全10721件 (10721件中 201-250件目)
早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。酷寒厳しき折りなんて思っていたが、週間天気予報は三寒四温となっており・・・いずれにしても、もうすぐ花見との予報に浮かれている太子でおます。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、啓蟄のあたりを見てみましょう。和暦p9<啓蟄>冬ごもりの虫や蛇が、その生を謳歌し始める 啓蟄は、15日間の雨水の次に来る節気で、例年3月6日ころからになる。 啓蟄の語源には諸説あるが、「土中に冬ごもりしていた虫が、春の到来を感じて、土中から地上へと這い出して来る」という意味だ。「啓」には「開く」とか「解放する」、「夜が明ける」などの意味があり、「蟄」には「閉じこもる虫」という意味がある。 啓蟄はもちろん春の季語だが、同じような意味の季語に「蛇穴を出ず」というのがあり、冬眠していた蛇が暖かくなってきたので穴から這い出して来る状態を示している。 縦長の日本列島では、3月6日ころからの15日間を啓蟄とし、冬ごもりの虫や蛇が春の光のもと、その生を謳歌し始めるのだが、地域差が大きいことを知っておきたい。 かつて24節気は、京都の事象を中心として捉えられていたが、現行の太陽暦に改暦されてからは、関東、なかでも首都圏の事象を中心として捉えられるようになってきているようだ。 啓蟄のころになると、八百屋や食品店に各種の山菜が並び初め、一雨ごとに気温が上がり、気の早い人では桜情報もそろそろ気になるころでもある。この時期の七十二候は、次のようになる。 初候「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」冬ごもりの虫が出て来る。 次候「桃始笑(ももはじめてさく)」桃の花が咲き始める。 末候「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」青虫は羽化して紋白蝶になる。 地中から虫が出てき始め、やがて桃の花が咲き、青虫は紋白蝶に羽化し、春本番へと季節は移ろう。二十四節季の立春に注目(復刻2)
2024.03.06
コメント(0)
『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在221位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在133位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在65位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在56位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在218位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在16位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在15位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在71位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在53位・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、副本?、予約2) 配送中・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在62位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ウマは走るヒトはコケる・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・『深海ロボット、南極へ行く』:図書館未収蔵<予約分受取:12/05以降> ・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/27受取)・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、2/27受取)・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、2/27受取)**********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.03.06
コメント(0)
弥生時代の水田稲作の渡来に、中国、韓国はどの程度関与してきたか知りたいわけで・・・以下の『縄文農耕の世界』を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『縄文農耕の世界』という新書を手にしたのです。おお 縄文農耕か・・・大使にとっての古代のロマンではないか♪照葉樹林文化とか、南海の道とか・・・とにかく漢族の影響を排除したい訳でおます(コレコレ)【縄文農耕の世界】佐藤洋一郎著、PHP研究所、2000年刊<「BOOK」データベース>より 農耕文化は従来弥生時代の水田稲作の渡来が起源とされてきた。だが三内丸山をはじめ縄文遺跡で発掘されるクリは栽培されたものではないか?縄文人は農耕を行っていたのではないか? 著者によれば、「ヒトの手が加えられるにつれ植物のDNAのパターンは揃ってくる」という。その特性を生かしたDNA分析によって、不可能とされていた栽培実在の証明に挑む。 本書では、定説を実証的に覆した上で、農耕のプロセスからそれがヒトと自然に与えた影響にまで言及する。生物学から問う新・縄文農耕論。<読む前の大使寸評>おお 縄文農耕か・・・大使にとっての古代のロマンではないか♪照葉樹林文化とか、南海の道とか・・・とにかく漢族の影響を排除したい訳でおます(コレコレ)なお、著者は『ジャポニカ長江起源説』を著わしたイネ考古学の権威とか。rakuten縄文農耕の世界「畝を伴うと見られる畑」の発掘事例が見られるようになったそうです。 <ヒトに撹乱されてできた耕地>p171~173 栽培行為の広まりによって出現した新たな生態系が農耕のための土地、つまり耕地である。栽培される植物が何であったかによってその生態的な性格に違いはあろうが、耕地は基本的にはヒトによって撹乱されてできた生態系である。 クリのような木の仲間の場合には、耕地は耕地といっても里山の一角の木を払った程度の極めて粗放で手のかからないものであったろう。しかし毎年種子で繁殖する草の仲間、例えば穀類などの場合には、新たに耕地を開くのも、開いた耕地を維持するのも、それなりのエネルギーを要する作業を伴ったに相違ない。 もしその類型を現代に求めるならば、東南アジアの山地部に今も残る焼畑以外に適当なものはないように思われる。 東南アジアの焼畑については佐々木高明さんの名著『稲作以前』に詳しいが、その特徴は、火入れをして木や下草を焼き払い、その灰分を肥料とすること、また肥料分が切れてきたころにはその農地を放棄し(つまり休耕し)、休耕して森に戻っていた土地を新たに開墾することが特徴である。休耕することで耕地であった土地では遷移が進み、やがては森(里山)に戻って行く。縄文時代の農耕も、おそらくこれとそう大きく違わない方法で農耕が行われていた可能性が高いといえよう。 ところで縄文農耕に関係して畑作における畝について触れておきたい。畝とはいうまでもなく畑の土を列状に寄せて作る暫定的な構造物である。縄文農耕に対する関心が考古学の間でも高まりつつあるなか、最近各地で「畝を伴うと見られる畑」の発掘の事例が相次いだ。 畝状の遺構があればそれは畑の跡である可能性が高いということであろう。私もその一部を見せていただいたが、率直なところ、畝状の遺構のすべてが真に畝であったかどうかの自信はない。というのも、畝を立てる作業はかなりの集約的な作業であり、焼畑地帯など粗放な畑作の場ではあまり畝を見ないからである。畝はもともと、水田の裏作など、乾燥を好む作物にはあまり好適でない環境で立てられるものである。 縄文農耕を畑作の類型と考えるのはおそらく正しいが、それは現代の私たちが考えるよりはだいぶ粗放なものであり、畝立てのような高度な作業を伴ったかどうかはわからない。畝状遺構の存在を畑の存在とするにはなお検討が必要であるように思う。 さて、耕地の主人公は栽培食物である。しかし耕地には栽培植物以外の植物が入り込んでくる。後にのべる雑草もそのひとつである。ここに除草という作業が生まれる必然性が生じるが、耕地が耕地としての性格をはっきりさせてくるにつれ、雑草もまた雑草としての性格を一層明確にしてくる。そしておそらく、害虫や病原菌もまた、耕地に棲みつく新たな生物として登場することとなった。『縄文農耕の世界』1:ヒエ日本原産説『縄文農耕の世界』2:「海上の道」の痕跡『縄文農耕の世界』3:ヒトに撹乱されてできた耕地
2024.03.06
コメント(0)
図書館に予約していた『台湾漫遊鉄道のふたり』という本を、待つこと8ヶ月ほどでゲットしたのです。8ヶ月か、このところの待ち惚け期間としては、最長の本ではないだろうか。【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>8ヶ月か、このところの待ち惚け期間としては、最長の本ではないだろうか。<図書館予約:(6/23予約、2/27受取)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたりこの本は台湾の食品によって章立てされているが、その冒頭の食品を見てみましょう。p22~26<瓜子 瓜の種> 映画というものは、台湾でも人気があるらしい。 今回、思いがけず招待を受けることになったのは、私の小説『青春記』に基ずく同名の映画が、台湾でも上映されたことがきっかけなのだ。昭和11年に東京で公開されたこの映画が、台湾へ渡ったのはその1年後の昭和12年、つまり去年のことだ。 台中州の婦人団体「日新会」のご婦人たちが、映画を観て深く感動し、会が出資して台中州の各地で上映会をしたそうだ。上映会の茶話会も毎回盛り上がったことから、日新会はついに、原作小説の著者を台湾に招いて巡回講演会を行う企画を立ち上げた。台湾総督府も内地作家の台湾旅行招待への協賛を快諾、日新会と合同で作家を招待することとなり、台中州庁対中市役所の名義で招待状を発送した。 報酬の多寡はともかく、旅行中の交通、宿泊、飲食すべてを招聘者が持ってくれるということで、私の台湾行きの費用の問題は解決された。 電報と電話でやり取りを重ねた後、私は初夏に出立することを決めた。 九州北端の門司港から内台連絡船に乗って出発し、台北州の基隆港から台湾に上陸した。基隆港まで出迎えの人をよこすという日新会と台中市役所の申し出は、礼を言って断った。私は単身、汽車で台北市内に入り、そこで一泊。翌朝、台北駅から南下する汽車に乗り、急行でわずか3時間半の台中に向かう。これこそ旅というものだ。そうでしょう? 午前9時半、列車は台北を発車。台中に着いてからの昼食では、お腹が持ちそうにない。 10時5分に到着した桃園駅のホームで、売り子が駅弁を売っていた。一つ買ってみると、つやつやした白いご飯に揚げ魚、焼き魚、大根の漬物に鰻の八幡巻き。内地の駅弁とほぼ変わらなかった。 11時1分、新竹駅到着。売り子がここの言葉で呼び声をはり上げ、「炒米粉」というものを売っていた。隣に座った女性の乗客に尋ねると、蕎麦を炒めたようなものだと言われた。だが、食べてみるとまったく違うものだった。 そこから20分ほどで竹南駅に到着。先ほど炒米粉をいれた腹の空き具合を探ってみる。 11時47分、苗栗駅到着。ここの駅弁も内地式のもののようだったので、塩味のついたあひるのゆで卵五つと、塩むすびを買うにとどめた。乗り降りする乗客たちを観察するに、南に行くにつれ、現地の言葉を話す人が増えてくるのが面白い。この後の旅も楽しみだ。そうこうするうちに午後1時3分、台中駅に到着した。 期待に胸が躍る。 午後2時に、市役所の職員と台中駅で待ち合わせることになっていた。だが、ぼんやり座って待つつもりはない。 待合室から外を見れば、降り注ぐ金色の陽光に、青々と葉を茂らせた椰子の樹々が映えている。日差しが強すぎるせいか、道行く人々がみな木陰を伝うように歩いている様子が興味深かった。道を行き交うのは西洋式の自動車もあれば、人力車や、ずっしり重そうな貨物を載せた牛車もある。少し離れたところの樹の下には、台に何かを積み上げて売っている荷車もあった。「すみません。駅の近くに、台湾人の商店街があるでしょうね?」 改札にいた駅員は、私に急に話しかけられ、少々どぎまぎした様子だった。「台湾人の商店街・・・というのは、本島人の商店街のことでしょうか」「本島人、そう、本島人のです」 駅員に説明された道順を暗記し、そのとおりに歩いていって着いたのが、ここ干城橋通りだ。 松旭斎天勝の魔術団のごとき、本島人の街。 しかしいつの間にか、なんだかとげとげした果物を買ってしまっていた。 身振り手振りだけで買い物に成功したのは、この旅の幸先も良いのではなかろうか。「×、×、×、×、×、×?」 果物屋台の、まだあどけなさの残る顔をした本島人少年が、ゆっくりとひと言ずつ区切るように、何かを繰り返した。「ごめんなさい。台湾の言葉はわからないのよ。いったい何が言いたいのかしら?」 私はひたすら、手を振ったり頭を振ったりして見せた。 少年も困りはてた顔になった。「×××××××××」 そう言うと少年は、何かのラベルの貼られた木箱を取り出した。そこに果物を入れ、器用にくるくると包装して、あっという間に美しい手土産物の体に作り上げた。(中略)「何かお困りですか?」 かなり標準的な日本語だった。 声のほうにふり向くと、私の視線のだいぶ下の方に、小柄な少女の姿があった。 台湾の住民は漢人系の人々が「本島人」、原住民族が「蛮人」と呼ばれ、本土出身者とその子弟は「内地人」を名乗っていたが、1945年以降に上陸してきた外省人と内省人との闘争はまだ見られないのどかな(?)時代だったようです。少女は国語(日本語)を話せたが、少年が話す「××××」は閩南語あるいは客家語だったのかも。
2024.03.05
コメント(0)
図書館に予約していた『翻訳夜話』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪<図書館予約:(2/15予約、2/27受取)>rakuten翻訳夜話「フォーラム2 翻訳学校の生徒たちと」でもう1件、見てみましょう。p60~62<he said she said>質問者B:あの、語学力というのは私にとっても永遠のテーマなんですけれども、私が翻訳の勉強を始めた頃に、とにかく日本人の作家が日本語の文章を書いたように、日本の小説を書いたように自然な美しい日本語に訳しなさいというふうに先生に教わりました。で、まあ、そういうのを目指して、そういう風に思ってきたわけなんですけど、最近思いますのは、説明的な文章はいいんですけれども、たとえば、科白なんかが並んだ文章ですと、英米圏の小説では必ず一つの科白のど真ん中に「彼はこう言った」とか「彼はこう叫んだ」とか、科白がちゃんと完結しない、ど真ん中をぶちぎって二つに分けちゃうというような手法が多いですよね。 それを、まあ、原文に忠実にというふうに考えて訳していくと、どうしても翻訳調の漢字が、すごく自分ではするんですけれども。あと、逆に日本の小説家の方で、本当に純然たる翻訳調で日本の小説を書いてらして、それはそれでけっこうおもしろいというふうに感じたこともあるんですが、お二人の先生方は翻訳なり小説を書かれるときに、そういう翻訳臭さを消そうというふうに考えてらっしゃるのか、エスカレートしてそれを生かそうと考えてらっしゃるのか、そのへんのお話を聞きたいと思います。柴田:要するに、“I have to go,”he said.“they are waiting for me.”というような形ですね。村上:これについていちばん僕が苦労したのは、やはりレイモンド・カーヴァーの初期の作品です。もう無茶苦茶なんですよね。he saidが一つの文章に三回あったりする。「he said何とか何とか、何とか何とかhe said、he said何とか何とか・・・」これはもちろんわざとやっているんですよ。 どうしてわざとこんなことをやるのかというと、普通の文章スタイルを意図的にぶち壊そうとしているわけですね。これはあとで知ったことなんですが、レイモンド・カーヴァーのその頃の編集者だったゴードン・リッシュという人が、本人もわりに前衛的な小説を書く人だったんで、強権をふるってカーヴァーが書いた普通の文章をズタズタに切ってhe said he said he saidって全部勝手に書き直しちゃったみたいなんです。 でもその頃はそういう事情を知りませんし、カーヴァー自身がこういうふうに書いたと思うから、なんとかその文体を忠実に再生しようとしたんだけど、日本語にするともう収拾不可能になってしまう。だから適当に止めちゃったんですよ。僕の判断で、he saidがひとつのセンテンスに三つあっても、場合によっては一つにしちゃいました。それでもカーヴァーの独自の文体はきちんと伝わると思ったから。いま原文を読み返してみても、やはりギミックっぽいなと感じるし。 結局、作者の意図がどうであれ、日本語にしたら読む人は違和感を感じると思ったら、翻訳者は自分の判断で変えていいんじゃないかと、僕は考えています。もちろん何だって読みやすいように勝手に変えていいということではないけれど、もし自分の判断力に責任が持てるのなら、原文に官僚的に忠実になる必要はないんじゃないかということです。『翻訳夜話』2:「僕」と「私」『翻訳夜話』1:小説執筆と翻訳の関係
2024.03.05
コメント(0)
図書館に予約していた『翻訳夜話』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪<図書館予約:(2/15予約、2/27受取)>rakuten翻訳夜話「フォーラム2 翻訳学校の生徒たちと」でお二人が若い受講者に向けて語りかけているので、見てみましょう。p47~51<「僕」と「私」>柴田:今晩は、柴田元幸です。よろしくお願いします。きょうは我々が一方的にしゃべるのではなくて、皆さんのほうからいろいろご質問をいただいて、それにお答えするというかたちで進めていきたいと思っています。 世の中に翻訳についての本とか雑誌とかは数多く出ていて、僕もそういうのをときどきのぞいてみるんですけれども、読んでいるとなんか、だんだん暗くなるんですよね。何と言うか、人生の道を説かれているような気がしてきて。翻訳をやるためには日頃からこういうことをやっていなくちゃいけない、こういうことも知らなくちゃいけない、こういう辞書やソフトも持ってなくちゃいけないとか、そういう話がいっぱい書いてあって、それが自分に当てはまるかと考えると、そんなこと日頃からやってないし、知らないし、持ってないし、僕は絶対翻訳者になれないんじゃないかっていう気がする(笑)。 世間的にはいちおう教師兼翻訳者ということになっているんだけどなと思って、不思議な気持ちになります。そういうところでいろいろ言われているのは、基本的に翻訳っていうのはこうしなくちゃいけないとか、こうすべきだとか、やっぱりそういう「ねばならぬ」式の発言がどうしても多いんですね。まあ、プラクティカルな翻訳指南ということであれば仕方ないのかもしれないと思うんですけど、もう少し翻訳のおもしろいところとか、楽しいところとかを取り上げてお話ができればいいなと思っています。村上:今晩は、村上です。僕はふだんあまり人前に出てしゃべることはないんですが、でも、翻訳のことになるとこういうふうにまめに出てきちゃうんです。小説の書き方なんて話題になると絶対出てこないんですけれど(笑)。 で、どうして翻訳のことになるとこんなに熱心になれるのかと言いますと、結局、簡単な話で、翻訳することが好きなんだということに尽きると思うんですよね。小説を書くのはもちろん本職であるわけで、これが僕にとっては生命線なわけですが、それだけに「好き」とかそういう言葉では簡単に表現できない部分があるし、またいつでもどこでもすらすら書けるというものでもない。 それなりの覚悟を決めて、正しいときを選んで、「さあやらねば」という勢いと集中がないとできません。でも翻訳というのは、違うんです。放っておいても、ちょっとでも暇があったら机に向かって、好きですらすらやっちゃうようなところがあるんです。 どうしてこんなに翻訳という作業が好きなのか、あらためて考えてみると、自分でももうひとつよくわからないんですね。皆さんも翻訳をやろうというふうに志しておられる方だからたぶん、翻訳することが好きなんだろうと単純に推察するわけですが、いま柴田さんがおっしゃったように、やっぱり「楽しんで好きでやる」というのがいちばん大事なことだと思うし、翻訳道とかそういうのは僕もあまり好きじゃないです。 柴田さんと話しているといつも、「ああ、この人は根っから翻訳が好きなんだなあ」という感じがひしひしと伝わってきて、楽しいんです。翻訳なんて手間のかかる地味な仕事だから、ほんとに好きじゃないとできないです。好きだというのは努力が苦にならないということでもあるから。『熊を放つ』っていうジョン・アーヴィングの作品を訳したのは、何年前でしたっけね?柴田:えーっと、もう10年ぐらい・・・もっと前ですね。僕が初めて翻訳を単独で出したのが10年前で、その一、二年前ですね。87年とかそのぐらいですか(1986年 中央公論社刊)村上:これはなにしろ長い小説だし、僕もまだ長篇翻訳ってやった経験がなかったので、僕が全部ざっと訳したあと、柴田さんと斎藤英治君とかでチェックチームを組んでもらって、みんなでディスカッションしながら仕上げていったんです。 それでそれ以来のおつきあいなんですが、僕も翻訳は相当好きだけど、柴田さんぐらい好きな人はちょっといないんじゃないかと(笑)、思います。だから、きょうはそういうラインでわりに気軽に、楽しく翻訳についてお話ができればというふうに思ってます。柴田:というわけです。もうここからは、質問がある方はどんどん手を挙げていただいて、その質問にお答えするというかたちにします。『翻訳夜話』1:小説執筆と翻訳の関係
2024.03.04
コメント(0)
山本容子さんの説くビジュアル系のエッセイがええでぇ♪・・・ということで以下のとおり復刻しようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『パリ散歩画帖』という本を手にしたのです。版画家という本業を駆使して、ビジュアル系のエッセイになっていて・・・・ええでぇ♪【パリ散歩画帖】山本容子著、CCCメディアハウス、2006年刊<「BOOK」データベース>より銅版画家山本容子さんが小路を散歩しながら見つけたパリの日常。フランスパンの袋を、カフェのメニューを、メトロの切符を、キッチュにコラージュ。美しい旅の断片が一冊の思い出の画帖になりました。<読む前の大使寸評>版画家という本業を駆使して、ビジュアル系のエッセイになっていて・・・・ええでぇ♪rakutenパリ散歩画帖モンジュ広場山本さんの食材買出しを見てみましょう。p72~75 <モンジュ広場> 市場の中でもいちばんにぎわっている八百屋にいきました。アジア人のお店で、ほかの店よりも数段安い。だから混んでいるのでしょう。 マルシェはパリの人の胃袋を満たす場所。活気があって、眺めるだけでも楽しくなります。ディスプレイも美しい絵のようです。 近所の人たちにまじって、「ほうれん草を2袋」、「じゃがいもを1キロ」と買ってみます。おいしそうなものを目の前にするとフランス語でのやりとりも自然と弾みます。 にんじん、ほうれん草、じゃがいも、インゲン、たまねぎ、エシャロット・・・・。 「おいしそう」と思ったら、悩まずに、即買うこと。旅の途中ですから、あまり時間をかけずにぱっぱと選んでいきます。メインの料理用とドレッシングを作るうえでベースになる食材を一緒に買っておくのが賢い買い物です。特ににんにくとしょうが、レモンを買っておきましょう。この三つがあることでレパートリーがぐっと広がります。 ここには、総菜屋、魚屋、ハム屋、肉屋、洋服屋、アフリカ雑貨など、なんでもあります。チーズ屋は地方限定のものだけを売っていて、私の好きな赤カビ類のチーズがなかったのが残念!そんななか、卵とハーブを一緒に売っているお店が目につき、そこでシブレット(エゾネギ)を購入。 ご主人は髪の毛が薄いことを、まわりの人にからかわれていましたが、「ジダンに似ていて、いいじゃない」と私がいうとなんだか嬉しかったようです。ジダンの人気は絶大です。 みんな親切でわきあいあいと和やかなムード。パリのスーパー・マーケットの無愛想なキャッシャーとのやりとりと違って、気持ちよく買い物ができます。 ところでなんでフランスの魚屋って、いつも紺と白のボーダーTシャツなんだろう? と疑問を持つと、思わず魚屋のおじさんを描いていました。 そういえば、フランス人は「縞」の使い方が上手です。魚屋のボーダーに始まり、マルシェの看板や、囲い。野菜やチーズは赤と白。卵は黄色と白。*********************************************************『パリ散歩画帖』2:山本さんの食材買出し『パリ散歩画帖』1:友人がみつけてくれたアパルトマン
2024.03.04
コメント(0)
図書館に予約していた『世にもあいまいなことばの秘密』という本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密「2章」で「辞書に載っている曖昧さ」が語られているので、見てみましょう。p27~29<2章 「OKです」「結構です」>■「微妙」な味とは? 昔、私が知人に自分の料理を食べてもらったときのことです。「味はどう?」と聞いたら、「微妙」という答えが返ってきました。私はそれを「いまいち良くない」という意味に受け取り、あんまり美味しくなかったのかと思ってがっかりしました。しかし、後からよく話を聞いてみると、その人は「良い味だ」という意味で「微妙」と言ったということが分かりました。 辞書を引いてみると、「微妙」には「いまいち良くない」という語義の他に、「一言では言い表せない趣があること」という語義もありました。私はこの語義を知らなかったので、「微妙」を否定的な意味だと解釈してしまったのです。 辞書を見ると、「微妙」に限らず、ほとんどすべての単語が複数の語義や用法を持っていることが分かります。ここでは、辞書に載っている曖昧さのうち、とくに気をつけた方がよいと思われるものをいくつか取り上げてみます。 注意すべき表現の筆頭は、先ほどの「微妙」のように、良い意味と悪い意味の両方を持つ言葉でしょう。こういう言葉の中には、もともと悪い意味ではなかったのに、さまざまな事情で否定的な意味が付いてしまった言葉も少なくないようです。 たとえば「忖度」という言葉は、もともとは「相手の真意を推し量ること」でしたが、2010年代の政治問題の報道とともにこの言葉が広まった結果、「目上の人間の意向を推測して、その人に都合の良いように取り計らう」という意味で使われるようになりました。 悪いイメージが付いてしまった「忖度」という言葉の気持ちを忖度すると、ちょっと気の毒に思えてきます。 時間が経つにつれて否定的な意味が出てくるという現象は、「議論が煮詰まる」という表現にも見られます。この表現の解釈には世代差があり、比較的年齢が高い層はこれを「議論が十分になされて、結論が出る」という良い意味に捉えていますが、年齢が低い層では「議論が行き詰まる」という悪い意味に捉える人が多いそうです。会議の終わり頃に「そろそろ議論が煮詰まってきましたので・・・」と言ったら、相手によって受け取り方が変わるかもしれません。 逆に、もともとあまり良い意味ではなかったのに、肯定的な意味でも使われるようになった言葉もあります。たとえば「こだわり」は、もとは「ささいなことを必要以上に気にすること」でしたが、今では「こだわりの逸品」とか「絶対食べたい!こだわりスイーツ」のように、「良さをとことん追求すること」の意味でも広く使われています。「やばい」も、以前は「危険だ」とか「非常に都合が悪い」という意味で使われていましたが、「すごく良い」という用法が広がっています。若い人たちが何かにつけて「やばい」を連発することをやばいと感じている人も少なくないようですが、あれほど頻繁に使われる背景には、程度の甚だしさをカジュアルに表現できる便利さがあるように思えます。
