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図書館で「校閲記者の日本語真検勝負」という本を手にしたのです。本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。【校閲記者の日本語真検勝負】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より「紙面上は何も生み出していない部」が生み出した言葉の雑学ブック。【目次】序章 新聞社の校閲部ーその仕事と覚悟と思い/第1章 気になる表現/第2章 語源が意外な言葉/第3章 似て非なる言葉/第4章 新語、使われ方が変化した言葉/第5章 正しい?間違い?/第6章 多様、奥深い、微妙な言葉/第7章 悩ましい読み方<読む前の大使寸評>本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。rakuten校閲記者の日本語真検勝負「第三章」で、似て非なる言葉とは如何なるものか、見てみましょう。p80<難民と移民> 中東、アフリカや中南米などから押収、北米などへの移住を求める人々を難民、または移民と呼ぶことがあります。 難民とは人種、宗教、国籍、政治的意見や特定の社会集団に属するなどの理由で、母国にいると迫害を受けるかその恐れがあるため他国に逃れた人です。難民条約(1951年)の定義です。 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のウェブサイトには武力紛争、人権侵害などから保護を求めて国境を超える人も指すようになっているとあります。条約加盟国は、難民を迫害の危険がある国へ戻したり送ったりできません。 移民の定義は国連に関係する機関の間でも異なります。 UNHCRによると、移民は主に就労や教育など、迫害や死の危険以外の理由で移動を選んだ人のことです。 対して国際移住機関は広く解釈しています。①法的地位②移動が自発的か非自発的か③移動の理由④滞在期間・・・にかかわらず、本来の居住地を離れ、国境を越えるか、一国内で移動している(した)あらゆる人、です。『校閲記者の日本語真検勝負』1:校閲部の仕事とは
2024.02.11
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図書館で「校閲記者の日本語真検勝負」という本を手にしたのです。本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。【校閲記者の日本語真検勝負】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より「紙面上は何も生み出していない部」が生み出した言葉の雑学ブック。【目次】序章 新聞社の校閲部ーその仕事と覚悟と思い/第1章 気になる表現/第2章 語源が意外な言葉/第3章 似て非なる言葉/第4章 新語、使われ方が変化した言葉/第5章 正しい?間違い?/第6章 多様、奥深い、微妙な言葉/第7章 悩ましい読み方<読む前の大使寸評>本の内容に惹かれる私は、装丁も気になるが文体とか言い方もおろそかにできないので・・・ついチョイスしたのです。rakuten校閲記者の日本語真検勝負まず「序章」で、校閲部の仕事とは如何なるものか、見てみましょう。p15~20<序章 新聞社の校閲部> 東京新聞と中日新聞の編集局には「校閲部」があります。 校閲部の仕事は、記事の点検です。同僚の書いた原稿をチェックして、疑問点があれば出稿した部に問い合わせ、書かれている内容が間違っていたら修正するよう進言します。間違いがなければそれでよし。でも、誰かが書いた原稿がなければ始まらない仕事です。紙面上は何も生み出していない部、ともいえます。 インターネットでさまざまな情報がタダ、もしくはタダに近い金額で手に入るこのご時世、もし、あなたが経営者だったら、何も生み出さないような部署は真っ先に廃止したいと思いませんか。現代の経営者だったらそう考えるのが当然のような気がします。 東京新聞を題材に、校閲記者がどんなことをしているかをこれから書いていきますが、その前にどんな間違いを防いでいるか実際にご覧いただきましょう。全て紙面化される可能性があった間違いです。×沖縄に次いで米軍施設の多い神奈川県〇沖縄、青森に次いで米軍施設の多い神奈川県※もしかしたら知らない人の方が多いかもしれません。×7七桂成〇7七銀成※将棋の差し手です。盤面を確認したところ7七に桂は利いていませんでした。×コンビ二の実態は零細商店〇コンビニの実態は零細商店※どうしてここに数字が入ったのかな?(私のパソコンは二とニを書き分けてくれないのです)×ブタバナモドキ〇ブタバナガメ※ブタバナガメはスッポンモドキという別名があります。×斉木楠生のΨ難〇斉木楠雄のΨ難※ジャンプ連載の漫画。映画化されました。こうやってみると、どうしてこんなものを間違えるのだろう、と思うものもありますが、実際間違えるのだからそこから話を始めるしかありません。 間違いはいくつかの種類に分けることができます。 まず入力ミス。多いのは変換ミスですが、なぜか脱字や字の重複もあります。多分書き直しているうちに生じてしまったものでしょう。 新聞製作にコンピューターが導入される前は「賢明」を「懸命」とするような変換ミスはありませんでした。「賢明」を「賢命」、「完璧」を「完壁」、「善後策を」を「前後策」、「架空」を「仮空」、「黙秘」を「黙否」とするように、字が似ている、読みが同じ、漢字の意味が似ている、というのが間違いの原因でした。 いってみれば学校の漢字の書き取りテストでの間違いと同じです。コンピューターはこんな変換はしません。 次に事実関係の間違いです。固有名詞や、単位、時系列の間違いなど単語にかかるものと、筆者の思い込み、勘違い、事態の変化によって生じる間違いなど文章の意味にかかるものがあります。 では簡単に新聞記事の流れを見てみましょう。 スタートは取材記者です。いろんな人に話を聞いて原稿にまとめます。所属は政治部、経済部、社会部、文化部などさまざまです。書く場所も会社の中、出先と、これもさまざまです。書き上がった原稿は、所属する部のデスクに送信します。受け取ったデスクは、不備がないかチェックし、疑問があれば記者に問い合わせて根拠などを確かめます。よりよい記事にするため、記者と相談しながら手を入れることもしょっちゅうです。必要があれば記者に追加取材を指示し、差し替わった原稿を再びチェックする作業を繰り返します。(中略) 原稿は校閲部にも送られ、間違ったことが書かれていないか、登場人物の名前や年齢、事実関係などを一通り、調べて確認します。もちろん整理部の付けた見出し、写真のキャプションも点検し、ようやく印刷に回ります。 多少の違いはあるとは思いますが、どの新聞社でもこのような流れになっていると思います。
2024.02.10
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図書館で「御社のチャラ男」という本を手にしたのです。絲山さんの「新世紀最高“会社員”小説」ってか・・・これは面白いはずではないか♪【御社のチャラ男】 絲山秋子著、 講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。<読む前の大使寸評>絲山さんの「新世紀最高“会社員”小説」ってか・・・これは面白いはずではないか♪<図書館予約:(1/27予約、副本?、予約?)>rakuten御社のチャラ男ジョルジュ食品の女子社員が語られているので、見てみましょう。p27~29<我が社のチャラ男:池田かな子>「かなちゃんや」 社長が私を呼ぶ。鶴の一声と言ってみたかったがリアルに鶴を見たことがなかったので動画で調べたら、あたりがしゅんとなってしまうほどの威厳があった。社長の「かなちゃんや」はそれに比べたら毎朝やって来るカラスがカアと鳴いたようなものだ。高級車と商用車のクラクションくらい違う。「かなちゃんや、おーい」 平成も終わるというのに、どこの波平さんだよ。私は総務課といいながら社長秘書兼何でも屋みたいな仕事をしている。我が社で、そういう役目をこなせるのは自分だけだとわかっているから、どんな用件でも「はあい」と席を立つ。いいお返事はいい挨拶と同じくらい大事だ。 我が社の皆様は二言目には仕事が終わらないとおっしゃいます。 ですが、終わる仕事なんてこの小さな会社にはありません。 区切りがどうかとか、やりかけだと気持ちが悪いとか、集中が途切れるとか、そんなのただの気分なのに。すっきり終わって片付いたら仕事の腕前が上がった気持ちになるんですか。大嫌いな自分自身から褒められるとでも思っているのでしょうか。 終わる仕事なんてありません。 そんなものは、どこかの大企業の窓際にしかありません。 いいんです途中でやめて、途中で呼び出されたって途中で帰ったって、仕事なんだから。安心して下さい。あなたの美学なんてこの会社とは1ミリも関係ないんだから! 美学なんてものがあったら我が社にいることがおかしいんだから1 社長は「あいつのこと、頼むな」 と言った。 承知しました。 社長は細かい話や指示を、最後まで言うことのできない人だ。あいつというのは伊藤さんのこと。「あいつのこと」を伝える相手は社長の目の前に立っている営業の岡野さん、私は心のなかで「おかっち」と呼んでいる。 この会社では珍しくもなんともないらしいけれど、過労でメンタルを病んだ伊藤さんは休職中で、来月から復帰となる。ちょうど欠員が出たところなのでタイミングがよかった。傷病手当金の書類確認と診断書提出のために今日の午後、顔を出すことになっている。戻ってきて早々にトラブルにならないよう、なにかいいものを食べさせておけと社長は言う。それがおかっちの役目だ。芸をしたアシカにイワシを与えるみたいに言う。社長はときどき気前がよくなるけれども、人間の扱いを知らない。 誰を味方につけるかってことは、とても大事なことだと思うのに、案外みんなわかっていない。自分が誰に「つく」とかじゃなくて、自分についてくれるひと、協力してくれる上司を選べばいいのだ。見極めて、そういうところで働けばいいだけだ。 人は変わらないとか言うけれど、私の人生経験(短ッ!)のなかでは偉いひとほどころころ変わる。社長や専務を見ていても、偉いひとって表面的にはいじられ好きでも、深いところでは変化や滅びを悟っている不幸な化け物みたいなところがある。そしてその化け物は「夢見る若者」を育てたり食べたりするのが大好きだ。『御社のチャラ男』1:当社のチャラ男:岡野繁夫
2024.02.10
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図書館で「ハロー・ユーラシア」という本を手にしたのです。なんか、やたらイデオロギー用語がでてきて難しげな本であるが・・・ロシアや中国の「帝国の哲学」に触れているので読んでみるかと思ったのです。【ハロー・ユーラシア】 福嶋亮大著、講談社、2021年刊<香港の大規模デモ、さらにパンデミックに到る東アジアの政治的な暴風域。その渦中にある現代のイデオロギー現象、その認知地図を更新し、21世紀の東アジアに新たな光を当てる。政治・思想・文学の地平から激動の根源を探る画期的東アジア論。「BOOK」データベース>より<読む前の大使寸評>なんか、やたらイデオロギー用語がでてきて難しげな本であるが・・・ロシアや中国の「帝国の哲学」に触れているので読んでみるかと思ったのです。rakutenハロー・ユーラシアまず「第7章」で、「毛沢東主義」とやらを(ようわからんけど)、見てみましょう。p65~67<第7章 シュミット・シュトラウス・毛沢東>■5 山じゃいマルクス主義としての毛沢東主義 逆に、陳平原と同世代の劉小楓にとって、このような批判は「中国自身の倫理身分」を忘却させるものである。そこで劉は手練手管を尽くして、反啓蒙主義や反自由主義にアクセスしながら、中国の革命思想史を描き直そうとする。ここで興味深いのは、劉が最大の革命家である毛沢東を、新儒家だけでなく、カール・シュミットとも結びつけたことである。 シュミット自身も戦後の代表作『パルチザンの理論』で、毛沢東を「政治的なもの」を体現する戦術家として高く評価した。というのも、毛は農民と兵士をパルチザン(遊撃隊)として組織し、土地に深く根ざしながら、さまざまな公敵たち(搾取する白人、ブルジョワジー、侵略者である日本人、自己の同胞)をそのつど選び出し、闘争を継続したからである。劉小楓はまさにこの『パルチザンの理論』に注目して、毛における「郷土性」と「現代性」という相反する二つの要素を際立たせた。 実際「だれがわれわれの敵か。われわれの友か。これは第一に重要な革命の問題である。真の友と真の敵とを区別するためには、中国社会における各階級の、経済的地位と革命への態度似ついて、大筋の分析をしておく必要がある」「すべて敵が反対するものは、守らなければならない。すべて敵が守るものは、反対しなければならない」等と述べつつ「不断革命論」を掲げた毛沢東は、まさにシュミットの言う「友敵」の区分をやり抜いた、きわめて戦闘的な政治家である。毛とシュミットは、真の敵との境界線をそのつどはっきりさせ、闘争を続けることこそが、政治の本質だと考えていた。この点で、年齢も近い両者には確かによく似たところがある。 もとより、毛沢東は20世紀中国で最大の政治思想家である。その名を「主義」として冠せられ、世界の政治運動に影響を与えた思想家は、東アジアでは彼以外にいない。その一方、独裁者としての毛は大躍進政策から文化大革命に至るまで、社会に甚大な災厄をもたらした。したがって、彼の壮大な「実験」をどう評価するかは、中国の知識人にとって難題であり続けている。 そればかりか、毛沢東主義そのものにも正体のよく分からないヌエ的なところがある。毛は確かにマルクス=レーニン主義を表面上受け継いだが、そこからの逸脱も大きい。特に「農村から都市を包囲する」という有名なスローガンのもと、都市の労働者よりも農民を主体にした毛の戦略は、その逸脱の最たるものだろう。【注記】山じゃいとは「ブランドの模造品」という意味であるが、山じゃいは徹底したハイブリッド化を通じて動作する。そして、中国では、毛沢東主義それ自体が山じゃいマルクス主義の一種であるとのこと。(じゃいという漢字がネットでみつからないのです)『ハロー・ユーラシア』1:ロシアや中国の「帝国の哲学」
2024.02.09
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図書館で「ハロー・ユーラシア」という本を手にしたのです。なんか、やたらイデオロギー用語がでてきて難しげな本であるが・・・ロシアや中国の「帝国の哲学」に触れているので読んでみるかと思ったのです。【ハロー・ユーラシア】 福嶋亮大著、講談社、2021年刊<香港の大規模デモ、さらにパンデミックに到る東アジアの政治的な暴風域。その渦中にある現代のイデオロギー現象、その認知地図を更新し、21世紀の東アジアに新たな光を当てる。政治・思想・文学の地平から激動の根源を探る画期的東アジア論。「BOOK」データベース>より<読む前の大使寸評>なんか、やたらイデオロギー用語がでてきて難しげな本であるが・・・ロシアや中国の「帝国の哲学」に触れているので読んでみるかと思ったのです。rakutenハロー・ユーラシアまず「第4章」で、ロシアや中国の「帝国の哲学」とやらを、見てみましょう。p65~67<第4章 近代のハイジャック 哲学あるいは法螺話>■1 連合と帝国 私はここまで第一地域(辺境の国民国家)と第二地域(内陸の帝国)という梅棹忠夫の分類に沿って、ユーラシアの色分けを試みてきた。第一地域の衰)と第二地域の興隆に伴って、ユーラシアには超国家的な「帝国」の亡霊が徘徊している。それは欧米における国民国家への回帰の動き(アメリカ・ファーストやブレクジット)とちょうど対照的である。 第一地域のヨーロッパは20世紀に諸国家の集う「連合」を結成したが、ブレクジットを象徴的な事件として、そのほころびが目立っている。逆に、第二地域の中国は今や、ラテンアメリカからヨーロッパ、アフリカに至るまで、多くの国々にしきりに経済的な援助をおこなって、支持を得ようとしてきた。 対等な国民国家から成るヨーロッパ的な連合のモデルは、一つの突出した大国がグローバルな協同主義を掲げる「帝国」のモデルに脅かされている。これが21世紀の惑星政治の風景である。 かつて冷戦の終わりと相前後して、ヘーゲル主義者のフランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を唱え、リベラルな民主主義の勝利をうたった。しかし、結局のところ、それは誤りであった。1989年の天安門事件で中国の民主化運動は弾圧されたが、今日に至るまで共産党政権はそのことの反省を一切表明せず、かえって権威主義的な体制を強化している。 さらに、第一地域のヨーロッパですら、極右やポピュリストの台頭によってリベラルな価値観を脅かされ続けているのだ。今や欧米の知識人がしきりに話題にするのは、リベラリズムや民主主義の勝利どころか、逆にその「自死」の可能性である。 近年、政治学者のクラステフ&ホームズはリベラリズムの失敗の原因を、その「自己満足と傲慢」に求めている。彼らによれば、中欧や東欧やロシアにとって、ポスト冷戦期とは、西側のリベラリズムを標準的な理念としてコピーするように駆り立てられた「イミテーション」の時代である。 しかし、それは現地の集団的なルサンチマンとストレスを増加させ、その結果として非自由主義の噴出を招いた。彼らは中国の勃興をリベラリズムのヘゲモニーの終わりとして結論づけるが、それは89年以降の30年間、西側を基準とするイミテーションの時代の終わりをも意味している。■2 ロシアのユーラシア主義 リベラルな西洋のコピーキャットであることへの不満・・・、現代のロシアと中国の根底にはまさにそれがある。両国は近年、政治的・経済的に関係を深め、それぞれユーラシア大陸での影響力を拡大してきた。 思想家もこのような状況と無縁ではいられない。一帯一路を掲げる習近平の中国では、一民族や一国家には限定されないユニヴァーサルな価値(中国語で言えば「普世価値」)がしきりに顕揚されるようになった。そこではしばしば、第一地域で育まれた思想(個人主義や民主主義やリベラリズム)をローカルなものに貶めることで、中国の超ナショナリズム的な政治思想の優位性が語られる。「天下システム」の提唱によって論議を巻き起こした1961年生まれの趙汀陽は、その筆頭格である。 かたや、プーチンのロシアも自らのアイデンティティを「ユーラシア」にまで拡大しようとする一方、西欧の個人主義や民主主義に公然と異を唱える思想家が現れるようになった。1962年生まれの右翼思想家アレクサンドル・ドゥーギンらの掲げるネオユーラシア主義は、ギデオン・ラックマンが言うように、習近平時代に台頭した中国の新保守主義的な儒学と対応している。「天下」や「ユーラシア」は地理的な名称というよりは、第二地域で起こりつつある反ヨーロッパ的な帝国の哲学を支える概念的な名称なのだ。
2024.02.09
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絵本作家ショーン・タンの出自、作品はわたしのツボでもあるわけで・・・折につけ見てみたいので以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館で『遠い町から来た話』を手にしたが・・・・このなかの絵が、SFタッチでええんやな~♪描かれた絵にディアスポラの不安感が見えるのだが・・・もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この本を借りるのは2度目であるが今回は「訳者あとがき」を追加したのです。【遠い町から来た話】ショーン・タン著、河出書房新社、2011年刊<「BOOK」データベース>より町のはずれに住んでいた水牛のこと、覚えている?誰にも愛されなかった物からペットを手作りすることや結婚までのとても危険な道のりの話、それから異次元からのちっちゃな交換留学生のことー。【著者情報】タン,ショーン(Tan,Shaun) 1974年オーストラリア生まれ。幼い頃から絵を描くことが得意で、学生時代にはSF雑誌で活躍。西オーストラリア大学では美術と英文学を修める。 これまでに発表したいずれの作品も卓越した内容と表現で評価が高く、オーストラリア児童図書賞など数々の賞を受賞。作品は世界中で翻訳出版されている。現代を代表する新進気鋭のイラストレーター、絵本作家として活躍する一方、舞台監督、映画のコンセプトアーティストとして活動の場を拡げている<大使寸評>この絵本に描かれた絵に、ディアスポラの不安感が表れているのです。もしかして、移民という著者の境遇が影響しているのかも。この絵本の装丁が素晴らしいが、オーストラリア版と河出書房新社版でどう違っているのだろうか?それから・・・「ショーン・タン公式サイト」を見てみると、クロスメディアのアーティストなんですね♪2011年には、The Lost Thingでアカデミー賞短篇アニメーション賞を受賞したんだそうです。rakuten遠い町から来た話ショーン・タン公式サイト「訳者あとがき」に、ショーン・タンの経歴や日本人潜水夫(表紙のイラスト)の逸話が載っているので見てみましょう。<訳者あとがき:岸本佐知子>より 『遠い町から来た話』は、オーストラリアのイラストレーター/作家、ショーン・タンが2008年に発表した短篇集/絵本だ。絵と文章を両方を手がけた本としては5作め。文字のないグラフィック・ノベル『アライバル』に続く、彼の最新作である。 ショーン・タンは1974年、西オーストラリアの都市、パース北部の郊外の町に生まれた。父は中国系マレーシア人、母はアイルランド-イギリス系の移民3世で、建築を学ぶためにマレーシアからオーストラリアにやって来た父が、画材店で働いていた母と出合って結婚し、男の子を二人もうけた。その弟のほうがショーンである。 子供のころから絵の才能を発揮するいっぽう、SFやファンタジーを耽読し、西オーストラリア大学で美術と英文学を学んだあと、イラストレーターとして本格的に活動を始めた。以後、世界幻想文学大賞(2009年)、ヒューゴー賞(2010年)、「児童文学界のノーベル賞」と言われるアストリッド・リンドグレーン記念文学賞(2011年)など数々の賞に輝き、同名の絵本をアニメーション化したショートフィルムThe Lost Thingsは、2011年度のアカデミー賞短篇アニメ賞を受賞した。 『遠い町から来た話』の原題は、Tales from Outer Suburbia。“アウター・サバービア”とは、大きな都市の周縁に位置する、まだ自然の多く残った郊外の町を指す。パース(彼いわく「世界一ぽつねんとした州都」)郊外の、スーパーに行くにも学校に行くにも野原を突っ切っていくような町に生まれ育った作者にとって“アウター・サバービア”とは、平凡でありながらどこか非現実的な場所、おとぎ話に出てくる「森」のような、異界の入口のようなものだという。 そして、その二つ(日常と非日常、こちら側の世界とあちら側の世界)を一つに融け合わせたいという要求から生れたのが、この『遠い町から来た話』なのだと語っている。(「壊れたおもちゃ」より) ここに収められた物語は、どれもスケッチブックに残された何気ないスケッチやいたずら書きから生み出された。たとえば、旧式の潜水服を着て街角のデリに入っていこうとする人物の絵。そこから「彼はなぜここにいるのか?どこから来たのか?」という問いが生まれ、結果できあがったが「壊れたおもちゃ」である。(ちなみに、この物語の背景には、19世紀オーストラリアの真珠産業を支えた大勢の日本人潜水夫たちの悲話がある。彼らの多くが潜水病で命を落とし、西海岸のかつての真珠町には、そうした日本人潜水夫の墓が今も多数残されているという) そんな“お話の種”ともいうべき、いたずら書きのほんの一例を、この本の見返しに見ることができる。一つひとつ眺めていると、自分の中にも何やら不思議な物語が芽吹いてくるような気がしてこないだろうか。遠い町から来た話1:大陸間弾道ミサイル遠い町から来た話2:ぼくらの冒険旅行遠い町から来た話3:犬たちの葬送『ショーン・タンの世界』2
2024.02.08
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元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震3分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は3メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書の申請・発行が19日にスタートしたそうで・・・お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。*********************************************************R3<27日追記>■23日、岸田首相は新企画「能登復興本部」を立ち上げると表明したが・・・投入予算、規模を大きくするのはいいとしても、どんなもんになるやら?■大雪で、日本海側の各JRでは運休する列車が続出しているが・・・酷寒のなか避難所の皆さんの苦難はいかばかりか。■27日、石川県の一般ボランティア受け入れが始まったようで、作業は日帰りで県のバスで往復するとのこと。まだ受け入れ態勢が整ってない地区もあるようです。■受験勉強もままならない人、学校が再開できていない地域もあるようで・・・ただ頑張ってというしかない状況もあるようです。■半島という閉鎖的な地域で余震が続く・・・私が体験した阪神・淡路大震災は開放的な地形だったので、ボランティアの受け入れもスムーズで、立ち直りが早かったわけで・・・能登半島は(年単位の)長期戦を覚悟すべきか(特に水道、電気、排泄物)。■二次避難所でより過酷な条件に陥る人もいるわけで・・・周到な避難者受け入れ計画が求められるのだろう。■農林・水産など一次産業への支援は、隆起した漁港の復興など中長期の構想、避難者の心が萎えないように希望が語られる必要があるのだろう。■輪島塗は124工程にわたる分業システムだったので、復興させるには地域のシステム全体に目を配る必要があり、立ち直り期間の資金支援が必要だろう。*********************************************************R4<2/07追記>:1ヵ月経ち見えてきたこと■旧水道管の復旧をあきらめて、より浅いレベルの新ルートに水道管を敷設する地区もでてきた。・・・それだけ地盤の変形が大きかったということか。■在宅介護サービスが崩壊している地区があるとも報道された。つまり訪問入浴、通所介護(デイサービス)などができなくなっている。■5日、輪島市で無料巡回バスの運行が始まったようです。輪島市に留まって復旧・復興を目指す人たちにとっては朗報ですね。■愛知県などの県外への障碍者集団広域避難が始まったそうで・・・画期的な避難ではあるが、元の介助職員と別れて不安に思う人もいるようです。■志賀原発の116ヵ所のモニタリングポストに欠測(18/116ヵ所)があった問題であるが・・・通信環境のさらなる多重化で対応するとのことであるが有線、携帯通信すべてが欠測するほどの地震、変圧器復旧の目途が立たない現状では、大きな余震に原発は大丈夫か?と懸念されるのだが。■能登半島地震とは直接関連はないのだが、6日の報道では、統一教会に依存した森山大臣に反風が吹いて岸田政権がぐらつき、次期首相レースの3位に上川外相が浮上とのこと。二階さん問題などで詭弁をくりかえす岸田さんの頭の良さは認めるが・・・それだけでは持たないのでは?
