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図書館で「イスラム10のなぞ」という新書を手にしたのです。ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。rakutenイスラム10のなぞ「なぞ9 アラブとイスラエルはなぜ、和解できないのか?」を、見てみましょう。p222~227<なぞ9 アラブトイスラエルはなぜ、和解できないのか?>■解のないパレスチナ問題 第2次世界大戦後の1947年11月に成立した国連総会決議181号は、パレスチナをユダヤ人国家、アラブ人国家に分割し、エルサレムを国連の信託統治下に置くというものだったが、アラブ側はこれに強く反対した。アラブ側から見れば、ホロコーストなどのユダヤ人迫害という「罪」をなぜアラブの犠牲の上に贖わなければならないのかという想いが強くあった。また、ユダヤ人人口はアラブ人に比べはるかに少なかったにもかかわらず、決議はパレスチナ全域の55%をユダヤ人国家に与えるとしていた。 パレスチナに対するイギリスの委任統治が1948年5月14日に終了すると、イスラエルが国家独立宣言をして、イスラエルとアラブ諸国の戦争が勃発(第1次中東戦争)。アラブ諸国軍を構成したのは、シリア、レバノン、トランスヨルダン(1949年、ヨルダンに改称)、イラク、エジプトだったが、士気が低く統制されなかった。イスラエル軍は、武器・装備がアラブ諸国よりも優れ、次第にアラブ諸国軍を圧倒していった。1949年の1月から7月にかけて成立した休戦協定では、パレスチナ全域の約75%がイスラエルの支配下に置かれた。 イスラエルの占領した地域は国際的にも国家と認知され、エルサレムは国際管理下に置かれず、東西に分割され、それぞれヨルダンとイスラエルが支配し、ガザはエジプトの軍事占領下に置かれた。ガザの住民たちは無国籍となった。 第1次中東戦争は、100万人近くのパレスチナ・アラブ人を故郷から追いやることになった。開戦当初、パレスチナには132万人のアラブ人と64万人のユダヤ人が居住していたが、イスラエル国家の成立によってアラブ系住民の70%がパレスチナの地から放逐された。 戦争に敗れたエジプトでは、下層階級出身の将校たちがクーデターを起こし、1952年7月にムハンマド・アリー朝の王政は倒れた。ガイマール・ナセルを中心とする将校団は、イギリス支配の終焉によってこそエジプトに自由が到来すると考え、1956年7月にスエズ運河国有化宣言を行った。スエズを生命線と考えていたイギリス、フランスは、エジプトからのゲリラ攻撃に悩まされていたイスラエルを誘ってエジプトに対して戦争をしかけた(スエズ動乱、第2次中東戦争)。 冷戦時代にあって、戦争はソ連の介入を招くと判断したアメリカはイギリスに対するIMF融資の停止をほのめかし、3国の撤退を迫った。イギリス、フランス、イスラエルは軍を引き揚げたが、ナセルとエジプトは大きな名声を得て、アルジェリアからイラクに至るアラブ諸国の政治的中心となってアルジェリア独立(1962年)、イラク革命(1958年)にも影響を与えた。(中略) 1967年6月5日、イスラエルの奇襲によって第3次中東戦争が開始された。エジプト、シリア、ヨルダン、イラクの空軍は壊滅状態になり、戦争はイスラエルの圧倒的勝利で終わり、6月10日に停戦が成立した。6日間で戦争が終わったので「6日間戦争」とも呼ばれている。イスラエル側戦死者が679人、対してアラブ側戦死者は3万人余りだった。イスラエルは、エルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸とガザ地区と、シリア領ゴラン高原とエジプト領シナイ半島も支配下に置くことになり、現在でもヨルダン川西岸とゴラン高原の占領は継続している。 1973年の第4次中東戦争でアンワル・サダト政権のエジプトがイスラエルに緒戦で勝利すると、エジプトはイスラエルと和平に向かい、1979年にキャンプ・デービッド合意でイスラエルとの「平和状態」を実現させた。エジプトが反イスラエル陣営から離脱すると、イスラエルのメナヘム・ベギン政権は、1980年7月に東西エルサレムを首都とする基本法を成立させ、1981年6月にイラクの原子炉を破壊、1981年12月にはシリア領ゴラン高原を併合する法案を成立させるなど強硬な政策をとり、さらに1982年6月にレバノンを侵攻し、ヤーセル・アラファトのPLO(パレスチナ解放機構)をレバノンから駆逐した。レバノン戦争以降、パレスチナはイスラエルの軍事力に優越することができないと判断し、イスラエルとの共存を探っていく。 「イスラム10のなぞ」2:スンニ派とシーア派はなぜ、対立するのか?「イスラム10のなぞ」1:はじめに
2024.03.31
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探る「8章 クジラとイヌ」からクジラについて更に、見てみましょう。p259~<1.鯨食と文化> ■クジラの恩恵と災禍 日本では、クジラを「恵比寿」と呼んで崇拝する信仰が発達している。恵比寿は戎、エビス、夷とも記述され、魚群がクジラに付くために日本各地で漁業の神とされてきた。とくにクジラがカツオ、マグロ、イワシなどをともなって発見されるため、漁業ではクジラ付群と呼ばれている。ジンベエザメ、流木などにも魚群がつくので、豊漁の目安とされている。 北海道の日本海沿岸一帯ではかつてニシン漁がさかんであり、シャチ、ザトウクジラ、ミンッククジラ、イワシクジラ、ネズミイルカ、マイルカなどがニシンの群れを沿岸に追い込んでくれるのでクジラをエビスと呼んだ。石川県鳳至郡の宇出津(現在の能登町)でも、江戸期から捕鯨が行われていた。明治以降は富山湾一帯でクジラの網漁がさかんとなった。宇出津ではシャチが捕鯨対象のクジラを追い込んでくれるのでシャチを「神主」と呼んでいた(勝山2016)。 さらに、寄りクジラ、流れクジラなどとして沿岸に漂着することがあり、地域に思わぬ海の幸をもたらすことがある。エビスはクジラだけにかぎらず、海岸に漂着した石をエビスとして祀ることもある。さらに河川を遡上するサケの頭部を殺魚棒でたたいて絶命させるさいに、「エビス!」と叫ぶ儀礼的ないとなみが新潟県の大川などで報告されている。異界からの来訪神としての性格を表すさいにエビス信仰が関与しているものと思われる(菅2012)。(中略) これに対して、イルカやクジラが異界から人間世界に参詣のために来訪するとする民俗が全国各地に伝承されており、民俗学者の柳田国男や折口信夫が注目した(柳田1978)。イルカが群をなして接岸する生態を、民俗学では海豚参詣と規定し、客人(まれびと)の来訪信仰と考えた。もし、イルカやクジラの参詣を何らかの形で阻害するようなことがあると、人間に不幸が起こると見なされた。 たとえば、長崎県宇久島(佐世保市)にはこんな話がある。捕鯨で莫大な富を築いた網元の山田紋九郎に、五島の大宝寺参りに行く親子鯨が夢枕に建ち、命乞いをした。しかし、当時飢餓状態にあった漁師がそのことを無視して出漁し、その親子鯨を捕ろうとした。しかし、嵐に巻き込まれ、72人が命を落とし、このことで山田紋九郎は捕鯨を止めたという。 青森県から、岩手、新潟、伊豆、三重、愛媛、長崎まで広域にわたり海豚参詣に関連した伝承のあることから、日本人とイルカ・クジラとのかかわりを、海の向こうの世界とのかかわりを民間のマレビト信仰と位置づけたことと、捕鯨を戒める祟りの観念が醸成されたことが指摘されてきた。 クジラの捕獲によってえられる恩恵や、飢餓状態のさい、漂着したクジラのおかげで村人が生きながらえることができたとすることから、クジラを手厚く供養する慣行が全国各地に残されている。とくに、江戸時代にはクジラが地域の飢餓を救済したことや、難破した船をクジラが岸近くまで運んだとする伝承がある。その恩に感謝することから、鯨墓や供養碑が遺されている。『食の冒険 フィールドから探る』4:鯨食と文化『食の冒険 フィールドから探る』3:ナレズシ、魚醤、塩辛『食の冒険 フィールドから探る』2:魚の生食『食の冒険 フィールドから探る』1:マグロの心臓とコブラの生血
2024.03.31
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ネット巡っていたらデジタル朝日の「首相、裏金事件で森喜朗氏聴取に含み」というのに出くわしたのです。タイトルはその後に「新事実出ても出なくてもリスク」と続いているように、検察の捜査や岸田首相の幕引きシナリオがからむだけに、今後の進展はどうなるのでしょう?*********************************************************首相、裏金事件で森喜朗氏聴取に含み 新事実出ても出なくてもリスクより 自民党安倍派の裏金事件が新たな局面に入ってきた。元派閥会長の森喜朗元首相が、2022年の還流復活に何らかの影響力を持っていた可能性が浮上。野党は森氏を事件の真相究明に向けた「本丸」と位置づけ、証人喚問を求めるなど厳しく追及し始めた。岸田文雄首相による幕引きシナリオは崩れつつある。 岸田首相は28日の参院予算委員会で、立憲民主党の辻元清美氏から森氏を聴取するかを問われ、「森元首相も関係者の1人だ。政治責任を明らかにするために必要な方ということで、(聴取対象に)含まれ得る」と述べた。答弁を聞いた党幹部はこう漏らした。「何か含みを持たせた言い回しだったな。最後は首相がどう判断するか。聴取するなら首相が聴きに行くしかない」 首相はこれまで「森氏が直接関わったという発言があったとは、報告を受けていない」などと述べ、森氏の聴取に積極的とは言えなかったが、含みを持たせざるを得なくなったのは、首相自身が行った26~27日の安倍派幹部の聴取後のことだ。 日本テレビが27日夜、事情聴取を受けた安倍派幹部の一部が「キックバック再開の判断には森元総理大臣が関与していた」と新たな証言をしたと報道した。派閥の政治資金パーティー券の販売ノルマの超過分を議員側に還流する裏金作りの仕組みは、22年4月、安倍晋三元首相の意向で取りやめの方向になったとされるが、安倍氏死去後の同年8月の幹部協議を経て復活した。この経緯に森氏が関わったとするもので、野党は28日の参院予算委で厳しく追及した。 森氏をめぐっては、裏金作りが始まった経緯も知るとの見方も強い。裏金を作っていた安倍派議員ら約90人に対する聞き取り調査で、党の報告書は裏金作りの開始時期を「場合によっては20年前」と指摘。安倍派座長の塩谷立・元文部科学相は政倫審で「二十数年前から始まったのではないかと思う」と説明しており、森氏が派閥会長だった時期と重なる。党三役経験者は「森氏が裏金事件に関わっていたかどうか分からないが、聴取はやらざるを得ないだろう」とみる。 一方、党幹部は「聴取して新しい話が出なければ野党は森氏の証人喚問を求める。逆に新事実が出れば、検察が捜査を再開しかねない」と述べ、首相が形式的な聴取で事態の収拾を図ろうとすれば痛手を負う可能性を懸念する。(森岡航平、藤原慎一)
2024.03.30
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図書館で「パリの日々」という本を手にしたのです。パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。【パリの日々】 丸山直子×丸山垂穂著、三修社、2020年刊<「BOOK」データベース>より1978年、パリの丸山圭三郎一家。かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は家族を伴いパリに一年間暮らした。パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。-そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。当時公刊されたエッセイに加え、新たに書き下ろした40年後の思い、親子三人の往復書簡(初公開)を収録。<読む前の大使寸評>パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。rakutenパリの日々1978—1979年「パリの日々」から、朝市の商人たちを見てみましょう。p30~32<パリの日々 1978—1979>■朝市の商人たち わが家の門を出て北へ百メートルくらい歩くとポール・ロワイヤル大通りに出る。この通りには火・木・土の午前中パリ名物のマルシェ(朝市)が立つ。メトロのポール・ロワイヤル駅から少し下ったあたりから、数十軒のいろいろな店が所狭しと並ぶさまはまことに壮観である。 パリの朝は早い。6時半、空はまだ真暗で星を仰ぎながら朝市の商人たちのトラックが続々と到着する。荷台から板や囲いのガラス戸を運び出し、手早く組み立てる。積み荷を降ろし、商品を並べる。中年のおやじさん、おかみさん、息子や娘たち、家族総出できびきびと立ち働く。 肉屋、魚屋、八百屋、菓子屋、パン屋、香料屋、総菜屋、チーズ屋、花屋、小間物屋、古道具屋、およそありとあらゆる種類の店がここにはある。店と店の間のちょっとした空間には、ヤギの背にラベンダーの香袋を山と積んだ若い女性がひっそりと立っていたりする。端布で織った花柄のプリントの袋には紫色のラベンダーの花びらを干したものが入っていて、いい香りがする。パリジェンヌたちは、この袋を衣装箪笥の中にしまっておいて移り香を楽しむ。 白い髪の黒人のおじいさんが奏でる物悲しげな笛の音に誘われて、何人かの客が人垣を作り、前に置かれた空き缶の中にそっと硬貨を入れて行く。 毎週三回ずつ朝市に通ううちに、商人たちも私たちの顔を覚え、歩いていると、「ボンジュール、マダム!サヴァ?(奥さん、元気?)」などと声がかかる。この頃になるとこちらも少しは余裕ができてきて、笑顔で「サヴァ、メルシー、エヴー?(元気よ、ありがとう、あなたは?)」などと受け答えができるようになってくる。「肉屋さんの行列に並んで挽肉を500グラム買ってきてごらん」と言うと、娘はいそいそと列に並んで買ってくる。「何て言ったの?」「簡単、Cinq cents grammes de viande hashee, s'il vous plait.でしょ。今日は一発で通じちゃった」「この前、八百屋さんでホウレン草を500グラム下さいと言ったら、ハイハイ、1リーブル(1ポンド)だね、と言うの。いいえ、500グラムと言うと、500グラムと1リーブルは同じさ、と笑いながら教えてくれたの。そう言われてみれば1ポンドは450グラムだから、大ざっぱなフランス人から見れば同じかもしれないね」 ポンドとグラムが共存している点、メートル法を採用している点など日本と同じで何となく親しみがもてる。アメリカでは、ポンド、インチ一点張りだったから、メートル、グラムで話してもピンとこないばかりか、この地球上にそんな遅れたシステムをまだ使っている国があるのか、といった反応が返ってくる。 一般のアメリカ人にとって、異なる文化や習慣が他に存在するということは想像を越えることらしいのである。1960年代のアメリカではホンダのバイクが大人気で、毎日のようにCM“Ýou meet the nicest people on a Honda.(素晴らしい人々、ホンダに乗る)”がテレビに流れていた。私たちはよくアメリカ人が誇らしげにこういうのを聞いたものだった。「日本には、Hondaとか Sonyなんてのはあるかい?」 こういったナイーブな人たちにはホンダやソニーが日本製だと言っても信じてはもらえなかったので、私たちも最後には無駄な抵抗はやめることにしたのであった。「パリの日々」1:まえがき
2024.03.30
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図書館で「パリの日々」という本を手にしたのです。パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。【パリの日々】 丸山直子×丸山垂穂著、三修社、2020年刊<「BOOK」データベース>より1978年、パリの丸山圭三郎一家。かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は家族を伴いパリに一年間暮らした。パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。-そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。当時公刊されたエッセイに加え、新たに書き下ろした40年後の思い、親子三人の往復書簡(初公開)を収録。<読む前の大使寸評>パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。rakutenパリの日々なにはともあれ、まず「まえがき」から、見てみましょう。p01~03<まえがき> 1978年から親子三人で滞在したパリの日々を綴った拙著『街角のクレープ』が出版されたのは1980年。それから40年を経て2020年に再び同書が刊行されることになろうとは思いもかけない出来事であった。 40年前のパリの話はかなり時代遅れで果たして現代の読者に受け入れてもらえるだろうか。今読み返すと未熟な内容で恥ずかしい。そして年齢的に新しく書きなおすことができるだろうかという不安もあり一旦は辞退したのだった。 娘の垂穂からは「その気になればできるはず、ボケ防止に」と背中を押され、三修社の上山直寛氏からは娘と「共著で出版しては」という提案を頂き、加筆訂正して新たに出版することになった。 旧著では現役の夫の仕事についてほとんど触れていなかったが、夫・丸山圭三郎は勤務中の大学から1年間の在外研究休暇を得てフランスへ行くことを決めていた。パリに住みつつ、スイスのジュネーヴ大学に通ってソシュール学の泰斗ロベール・ゴデル教授に師事し資料を収集研究するのが主な目的だった。 パリでの1年間の休暇は私たち家族に思いがけない自由な時間をもたらしてくれた。日本ではありえなかった、家族での買い物、あるいは学校の父母会に行く、映画を観る、などという些細な日常を共にすることができた。自宅と大学を行き来する毎日でスーパーなどに足を踏み入れたこともなかった夫が、朝市のおじさんたちと楽しそうにおしゃべりをする姿は解放感に溢れていて、この人は心底フランスが好きなのだと思った。 大学ではフランス語フランス文学専攻、後に言語哲学研究に進んだ夫にとってもフランスに住むのは初めての経験で公私ともに実りの多い滞在だったのではないだろうか。帰国後『ソシュールの思想』『フランス語とフランス人気質』『文化のフェティシズム』『言葉と無意識』などの書物を上梓した。 一方当時15歳の娘は中学を卒業したばかりでその後の教育をどうするかは一番の難題だった。日本の高校生活を経て大学受験へという既定コースから外れてしまうが、夫だけが単身赴任し家族は日本に残るという選択肢は最初からなかったように思う。人生の途中で1年間だけパリのフランス人の中で勉強してみるのも面白いのではないか。せっかくのチャンスだから新しいことに挑戦してみようと親子で意見が一致、無謀にもパリの全寮制中高一貫校に入学してフランス語を一から学び始めた。 しかし現実は想像以上に厳しかったようで先生や生徒たちと全く意思の疎通ができず授業中に泣いていたこともあったらしい。国語の先生の好意で放課後に特別レッスンを受けて3ヵ月を過ぎる頃から少しずつ言葉として理解できるようになっていった。この1年間は娘にとっても大きな試練であったが、同時に異文化を学ぶ場となり、後にライフワークとなるフランス映画字幕翻訳者としての第一歩を踏み出すきっかけを与えてくれたといえよう。 娘は親の都合で教育環境が大きく変わってしまったが、登校拒否にもならず困難な時期をよく乗り越えたと思う。少し回り道をしたが、今は幼い頃から大好きだった映画に関わる仕事に就き、充実した日々を送っているようである。パリ生活から40年後の私たちの暮らしを併せてお届けできたらと思っている。 2020年4月 丸山直子
2024.03.29
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古生物といえば、三葉虫やアノマロカリスがまず思い浮かぶわけで、『古生物たちのふしぎな世界』という本を読み直したいと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『古生物たちのふしぎな世界』という新書を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪【古生物たちのふしぎな世界】土屋健, 田中 源吾著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より恐竜だけが古生物じゃない!前恐竜時代にもさまざまな古生物が生きていた。三葉虫が繁栄し、アノマロカリスがカンブリア紀の覇者となる。デボン紀にはアンモナイトの仲間がまっすぐのびた円錐形からしだいに丸くなり、ティクターリクが“腕立て伏せ”をはじめる。古生代最後のペルム紀には、イノストランケヴィアをはじめとする単弓類が覇権をにぎる!ダイナミックかつドラマチックな古生代の物語。100点に及ぶ精緻なカラーイラスト&化石写真で解説!<読む前の大使寸評>とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪rakuten古生物たちのふしぎな世界ティクターリク我らが脊椎動物の上陸作戦を、見てみましょう。肉鰭つまり肉のついたひれを持つ魚の仲間である。p167~172 上陸作戦の主要メンバーを“進化の順番”で紹介しよう。 作戦の“基点”として有名なメンバーは、カナダ東部から化石がみつかっている肉鰭類、「ユーステノプテロン」だ。ユーステノプテロン 全長1~1.8メートルほどで、その姿は魚雷のようにまっすぐ太く、長い。胸びれの中に“腕”の構造をもつほか、尾びれが上下対称であること、脊椎がその尾びれの先端近くまでまっすぐ連なっていることなどの特徴がある。 一般に多くの魚の仲間では、尾びれは上下非対称であり、また尾びれ内の背骨は上下いずれかに曲がる。あるいは、尾びれまで脊椎がつながっていない。ユーステノプテロンの尾びれの端までまっすぐ連なる脊椎というのは、陸上四足動物の尾の骨とよく似ているのだ。 次のメンバーはユーステノプテロンの“一歩先”に位置づけられている肉鰭類である。ラトビアから化石がみつかっている「パンデリクチス」だ。パンデリクチスは、全長こそユーステノプテロンとさほどかわらないものの、ユーステノプテロンが魚雷のような姿をしていたのに対し、パンデリクチスはその頭部が水平方向に平たいという特徴がある。(中略) パンデリクチスの一歩先に位置づけられているのも肉鰭類である。カナダから化石がみつかっている「ティクターリク」だ。全長2.7メートルと、ユーステノプテロンやパンデリクチスよりはるかに大きなからだのもち主である。ティクターリクは、全体の印象としては現生のワニに近いかもしれない。 頭部は、パンデリクチスと同じように扁平だけれども、その眼はより高い位置にある。これは水中に身を潜めながら、地上の獲物を様子をうかがうことに適した配置だ。まさにワニと同じである。 ただし、ティクターリクの“高い位置の眼”がどのようにその生活に役立っていたのかは定かでなはない。なにしろ、現在とはちがって、岸に獲物となるような小動物はいなかったはずだ。何をうかがっていたのだろう?ウーム 同じ肉鰭類といっても、ユーステノプテロンとティクターリクではかなりの差異があるようでんな・・・これもデボン紀古生物たちの謎なんでしょう。『古生物たちのふしぎな世界』3:脊椎動物の上陸作戦『古生物たちのふしぎな世界』2:脊椎動物の祖先『古生物たちのふしぎな世界』1:アロマリカリス
