><タブーとされる「核抑止」議論を></font> 前述したように安倍元総理は「平和暗然法則」を成立させている。このことで有事の際に台湾を「重要影響地帯」とすることもできるようになった。重要影響地帯になれば、自衛隊は米軍の後方支援を行うことができるようになら。在台湾人や台湾市民の脱出に自衛隊を出動させることができるのだ。前出の「安倍晋三スペシャル」の「#1」で安倍元総理は、「平和暗然法」の成果をこう語っている。「台湾防衛については基本的に、具体的な共同演習なども含め、どのように連携していくかということを詰めていくことは、これからの課題」「10年前であれば、台湾有事に際して、日米が共同で軍事演習なども含めて何かをするというのは、これはありえなかった」 この「ありえない」議論の1つが「核抑止能力」だ。前出「安倍晋三スペシャル」の「#2」で安倍元総理は、日本が被爆国であること、さらに核廃絶を最終目標として掲げている国として「独自の核武装」は難しいとしながら、「NPT体制というのは、常任理事国が『基本的に自分たちからは使わない』ということを前提に、各国が核を持つことを禁止するという条約なわけですよね。そこ(ロシア)が使うかもしれないということで、NPT体制が大きく揺らいでいる中において、核の脅威からどのように国を守っていくか、真剣に議論する必要がある」 としている。 「核」を巡って日本の安全保障上、大きな問題になっているのが「特定海域」だ。領海は領土沿岸からの距離によって定められてきた。18世紀には沿岸から3海里、19世紀後半からは4海里が一般的だったが1945年にアメリカが海底油田の領海化する理由から12海里に設定。以降、「沿岸12海里」が世界標準になっていった。そこで日本では1977年に領海法を設定し、これまでの3海里から12海里に定めたのである。<font color="brown"><日米首脳による核協議を></font> ところで領海では沿岸国の平和、秩序、安全を害しない「無害通航権」が歩哨されている。国際慣習だったが1950年のハーグ会議、58年の領海条約においても確認された。 無害通航は継続的かつ迅速でなければならず、潜水艦は海面上を航行しその旗を掲げなければならない。一方、日本近海では戦略核を搭載したアメリカの戦略原潜が中国、北朝鮮、ロシアに対して核抑止の作戦航行を行う際に必ず通過しなければならないのが、宗谷海峡・津軽海峡・対馬海峡東水道及び西水道・大隅海峡だ。 核武装した潜水艦が領海を通過する際にも旗を掲揚しながら海面上を航行しなければならない。しかも「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核三原則」の「持ち込ませず」と抵触してしまう。 そこで日本は宗谷海峡・津軽海峡・対馬海峡東水道及び西水道・大隅海峡については「沿岸12海里」を主張せず、沿岸3海里として公海とする「特定海域」とした。 この「特定海域」の隙を突いているのが中国とロシアだ。 2021年10月下旬には、日本海で合同演習を行った中国海軍とロシア海軍の戦艦合計10隻が日本を周回した。この時に通過したのが特定海域だ。また、2022年3月14日にはロシア海軍の駆逐艦1隻、潜水艦3隻など合計6隻が宗谷海峡を航行。また、同14日から15日にかけてロシア海軍の戦艦が津軽海峡を横断した。 その日本は「日本に核兵器が使用された場合、アメリカが日本のために報復するだろう」という予測に基づいて、抑止力を担保している。「拡大抑止」という形の核の傘に入っているのだ。安倍元総理は日米間の拡大抑止協議が外務省、防衛省の高官レベルで行われていることを明らかにしながら、「抑止力」を上げるためにこう提案している。「(核使用のルールは)大統領レベルでしますから『これ以上は議論が進みません』ということが多いわけですね。で、基本的には日本は心配しなくていいということで、議論は終っています。 ですから、拡大抑止協議は、もう少しレベルを上げて、しっかりとした枠組みとして協議していく。その中で、やるときはどの核を使うか、ということを明確にしていく。それを具体的に深堀りすることによって、リアリティが出てきますから。それが抑止力に繋がっていくと思いますね」(前出「安倍晋三スペシャル#2」より</td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603080000/">『安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来』2</a>:台湾有事や核抑止議論 <a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603050000/">『安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来』1</a>:自民党と統一教会
2026.03.10
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図書館で『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』という本を手にしたのです。この本の表紙に「カラー版」の表記がある通りで・・・まったくカラー画像満載となっていて絵本と呼んでも間違っておりません♪<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【1時間でわかるアイヌの文化と歴史】webp画像につき開示できず瀬川拓郎 著 宝島社 、2019年刊<「BOOK」データベース>より神(カムイ)である自然と共生する文化。貴重なビジュアル満載!日本文化のルーツがわかる、あなたの知らないアイヌ!イラスト・写真130点。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/15906283/">1時間でわかるアイヌの文化と歴史</a></td></tr></tbody></table>「第二章 アイヌと自然」が興味深いので、気になる動物たちを見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p54~62<font color="brown">コタンコロカムイ(島梟・シマフクロウ)</font> 北海道の大自然を象徴する存在のシマフクロウは、現在では、主に北海道東部に少数が生息するのみであるが、かつては全道に生息し、神として崇拝された。シマフクロウのアイヌ語名コタンコロカムイ(村を持つ神) は、重低音の鳴き声で魔を追い払うという信仰に根差したものと考えられている。 各地に伝承されるウポポ(輪唱)の歌詞「チュブカ ワ カムイ ラン イワ テクサム オラン」(東方より神は下る 岩角に降りる)は、シマフクロウが降り立つ場面を描写しているとされる。 神であるシマフクロウに対しては、クマ同様に送り儀礼を執り行う。鳥かごで大雪に飼ったシマフクロウを止まり木に止まらせ、二人の翁が支える周りで村人が踊り唄う。クマのイオマンテ同様に肉体と魂を分離し、肉体は羽毛と肉に分けたうえでイナウを仕込んで「剥製」を作る。 その剥製に酒を捧げ丁重に祈って、神の復活を願った。シマフクロウのイオマンテは作法が厳しく、村人全員が出席できるわけではない。そのため次第にすたれていった。(中略)<font color="brown">カムイチェプ(鮭・サケ)</font> サケはアイヌ語でカムイチェプ(神の魚)、あるいはシペ(本来の食物)。アイヌの信仰では、チェプランケカムイ(魚を降ろす神)が袋から海にサケを撒いて人間に施すとされる。神の魚だからこそ、サケ漁の期間には厳重な物忌みが守られた。 サケの猟期が近づくと、村を挙げての豊漁祈願祭を行う。この祭りが行われるまでは、何人たりともサケ漁をすることは許されない。 初物のサケが上がればマレク(鉤銛)で丁寧に捕え、神々にささげるアシリチェプノリ(初サケの神事)を執り行う。 以降、川を遡上するサケを簗漁、松明漁、網漁など、さまざまな方法で初雪の時期まで捕獲し続ける。サケはもちろん食用である。脂の乗ったサケは美味しいが保存に向かないため、産卵や放精を終えて脂が抜けきった個体を捕る。 干しサケはサッチェプ、もしくはアタッと呼ばれ、食べる際は魚油と一緒に煮込んで旨みを足した。サケは食用とするばかりではなく、皮を衣類にも加工する。サケ皮の靴は靴底の部分にヒレが配置されるように作られているので雪道でも滑りにくい。<font color="brown">サケ漁</font> サケ漁の方法にはマレク漁、簗漁、網漁、松明漁などがある。鉤銛「鉤銛」とも訳されるマレクは棹の脇に鉄鉤を取り付けた漁具で、サケを突くと先端が回転することで獲物を逃がさない仕組みとなっている。 浅瀬や舟上などさまざまな場面で使われたが、晩秋の夜に三人一組で丸木舟に乗り込み、一人が舟を操り、一人がシラカバ皮松明で川面を照らし、残る一人がマレクでサケを突く。松明係は、なぜか女性が良いとされた。 ある程度の規模の川には、流れをまたいで簗(やな)を仕掛けサケを捕える。簗はアイヌ語でウライ、もしくはテシと呼ばれ。晩秋の夜空に見えるヒアデス星団はペッノカ(天の川)を遡るサケ・マスを捕えるための簗と見なされ、ウライノチウ(簗星)と呼ばれる。 暴れるサケは、魚を叩くための棍棒「イサパキクニ」で打って神の国へ送る(とどめをさす)。鎌でひっかけ、石で打つノハチェプランケカムイ(魚を降ろす神)に対する冒涜とされた。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603070001/">『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』2</a> :アイヌの信仰世界<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603070000/">『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』1</a> :まえがき
2026.03.09
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図書館で『安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来』という本を、手にしたのです。4日に、高裁から統一教会への解散命令が出たので、以下の通り復刻して見てみようと思った次第です♪*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来】webp画像につき開示できず 渡邉哲也 著、徳間書店、2022年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月8日、日本と世界は「リーダー」を失った…戦時の「日本」成長は、安倍元総理が目指した「未来像」を継承し発展させることでしか実現できない。今こそ知らなければならない「戦後レジームからの脱却」の深層を明らかにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17248174/">安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来</a></td></tr></tbody></table>「第4章 日本を、取り戻す。」に、台湾有事が載っているので、見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P178~185<font color="brown"><2022年に周知された安全保障関連法の真意></font> 集団的自衛権が行使される可能性が一番高い地域が台湾だ。2021年7月6日、当時副総理だった麻生太郎氏は、「台湾で大きな問題が起きれば、存立危機事態に関係すると言ってもおかしくない。日米で台湾を防衛しなければならない」 と発言。台湾有事で集団的自衛権の行使容認を示唆した。さらに同日、当時、防衛大臣だった岸信夫氏は、この麻生氏の発言を問われ、「いかなる事態で次ページ図「中国による台湾・予那国島封鎖」にあたるかは、実際に発生した個別具体的な状況から総合的に判断する」 と麻生発言が政府の考えを踏まえたものだとの認識を示した。さらに2021年12月1日、安倍元総理は台湾の民間シンクタンクが主催したシンポジウムに出席し、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」 とした。集団的自衛権、平和安全法則と「麻生・岸・安倍発言」の真意が周知されるようになったのは、2022年になってからのことだ。NATO(北大西洋機構)という集団安全保障条約に入れなかったウクライナが、ロシアに侵攻されたからである。 日本周辺で「ウクライナ」と同じ状況にあるのが台湾だ。実際に中国は軍事オプションを含めた台湾統一への野望を隠していない。2022年8月2日の深夜、米下院議長ナンシー・ペロシ氏が訪台したことで、そのリスクが一気に現実味を帯びていった。<font color="brown"><台湾と予那国島を封鎖した></font> ペロシ氏訪台に先駆けて、台湾を手に入れたい中国は猛反対する。台湾が多くの国と関係を深化させることは、台湾の「脱ウクライナ状態」を意味するからだ。2022年7月28日には、習近平国家主席がバイデン大統領と電話会談を行い、自らペロシ氏訪台を強く反対する立場を伝えた。 ペロシ氏の訪台を前に米中はチキンレースとなったが、アメリカが中国からの圧力に屈することはなかった。また台湾当局も歓迎の態度を変えず、予定どおりの訪台を行った。さらにペロン氏は台湾島着直後の2022年8月3日午前0時0分、Twitterで以下のメッセージを発信する。 <font color="brown">〈我々の代表団の台湾訪問は、台湾の活力ある民主主義を支援するという米国の揺るぎないコミットメントを称えるものである。 台湾の指導者との話し合いは、我々のパートナーへの支持を再確認し、自由で開かれたインド太平洋地域の推進を含む、我々の共通の利益を促進するものである〉</font> 第2章で書いたように「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)は、安倍元総理の遺志であり、日本の外交戦略だ。それが世界の言葉として一般化されつつあり、新たな国際連携の大きな一歩にもなったということである。(中略) 次ページ図「中国による台湾・予那国島封鎖」でわかるように2つの演習地域に囲まれる形で挟み込まれた予那国島は約1700人の住民がいて、250人の自衛隊員が駐留している。この予那国島封鎖は台湾だけでなく、日本の領土に及ぶ封鎖だということを突きつけた。 さらに台湾周辺の演習海域では基隆、高雄、花蓮といった基地を囲んでいる。これらは旧日本軍が台湾海軍の無力化を目的として開発したもので、その経緯から台湾の防衛にとって重要なポイントだ。 仮に台湾が中国の手に落ちた場合、台湾の軍港が中国の基地になる。それは沖縄島嶼部の制海権を失うことを意味する。また次ページ図「中国による台湾・予那国島封鎖」にあるように台湾と沖縄は非常に近い位置関係だ。すなわち台湾で有事があれば、沖縄は戦闘地域になってしまう。 また台湾は南シナ海、東シナ海、太平洋と3つの海を繋ぐ場所に位置している。ここを中国に支配されるということは日本がシーレーンを失うという意味で、エネルギーなどの安全保障が大きく損なわれてしまう。 だからこそ安倍元総理も指摘したように、台湾有事は日本の存率危機事態なのだ。</td></tr></tbody></table> <a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603050000/">『安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来』1</a>
2026.03.08