2024.02.08
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絲山さんの「御社のチャラ男」という本を読んでいるのだが・・・・そういえば、絲山さんの長篇紀行『北緯14度』が面白かったのを思いだしたのです。英語よりフランス語がいけてる絲山さんがでてくるのが、ええでぇ♪ *********************************************************図書館で『北緯14度』という本を手にしたのです。おお 絲山秋子の長篇紀行ってか・・・それも西アフリカ・セネガルへの旅というド田舎と言うか、キワモノではないか♪【北緯14度】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より 30年の時を越え、やっと神様に会える!西アフリカ・セネガルへの魂の旅。友だちと出会うこと、自分の居場所を見つけること、言葉の本当の意味をさがすこと、大切なことを考え続けた長篇紀行。<読む前の大使寸評>おお 絲山秋子の長篇紀行ってか・・・それも西アフリカ・セネガルへの旅というド田舎と言うか、キワモノではないか♪rakuten北緯14度ムッシュ・イシザキが帰国し、一人でセネガル体験することになった絲山さんを見てみましょう。p70~73 使用人の話になった。以前の運転手が名誉毀損で先生を訴えようとしている話…これは訴えられる側にも問題がある。けれど先生はご立腹だ。今の運転手だってだめだけれど前よりずいぶんましだ、という話になった。 私でさえソレイマンを使っている。ここにいると、バックパッカーでもない限り人を使うということが当たり前なのだが、その難しさを考えるとだんだん、たまらなくなってくる。 本当に勤務態度が悪いのか。それとも、使う側に問題があるのか。もしかしたら人種差別的な要素があるんじゃないのか。 人を使う教育なんて日本人は受けていない。 人種差別に関する教育も、受けていないのだ。 日本大使館はよくしてくれるけど、あそこは日本国だ。セネガルに馴染もうとしている自分にとって、なんだか本当のものが何もないような気がしてならないのだ。日本なんだけど、鎖国しているみたいだ。 日本大使館の人と、セネガルの話をすることはあまりない。日本の話ばかりだ。 ムッシュ・コンプロネと電話して、言いたいことが少しフランス語だったりしてもどかしい。返事するときにアー・ボンと言いたくなるとか。ガルディアンに妬いてるようなことを言われて、そんなのアンクロワイヤーブルだ、とか。それを慌てて日本語に訳して、考えられないよ全然そんなこと、というのがなんか自分でしっくりしない。ありえねー、って言った方がぴったりしてたかなとあとで思う。 セネガル人はオーララとか、ボフとか、サリュとか言わないような気がする。セネガル人が言わない言葉は私も自然に忘れていく。ソレイマンはよく「トロボン」と言う。フランスでは聞いたことがなかったが今では使うのだろうか。日本語にすれば「良すぎじゃねえ?」「旨すぎじゃねえ?」って感じでよくわかる。セネガル人のフランス語は濁音が多い気がする。女性はどうなんだろう。 ホテルのフロントの人のフランス語は聞き取りにくい。銀行はもっとわからない。私の語学力が足りないのだ。まだ目が半分しか開いていないような気がする、もどかしい、もどかしい。もちろん英語は全く通じない。私も英語は喋れない。 今日の飯はアフリカンチャーハン第一弾。米はこっちの長い米。味付けは日本で買うのとは別物のマギーブイヨンと、カーニ。肉は腐ってなければ鶏肉。野菜はインゲンとネギ。あとは卵。うまくいくかなあ。 あーっ! インゲンがかびてました。 しょうがない、ネギチャーハンだ。飯炊いていきなりお茶漬けじゃさびしすぎる。 うーん、いまひとつおいしくない。まだまだ検討の余地がある。 ああオクラでも買っておけばよかった。ウォルフ語でオクラはカンジャ、鶏肉はギナウ、米はチェブ。魚がジェン。食い物の名前ならどんどん覚えられます。 そんなつまらないことを考えているときにトッカリさんから電話。今週、ドゥドゥに会える!家に招待してくれるという。話もして、太鼓もやってくれるという。すげーよ。ミック・ジャガーの家にいきなり行けますかって世界だよ。スティーヴン・タイラーが目の前で歌ってくれますかって世界だよ。すげー、すげー、すげー。興奮の坩堝。 ああ、生きていてよかった。ウーム ドゥドゥの太鼓がそんなにいいのか(ワカラン)。それにしても英語よりフランス語がいけてる絲山さんが、ええでぇ♪ 『北緯14度』1:来たかったセネガル『北緯14度』2:セネガル料理『北緯14度』3:セネガル体験
2024.02.07
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図書館で「御社のチャラ男」という本を手にしたのです。絲山さんの「新世紀最高“会社員”小説」ってか・・・これは面白いはずではないか♪<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【御社のチャラ男】絲山秋子著、 講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。<読む前の大使寸評>絲山さんの「新世紀最高“会社員”小説」ってか・・・これは面白いはずではないか♪<図書館予約:(1/27予約、副本?、予約?)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17684301/">御社のチャラ男</a></td></tr></tbody></table>まず冒頭の語り口から、見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p7~10<font color="brown"><当社のチャラ男:岡野繁夫></font> ジョルジュ食品の岡野繁夫と申します。文字通り油を売って生きております。最近の当社一番の売れ筋はこちら。オメガ6とオメガ3の理想のバランスを実現したヘンプオイルでございます。チアシードオイルやフラックスシードオイルもアンチエイジング効果が高いと話題になっておりまして、大変に人気の高い商品です。 またエキストラ・ヴァージンオリーブオイルはギリシャ・レスボス島産のオリーブからコールドエクストラクション製法で抽出した最高級品でございまして「爽やかでフルーティな風味がたまらない!」と評判です。 お酢も扱っております。ダイエットや高血圧にはポルトガル直輸入のワインビネガー、冷え性や疲労回復にはざくろやチェリーなどのフルーツビネガー。いずれも美容と健康に効果の高い商品ばかりです。 今後は当社の強みを生かしたオーガニックハーブのドレッシングやハーブソルトなどの分野に注力していきたいということで、現在プロジェクトを鋭意推進中でございまして、おそらく来年度には具体的な商品のご提案ができるのではないかと。小さな会社ではございますが、お客様の笑顔とやさしい暮らしを、しっかりと丁寧にサポートして参ります。 スーパーの売り場で流れている口上にそのまま使えそうな能書きを作るのは三芳部長が得意なのだ。俺は暗記しているだけ。油と酢があるからドレッシングなんて中学生みたいな思いつきだが、当社はほぼほぼそういった思い付きで経営されている。 営業という仕事は外に出てしまえば気が楽だ。自由とまでは言わないが、外でやることはあらかた決まっている。出かけてしまってから「今日はどうしよう」などと惑うことはない。「いい年した男が昼間から一人でうろうろしていて」などと恥じることもない。 スーツを着てビジネスバッグと名刺を持ち、会社のペーパーバッグをぶらさげている俺は誰が見たってそういう役割の人間であり、むさくるしいとか怖いとか場違いとか言われる筋合いはないのだ。だから女子高生やカップルや子供連れに変な目で見られないかなどとびくびくする必要もない。 営業と言う仕事は売れたらやっぱり面白いし、売れなければ悔しいが、むしろ燃えてくる。ゲームみたいだ。お客がクレームで怒ったり、商品に文句を言ったりするのは実在する商品をめぐるストーリーに即した発言をしているだけだ。(中略) 物事が整然としていることはありがたい。人間は任意の点Pみたいに不規則に動いているわけではない。営業先には決まった人間しか存在しない。曜日によって名前が変わるわけでもない。A社に行ったら理由もなくB社の人が働いていたなんてことはない。ドラッグストアに行ったのに今日はカフェやってます、なんてこともない。「ジョルジュ食品です」と言って訪ねて行った先なのに「カットとパーマをお願いしたいんですけど」なんて言われることはない。駅前でばったり会ったみたいに名前が思い出せなくて冷や汗をかく必要もない。こういうことを真面目に言うと皆に笑われるのだけどこの世の中で、仕事の周辺だけでもまっとうに動いているということは、俺にとっては大きな救いだ。 それに比べて社内というのはどこから弾が飛んでくるかわからない。社長に「ちょっと」と言われれば何のことかと震え上がるし、部長が難しい言葉を羅列していれば頭がぼんやりしてしまう。上司や先輩はどうでもいいようなことのやり直しを命じるし、総務は後回しにしている書類を催促してくる。新人に至っては何を訊いてくるのか見当もつかない。昼飯とか飲み会になるとさらにハードルが上がる。誰が何を話し始めるのかまるっきり読めない。 意外と可愛いとか優しいとか言われてもどう返していいかわからなくて困惑するのだ。からかったり冷やかしたりしないでくださいと思う。</td></tr></tbody></table>
2024.02.07
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・御社のチャラ男・ハロー・ユーラシア・世にもおぞましい殺戮の世界史・校閲記者の日本語真検勝負<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【御社のチャラ男】 絲山秋子著、 講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。<読む前の大使寸評>絲山さんの「新世紀最高“会社員”小説」ってか・・・これは面白いはずではないか。<図書館予約:(1/27予約、副本?、予約?)>rakuten御社のチャラ男【ハロー・ユーラシア】福嶋亮大著、講談社、2021年刊<「BOOK」データベース>より香港の大規模デモ、さらにパンデミックに到る東アジアの政治的な暴風域。その渦中にある現代のイデオロギー現象、その認知地図を更新し、21世紀の東アジアに新たな光を当てる。政治・思想・文学の地平から激動の根源を探る画期的東アジア論。<読む前の大使寸評>東アジアの政治的な暴風域ってか・・・興味深いのです。rakutenハロー・ユーラシア【世にもおぞましい殺戮の世界史】歴史の謎を探る会(編)、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より民衆が常軌を逸したフランス革命の「9月の虐殺」、スターリンや毛沢東による大粛清、ユーゴ紛争の民族浄化…。人間が隠しもつ恐るべき本能とは?<読む前の大使寸評>歴史から見るロシアや中国の暴挙を知りたいではないか。rakuten世にもおぞましい殺戮の世界史【校閲記者の日本語真検勝負】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より「紙面上は何も生み出していない部」が生み出した言葉の雑学ブック。【目次】序章 新聞社の校閲部ーその仕事と覚悟と思い/第1章 気になる表現/第2章 語源が意外な言葉/第3章 似て非なる言葉/第4章 新語、使われ方が変化した言葉/第5章 正しい?間違い?/第6章 多様、奥深い、微妙な言葉/第7章 悩ましい読み方<読む前の大使寸評>新聞社の校閲部が見つけた日本語の間違いとは、如何なるものか?rakuten校閲記者の日本語真検勝負
2024.02.06
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在7位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在265位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在170位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在85位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在71位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在252位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在25位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在19位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在8位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在81位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在65位・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、副本?、予約20)現在13位・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、副本?、予約2)現在3位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『神と黒蟹県』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵<予約分受取:11/15以降> ・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、11/15受取)・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、11/23受取予定)・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取予定)**********************************************************************【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【世にもあいまいなことばの秘密】川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.02.06
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図書館で「映画でみる移民/ 難民/ レイシズム」という本を手にしたのです。この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。【映画でみる移民/ 難民/ レイシズム】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より戦争、虐殺、差別、貧困・格差、植民地主義…現代世界が直面する課題を眼前にしながら、奮闘する映画人たちがいる。日本社会の課題をも照射する映画評論集。<読む前の大使寸評>この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。rakuten映画でみる移民/ 難民/ レイシズム「第3章 ホロコーストからナクバへ」でかつて観た映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を、見てみましょう。p119~122<1『ライフ・イズ・ビューティフル』> レイシズムは究極的に、「なにをしてもかまわない存在」をつくり出す。その発想は具体的な暴力となってあらわれ、果てはジェノサイドに至る。そのひとつの極がナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺だった。2度の大戦後に制定された国際人権条約「自由権規約」の第20条と「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の第4条に、差別扇動の禁止が盛り込まれた大きな要因は、アフリカを震源地とする脱植民地運動の高揚、そして「終戦」からわずか十数年で顕在化してきた反ユダヤ主義とナチス肯定論への警戒と、南アフリカなどで続いていた人種隔離政策への否がある。 西欧諸国が軒並み差別の扇動を法的に禁じているのもナチスの経験ゆえだ。換言すれば「差別扇動の禁止」とは、負の歴史に向きあい、愚行をくり返すまいとする人びとの思いの轍なのだ。 初めて公表されたアウシュヴィッツの記録映像と、廃墟となった現在の映像をモンタージュさせ、ジェノサイドの「表象不可能性」をも描いてみせた歴史的1本『夜と霧』(アラン・レネ監督、1954年)以降、ナチス時代を描いた映画が制作され続けるのも、ひとつは「たとえ描くのが不可能でも、忘却とは闘わねばならない」という制作者たちの志である。作れば一定の客がはいる商業的「安定性」もあるだろう。たしかに志の欠落した駄作も少なくないが、まがりなりにも「記憶の文化」が浸透してきたからこそ、あの時代を描いた作品が興行としても成り立つのだと思う。 ロベルト・ベニーニが監督、脚本、主演の3役をこなした『ライフ・イズ・ビューティフル』は、これらの先人の系譜に連なりながらも、特異な存在感をもつ1本だ。なにが特異か? まずはタイトルである。あの出来事を描いた映画の題がよりによって「人生は美しい」なのだ。V・E・フランクルの著書『それでも人生にイエスという』へのオマージュなのかもしれないが、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)を逆撫でするようなネーミングである。 映画は「夜と霧」の光景ではじまる。子どもを抱いた男性が、視野不良の闇をさまよう、まるで夢のような映像に男性のモノローグがかぶさる。「これは素朴な物語。だが語るのは難しい。童話のように悲しみがあり、童話のように驚きと幸せに満ちている」。これが悪夢のような風景であることがわかるのは最終盤に至ってからだが、不穏な空気は伝わってくる描写である。 だがシリアスな空気は一転、場面は1939年の北イタリアに切り替わる。美しい田園地帯をオープンカーが疾走している。平和な光景だが、すでにムッソリーニが首相になって17年目、第2次世界大戦に参戦し、日独伊3国同盟が結ばれる前年である。『映画でみる移民/ 難民/ レイシズム』1:第9地区
2024.02.05
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日本刀の鉄を生みだすたたら製鉄は個人的なツボでもあるが・・・以前に読んだ『鉄の文化誌』でもたたら製鉄に触れていたので、復刻して読み直してみたいのです。*********************************************************図書館で『鉄の文化誌』という本を、手にしたのです。先日、『森の仕事と木遣り唄』という本でたたら製鉄について読んだところである。森との関わりが深い製鉄は、まあ個人的なツボなので、この本をチョイスしたのです。【鉄の文化誌】島立利貞著、星雲社、2001年刊<「BOOK」データベース>より人類が鉄を発見してから5000年。鉄の歴史は人類発達の歴史である。そしてこれからの未来の発展にどのように関係し、役立っていくのであろうか。【目次】第1章 古墳時代(地球は鉄の星/ヒッタイトの鉄器/古代の製鉄炉 ほか)/第2章 中世(レン炉/低シャフト炉/たたら吹き製鉄法 ほか)/第3章 近世(高炉/鉄と炭素/高炉の西漸 ほか)<読む前の大使寸評>先日、『森の仕事と木遣り唄』という本でたたら製鉄について読んだところである。森との関わりが深い製鉄は、まあ個人的なツボなので、この本をチョイスしたのです。rakuten鉄の文化誌蒸気機関森林保護からはなれて、蒸気機関のあたりを、見てみましょう。p117~119<蒸気機関> ワット機関は、ニューコメン機関に比べて熱効率が格段によく、石炭の消費量は4分の1以下であったという。その後もジョン・ウィルキンソンは、蒸気機関の改良につとめ、さまざまのタイプの熱機関を発明し、その使用分野を拡張し、産業界への貢献は著しかった。 ワット機関が普及するまでは、通常、工場は河川の畔に建てられ水車によって、工場内の機械設備の動力源にしていたが、ワット機関によって、何時でも何処でも、強力な動力が得られるようになり、たまたまこの時代にイギリスに興った産業革命の推進力になった。 ワットはボールトン(企業家、機械技術者)と組み、多数の蒸気機関を製作し、産業革命時代の基幹産業、繊維工業への普及に努めた。 彼らが最初の25年間に製作した蒸気機関325台のうち、繊維関係の工場だけで124台が使われた。 ワットはまた、工学の基礎になる種々の仕事もしている。特に著名なものが、動力の観念およびその測定法の確立、目安としての馬力の制定がある。いまでは馬力は使われていないが、その代わり、彼の名からきたワット、キロワットが公認されており、蒸気機関はいまでは歴史的なものになりつつあるが、単位ワットは、日常語として残っている。 このように、ワットの業績ばかり推賞され、もとの熱機関の発明者ニューコメンの名はとかく忘れられがちのように思える。(中略) それより、ニューコメンの最初の着想こそ偉大な功績というべきである。彼の手柄は、円筒形のシリンダーの中に、気化と液化を繰り返す水蒸気を導入し、熱を「力学的な力」に変換させる装置を思い付いたことであろう。 これこそ、彼の偉大な発明であった。現在使われている自動車のガソリン・エンジンもディーゼル・エンジンもニューコメンが最初に着想したものと同じ円筒型シリンダーの中をピストンが運動して「熱を力に変換」する装置になっている。 この分野の物理学は、実用が先立ち理論が後からできたといわれている通り、その熱力学の創始者の一人サジ・カルノー(フランスの物理学者)は、円筒型シリンダーとピストンの加熱と冷却を繰り返し、シリンダー内の気体を膨張、収縮させる思考実験を基に熱を力学的な力に変換する理論を導いた。ウン 野だたらから始まって・・・木炭高炉、コークス高炉、蒸気式送風機を経て・・・熱力学理論までたどりついたわけで・・・まさに文化誌であったなあ♪『鉄の文化誌』6:蒸気機関『鉄の文化誌』5:幕末の鋳鉄砲『鉄の文化誌』4:近世ヨーロッパのコークス高炉『鉄の文化誌』3:近世ヨーロッパでの製鉄および森林保護『鉄の文化誌』2:たたら製鉄のルーツ『鉄の文化誌』1:日本の「たたら吹き製鉄法」
2024.02.05
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シルクロードや沙漠といえば、私のロマンをかきたてるものであるが・・・デジタル朝日に興味をひく記事があったので、紹介します。(この記事は有料記事なんで・・・お咎めがあるやも。)*********************************************************(「緑の長城」アフリカの挑戦:上)移民と過激派生む、サハラ砂漠の熱風より アフリカのサハラ砂漠南部に広がるサヘル地域が、気候変動で危機に陥っている。雨が減って作物は枯れ、家畜を育てることが難しくなった。生活の糧を失い、希望を失った若者たちの国内外への流出や、政情不安も止まらない。「負の連鎖」に歯止めをかけることはできるのか。アラッサン・コンテさん ■水不足で不作、職求め欧州へ 熱風が乾いた大地に吹きつけ、サハラ砂漠からの白い砂が覆う。昨年12月、アフリカ西部セネガルの内陸部バケルでは、本格的な乾期が始まろうとしていた。 「ここでは救いがみつからなかった」。アラッサン・コンテさん(33)は、そう漏らした。 家畜を使って畑を耕す伝統的な農業を営む両親のもとに、7人きょうだいの長男として生まれた。10年ほど前から極端に雨が少なくなり、ひどい水不足に悩まされるようになった。自分たちが食べる穀物を育てることすら難しくなった。 7年前、両親に告げず、欧州をめざした。移民として、職を探そうと考えた。「苦しく、つらい道のりだとはわかっていた。でも、残るのも地獄。それなら、行くしかない」と思った。 陸路と船でモロッコやスペイン領カナリア諸島を経由して、欧州入りしようとした。道中では、交通費を稼ぐために隣国モーリタニアのコメ農家で働いた。 すきま風が吹く小屋に寝泊まりし、炎天下での長時間労働を強いられた。だが「不法移民」の身分で得られる給料はわずかだった。 半年が過ぎ、一緒に働いていた同年代の青年が倒れ、亡くなった。「次は自分かもしれない」。そう思うと、心が折れた。 地元では、移民になろうと国を出て戻ってくる人は、「恥ずかしい失敗者」とみなされる。帰国後も家族から受け入れられない場合が多い。 アラッサンさんの両親は、何も言わず迎え入れてくれた。それだけが救いだった。「暮らしがよくなるだろうと理想を追いかけたことが過ちだった……」 過酷な状況を知っていても、移民への道を探る人もいる。マムドゥ・バーさん(25)もその一人。「機会があれば欧州をめざすのは当然だ」と語る。 2年前に、セネガルの首都ダカールで大学を卒業。欧州への進学を模索したが、ビザが出ずにあきらめた。いま、地元に戻って畑を耕して暮らしている。 「大学を出ても、ここには仕事がない。それなら、厳しくても別の場所をめざすべきだ」 セネガルでは、アラッサンさんやマムドゥさんのように、欧州をめざす若者たちが後を絶たない。 ■コロナ拍車、貧しい若者勧誘 英BBCは昨年10月、セネガル当局が3日間で600人以上の密航を阻止したと報じた。若者たちは小さな木造船に分かれて乗り、欧州への「玄関口」となっているカナリア諸島に向かっていたという。 国際移住機関(IOM)によると、この航路上で11月に約280人が密航を試み、6人が死亡、185人が行方不明に。隣国モーリタニアでも同月、カナリア諸島に向かった約300人のうち、113人が死亡または行方不明となった。 サハラ砂漠の南側に広がるサヘルは半乾燥地帯で、古くから遊牧民や交易商人が暮らしてきた。その広大さから海にも例えられるサハラ砂漠に対し、サヘルは「沿岸部」とも呼ばれる。サヘル周辺には「港町」のように都市が栄えてきた。 だが、国連によると、サヘルでは世界平均の1・5倍の速さで気温上昇が進んでいるとされる。雨が減り、水不足で人々の暮らしが成り立たなくなっている。その結果、サヘル諸国の情勢はコロナ禍以降、急速に不安定化している。 マリ北部やブルキナファソでは、生活できなくなった一部の若者が、反政府を掲げる過激派組織にリクルートされているとみられている。過激派の台頭の影響もあり、サヘルではクーデターの連鎖が続いている。 気候変動が大量の移民や過激派の台頭を生む「負の連鎖」は、アフリカや欧州にとって待ったなしの課題だ。解決には、温暖化がサヘルにもたらしている根本的な問題と向き合うことが必要になる。 その解決策として、サヘルの東西8千キロに植林し、「緑の長城」をつくる「グレート・グリーン・ウォール(GGW)」構想が動き出している。(セネガル東部バケル=今泉奏)(「緑の長城」アフリカの挑戦:下)遊牧民も町の雇用も、植林が守る
2024.02.04