2024.03.29
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図書館で「イスラム10のなぞ」という新書を手にしたのです。ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。rakutenイスラム10のなぞ「なぞ8 スンニ派とシーア派はなぜ、対立するのか?」を、見てみましょう。p185~190<なぞ8 スンニ派とシーア派はなぜ、対立するのか?>「スンニ派とシーア派の違いは何ですか」。講演会などでよく聞かれる質問である。スンニ派とシーア派はイスラムの最も大きな宗派的分類であり、現在の中東情勢を理解するうえで必要なカギとなる。 シーア派は、予言者ムハンマドの正当な後継者は彼の娘婿であるアリー(アリー・イブン・ターリブ661年没)とする。 スンニ派は、予言者ムハンマドは4人の正統カリフによって継承され、アリーはその4代目であると考える。両者の間には大きな教義的な隔たりはない。■抑圧されるシーア派 イラクでは、イラク戦争後にスンニ派とシーア派の対立が鮮明になったが、イラク人からフセイン政権が倒れるまで両宗派の住民たちは仲良く暮らしていたという声にも接した。クエートのイラク・レストランではスンニ派、シーア派の人々が一緒に食事をしていた。 イラク戦争において、米軍など多国籍軍がスンニ派を信仰するサダム・フセインの旧勢力を弱体化させるためにスンニ派とシーア派の対立を意図的に煽ったことは否定できない。 現代のスンニ派とシーア派の対立は、メッカとメディナというイスラムの聖地をサウジアラビアにもつアラブ民族と、シーア派教徒が多く占めるペルシャのイラン民族との対立が主要因となっている。イラク戦争でスンニ派のサダム・フセイン政権が崩壊すると、イラクではシーア派主導の政権が成立し、イランの影響力が強まった。サウジアラビアのシーナ派に対する警戒も高まった。 中東イスラム世界における近代化はスンニ派が優勢な国家のもとでまず行われた。欧米をモデルにした近代化は、地域の不均等とシーア派とスンニ派の間の経済的ギャップをもたらした。シーア派が多くを占める地域の、レバノン南部のジャバール・アミール地方、イラク南部の湿地帯、アフガニスタンの中部高地などでは近代化が遅れた。 シーア派住民は、生活の向上を求めて大都市に大量に流入し、ベイルート、バグダード、カブール郊外に貧民街を形成するようになる。社会における不平等感ははじめに左翼思想、続いてイスラム原理主義を受容する素地となった。イスラム原理主義は、イスラムの公正、平等という宗教原理に基づいて現代社会を改善すると考える。このように、イスラム原理主義に最初に傾倒していったのはシーア派の人々であった。「被抑圧者の抵抗としてのシーア派」という概念は、1979年のイラン革命の指導者であるホメイニによって強調された。ホメイニによれば、シーア派教徒はあらゆる宗教の被抑圧者を代表する。そして、イランの被抑圧者がイスラム革命を輸出することによって世界の抑圧された人々を救済することができると考えた。このように、シーア派の原理主義的な主張は「被抑圧者の抵抗としてのシーア派」という概念と強く結び付く。イラン革命の成就は、シーア派のみならず、チュニジア、トルコ、エジプトなどスンニ派諸国の原理主義運動、イスラム復興のうねりに弾みを与えることになった。「イスラム10のなぞ」1:はじめに
2024.03.28
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図書館で「イスラム10のなぞ」という新書を手にしたのです。ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。rakutenイスラム10のなぞまず「はじめに」から、見てみましょう。p03~07<はじめに> 複雑怪奇な中東イスラム情勢は日本人にとって理解しにくいのが実情であり、世界16億人の心を捉えて離さないこの宗教に対する日本人の知識も豊かとはいえない。本書はイスラムに関する基本的問題を、「10のなぞ」として設問を立て、最新の中東情勢を踏まえながら、歴史的に解き明かしていくことで、イスラムを知ることができる入門書である。 こんにちキリスト教に次ぐ宗教人口を抱えるイスラムは、今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予測され、日本人がイスラムという宗教に関わる機会はますます増えていくだろう。過激派による暴力が繰り返され、イスラムには「怖い宗教」「物騒」という見方があることは間違いない。 しかし、イスラムが信徒を拡大していった背景、人々に倫理や法を説く『コーラン(クルアーン)』の内容、予言者ムハンマドの生涯などを知れば、イスラムは危険であるという一面的な考えは払拭されるだろう。さらに、イスラムの歴史と社会制度を理解することは、世界史を読み解く大きな手助けとなる。 手始めに、本書で解き明かす「なぞ」を簡単に紹介してみたい。1から4では、イスラムが歴史的に勢力を拡大し、こんにち世界宗教としての地位を獲得することができた背景を考える。『コーラン』に書かれたことやムハンマドの人物像からイスラムの特徴を捉えたい。 歴史的に見ると、イスラムはムハンマドが生きたアラビア半島に新たな秩序と安寧を与え、イスラム共同体は平和な社会を求める人々の間で求心力を急速に高めていった。ムハンマド以前のアラビア半島は小王朝が乱立し、各部族がそれぞれの神を祀り、この地域全体を治める政治的権威に欠けていた。イスラムは唯一神(アッラー)への帰依を訴えることにより、人々を包み込む大きな政治・社会的権威となっていった。 イスラム帝国がその版図を急速に拡げていったのは、欧米でたびたび言われる、「右手にコーラン、左手に剣」という好戦的な姿勢であるよりも、イスラムが説く教えがビザンツ帝国など当時の社会で定着していた階級を乗り越え、「幸平」や「平等」を訴えて求心力を得たことが大きい。そうでなければ、住民から税を取り上げて、それを帝国の財政基盤にして拡大することは不可能であった。また、インド南部や東南アジアには、ムスリム(イスラム教徒)の商業活動によってイスラムがもたらされた。 5では、8世紀から9世紀にかけてイスラム世界の中心地として大いに繁栄し、学術研究の最先端都市であったバグダードが、やがては衰退の途をたどり、その文明を発展させ、継承することができなかった「なぞ」を考えたい。 8世紀以降、東西世界を支配するようになったムスリムたちはギリシャ古典のアラビア語訳に取り組むようになり、イスラム帝国の首都バグダードは医学、科学、天文学など世界の学術研究の中心となった。 ムスリムがつくり上げた学術的遺産をヨーロッパ人たちも学ぶようになり、それが後にルネッサンス文化として開花していくことになる。1000年を経て、サダム・フセインの統治以降、湾岸戦争、イラク戦争、また「イスラム国(IS)」との戦いで疲弊を余儀なくされたイラクの首都バグダードが、かつての「黄金都市」としての煌きを喪失したことも、イスラム諸国の欧米に対するコンプレックスとなっている。 6では、イスラムにおける経済の発展を考える。(中略) 最後に、7から10では、15世紀以降のイスラムの歴史を考えることで、スンニ派とシーア派の相克、アラブ人とユダヤ人の対立といったようなこんにちの複雑怪奇な中東情勢の「なぞ」に答えたい。中世から近世にかけて東西イスラム世界を支配したオスマン帝国の歴史は、現在のイスラムと欧米の関係を形づくっている。トルコとはどういう民族であったのかを知ることも世界史やユーラシア世界の現状を理解する上で重要なカギになる。 オスマン帝国が弱体化、解体していく過程でスンニ派とシーア派の対立も顕著になっていったが、日本人は両派の名称をニュースなどで頻繁に耳にしながらもその相違や対立の背景はわかりにくく、十分理解できていないだろう。また、アラブ・イスラエル紛争は中東最大の不安定要因、紛争要因であり、アルカイダやISが反米テロを繰り返すのも、アメリカがイスラエルを偏って支援してきた背景が関係している。 さらに、民主化できないでいたアラブ諸国の独裁、強権政治は暴力を助長し、過激派にエネルギーを吹き込むことになってきた。 本書では、イスラムに関して根本的かつイスラムを知るために不可欠な「10のなぞ」をやさしく、また時には一歩進んで詳細に解き明かすことによって、読者がイスラム世界の「いま」を理解することの手助けとなるようにしたい。
2024.03.28
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サクラの開花宣言が気になる昨今であるが、「さくらんぼの実る頃」というシャンソンを思い出すわけで・・・以下のとおり2009年の日記を復刻してみます。*********************************************************you tubeでナナ・ムスクーリの「さくらんぼの実る頃」が復活したので、以前の日記を再掲します。Nana Mouskouri - Le temps de cerisesLe Temps des cerises Paroles:Jean-Baptiste Clement Musique:Antoine RenaQuand nous chanterons le temps des cerisesEt gai rossignol et merle moqueurSeront tous en fete …Les belles auront la folie en teteEt les amoureux du soleil au coeurQuand nous chanterons le temps des cerisesSifflera bien mieux le merle moqueurMais il est bien court le temps des cerisesOu l'on s'en va deux cueillir en revantDes pendants d'oreille …Cerises d'amour aux robes pareillesTombant sur la feuille en gouttes de sangMais il est bien court le temps des cerisesPendants de corail qu'on cueille en revantQuand vous en serez au temps des cerisesSi vous avez peur des chagrins d'amourEvitez les belles …Moi qui ne craint pas les peines cruellesJe ne vivrais point sans souffrir un jourQuand vous en serez au temps des cerisesVous aurez aussi vos peines d'amourJ'aimerai toujours le temps des cerisesC'est de ce temps la que je garde au coeurUne plaie ouverte …Et Dame Fortune, en m'etant offerteNe pourra jamais fermer ma douleurJ'aimerai toujours le temps des cerisesEt le souvenir que je garde au coeurこの歌詩はウィキペディアLe Temps des cerisesから転載したのですが、coeurなど一部フォントを変えています(仏語フォントは楽天が受け付けてくれません)"A la vaillannte cityenne Louise, l'ambulanciere de la rue Fontaine-au-Roi le dimanche 28 mai 1871."このシャンソンはフォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦,勇敢なる市民ルイーズに捧げられたそうです。「桜んぼの実る頃」をめぐって大野修平さんより
2024.03.27
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図書館で「アンコ椿は熱血ポンちゃん」という本を手にしたのです。表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃんラーメンと脳科学のエピソードを、見てみましょう。p34~35<早春の満九十六歳> 本日は、お日柄も良く、冒険小説か、船戸与一御大の誕生日である。と、いうことは、私の誕生日でもあるということ。それなのに例年通り机の前にいて、この原稿を書く破目になっている。ハッピー バースデイ トゥ ミー。いくつになっても計画性がまるでない私である。年いくつ? 26よ、というたわ言にも飽きた昨今。これからは、96です、などと誤魔化してみよう。新感覚のおばあさん道が開けて来るかもしれない。 わしわし食べ、ごくごく飲み、すたすたと歩く。我ながら、老いてますます盛んな、あっぱれ人生だ、と思い込もう。そして、腑甲斐ない若者を叱咤する。ほれ、詠美さんを家まで送る! と男気を見せていたくせに、途中で、私を放り出してタクシーを降り、道端でげろを吐いていたあなたのことよっ! 翌日、電話して来て、誰にも言わないで下さいと懇願していたわね。 ええ、守っていますとも。誰にも言いません。ただ書くだけなの。だって、わたくし、日々のつれづれを描写せずにはいられない閨秀作家のはしくれなんですもの。まあ、だらけて眠ってばかりいるので、閨秀作家と呼ぶべきかもしれないが。 私は、寝るのが大好き。用事のない日は、夜の8時や9時にベッドの中にもぐり込んじゃう。で、本を読んでいるとすぐに眠くなってしまい、グーグー。しかし、それだけ早い次項に寝入ってしまうと、やはり夜中に目が覚める。で、また本の続きを読む。すると、再び眠くなる。これをくり返すとどういうことになるか。夢の中に、その読みかけの本の世界が出現するのである。 川上弘美さんの『真鶴』(文藝春秋刊)を読んだ時は恐かった。夢の中で、私も真鶴に旅をしているのである。茫洋とした寂し気な海辺をひとり歩き続ける私。何度も不穏な空気を感じて振り返り、そしてひとりごちるのである。なんだ、ついて来るもの、いないじゃない。目覚めてもなお、耳に海鳴りの音が響いているような気がしていた。 茂木健一郎さんの本を読みながら眠ってしまった時も不思議な夢を見た。夢の中で茂木さんはラーメン屋の主人だった。おいしいと評判のその店には行列が出来ている。私も、その最後尾に並ぶ。おなかは、ぺこぺこである。あたりには良い匂いが漂っている。まだなのー?と待ち切れない思いで、ぴょんぴょん跳ねて順番を待つ私。 ようやく店に入れてありついたラーメン。これが・・・ものすごくおいしいのだ。うひょーうめーずるずるずる・・・。ところが堪能している最中に主人(茂木さん)が、はい、そこまでで充分でしょ、と言って、私の丼を取り上げてしまうのだ。え? そんな! と思ったところで目が覚めた。 口の中には、ラーメンの旨味が、はっきりと残っている。夢で食べたとは思えない。その時、あっと天啓を受けたような気がした。もしかしたら! これ、この感覚こそが、クオリアってやつ!? へー、ラーメンと脳科学の接点がおれさまのベッドの中でもたらされたなんて、新解釈? それとも、でたらめ? まあ、どっちでもいいや。いずれにせよ、タオル頭に巻いて、派手なパフォーマンスで湯切りする茂木さんは威風堂々たるラーメン職人ぶりであった。「アンコ椿は熱血ポンちゃん」1:天高く毎日はアンコ神楽
2024.03.27
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図書館で「アンコ椿は熱血ポンちゃん」という本を手にしたのです。表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃんまず冒頭のエピソードから、見てみましょう。p07~09<天高く毎日はアンコ神楽> 二ヵ月ぶりに戻ってまいりました。しかし、どこを捜しても威を借るべき文豪のお姿が見当たりません。よって、今回からは、懐かしのメロディに便乗して、お調子者の本領を発揮して行く所存でございます。でもなあ、アンコ椿の「アンコ」って、意味解んない。幼い頃に耳にした時はおまんじゅうの「餡こ」だと信じて疑わなかった。 後にどうやら違うらしいと気付いたものの、演歌とは無縁だった山田家。話題にのぼることもなく、ここまで来てしまったのである。今さら聞くに聞けない言葉の範疇に入れられ眠り続けていた「アンコ」。何十年ぶりかに目覚めて、私を動揺させている。それが「アンコ」。そこで、恥を忍んで、新解さんのお宅のドアを叩いてみたところ。 あんこ㈠[姉子の変化][伊豆大島方言]娘。 🉂][東北方言]日雇い労働者。🉁[魚のアンコウを連想させる所から関東から中国・四国方言]力士で、肥え太った型の物。 娘椿!? 日雇い労働者椿!? 力士椿!? 私の場合、絶対に三番目だと思う。だって、日頃から、ゆで玉子に楊枝刺した体型と言われ続けているんですもの。母から私や妹たち、そして姪たちにまで受け継がれる山田家の成せる業なんですもの。 華奢という言葉とは常に無縁で来た私たち。はかなげという形容詞が、まったく似合わない私たち。女にその風情を要求する男たちが、ひとりも近寄って来なかった私たち。でも、いいの。捨てる神あれば拾う神あり。世の中は上手く出来ているもので、娘たちは全員結婚したし(一応)、今も、誰かしらの色恋沙汰で、いつもわいわいしている。 DNAによる体型が、山田家の家風を形作ったと言っても過言ではないであろう。「そっぷ」な家系にはない熱気が漂っているのである。あ、ちなみに、今、調べたら、「そっぷ」の語源は、スープなんだとか。スープを取る骨 イコール やせっぽちの力士ってことらしい。やっぱり、新解さんは、色々教えて下さいますね。ソップはスープの老人語、なんて記述もあったけど、確かに、ハイカラなじいさん用語である。 内田百閒先生あたりにお似合いだ。ソップなスタイルに憧れつつも、アンコな心持ちで、熱血ポンちゃんは、これからも突き進んで行くので、よろしく。 さて、いつのまにやら、今年ももう終わりに近付いていて、信じられない気持ちである。今年、わたしには、夏がなかった。猛暑だったそうだが、昼間外に出ることがほとんどなかったので、まったく実感出来なかった。 書き下しの執筆のために、ずうっと蟄居していた私。夏なのに蟄居。青春を謳歌する季節だというのに蟄居。盆踊りの女王(自称)なのに蟄居。そして、それは、スロウな私の仕事ぶりのために、秋口まで続いたのである。 小説を執筆するたびに、私って奴は、どうして他の小説家の人たちみたいに、さくさく仕事が出来ないのだろうと、我が身の腑甲斐なさにうんざりするのである。「小説を執筆するたびに」なんて言っていること自体、ほんと駄目駄目だよね。本来、小説家は、毎日机に向かうべきではないのか。でも、私にとって、小説を書くことって、受験勉強と同じなの。そして、同時に、試験を受けてもいるの。考え込んでいる時は前者で、書いている時は後者。 だもんだから、学生時代の試験前と同じような行動を取ってしまうのである。机の存在を見て見ぬ振り。これである。参考書や筆記用具が待ち受ける机に気付かれぬよう、そおっと通り過ぎていたあの頃。机を完全に擬人化していた。え?わたくし?人間違いではございませんか? と勉強部屋で、机を相手役にして、ひとり芝居をしていた私。今、仕事部屋でも同じことをくり返しているのである。 しかし、その内、にっちもさっちも行かなくなり、ようやく観念して、机の前に座る。ところが、この期に及んでも、まだ往生際悪く、いつもなら思いつかないような時間つぶしに精を出してしまう。枝毛切ったり、川柳を詠んで笑ってみたり、グラフィティアートもどきのタグを作って色を塗ってみたり、とうに挫折したスペイン語のテキストをおさらいしてみたり、ああ、ほんと、私って奴は!