2024.03.03
コメント(0)
「多和田葉子」、「翻訳小説」という特集を組んだ『群像(2020年6月号)』を再読しようということで、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************本屋の店頭で『群像(2020年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。【群像(2020年6月号)】雑誌、講談社、2020年刊<商品説明>より[小特集 多和田葉子]・インタビュー「離れていても、孤独ではない人間たちの闘争」 聞き手・構成:小澤英実・評論「多和田葉子の『星座小説』--『星に仄めかされて』をめぐって」岩川ありさ[特集 翻訳小説]・アンケート「最新翻訳小説地図」<読む前の大使寸評>表紙に出ている特集「多和田葉子」「翻訳小説」というコピーに太子のツボが疼くわけでこれは買うっきゃないで・・・ということで久しぶりに雑誌を買い求めたのでおます。rakuten群像(2020年6月号)「『星に仄めかされて』をめぐって:岩川ありさ」で『地球にちりばめられて』の続編が語られているので、見てみましょうp195~197 <Susanooの物語>『星に仄めかされて』で重要になってくるのが神話をはじめとする物語の存在だ。Susanooは、クヌートやHirukoらの自伝的な物語の扉を開け、いつも同じ結末を持っている神話と渾然一体にすることで、「国産みの神話」や「国家共同体の神話」の内側に他者を閉じ込めようとする。けれども、ムンンやヴィダの存在は、異なる声を喚起し、Susanooを別の物語へと連れ出そうとする。 ムンンがSusanooに「アルタイル」(彦星)の名を与える場面は象徴的だろう。神話の中で、「ダメな弟の役柄」を割り振られ、ヤマタノオロチを退治する物語を延々と演じなければならなかったSusanooが、決められた物語の外側に出る可能性がこの場面からは見出せる。 Susanooが別の物語を生きる可能性について考えるとき、多和田の小説「文字移植」が大きな示唆を与えてくれるだろう。「文字移植」の語り手の「わたし」は、スペイン領のカナリア諸島にやってきた翻訳家である。語り手の「わたし」は、知人の所有する別荘に滞在しながら、ドイツ語で書かれたアンネ・ドゥーデンの小説「アルファベットの傷口」を翻訳しようとするが、「わたし」はこれまでに翻訳を終わらせたことがない。 モチーフとなっている伝説は、聖ゲオルグがドラゴンを退治し、王女を救うという、いつも同じ結末を持つ物語である。語り手の「わたし」は、ドゥーデンのドイツ語の小説を日本語に逐語訳することで、少しずつ統語法をずらし、ひとつの暴力の物語を語り終えることを拒絶し、「傷口」と暴力を明るみに出そうとする。(中略) 満身創痍になり、傷口は露出し、決して、物語は全面的な解決に向かうわけではない。だが、べつの声やべつの見方をとり入れることによって、いつも同じだったプロットが組み替わる可能性を「文字移植」は示唆する。「すっさ、すっさ、NO、NO、NO!」という響きは、アメノウズメが天の岩戸の前で踊ったときのように、凍ったような心を溶かす音楽に聴こえる。 Susanooが、「神話」という、いつも同じ結末を持つ物語の外に出ることができるとすれば、それはべつの声の中へと迎え入れられたときである。そして、その声は、ともにゆく人のいるエクソフォニーにおいて可能になる。 <星は組み替わる クヌートの物語> クヌートは母親であるニールセン夫人と失踪した父のあいだで大きな葛藤を抱いている。だが、その葛藤は、母を愛し、父に去勢され、「父の法」に参入するという、父殺しが主題のオイディプス王の物語をもとにしたエディプス・コンプレックスとは少し異なっている。 ニールセン夫人は、「性」という観念に強く影響を受けているが、クヌートの興味は言葉にあり、二人のあいだにはすれ違いが生まれている。クヌートが言語を習得する過程が詳細に綴られた第六章「ニールセン夫人は語る」で、ニールセン夫人は、地球人の子どもと火星人の子どもが取り替えられるというサイエンス・フィクション映画に夢中になっていたこともあり、大人には理解できないが、幼児たちが用いる言葉は、「複雑なシステムが根底に感じられる言語」であり、「別の星の言葉」なのかもしれないと感じている。 ニールセン夫人は、「具体的に何かしてほしいというメッセージを含んでおらず、話すためだけに話される芸術言語」であるクヌートの言葉を「むにゃむにゃ語」と呼び、幼児の頃のクヌートには親近感を抱いている。この「むにゃむにゃ語」への愛着は、父の言語の中にクヌートが飲み込まれてしまうことへのニールセン夫人による一つの抵抗なのかもしれない。小野正嗣も連載コラム「文芸時評」(5/27)で「多和田語の世界」を取り挙げています。『群像(2020年6月号)』1:翻訳小説に関する辛島デイヴィッドのレポート『群像(2020年6月号)』2:多和田葉子のインタビュー『群像(2020年6月号)』3:ハロー、ユーラシア『群像(2020年6月号)』4:イギリスのコロナウィルス対応『群像(2020年6月号)』5:小野正嗣の小説『群像(2020年6月号)』6:『地球にちりばめられて』の続編
2024.03.03
コメント(0)
図書館で『文学界 10月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。【『文学界 10月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 10月号』編集部が絲山秋子にインタビューしているので、見てみましょう。黒蟹弁を編み出した絲山さんの言語的センスには、言語学者たちも敵わないのではないか。p109~112<インタビュー 言葉にならない「関係性」が面白い>■黒蟹県ができるまで編集部:黒蟹県を舞台に繰り広げられる絲山さんの短編シリーズ、「神と提灯行列」(2023年7月号)までの8話が『神と黒蟹県』として刊行されることになりました。絲山:もともとは、「文学界」の1000号記念(2021年2月号)に短編を、という依頼があったのが始まりでした。会社員の担当引き継ぎの話で一つ短編を書きたいと思って、「黒蟹営業所」を書いたんです。私自身も、福岡から名古屋、名古屋から群馬、さらに群馬から埼玉と、転勤を伴う引継ぎを三回経験していて、それがすごくいい経験で面白くもあったんですね。そこで、新しい土地にやってきて、全くさらの状態の人と、そこから立ち去って今までのことがリセットできるので清々してる人を書きたいなと思って。 最初は黒蟹県のことを続けて書くとは考えていなかったのですが、書いているうちに出てきた自治体についてもっと自分も知りたいし書いてみたい、とだんだん思うようになって、連作になりました。編集部:絲山さんは創作の際に、舞台となる土地についての綿密な調査をされているとよくお話しされています。絲山:「黒蟹営業所」を書き始める前にも、群馬のいくつかの町を、「文学界」の担当編集者と訪ねました。転勤してきたときにどういう目でその土地を見ていたか、ということを思い出すためにどうこうしてもらって。 自分一人で行くと、どうしても知り合いが住んでいたり、直近の予定を思い出したり、場所がリアルな生活と重なってしまうんですよね。そこで暮らしたことのない編集者が同行していると、確かに転勤で初めて来た人はそこに絶対目が行くよね、というところに気が付きますし、景色や地形も新鮮に見ることができます。「黒蟹営業所」では、黒蟹県に赴任してきた主人公の三ケ日凡(みっかびなみ)が「狐」という地名を面白がるシーンがあります。狐ではないんですが、実際に、群馬県の渋滞ポイントで「鹿」っていう交差点があるんですよ。「鹿山」とか「鹿川」なら何とも思わないのに、「鹿」って言われると動物が浮かんできてしまうんですね。地名はやはり、初めて知ったときは新鮮に感じます。■「架空」だからこそリアルになる編集部:群馬県をはじめ、福岡県や富山県など、数々の地域をリアルに書かれてきた絲山さんですが、今回、黒蟹県という架空の県を舞台になさったのはなぜでしょう。絲山:具体的な土地を舞台にすると、いろいろ気をつけなければいけないことも出てきますし、もう少し自由に町を設計したい気持ちもあって。何より、架空の県を舞台にしたことで、とにかくリアリティに徹することができました。 もちろん実在の土地でなくても、ネガティブな印象にならないかということは強く意識しています。それから、著者の存在が悪影響とならないように、すごく考えながら執筆しています。 でも架空の世界が舞台だからできることも多くて、この作品ではギリギリまでリアルに徹して書くことができたと思います。狐町の町長や、黒蟹青年アソシエーションなどは、リアルな土地を舞台にしたら書けませんでしたね。編集部:地名だけでなく、黒蟹県の特産品の山菜やキノコのひとつひとつに、とてもリアルな架空の名前がつけられています。絲山:架空にすることで、ちょっと隙間ができるんです。読者の中に迷いが生まれる。たとえば「白ヒルギタケ」や「モキツ貝」という言葉を見たとき、「あれ、これ知ってたっけ?」って。そうすると、一定の速さで読めなくなりますよね。その空白が、小説のためにはすごく必要なんです。句読点みたいな役割ですね。 ちょっと偏ったところもあるかもしれませんが、架空の固有名詞はたくさん登場しますし、実在の紛らわしいものも混ぜました。実際に起こったエピソードでもそのまま書いたら嘘っぽくなることはたくさんありますし、草取りに使う「三角ホー」や「ユスラウメ」などは実在ですが架空と紛らわしい。 人名でも、本当に実在するのか紛らわしいものがあるのじゃないですか。地名のような、ひとを戸惑わせる何かの境界線上にある名前もありますよね。『神と黒蟹県』に出てくる人名でも、ありふれたものと、存在するけれど珍しいもの、まずないだろうっていうもののバランス、取り合わせに気を遣いました。編集部:知らないはずなのにどこか懐かしい、黒蟹弁も登場します。絲山:最初は方言のことまでは考えていなかったんです。年配の人は方言を話すとかなとか、山間部は方言が強いかもしれないな、とは思っていましたが、県内全域で使うかどうかはあまり考えずに書いていました。 黒蟹弁で話す人が出てくることになってからは、かなり気をつけながら方言を作りました。実在する言葉に酷似してはいけないので、『全国方言辞典』を参考にしました。それから、安直にやるとゆるキャラが「〇〇ネギィ~」と喋るような。語尾だけ安直にいじる形にはならないように。 どこにも存在していないけれど、どこでもあるようような、何より読んで意味が推測できる塩梅にしました。「忸怩たる神」に出てくる「じゃんがじょうに寝てくわる」というのは「ぐっすり眠っていらっしゃる」という意味ですが、「くわ」って音自体は、古い日本語にも存在しますから。 黒蟹弁を作るうえでは、営業職の頃に方言を話した経験が生きていると思います。建設業界なので方言を話すお客様も多かったのですが、自然にテンポとイントネーションを合わせて話せるようになれば、細かなニュアンスも理解し合えるし、信頼も得られます。 名古屋弁と博多弁とは、イントネーションも話す速度も違うし、強調するタイミングも全く違う。でも、お客様と同じ言語を喋れるようになったことが、強い自信になったんです。これでどこに行っても、その土地の方言が習得できるだろうなって。 でも、富山弁は難しかった。北日本新聞の連載や『まっとうな人生』の取材で何度も通い、友達や知り合いもたくさんできたのに、富山弁は自然に出てくるようにならないんです。これまでの自信は吹っ飛びました。■黒蟹県にモデルはあるか?編集部:登場する待ちも個性的です。県庁所在地の紫苑市、歴史が古く、黒蟹城を擁する灯籠寺市、新幹線の駅があり、隣県との人の往来も盛んな窯熊市など。具体的なモデルとなった町はあるのでしょうか。絲山:特にどこが、ということはありません。群馬に限らず、黒蟹県にあるような市町村の関係性は、一般に広く存在しますから、都市同士の関係性、役割にはいくつかパターンがあるんじゃないかと思います。 県庁所在地と、古くから歴史のある街が分かれている県って、結構ありますよね。たとえば神奈川県で言ったら、県庁のある横浜と工業都市である川崎、小田原と鎌倉などでは、それぞれ街の個性や歴史的役割、愛着の持ち方などが全く違う。 私の勝手な分類ですが、県によって「フランス式」と「イタリア式」があると思っているんです。フランスはパリに多くのものや人が集中し、イタリアはナポリ、ミラノ、ローマ、トリノなどそれぞれの都市のユニークさがある。「フランス式」は京都府や石川県、岩手県などが浮かびますし、「イタリア式」は群馬県や滋賀県、三重県などだと思っています。今回の黒蟹県というのは、「イタリア式」の県だろうなとは思っていました。『文学界 10月号』1:辻原昇×絲山秋子の対談
2024.03.02
コメント(0)
横尾忠則現代美術館の企画展といえば、まいど定点観測のように出かけているわけで・・・その新しい企画展を以下に紹介します。*********************************************************<横尾忠則を観に行こう♪20>能登半島地震の支援に明け暮れるご時世ではあるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾忠則 ワーイ!★Y字路より2000年、故郷の西脇で、横尾忠則は夜の三叉路をストロボ撮影しました。すると見慣れたはずの景色が、全く異なる風景となって立ち現れたのです。この写真からインスピレーションを得た横尾は「Y字路」シリーズに着手、それらはやがて彼にとって重要なライフワークとなっていきます。内省的な光と闇の世界は、祝祭的な色彩の爆発を経て、さらに変幻自在なバリエーションを生み出しつつ今日に至っています。2015年、当館では2006〜2015年の作品による「横尾忠則 続・Y字路」を開催しました。本展はいわばそれを補完するもので、シリーズの原点である初期作品(2000〜2005年)、および新近作(2016年〜)により、多彩な「Y字路」シリーズの魅力に迫ります。※本展は、本来はシリーズ誕生20周年を記念し、2020年度に開催される予定でしたが、コロナ禍により延期されていたものです同時開催:Yokoo Tadanori Collection Gallery 2023 Part2 「風景考」期間 2024.1.27 sat. - 2024.5.6 mon.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし2月12日(月・振替休日)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振替休日)は開館、2月13日(火)、4月30日(火)休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円******************************************************************************************************************<横尾忠則を観に行こう♪19>異常に蒸し暑い昨今であるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。Yokoo in Wonderland―横尾忠則の不思議の国より横尾作品のなかの「不思議」に着目し、現実の延長にあるもうひとつの世界をルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」になぞらえて紹介する展覧会。第1章「不思議の国」では、地底や海中、宇宙を舞台にした作品が、第2章では「鏡の国」と題して鏡やミラーイメージを用いた作品が、私たちを異世界へと誘います。そして、第3章「夢の国」では、横尾自身の夢をもとに描いた《夢枕》全43点を一堂に展示します。期間 2023.9.16 sat. - 2023.12.24 sun.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし9月18日(月・祝)、10月9日(月・祝)は開館、9月19日(火)、10月10日(火)休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円*********************************************************横尾忠則を観に行こう♪20 R1:横尾忠則 ワーイ!★Y字路横尾忠則を観に行こう♪19:横尾忠則の不思議の国横尾忠則を観に行こう♪18:横尾忠則展 満満腹腹満腹横尾忠則を観に行こう♪17 R1:横尾さんのパレット
2024.03.02
コメント(0)
図書館で『ナショナルジオグラフィック2023年10月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙に「宇宙☆新時代」というコピーが見えるが、この特集には見覚えがあるぞ・・・でも、2度目になってもまあいいか、ということでチョイスしたわけです。【ナショナルジオグラフィック2023年10月号】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙に「宇宙☆新時代」というコピーが見えるが、この特集には見覚えがあるぞ・・・でも、2度目になってもまあいいか、ということでチョイスしたわけです。rakutenナショナルジオグラフィック2023年10月号帰って調べたら4ヶ月前に借りていました。で、この記事を(その2)とします。準備が進められているSLSp45~46「この瞬間がたまらなく好き!」 そう叫んだのは、米航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士であるクリスティーナ・コックだ。ここは米国フロリダ州ケネディ宇宙センターの小高い丘の上。コックは3人の同僚とともに青い飛行服を着て、たかさ98メートルの巨大ロケット「スペース・ローンチ・システム(SLS)」が夜空に輝く小さな点になるのを見守っていた。 SLSが打ち上げられたのはその数分前、米国東部時間の2022年11月16日午前1時47分だ。「宇宙打ち上げ装置」を意味する名称はいささか地味だが、このロケットは推力がジャンボジェット31機分に当たる3万9100キロニュートンもあり、それまでに打ち上げられたロケットのなかでは最大だった。発射台からかなり離れた丘の上でも、ガスが噴出する振動を体で感じるほどだ。 巨大ロケットは時速2万8000キロ以上で軌跡を描き、宇宙船オリオンを空の高みへと送り込んだ。オリオンは宇宙飛行士をかつてなく遠くまで運べるように設計されている。今回は無人飛行だが、月より遠い宇宙空間を目指す旅が人体に及ぼす影響を調べるため、船長代わりのマネキン人形と、女性の胴体を模した2体の人形を乗せていた。 これらの人形は25日と10時間53分にわたるミッションの期間中に、地球から50万キロ近く離れた宇宙空間まで旅し、時速4万キロ近い速度で大気圏に再突入した。次のミッションでは、オリオンは4人の宇宙飛行士を乗せて月を周回する予定で、コックもその一人になりたいと切望していた。 NASAは今、半世紀ぶりに月に人間を送る込もうとしている。2022年に実施されたコノミッション「アルテミス1号」は、そのための重要な一歩だった。計画通りに行けば、24年11月のアルテミス2号で有人の月フライバイ(月の近くを通過する飛行)を行い、25年後半のアルテミス3号で、いよいよ有人の月面着陸に挑む。その後さらにミッションを重ね、月面に足場を築く予定だ。 なぜ再び月を目指すのか。一つには、月面は科学的に興味深い場だからだ。石や塵には過去45億年余りの太陽の活動の歴史が刻まれている。クレーターを調べれば、太古の月や地球に大量の隕石が降り注いだ出来事の謎をひもとけるかもしれない。月の北極と南極の周りに分布するとみられる氷から、太陽系の水の起源を探れる可能性もある。 このプロジェクトには政治的な狙いもある。国際協力を実現でき、航空宇宙産業の振興につながり、高度の知識や訓練が求められる雇用の創出も期待できる。 さらに、月は火星への有人飛行の足がかりともなる。NASAは火星で生命の痕跡を探している。その一環として、できれば2030年代に火星に人間を送り込みたいと考えている。人を寄せつけない過酷な環境で生存するには、与圧された居住施設や高度の宇宙服などの技術が必要になる。 アルテミス計画は数々の試練にさらされて」きた。スケジュールは大幅に遅れ、費用もふくれ上がり、中止を求める声も上がった。だがこの計画が成功すれば、その意義は宇宙飛行士が再び月面に降り立つことだけではない。人間が地球の外で暮らし、働くことが当たり前になる。そんな膨大な可能性が開かれると同時に、身が引き締まるような重い責任が生じる新時代が幕を開けるかもしれないのだ。Artemis I Launch to the Moon (Official NASA Broadcast) 、アルテミス1計画で明らかになった7つのことがお奨めです。『ナショナルジオグラフィック2023年10月号』1:ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡による観測p80~83
2024.03.01
コメント(0)
図書館に予約していた『翻訳夜話』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪<図書館予約:(2/15予約、2/27受取)>rakuten翻訳夜話冒頭の「フォーラム1 柴田教室にて」小説執筆と翻訳の関係が語られているので、見てみましょう。p13~19 1996年11月、東京大学教養学部の、柴田の翻訳ワークショップに、村上がゲストとして参加。翻訳を語り、また学生からの質問に答えた。学生は約百人、おもに教養課程の学生たちで、村上の酸かは事前に知らされていなかった。このフォーラムがきっかけとなって、本書が生まれることになる。<偏見と哀情>柴田:今日の授業は、ごらんのとおり村上春樹さんにおいでいただきました。翻訳についていろいろお話をうかがえればと思っています。最初に、ぼくのほうからいくつか質問させていただきます。まず、村上さんは小説家としてご自分の文章を書かれる方でもあるし、翻訳をされる方でもあるわけですけれども、自作するのと翻訳するのとでは脳味噌の使い方はずいぶん違いますか。村上:違いますね。小説を書くのとほんやくするのとでは、脳の中は全く逆の側が使われている感じがするんです。小説をずっと書いていますと、こっち側(と右側のこめかみを指でさす)あたりを使っているなという感じがするわけです。だから小説を書き終えちゃうと、翻訳が自然にしたくなるんです。つまり今度はこっちのほう(と左のこめかみを指でさす)を使いたいなというのが出てくるわけですね。 左右は逆かもしれないけど、とにかく。それで、誰にたのまれたわけでもないんだけど、自然に机に向かって翻訳をしちゃうという傾向があります。そうしないとうまく自分のなかでバランスがとれないということなのかな。 小説を書くというのは、簡単に言ってしまうなら、自我という装置を動かして物語を作っていく作業です。自我というか、エゴというか、我(が)というか。我を追及していくというのは非常に危険な領域に、ある意味では踏み込んでいくことです。ある場合にはバランスを失うぎりぎりのところまで行かなくてはならないし、外の世界との接触が絶たれていく場合も多いんです。それくらいの危機をはらんだ作業であるというこtができる。出来上がったものが立派であるかどうかは、また別の問題として。 ところが翻訳というのはそうじゃない。テキストが必ず外部にあるわけです。だから外部の定点との距離をうまくとってさえいけば、道に迷ったり、自己のバランスを崩したりというようなことはまずない。こつこつとやっていれば、ほとんどの部分は論理的に解消できます。そういう作業はぼくにとっては、すごくありがたいことなんです。ほっとできるというか。柴田:素人考えでいくと、基本的には翻訳するよりもご自分の文章を書くほうが大変だろうなと思う訳ですけれども、翻訳するほうが大へんな面というのは何かありますか。村上:気持ち的にはそりゃ翻訳のほうがずっと楽ですよ。立ち上げのところを考えなくていいから。考えなくていいというのは表現が過激だけど、要するに、ほとんど語学的、文章的、技術的なことだけを追求していればいいから。それに比べて小説を書くのって、ゼロからいちいち起こしていくわけだから、それはしんどいです。 ただ創作には原理的に作者の間違いってまずないんです。なんか変だといわれても、それはフィクションだ、ということでだいたい片付けられる。なんたって作者は神様ですから。 たとえばフォルクスワーゲン・ビートルのラジェーターのことを僕は一度書いたことあるんですが、よく考えたら、ビートルは空冷エンジンだから、ラジェーターなんてそんざいしないですよね。でも極端なことを言えば、「これは別の宇宙の話であって、そこではビートルはちゃんと水冷なんだ。それで何が悪い」と断固突っ張ることだってできます。何せ」小説だから。 しかし翻訳だとそうはいかないですよね。テキストが厳然として存在するから、間違いはあくまで間違いであって、それは間違いとしてあとあとまで残りますよね。そのへんが大変といえば大変かなあ。柴田:なるほど。では逆に、ご自分の作品が翻訳されるということについてはいかがでしょうか。自作が翻訳される場合に、翻訳家なり訳文に何をもとめられるかをお聞かせ願えますか。村上:ひとくちでいえば愛情ですね。偏見のある愛情ですね。偏見があればあるほどいいと。柴田:ご自分の作品が訳されたものを読んで、これは愛情があるなというのがわかりますか。村上:わかりますよ、それは。僕のを英語に訳している人は三人いるんだけど、おもだった人は二人で、一人はアルフレッド・バーンバウムというアメリカ人、もう一人はジェイ・ルービンという人で、バーンバウムは一種のボヘミアンなんです。特に定職もなく、大学に属しているわけでもなくて、タイに行ったりミャンマーに行ったりフラフラして暮らしている。 彼はある場合には自分の好きなように訳すんです。正確かどうかよりは、出来上がりのかたちを重視する。だからわりに自由自在にやって、部分的に適当に削ったりもする、勝手に(笑)。もちろんほとんどのところでは忠実に訳しているけど。場合によっては、ということです。柴田:増やしたりはしないですか。村上:増やさないですね(笑)。増やされるとさすがにまずいですよね。それに比べてジェイ・ルービンはハーヴァード大学の正教授で、社会的にもきちんとした偉い人で、ユーモアの感覚みたいなのはすごくあるんだけど、翻訳作業については非常に真面目で厳密な人で、わかんないことがあるといつも電話をかけてくるんです。ここの「は」は本当は「が」じゃないとかね(笑)。 全く逆な性格の二人なんです。でも僕はどっちの翻訳者も個人的には好きなんですよ。というのは、彼らは僕の作品をよく理解してくれているし、好きだし、いやなものがあればいやだとはっきり言うし。 たとえばジェイは『ねじまき鳥クロニクル』は好きだけど『国境の南、太陽の西』は好きじゃないとか、バーンバウムは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は好きだけど『ノルウェイの森』は好きじゃないとか、はっきりしているんですよね。だから、やると言った分はきちんと愛情を込めてやってくれる。 もっともバーンバウムはそう言いながら『ノルウェイの森』を講談社英語文庫で英訳しているけど、あれはたぶん生活のためだな(笑)。柴田:ははは村上:彼らが訳したものを、いちおう英語訳でざっと読むわけですよ。そうするとなんか、すごく楽しく読めるんです。僕は自分が書いた小説って、まず読み返さないんですよ。読み返すととにかく恥ずかしいから。書くときはすごく一生懸命書いているんだけど、いったん書き終わっちゃうと、本のページを開くことってまずないですね。なんか自分の靴下の匂いをかぐときのような気がして。 でも、英語だと読み返せるんですよ。というのは、僕が書いたものと、そこに訳されたものとのあいだには、ある種の乖離というか遊離があるからね。自分の書いたものでありながら、自分のものではないという二重性があるから、そのへんのすきまみたいなものを楽しんで読めちゃうのね。ジェイ・ルービンの著作『村上春樹と私』をかつて読んだことがあるので、紹介します。【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私『村上春樹と私』6:文学鑑賞と年齢の関係『村上春樹と私』5:世界中の翻訳仲間『村上春樹と私』4:アメリカでの村上講演会『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2024.03.01
