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図書館に予約していた『イネが語る日本と中国』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。図書館に予約するには、この種のやや専門的な本が狙い目かもね♪【イネが語る日本と中国】佐藤洋一郎著、農山漁村文化協会、2003年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1 ジャポニカのイネは中国生まれ/2 黄河と長江ー中国二つの顔/3 イネの遺跡・遺物/4 水稲の誕生/5 中国の稲作風景/6 イネ、日本に至る/7 占城稲のゆくえ/8 現在水稲品種の系譜/9 米の日中比較<読む前の大使寸評>図書館に予約して5日後にゲットしたが、この種のやや専門的な本が狙い目かもね♪<図書館予約:(3/19予約、3/24受取)>rakutenイネが語る日本と中国この本の冒頭あたりを、見てみましょう。p8~10 <長江流域の遺跡から出土したイネたち> そもそもイネのおこりは中国大陸にある。今世界各地で発見されている稲作遺跡のうち、7000年をさかのぼる年代を持つものは長江の中・下流以外の地には見つかっていない。こうしたことから、世界で最初にイネが栽培されたのが、長江の中・下流域でえあることがわかる。 長江の中流の湖南省や江西省南部の山岳地帯には多数の洞穴遺跡が見つかっており、そのいくつかからはイネの遺存体など、人がイネとかかわっていた痕跡がいくもみつかっている。このあたりは石灰岩が作る複雑な地形をなしており、奇抜な形の山々が連なるところとして知られる。日本でも有名な桂林(江西壮族自治区)もこの一角にある。 湖南省の玉セン岩遺跡の約12000年前の地層からは野生のイネのものと思われるイネの種子が出土している。もっともこの年代値は地層の年代であって、そのイネ種子の年代ではない。よって玉セン岩遺跡の野生イネが本当に12000年前のものかどうかはわからない。(中略) これら華南の山岳地帯から少し北に移動すると、長江やその支流が作った大氾濫原に出る。この地域は、氾濫原とは言うものの、平野と平野の間にはそれ以前の地層が作ったなだらかな丘が連なり、全体としては複雑な地形をなしている。大きな低地にはかの杜子春で著名な洞庭湖やバン陽湖などの浅くて広い湖が広がっている。これら湖沼のふちやその上に広がる扇状地にも太古の稲作遺跡が広がっている。 それらのうちのひとつ、城頭山遺跡(6500年まえ)からは巨大な宮殿または神殿とも思われる建物跡のほか、城郭と思われる構造物やそれに伴う門などの都市機能、さらには多量のイネ籾などの遺物が発見されている。この遺跡は、梅原猛氏や安田喜憲氏らが長江文明の探求の一環として発掘した遺跡のひとつであり、その解明が待ち望まれているもののひとつである。また、城頭山遺跡の数キロ南には、籾の圧痕がついた9000年前のものとも言われる土器のかけらがみつかったボウ頭山遺跡がある。 長江下流にも、この地が太古から稲作が営まれてきたことを示す幾多の遺跡が発見されている。セツ江省の河姆渡遺跡や羅家角遺跡は約7000年前の稲作遺跡とされる。このうち河姆渡遺跡では多量のイネ籾とともに膨大な量の農具や建物あと、さらには精巧な道具や土器などが出土して大きな話題となった。発掘現場には、発掘当時の建物あとが発掘された状態で保存され、往時の姿がしのばれる。また、出土したイネ種子の中には、あとに述べる野生イネの種子が混ざっており、7000年前の人々がまさにここで野生イネを栽培イネに改良しつつあったことがわかっている。 イネはインディカとジャポニカという二つのグループに分かれる。詳しくはまたあとで書くが、両者はその祖先を異にするほどに違った存在である。インディカとジャポニカの違いはその種子の形や食感にあるとよくいわれるが、それは俗説でただしくない。長江流域の遺跡から出土したイネ種子(5000年ないし7000年前)からDNAを取り出して調べてみると、この時期、この土地のイネのほとんど全部がジャポニカであるとの結論が出た。つまり、数千年前の長江流域のイネはジャポニカのイネだったことになる。ネットで河姆渡遺跡を探していたら長江文明の伝播と水田稲作を拒否した縄文人がヒットしました。
2017.03.29
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図書館で『韓国巨文島にっぽん村』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると「にっぽん村」の成立、日韓庶民の友好的な交流が興味深いのです。【韓国巨文島にっぽん村】 中村均著、中央公論社、1994年刊<「BOOK」データベース>より朝鮮半島南方の多島海にある島のひとつ巨文島は、古来海上交通の要衝として、また豊かな漁場の拠点として知られていたが、歴代為政者の空島政策により、長く無人島であった。それが、日露戦争の直後から日本人が移住して「にっぽん村」を作り、さらにそこへ韓国人も加わって漁業を中心とした一大生活圏を生み出すに至った。本書は、歴史に翻弄される島と人々のようすを描写しながら、一小島が日韓関係を考える素材たりうることを示す。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると「にっぽん村」の成立、日韓庶民の友好的な交流が興味深いのです。amazon韓国巨文島にっぽん村巨文島の「にっぽん村」形成あたりを、見てみましょう。p84~86 <なぜ後続部隊が巨文島を目指したか>■国策と移民 移民といえば、労働の目的を持って自国の国境を越え他国に移り住む人をいう。朝鮮半島に移住した人たちが果たしてこのような定義に入るかどうかだが、朝鮮の場合、1910年の日韓併合前から日本の保護権(事実上の統治権)が行使されており、一般の外国移民とは性質を異にし、しかも政治的支配関係を背景とする官吏、軍人や会社員、中小自営者が移住の主力であったため、ハワイやブラジルへの官約移民、ありは満蒙開拓民とは別のジャンルに入るであろう。 しかし、日韓併合前後に朝鮮に移住した人たちも大部分は国策に沿った官権主導下の渡航者であった。そのほとんどは都市の日本人居住区に住み、朝鮮の人たちとつきあうことはほとんどなかった。 1945年の日本の敗戦までに朝鮮半島には約80万の日本人が居住したが、朝鮮の暮らしの中に入っていった人がどれほどいたか、疑問である。この地の一部のエリートと学校や職場で一緒だったという人はいても、民衆レヴェルでの共通体験を持った人は少なかったであろう。 この点、敗戦まで巨文島にいた日本人が評価できるのは、朝鮮の人たちと比較的分け隔てなく暮らしていたことである。また移住に当たって何がしかの補助金をもらった人がいても官権主導の渡航ではなく、自らの判断で、この地へ移り住んだのであり、初期ほど総督府などの政治権力から遠い、自前の暮らしであったことは評価してよい。 巨文島への初期の移住者のうちには、木村忠太郎のような山口県からの直行組のほか、釜山からの転進者もいた。この人たちは何らかの理由で、いったん釜山に移住したものの失敗したりしたため、巨文島の将来性に再起をかけて移って来た人たちである。■釜山から転身の大野栄太郎 釜山は、李朝時代の15世紀に富山浦として倭館が置かれ、「恒居倭人」がここに住んで以来、日本とは最もなじみの深い港町であった。1876年(明治9年)に締結された日朝修好条規(江華条約)により、現在の釜山の中心部である中区に「日本専管居留地」が設けられると、日本からの居留民が急増し、1867年に82人だった日本人が日露戦争後の1905年には1万3364人と十倍以上となり、日韓併合の1910年には実に2万1928人にも膨れあがっている。 朝鮮半島を縦断する京釜鉄道および京義鉄道は日清戦争が始まった1894年(明治27年)に日本が敷設権を得、日露戦争時から戦後にかけて完成。下関と釜山を結ぶ関釜連絡船は1905年から就航している。 釜山が日本からの渡航者で沸き立っていたころ、木村忠太郎に半年ほど遅れて、すなわち1906年の秋、山口県阿武郡三見浦(現・萩市)出身の大野栄太郎が妻ナツおよび長女タワ、次女ツネ、次男栄作、三男又一の4人の子供を連れ、釜山から巨文島へ移住して来る。 もともと大野栄太郎の家は代々農家であったが、長男の栄太郎は農家を継ぐことを望まず、父親が亡くなると田畑を売り払い、そのころブームになっていた大敷網を仕掛ける漁業に転業した。ところが、大敷網そのものがリスクが高いうえ、俄か漁師の悲しさから、大敷網は失敗する。そこで栄太郎は家族を連れ、釜山に移り住むことになるが、木村忠太郎が巨文島で大敷網に成功したと聞き、再度こちらへ転身して来たのである。 大野栄太郎は大敷網を東島から内海に向けて張った。しかし、木村ほどの漁獲は得られなかったようである。これにはやはり年季の入れ方の違いがあったというべきか。 それでも大野はあきらめない。その後、木村と大野は巨文島の勢力を二分するほどの力を持つ両雄となっていく。大野の面倒見のいい豪傑肌の血は次女のツネに受け継がれ、ツネは中村吉蔵と結婚すると、この島で中吉商店や長門屋旅館を経営し、女傑ぶりを発揮する。
2017.03.10
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図書館で『日本近代漫画の誕生』という本を手にしたのです。この「日本史リブレット」というシリーズであるが・・・図が多く、薄くて手頃で、元祖ビジュアル本という体裁がええでぇ♪【日本近代漫画の誕生】清水勲著、山川出版社、2001年刊<「BOOK」データベース>より本書は、近代漫画誕生の経過を七つのエピソードで紹介する。【目次】)1 幕末諷刺画の誕生とその発展/2 自由民権期の『団団珍聞』/3 『パック』と日本近代漫画/4 「漫画」という言葉の誕生/5 国際漫画雑誌『東京パック』の登場/6 日本最長寿漫画誌『大阪パック』/7 柳瀬正夢の漫画表現の変遷<読む前の大使寸評>この「日本史リブレット」というシリーズであるが・・・図が多く、薄くて手頃で、元祖ビジュアル本という体裁がええでぇ♪rakuten日本近代漫画の誕生「近代漫画の創始者」とも言われる北沢楽天を、見てみましょう。p42~51 <『パック』の清親・楽天への影響> 明治15(1882)年8月より、本多に代わって『団団珍聞』の風刺画を担当しだした小林清親は、『パック』からどんな影響を受けたのだろうか。清親は本多が見ていた『パンチ』や『パック』を当然見ていたと思われる。このほか、イギリス人画家C・ワーグマンの主宰する『ジャパン・パンチ』も見ていたことが判明している。 週刊の『団団珍聞』に毎号2、3点の風刺画を描かねばならない清親にとって、参考になる資料は、そうした外国漫画雑誌の作品だったことは想像にかたくない。(中略) 明治18年2月から3月にかけて、フランス人画家ビゴーが『団団珍聞』に漫画を3点寄稿しているが、そのうちの2点は日本的な洒落や発想が色濃く出ているから、日本人との共同作業でつくられたように思われる。その日本人とは、当時の同誌の漫画担当者・小林清親にほかならない。 清親は明治18年ごろから明治20年代初頭にかけて、ビゴーとの接触や外国漫画雑誌の閲覧によって、力強い漫画表現とは何かを追求した。日本人画家としては珍しい銅版刷風刺画を試み、石版刷漫画やコマ漫画をこの時期多数生み出したのも、外国漫画から触発されたものと思われる。 『パック』の漫画から多くの影響を受けたもう一人の漫画家は北沢楽天である。清親作品よりも楽天作品のほうが、影響関係がより明瞭である。 「鉄道の国営」の鉄道公営化による駅長・助役・駅夫の官員きどりの客扱いと運賃値上げを風刺した、巨人駅員のアイデアは、「現代の鉄道巨人」からヒントを得ているように思われる。両者の間に27年の時間差があるが、J・ケプラーの強烈な印象を与える鉄道界風刺画がずっと楽天の脳裡にあって、同じ鉄道界の風刺に巨人像を使用したのであろう。(中略) 日本の近代漫画のスタイルをつくり出した二人の巨人・小林清親と北沢楽天が、その風刺画の創作にあたって、欧米の漫画雑誌や来日欧米人の漫画雑誌から多くのヒントを得ていたことが、具体的にわかってきた。英仏からだけでなく、アメリカからもこんなに早くから影響を受けていたことが、『パック』誌によって証明された。『日本近代漫画の誕生』1
2019.10.01
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図書館で『ウクライナ侵攻までの3000日』という本を、手にしたのです。この本には毎日新聞特派員が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻までの3000日】webp画像につき開示できず大前仁 著、 毎日新聞出版、2023年刊<レビュー>より著者の大前さんは、毎日新聞の特派員として10年以上もモスクワに駐在した正にロシア通の方のようだ。その間2000年代後半から度々ウクライナを訪れ、2014年3月のクリミア併合から2022年2月の全面侵攻までを、特に2019年に行った精力的な取材を通じて線でつなぐ。学者と違い奥深さは少ないとしても、ジャーナリストとしての現地の声の集約などには説得力がある。 <読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/6917f178905c3dd99e6295d6f0b01e0a/">ウクライナ侵攻までの3000日</a></td></tr></tbody></table>「第4章 北方領土とクリミア」に日露の領土問題が出ているので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P95~99<font color="brown"><なぜ島を取り返したいのか></font>「そもそもクリルには、どれくらいの日本人が残っているのですか?」 まずは素朴な疑問から始まった。「1人もいません。ソ連が第二次世界大戦の後で全ての日本人を追い出してしまったからです」 私がこう即答すると、ナゴルニャクは一瞬言葉に詰まった。そして不思議そうに問い返してきた。「もう一人も住んでいないのに、どうして日本は島を返してほしいのですか?」 なぜ彼はこのような質問を発したのか? ソ連が1991年に崩壊してクリミアがウクライナ領になると、人口の6~7割を占める現地のロシア系住民は強く反発し、「本国への復帰」を訴えた。ロシア国内の愛国主義的な勢力もクリミア半島に多くの同胞が残されたと考え、「本国への帰還」を声高に唱えた。 そして運命の2014年3月。前月に起きたウクライナの政変が引き金となり、ロシアは力ずくでクリミアを取り戻したのだ。 ナゴルニャクはソ連崩壊直前に生まれ、独立したゥクライナで育ったが、常に自分がロシア人だとの意識を持ち続けていた。クリミア半島に取り残された身として「本国への復帰」を願い続け、5年前に夢がかなった。 一方で、すでに北方領土に日本人が遺されていないのに、日本政府が返還を求める理由を理解できないという。もはや同法が一人もいないのに、なぜ、その土地を取り戻そうとするのか? 彼は私にそう聞いてきたのだ。<font color="brown"><経済的な理由なのか></font>「それならば日本は経済権益から返還を求めているのですか?」 ナゴルニャクは質問を変えて、尋ねてきた。 答えはノーである。もし二島返還の方針に基づき、日本が歯舞群島と色丹島を日本領に編入し直せれば、排他的経済水域(EEZ)を広げられる。だが経済的な権益はこの程度に限られていた。 当時は日露両政府が北方領土での共同経済活動を始めようと検討していたが、この計画が実現したところで「利益はたかが知れている」(ロシアの担当官)。むしろ変換が実現すれば、日本は島を引き払うロシア人に補償しなければならず、支出の方が確実に多くなる。ナゴルニャクはそう説明した。 それではなぜ? 再び不思議そうな表情を見せたナゴルニャクに対し、次のような説明を試みた。「北方領土問題は日本にとって大事な内政問題なのです。そしてモラルの問題でもあります」 日本が当時のソ連と平和条約交渉を始めてから六十数年が過ぎていた。政府が北方領土返還の意義を訴え続けたことにより、すでに日本国内では「譲れない問題」となっているのだ。「ソ連が不法占拠したのだから、『法と正義』の原則に基づき引き渡してくるべきだ」。今でも大多数の日本人がこう信じて疑わない。 このような思考回路が定着した日本人にとって、北方領土とは「返還されるべき土地」である。またロシアとの2国間関係とは、常に領土問題というフィルターを通してでしか考えられなくなっていた。 私は苦労しながら、上記の点を説明すると、ナゴルニャクは納得した表情に変わった。なぜならば2014年にロシアに併合されるまで、クリミア問題は重要な内政問題だったからだ。自らも「本国への復帰」を唱えてきた手前、日本人の考えを理解できるというのだ。これは意外な反応だった。 一方でナゴルニャクは、ルースキーミール(ロシアの世界)と呼ばれる思想の信奉者である。これまでも取り上げてきたが、ソ連崩壊により各地に取り残されたロシア系住民とロシア本国のつながりを強調し、ロシアの影響圏の拡大を唱えるイデオロギーだ。 当然ながらナゴルニャクはクリミアがロシアに併合されたことを歓迎してきたし、北方領土の返還に真っ向から反対している。「どうせ日本は単独で平和条約問題について判断できないに決まっていますよ。アメリカが邪魔してくるだろうし」 そう鼻で笑ってみせた。 ロシアでは米国への嫌悪感がとどまるところをしらない。その同盟国である日本との間で平和条約を結べるのだろうか?「無理に決まっていますよ」 ナゴルニャクはそう繰り返した。<font color="brown"><絡み合う「クリム」と「クリル」></font> ロシアがクリミア(クリム)を併合したことは、北方領土(クリル)問題とも複雑に絡んできた。(中略) それはロシアがクリミア併合という国際規範を侵したにもかかわらず、日本としては北方領土問題の解決を優先しようとする姿勢の表われだった。露然ながら安倍をはじめとした官邸は対露交渉に前のめりだっただが、当時の日本外務省にも同調する者が少なくなかった証といえる。 一方でクリミアを取り戻したことにより、愛国心を高めたロシア国民は、従来よりも北方領土(クリル)問題で譲歩しなくなっていた。</td></tr></tbody></table>
2026.04.12
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図書館で『宮沢賢治フィールドノート』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると写真や地図が満載で・・・・ビジュアルなところが、ええでぇ♪【宮沢賢治フィールドノート】林由紀夫著、集英社、1996年刊<「MARC」データベース>より賢治さんの道を歩いてみませんか? アウトドアの先駆者から学ぶイーハトヴ低山徘徊。「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など作品の舞台をコース・ガイド。詳細地図、写真、キャンプ場情報など満載。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると写真や地図が満載で・・・・ビジュアルなところが、ええでぇ♪amazon宮沢賢治フィールドノート物見山の「風の又三郎像」を、見てみましょう。p28~29<種山高原 物見山>モナドノックの広い野原を風が遊ぶ。ギンガギンガと牧草は輝き、夜は星が降る。 賢治さんのイーハトヴという理想郷を考えるときに、どうしても浮んでくる風景があります。僕は生まれが賢治さんと同じ岩手県花巻市ですから自然の風景の捉え方で妙に納得できるところがあるのです。 イーハトヴは実際に四国四県よりも広いですからさまざまな地形があります。そして無国籍ともいえる風景が突然あります。自分の目の届く身近な低山徘徊、そして目の視点が遥か彼方まで行ってしまう大陸的な広がり。低山徘徊を自分の足でフィールドワークし、より詳しく知り心象スケッチ。賢治さんのイーハトヴはもっとさまざまな要素があるでしょうが自然を歩くことに限って言えば僕はそんな気がします。だからイーハトヴは無国籍的な理想郷なのです。もっとも無国籍さを感じさせる風景のひとつに種山ヶ原があるわけです。 盛岡高等農林学校(岩手大)の3年に在学中、同級生ふたりと江刺郡の地質調査に来て初めて種山ヶ原を知った賢治さんは文句なしに虜になりました。 『海だべがど おら おもたればやっぱり光る山だたぢゃい ホウ 髪毛 風吹げば 鹿踊りだぢゃい』と『高原』という詩に印象をスケッチしています。海ほど広い草原と遠くに広がる山並みを見て大好きな鹿踊りのように髪を風になびかせながら小躍りして体いっぱいで喜んでいる賢治さんです。 種山ヶ原あたりを歩くには賢治さんはたくさんのフィールドガイドを残してあります。思い入れもわかるというものです。童話『種山ヶ原』、劇『種山ヶ原の夜』、詩『種山ヶ原』、そして童話『風の又三郎』などがあります。 ドボルザークの「新世界交響曲」に賢治さんは詩をつけて種山ヶ原のテーマにしているかと思えば、鹿踊りも、鬼剣舞も出てくる無国籍地帯に風と遊んでみましょう。風が集まってくる種山ヶ原を、林さんが讃えています。p35 山からも平野からも海からも風が集まってくる地形、種山ヶ原は遠野市、江刺市、住田町に跨って位置しています。ここからはイーハトヴ全体どこにでも行きやすいですからとにかく風と相談して旅してください。そうそうこの辺は『風野又三郎』さんも通りますから聞いてくださいな。きっとこんなふうに言いますよ。 「ふん、イーハトヴのどこからきたんだい。僕はパシフィック・オーシャンから種山に着いたばかりさ。どこが素敵か聞きたいのかい。耳を澄ましてごらんよ。風に乗って聞こえないかいあの音が『ダー、ダー、ダー、ダー、スコ、ダー、ダー』ってね」『宮沢賢治フィールドノート』2:イギリス海岸『宮沢賢治フィールドノート』1:C・W・ニコルさん×林さんの対談
2018.11.18
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今日の朝日新聞で知ったんですが、フランスBDの巨匠メビウスさんが先月、亡くなっていたんですね。日本人作家に与えた影響も大きかった人でした、合掌。3/10フランスBDの巨匠メビウスさん死去 日本作家に多大な影響よりフランスのメディアの報道によれば、同国のバンドデシネ(BD)の巨匠メビウス(本名:ジャン・ジロー)氏が、2012年3月10日に73歳でなくなった。同氏は最近、闘病生活を続けていたという。 バンドデシネはフランスのコミックアートを指すもので、大人向けから子ども向け、さらに様々なジャンルを網羅する。日本のマンガや米国のコミックスに相当する。メビウス氏はそのなかで特に際立った存在で、世界的に知られた作家である。 日本でも多くのファンを持ち、日本のマンガやイラストレーション、アニメーションにも多大な影響を与えた。本国だけでなく、日本でもその逝去を惜しむ声が広がりそうだ。 メビウス氏は、1938年フランス生まれ。1960年代よりメビウスの筆名で創作を開始した。独特な世界観と作風で、高い評価を受けてきた。日本では2010年末に翻訳出版をされ注目された『アンカル』、『アルザック』などの代表作がある。 一方、その活動はバンドデシネだけにとどまらない。映画やアニメーションの創作にも深く関わった。『エイリアン』や『トロン』、『フィフス・エレメント』などの歴史に残る映画にデザイナーとして参加した。アニメーションでは、ルネ・ラルー監督のSF作品『時の支配者』のデザインが代表作となっている。 また、日本のクリエイターへの影響についてもしばしば言及される。大友克洋氏、松本大洋氏などメビウス氏からの影響を語る作家は少なくない。アニメ監督の宮崎駿氏と交流もよく知られている。ふたりは2004年にフランス・パリで二人展を開催し、話題を呼んだ。漫画あれこれから「メビウスの世界」を再掲しまます。 <メビウスの世界>最近になってフランスの漫画作家メビウスを知ったのですが・・・おお 松本大洋と似たテイストやんけ♪ (松本大洋がメビウスの画風に影響をうけていると言われておるそうです)松本より先行していたかも知れないが、なかなか、いい味出てますね。Moebius.fr公式サイトメビウスって誰?