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図書館で「河原者ノススメ」という本を手にしたのです。画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。【河原者ノススメ】 篠田正浩著、幻戯書房、2021年刊<出版社>より構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。映画『夜叉が池』リメイク版公開を記念に、泉鏡花をめぐる文章を増補して新版として刊行。<読む前の大使寸評>画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。rakuten河原者ノススメ「第17章 東海道四谷怪談」のなかで女形が語られているあたりを、見てみましょう。p329~331<女形という「型」> 世間は腐食しはじめていた。 創成期の歌舞伎や浄瑠璃は変動する政治社会に敏感に反応し、最も新しい情報や事件を組み入れて、市民に衝撃を与えてきた。しかし鎖国された民衆にとって周辺の海は水の壁でしかなかった。 ラクスマンも間宮林蔵も大黒屋光太夫もアイヌの反乱も彼らの視野には入らず、江戸市民はといえば、祭礼に浮かれて永代橋を踏み潰してしまっていた。19世紀に突入した文化文政の世となっても、人民が親しむ演劇は「型」の継承がもっぱらで、新作で時代に挑戦する歌舞伎はなかった。「型」といえば女形である。歌舞伎の運命は常に徳川幕府の禁制と不可分であった。女歌舞伎や若衆歌舞伎がその裏での売色を隠さなかったことから、男女共演は不可能になった。その屈曲の象徴が女形である。 女性の出演が公認された舞台は、阿国歌舞伎の繁昌期だけということになる。いずれにしても、元禄以後の歌舞伎という芸能は、徳川幕府の治世の理念である儒学の倫理によってフェイクされたものであり、ここから女形という「型」が形成されていったのだ。 ロラン・バルトは1970年に発表した『表徴の帝国』(筑摩書房・1996)で、現代人の位置から、三百年にわたって伝承された女形の本質を考察した。(女形の)内部の男性は、ただ、不在化されているのである。俳優は女形の顔をつくって、女性を演じているのではない。女性を複写しているのではない。ただ単に女性を表徴するのである。いっさいの女性的現実を吸収するか消失させる結果となる・・・またはそうなることが当然となる。表徴されはするが、再現されはしない、この女性は観念なのである(後略) 女形が観念だ、というバルトの指摘は、歌舞伎を独特の様式に仕上げてきた「型」の本質を的確に把握している。彼が観劇した時の女形は五十代で娘役を演じていた。フランス人がそれを女性だと認識できないのは当たり前である。初代芳沢あやめ(1673—1729)や四代目岩井半四郎(1747—1800)に代表される、日常まで女の暮らしを徹底しようと変身を心がけた女形はいたが、歌舞伎のドラマツルギーが進化、多様化するにつれて女形の「型」の正統、格式が論じられた一方、リアリズムが歌舞伎に侵入してくると女形の存在が不自然になった。この不自然を、現代人は観念の所為としてとらえなおそうと努力をはじめていた。 私は歌舞伎を観るたびに、最初のうちは舞台上の「型」の美しさ、意表をつく「観得」に圧倒されるが、そこから先、芝居の内部に入ろうとしても興醒めする場合がしばしばある。現代人にとって、「型」の内実はガランドウなのだ。それを異国人のロラン・バルトは「観念」と呼んだ。『河原者ノススメ』2:小津安二郎の自嘲『河原者ノススメ』1:「第1章 芸能賤民の運命」の冒頭
2024.02.04
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。元旦に生じた能登半島大震災以来、えべっさんを過ぎ、気が付けばもう節分と・・・早春の気配を感じる余裕もなかったのですが季節は巡っています。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたり節分この本で、立春のあたりを見てみましょう。和暦p6~7<立春>立春は1年の始まり。旧暦行事の基準の節 現行の暦(太陽暦)では、2月3日の節分の翌日が立春となる。この日から立夏(5月4日ころ)の前日までが「春」であり、俳句界では、立春から立夏までの期間は春の季語が用いられる。 立春は1日だけでなく、雨水までを立春としている地域もあるようだが、現在では節分の翌日の1日のみを立春とするのが一般的である。 立春は「春」の初日になり、降雪があっても、季節は春であり、冬の季語である「雪」とは区別されている。季語にも「春の雪」「名残りの雪」「淡雪」「斑雪」などの雪の名称がある。 2月4日ころは大寒が明けるか明けないかのころで、寒さはまだまだ厳しく、体感的には冬の感じだ。しかし本格的な春に先駆けて開花する梅に、小さな春を見つけようとした。 旧暦で暮らした時代の人々の心は、現在とは比較にならないほど、春を待ち望んでいたのである。(中略) 立春を迎えて、初めて吹く南からの強い風が「春一番」。春の風は何番まであるのか。春一番から春ニ番までは、天気予報でも耳にする言葉である。 立春が基準になっている行事で、現代もなじみが深いのは「八十八夜」と「二百十日」であろう。八十八夜が「茶摘み」、二百十日と二百ニ十日が「台風シーズン」である。立春から88日目に摘んだお茶は霜を被らないため高級とされており、立春から210日目や220日目は、台風が来る確率が高いころとされている。 ちなみに台風は農作業にとっては迷惑な「厄」であり、現在では二百十日を「厄日」とも呼び、秋の季語になっている。 その他にも、「竹八月に、木六月」という言葉があり、竹や木の伐採に適した時期を教えていた。現在では、特定の地域を残しているのみで、言葉そのものも失われつつある。わずかに歳時記に季語として残されてはいるが、寂しいことに本意は失われつつあるようだ。立春の七十二候は、次の通り。 初候 「東風解凍(はるかぜ、こおりをとく)」 次候 「黄鶯見睨(うぐいす、なく)」 末候 「魚上氷(うお、こおりをのぼる)」ウィキペディアで節分を見てみましょう。wikipedia節分より節分(せつぶん、せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。二十四節季の立春に注目(復刻2)二十四節季の大寒に注目(復刻)
2024.02.03
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<横尾忠則を観に行こう♪20>能登半島地震の支援に明け暮れるご時世ではあるが・・・久々に横尾忠則現代美術館の企画展に繰り出そうと思い立ったのです。ということで、今回の企画展をネットで覗いてみました。今回のポスターです。横尾忠則 ワーイ!★Y字路より2000年、故郷の西脇で、横尾忠則は夜の三叉路をストロボ撮影しました。すると見慣れたはずの景色が、全く異なる風景となって立ち現れたのです。この写真からインスピレーションを得た横尾は「Y字路」シリーズに着手、それらはやがて彼にとって重要なライフワークとなっていきます。内省的な光と闇の世界は、祝祭的な色彩の爆発を経て、さらに変幻自在なバリエーションを生み出しつつ今日に至っています。2015年、当館では2006〜2015年の作品による「横尾忠則 続・Y字路」を開催しました。本展はいわばそれを補完するもので、シリーズの原点である初期作品(2000〜2005年)、および新近作(2016年〜)により、多彩な「Y字路」シリーズの魅力に迫ります。※本展は、本来はシリーズ誕生20周年を記念し、2020年度に開催される予定でしたが、コロナ禍により延期されていたものです同時開催:Yokoo Tadanori Collection Gallery 2023 Part2 「風景考」期間 2024.1.27 sat. - 2024.5.6 mon.時間 10:00~18:00 (最終入場時間 17:30)休館日 月曜日 ただし2月12日(月・振替休日)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振替休日)は開館 2月13日(火)、4月30日(火)は休館観覧料 一般 700円、大学生 550円、70歳以上 350円鑑賞後のレポートは追って追記する予定とします。横尾忠則を観に行こう♪19:横尾忠則の不思議の国横尾忠則を観に行こう♪18:横尾忠則展 満満腹腹満腹
2024.02.03
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好きな料理といえば、讃岐うどんかカレー、あるいはレバニレラ炒め、ジンギスカンあたりになるわけで、カレーライスはけっこう好きなんです。・・・ということで、以下復刻してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『カレーの世界史』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、世界各地のカレーや、日本発祥のカレーライスなどが見られます。最近はインドカレーの店に通う太子としては、奥深いカレーが気になるのでおます。【カレーの世界史】井上岳久著、SBクリエイティブ、2020年刊<「BOOK」データベース>よりゴロッとした肉と野菜にかぶさる褐色のルウ、そして立ちのぼる強烈なスパイスの香り…。私たちが普段何気なく口にしているカレーは、数奇な運命をたどって日本にやってきた。だが、その道のりから見えてくるのは、決して明るいストーリーだけではない。差別と被差別、支配と隷属、禁忌と戒律など、さまざまな要因から強い影響を受けながらその姿を自在に変えてきたカレー。歴史と地理を縦横の糸にして編み込んだ、料理と人との壮大な物語。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、世界各地のカレーや、日本発祥のカレーライスなどが見られます。最近はインドカレーの店に通う太子としては、奥深いカレーが気になるのでおます。rakutenカレーの世界史チキンティッカマサラ料理が不味いとの定評が根付いてしまったイギリスであるが・・・同国のカレー「チキンティッカマサラ」を見てみましょう。p68~71<イギリスの国民食「チキンティッカマサラ」> イギリス人の食卓から姿を消しつつあったカレーですが、まったくなくなったわけではありませんでした。 それどころか形を変えて、イギリスの食文化に根付いていったのです。それが、1960年代にイギリスのインド料理店で生れたといわれるている「チキンティッカマサラ」です。 “ティッカ”とは、スパイスに漬け込んだブロック肉のこと。これをタマネギと一緒に炒め、トマトやバターでつくったソースで煮込んだものが、チキンティッカマサラです。 酸味がありつつもクリーミーな味わいは、どこかバターチキンカレーに似ています。 チキンティッカマサラは、イギイスでは国民食といえるほど親しまれている料理です。2001年、当時のイギリスの外相ロビン・クックは、チキンティッカマサラについて「真のイギリスの国民料理だ。それは、一番人気があるというだけでなく、イギリスが外部の影響をどう吸収し、適応させるかを完璧に体現しているからだ」と語り、話題になりました。 当初はカレーに親しんだイギリス人ですが、それが人々の好みに合わせて形を変えていき、その最終形がチキンティッカマサラになったということでしょう。 多様な文化を柔軟な姿勢で吸収するイギリス人ならではの料理だといえるかもしれません。<カレーはなぜイギリスに定着しなかったのか> それにしても、日本にカレーを伝えたイギリスでは家庭でカレーが食べられなくなり、一方の日本ではカレーは国民食となって老若男女に親しまれている…。 この違いは一体どういうことなのでしょうか? イギリスでカレーが衰退したのは、上流階級の食事のパターンが変化したしたことが原因だという見方があります。 週単位で食事のパターンが決まっていたとされる上流階級の習慣には、日曜日に巨大なローストビーフを焼いて食べるというものがありました。 しかし、あまりにも大きいローストビーフはどういても食べきれずに余ってしまいます。そこで、残り肉はカレーに使うのが効率的であり、経済的だとされていました。 ところが、牛肉の値段が高騰して、ローストビーフ自体が入手しづらくなったのです。その結果、次第にカレーを食べる機会も減ってきました。肉が余ってこそのカレーだったということでしょう。<イギリス最初のインド料理店の顛末> 一説によれば、今、ロンドンには1000軒を超えるインドレストランがあるといわれています。 価格もかなりリーズナブルなので、カレーを食べたくなったら近くのインド料理店へ出向けばいいわけです。わざわざ家庭でつくる必要は、もうなくなったのでしょう。 今ではイギリス中にあるインドレストランですが、最初の店は大成功とはいいがたいものでした。 イギリスで初めてのインド料理店は、デイーン・マホメッドというインド人が、1810年にロンドンのジョージストリートに開店した「ヒンドスタニー・コーヒーハウス」です。 マホメッドは、カレーをはじめとするインド料理の本格的な味わいや店の雰囲気といったものを、インド本国のスタイルで忠実に再現しようと試みます。 新聞に広告を出すなど積極的な経営を展開しますが、なかなか振るわずに、1811年に惜しくも閉店。 理由についてはいろいろな意見がありますが、当時はまだ外食文化が十分に根付いていなかったこと、また、彼がターゲット層としていた裕福な顧客たちの興味が薄かったことが大きいのではないかと考えられています。『カレーの世界史』1
2024.02.02
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<和田誠アンソロジーR5>図書館で「和田誠切抜帖」という本を借りたこの際、和田誠アンソロジーを作ってみました。・ISSUE 和田誠のたね(2021年刊)・(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズ(2019年配信)・オフ・オフ・マザー・グース(1989年刊)・物語の旅(2002年刊)・青豆とうふ(2003年刊)・ほんの数行(2014年刊)・和田誠切抜帖(2007年刊)・字幕の中に人生(1994年刊)・仕事場対談(2001年刊)R5:『ISSUE 和田誠のたね』を追記、その他見直し【ISSUE 和田誠のたね】和田誠著、スイッチ・パブリッシング、2021年刊<「BOOK」データベース>より【目次】不合格のための世界史/LONG INTERVIEW和田誠 美しい発芽(文・インタビュー構成=川口恵子)/だから冒険はやめられない/家族のヒント/これからのお楽しみ/ぼくの好きな先生/これ、何のたね?/はじまりの一冊<読む前の大使寸評>とにかく、和田誠が描いた絵日記から漫画、インタビューなどを通じて和田誠のたねに迫る本になっているようです。rakutenISSUE 和田誠のたね「ISSUE 和田誠のたね」1<(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズ>10月7日に和田誠さんが逝去されたが(10月11日事務所が発表)、10月10日朝日配信のシリーズ#963には、もちろん言及はありません。 この(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズには和田誠さんの挿絵やカットが添えられているように、三谷さんと和田さんの付き合いは古いわけで・・・三谷さんは、この訃報にふれて、「和田誠さんになりたい!」と題した追悼のコメントを発表したそうです。「和田さんの描く絵は、どれもスマートで、繊細で、暖かい。和田さんご自身もそんな方でした」「今も変わらず僕は思い続けます。和田さんのようになりたい、和田さんのように生きたい、と」不肖、太子のブログにもシリーズ#963を取りあげていたので、以下のとおり紹介します。(三谷幸喜のありふれた生活963)記憶に残った映画の宣伝<『オフ・オフ・マザー・グース』>お話しをひとつ、見てみましょう。p4~5<ねことヴァイオリン>ぎこぎこ ごりんねことヴァイオリン牝牛が月をとびこした子犬がそれ見て笑った そしてお皿がおさじと逃げだしたTHE CAT AND THE FIDDLEHey diddle, diddle,The cat and the fiddle,The cow jumped over the moon;The little dog laughedTo see such sport,And the dish ran away with the spoon.【オフ・オフ・マザー・グース】和田誠訳、筑摩書房、1989年刊<「BOOK」データベース>より和田誠の新訳60篇。原詩の韻にこだわって。やっぱりマザー・グースは面白い。<読む前の大使寸評>おお 和田さんが訳したマザー・グースではないか・・・絵本はやはりイラストレーターが訳するのがええでぇ♪rakutenオフ・オフ・マザー・グース<『物語の旅』1>図書館で『物語の旅』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。【物語の旅】和田誠著、フレーベル館 、2002年刊<「BOOK」データベース>より書物の国からの絵はがき。著者が選んだ54作品。カラー挿絵とともに四方山ばなし満載!子どもの頃に初めて読んだ「かちかち山」から現在に至るまでの“読書体験”の数々。本好き・装丁好きの著者がその思い出をふり返る。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。amazon物語の旅『物語の旅』3:霧笛『物語の旅』2:アシェンデン 『物語の旅』1:長いお別れ<『青豆とうふ』>図書館で『青豆とうふ』という本を、手にしたのです。この本は二人がかわりばんこにエッセイを綴ったもので・・・したがって目次のページがないのです。どこから読んでも面白い♪【青豆とうふ】安西水丸×和田誠著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より二人がかわりばんこに文と絵をかいた、楽しさあふれるしりとりエッセイ。タイトルは村上春樹さんが付けてくれました。描下ろしカラーイラストレーション満載!<読む前の大使寸評>この本は二人がかわりばんこにエッセイを綴ったもので・・・したがって目次のページがないのです。どこから読んでも面白い♪amazon青豆とうふ『青豆とうふ』3:和田さんや安西さんのロボット談義『青豆とうふ』2:和田さんの映画談義<ほんの数行>図書館予約で借りた和田誠著『ほんの数行』を読んでいるが・・・ええでぇ♪安西水丸さんが亡くなり・・・イラストレーター界の大御所のような存在であるが、偉ぶらないのが和田さんの持ち味なんでしょうね。この本で、装丁した3000冊を超える本から名ゼリフがキラリと光る100冊を選んだとのことです。表紙のイラストとエッセイが楽しめる構成が、グリコのアーモンド味みたいで・・・ええでぇ♪100冊のうち、1冊を紹介します。<イブのおくれ毛>よりp72~73「そら、マサシゲさんかてしたはるわ。マサツラさんがいてはるもん」 田辺聖子「イブのおくれ毛」(文芸春秋)より 田辺さんは「文芸春秋」に「女の長風呂」というタイトルのもとにエッセイを6年ほど連載されていた。それが5冊の単行本になり、さらに「ベスト・オブ女の長風呂」として3冊のアンソロジーにまとめられた。その3冊の装丁をぼくが担当したわけです。「女の長風呂」はシモネタが多かった。シモネタと言っても下品ではない。ユーモアのオブラートに包まれていて、楽しいのである。 引用した数行は、女学生時代にセックスについての知識を仕入れた同級生が友だちに一人ずつ耳うちしたが、当時の田辺さんは楠木正成までそんなことしたとは信じられず、その話の63パーセントはウソだと思う、ときいて発した同級生の言葉。 戦時下のことである。後醍醐天皇を守る楠木正成は忠臣中の忠臣と教えられたいた。銅像も立っていた。「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ・・・」という歌も知られていた。戦場に向かう正成を追ってきた息子の正行を泣きながら国に帰す情景を歌ったもので、このエピソードは小学校(当時は国民学校)の学芸会の演目にさえなっていた。 そんな正成は多くの日本人の尊崇の的だったので、セックスと結びつけることなど畏れ多いことだったのだ。でもこの同級生は「正成さんにも正行さんという息子がいるのだから、セックスしている筈だ」とクールに言う。そういうセリフが面白い。【ほんの数行】和田誠著、七つ森書館、2014年刊<商品の詳細説明>より 半世紀以上にわたってイラストレーター、デザイナー、映画監督と多才な活躍を続ける和田誠さん。装丁した3000冊を超える本から、名ゼリフがキラリと光る100冊を選びました。和田さんのインスピレーションを刺激した「ほんの数行」のフレーズとブックデザインをめぐる想い出を、装丁家ならではの視点で楽しく綴ります。<読む前の大使寸評>「この本の装丁も和田誠だったのか」といつも思うのです♪「商品の詳細説明」の目次に、和田さんの好みとか交友関係が表れているようです。<図書館予約順番:7(9/23予約、11/18受取)>rakutenほんの数行<和田誠切抜帖> 図書館で借りた「和田誠切抜帖」から、和田さんの人となりの一部を紹介します。西域フェチの大使にとって「月の砂漠」という童謡は気になる歌でもあるのですが…和田さんはこの童謡から古い映画にさかのぼって語っているので、紹介します。<「月の砂漠」異説>よりp5~7 童謡「月の砂漠」は七五調の詞に曲がついたもので、形は典型的な日本の童謡だが、詞の中身はまるで日本調ではない。王子と姫が金と銀の鞍をつけたラクダに乗って砂漠を旅する風景なのだから。(中略) まず、加藤まさお氏(作詞者)は抒情詩を書いた人でもあるが、本業は挿絵画家だった。とすると、「アラビアン・ナイト」などの挿絵を描いたことがあるのではなかろうか。少なくともそういう風景に興味を持つことはあったのだあろう。イマジネーションで、アラビアン・ナイト的な詞を書いても何の不思議もない。 モデルの存在を晩年になって認めたことについて考えると、発表された大正年間は、たぶんのんびりした時代であり、詞のヒントについて問いただされることもなかったのではなかったのではないか。時が過ぎ、リアリズムが尊ばれるようになって、どこの砂漠をイメージしたのですか、などと訊ねられ、うーむと考えていると、あなたは若い頃御宿海岸で過ごしたことがあると聞くが、そこではないのか、と畳みかけられて、そうかもしれない、と答えたのが広く伝わったのではないか。 そこまで考えて、ぼくはふと「カスバの女」という流行歌を作詞した久我山明さんに会った時のことを思い出した。あの歌の舞台はアルジェリアである。ヒントは何ですか、とぼくが聞いたら「映画ですよ。私たちが若い頃は『モロッコ』だの『外人部隊』といった映画をよく観ていましたから」と答えてくれたのだ。(中略) それから十年ほどたって、『別冊太陽』で『童謡・唱歌・童画100』というのが出た。「月の砂漠」のページも当然ながらあって、加藤まさおのご子息、嶺夫氏のエッセイが載っていた。それによると「特定の場所などを描いたりはしていないといっていいだろう」「父は砂漠も砂丘も見たことがない」とあり、千葉県のある海辺の町に関しては、「ある方が本人に話したところ、『せっかく観光のメダマにしてくれているのに反対するほどのこともないでしょ』と笑いながら答えたという」と記してあった。【和田誠切抜帖】和田誠著、新書館、2007年刊<「BOOK」データベース>より「昭和15年、4歳。そのころからイラストレーションを描いてました」何が飛び出すか。ほんのすこし懐かしい、不思議なスクラップブックです。<読む前の大使寸評>週間文春の表紙を書き続けているイラストの大家であるが・・・大使より一回り年上の和田さんの、ややスローな感性に癒されるわけです。rakuten和田誠切抜帖 <字幕の中に人生>戸田奈津子さんの『字幕の中に人生』という本の表紙を和田さんが手がけているが・・・これがええでぇ♪アメリカ映画に造詣が深い和田さんだから、戸田奈津子さんとお付き合いがあったのでしょうね。【字幕の中に人生】戸田奈津子著、白水社、1994年刊<「BOOK」データベース>より一秒四文字、十字×二行以内のせりふ作りにすべてを賭ける映画字幕の第一人者が、『第三の男』の名訳を目にして以来あこがれつづけた字幕翻訳者への道が『地獄の黙示録』で花開き、以来ひっぱりだこの人気と実力を得るようになった今日までの半生をたどる、はじめての書き下ろしムーヴィー・ライフ。<大使寸評>今はなき大御所清水俊二さんの薫陶を受けた戸田奈津子さんであるが・・・映画字幕に入れあげた末に、大御所にまでのぼりつめた感があるのです。映画の台詞とは異文化そのものともいえるが、その翻訳がこれほどアナログな世界であるとは・・・いつまでたっても自動化できない世界のようですね。『第三の男』で字幕に開眼し、『地獄の黙示録』で大ブレークするあたりが、シブいというか・・・映画が好きなんでしょうね♪それはそうと、和田誠の表紙イラストがええなぁ♪rakuten字幕の中に人生 <仕事場対談>和田誠さんの「仕事場対談」という本を読んだのですが、一歩間違えば変人と言われかねない規格外の人がいたりして、面白いのです。これをきっかけに、イラスト作品が気にいっている人、その生き方が面白い人など・・・ネットからイラスト作品を探してみました。なお東京イラストレーターズ・ソサエティ(略称TIS)の顔ぶれを見てみると・・・和田さん交遊関係や私のご贔屓は旧世代になっていることがわかります。当然かもしれないが。【仕事場対談】和田誠著、河出書房新社、2001年刊<「MARC」データベースより>和田誠が仕事上影響を受けて来たイラストレーター24名の仕事場を訪れ、制作から過去・日常・趣味までさまざまな話を聞き出し、創作の秘密に迫る! 巻末に番外編・同世代3名との対談つき。『イラストレーション』連載。 <大使寸評>27人との対談なので、和田さんが嫌う人でなければ(笑)、古手の著名イラストレーターは、ほぼ網羅しているのかも。一歩間違えば変人と言われかねない規格外の人がいたりして、面白い本である。個人的に気になる人は・・・下谷二助、沢野ひとし、安西水丸、南伸坊、田島征三、横尾忠則、ささめやゆき、山本容子、長新太、宇野亜喜良、etcAmazon仕事場対談
2024.02.02
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図書館で「ISSUE 和田誠のたね」という本を手にしたのです。とにかく、和田誠が描いた絵日記から漫画、インタビューなどを通じて和田誠のたねに迫る本になっているようです。【ISSUE 和田誠のたね】和田誠著、スイッチ・パブリッシング、2021年刊<「BOOK」データベース>より【目次】不合格のための世界史/LONG INTERVIEW和田誠 美しい発芽(文・インタビュー構成=川口恵子)/だから冒険はやめられない/家族のヒント/これからのお楽しみ/ぼくの好きな先生/これ、何のたね?/はじまりの一冊<読む前の大使寸評>とにかく、和田誠が描いた絵日記から漫画、インタビューなどを通じて和田誠のたねに迫る本になっているようです。rakutenISSUE 和田誠のたねまず、和田さんの親友への「インタビュー」から、見てみましょう。p119<「西遊記」外伝、マックとの時間:藤田寛> 和田誠の同級生として、小、中、高と共に歩み、生涯の親友となった藤田寛。高校時代、ふたりは自分たちやクラスメイトをモデルに漫画「西遊記」を共作した。和田の伸びやかな線、藤田のアイディアに満ちた発想、互いに刺激を受け、共に描く楽しさを知った。かけがえのない時間を過ごした親友は和田誠をマックと、幼い頃から慣れ親しんだ愛称で今でも読んでいる。「西遊記」を一緒に描き始めたのは高校一年生の時。マックが私の隣の席に移動してきて、一緒に描こうと誘ってくれたんです。彼が終始イニシアティブをとっていたから、題字や物語の描き出し、最後のシーンはマックが描きました。下書きはなし、ひとつも直しは入れていません。 授業中でも休み時間でも、どちらかが描いたら「はいよ」という感じでノートをまわして交互に描いていきました。マックはとにかく筆の動きが速かった。友達や先生を登場人物に見立てて描くのですが、マックは孫悟空、主役です。私は猪八戒。あとはクラスメイトを見て、「あいつは河童じゃないか?」「それなら沙悟浄だよ」という具合に物語を進めていきました。 似顔絵でいうと、彼自身も言っていたけれど、高校時代の時間割表、これが傑作です。「似ている」ということでいえば、あれはマックのその後の似顔絵作品のどれよりも「似ている」と思います。ただ当時はまだ専門的なデッサンをやっていたわけではないから、そのあと彼の画風はいろいろな影響を受けて少しずつ変化していきます。 高校の途中からはスタインベルグ(ソール・スタインバーグ)のような線を基調にしたシンプルなもの。当時、マックがうちに遊びに来た時に、私の父の書斎にあったスタインベルグの画集『ALL IN LINE』を貸しました。彼が見たいって言うので、父に断りもせず「おう、いいよ」って。 光年、父はその本を彼にプレゼントしていましたよ。「あの本はマックの役に立ってんだ」とか言って。その後、大学時代に日宣美で賞を取ったポスター「夜のマルグリット」なんかの画風はベン・シャーンの系統ですよね。タッチが太くなって、ライトパブリシティに入った頃にはその影響は非常に濃くなっていったと思います。 そういう独特な吸収力をマックは持っていました。普通はなかなか自分の画風は変えられないものですが、マックは他の画家の影響を受けながら、ただ真似をするのではなくて自分のものにしてしまうのです。(中略) 映画は二人とも大好きで、よく話をしました。でもあの記憶力にはついていけませんでした。ジンジャー・ロジャースの脚が綺麗だとか、オーソン・ウェルズが地下道で光に照らされるシーンとか、そういうことは私でも覚えているんです。 でもマックはね、細かい台詞なんかも暗記していました。「あれは『カサブランカ』の台詞のオマージュになっているのに、それを理解せずに訳している」とか、見方がすごいんです。私も年に70本くらいは観ていたけれど、マックはもっと。勉強する時間を削らないと、そんなには観れませんよ。だからマックは全然お勉強はしていない(笑)。 マックの答案用紙を見たことがあります。白紙に先生の似顔絵だけがぽんと描いてありました。でも先生もマックの個性を見抜いていて、「あいつはしょうがないな」って許しているようでした。それほど周囲が認める才能がありながら、本人はそんなことに気づいていないというか、好きにまかせて描いているというところがありました。 もっと小さい頃、メンコとかターザンごっことかの遊びをやっている傍らでも、マックは「僕はいいや」という感じで絵を描いていました。女の子が心にちらつく年頃になっても、それも気にならなかったみたいです。意識して自分を律しているわけではなくて、飄々とただ本当に好きで絵を描いている。そうやって下地ができてくる。それこそがマックのすごさなんです。この本も和田誠アンソロジーに収めるものとします。