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図書館で『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』という本を手にしたのです。この本の表紙に「カラー版」の表記がある通りで・・・まったくカラー画像満載となっていて絵本と呼んでも間違っておりません♪<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【1時間でわかるアイヌの文化と歴史】webp画像につき開示できず瀬川拓郎 著 宝島社 、2019年刊<「BOOK」データベース>より神(カムイ)である自然と共生する文化。貴重なビジュアル満載!日本文化のルーツがわかる、あなたの知らないアイヌ!イラスト・写真130点。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/15906283/">1時間でわかるアイヌの文化と歴史</a></td></tr></tbody></table>「第一章 アイヌの信仰世界」が興味深いので、冒頭あたりを見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p10~16<font color="brown">「アイヌの創造神話」</font> 幕末の探検家・松浦武四郎は、石狩川支流の夕張川流域を調査した折、タッコプの村(現在の栗山町丸山地区)で博識の老人から、アイヌの天地創造伝説を教わったという。 天地の始まりは混沌としていた。その混沌の重い部分が集まり地となり、軽い部分が天となった。やがて地には国作りの男神が生まれ、天からは女神が五色の雲に乗って地に降り立った。 ふた柱の神は青い雲を海原に、黄色の雲を土に、赤い雲を金銀財宝に、白い雲を草木禽獣に変えた末に、フクロウのまばたきから「ある事」を悟り、男女の語らいで幾多の神々を生みだす。 太陽神と月の神が昇って天を照らし、火の神や大地の神、金属神が狩りや畑仕事、服飾の術などあらゆる文化を人間に教えた。最初に神が降りたった地は、シリベシ山(現在の羊蹄山)であるという。 物語の一部に日本神話との類似性があるが、古来の伝承に日本神話が混交したのか、それが本来の物語であったのか、武四郎による改変があったのかは不明である。 </TD></TR></TABLE></a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p12~13<font color="brown">「アイヌの神々」</font> カムイとは、アイヌ語で神を指す言葉である。神は大自然、世界のすべてに宿っている。家の炉には人間を暖めるアペフチカムイ(火の姥神)が住まい、宝物棚にはチセコロカムイ(家の守り神)が祀られる。水汲み場にはワッカウシカムイ(水神)、山中はシリコロカムイ(大地の神)の領分である。 天ではチェプランケカムイ(魚を降ろす神)、ユッコロカムイ(シカ持つ神)が、それぞれ人間のために天からサケやシカを投げ下ろし、恵みをほどこす。狩りの対象となるクマやキツネ、タヌキは、神が人間のために毛皮と肉の土産を携え、この世に現れた姿とされ、心のよい人間を見込んで狩られるのだという。 そのため、アイヌは得た獲物に対し、「自分を訪ねてくれた」ことを感謝して、木幣(イナウ)や酒を捧げて祈る。ちなみに、人間を襲ったクマは神としての資格を失うのだという。 ウェンカムイ(邪神)やパコロカムイ(疱瘡神)など人間にあだなすカムイもあり、これらに対しては、アイヌはまじないを駆使して追い払うことになる。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p14~15<font color="brown">「ユカラ」</font> アイヌ語には文字がない。そのため口承で先祖の記憶や物語を語り継ぐ。それら「口承文芸」の白眉がユカラだ。一般には、アイヌ語学者金田一京助が表記した「ユーカラ」の名で知られているが、ユカラの表記のほうが実際の発音に近いとの考えから、近年ではユカラとひょうきされることが多い。 ユカラの演者は炉の前に座り、レプニ(拍子木棒)で、なければ棒で炉縁を叩くなどして拍子をとり、節をつけて、神や英雄の冒険活劇を歌うように語る。 主人公は大抵の場合は孤児で、山中の砦で一人きりで暮らしている。やがて自分が孤独な理由を悟り、冒険の旅に出る。魔を倒し、美女と巡り合い結ばれ故郷に凱旋し子孫も増えて大円団となる。 ユカラは、神や英雄の活躍を描いた叙事詩で、戦いに次ぐ戦いの場面が繰り広げられる。主人公の少年英雄、ポイヤウンペは空を飛び、水中を突き進み、地中をも駆け巡るといった様子で、まさに超人として描かれている。 高揚した聴き手の者も、炉端を打ち、時に「ヘッ!ホー!」と合いの手を入れて囃したてる。タイミングが悪ければ語りの邪魔になるため、聴衆にも技量が必要だ。 ユカラは、葬式の折には語ってはいけないとされる。語るにしても、必ず一気に最後まで語り終えなくてはならない。仮に語り残せば、死霊が続きを気にして、あの世に行けなくなってしまう。 反対に、クマ送りの宴ではユカラの語りはクライマックスでわざと中断する。クマの神が続きを聞きたくなり、また地上に来てくれることを願ってである。</TD></TR></TABLE>
2026.03.07
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図書館で『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』という本を手にしたのです。この本の表紙に「カラー版」の表記がある通りで・・・まったくカラー画像満載となっていて絵本と呼んでも間違っておりません♪<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【1時間でわかるアイヌの文化と歴史】webp画像につき開示できず瀬川拓郎 著 宝島社 、2019年刊<「BOOK」データベース>より神(カムイ)である自然と共生する文化。貴重なビジュアル満載!日本文化のルーツがわかる、あなたの知らないアイヌ!イラスト・写真130点。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/15906283/">1時間でわかるアイヌの文化と歴史</a></td></tr></tbody></table>「アイヌ熊狩の図」をバックにした「まえがき」が興味深いので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p1~2<font color="brown">「まえがき」</font> アイヌは、近世には北海道を中心に千島列島、サハリン南部・東北北部沿岸という広大な地域に暮らしてきた人びとである。 私たちはかれらを狩猟採集民と考えている。基本的にそれはまちがいではない。しかしアイヌのなかには、広大な畑を耕して農耕に従事する者や、柵をめぐらせた牧場で馬を飼う者、あるいは集落を巡回して鉄製品を製作する鍛冶屋などもいた。 中世には、東北北部での和人間の戦いに傭兵として参戦する者、舟で移動しながら東北沿岸の和人の村々を襲う者もおり、サハリンでは中国の元の軍隊と数十年におよぶ戦いを繰り広げた。かれらの実際の姿は、狩猟採集民という言葉で括られるほで単純なものではない。 そもそもかれらの狩猟自体、もっぱら交易目的で行われていた。北方世界の良質な毛皮によって入手した米や鉄製品などの本州産品は、アイヌの暮らしと文化を根底から支えた。 北海道縄文人の末裔であるかれらが、古代以降サハリンや千島など北東アジア世界へ進出していったのも、本州向けの商品の開発と入手にかかわっていた。アイヌは交易民であり、広大な地域を海で結ぶ海洋民でもあったのである。 北海道と本州は、津軽海峡を隔てて指呼の間にある。二つの島の人びとは、縄文時代のから往来を繰り返してきた。旧石器時代の人びとも、舟でこの海峡を渡った。しかし、両地域の濃密な交流にもかかわらず、北海道ではアイヌ語という日本語とは大きく異なる言語、日本文化とは異なる独自の文化が保たれてきた。 そこには、農耕民として自立するには不敵な北海道の寒冷な自然を優位性に読み替え、本州の人びとと対等な共生の関係を築こうとした、北海道縄文人の末裔の歴史が深くかかわっている。 私たちは、アイヌの複雑な歴史も、かれらの豊かな文化もほとんど知らない。しかしアイヌという厳然たる差異は、日本列島の多様性と可能性、そして私たちが進むべき道を垣間みせてくれるにちがいない。本書がそのための一助となることを願う。 瀬川拓郎</TD></TR></TABLE>
2026.03.07
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図書館で『安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来』という本を、手にしたのです。昨日、高裁から統一教会への解散命令が出たので、以下の通り復刻して見てみようと思った次第です♪*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来】webp画像につき開示できず 渡邉哲也 著、徳間書店、2022年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月8日、日本と世界は「リーダー」を失った…戦時の「日本」成長は、安倍元総理が目指した「未来像」を継承し発展させることでしか実現できない。今こそ知らなければならない「戦後レジームからの脱却」の深層を明らかにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17248174/">安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来</a></td></tr></tbody></table>「第1章 リーダーを喪失した日」に、自民党と統一教会の関係が載っているので、見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P82~86<font color="brown"><自民党と統一教会></font> リーダー喪失という重大事態にあって、メディアは「統一教会」一色となった。犯人の実母が幼い頃、統一教会に入信。多額の献金を行ったことで家庭崩壊したからだ。 この「統一教会ブーム」に乗りたくはないが安倍元総理ご本人の名誉のために、「無関係である」ちう事実だけを簡単に整理する。 自民党と統一教会が関係下背景には1945年の終戦後、「巣鴨プリズン」で知り合った安倍元総理の祖父・岸信介氏、笹川良一氏、児玉誉士夫氏の3人の人物が影響している。 以降の日本に少子化問題が起こることを懸念していた笹川氏は、その問題の協力団体という言葉を信じこんだ。 1960年に日米安全保障条約を更新した岸信介氏は「外交」のパイプとして統一教会に接近した。 1950年に朝鮮戦争が勃発したことで、極東の赤化を防ぎたいアメリカは日韓関係の回復を望んだ。文鮮明氏はアメリカでロビー活動を行い、統一教会が「赤化抑止」に役立つ組織であると思い込ませた。 岸信介氏は、統一教会を日米韓連携の外交ツールとしたということだ。 児玉氏の場合は、1965年の「日韓基本条約」締結の「利権」である。反日教皇派も李承晩政権での条約締結は難しい。そこで朴正熙政権樹立のために、アメリカは工作資金を用意。工作資金を使って韓国にホテルやカジノといった「利権の箱」を作ることで、日韓基本条約締結の地ならしをしたのである。 1968年、統一教会は岸信介氏、笹川良一氏、児玉誉士夫氏らを発起人にして「国際勝共連合」を結成。名誉会長には笹川良一氏が就任した。<font color="brown"><安倍元総理とは「無関係」></font> 杜会では岸信介氏の後の総理に池田勇人氏、岸信介氏の実弟である佐藤栄作氏へと続く。 岸信介氏は、自身の後継を福田赳夫氏に指名。自民党最高顧問として隠然たる力を持っていた。 ところがポスト佐藤栄作氏を巡って1970年に田中角栄氏、福田赳夫氏の間で「第一次角福戦争」が勃発。1972年7月これに勝利した田中角栄氏の次の総理となる。 就任直後の1972年9月、田中角栄氏は中国を訪問し、日中国交正常化を実現。自民党は「脱・反共」へと向かっていった。その1972年に笹川良一氏が「反共運動から手を引く」と、統一教会との決別を宣言。そして1974年には金権問題によって田中角栄氏は総理を辞任する。 しかし1974年に三木武夫氏が総理に就任。そして1976年7月27日、ロッキード事件によって田中角栄氏は受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外易法)違反容疑で逮捕される。ロッキード社の秘密代理人として韓国にも売り込みをかけるなど暗躍していた児玉誉士夫氏も起訴された。1979年には岸信介氏が政界を引退する。 こうして統一教会と政界との距離は次第に開いていくことになった。(中略) さらに1980年代中盤から霊感商法が社会問題になる。1992年には作家・飯干晃一氏の娘、飯星景子氏が統一教会に入信していたことが明らかになる。父、晃一氏はメディアなどで娘の脱会と反対運動を展開。 統一教会の悪質性は社会に広く共有されることになった。このことで政治が統一教会と密接な関係を持つメリットは1つもなくなったのである。</td></tr></tbody></table> フー長くかかかったものである。なぜここまで解散命令が遅れてしまったのだろう?もっと早く処置していれば、安倍元総理の暗殺事件も起きていなかったかもしれないのに。
2026.03.05
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。 <予約中>・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在48位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在103位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在134位 ・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)貸出可能 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在48位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?) 現在17位 ・竹内幸恵『広告の昭和』(10/21予約、副本?、予約11) 現在4位 ・『山田洋次が見てきた日本』(11/05予約、副本?、予約12) 現在9位 ・朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(11/13予約、副本?、予約500)現在366位 ・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、副本?、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・素人校長ばたばた日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』・世界はなぜ日本カルチャーに熱狂するのか:図書館未収蔵・石ノ森章太郎『漫画家入門』・是川夕『ニッポンの移民』・加藤喜之『福音派』<予約分受取:12/07以降> ・ババヤガの夜(10/28予約、12/07受取)・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、12/11受取)・真山仁『タングル』(12/18予約、12/28受取)・「国境なき医師団」(8/21予約、1/22 受取 ) ・宙わたる教室(2024年12/28予約、1/22 受取 ) ・天気でよみとく名画(3/22予約、1/29 受取) ・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、1/29 受取)**********************************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/05895e22c5f5d3f33cf13a5002e3622b50b592e0.