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その66):「2024年度寺子屋ゼミのテーマは」を追記2024-02-272024年度寺子屋ゼミのテーマはより 未来予測の精度は、問題になっている事象の前段をどれくらい過去まで遡れるかによって決まります。 今起きている事件について1年前から起きたことだけしか知らないなら、1年後や5年後に何が起こるかはわかりません。でも50年前弥100年前からの前段を含んだ「文脈」を知れば、それが選択しうる道筋はある程度見通すことができます。 未来予測をするのは「当てる」ためではありません。不意を衝かれて驚かされないための備えです。 ガザは停戦できるのか、ウクライナ戦争の帰趨はどうなるのか、アメリカはトランプが大統領になったらどうなるのか、中国の人口減と経済停滞はどのような変化をもたらすのか、トルコは帝国の版図を回復できるか、アフリカは中国の「勢力圏」になるのか、ヨーロッパ共同体とNATOは解体するのか・・・どれも熟慮に値する論件です。でも、新聞の解説記事やテレビのニュース解説者の論評くらいではなかなか「文脈」は見えてきません。 ここでいう「世界」にはもちろん日本も含まれます。 日本の「これから」を予測する場合(どのセクターについても)やはりそこにシリアスな問題が起きるに至った「前史」を十分に調べて頂きたいと思います。 以上がテーマについてです。このあとは「ゼミ発表とは何か」というもう少し一般的なことです。 寺子屋ゼミはあくまで「ゼミ」ですから、発表者に求められるのは「モノグラフ(monograph)」の提示です。論点は一つに限定すること。問題を提起し、それについて聴講生たちに十分な情報提供を行い、その論点について私見を述べること。 この間のゼミ発表を見ていると、最後の「私見を述べる」という点の詰めが甘いように思います。 この場合の「私見」というのは別にきわだってオリジナルな意見のことではありません。「私が言わないとたぶん誰も言いそうもないこと」です。必死で頭を絞らなくても、これは出てきます。ふだんだってそれと気づかぬうちにやっていることなんです。 自分が選んだテーマについて、あれこれ調べたり、考えたりしているうちに「ふと思ったこと(たぶん自分以外にはあまり思いつかないこと)」が「私見」です。 もしかすると、みなさんの中には「客観的な事実の摘示にとどめて、私見を述べないこと」が知的に抑制的なふるまいで、「よいこと」だと勘違いしている人がいるかも知れません。それ、違いますよ。「自分以外には誰も言いそうもないこと」だけが学術的な「贈り物」になります。 学術というのは集団的な営みです。あらゆる時代のあらゆる人たちがこつこつと積み上げた「煉瓦」でエンドレスに建物を作るようなものです。大きな岩を運んでくる人もいるし、岩と岩の間の「隙間」にぴったりはまる小石を持って来る人もいます。岩の大小はさしあたりどうでもいいんです。自分にしかできない贈り物をすること。それが学術的営為ということです。僕はみなさんに、みなさんだけの「小石」を見つけて欲しいと思います。2024-02-12箱根の温泉で感じた中国のリアルより 少し前に凱風館にも20人ほど中国からのお客さんを迎えた。引率された毛丹青先生に「この人たち、どういう方なんですか?」と訊いたら、「ビジネスで成功して、もう働く必要がなくなったので悠々自適の生活をしている人たち」だと教えられた。年代は30代から50代。功成り名遂げた中国のお金持ちたちである。アメリカなら、フロリダに屋敷を買って、ゴルフをしたりセーリングをしたり毎晩パーティをしたりして過ごすのが定番だけれど、中国の富豪たちは一味違っていて、彼らの間では今哲学や宗教に対する関心が高まっている。それを求めて訪日したのだと聞いた。 たしかに、物質的な欲望が充足されたあとに「精神的な飢餓感」を覚えるということは理解できる。なにしろ中国では文化大革命で清朝以来の伝統的な施設は解体され、その後は北京五輪と上海万博で「古い中国」の痕跡はほぼ消え去ってしまったからである(北京の伝統的な胡同もその時に壊された)。今の中国人が「古い中国」への郷愁が兆した時にどこに行けばよいのか。 朝鮮半島にも「古い中国」はほとんど残っていない。朝鮮戦争の時に「山奥の寺院に敵兵がたてこもっている」という噂に煽られて、歴史的建造物が惜しげなく焼き払われた。だから、韓国で私が訪れたいくつかの寺院も、遠目からだと美しいが、近くにゆくとほとんどがコンクリート造りの「レプリカ」だった。ソウルにも平壌にも、もう李氏朝鮮時代の建物はほとんど何も残っていないと聞いた。 だから、中国の人たちが「古い中国」の郷愁を覚えた時に行く先は日本しかなくなったとしても不思議はない。たしかに日本には「古い中国」が残っている。宋や明や清の時代のものが日本列島に伝来して、いろいろなかたちで、そのままアーカイブされている。 箱根でも、中国からのお客さんたちもずいぶんリラックスしているように見えた。だって、部屋の床の間には漢詩の掛け軸や南宋画が掛かっているのである(私たちの定宿はロビーの壁に中国の馬だけを描いた巨大な画布がかかっていた)。それを見た時の彼らの安堵はいかばかりであろうか。2024-02-08 『本の本』あとがきよりこの本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。 僕は「ない」と思う。 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.02.29
コメント(0)
図書館で『文学界 10月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。【『文学界 10月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 10月号』特集「絲山秋子デビュー20年」から辻原昇×絲山秋子の対談の冒頭部を、見てみましょう。p82~84<対談 小説の余白に信を置く>常に外からやってくる「小説の言葉」を、いかに感受するか。住みよい場所を見つけることの重要性。井伏鱒二が描く「粗忽者」について・・・。文學界新人賞選考委員と受賞者、20年を経ての対話。 ■「いい小説にある唯一感」辻原:絲山さんが文學界新人賞を受賞されてからもう20年なんですね。当時の自分の選評を読み返してきたんですが、「イッツ・オンリー・トーク」という小説の良さを自分なりにちゃんと捉えているぞ、と(笑)。「いい小説にある唯一感」と書いたんですが、それはたくらんでできることではない。当時は文學界新人賞から吉田修一、長嶋有、吉村萬壱、円城塔といった優秀な若い人たちが出てきましたが、その中の一人が絲山さんでした。絲山:本当に嬉しい選評でした。あの小説では最後、蒲田に住んでいる主人公の家に転がり込んできたいとこが、実は44歳で結構な齢だったことがわかります。書いた本人としても、そこは書いていて驚いたところなんです。 そのことを辻原さんは選評で、「その瞬間に、読者の頭の中で読み直しが実行される」と書いてくださった。私はただ「驚いた」で止まっていたのですが、「読み直しが実行される」と言葉にしていただけたのがありがたかったですし、選考委員の方が読むというのはそういうことなのか、と感激しました。辻原:ミステリーの驚きとはまた違うんですが、彼が44歳だとわかった時、読むほうにもちょっとした衝撃がくるんです。その衝撃をきっかけに、読み直しというのは実際にページをめくって読むのではなくて、読んだ記憶の中で「イッツ・オンリー・トーク」の世界を辿り直すんです。絲山:確かに他の本を読んでいて、映画やドラマのダイジェスト映像のような、走馬灯のようなものがブワーッと頭の中で流れる瞬間ってありますよね。「ああ、このためにあのシーンがあったのか!」と。 あの小説はもちろん狙って書いたわけではなかったんですが、もしここで読者を驚かしてやれと思って書いていたら、うまくいかなかったと思います。辻原:そこがミステリーと違うところで、ミステリーは仕組んでおいて驚かすんだけれど、絲山さんも含めて僕たちがやっているのは、自分でも意外なところに行きついてしまい、自分でも驚く、そういうことの繰り返しをやっている。その驚きと喜びのために。絲山:そういう瞬間は書いていて頻繁に訪れるものですか?辻原:頻繁にはないですが、そういう瞬間に出合うと、小説を書いてる面白さ、醍醐味を感じることはあります。絲山:自分の力じゃないんだなぁ、と思います。辻原:それは言葉、言語そのものが自分のものではないから。常に外からやってくるものなので、当然起きることなんですが、それをいかに精密化し、構造化するかというところが困難な作業。絲山:ものすごく昔の文学作品と繋がっていたり、全く違うジャンルの人が残した発見と繋がっていったり、それに気づくと面白いなと思います。辻原:書いていることと読んでいることは、ほとんど同じ作業で、書いているというよりも、読んでいる行為のほうが強いような気がします。絲山:私も、書きながら読んでいるように思います。あと、聞いている感じもありますね。だからなのか、最近は自分の書いているものが不思議と、昔話のようなものに戻っていく感覚があります。辻原: 絲山さんはこの数年、「文学界」で短編連作を書かれていましたが・・・あの連作はどういうタイトルになるんですか?絲山:『神と黒蟹県』になると思います。辻原:神話空間ですね。地名やタイトルからも、そういう空間を舞台にしていると示唆されている。絲山:これまで群馬や富山、福岡など現実の場所を舞台にしてきたんですが、その場合は一生懸命取材をして、その地域で暮らす方が読んでも違和感を持たれないよう意識してきたんです。 ただ、その書き方をすると、気を遣わなければいけないところも出てきてしまうんですよね。たとえば評判の悪い首長がいたとかこの町とこの町は仲が悪いといった、「わかっていても言ってはいけない本当のこと」が、架空の場所であれば書ける。 現実に遠慮しないで書くことで、もう一歩先に進めるんじゃないかなと思ったんですが、もう一歩先に進んだと思ったら意外と見慣れた、昔話のような世界に戻ってきてしまったのかもしれません。辻原:実際に存在する土地を描いたから、小説にリアリティが出る、というわけではないんです。具体的な誰もが知っている世界から離れているからこそ逆に、獲得できるリアリティがある。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』で描かれているのは、まさにそういうリアリティですね。 『百年の孤独』のマコンドと黒蟹県は、ちょっと似ているところがあるんじゃないかと思いました。ひょっとしたら、これから豚の尻尾を持った人間が出てくるかもしれない(笑)。この雑誌も絲山秋子ミニブームR11に収めておくものとします。かつて読んだ『イッツ・オンリー・トーク』を付けておきます。【イッツ・オンリー・トーク】絲山秋子著、文藝春秋、2006年刊<「BOOK」データベース>より引っ越しの朝、男に振られた。やってきた蒲田の街で名前を呼ばれた。EDの議員、鬱病のヤクザ、痴漢、いとこの居候―遠い点と点とが形づくる星座のような関係。ひと夏の出会いと別れを、キング・クリムゾンに乗せて「ムダ話さ」と歌いとばすデビュー作。高崎での乗馬仲間との再会を描く「第七障害」併録。<読む前の大使寸評>絲山秋子デビュー作とのこと・・・これは期待でじそうやでぇ♪amazonイッツ・オンリー・トーク『イッツ・オンリー・トーク』1:1 トースト『イッツ・オンリー・トーク』2:4 ジャージ『イッツ・オンリー・トーク』3:6 リハビリ
2024.02.29
コメント(0)
今回借りた5冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・文学界 10月号・ナショナルジオグラフィック2023年10月号・翻訳夜話・台湾漫遊鉄道のふたり・世にもあいまいなことばの秘密<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【『文学界 10月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 10月号』【ナショナルジオグラフィック2023年10月号】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙に「宇宙☆新時代」というコピーが見えるが・・・この特集が借りる決め手になりました。rakutenナショナルジオグラフィック2023年10月号【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/15予約、2/27受取予定)>rakuten翻訳夜話【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密
2024.02.28
コメント(0)
『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在235位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在140位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在70位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在58位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在224位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在20位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在17位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在73位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在57位・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、副本?、予約2)現在1位・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/22受取予定)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『神と黒蟹県』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ウマは走るヒトはコケる・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』<予約分受取:11/28以降> ・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/27受取)・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、2/27受取)・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、2/27受取)**********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/15予約、2/22受取予定)>rakuten翻訳夜話【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.02.28
コメント(0)
図書館で「中国 人口減少の真実」という本を手にしたのです。この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。【中国 人口減少の真実】 村山宏著、日本経済新聞出版社、2020年刊<「BOOK」データベース>より13億か14億か、正確な数字さえ分からない中国の人口。だが、確実なのは人口が減少することだ。家族のあり方、個人の生き方、都市生活事情から、経済問題、社会保障、対外関係まで、人々の日常を伝えるニュースを手がかりに、人口減少問題に直面する中国社会のいまを活写し、人口減少後を展望する。<読む前の大使寸評>この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。rakuten中国 人口減少の真実「第5章 中国の対外膨張はどこへ」で、増える孔子学院を、見てみましょう。p209~212<3 増える孔子学園:ソフトパワーを握れ> 米議会上院の常設調査小委員会は27日に公表した報告書で、中国政府が中国文化の普及を目的とする孔子学園の設置のために米国の学校に1億5800万ドル以上の資金を提供してきたと述べた。孔子学園が中国政府の強いコントロールの下で宣伝機関として機能しており、調査小委員会は学院の組織を変更するか閉鎖するよう求めた。報告書によれば、連邦捜査局(FBI)は孔子学院を「監視対象」であると述べ、国務省は「中国のもっとも強力なソフトパワーの拠点」と呼んでいる。 調査小委員会は孔子学院の職員がスパイ活動に関与しているとの証拠はみつけられなかったとしているが、多くの職員が不適切なビザヲ取得していることを発見した。さらには、中国政府から年間少なくとも25万ドルを受け取った米国の大学のうち、7割の大学が教育省への報告義務を怠ったことを発見した。(2019年2月28日、ロイター「米上院委員会が孔子学院の変更可閉鎖を要求」を抄訳) 孔子学院は中国語の普及を目的につくられた語学学校であり、中国文化を学ぶためのカルチャーセンターでもある。似たような組織は世界に数多い。ドイツ政府が支援する「ゲーテ・インスティトゥート」、フランス政府の支援を受けた「アリアンス・フランセーズ」などだ。いずれも時刻の言葉の普及を通じて自国文化を広め、国際社会のなかで存在感を高めようという狙いがある。 中国政府もまた各国の大学や高校と提携し、学校内で中国語を教え、中国文化に触れ合う機会を提供してきた。そのために2004年にせっちされたのが孔子学院だ。全世界で535校(2019年9月30日現在)を開校している。 中学・高校レベルの授業をする孔子課堂は1134校とさらに多く、孔子学院と孔子課堂は158の国家・地域に広がっている。日本では立命館大学に早くから設置されており、様々な大学や高校と提携し開校されている。■米国で孔子学院への警戒高まる 孔子学院は米国でも多くの大学で開校されていたのだが、2018年にFBIのレイ長官がスパイ活動に利用されている疑いがあるとして「捜査対象」と発言した。その後、孔子学院への風当たりが強まり、中国政府から資金提供を受けて孔子学院を運営していた大学が次々に学院の閉鎖を余儀なくされた。スパイ行為に関与しているかどうかはさておき、孔子学院は米国では親中派人材の養成機関として警戒されている。 国際政治では軍事などモノの力による影響力をハードパワーと呼ぶ。経済もハードパワーの一種だろう。これに対して文化や教育など目に見えない力をソフトパワーと呼ぶ。国際社会では自国の利益を守るためにはハードパワーだけでなく、ソフトパワーが必要だとみなされている。 アニメから料理までソフトパワーの領域は広く、日本政府もクールジャパン戦略などで強化に乗り出している。中国は軍事力などハードパワーの構築に余念がないが、真の大国になるためにはソフトパワーを強化すべきだと感じているようだ。ここでも巨大な人口が強みを発揮する。 言語研究サイト「エスノローグ」(2019年版)によると、英語を話す人口は11億3200万人と世界でいちばん多い。次いで多いのは標準中国語(普通話)で11億1700万人に上る。3位はヒンディー語で6億1500万人。13億人の人口を有するインドは言語がヒンディー語やベンガル語に分かれ、文字も異なる。最大のヒンディー語でも話者は6億1500万人であり、中国の標準中国語のように中核となる言葉がない。 中国が経済成長を続ければビジネスの場でも中国語を使用する機会が増えるだろう。これまで優勢だったフランス語やドイツ語に代わって中国語を学習しようとする学生が増えるのは自然の流れだ。中国政府はソフトパワーを構築するために、まずは学生を中国語学習の場に誘い込み、中国文化に触れさせることが得策と判断したようだ。それが孔子学院だ。私もかつてフランスのアリアンス・フランセーズにはお世話になったが・・・孔子学院となると怖いというか、身構えてしまうわけです。『中国 人口減少の真実』2:中国の爆食『中国 人口減少の真実』1:はじめに
2024.02.27
コメント(0)
図書館で「ざんねんな食べ物事典」という本を手にしたのです。おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。【ざんねんな食べ物事典】東海林さだお著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>よりおいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!<読む前の大使寸評>おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakutenざんねんな食べ物事典ここで食べ物からはなれて、ショージ君の流行歌談義を拝聴しましょうね。・・・老人の繰り言とは一味ちがっているのでは♪p81~95<懐かしや「死んだはずだよお富さん」> 今回にかぎり本編は「オール読物」の中の「老人欄」としたい。 新聞に「家庭欄」とか「学芸欄」とかいうのがありますね。 あれと同様の「老人欄」。 実際の話、いまの時代、新聞に「老人欄」がないのが不思議なくらい老人全盛の時代となっている。 今回は流行歌の話をしたいのです。 それも、うんと古い昔の流行歌。 うんと古い昔の流行歌といっても、どのあたりにするか。 「赤城の子守歌」の東海林太郎あたりから話を始めようと思ったのだが、それではあまりにもあまりなので、ディック・ミネ、岡晴夫、近江敏郎、灰田勝彦あたりから、というのはどうでしょう。 え?誰?その人たち?ですって?(ここで10ページほど中略) かぐや姫の「神田川」も同棲ソングである。 二人で町の銭湯に行くなど、一見卑下しているように見えるが、実はあれは自慢ソングであることをぼくは見破った。 ♬小さな石鹸カタカタ鳴った などと貧乏くさいことを言っているが、なぜその石鹸は小さくなったのか。 それは「二人で暮らした年月」の長さを誇示して自慢しているのだ。 このように、流行歌というものは、一般的には人々の憧れを歌に託したものが多いのだが、時にはその歌詞が人々の妬みや僻みを買うこともあるということを制作者側は知っておいてほしい。 それにしても、流行歌の世界は何と男女の愛だとか恋だとかばかりを取り上げていることか。 好きだ、とか、愛してる、とか、口づけがどうのこうの、とか、抱き合う、とか。 男女の恋愛以外、すなわち政治、経済、道徳、世界情勢、などの大きな問題を歌いあげる流行歌はなぜないのか。 そういう流行歌もあってしかるべきだとぼくは思う。 道徳関係は、わずかではあるが流行歌として取り上げてはいる。 水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」はまさに道徳を扱った流行歌である。 ♬しあわせは歩いてこない/だから歩いてゆくんだね/一日一歩三日で三歩 人生とはそういうものだ、ということを人々はこの歌を通して知る。 村田英雄は、主として任侠の世界を通して、人としてしてはならないこと、なすべきことをせつせつと説く。 労働問題はどうか。 北島三郎の「与作」は、 ♬ヘイヘイホー、ヘイヘイホー という言葉によって、労働の苦しさ、楽しさ、大切さを人々に知らしめたのだった。 政治問題を歌謡曲にして歌いあげるのはとてもむずかしい。森友学園問題などは、その全内容を人々は熟知しているし、政治の非情、酷薄も随所に盛り込まれているし、籠池元理事長、安倍昭恵夫人の名ゼリフもたっぷりあるし、「森友エレジー」として歌いあげればかなりの娯楽作品になると思うのだが・・・。 ただ、この歌を誰に歌わせるか、ここがネックとなる。森進一では暗すぎるし、小林旭あたりがズンドコ節風に歌うのがぴったりのような気もするし・・・。 経済問題も歌謡曲にするのはむずかしい。 わが「オール読物」の読者は団塊の世代と重なる人が多いと思う。バブルも経験しているしバブル崩壊も経験している。 舟木一夫の「高校三年生」のメロディーでこういうのはどうか。 ♬赤い夕陽が社屋を染めてー バブルで踊ったお立ち台 あーあーあーあーあー リーマンショック ぼくら離れ離れになろうとも 定年仲間はいーつーまーでーもー『ざんねんな食べ物事典』2:ファミレスでちょい飲み『ざんねんな食べ物事典』1:牛丼チェーン店
2024.02.27
コメント(0)