2024.02.01
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図書館で「映画でみる移民/ 難民/ レイシズム」という本を手にしたのです。この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。【映画でみる移民/ 難民/ レイシズム】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より戦争、虐殺、差別、貧困・格差、植民地主義…現代世界が直面する課題を眼前にしながら、奮闘する映画人たちがいる。日本社会の課題をも照射する映画評論集。<読む前の大使寸評>この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。rakuten映画でみる移民/ 難民/ レイシズムまず、「第1章 難民とはなにか」でかつて観た「第9地区」を、見てみましょう。p51~55<4『第9地区』> ドキュメンタリーや現代ドラマにとどまらず、SFにも難民は頻繁に登場する。 たとえばウルトラ怪獣の定番、宇宙忍者「バルタン星人」である。初登場は『ウルトラマン』の第2話「侵略者を撃て」。宇宙旅行中、マッド・サイエンティストの核実験でバルタン星が吹っ飛び、還る場所をなくして宇宙を放浪中、たまたま見つけたのが地球だった。 科学特捜隊のハヤタ隊員(=ウルトラマン)は話し合いによる解決を目指すが、移住をめぐる交渉は不調に終わり、巨大化して街を破壊するバルタン星人ひとり(?)をウルトラマンは「成敗」する。驚愕はそこからだ。ウルトラマンはそれで一件落着とはせず、バクテリア大になった20億3千万人ものバルタン星人が眠る円盤を地球から離れたどこかへと押していく。 映像では描かれていないが、空の彼方が光り、2度に渡って爆発音が響く描写からは、ウルトラマンが難民たちの眠る宇宙船にも必殺のスペシウム光線を浴びせたことが推察できる。 仏像をモデルに造形されたともいわれるウルトラマンが、たったひとりの大暴れを理由にして、罪のない20億3千万人もの難民を虐殺するのだ。将来の危険除去だとでもいうのか。少なくともこれは地球の国際法では禁じられている「集団的懲罰」である。しかも過剰極まる虐殺だ。とても「正義の味方」とは思えぬやり口である。(中略) 単なる荒唐無稽に終わる、あるいは無自覚な差別意識が噴出するリスクもあるが、現代世界が直面する複雑な問題に、意表を突いた形でアプローチするには、SFは恰好のスタイルである。 南アフリカ出身のニール・ブロムカンプ監督の長編デビュー作『第9地区』(09年)はそれらの系譜に連なるブラックでキッチュ、そしてパワフルでグロテスクな1本だ。ここに登場する「難民」は、紛争や飢餓・飢饉、政治弾圧を逃れて越境してきたどこかの国の「元国民」ではない。宇宙を航行中、なんらかの疫病が船内をまん延し、死滅寸前に地球に降り立った、まさにエイリアン(Àlien)、すなわち「外国人」である。 上昇するヘリコプターに乗ったカメラが南アフリカ・ヨハネスブルグの巨大な難民キャンプを真下にとらえる。黄土色の大地に敷きつめられたとび色の不揃いなタイル群、あるいは寄木張りのような平面は、カメラが頭を上げるにつれて巨大なバラック群として立体化していく。その巨大なバラック群の淵には、難民キャンプの内側と外側、国民と難民を分かつ堅牢な壁が建てられ、ときに曲線を描きながらスクリーンを縦にひき裂く。 難民たちを現代のゲットーに隔離し、「国民の世界」への入場を拒む壁は、まるで津波から人びとをまもるため、海岸線に築かれた防波堤のようだ。そう考えれば、灰色の遮断壁に押し寄せるようにひしめいている粗末なバラック群は、壁の向こうにある「国民の世界」(難民たちの苦境を無視し、安寧を貪る者たちが住む世界)を呑みこもうと打ち寄せる大波にも見えてくる。「世界最悪レベルの治安」・・・。本作の舞台、南アフリカ・ヨハネスブルグの現実世界での枕詞である。別の言い方をすれば、そこは世界でもっとも弱肉強食の論理が貫かれた、「人」と称する猛獣たちがうごめくジャングルである。有史以来そうだったのではない。植民地主義と戦争、人種差別と搾取に見舞われてきたこの地の歴史ゆえである。 17世紀、オランダ人が喜望峰に到達して以来、白人の入植が進み、18世紀以降は鉱物資源を求めるイギリス人が攻めこんできた。侵略者の懐を肥やすため、牛馬のように働かされてきたのは周辺諸国から集められた奴隷労働者である。 植民地主義と奴隷制という、人道に対する罪と切っても切れない歴史をもつこの国で、白人絶対の統治形態を堅固なものにするために敷かれたのが、さらなる人類史上の犯罪、アパルトヘイト体制だった。 白人の下に黒人がおり、黒人のなかでも海藻がある。最底辺はアフリカ諸国から越境してきた不法移民、難民たちである。(中略) この南アフリカを舞台に、常に「外部」を作り出し、人間を序列化する国民国家体制の問題と、人間という生き物の度しがたさをセミ・ドキュメンタリー・タッチでえぐり出してみせたのが本作である。 主人公とその周囲を映す手持ちカメラの映像と、インタビューを多用したドキュメンタリー的映像に、実際のニュース映像をテンポ良く組み合わせ、ブラック・ユーモアに満ちたハチャメチャな世界に観客を引き込む。その映画体験は、たとえるなら四輪駆動の大型ジープに乗り、見たことのない生き物が生息するジャングルを猛スピードで走り抜けるようだ。・・・とにかくニール・ブロンカンプ監督の作品が好きなわけで、ニール・ブロンカンプ監督作品集としてフォローしているのです。
2024.02.01
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NHK国会中継では、論点は裏金疑惑に尽きるとも言わんばかりである。野党からの数多い追及に応える岸田さんの説明責任も大変であるが・・・ここで、かつての日記(2018年の日記)から、自民党の政治手法に触れたものがあるので読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************衆院選挙(2018年)では、小池さんの誤算があったにせよ、あらためて自公の強さを思い知ったわけでおます。ということで、図書館に予約している『自民党―「一強」の実像』という本を、心待ちしているのです。【自民党―「一強」の実像】中北浩爾著、中央公論新社、2017年刊<BOOK」データベース>より自民党は結党以来38年間にわたり政権を担い、2度「下野」したが、2012年に政権に復帰。一強状態にある。その間、自民党は大きな変貌を遂げた。本書は、関係者へのインタビューや数量的なデータなどを駆使し、派閥、総裁選挙、ポスト配分、政策決定プロセス、国政選挙、友好団体、地方組織、個人後援会、理念といった多様な視角から、包括的に分析。政権復帰後の自民党の特異な強さと脆さを徹底的に明らかにする。【目次】第1章 派閥ー弱体化する「党中党」/第2章 総裁選挙とポスト配分ー総裁権力の増大/第3章 政策決定プロセスー事前審査制と官邸主導/第4章 国政選挙ー伏在する二重構造/第5章 友好団体ー減少する票とカネ/第6章 地方組織と個人後援会ー強さの源泉の行方/終章 自民党の現在ー変化する組織と理念<読む前の大使寸評>衆院選挙では、小池さんの誤算があったにせよ、あらためて自公の強さを思い知ったわけでおます。・・・ということで、時宜を得たこの本を読んでみます。<図書館予約:(7/18予約、2/01受取)>rakuten自民党―「一強」の実像「第6章 地方組織と個人後援会」から自民党の強さの源泉を、見てみましょう。p237~<保守系無所属という存在> 自民党を最も基底の部分で支えているのが、保守系無所属の地方議員である。ここでの無所属には異なる二つの意味があり、一つが立候補届出時に無所属とする議員、もう一つが自民党籍を持たない議員である。自民党では後者の意味で使う場合が多いようであるが、それはどのような存在なのか。 保守系無所属が大きな割合を占める町村議会について、全国町村議会議長会が2011年に実施した意識調査およびそれに基づく報告書「町村議会議員の活動実態と意識」から探ってみよう。 まず注目されるのは、議員報酬の平均が月額約21万円と低く、町村議会議員の世帯の年収総額に占める議員報酬の割合が、五割未満という回答が全体の69.5%に達することである。九割以上という回答は4.5%にすぎない。そのため、議員専業を意味する無職の比率が、23.4%と少ない。 しかも、無職のかなりの割合は、定年退職後の男性や専業主婦の女性が占めているようである。一般の会社員は兼職が難しい以上、町村議会議員になることに高い金銭的なハードルが存在する。 したがって、町村議会議員に就任するのは、兼職が可能な自営業者や会社・団体役員が必然的に多くなる。職業別の構成比を見ると、国勢調査では2.1%にすぎない農林水産業が町村議会議員の44.6%、同じく1.4%の商業が20.4%を占めている。 いうまでもなく、農林水産業、商業、会社経営といった職業は、自民党の支持者に多い。議員報酬の低さが一因となって、町村議会の構成は自民党に有利になっている。 もちろん、議員報酬だけが理由ではない。農民や商工業者といった旧中間層は、職業を世襲的に相続することが多く、人的ネットワークを幅広く持ち、仕事柄、地域に対する関心が強い。リソースなどの面で地域のリーダーになりうる存在なのである。しかも、農村部では社会の同質性が高いため、急中間層のなかの有力者が、そのまま重要な政治的地位を占める傾向がある。実際、町村議会議員は、町村内の各地域を代表するポストとみなされ、有力者間の調整によって決められる場合が少なくなかった。(中略) 自民党幹事長を務めた加藤紘一は、保守系無所属とは人徳を有する地域のリーダーであると書いた。比較的高い教育を受けて時間や金銭的に余裕があり、お祭りや年中行事を取り仕切ったり、農作業の段取りや田畑への水の配分を公平に行ったりと、地域のために積極的に貢献するような人物である。 加藤は「保守勢力とは、地域リーダーシップが代表する地域意思の総体であって、自由民主党とイコールではない」と強調しているが、さらに「最近地方が自民党から離れ始めているような気配が感じられるようになった」という危機感を示している。2009年に自民党が下野する直前のことである。 野党時代の自民党は、地域で少人数の会合を開く「ふるさと対話集会」を開始したが、それは加藤の提案によるものであった。地域に根を張る保守系無所属に依拠しつつ自民党を再構築する試みといえる。 その一方で、保守系無所属の地方議員を自民党の内部に組み込み、地方組織を強化する努力もなされている。そのための枠組みが、地方議員連絡協議会である。『自民党―「一強」の実像』3:自民党の強さの源泉『自民党―「一強」の実像』2:小泉さんや安倍さんの政治手法(続き)『自民党―「一強」の実像』1:小泉さんや安倍さんの政治手法
2024.01.31
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図書館で「河原者ノススメ」という本を手にしたのです。画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。【河原者ノススメ】 篠田正浩著、幻戯書房、2021年刊<出版社>より構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。映画『夜叉が池』リメイク版公開を記念に、泉鏡花をめぐる文章を増補して新版として刊行。<読む前の大使寸評>画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。rakuten河原者ノススメ小早川家の秋「第1章 芸能賤民の運命」のなかで小津安二郎が語られているあたりを、見てみましょう。p24~26<小津安二郎の自嘲> 映画は20世紀の初頭から世界に普及した現代芸術である。そのキャメラ、フィルム、ライトといったメカニズムが産業革命の申し子であることから、日本映画についても20世紀以前の芸能史の埒外に置かれて考察されがちだが、まぎれもなく、この国の芸能の「運命」から逃れることはできなかったはずである。 私が属した映画界で働く人々は「活動屋」と呼ばれ、映画のことは「写真」、たとえ仕事が深夜からはじまってもスタッフは「お早うございます」と挨拶するのがしきたりである。このしきたりは先行する歌舞伎・浄瑠璃界の観衆から引き継いだものである。「お早うございます」を口にした時から、私は日本に古来伝えられてきた「しきたり」の残る芸能界への加盟を余儀なくされた。つまり一般人とは異なる通過儀礼を果したと感じた。以来、この世界独特の隠語を当たり前のように使う自分になっていった。この隠語が最近では世間に流出して、芸能者の特異性が薄らいでいる。「目線」とは単独でカメラを向けられた俳優が見えざる対話者に「視線」を定めて演技をする目印のことである。この「目線」も現代では普通の人々にまで行き渡ってしまって、「視線」は死語になってしまった。 これほどに、現代芸術である映画が、日本では古代に起源をもつ芸能世界の水脈と連結しているのだ。えいが『スパイ・ゾルゲ』でも私は能の作劇法を連想していた。黒澤明の『羅生門』(1950)や溝口健二の『雨月物語』(1952)にも能の手法が読み取れるはずだ。「おれは橋の下で菰をかぶって客を引く女郎、吉田さんは橋の上に立って客を引く女郎」(『小津安二郎と20世紀』国書刊行会) このセリフを吐いたのは小津安二郎である。昭和38年(1963)正月の鎌倉。松竹大船撮影所に所属する監督たちの新年会の宴半ば、不意に小津安二郎は立ち上がって末座にいた吉田嘉重の正面に座り、酒を勧めながら怒気を含んだ前記のコトバを吐いた。 小津の脚本『小早川家の秋』(1962)に描かれた若い人間像に年寄りの厚化粧のいやらしさがある、と雑誌の対談で吉田が発言したことに端を発したのだ。私は吉田の隣で一部始終を目撃した。吉田は一言も発しなかったので論争にはならなかったが、小津が映画監督という職業を、橋の下で菰をかぶった女郎に重ねたことが意外だった。 キャメラポジションがロウアングルとはいえ、小津の作風の高潔さは橋上からの眺めそのものであって、ヌーベルバーグと括られた我々こそ商業主義から排除され、橋の下の境遇ではないか、と。 この頃、私は完成させたばかりの『乾いた花』(1964)が難解だという理由でオクラにされ、公開のメドが立っていなかった。テレビという新興のメディアが映画産業を直撃していたのだ。映画館から観客が急激に離れつつあった。わかりやすい、庶民のための映画が再び求められていたのだ。 小津自身、自作の中に若い風俗を取り込んで時代の流れから離れまいとしたことにも、テレビの出現が大きく作用していたに違いない。吉田はそれを敏感に察して、小津は本来のたそがれゆく父の悲哀に徹すべきだと批評していた。 この年の暮れ、芸術院会員にして河原者と自称する小津安二郎は、「豆腐屋は豆腐しかつくれない」と自嘲しながら60歳で死んだ。『河原者ノススメ』1:「第1章 芸能賤民の運命」の冒頭
2024.01.31
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図書館で「河原者ノススメ」という本を手にしたのです。画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。【河原者ノススメ】 篠田正浩著、幻戯書房、2021年刊<出版社>より構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。映画『夜叉が池』リメイク版公開を記念に、泉鏡花をめぐる文章を増補して新版として刊行。<読む前の大使寸評>画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。rakuten河原者ノススメ『法然上人絵伝』(知恩院蔵)まず、「第1章 芸能賤民の運命」の冒頭から、見てみましょう。p12~16<善と悪の変転> 奈良の平城京から抜け出した古代王権が、山城の京都に遷都して平安京を確定させると、中世と呼ばれる多様で世俗的な時代が到来した。この時代変革は、古代大和王権の宗教儀礼に関与しながら育ってきた芸能とその縁者たちの境遇に、多様な変容をもたらした。その変容の底知れない形態は、日本演劇への歴史的考察を錯綜させ、その所説を解題するだけでも、あまりのハードルの高さに呆然とするばかりである。 まず「中世」という時代区分が問題となる。西洋史では、東方のフン族の圧迫で四世紀頃にはじまったゲルマニア民族の大移動から、百年戦争が終結した十五世紀頃までを指すと教えられてきたが、日本史では、武士が政権を奪い鎌倉幕府が成立した十二世紀末から室町幕府の消滅までと定義されている。しかし、山路興造は芸能史にこのような政治史の時代区分は合わないとする。 たしかに芸能の変容が歴史の変動と連動してきた例は多くあるが、化石のように古代が温存、継承されてきた芸能もある。山路興造は「中世」を、古代から中世への流れと、中世から近世への流れの二つに区分し、天皇家が継承権で分裂抗争した南北朝をもって境界とした。私はこの意見に賛意を表したい。 さらに、芸能を論ずるにはコトバだけではすまないという難問が控えている。私が学生だった昭和20年代の教室でも邦楽史の授業があったが、テレビはもちろんのこと、テープレコーダーもまだ教室にはなかった。芸能者が演ずる音声や舞踏の姿を、現代のエレクトロニクスが再生する音声や画像として体験することはできなかった。芸道物や時代劇の映画音楽、極めてまれに歌舞伎・能狂言の舞台鑑賞、そしてラジオから耳にする邦楽演奏だけが頼りであった。 私の場合、姉たちが嫁入り前の教養で琴や三味線を倣っていたので、門前の小僧よろしく『六段』や『越後獅子』を口ずさむ程度の体験があった。 十二世紀、源平争乱に翻弄されながら後白河法皇自ら編纂した『梁塵秘抄』は、平安期に流行した「今様」の歌謡集である。だが、歌詞そのものは採録されたが、肝心な今様の温局自体がどのように歌われたかは、推測の域にとどまっている。『紫式部日記』の寛弘5年(1008)8月20日過ぎの手記では、宿直の公達たちが秋の夜長に読経争いや今様の美声を競ったと記されている。傀儡女と卑しめられた芸能者の唄が、貴族たちの世界に深く浸透していたさまが読みとれる。 読経争いという言葉から、仏教の勤行が美声を競う芸能と化している光景も興味深い。 この紫式部の時代の今様が、百数十年後の源平争乱の最中に後白河法皇によってさらなる「今様」となり採録されたのだ。後述するが、源義経の愛人だった静御前も白拍子で、兄頼朝と政子の夫妻の面前で今様を舞い歌ったことは有名である。今様という芸能をひとつ取り上げても、中世の混沌とした変容と向かい合ってしまう。 遊女の好むもの 雑芸 鼓 小端舟 おほがさ翳し 艫取女 男の愛祈る百太夫(『梁塵秘抄』380番歌) 嘉禎3年(1237)に成立したという『法然上人絵伝』(知恩院蔵)の中に、江口、神崎という高名な港町のある淀川水系河口の光景が描かれている(図)。大傘を差しかけられた遊女が小舟に乗って、船旅へ向かう貴族たちの停泊している船へ、鼓を鳴らしながら近づいていく。楫をとって櫂を漕ぐのも女である。遊女が鼓の音を川面に響かせながら旅船へと接近する風情には、身を売る女の哀歌がある。
2024.01.30
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ビゴーといえば、歴史の教科書なんかにビゴーの風刺画が出てくるが・・・辛辣で才気活発な人物像が面白いので、復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『明治の世相:ビゴー素描コレクション2』という大形本を手にしたのです。パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。【明治の世相:ビゴー素描コレクション2】ジョルジュ・ビゴ-, 芳賀徹著、岩波書店、1989年刊<「BOOK」データベース>より明治20年から23年まで、横浜居留地で刊行された『トバエ』は、当時の日本の世相を冷徹な眼力で描いたもので、その辛辣な政治諷刺は、ビゴーの諷刺画の最高傑作といわれている。『トバエ』を中心に220余点収録。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。rakuten明治の世相:ビゴー素描コレクション2p149~150 <フランスから来た浮世絵師:芳賀徹> 『トバエ』を中心としたこの素描集を繰ってゆくと、ジョルジュ・ビゴーというのはまことに才気活発、あらゆる意味で「達者な男」だったことに、あらためて気がつき、感心する。 彼自身、『トバエ』では第一号の表紙にピエロ姿で登場するのをはじめ、ときどき思いがけないところに自分の顔を出している。他に水彩の自画像などもある。 それらを見ても、この絵師は日本人の生活と社会にぶしつけなほどの好奇心を向け、そのなにげない細部にまで鋭敏な眼を走らせ、日本人との少々のトラブルなどは持ち前の陽気さとフランス人としての優越感によってまたたくまに乗りこえてしまったにちがいないと思われる。少なくても画中に見えるところではそんな風な男だ。 18年の日本滞在中、後半になるとさすがに少し太ったようではあるが、それでも背は高くて高すぎず、顔は面長で眉は濃く、黒っぽい眼は丸く大きくれ、よく動きよく笑う。長くて高い鼻の下には濃い口ひげを生やしたり、剃ったりしている。艶のいい頬やもみあげのあたりからはいつもオー・ド・コローニュのいい匂いなどさせていたのではなかろうか。そんな風にも思われるほど、こざっぱりとして、身奇麗だ。(中略) 明治15年(1882)4月、来日して3ヶ月目に横浜で撮ったという侍姿の写真も残っているが、なかなかハンサムな優男に写っている。これではビゴーの身辺にさまざまな日本女性が出入りしたというのも、もっともだと思われる。作品から推しても彼自身かなりの色好みだったと思われるが、女のほうから眺めてもちょっと惚れたくなるような洒落者だったのだろう。 口にくわえている曲がったパイプをちょっとはずすと、たちまち軽快な早口のフランス語が飛び出し、それに片言の面白おかしい日本語や、ときに英語も混じったのにちがいない。男の眼は愉快そうにまた皮肉っぽく、いきいきと輝きながら・・・・。 このようなパリ生まれのパリっ児の才人が、1870年代の後半、ジャポニスムがいよいよさかんになるパリで、フェリックス・ビュオやエドモン・ド・ゴンクール、フェリックス・レガメなどと知り合いになり、日本に憧れてついに明治15年(1882)1月末、22歳の若さで横浜にやって来たのである。 そしてそれから明治32年(1899)6月、39歳で帰国するまで、前に記したように実に18年の間を日本で暮らした。 いわゆる文明開化時代の終りの頃から、自由民権と鹿鳴館の時代、そして憲法発布と日清戦争、またなによりも条約改正へと、内にも外へも揺れ動き、急速に変転する明治半ばから後半の日本列島の情景を、あのよく動く眼で上から下から、表から裏から、外国人の治外法権の特権を生かしながらも大概は斜めから、ほとんど絶え間もなく観察し、記録し、風刺をこめて描いていったのである。ビゴーのこの漫画集、石版素描集が面白くないはずがない。 ビゴーの作品は、『トバエ』などの石版画のみならず、その水彩や油彩の作品も含めて、まだまともにフランス美術史のなかに位置づけられてはおらず、フランス・ジャポニスム運動の一環に名をとどめるにすぎないという。それは無理もないことである。 ビゴーは才気ある絵師にはちがいなかったが、同時代のマネヤモネやルノワールやゴーガンとならぶような第一流の独創の天才ではもちろんなかった。第二流でさえなかったろう。しかし、この異国における風刺の絵師をそのように同時代母国の画壇にすぐさまひきもどして格付けをしてみようというのは、たとえば徳川美術史の上で淋派や南画派と浮世絵師とを直接にならべてどちらが偉いかと問うのにも似て、あるいはそれ以上に、ジャンル、技法、また職分の別を故意に無視してしまうことになりかねない。 ジョルジュ・ビゴーにはジョルジュ・ビゴーの、19世紀後半の東西美術・文化交流史、また明治日本社会史の上における「分」、役割というものがあったのであって、彼はそれを十分に立派に果たした。おそらくはドーミエの風刺画の流れに北斎漫画の刺激が加わった画環境のなかから出てきて日本に渡来し、その資質と境遇とさまざまの偶然とから、明治日本の世態風俗を独自の見方で思うさまに描き批評するのが、その生涯の主要な仕事となってしまった画家。 彼はみずから「仏国の江戸っ子なりと自称」していたそうだが、まさにフランス生まれの浮世絵師、パリからやってきた明治の浮世絵師として、河鍋暁斉、チャールズ・ワーグマン、小林清親ら、日本における先輩・同僚の向こうを張ることとなったのであった。私たちはそのような日本なりの評価を添えて、いつか彼をフランスの近代美術史、美術社会史の分野に一時帰国させてやればよいのであろう。■ビゴー漫画のプロンプター ところが、明治の世相風刺の絵師としても、ビゴーの独創性はどの程度であったか、どのあたりまでが彼自身のものといえるのか、一応は疑ってみる必用のある作も少なくない。 とくに『トバエ』を中心としたこの「明治の世相」の巻で、日本語の文章を長短さまざまに書き入れた政治風刺の作については、かならずや日本側の協力者がいたにちがいない。達筆で書かれたその文字はもちろん、ときに中国の故事や漢詩の数句を織りこんだりする文章も、日本人でかなり学のある者でなければ書けないものであることは確かである。さらには風刺の発想そのものも日本人協力者から来ているのではないかと思われる例もある。トバエの数枚を見てみましょう。
2024.01.30
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図書館で「ちょっとケニアに行ってくる」という本を手にしたのです。パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくる「第四章」でケニア人の恋人を、見てみましょう。p175~179<第四章 おいらの嫁さんケニア人>■ナイロビに戻り、恋人ワンジルと再会 ナイロビに戻って、星野学院に顔を出す。ワンジルが、「信じられない!」と驚く。「まさかマサオが帰って来るとはおもわなかったわ」 と抱き着いてきて、大雨のキスが降り注ぐ。スティーブンも駆け寄ってきた。「マサオ、ジャンボ!」 久しぶりの対面であった。彼女たちのうれしそうな顔を見て、「これからこの二人のために、褌を締め直してかからねば」 という気持ちになる。 そして、三菱重工の仕事でナイバシャ湖の奥地にある発電所に向かう。現場のある所はグレート・リーフ・バレー谷が深く切り込んでいて、アフリカ南北を縦断している。マサイ族によると、その谷底にはヒョウが棲息しているという。ただ、彼らは実際に見たことはないらしい。 この谷は毎年少しずつ廣逢っていて、数千億年後にはアフリカ大陸を二つに分裂させるかもしれないとも言われている。 職員に連れられて夜のサファリに連れていかれるが、何となく不気味である。電気もなく真夜中の中をジープで走り回るのであるが、ジープのライトに照らされて至るところに炎が動いているように見える。それはなんと動物の目であった。その光る目を目指してジープで追いかける。 猛禽類はおらず、キリンやシマウマ、シカ類だけであったが、追い回すだけで捕まえようなどという気は起こさないところがいい。もっとも、捕まえようとしても捕まるような動物たちではない。 また別の日には、午後、庭に出て椅子でうつらうつらしていて目を覚ますと、目の前に三メートルほどもあるブラックコブラが散歩しているのだ。驚いて近くにある長い棒を手に取り、「さあこい、いつでもいいぞ」 とこの難敵を退治しようと構えた。すると殺気を感じたのか、コブラは全速力で逃げ始めたのだ。コブラが近づいてきた時には眠っていたのが、幸いしたのである。コブラは人の目を目掛けて毒液を飛ばし、液が目に入ると失明してしまうという。 コブラは素早く穴を見つけ、その中に潜り込んでしまった。しかし、私一人だったので、もし向かってこられたら勝負はどうなっていたかわからない。■ケニアで鴻池組の食事作りをする ナイバシャ湖の三菱重工のアルバイトも終わってぶらぶらしていると、友人から連絡が入り、「建設会社の鴻池組でアルバイトしませんか」と誘われた。今度はこれに応じることにする。鴻池組の仕事は、ケニア国内三ヵ所でサイロ(穀物貯蔵庫)作りの手伝いである。本部はナクル湖のあるナクルの町にあり、二ヵ所目はビクトリア湖のある湖畔の町キスム、三ヵ所目はウガンダとの国境沿いにあるブンゴムの町である。 ナクル湖はナクル湖国立公園の中心部であり、世界遺産の一部にもなっている。ビクトリア湖は、アフリカでもっとも広く、さらに世界でも第三位を誇る湖水面積を持つ。 私はそのうち三ヵ所を回って各現場で食事を作ることになる。しかし、この仕事は将来の自分の仕事につながることになるのだ。 サイロとは穀物貯蔵庫のことで、高さは約30メートルほどもある。技師によると、いったんサイロを作り始めると途中でやめることはできず、でき上るまでほぼ1ヵ月間は不眠不休になる。徹夜作業のため、技師の人たちは交代で仮眠を取るのであって、このような工事はかなり体力を消耗するという。 ワンジルとは生活を共にするようになっていた。まだ正式に結婚してはいないが、もう家族同然であった。もちろん、息子のスティーブンも一緒である。 そのような仕事だったので、長い間家族とも会っていなかった。それでナイロビよりワンジルとスティーブンを宿舎に呼び寄せることにした。二人が到着すると、私は社から車を借りて三泊四日の小旅行に出かけた。『ちょっとケニアに行ってくる』2:南仏での生活『ちょっとケニアに行ってくる』1:はじめに