2012.04.04
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最近は、品が無くて騒がしいバラエティ番組が多いので・・・見るに耐えない大使は、即チャンネルをスルーしているのです。 一方で、知っている人は知っている「探偵!ナイトスクープ」という長寿番組があるんですが、関西の視聴率では3位~5位あたりをウロウロしていて健闘しているわけです。とにかく「探偵!ナイトスクープ」では、市井の民がおおらかな可笑しさを謳歌していて、ええでぇ♪ちょっと気に食わないのは、西田某という八方美人の異邦人を局長に据えたことであるが・・・まあいいとしよう。 この番組の黎明期(1991年)に、「全国アホ・バカ分布」を実地調査したことがあり、大うけであったことは関西人はよく覚えているが・・・・民俗学的なフィールドワークとしてもバッチグーであり、学者連中を唸らせたわけですね♪この番組によって結実した「全国アホ・バカ分布図」です・・・すご~い♪蔵書録を作っていたとき「全国アホ・バカ分布考」という本を見つけたので紹介します。なるほど傑作ノンフィクションですか・・・Amazonで買おうかと思っているところです。【全国アホ・バカ分布考】松本修著、新潮社、1996年刊<「BOOK」データベースより>大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。 <大使寸評>番組に依頼した人の着眼がよかったのか、それを採用し追及させた松本修プロデューサーが偉かったのか♪Amazon全国アホ・バカ分布考ノンフィクション100選★全国アホ・バカ分布考|松本修ところで、同志社大学中退にして「永遠の0」の著者でもある百田尚樹さんは放送作家となった後、『探偵!ナイトスクープ』の構成も手がけていたそうです。やはり、どこかアホの雰囲気のある人なんでしょうね(詳しくは知らないけど)さきほど、Amazonに「全国アホ・バカ分布考」を発注したので、14日までに手元に届く予定です。読後の感想は後ほどに♪wikipediaでアホ・バカ分布図の成り立ちを調べました。wikipediaアホ・バカ分布図より 1990年(平成2年)1月、関東人の夫がよく「バカ」という言葉を使うのに疑問を持ったという関西人の女性(自身は「アホ」を使うという)からの「アホとバカの境界線はどこか調べて欲しい」といった内容の依頼が『探偵!ナイトスクープ』で紹介された。この依頼を担当した北野誠が、アホとバカの境界線を調べるべく東京駅から調査に乗り出したものの、名古屋駅前での調査では「アホ」でも「バカ」でもない第三の言葉として「タワケ」が使われていたため、急遽「アホ」と「タワケ」の境界線を探ることに変更。岐阜県関ケ原町の住宅街で「アホ」と「タワケ」の境界線と思われる地域を発見したため、岐阜県関ケ原町が「アホ」と「タワケ」の境界である、といった結論を出した。 ところが、当時局長だった上岡龍太郎は、「では、バカとタワケの境界線はどこなんですか?」と問いかけた。また他の探偵からも「大阪の西の境界線はどうなっているのか」などの質問が相次いだため、上岡は「今年一杯かかっても、きちっと地図に境界線を入れてください。」と北野に継続調査を行うことを命令。こうして、本格的なアホとバカの境界線の調査に探偵局は乗り出したが、視聴者からの情報投稿を元に第一次、第二次の分布図を作成した後、しばらくこの件に関する調査は休止状態となった。・・・・ 追加予算を得た番組スタッフは、言語学者の徳川宗賢のアドバイスを受けつつ、それまでの予算規模では困難だった地方自治体の教育委員会への大規模なアンケート調査を行い、1991年(平成3年)5月に「日本全国アホ・バカ分布図」が完成。アンケート結果に基づく追加ロケを行ったうえで特番として放送された。 そして、1991年(平成3年)日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞受賞・第29回ギャラクシー賞選奨・第9回ATP賞グランプリを受賞した。
2012.07.12
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『宮沢賢治フィールドノート』という本でも、イギリス海岸が言及されているが、定年前のご褒美旅行で妻と2人でこの地を訪れたのです♪・・・ということで、この本を復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『宮沢賢治フィールドノート』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると写真や地図が満載で・・・・ビジュアルなところが、ええでぇ♪【宮沢賢治フィールドノート】林由紀夫著、集英社、1996年刊<「MARC」データベース>より賢治さんの道を歩いてみませんか? アウトドアの先駆者から学ぶイーハトヴ低山徘徊。「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など作品の舞台をコース・ガイド。詳細地図、写真、キャンプ場情報など満載。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると写真や地図が満載で・・・・ビジュアルなところが、ええでぇ♪amazon宮沢賢治フィールドノート物見山の「風の又三郎像」を、見てみましょう。p28~29<種山高原 物見山>モナドノックの広い野原を風が遊ぶ。ギンガギンガと牧草は輝き、夜は星が降る。 賢治さんのイーハトヴという理想郷を考えるときに、どうしても浮んでくる風景があります。僕は生まれが賢治さんと同じ岩手県花巻市ですから自然の風景の捉え方で妙に納得できるところがあるのです。 イーハトヴは実際に四国四県よりも広いですからさまざまな地形があります。そして無国籍ともいえる風景が突然あります。自分の目の届く身近な低山徘徊、そして目の視点が遥か彼方まで行ってしまう大陸的な広がり。低山徘徊を自分の足でフィールドワークし、より詳しく知り心象スケッチ。賢治さんのイーハトヴはもっとさまざまな要素があるでしょうが自然を歩くことに限って言えば僕はそんな気がします。だからイーハトヴは無国籍的な理想郷なのです。もっとも無国籍さを感じさせる風景のひとつに種山ヶ原があるわけです。 盛岡高等農林学校(岩手大)の3年に在学中、同級生ふたりと江刺郡の地質調査に来て初めて種山ヶ原を知った賢治さんは文句なしに虜になりました。 『海だべがど おら おもたればやっぱり光る山だたぢゃい ホウ 髪毛 風吹げば 鹿踊りだぢゃい』と『高原』という詩に印象をスケッチしています。海ほど広い草原と遠くに広がる山並みを見て大好きな鹿踊りのように髪を風になびかせながら小躍りして体いっぱいで喜んでいる賢治さんです。 種山ヶ原あたりを歩くには賢治さんはたくさんのフィールドガイドを残してあります。思い入れもわかるというものです。童話『種山ヶ原』、劇『種山ヶ原の夜』、詩『種山ヶ原』、そして童話『風の又三郎』などがあります。 ドボルザークの「新世界交響曲」に賢治さんは詩をつけて種山ヶ原のテーマにしているかと思えば、鹿踊りも、鬼剣舞も出てくる無国籍地帯に風と遊んでみましょう。風が集まってくる種山ヶ原を、林さんが讃えています。p35 山からも平野からも海からも風が集まってくる地形、種山ヶ原は遠野市、江刺市、住田町に跨って位置しています。ここからはイーハトヴ全体どこにでも行きやすいですからとにかく風と相談して旅してください。そうそうこの辺は『風野又三郎』さんも通りますから聞いてくださいな。きっとこんなふうに言いますよ。 「ふん、イーハトヴのどこからきたんだい。僕はパシフィック・オーシャンから種山に着いたばかりさ。どこが素敵か聞きたいのかい。耳を澄ましてごらんよ。風に乗って聞こえないかいあの音が『ダー、ダー、ダー、ダー、スコ、ダー、ダー』ってね」『宮沢賢治フィールドノート』3:物見山の「風の又三郎像」『宮沢賢治フィールドノート』2:イギリス海岸『宮沢賢治フィールドノート』1:C・W・ニコルさん×林さんの対談*********************************************************■2018.11.18XML『宮沢賢治フィールドノート』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201811180002/
2024.09.20
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図書館で『クルドの夢 ペルーの家』という本を手にしたのです。日本の入管と言えば剛腕で知られ、また難民認定に関しては、そのシブさが特筆されるわけで・・・そのあたりが興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table>「第1章 “クルド難民”バリバイ一家」の「1 収容所で出会ったひとりの青年」にクルド難民一家の窮状が興味深いので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p22~27<font color="brown">「埼玉に集住する在日クルド人」</font> 歴史を振り返ると日本とは縁遠いように思えるクルド人だが、今の日本でも彼らは暮らしている。その数は、およそ3000人といわれる(日本クルド文化協会による)。公的な調査がおこなわれていないので、実際には何人いるのかわからない。国やじちたいによる外国人の調査では、国籍による分類がなされており、クルド人はトルコ人やシリア人にカウントされる。よって、国を持たない彼らの存在は見えにくい。 宗教も文化も違う日本にトルコからクルド人が多く集まったのは、日本とトルコが友好関係にあるからだ。日本は、戦後になってからトルコと経済的に協力関係にあり、文化交流もおこなわれ、ビザ免除措置をとっている。私たち日本人は、事前にビザを取得しなくてもトルコに入国でき、トルコから来日する人も事前にビザを取得する必要がない。 日本に暮らす3000人のうち、1000人以上が関東近郊に暮らしているという。なかでも多いのが埼玉県川口市だ。川口市は、東京都新宿区、東京都江戸川区に次いで全国で三番目に在留外国人の多い自治体である。市内に住む外国人は3万9270人で、市内人口のおよそ6%(2020年6月時点)を閉める。 外国人の多い理由は、ものづくりとして栄えた市の歴史にある。川口市は、江戸時代から鋳物産業が栄え、終戦直後には鋳物生産額が全国の三分の一を閉めた。溶解炉が林立する象徴的な風景は、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で有名になった。鋳物の中小企業では、全国に先駆けて1980年代から外国人労働者の受け入れを始めている。当初は韓国籍や中国籍の人々、そして技能実習精度が導入されるとベトナム国籍などの人々来日し、川口市は多国籍タウンとなっていった。 現在、川口市の在留外国人で中国・フィリピン・韓国・朝鮮・ベトナムに次いで多いのが、トルコ国籍の人々だ(2020年1月時点)。このトルコ国籍の人々のなかに、トルコ出身のクルド人が多く含まれているとみられる。実際、JR蕨駅近くを歩くと、コンビニやスーパーで中東系の顔立ちをした人々とすれ違い、ケバブのレストランや中東料理の食品店を見つけることができる。 2「難民」になれない <font color="brown">村は「地球のにおいがした」</font> 私が収容所で面会したバリバイ・ウェラットさんも、トルコ出身のクルド人だ。川口市内のアパートに、家族と暮らしていた。2018年㋄、私はウェラットさんから聞いた住所を頼りに、家族を訪ねた。 私がインターホーンを鳴らすと、花柄のスカーフを頭に巻いた母のヌリエさんがドアを開けてくれた。奥の部屋には大きな布が敷かれていて、そこに長男のワッカスさん、次男のエルジャンさん、三男のマズラムさん、次女のスザンさんが車座になっていた。 ウェラットさんは四男にあたり、五男にあたる9歳の弟がいることもわかった。ウェラットさんは独身だが、20~30代の兄や姉たちは結婚して子どもを育てており、日本での生活がずいぶんと根付いているように感じられた。 家族がまとまっていた雰囲気を、今も忘れることはできない。全員が2年近くも帰ってこなウェラットさんを思い、悲しみと怒りと失望と疲労の混じった目をしていた。 ヌリエさんに声をかけると、日本語のわからない彼女に代わって、息子たちが通訳をしてくれた。「自分の息子、家に帰ってきてほしいの。私の息子、何もしていない」 息子のひとりがこう付けくわえる。「ママももう年だから、いっぱいがまんができないんですよ」53歳だというヌリエさんは、愛する息子が収容されたことで強いストレスにさらされて体調も優れないようだった。 キッチンに立っていた次女のスザンさんが、真っ赤な色のお茶を淹れてくれる。砂糖を溶かして飲むのだと教えてくれた。トルコに住むクルド人の家庭の味だ。熱々でほんのり甘いお茶を飲みながら、スザンさんが日本語でこう言った。「日本に来ても、トルコと同じ、戦争になっているみたい。私、心、同じだよ」 来日したのは12年も前だという。何から聞いていいのか迷っていると、家族が来日した経緯を話してくれた。 家族が暮らしていたのは、トルコ南東部ガジアンテップ県にある小さなクルド人集落だった。父ムスタファさんは左官などの建設業をしながら羊を飼い、畑でキュウリやトマトを育てて自然と共に暮らしていた。子どもたちも協力してヨーグルトやチーズを作り、街に売りに行ったことを覚えているという。「きれいなところでした。地球のにおいがしました。村に入るとその土地のにおいがしました」母のヌリエさんはそう言いながら、懐かしそうに故郷で撮った家族写真を見せてくれた。樹の下で、穏やかな表情を浮かべる両親のかたわら、幼い子どもたちがじゃれ合っている。ムスタファさんは、クルド人としての民族意識を強く持っていた。街で親クルド政党のチラシを配ったり、息子たちにクルド民族の歴史を語ったりしていたという。そして1980年代以降、政府とクルド人勢力が対立するようになると、ムスタファさんたちの周辺にも争いの影が忍び寄ってくる。 1999年の10月下旬、村は憲兵に襲われた。政府と対立していたPKKをムスタファさんが支援したとの理由で、家を荒らされ、ムスタファさんを含む村人4人が逮捕された。ムスタファさんは拘束された際、電気ショックを受けるなどの拷問を受けたという。翌年以降もたびたび憲兵から家宅捜索を受け、ときにヌリエさんも殴られて連行され、娘のスザンさんを拘留中に出産する羽目になった。</TD></TR></TABLE>
2026.04.24
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全権大使といっても下僕がいないので、国内の情報にさえ疎いわけでおます。湊山温泉が廃業の危機にあったようだが・・・急転直下、運営継続との報道があったのです♪その喜びは、さきほど以下のようにツイートしました。(5/13ツイート)ドングリ@mdonguri:神戸の源泉掛け流しの湊山温泉5月10日廃業が、一転、入浴料は680円を変えず14日に営業再開へ静岡県の地ビール製造会社がリニューアルと再開をサポートしたようで…あんたは偉い♪詳細をネット情報で、見てみましょう。2015.5.6モーニングバード廃業寸前平清盛ゆかりの温泉を救ったのは?より平清盛ゆかりの温泉が廃業間際に救われた!<湊山温泉が廃業?!>廃業すると聞き、初めて来た客。従業員は失業するのでショック。平清盛も入った兵庫県の湊山温泉。最盛期には1日1300人来ていた客。しかし、それが1日350人まで落ち込んだ。これでは経営していけない。松富康夫社長も努力を重ねたが廃業を決意。<運営継続の決定!>源泉かけ流しの温泉、湊山温泉。廃業1週間前に、救い出してくれた企業があった。伊豆高原ビール。社長の増田真啓さんが先月湊山温泉を訪れた。「心惹かれるものがあった」地域に根差している温泉。スタッフと客が楽しくやっている施設を作りたい。そう思った増田真啓社長。<湊山温泉、今後も地域のふれあいの場に>4月の上旬に妻と湊山温泉に入った増田社長。湊山温泉のために一肌脱ぎたいと決意。次の行動は速かった。5月1日から3日間。一人一人のスタッフと話し合った増田社長。大半のスタッフが引き続き勤務してくれることに。湊山温泉は観光温泉ではない。地域に根付いた。料金値上げができなかった。この気持ちを引き継ぎ料金は据え置き。今後も地域コミュニティの拠点として運営。湊山温泉は5月14日に再開。銭湯としては高めの料金(680円)になっていたが・・・冷い自然水を良質の温泉として提供するには、清掃時の水道水、加温用燃料の経費がかかるわけで、大使はこの料金でも納得して通っていたのです。お客が減少し、この料金で営業するのは限界と、旧経営者は判断したそうだが、新しい経営者が、立て直しを図るようで・・・・うれしいかぎりです。ドングリ国の名所めぐり より「湊山温泉」を再掲します。<湊山温泉>銭湯方式の営業なんだけど、清盛ゆかりというからには歴史は古いようです。湊山温泉よりその昔、平清盛も湯治した温泉といわれており、800年以上もこんこんと涌き続けている。営業時間/AM7:00~PM10:30(定休日 / 毎週水曜日)※最終受付はPM10:00まで入浴料金/大人 630円(現在は680円)久々の湊山温泉よりちなみに、@nifty温泉の湊山温泉評価は概ね良好です♪関西の激渋銭湯 もおすすめやでぇ♪
2015.05.14
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<シェールガスに期待できるか?> 日本の商社が争うように開発権益を取得しているシェールガスであるが・・・・環境破壊を伴うような採掘方法が問題視されています。米国で沸く「シェールガス革命」に期待していいんでしょうか?・「シェールガス革命」に待った・シェールガス争奪戦・「ガスランド ~アメリカ 水汚染の実態~」・革命的なシェールガス水道の蛇口からガスが出る? <「シェールガス革命」に待った> このエントリー見ると、フラッキング法制定の段階でハリバートン社のチェイニー元副大統領が顔を出しているが・・・・・それだけ旨味があり、いかがわしい商売である証拠なのかも知れないですね。(シェールガスの採掘には水圧破砕法(Hydraulic fracturing 又は fracking)が使われている。これは1940年代にHalliburton Energy Servicesが開発したもので、同社はまた、水圧破砕溶剤の3大製造会社の1社である)4/29米国で沸く「シェールガス革命」に待ったより <当局によるフラッキング凍結相次ぐ> フラッキングに使用された液体が地中に流れ、飲料水が汚染されたという事例は確認されていないが、地上にあふれ出ることはある。フラッキングが出す排水は数百万ガロンに及び、ベンゼンを含む液体の一部が汚水貯蔵タンクからこぼれたことがある。高濃度の汚染物質を扱う設備がない処理施設では、廃水処理が追いつかない可能性がある。 (中略、内容は左のページに載せています)<EPA調査が始まったが、政治が優先される> ホワイトハウスの意向は定まらない。リサ・ジャクソンEPA長官は2月3日に開かれた上院公聴会で、「連邦政府による規制は必ずしも必要ではない」と述べた。多くの地域コミュニティや州政府がフラッキングの様々な工程を既に監視していることを指摘している。 これに対して、スティーブン・チュー・エネルギー庁長官の意見は異なるようだ。2010年に行った演説の中で同氏は、フラッキングは「汚染」につながる可能性があるため、規制が不可避であると語った。アメリカ天然ガス連合の広報担当ダン・ウィッテン氏は、「各州の規制当局がガス生産を監督するのに適切な専門知識を持っていると信じている」と述べた。 たとえEPAが介入したとしても、その権限は限られるだろう。2005年に成立したエネルギー法のある条項――フラッキング法の確立に貢献し、フラッキングに使用する液体の供給元であったハリバートン(HAL)のために設けられたため「ハリバートンの抜け穴」と呼ばれている――によって、フラッキングは飲料水安全条例の適用対象から除外されている。 モーリス・ヒンチー下院議員(民主党、ニューヨーク州選出)は、元ハリバートンのトップだったディック・チェイニー副大統領(当時)がこの除外条項を入れさせたのだと言う。ヒンチー氏が挙げるのは状況証拠だ。フラッキングは、チェイニー氏が2001年にまとめたエネルギー関連作業部会の報告書が支持したもので、これがその後の2005年エネルギー法につながった。ワックスマン氏によると、この報告書はEPAが当初持っていた水質汚染への懸念を反映していない。 現在、フラッキングが飲料水に及ぼす影響についてEPAが調査を始めている。EPAは最終的な研究結果は当初目標から2年遅れて2014年になるとの見通しを2月に発表した。2012年の大統領選挙の2年後だ。ワシントンの政策グループ、クリアビューエナジー・パートナーズのケビン・ブック理事長は、要は「政治が一番、規制は二の次」と手厳しい。「マーセラスシェールでフラッキングが創出する雇用の力を政府が手放すことはあり得ないだろう」と見ている。 メキシコ湾石油流出事故はチェイニー元副大統領のせい?・・・・問題の多い人である。 <シェールガス争奪戦>工事中『シェールガス争奪戦』より 国際エネルギー機関(IEA)は2011年6月、世界が「ガス黄金時代」を迎えたとするレポートを公表した。そのシナリオによれば、世界の天然ガス需要は2035年に08年比で62%も増加すると予測している。エネルギー全体の需要が年率1.2%で増えるなか、天然ガスは年率2%と約2倍の勢いで伸び続け、エネルギー構成での役割が飛躍するとの見方だ。それを支えているのが、地下からの回収がこれまで難しいと考えられていた「非在来型天然ガス」の存在である。 回収技術の飛躍的な進歩により、世界中に眠っている膨大な量の天然ガスの存在が明らかとなり、非在来型ガスの技術的回収可能量は230.3兆m3と試算され、少なく見積もっても、残された在来型(404.4兆m3)の60%弱も存在することが明らかになった。その結果、「技術的回収可能量」の半分が経済合理的に地下から取り出せるとすると、世界の天然ガスの可採年数は在来型ガスの残存確認可採埋蔵量をベースとした60年から少なくとも160年を超えるのは確実になったのだ。 