2024.03.26
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図書館で「アウト・オブ・民芸」という本を手にしたのです。カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪【アウト・オブ・民芸】 軸原ヨウスケ×中村裕太著、誠光社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜこれは民藝じゃないの?資料を読み解くことで書き換えられる相関図。民藝運動の「周縁」にスポットをあて、21世紀のモノづくりを考える。<読む前の大使寸評>カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪rakutenアウト・オブ・民芸宮城伝統こけし「第二回 こけしと郷土玩具から見る民芸」から郷土玩具を、見てみましょう。p50~53<第二回 こけしと郷土玩具から見る民芸>軸原: さて今回は郷土玩具、特にこけしの話を中心にするつもりなのですが、前回中村くんに用意してもらったこの分類図(第一回掲載図番参照)をもう一度見てみると、郷土玩具がどこにもはいらないんですよね(笑)。いるとしたらこの個人的工芸と民衆的工芸の間なんじゃないかなと。実用的ではないし、観賞用ともいい切れない。これ見ただけで郷土玩具って「アウト」なんだなという感じがします。柳(柳宗悦)の眼中にはなかった感じですよね。 ですが柳没後の1972年に出た『世界の民芸』(朝日新聞社)という本なんかは、濱田庄司・芹沢圭介・外村吉之介という民芸界の神々が書いているんですが、かなりの割合で「世界の郷土玩具」と言ってもいいようなラインナップなんですよね。そういうのもあって僕はこの民芸のグレーゾーンがずっと気になっていた。 まずは柏木博さんが1981年の『おもちゃの神話』という本に面白いことを書かれていますので、読んでみましょう。 柳宗悦が様々な「民具」や各地方の「雑器」「日用品」に目を向けたのと「郷土玩具」を蒐集する趣味が一般に広がり始めたのとはほぼ同時代である。 セルロイドやブリキ製のおもちゃが大量生産され始め、「手工芸」的につくられる「郷土玩具」が、希少性、珍品になり、その結果、蒐集の対象になったとも言えようけど、それだけが「郷土玩具」蒐集の原因ではなく、岩村(透)や柳に見られる「手工芸」に対するある種の意識も、その原因となっていたと言えるだろう。 「手工芸」に対するある種の意識とは、「工業」によってつくられたものは「無趣味」であり、それに対して「手工芸」によってつくられたものが「趣味」的かつ「美」であるとする意識である。 つまり、失われつつある「郷土玩具」には、「手工芸」によってつくられたものだけが有する、「趣味」や「美」がある、という意識が、「郷土玩具」蒐集の大きな原因になっていたと言える。言いかえれば、「趣味」とか「美」とかいった、イメージとしての価値を、人々は「郷土玩具」に求めたのである。 そしてその価値は、しだいに強力になっていく「工業」的な生産力に逆比例して、当時、発生しはじめた価値であった。軸原: もうここだけですごくいいんですよ。郷土玩具の収集って明治時代から始まっていて、大正期にはすでに一般的なものにまで広がっていく。そういう時期に柳が民芸運動をはじめたということは覚えておいたほうがいいと思うんです。中村: つまり、明治時代には郷土玩具収集は、ある一部の趣味人たちのものだったと。軸原: そうですね。明治期にはまだインテリたちの趣味だった。その後に生まれた背景として、「機械工芸対手工芸」という構図があって、機械工芸は無趣味だけど手工芸は趣味性を帯びていくという感覚が共有され始めたころに民芸運動がはじまっている。中村: 僕が「機械工芸対手工芸」から連想するのはウィリアム・モリスです。柳たちがやっていた民芸運動の素形というか原型のようなものを仮にモリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に求めたとして、モリスに影響をうけていた代表的な存在は柳だと言われますが、他にも横のつながりで富本も直接的な影響を受けている。軸原: 宮沢賢治なんかもいたり、山本鼎にも直接的な影響もあっただろうと・・・それこそモリスの言うような「手仕事の喜び」を推奨してますよね。モリスという共通の背景があるからこそいろんなことが理解できるようになる気がしますね。 そういった中で柳が郷土玩具を批判していたのは、当時の日本での郷土玩具受容や、先んじて始まっていた農民美術運動が人形をベースに展開していたことも含めて、自分の立ち位置をはっきりさせないといけなかったからであり、そのアイデンティティに「用の美」というコンセプトがあったからではないかなと思っています。 郷土玩具に話を戻すと、戦前の本には「土俗玩具」とか「諸国玩具」とか、いろんな言われ方をしているんですね。1923年に『郷土趣味』という雑誌上で田中緑紅の「郷土玩具の話」という連載が掲載されたのが郷土玩具という呼び名の始まりのようです。郷土玩具の定義ってわかりやすくいうと「郷土玩具は必ず商品である」ということです。お土産と神具の中間みたいな。 だからこそ民俗学の収集の対象ではなかったし、文化的な遣り方が難しかったというのはそういうことです。使うものでもないし、儀礼のものとも言い切れない、商品である、ということはもうひとつ考えておいたほうがいいですね。「用の美」とは一線を画す存在なんですね。『アウト・オブ・民芸』1:まえがき
2024.03.26
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図書館で「アウト・オブ・民芸」という本を手にしたのです。カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪【アウト・オブ・民芸】 軸原ヨウスケ×中村裕太著、誠光社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜこれは民藝じゃないの?資料を読み解くことで書き換えられる相関図。民藝運動の「周縁」にスポットをあて、21世紀のモノづくりを考える。<読む前の大使寸評>カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪rakutenアウト・オブ・民芸まず軸原ヨウスケさんの「まえがき」から、見てみましょう。p04~05<まえがき> 個人的な想いでしかないが、デザインと美術の間に「民芸」があるのではないかとずっと思っている。手仕事の複製芸術であり、暮らしの中の芸術。誤解を恐れずに書くと、私は「民芸」という言葉を「民衆的工芸」というよりも「民衆的芸術」として理解してきたのかもしれない。「民芸」が目指したものが工芸でしかないのであれば「無印良品」のような安価で使いやすいプロダクトこそが現代の「民芸」ということになってしまうだろう。民芸運動が工芸だけの運動だったとはどうしても思えないし、思いたくもない。私にとっての民芸は、朝鮮民画、大津絵、型染、版画、農民たちが喜んで作ったであろう陶器や模様の数々。そんなものがどれも大好きだ。 もちろん河合寛次郎の「用の美」とは遠くかけ離れたようなオブジェのようなキセルも。「民芸ブランド」の名の下に、そもそもが弱者、民衆の味方として、つまりはカウンターカルチャーとして現れた民芸が、新しいひとつの権威になってはいないだろうか。そんな疑念が「アウト・オブ・民芸」企画の根源にある。 民芸運動以前、もしくは民芸運動発足の同時代において、民衆的な芸術を試みていた人たちはなき者とされ、民芸運動に直接関わった人ばかりが盲目的に顧みられることへの不満も少しはある。しかし根底にあるのは柳宗悦へのリスペクトであり、リスペクト故の素朴な疑問だ。 優しさと正義感に溢れた柳が、民衆的芸術の中でも、あえて外したものが色々あったのは何故だろう。「なぜこれが民芸で、これが民芸じゃないの?」その素朴な理由を知りたくていろいろな資料を読み漁った遍歴が、結果としてこの本になったのかもしれない。 研究ではなく、ただただ好きで調べ続けた結果、連想ゲームのように広がったその世界は、人と人の繋がり、時代背景や人間関係、様々なことを教えてくれた。そして「アウト・オブ」には「アウト・オブ」である理由が色々とあったのだ、とも今は理解できた。(中略) こけしや郷土玩具がグレーゾーンであることを契機に、軸原は「外れてしまった」モノや人を、中村は民芸運動の時代に素早くその周縁(アウト・オブ)に回り込み、自前の工芸論を展開していった人やモノを、興味の赴くままに調べた結果がここにあります。 軸原ヨウスケ
2024.03.25
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<なに? サウジの海水淡水化事業ってか>ネットを巡っていたら「サウジアラビアが挑む次世代型海水淡水化事業」というのがヒットしたのです。なに? サウジの海水淡水化事業ってか、それもシュケイクに設置されたとか、これは(多分私が)地獄のように苦しいめに喘いだ現場ではないか・・・ということで、以下のとおり紹介します。サウジアラビアが挑む次世代型海水淡水化事業より サウジアラビアは、国土の大部分が砂漠であり、川がないために水資源が限られた国である。この厳しい環境を原動力にし、同国は海水淡水化事業で世界をリードしてきた。淡水化技術を従来の蒸発法から特殊な膜を用いて淡水を生産する逆浸透法(RO)へと進化させたことで温室効果ガス排出量を削減し、再生可能エネルギーの使用によりさらなる環境負荷の低減にも取り組んでいる。 また海洋生態系への影響を懸念し、2030年までに逆浸透法で生成される濃縮海水の海洋放出ゼロを目指す。サウジアラビアがけん引する次世代型海水淡水化事業の可能性について、現地在住リサーチャーがレポートする。■サウジアラビアの水資源事情と海水淡水化事業の重要性 サウジアラビアは、世界でも特に水資源が乏しい国の一つである。そのため、国の水供給の大部分は海水淡水化に依存している。環境・水資源・農業省(MEWA)によると、2030年までに都市部の水供給の90%(現在は約70%)を海水淡水化によって賄う計画が立てられており、未だ達成していない上水道の普及率100%を目指している。 政府は、ビジョン2030の枠組みの中で経済の多様化と公共サービスセクターの発展を推進しており、海水淡水化はその中核的な役割を果たしている。*********************************************************地獄のようなサウジレポートを、過去の日記で見てみましょう。■2009.06.05XML急遽 サウジアラビアに出張■2009.06.10XML地獄のサウジレポート■2009.06.12XML紅海が見えた■2009.06.14XML地獄のサウジレポート2■2009.06.18XML刑期延長(地獄のサウジレポート3)■2009.06.21XML焼酎を持ってこんかい!■2009.06.24XMLノー プロブレン ■2009.06.28XMLサウジのテレビ事情 ■2009.07.01XMLサウジの空港職員 ■2009.07.04XML刑期再延長 ■2009.07.08XML「挽歌」の聴き比べなど、如何?■2009.07.10XML「必死のパッチ」で・・・■2009.07.15XML夏が来~れば 思い出す ■2009.07.16XML約1ヶ月ぶりの休日 ■2009.07.17XML帰国近し ■2009.07.21XMLsauji dassyutu ■2009.07.22XML死の場所・タクラマカン
2024.03.25
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在201位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在111位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在57位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在49位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在192位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在11位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在13位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在67位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在44位・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在59位・森見登美彦『太陽と乙女』(3/23予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ウマは走るヒトはコケる・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・『深海ロボット、南極へ行く』:図書館未収蔵・西東三鬼『神戸・続神戸』<予約分受取:12/27以降> ・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/27受取)・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、2/27受取)・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、2/27受取)・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、3/11受取) **********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【太陽と乙女】森見登美彦著、 新潮社、2017年刊<出版社>よりデビューから14年、全エッセイを網羅した決定版! 登美彦氏はかくもぐるぐるし続けてきた! 影響を受けた本・映画から、京都や奈良のお気に入りスポット、まさかの富士登山体験談、小説の創作裏話まで、大ボリュームの全90篇。台湾の雑誌で連載された「空転小説家」や、門外不出(!?)の秘蔵日記を公開した特別書下ろしも収録。寝る前のお供にも最適な、ファン必携の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/23予約、副本1、予約0)>rakuten太陽と乙女【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.03.24
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・パリの日々・アウト・オブ・民芸・イスラム10のなぞ・アンコ椿は熱血ポンちゃん<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【パリの日々】 丸山直子×丸山垂穂著、三修社、2020年刊<「BOOK」データベース>より1978年、パリの丸山圭三郎一家。かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は家族を伴いパリに一年間暮らした。パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。-そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。当時公刊されたエッセイに加え、新たに書き下ろした40年後の思い、親子三人の往復書簡(初公開)を収録。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenパリの日々【アウト・オブ・民芸】 軸原ヨウスケ×中村裕太著、誠光社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜこれは民藝じゃないの?資料を読み解くことで書き換えられる相関図。民藝運動の「周縁」にスポットをあて、21世紀のモノづくりを考える。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenアウト・オブ・民芸【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenイスラム10のなぞ【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃん
2024.03.24
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近現代史のなかで、もっとも関心のある勘所と言えば、私の場合は満州国建国前後あたりになるわけで・・・『満洲国から見た近現代史の真実』という本を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館に予約していた『満洲国から見た近現代史の真実』という本を、待つこと8日ほどゲットしたのです。このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。【満洲国から見た近現代史の真実】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より五族にとって満洲国とはどのような国であったか?歴史を政治の道具にする中国・韓国に、日本は歴史の事実を武器に反撃せよ!<読む前の大使寸評>このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。<図書館予約:(7/01予約、副本1、予約0)>rakuten満洲国から見た近現代史の真実「第六章 日本はなぜ満洲国を建国したのか」でこの本の勘所を、見てみましょう。p161~163<日本はなぜ満洲国をつくらなければならなかったのか> そもそも関東軍が1919年に独立の在満軍事機関として発足したのは、1917年のロシア革命と社会主義への脅威からだったということは、いまでは忘れ去られています。かれらの任務は、日露戦争で勝ち取った日本の権益を守るための、満蒙の治安維持でした。 朝鮮と満蒙にはすでに共産主義運動が広まっており、1928年から始まったソ連の第一次5ヵ年計画では、西部シベリアが開発され、特別極東軍も整備されつつありました。張学良が東支鉄道(かつての東清鉄道)を強行回収したことに端を発する1929年の中ソ紛争では、ソ連が新設したばかりの特別極東軍が、装備の近代化をすすめていた張学良軍を圧倒しました。 このとき「もしも日本が満蒙になんらの勢力を有していなかったならば、ロシア軍は恐らくいささかの躊躇もなく、北満一帯はおろか南満洲の武力占領もあえて辞さなかった」だろうと板垣征四郎は述べました。かれはさらに「満蒙の赤化は直ちに朝鮮の治安を乱し、朝鮮の治安が乱れれば日本内地の治安に影響する」と考えたのです。 中国は依然として軍閥割拠がつづいており、南京の国民政府は実質的に満蒙を支配する実力がありません。中国全体の治安も悪く、また、日露戦争で日本が勝利しなければ、満蒙はロシア領になっていたはずで、この戦争に中国政府は何一つ貢献していません。それにもかかわらず、いまになって国権回復といって「十万の英霊、二十億の国帑(国庫金)」を費やして日本が得た正当な権益を攻撃し、日本人が長年にわたって開拓したものを無償で返せというのは許せない、と軍人だけでなく当時のふつうの日本人も考えたのです。 一方、有名な石原莞爾の満蒙領有論は、「日米開戦は避けることのできない世界史上の必然であり、支那問題、満蒙問題は対支問題に非ずして対米問題である。世界最終戦としての日米戦争を闘うつもりがないのなら、満蒙も必要でなく、軍備も放棄してしまったほうが、小手先で戦争回避の手段を弄するよりはるかに日本のためである」というものでした。 石原はまた、このようにも言っています。「支那人がはたして近代国家をつくることができるかどうかはすこぶる疑問で、むしろわが国の治安維持のもとで、漢民族の自然的発展を期待するほうがかれらのために幸福であることは間違いない。満蒙は満洲人とモンゴル人のものであって、彼らは漢民族よりもむしろ大和民族に近い。日本の努力が減れば満蒙も中国と同じ混沌状態におちいるだろう」 満蒙は、革命の総本山ソ連に対峙する最前線でした。対ソ戦の観点から見れば、これまで日本が特殊権益を持つ南満洲、東部内蒙古にとどまらず、北満洲からソ連を追い払うことが必要である。この考えが、満洲国建国の原動力となりました。 関東軍ははじめ、満蒙領有計画を持っていましたが、満洲事変勃発からわずか四日後には、独立国家案へと後退しました。それは、陸軍参謀本部の反対が思いのほか強かったからです。そこで石原は、国防を日本に委任し、鉄道・通信を日本の管理に委ねることを条件として、日本の保護下に満蒙を独立国家とするという解決策を出し、結局それが採用されることになったわけです。石原莞爾の深慮遠謀が「戦争不拡大・反東条」を主張したカリスマ軍人・石原莞爾はなぜ“満州事変”を計画したのかに出ています。『満洲国から見た近現代史の真実』3:この本の勘所『満洲国から見た近現代史の真実』2:明朝時代のモンゴル『満洲国から見た近現代史の真実』1:現代中国がタブー視している満洲
2024.03.23
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探る道の駅たいじより「8章 クジラとイヌ」から鯨食を、見てみましょう。p253~<1.鯨食と文化> 1988年、東京で㈶日本鯨類研究所主催の「日本の捕鯨を考える」国際研究集会があった。日本以外に、カナダ、オーストラリア、ノルウェイ、米国、英国の研究者が参加した。当時、国際捕鯨委員会(IWC)では英国、米国、豪州は反捕鯨の立場にある国ぐにであり、ノルウェイ、日本、アイスランドが捕鯨推進国であった。 シンポジウムのあった日の夜、新宿の鯨料理屋に全員で繰り出した。クジラを食べる会に出ることに全員、違和感はなかった。店では、クジラの赤身やブラバー(鯨脂)だけが出されたのではなかった。誰かがあらかじめ注文を決めていたのかどうか定かではなかったが、クジラの内臓や生殖器などの盛り合わせた皿が出た。 鯨食になれた日本人でも、値段の高い尾の身だけでなく、内臓を食べる機会はあまりない。捕鯨関係者にしてみればふつうに食べてきた食材であっただろうが、大皿に盛られたクジラ部位の説明をうけて、参加者は一瞬、無言になった。 見た目は色とりどりの刺身に相違なかったが、それが内臓や生殖器と聞いて、食べたことのない人も何人かはいたであろう。 わたし事で恐縮であるが、弟の結納式のさいに京都の著名な料亭での宴席に尾の身が出た。全員その美味に舌鼓を打ちながら、いったい何の肉か魚かとささやきあった。クジラの尾の身と分かり、どよめいたことを機億している。 美味であるかどうかの評価は別として、内臓などを刺身で食べることはあまりない。クジラの舌、つまり「さえずり」は美味との評価がある。 以前、長崎空港のロビー内にある店でさえずりを食べたが八切れで4000円也であった。一切れ500円相当で、これはマグロの中トロにも匹敵する高価な食材であった。新宿の店でさえずりは出なかったが、大阪市内のホテルで開催された立食パーティーで、大阪南の著名なおでん屋が出店を出し、さえずりを提供していた。ご主人と話をしながら、調子に乗って三杯分頂戴して堪能した。本店ではいかほどの値段で提供されているのか、いまだに気になっている。 大阪の茨木市の居酒屋で友人二人とおでんをつつきながら飲んだ。豆腐や卵、こんにゃくをいただくまではよかったが、「コロ」を注文した。コロはクジラの黒皮のついた脂の部分で、独特の食感とアッサリしたうま味がある。勘定書きが予想以上でびっくりした。友人の一人である先輩が全部払ってくれて、注文した手前、申し訳ない気持ちでいっぱいであった。『食の冒険 フィールドから探る』3:ナレズシ、魚醤、塩辛『食の冒険 フィールドから探る』2:魚の生食『食の冒険 フィールドから探る』1:マグロの心臓とコブラの生血
2024.03.23
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図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた「Ⅲ章 東南アジア」からアジア納豆を、見てみましょう。p122~124<絶品! 納豆バーニャカウダ> 納豆は日本独自の伝統食品だと思い込んでいる人が多い。かくいう私もその一人だったが、実は中国南部から東南アジアの内陸部、さらにはヒマラヤまで、納豆を食べている民族がいることを知って驚いた。結局、アジア大陸諸国の納豆を調べ回って本を一冊書いてしまったほどだ。 私はこれらを「アジア大陸納豆」、略して「アジア納豆」と呼んでる。アジア納豆は日本納豆とは作り方がちょっとちがう。日本では伝統的には稲わらで煮豆を包んで発行させるが、アジア納豆は大きな木の葉で包む。バナナの葉やシダ、パパイヤの葉で包むところもある。どんな葉で包んでも二、三日経つと、ネバネバと糸を引く、あのくさい匂いのする納豆ができあがる。 確認のため、ミャンマーとブータンの納豆を持ち帰り、東京都立食品技術センターで検査してもらったところ、作用している菌は日本の納豆菌と「ほぼ同じ」という結論をえた。要するに納豆菌はどこにでもいて、稲わらを含め、どんな植物で煮豆を包んでも納豆になってしまうのだ。 さて、アジア納豆の食べ方はどうなのか? これが日本の納豆とはだいぶ異なる。というより、アジアの納豆民族のみなさんは日本の納豆を見ると、首をひねる。「どうしてナマでしか食べないの?」「どうしてご飯にかけて食べるだけなの?」 実際私はミャンマーの少数民族であるシャン族出身で、東京に長く住んでいる人にそう訊かれて絶句してしまった。彼曰く「私たちシャン族は、納豆を生だけじゃなく、焼いたり煮たり蒸したりして食べてるんですよ」。 衝撃である。だって、考えてみてほしい。もし魚を生でしか食べないという民族がいたら、どう思うか。「まだ文明化されてないんじゃないか?」と疑いかねない。つまり、、私たち日本人は“納豆後進国”の疑いさえ持たれているのだ。 では、逆に“納豆先進国”はどこなのか? 私が調べたかぎりでは、納豆料理が最高度に発展しているのは前述のミャンマー、それもシャン族が住むシャン州だ。シャンの人たちは新鮮なものは生のままでも食べるが、多くの場合、豆を臼で潰して平らに伸ばしてから天日干しにし、薄焼きせんべいそっくりのものを作る。保存がきくからだ。 このせんべい納豆はそのままひに炙っておやつにしても香ばしくて美味しいが、砕いて粉にすると、調味料に早変わりする。汁物でも炒め物でも何でもその納豆粉を入れてしまう。納豆はアミノ酸を多量に含んでいる、言わば「うま味の固まり」だから、どんな料理に入れてもダシが出ておいしくなる。 シャンの人たちが日常的に食べる料理で、しかも私が「世界の納豆料理ベスト3」に入れたいと思うのは、「納豆と川海苔のディップ」。 まずせんべい納豆を揚げ、それを川海苔、ピーナッツ、ニンニク、生姜、ネギ、パクチー、湯むきしたトマト、茄子、炒めた唐辛子と一緒に石臼に入れ、丁寧に潰す。最後に納豆を揚げた油を少し垂らし、水を加えるとディップ(タレ)が完成。そこに茹でた野菜や生野菜をつけて食べる。納豆バーニャカウダとも呼べる。 これは絶品の一言。納豆独特の風味はしっかり残っているのに、川海苔などと合わせているせいか、なんとも爽やか。粘り気はないが代わりにコクとうま味が凝縮されている。これほど体によさそうで、でも食べ応えのある料理はない。しかも、初めって食べる外国料理なのに無性に懐かしい。限りなく和食に近い、いや和食の斜め上を行く料理とでも言おうか。 残念ながら、日本人は納豆のごく一部しか知らないと、つくづく思った。でも、同時に納豆の恐ろしいほどの可能性を知って感動してしまったのだった。納豆といえば・・・かつお節とともにご飯の上に乗せてかき混ぜて食べるものと、バカの一つ覚えであったが、今後はシャン族風にアレンジしてみるのも一興であるなあ。『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』3:エチオピアの珈琲道『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』2:デーツ『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』1:はじめに