2024.01.29
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神戸出身の作家ということで市民から好かれているわけで・・・復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『雨過天青』という本を、手にしたのです。陳舜臣さんというフィルターを通すと、神戸の街や陳さん好みの事物が輝きを増すのです♪【雨過天青】陳舜臣著、集英社、1999年刊<「BOOK」データベース>より故宮の文物から始まり、茶の話、世界各地の旅で感じたこと、住まいである神戸の街のこと、友人たちとの交流などを綴ったエッセイ。「雨過天青」とは雨上がりの雲の去った天の青さで、著者は青という色を「青年とか青春とか、生命力に満ちたものに用いられる。私たちが、さまざまな青を愛し、青磁の色に自分たちの理想を託そうとするのは、生命を愛するからにちがいない」と言う。<読む前の大使寸評>陳舜臣さんというフィルターを通すと、神戸の街や陳さん好みの事物が輝きを増すのです♪借りたのは1994年刊のハードカバーです。rakuten雨過天青兵馬俑坑の発掘あたりを、見てみましょう。p230~232<書かれざる歴史> 位置からいって、長江と中原との中間にある重要な場所であり、文献からもれているとは信じられない。そのあたりには随という国があった。曽候乙墓も随州市の郊外で発見されたのである。 戦国初期から千年ほどのち、随に封ぜられた楊堅が、天下を取ったとき、国号を「隋」とした。「随」の字のなかのシンニュウは「走る」という意味で、短期王朝を暗示するというので、それを抜き取って、新しい文字をつくったのである。そんな小手先細工をしても仕方がないもので、隋は三十数年という短期王朝に終わった。 この「随」もしくは「隋」は、春秋戦国の昔から現在に至るまで地名でありつづけたのに、「曽」はないのである。曽候乙墓研究の段階で、曽とは随の別名ではなかろうか、という説もあったようだ。だが、出土品に「随」を示唆する文字はないし、同時代の楚の恵王はかつて随に亡命したことがあり、それには「隋」と明記されている。どうやら同地異名説は不利なようである。 交通の要衝であり、豊かな土地であったはずなのに、文献にのせられていない。これはなにも「曽」だけではないだろう。文献は歴史のごく一部分を記載するだけで、全体をカバーできないものである。 歴史は文献と等身大ではない。文献よりも歴史のほうがはるかに巨大であり、歴史をさぐるには、書斎で本ばかり読んでもつかみ切れない。ほうぼうに出むき、ときには土も掘らねばならないのである。 兵馬俑坑は世界に衝撃を与えた大発見であった。1号坑だけで、六千体の陶兵、陶馬が埋められていたのである。いずれも等身大(平均1.8メートル)であり、「地下の軍団」と呼ばれるにふさわしい。膝をついて弓をひきしぼっている兵士は、とうぜん靴のうらをみせているが、靴底のすべりどめの鋲まで、ていねいに表現されている。しかも容貌は、一人一人が特徴をおっているのだ。型から大量生産されたのではない。陶兵たちが手にしていた武器は、ほんものの青銅製のものであった。 1号坑は東西230メートル、東西62メートルの規模で周囲に回廊があり、東西に9条の溝が走っている。これほどのものが、文献のなかに記載されていないのである。 司馬遷は『史記』のなかで、始皇帝陵のもようを詳述し、秦滅亡後に墓が荒されたいきさつまで記しているのに、兵馬俑坑については一行もふれていない。 いまの私たちは目をみはって驚くが、当時の人たちは、「たかが粘土を焼いた人形」と、おもっていたにちがいない。 始皇帝の陵は、項羽が三十万人を動員し、三十日かかって運び出したが、それでも運びきれず、あとは火を放った。銅板を熔かして銅を得るためである。火は九十日ものあいだ燃えつづけたという。徹底的に略奪されたのに、粘土を焼いた人形は誰も持ち出さなかった。お金にならないからである。 兵馬俑は誰にもかえりみられず、いつしか土砂に埋もれてしまった。当時の人はもちろん、百年しかたっていない時代の司馬遷も、そんなものを記述しようという気持をおこさなかったのである。 記述意欲は価値観によって左右される。だが、価値観は時代によって変遷する。 いまの私たちは、始皇帝陵墓内を覆っていた銅板を熔かすよりは、兵馬俑一体を失敬するほうが、よほど金になるとおもっている。 先人が苦労して我々に記述して残してくれたものは、たしかにありがたいが、それよりもずっと大切なものが記述されなかったはずである。そのいくらかを取り戻そうとするのが、いわゆるフィールド派の作業といえるだろう。『雨過天青』4:兵馬俑坑の発掘『雨過天青』3:械闘なるもの『雨過天青』2:茶の文化『雨過天青』1:カササギの橋
2024.01.29
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元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震3分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は3メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書の申請・発行が19日にスタートしたそうで・・・お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。*********************************************************R3<27日追記>■23日、岸田首相は新企画「能登復興本部」を立ち上げると表明したが・・・投入予算、規模を大きくするのはいいとしても、どんなもんになるやら?■大雪で、日本海側の各JRでは運休する列車が続出しているが・・・酷寒のなか避難所の皆さんの苦難はいかばかりか。■27日、石川県の一般ボランティア受け入れが始まったようで、作業は日帰りで県のバスで往復するとのこと。まだ受け入れ態勢が整ってない地区もあるようです。■受験勉強もままならない人、学校が再開できていない地域もあるようで・・・ただ頑張ってというしかない?状況もあるようです。■半島という閉鎖的な地域で余震が続く・・・私が体験した阪神・淡路大震災は開放的な地形だったので、ボランティアの受け入れもスムーズで、立ち直りが早かったわけで・・・能登半島は(年単位の)長期戦を覚悟すべきか(特に水道、電気、排泄物)。■二次避難所でより過酷な条件に陥る人もいるわけで・・・周到な避難者受け入れ計画が求められるのだろう。■農林・水産など一次産業への支援は、隆起した漁港の復興など中長期の構想、避難者の心が萎えないように希望が語られる必要があるのだろう。■輪島塗は124工程にわたる分業システムだったので、復興させるには地域のシステム全体に目を配る必要があり、立ち直り期間の資金支援が必要だろう。
2024.01.28
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今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「映画」でしょうか♪<市立図書館>・ISSUE 和田誠のたね・映画でみる移民/ 難民/ レイシズム・河原者ノススメ<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【ISSUE 和田誠のたね】和田誠著、スイッチ・パブリッシング、2021年刊<「BOOK」データベース>より【目次】不合格のための世界史/LONG INTERVIEW和田誠 美しい発芽(文・インタビュー構成=川口恵子)/だから冒険はやめられない/家族のヒント/これからのお楽しみ/ぼくの好きな先生/これ、何のたね?/はじまりの一冊<読む前の大使寸評>とにかく、和田誠が描いた絵日記から漫画、インタビューなどを通じて和田誠のたねに迫る本になっているようです。rakutenISSUE 和田誠のたね【映画でみる移民/ 難民/ レイシズム】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より戦争、虐殺、差別、貧困・格差、植民地主義…現代世界が直面する課題を眼前にしながら、奮闘する映画人たちがいる。日本社会の課題をも照射する映画評論集。<読む前の大使寸評>この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。rakuten映画でみる移民/ 難民/ レイシズム【河原者ノススメ】 篠田正浩著、幻戯書房、2021年刊<出版社>より構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。映画『夜叉が池』リメイク版公開を記念に、泉鏡花をめぐる文章を増補して新版として刊行。<読む前の大使寸評>画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。rakuten河原者ノススメ
2024.01.28
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在8位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在274位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在180位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在87位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在73位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在258位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在27位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在19位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在9位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在83位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在68位・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、副本?、予約20)現在19位・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、副本?、予約20)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『御社のチャラ男』・絲山秋子『神と黒蟹県』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・養老孟司『形を読む』<予約分受取:10/28以降> ・有川ひろ『旅猫リポート』(10/27予約、10/28受取)・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、11/15受取)・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、11/23受取予定)・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)**********************************************************************【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密【御社のチャラ男】 絲山秋子著、 講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/27予約、副本?、予約?)>rakuten御社のチャラ男【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.01.28
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江戸18世紀の外国文化受容に対する独特な視点は著者・田中優子さんというべきか♪・・・ということで復刻してみたのです。*********************************************************図書館で『江戸の想像力』という本を、手にしたのです。江戸の想像力もさることながら・・・想像力を膨らませて、この本を書ききる著者のガムシャラな筆力に驚くのでおます♪ところで、この本にはデジャブを感じて借りたのだが、帰って調べると3ヶ月ほど前に借りていたのです(またか)【江戸の想像力】田中優子著、筑摩書房、1992年刊<「BOOK」データベース>より近世的なるものとは何だったのか―。平賀源内と上田秋成という同時代の異質な個性を軸にしながら、博物学・浮世絵・世界図・読本といったさまざまなジャンルの地殻変動を織り込んで、江戸18世紀の外国文化受容の屈折したありようとダイナミックな近世の〈運動〉を描いた傑作評論。1986年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞作。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、思いのほか画像の多いのが楽しい本である。この本のデータは1992年刊の文庫本のものだが、借りたのは1986年刊のハードカバーでした。amazon江戸の想像力「第1章 金唐皮は世界をめぐる」の冒頭から、見てみましょう。<第1章 金唐皮は世界をめぐる>p3~7 江戸に「きんからかわ」というものがあって、世界をめぐりめぐったすえ、刀がなくなって腰のあたりがすーすーする明治の男たちの腰を飾った。 もっとも、明治になる前からもう男たちの腰は空しかった。鉄砲用の火薬は使いどころが無くなり、男たちの身体から射撃されるかわりに、両国橋の花火となって炸裂した。刀は腰にさびついて、鞘は単なる腰の飾りとなった。そして、どうせアクセサリーならもっと飾ってやろうと、印籠には根付や緒締めの玉を細工し、煙草入れや巾着には15世紀イタリアのルネッサンスと、17世紀ヨーロッパのバロックと、18世紀フランスのロココとを、オランダを介して持ち込んだのだった。 江戸の男を18世紀末のピーコックにしたのは、東インド会社という、アギーレをサラリーマン化したような連中だった。むろん彼らはピーコックになるひまがなかった。日本からきんきらきんの皿や壷を積み出し、帰りにデルフトの応接間の壁から「きんからかわ」を剥ぎ取って来るので忙しかった。 「きんからかわ」は「金唐皮」と書く。「金唐皮」とは、その研究の第一人者である徳力彦之助氏に拠って出来るだけ正確に表現すると、タンニンでなめした皮革に接着塗料を塗って合金の箔を貼り、金属に彫った型でプレスしてエンボス(浮き出し)を作り、さらにその上から塗料で彩色等をほどこして壁材などに使用したもの、である。 このうちのどれが欠けても偽物であるが、江戸における金唐皮を語ろうとすると、多くの偽物について語ることになる。■世紀末天明様態 ここで話は変わる。山東京伝は天明の洒落本に『通言総籬』というのを書いた。黄表紙『江戸生艶気樺焼』が受けに受けたので、同じ主人公に洒落本という別のジャンルにも出演してもらったのだった。 その黄表紙界のスター・艶二郎は、『通言総籬』で頭のてっぺんから足の先まで、「天明ぶり」という華麗にして遊惰、安逸、骨なしのファッションで登場したのだった。 黒茶の小紋が入った黄八丈の着物に、お納戸茶の帯をしめ、黒八丈のずらりと長い羽織をひっかける。八丈の下には、さらに舶来広東縞の着物、さらにその下には紺螺鈿絞りの襦袢を着けて、下からは花色縮緬の裾廻しがちらりと見えるしかけ。頭巾を襟巻にして、吉原の通人用の草履を穿き、黒皮の足袋をつける。 梅花形の模様のついた脇差を差し、諏訪町の有名理髪師に額の毛を抜かせて、広くなったおでこを見せながら、当時はやりの本多まげを結い上げる。さかやきはもちろん剃って二日目、この日がいちばんキマるのだ。 艶二郎の本多まげは、天明の男たちの流行の最先端である。堅気の人々はしぶい顔をして、これを「疫病本多」と呼ぶ。髪の毛をわざわざ少なくするからである。眉毛は、男も剃って細くする。これを「かったい眉毛」という。「かったい」とは「癩」と書く。ハンセン氏病のことである。帯は極細で、これも嫌悪をこめて「首つり帯」と呼ばれる。 羽織はあくまでも長くだらしない。織り方は縮緬と八丈が流行った。小袖は黒、帯は緋、その他は鳶色と鶸茶色の使用が群を抜いていた。刀は完全に装飾品となり、細みの大小が好まれる。そして男女とも面を包む頭巾が用いられた。 こういうわけのわからないファッションには、いつの時代でも、眉をひそめる人がいるものだ。あるひと、怒り心頭に発してこう書かずにはいられなかった。天明年中、おろかなる弱輩もの、かくのごとく流行るなれど、心有る人達は流行姿に心を移さず。皆小家の供侍、または軽き御家人、町方は職人等の手下、おろか者の致せし事、(『宝暦現来集』)ウーム 「疫病本多」ってか、いつの時代にもバカタレはいるもんで・・・昨今の男性のヘアファッションだって、相当に疫病がかっているけどね。『江戸の想像力』4:金唐皮は世界をめぐる『江戸の想像力』3:日本人のアジア交易pi~vi『江戸の想像力』2:江南から日本列島への亡命者p134~137『江戸の想像力』1:中国文化、特に中国版画p95~97
2024.01.27
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図書館で「ちょっとケニアに行ってくる」という本を手にしたのです。パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくるサント・ヴィクトワール山「第一章」で南仏での生活を、見てみましょう。p65~67<第一章 日本を飛び出してフランスへ>■南仏の優雅な昼食会を楽しむ エクス=アン=プロヴァンスは、画家のポール・セザンヌが生まれた町として知られる。彼がよく描いたサント・ヴィクトワール山が近くにあり、アジア人のグループでそこに上ることになった。サント・ヴィクトワール山は標高1011メートルと、さほど高い山ではなく、ちょうどいいハイキングコースである。 山すそにはピカソのヴォーヴナルグ城があるというし、流行した「デュランス川の流れのように」の歌詞となったデュランス川が流れている。その麓のル・トロネでは毎年8月に音楽祭が行われ、多くの人が集まってくるという。 この付近にはいたるところにラベンダーの花が咲き乱れ、とてもよい香りがする。 この町に仏文学を勉強しに来ていた明治大学の助教授夫妻が、カドリーブという炭鉱の村に転居していったので、日本人数人で二人を訪れることにする。カドリーブはエクス=アン=プロヴァンスから20キロメートルほど離れて離れているところにあった。 夫妻がすんでいる家の大家は、ムッシュ・ルイという。彼の奥さんは結婚当時料理が下手だったので、彼が料理本をプレゼントしたところ、奥さんの料理の腕が開花し、めきめき上達したという。そして、今では村一番の料理長となってしまった。村で行事があると、必ず彼女が呼ばれ、大いに腕を振るっていた。 炭鉱の村で楽しみが少なく、鉱区から出ると、まずは数少ないバーに直行して必ずアブサン酒を飲むという。アブサン酒はアルコール度数が高く、70パーセントから低くても40パーセントほどもある。水で割って飲むのだが、水を加えると牛乳のように白くなる魔法の飲み物である。 炭鉱の暗い場所から太陽のもとに出たときには、この酒を飲むとホッとするそうである。「今日も一日、無事生きながらえた」という祝いの酒でもあるという。 この助教授の家にはガスの設備はなく、石炭を使って料理するのだ。この村ではガスを使っている家は少ないという。フランスの地方には、このような村が散在しているという。花の都パリとはかけ離れた生活である。 ルイの奥さんの話では、この付近でエスカルゴが獲れるという。獲ったエスカルゴは約1ヵ月間暗いところに置いておくと、砂を吐き出してきれいな体になる。その後、白ワインと香料を入れ、3時間ほどゆっくり煮る。その後、好みの料理にするのだという。このあたりは香草の宝庫でもあった。 助教授の裏庭で、長テーブルを囲んで昼食をいただく。夫妻を囲んで10人ほどであり、それぞれ持参した料理をテーブルに並べ、久しぶりに日本人だけの昼食会となる。 私も何か手伝おうとしたのだが、「いやいや、今日はお客さんですから、ゆっくりしていってくださいよ」と助教授に言われ、お言葉に甘えることにする。炭鉱の村のため、観光客が訪れることもないという。ラベンダーの花に囲まれ、「これが南仏らしい生活なんだなぁ」と感慨に浸る。『ちょっとケニアに行ってくる』1:はじめに
2024.01.27
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図書館で「ちょっとケニアに行ってくる」という本を手にしたのです。パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくるまず「はじめに」から、見てみましょう。p5~9<はじめに ケニアのレストラン奮闘記> この日のメインデッシュは、山羊の丸焼きである。 ケニアの人々は焼き肉が大好きだ。いたるところに肉やがあり、そこで自分の欲しい肉を必要な分量だけ買い、その場で焼いてもらう。なんと、フィレ肉を除いた他の部位はみな同じ値段なのだ。 私もときどきお母ちゃんとこれらの焼き肉を食べたものだ。1キログラムくらいの肉なら、二人でぺろりと平らげてしまう。 ケニアの人は、肉さえあれば文句は言わない。もちろん、歯が丈夫なことが条件である。 この焼き肉に必ずついてくるのが、「カチュンバリ」というサラダである。トマト、玉ネギ、ニンニク、コリアンダーを細かく刻んで、好みに合わせて塩、唐辛子をごく少量加えるだけのシンプルなものだが、爽やかな香りが肉料理にぴったりなのだ。 これらの材料をフードプロセッサーにかけてみたら、こんなにも味が違うものかと感嘆するほど旨い。さらに一晩寝かせてみると、一段と美味しさが増しているではないか。シチューのように、一晩寝かせた方が旨いことを発見したのだ。以来、このソースが病みつきとなる。 さて、その日のお客さまは、ケニアの公供大臣である。 数日前に大臣から電話があり、「ミスター・イケダ、次の日曜日に私の家でパーティーをするので、料理の出前を頼みますよ」 というのである。そこで、私のレストランのコックとウェイターを引き連れてやってきたのだ。 大臣の屋敷は、それはそれは大きなものだった。三エーカーほどもあるという。日本の坪に換算すると、約3600坪にあたる。この屋敷には第一夫人とその家族が住んでいた。大臣には四人の妻があり、そのうちの一人はイギリス人だった。 彼女はふだんから私のレストランを利用してくれていた。大臣とは別行動だったが、ご主人と一緒のところを人に見られたくなかったのかもしれない。 大臣のように複数の夫人を持っているのは、イスラム教の人たちばかりではない。そのうえ恋人までいるのだ。 うらやましい限りだが、しかしそれは「体力」と「経済力」がなくてはできない相談である。この高いハードルに挑戦しようとは思わない。 これもビジネスの一環であろうか。「何を言うか。悔しかったらやってみろ」 と言われそうである。 私が600坪の雑木林を切り開いて、林庭つきレストラン「シェ・ラミ」を開業したのが、1996年8月6日。店のキャッチフレーズは、「スリー・コーナーズ・オブ・ザ・ワールド」つまり、和洋中料理である。 もともとは私の専門分野であるフランス料理だけを提供するつもりだったのだが、店のディレクターでもあるお母ちゃんが、「お父ちゃん、ナイロビには日本人もいるのだから、和食も入れた方がいいわよ」 と言うので、なかば強制的に和食が加えられたのである。 ケニア人であるお母ちゃんの持ち株が六割、私は四割。これはケニアでビジネスを始めるときの外国人の持ち株と決められている。この配分からしたら、お母ちゃんの意見を受け入れざるを得ないのだ。 急きょナイロビで知り合った中国人の陳さんに弟子入りして、簡単な中華料理を教えてもらった。これで和洋中がそろったわけだ。 私が目指すのはフュージョン料理だから、これでよいのだ。 レストラン「シェ・ラミ」は、その後、客席30席の本店のほかに40隻の新店舗を作り、さらにバーレストランが人気で、お客さまが集中してしまうので、旧店舗は特別室として利用していた。 あまりの忙しさに、「ローラースケートでもあれば、もっとスムーズに仕事ができるのになぁ!」 と思ったものだ。「シェ・ラミ」とは、フランス語で「友だちの家」を意味する。その名の通り、日本人はもちろん、欧米人から地元ケニアの人々が誘い合わせて来てくれるレストランとなっていた。 開店当初から、アフリカでさんざんお世話になった鴻池組の皆さんの絶大なる支援や、大使館はじめ現地の日本人たち、そしてケニアの人々がランチにディナーにと料理を楽しんで店を盛り上げてくれたおかげなのだ。 毎週金曜日と土曜日はことのほか忙しく、席がすべてふさがってしまい、お客さまには外で待っていてもらうほどだった。「シェ・ラミ」という名の通り、ケニアにいる世界中の人々が集うレストランだった。「小切手で支払いたい」と言って、現金払いを促すお母ちゃんと押し問答になった国連勤務のデンマーク人。「ここで結婚披露宴を開きたい」と言って、バラの飾りつけの中で皆の祝福を受けた赤十字社のスイス人カップル。 はるばる日本からやってくる旅行者も、後を絶たない。 そして、レストランに不慣れで右往左往のケニア人スタッフたち・・・。 日本では想像もできない奇想天外な事件が巻き起こるオドロキの毎日。難問が降りかかった時、悪者に啖呵を切り、パーティ用の店の飾りつけに才能を発揮し、バッサバッサとさばいていくのがケニア人のお母ちゃんなのだ。
2024.01.26