非在来型天然ガスには現状、タイトガス、コールベッドメタン、シェールガスという三つの開発対象があり、その中でも、これまで手付かずの状態だったシェールガスの供給量が大きく伸びたため、2008年に米国の天然ガス日産量の50%が非在来型の天然ガスになったことは世界中のエネルギー関係者に衝撃を与えた。 米国のエネルギー情報局(EIA)は2011年4月にシェールガスの「技術的回収可能資源量」を188兆m3と推定した。世界の在来型天然ガスの残存確認可採埋蔵量約181兆m3(2009年末)、年間の天然ガス消費量3兆m3(2008年)と比べても膨大なことがわかる。 シェールガスの開発は米国の中堅企業により主導されたが、その資源としての規模の大きさに大手石油会社も続々参入した。水平坑井や水圧破砕などの技術の進歩が、20世紀までは地下からの回収が困難と考えられていたシェールガスを米国の新たな巨大天然ガス資源へと押し上げたのだ。この非在来型ガスを在来型ガスへ押し上げるうねりは、世界的展開を見せている。まずは、カナダ、欧州、中国への普及が注目されるところだ。 シェールガスの登場によって増えた「世界のガスの大供給余力」は、原油価格にリンクさせているLNGの価格体系に変革を与えると思われる。日本もその恩恵を受け、現在の長期契約取引も変わるかもしれない。人口増や東日本大震災といった大災害、脱原発に対応した世界のエネルギーミックスを考える際に、天然ガスは検討の余地をひろげることになるだろう。21世紀に入ってから実現した天然ガスの大供給余力を背景に、天然ガスサプライチェーンの充実、天然ガスの利用技術の普及が望まれるところだ。 本書は、著者が(独)石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の駐在員として米国のヒューストンに滞在していた2005年から2008年の間に情報収集していた「シェールガス」という耳新しい資源を日本に帰国してからも追っかけているうちにいろいろとわかった「非在来型天然ガスがエネルギー市場を変えつつある現実」をまとめたものである。自分の専門である石油工学(石油や天然ガスを地下から採り出す技術)の進歩が、21世紀に入ってから「シェールガスの開発」に火をつけ、さらには「世界の天然ガス埋蔵量の急増」につながったことは、技術者の一人として感慨深い。 このたび執筆の機会を与えていただいた日刊工業新聞社に心からの感謝の意を示したい。 2011年9月 伊原 賢 <「ガスランド ~アメリカ 水汚染の実態~」>シェールガス採掘を描いたGASLANDというドキュメンタリー映画は衝撃的だったので、以前の日記でGASLANDの衝撃として書いたが・・・・「化学業界の話題」というサイトが、この映画を詳しく報告しているので、そのまま紹介します。「ガスランド ~アメリカ 水汚染の実態~」より先週、NHKのBS世界のドキュメンタリー 「ガスランド ~アメリカ 水汚染の実態~」のアンコール放送を見た。 昨年12月の放映を見逃し、再放送は東日本大震災で2度も中止となっていた。 世界の資源地図を塗り替えると期待される、新しい天然ガス「シェールガス」。その開発に疑惑を持ち、コロラド、ワイオミング、テキサス、ルイジアナ・・・ と自家用車で旅を続けるジョシュが見たものは、飲み水や大気の汚染で深刻な健康被害に怯える人々と、無残な姿をさらすアメリカの大地だった。や環境問題の専門家などに話を聞くうち、汚染の原因は、岩石層の水圧破砕のために地下に注入する特殊溶液にある可能性が浮上してくる。アメリカでは飲料水の安全確保のため、水源地帯の土中に異物を混入する行為は厳重に規制されている。ところが、住民の要請を受け当局がガス開発を優先する特例を推し進めたのは、巨大エネルギー会社のCEOからブッシュ政権調(後略、内容は左のページに載せています)原発の代替としては、短期的なリリーフ役には天然ガスが筆頭であり、欠くべからざるものである。日本の商社も、シュエールガス開発ラッシュに乗り遅れないように、メジャーに負けない動きで頑張っているようだが・・・・・ネットで商社関連情報を見ても、環境破壊のことには触れていないのが、気になるところです。天然ガスに関する展望をENECO-5月号(日本工業新聞社)から引用します。p20~21「安定供給と環境負荷低減を両立させるLNG」石井彰 福島第一原発の事故の行方は、依然として予断を許さない危機的状況が続いているが、その失われた原発発電能力の穴埋めは、短期的にも中長期的にも、液化天然ガス(LNG)が主軸になるだろう。 従来、LNG火力発電はミドルロード電源と位置づけられてきたが、当分の間、常時フル稼働する必要がある。ピークロード用電源と位置づけられて低稼働運用されてきた石油火力も、フル稼働されることになるが、さらに最短で数ヶ月で設置可能なLNG火力の新設にも取りかかる必要がある。(中略) しかし、世界的、長期的に見れば、北米において過去数年で生じた「シェールガス革命」「非在来型天然ガス革命」による天然ガスの埋蔵量と生産量の爆発的拡大で、いずれアジア太平洋地域のLNG価格も低下してくると考えられ、3月中旬に開催された「GASTECH 2011」では、近年の高価格希求、石油価格準拠価格の死守の急先鋒であった英蘭系メジャー:ロイヤル・ダッチ・シェルもこの可能性を認めている。また、買い手側はそれが実現するように、購入・調達・投資戦略を再構築する必要があろう。 <革命的なシェールガス> (内容略、内容は左のページに載せています)革命的なシェールガス
2011.12.13
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在日の詩人キムシジョン(金時鐘)さんの波乱の人生が、深夜の再放送でオンエアされていた。放送のバックにときどき「愛しのクレメンタイン」が流れていたが、キムさんのお父さんが歌っていた歌だったそうです。その歌詞も曲調も元歌に近いもので、日本で歌われる「雪山賛歌」とは別物でした。だいたい、「雪山賛歌」として明るく歌われるのが間違いのもとで・・・山男たちの無頓着な替え歌が、元歌を冒涜していたのかもしれないですね。In a cavern, in a canyon,Excavating for a mineDwelt a miner forty niner,And his daughter Clementine. 元歌はアメリカ西部の49年野郎の娘が川に落ちて死んだ話であり哀愁を帯びている。一攫千金の夢にとりつかれ、辺境の地まで娘を連れてきたものの、苦しい生活を強いることになり、挙げ句の果てに死なせてしまった。この49年野郎も日帝時代の朝鮮のように悲惨である。キムさんは終戦後の四・三事件の際に済州島から命からがら脱出し、猪飼野にたどりついたそうです。ウィキペディアの済州島四・三事件によれば・・・・四・三事件(1948年)の難を逃れようとした済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したそうです。放送でも、猪飼野の在日としては、済州島からの避難民が多いと言っていました。ところで、金時鐘さんは「夜を賭けて」を著したヤンソギル(梁石日)さんとも友達だったようです。朝鮮特需の頃に大阪城の工廠跡から遺棄鋼材を食って(カマシテ)きた仲間だった?ようですね。放送では四・三事件の生き残りのおばちゃんの証言とか、朝鮮戦争時の弾薬輸送列車の阻止行動とか、初めて知る内容ばかりでした。過酷な過去を穏やかに語るキムさんに、クレメンタインの歌がよくマッチしていました。(11日に大阪城の横を流れる川を見て、アパッチの川やと感慨にふけるドングリでした)共産党から除名されたキムさんの言葉が胸を打ちます。~時代が大きくカーブを切り、人類史的に見ても誇るべき憲法が損なわれようとしているのに、現代詩の表現に時代の陰りはほとんど見えません。不安なおののき一つ見えない。今の日本ほど詩が軽んじられている国は地球規模で見てもありません。~「いつの間にかでき上がった」言語の秩序へのあらがいは金時鐘の生の根幹に根ざしている。日本語の秩序には、「詩になる」とか「詩にならない」として識別してゆく美意識がある。日本の美意識はこの"醜"を抱えるどころか排除することによって美的秩序を確保してきたという認定が金時鐘にはある。短歌などの日本の短詩型文学の抒情に、彼は日本の思想をとりしまってきた「個人の思考を超える共同体的共感の温床」をみる。金時鐘の詩と在日朝鮮人教育より抜粋万人がもつ詩を表す責務近代化遺産梁石日『アジア的身体』
2008.02.12
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図書館で『巨匠のメティエ・黒澤明』という本を手にしたのです。黒澤天皇を支えたスタッフ、俳優たちへのインタビュー集であるが・・・まさに黒澤レジェンドという感があるのです。【巨匠のメティエ・黒澤明】西村雄一郎著、フィルムア-ト社、1987年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>黒澤天皇を支えたスタッフ、俳優たちへのインタビュー集であるが・・・まさに黒澤レジェンドという感があるのです。rakuten巨匠のメティエ・黒澤明大使としては美術が気になるので、美術の村木与四郎さんのところを見てみました。p150~162<村木与四郎>Q:『蜘蛛巣城』の城門にしても、とてつもなく大きいですものね。村木:実際、あんな巨大な門なんかありませんよ。黒澤さん何しろ大きいのや、太いのが好きみたい(笑)。Q:それは、黒澤さんの視点を考えるうえで面白い事実ですね。村木:『乱』でも、酒を注ぐ白磁の銚子を型にとらせて、実際焼かせて作らせたんです。それも、実際のよりかなり大きくて、図太い(笑)。Q:そうすると、黒澤作品の場合でも、ずいぶん、史実と異なることがあるんですか?村木:あります。大いにあります。『用心棒』の宿場の道の幅も、スクリーンがワイドだから、あれほど、広くしなければならなかったのです。『赤ひげ』の小石川養生所のセットにしても、実際の患者の部屋は少ないんですが、本に合わせて、部屋数を多くして、自由に出入りできるようにしたのです。養生所の制服も、まるっきり創作したもので、ああいう御仕着せ的なものがあったわけじゃない。その後、テレビの『赤ひげ』で、あのままの形で着せてましたけどね。手術台のセットにしても、当時は油紙を敷いて、手術していたんですが、それだと絵的に面白くないから、あんな形になったんです。Q:つまり、視覚的にいかに写るかが優先するわけですね。村木:そうです。Q:クソリアリズムじゃない。村木:それだと動きがとれないですよ。『蜘蛛巣城』の城郭にしても、清水寺のような長い束柱に支えられた舞台が面白い、と採用になったんです。Q:『影武者』でも、天守閣がいろいろ出てきましたが、黒澤さんは、「天正年間の城は、山城で、平城の天守閣は本当はなかったが、それでは映画として面白くない」と、さかんにおっしゃってましたね。それが、封切られると、平城はおかしいと批判される。だから、時代考証家が実際とは違うと批判するのは、ナンセンスだという気がしますね。だけど、黒澤映画の場合、スクリーンに写ってしまうと、それが現実に存在したんじゃないかと思うくらいに説得力がある。これは、なぜですか?村木:それは、理論的な裏づけができているからですよ。さっきもいったように、全くかけ離れたところから想像したものでなくて、Q:その意味では、黒澤さんは一流の批評家でもありますね。村木:そういうことです。Q:じゃあ、黒澤さんは、相当な資料を持っておられるんですか?村木:ものすごいですよ。美術書なんか、専門の僕でもかなわない。Q:ユニークな発想も、それだけ資料を読みこなした上での発想なんですね。黒澤映画は、どこ切っても、黒澤さんの教養が出てますものね。村木:なにしろ、黒澤さん、何かやり出すと、趣味でなくなっちゃいますからね。多摩川の鯉釣りやり始めたら、潜って鯉の道筋まで描いたりする(笑)。その時、スイス製のリールを使ったことから、『七人の侍』の矢のアイデアが出てきたんですよ。矢が刺さる所に板を隠しておいて、その板と射る矢を透明なテグスで結ぶんです。矢の中は空洞になっていて、その間にテグスを通す。矢はテグスを伝わっていくわけだから、確実に狙った所に届くんです。つまり、黒澤さんは、自分の趣味を、実にうまく映画に利用するんです。Q:黒澤さんは何か、無意識のうちに、やっていることすべてを、映画に結びつけているって感じがしますね。(中略)Q:『用心棒』は舞台は上州?村木:そうです。空っ風が吹くところという設定なので、むこうの家屋を参考にしてます。倉のつくり方、汚し方も、ずいぶん調べました。映画では一方の親分が、最初はお米屋だったんです。でも、僕の親父が酒問屋の番頭やってましてね。小さい時から造り酒屋へ行ってたものですから、そっちのイメージのほうがいいんじゃないかって黒澤さんに話したら、「じゃあ、酒屋にしよう」とOKが出たんです。でも、そこまでは良かったんですが、両方の親分の組が、お互いのものを壊しあう時に、酒樽から酒が飛び出すシーンがあるでしょう。あの時、「酒樽が小さい。倍ぐらい大きいものを作れ!」って(笑)。でも、あんな巨大な樽なんて日本にないでしょう。だから、樽をたがねるタガがなくて作るのに大変でした。この印象的なカットも、実際より、ビジュアルに写るほうを優先させた例ですね。Q:桑畑三十郎が酒を飲んでる時のとっくりは、黒澤さんが所有されてる骨董品だそうですね。村木:あれ、京都で買ったんですよね。小物の場合は、黒澤さん骨董が好きだから、持ってるもの使うんです。『七人の侍』の木賃宿の時使ったお米の壷は、鎌倉時代の物なんですよ。Q:『用心棒』で、空っ風が吹いているのを現わすのに、埃を利用されてますね。それを散らすのに大扇風機を回してるんですが、実際の撮影の時は、ものすごい轟音だったそうですね。村木:そうそう、あれ飛行機のプロペラで回してるんですよ。昔のものだから、もううるさくってね。あれは、西部劇で草の固まりがころがるシーンがあるでしょう。あれからヒントを得たんじゃないのかな。ところで・・・黒澤監督に影のようにつき従った記録係(スクリプター)の野上照代さんがいるんですが・・・彼女が出した黒澤エピソード満載の本が面白いので、お奨めします。この記事も黒澤明の世界に収めておきます。
2016.02.10
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朝日の文化欄で「はじめての藤田嗣治」を見つけたが・・・ええでぇ♪日本画壇からは冷たくあしらわれ、フランスに帰化した藤田であったが・・・日本での評価が落ちたわけではなかったようですね。はじめての藤田嗣治より おかっぱ頭にヒゲと丸眼鏡の奇抜な外見と、美しい乳白色の裸婦像が印象的な画家、藤田嗣治(つぐはる)(1886~1968)。パリでの成功は一見華やかだが、戦争の影と歩んだ人生でもあった。 「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と萩原朔太郎がうたった1913年、藤田は26歳でパリへ渡った。 ピカソが活躍し、シャガール、モディリアニら様々な国の画家が個性を競う「エコール・ド・パリ」の時代。初めて見る前衛美術に驚きつつ、交流を深めた。 渡仏翌年には第1次世界大戦が勃発する。創作でも私生活でもフランスに根を張る努力の結果、西洋の画家と対等に渡り合い、美術史に名を残す成功を収めた。 他人の手法の「反対反対と狙って」(『腕〈ブラ〉一本・巴里〈パリ〉の横顔』)、和と洋の融合に行き着いた。日本画の面相筆で細い輪郭線を描く。透明感のある下地をつくり、浮世絵のように下地をあえて残して、肌として見せる。それが20年代以降、藤田の代名詞「乳白色の下地」となった。 私生活では、日本に残した妻と離縁してフランス人画家と結婚。奇抜な扮装で舞踏会に出没し、目立つおかっぱ頭やヒゲも手伝って社交界の花形となった。 * 裸婦の代表作の一つ、22年の「ジュイ布のある裸婦(寝室の裸婦キキ)」。画家の奈良美智さん(54)は20歳の時、パリの市立近代美術館で見た。「どっしりと量感を持ちつつ、繊細で気品があり、価値あるものという光を放っていた。習っただけの西洋絵画ではない独自のスタイルがあった」 藤田は下地の作り方を隠していたが、近年は研究が進む。 00年に調査した東京芸術大の木島隆康教授によると、下地の上層は鉛白(シルバーホワイトの絵の具)とカルシウム化合物の混合。さらに、ベビーパウダーなどに使われるタルク(滑石粉)をこすりつけて風合いを出していた。土門拳が撮った藤田の写真に「シッカロール」の缶が写っていることが、タルク使用の傍証となった。 * 29年の世界恐慌を機に、16年ぶりに帰国。日中戦争、次いで太平洋戦争が始まると、軍部の要請で戦線を取材し、戦争画にのめり込んだ。そのため、後に戦争責任を追及されたが、単純な戦意高揚と思えない作品も。例えば43年の「アッツ島玉砕」。暗い画面に敵味方も生死もわからない兵士が折り重なる。 大原美術館(岡山県倉敷市)の林洋子・特別研究員は「記録や報道を超えて普遍性を備えた芸術」と評価する。「反戦・厭戦画とみる人が増えた。新たな視点での審判が待たれます」 終戦後は妻・君代と渡仏して仏国籍を取り、カトリックに改宗。戦争協力者扱いされ、故国に絶望したという見方もあるが、林さんは「フランスへ戻りたい気持ちは絶えずあったのだろう」とみる。 晩年は世間と交流を絶ち、空想上の子供の絵と宗教画に没入した。激動の人生の終わりに、愛らしいもの、聖なるものに心ひかれたのだろうか。(安部美香子) <読む> 人物を知るには自筆エッセー集『腕一本・巴里の横顔』(講談社文芸文庫)、近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(講談社文庫)を。絵を見るには、林洋子・内呂博之『もっと知りたい藤田嗣治生涯と作品』(東京美術)は代表作を網羅。作品と時代に踏み込むには、林洋子『藤田嗣治作品をひらく』(名古屋大学出版会)が充実している。 <見る> 東京・銀座のポーラミュージアムアネックスでは28日まで、「フジタ、夢をみる手」展(無料)を開催。「校庭」ほか第2次大戦後の子どもの絵など約40点を展示する。秋田県立美術館では来年1月18日まで、「藤田嗣治と土門拳の交差」展を開催。写真約50点、常設の壁画「秋田の行事」ほか油彩4点も展示する。■いかに目引くか考えた 俳優・オダギリジョーさん 来春完成予定の小栗康平監督の映画「FOUJITA」で藤田を演じます。藤田は絵、僕は芝居ですが、自己表現という点では共通点を感じる。自分を理解して、その自分を使って、いかに作品に投影するか。もっと言えば、自分をどうプロデュースするか。 僕もアメリカで俳優の養成学校に通っていたころは、げたをはいたり、ランドセルをしょったりした。ビジュアル的な、日本的個性みたいなものを通して、自分をアピールしたかったんでしょうね。 藤田の場合、世界中の画家が集まるパリの中で、注目されて初めて、作品を見てもらえる。みんなの目をいかに引くかを、すごく考えたんだろうなと思います。 パリに行ったのは結婚後、20代後半ですよね。一人で行ってしまって帰って来ない。なぜ結婚したのかわからない。でも、絵に関してはとても真面目に向き合って、自信もある。夢も希望も、すべて絵を中心にあったのでしょう。 なぜ戦争画を描いたのかは、一番ひっかかったところです。国に背くことは考えられない時代だったのと、それを利用して自分の表現の場を作ろうとしたのでしょうか。そういう藤田の太さ、強さを描き切れればいいと思います。オダギリジョーが演じる映画「FOUJITA」は、個人的には必見でんな♪オダギリジョー、日仏合作映画で初欧州よりオダギリジョー(38)が、日本フランス合作映画「FOUJITA」(小栗康平監督、来年秋公開予定)に主演することが21日、分かった。1910年代後半からフランスで活躍した画家、藤田嗣治を題材にした作品。世界的にヒットした01年のフランス映画「アメリ」を手掛けたプロデューサーが本作を担当。オダギリの本格的な欧州進出をバックアップする。この記事も藤田嗣治アンソロジーに収めておきます。
2014.12.02