2024.03.22
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図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた「I章 アフリカ」からプリミティブなエチオピアを、見てみましょう。p29~31<“アフリカの京都”の生肉割烹と珈琲道> エチオピアは三千年近い歴史を誇り、現存する世界最古の国家のひとつとして知られる。独自の伝統文化を誇り、他のアフリカ諸国とは全く雰囲気が異なる。ゆえに私は「アフリカの京都」と呼んでいる。 日本でもそうだが、田舎者が「都」に行くと独特の習慣に驚かされる。 大学教授に取材したときのこと。教授の奥さんや友だちも交えて一緒に夕食に行ったのだが、教授はいきなり肉屋に立ち寄った。天井から吊り下げられた牛の部位を指さし、「ここと、ここをくれ」みたいなことを言うと、そのままみんなでずんずん肉屋の奥に入っていく。慌てて付いていったら、そこは食堂になっていた。イートインなのである。 私たちが席につくと、肉屋のおじさんがドン! と牛肉の塊がのった皿をテーブルの真ん中に置いた。続いて、私たち一人ずつにナイフが配られる。最後にマスタード風とケチャップ風の二種類のタレ。 唖然とした私の前で、アフリカの京都人たちはナイフで生肉を適当な大きさに切り取り、生のまま、タレにつけてパクパク食べ始めた。 このときは驚いた。何しろ、付け合わせの野菜も何もない。あるのはパンと酒だけ。 実際食べてみると、たしかに味はいい。エチオピアの地方都市は百年前の京都みたいだから冷蔵庫などなく、家畜はその日に屠ったものしか食べない。つまり鮮度が高いのだ。 美味しいけど、ひたすら生肉の塊だけを食い続ける奇妙さと言ったらない。豆腐尽くしの豆腐割烹ならぬ生肉尽くしの生肉割烹なのか・・・。さらにおかしいのは、教授が生肉を切っては奥さんの口に入れていること。まさに「あーん」の状態だが、着飾った40代の女性が手は膝においたまま、淡々と口を開けている姿は異様の一言。訊けば、親しい相手に「あーん」してあげるのはエチオピア人の中上流階級ではごく普通のマナーだという。 素材を生かした料理と女性に手を汚させない洗練されたマナー・・・なんだろうか? やっぱりアフリカの京都人の行動様式は私のような田舎者には計り知れない。 アフリカには茶道ならぬ「珈琲道」なんてのもある。人類がコーヒーを飲む歴史はここから始まったとされているし、コーヒーノキの原産地の一つでもある。私はタナ湖という青ナイル源流の湖周辺でコーヒーノキの原生林に出くわしたことがある。熟した赤い実を食べたらほんのり甘かった。 飲み方に対するこだわりも世界一だ。「女性はコーヒーを上手に入れられないと嫁に行けない」とされており、1980年代の大飢饉のときには、着の身着のままで、でも自前のコーヒーセットだけを携えた女性たちが続々と難民キャンプに集まってきたという。コーヒーは一般家庭では食後の楽しみであり、もちろん客人が来れば、これでもてなす。 初めてこの国を訪れたとき、私は街道沿いの茶屋で珈琲道を体験した。普通にコーヒーを頼んだら、店の若い女性はなんと生のコーヒーの実を七輪で煎るところから始めた。この時点で、日本のどんな「こだわりの珈琲店」も負けである。たっぷり30分もかけて入れてくれたコーヒーは当然、香りも深みも普通のコーヒーとは段違い。何より「新鮮なコーヒー」というものを私は初めて飲んだ。しかも「お勘定はいらない」と笑顔で言われ、最高の気分で店を出たところ、・・・同行した通訳とドライバーになじられた。「茶屋ではコーヒーでお金をとらないんだよ。どうして他のドリンクを何も頼まなかったんだ? 失礼だろ!」というのだ。「そんなの知らなかったよ」と答えると、「雰囲気で察しろよ!!」。 物言いのストレートな他のアフリカ諸国とちがい、アフリカの京都は何かにつけて空気を読まねばならず、大変に面倒くさいことも初めて知ったのだ。「エチオピアの茶道 コーヒーセレモニーへようこそ」で、エチオピアの茶道が見られます。『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』2:デーツ『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』1:はじめに
2024.03.22
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<バイオマスって有効?7> H27.12.1~~ 四国の田舎に帰ったが、未利用のまま荒れる山林とその涵養が気になる大使である。太陽光、風力におされて木質バイオマス発電は、やや影が薄いが・・・・この際、再利用率がわずか1%の林地残材は・・・再生エネ法案でなんとかならないものか?日本国産木材チップの原料(2009年)・姫路 国内最大級の「バイオマス発電所」開設で式典・【バイオマス関連ニュース3】R7:『姫路 国内最大級の「バイオマス発電所」開設で式典』を追記*********************************************************************<バイオマスって有効?5>目次・【バイオマス関連ニュース2】・各地の木の駅プロジェクト・木質バイオマスの現状と課題・里山資本主義の書評・コミュニティ・エネルギー・木質バイオマス発電の近況・日本初の一体型木質バイオマス発電所*********************************************************************<バイオマスって有効?4>目次・【バイオマス関連ニュース1】・間伐材を商品券1万円分と交換・バイオマスの買い取り価格案が提示されたが・木質ペレット燃焼灰からの放射性物質の検出・「林地残材でバイオマス発電」は邪道?・日本は林業に向いているか(工事中)*********************************************************************<バイオマスって有効?3>目次・日本がオーストリア化する日も近いか・里山資本主義の夜明け・稲わらからのバイオ燃料を90円未満/リットルで(工事中)・木質バイオマス発電の発展性(工事中)・エネルギー見直しの風がふいている・「自伐林家参加型」の木質バイオマス利用(工事中)*********************************************************************<バイオマスって有効?2>目次・バイオマスエネルギーって有効?・日本のバイオマス利用1・日本のバイオマス利用2*********************************************************************<バイオマスって有効?1>目次・日本の「再生可能エネルギー」最前線・菜の花プロジェクト・ネイティブ蔑視のバイオ燃料1・ネイティブ蔑視のバイオ燃料2ネットを巡っていたら、日本の各地で「バイオマス発電所」が建設、運転開始との情報が上がっているようです。エコなエネルギーが求められている昨今では、原発に頼らずとも地熱発電、バイオマス発電、風力発電あたりが有力な選択肢になるものと思うわけで・・・・3月13日のNHKのNEWS WEBで「国内最大級のバイオマス発電所開設」が流れていたので以下のとおり紹介します。広畑バイオマス発電所国内最大級の「バイオマス発電所」開設 <【バイオマス関連ニュース3】>報道によれば気仙沼の木質バイオマス発電が12月にも本格稼動とのこと・・・サポート体制がしっかりしているようですね。2015.11.30(地エネ)木質バイオマス発電 気仙沼地域エネルギー開発 間伐材を利用、復興へより 漁船の汽笛が鳴り響く宮城県・気仙沼港。岸壁のすぐ近くで、木のチップを燃料にした木質バイオマス発電が12月にも本格的に始まる。林業の衰退で荒れた気仙沼市内の山から間伐材を燃料として買い取り、半額を地域通貨で支払って復興に役立てる新たな試みだ。 きっかけは東日本大震災。震災当時の深刻な燃料不足の経験をもとに自給自足可能なエネルギーを実現しようと、市内外でガソリンスタンドなどを経営する高橋正樹さん(52)が2012年、株式会社の「気仙沼地域エネルギー開発」を設立。木質バイオマス発電に乗り出した。 最初は林業家の掘り起こしから始めた。間伐材を供給してもらおうと、市と協力して講習会を開き、間伐材の伐採や搬出方法を学ぶ場を作った。これまでに10回開催。自分の山にあまり入ったことのない市民など約90人が燃料の供給役に加わった。 国による再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度では、森林整備を進めるため、間伐材で発電した電気をより高く買い取っている。そこで市が「間伐材証明」を出す仕組みを作り、高い売電価格を実現できるようにした。13年に始めた間伐材の買い取りでは、相場より高い1トン6千円を支払った。 また市内のスーパーや商店約180店と協力し、新たな地域通貨「リネリア」を発行。間伐材の買い取り額の半分をリネリアで支払っている。高橋さんは「経済的な地産地消を実現して復興に役立てたい」と話す。 ただ、ドイツから輸入した発電用プラントの扱いには苦戦した。木材を燃やして発生させたガスでタービンを回して発電するタイプで、発電能力は800キロワット。燃料に適したチップの大きさや湿度がわからず試行錯誤が続いた。想定以上のタールも発生し、何度も配管が詰まって掃除に追われた。 それでも今夏以降は運転が安定し、12月中には本格稼働にこぎ着けられそうだ。既に市内2ヶ所で貯木場を確保。今年度中に大型乾燥施設も完成する。発電で生まれる熱は、プラント近くのホテルで空調などに使われ始めた。 高橋さんは話す。「山にお金を回すことで気仙沼を元気にしたい。やるからには成功させたいね」(野瀬輝彦)気仙沼地域エネルギー開発より<地域通貨「Reneria」リネリアの発行と利用について> 平成23年10月に策定された気仙沼市震災復興計画の柱の中に、この震災を機に化石燃料や原子力に頼り切るのではなく、エネルギーを分散しておくことが災害時には強く、地域内で自給できるエネルギー体制を構築すべきであるという事が計画に盛り込まれました。 それに基づき関係業界で太陽光、風力はじめ様々な調査研究が開始されました。その中に地元の森林資源をエネルギーとして使う、しかもそれは山の手入れをしながら産出される間伐材を活用できれば、これまで材価の低迷により手を出せなかったリアスの山々に手入れを施すことができ、結果、山に残る木々はより大きく将来の需要に備えられ、かつ森はこれまでより豊かになり、元来の豊かな養分をリアスの海に贈り出し、リアスの里も山からエネルギーという形で恵みを受けることになる。そんな新しい、しかし良く考えると昔からある地域の自然との関係を創っていこうという取り組みが木質バイオマス事業への挑戦なのであります。 この事業の中で更に森から出される恵み(木材)への対価を、リアスの里の中でより循環してもらうために生まれたのが、リアスの森の通貨「Reneria」リネリアです。リアスの海山里の自然環境・食・文化・風習、あらゆる地域固有の財産を保全・継承・活用しながら、持続発展可能な社会を創造するスローフード都市としての理念のもと、スローフード気仙沼のご協力を頂きながら発行運営していくもので、券面も本事業の概念と合わせスローフード気仙沼の山内宏泰氏にデザインして頂きました。
2024.03.21
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探る「5章 生食と発酵食品」からナレズシ、魚醤を、見てみましょう。珍味のオンパレードのようなお話になっています。p159~162<2.発酵食品の展開> ■ナレズシと魚醤の文化 ナレズシは、魚と塩と炊飯したコメを漬けこんで乳酸発酵させた食品である。日本では、滋賀県ではいまなお、ナレズシの食文化が伝統として継承されている。材料となる魚はすべて淡水魚であり、このなかにはニゴロブナ、ゲンゴロウブナなどのフナ以外にも、ドジョウやナマズ、コイ、ウグイ、ハス、オイカワ、アユ、モロコ、タナゴ、イサザなどのナレズシがある。琵琶湖産の淡水魚と塩、コメを組み合わせたナレズシの食文化は地域と密着したものであり、歴史も古くさかのぼる(橋本編2016) 前述したように、ナレズシは魚類に塩とデンプン類を加えて乳酸発酵を促した保存食品である。塩は魚の防腐作用を果たす。デンプンとしては、米飯が多く使用されるが、日本のイワシの糠漬けのように米糠を使う場合や、後述するようにモチゴメのせんべい粉やサトイモを使う東南アジアや、アワやサトイモを使う台湾の例がある。米糠を大量に使う場合は糠漬けと呼ばれる。ナレズシでは、乳酸菌や酵母菌が発酵に寄与する。 興味あることに、ナレズシは日本、東アジア、東南アジアにのみ分布する。ナレズシの食文化は稲作地帯と一致することが分かる。魚の発酵食品にはさまざまなものがある。日本からアジア大陸部にはナレズシ以外にも、魚醤や塩辛などの発酵食品が広く分布することが知られている(石毛・ラドル 1995)。 ナレズシには、日本以外に東南アジアではプラ・ラー(タイ)、プラ・ホック(カンボジア)などがある。カンボジアでは、魚に塩、粥、炒ったコメなどを混ぜたポ・オ、さらにはパパイアの刻んだものを混ぜたマムなどがある。ラオスでも、メコン河流域で獲れた小魚をコメと塩で漬けた発酵魚は一般にパー・デエークと呼ばれ、日常の食事に欠かせない。 また、魚肉に塩、炒ったコメを混ぜたソム・パー、さらにパイナップルのスライスなどを混ぜたケム・マクナットなどがある。 石毛直道さんは、魚醤を⑴魚醤油、⑵塩辛、⑶塩辛ペーストに三区分して議論を整理している(石毛2012)。これを順番に説明しておきたい。■⑴魚醤油 魚醤のうち、魚と塩を混ぜたものを保存する過程で魚から浸出する上澄みをろ過した液体が魚醤油である。魚醤油はアジアに広く分布し、淡水産、海産の魚介類が利用される。 ベトナムのニョク・マム、タイのナム・プラー、ラオスのナム・パー、カンボジアのトウック・トレイ、中国の広東省やマカオの魚露(ユールィ)が地元で広く使われている。 日本では、ショッツル(秋田県)、イシリ(石川県)、コウナゴ醤油(香川県)などが魚醤油の代表例である。なお、ショッツルではハタハタやイワシが、イシリではイワシヤイカが、コウナゴ醤油ではイカナゴの稚魚が原料とされる。 イシリは能登半島で製造されており、現地ではホタテガイの貝柱を焼き、出来上がり直前にイシリを数滴たらして、熱々のホタテを食べると何ともいえないうま味が口中に広がる。臭いどころの話では決してない。 魚醤油は古代ローマでもガルム(garum)として知られていた。皇帝や貴族階級が贅沢の限りを尽くしたことはアピキウスの書やプリニウスの『博物誌』などでもよく知られている。 古代ローマでは、とくにサバ、イワシ、マグロ、キビナゴなどの内臓を素焼きの甕で塩蔵したガルムは重要な調味料とされた。また、上澄み液をとった残りの魚肉(塩辛)はアレックと称され、貧しい階層の人びとが食べる麦粥の味付けに塩辛が使われていたことは面白く、アジアでも中国粥における魚醤油の使い方と似ている。■⑵塩辛 塩辛は魚類に塩を加え、自己消化酵素や魚介類の体内細菌のはたらきでタンパク質を各種アミノ酸に分解して独自のうまみや香りを産みだした保存食である。塩辛の原料は海産・淡水産の魚類だけでなく、カニ・エビ・タコ・イカ・貝類など多岐にわたる。塩辛は洋の東西でみられる。ヨーロッパではカタクチイワシの塩辛であるアンチョビやニシンの塩漬け缶詰であるシュールストレミング(スウェーデン)がよく知られている。アンチョビはまだしも、シュールストレミングは、世界でもっとも臭い食品との評判があり、国立民族学博物館時代に石毛さんが実験室で缶を開けた時の異常な匂いにはさすが参ってしまった。 アジアでは、韓国、日本でとくに塩辛食品が発達している。日本では、メフン(サケの腎臓)、子ウルカ(アユの卵巣)、苦ウルカ(アユの内臓)、白ウルカ(アユの精巣)、切りウルカ(アユの内臓と生殖腺を混ぜたもの)、タラコ(スケトウダラの卵巣)、酒盗やワタガラス(カツオの内臓)、スクガラス(アイゴの稚魚)、カラスミ(ボラの卵巣)、のほか、タイ、イワシなどの魚類やイカ、タコ、エビ・オキアミ、カニ、シャコガイ、コノワタ(ナマコの内臓)などを用いた多様な塩辛食品がある。 韓国にも前述のシュールストレミングよりはましとはいえ、かなり臭いガンギエイ(洪魚:ホンオ)の塩辛がある。これはガンギエイの切り身を壺に入れて冷暗所で10日発酵させたものでホンオ・フェ(洪魚カイ)と呼ばれ、強烈なアンモニア臭がする。韓国南部の木浦が産地であり、講演で木浦大学に行った折、是非に食べたいと先生に頼んだが遠慮されてしまった。『食の冒険 フィールドから探る』2:魚の生食『食の冒険 フィールドから探る』1:マグロの心臓とコブラの生血
2024.03.21
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図書館に予約していた『フォルモサ・イデオロギー』という本を、待つこと1ヶ月半ほどでゲットしたのです。台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。<図書館予約:(2/03予約、3/15受取)>rakutenフォルモサ・イデオロギー「第3章 ナショナルになっていく」で「日本による同化」が語られているので、見てみましょう。p157~158<第3節 「台湾は台湾人の台湾ならざるべからず」> 台湾民主国は明らかに、真正なナショナリズム運動ではなかった。日本が地域的な武力抵抗を完全に鎮圧し、台湾における確固たる支配権を確立した1919年になって、そして、日本式の近代教育を受けた台湾人知識階級の第一世代が現れてはじめて、近代台湾ナショナリズムは東条したのである。別言すれば、台湾という島と同一の広がりをもつ近代的でナショナルな想像は、このかつて中国の辺境だった土地が日本に割譲されたあとに、日本による四半世紀の植民地支配のもとではじめて出現したのである。 これは、朝鮮の事例とは対照的である。1910年に日本に併合される以前の朝鮮には、すでに発達した近代的かつ民族的な意識が存在し、そして実際に、公定ナショナリズムの運動までもが存在していた。 この事実が指し示すのは、その大部分が大陸からの漢族移民からなる台湾人は、中国とは別個の政治的現実に直面して、自らのアイデンティティを模索し、再定義する過程を経験したということである。台湾ナショナリズムは、漢族系台湾人による、日本の植民地支配という現実のもとでの自己アイデンティティの模索と再定義の帰結であった。「模索」という言葉は、彼らのアイデンティティが不確かであったこと、そして、長期間にわたりその意味が不安定なものであったことを示している。実際に、台湾人の民族的アイデンティティは、あらかじめ計画されたわけでもない、矛盾や対立や論争に満ちた動的プロセスを通じて形成された。 台湾人がこの過程のなかで遭遇した最初の難題と論争は、日本へと同化するか否かということであった。 前章で述べたように、統合と同化とを内包した包摂は日本の台湾に対する一般的な統治理念だったが、それはその領土支配の前半期(1895—1918)において完遂されることはなかった。それは、不安定な地域情勢によるとともに、権謀術数に長けた日本の反同化主義者たちがそのような情勢を利用し、六三法という臨時法に基ずく植民地支配体制を実現したためである。 結果として、この時期に見出されるのは、限定的な〈統合なき同化〉であった。日本が台湾の制度的統合とともに、拡張的かつ集中的な同化に着手したのは、原敬の内地延長主義という視点が公的な統治理念になった1919年になってからである。 日本国家は1919年から1945年まで、内地延長主義のもとで台湾における完全な包摂に向けて着実に歩を進めた。しかしながら改めて注意したいのは、内地延長主義が求めたのは〈差別的包摂〉、すなわち新たに獲得した周縁を包摂するために日本が採用した国民形成の植民地的様式であったことである。 それは漸進主義的かつ階層構造で、何よりきわめて国家主義的であった。公定ナショナリズムの植民地的あらわれとしての〈差別的包摂〉の基本原則は〈統合の前の同化〉であり、それは権利の付与よりも規律訓練を重視するものであった。 この権威主義的で集権的な考え方は、1910年代に日本人ナショナリストによって主張されたような急進的でリベラルで平等主義的な同化主義とはずいぶん異なっていた。彼らは、周縁の民族を統合する際に、即座にとはいわないまでも、より速やかな政治的統合を支持していたからである。ウーム なんだか難しくて、よく分からなくなったぜ。『フォルモサ・イデオロギー』1:台湾ナショナリズム
2024.03.20
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図書館に予約していた『フォルモサ・イデオロギー』という本を、待つこと1ヶ月半ほどでゲットしたのです。台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。<図書館予約:(2/03予約、3/15受取)>rakutenフォルモサ・イデオロギー「第1章 植民地台湾とナショナリズムの諸理論」で「台湾ナショナリズム」が語られているので、見てみましょう。p5~7<第1節 台湾ナショナリズムという問い> 本書は植民地ナショナリズムについての研究である。より限定すれば、植民地やかつての支配領域を一個のネーションへと変貌させたナショナリズムというイデオロギーが、いかにして反植民地主義の闘争を通じて誕生したかを問うものである。 1895年から1945年に及ぶ日本の植民地支配のもと、植民地主義に抵抗する運動が、主として台湾の漢族のあいだに生まれた。「台湾人の台湾」「台湾の独自性」というそのイデオロギーは、強い漢族意識に基礎を置くものであり、「弱小民族」としての台湾人の民族自決の権利を主張した。「台湾人の台湾」という考えには、実質的にはすべての党派・・・そこには、1940年、中華民国が公式に日本に宣戦し、1895年以来はじめて公式な政策として「台湾の回復」を掲げるようになるまで、大陸に亡命していた親国民党の祖国復帰派も(大きな勢力になったとはいえなかったものの)含まれる・・・が同意しており、台湾人の主権とまではいえないまでも、台湾人の主体性についての意見をはっきりと共有していた。 さらに、台湾人の主体性(もしくは台湾人の主権)という主張は、単に植民地支配の進める日本に対してのみならず、母国中国に対しても向けられたものであった。別言すれば、中国の近代ナショナリズムが世紀転換期の中国本土において勃興し、1920年代に反帝国主義の頂点に達するのと並行して、台湾ナショナリズムの言説もまた、日本の植民地支配のもとで誕生していたのである。それは、台湾の歴史にあらわれた最初のナショナリズムであった。 なぜ台湾・・・(17世紀以来の中国人植民者たちの入植地であり、1885年から95年までの短い期間、清帝国の省でもあった台湾)・・・は、「中国人の台湾」ないしは「中国の独自性」という中国ナショナリズムではなく、「台湾人の台湾」「台湾の独自性」という台湾ナショナリズムを、日本の植民地統治下で育むことになったのだろうか? なぜ台湾の反植民地主義者のあいだで、中国への復帰は力をもたなかったのか? なぜ、そしてそしてどのように、この〈フォルモサ・イデオロギー〉・・・(集合的アイデンティティの表出としての国民的な近代イデオロギーというルイ・デュモンの定義でいうところの)・・・は存在するにいたったのか? どのようにそれは「台湾人性」、つまり漢人ではあるが中国人ではないという考えを包含するにいたったのか? 本書はこうした問いに、台湾ナショナリズムの言説の端緒がどのように形成されたのかを説明することによって答えようとするものである。
2024.03.20