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図書館で「メルケル 世界一の宰相」という本を手にしたのです。東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。【メルケル 世界一の宰相】カティ・マートン著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界で最も権力を持った女性宰相メルケル。その想いと人生を描き切った決定的評伝。<読む前の大使寸評>東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。rakutenメルケル 世界一の宰相「第15章 トランプ登場」でメルケルのトランプ評価の「続き」を、見てみましょう。とにかく・・・アメリカ人が唱えるアメリカ第一主義の危険性が気になるのです。p332~335<第15章 トランプ登場>■アメリカはもはや信頼できるパートナーではない トランプが大統領に就任してちょうど4ヶ月後、西側の国際秩序にけんか腰で異議を唱えるトランプに対し、ついにメルケルは返答することにした。滑稽なほどドイツらしい場所で・・・。 ミュンヘンのテント張りのビヤホールで、伝統衣装の半ズボンをはいて地元産のビールのグラスを掲げる赤ら顔の男たちや、伝統衣装のディルンドルを着て給仕する女たちに囲まれながら、メルケルはガツンと言ってのけた。アメリカはもはや信頼できるパートナーではない、と。 彼女はこの言葉を、ビールを飲みに集まった連中に向けて言い放ったわけだが、もちろん世界中に届くことを意識していた。 同じ月にシチリアで開催されたG7サミットでも、メルケルは同様な発言をしている。「全面的に他人を頼りにできる時代はある程度終わった」・・・この“ある程度”というのがいかにもメルケルらしい。何事も断定的に決めつけるのを嫌い、事態が思っていたより良い結果になる可能性も残そうと、常にドアを少し開けておくのだ。そのようなメルケルが、珍しいほどはっきりと言い切った。「我々ヨーロッパ人は、自分の運命を自らの手で握らなければならない。私はそう確信しています」 後にメルケルは言い足した。「もちろん我々は米国や英国、そしてロシアを含めた近隣諸国と友好的な関係を保つ必要があります。しかし、我々は自らの未来を自らの手で勝ち取らねばならないのです」もはやアメリカはドイツにとってロシアと同様、居並ぶ“友好国”の一つに過ぎない・・・この辛い事実は、歴史の一つの分岐点であった。「今やアメリカ第一主義を堂々と信じる人物が大統領なのです」とメルケルは言った。彼女はドイツを最優先することを決して誇りに思ったりはしないだろう。ちらりとでも愛国精神を見せつける行為を、彼女は本能的に嫌う。自分の国のどこが好きかと聞かれると、おどけてこう答えるのが定番だ。「嵐にも負けない優秀な窓があるところね」かつてCDUの晩餐会で、各テーブルに飾られた小さなドイツ国旗をすべて撤去するよう求めたこともある。 だが、トランプのせいでメルケルは、意に染まぬ行為をせざるを得なくなった。「我々にとってこれは、ヨーロッパの理念と価値観を我々自身で守らねばならないということです」と彼女は続けた。ブレギジットで支柱の一本を失った欧州連合が、どのようにそれを実現するのか、答えはまだ見えていない。それでも、メルケルの力強い言葉は欧州諸国のどのリーダーの言葉よりも大きな意味を持つ。 アメリカにとってドイツは、とりわけその首相は、欧州における最も強固な同盟相手であり続けてきた。おそらくドイツより強固な同盟相手はイギリスだけだろう。メルケルは将来に向けた新しい航路を、以前よりも欧州を中心に据えて描き直している。とはいえ、ワシントンとの絶交を検討するには、メルケルはあまりに用心深かった。そのうえ、ドイツが安全保障面で引き続き米国の傘を必要としていることも、十分過ぎるほど理解していた。(中略) 記者会見の間、感情を表わさないメルケルの鉄のような自己コントロールが一瞬崩れた場面があった。トランプが突然、退役軍人の扱いに関してアドリブの発言をした時だ。「我が国の退役軍人にひどい仕打ちをするやつらがいたら、我々は即座にそいつらをクビにしてやる! ドイツのクビ切りと同じくらい素早くだ!」・・・トランプはメルケルに顔を向けながらそう言った。彼女は驚きのあまり眉(時として最も豊かに彼女の感情を代弁する部位)をつり上げた。「私たちが過去から何を学んだか、次の10年で明らかになるでしょう」トランプとの昼食を終えた後、メルケルは言った。「もしくは、何も学んでいないか、です」。寡黙なメルケルはこれだけしか言わなかったが、十分に言いたいことは伝わった。 『メルケル 世界一の宰相』1:メルケルのトランプ評価
2024.01.26
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図書館で「メルケル 世界一の宰相」という本を手にしたのです。東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。【メルケル 世界一の宰相】カティ・マートン著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界で最も権力を持った女性宰相メルケル。その想いと人生を描き切った決定的評伝。<読む前の大使寸評>東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。rakutenメルケル 世界一の宰相このところ、共和党予備選で圧倒的な支持率をとりつけるトランプであるが・・・「第15章 トランプ登場」でメルケルのトランプ評価を、見てみましょう。p319~321<第15章 トランプ登場> トランプは歴史上の独裁者についてあまりよく知らないようだが、ドイツ人は彼らのことをよく知っている。とりわけメルケルと同世代のドイツ人はそうだ。ナポレオン一世やヒトラー、そしてスターリンが、フランスやドイツやソビエトを“偉大な国”にして自らの権威を高めようとした結果、欧州は荒れ果て、墓地は死体であふれた。 戦争を体験した世代がいなくなったらどうなるのか・・・首相としての最後の数年間、メルケルはこうした懸念をひんぱんに口にするようになる。「なんらかの優位を取り、そこをしっかり守るのがいい」。トランプの勝利が決まった後で、オバマはメルケルにそう助言した。聞くと行うとではまったく異なる助言であった。 トランプのような人物を民主主義的な考え方に改宗させることができると思うほど、メルケルは世間知らずではない。だが、自分がそれなりの優位を守っている限り、自らの信じる価値観を人々に訴え、世界が地滑りのように無秩序になっていくのを全力で防ぐことができると思っていた。その時メルケルはまだ知らなかったのだ。 ただ“守る”だけでも、尋常でない楽観主義とギリシャ神話のシジフォス並みの忍耐力が必要であることを・・・。 共和党の大統領予備選挙の間、トランプは政敵を一人ずつやり玉に挙げては侮辱し、相手の名誉を傷つけてきた。だが、同盟を結んだ国家の集団をいじめるのは、権力を笠に着て個人攻撃するよりも難しい。西側同盟を一枚岩のままで守ることが、メルケルの最大の目標となった。彼女は世界中の市民に向け、自国中心ではなく世界全体のために行動するよう訴えることになる。 人々に訴えかけて影響を与えようというのは、メルケルのように言葉の力に懐疑的で、その使い方も上手でない人物が自然にできることではない。だが、民主主義が支援を必要とした時、アンゲラ・メルケルは底力を発揮してそれをやってのけたのである。<「プレイボーイ」とリアリティ番組で入念な“予習”> ドナルド・トランプとの初会議に備えるため、メルケルは1990年の「プレイボーイ」誌のインタビューを読んだ。はるか昔のものなのに、発言内容は今と変わらぬ罵詈雑言と“負け犬”への侮辱、そして自己賛美のオンパレード・・・長い時を経て今や世界中がよく知るようになるトランプそのものだった。 当然ながら、メルケルの好む謙虚さはどこにも見られない。それでもインタビューは参考になった。彼の社会ダーウィニズム(適者生存)的な価値観の萌芽が読み取られたからだ。「私は他人を信用せず、敵をたたきのめす(ことが好きだ)」とトランプは誇らしげに語っていた。 また、この古いインタビュー記事から、トランプがドイツに対して奇妙な敵意を抱いていることも読み取れた。当時はまだおふざけだった「もしトランプ大統領が誕生したら、大統領執務室で最初にすることはなんでしょう?」という質問に答えて「この国になだれ込んでいるメルセデス・ベンツに一台残らず税金をかける」と述べている。(中略) ヒトラーが大集会を活用した事実をよく知るメルケルにとって、最もショッキングだったのは、トランプがアメリカの中西部で行った選挙集会だ。とりわけ衝撃的だったのは、トランプが聴衆の怒りの矛先を民主党大統領候補ヒラリー・クリントンに向けさせ、攻撃的な口調で「彼女を投獄しろ! 彼女を投獄しろ! 」とみなが一斉に叫んだ場面である。 ホワイトハウス入りすれば彼もかわりますよ・・・メルケルを安心させるため、ホイスゲンが言った。「彼は決して変わらない」とメルケルは答えた。「選挙で彼を選んだ人々のために、公約を実行するでしょう」。 トランプ時代を生き抜くためには、「謙遜」よりはるかに強烈な資質をいくつも発揮する必要がある・・・メルケルはそのことをわかっていた。まず最初に、最大限の自己抑制を発揮しなければならない。というのも、トランプという人物が世間からの評価を熱烈に欲しがっており、それを得た他人には嫉妬心を燃やすことがわかっていたからだ。
2024.01.25
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その63):「「宗教の本領」とは何か?」を追記2024-01-19 朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か?よりもちろん、スーパーマンだって「アイデンティティーの危機」には遭遇します。例えば、スーパーマンが活躍して悪人と戦うとき、巻き添えで市民が傷ついたりすることがあります。すると、その犠牲者の家族が「スーパーマンのバカ野郎。この人殺し」と罵ったりすることがある。つねに歓呼の声に迎えられることになれているスーパーマンは、その言葉に深く傷つき、アイデンティティーの危機を迎えて、鬱状態になります。でも、何かのはずみで再びヒーローとして活躍する機会に恵まれ、市民たちから「ありがとう」と感謝の言葉を浴びると、鬱から癒されて、もとのスーパーヒーローに戻る・・・こういう物語を僕たちは飽きるほど見せられてきました。 アメリカの「ヒーローもの」物語のパターンはすべて同じです。「ほんとうの自分に出会うと人間のパフォーマンスは爆発的に向上し、アイデンティティーが揺らぐと無力になる」。そういう話です。「別人になる」という解はないんです。 ときどき、鬱状態のヒーロー(ウルヴァリンとかランボーとか)が山の中とか外国のスラムとかに「隠棲」するというエピソードはありますけれども、それは「別人」になっているわけではなく、一時的に「偽名」を使っているだけで、そのうちに誰かが探しに来て、困難なミッションを託されて、再びヒーロー復活・・・という展開になるのです。必ず。 欧米型ヒーロー物語は「ほんとうの自分の発見」、ほとんどそれだけを中心に展開します。 でも、これまでの東アジア文化圏では、「ほんとうの自分の発見」ということはほとんど問題になったことがありません。さすがに今では欧米の影響で、そういう考え方をする人が増えてきましたけれども、これはせいぜい20世紀後半からの話です。 修行というのは、「連続的な自己刷新」のことですから、「ほんとうの自分」なんていうものはどこにもありません。昨日の自分と今日の自分は「もう別人」であるというのが修行のかんどころです。 教育論でもよく僕は「呉下の阿蒙」の話や、「名人伝」の紀昌の話を引きますけれど、どちらも「長い努力の末、昔の自分とは似ても似つかぬものになった人」の話です。それが東アジアでは「人格陶冶の正しい道」とみなされてきました。何よりたいせつなのは「今の自分」に居着かないことです。だとしたら「アイデンティティー」が問題になることはあり得ません。 修行は東アジアに固有の「自己陶冶」のあり方です。僕は武道修行を通じて、それを実践してきました。 釈先生は僕の武道に向かう態度やあるいはレヴィナス先生に仕える「弟子」の作法を見て、そこに「仏道修行に通じるもの」を感じて、「宗教の本領」という言葉を口にされたのではないかと思います。こんな説明でご理解頂けたでしょうか。2023-12-29 「『街場の米中論』を読んで」より「カウボーイ」が存在したのは、1865年~1890年までの僅か約25年のことで、しかも最下層労働者である「カウボーイ」は、黒人やインディアン、中国人と雑多な人種から形成されていたという事実である。そんな、我々が西部劇で見るような風景と、実際とが全然違うはずなのに、アメリカ人は、カウボーイを「アメリカ的男性のロールモデル」に仕立て上げ、アメリカ人の無意識的な欲望を盛り込まれた幻想的なアイコンになった。 アメリカにおける「カントリーミュージック」の由来は、遅れてきた移民に由来する。彼らには、居住する場所が残されておらず、主にアパラチア山脈の麓に住み始めた。彼らは、「ヒルビリー」という蔑称で呼ばれていた。アメリカには、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オウキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。なかでも「ヒルビリー」については、その情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相〇を繰り返しているなど。これら、蔑称の総称が「ホワイト・トラッシュ」である。 当時、「ホワイト・トラッシュ」に関する映画を調べていたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。この作品は、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているといってもいいだろう。 そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。 アメリカ人は、「ホワイト・トラッシュ」への自責の念からか、どこかで恐怖を覚えている。「ガース・ブルックス」の登場は、1989年である。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、12月3日のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、アメリカは「冷戦後」に突入する。そんなときに必要だったのは、「あるべきアメリカの姿」だったのではないだろうか。そんな「あるべき姿」として、自分たちが蔑んできた「ホワイト・トラッシュ」への差別を一回捻ったうえで、「カントリーミュージック」に託したのではないだろうか。2023-11-16 月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」より― ウクライナ戦争に続いてイスラエル・ハマス戦争が起こりました。この事態をどう受け止めていますか。内田 強い衝撃を受けました。これまでもイスラエルとパレスチナは衝突を繰り返してきましたが、今回は暴力性の次元が違うと感じます。イスラム組織ハマスがパレスチナ自治区ガザから攻撃を仕掛け、イスラエルは「戦争状態」を宣言して以来、徹底的な報復攻撃を行っています。欧米はイスラエルの自衛権を支持していますが、「これは自衛の範囲を超えている」と批判している国も多くあります。 でも、今回の事態を何と表現すればいいのか、私にも実はよく分からないのです。これは近代的な国民国家間の戦争ではありません。かといって、ポストモダン的な非国家アクターによるテロではないし、単なる民族抗争、宗教戦争とも言い切れない。そのどれでもなく、そのどれでもあるような、複合的な戦いが起きている。このような事態を適切に表現する言葉を私たちは持っていないという気がします。私たちはまず「何が起きているのかうまく説明できず、解決方法もわからない」というおのれの無知と無能を認めるところから出発する必要があると思います。 ただ、イスラエル側の認識には前近代的な宗教戦争や「聖戦」思想に近いものを感じます。今回、ハマスは非戦闘員を含むイスラエル国民を無差別に虐殺しました。これについてネタニヤフ首相はハマスを「新しいナチス」と呼び、演説では「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解を示しました。イスラエルの国防大臣は「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」とまで言い切りましあ。イスラエルによれば、今回のハマスとの戦闘は、二つの国家がそれぞれの国益を守るために行う「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。 戦時国際法では、攻撃してよいのは敵戦闘員か軍事基地などに限られます。降伏者、負傷者、病人などの非戦闘員は攻撃目標にしてはなりませんし、医療施設も教育施設も宗教施設なども軍事目標にしてはならない。もちろん、実際の戦闘においては、市民や非軍事的な施設が「巻き添えを食う」ことは避けられませんが、それでも交戦時には「巻き添え被害」を最小限にとどめることがすべての軍隊には求められています。 しかし、今回のイスラエルのガザ空爆は敵国の構成員は原理的にはすべて潜在的な戦闘員だという理解に基づいています。たしかに戦闘員と非戦闘員の線引きは困難ですけれども、交戦に際しては、その線引きのために最大限の努力をすることが求められている。自分が殺そうとしている相手が戦闘員か非戦闘員かがわからないときには、引き金を引くことを「ためらう」ことを求めている。それは正義の実現とはほど遠いけれども、犯さなくてもよい罪は犯さない方がいいと命じている。ことは原理の問題ではなくて、程度の問題なんです。 ところが、今回イスラエルは、敵国の構成員である以上、子どもも大きくなれば兵士になるかも知れないし、医療施設で治療を受けた人間は治癒すれば前線で戦うかも知れないという理屈で「子どもも殺すし、病院も爆撃する」ことを正当化している。「ジェノサイド」と呼ばれるようになったのは、そのためです。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.01.25
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図書館で『座右の銘はない』という本を手にしたのです。おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪【座右の銘はない】 石毛直道著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より自分が「おもろい」を追求、「食文化」のパイオニアに。学術探検・民族資料収集で辺境の地を駆け巡り、世界各地の生活や文化を考えていくと、人々がなにをどのように食べているか、が主たる研究分野になっていた。<読む前の大使寸評>おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪rakuten座右の銘はない「第四章 食を文化として研究する」で、日本食調査を見てみましょう。p129~<海外の日本食調査> 農水省の調査によると、2017年における海外の日本食レストランの店舗数は、前回調査(2015年)の三割増の約11万8千店にのぼるという。ちなみに東京都全体での飲食店数は約8万店である。 日本貿易振興機構(JETRO)が台湾、香港、米国、フランスでおこなったアンケート調査によると、「が愛国料理で好きなもの」の第一位が日本料理、二位が中国料理、三位がイタリア料理であった。また「」の第一位が食事で62.5%であった。 わたしが海外に出かけるようになった1960年代、世界で日本料理店があったのは、旧植民地であった朝鮮半島、台湾と、日本人移民がおおく、ジャパニーズ・タウン(日本人街)が形成されたロスアンジェルス、ホノルル、サンフランシスコ、サンパウロなどの都市にかぎられていた。 食文化研究に着手する以前のわたしは、日本食が世界性を獲得するのは困難であろうと考えていた。世界のほとんどの地域で、肉や油脂、香辛料を多用した料理がご馳走とされているのにたいして、そのような料理の伝統が希薄で、魚と野菜を主役とし、スシや刺身などの生魚料理をご馳走とする伝統的日本食は特殊すぎて、海外で評価されることはむずかしいだろうと思ったのである。 当時の日本の食文化の産物で世界性を獲得しつつあったのは、味の素、醤油、即席麺であった。これらの食品工業の製品は、日本人の食文化をはなれても世界的商品となりえる。しかし、日本の伝統文化の文脈のなかではぐくまれた日本料理の味が、海外で理解されるのは困難だろうと考えたのである。 わたしの予想は見事にくつがえった。1970年代末に、ニューヨークとロスアンジェルスを拠点に、アメリカでスシ・ブームがおこったのである。 その頃には食文化研究を開始していたわたしは、同僚の小山修三さん(現在、民博名誉教授)らとロスアンジェルスの日本料理店の調査をした。さいわい、この調査にはトヨタ財団の研究助成をうけることができた。 1980年に、ロスアンジェルスのリトル・トウキョウという日本人街を中心に50軒ほどの日本料理店を訪問してインタビューや料理の記録をし、日本食に興味を持つ約五百人のアメリカ人に70項目におよぶアンケートを依頼した。アンケートの質問項目には、「日本食」ということばから連想される単語を三語記入してもらう欄があった。回答を集計してみると、「テンプラ」、「スシ」、「テリヤキ」、「サシミ」といった料理名と、「魚」、「野菜」といった食材名が上位を占めていた。 注目されるのは、「健康的(healthy)」、「軽い(light)」、「生(raw)」、「単純(simple)」、「清潔(clean)」、「美しい(beautiful)」ということばも上位を占めていることである。 いっぽう、「アメリカ食」ということばから連想される単語を記入してもらった結果の集計では、「ハンバーガー」、「ステーキ」、「ホットドッグ」というアメリカを代表する食べものが上位三位を占め、「よい(good)」という単語もあらわれるが、「脂っこい(greasy)」、「肥る(fattening)」、「おもい(heavy)」という、油脂を多用するアメリカ食は肥満につながる非健康的な食事であるというイメージをしめす単語が上位を占めている。 栄養過多による生活習慣病が社会問題となったアメリカでは、魚、野菜、米を素材として低カロリー、低コレステロールの日本食が「健康によい食事」と評価されるようになったのである。『座右の銘はない』2:京都大学大サハラ学術探検隊『座右の銘はない』1:梅棹忠夫さんの付き合い
2024.01.24
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図書館で『座右の銘はない』という本を手にしたのです。おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪【座右の銘はない】 石毛直道著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より自分が「おもろい」を追求、「食文化」のパイオニアに。学術探検・民族資料収集で辺境の地を駆け巡り、世界各地の生活や文化を考えていくと、人々がなにをどのように食べているか、が主たる研究分野になっていた。<読む前の大使寸評>おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪rakuten座右の銘はない「第二章 京大探検部から人文研へ」で、アフリカ調査を見てみましょう。p66~70<アフリカ調査>■リビア砂漠 東アフリカのタンザニアから帰って9ヶ月後の1967年12月には、「京都大学大サハラ学術探検隊」の隊員として、北アフリカのリビアに旅立つことになった。「サハラ」とは、アラビア語で「荒れ地」を示す普通名詞である。それが固有名詞化して、現在のサハラ砂漠という地名になったのである。この探検隊はサハラということばの原義にもどって、サハラ砂漠をふくむ北アフリカの砂漠地帯とその周辺を調査しようということで、「大サハラ」学術探検隊と名乗っている。 さまざまな分野の研究者19名に新聞記者やテレビ取材チームが参加した26名の隊員で構成された大調査隊である。 本体は、4台のランドクルーザーで、アルジェリアからサハラ砂漠を縦断し、西アフリカにいたる2万5千キロを走破する古典的な遠征調査をおこなった。 わたしが参加した別働隊の「人類班・リビア支班」は、リビア砂漠のオアシスに滞在して、農業と遊牧の調査する目的のチームで、梅棹忠夫さんと谷泰さんとわたしの三名で構成されていた。三人とも人文科学研究所の所員であった。この調査当時の谷さんは、わたしとおなじく助手であった。牧畜や西欧文化に詳しい谷さんは、のちに人文科学研究所の所長を務めることになる。 その頃、リビア入国の査証を取得するには、パリのリビア大使館に出頭しなければならなかった。パリへ行くため、わたしは船でウラジオストクに着き、雪のシベリア鉄道全線を8日間乗ってモスクワに到着し、そこから航空機でパリに到着することにした。時間はかかるが、当時それがいちばん安上がりのコースであった。旅費を節約して、その分をリビア調査の終了後、「おもろいこと」に使おうともくろんでいたのである。 パリで日本から飛行機で到着した谷さんと落ちあい、空路アルジェリアの首都アルジェに行き、そこから鉄道でチュニジアの首都チュニスに行き、そこから長距離バスでリビアの首都トリポリに着いたのが1968年1月1日であった。日本からリビアまで、約1ヶ月の旅であった。 谷さんとリビア南部のフェザン地方のオアシスで、砂漠での遊牧とオアシス農業についての調査をした。3月には、そこへ梅棹さんもやってきた。オアシスの村の民家を借りて住み、三人で毎晩討論をしていたので、梅棹研究室の共同研究会がリビアに引っ越ししてきたようなものであった。 滞在時の食事は、わたしが担当していた。魚のない砂漠地帯での生活にそなえて、トリポリで買っておいた干ダラをうまくもどして薄切りにし、オアシスで手にいれたニワトリをつぶして、砂肝とササミを薄く切ってだしたら、梅棹さんにおどろかれた。「石毛は砂漠で刺身をつくりよる」とのちのちまでいわれる羽目になった。 4月のはじめ、梅棹、谷の二人は帰国の途についた。帰ったら、すぐさま新学期の講義や公務が待ちかまえている。わたしは、あと2カ月出張を延期することが可能だった。この残された期間に「なんぞ、おもろいことをしたろう」と考えていた。 そのひとつは、カメラとノートをもっただけで、遊牧民のテントに居候させてもらい、ラクダの遊牧についていったりして、遊牧生活を体験することである。これは「学問的におもろい」ことであった。 もうひとつは、無人のリビア砂漠を縦断して、南のサバンナ地帯であるチャド、ニジェール方面に行くことである。それは北アフリカの沙漠縦断路のなかで、いちばん知られてないルートで、探検の対象とされていた。わたしは「探検家としておもろい」ことをすることにした。トリポリで知り合ったリビア人の実業家の手配で、冒険商人たちが企画した沙漠縦断のトラック・キャラバンに便乗することにしたのである。 地中海貿易でリビアに集荷した世界各地の商品を、海から遠いアフリカ中央部のチャドやニジェールの奥地に運ぶと、数倍の値段で売ることが」できる。そこでリビアの冒険商人たちが、トラックに商品を積んで沙漠を縦断するキャバンを企画することがあるのだ。 わたしの乗せてもらった大型トラックの荷台には、チャドで自動車燃料や自家発電に使用されるディーゼル・オイルをいれたドラム缶20本、食品の缶詰数百ダース、服飾用の日本製のプリント生地、中国製の紅茶などが格納されていた。荷台に、これらの商品を山積みにして、そのうえにチャドでこれらの商品を売りさばく冒険商人たちが乗っている。彼らは日陰で40度以上ある高温の沙漠での強烈な日光と、砂煙にさらされながら旅するのである。『座右の銘はない』1:梅棹忠夫さんの付き合い
2024.01.24