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丹羽宇一郎さんがインタビューで「石原氏の尖閣発言 なぜ首相は止めぬ 世界の信を失う」と説いているので、紹介します。「汚れ役」になるのは覚悟して引き受け、官僚組織に新風を吹き込んだ丹羽さんを、野田政権は切り捨てたが・・・アホやで!丹羽宇一郎さんへのインタビュー <日中危機の矢面>(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、12/21朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)Q:在任は2年4ヶ月でした。A:民主党と共に始まり、民主党と共に終わった。そして尖閣に始まり、尖閣に終わりました。 石原さんは地方政治のトップでした。知事が国益にかかわる発言や行動をしたとき、どうして一国の首相が「」と言えなかったのか。そういう声をたくさん聞きました。ほかの知事たちも東京と同じような行動をとろうとしたら、日本の統治体制はどうなるのか。世界の信を失いかねない深刻な問題です。 尖閣諸島は日本の領土。一寸たりとも譲歩は許されない。ただ、東京都による計画には、桟橋を造るとか、あれをやって、これもやって、とあった。そうなれば、重大な危機になりますよ、と。私の発言の真意は、そこにありました。Q:丹羽さんの発言が報じられたとき、北京に駐在して中国の空気に接している私は、違和感を覚えませんでした。英紙の取材には、日本大使館の幹部も同席していました。。A:外交は現場感覚を尊重し、大事にしたほうがいいですね。Q:しかし、野田政権は丹羽さんを「注意」して事態を収拾しようとした。私は他国の外交官から、政府が自らの大使を支持も擁護もせず、公然と批判するのを見たことがないと指摘されました。A:私が謝ることで収まるなら、結構じゃないですか。Q:いや、結構ではなくて、日本政府が尖閣諸島を国有化した後、日中関係は危機に直面しました。A:いまさら、あと出しじゃんけんのように結論が出たあとで、だから言ったじゃないですか、あのときはこうすれば良かった、などと言うことは、私の美学に反します。Q:2010年9月の漁船衝突事件でも、民主党政権は船長を逮捕するなど強気の姿勢をとりながら、処分保留で釈放した。深夜に中国外務省に呼び出され、応じた丹羽さんも日本で批判されました。A:言い訳は一切しません。それに何があったのか、いまここで話すには生々しすぎます。 離任を前に大使としての所感を書きました。そこで強調したのは、5W1Hが大切だということです。ビジネスも外交も同じ。時期は適切か。やろうとしていることは正しいか。その判断が重要なのです。 (尖閣諸島の領有権をめぐっては)外交上の係争があるのだから、それについては認め、中国と話をせざるを得ないでしょう。だからといって相手の領土だと認めることにはなりません。日中両国は、戦略的互恵関係の構築で合意しました。そのために何をすべきか。オプションはいくつもあります。海難救助、漁業協定、資源開発。どういう分野で協力しあえるのかを考えるべきです。自国の利益にかなうからこそ、他国との協調がありうるのです。Q:日中国交正常化40周年が、終わろうとしています。A:40年間の努力が水泡に帰すことがあってはいけない。どれだけの政治家が苦労して正常化を実現したか。先人の努力を無にする権限が誰にありますか。習近平さん、野田佳彦さん、そして安部晋三さん、両国の首脳には、あなたがたの責任は国民を幸せにすることで、ときには耐えがたきを耐え、冷静沈着に外交を行うことが必要ですと申し上げたい。Q:日中両国の政治家にも市民にも、過激な論調が目立ちます。。A:肩ひじを張って外交をするというのは、自信の喪失や劣等感の表れです。日本は中国に経済力も軍事力も劣っているのではないか、と。劣等感を抱く必用はありません。私は商社マンとして40年近く、中国にかかわってきました。大使として33ある一級行政区のうち27ヵ所を訪問しました。百聞は一見にしかず。物事には裏表があって、日本人を嫌っている中国人には、日本人は素晴らしいという嫉妬、裏を返せば尊敬の念がある。一部の中国人が感情を爆発させたからといって、こちらまで感情を爆発させる必要はあありません。Q:私には意外だったのですが、中国のネット世論は炎上せず、むしろ丹羽さんに賛同する声が数多く書き込まれました。A:炎上したら反論しようと思っていました。だって事実ですから。いまの中国の経済に、そんな力はありません。列車は脱線するし、橋は崩落するし、労働者の教育。あるいはソフトウェア。中国の経済には、まだ未熟な部分も、日本から学ぶべきことも、たくさんあります。 最近、中国では日本を批判するときに「ファシズム」という言葉が使われます。私は中国に聞きたい。ファシズムの意味を知っていますか、と。国家を優先し、個人の自由を抑圧する。これが全体主義です。あまり声高に言うと、中国内のネット世論がどう反応するか。軽々しく発した言葉が、ブーメランのように返ってきます。Q:着任前から、日中関係は難しい、「汚れ役」になるのは覚悟のうえだと話していました。なぜ、中国大使を引き受けたのですか。A:心を揺さぶられたからです。企業で仕事をしてきた私の考え方は、国のため、社会のため、人々のために働きなさいというものです。自社の利益だけを追い求めることは、長い目で見たら会社の発展に結びつきません。確固とした利益、会社のブランドは、そうして築かれる。国のために余命を尽くすことは、自分の哲学に合っている。Q:きれいすぎませんか。A:きれいごとに聞こえるかも知れません。私も若い頃は、自分の利益や業績。そんなものです。それが役員になれば会社のこと、社長になれば政府の仕事など、責任を負う範囲が広くなる。政府の仕事を何年もしてきたので、外交も、官僚がどういう種族かも、だいたいの見当はついていましたからね。Q:外務省は「初の民間出身の中国大使」を支えましたか。A:日本大使館は実によく支えてくれました。ただ、官僚は言われたことは企業の社員よりずっと立派にしますが、言われたことだけ。私は大使館内に改革委員会を作った。若手の館員たちに、どうしたらもっと仕事がしやすくなるか、自分で考えなさいと命じました。 これまで中国各地にある日本総領事館は、東京を向いていた。本省が人事評価を行っていたからです。それでは日本大使館が中国全体の動きを把握できない。官房長の了承を得て、大使館が各総領事の人事の一次評価をすることにしました。総領事の皆さんには、北京に集まってもらい、酒を飲み、腹を割って話をする機会も設けました。その効果があって、反日デモが中国各地で発生したときは、膨大な情報が瞬時に共有できました。Q:心残り、提言は。A:いま、日中間では青少年交流まで止まってしまっている。中国共産党の新指導部で政治局員に就いた方々と話すと、青少年交流には賛成なんです。ただ、すぐには難しいという。青少年の交流こそが、氷を解かして両国の国民感情を改善させる契機になると確信しています。 私は政治主導に大賛成です。ただ、これは政治家にとって難しい。官僚以上に勉強しなければならないからです。官僚は優秀です。国家の財産です。彼らをいじめても政治は良くならない。大使といえども官僚です。限界がある。官僚には言えないことも私は言えたが、後任は官僚出身です。新政権には、現場の声をすくい上げ、国益のために生かして下さいと、心よりお願いしたい。<取材を終えて> 民主党政権は、独自色を打ち出そうとして中国大使に任命した丹羽さんを、生かせなかった。それどころか、最後は尖閣諸島をめぐる対中強硬論に迎合し、交代させた。商社マンとして培った現場主義も、草の根交流への熱意も一貫していた。離任の朝、見送った大使公邸の中国人職員が男泣きしたという話を大使館員から聞いた。(聞き手:坂尻信義)社長を経験した人物のスキルは、政治家や官僚に勝るとも劣らないと思うのだが・・・使いこなせなかったのは、野田さんの狭量だったのか?丹羽さんは「日本は中国の属国として生きていけばいいのです(WILL7月号)」と発言し物議をかもしたけど…今回のインタビューを読む限り、ごくまっとうな外交センスだと思うのですが。
2012.12.23
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「なんどい ダボ!」神戸や摂津の住人にとって播州弁ですごまれたら・・・怖いでぇ。でも播州弁や河内弁は、けんかの時は断然優位に立つわけで・・・その口調を覚えておくべきかと思ったりする(笑)冗談はさておいて・・・最近、我が娘が播州人に嫁いだことや、このところの「軍師官兵衛」の放映に触発されて、播州が気になるのです。図書館で「播磨気質」という本を借りたのだが、播州が面白くレポートされています。<ダボ、ワレ・・・>p13より レシーバーの奥から、どすのきいた声が響く。ぶっきらぼうに「〇〇は何番どい?」。問い返す間もなく「ワレ、はよ調べんかい」の追い打ちだ。答えにまごつけば「オンドラ、ドアホ」ととどめの一撃をくらう。 聞きしにまさる播州弁の迫力だ。姫路電電局の番号案内「104」と「105」にかかる問い合わせ電話は1日2万本余り。そのうちの何本かは「理由もなくののしられる」という恐怖感を交換嬢に与えて切れる。「一生懸命調べているのに、親にも言われたことのないような言葉で口汚くののしられて・・・。よほど逃げて帰ろかと考えた」とは、但馬の浜坂から出てきて勤続27年というベテラン職員が語る初出勤の思い出だ。播州の中心地といえば姫路であり、姫路のシンボルと言えば姫路城となるのだが・・・・播州人はこの姫路城を誇りに思っているかといえば、この本の刊行時1989年は、そうでもなかったようです。<あてがいぶち>p29~31より 「せめて年1回でいい。気分を新たに登閣してもらえたら・・・」 姫路城管理事務所で、香山宏所長が嘆く。姫路市のシンボルであり、市民の心のふるさとであるはずの姫路城。その天守に市民がさっぱり登ってくれないというのだ。姫路青年会議所が58年(1983年)8月に行った調査では全登閣者のうち市民はわずか5.1%、年間登閣者約85万人からはじくと4万人余りに過ぎない。さんざんの数字だ。 登閣者だけではない。裏側の姫路公園は碁、将棋をする老人や散歩の親子連れがちらほら見られるだけ。同じ播州ながら、明石城の早朝体操、散策、スポーツなど市民あげてのフル活用ぶりとは対照的だ。 世界に誇る名城がたったの23円50銭―。明治新政府が出した廃城令に伴い姫路城が売りに出された時の落札値(明治十年)だ。米価に換算すると今の約20万円ぽっち。市民の反対運動も起こらなかった。後でことの重大さに気づいた陸軍省幹部が動き、すんでの所で命運を今日につないでいる。 対する明石城は市民運動に救われた。小学校建設用材に転用が決まったが“落城”寸前に地元藩士らが総決起し、現存する東西二櫓(やぐら)を守り抜いた。保存運動、現在の利用状況ともまさに市民の城である。 二つの城の間になぜこれほどの差が生じるのか―。播磨の民衆史などに健筆を振るう作家の寺林峻さんは「姫路城があてがいぶちの城だったからではないか」とみる。 確かに、池田一族が百万石の財力と威信をかけて築城した堅固な連立式天守閣は徳川政権の押し付け。豊臣方の本拠、大坂をにらみ、西国の外様諸侯を封じ込めるのが狙いだった。輝政の死後、池田家は転封され、代わって本多、松平、榊原、酒井など譜代大名が入国したが禄高は15万石程度。城は国力に不似合いの飾り物となり、藩主のめまぐるしい交代は領民から活力を奪っていった。 「播州は古くから権力にあらがった政治犯などが流されてきた地。長いものに巻かれることを潔しとしない気骨があった。が、“第二江戸城”に匹敵する巨大な城郭の出現で気力がなえ“寄らば大樹のかげ”というべき播磨気質ができてしまった」と寺林さん。 お上の意向に唯々諾々と従い、あてがいぶちで満足する気質を播州人に植えつけたとすれば、お城の罪は大きい。どんな時代であれ、権力や権威に抵抗し、反発する精神が独自の文化と創造性を生む源泉であったはずだからだ。 精神風土の甘さゆえの“あてがいぶち”はまだ続く。姫路を軍都に変えた第十師団も国からの授かりもの。鉄道誘致の夢破れた丹波・篠山町が起死回生策として町をあげて運動、歩兵70連隊誘致に成功したのとはまったく事情が異なっている。<前進基地>p55~56より 西日本一の豊かさを誇る播磨国は事が起きるたびに、外部の勢力から狙い撃ちされる。古代には朝鮮半島から渡来人が大量に入り、鎌倉政権誕生後には、いわゆる地頭として関東御家人が次々と入国。さらに南北朝の動乱期には、山陰、北陸諸国から悪党の群れがなだれ込み、そのまま居座った。その他、海を渡って上陸した四国人、明治維新後、職を求めて移住して来た西日本、九州人。播磨人は東西の血が色濃く混じり合い、類がないほどの混血民族と評判されるゆえんだ。 あとがきに、神戸新聞の播磨版に掲載されたこのシリーズの裏話が載っているけど、ええでぇ♪<あとがき>より 「播磨国の風俗は、知恵があって、しかも義理は知らない。親は子をだまし、子は親を欺く・・・」 「姫路人は利害関係に敏感で、自分本位の行動に走る。あるいは打算的な行動をとるため、諸集団の連帯性とか、統一性が持続しない」 いずれも、本書の中で幾度か引用した文章である。ご記憶の読者も多いだろう。というより、これだけ手ひどくやられては播州人の一員として記憶に残らざるを得ない。なぜ、我々はこれほどまでに悪しざまにののしられなければならないのか? 前者は江戸中期の「人国記」の記述。後者は昭和の時代に信金総合研究所がまとめた地域特性の研究報告書の一節だ。二つの文章の間には、ざっと250年の歳月がある。時代の流れを超えてなお、二つの播州人論は、なぜ、これほど似てしまうのだろう? 播州人を語るのに、悪口の例は事欠かない。既に本書で紹介したように、利己的、打算的、排他的・・・。あるいは、言葉が汚い、柄が悪い、気が荒い・・・。が、これらの言葉は、本当に播州人像を言い当てているのだろうか?よしんば思い当たるふしがあったとしても、それは播州人の本来の気質にゆえんするものなのか?企画「播磨気質」は、まさしくこうした疑問符の積み重ねから生まれたといえる。(中略) 全体を通じて、もっとも力を入れたのは「播州人よ、もっと自信を持とう!」「大国播磨の末裔として、胸を張って播州人と名乗ろうではないか!」という呼びかけである。その意味では、シリーズそのものが一種のキャンペーンであったと言えるが、実は第一部の掲載当初はビクビクものであった。「みな盗賊」「ダボ、ワレ」「あてがいぶち」「殿様商法」「腰くだけ」など刺激的な言葉の連続に「読者から反発の電話が殺到すのではないか」と本気で心配したものである。が、結果は予想に反して「なかなかおもしろい」「よう書けとる」との声をいただいた。連載途中には、播磨という地域の奥の深さ、とらえどころのない多様性に直面し、つい“腰くだけ”になりそうな時期もあったが、そんな時には「次のシリーズはまだか」「早く始めろ」と励ましの言葉まで数多く頂戴した。播磨の人々のおおらかさ、度量の広さのおかげで、完結できたようなものである。【播磨気質】神戸新聞社編、神戸新聞社、1989年刊<内容紹介>よりデータなし<大使寸評>「なんどい ダボ!」神戸や摂津の住人にとって播州弁ですごまれたら・・・怖いでぇ。rakuten播磨気質
2014.06.19
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朝日のコラム「波聞風問」にチャイナウォッチャーとも言える吉岡桂子記者の記事を見かけたので紹介します。吉岡記者が、中国の友人を気遣っています。2015.5.24<拘束中の友へ 再び会い、議論できる日を>より 浦志強(プーチーチアン)さん、ニンハオ。 中国を代表する人権派弁護士として知られるあなたが、中国当局に拘束されて1年余りが過ぎました。民主化運動が弾圧された天安門事件から25年を迎えた昨年春、知人宅で開かれた事件を研究する会に参加したことが、拘束のきっかけでした。 数日前、民族の恨みをあおったり、騒ぎを挑発したりした罪で起訴されたニュースが流れました。ずっと心配していた日本の弁護士や研究者たちは、とても怒り、悲しんでいます。米国政府は深い懸念と早期の釈放を、欧州連合(EU)は裁判の公正と外国の大使館員の傍聴を、それぞれ求めています。 中国内でも内陸の重慶市の庶民10人が、あなたへの迫害に反対する声明を出しました。当時の市トップの政治手法を批判したネット発言を理由に、司法手続きなしで拘束されたところを助けられた、と書いてありました。地方の共産党幹部から訴えられた作家を、自由な言論が社会の公正を保つとの考えから弁護したこともありましたね。 中国版ミニブログで10万を超すフォロワーがいた、あなたに対しても、共産党の政策に批判的な書き込みが問題視されていたようです。「相手(ウイグル族)を敵と見なすなんて、でたらめだ」「釣魚島が中国のものかどうかなんて、私とは何の関係もない」「もし日本が中国の一部を統治したら環境保護、教育、医療面で状況は今よりも良くなっていた」などの部分です。 北京に住む知人は「影響力をもつ彼を黙らせ、社会の改革に向けて発言する人々を牽制(けんせい)するためだ。言論の空間は狭まっている」と起訴を嘆いています。昨年来、多くの弁護士や記者、NGOの活動家が捕らえられています。70歳を超える人までも。年長者を重んじる儒教の故郷として、暗黙の了解で拘束を免れてきた年齢なのに。 中国では歴史的に、政治家から経済人、庶民にいたるまで、日本との縁がいつなんどき悪材料に転じ、「友人」を苦しめることになりかねない。そう悩む日本人もいます。中国とうまく商売をするには、余計な口出しは禁物と考える人もいます。 しかし、中国がルールに従って動く国になることは、日本の経済にも安全保障にも深くかかわります。その実現に努める中国の方々との交流の積み重ねは、関係の安定を築く礎になると信じています。再び会い、日本の言論環境の変化を含めて意見交換できる日を待つ人もまた、たくさんいます。 拘束中のあなたに宛てた奥様からの公開書簡を読みました。厳しい調べによる嘔吐や失神、糖尿病や高血圧の持病を案じていらっしゃいました。北京の厳しい夏がすぐそこです。くれぐれも保重身体(お大事に)。吉岡記者がAIIBとADBの競合について、正論を語っています。2015.5.3<ADBとAIIB 競い合うべきものとは>より カスピ海沿いの資源の都、アゼルバイジャン・バクー。第2次世界大戦時にヒトラーも狙った油田を抱える国で2日、開発金融を担うアジア開発銀行(ADB)の総会が始まった。来年には50周年を迎えるADBは、中国主導で創設されるアジアインフラ投資銀行(AIIB)から挑戦を受けている。 ADBの初代総裁を務めた元大蔵官僚、渡辺武氏(故人)は著書「アジア開銀総裁日記」に、こう書く。 「アジアから見た日本は、郷土を捨てて都会に走り、成功者として再び郷土に戻ってきたものに似ている」 ADBの設立は戦後20年あまりたった1966年。日本が「大東亜共栄圏」を掲げてアジアを舞台に戦った歴史の記憶が、今よりずっと濃い時代だ。渡辺氏は、こうも記す。「経済大国にのしあがった」日本が受け入れられるかどうかは、自らの振る舞いで決まると。日本にとってADBは、経済を通じてアジアとの関係を築き直す道具でもあった。 発展を急ぐアジアの国々では、高度成長を享受する日本の経済力への期待が高まっていた。いっぽう、警戒や反感もあった。本店選びは3回の投票を経て、東京は1票差で敗れてマニラに奪われている。 米国との関係も微妙だった。 米欧の一部は「世界銀行があるのになぜADBが必要か」と懐疑的だった。本店誘致をめぐっても、米国は「極めて冷淡」で「常に味方と考えて、全面的に信頼する危うさ」を指摘する日本の外交文書も残る。 慎重だった米国が加盟に転じた背景には、ベトナム戦争がある。東南アジアへの関与を強める必要が高まったからだ。東西冷戦下では、ADBも「反共」戦略の一部だった。 当時を知る人によれば、複雑な立ち位置の日本は、出過ぎないよう配慮しながらADBの創設と運営に取り組んだという。多くの議論は国連のアジア極東経済委員会で進められている。 AIIBを今、大国間の政治ゲームの断面で切りとれば、中国の「圧勝」に映る。この地域に深く関与してきた日米の否定的な態度をよそに57カ国を集めてみせた。だが、途上国や新興国の開発や成長への支援は本来、息の長いものである。「一回裏」でゲームは終わらない。 中国の台頭で、日本がアジアで唯一の経済大国ではなくなった。同時に、50年前のアジアと異なり、開発独裁下にあった多くの国は民主化した。プレーヤーは政府や権力と結んだ財閥だけではない。国境を越えて共有できるルールを提案するには、幅広い接点が必要だ。ADBにもAIIBにも、資金を調達する世界の市場や株主を抱える企業、住民やNGOと協力しあう力こそが試されている。ここで以前のインタビュー記事を紹介します********************************************************************<吉岡桂子記者の渾身インタビュー記事>中華文明に関する吉岡桂子記者渾身のインタビュー記事を紹介します。・台湾、ひまわりの芽は邱義仁2015.3.17・中国、権力と文学閻連科2015.2.06・政治化するナショナリズムワンチョン2014.11.15・中国、成長の罠香港大学教授2014.02.26・中国の「不動産バブル」大手不動産会社トップ2014.01.28・中国 国有企業の行方張維迎2013.11.07・中国と影の銀行張維迎2013.8.02朝日新聞の吉岡記者といえば、チャイナウォッチャーとして個人的に注目しているわけで・・・・その論調は骨太で、かつ生産的である。中国経済がらみで好き勝手に吹きまくる経済評論家連中より、よっぽどしっかりしていると思うわけです。波聞風問一覧に吉岡記者の中国論が載っています。<吉岡桂子記者の渾身記事14>
2015.05.27
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4月1日のNHK再放送でSWITCHインタビュー「きゃりーぱみゅぱみゅ×山田孝之」を観たのだが、きゃりー大好きな大使にとって、なかなかのものでした。NHKオンデマンドサイトより、以下紹介します。SWITCHインタビュー 達人達「きゃりーぱみゅぱみゅ×山田孝之」より 日本の「カワイイ」文化を世界に発信するきゃりーぱみゅぱみゅ。卓越した演技でさまざまな役柄に挑む山田孝之。アーティスト2人のトークからみえる「表現の極意」とは? きゃりーのライブに足をはこぶという山田。きゃりーもそのことを知り、一度話してみたいと考えていた。しかしシャイな2人はライブなどで顔を合わせても挨拶をする程度できちんと話をするのは今回が初めて。きゃりー思い出のライブハウスと、山田にとっての重要な仕事場の1つである試写室で、2人は表現への情熱を語り合う。きゃりーのライブ演出へのこだわりから山田の役作りの方法まで、アーティストの深層に迫る!きゃりーのミュージックビデオは楽しい。チーム・きゃりーのモットーは「楽しく仕事をする」だそうで・・・ぶっ飛んだ連中がええなぁ♪このインタビューを見て、はたと思い当たったのであるが・・・お二人の共通点は、モンティ・パイソンのような既成概念をぶっ壊すようなパフォーマンスが好きなんだということかな♪きゃりーの今後を聞かれて「50歳、80歳の自分は考えられない」、また、10年後なら「結婚して子どもができてもカワイイをやっていたい」とのことでした♪サウンドもいけてるし、「グロかわ」のセンスを隠し持ったきゃりーは・・・本人自身がクリエイティブであることを自覚している賢い子なんでしょう。きゃりーぱみゅぱみゅのオフィシャルWEBSITE
2017.04.02