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" /> 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17748858/">潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う</a></td></tr></tbody></table>(中略)<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【昭和的】.webp画像につき開示できず関川夏央著、春陽堂書店、2025年刊<「BOOK」データベース>より時は過ぎた。「昭和的センス」から逃れられない、時代遅れの著者のささやかな抵抗。辛口にして味わい深い珠玉のエッセイ集。【目次】第一章(山田風太郎の長寿祝い/ヤクザ映画と三島由紀夫/『まんだら屋の良太』回想 ほか)/第二章(『天国と地獄』の撮影/世界人口が二十億人だった頃/「猫の手」たちの一九七〇年代 ほか)/第三章(『秋刀魚の味』に映されたプロ野球/人生はジュークボックス/「火星土地分譲予約受付証」 ほか)<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/26予約、副本?、予約?)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18167516/">昭和的</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【十五年戦争小史】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0170df1018b4946119f2a0fa8eaa711fc27b18e0.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />江口圭一著、筑摩書房、2020年刊<出版社>より戦争は、誰によっておこされ、どのように展開したか 。本書では、1931年の柳条湖事件の謀略に始まり、45年ポツダム宣言受諾と降伏文書調印によって終わった一連の戦争を「十五年戦争」と呼び、その曲折に満ちた過程と全体像を克明に描く。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/16予約、副本?、予約?)>chikumashobo<a href="https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480510068/">十五年戦争小史</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【広告の昭和】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c5a1e0bf25de8d020a23e3131ab435edeb9bf7c6.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />竹内幸恵著、青土社、2025年刊<「BOOK」データベース>より60秒に凝縮された、知られざる白熱の群像劇。図版多数。戦前、国家メディア戦略に加担した「動く広告」。それは戦後になって一転、新しいメディアであるテレビに舞台をうつし、昭和の前衛を牛耳ると同時に“普通の人々”の心をも掴んでいく。制作したのは時代を先駆けるランナーたち…かれらは広告だからこそ、既成のもとにとらわれない冒険ができた。広告の視座から激動の昭和を問い直す、唯一無二の試み。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/21予約、副本?、予約11)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18234443/">広告の昭和</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【山田洋次が見てきた日本】.webp画像につき開示できず クロード ルブラン 著、大月書店 、2024年刊<JPRO>よりフランスで山田洋次作品を普及するジャーナリストが監督の懐深くに飛び込み、大胆かつ細やかに著した評伝の決定版。旧満州での生立ち、『こんにちは、母さん』まで全90作品の魅力、作品が映し出す日本社会論など、ファン必携。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/05予約、副本?、予約12)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17939642/">山田洋次が見てきた日本</a></td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【イン・ザ・メガチャーチ】.webp画像につき開示できず 朝井リョウ著、日本経済新聞出版 、2025年刊<「BOOK」データベース>より久保田慶彦(47)レコード会社勤務。とある能力を買われ、アイドルグループ運営に参画することに。武藤澄香(19)留学を志す大学生。内向的な気質に悩むうち、一人のアイドルに出会う。隈川絢子(35)契約社員。舞台俳優を熱烈に応援中だが、ある報道で状況が一変する。ファンダム経済を築く者、のめり込む者、のめり込んでいた者…三者三様の視点で浮かび上がる、人間の心を動かす“物語”の功罪。<読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18328668/">イン・ザ・メガチャーチ</a></td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ヒップホップ・モンゴリア】.webp画像につき開示できず 島本一平著、青土社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(02/18予約、副本?、予約0) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/">ヒップホップ・モンゴリア</a></td></tr></tbody></table> 図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202101200000/">予約分受取目録R26</a><a href="https://book.asahi.com/reviews/">好書好日トップ</a><a href="https://www.lib.city.kobe.jp/">図書館情報ネットワーク 蔵書検索</a>
2026.03.04
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「安倍晋三という功罪」でしょうか♪<市立図書館> ・自民崩壊2.8・安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来・1時間でわかるアイヌの文化と歴史・Newton別冊 無その深淵へ<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 自民崩壊2.8】webp画像につき開示できず 高須克弥×井川意高 著 、徳間書店 、2024年刊<「BOOK」データベース>より裏金問題から派閥解体。総理の座を離さない岸田。上向く材料がない支持率。55年体制終焉と下野…2度の危機を生き延びた自民党がついに崩壊へと向かう。その正体とは、なぜここまで堕ちたのか、2024年衆院選の予測、日本の政治はどうなるー歴史や秘話を交えながら気鋭の論客2人が立体的に「自民党」を解剖した!<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17749392/" 自民崩壊2.8></a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来】webp画像につき開示できず 渡邉哲也 著、徳間書店、2022年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月8日、日本と世界は「リーダー」を失った…戦時の「日本」成長は、安倍元総理が目指した「未来像」を継承し発展させることでしか実現できない。今こそ知らなければならない「戦後レジームからの脱却」の深層を明らかにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17248174/">安倍晋三が目指した世界 日本人に託した未来</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【1時間でわかるアイヌの文化と歴史】webp画像につき開示できず瀬川拓郎 著 宝島社 、2019年刊<「BOOK」データベース>より神(カムイ)である自然と共生する文化。貴重なビジュアル満載!日本文化のルーツがわかる、あなたの知らないアイヌ!イラスト・写真130点。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/15906283/">1時間でわかるアイヌの文化と歴史</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【Newton別冊 無その深淵へ】webp画像につき開示できず 月刊誌、ニュートンプレス 、、2025年刊<レビュー>より特集「無:その深淵へ」では、かつて「無」の概念は「神の不在」として忌み嫌われていたという点が興味深く感じた。ボイルの空気ポンプによる実験を経て、電子やX線の発見、さらには現代物理学の「量子ゆらぎ」へと至る歴史も語られる。<読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://booklog.jp/item/1/B0FFMGRQS9">Newton別冊 無その深淵へ</a></td></tr></tbody></table>
2026.03.04
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肺ガンの危機に際した南さんの覚悟(あるいは笑い)がええので、以下の通り紹介します♪*********************************************************<『オレって老人?』3>図書館で『オレって老人?』という本を、手にしたのです。天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗) 【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】法的に老人/老化すると人は老人になる/老人の嗜み/近頃のツバメ/アンドレア・デル・サルトの謎/クレーのわすれもの/アノホラロボットとは何か/アノホラ検索/おもしろいひとりごと/お返事〔ほか〕<大使寸評>天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)rakutenオレって老人?南さんの肺ガンの危機あたりを見てみましょう。 p194~198<わが人生最良の瞬間> 先日、大事なメモをなくしてあたふたしていると、背後からツマに声をかけられた。「どうした」 「え、いや、いまさ、電話で聞いた用件をメモした紙がね、ないんだ」「いまって・・・」「いや、ほんとにたったいま書いたはずのメモが煙のように消えてなくなった」 「それはさ、クズカゴの中にあるよ。さっき電話を切った時になにか丸めて、ポイって捨ててたから」「まさか、そんな、いくらなんだって、大事な用件をメモした直後にまるめて捨てるヤツはいないだろ」 と言ったが、いた。クズカゴの中に、たったいま大事だと思って書いたメモがまるめて捨ててあったのだ。 コイツ関係ない話をしだしたなと思われるかもしれないが、つまり私は、ひょっとしたらあったかもしれない「最良の瞬間」を私が即座にまるめて捨てていた可能性がある、と思っているのだった。 間が悪いだけでなく、積極的に私は自分の人生をまるめて捨てていた気味がある。だって60年も生きていれば人間、「ああ、あれは私の人生の最良の一コマであった」と、誇らしく思い出せることのひとつやふたつあるのが普通だ。 もっとも、「最良」とかっていわないのだったら「あれは、けっこうよかった」と思うことはいくらでもある。 月がキレイに見えてた晩とか、ベランダの植木から新芽が出てた日、ふざけて植えた豆が生ったり、レモンの実がついていたこともある。あれはうれしかった。 花の匂い、たとえば毎年どこかに嗅ぎにいく、梅だったり、蓮だったり、自分で育てているジンジャーだったりの香りをきいている時もけっこういい。 虹が出ているのに気がつくときもわりといいし、葉っぱに日が射していて、それが透けて見えてるのもかなりいい。 と思い出していて、私はクズカゴの中からメモを拾い出したのだ。 あの、たくさん繁って、折り重なったユリノキの葉が、キレイに見えたのは「肺ガンの疑いがある」と医者にケンギをかけられて、「いまにも死ぬ」と思い込んでいた時期だった。 あの頃は、最悪だと思っていたんだから、そんなときに、逆光に葉っぱの折り重なるのを見て「けっこういい」と思ったのは、マイナス分をプラスすると相当よかったということになる。 そういえば、あの「いつ死ぬかしれない」と思っていた半年間(私は半年の間、医者から手術をすすめられながら、それを引き伸ばしていた。その間に自己免疫力で、ガンをなかったことにしてしまえと思っていた。半年後にPET診断というのをした時、私にあったかもしれない肺ガンはなくなっていたのだが、それはもともとなかったのかもしれず、あるいは、半年の間になくなったのかもしれない。ただ、当時私の頭の中にガンははっきり居座っていた)は、最良の瞬間の宝庫だった。 あの年の梅見がよかった。群馬の方の梅林へ行って、短い草の上に布を敷いて、そこにゴロンとしながら、お酒をのんだ。一時は、肺ガンとの診断があり・・・死を覚悟した心境が語られているが、なかなかええでぇ♪『オレって老人?』2*********************************************************■2018.04.23オレって老人? https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201804230000/
2026.03.01