図書館で「中国、モンゴルの砂漠を訪ねて」という本を手にしたのです。当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。【中国、モンゴルの砂漠を訪ねて】 大谷和男著、風詠社、2020年刊<「BOOK」データベース>より砂漠には人を惹きつける不思議な魅力がある。高さ500m超の砂山、彼方まで続く地平線、砂の世界に浮かぶ湖、満天の星、美しい日の出、動物が描かれた岩絵…。バダインジャランの雄大な自然に魅せられ通い続けた砂漠歩きの記録。<読む前の大使寸評>当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。rakuten中国、モンゴルの砂漠を訪ねてバダインジャラン砂漠まず「Ⅱ章」で、内モンゴル自治区の砂漠(続き)を、見てみましょう。p109~119<2‐1 バダインジャラン砂漠(2014年)> 初めて砂漠歩きを試みたのがバダインジャラン砂漠で、その初めてのときの記録から紹介したい。砂漠を本格的に歩くのは初めてだったので、がむしゃらに歩いてみたところ膝には優しいということが分かったが、急斜面の登りは蟻地獄のようになり結構大変なことも分かった。 また、こんなに綺麗な風景が中国にあるということを知ったし、風さえ吹かなければ空気は綺麗で快適なせかいであるということも知った。しかし風が吹くとテントの中にいても砂まみれとなり大変なこともよく分かった。この最初の体験から、その後別の砂漠を経験したが4年後、5年後にバダインジャラン砂漠に再び戻ってきてしまったという話である。■(1)はじめに 膝の悪化に伴い色々なことを考えてきたが今回は「砂漠」を考えてみることにした。砂漠を歩くとはどういうことか? 今回はまずそのイメージを掴むため歩いてみようと思った。狙いは中国ではまだ行ったことのない内モンゴル自治区の砂漠。本来内モンゴル自治区の砂漠の旅の最適時期は7~8月で、4~5月は強風の時期ということだが、砂漠の旅を知るためには却って条件の悪い時期でもよいと開き直り出かけた。「楽しくない旅」、「何でこんあ所へ来てしまったのか」と思う旅になることを覚悟して出発した。 砂漠は幾つか候補があったが、砂漠のヒマラヤと形容されていることから巴丹吉林砂漠に興味を持ちこの地に決めた。旅の手配はいつものように中国の旅行会社の〇さんにお願いした。得意の単独行である。■(2) 行程(2014年 4/29~5/5 詳細は中略)■(3) メンバー 大谷和男単独■(4) 装備、(5) 食料、(6) ネット情報(詳細は中略)■(7) 記録 2014・4・29 東京‐上海‐蘭州 今日は移動のみだが、蘭州についたら明日と帰りに使用する列車のチケットを入手しなければならないのがポイント。蘭州に来たのは9年ぶり。上海は気温が高かったが蘭州はそうでもない。しかし空気が悪い。空港から列車のチケット交換所までタクシーで向かう途中タクシーの中に居ても喉がいがらっぽい感じ。空港は町の中心から離れているのと渋滞で時間がかかった。(中略) 時間はかかったが蘭州駅では無事チケットへの交換ができてほっとする。後は泊るホテルを探すだけだがなかなか見つからない。駅から離れてしまったところで、面倒なのでタクシーに乗ると何と駅のすぐそばでその前を歩いて通り過ぎていたことが分かった。しかしホテルに無事着いたことに安堵した。 蘭州は初めてではない。かつて出張で金昌にある企業を訪問するため蘭州に来たことがある。上海から飛行機で蘭州の空港に着陸しようとしたとき、窓から見えた大地があまりにも赤茶けていた砂漠地帯だったので火星に来てしまったのではないかと思ったほどだった。出張のときは蘭州から車で金昌まで行った。確か5時間くらいかかったと思うが、今回は明日汽車で金昌駅に向かう。 今回は名物の金昌ラーメンは時間が無く食べなかったが、かつて出張したときには着くとすぐに食べた。ラーメンと言っても実質うどんだが、上海に戻ってからも蘭州ラーメンを掲げる多くの店で5元の蘭州ラーメンを食べ続けた。旨いかどうかはスープの味で決まり店によってもずいぶん違う。 ついいろいろなことを思い出してしまうが、明日の朝も早いので日本から持ち込んだウイスキーを呷って寝る。長い1日だった。 (中略) 2014・4・30 蘭州‐金昌‐巴丹吉林鎮‐砂漠入り口‐敦徳吉林 蘭州発7:45の汽車に乗るのに1時間前の6:45に駅に行き待合室に入ると、とにかく人が多く圧倒される。時間に十分余裕があると思っていたが、しばらくすると自分が乗るべき列車の改札が始まった。こんなに多くの人が本当に乗れるのかと思うほどの長蛇の列に並び大群衆と共にホームに向かうが改札を通るときがやはり中国人らしく我先にという人ばかりで、改札の通過が大変だった。 ここ2年ほど中国に来てなかったので中国人に圧倒されている自分を感じた。しかし列車に乗り込むと一変し、軟座のため乗っている人の質が違うのか静かに過ごせそうだったのでほっとした。座って砂漠に関する文献に目を通していると汽車は静かに発車した。 (中略) 金昌に着くとかなりの強風でこの先が思いやられた。予定通り迎えは来ていた。タクシーのような車に乗り巴丹吉林鎮に向かいそこで4WDの徐さんとスイッチ。食料、水等の買い物をして出発。これから砂漠の4泊5日の間、徐さんと2人の旅となる。徐さんは4WDで先を行き大谷が後を一人で歩いていくというスタイル。 幹線道路の砂漠入口から砂漠に入ると天気は回復していたが風がやや強い。砂漠に入ってもすぐに歩くことはせずしばらく4WDで進む。私も全て歩きたいなどという拘りはないので徐さんに任せた。砂漠の中に入ると軟らかい砂上へと変わり徐さんはタイヤの空気圧を下げた。『中国、モンゴルの砂漠を訪ねて』2:トングリ砂漠(2016年)『中国、モンゴルの砂漠を訪ねて』1:タクラマカン砂漠
2024.02.26
コメント(0)
図書館で「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」という本を手にしたのです。フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。【ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか】熊谷徹著、青春出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より世界一便利な日本で「ゆとり」を感じられないのはなぜ?ドイツ流・お金に振り回されない生き方。<読む前の大使寸評>フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。rakutenドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか「第2章」で日独のサービスの違いあたりを、見てみましょう。p57~61<第2章 みんなが不便を「ちょっとだけ我慢する」社会> 前章でドイツのサービスの悪さについて読んで、「ドイツ市民はなぜこんな扱いをされて怒らないのか?」と不思議に思った読者もいるだろう。その理由は、ドイツ人のサービスへの期待度が我々日本人に比べて低いからだ。彼らは日本人ほど、レストランや商店、ホテルで良いサービスを期待していない。■サービスへの期待度が低いドイツ人 私もドイツに29年住んで、この国ではもはや良好なサービスを期待しなくなった。「ここはドイツなので、良いサービスはない」と思うようにしている。 前章で食堂の店員がコースターを客の前に手裏剣のように投げたエピソードをご紹介したが、その場にいたある日本人は「ドイツに5年住んでいるが、こうした態度には、いまだに慣れない。客に対して最低限の思いやりがない」と憤慨していた。 多くの日本人は、目の前に物を投げられると「邪険に扱われている」と不快に思う。繊細な客の中には、犬や猫の前に餌を投げる情景を連想する人もいるだろう。 しかし私はこの時、店員がコースターを客の前に投げるのを見ても全く怒りを覚えなかった。その理由は、「この国のサービスというのはこんなものだ」と悟っていたからである。 以前私は会議の席で、ドイツ人が自分の名刺を客に1枚ずつ手渡さずに、テーブルの上に投げたのを見たことがある。名刺すら投げる人がいるのだから、飲み物のコースターを投げられたくらいでは驚かない。冷静に考えれば、それで何か不都合なことが起こるわけではない。あくまでも気分の問題である。 つまり、サービスに対する期待度を下げてしまえば、サービスガ悪くてもあまり不快に思わない。「自分はお客様なのだから、良いサービスを受けて当たり前だ」と思い込んでいると、サービスが悪いと頭に来る。腹を立てると、その日は損をしたような気がして楽しくない。いやな思いをするのは結局自分である。(中略) 大半のドイツ市民も、この国のサービスについて「こんなものだ」と思っており、際立って悪いとは感じていない。多くのドイツ人は日本に行ったことがないので、日本のような「サービス先進国」があることを知らないからだ。 ■なぜドイツ人はサービスが苦手なのか 私がドイツ人から高い水準のサービスを期待しないもう一つの理由は、サービスが未発達である背景に、彼らの強烈な個人主義があることを知っているからだ。 ドイツ人の店員は客に対してへりくだらない。客に向かってペコペコせず、常に堂々としている。ドイツ語でサービスに相当する言葉はDienst(ディーンスト)である。この言葉の動詞はdienen(人に仕える、サービスする)だが、派生語にDiener(従者、下僕)という言葉もある。 つまり、ディーンストという言葉は客との目線の違いを感じさせるので、個人主義が強いドイツ人には聞こえがよくない。誇り高きドイツ人たちは、人に仕えること、サービスをすることが得意ではないのだ。 さらに、ドイツ人は日本人ほど他人の感情を重視しない。感情よりも規則や理屈を重んじる。ドイツ語ではこういう人のことをコップフメンシュ(Kopfmensch=頭を優先する人、感情よりも理屈を優先する人)というが、この国にはコップフメンシュが多い。 たとえば、アンゲラ・メルケル首相はコップフメンシュの典型だ。彼女は政治家になる前は、物理学者だった。メルケル氏はどんな状況でも感情を顔に出さず、冷静沈着に振る舞うことで知られる。演説の内容も理詰めで、聴衆の感情に訴えかけるような話し方ができない。感情よりも合理性を重んじる典型的なドイツ人である。「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」1:日独の大きな違い
2024.02.26
コメント(0)
図書館で「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」という本を手にしたのです。フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。【ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか】熊谷徹著、青春出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より世界一便利な日本で「ゆとり」を感じられないのはなぜ?ドイツ流・お金に振り回されない生き方。<読む前の大使寸評>フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。rakutenドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのかまず序章で日独の大きな違いあたりを、見てみましょう。p27~30<序章 ドイツ人の平均可処分所得は290万円!>■低賃金なのに「生活に満足している」のはなぜ? このようにドイツでも所得格差が広がりつつあり、パラダイスとは言い難い状態だ。特に低賃金層に属する人々が苦しい生活を送っていることは紛れもない事実である。 それでもこの国で29年暮らしてきた私の目には、ドイツ社会を全体として見ると、日本に比べて「ゆとり」があるように見える。そのことは、様々な世論調査の結果にも表れている。 統計ポータル「スタティスタ」によると、2017年の秋に行われたアンケート調査で「自分の生活に満足していますか?」という問いに対して「非常に満足している」もしくは「かなり満足している」と答えた人の比率は、93%に達した。(中略) ドイツの公共放送連盟ARDが2017年5月に行った世論調査では、「私の経済状況は良い」と答えた市民の比率が81%に達していた。 ドイツ人の9人に1人、約960万人が105万円以下の年収で暮らしていることを考えると、これらの世論調査結果が高い満足度を示しているのは意外である。 これに対し、日本の内閣府が2017年8月に発表した世論調査の結果によると、「生活に満足している」と答えた市民の比率は73.9%でドイツよりも20ポイント近く低くなっている。 時間的なゆとりという面では、日独間の格差がもっとはっきり見えてくる。2018年1月にドイツの連邦統計局が発表したアンケート調査の結果によると、2016年の時点で4100万人の就業者のうち90.7%が「現在の労働時間に満足している」と答えた。労働時間に不満なので変更を希望していると答えたのは9.3%にすぎなかった。つまり回答者の9割は、ワーク・ライフ・バランスがとれており、時間のゆとりがあると考えているわけだ。 これに対し、内閣府の世論調査によると、「生活の中で時間のゆとりがある」と答えた日本人は68.6%にとどまっており、ドイツ連邦統計局の調査結果よりも約22ポイント低くなっている。 経済協力開発機構(OECD)が実施した、各国市民の生活満足度についてのアンケートの結果も興味深い。これは個々の国民が自分の生活についてどのような感情を抱いているかを、アンケートで調べたものだ。満足度の最高値は10である。 ドイツ人の満足度は7で、OECDの平均値6.5を上回った(38ヵ国中13位)。これに対し日本人の満足度は5.9で、平均値よりも低くなっている(38ヵ国中29位)。 国内総生産(GNP)を目安にすると、日本は米国、中国につぐ世界第3位の経済大国だが、生活満足度においては、GDP第4位のドイツに追い越されているだけではなく、OECDの平均にも達していないのだ。ウーム つい先日、GNPで日独の逆転が報道されたが、これで経済規模も生活のゆとりもドイツの後塵を拝することになったわけだ・・・女性の力を充分に活用しない日本システムの欠陥が表れたのかも。
2024.02.25
コメント(0)
大島渚監督も、主演の坂本龍一もすでに亡くなってしまったが、『戦場のメリークリスマス』という映画はこれからも残るわけで・・・以前の日記から以下のとおり紹介します。*********************************************************図書館で「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」という本を手にしたのです。【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実「第六章 躁」では映画撮影の現場がいかなるものか、述べられています。p70~72<第六章 躁> 映画『戦場のメリークリスマス』の撮影は、日本人俳優がラロトンガ入りする直前の8月21日からスタートしていた。収容所でのデヴィッド・ボウイ、トム・コンティの絡みのシーンだ。これが映画のファースト・カットとなった。 大島監督らすでに現地入りしていたスタッフを除く、日本人のキャスト、スタッフらがラロトンガ入りしたのは8月23日。途中、フィジーでの2泊を含む、日本から4日をかけての長旅だった。この長旅の間中、英語の台詞が多い坂本龍一は脚本()とつねに格闘していたという。 到着するなり、そこはもう戦場だった。日本人、外国人のキャスト、スタッフが入り乱れ、宿舎となったラロトンガ・ホテルは収容所ならずとも、戦地のキャンプのような様相を呈していた。 英語、日本語が飛び交い、あちこちで文化の衝突もあれば融合もあった。何人かの日本語に堪能な外国人スタッフたちがその緩衝材、橋渡しの役を担った。 その代表が、外国人キャストへの日本語の台詞指導や大島監督の相談役というポジションにいたロジャー・バルバースだった。ロジャー・バルバース ラロトンガでの撮影中のぼくのスケジュールは、基本的に朝起きてまず、オンボロのトヨタで監督や成島さんらをロケ場所まで送る。ほんとうにこの車は大丈夫かっていうぐらいの錆びた車でした。そして朝食のときに、トム・コンティ、ボウイ、ジャック・トンプソンら外国人俳優と打ち合わせをして、監督の要望を伝えたり、彼らの悩みや相談を聞いたりする。 彼らのほうから「このシーンはこういうふうにやりたいのだけど、どうか?」と訊かれて、監督に伝えもしました。そういうときは監督の答えはほとんど「好きなようにやってください」というものでした。 でも外国人俳優たちに「Do as you like(好きにやって)」と伝えても、彼らはそれに納得しない。自分の提案に対して、もうちょっと監督からの意見や積極的な肯定の言葉がほしい、と。 というと、監督は、そんなのいちいち指示しない、段取りも組まない。好きにやってくれ、と。 撮影現場では本当にそうだったんです。俳優に向かって、ここでこうしなさい、こういうふうに、ということがまったくない。小津安二郎監督とは180度ちがうというか(笑)、本当に演出の指示をしない、俳優にまかせて、大体ワン・テイク。ときには撮影監督がOKを出す前に「よし次!」って(笑)。 監督は、とにかく役者の自発性にまかせて、最初のテイクがいちばんおもしろいっていう天才的なひらめきがある人。自発性とフレッシュネス、新鮮さとその雰囲気を尊重する。フィルムではそれがうまく出ているわけですから正解でした。 これはよく憶えているのですが、あるシーンでトム・コンティが「ロジャー、このハラ軍曹が現れるシーンでは、ぼくはどういうふうにしゃべるのがいいと思う?」って訊いてきたんです。で、ぼくは何気なく「この椅子から立ち上がりながらしゃべるのがいいんじゃない」って答えたら、それを見ていた監督が「ロジャー! 演出するな!」って怒鳴るんですよ。もう本当に北極からの冷たい風が身体を通り抜けたように凍りつきましたね(笑)。「トム、悪いけど自分で考えて好きなようにして!」って(笑)。「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」3:映画撮影の現場「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」2:第二次大戦の日本軍と俘虜の関係「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」1:坂本龍一さんへのインタビュー
2024.02.25
コメント(0)
ネット巡っていたら、『「ロシアのスパイが戻ってきた」 欧州各地で殺害・世論操作事件』というのに出くわしたのです。おお 反体制派指導者のナワリヌイ氏の殺害疑惑にゆれるロシアであるが・・・韓国・東亜日報の記事が興味深いので以下に紹介します。「ロシアの情報機関はこれまで以上に危険な状態」との指摘は聞き捨てにできないでぇ。*********************************************************「ロシアのスパイが戻ってきた」 欧州各地で殺害・世論操作事件より■「ロシアのスパイが戻ってきた」(英誌エコノミスト)ソ連時代に「KGB(国家保安委員会)」として威勢を誇ったロシアの情報機関が、プーチン大統領の全面的な支援の下、過去の存在感を取り戻そうと奮闘している。ウクライナ侵攻当時、「戦争は数日以内に決着がつくだろう」と誤った判断をするなど大恥をかいた情報機関が、最近、大々的な改革を行い、様々な海外作戦に乗り出したという。特に、13日にウクライナに亡命したロシア人パイロットがスペインで殺害された事件に介入した疑いなどが浮上し、冷戦時代のKGBの「影の戦争(shadow war)」の復活を狙っているという観測も流れている。■ クレムリン宮が情報機関の改革を主導英誌エコノミストによると、ロシアの3大情報機関である連邦保安局(FSB)、対外情報局(SVR)、軍参謀本部情報総局(GRU)は、ウクライナ戦争前から分裂と無能で国際的に軽視されてきた。16日に獄中で不審死した反体制派指導者のナワリヌイ氏を2020年に毒殺しようとしたが失敗した。22年にはウクライナを過小評価し、23日で2年目を迎える長期戦を招いた。長年のライバルである米中央情報局(CIA)のバーンズ長官が先月、外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」の寄稿文で、「ロシアのおかげでCIAの採用機会が増えた」と嘲笑したほどだ。しかし、最近、ロシアの情報当局が過去の過ちを教訓にして大々的な改革に乗り出す動きが見られる。英王立防衛安全保障研究所(RUSI)は20日、報告書で、「セルゲイ・キリエンコ大統領府第1副長官が率いる『特別影響力委員会(GRU)』が主導している」と伝えた。GRUは最近、一連のロシア軍の情報流出を戦争不振の深刻な原因と指摘し、主要部隊でスマートフォンの使用を厳しく禁止した。エコノミストは、「最近、欧州連合(EU)の分裂を狙った一連の事態もGRUの動きと関連している」と分析した。ウクライナ西南部の旧ソ連国家であるモルドバが昨年、EU加盟を推進した際、モルドバ大統領に対する虚偽情報が突然急増したのも、ロシアの情報当局が関与した可能性が高いという。最近、ドイツ外務省は昨年12月20日から1ヵ月間、ロシア政府機関のプロパガンダをドイツ語で掲載したX(旧ツイッター)のアカウントを5万個以上確認した。フランスとポーランドも12日、ロシアのオンライン世論操作ネットワーク「ポータルコンバット」に対する共同対応を予告した。■ NATO崩壊を狙う「影の戦争」ロシアの情報機関の最優先課題は、北大西洋条約機構(NATO)内部の亀裂の拡大だ。戦争相手であるウクライナに対する支援を弱めるためだ。RUSIは、「ロシアの情報機関がこのために英国など欧州各国の選挙に介入する準備をしている」と警告した。これらの機関が冷戦時代にあったような冷酷な作戦に乗り出す兆候もすでに発見されている。ウクライナ戦争中に反旗を翻して亡命したロシア軍パイロット、マキシム・クズミノフ氏が13日、スペインで殺害された事件も、ロシア情報当局が現地マフィアと共謀して起こしたとみられている。英紙タイムズは、「クズミノフ氏の死は、ロシアの情報機関の冷酷さを示す事件であると共に、ウクライナ侵攻後、情報機関が復活している兆候だ」と報じた。特に最近は、東欧で様々な作戦を展開している。エストニア政府は20日、「ロシアの情報機関の指示を受けて内相の車を破壊した容疑でエストニア人とロシア人10人を拘束した」と発表した。カヤ・カラス首相は米CNNのインタビューで、「私たちに対してロシアが影の戦争を行っている」と述べた。KGB出身のプーチン大統領の性格上、情報機関の復活は一過性にとどまらないとみられる。エコノミストは、「スターリン時代に強力だった秘密機関の栄光を取り戻そうとしている」とし、「ロシアの情報機関はこれまで以上に危険な状態」と警告した。洪禎秀 hong@donga.comウクライナ侵攻2年目となるが・・・伝統的な人海戦術・物量作戦を採るロシアが盛り返して、自由世界の脅威が増しています。
2024.02.24
コメント(0)
図書館で「ざんねんな食べ物事典」という本を手にしたのです。おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。【ざんねんな食べ物事典】東海林さだお著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>よりおいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!<読む前の大使寸評>おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakutenざんねんな食べ物事典まずコラムニストの村瀬秀信氏との対談で、ファミレスのあたりを、見てみましょう。ケンタッキーやサイゼリアはよく愛顧しているファミレスでおます。それから“ちょい飲み”するならサイゼリアのワインがお奨めですね。p108~111<奥が深い! 我らの“チェーン店”道>■“ちょい飲み”が流行東海林:ファミレスで一人飲みってやったことあります?村瀬:最近はやりやすくなりましたね。東海林:でも、あそこは違和感があるな。周りがファミリーだから。村瀬:早い時間だと特に背徳感があります。未来ある子供には見せられない。東海林:ファミレスのメニューって写真もいっぱい使っていて派手でしょう。その隅のほうに小さく、徳利の絵が描いてあって、おつまみが二品くらいあって。村瀬:メニューの番外地に申し訳なさそうに書いてある。でも、いまは「バーミヤン」でボトルキープができたり、モスバーガーも「ケンタッキー」も一部の店舗でモスバルやバルケンタなんてのをやっています。他にも、「サイゼリア」だと堂々とお酒のコーナーがありますよ。東海林:ある? おじさんコーナーみたいな?村瀬:ちょっとオシャレなんです。ワインとか、生ハムとフレッシュチーズとか。ムール貝ヤエスカルゴが399円。イタリアンの庶民化に貢献してます。東海林:あ、そっち行くのね。村瀬:一部のサイゼリアにはワインリストが別にあって、高いのだと7000円以上するワインもあります。東海林:でも、「ワインリストある?」って聞くとき、誇らしい気分になるね。とはいえ、やっぱり日本酒がほしいな。村瀬:それならやっぱり富士そばですね。東海林:いつも思うんだけど、一人飲みって難しいね。ほんとに疲れる。村瀬:どこに疲れを感じますか?東海林:たとえば居酒屋チェーンに行くと、みんな複数で来てるでしょ。その中でポツンと飲んでると、周りからどう見られてるかばっかり気になっちゃう。「あの人、お友だちいないんだわ」って見られてるんじゃないかとか、つい思っちゃって。そうじゃないんだってことを何とか示せないかな。村瀬:どうしたらいいんだろう(笑)。東海林:手帳を見たりしてね。今、スマホがあるけど、スマホをやるとかえって孤独感が強くなる。村瀬:たとえば、チェーン店じゃなくて、粋な女将がいる小料理屋みたいなところとか、大将と馴染みの店、みたいなところだとどうですか?東海林:あれだって難しい。太田和彦さんなんかは、折を見てご主人に話しかけなさいというけど、なかなかできるものではない。村瀬:チェーン店で店員に親しげに話しかけたら、周りに「この人、いつもここに居るんだ」って思われる(笑)。東海林:アイデンティティをどうするか。一人飲みというのは万人の悩みなんじゃないでしょうか。村瀬:他人に興味を示さないのは、チェーン店のよさの一つなのかも。東海林:ここだって、みんな壁で区切ってある。これだったらあんまり周りの視線を浴びないね。村瀬:(ちょっと見回して)あそこのカウンターは、一人客ですね。東海林:へぇ、カウンターも、横に仕切りがあるんだ。村瀬:人のプライベートには立ち入らないというのが、チェーン店の流儀かもしれないですね。『ざんねんな食べ物事典』1:牛丼チェーン店
2024.02.24
コメント(0)
図書館で「ざんねんな食べ物事典」という本を手にしたのです。おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。【ざんねんな食べ物事典】東海林さだお著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>よりおいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!<読む前の大使寸評>おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakutenざんねんな食べ物事典まずコラムニストの村瀬秀信氏との対談で、牛丼チェーン店のあたりを、見てみましょう。p101~106<奥が深い! 我らの“チェーン店”道>■一人で待つ苦しみから解放東海林:待ち時間といえば、「マクドナルド」は、注文した後、ちょっと脇へ避けて待つじゃない。あれがつらいね。どうやって待ってればいいのかわからない。次の人の邪魔にならないように「すいませんね」って感じでいるんだけど。結構長いんだよね、あれ。村瀬:以前は作り置きしていましたが、いまは作りたてをていきょうするので待ち時間が長いんです。昔は「モスバーガー」が作り置きをしないというのが新鮮だったんですが。待つ時間のスタイルはどんな感じがいいでしょう?東海林:まず、こう腕組みして。村瀬:壁のメニューを眺めたりして。東海林:うなづいたりしてね。村瀬:東海林さんは、西荻窪に事務所を構えてどれくらいですか?東海林:50年くらいですね。村瀬:その頃は、このあたりにチェーン店はなかったですか。東海林:全然なかった。あたとしたら「養老乃瀧」だけど、他にそういう店がないし、チェーン店って言い方はしなかった。村瀬:ああ、そういう概念もないですね。東海林:「他にも同じ系列の店があるようだ」と。村瀬:チェーン店という概念が広まったのは、ファミリーレストランができてからですかね。養老乃瀧の創業自体は38年。昭和38年かと思ってたら、なんと1938年。日中戦争の頃ですよ。養老乃瀧の牛丼って食べたことありますか? 80年代頃、昼に出してたという。東海林:もっぱら牛丼でしたよ。村瀬:やっぱり! ぼくが子どもの頃、牛丼といえば養老乃瀧で、それが憧れだったんですが、やめちゃったんですよね。それが去年、一部の店舗で復活したので食べに行ったら、味は普通でした(笑)。東海林:西荻窪には牛丼屋が三軒あるんです。最初にできたのは「松屋」で、ずっとそこへ通っていたら「吉野家」ができて、それから「すき家」もできた(すき家は現在は閉店)。村瀬:どこが一番好きですか?東海林:吉野家です。ちょっと他と違うんだよね。村瀬さんは?村瀬:僕も吉野家です。吉野家の七味が大好きで、とにかくたくさんかけます。東海林:村瀬さんの本を読んで初めて、そういう食べ方もあるのかと思いました。みんなやってる?村瀬:僕が極端なんです(笑)。でも、人気があるようで、最近は吉野家の通販サイトで買えるようになりました。東海林:吉野家の牛丼は味に深みがありますよね。なんだろう、ワインが入ってるせいかな?村瀬:白ワインがベースですね。あと、やっぱりあの肉じゃないと出せない味なんでしょうね。BSE問題でアメリカ産牛肉が調達できなくなった時、他がオーストラリア産に切り替えて牛丼を出す中、吉野家は牛丼を出しませんでした。東海林:偉いですよね。村瀬:今ある日本の牛丼チェーンって、すべて吉野家から始まっているんです。すき家の会長はもともと吉野家にいた方ですし、松屋の会長も吉野家に影響されて始めたんだけど、吉野家の牛丼をリスペクトするあまり、牛丼という呼び方を避けて「牛めし」と呼ぶようにしたと聞きます。