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図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実砂漠テーマでもう一つ、「燃える水の国」を、見てみましょう。<燃える水の国>p126~129タンタン、アラビアへ帰る! ドイツ人の悪漢ドクター・ミュラー再び現れ、デュポン&デュポンはさらにずっこけ、わんぱく坊主のアブダラーが物語をもつれさせる エルジェは未完結を嫌った。ストーリーのアイデアが根づくと、決して忘れなかった。苦労した「ななつの水晶球」と「太陽の神殿」を終えると、棚上げにしてあった企画を有効に生き返らせてみせた。 その場面は、1939年に第二次大戦が勃発したときエルジェが描き始め、戦時中も続けていたが、ナチによるブリュッセル占領と「20世紀新聞」の閉鎖とともに中断されたままだった。 1939-40年当時のこの冒険のあらすじは、戦前に描かれた物語と関連があった。ライバル国による石油供給を妨害し、その軍事力を麻痺させようとするドイツ人の陰謀。この作戦にエルジェは「黒い島の秘密」の悪役ドイツ人、ドクター・ミュラーを呼び戻した。彼は何年か前、ニセ札作りでいぎりす経済を破たんさせようとして、タンタンに阻止されたのだった。 これは、ナチ支配下では不適当な内容だったので、見送られたのだった。その代わりに、新しい発表舞台の「ル・ソワール」紙に、1940年10月から、政治的に問題のない「金のはさみのカニ」を描き始めたのである。そして、デュポン&デュポンが歌を口ずさみながら車を走らせる陽気な場面で始まる「燃える水の国」は、時期が来るまでのあいだ、ほこりをかぶっていた。 そして1948年、再びドイツの悪人を出すのは、以前に増して政治的に正しい状況となり、「タンタン・マガジン」は次の物語を待ち受けていた。■巨匠の名演 「タンタン・マガジン」には、物語を改めて最初から描き直すことにした。すでに1940年に描きだされた「金のはさみのカニ」でハドック船長が登場していたし、ビーカー教授は1943年以来、読者におなじみになっている。さらにビーカー教授の経済的援助でハドック船長が1943年に手に入れたムーランサール城もあった。エルジェは、生まれながらのジャーナリスティックな才覚で、そのすべてを完結したばかりのインカの冒険に活かしていた。(中略) 「燃える水の国」の単行本は1950年に刊行された。戦前と戦後の連載でも同じように描かれていた最初の部分は、英語版シリーズの出版であるロンドンのメスェン社の要求で、1971年に全面的に改定されることになった。イギリス統治下ノパレスチアとユダヤ人テロリスト・グループに言及した部分は、改訂版では架空のアラブに設定された。エルジェはこの全面的改定に同意した。 同様の要求を受けいれた「黒い島の秘密」の場合のように、今度も結果はがっかりさせるものだった。始めの版にあった、同時代の事件をほのめかすことで生みだされた辛らつな批判はなくなってしまった。『タンタンの冒険 その夢と現実』2:金のはさみのカニ『タンタンの冒険 その夢と現実』1:青い蓮
2019.04.29
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図書館で『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』という本を、手にしたのです。ビジュアルな「とんぼの本」シリーズなので、絵本作家エンデを知るには最適ではないか♪この本には見覚えがあり借りるのは2度目になるなあと思ったが、ま いいだろうと借りた次第でおます。(帰って調べたら1年ほど前に借りていました)【ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと】池内紀, 小林エリカ著、新潮社、2013年刊<「BOOK」データベース>より『モモ』『はてしない物語』ほかファンタジー物語の傑作を残した作家エンデの人生、そして現代人に伝え続けたメッセージとは。待望のエンデ入門。<読む前の大使寸評>ビジュアルな「とんぼの本」シリーズなので、絵本作家エンデを知るには最適ではないか♪rakutenミヒャエル・エンデが教えてくれたことお金や時間に拘るエンデを、見てみましょう。p100~101<エンデが夢見た経済の姿:廣田裕之> エンデが今の経済制度の矛盾を最初に描いたのは、代表作『モモ』です。この中には「時間とはすなわち生活だからです」という一節がありますが、原文ではわずか三語のこの表現に、エンデの人生観が現れていると言えます。 人間はなにをするにも、時間が必要です。お金がなくても、公園を散歩したり、図書館で本を読んだり、また家庭菜園で穫れた作物を使って料理をしたりすることができますが、時間がなければどれも無理です。 時間こそが生活(あるいは人生や生涯)であり、その時間の効率化だけを考えると、やがて生活そのものが干からびてしまいます。 『モモ』では「灰色の男」により時間の節約を説得された床屋のフージー氏が時間の節約に励んだ結果、彼の生活は味気ないものになり、彼自身も怒りっぽくなってしまいました。 『オリーブの森で語りあう』の中でエンデは、スイスの経営者が集まる会議の場で自らこの一節を朗読したエピソードを披露します。その後、出席者に対して「百年後の未来像」について問いかけたのですが、「すくなくとも年三パーセント以上の成長がなければ、競争に生きのこれなくなり、経済的に破滅する」という発言をきっかけとして、エンデに対して攻撃する人が出てきたことから、この問いかけは失敗してしまいました。 『エンデと語る』では、「どうやって、この経済成長の強制から人間を自由にするか」という根本的な問題を問いかけています。 しかし、なぜ経営者はここまで経済成長にこだわるのでしょうか。その最大の理由は「金利」です。お金を借りたら元金だけでなく金利も支払わないといけませんが、この金利自体がネズミ算式に増えるため、これを返せるだけの経済成長が必要になるのです。 後述する『エンデの遺言』で登場するドイツの建築家であり補完通貨の研究者、マルグリット・ケネディは代表作『金利ともインフレとも無縁な貨幣』で、このような成長をガン細胞の成長に例えています。つまり今の経済はガン細胞のように果てしなく成長し、地球の資源を必然的に食い尽くすものである、と。 さらに、自分の借りたお金を返す形で直接的に、あるいは商品やサービスの購入を通じて間接的に金利を払うことから、ほとんどの人は収入が減る一方で、ごく一部の金持ちだけがより豊かになるという問題もあります。エンデの絵本をネットで見つけたので、見てみましょう。第149回/おとなしいきょうりゅうとうるさいちょうより お話は2部構成のような様相を呈しており、それが最後は重なりあうようなスタイルである。その第1幕はきょうりゅうのお話。不気味な石の塔があり、そこには口よ尻尾から火をふくきょうりゅうが住んでいた。そこに本をかかえたヒックス教授なる人物がやってきてきょうりゅうの研究を始めた。きょうりゅうはうっとおしくなり、教授を飲み込んでしまったが、本が消化しにくく、腹から本と教授を吐き出した。教授はケロッとして、1冊の本を置いて帰っていってしまった。そこには「火をはくきょうりゅうは、みんな、おとなしいきょうりゅうとよばれる」と書かれていた。それを目にしたきょうりゅうは愕然とした。 自分は恐ろしいきょうりゅうであり、決して「おとなしい」きょうりゅうなどではない!否定するために、きょうりゅうは暴れまくったが、やがてノイローゼのようになり、家に閉じこもってしまった。ここで、まず幕が閉じる。そして、ふたたび楽譜が描かれ、タイトルは「うるさいちょうのワルツ」となっている。そして第2幕が始まる。そこにはタキシード姿のヒゲをはやしたもんしろちょうがいて、もんしろちょうの少女とワルツを踊りまくっていた。もんしろちょうは、繊細でしとやかで、特にうるさい騒音には大いに腹を立てていた。そこへ、まるはなばちが飛んできて、もんしろちょうが「うるさいちょう」と呼ばれていることを告げる。『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』2:エンデ氏物語p76~77『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』1:INTRODUCTION
2019.05.27
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除草剤「ラウンドアップ」の主成分であるグリホサート。アメリカでは健康被害で多くの訴訟が進行中であるが、昨年から今年になって被害者勝訴の判決が出ているとのこと。週間金曜日オンラインの記事を見てみましょう。2019年8月26日グリホサート、安全神話の終焉 人体への健康被害明らかにより 除草剤「ラウンドアップ」の主成分であるグリホサート。本欄でもたびたびお伝えしていますが、米国ではグリホサートによる健康被害で多くの訴訟が進行中。また被害を認める判決が出ました。 5月13日、米カリフォルニア州アラメダ郡裁判所陪審は、グリホサートががんを引き起こす原因だったとして訴えた被害者夫妻に勝訴評決を下し、モンサント社を買収したバイエル社に対して20億5500万ドル(約2200億円)の支払いを命じた。【グリホサートによる健康被害】 内容は、被害者夫妻に対して総計5500万ドルの損害賠償、さらに1人当たり10億ドルという高額の懲罰的損害賠償の支払いを命じたもの。現在76歳のアルバ・ピリオドは2011年に、現在74歳の彼の妻アルバータ・ピリオドは2015年に非ホジキンリンパ腫の診断を受けた。これによりグリホサートとがんをめぐる裁判は、3回連続の被害者勝訴となった。 これまで判決が下された訴訟以外に、現在、約1万3400件も訴訟が起きており、これからも被害者への支払いが累積していくことが予想される。この評決を受けて、バイエル社の株価はさらに6・8%下落し、昨年6月にモンサント社を買収して以来、約40%下落したことになる。 世界的にグリホサートの有害性が焦点になり、人体汚染の検査が進んでいる。日本でも、5月21日にデトックス・プロジェクト・ジャパン(代表・山田正彦元農林水産大臣ほか)が設立され、グリホサートの人体汚染の検査が始まることになった。その設立に先駆け、国会議員23人を含む28人の髪の毛の検査が行なわれ、途中経過ながら数値が発表された(図1)。 それによると、何らかの農薬が検出された人が21人。グリホサートとその分解生成物であるAMPAが検出された人が19人で、グリホサートが定量限界以上検出された人が4人だった。日本でも確実に人体汚染が進行していることが示された。なおAMPAは、グリホサートが分解してできるもので、グリホサートで汚染されていることが示されると同時に、AMPA自体の毒性が強いという、仏カーン大学の研究結果もある。【市販食パンにも残留】 人体汚染の原因であるが、食品による摂取と環境中への散布で被曝したことがあげられる。日本では、農地以外にも公園や河川敷、校庭や空き地などで散布されており、環境中への散布で被曝するケースもあるが、多くが汚染食品によるものと考えられる。農民連食品分析センターが国内で販売されている食品の汚染調査を続けているが、現在、最も深刻なのが、小麦である。 特に汚染度が高いのが北米産で、その小麦から作られるパンの汚染度も高い。同センターがまとめた農水省の分析データでも、北米産の小麦でのグリホサート検出率は高く、米国産は97%、カナダ産は100%で、オーストラリア産の16%、フランス産の13%に比べて高い(2017年)。 同センターの検査によると、特にパンに用いる強力粉が高く、全粒粉だとさらに高い傾向にある。実際にパンを検査すると、山崎製パン、敷島製パンなど一般に市販されている食パンから軒並み検出される(図2)。しかし、汚染はそこにとどまらない。それ以外に、ビールやワインなどからも検出されている上に、遺伝子組み換え作物に広く使われていることから、さまざまな食品が汚染され、人体汚染をもたらしていると思われる。 米国での裁判では、グリホサートと非ホジキンリンパ腫の関係が示されたが、その裏付けとなる調査も行なわれている。農薬に曝露して危険な状況にある357万4815人の農民および農業従事者を調査したところ、そのうち31万6270人ががんを発生させ、そのうち2430人が非ホジキンリンパ腫だった。 その非ホジキンリンパ腫にかかった人で、グリホサートをよく使う人と、農薬を限定しないで使う人を比較したところ、グリホサートをよく使う人が非ホジキンリンパ腫にかかる確率が高いことが示された。この研究は国際がん研究機関(IARC)のマリア・E・レオンらが行なったもので、『国際疫学ジャーナル』(3月18日)に掲載された。 さらにはグリホサートなど農薬と自閉症との関係についての調査も発表された。出生前および出生後1年目までにグリホサートなどの農薬に曝露した子どもが、曝露していない子どもに比べて、自閉症スペクトラム障害(ASD)になるリスクが高いことが示された。 調査したのはカリフォルニア大学のオンディーヌ・S・フォン・エーレンシュタインらの研究チームで、ASDの子どもの母親2961人(そのうち知的障害を伴うASDは445人)と、同世代の母親3万5370人を比較したところ、グリホサート、クロルピリホス、シアジノン、マラチオン、アベルメクチン、ペルメトリンとASDの関連が疑われた。また知的障害を伴うASDの場合は、グリホサート、クロルピリホス、シアジノン、ペルメトリン、臭化メチル、ミクロブタニルが高い関連性を示したという(『BMJ』3月20日)。【生殖分野にも影響】 そしてもうひとつ、深刻な影響を示す研究結果も『ネイチャー・サイエンティフィック・リポート』(4月23日)で発表された。グリホサートによる次世代以降の影響である。研究を行なったのはワシントン州立大学のマイケル・スキナーらの研究チームで、グリホサートに曝露したラットの子孫には、前立腺、腎臓、卵巣の疾患や、出生異常が見られた。 原因は、精子での遺伝子のスウィッチ役の変化がもたらした遺伝子の機能の変化と見られている。第2世代では肥満に加えて、精巣、卵巣、乳腺の疾患が著しく増加していた。第3世代では、オスに前立腺の疾患が増え、メスに腎臓の疾患が増えていた。2代目の母親の3分の1が妊娠せず、3代目ではオスメス合わせその5分の2が肥満だった。次世代以降への影響を示したこの結果は深刻である。 以前、モンサント社は「ラウンドアップは安全」という宣伝を繰り返していた。その結果、いつの間にかグリホサート安全神話が形成されていた。この神話はものの見事に崩壊した。グリホサートを早急に禁止する必要がある。(天笠啓祐・ジャーナリスト、2019年6月14日号)なお、モンサントの手口については、 「モンサントの不自然な食べもの」に詳しく出ております。
2019.09.03
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<『神様2011』1>図書館で予約していた『神様2011』という本を待つこと5日でゲットしたのです。パラパラとめくってみると「神様」と「神様2011」の二部構成となっています。よく似た内容だが「神様2011」は“あのこと”の後であることが書かれています。【神様2011】川上弘美著、講談社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりくまにさそわれて散歩に出る。「あのこと」以来、初めてー。1993年に書かれたデビュー作「神様」が、2011年の福島原発事故を受け、新たに生まれ変わったー。「群像」発表時より注目を集める話題の書。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると「神様」と「神様2011」の二部構成となっています。よく似た内容だが「神様2011」は“あのこと”の後であることが書かれています。<図書館予約:(3/21予約、副本11、予約1)>rakuten神様2011「神様2011」の冒頭部を語り口を、見てみましょう。p23~28 くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。春先に、鴫(しぎ)を見るために、防護服をつけて行ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持っていくのは、「あのこと」以来、初めてである。散歩というよりハイキングといったほうがいいかもしれない。 くまは、雄の成熟したくまで、だからとても大きい。三つ隣の305号室に、つい最近越してきた。ちかごろの引越しには珍しく、このマンションに残っている三世帯の住人全員に引越し蕎麦をふるまい、葉書を十枚ずつ渡してまわっていた。ずいぶんな気の遣いようだと思ったが、くまであるから、やはりいろいろとまわりに対する配慮が必要なのだろう。 ところでその蕎麦を受け取ったときの会話で、くまとわたしとは満更赤の他人というわけでもないことがわかったのである。 表札を見たくまが、 「もしや某町のご出身では」 と訊ねる。確かに、と答えると、以前くまが「あのこと」の避難時にたいへん世話になった某君の叔父という人が町の役場助役であったという。その助役の名字がわたしのものと同じであり、たどってみると、どうやら助役はわたしの父のまたいとこに当たるらしいのである。 あるか無しかわからぬような繋がりであるが、くまはたいそう感慨深がに「縁」というような種類の言葉を駆使していろいろと述べた。どうも引越しの挨拶の仕方といい、この喋り方といい、昔気質のくまらしいのではあった。 そのくまと、散歩のようなハイキングのようなことをしている。動物には詳しくないので、ツキノワグマなのか、ヒグマなのか、はたまたマレーグマなのかは、わからない。面と向かって訊ねるのも失礼である気がする。名前もわからない。なんと呼びかければいいのかと質問してみたのであるが、近隣にくまが一匹もいないことを確認してから、「今のところ名はありませんし、僕しかくまがいないのなら今後も名をなのる必用がないわけですね。呼びかけの言葉としては、貴方(あなた)、が好きですが、ええ、漢字の貴方です、口に出すときに、ひらがなではなく漢字を思い浮かべてくださればいいんですが、まあ、どうぞご自由に何とでもお呼びください」 との答えである。どうもやはり少々大時代なくまである。大時代なうえに理屈を好むとみた。 川原までの道は元水田だった地帯に沿っている。土壌の徐染のために、ほとんどの水田は掘り返され、つやつやとした土がもりあがっている。作業している人たちは、この暑いのに防護服に防護マスク、腰まである長靴に身をかためている。 「あのこと」の後は、いっさいの立ち入りができなくて、震災による地割れがいつまでも残っていた水田沿いの道だが、少し前に完全に舗装がほどこされた。「あのこと」のゼロ地点にずいぶん近いこのあたりでも、車は存外走っている。どの車もわたしたちの手前でスピードを落とし、徐行しながら大きくよけていく。すれちがう人影はない。 「防護服を着ていないから、よけていくのかな」 と言うと、くまはあいまいにうなづいた。 「でも、今年前半の被曝量はがんばっておさえたから累積被曝量貯金の残高はあるし、おまけに今日のSPEEDIの予想ではこのあたりに風は来ないはずだし」 言い訳のように言うと、くまはまた、あいまいにうなづいた。 くまの足がアスファルトを踏む、かすかなしゃりしゃりという音だけが規則正しく響く。 暑くない? と訊ねると、くまは、 「暑くないけれど長くアスファルトの道を歩くと少し疲れます」 と答えた。 「川原まではそう遠くないから大丈夫、ご心配くださってありがとう」 続けて言う。さらには、 「もしあなたが暑いのなら、もちろん僕は容積が人間に比べて大きいのですから、あなたよりも被曝許容量の上限も高いと思いますし、このはだしの足でもって、飛散塵堆積値の高い土の道を歩くこともできます。そうだ、やっぱり土の道の方が、アスファルトの道よりも涼しいですよね。そっちに行きますか」 などと、細かく気を配ってくれる。
2021.03.28
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図書館で『文芸ピープル』という新書を、手にしたのです。日本の現代文学が、いま英語圏で注目されているのはなぜか?・・・読むしかないでぇ。【文芸ピープル】辛島デイヴィッド著、講談社、2021年刊<「BOOK」データベース>より著名な賞の受賞、ベストセラー…、日本の現代文学が、いま英語圏で注目されているのはなぜか?アメリカ、イギリスの翻訳家、編集者、フェス運営者、デザイナーなど、本づくり&文芸に関わる人々=文芸ピープルを取材し、その声と仕事を伝えるルポ・エッセー!<読む前の大使寸評>日本の現代文学が、いま英語圏で注目されているのはなぜか?・・・読むしかないでぇ。rakuten文芸ピープル『JR上野駅公園口』の出版や最新の英訳刊行状況を、見てみましょう。p189~193<翻訳家が運営する小さな出版社> 全米図書賞の翻訳部門は、著者や訳者の国籍は問われないものの、アメリカの出版社から刊行されている本のみが対象となる。なので『JR上野駅公園口』も、アメリカで(業界最大手のペンギン・ランダムハウス社から)刊行されていなければ、全米図書賞を受賞することはなかった。 ただ、『JR上野駅公園口』の英訳を最初に出版したのは、先にも述べたようにイギリスの独立系出版社ティルティッド・アクシス・プレス社だ。同社はハン・ガンの翻訳者でもあるデボラ・スミスが、2015年にイギリスでアジア圏からの翻訳文学のため設立した出版社である。訳者のモーガンは、ティルティッド・アクシスのデボラの貢献なしにはTokyo Ueno Stationの成功はなかったと言う。「ティルティッド・アクシスのように信念に忠実な出版社は巨大出版社よりもフラットで平等に振る舞うことができます。そこから生まれる信頼関係が今回の翻訳を可能にしました」。 アメリカやイギリスでは、合併による大手出版社のさらなる巨大化が進んでいる。2020年11月には、アメリカで業界1位のペンギン・ランダムハウス社が3位のサイモン&シュースター社を買収する予定だと報じられた。それに対し、本の多様性が危機にさらされるといった理由で全米作家協会が反対を表明するなどの動きもある。そのような状況の中で、この本の成功は、独立系出版社が担う重要な役割を象徴する事例だと言えるだろう。 コロナ禍で社会格差が浮き彫りになった年に評価されたのも意義深いとモーガンは語る。「柳美里さん自身が指摘しているとおり、この危機は「ステイホーム」できない人たちにおのずと光を当てる結果になりました[Tokyo Ueno Stationの]舞台は日本だけれども、そこに描かれているのは世界中の街角で見られる現実です」。<新しい「ヴォイス」を紹介する場としての文芸誌> 文芸誌も、新たな書き手や作品を紹介する場として、引き続き重要な役割を担っている。 イギリス滞在中に企画された、2020年に日本からの作品を20編掲載するグランタ誌のプロジェクト(20 for 2020)も、東京オリンピックの延期もあり時期はずれ込んだものの、11月に無事公開された。この企画では、2020年に英訳が刊行された川上未映子、柳美里、松田青子、村田沙耶香の短篇の他に、西加奈子、金原ひとみ、原田マハなどの作品もグランタのサイトに掲載された。 副編集長のルーク・ネイマは、日本文学の「今」を切りとるこれらの作品は、「今後も雑誌のサイトを通して長く読まれ続けるはず」だという。『文芸ピープル』4:柳美里『JR上野駅公園口』『文芸ピープル』3:村田沙耶香『地球星人』の続き『文芸ピープル』2:村田沙耶香作品の2冊目『文芸ピープル』1:『コンビニ人間』
2021.09.05