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。酷寒厳しき折りなんて思っていたが、週間天気予報は三寒四温となっており・・・いずれにしても、もうすぐ花見との予報に浮かれている太子でおます。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、春分のあたりを見てみましょう。和暦p10<春分>五穀豊穣への祈りと祖霊への感謝を捧げる節目の節季 春分は、現行暦では3月21日ころから始まる15日間の節である。春分に入る当日が「春分の日」となり、国民の祝日になっている。 ちなみに春分の日は、1878年(明治11)に制定された「春季皇霊祭」を前身として生まれた祝日で、1948年(昭和23)に交付・施行されている。 前身時代も含めて春分の日の趣旨は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」であり、旧暦で暮らす時代の人々は、「自然に感謝し春を祝福する日」と捉えていたようだ。この日は、仏教行事として「春季彼岸会」が行われており、その影響からか、多くの人が「先祖のお墓参り」に出かける。 春分の日は、太陽が真東から昇り真西に沈むため、しばしば「昼と夜の長さが同じになる日」と言われているが、実際には昼のほうが長い。また「夜の長さが一番長い日」と言われている冬至も、実際は冬至の当日ではない。冬至から4分の1年(91.31日)後が春分の日になる。 春分の日から夏至までは、昼が少しずつ長くなる。二十四節季では、春分の日の3日前から数えて7日間を「彼岸」とし、春分の日を「彼岸の中日」としている。この時期の七十二候は、次のようになる。 初候「雀始巣(すずめ、はじめて、すくう)」 次候「櫻始開(さくら、はじめて、ひらく)」 末候「雷乃発声(かみなり、すなわち、こえをはっす)」また、当節は寒気も緩んで、 『朧月夜』 という唱歌が歌うとおりとなってきましたね。 『朧月夜』 1番菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端(は)、霞ふかし。春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し。2番里わの火影(ほかげ)も、森の色も、田中の小路をたどる人も、蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、さながら霞める 朧月夜。1914年(大正3年)『尋常小学唱歌 第六学年用』に初出。二十四節季の立春に注目(復刻)
2024.03.19
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探る「5章 生食と発酵食品」から生食を、見てみましょう。p146~148<1.魚の生食> ■日本人は魚臭いか 1986年7月、沖縄・本部の海洋博公園にある熱帯ドリームセンター展示用の映像取材でアフリカのケニヤを回った。アフリカの熱帯植物の映像撮影に同行して取材の助言をおこなうためである。そのさい、ナイロビ市内で英国の著名な植物学の先生と話をした。 そのときの会話で、「日本人はフィッシー・スメルがするというのは本当かね」との質問をうけた。一瞬、たじろいたのはその意味を計り知れなかったからだ。いまから思えば、「日本人はよく魚を食べるから、魚の匂いが体に染みついているのは本当か」という問いであった。 世界のなかで、日本人だけが魚を食べているわけではもちろんない。とくにわれわれが生の魚を好んで食べることからいわれなき偏見を生んだともいえるが、わたしとしては義憤を感じざるえなかった。魚について知らない英国人がふざけたことをいうな! という思いもあったが、当時から30年たち、時代も変わった。 ヘルシー志向、日本食ブーム、和食がユネスコの無形文化遺産として登録されたことなどがあり、魚食は追い風の状態である。にぎり鮨はニューヨークやロンドンでもふつうに食べることができるようになった。ただし、日本で食べるのとはまったく味の評価がおなじかどうかは知る由もない。2017年の築地における初セリで、大間産のクロマグロが「寿司ざんまい」によって7420万円で落札された。 1990年代はじめ、ロンドンで鮨屋にいったが、日本人の職人はいなかった。鮨ネタもサーモンとマグロばかりで、とても鮨を楽しめたとはいえなかった。あれから20数年。鮨を例とするだけでも、食のグローバル化の進展とその意味を考えざるをえない状況にある。 一方、魚の乱獲や違法な漁業は世界で蔓延している。厚生労働省の調査によると、国民一人あたりの畜肉類の摂取量が魚介類の摂取量を超えて逆転したのは2006年、つまり今から10数年ほど前のことである。 今後、魚とわれわれ日本人との付き合いをどのように考えればよいのか。この問題は最終章で考えるとして、本章で生食と発酵食品を例として、魚と人との深くて長い付き合いについて考えてみたい。英国のサー(卿)からの問いかけに端を発し、「魚臭い」内容に徹底してみようと思い立ったのは以上のようなは行け殻である。■サシミ(刺身)文化 魚を中心とした生の食材を食べるさいの料理、あるいはその料理法を刺身と呼ぶ。魚や、貝(ホタテガイ、アワビ、アカガイ、カキなど)、タコ、エビ、カニ、クジラなどの海産物、アユ(背ごし)、コイ(洗い)などの淡水魚が主なものであろう。 ただし生食品には、湯葉、タケノコ、コンニャク、カマボコ、野菜、果物などの植物性食物や、馬刺し、ニワトリ(ササミ)、牛刺しなどの肉類もある。しかも、諸外国からみると、生食の文化は思った以上に広がっている。『食の冒険 フィールドから探る』1:マグロの心臓とコブラの生血
2024.03.19
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探るまず「1章 食の冒険」の冒頭から、見てみましょう。p2~4<1.マグロの心臓とコブラの生血> 1971年夏、下北半島の大間でマグロ一本釣りの調査をおこなった。マグロ漁師がどのような餌を使って漁をするのか。個人により、あるいは季節により使われる餌はおなじではない。このことを獲れたマグロの胃内容物と漁師の考え方をつきあわせて考えようというのが調査のねらいであった。終日、浜の魚市場にいて、マグロを持ち帰る船を待ち構えた。マグロの胃内容物をその場でもらい、ホルマリンで固定した。 さて、マグロの胃袋や内臓はどうなったか。漁業協同組合の職員がそれをもらい受け、現場で焼いて食べるのがならわしであった。そこで初めて口にしたのがマグロの心臓であった。100キロ以上のマグロなら、その心臓はおむすびほどの大きさがある。これをスライスにして詰所の七輪で焼き、醤油をつけて食べる。マグロならトロや赤身のほうがおいしいのだが、心臓や胃袋を食べることのできるのはごくかぎられた人であることはまちがいない。どちらも市場には出ない部分である。 数年後の1974~75年に、ソロモン諸島のマライタ島で調査したさい、毎日のように魚を食べた。マグロのような大きい魚は食べなかったが、サンゴ礁の魚は人びとの重要な食料であった。ある日、アイゴを水煮して食べたさい、助手のJ君が魚の身だけでなく頭をチューチューと音を立てて吸いはじめた。 何をしているのか聞いてみると、魚の小さな頭の中にある脳の部分を食べるのだという。その量からすれば取るに足らないと思えるのだが、そこまで食べるかと感心した。 それからまた数年後、博多のスナックで今度はウナギの生きたままの心臓を食べた。大きさは1センチほどのもので、生きたままピクピク動いていた。味もくそもなかったが、大間で食べたマグロの心臓のことが思い出された。(中略) カンボジアのシエムレアップはアンコールワット遺跡のある街である。ここには何度も通ったことがある。ある時、通訳の男性と町のレストランに行った折、コブラ料理を食べた。まず、コブラの血がグラスで出てきた。赤ワインと見まがう色で、爬虫類の血を生で飲むのは何か病原菌がいそうで、大丈夫かと聞いてみた。アルコールが入っているから問題ないということだが、アルコールで割って飲むから大丈夫ともかぎるまい。 思い切って飲んだが、精力がつくのでわれわれは飲むということだ。魚の心臓や脳みそ、ヘビの生血などはふだんお目にかからないものだけに、食べなれていないと、胃袋だけでなく心臓のほうがなにがしかの影響を受けるにちがいない。コブラの血のあとは、コブラの身のぶつ切りを入れた鍋が出た。皮付きで、ウロコがザラザラして気持ちのいいものではないが我慢して食べた。
2024.03.18
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国内最大級の「バイオマス発電所」開設ネットを巡っていたら、日本の各地で「バイオマス発電所」が建設、運転開始との情報が上がっているようです。エコなエネルギーが求められている昨今では、原発に頼らずとも地熱発電、バイオマス発電、風力発電あたりが有力な選択肢になるものと思うわけで・・・・3月13日のNHKのNEWS WEBで「国内最大級のバイオマス発電所開設」が流れていたので以下のとおり紹介します。広畑バイオマス発電所*********************************************************姫路 国内最大級の「バイオマス発電所」開設で式典より間伐材の木質チップなど、バイオマス燃料だけを使う国内最大級の「バイオマス発電所」で、しゅんこう式が行われました。しゅんこう式が行われたのは、大阪ガスのグループが姫路市に開設した「広畑バイオマス発電所」です。敷地内で行われた式には、関連会社や地元の関係者などが出席しました。この中で、大阪ガスの藤原正隆社長が「発電所の安全操業と電力の安定供給に、全社をあげて取り組みます」とあいさつしたあと、関係者の代表がテープカットを行いました。この発電所では、国内の間伐材の木質チップのほか、油を絞ったあとのパームやしの殻などのバイオマス燃料を燃やして蒸気を発生させ、タービンを回して発電します。燃料を燃やす際に二酸化炭素が排出されますが、チップにされる木は成長の過程で二酸化炭素を吸収しているため、二酸化炭素の排出量は実質ゼロとみなされます。発電容量はおよそ7万5000キロワットと、一般家庭のおよそ16万世帯分にあたり、バイオマス燃料だけを燃やす発電所としては国内最大級で、すでに去年12月から運転が始まっています。発電所の後藤基芳 所長は「最新の設備を備え、効率的に発電できる施設です。各地のバイオマス発電所で火災が起きているなか、温度管理をはじめ、熱がたまらないように、定期的に熱を逃がすなどの安全対策も取っているので安定した操業を続けたい」と話していました。このバイオマス発電所を設計、施工した日鉄エンジニアリングというサイトでバイオマス発電プラントを見てみると、なかなかの設備ではないかと思ったのです。
2024.03.18
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図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた仕事がら砂漠に行ったことがあり、帰国する際のお土産としては「デーツ」くらいしかなかったのを思い出すのだが・・・そのデーツが語られているので、見てみましょう。p35~37<砂漠のスーパー甘味“デーツ”> 酒飲みであるせいか甘い物が不得手だ。だから旅先や取材先でスイーツの類いを勧められるのがいちばん困る。特に中東・アフリカのイスラム圏。酒が少ないかわりに、お菓子の類いが無駄に充実しているうえ、どれも甘すぎる。 その代表格がデーツ(ナツメヤシの実)。たいていは乾燥させたもので、干し柿を一回り小さくしたようなサイズと質感だが、デーツの方がもっと甘味が強く、ねっとりしている気がする。しかもただでさえ甘いデーツを砂糖漬け(もしくはシロップ漬け)にしたスイーツも人気で、正直「頭がおかしいんじゃないか」とすら思っていた。 ところがこれまでの人生で二回だけこのデーツを「美味い」と感じたことがある。 一度はラマダン(断食月)中にソマリアを旅していたとき、イスラムの戒律ではこの期間(約1ヶ月間)、日の出から日の入りまで食べ物も水も一切口にしてはいけない。私も、一緒に行動しているソマリア人の通訳や護衛の兵士たちの手前、自分だけ飲み食いするのは気が引けるので、同じように断食していた。 毎日、夕方になると、近くのモスクからアザーン(お祈りを促す声)が聞こえて来て、やっと食事にありつける。私はこれまでイエメンとスーダンの田舎でラマダンを経験したことがあって、その2カ所では、アザーンが聞こえると同時に炊き込みご飯やらローストチキンやらを一気食いしていたが、ソマリア人はもっと上品。「一日食を絶ったあと、急にたくさん食べるのは胃腸によくない」というもっともな理由で、まず軽食をとる。メニューは、三角形の総菜サモサ、スイカ、固く焼いた小さなパン、そしてデーツと決まっている。飲み物はレモンジュースかお茶か水。 丸一日、食を断ったあとのデーツはねっとりとした甘みがすーっと体に染みこんでいくようで、本当においしい。酒を飲んだときのように、体のこわばりがとれ、五臓六腑にしみわたったものだ。 もう一度は数年前、アルジェリアのサハラ砂漠を42.195キロ走る「サハラマラソン」に出場したとき。当時私は最も長く走ったときでも15キロという超初心者ランナーで、マラソンに関する知識もゼロ。単に夜中に酒に酔った勢いでネットで参加申し込みしてしまっただけだった。 現地のスタート地点で、他の選手たちが栄養補給のゼリーやドリンクを用意し、腰や背につけたりするのを見て、「こういうものが必要なのか!」と今さらながら青くなった。 でも、ないものはない。そのままスタートしてしまった。砂漠の中には、だいたい2キロに一つは給水所が設置され、水のボトルとデーツの砂糖漬けの山が用意されていた。もともとデーツの砂糖漬けなんて苦手だし、水だけ補給して走り去っていたが、10キロぐらいになるとガクンと疲れてきた。日頃の練習がせいぜい7キロ程度だから無理もない。 給水所で水を飲むついでにほぼ無意識的にデーツの砂糖漬けをかじったのだが、これがめちゃくちゃ美味い! 同時に、何か内側からバーン!と叩かれたような刺激に心身が目覚め、元気が出た。以後、デーツをバリバリ食べ、そのおかげで完走できたといってもいい。 ちなみに、一度、併走していたオランダ人ランナーからスポーツゼリーを分けてもらって食べたが、そんな刺激は何もなかった。 思うに、栄養学的にはゼリーの方が優秀なのかもしれないが、デーツにはそれを上回るスーパーな疲労回復力があるのではないか。きっと、大昔から、砂漠の旅人はオアシスの村に到着すると、デーツを食べ、再び歩きだす力を得たのだろう。 デーツは過酷な砂漠の必需品なのである。『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』1:はじめに
2024.03.17
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図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみたまず「はじめに」から、見てみましょう。p9~11<はじめに> 子供の頃から胃腸が弱く、好き嫌いも多かった。 動物の内臓(モツ)や皮、キノコ(特にシイタケ)、香辛料の効いたもの、漬け物や外国のチーズなど、ちょっとでも見かけがグロテスクだったり、臭かったり、クセがあるものは全然受けつけなかった。 それが一気に変わったのは大学探検部の遠征でアフリカ・コンゴへ行ったときだった。やむをえない事情から、サル、ゴリラ、ヘビなどの野生動物を片っ端から食べるはめになった。他に食糧がないから、食べないわけにはいかない。当時は毎日のように「こんなものも喰うのか」と驚いていた。 でも、いざとなれば食べられてしまうし、けっこう美味かったりもする。 これが人生における「食ビッグバン」となった。 コンゴから帰ると、好き嫌いは一切消滅していた。シイタケやモツなど、毛がからまったチンパンジーの肉に比べたら鶏のささみのように素直な食品に思える。食の可動域が極端に広くなったのだ。 もし関節の可動域が急に広がれば、誰もがいろいろなことを試してみるにちがいない。上海雑技団のように背中をそらせて足の間から顔を出してみたり、針金細工のように複雑なヨガのポーズをとってみたくなるだろう。 同じことが私にも言えて、食の可動域が広がると、いろいろなものを食べてみたくなる。実際、辺境の地へ行くと、日本の都市部では考えられないような料理や酒が食卓にのぼる。「こんなもの、喰うのか」とやっぱり驚くし、「ヤバいんじゃないか」とも思うが、現地の人たちが食べているのを見ると一緒に食べずにはいられない。食べてしまえば意外に美味しいことが多い。すると、また食の可動域が広がった喜びに包まれる。 感覚が「ヤバそうだけど食べてみよう」からやがて「ヤバそうだから食べてみよう」に変わっていく。人間、こうなると歯止めがきかない。 だが、「なんでも食べられる」ことは、実は私の仕事にとって欠かせないスキルでもある。 環境や文化が全く異なる人たちのところに行って溶け込むために最も大切なことは、その人たちと同じ生活をすることだ。つまり、同じものを同じように食べ、なるべく彼らの言語を話し、同じ場所で寝て、一緒に歌ったり踊ったりする。 私たちだって、そうだろう。ナイジェリア人とかベルギー人がうちに来たとして、彼らが私たちと一緒に納豆や刺身をぱくぱく食べて「オイシイ!」と片言の日本語で言うのと、「ノー、そんなキモチワルイものは食べられない」と英語やフランス語で断り、遠目で眺めているのと、どちらが親近感を覚えるだろうか。答えは言うまでもない。 ただ、いつもそれが良い結果を生むわけではない。 コンゴに四回目に行ったときは長距離バスの中でサルの燻製肉がまわってきた。誰かが大きな固まり肉を持ってきて、まるでみかんかせんべいをお裾分けするかのように、車内の客に分けていたのだ。一人ずつガブッと噛みちぎっては隣の客に手渡す。 私も躊躇なくそれを食べたところ、乗客の人たちから歓声があがった。「外国人がサル肉の回し食いなど絶対しない」と思っていたのを覆されたからだろう。こうなると、一気にその世界に溶け込むことができる。だが、溶け込みすぎて、カネをたかられたり、騙されたりもした。現地に溶け込むとは、食い食われすることだから、しかたないのだが。 そうこうしているうちに辺境旅も30年以上が過ぎ、いつの間にか莫大な数の寄食珍食が私の体を通過していた。正直言って、日本人でこれまで私ほどへんな食べ物を食べた人は何人もいないんじゃないかと思う。
2024.03.17
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図書館で「週刊現代プレミアム 昭和の怪物」というムック本を手にしたのです。おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。【週刊現代プレミアム 昭和の怪物】ムック、講談社、2020年刊<出版社>より昭和の芸能界を代表する人物を、貴重な写真と秘話で綴る「昭和の怪物 芸能界編」。今だから明かせるテレサ・テン涙の理由、「敗戦後の人生はおまけ」と言い切った鶴田浩二の人生観、決して見せなかった「寅さん」渥美清の苦悩。ヤクザと芸能界がいまより密接だった時代が蘇る。<読む前の大使寸評>おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。rakuten週刊現代プレミアム 昭和の怪物やや個人的好みになるが「勝新太郎」を、見てみましょう。p37~43<勝新太郎 太い肝と細い心>■生き方そのものが作品だった ダーティーヒーロー役を演じさせたら、勝の右に出る者はいなかった。『悪名』の村上朝吉、『座頭市』の市、『兵隊やくざ』の大宮貴三郎・・・。いずれも品行方正な正義の人ではなかったが、見る側を熱狂させた。勝自身、正調ヒーローを毛嫌いした。温室育ちの役者と重なって見えたからだ。勝は自分の手でスターの座を掴んだ役者である。 演技力は確かだった。北海道大教授で映画評論家の阿部嘉昭は「アジア大のスケールの人。それを担えるだけの顔や表現力などをもっていた」と評する。事実、香港などにもファンが多い。ブルース・リーも勝の信奉者だった。 勝は役を離れてもダーティーヒーローを演じ続けた。1991年、ハワイから帰国する際には日本の司法当局に対し、宣戦布告した。「コカインと大麻は知らないうちにパンツの中に入っていた」「総理大臣の代わりはいるが、勝新太郎の代わりはいないから、権力と戦う」 この約1年4カ月前に、薬物を所持してハワイ入りした際に逮捕され、そのまま現地に留まっていた。帰国すればまた逮捕されることは分かっていたが、無罪を勝ち取るつもりだった。 ところが、いざ裁判が始まると、傍聴席を意識した証言に終始する。弁護人が証拠の乾燥大麻を提示したときには、「これはモノが良くないね」 裁判官は苦虫を嚙みつぶすばかりで、無罪どころではなかったが(懲役2年6カ月・執行猶予4年)、これが勝新太郎という役者の性(さが)なのだろう。 本名・奥村利夫の本音は違った。ハワイでの逮捕直後には「マスコミには知らせないでほしい。自殺しなくてはならなくなる」と懇願している。性根は繊細で小心だったのだ。■晩年は借金まみれに 天才ゆえの生きづらさ 1967年、勝プロダクションが旗揚げされた。だが、社長の勝は経営をまるで知らず、直前になって「資本金って何だ?」と周囲に尋ねている。多難な前途を予感させた。事実、勝プロは儲からなかった。生粋の役者である勝が採算を一切考えず、製作費を湯水のように使ったからだ。(中略)1979年、巨匠・黒澤明によって映画『影武者』の主演に指名されながら、黒澤と衝突し、降板したのも痛手となった。「あんなのに出ても仕方ない」と強がったが、この作品は世界公開が先に決まっており、国際的スターに飛躍するチャンスだったのだ。 結局、勝プロは1981年に倒産してしまう。負債総額は約14億円。勝が毎晩のように豪遊し、誰彼となく1万円のチップを渡したことも傷口を広げた。 倒産時の会見で勝は「もう銀座には行かない」と誓うが、それを守るような男ではなかった。翌年に中村玉緒を社長とする勝プロモーションが設立されると、周囲は勝を「オーナー」と呼んだ。つまり、何も変わらなかった。 借金は再び増え、1997年6月の勝の他界時には会社分と本人分で計20億円以上あった。貸したのはオーナー社長、学校経営者、プロモーター・・・。どうして、こんなに借りられたのか。「やっぱり、かわいい方だから。困っている勝さんを見たくない」(前出・黒沢年雄)『町山智浩・春日太一の日本映画講義』という本で『兵隊やくざ』が語られています。『週刊現代プレミアム 昭和の怪物』1:テレサ・テン
2024.03.16
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ゴジラ映画あれこれR4 山崎監督は初代ゴジラにインパクトを受けていたようですが・・・かつての特撮、現在のVFXに入れ込むところが、いかにも映画作りの職人なんでしょうね。それからハリウッド映画に及ばない低予算にもくじけず、ポジティブにトライするところがええでぇ♪今までに観たゴジラ映画は以下のとおりです。・ゴジラ-1.0(2023年)・ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019年)・モンスターシリーズ ゴジラ 2019(BANDAI)・「シン・ゴジラ」の見どころ(2016年)・シン・ゴジラ(2016年)・GODZILLA ゴジラ(2014年)・ゴジラ (1954年)R4:『ゴジラ-1.0』を追加**********************************************************************去年の11月にこの映画を観ていたので、日記を付けておきます。【ゴジラ-1.0】山崎貴監督、2023年制作、2023.11.09鑑賞<Movie Walker press >よりゴジラ70周年記念作品として制作されたゴジラ作品30作目。山崎貴が監督・脚本・VFXを手掛け、『君の名は。』の神木隆之介が主人公の敷島浩一、『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波がヒロインの大石典子をそれぞれ演じる。「東京リベンジャーズ」の山田裕貴をはじめ、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが脇を固める。【ストーリー】戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。<観る前の大使寸評>ゴジラ70周年記念として制作されたゴジラ映画とのことで、PRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。Movie Walkerゴジラ-1.0『ゴジラ-1.0』を観た***********************************************************************<ゴジラ キング・オブ・モンスターズ>ハリウッド版のゴジラ映画が公開されていて、ハリウッド映画嫌いの大使は観に行くかどうか、迷っていたのだが・・・どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。【ゴジラ キング・オブ・モンスターズ】マイケル・ドハティ監督、2019年、米制作、2019.6.03鑑賞<Movie Walker作品情報>より 日本が世界に誇る怪獣映画シリーズ『ゴジラ』。そのハリウッド版となる『GODZILLA ゴジラ』から5年後の世界を描くSFアクション。 復活した神話時代の怪獣モスラ、ラドン、キングギドラとゴジラが激突。世界の破滅を阻止せんとする未確認生物特務機関モナークの活躍を描く。前作に引き続き、渡辺謙がモナークの生物学者役で出演する。<観る前の大使寸評>どでかいモンスターの破壊力を観たいということで、結局観にいくことにしたのです。<観た後の大使寸評>『GODZILLA ゴジラ』の続編ということで、未確認生物特務機関「モナーク」の秘密基地が世界中に作られていて、やや子供だましではあるが目をつぶっておこう。だいたい太子にしても、アンギラス、ラドン、モスラと見続けてきたが、キングギドラあたりで、もうこんな子供だましは卒業だと思ったわけで・・・可愛げのない子供であった(汗)。おっと、ケチをつけるわけではない。この続編は全篇にわたって怪獣バトルが繰り広げられていて、けっこう騒がしいというか面白いのです。キングギドラが地球外生命体、ゴジラが地球生まれの怪獣として、この2体の覇権争いがメインテーマとしてあるわけで・・・その脇を古代生物学者の家族や、シーシェパードのような環境テロ集団や、ゴジラを愛する芹沢猪四郎博士(渡辺謙)たちがかためております。それから、エンドロールには、アンコール画面が観られるので、お見逃しなく。(かなりネタバレになったかな)Movie Walkerゴジラ キング・オブ・モンスターズ『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』公式サイト***********************************************************************【ムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019 】バンダイ BANDAI ムービーモンスターシリーズ <レビュー>より背びれ等、塗装がしっかりされていて、2014年のものよりも、足が太く、全体的にどっしりしています。<大使寸評>このフィギュアは、よく映画の雰囲気を再現しているなあ♪つまりは、ディズニー映画スタッフたちの初代ゴジラに対する敬意が感じられるのでおます。