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<満州あれこれR16>『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んでいるのだが・・・このところ集中的に満州関連の本を読んでいるので、その本やメディア情報を集めてみました。・ 映画パンフレット『ラストエンペラー』(1988年刊)・『韃靼漂流記』(1991年刊)・『張学良の昭和史最後の証言』(1995年刊)・『満州の誕生』(1996年刊)・『満州鉄道まぼろし旅行』(2002年刊)・『馬賊で見る「満州」』(2004年刊)・『満州事変から日中戦争へ』(2007年刊)・『マンチュリアン・リポート』(2010年刊)・『カズオ・イシグロ』(2011年刊)・『絶滅寸前の満州語』(2013年9月朝日)・『「満州国化」する日本』(2014年1月朝日)・『太平洋戦争入門』(2016年刊)・『天子蒙塵(1)』(2016年刊)・『天子蒙塵(2)』(2016年刊)・『天子蒙塵(3)』(2018年刊)・『天子蒙塵(4)』(2018年刊)・『日中戦争前夜 絡み合う思惑』(2018年朝日)・『歴史講義満州事変』(2018年刊)・『火の鳥 54』(2020年朝日)・『満州国のラジオ放送』(2020年刊)・『地図と拳』(2022年刊)・『満州国グランドホテル』(2022年刊)南満州鉄道株式会社 経営施設概要R16:『満州事変から日中戦争へ』『満州国グランドホテル』を追加*****************************************************************************<映画パンフレット『ラストエンペラー』>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。今時の映画パンフレットは、だいたい700円くらいするので手元不如意の大使は手がでないのです。【ラストエンペラー】ベルナルド・ベルトルッチ監督、1987年イタリア・中国制作<商品の説明>より映画パンフレット「ラスト・エンペラー」(1988年刊)、出演 ジョン・ローン/坂本龍一/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/高松英郎/立花ハジメ<大使寸評>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。amazonラストエンペラー映画パンフレット『ラストエンペラー』2:幻影の王国とスペクタクル映画パンフレット『ラストエンペラー』1:関東軍によってつくられた「満州」という国*****************************************************************************【韃靼漂流記】園田一亀著、平凡社、1991年刊<カスタマーレビュー>より 17世紀の半ば、越前国新保村の竹内藤右衛門ら58名は、松前貿易のために三国浦を船出しますが、航海中暴風のため難破の憂き目に遭い、今の沿海州ポシエット湾の辺り、「韃靼」の地に漂着します。仲間の大半は現地民とのトラブルにより非業の最期を遂げますが、生き残った15名は瀋陽を経て北京に送られ、当局の保護の下、暫し北京滞在の日々を送ることとなります。<読む前の大使寸評>興味深い史実であるが・・・ぱっと見とにかく、漢字の密度が多い文章である。歴史的仮名遣いは丸谷才一さんほどではないけど、読みにくいことこの上ないのだ。amazon韃靼漂流記『韃靼漂流記』7:北京留置の理由『韃靼漂流記』6:北京の見聞談、満州語の紹介『韃靼漂流記』5:奉天官憲の取調べ『韃靼漂流記』4:韃靼国の都・奉天までの旅『韃靼漂流記』3:下手人の素性『韃靼漂流記』2:遭難の状況『韃靼漂流記』1:著者による序言*****************************************************************************【張学良の昭和史最後の証言】臼井勝美編、角川書店、1995年刊<「BOOK」データベース>より関東軍により爆殺された張作霖の長男、張学良。父を敬愛し、頭脳明晰であった彼はまた、プレイボーイと呼ばれ、西洋人と交流する一面も併せ持っていた。西安事件で蒋介石を監禁し国共合作を迫った張学良は、以来半世紀をこえる幽閉生活を送ってきた。そしてついに沈黙を破り、その数奇な生涯と日中に横たわる謎がときあかされた―。張作霖爆殺事件から西安事件までの日中秘話。<読む前の大使寸評>おお この本の発刊時(1995年)、張学良は生きていたのか・・・近代史の生き証人の感があるで♪amazon張学良の昭和史最後の証言『張学良の昭和史最後の証言』5:エピローグp254~257『張学良の昭和史最後の証言』4:満州の政治状況p88~90『張学良の昭和史最後の証言』3:張作霖死亡時の張学良の行動p71~74『張学良の昭和史最後の証言』2:日本訪問p41~44『張学良の昭和史最後の証言』1:プロローグp13~16*****************************************************************************【満州鉄道まぼろし旅行】川村湊著、 文藝春秋、2002年刊<商品の説明>より超豪華特急「あじあ号」でめぐる建国の旅大連、旅順、奉天……。特急「あじあ号」に乗って、満州全都市と三大温泉を巡る架空旅行記。昭和12年当時の資料を元に書き上げた。<読む前の大使寸評>追って記入amazon満州鉄道まぼろし旅行*****************************************************************************【満州の誕生】久保尚之著、丸善、1996年刊<「BOOK」データベース>より19泊20日にもわたる“満鮮支”修学旅行を体験し、卒業後は就職の場を求めて大陸へと渡っていった商業学校の生徒たち。満鉄総裁になった旧友・中村是公の招きで満州を訪れた夏目漱石が、その目でとらえ、書き残したもの。アメリカの鉄道王が日本政府とかわした満鉄共同経営の約束を電報一本で反古にされた「ハリマン事件」の真相など、日本の敗戦とともに消滅した“満州”にまつわる歴史と人の生きざまを掘り起こす。<読む前の大使寸評>副題に「日米摩擦のはじまり」とあるように・・・日本だけが悪者だったわけでもないようです(当然だけど)amazon満州の誕生『満州の誕生』4:ニッポンの帝国主義メカニズム『満州の誕生』3:中国の民族主義『満州の誕生』2:アメリカの陰謀『満州の誕生』1:児玉・後藤の移民政策*****************************************************************************【馬賊で見る「満州」】澁谷由里著、講談社、2004年刊<「BOOK」データベース>より馬賊が誕生した清末期。あるものは官憲の銃弾に倒れ、あるものは混乱を潜りぬけ略奪者から脱却し、軍閥の長として中原の覇権をうかがう。覇権に最も近づいた男=「東北王」張作霖とその舞台の激動の歴史をたどり、併せて日本にとって「満洲」とは何だったのかを考える。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/01予約、10/06受取)>rakuten馬賊で見る「満州」『馬賊で見る「満州」』5:間島地域『馬賊で見る「満州」』4:日清戦争の衝撃『馬賊で見る「満州」』3:清朝滅亡時の国家組織『馬賊で見る「満州」』2:中国最後の王朝・清朝『馬賊で見る「満州」』1:馬賊誕生の背景*****************************************************************************【満州事変から日中戦争へ】加藤陽子著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「満蒙の沃野を頂戴しようではないか」-煽動の背景に何があったのか。満蒙とは元来いかなる地域を指していたのか。1931年の鉄道爆破作戦は、やがて政党内閣制の崩壊、国際連盟脱退、2.26事件などへと連なってゆく。危機の30年代の始まりから長期持久戦への移行まで。日中双方の「戦争の論理」を精緻にたどる。<読む前の大使寸評>1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。rakuten満州事変から日中戦争へ『満州事変から日中戦争へ』1:張作霖爆殺あたりの軍事的・政治的背景『満州事変から日中戦争へ』2:石原莞爾ら陸軍中堅の考え方『満州事変から日中戦争へ』3:陸軍の対ソ認識、対中認識*****************************************************************************【マンチュリアン・リポート】浅田次郎著、講談社、2010年刊<「BOOK」データベース>より昭和3年6月4日未明。張作霖を乗せた列車が日本の関東軍によって爆破された。一国の事実上の元首を独断で暗殺する暴挙に昭和天皇は激怒し、誰よりも強く、「真実」を知りたいと願ったー。混沌の中国。張り巡らされた罠。計算と誤算。伏せられた「真実」。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenマンチュリアン・リポート*****************************************************************************【カズオ・イシグロ】平井杏子著、水声社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりデビュー作(『遠い山なみの光』)から最新作(『夜想曲集』)までの全作品をとりあげグローバルな作家の全貌にせまる。本邦初のイシグロ論。<読む前の大使寸評>カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したのは2017年であるが、2011年にこれだけの本(本邦初のイシグロ論とのこと)が出ていたことに驚くわけでおます。amazonカズオ・イシグロ『カズオ・イシグロ』2:幻想の上海租界*****************************************************************************<絶滅寸前の満州語>6日の朝日新聞によれば・・・満州族は中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族であるが、漢族との同化が進み、母語の消失がもっとも進んだ民族だそうです。言語の消失は文化の消失とも言えるわけで、他国のこととはいえ、絶滅寸前の満州語の今後が気になるわけです。9/06消えゆく満州語守れ 中国・遼寧省で大学設立の動きより かつて中国大陸を支配した清朝の公用語だったが、今や絶滅の危機にある満州語を教える大学をつくろうと、遼寧省の大学教授が準備を進めている。満州語の文献を読み解ける人材を育て、まだ見えぬ歴史をひもとくのが目標だ。今月には全国の研究者を集めた会議を催し、建学への協力を訴える。 ■人材育て歴史解明目指す 瀋陽師範大学で満州族の歴史や文化を研究する曹萌教授(54)は3年前、遼寧省政府当局に満州語教育や文献保管を兼ねた大学の設立を提案した。満州語が消えゆく現状に強い危機感を抱いたからだ。 曹教授は2003年から東北地方を中心に、満州族の村での資料収集や満州語を話すお年寄りへの聞き取り調査を重ねてきた。清朝前期の公文書や民間史料は満州語だけで書かれている。満州語を操れる人材の育成が不可欠と感じるようになったという。 中国の満州族は10年の国勢調査で1038万人とされる。中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族だ。 だが、1911年の辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受け、49年の新中国成立後も他の少数民族と異なり自治区や自治州は認められてこなかった。80年代に入ってようやく小規模な自治県や民族学校ができた。満州語を母語にする人々はすでに高齢化が進んでいた。漢族との同化も激しく、母語の消失がもっとも進んだ民族に数えられる。2009年にはユネスコから消滅の危機にある言語に指定された。 曹教授によると、国内で満州語を理解し、古い文献も読めるレベルの研究者は10人ほどに過ぎない。北京などに満州族文化の研究機関はあるものの、専門性の高い満州語を教える大学はほとんどないという。 曹教授は「満州語の文献は、多くが解読されぬまま朽ちていったものも多い」とも指摘する。清朝の前身の後金が都を置いた遼寧省撫順市では、山の洞窟に満州族の古い文献や家系図などがトラック5台分ほど保管されているが、軍事的な理由などで警備が厳しい。教授は「普段は閲覧も許されない」と嘆く。 昨年10月、教授が提案した大学設立のための調査研究費として1万5千元(24万円)の予算措置が認められた。今月20日から満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招いた初の会議を開き、協力を訴える。 曹教授は「満州語の継承も研究も、時間との勝負。日本の研究機関との連携も探りながら、若い人材を育て、貴重な民族文化の消失を防ぎたい」。 ■発祥地でも継承難しく 母語消失の危機は満州語発祥の地にも及んでいた。 清朝の発祥地をうたう遼寧省撫順市の新賓満族自治県(人口32万人)。現在、満州族の小学校は1校しかない。校長によると、全校児童約1300人の約94%が満州族だが、「愛新覚羅」など満州族固有の姓を使う児童はいない。 同校は1988年から、児童に満州語を教えてきた。現在も独自の教材をもとに、全学年で1週間に1回の授業を実施しているが、隣接する中学校では満州語を教えていない。校長は「継続性がない」と学習効果に限界を感じている。 満州族の研究者、李栄発さん(67)は、同校の依頼で子供たちに満州語を教えた。昔、生きた満州語が残る黒竜江省の地方都市で満州語の基礎を1カ月間、学んだ経験を買われた。 李さん自身、漢族の言葉「漢語」で育った。初めて出会った満州語は、自民族の言葉なのに全く理解できなかった。戦前に日本が作った満州語と日本語の辞典や、中国国内の満漢字典を使い、単語量を増やしていったという。 90年代には、清朝初代皇帝のヌルハチが後金時代の根拠地にした新賓の城跡「ヘトゥアラ」を観光地にするためのアドバイザーに選ばれた。展示品選びやガイドの育成を任された。 李さんらによると、満州語の母音は六つ。モンゴル語などと同じ、アルタイ語系の言語で、文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語にも似ている。研究者に必要な満州語能力を身につけるためには、少なくとも3年間の勉強が必要という。中国西部の新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族・シボ族は地理的な閉鎖性などから、今も満州語を話している。 李さんは「満州族の歴史や文化を学ぶには、満州語が不可欠だ。体系的な教育制度を設けるとともに、学習後の就職先を確保するなど、文化を守る態勢を構築する必要がある」と話した。(遼寧省撫順市=石田耕一郎) ◆キーワード <満州族> 中国東北地方の先住民族の一つで、かつては女真人とも呼ばれた。清朝をたて、17世紀から3世紀にわたり中国大陸を支配。映画「ラストエンペラー」で知られる最後の皇帝、溥儀は日本による満州国建国に協力した。遼寧省に人口の約半数が集中し、戯曲「茶館」などの作品で知られる作家の老舎も同民族の出身。 新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族は今も満州語を話しているそうで、状況はまだ日本のアイヌ語よりは恵まれているわけですね。でも、満州語の継承も研究も時間との勝負とのことで・・・・待ったなしのようです。 満州は漢字文化圏に埋没しようとしているけど、漢字文化圏の外縁には文字を持っていた突厥帝国などがあったわけで、興味はつきないのです。絶滅寸前の満州語byドングリ*****************************************************************************<「満州国化」する日本> 京大人文科学研究所長・山室信一さんががインタビューで「一元的な政権が米国の傀儡の性格を強めている」と説いているので、紹介します。(2014.01.10デジタル朝日から転記) かつて中国の東北部に、13年間だけ存在した「国」があった。満州国と呼ばれたその国は、高い理想を掲げながら、矛盾と偽りに満ちていた。安倍政権の誕生から1年を経た今、山室信一さんは「いま進んでいることは、日本の満州国化だと思っています」という。2014年の日本は、あの国とどこが似てきているのだろうか(長くなるので省略、全文はここ) 「満州国化」する日本山室信一2014.01.10*****************************************************************************【太平洋戦争入門】洋泉社編、洋泉社、2016年刊<「BOOK」データベース>より満州事変からポツダム宣言受託まで太平洋戦争の全貌に迫る!15年にわたる「戦争の時代」を1年ごとに徹底解説!【目次】はじめに いまこそ知りたい「戦争の時代」の真実/第1章 なぜ開戦は避けられなかったのか?開戦目前!日米英中ソの思惑と世界情勢(日露戦争の勝利を列強はどう見たのか/第一次世界大戦参戦と拡大する領土 ほか)/第2章 満州事変から終戦までの15年間を1年ごとに徹底解説 1931-1945太平洋戦争の全貌(31年 満州事変、はじまる/32年 五・一五事件が起こした波紋 ほか)/第3章 建国から崩壊まで、その知られざる真実に迫る 王道楽土・満州帝国の実像(日本の大陸進出と日清戦争/日露戦争での勝利と満州への進出 ほか)/第4章 歴史を動かした日本の指導者たち 太平洋戦争人物列伝(石原莞爾/板垣征四郎 ほか)<読む前の大使寸評>日本はなぜ遅れながらも帝国主義を追い求めたのか? なぜ太平洋戦争開戦は避けられなかったのか?・・・という視点で読んでみようと思うわけでおます。rakuten太平洋戦争入門『太平洋戦争入門』3:拡大する日中戦争『太平洋戦争入門』2:満州事変後の日中戦争『太平洋戦争入門』1:張作霖爆殺事件あたり*****************************************************************************【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。<図書館予約:(1/24予約、2/02受取)>amazon天子蒙塵(1)『天子蒙塵(1)』3:天津の日本租界『天子蒙塵(1)』2:浅田治郎独占インタビュー『天子蒙塵(1)』1:序章の語り口*****************************************************************************【天子蒙塵(2)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より父・張作霖を爆殺された張学良に代わって、関東軍にひとり抗い続けた馬占山。1931年、彼は同じく張作霖側近だった張景恵からの説得を受け、一度は日本にまつろうがー。一方、満洲国建国を急ぐ日本と、大陸の動静を注視する国際連盟の狭間で、溥儀は深い孤独に沈み込んでいた。<読む前の大使寸評>この『天子蒙塵』の4巻シリーズは副本が多いわりに予約がすくないので・・・予約すると即、入手できるのが、ええでぇ♪、『蒼穹の昴』と比べて地味な印象を受けるのかなあ。<図書館予約:(2/07予約、2/10受取)>rakuten天子蒙塵(2)『天子蒙塵(2)』1:馬占山が張作霖を回顧するあたり*****************************************************************************【天子蒙塵・第三巻】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より運命に導かれ、それぞれの楽土を目指せ。満洲の怪人・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、欧州に現れた吉田茂。昭和史最大の事件「日中戦争」前夜、大陸に野望を抱き、夢を掴もうとする者たちが動き出す。そして、希望の光をまとい、かつての英雄が中原のかなたに探し求めた男がついに現れた。その名はー。<読む前の大使寸評>おお 著者の『蒼穹の昴』に摂り付いて以来、ついに「日中戦争」前夜まで辿りつくことになるのか♪<図書館予約:(3/25予約、6/11受取)>rakuten天子蒙塵・第三巻『天子蒙塵(3)』2:ヌルハチ公神話を語る主人公『天子蒙塵(3)』1:ヌルハチの伝説*****************************************************************************【天子蒙塵(四)】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲でラストエンペラー・溥儀が皇帝に復位しようとしている。そんななか、新京憲兵隊将校が女をさらって脱走する事件が発生。欧州から帰還した張学良は、上海に襲い来る刺客たちを返り討ちにしていた。一方、日本では東亜連盟を構想する石原莞爾が関東軍内で存在感を増しつつあり、日中戦争突入を前に、日本と中国の思惑が複雑に絡み合う。満洲に生きる道を見いだそうとする正太と修の運命は。長い漂泊の末、二人の天子は再び歴史の表舞台へと飛び出してゆく。<読む前の大使寸評>この本は、どうゆう訳か図書館予約システムでは借りられなかったのだが・・・とうとう図書館内で手にしたのです、ラッキー♪rakuten天子蒙塵(四)『天子蒙塵(四)』1:冒頭の語り口************************************************************【歴史講義満州事変】 倉山満著、ベストセラーズ、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲事変は人類が不幸になっていく始まりの大事件である。世界最強の大日本帝国を滅ぼした要因!現代日本の病巣の全てがここにあった!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten歴史講義満州事変************************************************************<日中戦争前夜 絡み合う思惑> 『浅田次郎さんの「蒼穹の昴」第5部が完結』という朝日の記事を、紹介します。(浅田次郎さんの記事を12/02デジタル朝日から転記しました)日中戦争突入を前にした中国を描く浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結した。1996年から続く「蒼穹の昴」シリーズの第5部。満州国皇帝の座に就こうとする溥儀と、欧州から上海に帰った張学良。2人が歴史の表舞台に出ようとする激動の中、絡み合う日中の思惑があぶりだされる。 「第5部まできましたが、シリーズは続きます」。あと2部で5巻ほど、という見通しを立てている。「どこからでもいい。おもしろければ、最初から読んでいただけたら」 「蒼穹の昴」シリーズは、西太后が権力を握る清朝末期を舞台にスタート。『珍妃の井戸』『中原の虹』と続き、第4部『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件を扱った。第5部では、欧州に向かった張学良が上海に帰還し、刺客たちを返り討ちに。清朝最後の皇帝溥儀は、満州国で再び皇帝の座に就こうとする。関東軍では東亜連盟を構想する石原莞爾が勢いを増していく。それを持つものは世を統率する力を持つ、とされる「龍玉」の伝説も、随所に織りこまれる。 シリーズ累計530万部超。第4部まで文庫本で10冊。第5部は単行本4冊、という破格の規模で、近代の中国と日本の分かちがたい関係を浮かび上がらせてゆく。中国には40回ほど渡った、という浅田さん。最初に取材目的で渡った20年ほど前は、いまほどの経済大国になるとは考えていなかった。「中国そのものが変わっていっている。いろんな意味で、このシリーズは早く書けません」「人も街も画一的ではなく、なぞが多く、奥が深い」と中国を評する。中学の頃から漢文の美しい言葉にあこがれるようになり、10代の頃からこつこつと通史などを学んできた。中国出身の担当編集者は「偏らない見方で、日本と中国が描かれている。知らなかったことも多く、読みながら歴史を知る思いです」と言い添える。■96年から刊行「シリーズ続く」「早くは書けない」 シリーズで一貫して描かれているのは不屈の人々。波乱の人生を送った張学良は、100歳まで生きた。最新刊では「嘆く間があるのなら、どうにかするのですよ」と、溥儀を幼い頃から支えてきた人物が語る最終盤の場面が印象深い。 そんな精神の強さは「負けず嫌い、ということで生きてきたようなもの」という自身の歩みとも重なる。 例えば、出版不況ということも安易に信じない。「時代のせいにしたら、終わりです。本が売れなくなった背景に、刊行点数が多すぎ、内容もよくない本が目立つようになったことがある。もっと、いい本をつくっていかなくては」。そのうえで「子供が最初に出合う本がつまらなければ、もう読まなくなります」と将来を見据える。 「いい小説というものは、分かりやすく、美しく、おもしろく」と3ヵ条を示す。根っこにあるのは、小説の神様の存在を信じる思い。小説とは考えて書けるものではなく、素材そのものが落ちてくるものという。それも若いからいただけるのか、と考えていたが、「意外とジジイになっても降ってくることが分かりました」と明かす。 もうすぐ67歳。「贈りものを受け止められるよう、一定のテンションに張り詰めていく努力はしております」(聞き手・木元健二)日中戦争前夜 絡み合う思惑2018.12.02*****************************************************************************<火の鳥 54>このところ新聞のスクラップとその記事のデジタル保存に勤しんでいるが・・・なにしろ、コロナウィルス対応の自粛で読む本に事欠いてきたので、連載中のこの「火の鳥」を読んでみようかと思い立ったわけでおます。デジタル朝日の記事をコピペしたので見てみましょう。2020年5月23日火の鳥 大地編:54より〈四章 東京 その七 赤い夕日の満州国〉の続き。要造は、火の鳥調査隊の4代目の隊長として、保の息子で陸軍少尉の緑郎を指名。家庭内のゴタゴタもあって、緑郎を自分と重ね、思い入れを強めるのだった。緑郎がタクラマカン砂漠に向かった後、石原莞爾、山本五十六とともに要造は「鳳凰機関」として、相談を重ねる。一方、日本国内では、軍部や右翼団体によるクーデターやテロが相次ぎ、不穏な空気が漂っていた。要造の継母・雪崩も標的となる。火の鳥 53この連載小説の背景ともいえる満州に関しては浅田次郎さんの日中戦争前夜 絡み合う思惑がお奨めです。*****************************************************************************<『満州国のラジオ放送』>図書館に予約していた『満州国のラジオ放送』という本を、待つこと3ヵ月ほどでゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。【満州国のラジオ放送】代珂著、論創社、2020年刊<商品の説明>より満州国のラジオ放送の実相に迫る。本邦初公開の資料なども駆使して、満洲国でのラジオ放送内容、番組構成、機能と効果、文化形成に対するラジオ放送の影響などを検証。メディアとしてのラジオの役割を当時の文化状況に迫りながらラジオ放送の機能とその効果の検証を試みている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。<図書館予約:(2/26予約、5/20受取)>amazon満州国のラジオ放送***************************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>ゲッ! 分厚い本ではないか、読破できるかな? というのが第一印象でおました。<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳***************************************************************************【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル
2024.01.23