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図書館で『家族と社会が壊れるとき』という本を、手にしたのです。おお 是枝裕和監督とケン・ローチ監督との対談が載っているではないか♪NHK番組の取材を加筆して書籍化しているようです。【家族と社会が壊れるとき】是枝 裕和, ケン・ローチ著、NHK出版、2020年刊<「BOOK」データベース>より分断、差別、忖度…「不平等な世界」をどう生きるか?映画監督ふたりが深い洞察と想像力で読み解く!大好評のNHK番組を追加取材、大幅加筆をして書籍化!<読む前の大使寸評>おお 是枝裕和監督とケン・ローチ監督との対談が載っているではないか♪NHK番組の取材を加筆して書籍化しているようです。rakuten家族と社会が壊れるときローチ監督が映画製作について語っているので、見てみましょう。p123~125<なぜ映画製作をやめたかったか> 私が映画製作に戻り、いまも映画をつくり続けていうのは、伝えたい物語がたくさんあるからだと思います。上映のためにどこかに行ったり、ほかの国を訪れたりすれば、毎回そこにはたくさんの物語があり、必ず誰かが話を聞かせてくれます。 私たちはついニ、三日前にスペインのサン・セバスチャン映画祭に参加しましたが、そこではスペインの介護福祉士たちがストライキをしていました。高齢者施設で介護をしている女性たちです。彼女たちが置かれている状況は、イギリスの同じような立場の女性たちとそっくりです。 雇用状態はひどく、十分な介護ができないほど時間に追われていて、しかも賃金はとても低い。私は彼女たちに会って話をしてきましたが、とても魅力的な人たちです。みながそれぞれの状況、それぞれの家族の物語をもっています。ですから、映画づくりをやめるのは難しいのです。 私たちには好奇心があります。脚本家のポール・ラヴァテも、プロデューサーのレベッカ・オブライエンも同様で、私たちはチームで仕事をしています。とくにポールとはほぼ毎日のように、テキストや電子メールをお互いに送りあっています。彼はスコットランドに住んでいるのです。家族の噂話からサッカーの勝敗まで、いろいろなメッセージをやりとりします。そしてそのなかから、ストーリーのアイデアが生まれてくる。 私たちには好奇心がありますから、常にいま何が起きているのかを知りたいと思っています。人々は生活のなかで、いくつもの困難に直面しており、どうやって生き延びていくかともがいています。そこには伝えたい物語が、ほんとうにたくさんあります。 先ほど述べたように、映画に社会を変革するほどの力はないかもしれません。でも映画は問いを立てることができます。映画の種類にもよりますが、たとえばドキュメンタリーを製作するのであれば、伝えたいいくつかの考えを明確かつ具体的なやり方で、全面的に展開することができます。ウン やっぱり脚本家の存在が大きいようですね。監督自身が脚本を書くケースもあるけど。『家族と社会が壊れるとき』2:イギリスの社会経済的背景『家族と社会が壊れるとき』1:ローチ監督の『家族を想うとき』
2021.08.27
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朝日の(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズをスクラップしているのだが・・・デジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。三谷さんが、脚本の「当て書き」について語っているが・・・興味深いのです。<(三谷幸喜のありふれた生活1080)僕が考える「当て書き」とは>2022.03.31より ここで何度か書いているが、僕は「当て書き」の脚本家である。演じる俳優さんに当てて、その人がどんなことをしたら面白いか、どんな台詞を言ったら恰好良いか、などを想像してホンを書く。だからキャスティングが先行していないと、何も思い浮かばない。脚本家としては失格の部類に入るのかもしれない。 この「当て書き」が、間違えて捉えられる。俳優さんの普段の性格を踏まえて、その俳優さん自身の個性を役に反映させるのが「当て書き」と思っている人が多い。そうではない。そこまで僕は俳優さんたちを知らない。 「鎌倉殿の13人」で言えば、もちろん劇団時代からの仲間も出てくれているが、例えば源義経役の菅田将暉さんとは、パーティ会場のトイレで一度挨拶しただけだし、八重役の新垣結衣さんは、クランクイン前にNHKの会議室で15分ほどお話ししたに過ぎない。この目でその人を見ておいた方がイメージは掴みやすいので、先日もドラマの後半に登場する若い女優さんと、局の控室でお話しする機会を作って貰った。 そんな程度である。だから役の個性イコール演じる俳優のキャラでは決してない。豪快な和田義盛役の横田栄司さんは、本来は真逆の物静かな紳士なのである。 登場人物を淡々と殺して回る恐怖の善児を演じる梶原善。30年近く知っているが、普段の彼に「殺し屋」の面影は一つもない。綺麗好きでお洒落で頭の回転が早い。それが本来の彼。でも「殺し屋」の印象が皆無の彼だからこそ演じて貰いたくなった。彼なら無の表情で殺戮を繰り返す善児を魅力的に演じてくれるに違いない。そしてそれに気づいたのはきっと世界で僕だけ。つまりこれが本来の「当て書き」なのである。 でもたまに、想像で書いたのにそれが演じる俳優さんの普段の姿に似てしまうケースもある。「三谷さん、よく見抜きましたね」と言われたりもするが、それは僕の洞察力が優れているわけではなく、たまたまである。 以前、「総理と呼ばないで」というドラマで、居眠りばかりしている副総理役で出て頂いた藤村俊二さんが、「あの役はまるで僕だった」とおっしゃっていた。嬉しい偶然。(三谷幸喜のありふれた生活984)答えのない問いの中で2020.03.24(三谷幸喜のありふれた生活964)先輩、仲間、「育ての親」2019.10.17久々の封切り映画:記憶にございません!2019.10.09NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』2022.03.08
2022.03.31
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図書館に予約していた『台湾生まれ 日本語育ち』という本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。著者の母語体験や台湾語と中国語の違いが語られているそうで・・・興味深いのです。【台湾生まれ 日本語育ち】温又柔著、白水社、2016年刊<「BOOK」データベース>より3歳から東京に住む台湾人作家が、台湾語・中国語・日本語、三つの母語の狭間で揺れ、惑いながら、自身のルーツを探った4年の歩み。<読む前の大使寸評>著者の母語体験や台湾語と中国語の違いが語られているそうで・・・興味深いのです。<図書館予約:(9/22予約、10/19受取)>rakuten台湾生まれ 日本語育ち冒頭の章を、見てみましょう。p8~12<わたしのニホン語事始め> わたしは、1980年に台北で生まれました。生まれた台湾には、ほんの3年足らずしか住んだことがありません。 わたしの父は、仕事の関係上、台湾と日本(台北と東京)の間をひんぱんに行き来していました。日本での仕事が忙しくなってくると台北よりも東京にいることのほうが多くなりました。そんな父のもとへ、母は幼いわたしをつれてたびたび東京をおとずれるようになります。赤ん坊の頃の記憶はさすがにないのですが、よちよち歩いていた頃のことなら、けっこう覚えています。 タコの形をした大きな滑り台の傍らでキャッキャとはしゃぎながら掴んだ砂の感触とか、空を突き刺す赤いタワーのふもとにあった中華料理屋さんでわいわいがやがやと談笑する大人たちとともに啜った卵入りコーンスープの味とか。べたっと一色に塗られていた緑色の電車が轟音をたててホームに入ってくるとき、前髪がふわっと風にあおられて跳ね上がったこと。 また、ごま油やニンニクの香ばしい香りの中を父におんぶされながら目にした夜市の雰囲気、徴兵から戻ったばかりの叔父の腕に抱かれて歩いた川の畔のどぶの臭いや、だれかの運転するスクーターに乗せてもらったときの風を切る感じ、祖母が毎日通っていた廟にたちこめた線香の香り・・・いろいろなことを憶えています。 物心がつくかつかぬわたしにとって、出会う風景やもたらされる感触は、どれもみな、ことごとくが、新しかったのでしょう。だから、それが台湾で出会った風景なのか、日本で得た感触なのかは、まったく区別していませんでした。ひとつながりの経験でした。これは日本の、あれは台湾の、とわかるようになってきて、もう幼稚園に通っていた頃の記憶があります。(中略) わたしにとって幼稚園は、はじめの頃、それほど居心地のよい場所ではありませんでした。先生の話すコトバがち~っともわからず、宙の方ばかり見つめていたときのことを、今でもはっきりと覚えています。 ―うみさちひことやまさちひこはふたりでちからをあわせて・・・ たぶん、昔話か何かを読み聞かせてくれていたのかもしれません。他の子たちは、先生のほうに顔をむけてじっと聞き入っています。ところが、わたしはさっぱりわからない。チンプンカンプンなのです。 5歳のわ、おうちの外(=幼稚園)で鳴り響いているコトバは、それまでずっと馴染みのあったコトバとは全然異なる響きを持つものなのでした。 実はわたし、コトバを喋り出すのがとても早かった。そのことを両親は今でも当の本人であるわたしに語って聞かせることがあるほどです。わたしは歩くよりも早く口を動かしていた。生意気にも一つ年上の従兄を言い負かすほどだった。 ―〇為〇〇・ヴァイカワセン! (どうしてあたしと遊ばないの!) 口達者でうるさいわたしから、従兄はいつも逃げまわっていました。 幼児は、周囲のおとなたちの会話に耳をすませ、次から次へと真似ることで、コトバをモノにしてゆきます。わたしは、そのことがとても得意だったのでしょう。3歳になるまで、台北に住んでいたので、わたしが人生で初めてモノにしたコトバは、日本語ではありません。中国語なのです。もっと言えば、台湾語混じりの中国語でした。 わたしの両親は台湾人です。 ふたりとも、1950年代の台湾に生まれ、20代の終り頃までずっと、台湾にいました。父も母も、その世代の台湾人の多くが一般的にそうであるように、中国語と台湾語とを、適当に、鷹揚に、繋ぎあわせて話します。あたかもそれが、ひとつの自然のコトバのごとく。 ―リシアンナ・不〇我玩! (なんであたしと遊ばないのよ!) たとえば、この文章の漢字の部分は中国語、カタカナの箇所は台湾語をあらわしています。 幼いわたしがモノにしつつあったコトバは、こんな台湾人独特のものでした。 ところが東京の幼稚園では、わたしのコトバは全く通用しませんでした。みんな、わたしの知らないコトバで話しています。 ・・・先生がしまうまの絵を見せます。わたしが頭のなかで、あっ、パンマーだ、と思っていると、シマウマ、シマウマ、と他の子たちが一斉にわたしの知らないコトバを発する・・・こんなふうにわたしは5歳の年の春、自分の中で定着しつつあった中国語(+台湾語)とはまったく異なる、日本語という新しいコトバの中に投げ込まれたのです。お喋りだったわたしは、すっかり無口になりました。 幼稚園の先生や友だちに話しかけられても、いつもすぐには反応できません。毎度のように反応が鈍いので、「ゆうじゅうちゃんは変な子」とでも思うのか、あまり話しかけられなくなります。また、わたしを指さしながらわたしには聞き取れないコトバで何か言っている子を、先生が怖い顔で叱っていたことがあったのも何となく覚えています。この本も漢字文化圏あれこれR9に収めておきます。
2022.10.25
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図書館で『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』という本を、手にしたのです。横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。【GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story】横尾忠則著、国書刊行会、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界を魅了し続けるアート界のレジェンド、横尾忠則の80年におよぶ創造の軌跡を一冊に凝縮!展覧会「GENKYO横尾忠則原郷から幻境へ、そして現況は?」公式カタログ。<読む前の大使寸評>横尾忠則現代美術館にこの本が置いてあり、気になっていたのでチョイスしたのです。rakutenGENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story「第2章 越境」の一部を、見てみましょう。P48~55<1960-1981 アングラの新宿> 横尾は寺山修司が主宰し、見世物の復権を目指す演劇実験室、天井桟敷の創設に加わり、舞台美術とポスター制作を担当する。「毛皮のマリー」の公演時に対談するが、神戸時代から魅かれていた主演の丸山(美輪)明宏との交友は続く。毛皮のマリー 大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」に主演する横尾、憧れの高倉健とテレビ出演する横尾。 自分を広告するポスターを作ってから3年後には、自分の存在自体がメディアになり、「アングラ」の教祖に祭り上げられた。高倉健<1960-1981 ピンクガールズ 無作法な娘たち> 人の視線を惹きつける術は絵画でも発揮される。日常生活の一コマと見せながら、三白眼で真っ赤な口を開く、あられもない娘たち。背景との違和感に不穏な気配さえ漂う。 よだれ<1969 責場 プロセスの提示> 版画は版を重ねて出来上がる。そのプロセスだけが3点組6場面で示されている。完成作からは見えない版画の本質が、好色で残虐な場面とともに露わにされる。「パリ青年ビエンナーレ」の版画部門でグランプリを受賞。責場A『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』2:1936-1960 原郷から『GENKYO横尾忠則Ⅰ A Visual Story』1:冒頭の論評横尾忠則を観に行こう♪17—R1で最新の展示が見られます。
2023.01.11
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図書館で『ヒエロニムス・ボスの世界』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・部分的な拡大図がたくさん図鑑のように並んでいて圧巻です。 【ヒエロニムス・ボスの世界】ボルヒェルト,ティルホルガー著、パイインターナショナル、2019年刊<出版社>より拡大で見る!奇想の画家ボスによる奇々怪々のモノたちと風景美。《こんなにディテールを拡大して見られるボスの本は、他に無い!》15世紀末から16世紀初め、ダ・ヴィンチと同時代に活躍したボス。人間の快楽や罪と罰、異形ながらも憎めない悪魔や愉快な怪物たちなど、ボスの細かな描写を高精細の拡大画像で紹介します。近年、再評価された風景画の草分けとしての功績にも着目したファン必携の1冊です。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・部分的な拡大図がたくさん図鑑のように並んでいて圧巻です。 rakutenヒエロニムス・ボスの世界「樹木人間」最も有名な絵画《快楽の園》の「樹木人間」が語られているあたりを、見てみましょうp260~261<快楽の園 部分> 《快楽の園》の地獄の翼扉で中心的な位置を占めるいわゆる「樹木人間」は、ヒエロニムス・ボスの最も有名な視覚的創意の一つであることは疑いない。ボスは、この擬人化された造形の別のヴァリエーションの一つとして、さまざまなモティーフが加えられた印象的な素描を加えている。 この画家に近い親類もまた、別の素描において関連する作品を作っている。ただ、現在一般的になっている「樹木人間」という呼称は誤解を招きやすい。このグロテスクな姿には確かに、2本の枯れ木が2本のボートにつけられているが、その上半身はむしろ、卵あるいは食用のムラサキイガイのようだ。貝のような表皮には枯れた枝が刺さっており、それは肋骨にも似た効果を生み出している。怪物の上半身の後部は引きちぎられ、体の内部が露出している。 そこには薄暗い宿の情景があり、そこに悪魔の子分たちが集まっており、悪魔の宿屋としての地獄を連想させる。カンテラではなく水差しをもち、尻をあらわにした夜の警備人が梯子を上り、いうなれば、肛門から悪魔のパブへと入っている。 怪物の人間の顔は肩越しに振り返り、体の中で動き回るものを見ている。研究者の中には、これが芸術家の偽装された自画像なのではないかと考える人もいる。しかし、全体的な造形上の文脈はこれと適合しない。この芸儒家が、自分の欲望に屈して人間でなくなった存在のエンブレムとして自分を使った可能性は低い。 これは結局のところ、この人物の頭の上に、呪われた魂たちがバグパイプの音に合わせて円を描いて躍ると言う意味なのだ。ボスは、15世紀にオランダで描かれた「生命の木」のイメージから、船に浮かぶ木のモティーフを描いたのだろう。教養のある同時代人はこの像を、“arbor malus”、すなわちエデンの園にある木の対になるもの、と認識し理解したことであろう。『ヒエロニムス・ボスの世界』1:Introduction
2023.02.10
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・西加奈子『夜が明ける』(2/15予約、副本16、予約531)現在42位・松本修『言葉の周圏分布考』(8/15予約、副本1、予約16)現在5位・和田秀樹『70歳の正解』(9/14予約、副本2、予約99)現在30位・『語学の天才まで1億光年』(10/18予約、副本2、予約65)現在18位・鈴木エイト『自民党の統一教会汚染』(10/27予約、副本2、予約56)現在22位・『おどろきのウクライナ』(12/06予約、副本1、予約4)現在1位・小川哲『地図と拳』(2/01予約、副本6、予約196)現在146位・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、副本1、予約15)現在12位・砂漠と異人たち(2/25予約、副本1、予約5)現在2位・『小川さゆり、宗教2世』(4/06予約、副本1、予約5)現在5位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・養老孟司『形を読む』・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・池澤夏樹『また会う日まで』・『82年生まれ、キム・ジヨン』・スヴェン・ベッカート『綿の帝国』・ヤン・ヨンヒ『カメラを止めて書きました』・真鍋真『真鍋先生の恐竜教室』 ・藻谷浩介『進化する里山資本主義』・『カラハリ アフリカ最後の野生に暮らす』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・スマラサーラ『怒らないこと』・横尾忠則「見えるものと観えないもの」・鈴木大介「ネット右翼になった父」・小林快次「恐竜は滅んでいない」・動的平衡3:あるいは購入・千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話<予約分受取:2/21以降> ・温又柔『李良枝セレクション』(12/01予約、2/21受取)・酒井隆史『ブルシット・ジョブの謎』(5/02予約、2/25受取)・『潜入ルポ アマゾン帝国の闇』(10/14予約、2/25受取)・『ウクライナ戦記 不肖・宮嶋 最後の戦場』(10/09予約、3/07受取)・多和田葉子『太陽諸島』(11/21予約、3/07受取)・小田嶋隆『東京四次元紀行』(8/29予約、3/14受取)・デイブ・グールソン『サイレントアース』(10/01予約、3/14受取)・砂川文次『小隊』(5/11予約、4/09受取)**********************************************************************【夜が明ける】西加奈子著、新潮社、2021年刊<「BOOK」データベース>より思春期から33歳になるまでの男同士の友情と成長、そして変わりゆく日々を生きる奇跡。まだ光は見えない。それでも僕たちは、夜明けを求めて歩き出す。現代日本に確実に存在する貧困、虐待、過重労働ー。「当事者でもない自分が、書いていいのか、作品にしていいのか」という葛藤を抱えながら、社会の一員として、作家のエゴとして、全力で書き尽くした渾身の作品。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/15予約、副本16、予約531)>rakuten夜が明ける【70歳の正解】和田秀樹著、幻冬舎、2022年刊<商品説明>より60代では約「40人に一人」だが、80代では約「3人に一人」ーー認知症の有病率、即ちボケる人の割合だ。脳だけでなく健康も見た目も、分岐点は70歳。いつまでも若々しい人でいるか、一気に老け込むかは、60代から70代にかけての生き方で決まる。「老後にコレステロールは必須」「運動は〈走る〉より〈歩く〉」「仕事と勉強は死ぬまで」等々、老年医学の第一人者が「老いを遅らせる正解」を大公開した『老後は要領』を大幅改訂。健康で、人間関係にもお金にも追い詰められない「最高の老後30年」を送るための決定版。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/14予約、副本2、予約99)>rakuten70歳の正解【語学の天才まで1億光年】高野秀行著、集英社インターナショナル、2022年刊<出版社>より語学は魔法の剣!学んだ言語は25以上!の辺境ノンフィクション作家による、超ド級・語学青春記。自身の「言語体験」に基づき、「言語」を深く楽しく考察。自動翻訳時代の語学の意味を問う。さらにネイティヴに習う、テキストを自作するなどユニークな学習法も披露。語学上達のためのヒントが満載。そしてコンゴの怪獣やアマゾンの幻覚剤探し、アヘン栽培体験などの仰天エピソードにおける語学についても語られる。『幻獣ムベンベを追え』から『アヘン王国潜入記』まで、高野作品の舞台裏も次々と登場。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/18予約、副本2、予約65)>rakuten語学の天才まで1億光年【自民党の統一教会汚染】鈴木エイト著、小学館、2022年刊<出版社>より安倍元首相と教団、本当の関係。メディアが統一教会と政治家の関係をタブーとするなか、教団と政治家の圧力に屈せずただひとり、問題を追及しつづけてきたジャーナリストがすべてを記録した衝撃レポート、緊急刊行!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/27予約、副本2、予約56)>rakuten自民党の統一教会汚染【おどろきのウクライナ】橋爪大三郎×大澤真幸著、集英社、2022年刊<出版社>より権威主義国家VS自由・民主主義陣営プーチンは地獄の扉を開いた!世界史的地殻変動を文明と宗教で読み解くポスト・ウクライナ戦争の世界ー人々はなぜ、おどろいたのか。-それは、自明だと考えていた前提が、あっさり崩れ去ったから。自由と人権と民主主義と、資本主義と法の支配と、言論の自由と選挙とナショナリズムと。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/06予約、副本1、予約4)>rakutenおどろきのウクライナ【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳【ジンセイハ、オンガクデアル】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。『アナキズム・イン・ザ・UK』の一部に大幅増補。映画・アルバム評、書評を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、副本1、予約15)>rakutenジンセイハ、オンガクデアル【砂漠と異人たち】宇野常寛著、朝日新聞出版、2022年刊<「BOOK」データベース>より情報社会を支配する相互評価のゲームの(外部)を求め、「僕」は旅だった。そこで出会った村上春樹、ハンナ・アーレント、コリン・ウィルソン、吉本隆明、そしてアラビアのロレンスー。20世紀を速く、タフに走り抜けた先人たちの達成と挫折から、21世紀に望まれる、新たな主体像を模索する「批評」的冒険譚。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/25予約、副本1、予約5)>rakuten砂漠と異人たち【小川さゆり、宗教2世】小川さゆり著、小学館、2023年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ彼女は「涙の告発」を決意したのか?「神の子」じゃなく私として生きたい。両親や教会からの妨害に負けず、統一教会での体験を明かす覚悟の手記。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/06予約、副本1、予約5)>rakuten小川さゆり、宗教2世【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2023.04.13