初代ゴジラといえば・・・生物学的知識とは無縁であり、ひたすら着ぐるみ体形なんですけどね。そのあたりが、このBANDAIのフィギュアに表れています。なお、このBANDAIシリーズにはラドン、モスラ、キングギドラも発売されているが、いまいちの感があります。yodobashiムービーモンスターシリーズ ゴジラ 2019***********************************************************************<「シン・ゴジラ」の見どころ>メディアでは、ちょっとした「シン・ゴジラ」論評ブームをよんでいるようです。あの日経ビジネスまでが「シン・ゴジラ」を取り上げています。2016-09-14シン・ゴジラに漂う「別世界感」の正体より 1954年の第1作から数えると、「シン・ゴジラ」は日本で制作される29番目のゴジラ映画だ。ただし、前作の公開は2004年。同作のタイトル「ゴジラFINAL WARS」からもわかる通り、ゴジラシリーズは50年を区切りに制作が打ち切られていたはずだった。それではなぜ、ゴジラは再び日本にやってきたのか。『さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて』(岩波書店)の著者で、文芸評論家の加藤典洋氏に聞いた。 まずは率直な感想を教えてください。 おもしろかった。まず公開3日後くらいに見ました。その後、文芸誌に評論を書くことになったのでお盆の近くにもう1度、映画館に足を運びましたね。どんなところに注目しましたか? 初代ゴジラに戻る、ということを最初から最後まで徹底したところです。ゴジラという作品を、ゼロからこの現代に作り直すとすればどうなるか。これを全身全霊で追求する、という姿勢が独創的だったと思いますね。 この映画のなかの世界では、誰もゴジラのことを知りません。最初に「ゴジラ」と聞いて、みんな「何だそれは」といいます。ふつう、こういう映画に出てくる「現代の日本」というのは、「いま私たちが暮らしている日本」がモデルですよね。ところが『シン・ゴジラ』ではこれまでのゴジラはなかったことになっている。さらに、むろんそこには「ゴジラ映画」も存在していない、そういう設定です。「ゴジラもゴジラ映画も存在しない架空の日本社会」。そういうありえない新しい虚構を作って、リニアモーターカーのように宙に浮かせている。 ただ、その虚構であるはずの日本社会、たとえば東京の街並みや自衛隊の出動の様子、官僚機構の動き方などはかなり精緻に取材し、リアルに描かれています。それが余計に、私たちに一種の浮遊感を抱かせるのです。■アニメ映画を実写で見ているような世界どんな効果があるのですか? 私たちに、一種アニメ映画を実写で見ているような、超平面的(スーパー・フラット)な世界を作り上げるうえで効果を発揮したと思います。 超平面的な世界というのは、簡単にいうと、出生率ゼロの世界です。つまり、内面がない、だから恋愛もない。家庭がないから、出産もない。ですから、あれだけの大事件が起きながら、主要人物たちが官僚世界の公的な場面だけで動きます。主要人物はほとんどの場面で公的な人間(官僚)としてしか行動しないし、主人公の長谷川博己もいっさい家庭的な場面を描かれません。独身なのか妻帯なのかもわからない。 また、一対の男女が出てきても恋愛関係には発展しません。たとえば同じ国難映画でも、2015年の原田眞人監督の「日本のいちばん長い日」だと、例によって主人公格の陸軍大臣阿南惟幾の家族との話が出てくる。夫婦愛などの挿話がちょこっとアリバイのようにさしはさまれるわけだけど、『シン・ゴジラ』はそういう凡庸さからは、ほど遠い。ね、徹底しているでしょう? 彼らの抑揚のない早口言葉が、その別世界感にフィットしていました。 人間なので、本来ならいろいろな喜怒哀楽を抱くはず。だけれど、そこからあえて深みを取り去ることで、別の新しいリアリティーを取り出すことに成功しているのです。街も人間も空も雲も同じ線で描かれる、という意味で、実にアニメ的な手法で私たちを引き込んでいると感じました。***********************************************************************【シン・ゴジラ】庵野秀明総監督、2016年、<Movie Walker作品情報>より日本の怪獣映画史に名を残す“ゴジラ”が、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明が総監督、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の樋口真嗣が監督を務め、シリーズ初のフルCGで復活。巨大怪獣の出現で未曽有の危機にさらされた人々の物語が描かれる。長谷川博己、竹野内豊、石原さとみをはじめ、総勢328名のキャストが出演。<観る前の大使寸評>制作方針が初代ゴジラを踏襲しているそうで、わりとハードな即物感を重視しているようです。・・・かなり恐そうやで♪聞くところによると、庵野総監督はゴジラ登場シーンの割合を意識して六分の一に抑えているとか・・・恐いかもね。<観た後の大使寸評>国家の危機管理がメインテーマにもなっていて・・・いい悪い別にして、わりと大人向けの映画になっています。もちろん、子供が見てもゴジラの迫力はじゅうぶんに伝わるでしょうね♪核反応が有機体の中に組み込まれた、まさに「想定外の」生き物が出現したわけで、ある意味、昨今のニッポンの危機管理能力を皮肉っているわけでおます♪このゴジラは、自衛隊の通常ミサイルなどは跳ね返し、米軍の放ったバンカーバスターにやっと傷つくというスーパー生物なのだが・・・怒らせると口と尻尾から例の光線を放つわけで、このシーンでは思わず手を叩きたくなるアホな大使でおました。一時は米軍が核ミサイルをスタンバイさせる危機となったが、結局、なんちゃら凝固材の注入で事なきを得るわけです。とにかく、大田区、東京駅、永田町、虎ノ門など都心のかなりの部分を壊した破壊力が凄い!それから、大使のようなへそ曲りの観客の冷めた鑑賞にも言い訳ができる作りとなっていました。ところで、ゴジラ映画といえば、これまでは着ぐるみ特撮であったが・・・・『シン・ゴジラ』を観るかぎり、それはなかったのではないか?、それだけCG技術が素晴らしいといえるのだが。Movie Walkerシン・ゴジラ***********************************************************************【GODZILLA ゴジラ】ギャレス・エドワーズ監督、2014年、米制作、H26.9.6観賞<Movie Walker映画解説>より日本が世界に誇る怪獣映画のビッグネーム、ゴジラの『ゴジラ FINAL WARS』以来10年ぶりの復活作で、巨大怪獣ゴジラの出現に翻弄される人々の姿を描くパニック・アクション。地球に飛来した未知の生命体の恐怖を描いた『モンスターズ 地球外生命体』のギャレス・エドワーズが監督を、アーロン・テイラー=ジョンソンが主演を務める。<観る前の大使寸評>子供心に、恐怖と哀しみを与えた初代ゴジラであったが、果たして今度のハリウッドGODZILLAはどうなんだろう。Movie WalkerGODZILLA ゴジラ『GODZILLA ゴジラ』公式サイト***********************************************************************【ゴジラ(1954)】本多猪四郎監督、1954年制作、<allcinema映画解説>より 19XX年、南太平洋で行なわれた核実験によって、ジュラ紀の肉食恐竜が甦った。ゴジラと名付けられたその怪物は、大戸島を襲った後、東京へと歩を進めていく。放射能をまき散らすゴジラの前に、帝都は為す術もなく蹂躙されるかのように思われた。だがその時、防衛軍に一つの朗報がもたらされた。それは若き天才科学者、芹沢の発明した“オキシジェン・デストロイヤー”という、核を凌ぐ超兵器の存在である。しかし芹沢は、核の二の舞を怖れ、その超兵器の使用を認めようとはしなかった……。この作品によって本邦の特撮映画は始まった、と言っても過言ではない程の大傑作。<大使寸評>この映画でゴジラが登場するのは、劇中かなり遅くなってからだったが・・・だんだんと現れてくるところが恐いわけで、心憎い演出とも言えるわけです。allcinemaゴジラ(1954)wikipediaゴジラ (1954年の映画)我々、団塊の世代は、初代ゴジラにインスパイヤされた世代であるが・・・その後、引き続いて作られた怪獣映画を飽きもせづ観続けたアホも多くいるわけです。大使の場合、怪獣映画でゴジラ以外で覚えているのはアンギラス、ラドン、モスラぐらいだから、怪獣フリークというよりも、初代ゴジラのファンなんでしょうね。ゴジラ画像より**********************************************************************
2024.03.16
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図書館で「文学界 9月号」という雑誌を手にしたのです。表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。【『文学界 9月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<商品説明>より【特集】エッセイが読みたい「枕草子」から脈々と続くエッセイの面白さと奥深さを27人の書き手と共に味わい、エッセイの「いま」に迫る植本一子/小山田浩子/オルタナ旧市街/済東鉄腸/ジェーン・スー/鈴木涼美/檀上遼/永井玲衣/能町みね子/野崎歓/野村訓市/平岡直子/穂村弘/堀静香/堀江栞/堀江敏幸/町田康/松尾スズキ/山本精一/吉澤嘉代子/吉田靖直/米澤穂信/わかしょ文庫<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。amazon『文学界 9月号』特集「エッセイが読みたい」から好みのエッセイをもうひとつ見てみましょう。p76~77<ぼろぼろのユートピア:穂村弘> 小説でも詩でもなく、同時に、その両方であるような、そんな文章に憧れている。位置づけることのできない言葉の塊は、エッセイと呼ばれることもあるようだ。例えば、内田百閒の随筆、金子光春の自伝的放浪三部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』など。濃淡の差はあってもアウトサイダーの精神が共通している。その流れの中でも、とりわけ怪しい光を放っているのが西東三鬼の「神戸」である。 1900年生まれの作者は「水枕ガバリと寒い海がある」「おそるべき君等の乳房夏来る」「炎天を遠く遠く来て豚の前」「露人ワシコフ叫びて石榴打ち落とす」「広島や卵食ふ時口ひらく」といった破格の句で知られる俳人。寺山修司にも影響を与えた俳句界最大のトリックスターだ。「神戸」の舞台となるのは、戦時下の港町神はトーアロードに建つ「ハキダムホテル」である。「東京の何もかもから脱走」した三鬼は、雑多な人種の集まるこの「難破船のような」国際ホテルの住人となる。 心楽しまぬ時、波子はホテルにウヨウヨいる仔猫共を集め、順々に蚤を取ってやる。そして、ポツリポツリと自分の生い立ちを語った。 原井さんは、完全無欠なその日ぐらしであった。 このパパさんなる人は、白髪の老支配人で、元の持主の義弟、善良なること神の如き人物、いつも暇な時には金槌を持って女達の部屋部屋を廻るので、あだ名がヨセフ。これはいかにも神戸らしかった。姉御達は威勢はいいが皆父親運が悪いから「パパさん」の愛称のひびきには心がこもっていたのである。 彼等や彼女等は、戦時色というエタイの知れない暴力に最後まで抵抗した。エジプト人、トルコタタール人,白系ロシヤ人、朝鮮人、台湾人そして日本娘達の信仰は「自由を我等に」であった。だから彼等はそのハキダメホテルで極めて行儀が悪かった。 そして奇妙な事には、一様にプライドが高かった。奇妙といったのは、これらの外国人達はいずれも国法にすれすれに触れる商売をしていたのだし、女達は夜更け、酒場の客をくわえ出して、このホテルは勿論、あちこちのホテルに沈没して稼いでいたからである。 破天荒なアウトサイダー同士の交流の面白さ、そして奇妙に溢れる優しさ。時代の過酷さに傷つき打ちのめされた魂たちが行き交う世界が、ぼろぼろのユートピアに見えてくる。これは現代の我々が生きている透明なディストピアの対極に位置するようだ。あまりにも個性的な登場人物が集まった「ハキダメホテル」に、そして「神戸」という街に、心惹かれずにはいられない。 作中には、病死、焼死、溺死、狂死、銃死、轢死、戦死など夥しい死が溢れている。ホテルにいた十数匹の猫たちまでも、空襲で殺されてしまった。にも拘わらず、どうしてなのか、突き抜けた虚しさと明るさの入り交じったこの世界に自分も足を踏み入れてみたくなるのだ。 おそらくはその特異な文体のせいだろうか。作中の奇妙な登場人物の一人ひとりが、可視化された運命そのもののように感じられる。「そういう我等を見守るのは、どのような神であったか、所詮は邪教の神であって、一流の神様ではなかったであろう」という思いに胸を打たれる。 この「神戸」の登場人物の大方は、戦争前後に死んでしまうのだが、これは私が特に死んだ人のことばかりを書こうとしたのではない。ひとりでにそうなってしまったのである。何故そうなったかは私には判らない。ただ一つ判っていることは、私がこれらの死者を心中で愛していることだ。 本作の舞台となったト-アロードを歩いてみたくて現地にいったことがある。流れ星のように燃え尽きた命の痕跡を探そうとした。でも、見つからない。「神戸」の時代から80年の時が流れている。けれど、そのせいだけではないと思う。憧れの「神戸」は、鬼才三鬼の魔性の言葉の中だけにある幻の街なのだろう。私は中華料理の店で緑色の冷麺を食べて帰ってきた。ウン 我が街神戸を舞台にしてアウトサイダー同士の交流があったのか・・・と、このエッセイには感じ入った次第です。『文学界 9月号』1:出てきてしまったもの:能町みね子
2024.03.15
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図書館で「文学界 9月号」という雑誌を手にしたのです。表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。【『文学界 9月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<商品説明>より【特集】エッセイが読みたい「枕草子」から脈々と続くエッセイの面白さと奥深さを27人の書き手と共に味わい、エッセイの「いま」に迫る植本一子/小山田浩子/オルタナ旧市街/済東鉄腸/ジェーン・スー/鈴木涼美/檀上遼/永井玲衣/能町みね子/野崎歓/野村訓市/平岡直子/穂村弘/堀静香/堀江栞/堀江敏幸/町田康/松尾スズキ/山本精一/吉澤嘉代子/吉田靖直/米澤穂信/わかしょ文庫<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。amazon『文学界 9月号』特集「エッセイが読みたい」から好みのエッセイを見てみましょう。p68~69<出てきてしまったもの:能町みね子> 原稿どう書きはじめようかな、と唸っていたら、ryuchellが死んじゃったというニュースが降ってくる。 もちろん会ったこともないし、追っかけてたわけでもなかったけれど、有名人の訃報としてはかなり、相当、大きなショック。悲しい。切ない。頼まれた原稿書く気なんてなくなってしまう。なんでそんなことになってしまうのかね。ぼんやりいろんなことを考える。仕事の文章、書かなきゃいけないのになあ。エッセイについてのエッセイを書いてほしいなんて言われていたんだけどな。 私は自分の肩書きを決めきれないでいるので、仕事相手からプロフィールについて聞かれ、肩書きはエッセイストでいいですか、と言われたら、面倒なので「いいですよ」と言ってしまう。コラムニストでいいですかと言われたら、それでもOKにしてしまう。 なんでもOKというわけじゃないけれど、エッセイ/コラムと呼んでよさそうなものを書いたことはあるから、エッセイスト/コラムニストという名乗りでも嘘ではないだろう、くらいの消極的な態度である。 しかし、受けてみて何を書こうか悩み、気づいた。私はエッセイを書くのが苦手なんだよ。厳密に言えば、人に依頼されて、仕事としてエッセイを書くのが苦手だ。 改めてたいへん無粋なことを言ってしまうが、この文章は、もちろん「文学界」という雑誌に依頼されて書いている。こういったテーマのエッセイをお願いしますと依頼され、エッセイを書くつもりで、このエッセイを書いている。しかし、エッセイというこの・・・私にとっては少し癪に障る、御しかねる、腫れ物みたいな存在をどう手なずけたらいいものか、私はずっと困り続けている。『日本エッセイ小史』(酒井順子)を読んだ。これは「小史」というくらいだから論文調でもあるのだが、やはり酒井順子さんが書いているだけあって、文章の触感がエッセイである。エッセイについてのエッセイと言っていいだろう。すなわち、私がここで書いているのは、エッセイについてのエッセイについてのエッセイである(この三重構造に少々テンションも上がろうというもの) ともあれ、この本によれば、そもそもエッセイには定義らしい定義がなく、先人も、エッセイの名手とされる人たちも、その捉え方に悩み続けていた様子が描かれている。エッセイとされるものの要素をこの本からざっくり引くならば・・・「随筆」よりも軽いものであり、専業者は少なく副業として書かれることが多い。また、井上ひさしは「エッセイとは自慢話」と言っている。(自虐や自省の類も「こんなこと考えている私なかなか良いでしょう」という自慢である、という意味で)、等々。どれも特に反論はない。納得できる。 ただ、自分の中の理想的エッセイ像は、これらの要素だけでは語れない。 私が好むエッセイは、誰にも依頼されず自発的に湧き上がってきたような、書き残したくなってしまって誰のためでもなく勝手に書いたような、思いついたことをどうしても記録したくてやむをえず書いてしまったような、そういうものである。 エッセイをちょっと神格化しすぎだろうか。エッセイ原理主義者になっちゃってるだろうか。 先に挙げた要素と照らし合わせるなら、自慢話もやはり自発的にやりたくてついやってしまうものだし、副業として書かれているものが多いというものも、依頼&納品という仕事らしいプロセスを経て作られることに向いていない証左になっているように思う。 だから、私はお願いされてエッセイを書くのが苦手なわけだ。業務をお願いされたという事実をどれだけ頭の中から消して、いかに自分を騙し、「そういえば私は自分の意思でこんなことが書きたかったんだった」という気持ちに持っていくか・・・エッセイに関しては、こうした作業をかなり念入りに心がけなければならない。ウン つれづれもなく綴られていてまるで兼好法師の徒然草ではないか♪・・・さすが能町さん
2024.03.15
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図書館で「歌の革命」という本を手にしたのです。「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。【歌の革命】高橋眞知子著、社会評論社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1989年、ソ連邦からの独立を要求して、200万人のバルトの民衆が、武器をもたず、平和への祈りをささげ、歌いながら、国境を越えて人間の鎖でつなぐ600㎞の「バルトの道」を実現した。「歌の革命」と呼ばれる。オランダ在住の著名なフルート奏者が、リトアニアの独立運動にまつわる人びとを探訪して描く、「歌の革命」をめぐる物語。<読む前の大使寸評>「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。rakuten歌の革命「第2章 独立革命のリーダーとそのファミリー」のエピソードをひとつ、見てみましょう。p136~138<ふたつの伝説的な実話 その1> ソヴィエト海軍・潜水艦隊勤務、キャプテン補佐でリトアニア生まれのヨナス・ブレシュキースという人物がいた。 漁業船の元乗組員だったが、のちサンクト・ペテルブルグで最も優れた教育レベルをもつソヴィエト海軍学校を卒業し、一等航海士から海軍大佐に昇格した。 彼はある日、ソヴィエト戦艦で任務に就く。到着目的地であったタリンに向かう途中、コンパスの故障による航行の混迷を装ってスウェーデン方角へ潜水艦を誘導し、ついにゴットランド島への逃避に成功したというものだ。 スウェーデン逃亡後、ソヴィエト政府はブレシュキースにメッセージを送った。「君が戻って来れば自由を保障する。君の過去は許される。こちらが君の祖国であり、生涯の自由が待っているところだ」。こんな嘘に騙されるものはいない。 彼はスウェーデンから米国に政治移民として亡命し、CIAの諜報員として勤務した。 私は改めてこの実話を想像してみることがある。船の様子、ブレシュキースが準備周到に作製した詳細な公海図、故障を装った羅針盤と舵取り、目的地の灯台の灯と最後に現れるスウェーデンのゴットランド島のごつごつした岩。1961年4月7日の早朝に起きた、これは奇跡の物語としかいいようがない。 レジスタンスの塊で「自己の軸」を貫いた彼は[*我々の]驚異的なシンボルとなり語り継がれてきた。占領下で、禁じられた生活を送るリトアニアの人々の現状は、混沌としか呼びようのないものであった。 人間とは哀れなものである。人々は自分たちが分からなくなっていた。「自己の軸」や「超越した展望」もなく、考える力さえ失っていた。その中で起きたこの珍事は政治的スリラーと呼ばれるにふさわしい、目から鱗の大事件である。本物の自由とは言葉だけでは絵に描いた餅に等しいということ、「極限の使命」を行動する、その重大な意味に気がついた人々。 この実話を元にしたトム・クランシーの原作「The Hunt for Red October 1982年出版」は映画化された。名優ショーン・コネリーが演じ「Hunt for Red October」として世界に広まった。[*邦訳ではレッド・オクトーバーを追え] 長い間、実話ではなくフィクション映画と信じられてきたのは、これも異例のことだが、ブレシュキースが30年のあいだ無言を貫いてきたためだった。 分断された西と東の世界は、自由の世界と破壊された世界とにはっきり別れていた。にもかかわらず、鉄のカーテンを破る逃亡の成功は自由の獲得達成をさらに触発していくことになる。 ブレシュキースの珍事が政治的スリラーとして、その後のレジスタンスに大きく影響したのは明らかである。*この物語について、少し詳細にふれてみたいと思います。1948年のこと。J・ブレシュキースは13歳。家族もろともシベリア強制送還にあいます。人々は汽車に詰め込まれ、走り始めた汽車から子供達[兄弟の3人]を瞬時の機転で突き落としたのは父親でした。そこから始まるのはブレシュキースの命をかけた波乱の人生。その後サンクト・ペテルブルグの海軍学校に学び、一等航海士から海軍大佐に昇格したことも、彼の緻密な計画のもとに行われた行動ではなかったのかと思わせるようなストーリーです。 彼には誰にも明かさぬ一途な夢がありました。それは自由になること。ソヴィエト体制から脱出すること。ソヴィエト船はクライペダを出港しました。任務目的地はエストニアのタリンです。コンパスの故障を装ってこれを方角異なるスウェーデンに導く、どうやってそんなことが可能だったのか。ついに遂げたゴットランド島への逃避、彼は26歳でした。KGBから30年間追われる身になりますが、彼を援助したのは米国のCIAでした。ウーム 潜水艦のコンパスの故障を装ってソヴィエト体制から脱出するってか・・・事実は小説より奇なりではないか。『歌の革命』1:リトアニア初の飛行機設計士、空軍パイロット
2024.03.14
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図書館で「歌の革命」という本を手にしたのです。「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。【歌の革命】高橋眞知子著、社会評論社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1989年、ソ連邦からの独立を要求して、200万人のバルトの民衆が、武器をもたず、平和への祈りをささげ、歌いながら、国境を越えて人間の鎖でつなぐ600㎞の「バルトの道」を実現した。「歌の革命」と呼ばれる。オランダ在住の著名なフルート奏者が、リトアニアの独立運動にまつわる人びとを探訪して描く、「歌の革命」をめぐる物語。<読む前の大使寸評>「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。rakuten歌の革命まず「第1章 リトアニア初の飛行機設計士、空軍パイロット」の冒頭から、見てみましょう。p13~17<1 若きユルギスの夢と情熱 フライングマシーン発明の時 > カウナス市に、ユルギス・ドブケヴィチウス中等学校という名称の学校があります。2011年3月に起きた東日本大震災には、児童生徒が日本へ励ましのメッセージを送った学校です。ここを訪れたのは、プロローグで触れたように「絆」テーマの一連のチャリティー演奏会に参加するためでした。 ネムナス川を見下す小高い丘の上にある学校は、当時小学1年生から12年生(小・中・高)までの児童生徒585名。指導教員49名。必修授業の他、音楽、民族舞踏やダンスを学び、毎年半数ほどの児童生徒がカウナス市の「歌の祭典」や「舞踏フェスティヴァル」に出場するということでした。文化と伝統を大切にする教育プログラムが推進されていました。 演奏の前に訪れたのは、東日本大震災の直後、初代特命全権大使のもとにお見舞いとして、友情のリストバンドや励ましのカード、折り鶴を届けた少額4年生の児童たちでした。贈り物は港湾都市のクライペダと姉妹都市を結ぶ岩手県久慈市に送られたそうです。 庭の緑を映して明るいクラス、笑顔の優しい子ども達。遠い国日本に起きた大惨事に寄り添って、ひとりひとりから慰めとお見舞いの言葉をもらいました。かれこれ8年前のことですから彼らはもう18歳。 1951年に創立されたこの中等学校は1992年、若き英雄に因んでユルギス・ドブケヴィチウス中等学校という名称を授かりました。 次の話は、そのドブケヴィチウスを軸に歴史背景をまとめてみたものです。空軍パイロット、飛行機の設計者として全身全霊をかけたこの若者のことをお国で知らぬ人もあります。そして多くのことがそうであるゆに、時代とともに忘れ去られようとしています。是非紹介したいとおもいます。■ユルギス・ドブケヴィチウス、父と、母と 1900年の3月23日に生まれたユルギス・ドブケヴィチウスは飛行機ドビ(Dobi)モデルで国際的に知られ、リトアニア航空機の歴史に欠かせない人物です。生まれはロシアのサンクト・ペテルブルグ。ヴィボルグ商業学校で学び、大へん優秀な学業成績をおさめ、卒業式には金メダルを受賞する模範生です。 ポリテクニック(高等工業大学)で造船技術を、バクの専門学校で航空技術を修得しました。 カウナスでは1920年11月26日という日を記憶している人もいます。ユルギスがドイツ製の強力なエンジン、安全性とそのスピードで知られた軍事用飛行機フォッカーで、リトアニアの最高記録・地上5600mの宙返り飛行達成した日なのです。これはこの土地に語り継がれてきた誇らしいエピソードです。 5600mとはとんでもない高度です。標高8000mがデスゾーンと呼ばれ、これは登山用語ですが、生命維持ができなくなる限界とされています。酸素の濃度が3分の1ほどに薄くなれば人間の体はそれに耐えられません。コンヂションによっては限界が7000mいやそれ以下の場合もあるでしょう。 彼のアクロバット飛行はその技術を軍事に活用する試みとはいえ、酸素マスクの装着もないままの無謀なものでした。当時軍人パイロットの通常の訓練では4000から4500mの飛行はありましたがそれ以上のトレーニングを彼はどこで行っていたのか。有り余るエネルギーに任せた、ただの無鉄砲に過ぎなかったのでしょうか。 1918年、父親のヨナス・ドブケヴィチウスは崩壊しつつあるロシア帝国から、独立を果たしたリトアニアのカウナスに家族共々帰郷しようと決心しました。自分と妻、そして3人の子供達、長男のユルギス、長女のヴァレンティーナ、次女のアレクサンドラです。 この帰国かなり前から念頭に置かれていたことではないか、とこれは推測にすぎません。しかし決定的だったのは1917年の「2月革命」の後に起きた「10月革命」のロシア革命でした。ロシアのサンクト・ペテルブルグを舞台にして起きた、ボルシェビキ(多数派という意味)のリーダー、レーニンのクーデター的革命でした。 ロシア社会を構成していたのは上流社会層の知識人、資本家、その上に貴族と皇帝、それに対して労働者、農民、兵士です。よもやその上流階級層の打倒をもってなされたこの血なまぐさい革命のなかで、普通に考えればですが、ドブケヴィチウス家族が生活を維持していくのは困難であったはず。帰郷の年号は資料によって異なりますが、1917年の「10月革命」のかなり前であった可能性も否めません。すでにリトアニア独立の動向に通じていたに違いなく、なによりもサンクト・ペテルブルグの不穏を家族は重大に受け止めていたでしょう。このあとサンクト・ペテルブルグ家族の優秀な人材や開発した軍用機について書かれているのだが、「歌の革命」やKGBとCIAの戦いなどに話は広がるわけです。