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<『隠居大学』3>図書館で『隠居大学』という対談本を、手にしたのです。それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪【隠居大学】天野祐吉著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。遊びの達人6氏が、オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。<読む前の大使寸評>それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪rakuten隠居大学お二人の対談者が文語体と口語体について語っているので、見てみましょう。p152~155■『即興詩人』と文語と口語天野:それに文語体の文章は、本来は、黙読じゃなく音読されることを前提に書かれていますよね。だから、流れるようなメロディというかリズムがあって、音楽的なものと分かちがたく結びついている。『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す」なんてのも、とうとうと朗読してこその良さがある。黙読して意味だけ追ってたら、魅力が半減してしまいます。安野:学習参考書みたいに解説するともう全然ダメですよね(笑)。天野:「祇園精舎にある鐘の音は、諸行無常の教えを唱えるように響きます。釈迦が入滅した時に白い色に変わったという沙羅双樹の花の色は栄えるものは必ず滅びるという道理を表しているようです」なんて解説されてもね。まあ、意味は伝えてるけども、文章が持っている音の世界は伝えてない。でもいまは、そういう言葉の音をどんどん削っちゃって、意味ばかり取るようになっている気がしますね。安野:なんでも試験問題になっちゃうからね。「この文章は何を表現しているか?」なんていわれても、こっちは音や気分で読んでいるんだから、答えられない。ではどうしたらいいかというと、試験では、外国語を直訳したようなぎこちない解釈をすればマルをもらえるんでうから、あれは、いけませんね。天野:安野さんの『絵本平家物語』は素晴らしかった。まさに目の前に、華麗な平家物語の舞台装置が、まるで芝居のせり上がりのように見えてきました。意味だけとっていては、そんなものぜんぜん伝わってこない。安野:感覚的に捉えることをせず、意味だけ深読みをすると、身も蓋もなくなってしまいますよね。部分的なことにだけ捉われてちゃ、大事なことを見失う。天野:明治のはじめに言文一致運動ってのが起こりましたよね。文語体だった書き言葉を、話し言葉に近づけようってことで、口語体が生れた。それに、正岡子規ははじめは反対しているんですよ。芸術上の言葉というのは、ひとつの虚構の世界をつくり上げるために必要な言葉であって、日常の言葉とは違う。すべてを日常の話し言葉にしてしまったら、虚構の建造物はできなくなってしまうんだといって反対している。安野:正岡子規はいいことを言いますね。ほんとにそう。いまでも、中国の人は日常的に使う言葉と文章の世界の言葉とを完全に分けて使っています。日本だって、完全に言文一致させるのなんて、本当は無理な話なんです。井上ひさしは、言文一致に反対するわけじゃないけど、山形弁の立場からすると無理だって言っていました。(中略) とはいえ、いまの若い人の感覚からしたら、「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読むのは、やっぱり、ちょっとややこしいよね。天野:まああれは、てふてふてふてふ飛んでく感じがあるんですけどね。安野:そういわれてみれば、そうだけれども(笑)。天野:俳句と短歌だけが、頑固に文語体を守っているというか、使いつづけていますよね。口語体に直したら、世界が崩れちゃうからかな。「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」が「柿食えば鐘が鳴ります法隆寺」だと、なんだか鐘の音が聞こえてこないんですよ。説明っぽくなっちゃって。安野:文語体はさっきおっしゃったように虚構の世界をつくりやすいんです。虚構の世界を書くっていうことは、それは、音楽になっているわけで。「」なんて、わたしが直に誰かをつかまえて言おうものなら、気持ち悪いでしょ(笑)。だけど、音楽なら言える。「着てはもらえぬセーターを寒さ堪えて編んでます」なんてのも、そんな思いがこもりすぎたセーターはもらいたくないと思うけど(笑)、歌なら言えるし、聞ける。天野:そうですね(笑)。安野光雅さんはアンデルセンの『即興詩人』を、5年かけて口語訳したそうで・・・水彩画に秀でているが、絵本作家にも通じるような趣きがあるのです。『隠居大学』2『隠居大学』1
2026.02.27
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米原万里さんはガンに罹った後に、あらゆる療法を試んでも適わず他界してしまったが・・・彼女が描くエッセイは素晴らしかったと思うわけで、以下の通り復刻して読み直して見ましょう♪********************************************************* 【他諺の空似】米原万里著、光文社、2006年刊<「BOOK」データベース>より“世界はことわざで連帯する”米原ワールド炸裂!遺作、待望の刊行。<読む前の大使寸評>米原ワールドの遺作とのこと。・・・とにかく、エッセイストとしての米原さんの存在感はすごかったなあ♪amazon他諺の空似他諺をもうひとつ、見てみましょう。 p142~147<内弁慶> 家ではわがまま放題のマザコン息子や亭主関白気取りの夫が、マンションを買うときの値段交渉や、会社や役所に対する要求交渉に際して、家族を代表して頑張るか、というと、拍子抜けするほど意気地が無いのは、見慣れた風景ではある。 妻や子供に威張り散らす夫、部下に対して尊大な上司に限って、外面がむやみに良かったり、交渉事になると、やたら相手に対して物わかりが良くなってズルズル譲ってしまう、最低限言うべきことも言えないという内弁慶(日本)タイプが多いのだ。 それは、日本社会と日本人に限られた事情というよりも、人類、いや動物全般に普遍的な真実なのかもしれない。 というのは、高校英語で内弁慶に相当するものとして暗記させられたEvery cock is bold on his own dunghill= オンドリは自分の糞の上では勇敢だは、イギリス起源というよりは、広くヨーロッパ各地で人口に膾炙している諺である。 自分の縄張りの中から外へ出たときの恐怖とか心細さは、生き物全てに通ずる真理なのだろう。世界各地の諺には動物を喩えにしたものが多い。 荒い雄牛も見知らぬ土地ではおとなしいとニカラグアの諺では雄牛が登場するし、スペインのバスク地方では、外では鳩、うちでは大鳥と鳥に喩えている。 でも、借りてきた猫というふうに、猫を喩えにしている例は日本だけみたいなのだ。5匹の猫と同居するわたしは、己の縄張りの外に出たときの、文字通りの借りてきた猫状態を熟知しているので、まことに的確な喩えだと感心している。なのに他国の諺には猫の喩えが見当たらないのだ。むしろ、犬に喩える諺が、アジア中央部にやたら多い。 パキスタンでは、自分の町内にいる限り、犬も虎の気分といい、インドでは、家では犬も虎、トルキスタンやタジキスタンでは、自分の家にいれば犬も王侯貴族という。 しかし、今も複数の犬と同居するわたしは、散歩で遠くへ行こうとする犬の習性をよく知っている。縄張りから離れれば離れるほど犬たちは意気軒昂溌剌としてくる。どうも、犬に喩えるのは、間違っているのではないかと思うのだ。 もっとも、すっかりブッシュの犬としてポチの異名が定着した小泉を見る限り、たしかに驚くほど右の諺がピッタリ当てはまる。 先の訪朝では、汝は自分の国ではスルタンのくせして、他国ではびくびくしているというアフガニスタンの諺通りの振る舞いに終始してくれたのだ。 スルタンは、中世イスラム圏の絶対君主。治外法権みたいな存在だ。自国にいる限り、靖国参拝に違憲判決が出ても、涼しい顔してそれを無視し、憲法どころかイラク特措法にさえ違反してイラクに自衛隊を派遣し、完全に破綻した年金法改正案をファシスト的に審議打ち切り強行採決し、30年前に勤務実体のない会社に厚生年金を積み立ててもらうという犯罪行為を恥じることもなく、自分だけは法を守らなくてもよいと倣岸不遜に構えるこの男が、金正日と面と向かったとたんに、腰が引けて最低限の要求すら口に出せずに帰ってきたのだから可笑しい。(中略) そういえば、北朝鮮が核弾頭の保有をちらつかせてもアメリカ政府の対応はイラクに較べてずいぶん寛容だった。ミサイル防衛システムを日本や韓国に売り込むのに素晴らしい口実なのだろう。北朝鮮が韓国と統一などしたら、アメリカの極東における存在価値が吹っ飛んでしまうし。 そうか、そうか。小泉は借りてきた猫ゆえに金正日に優しかったのではなくて、ブッシュの忠犬としてあのように振る舞っただけなのかもしれない。『他諺の空似』4:内弁慶(日本)タイプ『他諺の空似』1:大山鳴動して鼠一匹『他諺の空似』2:頭隠して尻隠さず『他諺の空似』3:甘い言葉には裏がある *********************************************************■2017.12.08 『他諺の空似』https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201712080001/
2026.02.23
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ティッピという少女が持っているのは、象やアフリカの動物たちと交流する能力です。 ・・・ということで、以下の通り復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************図書館で『野生のティッピ』という本を、手にしたのです。冒頭にティッピの写真が数枚載っているが、どれにもティッピの魅力的な能力が写っています。・・・これは期待できそうである。 【野生のティッピ】シルヴィ・デグレ・ロベ-ル, アラン・デグレ著、小学館、1997年刊<「BOOK」データベース>よりティッピは、ナミビア生まれの最初のフランス人だ。私たちはこの広大なアフリカの地平線を、ティッピとともに分かちあうのだ。彼女は動物たちとふれあいながら、世界でもっとも美しい風景の中で大きくなっていくだろう。アフリカに移り住んだ家族の、愛と自由に溢れる驚愕のノンフィクション。<読む前の大使寸評>冒頭にティッピの写真が数枚載っているが、どれにもティッピの魅力的な能力が写っています。・・・これは期待できそうである。rakuten野生のティッピブッシュマンとの交流を、第14章「ブッシュマンの火を囲んで」で見てみましょう。 p225~229<Alain> 私たちは南アフリカの旅の最後にジョンと会うことにした。むしろ、ティッピがジョンと会うことにしたといったほうがよいかもしれない。これはずいぶん前から私たちに夢を与えるとともに、多少当惑もさせてきた話だ。 私たちはこの旅で、象のストンピーやヒョウのJ&B、そしてカメレオンンのレオンに出合った。またカラカルのサムに出合ったとき、ティッピは一緒に背丈の高い草に隠れ、ヤギの群れを驚かせたりした。さらに、子ライオンのムファサとも知りあった。 そして、この旅のあいだ私たちはずっと、動物とすぐ仲良くなるというティッピの能力に驚かされつづけたのだ。ジョンの意見はやはり正しいのかもしれない。ジョンは、ティッピのなかに文字どおり“”の要素があるのを見て、ティッピは“”少女なのだと言ったのだ。 ジョンが私たちが知りあったのは4年前のことだった。紹介してくれたのは、当時カラハリ保全協会に勤めていた私たちの友人ポール・シェラーだった。そのときのことは細かいところまでよく覚えている。 「やあ、シルヴィ! アラン! きみたちに会えるなんてうれしいね!」 「ポール! きみのベースキャンプからこんなに遠いところで、いったい何をやっているんだ?」 「きみだって、ティッピをいったいどこに隠したんだ?」 ティッピは柵のすぐ後ろにいた。彼女は、小さな水飲み場をよじ登り、空いている椅子すべてを登ろうと試し、四方八方を駈けずりまわったあとで、その柵を今しがた越えたところだった。 <ビストロ>のテラスはマウンでかならず立ち寄る場所だ。ドイツ人がやっているこの新しいレストランは、紅白の格子縞のテーブルクロスを使ったフランスふうのビストロだ。壁には、鉄板にマリンブルーのペンキでパリを模して通りを描いたプレートが飾ってある。綴りは発音に合わせたので劣等生並みの出来だが、まあしかたないか。 シルヴィも私もべつに誰かを待っているわけではなかった。やがて、そこにポールが現れたというわけだ。(中略) そうして、ポールに同行していたジョン・ハードバトルを私たちに紹介してくれたのだ。 ジョンは叢林生活者(ブッシュマン)のサン人で、顔つきは東洋的、目は切れ長で頬が突き出ていた。顔色は杏色で背が高く1メートル80はある。ふつう砂漠の民の身長は1メートル50あるかないかなので、これはずいぶん驚きだった。ジョンは母親がブッシュマンで、父親がイギリス人なのだ。 ジョンはすぐにティッピの存在に気付いた。彼の笑い声にティッピが笑い声で応えたからだ。ティッピはジョンの首にぶらさがり、彼の話をうれしそうに聞き、ブッシュマンの言葉でジョンに挨拶した。ブッシュマンの言葉はクリックと呼ばれる独特の舌打ち音で一語一語が区切られる。 この南アフリカの先住民は、おそらくモンゴル系の、人類の最も古い祖先で、度重なる異民族の侵入によって、最も過酷な地に追いつめられてしまった。ブッシュマンはその最後の避難場所を、誰も人のいないカラハリ砂漠中央に見つけたのだ。ボチマンまたは依然としてサンと称されるブッシュマンは、政治制度がなく、部族同士を束ねる首長をもたない平等な共同体を構成している。これらの部族は定住せず、族長もいない。部族は家族を核に構成されているのだ。 大人のブッシュマンはほっそりした顔立ちで、胡椒の種のような髪をしていて、その体格は西洋人の子供なら12歳ぐらいの大きさだ。男たちは今も弓で狩りをし、女たちは植物の根や昆虫の幼虫を棒切れを使って掘って探す。1万年前と同じだ。 子供たちは、なんの制約も受けずに、自分たちにとってよいと思えることをしながら時間を過ごす。というのも、学習は体験と観察によって行なわれるからだ。子供たちは採集に行く女たちについていって、砂漠では本当に貴重な水分を含むイモがどれなのかをしっかり学ぶ『野生のティッピ』6:ブッシュマンとの交流『野生のティッピ』5:ティッピとヒョウの交流『野生のティッピ』4:ティッピと象の遭遇『野生のティッピ』3:アフリカーンス語『野生のティッピ』2:アランとシルヴィ(つまりティッピの両親)『野生のティッピ』1:ティッピとリーダー象アブーとの交流*********************************************************■2018.07.30 『野生のティッピ』6https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201807300000/
2026.02.21