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・パリの日々・アウト・オブ・民芸・イスラム10のなぞ・アンコ椿は熱血ポンちゃん<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【パリの日々】 丸山直子×丸山垂穂著、三修社、2020年刊<「BOOK」データベース>より1978年、パリの丸山圭三郎一家。かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は家族を伴いパリに一年間暮らした。パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。-そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。当時公刊されたエッセイに加え、新たに書き下ろした40年後の思い、親子三人の往復書簡(初公開)を収録。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenパリの日々【アウト・オブ・民芸】 軸原ヨウスケ×中村裕太著、誠光社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜこれは民藝じゃないの?資料を読み解くことで書き換えられる相関図。民藝運動の「周縁」にスポットをあて、21世紀のモノづくりを考える。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenアウト・オブ・民芸【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenイスラム10のなぞ【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃん
2024.03.24
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図書館で「パリの日々」という本を手にしたのです。パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。【パリの日々】 丸山直子×丸山垂穂著、三修社、2020年刊<「BOOK」データベース>より1978年、パリの丸山圭三郎一家。かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は家族を伴いパリに一年間暮らした。パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。-そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。当時公刊されたエッセイに加え、新たに書き下ろした40年後の思い、親子三人の往復書簡(初公開)を収録。<読む前の大使寸評>パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。rakutenパリの日々1978—1979年「パリの日々」から、朝市の商人たちを見てみましょう。p30~32<パリの日々 1978—1979>■朝市の商人たち わが家の門を出て北へ百メートルくらい歩くとポール・ロワイヤル大通りに出る。この通りには火・木・土の午前中パリ名物のマルシェ(朝市)が立つ。メトロのポール・ロワイヤル駅から少し下ったあたりから、数十軒のいろいろな店が所狭しと並ぶさまはまことに壮観である。 パリの朝は早い。6時半、空はまだ真暗で星を仰ぎながら朝市の商人たちのトラックが続々と到着する。荷台から板や囲いのガラス戸を運び出し、手早く組み立てる。積み荷を降ろし、商品を並べる。中年のおやじさん、おかみさん、息子や娘たち、家族総出できびきびと立ち働く。 肉屋、魚屋、八百屋、菓子屋、パン屋、香料屋、総菜屋、チーズ屋、花屋、小間物屋、古道具屋、およそありとあらゆる種類の店がここにはある。店と店の間のちょっとした空間には、ヤギの背にラベンダーの香袋を山と積んだ若い女性がひっそりと立っていたりする。端布で織った花柄のプリントの袋には紫色のラベンダーの花びらを干したものが入っていて、いい香りがする。パリジェンヌたちは、この袋を衣装箪笥の中にしまっておいて移り香を楽しむ。 白い髪の黒人のおじいさんが奏でる物悲しげな笛の音に誘われて、何人かの客が人垣を作り、前に置かれた空き缶の中にそっと硬貨を入れて行く。 毎週三回ずつ朝市に通ううちに、商人たちも私たちの顔を覚え、歩いていると、「ボンジュール、マダム!サヴァ?(奥さん、元気?)」などと声がかかる。この頃になるとこちらも少しは余裕ができてきて、笑顔で「サヴァ、メルシー、エヴー?(元気よ、ありがとう、あなたは?)」などと受け答えができるようになってくる。「肉屋さんの行列に並んで挽肉を500グラム買ってきてごらん」と言うと、娘はいそいそと列に並んで買ってくる。「何て言ったの?」「簡単、Cinq cents grammes de viande hashee, s'il vous plait.でしょ。今日は一発で通じちゃった」「この前、八百屋さんでホウレン草を500グラム下さいと言ったら、ハイハイ、1リーブル(1ポンド)だね、と言うの。いいえ、500グラムと言うと、500グラムと1リーブルは同じさ、と笑いながら教えてくれたの。そう言われてみれば1ポンドは450グラムだから、大ざっぱなフランス人から見れば同じかもしれないね」 ポンドとグラムが共存している点、メートル法を採用している点など日本と同じで何となく親しみがもてる。アメリカでは、ポンド、インチ一点張りだったから、メートル、グラムで話してもピンとこないばかりか、この地球上にそんな遅れたシステムをまだ使っている国があるのか、といった反応が返ってくる。 一般のアメリカ人にとって、異なる文化や習慣が他に存在するということは想像を越えることらしいのである。1960年代のアメリカではホンダのバイクが大人気で、毎日のようにCM“Ýou meet the nicest people on a Honda.(素晴らしい人々、ホンダに乗る)”がテレビに流れていた。私たちはよくアメリカ人が誇らしげにこういうのを聞いたものだった。「日本には、Hondaとか Sonyなんてのはあるかい?」 こういったナイーブな人たちにはホンダやソニーが日本製だと言っても信じてはもらえなかったので、私たちも最後には無駄な抵抗はやめることにしたのであった。「パリの日々」1:まえがき
2024.03.30
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図書館で「アンコ椿は熱血ポンちゃん」という本を手にしたのです。表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃん食道楽のエピソードを、見てみましょう。p61~62<そこかしこで五月晴れ> 知る人ぞ知る荻窪の名店でスッポンを食し、お肌ぴかぴかの山田です。前日に、わーい、わーい、明日はスッポン三昧だぞー、と男友達に告げたところ、彼も意味なく嬉し気な表情を浮かべて言った。「本当? じゃ、明日、エイミーのお肌は、つやつやの恐いもんなしになるね!」「そうさ!」「よし! たらふくグリコーゲンを取って来い!」・・・グリコーゲンって・・・それって、肝臓とかに含まれるエネルギー貯蔵物質のことでは・・・。 コラーゲンと間違えてる? 私の指摘に途端に顔を赤らめる男友達。いいよ、いいよ、グリコーゲンでもコラーゲンでも。きみの分まで、たっぷり摂取して若返ってやる。そう決意して、おなかがはち切れそうになるまで丸鍋を堪能した私。三歳は若くなった筈である(推定)。 隣で食していた若返る必要のない本物の若造は、つやつやを通り越して、脂取り紙が50枚ほど貼り付きそうなくらい、てかてかしていた。スッポンのパワーはすごいなあ。そこは、丸鍋と雑炊のみのシンプルなメニュー構成だが、昔、赤坂で食べた店には生き血があった。 わたしは口を付けなかったが、同席していた男性は、そのグラスをぐいっとあおった。私の分もどうぞ、と差し出すと、恐縮ですと言いながら、それも飲み干した。ふう、と息を吐いて、私を見て微笑む彼。気まずい表情を浮かべている私に、何か?と目で問いかける彼。何かって・・・あんた、鼻血出てますから・・・。 ほんと、まるで冗談みたいに、たらーりと一筋流れ出てた。スッポンが精力剤だってのは本当だったんだ! と確認した夜であった。しかし、異性としての好意を持たない殿方に精力を付けられてもなあ。猫に小判というか、豚に真珠というか、私に7号サイズというか、船戸与一にジャン・ポール・ゴルチエというか・・・意味解んなくなっちゃったけど、無用の長物ってことね。 彼も私を前に同じことを感じたんじゃないかしら。人選ミスと食事の選択ミスに気付いて頭を抱えたくなったと思うの。スッポンは、鼻血にパッションの期待を抱いてくれる人か、笑いのネタにしてくれる人か、故・谷岡ヤスジ先生についての漫画論を語り合える人のいずれかと食べましょう(お若い方はご存知ないかもしれませんが、昔、一世を風靡した谷岡先生の「鼻血ブー」というギャグがあったのです)。「アンコ椿は熱血ポンちゃん」2:早春の満九十六歳「アンコ椿は熱血ポンちゃん」1:天高く毎日はアンコ神楽
2024.04.01
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図書館予約していた『Wedge 2024年2月号 霞が関の危機は日本の危機』という雑誌を、待つこと12日でゲットしたのです。このところ、毎日、円安のニュースにさらされて意気消沈気味であるが、この日本の危機に日本政府はどう対応しているんだ!・・・と叫んでも虚しいのだ。【Wedge 2024年2月号 霞が関の危機は日本の危機】雑誌、ウェッジ、2024年刊<商品説明>より■【特集】霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生に必要なことかつては「エリート」の象徴だった霞が関の官僚はいまや「ブラック」の象徴になってしまった。官僚たちが疲弊し、本来の能力を発揮できなければ、日本の行政機能は低下し、内政・外交にも大きな影響が出る。霞が関の危機は官僚だけが変われば克服できるものではない。政治家も国民も当事者だ。激動の時代、官僚制再生に必要な処方箋を示そう。<読む前の大使寸評>このところ、毎日、円安のニュースにさらされて意気消沈気味であるが、この日本の危機に日本政府はどう対応しているんだ!・・・と叫んでも虚しいのだ。<図書館予約:(4/16予約、副本?、予約1)>rakutenWedge 2024年2月号 霞が関の危機は日本の危機Special Report「霞が関の危機は日本の危機 官僚制再生に必要なこと」のPART 1から見てみましょう。p20~22<PART 1「未完の公務員制度改革 政官関係に外部検証の視点を」:嶋田博子> 50代半ば以上の世代は、日本経済を支える優秀な官僚制が海外から称賛された時期を覚えているだろう。米国政治学者チャルマーズ・ジョンソンの『通産省と日本の軌跡』(1982年、勁草書房)などで、戦後の経済成長や社会の安定に果たした官僚の多大な役割が指摘された。拡大するパイの配分をめぐって、各章は族議員と組んで活発な政策競争を続け、国内でも「官僚は鼻もちならないが政治家に比べて清廉で有能」という評価が定着していた。 こうした評価は1990年代に一変する。少子高齢化から生ずる財政負担がバブル経済崩壊で顕在化し、冷戦終結から急激なグローバル化が進んだことで、従来の縦割りとボトムアップの限界が露呈した。 行政の立ち遅れが目立つ中、主要省からは機動性向上に向けて人事の自由化を求める声が上がる。 一方、同時期に、文部・労働両事務次官の逮捕(リクルート事件)、大蔵省過剰接待、厚生・防衛両事務次官の逮捕など、幹部閣僚の腐敗が相次いで発覚した結果、「政策失敗の原因は官僚の省益追求なので、選挙で選ばれる首相が厳しく統制すべき」という集権化が支持を集めるようになる。 ただ、期待が大きかった反動か、メディアや国会からの官僚バッシングは激しさを増し、議論は原因分析を超えた懲罰的な色彩も帯びていく。 組合からの訴えにより、働く側を置き去りにした改革を危惧した国際労働機関(ILO)からは、公務員の労働基本権制約への見直し検討や組合との協議などを要請する意見書が届いた。(中略) 国家公務員制度改革基本法(以下、基本法)の具体化に向けた法案は、2度の政権交代を挟んで3回廃案となり、14年、第2次安倍晋三政権の下でようやく成立したが、盛り込まれたのは幹部人事一元管理と内閣人事局創設の2項目だけだった。 これ以降、人事という手段を駆使し、首相の望む結果を出すべく邁進する「家臣型」官僚への転換が目指されるようになった。<■集権的な統制は正しい処方箋だったか> 公務員制度改革から10年経った現在、その狙いとは裏腹に霞が関の製作能力は劣化している。幹部官僚は所掌の知見に基づく政策提案を競う代わりに、選挙対策を最重視する官邸に従属した「下請け」に甘んじ、30代以下では政策形成から距離を置いて命じられたことだけを淡々と遂行する「吏員型」化が進む。公務員試験応募者は減り続け、政策立案に徹したい人材はコンサルティング会社やシンクタンクを選ぶ。 ただ、政治主導を徹底するなら吏員型で十分なはずだ。実際、「官僚丸投げから政権政党が責任を持つ政治家主導」を公約に掲げた民主党政権は、官僚を排して大臣らが政策設計を担おうとした。しかし、机上で作った自案のアピールには熱心でも実現に向けた煩雑な関係者調整には乗り出さず、どの政策も宙に浮いてしまった。 2012年末の自公両党の政権復帰後は、政策設計や調整を官僚任せとする慣行も復活したため、このまま吏員化が幹部級まで及べば、政策立案の空洞化、執行体制の無責任化が懸念される。 また、首相の意向が「国民の総意」とみなされ応答が絶対義務化したことにより、本省での勤務は過酷さを増している。国家公務員には罰則を伴う労働基準法上の上限時間規制が適用されない。新型コロナ禍対応部署では残業が月300時間を超える者が出るなど、多くの官僚が昼夜問わぬ要求で疲弊し、重要統計や法案のミスも相次いでいる。 こうした状況下で、幹部人事一元管理や内閣人事局への批判が強まっている。しかし、経済が縮小していく過程では、負担の配分や行政サービスの取捨選択などの痛みを伴う政策が主流とならざるを得ず、国全体を見渡して優先順位づけを担えるのは首相しかいない。それを実行できる人材を各省に配置することも必要で、集権的な統制自体は正しい処方箋だった。 誤解されやすいが、現在の仕組みは、実は本来の基本法の要請から外れている。想定されていた人事一元管理とは、首相の意思を暗黙のうちに察知できる「手足」を部下として自由に選ぶことではなく、主権者たる国民に政策判断や人事の理由を開示して理解を求めることだった。 だからこそ基本法では「政官関係の透明化」「官房長官の人事説明責任」が挙げられていたのに、実際の改革ではこの根幹が置き去りにされた。基本法のつまみ食いによって政権にとっては忖度される心地よい仕組みができたが、国民にとっては政策劣化が日常生活を直撃する。30日報道によれば、政府・日銀から5兆円規模の為替介入があったとのことです。今後どうなるやら。『Wedge 2024年2月号 霞が関の危機は日本の危機』1:INTRODUCTION
2024.05.01
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在22位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在5位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在13位・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在35位・三浦しおん『しんがりで寝ています』(4/12予約、副本?、予約106)現在42位・カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」(4/27予約、副本1、予約48)現在24位・前田和男『昭和街場のはやり歌』 (5/10予約、副本?、予約8)現在5位・小倉ヒラク『アジア発酵紀行』 (5/14予約、副本2、予約5)現在13位・池澤夏樹『ノイエ・ハイマート』(6/29予約、副本?、予約?)現在6位・内田樹『勇気論』(7/07予約、副本?、予約?)現在25位・有田芳正『誰も書かなかった統一教会』(7/27予約、副本?、予約?)現在11位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』・原爆裁判:延滞資料があり予約不可<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・井上ひさし『本の運命』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・「中国」はいかにして統一されたか・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・消費者金融ずるずる日記・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・猫社会学、はじめます:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相・ボクはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2・金水敏『よくわかる日本語学』<予約分受取:5/15以降> ・南海トラフ地震の真実(10/20予約、5/15受取)・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、6/05受取)・李琴峰『彼岸花が咲く島』(6/19予約、6/25受取)・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、6/29受取)・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、7/07受取)・米番記者が見た大谷翔平(5/16予約、7/07受取)・椎名誠『続 失踪願望』(5/31予約、7/18受取)・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、7/27受取)・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、7/27受取)・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、8/06受取)**********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【しんがりで寝ています】三浦しおん著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より雑誌「BAILA」での連載4年分に、書き下ろしを加えた全55編!