2024.03.14
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「ゴジラ―1.0」がアカデミー賞の視覚効果賞を受賞したとのことで、新聞やネットでも盛り上がっているが・・・その報道のひとつを見てみましょう。*********************************************************【米アカデミー賞】「ゴジラ―1.0」が視覚効果賞を受賞より 米映画芸術科学アカデミーが主催する第96回アカデミー賞の授賞式が10日(日本時間11日)、米ロサンゼルスで行われ、映画「ゴジラ―1.0」(山崎貴監督)が視覚効果賞を受賞した。アジア映画が同賞を受賞するのは初めて。 映像製作会社「白組」の少数精鋭のスタッフとともにVFX編集を手掛けた山崎監督は、現地で授賞式に出席。結果発表の瞬間、プレゼンターのアーノルド・シュワルツェネッガーが、「Godzilla MINUS ONE」と読み上げると、監督らスタッフは総立ちとなり、喜びを爆発させた。 壇上で山崎監督は、英語でスピーチし「40年以上前に『スターウォーズ』と『未知との遭遇』を見たショックからキャリアをスタートさせた私にとって、この場所は望む事すら想像しなかった場所でした」と感慨深げ。「VFXを志しているみんな!ハリウッドが君たちにも挑戦権がある事を証明してくれたよ!ありがとうございました」と語り、会場の喝采を浴びた。 監督としての受賞は、「2001年 宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督以来、55年ぶり史上2人目。同賞はその年に公開された映画の中で、最も優れた視覚効果(VFX)を用いた作品に与えられる栄誉で、過去には「スターウォーズ」、「アバター」など映画史を代表する超大作が受賞してきた。これまで、邦画・アジア映画が受賞した実績はなかった。 本作は、ゴジラシリーズ70周年記念作品で、日本製作の実写として30作目。終戦直後を舞台に、敗戦で“無(ゼロ)”になった日本が、ゴジラの脅威により“負(マイナス)”に叩き落とされる物語。日本では昨年11月に封切られ、興行収入60億円を突破。北米でも昨年12月に公開され、世界興収は1億ドル(150億円)を突破する大ヒットを記録している。 ◆山崎監督スピーチ全文 40年以上前に「スターウォーズ」と「未知との遭遇」を見たショックからキャリアをスタートさせた私にとって、この場所は望む事すら想像しなかった場所でした。ノミネートの瞬間、私たちはまさにロッキー・バルボアでした。強大なライバルたちの前でリングに立たせてもらえた事はすでに奇跡でした。 しかし私たちは今ここに居ます。この場所から遠く離れた所でVFXを志しているみんな!ハリウッドが君たちにも挑戦権がある事を証明してくれたよ!最後にスタッフキャストを代表して、去年失った我々のプロデューサー、阿部秀司さんに言いたいです。「俺たちはやったよ!」ありがとうございました。(報知新聞社)山崎監督は初代ゴジラにインパクトを受けていたようですが・・・かつての特撮、現在のVFXに入れ込むところが、いかにも映画作りが好きなんでしょうね。それからハリウッド映画に及ばない低予算にもくじけず、ポジティブにトライするところがええでぇ♪去年の11月にこの映画を観ていたので、日記を付けておきます。**********************************************************************【ゴジラ-1.0】山崎貴監督、2023年制作、2023.11.09鑑賞<Movie Walker press >よりゴジラ70周年記念作品として制作されたゴジラ作品30作目。山崎貴が監督・脚本・VFXを手掛け、『君の名は。』の神木隆之介が主人公の敷島浩一、『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波がヒロインの大石典子をそれぞれ演じる。「東京リベンジャーズ」の山田裕貴をはじめ、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介らが脇を固める。【ストーリー】戦争によってなにもかもを失った日本は、焦土と化していた。戦争から生還するも、両親を失った敷島浩一は、焼け野原の日本を一人強く生きる女性、大石典子に出会う。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、謎の巨大怪獣ゴジラが出現。圧倒的な力を持つゴジラに、人々は抗うすべを模索する。<観る前の大使寸評>ゴジラ70周年記念として制作されたゴジラ映画とのことで、PRサイトの意気込みがすごいわけで・・・久々に劇場まで繰り出したのです。Movie Walkerゴジラ-1.0『ゴジラ-1.0』を観たゴジラ-1.0が超スッキリ感動できる動画!もお奨めです。
2024.03.13
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「食」でしょうか♪<市立図書館>・辺境メシ ヤバそうだから食べてみた・食の冒険 フィールドから探る・文学界 9月号・フォルモサ・イデオロギー<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten食の冒険 フィールドから探る【『文学界 9月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<商品説明>より【特集】エッセイが読みたい「枕草子」から脈々と続くエッセイの面白さと奥深さを27人の書き手と共に味わい、エッセイの「いま」に迫る植本一子/小山田浩子/オルタナ旧市街/済東鉄腸/ジェーン・スー/鈴木涼美/檀上遼/永井玲衣/能町みね子/野崎歓/野村訓市/平岡直子/穂村弘/堀静香/堀江栞/堀江敏幸/町田康/松尾スズキ/山本精一/吉澤嘉代子/吉田靖直/米澤穂信/わかしょ文庫<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。amazon『文学界 9月号』【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー
2024.03.13
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在217位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在125位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在63位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在54位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在209位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在16位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在15位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在71位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在49位・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在62位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ウマは走るヒトはコケる・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・『深海ロボット、南極へ行く』:図書館未収蔵<予約分受取:12/27以降> ・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/27受取)・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、2/27受取)・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、2/27受取)・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、3/13受取予定) **********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.03.12
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図書館で「週刊現代プレミアム 昭和の怪物」というムック本を手にしたのです。おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。【週刊現代プレミアム 昭和の怪物】ムック、講談社、2020年刊<出版社>より昭和の芸能界を代表する人物を、貴重な写真と秘話で綴る「昭和の怪物 芸能界編」。今だから明かせるテレサ・テン涙の理由、「敗戦後の人生はおまけ」と言い切った鶴田浩二の人生観、決して見せなかった「寅さん」渥美清の苦悩。ヤクザと芸能界がいまより密接だった時代が蘇る。<読む前の大使寸評>おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。rakuten週刊現代プレミアム 昭和の怪物やや個人的好みになるが「テレサ・テン」から、見てみましょう。p13~<テレサ・テン いまも君の歌が聞こえる>■日本からの国外退去処分を経て テレサ・テンが初来日した1973(昭和48)年は、山口百恵や浅田美代子らがデビューしたアイドル歌手全盛の時代。テレサの最初のシングル『今夜かしら明日かしら』(74年3月発売)も、売れっ子作曲家の筒美京平氏が手がけた、典型的なアイドル歌謡曲だった。 出身地・台湾で14歳のときにレコードデビューして7年が経ち、香港でも成功を収めていたテレサだったが、この日本第1作は不発に終わる。香港出身のアグネス・チャンが『ひなげしの花』(72年/デビュー曲)、『草原の輝き』(73年)と大ヒットを飛ばし、人びとの注目がアグネスに向いていたのも一因だろう。 そこで、第2作は路線を変更。演歌が得意な猪俣公章氏作曲の『空港』(74年7月)を発表したところ、70万超を売り上げた。この年は森進一の『襟裳岬』や殿さまキングス『なみだの操』が売れ、演歌人気も高かった。恋人のもとを去る女性の心情を「別れることが二人のため」と歌う『空港』は演歌ファンにも支持され、テレサは日本でも一躍スターになったのだ。 著書に『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』があるノンフィクション作家・平野久美子氏が解説する。「日本語が分からない彼女は歌詞の内容を自分のものにするため努力しました。通訳にじっくり説明してもらい、詞の上官が理解できなければ何度でも質問した。そうやって歌の世界をしっかり掴んでいたので、語尾の微妙なニュアンスまで正確にリズムに乗せ、詞の陰影を歌いこなせた。持ち前の歌のうまさに皮得て、繊細な女心や切なさを表現できたからこそ、彼女の歌声は多くの人の心に響いたのです」 以降、新曲を着実に発表したが、79(昭和54)年に事件が起こる。偽名のパスポートで入国したとして、国外退去処分が下されたのだ。彼女はその頃、台湾を拠点に日本や香港、シンガポールなどを飛び回っていた。「当時は日本を含め、台湾と国交のない国がいくつもあった。テレサのように各国を頻繁に行き来する台湾人のなかには、母国以外の国のパスポートを持っている人が少なからずいた。国交のない国に入る際はそのパスポートを使い、煩雑な手続きなしに入国できるようにしていたのです。それがテレサの不注意で発覚してしまった」(平野氏) 日本のメディアに批判されたこともあって、彼女は翌80年から再び台湾や香港を中心に活動するようになり、日本から足が遠のく。が、それが功を奏したと言うべきか、アジア各国でヒットを連発、大規模なコンサートを何度も成功させて人気を爆発させた。 そのなか、テレサのレコードがまだ発売されていなかった中華人民共和国でも、彼女の評判が広まる。また、華僑財閥の御曹司と熱愛関係になり、81(昭和56)年に婚約を発表。この二つが、84(昭和59)年の『つぐない』での日本カムバックと『時の流れに身をまかせ』(86年)の大ヒットにつながっていく。■「歌う公務員」から「アジアの歌姫」へ テレサの中国語の芸名は鄧麗君、本名は鄧麗ユン。53(昭和28)年、台湾製南部にある雲林県の村で生まれた。父親は中国の内戦を戦った軍人で、49(昭和24)年、中国共産党軍に敗れ、大陸から台湾に逃れてきた。母親も大陸出身者だ。 前出の平野氏が語る。「一家は台湾で生活を一から立ち上げねばならず、仕事を求めて国内を転々としたそうです。かつてテレサも『引っ越しばかりで貧しかった』と私に話してくれた。そんな暮らしのなかで京劇や伝統音楽に触れる機会があり、テレサ自身も歌うのが好きになっていきました」 地元で評判になるほど彼女は歌がうまく、10歳のとき、ラジオ局主催のコンサートで優勝。14歳でレコードデビューを果たす。「抜群の歌唱力と愛くるしい顔立ち、親しみやすい人柄で、テレサはすぐに人気者になります。テレビやレコードの録音で1日に数十曲を歌うことがあり、それでも文句を言わないので、『歌う公務員』と呼ばれました」(平野氏) 18歳になり、香港でレコード制作を開始すると、「天才少女歌手」から「大人の歌い手」への脱皮を図る。子供っぽい歌い方を矯正し、スローな曲を歌う訓練もした。もともと彼女は声が小さかったが、「それを活かした、優しく囁くような、心に染み入る歌唱法を身につけた」(平野氏)のだ。結果、香港でも評価を高め、日本のレコード会社から声がかかったのだった。 来日後数年間の活躍、偽名パスポート事件、日本での活動が減る代わりにアジア各国で人気が爆発し、文字通り「アジアの歌姫」になったのは前述した通りだ。
2024.03.12
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丸谷才一さんといえば旧仮名遣いで知られているが、蘊蓄に富んだ「話の種」がまたええわけで・・・以下のとおり復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『猫のつもりが虎』という本を手にしたのです。パラパラとめくったら・・・和田誠さんの挿絵とコラボした構成が絵本のようで、ええわけです♪【猫のつもりが虎】丸谷才一著、マガジンハウス、2004年刊<「BOOK」データベース>よりズボンとベルトの歴史的背景を論じ、スカートをはいた男の性的放縦に驚く。モスクワの冬のアイスクリームの甘さをうらやみ、テニスの“ラヴ”と“Love”の関係を研究し、そしてグレタ・ガルボの足の大きさについて語る。知的好奇心に溢れた「話の種」が満載。【目次】ベルトの研究/男のスカート/冬のアイス・クリーム/絵を買ふ/提案三つ/批評の必要/驢馬の耳/ある日のこと/あの大阪の運転手/ガルボ伝説/故郷の味/四十八手/ポルトガルの米料理/歴史的抒情/夜中の喝采/エジプトの女王/日本デザイン論序説<読む前の大使寸評>パラパラとめくったら・・・和田誠さんの挿絵とコラボした構成が絵本のようで、ええわけです♪rakuten猫のつもりが虎日本語論が興味深いので、見てみましょう。p66~70 <ある日のこと> 夜ふけに発句が一つ浮かんだ。 日本語論花冷えの日も夜も といふのである。673で字足らずだから、詞書で「破調」と断るか。 この句は実景実感である。肌寒い日だつたし、まあ概して日本語論づくめの一日だつた。まづ昼すぎ、国語学の大野晋さんからでんわがかかつて来た。用件がすむと、わたしは大野さんの新著『日本語はどこからきたのか』(ポプラ社)のお礼を言つた。 日本語がインドのタミル語と関係があるといふ大野さんの持論を述べたものだが、子供向きの本だからわかりやすいし、それに今までの本に書いていない最新の研究成果もはいつてゐて、非常におもしろかつたのだ。たとへば日本語の「忌む」imu,imiがタミル語の「火葬場」「墓地」の意のim,imaと対応するといふやうな。 「忌む」 はそれ自体、古代信仰の代表のやうな単語なのに、これまで語源が見つからなかつた。さらに、イとユは母音交替するから、「触れるのは畏れ多い、死の穢れにあるから触れてはならない」の意の「ゆゆし」、例の神事に使ふ「木綿」、イザナギが死の国へイザナミを追つて行つて、見るなと言はれたのに見ようとして櫛に火をともすあの「斎(ゆ)つ爪櫛」の「斎」などと親類筋に当るといふ。これは大変な新発見と言はなければならない。 とわたしが読後感を述べると、大野さんはいろいろ解説してくれてから、ほかにもう一つ大事な単語の語源が見つかつたのだと自慢する。 「話す」 である。 「話す」 は「放す」ぢやないかといふのは本居宣長の説だが、どうもピンと来ない。ところがタミル語にpannuといふのがあつて、これは「相談する、詳しく説明する、相談を受けて教える」とか「しゃべる、言ふ、宣言する」の意味なのださうである。殊に大事なのは、タミル人サンムガダス氏によると、この「パンヌ」に「大臣、貴人を相手にいろいろなことを言ふ」といふ意味があることだ。 「それに『話す』はあのころまで文献には出て来なかつたことばでね。どうしてか分からないけど。戦国のころ、不意に出て来るんですよ」 といふ大野さんの補足的な説明にわたしが目を丸くして感心すると、 「つまり曾呂利新左衛門のころ」 「さうさう」 「ふーむ。すると、日本語にはずつとあつたのに、『万葉集』でも『源氏物語』でも使われなかつた。ただし東国では日常会話に使はれてゐた…」 「かもしれないな」 午後は「週刊朝日」の『日本語相談』を書く。読者の質問に答へるのである。 「弁護士、会計士などは士なのに、調理師、理髪師などは師なのはなぜですか?」 といふのもおもしろいが、これは難問なので、 「『入試は水もの』と言ひますが、なぜ『水もの』なのですか?」といふ受験生の問に答へる。「水」には「川」といふ意味があるし、昔の川は大水になつたり、涸れたり、方向が変わつたり、お天気次第で気まぐれだつたのだ。つまり川のやうなものといふわけだ。もちろん昔は「入試は水もの」なんていわなかつた。「商売は水もの」と言つた。『猫のつもりが虎』4:興味深い日本語論p66~70『猫のつもりが虎』3:クレオパトラの美貌p133~140『猫のつもりが虎』2:相撲の「四十八手」p102~106『猫のつもりが虎』1:冬のアイス・クリームp25~28
2024.03.11
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図書館で「日本語の行間」という本を手にしたのです。著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。rakuten日本語の行間巻末の「新書版のための新章」で韓国の親日派や法治が述べられているので、見てみましょう。p274~276<保守右派系の次期大統領候補・尹錫悦氏> 韓国、保守右派系の次期大統領候補に、尹錫悦という人がいます。検察総長出身で、常に「法治」を強調してきた人で、文在寅政権とは正しく犬猿の仲でした。日韓関係もそうですが、韓国社会には、口では正義や道徳を強調する人が多いわりには「法治」という概念が二の次にされる、良からぬ風潮があります。 韓国の大統領候補の中で法治ここまでキーワードにする人は珍しかったし、また、文政権から、特に検察の人事権限を持っている法務部長官から明らかな嫌がらせを受けながらも持論を曲げない強さ見せていた人なので、個人的に、この尹錫悦氏には好感が持てました。 その尹氏が、2021年6月29日、大統領選挙に立候補宣言を行いました。ですが、その場所が、尹奉吉記念館でした。尹奉吉は1932年、上海の公園で開かれた天皇誕生日記念式に爆弾を投げつけ、民間人を含めた多数の死傷者を出した人物です。韓国では英雄となっており、大きな記念館もあります。ただ、これは明らかに違法なもの、言わばテロでした。法治を大事にする検察総長出身大統領候補でも、やはりこれが限界か、と思わざるを得ませんでした。 初めてこの話を聞いたときには、偉人とされている尹奉吉と特別な関係、例えば孫とか、そんな関係にあるのかな、と思いました。でも、同じ尹氏である以外に、接点は無いとのことです。 韓国では、少しでも「反日思想」に逆らう発言をすると、その人は「親日派」とされ、社会的地位を失うことになります。するとその人は、「私は親日ではない」とアピールするために、不自然なほど独立精神は、臨時政府史観(併合は違法支配だったとする歴史観)などを強調したりします。尹氏もたぶん、そういう点を意識しただけでしょう・・・と極めて肯定的に考えることもできなくはありません。 ですが、その記念館を借りた経緯もまた、怪しいものでして。尹奉吉記念館は、政治利用を禁止するために、出馬宣言などで記念館を使うことは記念館側の規則で禁止されています。これは尹前総長が、他の人の名義で、他の目的で申し込んで、記念館を借りました。一時、「法律をちゃんと守ることこそが必要だ」としながら文大統領と対立していた尹前総長なだけに、これは実に嘆かわしいやり方です。 それに、出馬の弁で日韓関係にも触れましたが、主な内容は、「韓日関係では、過去の歴史は過去のことで、私たちの子孫が歴史を正確に記憶するために真相を明確にしなければならない問題があるが、未来は私たちの次の世代のために実用的に協力しなければならない関係だと思う」「この政府になって壊れた慰安婦問題、強制徴用問題、韓日間安保協力や経済貿易問題、このような懸案を、全部一つのテーブルにおいて、『グランドバーゲン(※一括交渉)』をする方法で、問題にアプローチしなければならない」、などです。 韓国側のマスコミは、この件を、「(安保面を強調していることから)安保面で日本に協力してやれば、日本は歴史問題で譲る」という取り引きのことだと分析しています。日韓問題の本質は、「法治」、すなわち国家間の条約を守らなかった韓国側の国際法違反であるにもかかわらず、その部分には一切触れませんでした。 韓国側は何か長引きそうな案件があると、すぐに「一括妥結」を言い出します。米朝関係においても、日韓関係においても、韓国がすぐに「首脳会談で一括解決するしかない」と主張します。「王」が決めればそれでなんとかなると思っている、前近代的な考え方がまだ残っているのでしょうか。「日本語の行間」2:日韓で微妙に異なる「高文脈文化」「日本語の行間」1:日本の空間
2024.03.11