2024.02.23
コメント(0)
図書館で「中国、モンゴルの砂漠を訪ねて」という本を手にしたのです。当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。【中国、モンゴルの砂漠を訪ねて】 大谷和男著、風詠社、2020年刊<「BOOK」データベース>より砂漠には人を惹きつける不思議な魅力がある。高さ500m超の砂山、彼方まで続く地平線、砂の世界に浮かぶ湖、満天の星、美しい日の出、動物が描かれた岩絵…。バダインジャランの雄大な自然に魅せられ通い続けた砂漠歩きの記録。<読む前の大使寸評>当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。rakuten中国、モンゴルの砂漠を訪ねてまず「Ⅱ章」で、内モンゴル自治区の砂漠を、見てみましょう。p75~85<1 トングリ砂漠(2016年)>■(1)はじめに 2014年5月にバダインジャラン砂漠、2015年5月にタクラマカン砂漠探検を敢行した。バダインジャラン砂漠では、砂まみれになり砂漠を歩き、美しい湖を眺め、標高差250m程度の砂山を登るのも大変で大汗をかいて登るなどの体験ができた。タクラマカン砂漠では、新疆ウイグル自治区での行動の不自由さはあったが、ケリヤ人の郷を訪問することができた。 今回は、政情が不安定な新疆ウイグル自治区は避け、バダインジャラン砂漠近くの内モンゴル自治区のトングリ砂漠へ行くことにしたが、今回はいつも私の勝手な旅を手配してくれている旅情中国の〇さんに中国人のツアーに入ることを勧められ、中国人のツアーに入ることにした。上海駐在員時代に中国の会社の社内旅行で団体で中国人と旅をしたことを思い出し一抹の不安を覚えたが、たまにはこういうのも面白いだろうと開き直り出かけることにした。中国で4番目に大きいトングリ砂漠を中国人達と歩いてみるという旅に出た。■(2)トングリ砂漠ツアーの構成メンバー(大谷以外は全て中国人の総勢78人のグループ)(ドクター、カメラマン、コックを含む、30名、40名の2グループ、トラック1台、4WD車3台など記されているが、詳細は中略)■(3) 行程(4/29~5/7 詳細は中略)■(4) 行動の記録 2016・4・29 上海 今回は一人旅だが、砂漠では中国人の集団に入ることになる。また、後半は上海駐在員時代に住んでいた上海・青浦区のホテルでゆっくり過ごすことにしている。思えば中国勤務から帰任して8年の歳月が経っている。もし今年3月に会社を辞めていたらこのGWに中国に行くことはなかったであろうと思うと、これが中国へ行くのも最後かもしれないと思ったりもした。(中略) やりたいことは、何事も後回しせずに、できるチャンスがあるときに実行しておかないと後悔することになると思いながら日本を出発した。(大きく中略) 2016・4・30 銀川 トングリ砂漠は内モンゴル自治区だが、銀川は寧夏回族自治区になる。 (中略) 朝7時過ぎに食堂に行くと混雑している。よく見ると、これから砂漠に行くような格好をしている人ばかりだ。若い人が多いし女性も多い。トングリ砂漠は人気で砂漠ツアーは流行っているのかもしれないと思った。中国人は自然よりも人工物が好きだと思っていたが、最近変わってきたのであろうか。 10時にこのホテルのチェックアウトを済ますと、温さんが隣のホテルから迎えに来てくれた。隣のホテルへ移動すべく温さんと隣のホテルへ行ってみるが、何と隣のでは日本人を泊められないらしい。日本人だけが泊められないのか外国人全てなのかよく分からないが、これもよくあることである。結局、元のホテルに戻った。 (中略) 人民広場は地図を見て予想したより遠かった。やっと人民広場に着くと、人民広場の広さをまず漢字たが驚くべきことに毛沢東の像が立っていない。寧夏回族自治区の回族のリーダーと毛沢東が握手する像が立っているのではないかと予想していたが、ただ広い広場では凧揚げをしている人がいるだけだった。 人民広場は面白くなかったが、近くに博物館を発見。博物館で勉強することにした。入場は無料で、区の中心に位置する大きな規模の博物館では無料というのも珍しい気がした。歴史に関する部分を中心に見学。やはり黄河流域のこの辺りの歴史は古く、動物等の絵が刻まれた岩や石等の展示、土偶のような写真の展示が印象的だった。漢の時代のものも目立ったが、項羽と劉邦の時代は新しいと言わざるを得ない。『中国、モンゴルの砂漠を訪ねて』1:タクラマカン砂漠
2024.02.23
コメント(0)
図書館で「中国 人口減少の真実」という本を手にしたのです。この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。【中国 人口減少の真実】 村山宏著、日本経済新聞出版社、2020年刊<「BOOK」データベース>より13億か14億か、正確な数字さえ分からない中国の人口。だが、確実なのは人口が減少することだ。家族のあり方、個人の生き方、都市生活事情から、経済問題、社会保障、対外関係まで、人々の日常を伝えるニュースを手がかりに、人口減少問題に直面する中国社会のいまを活写し、人口減少後を展望する。<読む前の大使寸評>この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。rakuten中国 人口減少の真実「第5章 中国の対外膨張はどこへ」で、中国の爆食を、見てみましょう。p195~199<1 世界を食べ尽くす:中国の爆食に警戒する各国> アルゼンチンの沿岸警備隊は15日、アルゼンチン政府の公式サイトに声明を発表した。撃沈された中国漁船は「魯煙遠漁010号」であり、プエルトマドリン沖合の排他的経済水域で違法操業していた。沿岸警備隊は無線を使ってスペイン語と英語で警告を発し、さらに音声と信号弾でこの船と連絡を取ろうとしたが、異なる周波数で送り続けた警備隊の信号に対して船は応答せず、漁撈用の明かりを消し、公海に逃走しようとした。 警備隊は数発の威嚇射撃をしたが、漁船の航行を阻止できなかった。当該漁船は警備隊の捜査船に何度も衝突を試みたため、漁船の複数個所への発砲を命じた。漁船が沈没を始めてから船長は船を停止し、船員は船を捨てて海に飛び込んだ。警備隊は船長と3人の船員を救出し、その他の28人の船員は付近の中国漁船に救われた。(2016年3月17日、環球時報「中国漁船沈没事件の徹底解明を求める 違法操業が焦点に」から抜粋) 中国漁船が世界中の海域で漁をしているのはよく知られている。多くの中国の漁船が北海道沖の公海にも表れ、サンマ漁をしている。記事ではアルゼンチンの沿岸警備隊が排他的経済水域内で違法操業していた中国漁船を撃沈させたことを伝えている。 漁業をめぐって中国とアルゼンチンのトラブルはその後も絶えず、2018年2月にアルゼンチンの沿岸警備隊が中国漁船に機銃掃射した事件が起きた。2019年3月にも同様に警備隊が中国漁船に射撃している。韓国と中国漁船のトラブルも度々伝えられている。■海産物をめぐって衝突 中国漁船が他国の排他的経済水域にまで侵入するのは、中国近海の魚を獲り尽くし、遠洋に出るしかなくなったからだ。14億人の胃袋を満足させるには国内供給だけでは難しく、海外で大量の食糧を調達することになる。こうした中国の行動は暴食、あるいは爆買と呼ばれて恐れられてきた。 国連食糧農業機関(FAO)のデータによると、中国の養殖業の2016年の生産高は4924万トンと、世界全体の61.5%を占める。これだけの養殖をしても国内の需要をまかなえないのだ。中国の海洋漁獲高は2016年に1525万トンと世界全体の19%を占め、日本の317万トンの5倍になった。 中国水産流通・加工協会の崔和会長がメディアに語ったところによると、2019年の中国のエビ輸入量は80万トンに上る見通しで、世界最大の米国を上回るという。2018年の米国の輸入は69万7200トンだった。中国の2018年のエビ生産高は140万トン(漁獲の10万トンを含む)で世界最大規模なのだが、19年の国内消費は220万トンの見通しで、大幅に不足している。 農業も事情はまったく同じだ。中国政府によれば、2018年の穀物生産高は約6億1000万トン、輸出は254万トンだった。一方、輸入は2050万トンだが、とりわけ大麦(飼料やビールの原料)の881万トンの輸入が目立った。穀物意外では大豆の輸入が8803万トンと量が多い。 これは中国政府が農業生産で作物の選択と集中を強め、穀物を優先しているからだ。豆類の2018年の国内生産は1920万トンにとどまる。中国は基本的に穀物の自給を維持し、穀物以外の農産物については海外からの輸入でしのぐ考えだ。ウーム 漁獲・穀物に関する中国の基本的戦略は「やらずぶったくり」のようですね。まったく中国人の性が現れていると言うしかないのだ。『中国 人口減少の真実』1:はじめに
2024.02.22
コメント(0)
図書館で「中国 人口減少の真実」という本を手にしたのです。この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。【中国 人口減少の真実】 村山宏著、日本経済新聞出版社、2020年刊<「BOOK」データベース>より13億か14億か、正確な数字さえ分からない中国の人口。だが、確実なのは人口が減少することだ。家族のあり方、個人の生き方、都市生活事情から、経済問題、社会保障、対外関係まで、人々の日常を伝えるニュースを手がかりに、人口減少問題に直面する中国社会のいまを活写し、人口減少後を展望する。<読む前の大使寸評>この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。rakuten中国 人口減少の真実まず「はじめに」を、見てみましょう。p3~7<はじめに> 今、東アジアに住む我々は世界史的な大転換を目のあたりにしようとしている。世界最大の人口大国、中国がまもなく人口減少に転じるのだ。過去数百年間、中国は最大の人口を擁してきたが、1位の座を10年以内にインドへと譲る。140億人といわれる人口は中国経済の成長の源であり、世界へと膨張する軍事力の礎でもあった。その巨大な人口が減少に転じるとき、何が起きつつあるのか、そして何が起きようとしているのか。 長く我々は21世紀がアジア太平洋の時代だと唱え、中国という巨大な龍が天に向かって登る様をイメージしてきた。太平洋をまたいで中国と米国が時に手を握り、時にぶつかり合ってもきた。やがて経済力で米中逆転が起き、米国に代わって中国の影響力が世界を覆うかもしれないと予測してきた。16世紀から優位を保ってきた西洋文明が退潮し、東洋文明が取って代わる。そんな21世紀のイメージを描く者も多かった。 目の前に迫った中国の人口減少を前に、再び問いたい。このシナリオは正しかったのか、と。人口減少時代を迎えても、中国はこれまで通り力強い膨張を続けるのか、と。中国を人口で上回るインドはどこまで世界を引っ張る存在になるのだろうか。21世紀後半は太平洋からインド洋の時代になるのだろうか。こうした疑問に答えるためにも、まずは中国の変化に目を凝らしたい。人口大陸、中国は今どうなっているのか。 ところが、中国の人口は謎に満ちている。14億人といわれる人口だが、正確な数字は誰一人知らないのだ。13億人という者もいれば、とうに14億人を超えたという者もいる。人口減少が始まる時期についても、中国政府、国連、シンクタンク、学者と意見は分かれる。いや、すでに人口減少に突入したという論者すらいる。中国の人口について真実を突き止めることは不可能に近い。 ならば人口数の把握をいったんわきに置き、現在進行中の出来事から人口減少時代を展望するしかない。一人っ子政策の是非や人口ボーナスの終焉などこれまで論じられることの多かった話題だけでなく、もっと広い観点から人口動態の変化を探りたい。 たとえば肥満児急増、あるいは集まらない兵士、そして終わらない住宅バブル・・・。一見、人口問題と関係なさそうな中国のニュース、事件を取り上げ、人口の視点から切って整理し、背景を読み解いてみたい。これが本書を執筆した目的だ。「事実」から物事を考えるジャーナリズムの手法を使って中国の人口問題を読み解いていきたい。こうした野心をもって企画した本書だが、たちまち壁にぶつかった。新聞記者である私は中国から取材ビザを取得しなければ取材をすることは禁じられている。このままでは事実に深くは迫ることができない。そこで取った手法が中国のジャーナリズムの成果を利用させていただくことだ。 中国の新聞や雑誌、ネットに載ったニュースを手がかりに、今起きている出来事をつかもうと考えた。本書では中国のメディアからピックアップしたニュースを提示し、その後に背景を考える手法を採用した。もちろん、丸写しはできない。記事の一部分を選び、抄訳する形にした。ニュースを通じて中国の現実を生き生きと再現し、そこから人口問題を考えていく体裁をとった。(大きく中略) 本書が現代中国を理解するための何かしらの手助けになれば本望だ。多くの方がそれぞれの手法で中国の人口問題にアプローチするようになれば、謎に満ちた中国の人口問題についても真実に近い姿が見えてくるだろう。 中国の人口減少が何を引き起こすのか。私自身も自問自答を繰り返しながら中国の変化をじっくりと見届けていきたい。
2024.02.22
コメント(0)
図書館で「中国、モンゴルの砂漠を訪ねて」という本を手にしたのです。当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。【中国、モンゴルの砂漠を訪ねて】 大谷和男著、風詠社、2020年刊<「BOOK」データベース>より砂漠には人を惹きつける不思議な魅力がある。高さ500m超の砂山、彼方まで続く地平線、砂の世界に浮かぶ湖、満天の星、美しい日の出、動物が描かれた岩絵…。バダインジャランの雄大な自然に魅せられ通い続けた砂漠歩きの記録。<読む前の大使寸評>当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。rakuten中国、モンゴルの砂漠を訪ねてまず「Ⅰ章」で、タクラマカン砂漠を、見てみましょう。p10~11<1 タクラマカン砂漠(2015年)>■1 はじめに タクラマカン砂漠を探検することになった。昨年の11月に行われた大谷が所属する深谷山岳会創立50周年記念パーティーで内海氏に再会したことがきっかけである。内海氏は2009年に企画した埼玉県岳連ガンシェンカ雪峰遠征メンバーで、タクラマカン砂漠へ行くことに強い意欲を持っていた。また、標高の高いところだけに拘らない考えを持った人々であり、探検を志す自分とは考えも近い人である。 内海氏の強い意思を尊重し、タクラマカン砂漠の計画を立てることにした。本当は、椎名誠の『砂の海』(2000年)のように楼欄を目指したかったが、軍事基地があり立ち入り禁止区域となっており、立ち入りが許される西部のホータン(和田)を基点にケリヤ川沿いに入り視察することにした。この地帯の参考文献としては、法政大学・岳真也の『タクラマカン砂漠漂流記』(1993年)がある。 我々が入った最奥の達里雅布依(ダリヤブイ)郷は、後で気付いたのだが、スヴェン・ヘディンが1896年にガイドから聞いたということがきっかけとなって発見されたケリヤ人の集落のあるところだった。 彼らはウイグル族とも違うらしい。旅をしているときは気付かなかったが、ケリヤ人の存在に気付き振り返ってみると、確かに不思議な世界だったと思う。一体、ケリヤ人とは何者なのであろうか? ケリヤ人の領域ではない部分では、新疆ウイグル自治区は初めてではなかったが、中国とは思えない世界を改めて感じた。今回は「外国人に厳しく、思うように行動できなかった」の一言に尽きる。その詳しい行動報告を記す。 今回、この報告書の執筆が仕事の都合で遅れてしまったが、そのおかげで執筆中のこの旅を終えて5カ月ほど経ったとき、中国にスパイ容疑で拘束されている日本人がいるというニュースを聞いた。我々が旅をしていた5月頃拘束されたという。外国人の活動に神経をとがらせる中国当局ということらしい。 参考までにネット上で見つけた記事では以下のような分析があった。共産党関係者は「中国が情報公開に向けて一歩前進したのではない。むしろ逆で、習近平政権が国民に対し「外国人は怖い」というイメージを植え付けようとしている」と分析した。習政権は、民族主義をあおり、日本をたたくことで求心力を維持してきた経緯がある。当初は尖閣問題、次は靖国参拝と反日カードを続々切り出してきた。抗日戦勝70年行事が終了し、中国当局は“スパイ事件”を新たな反日の材料にしようとした可能性もある。この本が発刊された2020年当時の習近平政権の怖さはこの程度だったのか・・・今の日本人拘束者は生きて帰ることは難しいのでは?(オイ、オイ)
2024.02.21
コメント(0)
ガザ地区南部では、イスラエル軍により、市民を巻き込むテロリスト掃討作戦が始まろうとしているが・・・・歴史を省りみると、中東地域の国境線の引き方が極めて欺瞞的であったわけで、以下の本を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************<『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』3>図書館で『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これが借りる決め手になったのです。【サイクス=ピコ協定 百年の呪縛】池内恵著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より百年前の「秘密協定」は、本当に諸悪の根源なのか?いまや中東の地は、ヨーロッパへ世界へと難民、テロを拡散する「蓋のないパンドラの箱」と化している。1916年、英・仏の協定によって地図の上に無理やり引かれた国境線こそが、その混乱を運命づけたとする説が今日では専らだ。しかし、中東の歴史と現実、複雑な国家間の関係を深く知らなければ、決して正解には至れない。危機の本質を捉える緊急出版!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、おお「アラビアのロレンス」にも触れているではないか・・・これがかりる決め手になったのです。rakutenサイクス=ピコ協定 百年の呪縛協定区域地図の上に無理やり引かれた国境線こそが諸悪の根源だともっぱら言われるが、果して?p19~21<第1章 サイクス=ピコ協定とは何だったのか>■分かった気にさせるマジックワード「結局、サイクス=ピコ協定が諸悪の根源だ」 近頃、こういったフレーズをよく聞くようになった。中東の混迷の原因は何なのか。一帯誰が悪いのか。誰もが自然に思い浮かべる素朴な義憤に、単純明快な答えを見つけたような気にさせてくれる万能のマジックワードが「サイクス=ピコ協定」である。 要するに、中東の混乱の原因は、イギリスとフランスが、サイクス=ピコ協定によってアラブ世界に不自然な国境線を引いたからである。だからシリアやイラクなど、民族や宗派が違う人々が同じ国に住まされて、まとまりがなく、争いが絶えないのである…云々。にわか仕込みのテレビ・コメンテーターなどが急にこの言葉を用いるようになった。 確かに、こう言ってしまいたくなる気持ちは分かる。「アラブの春」以来、中東情勢の混迷は一向に収束する気配がない。「イスラーム国」が行なって誇示する処刑やテロなどの蛮行の数々は、一般的な感覚からは到底理解が不可能だろう。何か一つのキーワードで「要するに…」と大雑把にまとめてしまってスッキリしたい、という気持ちは分からないでもない。 そして、実際に「サイクス=ピコ協定」は重要な文書である。現在の中東の成り立ちの、ある根本的な部分を基礎づけている。確かにサイクス=ピコ協定は「悪い」。帝国主義・植民地主義の時代にイギリスやフランスやロシアなど「西欧列強」が、そして冷戦時代はアメリカとソビエト連邦など超大国が、中東に介入し、影響力を競ったことで、どれだけ大きな混乱が、戦争の惨禍が、中東を襲ってきたことか。 しかし同時に、「サイクス=ピコ協定が悪い」と言っているだけでは、現実を理解するという意味でも、将来を見通すという意味でも、そして解決策を見出すという意味でも、先に進めない。 これは東アジアに置き換えて考えてみれば少し分かりやすくなるかもしれない。例えば、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発の問題について、「そもそも日本が朝鮮半島で帝国主義・植民地支配をしたから悪い」とだけ言い続ければどうなるだろうか。日本が植民地支配をした挙句、太平洋戦争で敗れて朝鮮半島から撤退したから、朝鮮半島は米ソ冷戦の最前線となって、南北に国家は分断された。 いつ戦争が再開されてもおかしくない緊張状態が続き、北朝鮮は独裁化し、核兵器やミサイルを開発して威嚇する。悪いのは日本の植民地支配だ…と主張したら、どうだろうか。確かに、日本が朝鮮半島を併合して支配していなければ、朝鮮半島は今のような状態にはなっていないかもしれない。おそらく、現在の朝鮮半島の政治情勢に、日本のかつての植民地支配は、多くの日本人が現在意識しているよりももっと大きく影響を及ぼしているだろう。 しかし植民地主義の時代から現代までの間には長い時間が経っており、その間の、より大きな影響を与えた多くの出来事が生じている。もし日本による統治の時代がなければ、もちろん朝鮮半島の歴史は大きく変わっていただろうが、日本の統治下に入る以外の可能性がどれだけあったかとというところが定かでなく、しかも別の可能性がよりましなものであったとも言えない。ロシアや中国に併合されて、現在独立国でいることができなかったかもしれない。それを現在の南北朝鮮の国民の感覚からは、到底受け入れられないだろう。 さらに言えば、現在の朝鮮半島の国家や国際関係が抱える問題に日本が責任がある、ということであれば、「日本が責任を取ってもう一度朝鮮半島に介入して今度はきちんと問題を解決するべきだ」ということにもなりかねない。もちろん、そんなことを現在の日本で本気で主張して実行しようとする人は皆無に近いだろうし、朝鮮半島の民族も決して求めないことだろう。 同じように、「結局、サイクス=ピコ協定が悪いのだ」という議論も、中東の歴史を方向づけた非常に重要な歴史の事象に触れているのだが、それだけでは現在の中東を読み解き、将来を展望するのに十分ではない。『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』1:アラビアのロレンス『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』2:20世紀は難民の世紀『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』3:分かった気にさせるマジックワード
2024.02.21
コメント(0)
今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「中国」でしょうか♪<市立図書館>・ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか・中国、モンゴルの砂漠を訪ねて・中国 人口減少の真実・ざんねんな食べ物事典<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか】熊谷徹著、青春出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より世界一便利な日本で「ゆとり」を感じられないのはなぜ?ドイツ流・お金に振り回されない生き方。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか【中国、モンゴルの砂漠を訪ねて】 大谷和男著、風詠社、2020年刊<「BOOK」データベース>より砂漠には人を惹きつける不思議な魅力がある。高さ500m超の砂山、彼方まで続く地平線、砂の世界に浮かぶ湖、満天の星、美しい日の出、動物が描かれた岩絵…。バダインジャランの雄大な自然に魅せられ通い続けた砂漠歩きの記録。<読む前の大使寸評>砂漠は私のツボでもあるし、カラー画像も多いので、チョイスしたのです。rakuten中国、モンゴルの砂漠を訪ねて【中国 人口減少の真実】 村山宏著、日本経済新聞出版社、2020年刊<「BOOK」データベース>より13億か14億か、正確な数字さえ分からない中国の人口。だが、確実なのは人口が減少することだ。家族のあり方、個人の生き方、都市生活事情から、経済問題、社会保障、対外関係まで、人々の日常を伝えるニュースを手がかりに、人口減少問題に直面する中国社会のいまを活写し、人口減少後を展望する。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten中国 人口減少の真実【ざんねんな食べ物事典】東海林さだお著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>よりおいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!<読む前の大使寸評>おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakutenざんねんな食べ物事典
2024.02.20
コメント(0)
『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在2位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在245位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在152位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在74位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在60位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在234位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在22位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在17位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在78位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在60位・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、副本?、予約20)現在2位・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、副本?、予約2)現在2位・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、副本?、予約?)貸出可能<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『神と黒蟹県』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・世にもあいまいなことばの秘密・ウマは走るヒトはコケる<予約分受取:11/23以降> ・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、11/23受取)・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/22受取予定)**********************************************************************【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/15予約、2/22受取予定)>rakuten翻訳夜話【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.02.20