三浦しをんの沼にどっぷりハマる、最新&爆笑エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/12予約、副本?、予約111)>rakutenしんがりで寝ています【カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」】 室橋 裕和著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか?どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか?「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか…その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/27予約、副本1、予約48)>rakutenカレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」【昭和街場のはやり歌】前田和男著、 彩流社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「はやり歌」から、明日の日本の姿が見えてくる…。歌とともに時代を共有した「団塊」といわれるベビーブーマー世代が、エピソードを交え描く歌謡社会文化論!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/01予約、副本?、予約8)>rakuten昭和街場のはやり歌【アジア発酵紀行】小倉ヒラク著、文藝春秋、2023年刊<出版社>よりアジアの巨大な地下水脈をたどる冒険行。「発酵界のインディ・ジョーンズ」を見ているようだ!ーー高野秀行(ノンフィクション作家) 自由になれーー各地の微生物が、奔放な旅を通じて語りかけてくる。ーー平松洋子(作家・エッセイスト)発酵はアナーキーだ! チベット~雲南の「茶馬古道」からインド最果ての内戦地帯へーー前人未到の旅がいま幕をあける! 壮大なスケールでアジアの発酵文化の源流が浮き彫りになる渾身作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/14予約、副本2、予約21)>rakutenアジア発酵紀行【ノイエ・ハイマート】池澤夏樹著、新潮社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりある日、難民になる。「新しい故郷」を求めて、歩きだす。そんなに遠い世界の話ではないのです。シリアで、クロアチアで、アフガニスタンで、満洲で、生きのびるために難民となった、ふつうの人たち。その姿と心を、てのひらで触れるようにして描きだす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/29予約、副本?、予約?)>rakutenノイエ・ハイマート【勇気論】内田樹著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりモヤモヤを抱えた編集者との“カウンセリング”往復書簡。ジョブズ、フロイト、孔子、伊丹万作、河竹黙阿弥、大瀧詠一、パルメニデス、富永仲基…話頭は転々として奇を極めー。いまの日本人に一番足りないものは何だろうか?読めば心が軽くなるーウチダが綴る9通のメッセージ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/07予約、副本?、予約?)>rakuten勇気論【誰も書かなかった統一教会】有田芳正著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月の安倍元首相銃撃事件後、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と政界の癒着を中心に多くの報道があった。だが、メディアが報じたのは全体像のごく一部だった。教団をめぐる多くの問題が残されたまま事件の風化を憂慮したジャーナリストが、教団の政治への浸食の実態、霊感商法の問題はもちろん、「勝共=反共」にもかかわらず北朝鮮に接近していた事実、教団の実態を早くから認識していたアメリカのフレイザー委員会報告書、教団関係者による銃砲店経営、原理研究会の武装組織、「世界日報」編集局長襲撃事件、公安が教団関係者を調査していた事実等、その全貌を公開する。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約(7/27予約、副本?、予約?)>rakuten誰も書かなかった統一教会【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.08.17
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図書館で『小さいおうち』という文庫本を手にしたのです。おお「小さいおうち」いう印象的なNHKドラマを観た覚えがあるでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。観るのが先か、読むのが先かというテーマで著作や映画、テレビドラマを集めているニッチなツボが疼いた次第なんですが。【小さいおうち】 中島京子著、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきてー。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。<読む前の大使寸評>おお「小さいおうち」いう印象的なNHKドラマを観た覚えがあるでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakuten小さいおうちこの本は8編の短編小説で構成されているのだが、そのうち<第五章 開戦>の冒頭を見てみましょう。P165~167<第五章 開戦> 祝い終わった、さあ働こう。 皇紀二千六百年の祝典が終わった後、町のあちこちには、そんな標語が立てられた。 けれども、わたしが覚えている限りの時子奥様は、働くのは、まるで不向きだった。お祝いとか、お祭りとか、お出かけとか、お客様とか、「お」のつくことをなさるのが似合う方だった。ほっぺたを桃色に上気させて、楽しく過ごされるのが似合っていた。「一家に一つ門松を立てるのは贅沢すぎる」だの、「年賀郵便の虚礼は廃止」だの、そんな話を聞くたびに、つまらなそうな顔をなさった。あのころは銘仙流行りで、百貨店はこぞって宣伝していたけれど、「銘仙は昔作ったものが、わりにいいから、新しいものを仕立てる気にならないわ」 そう、おっしゃる奥様は、かわりに洋装の生地を買われて、「ねえ、わたし、タキちゃんの作ってくれる、ブラウスヤワンピースや、スーツのほうがいいわ。その方が自分好みのものができるんですもの」 と、わたしをおだてる。ミシンの使い方は、奥様から習った。それに、まるで中原淳一みたいな褒め上手だったから、出来上がると大喜びで、いい、いいとおっしゃった。「タキちゃんは、見えないところに手を抜かないのね。それがお裁縫のいtばん大事なところねえ。わたし、見た目にきれいにするのは得意だけど、あんがい雑なところがあるから早くほころびが出てしまったりするのよ。やっぱり、タキちゃんに頼むのが正解だわ」 なんといったってモデルがいいから、わたしも仕上げたものを見るのが楽しかった。「タキさん、なんでもよくするのねえ」 と、ご近所の奥様たちにも褒められたものだ。いい働き手は工場に取られて、女中のなり手がない時代だったから、よくまあタキさんほどの人がみつかったものだと、奥様はしょっちゅう言われていたらしい。「あらだって、嫁入り前から、もうずっといっしょなんですもの。そんじょそこらの女中さんとは、年季が違ってよ」 とびきりいいお召し物や宝石をほめられたときのように、自慢げに目を細める奥様を見るのは、自惚れをくすぐられるひと時であった。 また正月がやってきて、奥様は美しいお着物をお召しになったけれど、地味に、地味にと、世の中が言うものだから、柄の大きいお召し物は極力控えていらしたように覚えている。それでも奥様のお着物は上品で、上質な雰囲気があった。アレ この5章の方が最終章「小さいおうち」よりテレビ放映の「小さいおうち」に似ているがな。どないなってんねん。*********************************************************『小さいおうち』1:「小さいおうち」の冒頭■NHK「小さいおうち」https://www.nhk.jp/p/ts/QPN1RW1PYW/episode/te/M2N2KKG85N/
2025.02.14
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図書館で『六角精児の無理しない生き方』という本を、手にしたのです。おお、飲み鉄の六角さんではないか・・・テレビ番組で見たことがある人なので、興味深いのです♪*********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【六角精児の無理しない生き方】webp画像につき開示できず六角精児著、主婦の友社 、2023年刊<JPRO>より先が見えない、不安で生きづらい、尿酸値がぐんぐん上がっている・・・・そんな50代、60代男性の気持ちをラクにする本が登場。「たいていの困難はきっと乗り越えられるさ」六角さんのささやきに、「うん、なんとかやっていけそうだな、」そんな気がしてくる本です。■われわれおじさんは六角精児のように生きてみたいといつも思ってます。=世の中のレールからちょっとはずれた「自分軸」の生き方。なにがあっても飄々と乗り越える、地に足の着いた生き方。その六角精児流生き方の秘訣、秘密がこの本には載っています。 <読む前の大使寸評>おお、飲み鉄の六角さんではないか・・・テレビ番組で見たことがある人なので、興味深いのです♪rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17491072/">六角精児の無理しない生き方</a></td></tr></tbody></table> 生きる価値が語られているので、見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height=”50”>p82~83<font color="brown"><老後の生き方について。世の中には無限に楽しみがある></font> 若いころには知らなかったけど、年を取ってから知ったり気づいたりするもって案外楽しいし新鮮だと思う。なにごとも長生きしているほうがよく知っているとは限らないから、年を取っても好奇心は持っていないとダメでしょうね。 その気になれば 世の中には無限に楽しみがあるんですよ。たとえば、マンホールの蓋に描かれてるデザインが好きとかいう奇特な人もいるわけで、興味の対象なんて自分で見つければいいんです。定年したあとに居場所がどこにもないって人は、そういうことに気がついていないのかなと思う。 その点、ウチの親父は96歳なのにSNSをやっているから大したもんだと思います。SNSなんて僕すらちゃんとやってないのに。でももちろんパソコンが使いこなせているわけじゃないから、操作がわからなくなったり故障したりしたら誰かに見てもらうわけですよ。 先日も孫を呼んで直してもらってたんだけど、でもそのとき孫に向かって「そこまでやってもろうて悪いなぁ」って言ったんですよ。そこで感謝の言葉をっちゃんと口に出してる姿を見て、「これが生きてるってことなんだな」、「この人は生きる価値があるんだな」とふと思って。 僕にそう思わせてくれたこともまた、すごい価値のあることかもしれないし。まあ、それでも僕は96歳まで生きたくはないけれど(笑)。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511260000/"> 『六角精児の無理しない生き方』1</a>
2025.12.03
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村上春樹の『村上ソングス』がええわけで以下の通り復刻して読み直そうと思う次第です♪ *********************************************************図書館で『村上ソングズ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると…英文の原詞、和文の訳詞、和田さんの挿絵、村上さんの解説がセットになっている構成が並んでいて、装丁として洒落ていてええでぇ♪ 【村上ソングズ】村上春樹著、中央公論新社、2010年刊<商品説明>より厖大なレコード・コレクションの中から、ビーチボーイズ、ドアーズ、H.メリル、T.モンク、B.ホリデイ、S.クロウ、スプリングスティーンほか、ジャズ、スタンダード、ロックの多彩なアーティストをピックアップ。「中国行きのスロウ・ボート」「酒とバラの日々」などなど、訳詞とエッセイで紹介するお気に入りのあの曲、知る人ぞ知るこんな曲。和田誠さんのカラフルな絵も満載。<読む前の大使寸評>英文の原詞、和文の訳詞、和田さんの挿絵、村上さんの解説がセットになっている構成が並んでいて、装丁として洒落ていてええでぇ♪rakuten村上ソングズもうひとつ「酒とバラの日々」を、見てみましょう。 p160~163<酒とバラの日々> 美酒とバラに彩られた日々は遊びに興じる子供たちのように草原を抜け、閉じかけた扉にむかって笑い声を残して走り去っていく。その見覚えのない扉には「もう終わった」と記されている。孤独な夜が運び来るのはあなたの微笑みの記憶を孕んだ一陣の夜風でしかない。美酒とバラとあなたの日々に私を導いてくれたあの輝かしい微笑みであったのに。<The Days Of Wine And Roses> The days of wine and rosesLaugh and run awayLike a child at playThrough the meadowlandToward a closing doorA door marked "nevermore"That wasn't there beforeThe lonely night disclosesJust a passing breezeFilled with memoriesOf the golden smileThat introduced me toThe days of wine and rosesAnd you<酒とバラの日々> ニョニー・マーサーとヘンリー・マンシーニが1962年に、同名の映画のために作った名曲。前年の「ムーン・リバー」に続いて、このコンビが2年連続でアカデミー主題歌賞をとった。 映画自体は、アルコール依存症になって人生の坂を転げ落ちていく若い夫婦を描いたかなりシリアスな内容で、妻リー・レミックのお父さん役を演じたチャールズ・ビッグフォードの演技が秀逸だったが、後半の「これでもか」という暗さにはいささか辟易させられた。 高校時代にリバイバル上映されて、ガールフレンドと二人で見に行ったんだけど、映画の選び方を間違えたかもしれない。映画館を出たあと、あまり雰囲気が盛り上がらなかったような気もする。しかしその話の暗さとは裏腹に、繰り返し流れるテーマ音楽はどこまでも美しく哀しく胸を打った。レコードを買ってきて、歌詞の全文をそのまま暗記してしまった。そんなに長い歌詞ではないので、今でもそっくり覚えている。 音楽の流れに乗って英語の歌詞を聴いていると、とてもすんなりと自然にイメージが紡がれていく。使われている言葉も、どちらかというと素直で平明なものだ。両義性や気取った仄めかしのようなものはどこにも見あたらない。しかしその歌詞をいざ日本語に置き換えようとすると、一筋縄ではいかないことがわかる。 簡単な言葉ほどむずかしいということもある。それからたとえば関係代名詞が多くて、「・・・するところの」という感じが続き、文節の入れ替えにも苦労することになる。当たり前のことかもしれないけれど、歌詞が磨き抜かれていればいるほど、その美質を損なうことなく、しかも内容に忠実に日本語に翻訳するのは至難のわざになる。 この歌詞を、今の僕の年齢になって読むと、それなりの実感はある。歳を重ねるにつれて、若いときには開いていたいくつかの扉が閉じられていくし、その多くには「もう終わった」と記されている。それらの扉が開くことはおそらく二度とあるまい。それはもちろんある意味では悲しく切ないことだ。 しかし不思議なことなのだが、この歌詞を読んで17歳の頃に心の内で感じた悲しみや切なさの方が、僕が今こうして現実に感じている悲しみや切なさよりも、より深く切実であったように思う。どうしてだろう? 歳をとって、僕の感受性が衰えたからだろうか? いや、そうではあるまい。たしかに僕はいろんなものを失ってきたけれど、失ってきたものの記憶が、今となっては逆に僕という人間を底から温めてくれているからだと思う。ウーム 映画の方はさることながら、翻訳家の苦労話にもなっていて、興味深いのです。『村上ソングズ』1:中国行きのスロウ・ボート『村上ソングズ』2:酒とバラの日々 *********************************************************■2019.05.08 『村上ソングズ』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201905080001/
2026.02.08
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このところ、スパイ気球などの騒動や安全保障にからむ禁輸強化など米中間の対立が激しくなってきたが・・・中国側の問題が気になるのです。ということで、『腐敗と格差の中国史』という本を以下のとおり復刻したのです。***********************************************************図書館で『腐敗と格差の中国史』という新書を、手にしたのです。危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。【腐敗と格差の中国史】 岡本隆司著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ中国では党幹部や政府役人の汚職がやまないのか?なぜ共産主義国にもかかわらず、貧富の差が拡大するのか?超大国を蝕み続ける「病理」の淵源に、実力派歴史家が迫る。エリート/非エリートの金・コネ・権力をめぐる相剋の二千年を一望し、独裁の度合いを強める中国共産党、および現代中国の実相を大胆かつ明快に読み解いた一冊。<読む前の大使寸評>危険な隣国・中国の歴史的メカニズムを探究することは、個人的には喫緊のテーマになっているのです。amazon腐敗と格差の中国史「むすびに」で毛沢東と習近平を、見てみましょう。p219~221■改革開放 毛沢東たちの主観的な意図はどうあれ、文革の惨憺たる結末はかくれもない。なかんづく最貧国レベルに落ち込んだ経済である。何にもまして、その復興を優先しなくてはならなかった。 復権を果たしたトウ小平らは、毛沢東的な上下一体化はあきらめ、共産党の支配を維持しながら、同時に経済を再建する方針をたてる。それが1978年にはじまる「改革開放」であって、のち「社会主義市場経済」という現在の体制に結実した。 「社会主義」と「市場経済」という一見あい矛盾する概念・制度の組み合わせは、中国の実情に適合していた。政治は「社会主義」の共産党政権が独裁的にひきうけ、経済は民間が自由な「市場経済」をとりいれる。毛沢東も最後まで克服できなかった上下乖離の二元構造に応じていた。「改革開放」がめざましい成果を収めたのも、そのためである。 1980年代前半までに農村改革が成功して、生産力が回復、伸長すると、都市にも商品経済を容認して、企業活動が活発化した。90年代に入って、「市場経済」の全面化にふみきると、中国は長期にわたる高度成長を実現してゆく。その結果が現在の経済大国なのである。 「社会主義市場経済」が中国旧来の社会構成に応じた体制だとするなら、それに根ざす弊害も、また免れない。かつて実現したかに見えた官吏の清廉潔白や犯罪の根絶は、毛沢東がめざした中国の一体化によって、みなが貧しくなった結果であった。本書132頁にみた陸龍其の「清貧」を彷彿させる。「改革開放」以後、継続する経済発展は、あくなき富の追及と、それにともなう格差の拡大を生み出した。こちらはいわば、乾隆の「盛世」から20世紀にいたる歴史にあたり、「腐敗」の蔓延・犯罪の多発という社会不安を深刻化させている。 時を同じくして、「国進民退」というフレーズも、人口に膾炙した。具体的には、国有企業の肥大と民間企業の縮小を指していうが、国家と民間の乖離と対立関係を示すに、これほどふさわしい表現もあるまい。 二元構造の上下乖離が、あらためて拡大した所産である。もちろんその上層を占め、富裕化したのは、共産党員とその縁類、もしくは関連企業にほかならない。その豪奢に比べれば、70年前・国民政府時代の「四大家族」など、おそらく足許にもおよばないだろう。■亡党亡国 これでは共産党の要人も、さすがに危機感をいだかざるをえない。胡錦濤前国家主席は2012年、第18回中国共産党大会の政治報告要旨で、「腐敗」問題が解決できなければ、党は致命的なダメージを受け、「亡党亡国」になると述べた。 同年11月、党総書記に就任したばかりの習近平も、「腐敗」問題が深刻化すれば、「きっと亡党亡国の結果になる」と口をそろえている。なればこそ習近平新政権は、敢えて強権的な手法をも辞さずに、反「腐敗」キャンペーンを張ったのである。「亡党亡国」は文字どおり、共産党が亡んで中国が亡ぶ、という意味なのだろう。一党独裁・「党国家」・民主集中制らしい認識ながら、句作りとしては、顧炎武の「亡国亡天下」を下敷きにしたものらしい。そこにどうやら現代中国の矛盾と苦悩もかいまみえる。ウーム 富裕化したのは共産党員とその縁類とのこと・・・これが「亡党亡国」につながる利権というものなんでしょうね。『腐敗と格差の中国史』4:「むすびに」『腐敗と格差の中国史』3:中国革命『腐敗と格差の中国史』2:19世紀の内憂外患『腐敗と格差の中国史』1:はじめに
2023.02.13
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