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図書館で「日本語の行間」という本を手にしたのです。著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。rakuten日本語の行間「はじめに」で日韓で微妙に異なる「高文脈文化」が述べられているので、見てみましょう。p8~9<はじめに> 私は、韓国で、ざっと40年間、実生活の中で、これら二つの思想(儒教とキリスト教)を経験しました。そして、いまハッキリ覚えているのは、「疲れた」という感覚だけです。どちらも一方通行だったからです。詳しくは本章で綴ることとなりますが、神と人間の関係だけでなく、どことなく人と人の関係も一方通行でした。 どうでしょう。さて、年間で約7万5千冊の本が発売されるというこの日本にて、この本を手にしえくれた、まさにミラクル読者である「貴方」は、どう思われますか。まだ「はじめに」の途中ですが、私はこう思っています。意見が合うといいのですが。 人を大事に出来ない人は、神を大事にすることも出来ません。むしろ、その神に迷惑をかけることになります。私がなぜ「イエスは素敵な方だった」と思っていながらも、キリスト教をギブアップしたのか。それは、神に疲れたわけではありません。神の名で愛を語りながら、矛盾した言動しか示さなかった、教会の「人」たちに失望し、疲れたからです。 儒教に対しても、いまでは「韓国の社会悪」としか思っていません。相手を見下すことで人より上になれると信じる人たちを量産してしまったからです。気や理のせいではありません。徳のせいでもありません。ただ、人のせいで嫌になりました。疲れました。 真の神国とは、神が人間との共存を受け入れ、人間が神との共存を受け入れた国のことではないでしょうか。人が人に、人が神に。神が人に、敬を示してくれる国。それが神国です。私は、その関係を支える大きな柱の一つこそが、日本語だと思っています。 ご存知でしょうか。言は事なりて、世の中の「こと」、全てに影響します。言語で書かれた文章に「行間」があるのと同じく、その言語が溢れている街にも、社会にも、行間があります。具体的に言わなくても観念的に分かり合える何かが、そこにあります。「敬」を示す言葉の行間は敬で溢れ、人も敬に馴染み、その行間は神の居場所となります。「蔑」の言葉の行間には蔑が溢れ、人も蔑に馴染み、神はその行間から去っていきます。蔑を好む人などいません。人が住みたくないと思うところに、神が住むものですか。 ふと感じた、この国の一員になるために自分自身に必要なもの。足りないもの。本書は、その「もの」に関する私の試行錯誤の記録です。その「もの」は、日本語の真の敬の言語へと完成させる、日本という神国の行間の一つでした。本当に「何気なくそこら中にあるもの」。神社にもコンビニにもあったものなのに、なぜか意識せずに通り過ぎていたその行間。「日本語の行間」1:日本の空間
2024.03.10
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図書館で「日本語の行間」という本を手にしたのです。著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。rakuten日本語の行間「第一章」で「日本の空間」が述べられているので、見てみましょう。p40~42<第一章 「イタダキマス」から見える日本の「空間」>■「文化」と「空間」の関係を研究したエドワード・ホール 文化人類学者エドワード・ホール氏は、文化と「空間」の関係をテーマにした研究で有名です。彼の研究テーマは、「空間人類学」とも呼ばれています。バス停で並ぶとき、前の人とどれだけ空間を作るのか、車を運転するときに安全な車間距離をどれだけ確保するのか、そういう空間は、文化によって違います。 簡単なことのように思えますが、実は、車道、歩道、バス停の位置やデザイン、広さ、交通システム、そして通勤時間などに見られるその社会の経済、物的・人的資源の回り方、多くの要因が、そこに関わっています。 エドワード・ホール氏は、主にそういう空間を分析し、それが文化圏によってそれぞれ違う、空間がその社会の文化を表している、と主張しました。空間からその社会の人たちの考え方が見えてくる、というのです。 私の実体験によりますと、韓国人は店や家で誰かと酒を飲む時、ほぼ間違いなく相手と向かい合って座ります。だから、カウンター席はあまり人気がありません。これは、酒を飲むときにも上下の区別があるからで、酒を飲む時、相手から顔をそらす(自分の顔を横向きにする)のが礼儀だからです。 そもそも、韓国では、話す時にも、相手の顔や目を見つめるのは失礼で、下の立場の人は少し視線をそらします(基本的に、少し下げます)。まっすぐ見つめながら話すのは、ある種の「挑戦」、下の者が、上と同格になろうとする意味を持ちます。隣に座っていては、相手が自分に対してちゃんと礼儀を取っているのか、確認できないし、韓国人は一人で酒を飲んだりご飯を食べたりするのを極端に厭がるので、食堂にもカウンター席はそうありません。 家族や友だちなど、韓国人が一般的に「ウリ(私たち)」と呼ぶ仲間たちは、出来る限りの空間を共有しようとします。家の構造も、日本の場合は子どもたちが親のいるリビングを通らなくてもトイレに行ったり、外出したりできる構造ですが、韓国の場合は、リビングを通らないと外には出られない家がほとんどです。 このような「空間」の構造には、韓国人の「家族の間に秘密があってはならない」とする考えが反映されていると言われています。余談ですが、欧米でもそういう構造の家は多いけれど、子供の部屋を二階にすることで、独立性というか、子供のプライバシーを守ってやるのが一般的です。 何か悲しいことがあって、「一人にしてくれ」と言い残し、部屋という名の「空間」に閉じこもった人がいるとします。日本では本当にそのまま一人にしてやるのも選択の一つとして成立しますが、韓国では違います。 韓国人は、「一人にしてくれ」と言う人ほど、誰かが自分の部屋に入って慰めてくれることを期待します。一人にしてくれと言われて、本当にそのままにしておくと、後で「なんで私を無視するのか」と怒られます。これもまた、良いか悪いかは別にして、文化において、空間の使い方、その空間の持つ意味、空間に対する認識が、それぞれ違うという、微笑ましい(?)事例になるでしょう。シンシアリーのブログに彼の著作が数多く見られます。
2024.03.10
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ネット巡っていたらデジタル朝日の「アジアで広がる鳥山明さんへの哀悼」というのに出くわしたのです。おお 中国も韓国も鳥山明さんのマンガが好きだったのか・・・悪いのは政権の幹部だけなんだということがバレてしまったなあ。*********************************************************「竜珠」集めるから生き返って アジアで広がる鳥山明さんへの哀悼より8日に発表された漫画家の鳥山明(とりやま・あきら)さんの死去はアジア各地でも伝えられ、追悼の声が相次いでいる。 中国でもこの日、ニュース各社がこぞって鳥山さんの死去を速報した。IT大手テンセントのニュースサイトには、訃報の特設ページも設けられた。 鳥山さんの「ドラゴンボール」は、中国語で「竜珠」と表記され、アニメが放映された1990年代を中心に絶大な人気を誇った。主人公・孫悟空の名前を含め、作品の初期は中国の古典「西遊記」の世界観を色濃く反映していたことも、中国で人気となった理由だ。 もう一つの代表作「Dr.スランプ」も、中国では「阿拉蕾(アラレ)」の名前で人気だ。 ニュースサイト大手「環球網」が掲載した訃報には、1時間足らずで500件以上のコメントが集まった。「(作中でどんな願い事もかなう)7個のドラゴンボールを集めるから生き返って」「幼い頃の自分へくれた無限の楽しさにありがとう」「永遠の古典」といった哀悼と感謝のメッセージが並んだ。 「『ドラゴンボール』を見て育った世代なので、鳥山先生が亡くなったと知って悲しい気持ちでいっぱいです」。北京市の男性(42)は8日、取材にそう語って肩を落とした。中国語版のマンガを読んでいたという。 「自国のコンテンツがまだ乏しい時代の中、『ドラゴンボール』は、80後(80年代生まれ)の若者たちの想像力の窓を開いてくれたんです」 中国外務省の毛寧副報道局長は8日の定例記者会見で、「鳥山明さんの訃報に深い哀悼の意を表する。中国の多くのネットユーザーも鳥山氏の死を悼んでいる。日本のより多くの知識人が日中の文化交流と友好のために積極的に取り組んでくれると信じている」とコメントした。 韓国メディアも8日、漫画家の鳥山さんの死去を相次いで速報した。 聯合ニュースは代表作の「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」が「韓国でも大きな人気を集めた」と紹介し、朝鮮日報(電子版)は「天才漫画家で、商業的に最も成功した作家の一人に数えられる」と伝えた。東亜日報(同)も「代表作の『ドラゴンボール』はアニメやゲームもつくられ、世界的に大きな話題を集めた」と報じた。 シンガポールの主要紙ストレーツ・タイムズは8日、「伝説的なクリエーター、鳥山明氏が68歳で死去」との見出しの記事を配信。「世界的に著名な漫画家の鳥山氏が亡くなった」とした上で、同氏の代表作「ドラゴンボール」が40カ国以上で翻訳され、世界で約2億6千万部が売れた「史上最も売れた漫画の一つ」と伝えた。 鳥山さんについて「ファンの間では、思春期の少年をターゲットにした現代コミックやアニメ映画の祖父と呼ばれている」とし、日本の多くの著名人や、人気漫画など多くのフィクション作品に影響を与えたとしている。また、2013年に朝日新聞の書面インタビューに応じた際の鳥山さんのコメントを引用する形で「僕の漫画を読者が楽しく読んでくれること以外に達成したいことはない」と述べていたと伝えた。(斎藤徳彦=北京、稲田清英=ソウル、河野光汰)「マクロン氏、サイン入り色紙を投稿 欧米からも鳥山明さんたたえる声で、フランスの鳥山明ファンの動向が伝えられています。
2024.03.09
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今お騒がせ中のチャットGPTであるが・・・チャットGPTと生成AIを組み合わせてみると、かなりの創作ができるはずなので以下のとおり質問してみたのです。ゴーギャンの作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」アヴァンギャルドの前兆となった作品でもあるが、生成AIはこのような作品を描き得るのか?【得られた解答】AI生成の作品については、現在の技術ではゴーギャンのような芸術家の感性や哲学的な深みを完全に再現することは難しいですが、AIは抽象的なアートを生成する能力を持っており、新たな視点やアイデアを提供することができます。ここで、以下の茶々を入れると・・・新たな視点やアイデアを例証することはできますか?【得られた解答】もちろんです!新たな視点やアイデアを提供するために、以下のようなアート作品を生成してみましょう。!Quantum Reverie解答は素早いが、内容がいまいちでんな。・・・だけど今、この高機能AIを犯罪者がチャットで活用する状況は、怖いものがあるのです。今お騒がせ中のチャットGPTであるが 5:成功報酬の大きい闇バイトは今お騒がせ中のチャットGPTであるが 4:シシド・カフカのテレビ出演今お騒がせ中のチャットGPTであるが 3:神戸新開地音楽祭今お騒がせ中のチャットGPTであるが 2:チャットGPTの危険性今お騒がせ中のチャットGPTであるが 1:中国の権威主義的資本主義新しい Bing へようこそ:何でも聞いてください
2024.03.09
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サマセット・モームといえば「月と六ペンス」や「剃刀の刃」を思い出すわけで・・・以下を復刻して読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『現代に生きるサマセット・モーム』という本を手にしたのです。モームの代表作と言えば「月と六ペンス」となるのかもしれないが、わたしの出会いは「アシェンデン」だったわけで・・・情報部に属してお国のために働いたモームを評価しているのでおます。【現代に生きるサマセット・モーム】清水明著、音羽書房鶴見書店、2020年刊<「BOOK」データベース>より名作『月と六ペンス』出版から一世紀、いま、時代の岐路に立つ人々への指針となるモーム文学の魅力。<読む前の大使寸評>モームの代表作と言えば「月と六ペンス」となるのかもしれないが、わたしの出会いは「アシェンデン」だったわけで・・・情報部に属してお国のために働いたモームを評価しているのでおます。rakuten現代に生きるサマセット・モーム「第9章 兵士に愛された小説」で『剃刀の刃』を、見てみましょう。p145~149 <1第二次大戦期に登場した兵隊文庫の隆盛> 終戦直後の国内の洋書事情にいついて、かつて飯島正は次のように書いた。…そして敗戦後、ふたたび本さがしもいそがしくなった。新橋よりの銀座の露店に、アメリカ軍の兵隊たちが棄てていった、兵隊用のポケット文庫版が、ドッサリとならんだからである。ぼくたちはひまさえあればそこに駆けつけて、山と積まれた安本の中から、探偵小説やハードボイルド本、そしてこんどはそれにくわえてニューロティック本を、先をあらそって、さがし求めた。…銀座の露店の兵隊版から掘り出した作家では、ウィリアム・アイリッシュが、一番の獲物だったこともつけくわえておく。 飯島はグレアム・グリーンに戦前から注目してきた識者の一人だが、彼がこのように書く兵隊用のポケットブックというのは、“Armed Servicess Editions”日本では「軍隊文庫」「兵隊文庫」などと訳されている小型軽量の特色を活かしたペーパー・バックのことである。グリーンも何冊か同シリーズ中にある。 同叢書は、アメリカ軍が自国の兵士用に大量に発行した文庫シリーズであり、無論一般では入手出来ず、無料で配布され、戦地に向かう兵士の心を慰め、あるいは戦意を直接的にも間接的にも高揚させるという目的があった。 興味深いことに、文庫のサイズは、GIの軍服の胸ポケットに入るぐらいの裁断だったため、文字通り、心の友として本の役割があったのかもしれない。筆者は数年前に、本国のみか、日本の古書店のインターネットのリストや、イギリスの古書店のリストに挙がっているのを見た。必ずしも、当該の文庫が第二次大戦後各地に進駐したアメリカ兵によりその地で売り払われたとは限らないが、彼らが帰国前に読了した本をそこで、前述の回想にあるように処分したことが多かったのは十分想像出来る。(中略) 前置きが長くなったが、このシリーズの一巻にサマセット・モーム『剃刀の刃』(The Razor's Edge,1944)が収録されている。他に、『人間の絆』(短縮版)、『月と六ペンス』、『サミングアップ』などがリストアップされていて、『剃刀の刃』は再版もされている。本作は完全版と銘打ってある。 まず、同書の奥付を見てみよう。ダブルデイ社との取り決めにより出版、1943年、1944年マコール社の版権云々とあるが、出版年月は未記入である。兵隊文庫には各々シリアル番号が付され、『剃刀の刃』はQ31となっている。(中略) <1第二次大戦下のサマセット・モームの小説> ヨーロッパ戦線において連合軍とドイツ軍との戦いの帰趨がほぼ見え始めていた頃、アジア太平洋戦線でも、アメリカ軍の圧倒的な勢力がアジア各地に日本軍を追い詰めていた、そういう時代にあらわれた作品が『剃刀の刃』である。 モームは1940年、長らく本拠にしていたフランスを脱出し、イギリスを経由して、アメリカに「疎開」していた。同地に居住しながら、すでに演劇界からは引退していたが、途切れることなく、小説、エッセイ、ルポルタージュなどを書き続けていた。 ここで、モームの国家との関わりに少し触れる。彼は第一次世界大戦時に。赤十字野戦病院隊に志願し、その後諜報部員としての役割を積極的に担い、国家への貢献を秘密裡に行ない、後年その体験が『アシェンデン』(1928年)として小説化され、モームの立場が世に知られたが、現実は彼がMI6の一員だったことを最近までイギリス当局は公式に一切認めたことはなかった。ところが、2010年になって、イギリス情報部が研究者に託した過去の膨大な内部資料により、モームの役割が天下晴れて公認の事実となった。モームはスパイだったと。 第二次大戦期においても、彼はイギリス情報部から作家として戦争遂行に協力を依頼されていた。『戦うフランス』(France at War,March 1940)という戦時下のフランス人のドイツとの戦いへの備えを称えたルポルタージュである。フランス人の戦争努力への賞賛は、つまりドイツ軍の侵入に備えるべき立場にいるイギリス国民への鼓舞を意味していた。モームは1926年以来、この年まで南仏リヴィエラ海岸の風光明媚なフェラ岬に豪奢な邸宅ヴィラ・モーレスクを構え、そこを本拠ににして世界中を旅していた。 『戦うフランス』出版後、ほどなくして起きたドイツ軍のパリ占領とともに、彼はフランスを離れ、故国に戻るが、それもつかの間、情報省の依頼にて「宣伝と親善の使命を受けて」アメリカに向かうことになった。結局その後モームはほ6年間を大西洋の対岸の地で過ごすことになる。やがて、ヨーロッパ情勢は緊迫の度合いを一層強め、イギリス各地でドイツ軍による空爆が始まる。再び情報省より、今度は直接、戦意が高まっている同国人の士気をアメリカ国民に伝える作品の執筆を要請されることになる。p159~161 <『剃刀の刃』出版の経緯と受容> ここで最後に、『剃刀の刃』が兵隊文庫で再版されるほどの人気作となっていたことに改めて触れておきたい。本論の最初に述べたように、同叢書は、時に短縮されたものもあるが、あらゆる分野の作品が市場で売られているのと同じ内容で印刷され、戦地の兵士に送られた。 ベストセラー、娯楽作品が目立っているが、むろん、同文庫を管轄する委員会の指針はあった。「連合国軍に対して、またいかなる宗派や人種、いかなる職業に対しても害となる発言や姿勢を含んだもの、『アメリカ民主主義の精神』に背いている本は認可されなかった」が、一方、時に共産主義に同情的だと批判される作品も認可されることがあった。概ね、委員会の認可基準は現在想像される以上に緩やかなものだったようだ。 連合国軍対枢軸国軍(すでにイタリアは降伏していた)の戦いが最終段階にきていた1945年にいたって、ヨーロッパ戦線、アジア太平洋戦線などで、『剃刀の刃』を手にする兵士は多くいただろう。その年の前半、銃後の家庭にいる『レッド・ブック』の愛読者が『剃刀の刃』を毎号心待ちにしていたのと軌を一にするように、作品は戦地で読み物に飢える多くの兵士の心を掴んだのだろう。さらに、1944年の後半、ベストセラーになっていた『剃刀の刃』が読まれた後、戦地に「送られた」ということもあったはずである。しかし、彼らはラリーのようにそれを読んで銃(現世)を投げ出すこともなかったのである。 それでは、モームの真の意図は何だったのだろうか。『剃刀の刃』は、もちろん前作のプロパガンダ小説と異なり、作者のより内在的なものからきている。長年、温めに温めぬいた構想、テーマに基いている。 だが、『剃刀の刃』の構想の萌芽は、20年代の短篇と未刊の戯曲にあるだけではなかった。それは、他の大小の作品(『月と六ペンス』、『人間の絆』、「変り種」、「凧」…)に見られるモーム生涯の一つのテーマ(自由な精神への関心、物質的世俗世界への反発する人間の生き方への憧れ)と明らかに共通点があった。いみじくも、物語の前半(第二章第四節)、価値観の相違をめぐってラリーがイザベルと議論する個所があり、その後二人は婚約を解消するわけだが、そこで述べるラリーの想いを引用する。…精神の生活というものが、どんなにわくわくするものなのか、また経験する上でも、どれほど豊かなものなのか、君に分かってもらえるといいのだがな。…それに似た感じが、一つだけある。たったひとりで飛行機に乗り、果てしなく高く舞い上がり、無窮の空間に包まれるときのような感じだよ。いわば、果てしない空間にうっとりしてしまうわけだ。どんな権力、栄光とも決して交換しようとは思わないような爽快な気分になるものでね。…ウン 兵士に愛された『剃刀の刃』という小説が興味深いので、図書館に借出し予約を入れたのです。『現代に生きるサマセット・モーム』1:「月と六ペンス」『現代に生きるサマセット・モーム』2:『剃刀の刃』
2024.03.08
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図書館に予約していた『世にもあいまいなことばの秘密』という本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密「8章」で「代名詞の曖昧さ」が語られているので、見てみましょう。p179~181<8章 自分はそれですね>■「それ、僕です」―「それ」や「彼」の解釈 人間の言葉には、「同じ表現の繰り返しをできるだけ避ける」という性質があるように思います。もちろん言語によってある程度の差はありますが、私たちは同じ表現を何度も聞かされると、少し鬱陶しく感じがちです。 繰り返しを避けるための方法の一つとして、人間の言語には「代名詞」が備わっています。日本語で言えば「それ」や「これ」、「彼」「彼女」などの表現がそれにあたります。これらを遣えば表現が簡潔になりますが、具体的に何を指すかが相手に伝わらないと、しばしば言葉のすれ違いを生み出します。 言葉のすれ違いは、お笑いにも利用されることがあります。お笑いコンビのアンジャッシュの「すれ違いコント」を見ると、代名詞の解釈が話し手と聞き手の思い込みに影響を受けることがよく分かります。 彼らのコントの中に、路上で不審者を見つけて通報した人と、通報を受けて駆けつけた警察官が登場するものがあります。警察官は、現場にいる通報者を見て、「こいつが不審者なのだろうか」と考えます。警察官が通報者に近づき、不審者がいたとの通報を受けたことを話すと、通報者は「それ、僕です」と応えます。その結果、警察官は通報者のことを「不審者本人」だと勘違いしてしまいます。 ここでのすれ違いの原因は、「それ、僕です」の「それ」が曖昧であることにあります。通報者は当然、「通報をしあ人物は僕です」というつもりでそう言ったのですが、警察官は「不審者は僕です」と言ったと解釈しました。「それ」は、そこまでの文脈に現れているものを指す代名詞です。そして、「それ、僕です」の前の文脈では、「不審者」と「通報した人」の両方が現れています。聞き手である警察官は、「それ」がどちを指すのかを見極めなくてはなりません。 もともと警察官は通報者を見て「怪しい」と思っていたため、通報者の言う「それ」を不審者のことだと解釈してしまったのです。「それ」に限らず、文脈上にすでに現れたものを指すタイプの代名詞には、このような曖昧さが生じることがあります。たとえば、「彼」や「彼女」といった人称代名詞もしばしば曖昧になります。『世にもあいまいなことばの秘密』2:修飾語と名詞の関係『世にもあいまいなことばの秘密』1:辞書に載っている曖昧さ
2024.03.08
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図書館に予約していた『世にもあいまいなことばの秘密』という本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密「4章」で「修飾語と名詞の関係」が語られているので、見てみましょう。p77~79<4章 私には双子の妹がいます>「かっこいい車」や「明日の試合のスターティングメンバー」のように、名詞に修飾語がついた表現のことを、言語学では「名詞句」と呼びます。名詞句には、修飾語が付いたことによって生じる曖昧さがあります。以下では修飾語と名詞の相乗効果によって引き起こされる「すれ違い」を見ていきましょう。■「誰の絵ですか?」―自由すぎる「AのB」 日本を代表するアニメ監督、宮崎駿の作品には、「「の」という助詞が入ったものが多いと言われています。確かに、「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」「となりのトトロ」「天空の城ラピュタ」「ハウルの動く城」、「千と千尋の神隠し」など、「の」が入っている作品はいくつもあります。しかしなぜ、これほど多くのタイトルに「の」が入っているのでしょうか。ここには、「の」の自由さが関わっていると考えられます。「の」という助詞は、実ん多くの意味をあらわすことができます。たとえば「風の谷のナウシカ」は「風の谷に住んでいるナウシカ」、「魔女の宅急便」は「魔女が営んでいる宅急便」、「天空の城ラピュタ」は「天空にある城ラピュタ」、「ハウルの動く城」は「ハウルが所有する動く城」、「千と千尋の神隠し」は「千と千尋の身に起こった神隠し」です。このような自由さが、「の」があちこちに出現できる理由です。 逆に、「の」では表せない意味を考えるのは、かなり難しいことです。言語学でも、「AのB」という形の表現に何通りの意味があるかが研究されていますが、実のところ、それまでの文脈でAとBの関係がはっきりしていれば、たいていは 「AのB」という表し方ができるようです。それほどまでに、日本語の「AのB」は自由な解釈を許すのです。 これは逆に言えば、文脈がよく分からない場合、「の」がどんな関係を表しているかが分かりにくくなるということでもあります。たとえば、「これは誰の絵ですか?」という疑問文を考えてみましょう。すぐに思いつく解釈は、「これは誰が描いた絵ですか?」という、絵の作者を尋ねるものでしょう。 しかし、もしその絵が人物画ならば、「これは誰を描いた絵ですか?」というふうに、描かれている人物を尋ねている可能性もあります。さらに、もし話し手が「この絵を買い取りたい」と思っている場合は、「これは誰が所有している絵ですか? 私はその人からこの絵を買いたいのですが」と訊いている可能性も出てきます。 『世にもあいまいなことばの秘密』1:辞書に載っている曖昧さ
2024.03.07
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今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・日本語の行間・歌の革命・週刊現代プレミアム 昭和の怪物<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>追って記入rakuten日本語の行間【歌の革命】高橋眞知子著、社会評論社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1989年、ソ連邦からの独立を要求して、200万人のバルトの民衆が、武器をもたず、平和への祈りをささげ、歌いながら、国境を越えて人間の鎖でつなぐ600㎞の「バルトの道」を実現した。「歌の革命」と呼ばれる。オランダ在住の著名なフルート奏者が、リトアニアの独立運動にまつわる人びとを探訪して描く、「歌の革命」をめぐる物語。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten歌の革命【週刊現代プレミアム 昭和の怪物】ムック、講談社、2020年刊<出版社>より昭和の芸能界を代表する人物を、貴重な写真と秘話で綴る「昭和の怪物 芸能界編」。今だから明かせるテレサ・テン涙の理由、「敗戦後の人生はおまけ」と言い切った鶴田浩二の人生観、決して見せなかった「寅さん」渥美清の苦悩。ヤクザと芸能界がいまより密接だった時代が蘇る。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten週刊現代プレミアム 昭和の怪物
2024.03.07
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