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図書館で『恐竜と共に滅びた文明』という本を手にしたのです。中を見てみると、線刻でやたらに恐竜の姿が見えるわけで・・・なんだ、この胡散臭い写真類はと思って、チョイスした次第です。*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【恐竜と共に滅びた文明】webp画像につき開示できず 浅川嘉富 著、徳間書店、2004年刊<「BOOK」データベース>より人類は恐竜と共存した!ICAの石「カブレラストーン」が解き明かす驚くべき人類の歴史。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/1703089/">恐竜と共に滅びた文明</a></td></tr></tbody></table>********************************************************* 「第1章 歴史の常識を覆すイカの線刻石」から、気になったあたりを見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p14~20<font color="brown">カブレラ博物館</font> ペルーの首都リマを出発したボルボは、南アメリカ大陸を南北に縦断するパンアメリカン・ハイウェイをひた走っていた。左右に広がる荒涼とした砂丘は、あらゆる植物の生育を拒否しているかのようで、車窓に広がる景色の中に、草木の姿はまったく見当たらない。 そんな荒涼とした景色の中を走ること約4時間、砂漠の中に忽然とオアシスが見えてきた。それが我々の目的地イカの町である。 荒々しい砂漠から街中に入ると、緑の木々がなんとも愛おしく思える。16世紀にインカを征服したスペイン人、ドン・ヘロニモ・カブレラによって建設されたイカは、観光地化されていないためか、物売りや派手な出店がなく、落ち着いた静かな町である。しかし、路地に一歩入ると、そこには古代からこの地に住むインディオの暮らしの息吹が感じられ、活気にあふれている。我々がこれから訪ねようとしている「カブレラ博物館」の所有者ハビエル・カブレラ・ダルケア博士は、この町の設立者の直系の子孫だった。過去形で述べたのは、訪ねてみて初めて分かったのだが、残念なことに、博士は1年半ほど前に他界していたからである。 カブレラ博物館は、イカ大学で教鞭を執る傍ら、開業医としても第一線で活躍していた博士が、自らの診療室の一部を改装した私設の博物館で、観光案内書やパンフレットの類には一切載っていない。そのため、我々は入国するや否や、その所在地を突き止めるのに躍起になった。その甲斐あって、かつてカブレラ博士の秘書を務めていた女性を、なんとか探し当てることができた。さっそく連絡したところ、博士の亡き後、彼女自身が博物館を管理しているとのことで、快く見学を許可していただけた。 この博物館には、今から40年ほど前の最初の発見以来、博士が収集した「カブレラ・ストーン」と呼ばれる「奇妙」な線刻石が展示されている。なにゆえ奇妙なのか。それらの石には、正統派学者に言わせれば、あるはずのない、また、あってはならない絵が彫り込まれているからである。 着いたのが昼休みで閉館中だったため、彼女の自宅に電話を入れて、待つこと十数分、白髪の交じった、70歳代の上品な女性が現れた。博物館の実質的な責任者エンマ・エルナンデス・アグアドさんである。 彼女に案内されて館内に入った我々は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。大小さまざまな石が棚や床に所狭しと並ぶその様は、さながら石の図書館だ。想像を遥かに超える数の多さに圧倒されてしまった私は、茫然自失。しばらく言葉が出なかった。 <font color="brown">恐竜は人類と共存していた!</font> 展示された石の数は1万個以上、ここに展示しきれない石も別の場所に補完されているという。入館早々、度肝を抜かれた私は、石に彫られた絵を見た瞬間、さらなる驚きに遭遇する。そこには、遠い昔に絶滅し、人類が目にしたはずのない恐竜の姿が、克明に描かれていたからだ。 背中に2列に並んだ剣盤(板状の骨)がはっきりと分かるステゴザウルス、長い首と巨大な胴体のブラキオザウルス、頭に3本の角を持ったトリケラトプス、肉食獣のティラノサウルス・・・石に刻まれたこれらの絵を眺めていると、遥かな過去の世界に誘われていくようだ。 単に恐竜の姿が彫られているだけではない。そこには、恐竜と人間との共存を裏付けるように、恐竜の首を切り取る恐竜狩りのシーンや、ティラノサウルスに頭をくわえられた人間の姿など、映画『ジュラシック・パーク』さながらの情景がリアルに描かれている。 これらはいつの時代、いかなる人々によって彫られたものだろう。 学者が説くところでは、恐竜たちが生存していたのは、今からおよそ2億5千万年~6500万年前の中生代と呼ばれる時代である。一方、人間の遠い祖先がこの世に出現したのは、せいぜい500万年前、現代人類の形態を持ったホモ・サピエンスに至っては、わずか10万年前のことである。 両者の間には6千万年以上もの、長大な歳月が横たわっている。もし学者の主張が正しいなら、人類が恐竜の姿を目撃し、その姿を石に彫るなどということは、ありえない。 しかし、現に我々が今目にしているのは、まぎれもなく人間が刻んだ恐竜の姿である。それも、空想によって描かれた類のものでないことは、その生き生きとした描写を見ればよく分かる。6千万年もの時空間は、いったいどこへ行ってしまったというのだろう。</TD></TR></TABLE>
2026.02.20
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。 <予約中>・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在60位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在130位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在156位 ・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)現在6位 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在76位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?) 現在20位 ・竹内幸恵『広告の昭和』(10/21予約、副本?、予約11) 現在5位 ・『山田洋次が見てきた日本』(11/05予約、副本?、予約12) 現在10位 ・朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(11/13予約、副本?、予約500)現在404位 ・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(02/18予約、副本?、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・素人校長ばたばた日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』・世界はなぜ日本カルチャーに熱狂するのか:図書館未収蔵・石ノ森章太郎『漫画家入門』・是川夕『ニッポンの移民』<予約分受取:12/07以降> ・ババヤガの夜(10/28予約、12/07受取)・麻田雅文『日ソ戦争』(1/16予約、12/11受取)・真山仁『タングル』(12/18予約、12/28受取)・「国境なき医師団」(8/21予約、1/22 受取 ) ・宙わたる教室(2024年12/28予約、1/22 受取 ) ・天気でよみとく名画(3/22予約、1/29 受取) ・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、1/29 受取)**********************************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/05895e22c5f5d3f33cf13a5002e3622b50b592e0.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" /> 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17748858/">潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う</a></td></tr></tbody></table>(中略)<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【女の国会】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/4a34fb85499e8651f6c05126dfa9fa8697b37b1e.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />新川帆立著、幻冬舎 、2024年刊<「BOOK」データベース>より野党第一党の高月馨は窮地に追い込まれた。敵対関係にありつつも、ある法案については共闘関係にあった与党議員・朝沼侑子が自殺したのだ。「自分の派閥のトップも説得できていなかったの?法案を通すつもり、本当にあったの?」死の前日の朝沼への叱責が彼女を追い詰めたのではないかと批判が集まり、謝罪と国対副委員長の辞任を迫られてしまう。だが、長年ライバル関係を築いてきた高月には朝沼の死がどうも解せない。朝沼の婚約者で政界のプリンス・三好顕太郎に直談判し、共に死の真相を調べることにー。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/04予約、副本?、予約?)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17815483/">女の国会</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【昭和的】.webp画像につき開示できず関川夏央著、春陽堂書店、2025年刊<「BOOK」データベース>より時は過ぎた。「昭和的センス」から逃れられない、時代遅れの著者のささやかな抵抗。辛口にして味わい深い珠玉のエッセイ集。【目次】第一章(山田風太郎の長寿祝い/ヤクザ映画と三島由紀夫/『まんだら屋の良太』回想 ほか)/第二章(『天国と地獄』の撮影/世界人口が二十億人だった頃/「猫の手」たちの一九七〇年代 ほか)/第三章(『秋刀魚の味』に映されたプロ野球/人生はジュークボックス/「火星土地分譲予約受付証」 ほか)<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/26予約、副本?、予約?)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18167516/">昭和的</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【十五年戦争小史】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0170df1018b4946119f2a0fa8eaa711fc27b18e0.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />江口圭一著、筑摩書房、2020年刊<出版社>より戦争は、誰によっておこされ、どのように展開したか 。本書では、1931年の柳条湖事件の謀略に始まり、45年ポツダム宣言受諾と降伏文書調印によって終わった一連の戦争を「十五年戦争」と呼び、その曲折に満ちた過程と全体像を克明に描く。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/16予約、副本?、予約?)>chikumashobo<a href="https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480510068/">十五年戦争小史</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【広告の昭和】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c5a1e0bf25de8d020a23e3131ab435edeb9bf7c6.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />竹内幸恵著、青土社、2025年刊<「BOOK」データベース>より60秒に凝縮された、知られざる白熱の群像劇。図版多数。戦前、国家メディア戦略に加担した「動く広告」。それは戦後になって一転、新しいメディアであるテレビに舞台をうつし、昭和の前衛を牛耳ると同時に“普通の人々”の心をも掴んでいく。制作したのは時代を先駆けるランナーたち…かれらは広告だからこそ、既成のもとにとらわれない冒険ができた。広告の視座から激動の昭和を問い直す、唯一無二の試み。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/21予約、副本?、予約11)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18234443/">広告の昭和</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【山田洋次が見てきた日本】.webp画像につき開示できず クロード ルブラン 著、大月書店 、2024年刊<JPRO>よりフランスで山田洋次作品を普及するジャーナリストが監督の懐深くに飛び込み、大胆かつ細やかに著した評伝の決定版。旧満州での生立ち、『こんにちは、母さん』まで全90作品の魅力、作品が映し出す日本社会論など、ファン必携。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/05予約、副本?、予約12)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17939642/">山田洋次が見てきた日本</a></td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【イン・ザ・メガチャーチ】.webp画像につき開示できず 朝井リョウ著、日本経済新聞出版 、2025年刊<「BOOK」データベース>より久保田慶彦(47)レコード会社勤務。とある能力を買われ、アイドルグループ運営に参画することに。武藤澄香(19)留学を志す大学生。内向的な気質に悩むうち、一人のアイドルに出会う。隈川絢子(35)契約社員。舞台俳優を熱烈に応援中だが、ある報道で状況が一変する。ファンダム経済を築く者、のめり込む者、のめり込んでいた者…三者三様の視点で浮かび上がる、人間の心を動かす“物語”の功罪。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18328668/">イン・ザ・メガチャーチ</a></td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ヒップホップ・モンゴリア】.webp画像につき開示できず 島本一平著、青土社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(02/18予約、副本?、予約0) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/">ヒップホップ・モンゴリア</a></td></tr></tbody></table> 図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202101200000/">予約分受取目録R26</a><a href="https://book.asahi.com/reviews/">好書好日トップ</a><a href="https://www.lib.city.kobe.jp/">図書館情報ネットワーク 蔵書検索</a>
2026.02.19
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今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館> ・文学は予言する・日本にレイシズムがあることを知っていますか?・恐竜と共に滅びた文明<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【文学は予言する】webp画像につき開示できず 鴻巣友季子 著、新潮社 、2022年刊<「BOOK」データベース>より小説から見通す世界の「未来」とは。圧倒的な文学案内!トランプ政権誕生で再びブームとなったディストピア小説、ギリシャ神話から18世紀の「少女小説」まで共通する性加害の構造、英語一強主義を揺るがす最新の翻訳論ーカズオ・イシグロ、アトウッドから村田沙耶香、多和田葉子まで、危機の時代を映し出す世界文学の最前線を、数々の名作を手がける翻訳家が読み解く。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17336478/">文学は予言する</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【日本にレイシズムがあることを知っていますか?】webp画像につき開示できず 原由利子 著、 合同出版 、2022年刊<「BOOK」データベース>より日本社会の人種・民族・出自差別の歴史と構造。レイシズムの本質と危険性。どうすれば差別のない社会がつくれるのか。国連、政府、市民の役割とはなにか。いま、私たちが知っておくべき、社会の分断を回復する知恵、行動への一歩。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17163576/">日本にレイシズムがあることを知っていますか?</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【恐竜と共に滅びた文明】webp画像につき開示できず 浅川嘉富 著、徳間書店、2004年刊<「BOOK」データベース>より人類は恐竜と共存した!ICAの石「カブレラストーン」が解き明かす驚くべき人類の歴史。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/1703089/">恐竜と共に滅びた文明</a></td></tr></tbody></table>