コメント(0)
ネット巡っていたら、『ベストセラーズインタビュー』シリーズで『bestseller's interview 第77回 絲山秋子さん』というのに出くわしたのです。おお 絲山秋子さんってか・・・これはいけてるかも♪ *********************************************************『bestseller's interview 第77回 絲山秋子さん』より■出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』! 第77回となる今回のゲストは、昨年12月に新刊『薄情』(新潮社/刊)を刊行した絲山秋子さんです。 『薄情』の舞台となっているのは群馬県高崎市。その地での暮らしぶりや季節の移り変わりが丹念に描かれていくなかで、地方都市に暮らす人ならではの葛藤が浮き彫りになっていきます。「暮らし続ける人」、「戻ってきた人」、「移住してきた人」、同じ場所で暮らしながらそれぞれ異なった背景を持つ登場人物たちの出会いと再会の後に起きた出来事とは? この作品の成り立ちについて、絲山さんにたっぷり語っていただきました。 ■Interview Index1.「余所者」には「良い」か「悪い」かしかない2. 「無理に先を書こうとしてもうまくいかない。でも、待っていると 『今だ!』という瞬間がやってくる」3.絲山作品は「あらすじを追わない」方が楽しく読める?4. 取材後記■「余所者」には「良い」か「悪い」かしかない ― 絲山さんの新刊『薄情』は、群馬県の高崎市を舞台にした、いわば「土地」に根を張った作品です。まずは、この小説がどのように着想されたのかというところからお聞きしたいのですが、やはりご自身がこの地で暮らしているということが大きいのでしょうか。著者近影絲山: もちろん、自分が住んでいるからというのはあります。これまで、小説の中であちこちの地方都市を書いてきたのですが、多くは「余所からその土地に来た人」の話でした。ただ、群馬に関しては実際に家を建てて暮らしていて、町内会の活動にも参加しています。方言で話しますし、知人も増えましたしね。それもあって、私自身は東京出身なのですが、群馬を舞台にするのであれば「その土地で生まれ育ってずっと暮らしている人」のことも書けるのではないかというのがありました。前に書いた『ばかもの』も高崎が舞台でしたが、『薄情』はそれをもう一歩進めた形で書きたいという気持ちでしたね。― 「土地」ということでいうと、「生まれてからずっとその土地の中にいた人」と、主人公の宇田川や蜂須賀のように「一度出てから戻ってきた人」、鹿谷さんのように「外からきた人」が作中に登場しますが、それぞれ土地との距離感が違っていて面白かったです。絲山: 自分自身、高崎には会社員時代に2年いて、その後で住みついたのですが、アパート暮らしの時と、家を建ててからでは周りの人との親密度が変わったように感じます。余所者かどうかということでいえば、この先もずっと余所者なのでしょうが、それでも少しずつその土地だとか土地の人との距離感は変わってくるものだと思います。同じように、生まれた時からその土地にいる人でも、家族が代々そこに住んでいるという人と、親の代で移り住んできた人とでは、ものの見方にしても故郷の捉え方にしても少しずつ違ってくるはずです。― 群馬といえば、その「田舎」ぶりがインターネット上でネタにされていたり……絲山: 群馬の人ってそれを知っていて笑いのネタとして、自虐的に話すんですよね。本当は群馬が好きなのにわざわざ自虐に走ってしまう。「未開の地 群馬」と言われたりしますけど、そういうことでも、話題として楽しんだりします。この小説では、そういう群馬の人の気質も含めて、他の人が書いていない群馬の話を書きたいと思っていました。― 東京との距離が絶妙ですよね。遠いは遠いですが、地方とまではいきませんし。絲山: 方言にしても、イントネーションは東京と同じで、昔の「江戸っ子」の言葉に近いんです。「おまえ」が「おめえ」だったり、「はいった」が「へえった」だったり、落語みたいに聞こえるかもしれません。― ただ、宇田川は登場人物の中でもはっきりと東京との距離を感じていますね。絲山: 宇田川もそうですが、群馬は「地元意識」が強い人が多いと思います。そこは埼玉の人との違いかもしれません。埼玉の場合、東京に通勤していたりするので、独自の地元意識はあまりないという人が多いのですが、群馬は地域によって特色が違いつつも全体で「俺たちは群馬」という意識があります。おもしろいのは、群馬の人は東京のことを「都内」って言うんですよ。おそらく無意識に使っているのだと思いますが、群馬は東京の外側なんだから「今日は東京で仕事」でいいはずなのに「今日は都内で仕事」と言う。でも埼玉や長野のことは「他県」と言うんです(笑)。だから埼玉を飛び越えて東京に親近感を持っているんだと思います。以前、この『薄情』を読んでいて群馬弁に驚いたものです。・・・なんか名古屋弁もハダシで逃げそうだがや。だけど、絲山さんは群馬弁どころか、フランス語も操るところろがスゴイ♪【薄情】絲山秋子著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入りを避け日々をやり過ごしてきた。だが、高校時代の後輩女子・蜂須賀との再会や、東京から移住した木工職人・鹿谷さんらとの交流を通し、かれは次第に考えを改めていく。そしてある日、決定的な事件が起きー。季節の移り変わりとともに揺れ動く内面。社会の本質に迫る。滋味豊かな長編小説。<読む前の大使寸評>この新作は、2016年の谷崎潤一郎賞受賞とのこと。絲山秋子ミニブームの勢いで、読んでみるか♪<図書館予約:(10/31予約済み、副本11、予約3)>rakuten薄情文章作成におけるアイデアが述べられているので、メモしたのです。― 推敲のポイントなどがあればという質問も来ています。絲山: これはプリントアウトですね。パソコンのモニタで読むと客観的になりにくいですし、文字も見づらいので、私もゲラを読む時はプリントアウトしたものに手書き赤を入れています。それと、書き終わったらその内容を一度忘れることも大事なので、一日でも二日でもいいので、書いた文章のことを積極的に忘れるように心がけてみるといいと思います。読み返した時に他人の文章を読んでいるような感覚になるのが理想ですね。― ちなみに、ゲラにはたくさん手を入れるタイプですか?絲山: ものすごく手を入れるタイプです。初稿もそうですし、単行本になる時もかなり直します。「宇田川は車を運転したい」と「車を宇田川は運転したい」のように、言葉の順番が違うだけで読んだ印象が全く変わってしまうので、ものすごく注意していますし、いじくり回します。こういうことも、書いた後に一度忘れるようにしているからできるんです。― 最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いいたします。絲山: 私は実在する人物と、小説に登場する架空の人物を分けて考えません。たとえば、実在する人でも、友達の家族だと話は聞いても会うことがなかったりするわけで、登場人物たちについてもそのくらいの感じに捉えています。『薄情』に出てくる登場人物にモデルはいませんが、「絲山の友達」とか「自分の友達の友達」とか、そのくらい身近に思っていただけたらありがたいです。それと、小説を読む時は「あらすじ」を無理に追わない方が味わいやすかったり、楽かもしれませんよ、ということも伝えたいですね。特に私の小説はあらすじを無理に追わない方が楽しく読めるのではないかと思います。
2024.02.19
コメント(0)
図書館で「校閲記者の日本語真検勝負」という本を手にしたのです。本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。【校閲記者の日本語真検勝負】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より「紙面上は何も生み出していない部」が生み出した言葉の雑学ブック。【目次】序章 新聞社の校閲部ーその仕事と覚悟と思い/第1章 気になる表現/第2章 語源が意外な言葉/第3章 似て非なる言葉/第4章 新語、使われ方が変化した言葉/第5章 正しい?間違い?/第6章 多様、奥深い、微妙な言葉/第7章 悩ましい読み方<読む前の大使寸評>本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。rakuten校閲記者の日本語真検勝負「第5章 正しい?間違い?」で、日本語の難問が述べられているので、見てみましょう。p126<じ・ぢ・ず・づ> 次の漢字の読み仮名を付けてください。①縮む②著しい③鼻血④身近⑤小遣い⑥稲妻⑦融通⑧地震 答えは①ちぢ②いちじる③はなぢ④みぢか⑤こづかい⑥いなずま⑦ゆうずう⑧じしん、です。読み方の書き表し方を問題にしたかったのですが、「じ・ぢ・ず・づ」で迷いませんでしたか。 新聞の仮名遣いは、原則として、1986年の「改定現代仮名遣い」という内閣告示に基づいていて、発音通り「じ・ず」で書くのが建前です。でも例外もあり、名前などは表記習慣で「ぢ・づ」で書く場合もあります。先ほどの問題で考えてみましょう。 まず「ぢ・づ」と書く例。同音の連呼で生じたもので①や「つづく・つづる」などが当てはまりますが、②はこれの例外です。 次に二語の連合で生じたもの。③④⑤のほか、「こぢんまり」などが挙げられます。一方、解釈は難しいのですが、二語に分解しにくい⑥⑦や「うなづく・ひざまづく、杯」、⑧のように、漢字の音読みでもともと濁るものなどは「じ・ず」で表記します。ウーム パソコンでタイプするときにこの種の「じ・ず」で混乱することがあるけれど、なにかよく分からんでえ。『校閲記者の日本語真検勝負』3:新聞の表記『校閲記者の日本語真検勝負』2:難民と移民『校閲記者の日本語真検勝負』1:校閲部の仕事とは
2024.02.19
コメント(0)
早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。ウェザーニュースによれば、気象庁は今日2月15日(木)に関東地方で「春一番」が吹いたと発表しました。昨年(2023年)の3月1日よりも2週間早い春の便りとのことで・・・なんか気候が荒々しく感じられる昨今です。来週1週間は神戸は雨とのことだそうで、困るがな。春一番【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、雨水のあたりを見てみましょう。和暦p8<雨水>農耕の準備を始める時期の目安とされる節季 雨水は現行の暦(太陽暦)では、2月19~20日ころから啓蟄(3月6日ころ)に入る前日までの期となる。節分から12日目が雨水の初日にあたる。 雨水の時期になると、それまで空から降るモノは雪だったが、このころから雨に変わることが多くなり、雪氷が溶け始め草木の芽吹きも始まるようになる。これが「雨水」の名前の由来となっている。 ただし雨水に入るころは、関東地区ではいちばん雪の降る時期でもある。二十四節季は中国の気候を基に作られた暦のひとつのため、実際の気候とのズレがあった。 以上のように、雪が雨に変わり、寒さも和らいでくる「雨水」は、長い間、農耕の準備を始める目安とされてきた。実際の気温も、「三寒四温」の言葉通り、3日寒い日が続くと4日暖かい日となり、日々「水温む」が実感できる気候となる。 立春後、初めての南からの風(春一番)が吹くのもこのころだ。やや強い風だが、冬の北からの空っ風と異なり、暖かさが感じられる風である。春本番がすぐそこまで来ていることを知らせる春一番は、春を待ち望む待春の心を最も強く表現した言葉だろう。ちなみに西洋占星術では、雨水を迎える日は魚座に入る日となっている。 この時期の七十二候は、次の通り。 初候 「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」雨が降って土が湿り気を含む。 次候 「霞始靆(かすみがはじめてたなびく)」霞がたなびき始める。 末候 「草木萌動(そうもくめばえいずる)」草木が芽吹き始める。 春雨に霞がかたむき、草萌えるころ二十四節季の立春に注目(復刻3)二十四節季の立春に注目(復刻2)二十四節季の大寒に注目(復刻)
2024.02.18
コメント(0)
「だから、私は平野レミ」というNHK番組を観たのだが・・・良かったので、NHK+で再度覗いてみたのです。*********************************************************NHK<だから、私は平野レミ>より予定調和なしの奔放なトーク、「食べればギョーザ」などの時短レシピの数々。「シェフではなくシュフ」を自称する料理愛好家・平野レミとは何者なのか?読み解くカギは、幼い頃「レミ」と呼ばれていた父が書き溜めた50年分の日記だ。平野レミの若き日の挫折の日々や、夫・和田誠との運命の出会い、そして初めて明かされる胸の内―彼女の料理スタイルには確固たる信念があった。誰も知らない「素顔の平野レミ」を知る43分。この放送をNHK+で観ながら、以下のとおりメモしました。■兄弟の食事用にレミが自己流料理を作って、その腕を上げたという。■「学校やめたい」と父に告げたら、即「やめろ!」と返事があったそうで、「そのかわり、好きなことを徹底的にやれ」と言われ、シャンソンの訓練に勤しんだとのこと。■和田誠氏と電撃的に結婚した時、父は「我が家は救われた」と言ったそうで・・・豪快で優しい父子である。■レミさんの料理を和田さんが旨い旨いとほめてくれたが、レミさんは料理学校に行ったこともなくて・・・人が喜ぶ家庭料理を作りたかったとのこと。■NHKの料理番組に出演するようになって、レミ風トマト炒めを作る際、トマトを手で揉みつぶして・・・「下品」との視聴者コメントがあったが、トマト炒めだと、切るよりつぶす方が味がいいと言い返したそうです。■だから、野菜の太い茎の部分は食器で叩きつぶすんだろうね・・・豪傑やで♪*********************************************************ウーム、アイノコの待遇改善に奔走した父であるが・・・この父にしてこの子ありというか、やはり天才的な血筋が成せるワザなんでしょうね♪NHK「平野レミの早わざレシピ!」もお奨めです。
2024.02.18
コメント(0)
16日に植村直己冒険賞の受賞者4名が発表されたが、高野秀行さんも含まれていた。これまで彼の著作をフォローしてきたが、冒険家の資質はもちろんで、多角的な好奇心が向かう視点がええでぇ♪・・・ということで、山と渓谷オンラインから速報を紹介します。*********************************************************2023年の植村直己冒険賞は2組4人により創造的な冒険・探検に贈られる植村直己冒険賞(兵庫県豊岡市主催)。2023年は異例の2組4人の受賞となった。受賞者は、イラクのティグリス川、ユーフラテス川が作り出した巨大な湿原地帯「アフワール」を探検した山田高司さん(65)、高野秀行さん(57)の2人と、深さ400m以上というアンナプルナ山群の大渓谷「セティ・ゴルジュ」を探検した田中彰さん(51)と大西良治さん(46)の2人。2月16日に東京都内で行なわれた記者発表で、選考委員の関野吉晴さんは「セティ・ゴルジュ、アフワールのどちらかを落としてしまうと悔いが残る。選考の議論はいつもの倍かけ、2組4人が受賞ということに決まった」と経緯を振り返りながら、優劣つけがたい2つの探検の価値を強調した。左から大西良治さんと田中彰さん、山田高司さんと高野秀行さん探検家で環境活動家の山田さん、ノンフィクション作家の高野さんは2018年から6年間、4度にわたって四国に匹敵するという広大なイラクの湿地帯を踏査。伝統的な舟「タラーデ」やカヌーを使って、水牛を飼いながら葦で作った家に暮らし、古代シュメールとほとんど変わらない生活をしている人たちに出会った。そうした中で、世界的にコレクターが珍重する「マーシュアラブ布」(現地では「アザール」)という布のルーツを探りあて、この湿地帯を中心とした文化構造に迫っていく。この探検は『イラク水滸伝』(文藝春秋)にまとめられており、歴史学、地政学、民族問題、環境問題など多角的な視点でアフワールにアプローチしている。広大なイラクの湿地帯を踏査した紀行『イラク水滸伝』を図書館に予約しているのだがなかなか巡ってこないので、オアズケ状態で待っています。【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>この本を図書館に予約しているのだがなかなか巡ってこないので、オアズケ状態で待っています。<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>現在80位rakutenイラク水滸伝
2024.02.17
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その65):「箱根の温泉で感じた中国のリアル」を追記2024-02-12箱根の温泉で感じた中国のリアルより 少し前に凱風館にも20人ほど中国からのお客さんを迎えた。引率された毛丹青先生に「この人たち、どういう方なんですか?」と訊いたら、「ビジネスで成功して、もう働く必要がなくなったので悠々自適の生活をしている人たち」だと教えられた。年代は30代から50代。功成り名遂げた中国のお金持ちたちである。アメリカなら、フロリダに屋敷を買って、ゴルフをしたりセーリングをしたり毎晩パーティをしたりして過ごすのが定番だけれど、中国の富豪たちは一味違っていて、彼らの間では今哲学や宗教に対する関心が高まっている。それを求めて訪日したのだと聞いた。 たしかに、物質的な欲望が充足されたあとに「精神的な飢餓感」を覚えるということは理解できる。なにしろ中国では文化大革命で清朝以来の伝統的な施設は解体され、その後は北京五輪と上海万博で「古い中国」の痕跡はほぼ消え去ってしまったからである(北京の伝統的な胡同もその時に壊された)。今の中国人が「古い中国」への郷愁が兆した時にどこに行けばよいのか。 朝鮮半島にも「古い中国」はほとんど残っていない。朝鮮戦争の時に「山奥の寺院に敵兵がたてこもっている」という噂に煽られて、歴史的建造物が惜しげなく焼き払われた。だから、韓国で私が訪れたいくつかの寺院も、遠目からだと美しいが、近くにゆくとほとんどがコンクリート造りの「レプリカ」だった。ソウルにも平壌にも、もう李氏朝鮮時代の建物はほとんど何も残っていないと聞いた。 だから、中国の人たちが「古い中国」の郷愁を覚えた時に行く先は日本しかなくなったとしても不思議はない。たしかに日本には「古い中国」が残っている。宋や明や清の時代のものが日本列島に伝来して、いろいろなかたちで、そのままアーカイブされている。 箱根でも、中国からのお客さんたちもずいぶんリラックスしているように見えた。だって、部屋の床の間には漢詩の掛け軸や南宋画が掛かっているのである(私たちの定宿はロビーの壁に中国の馬だけを描いた巨大な画布がかかっていた)。それを見た時の彼らの安堵はいかばかりであろうか。2024-02-08 『本の本』あとがきよりこの本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。 僕は「ない」と思う。 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。2024-01-19 朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か?よりもちろん、スーパーマンだって「アイデンティティーの危機」には遭遇します。例えば、スーパーマンが活躍して悪人と戦うとき、巻き添えで市民が傷ついたりすることがあります。すると、その犠牲者の家族が「スーパーマンのバカ野郎。この人殺し」と罵ったりすることがある。つねに歓呼の声に迎えられることになれているスーパーマンは、その言葉に深く傷つき、アイデンティティーの危機を迎えて、鬱状態になります。でも、何かのはずみで再びヒーローとして活躍する機会に恵まれ、市民たちから「ありがとう」と感謝の言葉を浴びると、鬱から癒されて、もとのスーパーヒーローに戻る・・・こういう物語を僕たちは飽きるほど見せられてきました。 アメリカの「ヒーローもの」物語のパターンはすべて同じです。「ほんとうの自分に出会うと人間のパフォーマンスは爆発的に向上し、アイデンティティーが揺らぐと無力になる」。そういう話です。「別人になる」という解はないんです。 ときどき、鬱状態のヒーロー(ウルヴァリンとかランボーとか)が山の中とか外国のスラムとかに「隠棲」するというエピソードはありますけれども、それは「別人」になっているわけではなく、一時的に「偽名」を使っているだけで、そのうちに誰かが探しに来て、困難なミッションを託されて、再びヒーロー復活・・・という展開になるのです。必ず。 欧米型ヒーロー物語は「ほんとうの自分の発見」、ほとんどそれだけを中心に展開します。 でも、これまでの東アジア文化圏では、「ほんとうの自分の発見」ということはほとんど問題になったことがありません。さすがに今では欧米の影響で、そういう考え方をする人が増えてきましたけれども、これはせいぜい20世紀後半からの話です。 修行というのは、「連続的な自己刷新」のことですから、「ほんとうの自分」なんていうものはどこにもありません。昨日の自分と今日の自分は「もう別人」であるというのが修行のかんどころです。 教育論でもよく僕は「呉下の阿蒙」の話や、「名人伝」の紀昌の話を引きますけれど、どちらも「長い努力の末、昔の自分とは似ても似つかぬものになった人」の話です。それが東アジアでは「人格陶冶の正しい道」とみなされてきました。何よりたいせつなのは「今の自分」に居着かないことです。だとしたら「アイデンティティー」が問題になることはあり得ません。 修行は東アジアに固有の「自己陶冶」のあり方です。僕は武道修行を通じて、それを実践してきました。 釈先生は僕の武道に向かう態度やあるいはレヴィナス先生に仕える「弟子」の作法を見て、そこに「仏道修行に通じるもの」を感じて、「宗教の本領」という言葉を口にされたのではないかと思います。こんな説明でご理解頂けたでしょうか。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.02.17
コメント(0)
厳冬期のピークは過ぎたが、陽が暮れれば、冬の星座が見られるベストシーズンですね♪・・・ということで以下のとおり復刻してみます。*********************************************************昼間の雨が上がり、雲間から冬の星座が見られます♪この季節は、冬の大三角、オリオン座、おうし座、スバルなどが見られて・・・・一年中で一番豪華な夜空ではないでしょうか。ちなみに、私の誕生日は牡牛座にあたるので、牡牛座には思い入れがあるんですよ(さよか)おうし座を見つけようより牡牛座はオリオン座の右側に見られます。、赤く輝くのが牡牛の眼:アルデバランです。牡牛の肩あたりにスバルが見られます。清少納言が星はスバルと讃えていましたね♪おうし座ある日のこと。フェニキア王の娘エウロパはいつものように侍女達と海辺で花摘みを楽しんでいたのですが、そこにどこからともなく、大きな牡牛が現れました。雪のように白く美しいその牡牛は、静かにエウロパに近づいてきます。おとなしく人懐こい様子に気を許したエウロパは、躊躇する侍女達をよそに、牡牛に頬擦りをしたり花を飾ったりと戯れ始めました。…しかーし!これは牡牛の罠だったんですねー。おうし座図書館で「星と暮らす。」を借りたので、柄にもなく「冬の星座」を見る気になったわけですが・・・寒気到来で、寒いでぇ。雲がわいてきて星が隠れたので、また別の日に見ることにしましょう。【星と暮らす。】藤井旭著、誠文堂新光社、2012年刊<内容説明>より星空とともに風景をとらえた美しい星景写真をメインとして、星や星座と文明の歴史、暮らしとのかかわりを紹介します。占星術や星座神話に代表される星にまつわる文化、流星やほうき星、隕石など世界各地で古い記録が残る天文現象が当時の人達にあたえた影響、枕草子など文学作品に見る星空を思う人間の心、地動説から天動説、最新の天文学へと続く人類の星や宇宙への挑戦の歴史など、様々な観点から星と人の関わりを紹介し、現代の暮らしの中に星の存在を取り入れてより豊かに生きることを提案します。<大使寸評>天文学入門書としていいかも。時節柄、「冬の星座の見つけ方」から読み始めたのです。冬の大三角、オリオン座、おうし座、スバルなどが見られて・・・・一年中で一番豪華な夜空ではないでしょうか。Amazon星と暮らす。ところで、「冬の星座」といえば、まず思い浮かぶのはオリオン座でしょうね。Satoさんの「星座を見つけよう」からオリオン座を引用します。オリオン座を見つけようよりオリオン座自分の愛する人を殺してしまったアルテミスの悲しみは、たとえようもありません。この一部始終を見ていた神々の王ゼウスは、アルテミスを不憫に思い、オリオンを天に上げ星座にしました。それ以来アルテミスは、銀色の月の馬車に乗り、愛するオリオンに会うため夜空を巡っているのです。<誕生星座>星空の中で太陽の通り道を「黄道」とよび、その黄道上にあるのが黄道十二星座です。これが自分の誕生日と関係ある、いわゆる「誕生星座」とよばれ親しまれているものです。おひつじ座(牡羊座、Aries) おうし座(牡牛座、Taurus) ふたご座(双子座、Gemini) かに座(蟹座、Cancer) しし座(獅子座、Leo) おとめ座(乙女座、Virgo) てんびん座(天秤座、Libra) さそり座(蠍座、Scorpio) いて座(射手座、Sagittarius) やぎ座(山羊座、Capricornus) みずがめ座(水瓶座、Aquarius) うお座(魚座、Pisces) アルデバランとスバルの中間が黄道となっているので、このあたりに最近は木星が見られます。
2024.02.16
コメント(0)