2026.02.19
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ガラパゴスとはスペイン語でゾウガメをさすgalapagoからきているということで、興味深いのです。・・・ということで以下の通り復刻して読み直してみます*********************************************************図書館で『ダーウィンの足跡を訪ねて』という本を、手にしたのです。「集英社新書ヴィジュアル版」とあるとおり、カラー写真が多い新書となっていて目を引くので・・・チョイスした次第です。*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ダーウィンの足跡を訪ねて】webp画像につき開示できず長谷川 眞理子著、集英社 、2006年刊<「BOOK」データベース>より進化の理論を確立し、今日に至る進化生物学の基礎を築いたチャールズ・ダーウィン。彼は、後世の学問に、真の意味で巨大な影響を及ぼした数少ない科学者である。ダーウィンの考え方や投げかけた問題は、いまだに解けないさまざまな謎を含み、現在でも重要なものとなっている。彼はどのような生涯を送り、どのような思惟の果てに、画期的な理論を創出したのだろうか。著者は長い期間をかけて、ダーウィンが生まれ育った場所、行った場所など、それぞれの土地を実際に訪れ、歩いてみた。シュルーズベリ、エジンバラ、ケンブリッジ、ガラパゴス…。ダーウィンゆかりの地をめぐる、出会いと知的発見の旅を通して、その思索と生涯、変わらぬ魅力が浮かび上がる。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/4107753/">ダーウィンの足跡を訪ねて </a></td></tr></tbody></table>「ガラパゴスの動物たち」にダーウィンの面白さが表れているので続けて見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P119~120<font color="brown"><ガラパゴスの動物たち(Part 2)></font> ガラパゴスとはそもそも、スペイン語でゾウガメをさすgalapagoからきているという。その名の通り、ここには、どれもこれもそれぞれに奇妙な他の動物たちに混じって、太古の遺物のようなゾウガメたちがのしのしと歩いている。 サンタ・クルス島の火山の上のほうまで、小型バスで上がっていくと、自然に生息しているゾウガメたちを見ることができる。ウシたちが寝そべる牧場を過ぎ、バスを降りて、ガイドとともに小道を歩き始める。いたいた!頭からお尻まで1メートルもありそうな、装甲車のような動物が、イネ科の草の茎を、むっしむっしと音をたてて噛んでいる。双眼鏡を通してアップでとらえたその顔は、爬虫類独特の冷たいまなざしと、大きな手のいかにもゆったりとしたのろい動作が、かなりのミスマッチを呈していた。 1835年にダーウィンがガラパゴスを訪れたとき、ゾウガメはどこにでもたくさんいた。ビーグル号がサン・クリストバル島に停泊した日には、乗員たちが15匹のゾウガメを捕えてきた。どの個体も非常に大きく、「そのうちの1匹は、□□ポンドもあった」と、ダーウィンの日誌にある。あとで測定した体重を書きつけようとしたらしいが、どういうわけか空欄のままだ。 それでも、当時からすでに、ゾウガメは乱獲でいずれ絶滅するのではないかと危惧されていた。ダーウィンは9月23日にチャールズ島に上陸した。そこには、エクアドルからの流刑の囚人が200から300人ほど住んでおり、ローソンというイギリス人が監督をしていた。彼らの主食はゾウガメの肉である。 ローソンがダーウィンに語ったところによると、その数年前には、フリゲート艦が1日で200匹ものゾウガメを捕ってきたきたということだが、今では数が激減している。ローソンは、あと20年はもつだろうが、と語った。 1835年から20年といえば1855年である。しかし、ゾウガメたちは1855年までに全滅はしなかった。今でも、私たちにその太古の姿を垣間見せてくれる。しかし、今度こそ本当に、彼らは絶滅の危機に瀕している。それを象徴しているのが「ロンサムジョージ」と名づけられたゾウガメの存在だ。 ガラパゴスの各島には、それぞれ固有のゾウガメが住んでおり、13種が知られていたが、そのうち、フェルナンディーナ島とフロレアーナ島の種類は絶滅した。ピンタ島にも固有の種がいたが、乱獲と、1950年代に持ち込まれたヤギが野生化して植生を荒らしたため、ほぼ絶滅したと考えられている。少なくとも雌はもういない。 1906年に、カルフォルニア科学アカデミーのグループがピンタを訪れたとき、3匹の雄を保護した。それ以来、ピンタではゾウガメが目撃されることはなかったが、1971年、ヤギの撲滅をめざしていた野生動物管理官が1匹の大きな雄を見つけた。これが「ロンサムジョージ」である。それ以来、彼はチャールズ・ダーウィン研究所の施設で暮らしている。 ピンタの雌は絶滅してしまったと思われるので、ジョージの「お嫁さん候補」は、遺伝的にもっとも近いと考えられる。イサベラ島のウルフ火口に住む種類から選ばれてきた。性行動は起こるのだが、これまでのところ、産卵と発生までは至っていない。ピンタ島には、もしかしたらまだ雌が残っているかもしれない。こうして、ジョージの性的活動を保たせておいて、ピンタ島で雌を探し、発見されたらジョージとつがいにさせる計画である。 最悪の場合には、ジョージのクローニングもかんがえられているということだが、これは難しいだろう。ジョージは現在70から80歳。長寿の亀のことだから、まだ若いほうかもしれない。 </td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202512300000/">『ダーウィンの足跡を訪ねて 』1</a>
2026.02.18
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*********************************************************『漢字とアジア』という文庫本を読んでいるが、この本では思いの外、ハングルについて語られているわけで・・・ 『韓国が漢字を復活できない理由』という本を復刻して読み直してみようと、思い立ったのです。*********************************************************たとえ不自由はあろうとも「日本隠し」を続ける意地はすごいけど・・・隣国の民として「漢字・ハングル混じり文」だけは復活してほしいと思うのだ。豊田さんのこの本を読んで、切にそう思ったのです。 【韓国が漢字を復活できない理由】豊田有恒著、祥伝社、2012年刊<「BOOK」データベースより>韓国はもともと漢字の国だった。中国への従属関係から公文書はすべて漢文であり、世宗王が創製したハングルは蔑まれ、知識階級が使うことはなかった。日本統治時代、日本製の漢語が大量に流入する。韓国で使われた漢字熟語の七、八割は和製漢語なのである。なぜ、韓国は、漢字を廃止したのか。その後、復活論がわき起こるたびに潰されてきたのはなぜか。韓国研究で名高い著者が、その深い謎に迫る。<大使寸評>豊田有恒と言えばSF作家とばかり思っていたが、著者の著述分野の多彩さにまず驚いた次第です。この本も書店で衝動買いした1冊でおま♪(Amazon豊田有恒参照)Amazon韓国が漢字を復活できない理由内容の一部を紹介します。 <李承晩大統領が出した「ハングル専用法」>p50~52 1945年8月15日、韓国で言う光復の日から、すでに67年、その間、韓国の漢字政策は、朝令暮改、試行錯誤の連続だった。 戦前の日本教育世代の多くの方々は、漢字・ハングル混じり文の効用を知っているから、日本語の言い換えと並行して、国語を再編成するに当って、漢字語の重要性を説いたが、李承晩大統領は、ハングル優先政策を採った。日本統治を逃れて、アメリカに亡命していた李大統領は、アメリカ人の夫人を伴い帰国し、大韓民国初代の大統領に任命されると時を同じくして、正式な建国の1948年に早くも「ハングル専用法」を公布し、公文書のハングル表記を命じた。「大韓民国の公文書はハングルで書くものとする。ただし、当分のあいだ必用な時には漢字を併用することができる。 付則、この法律は公布の日から実施する」 この「ハングル専用法」は、公文書のみを対象としたものだが、それでも漢字の併用を認めている。終戦後3年、韓国も大韓民国を称して独立したものの、いまだに言語そのものが、日本語の影響から逃れなかったのである。 李大統領は、日本漁船を拿捕するなど、反日をむき出しにした。ハングル政策も、その反日の一環だったのだが、必要な場合は漢字を併記することも認めざるをえなかった。やはり漢字抜きでは無理があると、考えたからであろう。 日本統治時代、植民地ではなく、併合していたのだから、国語といえば日本語だった。朝鮮総督府は、台湾でも同様だったが、日本語を国語とし、国語常用家庭を表彰するなど、日鮮一体化政策を遂行したが、必ずしも漢字・ハングル混じり文を、禁止したわけではなかった。慶応義塾に籍を置いたことのある筆者は、呼び捨てにしにくいので、あえて福沢諭吉先生と呼ばせてもらう。すでに併合以前、福沢諭吉先生は、王朝時代の漢文至上主義を批判し、みずからハングル活字を作らせ、漢字・ハングル併用を、推進しているほどである。こうした経緯については、のちほど詳しく説明する。 ただ、第二次世界大戦後、このことが仇となり、漢字・ハングル併用は、日本帝国主義の残滓のように誤解され、排斥の対象とされるようになった。その一方で、ハングルは、民族のシンボルの域にまで祭り上げられることになった。 <朴正熙は、なぜ漢字追放に踏み切ったのか>p52~54 ここで、ハングル派の言い分にも、耳を傾けてみよう。たしかに、ハングル派の努力によって、ハングルは、韓国社会に定着している。韓国は、日本と同様、識字率の高い国だが、日本時代の初等教育の普及と、ハングル教育に負うところが少なくない。ハングル派の言い分は、要約すれば、漢字論者への反論である。「ハングルは、韓国語の表記に適している。また、文字の機械化にも適している。それにもかかわらず、せっかく定着しているハングルに、漢字表記を加えることは、歴史の歯車を元に戻すようなものである」と、言うのだ。 これに対して、漢字混用論者は、こう主張する。まるで人体実験のように、韓国語の70%を占める漢字語を排斥した結果、相当数の教養欠落者を出した。教育効果を増進する漢字を、ただちに復活すべきである。 その後も、折に触れて、日本時代の教養を有する知識人たちは、ハングル至上主義による知識、教養の低下を憂え、漢字復活を建議し続けた。中には、漢字復活を訴え、ハングル至上の国粋派の指弾を受けて、大学の職を追われた教授すらあった。 韓国中興の祖とされる朴正熙大統領は、いわゆる第三共和国の一時期(1968~72年)、教育カリキュラムから、漢字を追放した。大邸師範学校を卒業した朴大統領自身は、必ずしもハングル至上主義ではなかったのだが、日本統治時代に奨励された漢字・ハングル混じり文が、いわゆる日帝のシンボルとして槍玉に挙げられたのである。 朴大統領は、日本の軍歴を持ち、日本寄りと見做されることも少なくなかった。朴大統領は、国民の大反対を押し切って、日韓基本条約を締結した。国民のポピュリズムに迎合しない姿勢は、高く評価されるべきだが、その代償のように漢字がスケープゴートにされたわけである。*********************************************************■2024.08.25『韓国が漢字を復活できない理由』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202408250001/
2026.02.17
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図書館に予約していた『天気でよみとく名画』という本を、待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。フェルメールの絵や浮世絵、さらには現代マンガも取り上げているとのことななので、チョイスしたのです。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【天気でよみとく名画】webp画像につき開示できず長谷部愛 著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>より「悪魔」の正体は局地風(ゴッホ“星月夜”)、描かれた雲から降水確率もわかる(フェルメール“デルフト眺望”)、天気の表現でわかる作家の出身地などなど、古今東西の名画やマンガを天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。画家たちの観察眼は気象予報士よりも凄いかも!?さらに、同じ地域でも時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの変化に気づくことだってできる。現役気象予報士による美大の人気講義を再現。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17748858/">天気でよみとく名画</a></td></tr></tbody></table>『第5章 島国イギリスの気象が生んだ「風景画」』でコンスタブルの絵が載っているので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P60~66<font color="brown"><気象予報士よりも凄い!? 雲をよみとく眼力></font> ジョン・コンスタブルは、ターナーとともにイギリスの風景画を刷新した画家です。しかし、風景の追及の方向性や表現は全く異なっています。コンスタブルは、写実的なガーティンに近い作風で、さらに気象学を絵画に反映した最初の画家の一人です。その表現で時代を切り開き、後の画家立ちにも大きな影響を与えました。気象学が芸術に影響した非常にわかりやすいケースです。(中略) 当時、「コンスタブルの風景画を見るとレインコートと傘がほしくなる」と苦言を呈されたこともあったのだとか。小雨が降りやすいイギリスの天気をいかに忠実に描いていたかがわかるエピソードですね。 この表現に辿り着くまでに、コンスタブルに何があったかというと、雲の研究や気象学の学びです。まず、«雲の習作»など、コンスタブルは雲だけを描いた作品を100点以上も残しています。そこには、年月日だけでなく、時間、そして、転機や風向、風の強さなど、今でいう気象データも書き込まれていて、どのような気象条件の時にどんな雲が見られるのかを記録した跡が残っているのです。 そして、ちょうどこの頃に、科学的な知見に基づいた気象学がはじまりました。その中で有名なのが、コンスタブルより4歳上のルーク・ハワードというイギリスのアマチュア気象学者です。ハワードは、本書でもこれまで説明してきた積雲などといった雲の分類のきそを作った人で、今でも国際的に使われている雲の分類を示した「国際雲図帳」はハワードの分類を発展させたものなのです。 コンスタブルは、このハワードの雲の理論が書いてある書物を読み、下線を引いて、自分の考えを記した書き込みを残していて、科学的に空を理解していたと言われています。そして、自分の講演会でも「絵画は科学であり、自然の法則における問いとして追い求めなければならない」と述べたそうそうです。«雲の習作»や研究の跡からは、非常に高い熱量があり、気象学の知識が相当なものであったことがわかるのです。(中略) 残念ながら、当時は自然をそのまま描くことが斬新すぎて、コンスタブルが生前にイギリスで評価されることはなかったものの、フランスを中心にだんだんと認められるようになり、モネやピサロなど印象派の画家に影響を及ぼしました。 イギリスでは今でも根強い人気があり、国内アーティスト20作品からお気に入りを選ぶアンケートでは、バンクシーの«風船と少女»に次いでコンスタブルの代表作«干し草車»が2位にランクインしています。 ターナーとは違う方法で、科学を取り入れながら表現を追求したコンスタブルの作品からは、気象学をよりどころにした自然や空へのアプローチが楽しめます。ターナーとコンスタブル、そしてハワードが同じ時代に存在したからこそ、多様な表現で、魅力的な空を楽しむことができている。そんな偶然に感謝するとともに、とても不思議な気持ちでいっぱいになるのです。</TD></TR></TABLE> <a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202602140000/">『天気でよみとく名画』1</a>
2026.02.14
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図書館に予約していた『天気でよみとく名画』という本を、待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。フェルメールの絵や浮世絵、さらには現代マンガも取り上げているとのことななので、チョイスしたのです。*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【天気でよみとく名画】webp画像につき開示できず長谷部愛 著、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>より「悪魔」の正体は局地風(ゴッホ“星月夜”)、描かれた雲から降水確率もわかる(フェルメール“デルフト眺望”)、天気の表現でわかる作家の出身地などなど、古今東西の名画やマンガを天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。画家たちの観察眼は気象予報士よりも凄いかも!?さらに、同じ地域でも時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの変化に気づくことだってできる。現役気象予報士による美大の人気講義を再現。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17748858/">天気でよみとく名画</a></td></tr></tbody></table>「第4章 豊かな日本の雲と雨」で浮世絵が載っているので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P112~116<font color="brown"><にわか雨に慌てる旅人 広重«東海道五十三次 庄野白雨»></font> 浮世絵師、歌川広重の表現力と観察眼を存分に味わうには、まず「雨」でしょう。広重の大胆であると同時に繊細な雨の表現は、人を惹きつけるものがあります。気象学的にも的確。四季によって、また時間によって変わる日本の雨の雰囲気を味わうことができます。広重の雨は、日本人と雨との関わり方を象徴するものになっていると思います。«東海道五十三次 庄野白雨»は、東海道の宿場町、庄野、現在の三重県鈴鹿市をモチーフにした作品です。白雨というのは、目の前が白く見えるほどの激しい雨という意味で、夕立、にわか雨のことです。 歌川広重«東海道五十三次 庄野白雨» 存在感を放つのは、画面を斜めに横切る無数の線。様々に幅を変える薄墨の線を画面の右上から左下に大胆に走らせ、ことらにまで雨音が聞こえてきそうな勢いを感じさせます。さらに、にわか雨が起きた時にしばしば吹く強い風が、大きく揺らぐ木々で表現されていて、躍動感にあふれています。 このようなにわか雨は、現代の雨雲レーダーでも予測ができないので、昔ならなおのこと想定外だったと思います。転がるように坂を下る番傘の男や、駕籠の雨よけの覆いが強風に煽られて今にもまくれてしまいそう。 そんな描写から、旅人たちが急な雨に慌てている様子が伝わってきます。現代の私たちにも共通するところがあり、「こういうことあるよなあ」と思わずクスっとしてしまうコミカルさがありますね。 また、白雨の時の空の特徴もしっかりと描かれています。積乱雲特有の重たく黒い雲が、画面の上部を縁取るような黒い線を引くことで、ひょうげんされています。さらに、雨や湿度によって遠くほどが見えにくくなる様が、木々のグラデーションで丁寧に描かれています。 単に「白雨」という情報を伝えているのではなく、雨の勢い、雲・空の特徴、人々の行動などなど、その時の雰囲気を生き生きと伝えるためのすべての要素が詰め込まれているのです。 広重は、あらゆる季節や時間で、様々な降り方をする雨を残しています。例えば、白雨と異なる雰囲気で描かれる「春雨」。春に降る雨は、実際にはしとしとと優しく降ったり、冷たい雨だったりと様々な降り方があるのですが、«東海道五十三次 土山 春之雨»で広重が描いたのは春に強く降る雨です。 現在の滋賀県甲賀市にある土山宿への峠道は、雨の多い場所。交差する線で雨を表現していて、風も感じられます。春には発達した低気圧がしばしばやってきて、強い風と雨をもたらしますが、その様子を捉えているのでしょう。低気圧による雨は、突然降るというよりも、雲が増えて空が暗くなり、雨が落ちてくるといったように徐々に変化するため、人びとが笠をかぶり、慌てた様子がないのも大きな違いです。また、雨に雪解け水も加わって嵩を増した川の音だけが聞こえるようで、暖かくなってきた春を感じさせます。(中略) 日本人は、古くから豪雨に見舞われ、命を奪われることも幾度となく経験してきました。そのため命に直結する雨に畏怖を抱くようになったと思われます。また、農耕民族である日本人にとって、雨は農作物を育む命そのもの。それが自然、水への信仰につながっていったのでしょう。 中国から伝わった水神の竜や大蛇が定着、水の神の河童なども生れ、それぞれにストーリーをもって古くから語り継がれてきました。現代では、アニメ『千と千尋の神隠し』の登場人物ハクが竜の姿で描かれていましたが、川や海の神を竜とすることも中国や日本の伝統的な表現ですね。</TD></TR></TABLE>
2026.02.14
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『装幀列伝 』(復刻) *********************************************************臼田捷治著、平凡社、2004年刊<「BOOK」データベース>より明治の洋装本以来、日本の装幀文化は、時を追って深みを増し、奥行きを広げていった。編集者による仕事、詩人による仕事、著者自装、画家、版画家、イラストレーターたちによる仕事。そして杉浦康平と杉浦を師と仰ぐデザイナーたち。また一方、独自の世界を築き上げたミニマリストたち。現代日本の装幀文化の水脈を、幅広く掘り起こした注目の書。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、その多彩な章立て、わりと独断的な趣きが気になるけど・・・まあ、借りて読んでみるか。rakuten装幀列伝イラストレーターの自装本はよく見るが、作家の自装本とやらを見てみましょう。p117~120■戦前・戦後の系譜と消長 1970年に三島由紀夫が逝ったあたりを堺として、文学は人生に欠くことのできない指標としての特権的位置から、他のレジャーと同様の、ひとつの均質な消費の対象へと変わりつつあった。安岡章太郎は仕事への打ち込みに自信がないと謙遜しているが、むしろ価値観の変貌しつつあった文学への安岡の冷めた心情が、上記の発言の背景にあるのではないだろうか。 そしていまや、多くの小説家や文筆を業とする人たちの装幀に対する認識は、安岡とほぼ同じレベルだといって差し支えあるまい。本文組にまで独自の美学を貫く京極夏彦のような例外は存在するものの、装幀は専門家に任せておくのが無難、というところが大方の著述家のいつわらざる心情だろう。■装幀の定則をくつがえした現代の自装本 しかし、著者自身による装幀への意欲の著しい低下のなかにあっても、自装本がまったく試みられなかったわけではもちろんない。戦後から50余年来でもっとも話題を呼んだのが、二百万部の大ベストセラーとなった村上春樹の『ノルウェイの森』上・下だった。上巻が濃い赤を地色として、文字が濃い緑色抜き。下巻はこれがそっくり反転して、緑の地に赤で文字が入っている。 いわゆるクリスマス・カラーによる配色とその上・下巻入れ替え。まるでコロンブスの卵である。同書の魅力はここに集約されるだろう。くわえて、小説の装幀の定則をくつがえす、装画など装飾要素のまったくない文字だけのミニマルな構成が斬新である。私も同書が書店の平台に並んだときの驚きと、若い女性客がためらいもなくひょいと手に取り、レジにさっそうと向かったのを目撃したときの記憶は今なお鮮やかである。 同書は主人公の「僕」が、友人・恋人の宿命的な自死を乗り超えて、現実としてのきたるべき人生の道筋を見つめようとする小説であり、さまざまな経験を通じた主人公の自己形成を綴っている。赤と緑の対比・反転は、死という非日常世界と、追想と出会い、愛、性が重なり合う日常世界とを往き来するロマンの基調音に見合うものであろうか。 小説家は読者からの質問に答えるかたちで次のようにコメントを寄せている。 「『ノルウェイの森』が出版されたのは1989年の9月で、べつにクリスマス・カラーを最初からねらったわけではありません。あの赤と緑は前から使いたいと思っていた色だったのです。あの色を選んだときには出版社の人々に『こんなきつい色じゃ本は売れませんよ』と反対されたことを覚えています。色にはとくに意味はありません」(村上春樹『そうだ、村上さんに聞いてみよう』朝日新聞社) 村上らしいちょとぶっきらぼうな回答であるが、いわば「超デザイン」で装われた同書が空前の大ヒットを記録し、「装幀の勝利」と喧伝されたことはこれからも長く語り継がれていくに違いない。 村上春樹と同姓であることもあって、とかく比較されるkとの多い現代文学の同じ人気作家、村上龍は76年、武蔵野美術大学基礎デザイン科在学中のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』を自装で世に問うた。群像新人賞、芥川賞を受賞した超話題作である。『装幀列伝』2:イラストレーターの仕事p78~82『装幀列伝』1:恩地孝四郎の装丁術p45~46、戦後の版画家装丁p52~54 *********************************************************■2018.07.30『装幀列伝』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201807300001/
2026.02.13
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瀬戸内寂聴さんが亡くなられて久しいが、寂聴さんと横尾忠則がとの交友が面白いので・・・以下の通り復刻して見てみましょう♪<『老親友のナイショ文』(復刻)>瀬戸内寂聴さんが亡くなられましたね。その遺徳を偲んで、10日ほど前にUPした記事を復刻します。不撓不屈で頑張ってこられた寂聴さんでしたが、お疲れさんでした。図書館で『老親友のナイショ文』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、90年、80年生きた人間というのがやたらに出てくるわけで・・・これこそ老人むけの書である。【老親友のナイショ文】横尾忠則×瀬戸内寂聴著、朝日新聞出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より百歳目前にして日々ペンを走らせる瀬戸内寂聴と、八十代半ばにして現役バリバリ横尾忠則。半世紀ほど前に出会った二人による、週刊朝日連載の往復書簡をまとめた書籍。〝老親友〟の二人が昭和からの交流を振り返り、世相を見抜き、奔放にユーモラスに生きること、長寿の悲喜こもごもを互いへの手紙形式で伝えあう。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、90年、80年生きた人間というのがやたらに出てくるわけで・・・これこそ老人むけの書である。amazon老親友のナイショ文横尾さんの文才のあたりを、見てみましょう。p165~167<ヨコオさんの文学的才能 見抜いたのは私> ヨコオさん 今回の手紙は、はからずも「小説」の話になって面白いですね。それに、嵐山光三郎さんが出てきたので、思わず「ヨーッ」と叫んで、おでこを叩いてしまいました。 嵐山さんの名前で書かれた活字の文章は、目につく限り、すべて読んでいます。別に義務があるわけでなく、彼氏の作文は、何を読んでも、断然、面白いからです。第一に、文章がよろしい。内容が気が利いている。必ず途中で笑わされる。すべてが粋である。こんな文章を見逃すのは、よっぽど運が悪いか、アホーな人間である。 仰せの如く、嵐山さんは、物書きになる以前は、雑誌「太陽」の編集長だった。私もヨコオさんも、その頃の嵐山さんが初対面であったようですね。嵐山さんは30代になっていたのだろうか。粋で、おしゃれで、言動のすべて、気が利いていた。 向かい合うと、いつの間にか、自分が常以上のおしゃべりになり、あること、ないこと、面白おかしく喋くりまわっている。喋り疲れて口を閉ざすと、間髪を入れず、「では、その話を、6枚のエッセイにまとめてください。締切は××日です」 とか言う。こうして、私はいくつエッセイを「太陽」に書かされたことか。取材の度に何度一緒に出掛けたことか。 私は内心、この人はきっと作家になるだろう。でなければ、出版社を造って、社長になるかも…と思っていた。 ヨコオさん、私の直感は、かくの如く凄いのよ。ヨコオさんの文学的才能をいち早く認めたのも、私だったことを忘れないで! 井上光晴さんが、いきなり電話をかけて、ヨコオさんにはじめての小説を書かせたのも、私が井上さんに、「天才がいるよ、若いけれどホンモノよ、あなたの雑誌“辺境”に彼の最初の小説を貰いなさい。歴史的事件になるよ!」 とわめいて、井上さんが何の紹介を持たず、いきなり、あなたにあの大声で電話をかけた次第だったのです。 私は昔から、天才が好きで、天才に憧れていました。未来の天才の若きヨコオ青年の身内にひそむ天才の本質を、すでに私は、見抜いていたというわけです。(もっと、尊敬しろ!)この本も老人力あれこれに収めておくものとします。『老親友のナイショ文』3:戦争体験『老親友のナイショ文』2:瀬戸内さんの返信『老親友のナイショ文』1:老年の価値
2026.02.10