『御社のチャラ男』を読んだところであるが、「新世紀最高“会社員”小説」を書き上げる筆力に驚いたのです。・・・ということで、絲山秋子ミニブームを以下のとおり改定しました。********************************************************* <絲山秋子ミニブームR10>図書館で絲山秋子さんの小説を『逃亡くそたわけ』、『ラジ&ピース』とたてつづけに借りて読んだが・・・良かったので、更に2冊借りたのです。これらの作品を通じて思うのだが、とにかく車の運転や転勤や方言のお話が多いわけで・・・・突き詰めると、ロードムービー風の東京コンプレックスあるいは漂泊願望の作家ではないかと思うのです。借りた本を(図書館予約中も含めて)、並べてみます。<小説>・まっとうな人生(2022年)・御社のチャラ男(2020年)・薄情 (2015年)・離陸 (2014年)・忘れられたワルツ(2013年)・末裔 (2011年)・不愉快な本の続編(2011年)・妻の超然(2010年)・北緯14度(2008年)・ラジ&ピース(2008年)・ばかもの(2008年)・イッツ・オンリー・トーク(2006年)・逃亡くそたわけ(2005年)<エッセイ>・絲的メイソウ(2009年)・絲的サバイバル(2009年)・豚キムチにジンクスはあるのか(2007年)R10:『御社のチャラ男』を追加【まっとうな人生】絲山秋子著、河出書房新社、2022年刊<「BOOK」データベース>より名古屋出身の「なごやん」と繰り広げた九州縦断の脱走劇から十数年後ー。富山県のひょんな場所でなごやんと再会した「花ちゃん」。夫のアキオちゃんと娘・佳音の成長を愛おしむ日々に、なごやん一家と遊ぶ楽しみが加わった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大でその生活が一変!!続々とやってくる不安の波に押しつぶされそうになりながら、花ちゃんが出会ったもうひとりの自分とは?富山県を舞台に『逃亡くそたわけ』の続編が幕を開ける!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenまっとうな人生【御社のチャラ男】 絲山秋子著、 講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。<読む前の大使寸評>絲山さんの「新世紀最高“会社員”小説」ってか・・・これは面白いはずではないか。<図書館予約:(1/27予約、副本?、予約?)>rakuten御社のチャラ男『御社のチャラ男』1:当社のチャラ男:岡野繁夫『御社のチャラ男』2:我が社のチャラ男:池田かな子【薄情】絲山秋子著、新潮社、2015年刊<「BOOK」データベース>より地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入りを避け日々をやり過ごしてきた。だが、高校時代の後輩女子・蜂須賀との再会や、東京から移住した木工職人・鹿谷さんらとの交流を通し、かれは次第に考えを改めていく。そしてある日、決定的な事件が起きー。季節の移り変わりとともに揺れ動く内面。社会の本質に迫る。滋味豊かな長編小説。<読む前の大使寸評>この新作は、2016年の谷崎潤一郎賞受賞とのこと。絲山秋子ミニブームの勢いで、読んでみるか♪<図書館予約:(10/31予約済み、副本11、予約3)>rakuten薄情「薄情」が谷崎潤一郎賞を受賞したそうだが、「薄情」の絲山秋子さん:著者との60分intereviewを見てみましょう。【離陸】絲山秋子著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より「女優を探してほしい」。突如訪ねて来た不気味な黒人イルベールの言葉により、“ぼく”の平凡な人生は大きく動き始める。イスラエル映画に、戦間期のパリに…時空と場所を超えて足跡を残す“女優”とは何者なのか?謎めいた追跡の旅。そして親しき者たちの死。“ぼく”はやがて寄る辺なき生の核心へと迫っていくー人生を襲う不意打ちの死と向き合った傑作長篇。<読む前の大使寸評>個人的な絲山秋子ミニブームの勢いで、ちょっと厚めの本を借りたのでおます♪<大使寸評>主人公の佐藤は、土木工学科から国交省技官に奉職し、現場勤務を希望するという変わり者である。ある日、佐藤が勤務する八木沢ダムに、イルベールというアフリカ系の外国人が訪ねてきたのです。マルティニーク海外県出身のイルベールは、女優乃緒の息子ブツゾウを預り、結局、育てるはめになっているのだが・・・・子連れのイルベールが、母親の行方を探し求めるというストーリーが、奇しくも最近読んだJ・M・クッツェー著『イエスの幼子時代』に似てなくもないのです。佐藤が異動でパリのユネスコ本部に出向することになったのだが・・・ブツゾウの父親は誰なのか? 1930年代に作られた暗号文書が本当ならパラレルワールドがあるのか?パリに出向している間に、日本では東日本大震災が起きるのです。絲山秋子はパリ生活を経験し、国交省技官という知人がいたのかもしれないが、よくまあ謎めいた破天荒とも思える小説世界をつくったものだと思うのです。rakuten離陸【忘れられたワルツ】絲山秋子著、新潮社、2013年刊<「BOOK」データベース>より地震計を見つめる旧友と過ごす、海辺の静かな一夜(「強震モニタ走馬燈」)、豪雪のハイウェイで出会った、オーロラを運ぶ女(「葬式とオーロラ」)、空に音符を投げる預言者が奏でる、未来のメロディー(「ニイタカヤマノボレ」)、母の間男を追って、ピアノ部屋から飛び出した姉の行方(「忘れられたワルツ」)、女装する老人と、彼を見下ろす神様の人知れぬ懊悩(「神と増田喜十郎」)他二篇。「今」を描き出す想像力の最先端七篇。<読む前の大使寸評>先ごろ読んだ『逃亡くそたわけ』が面白かったので、絲山秋子の作品を短期集中的に読んでいます。amazon忘れられたワルツ【末裔】絲山秋子著、講談社、2011年刊<「BOOK」データベース>より家族であることとはいったい何なのか。父や伯父の持っていた教養、亡き妻との日々、全ては豊かな家族の思い出。懐かしさが胸にしみる著者初の長篇家族小説。<読む前の大使寸評>著者初の長篇家族小説ってか・・・・爆走気味の著者なので、いかなる自叙伝になっているやら。<大使寸評>玄関ドアに鍵穴がないというミステリアスな冒頭があるわけで…現実とも白昼夢とも区別できないような語り口で、これが自叙伝なのか?とも思うが、これもまた一興である♪rakuten末裔『末裔』byドングリ【不愉快な本の続編】絲山秋子著、新潮社、2011年刊<「BOOK」データベース>より女と暮らす東京を逃げ出した乾。新潟で人を好きになり、富山のジャコメッティと邂逅し、そして故郷・呉から見上げる、永遠の太陽ー。不愉快な本を握りしめ彷徨する「異邦人」を描き、文学の極点へ挑む最新小説。<読む前の大使寸評>カミユの「異邦人」を意識した小説とのこと・・・・期待できるかも♪絲山秋子ミニブームがまだ続いています。rakuten不愉快な本の続編不愉快な本の続編byドングリ【妻の超然】絲山秋子著、新潮社、2010年刊<「BOOK」データベース>より文学がなんであったとしても、化け物だったとしても、おまえは超然とするほかないではないか。「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」を収録した異色の三部作。<読む前の大使寸評>先ごろ読んだ『逃亡くそたわけ』が面白かったので、絲山秋子の作品を短期集中的に読んでいます。「作家の超然」は手術を題材にしているので、胃なしの大使にとって切実な思いで読んだのです。rakuten妻の超然【北緯14度】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より 30年の時を越え、やっと神様に会える!西アフリカ・セネガルへの魂の旅。友だちと出会うこと、自分の居場所を見つけること、言葉の本当の意味をさがすこと、大切なことを考え続けた長篇紀行。<読む前の大使寸評>おお 絲山秋子の長篇紀行ってか・・・それも西アフリカ・セネガルへの旅というド田舎と言うか、キワモノではないか♪rakuten北緯14度『北緯14度』6byドングリ【ラジ&ピース】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より女の心は、何も入っていない冷蔵庫のようにしんと冷えていた-。それでも電波は、必ずラジオを見つけて鳴らす。女性DJの心を描く、絲山秋子の最新小説。<読む前の大使寸評>先日読んだ『逃亡くそたわけ』という小説が面白かったので、二匹目を狙って借りた次第です。パラパラめくると、この小説には群馬弁がでてくるんだけどこれが田舎ふうで・・・おっと、鄙びた感じでええでぇ♪rakutenラジ&ピース『ラジ&ピース』byドングリ【ばかもの】絲山秋子著、新潮社、2008年刊<「BOOK」データベース>より気ままな大学生と、強気な年上の女。かつての無邪気な恋人たちは、気づけばそれぞれに、取り返しのつかない喪失の中にいた。すべてを失い、行き場をなくした二人が見つけた、ふるえるような愛。生きること、愛することの、激しい痛み。そして官能的なまでの喜びー。絶望の果てに響く、愛しい愚か者たちの声を鮮烈に描き出す、待望の恋愛長篇。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、どうやら官能小説のようであるが・・・なんでもやれるのが、ええでぇ♪、絲山秋子ミニブームがまだ続いています。rakutenばかもの【イッツ・オンリー・トーク】絲山秋子著、文藝春秋、2006年刊<「BOOK」データベース>より引っ越しの朝、男に振られた。やってきた蒲田の街で名前を呼ばれた。EDの議員、鬱病のヤクザ、痴漢、いとこの居候―遠い点と点とが形づくる星座のような関係。ひと夏の出会いと別れを、キング・クリムゾンに乗せて「ムダ話さ」と歌いとばすデビュー作。高崎での乗馬仲間との再会を描く「第七障害」併録。<読む前の大使寸評>絲山秋子デビュー作とのこと・・・これは期待でじそうやでぇ♪amazonイッツ・オンリー・トーク『イッツ・オンリー・トーク』3byドングリ 【逃亡くそたわけ】絲山秋子著、中央公論新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より逃げるのに理由なんていらない。川端康成文学賞作家、糸山秋子初の書き下ろし長編小説。<読む前の大使寸評>絲山秋子のエッセイを読んだあとなんで・・・彼女の小説ならイケてるんじゃないかと期待するのです♪rakuten逃亡くそたわけ『逃亡くそたわけ』byドングリ【絲的メイソウ】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より「中学生で酒を、高校生でタバコを堂々とやっていた私だが、すき焼きの卵二つはだめだった」。ああ、人生は、なんでジグザグにしか進まないんだ!あっちにぶつかりこっちにぶつかり、ときに迷走、そして瞑想。いつも本気で立ち寄り、本気で考えた毎日を、偽ることなくセキララに描いた、絲山秋子の初エッセイ集。<読む前の大使寸評>どのページを開いても・・・・へそ曲りの大使にも響くわけで、エッセイストとしてピカイチなのかも♪なお、絲山さんはマニュアルの外車に乗っているそうで、またヘビースモーカーでもあるそうで、すごい♪借りたのは、2006年刊のハードカバーです。amazon絲的メイソウ『絲的メイソウ』3byドングリ【絲的サバイバル】絲山秋子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より四の五の言わずに外に出ろ!さぁ、七輪持って出かけよう。『絲的メイソウ』に続くエッセイ第2弾は野宿。【目次】たったひとりでいたいのだ/窪地窪地、それと薪ったら薪/親愛なるステファニーへ。/キャンプは日常の延長なのだ/氷上デイキャンプ/キュウリと猫と宇宙人/大都会の小さなオヤジ世界/焚き火は蹴って育てろ!/嫁に行くなら六合村へ/野獣と椅子焼肉〔ほか〕<読む前の大使寸評>先ごろ読んだ『逃亡くそたわけ』が面白かったので、絲山秋子の作品を短期集中的に読んでいます。この本は、オートキャンプのエッセイ集となっているのですが・・・絲山さんは、クーペ・フィアットにキャンプ道具1式、食料を積み込み、一人でキャンプに繰り出すんだそうです。七輪を持って行くところが独特でんな♪rakuten絲的サバイバル【豚キムチにジンクスはあるのか】絲山秋子著、マガジンハウス、2007年刊<「BOOK」データベース>より群馬県高崎市在住、一人暮らし作家の泣くに泣けない自炊生活。試作に試作を重ね、今日も思いつき料理にトライ!?Hanakoから生まれた妙に切ない傑作エッセイ集。絲的おいしい生活24連発。<読む前の大使寸評>絲的な思いつき料理とは、如何なるものか・・・06年芥川賞受賞後すぐに出された初期のエッセイ集のようです。rakuten豚キムチにジンクスはあるのかそれでは、『ラジ&ピース』で群馬弁のあたりを見てみましょう。p54~57 毎週火曜日のこの時間は、「なっから群馬弁」。 初心者の私、相馬野枝に、皆さんの群馬弁を伝授していただくコーナーです。FAXは027-3・・・メールアドレスはwww.joshn-fm・・・ケータイはスラッシュkをつけてください。 先週いただいた「ガショーキ」つまり乱暴とか粗雑って意味なんですけれど、わかんねーよ、使わねーよ、という声多数いただきました。「ガショーキ」は東毛の方の言葉なんですね。高崎、前橋では使わないようです。 さて、今週もたくさんいただいています。ラジオネーム恐妻センター前橋さんのなっから群馬弁。 (嶋野がBGMを切ると同時にあらかじめ録音していた音源を流す。エコーをかけた間島の声が流れる) 「チョットイッテミラァ」 「ハアキャア?」 (BGMをスタートさせる) これは、「帰るよ」「もう帰るのかい?」という意味だそうです。「もう」が「ハア」なんですね。なるほどー。帰るときでも、行ってみらぁなんですんね。「ハア、ケエラア」「ハア、ケエルンベ」になると、もっと帰る意思が強いっていう解説をいただいたんですが、これはすごい。恋人同士で使ったりもするんでしょうか? それからこちらは、えーと藤岡市のバイアス33さんからいただきました。 (嶋野、BGMを切り、音源を流す) 「ミンナンチのカタログ持ってきてクンナイ」 (BGMスタート) この場合「ミンナンチ」っていうのは、「あなたの会社」だそうです。これもびっくりですね。私が藤岡へ行ったら、「ミンナンチの番組いつも聞いてるよ」って言われるのかな、なんだかかわいい言葉ですね。 えーっと、もう1枚行けますね。こちらは高崎市の不眠鳥さん。 (BGMを切る。ここは野枝がメッセージを読む) 「野枝さん、ナカラとオーカとマッサカの使い分けってわかりますか?全部すごくという意味なんですが、ニュアンスが違います。オーカはどっちかというと否定的なニュアンス、マッサカは予想と違う驚きのニュアンスです。これをマスターしたら野枝さんも群馬人ですよ」
2024.02.16
コメント(0)
図書館で「世にもおぞましい殺戮の世界史」という本を手にしたのです。おぞましい世界史が並んでいるが・・・ソ連や中国がからむ抗争が気になるのでチョイスしたのです。【世にもおぞましい殺戮の世界史】歴史の謎を探る会(編)、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より民衆が常軌を逸したフランス革命の「9月の虐殺」、スターリンや毛沢東による大粛清、ユーゴ紛争の民族浄化…。人間が隠しもつ恐るべき本能とは?<読む前の大使寸評>おぞましい世界史が並んでいるが・・・ソ連や中国がからむ抗争が気になるのでチョイスしたのです。rakuten世にもおぞましい殺戮の世界史「5章 悲惨な犠牲者を生みつづける人権・民族対立の実態とは?」から中国国民党の殺戮を、見てみましょう。とかく、台湾テーマが気になるのです。p176~<2.28事件>■新たな支配者の暴力に憤激した台湾住民 第二次世界大戦での日本敗戦により、台湾の命運は大きく変わる。これまで統治してきた日本は撤退。代わって台湾を統治したのが、中国大陸から渡ってきた蒋介石の中国国民党である。新たな支配者となった中国国民党の軍人や官僚は、日本の警察よりも威圧的なうえ、規律をもたなかった。 国民党の兵士は、日中戦争では日本軍に勝てず、国共内戦では中国共産党軍に敗れ、彼らの軍規は崩壊していた。一方、台湾住民は、日本の統治下に不満はあれ、戦乱による疲弊を知らなかった。台湾住民は国民党に対する反感を募らせ、反乱が起きる。これが2.28事件だ。 2.28事件は、日本の敗戦から1年半が経った1947年に起きた。2月27日の夕方、台北市の商店街で闇タバコを売っていた中年女性が、密売取締員6人に摘発され、闇タバコや所持金を没収されたうえ、銃で頭を強く殴られた。周囲にいた台湾人らがこれに憤り、取締員らをとり囲んだ。取締員らがあわてて威嚇射撃をおこなったところ、弾が無関係な市民に当たり、この市民は即死した。 激怒した群衆は、逃げた取締員の引き渡しを警察局と憲兵隊に要求するが、拒否される。翌28日の午後、怒りのおさまらない群衆が市庁舎前の広場で抗議デモをおこなうと、国民党側は屋上に機関銃を据え、群衆に向けて無差別掃射、これにより数十人の死傷者が出た。 これに対し、台北市民は放送局を占拠、虐殺の様子を台湾全土に伝える。このとき、ラジオでは日本語で「台湾人よ、立ち上がれ」という呼びかけががあった。なぜ、日本語が使われたかといえば、国民党の兵士は日本語を知らず、日本語教育を受けてきた台湾人のみが日本語を理解しえたからだ。 ラジオでの呼びかけを受けて、台北市以外の各地の都市でも暴動が起こる。国民党の軍や憲兵隊も発砲するなどして応戦、事態はいよいよ混乱を極めた。そうしたなか、3月8日に騒動を収拾すべく、国民党は大陸から憲兵隊第4師団2000人と陸軍第21師団1万1000人を増援部隊として台湾へと上陸させた。そこから先、台湾全土で国民党による殺戮がはじまった。上陸した彼らは機関銃を用いて台湾人を殺害し、約2週間で、各地の暴動をすべて鎮圧した。 ■40年以上も闇に葬り去られたままだった 殺害の対象は、暴動に直接関係した者だけでない。社会的指導者とされる人たち、大学教授、弁護士、医師、作家などの知識人も粛清の対象となった。彼らの多くは逮捕され、処刑された。そのなかには、湯徳章(坂井徳章)という弁護士も含まれる。彼は台湾人と日本人の間に生まれた子であり、台南で学生の虐殺を防ごうとした人物だが、国民党は彼をまっとうな手続きなしで処刑してしまった。 また軍の一部は、一般市民へも発砲していた。基隆市では、北京語を話せない台湾人を全員逮捕し、手に針金を刺して縛って束ねた挙げ句、トラックに乗せて港に投じるといった残虐行為もおこなわれていた。 その後の国民党政府の発表によると、2.28事件によって殺された台湾人は2万8000人にのぼるという。 2.28事件について語ることは、台湾では長くタブーとされた。この事件が知られるようになるのは、1989年に2.28事件を描いた映画『非情城市』がヴェネツィア国際映画賞で金賞を受賞してからだ。以後、台湾民主化に伴い2.28事件は見直され、処刑された湯徳章は台南の公園で顕彰されている。『非情城市』『よにもおぞましい殺戮の世界史』1:独ソ戦
2024.02.15
コメント(0)
図書館で「世にもおぞましい殺戮の世界史」という本を手にしたのです。おぞましい世界史が並んでいるが・・・ソ連や中国がからむ抗争が気になるのでチョイスしたのです。【世にもおぞましい殺戮の世界史】歴史の謎を探る会(編)、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より民衆が常軌を逸したフランス革命の「9月の虐殺」、スターリンや毛沢東による大粛清、ユーゴ紛争の民族浄化…。人間が隠しもつ恐るべき本能とは?<読む前の大使寸評>おぞましい世界史が並んでいるが・・・ソ連や中国がからむ抗争が気になるのでチョイスしたのです。rakuten世にもおぞましい殺戮の世界史まず「2章 戦場で引き起こされたおぞましい大虐殺とは?」から、見てみましょう。p72~75<独ソ戦>■自軍の逃亡兵を射殺する督戦隊 第二次世界大戦は、凄惨を極めた第一次世界大戦以上に多くの死者を出した。第二次世界大戦が大量殺戮戦となってしまったのは、兵器の脅威的な発達である。航空機による爆撃は、多くの兵士・民間人を殺害していったし、潜水艦は多くの兵士を乗せた船を撃沈していった。 大殺戮戦となった第二次世界大戦のなかでも、もっとも激しい殺し合いが展開されたのは、ナチス・ドイツ対ソ連の戦いである。独ソ戦は、最後にはスターリン率いるソ連の圧勝で終わり、ドイツのヒトラーは自殺に追い込まれる。 だが、勝利したはずのソ連側は膨大な数の兵士を失っている。1941年のドイツ軍のソ連領内侵攻から1945年のベルリン陥落まで、ソ連兵の死者、行方不明者は1000万人を超える。うち戦死者、戦傷死者は630万人近くになる。負傷・罹病兵は1820万人にものぼり、合計2800万人もの兵が被害を受けているのだ。 一方、ドイツ側は対ソ連戦以外、イギリス、フランス、アメリカなどの連合国相手を含めた数字だが、大戦を通じて1345万の兵士が死傷している。そのかなりの数が独ソ戦の死者であり、1942年9月から1944年6月まで、独ソ戦がもっとも激しかった時期、358万人ものドイツ兵が戦死、あるいは行方不明となっているのだ。 独ソ戦におびただしい死者が生まれたのは、ひとつにはともに味方の督戦隊を恐れてのことである。督戦隊は、味方の兵士が戦場から逃亡するのを監視、防止する役割を受け持ち、退却しようとする兵士には銃を向けた。それでもなお退却しようとする兵士は、督戦隊に無慈悲にも銃殺された。 兵士は味方にも脅されながら、前線で戦い、退却を容易には許されなかった。味方に撃たれなくなければ、敵を殺しまくるか、あるいは最後には敵に撃ち殺されるかだったのだ。 とりわけ、ソ連は兵士の逃亡を許さなかった。独裁者・スターリンは、1942年には「一歩も退いてはならない」という命令を出している。上官からの命令なく退却する中隊、大隊、連隊、師団の司令官、ならびに同等の階級の人民委員と政治将校は、祖国の裏切り者としている。実際、退却した彼らに何が待っていたかというと、軍法会議である。その先は、銃殺か収容所送りだ。さらには、退却や脱走した兵の家族も同罪になるから、家族を愛する兵士ほど、退けない。 実際のところ、スターリンの息子がドイツ軍の捕虜になってしまったとき、スターリンは息子の妻を監獄に入れている。スターリンが身内にも容赦ないのだから、ソ連兵は敵の銃弾のなかに突っ込むしかなかったのである。 ソ連で督戦隊として機能したのは、スメルシやNKVD(内務人民委員部)だ。スメルシは、スターリン直属の防諜部隊である。NKVDは秘密警察であり、スターリングラード攻防戦にあって、ソ連兵の脱走を監視、防止していた。 督戦隊は、ドイツ軍にもあった。ドイツ軍で督戦隊を担ったのは、SS(ナチス親衛隊)である。SSはドイツ兵を監視し、脱走・退却しようとする兵士を即刻処刑していった。 ドイツでは、脱走の罪で死刑となった兵士は、1万5000~2万人にものぼるといわれる。ソ連同様、家族に危害が加えられることもあったというから、ドイツ兵も味方からの迫害に恐怖しながら戦わねばならなかった。彼らもまた、味方に撃たれたくなかったら、ソ連兵の陣に突っ込むしかなかったのである。■なぜ、降伏できない戦いになってしまったのか? 独ソ戦がおびただしい人命の喪失戦になったのは、両軍の兵士が捕虜になろうとしたがらなかったところにもある。その理由は、捕虜になったことが味方に知れたとき、家族に危害が及ぶのを恐れてでもあるが、それ以上に大きいのは、捕虜=殺害という固定観念があったからだ。両軍の兵士とも、捕虜になれば殺されると思っていたのだ。
2024.02.15
コメント(0)
<横尾忠則を観に行こう♪20‐R1>能登半島地震の支援に明け暮れるご時世ではあるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾忠則 ワーイ!★Y字路より2000年、故郷の西脇で、横尾忠則は夜の三叉路をストロボ撮影しました。すると見慣れたはずの景色が、全く異なる風景となって立ち現れたのです。この写真からインスピレーションを得た横尾は「Y字路」シリーズに着手、それらはやがて彼にとって重要なライフワークとなっていきます。内省的な光と闇の世界は、祝祭的な色彩の爆発を経て、さらに変幻自在なバリエーションを生み出しつつ今日に至っています。2015年、当館では2006〜2015年の作品による「横尾忠則 続・Y字路」を開催しました。本展はいわばそれを補完するもので、シリーズの原点である初期作品(2000〜2005年)、および新近作(2016年〜)により、多彩な「Y字路」シリーズの魅力に迫ります。※本展は、本来はシリーズ誕生20周年を記念し、2020年度に開催される予定でしたが、コロナ禍により延期されていたものです同時開催:Yokoo Tadanori Collection Gallery 2023 Part2 「風景考」期間 2024.1.27 sat. - 2024.5.6 mon.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし2月12日(月・振替休日)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振替休日)は開館、2月13日(火)、4月30日(火)休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円*********************************************************R1<鑑賞後の写真を追記>*********************************************************横尾忠則を観に行こう♪19:横尾忠則の不思議の国横尾忠則を観に行こう♪18:横尾忠則展 満満腹腹満腹
2024.02.14
コメント(0)
高村薫の「リヴィエラを撃て」という小説が忘れがたいのであるが・・・このハードボイルドな小説を女性作家が書いたとは、まったく恐れ入ったのです。*********************************************************年越し用に借りたぶ厚い「リヴィエラを撃て」を、半月ほどかけてやっと読破しました。で、最後の感想をしたためておこうと思うのです。ネタバレになるが、香港返還交渉とか、ワシントンでのロビー工作資金がこの小説の鍵になるわけで・・・・極めて今日的なテーマを扱っていたわけです。(ああ もろにネタバレでんがな)97年以降の香港は、中国官僚にとって賄賂のなる木なんだそうで・・・・今、ジャーナリストがここをつつくと、命がいくつあっても足りないのでは(笑)【リヴィエラを撃て】高村薫著、新潮社、1992年刊<「BOOK」データベースより>国際政治の楽屋裏を発狂させた男〈リヴィエラ〉。夥しい諜報戦士たちの血を吸込んだこのコードネームは、一人の天才ピアニストに死を賭した東京公演を決意させる。顔のない東洋人スパイをめぐって、東京・ロンドン・ベルファストに繰り広げる、流血の頭脳ゲーム。<大使寸評>この本では、歴史的背景、政治的背景もアクションもしっかり描いてあるので、なかなかマッチョというかハードボイルドなわけです♪特に、中華の闇で揺れる日米英の政府中枢など、もろに大使のツボを突いています。Amazonリヴィエラを撃て著者の語り口を味わう意味もあるので、一部を転記して紹介します。p512~513 「閣下。失礼ですが、殺人の捜査権は警察にあります。一人の市民が路上で蜂の巣にされたのが殺人でないというなら、この国に警察はいらないことになります。捜査は警察が厳正に行い、結果を報告します。公表するか伏せるかを決めるのは、内閣です。しかし、その前に何よりまず捜査です」 もう1秒タイミングが遅れたら、ブーイングの応酬になっていただろう。だが、一瞬早く、首相がこくりと一つ頭を縦に振ったのだった。 「分かった・・・。分かったよ。バーキン殺害の捜査は警察がやりたまえ。正直なところ、私もいろいろな意味で興味はある。しかし、だ。ともかく国というものは、すべての機関が協力しあって機能しているものだということを、ここにいる諸君全員がもう少し考えてもらいたい。正義はけっこう。機密もけっこう。しかし、ケンカは最悪だ。何より重要なのは、国政がスムースに運ぶことなのだ。どこからどのような報告が来ようと、私は首相の立場で判断させてもらう。そういうことで、情報部も了解してもらいたい」 「あの手島修三は、私どもの活動にとって有害な人物です」と《6》が言った。 「公爵夫人の旅券違反を捜査しに来たというのは、たしかに困ったことだ」と首相。 「いえ。東京の警視庁はそんな捜査は行っていません。先日申し上げたように、彼は日本外務省の要請を受けてバーキンの情報を探りにきた男です。86年から3年間、こちらの日本大使館に一等書記官として赴任していたが、中身は諜報担当です。ペルソナ・ノングラータとして、国外退去処分にしたいと思います」と《6》は抵抗した。 「判断するのは私だ。で、君の方は?」首相は《5》の長官に首を振った。 「確かに、手島はバーキンから機密に関する情報を入手している可能性があります。追放する前に尋問の必要があります」と《5》は答えた。 「警察は?」と首相。 「追放などとんでもない。尋問など、さらにとんでもない。わが警視庁の威信にかかわります。手島は現時点で、バーキンの事件の捜査に不可欠の証人です。こちらの捜査が終わるまで、指一本触れてもらっては困ります」 首相は四人の男を見渡して何度目かの溜息を吐いた。 「・・・よし。私が決める。追放などという不穏当な話は無しだ。そういう特殊な目的で派遣されてきた人物なら、尋問も効果は期待出来ないだろう。だが、情報部の懸案も分かるので、警察は責任をもって手島某を日本行きの飛行機に乗せたまえ。本日の便が間に合わなければ、明日の早い便で、分かったかね?」日本では、《5》や《6》が存在しないので、このような応酬にはならないだろうが・・・公安警察、警視庁の対立はあるのかもしれないですね。組織の詳細はよく知らないけど。この本で公僕の正義が語られるあたりです。p521~522 「手島さんを評価しない奴らが、この国をこんなふうにしたんだ」と坂上は呟いた。 「違う」と手島は首を横に振った。「坂上、それは違う。・・・僕はただ敗北したのだ。僕は今回、痛切に感じたことがある。当たり前のことなのだが、不正も権力なら、不正を暴くのも権力だということだ。僕はイギリスで友人をひとり失った。素晴らしい能力と正義感の持主だったが、不幸にして彼は権力は持っていなかった。だから殺されたんだ。力を持たない正義ほど虚しいものはない。多分、一介の個人の正義は敗北するしかないのかも知れない。・・・とはいえ、たとえそうであっても戦うことをやめないのが、人間の良心なのだろうけどね」 「手島さんの良心と正義感は、私たち課員の道標なんです。信じて下さい」 「カカシじゃなかったのか」と手島は照れ笑いした。 「まあ、道標だと言ってもらえて僕は嬉しい。だが、道標に従って先へ進むのは君だ。坂上、今は僕の忠告を聞いてほしい。まず《リヴィエラ》を忘れてくれ。それから、上級職のキャリアを無駄にするな。権力を目指せ。最後に・・・僕をもう上司だとは思わないでくれ」ネタバレになるので書きませんが・・・・小説は、北アイルランドでの穏やかな後日譚で終わることになります。国家とはつまるところ権力なんだろう。その権力には正義もあるし不正義もある。不正義を見逃すことのできない頑固な人間が、多かれ少なかれどの国にもいるのが救いと言うか、希望でしょうね。・・・・すべからく文学は、希望を描いてほしいものです。スパイ小説を紡ぐには国家観とか、国益とか、ロビー工作とか、防諜組織に関する知識とか、外せない業界的知識が必要なわけだが・・・・女性作家で、この難行に挑戦した蛮勇・・・・というか作家魂がすごいですね♪amazon高村薫より1953(昭和28)年、大阪市生れ。1990(平成2)年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1993年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。同年『マークスの山』で直木賞を受賞する。1998年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞を受賞。2006年『新リア王』で親鸞賞を受賞。2010年『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞する。他の著作に『神の火』『照柿』『晴子情歌』などがある。フィリップ・マーロウがつなぐ輪『リヴィエラを撃て』1『リヴィエラを撃て』2『リヴィエラを撃て』3