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/29c05c8423994732723758730e829579c1779831.26.2.9.2.jpeg" alt="内田" border="0">最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、西加奈子さんは♪で区別します。今回表示分は*)*日本にとって「最悪の事態」*「環球時報」からの質問への答え・橋本治『「わからない」という方法』の韓国語版解説 ・移民問題の本質・遠ざかる戦争の記憶・「内田樹論第三部」 のためのまえがき・ 勝ちに居着く・ 敗戦から80年・ 日本の現状と危機について ・沈む祖国を救うには・『知性について(仮題)』まえがき・これだけは確かなもの・兵庫県知事選とメディアの役割・自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」・「パンとサーカス」解説・共感ベース社会の陥穽・死ぬってどういうことですか?・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他 ・安倍政治を総括する(目次全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/6056/">ここ</a>)(その82):『日本にとって「最悪の事態」 』を追記<hr size=3 color=green>2026衆院選結果は高市政権圧勝という結果になったが・・・内田先生がまたまた、勇ましい(?)高市首相の危うさを説いております。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">2026-02-02 <a href="http://blog.tatsuru.com/2026/02/02_0907.html"> 『日本にとって「最悪の事態」』 </a>より 日中関係の緊張が高まっている。この原稿を書いているのは2015年の12月下旬だが、本が出る頃には時局はまた変わっているだろう。 高市早苗首相の「台湾有事発言」から始まった日中関係の悪化は、中国総領事の暴言、中国人観光客留学生への渡航自粛、水産物の輸入禁止、低レベルの経済制裁、公海上での軍事的示威、空自機へのレーザー照射・・・と段階をふんでエスカレートした。首相が発言を撤回し、失言を謝罪するまで中国の対日圧力はこのまま加圧されてゆくだろう。 中国政府の圧力について「カードを切る」という比喩がよく使われるけれど、実際に行われているのは「カードを切る」というようなデジタルな切り替えではなく、「ボリュームを上げる」というのに近いアナログな加圧である。つまり制裁には無限の選択肢があるという意味である。 今、レアアースは輸出許可が下りるまでこれまでより時間がかかっているそうであるが、これが「アナログな加圧」である。遅れが一週間になり、ひと月になり、半年になり、一年になる頃には、日本の自動車産業も電子産業も壊滅的な被害を受けることになるだろう。 中国はこの「アナログな加圧」については豊かなノウハウの蓄積がある。よく知られている通り、中国では治安維持予算が国防予算を超えて久しい。つまり、中国政府は外敵の侵攻のリスクよりも、国内で反政府運動が起きるリスクの方を高く査定しているということである。だから、国民監視の技術が発達する。中国の国民監視システムは世界最高レベルにあり、世界各地の独裁政権に「パッケージ」で輸出されている。 その中に「社会的信用システム」という監視技術がある。国民全員に「社会的信用スコア」が配点されている。政府の政策に賛同し、ネットで習近平を絶賛するような国民は高い信用スコアが得られる。逆に、共産党を批判をしたり、文化大革命や天安門事件や新疆ウイグルの民族運動に言及したりした国民には低スコアがつけられる。 低スコアだからと言って、いきなり逮捕投獄拷問というようなハードな処罰はされない。ただ、外国旅行の申請が通らないとか、ホテルや列車の予約が取れないとか、ネットがなかなか繋がらないいうようなテクニカルなストレスがかけられるだけである。ソフトな拷問である。ただし、この拷問からは主体的に逃れることができる。ネットで習近平を絶賛し、通販で毛沢東全集を買い、中国共産党に入党申請をする・・・というような「面従腹背」行動をすればスコアを上げることができる。 そこが悪魔的な仕掛けである。別に中国共産党は14億の国民が心から独裁者に服すことを求めているわけではない。「独裁者に服すふりをする」ことを求めているのである。「心からの忠誠」を獲得するためには膨大な洗脳コストがかかる。「上に政策あり、下に対策あり」と言われるように、中国人は権力者に従いはするけれども、権力者を信じてはいない。だから、「反権力的なそぶりを見せると処罰されるが、権力者に阿ると『いいこと』がある」というわかりやすい利益誘導をする。 私が言いたいのは「中国はアナログな拷問術についてはノウハウの歴史的蓄積がある」ということである(「則天武后以来の」と言ってもいい)。日本人は「真綿で首を絞められる」というのがどういう感じのことなのかを、これからゆっくり味わうことになるだろう。 (中略)「最悪の事態」というのは台湾有事のことではなくて、台湾有事が起きてもアメリカが「来援」するどころか「東アジアのことについてはお前たちがなんとかしろ」と言って、背中を向けて立ち去り、その後に自前の国防戦略を持っていない日本が呆然と取り残されるという事態のことである。 どうして「最悪」かと言うと、その場合、人々がすがりつく先が自衛隊しかないからである。国防について多少とでも実践的な知識と技術を持っているのは自衛隊だけである。「これからどうしたらいいでしょう」とすがりつかれたら、自衛隊としても「とりあえず憲法九条を廃棄して、国家予算の半分ほどを国防費に充て、徴兵制を施行し、治安維持法を制定して、特高を復活させてください。話はそれから」としか答えようがあるまい。参照すべき国防戦略として日本人は大日本帝国のそれしか知らないのだから、仕方がない。 こうして日本は周囲のすべての国に不信と嫌悪のまなざしを向ける、ハリネズミのような武装国家、つまり、「金のある北朝鮮」になる。そして、その時に、「これって、もしかしてオレたちの理想の国家なんじゃないの」と思わず笑みを漏らす人が国民の多数を占める...、というのが私の想像しうる「最悪の事態」なのである。(『一冊の本』、2025年12月31日) </TD></TR></TABLE> <hr size=3 color=green>内田先生が、勇ましい(?)高市首相の危うさを説いております。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">2025-11-23 <a href="http://blog.tatsuru.com/2025/11/23_0832.html"> 『「環球時報」からの質問への答え』 </a>より 「歴史的教訓に対する集団的忘却」が症状として現れたのは、1990年代以降、戦中派の人たちが社会の第一線から引き、鬼籍に入るようになってから後の話です。「南京大虐殺はなかった」「日本が植民地を解放したことにアジアの人々は感謝している」というようなことを戦争経験のない世代の人たちが言い出した。 少し前ならこんな発言は戦中派に「何も知らんくせに、わかったようなことを言うな」と一喝されたでしょうけれども、「一喝する人」がいなくなった。すると、その記憶の間隙をつくように歴史修正主義者が湧いて出てきた。その「社会心理」的な条件はヨーロッパにおける歴史修正主義の場合とそれほど変わらないと思います。 日本の戦中派の人たちが、自分たちが朝鮮半島や中国大陸やインドシナ半島や南方で何をしてきたのか、その加害事実について正確な証言を残しておいてくれたら、その後の歴史修正主義の猖獗をいくぶんかは抑制できたのではないかと悔やまれます。 いま好戦的な言動をする政治家たちやイデオローグたちを駆り立てているのは「屈辱感」と「嫉妬」だと思います。かつて植民地として支配した国、軍事的に蹂躙した国が、今は国力において日本を凌駕しようとしている。その事実を彼らは直視することができない。その屈辱感と嫉妬が抑圧されて、アジアの隣国に対する無根拠な優越感と攻撃性として症状化している。私はそう診立てています。 「失われた三十年」と呼ばれる日本の衰退の理由は、突き詰めて言えば、1945年の敗戦をもたらした理由を本格的に検証しなかったことにあると思います。国家の制度設計のどこに問題があったのか、どのような政策判断の誤りがあったのか、それをていねいに自己点検して、制度を補正し、政策の適否で吟味する知的習慣がなかった。 日本人がいまから敗戦の原点まで立ち還って、隣国と友好的に共生し、国際社会で名誉ある地位を占める「道義的な国家」になることができるかどうか、日本の未来はそこにかかっていると私は思っています。果たして、そのような国をかたちづくることができるかどうか、決して楽観はできません。しかし、それ以外に日本が目指す未来はないと思います。 最後に一つだけ補足的な情報を付け加えておきます。 Foreign Affair Report の最新号でブレジンスキー(CSIS顧問)は日本のアジアにおける地位について、次のような分析を下しています。 「日本はアメリカのグローバル・パートナーであっても、アジア大陸の外縁に位置する中国に対抗する同盟国ではない。こうした基本を押さえてこそ、アメリカのグローバル・パワー、中国の地域的優位、日本の国際的リーダーシップという三つのパワーが、ともに共存する環境を模索できるだろう。日本が軍事的な対米協調姿勢をあからさまに強化すれば、そうした共存路線が脅かされる。日本は極東におけるアメリカの浮沈空母であってはならないし、アジアでのアメリカの主要な軍事パートナーであってもならない。そうした日本の役割をアメリカが後押しすれば、アメリカをアジア大陸から切り離し、中国と戦略的合意に達する見込みを低下させ、ユーラシアの安定を強化するアメリカの能力を損なうことになる。」 「戦争情緒」に煽られている日本人にこのアメリカのリアルで怜悧なアジア戦略を理解できる程度の読解力があるといいのですが。 </TD></TR></TABLE><hr size=3 color=green>以降の全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202401020001/">内田先生かく語りき62</a>による。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511290001/">内田先生かく語りき81</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511010002/">内田先生かく語りき80</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202509270000/">内田先生かく語りき79</a>
2026.02.09
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村上春樹の『村上ソングス』がええわけで以下の通り復刻して読み直そうと思う次第です♪ *********************************************************図書館で『村上ソングズ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると…英文の原詞、和文の訳詞、和田さんの挿絵、村上さんの解説がセットになっている構成が並んでいて、装丁として洒落ていてええでぇ♪ 【村上ソングズ】村上春樹著、中央公論新社、2010年刊<商品説明>より厖大なレコード・コレクションの中から、ビーチボーイズ、ドアーズ、H.メリル、T.モンク、B.ホリデイ、S.クロウ、スプリングスティーンほか、ジャズ、スタンダード、ロックの多彩なアーティストをピックアップ。「中国行きのスロウ・ボート」「酒とバラの日々」などなど、訳詞とエッセイで紹介するお気に入りのあの曲、知る人ぞ知るこんな曲。和田誠さんのカラフルな絵も満載。<読む前の大使寸評>英文の原詞、和文の訳詞、和田さんの挿絵、村上さんの解説がセットになっている構成が並んでいて、装丁として洒落ていてええでぇ♪rakuten村上ソングズもうひとつ「酒とバラの日々」を、見てみましょう。 p160~163<酒とバラの日々> 美酒とバラに彩られた日々は遊びに興じる子供たちのように草原を抜け、閉じかけた扉にむかって笑い声を残して走り去っていく。その見覚えのない扉には「もう終わった」と記されている。孤独な夜が運び来るのはあなたの微笑みの記憶を孕んだ一陣の夜風でしかない。美酒とバラとあなたの日々に私を導いてくれたあの輝かしい微笑みであったのに。<The Days Of Wine And Roses> The days of wine and rosesLaugh and run awayLike a child at playThrough the meadowlandToward a closing doorA door marked "nevermore"That wasn't there beforeThe lonely night disclosesJust a passing breezeFilled with memoriesOf the golden smileThat introduced me toThe days of wine and rosesAnd you<酒とバラの日々> ニョニー・マーサーとヘンリー・マンシーニが1962年に、同名の映画のために作った名曲。前年の「ムーン・リバー」に続いて、このコンビが2年連続でアカデミー主題歌賞をとった。 映画自体は、アルコール依存症になって人生の坂を転げ落ちていく若い夫婦を描いたかなりシリアスな内容で、妻リー・レミックのお父さん役を演じたチャールズ・ビッグフォードの演技が秀逸だったが、後半の「これでもか」という暗さにはいささか辟易させられた。 高校時代にリバイバル上映されて、ガールフレンドと二人で見に行ったんだけど、映画の選び方を間違えたかもしれない。映画館を出たあと、あまり雰囲気が盛り上がらなかったような気もする。しかしその話の暗さとは裏腹に、繰り返し流れるテーマ音楽はどこまでも美しく哀しく胸を打った。レコードを買ってきて、歌詞の全文をそのまま暗記してしまった。そんなに長い歌詞ではないので、今でもそっくり覚えている。 音楽の流れに乗って英語の歌詞を聴いていると、とてもすんなりと自然にイメージが紡がれていく。使われている言葉も、どちらかというと素直で平明なものだ。両義性や気取った仄めかしのようなものはどこにも見あたらない。しかしその歌詞をいざ日本語に置き換えようとすると、一筋縄ではいかないことがわかる。 簡単な言葉ほどむずかしいということもある。それからたとえば関係代名詞が多くて、「・・・するところの」という感じが続き、文節の入れ替えにも苦労することになる。当たり前のことかもしれないけれど、歌詞が磨き抜かれていればいるほど、その美質を損なうことなく、しかも内容に忠実に日本語に翻訳するのは至難のわざになる。 この歌詞を、今の僕の年齢になって読むと、それなりの実感はある。歳を重ねるにつれて、若いときには開いていたいくつかの扉が閉じられていくし、その多くには「もう終わった」と記されている。それらの扉が開くことはおそらく二度とあるまい。それはもちろんある意味では悲しく切ないことだ。 しかし不思議なことなのだが、この歌詞を読んで17歳の頃に心の内で感じた悲しみや切なさの方が、僕が今こうして現実に感じている悲しみや切なさよりも、より深く切実であったように思う。どうしてだろう? 歳をとって、僕の感受性が衰えたからだろうか? いや、そうではあるまい。たしかに僕はいろんなものを失ってきたけれど、失ってきたものの記憶が、今となっては逆に僕という人間を底から温めてくれているからだと思う。ウーム 映画の方はさることながら、翻訳家の苦労話にもなっていて、興味深いのです。『村上ソングズ』1:中国行きのスロウ・ボート『村上ソングズ』2:酒とバラの日々 *********************************************************■2019.05.08 『村上ソングズ』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201905080001/
2026.02.08
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