2024.02.14
コメント(0)
ロアルド・ダールの『キス・キス』という短編集が良かったわけで・・・以下のように復刻して読んでみようと思ったのです。*********************************************************図書館で『物語の旅』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。【物語の旅】和田誠著、フレーベル館 、2002年刊<「BOOK」データベース>より書物の国からの絵はがき。著者が選んだ54作品。カラー挿絵とともに四方山ばなし満載!子どもの頃に初めて読んだ「かちかち山」から現在に至るまでの“読書体験”の数々。本好き・装丁好きの著者がその思い出をふり返る。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。amazon物語の旅54作品のうちロアルド・ダールの「南から来た男」を、見てみましょう。p142~144<南から来た男> とにかくダールはぼくの好きな作家の一人である。学生時代に雑誌で短篇の一つか二つは読んでいたのだが、卒業してまもなく早川書房から「異色作家短篇集」の第1弾として出た「キス・キス」を読んだのが、ダールを認識する第一歩だった。 ダールのような作風をジャンル分けすると、「奇妙な味」ということになる。犯罪ものであっても、通常なら犯人が捕まって解決するところを、誰も犯人に気がつかない、という終わり方になり、それまで読んでいたものとは確かに異なる味だった。 「キス・キス」の中でとりわけ奇妙で、不気味なだけに強い印象を残したのが「ウイリアムとメアリイ」と題する作品だった。ウイリアムは女房が煙草を吸うこと、酒を飲むこと、無駄使いをうることなどを許さない、厳しい夫だった。ウイリアムが死んだあと、友人の医者が彼の脳髄を取り出し、人工心臓につないで容器の中で生かしておく。眼球もつないで液面に浮かべる。当然口はきけないが、以前通り意識はある。女房のメアリイが医者を訪ね、容器の中の夫に会う。そして煙草を吸い、煙を眼球に吹きかける。そして家に連れて帰りたいと言う。 これを読んで、ぼくは、結婚とはなかなか大変なものだ、という読後感を持った。ぼくの結婚がずいぶん遅くなったのはダールとは関係ないが。 夫婦の物語では「ビクスビイ夫人と大佐のコート」というのが軽妙で皮肉で面白かった。妻の長年の浮気相手、金持の大佐が別れ際に高価なミンクのコートをくれる。家に持って帰りたいが、どこで手に入れたか言い訳がむずかしい。そこでひとまず質屋に入れ、質札を拾ったと夫に見せる。ここから先は書かないでおこう。 物語を書いてしまうと、これからの読者の感興を削ぐことになるので、オチのある短篇の紹介は非常にむずかしい。ダールの作品はおおむねストーリイを書くことができない。 「キス・キス」に注いで読んだ短篇集は「あなたに似た人」である。その中の「おとなしい凶器」がたいそう面白い。妻が夫を殺す話。凶器は冷凍庫から出したばかりの羊の骨つき肉だ。食料品が把手のある固い鈍器になるところがいいアイデアである。物語はもっと先があるが、これも書かない。 この作品をぼくが最初に読んだのは雑誌に掲載された時で、ダールという名を知らない学生時代だった。「あなたに似た人」で読み返し、こんなに面白い短篇だったのか、と思った。 ダールの作品はどれも面白い。自伝らしきものもあるが、多分にホラ話的である。「チョコレート工場の秘密」のような童話もある。いろいろある中で、代表作はときかれれば、おそらくは多くの人が同意見だろうが、「あなたに似た人」に収められている「南から来た男」と答える。 プールサイドから話が始まる。アメリカの青年がよくつくライターを持っている。外国人らしい老人がやってきて賭けをしようと言う。ライターで十回続けて火がついたら、キャデラックをあげる、失敗したら左手の小指をくれ、と言うのだ。さてどうなるか。ちょっと怖くて小味のきいた、実によくできた話である。阿刀田高さんもロアルド・ダールの『キス・キス』を高く評価しています。『物語の旅』4:南から来た男『物語の旅』3:霧笛『物語の旅』2:アシェンデン 『物語の旅』1:長いお別れ
2024.02.13
コメント(0)
図書館で「校閲記者の日本語真検勝負」という本を手にしたのです。本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。【校閲記者の日本語真検勝負】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より「紙面上は何も生み出していない部」が生み出した言葉の雑学ブック。【目次】序章 新聞社の校閲部ーその仕事と覚悟と思い/第1章 気になる表現/第2章 語源が意外な言葉/第3章 似て非なる言葉/第4章 新語、使われ方が変化した言葉/第5章 正しい?間違い?/第6章 多様、奥深い、微妙な言葉/第7章 悩ましい読み方<読む前の大使寸評>本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。rakuten校閲記者の日本語真検勝負「序章」で、新聞業界におけるルビの振り方が述べられているので、見てみましょう。p26~28<新聞の表記> 常用漢字といっても、2010年11月30日以前と12月1日以降では違います。常用漢字として196字追加され、5字が削除されました。新聞協会ではそれに「磯」「絆」「胚」などを追加して使用しています。 また、新聞を作るのがコンピューター化され、ルビを振るのが簡単になったので、新聞協会としてもいくつかの熟語を、ルビを振ることを条件に使用を許可することにしました。その1つは「迂回」です。 2010年に亡くなった北森鴻さんという小説家がいます。日本推理作家協会短編および連作短編編集部門を受賞した『花の下にて春死なむ』という彼の短編集に「家族写真」という作品があります。その中に、「迂回」という言葉を新聞なら「う回」と表記するはずで、「迂回」と書いてあったら校閲係が見逃すはずがない、というくだりがあります。この本が出版されたのは1998年。今では「迂回」と表記できるようになっています。 「毀誉褒貶」「乾坤一擲」など、読めるけど書けない、でも日常生活では結構使われる熟語も、もしその熟語の中に常用漢字以外の漢字が含まれていれば、ルビを振ります。 そう言えば「愛嬌」という熟語に「あいきょう」とルビがあるのを見た読者から「誰でも読めるだろ」とお𠮟りを受けたという話があります。「嬌」は常用漢字ではないので、新聞としてはルビを振るのが正しいのです。といっても指摘はどんどんしてください。東京新聞にはそれに対応するセクションがあります。「愛嬌」にルビは必要ない、という声が大きければルビを振らないことも考えていかなければなりません。 また、東京新聞は難読と思われる固有名詞にもなるべくルビを振るようにしています。千葉県匝瑳市の人には「匝瑳(そうさ)」は普通に読める漢字でしょうが、県外には読めない人がいてもおかしくありません。同様に大阪府枚方市、鹿児島県曽於市などルビを振った方が親切な市は少なからずあります。もしかしたらその市の人にはショックかもしれませんが、市の名前を知ってもらうチャンスと考えていただけないかと思うのです。『校閲記者の日本語真検勝負』2:難民と移民『校閲記者の日本語真検勝負』1:校閲部の仕事とは
2024.02.13
コメント(0)
ときとして韓国料理に対する禁断症状が出るのであるが・・・以下の昔の日記を復刻して読んでみるのです。*********************************************************図書館で黒田勝弘著『韓国を食べる』という本を手にしたのです。とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。この本はなんか見たことがあるのだが、まぁいいかと借りたのです。帰って調べると、借りるのは二度目であることが判明しました、で、(その5)としています。【韓国を食べる】黒田勝弘著、光文社、2001年刊<「MARC」データベース>より韓国人は「耳」で食べる? 在韓20年におよぶ著者が、自らの実体験をもとに韓国の食文化に迫る、驚きの韓国・食紀行。食べれば日本人の知らなかった韓国人のメンタリティがわかる。<読む前の大使寸評>とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。amazon韓国を食べる8章「韓国人は魚に弱い」で、「ソガリ」料理を見てみましょう。p82~85 <金日成が好んだソガリとは>より さて、金日成さまといえば、忘れられない淡水魚がある。朝鮮半島の固有の淡水魚である「ソガリ」の話である。 「ソガリ」とは魚類事典によると「コウライケツギョ」とある。茶色あるいは褐色がかった魚体に豹のようなまだら模様の斑点がある。スズキ科というから形はスズキに似ている。精悍な感じがある。ぼくは韓国の淡水魚ではいちばん好きである。男性的な美形といおうか。いつも「食べるのは惜しいなあ」といいながら食べている。 で、なぜ金日成首領さまかというと、1990年だったか、日本の金丸訪朝団が北朝鮮を訪れた折、歓迎の晩餐会でこの「ソガリ」の刺し身が出され、首領さまが自分の大好物とおっしゃったのだ。 この話が韓国に伝わり話題になった。韓国では「ソガリ」というともっぱら「メウンタン」だったが、「北では金日成が刺し身で食ってる!」というのだ。そして、さっそく「なぜだ?」となった。 北朝鮮では当時、金日成首領さまについては国営の「長寿研究所」まであって、国が総力を挙げて健康と長寿に気を使っていた。また70代で子供までもうけているという情報まであった。その風貌や立ち居振る舞いはいかにも精力的に見えた。 金日成氏は韓国民にとっては朝鮮戦争の元凶だから当然、最大のマイナス・イメージで「悪の独裁者」になっていたのだが、それだけに一目置かざるをえない存在でもあった。だからいつも気になる存在だった。 これは韓国民に「金日成コンプレックス」をもたらしているというのがぼくの見立てなのだが、それはともかく、その金日成氏が「ソガリの刺し身」を大好物にしていたとあって「あのパワーはソガリの刺し身のせいだったか!」となったのだ。 とたんに韓国で「ソガリ」の値段が上がってしまった。韓国人は「精がつく」というと何でも飛びつく。ソウル近くでは、臨津江のほか江原道の春川市付近を流れる昭陽江あたりが名産地で「ソガリ」を食わせる店が多く、価格急騰が伝えられた。 「ソガリの刺し身」だけでなく「ソガリ・メウンタン」も含め、金日成首領さまの精力の素として急に人気が出たのだ。もともと、そんなにたくさん獲れる魚ではない。乱獲で激減しているという声もあり、一部では天然記念物として保護すべきとの意見さえある。以来、「ソガリ」の値段は上がったままだ。 「ソガリ」は普通、体長は20~30センチで、身は白身で引き締まっており、味は淡白にしてかすかに甘みがある。刺し身は舌ざわりがよく、「メウンタン」で鍋にして頭の肉をつつくとその白身が実にうまい。 しかしぼくは先の「金日成情報」より以前に韓国の田舎で「ソガリの刺し身」を食べている。したがってことさら驚かなかったのだが、ぼくは最初の「ソガリ」体験はそんなに感動的なものではなかった。 ソウルの南東に位置する忠清北道の忠州だったと記憶する。忠州ダムのほとりの食堂で食ったのだが、出てきた「ソガリの刺し身」を見て驚いた。身がいわゆる刺し身風にスライスされているのではなく、いわばアジのたたき風にきざんであるのだ。 しかもこれをコチュジャン(トウガラシ味噌)か粗塩入りのゴマ油を付け、チシャやゴマの葉などでニンニクとともに包んで食べるのだった。白身なのに惜しい、と思った。田舎とて、いかにも伝統的な刺し身の食べ方だった。醤油を出させてワサビでも食ったが、全体にどうも印象がよくなかった。慰労の飲み会で食べたヤツがソガリかと思われるので、調べてみます。なまず系淡水魚『韓国を食べる』1:フグ鍋p174~176『韓国を食べる』2:韓国豆腐の懐かしさp117~120『韓国を食べる』3:ソルロンタンp37~40『韓国を食べる』4:カムジャタンp208~211
2024.02.12
コメント(0)
満州とか漢字文化圏、中国の少数民族には興味を持ってフォローしているわけで・・・「絶滅の危機にある満州語」について以下のとおり復刻して読んでみます。*********************************************************2013年9月6日の朝日新聞によれば・・・満州族は中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族であるが、漢族との同化が進み、母語の消失がもっとも進んだ民族だそうです。言語の消失は文化の消失とも言えるわけで、他国のこととはいえ、絶滅寸前の満州語の今後が気になるわけです。9/06消えゆく満州語守れ 中国・遼寧省で大学設立の動きより かつて中国大陸を支配した清朝の公用語だったが、今や絶滅の危機にある満州語を教える大学をつくろうと、遼寧省の大学教授が準備を進めている。満州語の文献を読み解ける人材を育て、まだ見えぬ歴史をひもとくのが目標だ。今月には全国の研究者を集めた会議を催し、建学への協力を訴える。 ■人材育て歴史解明目指す 瀋陽師範大学で満州族の歴史や文化を研究する曹萌教授(54)は3年前、遼寧省政府当局に満州語教育や文献保管を兼ねた大学の設立を提案した。満州語が消えゆく現状に強い危機感を抱いたからだ。 曹教授は2003年から東北地方を中心に、満州族の村での資料収集や満州語を話すお年寄りへの聞き取り調査を重ねてきた。清朝前期の公文書や民間史料は満州語だけで書かれている。満州語を操れる人材の育成が不可欠と感じるようになったという。 中国の満州族は10年の国勢調査で1038万人とされる。中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族だ。 だが、1911年の辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受け、49年の新中国成立後も他の少数民族と異なり自治区や自治州は認められてこなかった。80年代に入ってようやく小規模な自治県や民族学校ができた。満州語を母語にする人々はすでに高齢化が進んでいた。漢族との同化も激しく、母語の消失がもっとも進んだ民族に数えられる。2009年にはユネスコから消滅の危機にある言語に指定された。 曹教授によると、国内で満州語を理解し、古い文献も読めるレベルの研究者は10人ほどに過ぎない。北京などに満州族文化の研究機関はあるものの、専門性の高い満州語を教える大学はほとんどないという。 曹教授は「満州語の文献は、多くが解読されぬまま朽ちていったものも多い」とも指摘する。清朝の前身の後金が都を置いた遼寧省撫順市では、山の洞窟に満州族の古い文献や家系図などがトラック5台分ほど保管されているが、軍事的な理由などで警備が厳しい。教授は「普段は閲覧も許されない」と嘆く。 昨年10月、教授が提案した大学設立のための調査研究費として1万5千元(24万円)の予算措置が認められた。今月20日から満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招いた初の会議を開き、協力を訴える。 曹教授は「満州語の継承も研究も、時間との勝負。日本の研究機関との連携も探りながら、若い人材を育て、貴重な民族文化の消失を防ぎたい」。 ■発祥地でも継承難しく 母語消失の危機は満州語発祥の地にも及んでいた。 清朝の発祥地をうたう遼寧省撫順市の新賓満族自治県(人口32万人)。現在、満州族の小学校は1校しかない。校長によると、全校児童約1300人の約94%が満州族だが、「愛新覚羅」など満州族固有の姓を使う児童はいない。 同校は1988年から、児童に満州語を教えてきた。現在も独自の教材をもとに、全学年で1週間に1回の授業を実施しているが、隣接する中学校では満州語を教えていない。校長は「継続性がない」と学習効果に限界を感じている。 満州族の研究者、李栄発さん(67)は、同校の依頼で子供たちに満州語を教えた。昔、生きた満州語が残る黒竜江省の地方都市で満州語の基礎を1カ月間、学んだ経験を買われた。 李さん自身、漢族の言葉「漢語」で育った。初めて出会った満州語は、自民族の言葉なのに全く理解できなかった。戦前に日本が作った満州語と日本語の辞典や、中国国内の満漢字典を使い、単語量を増やしていったという。 90年代には、清朝初代皇帝のヌルハチが後金時代の根拠地にした新賓の城跡「ヘトゥアラ」を観光地にするためのアドバイザーに選ばれた。展示品選びやガイドの育成を任された。 李さんらによると、満州語の母音は六つ。モンゴル語などと同じ、アルタイ語系の言語で、文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語にも似ている。研究者に必要な満州語能力を身につけるためには、少なくとも3年間の勉強が必要という。中国西部の新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族・シボ族は地理的な閉鎖性などから、今も満州語を話している。 李さんは「満州族の歴史や文化を学ぶには、満州語が不可欠だ。体系的な教育制度を設けるとともに、学習後の就職先を確保するなど、文化を守る態勢を構築する必要がある」と話した。(遼寧省撫順市=石田耕一郎) ◆キーワード <満州族> 中国東北地方の先住民族の一つで、かつては女真人とも呼ばれた。清朝をたて、17世紀から3世紀にわたり中国大陸を支配。映画「ラストエンペラー」で知られる最後の皇帝、溥儀は日本による満州国建国に協力した。遼寧省に人口の約半数が集中し、戯曲「茶館」などの作品で知られる作家の老舎も同民族の出身。 新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族は今も満州語を話しているそうで、状況はまだ日本のアイヌ語よりは恵まれているわけですね。でも、満州語の継承も研究も時間との勝負とのことで・・・・待ったなしのようです。 wikipediaによれば、満州族は固有の文化を失いながらも、民族意識はとても強いともいわれているそうです。果たして、満州語の今後はどうなるでしょうね。wikipedia満州民族より■現代の満洲民族第二次世界大戦後に成立した中華人民共和国は、民族識別工作を行って少数民族を中国の内部で一定の権利を有する民族として公認した。この過程で、かつての旗人(八旗に所属した者)の後裔にあたる人々が満族(満人)とされる。満族の人々の間では、現在はごく少数の老人を除いて満洲語を話す者は殆どおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満洲民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満洲語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満洲民族の民族意識はとても強いともいわれている。満州は漢字文化圏に埋没しようとしているけど、漢字文化圏の外縁には文字を持っていた突厥帝国などがあったわけで、興味はつきないのです。
2024.02.12
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その64):「『本の本』あとがき」を追記2024-02-08 『本の本』あとがきよりこの本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。 僕は「ない」と思う。 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。2024-01-19 朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か?よりもちろん、スーパーマンだって「アイデンティティーの危機」には遭遇します。例えば、スーパーマンが活躍して悪人と戦うとき、巻き添えで市民が傷ついたりすることがあります。すると、その犠牲者の家族が「スーパーマンのバカ野郎。この人殺し」と罵ったりすることがある。つねに歓呼の声に迎えられることになれているスーパーマンは、その言葉に深く傷つき、アイデンティティーの危機を迎えて、鬱状態になります。でも、何かのはずみで再びヒーローとして活躍する機会に恵まれ、市民たちから「ありがとう」と感謝の言葉を浴びると、鬱から癒されて、もとのスーパーヒーローに戻る・・・こういう物語を僕たちは飽きるほど見せられてきました。 アメリカの「ヒーローもの」物語のパターンはすべて同じです。「ほんとうの自分に出会うと人間のパフォーマンスは爆発的に向上し、アイデンティティーが揺らぐと無力になる」。そういう話です。「別人になる」という解はないんです。 ときどき、鬱状態のヒーロー(ウルヴァリンとかランボーとか)が山の中とか外国のスラムとかに「隠棲」するというエピソードはありますけれども、それは「別人」になっているわけではなく、一時的に「偽名」を使っているだけで、そのうちに誰かが探しに来て、困難なミッションを託されて、再びヒーロー復活・・・という展開になるのです。必ず。 欧米型ヒーロー物語は「ほんとうの自分の発見」、ほとんどそれだけを中心に展開します。 でも、これまでの東アジア文化圏では、「ほんとうの自分の発見」ということはほとんど問題になったことがありません。さすがに今では欧米の影響で、そういう考え方をする人が増えてきましたけれども、これはせいぜい20世紀後半からの話です。 修行というのは、「連続的な自己刷新」のことですから、「ほんとうの自分」なんていうものはどこにもありません。昨日の自分と今日の自分は「もう別人」であるというのが修行のかんどころです。 教育論でもよく僕は「呉下の阿蒙」の話や、「名人伝」の紀昌の話を引きますけれど、どちらも「長い努力の末、昔の自分とは似ても似つかぬものになった人」の話です。それが東アジアでは「人格陶冶の正しい道」とみなされてきました。何よりたいせつなのは「今の自分」に居着かないことです。だとしたら「アイデンティティー」が問題になることはあり得ません。 修行は東アジアに固有の「自己陶冶」のあり方です。僕は武道修行を通じて、それを実践してきました。 釈先生は僕の武道に向かう態度やあるいはレヴィナス先生に仕える「弟子」の作法を見て、そこに「仏道修行に通じるもの」を感じて、「宗教の本領」という言葉を口にされたのではないかと思います。こんな説明でご理解頂けたでしょうか。2023-12-29 「『街場の米中論』を読んで」より「カウボーイ」が存在したのは、1865年~1890年までの僅か約25年のことで、しかも最下層労働者である「カウボーイ」は、黒人やインディアン、中国人と雑多な人種から形成されていたという事実である。そんな、我々が西部劇で見るような風景と、実際とが全然違うはずなのに、アメリカ人は、カウボーイを「アメリカ的男性のロールモデル」に仕立て上げ、アメリカ人の無意識的な欲望を盛り込まれた幻想的なアイコンになった。 アメリカにおける「カントリーミュージック」の由来は、遅れてきた移民に由来する。彼らには、居住する場所が残されておらず、主にアパラチア山脈の麓に住み始めた。彼らは、「ヒルビリー」という蔑称で呼ばれていた。アメリカには、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オウキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。なかでも「ヒルビリー」については、その情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相〇を繰り返しているなど。これら、蔑称の総称が「ホワイト・トラッシュ」である。 当時、「ホワイト・トラッシュ」に関する映画を調べていたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。この作品は、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているといってもいいだろう。 そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。 アメリカ人は、「ホワイト・トラッシュ」への自責の念からか、どこかで恐怖を覚えている。「ガース・ブルックス」の登場は、1989年である。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、12月3日のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、アメリカは「冷戦後」に突入する。そんなときに必要だったのは、「あるべきアメリカの姿」だったのではないだろうか。そんな「あるべき姿」として、自分たちが蔑んできた「ホワイト・トラッシュ」への差別を一回捻ったうえで、「カントリーミュージック」に託したのではないだろうか。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.02.11
コメント(0)
全10721件 (10721件中 201-250件目)