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図書館に予約していた『満州国グランドホテル』という本を待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル著者・平山周吉さんの「小津安二郎」が大佛次郎賞を受賞したが、この際同氏の「満州国グランドホテル」が気になるのです。勝手ですが、村上春樹の名が見られるあたりから、見てみましょう。p379~382<第27回 「事件記者」島田一男と「ねじまき鳥」村上春樹の「国境線へ行く」>「新聞のハルピン特派員だった私にとって、昭和14年は実に憂鬱な年であった。満州事変以来、幾度か戦闘に従軍し、いつでもノウノウと戦勝の美酒に酔っていたのだが、その年初めて負け戦のみじめさを嫌というほど味わされたのだ。ノモンハン事件である。 5月11日、日ソ両軍が蒙古の大草原で激突した。翌日、私はハイラルに飛んで、機械化部隊の榊原兵団に従軍して第一線に出ていたのだが、これは惨憺たる戦いであった。火炎放射器の猛攻を受けた戦車の中には、焼き鳥のようにクルクルッと丸まった友軍兵士の死体が転がっていた。ピアノ線と称する新式の鉄条網には、無数に日本兵の戦死体がぶら下がっている。完敗だった。私は、敗残部隊とともに、リュックも、水筒も捨て、蹌踉としてハイラルへ逃げ帰らねばならなかった」 かつてNHKで「事件記者」という長寿番組があった。昭和30年代の人気ドラマで、警視庁詰めの記者たちの群像ドラマである。私が記憶しているのは記者たちが夜な夜な集まる小料理屋「ひさご」のシーンだけしかない。 ドラマの影響で新聞記者となった人は多く、その中には池上彰もいた。その「事件記者」の作者が推理小説作家の島田一男である。島田が戦前の記者時代を回想した『中国大陸横断 満州日報時代の思い出』の中に、上記のノモンハン従軍の一節が出てくる。 島田は満州事変の年に満州日報に入社した。24歳だった。「学校ルンペンの私も、新聞社の空気が性に合ったのか、終戦で会社がつぶれるまでの十余年間を勤続することが出来た。この間の記者歴も、半分は社会部記者で、半分は従軍記者であり、陸海軍の報道班員であった」と自筆年譜に記している。ノモンハン事件は思い出したくなかったのか、『中国大陸横断』での記述はこれだけである。 その代わりというわけではないだろうが、昭和10年(1935)に満州国と外蒙政府との間で行われた国境会議の取材余話を書いている。ノモンハン事件は草原地帯の国境線不確定が原因で起こった、日満両軍とソ連・外蒙古軍との間の戦争だった。「いうなれば、昭和十年から二、三年間は、張鼓峰・ノモンハンの大噴火を控えての鳴動期であり、延々6千キロにわたる国境線は、重っ苦しい戦雲に包まれていたのであった」。 島田はソ連との国境・満州里への出張を命じられる。「満州里といえば満州国北西の国境の町だ。私のいた大連からは、満鉄自慢の特急と万国寝台列車(ワゴン・リー)を乗り継いでも丸二昼夜はかかる」。相棒はいつもの山口晴康写真部長だった。「八時を過ぎると、武装した国境の町は、真夜中のように静かになる。この不気味な静寂は、陸の国境を持っていない日本にいては、ちょっと想像もつかないだろう。静かだが決して眠ってはいない。スパイが、密輸業者が、新しい天地を求める脱出者が、目を血走らせて、越境の機会を狙っている。そして、トンガリ軍帽のソ連兵と戦闘帽の満軍兵士とはたがいに越境者を警戒して、闇の中で銃を構えているのだ。 どこからか、哀情切々たる蒙古の古い民謡が、むせぶように流れて来た。唄っているのは[国境会議の満州国側]代表の一人、興安北省省長の凌ショウ氏だった。浅酌低唱開かれぬ会談の無聊を自ら慰めているのか、丸い童顔の凌ショウ氏は壁にもたれて片膝を立て静かに眼を閉じて唄い続けていた・・・」 何日待っても会議は一向に始まらなかった。ソ連側の焦らし作戦らしい。代表の凌霄からは、自分が護照(身分証明の公文書)を書いてやるから、ダライ湖、ボイル湖を観光してくるといい、と親切な申し出があった。「行こう。・・・外蒙国境を走る・・・、ちょいとハッタリをきかすと、きわ物のいい読み物が出来るぜ」と即決した。島田と山口は凌ショウから、「ゴシャゴシャと漢字と蒙古字を書き並べ、大きな判を、ベタベタといくつも押した黄色い唐紙の護照」をもらった。代表のもうひとり下村信貞参事官は蒙古旅行の経験があり、細々と注意をしてくれる。「第一に、飲用水を充分に用意して行くこと・・・、蒙古では、水は金よりも貴いのだから、ちょいと飲ましてもらうというわけにはいかない。次に食料・・・。パンをたっぷり持って行くこと。普通の食パンは固くなるから、ロシア式の黒パンがいいだろう。それから、毛布を一人あて三、四まい・・・。沙漠の夜は、ものすごく冷える・・・。最後にだな、蒙古女にはくれぐれも気をつけること・・・。蒙古梅毒はおっかねエぞ。こんなものをしょわされたら、一生台なしだ。護照がモノをいうんだよ。それにね、どういうもンか、蒙古人は日本人が好きなんだ。女がね、勇敢な日本人のタネをくれと押しかけてくる。やに下がっていると、大事なものがとろけちゃうぞ」 下村参事官の注意を拳拳服膺して、車で出発である。運転手は満州里ホテル(ロシア家屋を改造した日本式旅館)のロシア人客引きグリコフが引き受けてくれた。車はというと、「馬に乗れない満州国皇帝陛下が、閲兵する時に使うような四角ばった黒塗りのオープン・カー」で、車体はロールス・ロイスだが、エンジンは不明、タイヤは継ぎだらけというシロモノである。それでもバルガ大草原を快調に進んだ。「突然、ダダダダッ・・・、静まり返った空気をひき裂いて、銃声が響いた。四、五十メートル前方から、弾着の土煙が、シュシュシュッと、稲妻形にのびて来る。キューンとグリコフが急カーブを切った。おんボロ自動車が、尻を跳ね上げて突っ走る。幸い、銃声は続かなかった」 軽機関銃を射ってきたのは外蒙古の国境警備兵だった。射たれた場所は国境の西方、つまり外蒙でなのだから、射たれて当たり前だった。国境といっても、広い野っ原に標識一つあるわけでない。外蒙兵も本気では射たなかったろう。「放牧の羊や馬は、悠々と満州外蒙両国の草を食っている。これじゃ、越境した、侵入したといって、ことごとに騒ぎ立て、銃砲をぶっ放し、国境紛争だ・・・といきり立つ方が、無理なんじゃあるまいか、わたしはそんな気持がしてきたのだった」 島田のこの感想はノモンハン事件以前に持ったのか、以後だったのか。いずれにしても、ノモンハン事件の無益を暗に批判している。
2024.01.23
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図書館で『モンゴル最後の王女』という本を手にしたのです。最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。【モンゴル最後の王女】楊海英×新間聡著、草思社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。17歳の冬、父の従者だったボロルダイと結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、使役に駆り出され、祖先を祀る聖地を開墾する屈辱に甘んじなければならなかった。そして、あの文化大革命が始まるー。著者の楊海英氏自身も内モンゴル・オルドスの出身。中国で現在もなお続く苛烈な民族問題の知られざる実態を、激動を生き抜いた女性の半生を通じて描きあげた迫真のドキュメンタリー。<読む前の大使寸評>最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。rakutenモンゴル最後の王女「第四章」で、失敗を繰り返す中国の政策を、見てみましょう。p157~161<第四章 モンゴル高原にのしかかる中国の黒雲>■生態を無視した深耕作業 1958年(昭和33)5月から、中国を社会主義社会に改造し、生産の大飛躍を目指す「三面紅旗運動」が開始された。三面とはこれまで推進されてきた総路線・大躍進・人民公社を、新生中国の国旗である紅旗三本に見立てたものである。また思想面、生産面、技術面での改革、改造を、より強化しようというものであった。 中国の未来の夢を語り、人民のやる気をひき出すはずのこれらの政策が、各分野の専門家に適切な指導をうけていたら、その後、大きな挫折に遇うことはなかったかもしれない。 農業を基礎に、工業を導き手とする発展戦略も、人口の8割までが農民の中国では、当然のいき方だったろう。それにしても先を急ぎすぎたようだ。知識と技術の蓄積を軽くみて、政治教育と思想教育を優先したところに、地方幹部の独善性が生まれ、失敗をくりかえす原因があった。 土法高炉による鉄鋼増産運動にしてもそうである。たとえ小さな規模にしろ、鉄鋼石や、ひろい集めたくず鉄を原料にし、コークスを燃料にしたキューポラまがいの炉ならまだいい。なにせ人件費をいれないのだから、精錬にたえる粗鋼が生産できれば、それはそれでよかったのだろう。 しかし、イギリスに追いつけ、追いこせとばかり、中学校の校庭や工場、役所の空き地に、石焼きいものカマに毛のはえた程度のものを、いくらたくさんつくったところで、近代工業に役立つ粗鋼ができるわけがない。 ・・・中国にはハエやカが一匹もいなくなった! と、進歩的文化人といわれる人たちの話が、日本のマスコミに登場したのもこのころである。 1957年から全国的に展開された「四害撲滅」運動の成果が、社会主義中国の勝利として伝えられたのだ。四害とはスズメ、ネズミ、それにハエとカをさし、農業と公衆衛生に害をなす«悪»として、撲滅の対象となった。「解放」前の中国では、当時«東洋の不夜城»を誇った国際都市・上海でも、ハエやカの大群は珍しくなかった。街なかの小さな店で、湯麵をすすっていても、ちょっと箸をやすめたとたん、汁のついた箸の半分が、たちまちハエの群れに占領され、まっ黒い棒に一変する。 夏の夕暮れどき、庭先であくびでもしようものなら、蚊柱を立てて飛びまわるなかの一、二ひきが、口のなかに飛びこんでくる。まずはハエやカの天国といってもよかった。 そんな経験をしたことのある日本人は、新生中国のいぶきにビックリしたものだが、それから30年後、改革・開放下の80年代後半になると、四害は六害にふえ内容もガラリと変わる。賭博、ポルノ、買春、麻薬、婦女誘拐と人身売買、迷信・邪教という社会悪の登場である。 まあ、そんな関係のない話は別にして・・・。ここでは、参加させることに政治・思想教育上の意義がある大躍進時代の«運動»の進めかたを、ひややかに見つめてみたい。(中略) モンゴル高原のウーシン旗での四害撲滅運動の成果も、記録されている。この年の秋から冬にかけて全住民を動員した結果の数字だ。たんねんに勘定したものだが、スズメは127万7千5百羽、ネズミは113万1千2百匹が捕殺された。住民ひとり当たりにすると、スズメは40羽、ネズミは30匹弱トナリ、ウアエとカは数えきれないほど多かったそうだ。 つまり、中国の政治運動とは全員の参加が前提なのだ。シャルリグの人民公社が、1958年冬から開始した農地の「深耕」も、全国の流行に合わせて幹部が音頭をとった運動である。運動だから、幹部は公社員の全員を参加させることに意義を見いだし、公社員である牧畜民は、深耕の意義が理解できないまま、なれぬ重労働にアゴを出した。 だれが決めたかはわからない。ウーシン旗全体では深さ1メートル以上の深耕が240ヘクタール、1メートルは2050ヘクタール、35センチ前後が4270ヘクタールとされた。 シャルリグ公社へのノルマは、深さ1メートルの深耕だった。オルドス一帯の土地は、レンガ色をした黄土層で形成されている。小石まじりの表土を10センチか15センチもはげば、下は何メートルも黄土がつづく。酸性の黄土層をいくら掘り返しても、有機肥料をふんだんに鋤きこまないかぎり、沃土への転換はできない。 しかも冬をむかえ、こおりかけた土は、容易に鍬や〇を受けつけない。体力のあるボロルダイら男性社員でも、こたえる作業だったから、スチンカンルはじめ女性社員らには、苦行といってよかった。その間にも現場会議や、軍事訓練は相変わらずつづく。ウーン、四害撲滅運動とか生態を無視した深耕作業とかわけのわからないものが出てくるなあ・・・とにかく牧草しか生えない土地を、根性で深耕するわけだから。『モンゴル最後の王女』1:王女スチンカンルが生まれた地域
2024.01.22
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元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震1分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は1メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書のデータシステムが19日にスタートしたそうで、お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。
2024.01.22
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今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・満州国グランドホテル・ちょっとケニアに行ってくる・メルケル 世界一の宰相<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>著者・平山周吉さんの「小津安二郎」が大佛次郎賞を受賞したが、この際同氏の「満州国グランドホテル」が気になるので図書館予約したのです。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくる【メルケル 世界一の宰相】カティ・マートン著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界で最も権力を持った女性宰相メルケル。その想いと人生を描き切った決定的評伝。<読む前の大使寸評>東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。rakutenメルケル 世界一の宰相
2024.01.21
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在12位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在281位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在195位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在93位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在75位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在269位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在29位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在21位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在9位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在85位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在70位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『御社のチャラ男』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』・養老孟司『形を読む』<予約分受取:10/28以降> ・有川ひろ『旅猫リポート』(10/27予約、10/28受取)・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、11/15受取)・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、11/23受取予定)・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)**********************************************************************【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.01.21
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図書館で『モンゴル最後の王女』という本を手にしたのです。最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。【モンゴル最後の王女】楊海英×新間聡著、草思社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。17歳の冬、父の従者だったボロルダイと結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、使役に駆り出され、祖先を祀る聖地を開墾する屈辱に甘んじなければならなかった。そして、あの文化大革命が始まるー。著者の楊海英氏自身も内モンゴル・オルドスの出身。中国で現在もなお続く苛烈な民族問題の知られざる実態を、激動を生き抜いた女性の半生を通じて描きあげた迫真のドキュメンタリー。<読む前の大使寸評>最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。rakutenモンゴル最後の王女「第一章」で、王女スチンカンルが生まれた地域から、見てみましょう。p33~37<第一章 黄金家族のたそがれ>■チンギス・ハーンの末裔 王女、スチンカンルの生い立ちをたどる前に、まず地理学的な説明から入るとしよう。 内モンゴルとは、中華人民共和国の「内蒙古自治区」の通称である。西と北部で(外)モンゴル国と、東北部ではロシアに接する面積110万平方キロメートルの地域で、自治区の首府は北京から空路約1時間のフフホト市である。 中国の「自治区」は「省」と同等の権限をあたえられた行政区画であり、行政府の長はその地区を代表する少数民族のなかから選ばれるが、実権を握る共産党書記は必ず中国人でなければならない。内蒙古自治区もそのひとつで、中国にはこのほかに寧夏回族自治区、新疆ウイグル自治区、広西壮族自治区と西蔵(チベット)自治区の合計五自治区がある。 2019年9月時点で、人口約13億に達している中国だが、約91.5パーセントを漢民族が占め、残りは55の少数民族から成っている。少数民族でも比較的に人口が多く、古くから居住密度の高い地域が自治区とおもえばいい。本書が描く文化大革命のとき、内蒙古自治区にはおよそ150万弱のモンゴル人が暮らしていたが、中国から入植してきた中国人は1300万人に膨れ上がっていた。自治区とは名ばかりで、あらゆる権力を外来の中国人に掌握されていた。 自治区の首府フホホトから西に120キロ、包頭で汽車を乗り換え、黄河を渡って南へおよそ100キロ下ると、イケジョ・アイマクの東勝市に着く。アイマク(盟)という内モンゴルの行政単位は、日本の府県に相当する。東勝市はイケジョ・アイマクの盟(県)庁が置かれている同地方最大の都市である。 モンゴル人のスチンカンルが生まれ育った土地は、ここからバスで300キロの道を西南に下ったウーシン旗のシャルリグという村である。旗もモンゴル独特の行政単位で、日本の郡にあたるか。 飛行機ではなく、北京駅から大同、フホホトを経由して包頭、さらに東勝まで汽車を乗り継ぎ、そこから、夜は運転手も仮眠をとるという長距離バスの旅路をゆけば、三日半はかかる行程となる。 イケジョ・アイマクの一帯を、中国では古くから河套地区と呼ぶ。大きく湾曲した黄河に囲まれているからだ。が、日本人にはオルドスといったほうが、とおりがいいかもしれない。世界史的にもまた、オルドスの方が広く知られている。 チベット高原の青海省から流れ下ってきた黄河は、甘粛省の蘭州で流れを大きく北へ変え、寧夏回族自治区の首府、銀川を貫流して、内モンゴルへと北上する。そしてイケジョ・アイマクを取りかこむように、凸の字の上半分の形さながらに蛇行し、山西省に南下する。 スチンカンルが生まれたウーシン旗のシャルリグは、このオルドス高原の最南端に近い。緯度からいえば、ほぼ北緯38度線上にある。南にはオルドス南部の大高原を深く切りひらいた無定河が流れ、さらにその南はるか彼方には、陝西省との北を画する万里の長城がつらなっている。 秦の始皇帝以来、長城以南が中国農耕民族の領土で、北のモンゴル高原が騎馬遊牧民の地、と考えられていたとすれば、ここオルドスはつねに両者の勢力が相接する最前線でもあった。 モンゴル人の住居、とくに草原を拠点に遊牧する牧畜民の家は、解体、移動に便利なフェルト製の円形テントで、モンゴル語ではゲルといい、満州人と日本人は筒(パオ)と詠んだ。だからモンゴル人の家と聞くと、たいていの人は「あー、あの、まんじゅう型のテントか」とおもう。 だが、いまのオルドス地方ではゲルが姿を消し、人びとは日干しレンガかレンガ作りの固定家屋に住んでいる。草原の一角にゲルがならび建っているとすれば、それは観光用の宿泊設備であろう。もっとも、内モンゴルでも東北部から中部の草原では、ゲルに住んで放牧生活を送るモンゴル人も少数ながらいる。
2024.01.20
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<二十四節季の大寒に注目(復刻3)>早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。今年の冬は暖冬と言われていたが・・・さすがにこの時期の寒さは厳しいのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたり蕗冬華この本で、大寒のあたりを見てみましょう。和暦p5<大寒>二十四節季が新たに始まる直前の節気 「大寒」は、現行の暦では1月21日ころ、第1日目を迎え、立春(2月4日ころ)に入る前日までとなっている。前節気「小寒」からは「寒」に入っており、寒明けと同時に「大寒節気」も終わる。寒が明けると、暦の上では「春」になる。 寒の入りは、前節気「小寒」から始まっているが、手が切れるほど冷たい「大寒の水」には、その清らかさのために霊力があると考えられていた。 朝の水は1年間腐らないとも言われ、容器などに汲み保管し、薬を飲むときや祝い事の料理に使う家庭も少なくないという。寒の水は、酒造や化粧水にも用いられている。 1年で最も寒さが厳しいとされる「大寒」を『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。 また、寒の厳しい最中の鍛錬は、心身共に向上するとして、武道では「寒稽古」が行われる。加えて、「寒施行」も寒中の独特の行為だ。 これは餌の乏しい寒中に、野の動物に与えることだが、これは「放生会(ほうじょうえ)」を行う仏教の影響のようだ。ちなみに「放生会」は、殺生を戒め生き物を野に放つ仏事で、秋の季語になっている。 大寒の期間の七十二候は、次の通り。 初候は「蕗冬華(ふきのはなさく)」蕗の薹が蕾を出し始める。 次候「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」沢に氷が厚く張りつめる。 末候は「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」鶏が卵を産み始める。 寒中の微妙な気候の変化が読み取れる。二十四節季の小寒に注目(復刻)二十四節季の冬至に注目(復刻)
2024.01.20
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図書館で「エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層」という新書を手にしたのです。家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。【エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層】鹿島茂著、ベストセラーズ、2017年刊<「BOOK」データベース>より英国のEU離脱、トランプ当選など予言を次々と的中させ、世界中で注目を集めているフランス人類学者エマニュエル・トッド。なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?大胆な彼の発言を支える理論を、鹿島茂教授がわかりやすく解説します。明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめました。初の解説書。「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明ができる」と、世界史の有名な出来事や混迷する社会の問題、さらには現代人の悩みや未来の切り開き方まで、トッド理論で紐解いていきます。<読む前の大使寸評>家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。rakutenエマニュル・トッドで読み解く世界史の深層「第三章 世界史の謎」で秦の始皇帝のあたりを、見てみましょう。p91~93<秦の始皇帝が焚書坑儒を行ったのはなぜ?>■最初に直系家族が生まれた地域 では、直系家族が歴史において最初に生まれたのはどの地域でしょうか? オリエントと中国華北部です。このうち、中国華北部について見てみましょう。 アジアには現在、中華人民共和国という大国が存在しています。この中国とロシアが、「外婚制共同体家族国家」の典型であることは、トッドが『第三惑星』で指摘しているとおりです。 中国に最初の外婚制共同体家族国家を築き上げたのは、秦の始皇帝でした。彼は、焚書坑儒を行ったことでも知られていますが、なぜそのようなことを行ったのでしょう。 トッドは、中国の華北地方では、春秋戦国時代、『三国志』の時代には直系家族社会が成立していたと考えています。おそらく、華南や華中に比べて土壌の肥沃さにおいては劣る華北では直系家族が生まれやすかったのだと思われます。 ところで、直系家族は、タテ1本の家系を守って、平等原理は持ち合わせていませんから、横に連帯して大きくなるということはありません。日本でいえば藩、豪族、ヨーロッパではクランのサイズで、小那分立という形をとります。ドイツも、ドイツ帝国と名乗るまでは長くその形でした。春秋戦国の時代もまさにそうなのです。 また、直系家族においては権威と権力の分離を伴いますが、これも、春秋時代の初期においては、すでに観察できます。晋が韓・魏・趙に分裂する前には、権威はいちおう晋王にあるけれど実際の権力は後の韓・魏・趙の諸侯に分有されていたといわれますが、これなどまさに直系家族的国家でなければ見られない現象です。 また、この時代に成立した孔子の『論語』も、「親に孝」「君に忠」「学んでときにこれを倣う」等々、直系家族の原理を敷衍したような訓話集でした。 そうした直系家族的な小那のところへ、遊牧民の匈奴(フン族)が襲ってきます。このころの遊牧民は、平等主義的傾向を持った起源的核家族の集団ですが、大勢の騎兵、歩兵を細かく動かすたくみな戦法に長けていました。破壊力はあるけれども鈍重な小那の戦車部隊では太刀打ちできないと、小那の一つである秦は考え、敵の戦い方を模倣します。 その戦法を用いて、小那群をとりまとめ、一大帝国に築き上げたのが、秦の始皇帝でした。始皇帝は、大勢の人間が横一線に並んで協働するという遊牧民のスタイイルに、直系家族由来の父親の権威性を加えて、共同体家族国家を確立させたのです。 始皇帝は、この共同体家族原理を発動させると、今度は、直系家族原理の撲滅に手を染めます。それが焚書坑儒です。書物に目を付けたというのは、知識の集積を絶つということです。自らの独裁権力のみで大勢の人間を従えるためには、よけいな知識や思想は邪魔なのです。そういう意味では、始皇帝は、トッドの家族類型論を、2200年も前にすでに理解していたわけです。 追い詰められた直系家族の思想は、朝鮮半島を経由して日本に到達します。これがなければ、日本の直系家族化はもっと遅くなっていたかもしれません。中国で『論語』は消えて、韓国で生き返り、さらに日本に伝わります。直系家族社会の日本の、直系的な組織である会社で、いまも『論語』が指針の一つであるのは、こうした経緯によるのかもしれません。『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』4:秦の始皇帝が焚書坑儒『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』3:トッド理論の基礎『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』2:ドイツ・日本型の家族システム『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』1:エマニュル・トッドとは何者か
2024.01.19
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図書館で『座右の銘はない』という本を手にしたのです。おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪【座右の銘はない】 石毛直道著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より自分が「おもろい」を追求、「食文化」のパイオニアに。学術探検・民族資料収集で辺境の地を駆け巡り、世界各地の生活や文化を考えていくと、人々がなにをどのように食べているか、が主たる研究分野になっていた。<読む前の大使寸評>おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪rakuten座右の銘はない京大探検部の顧問には今西錦司、梅棹忠夫、中尾佐助、川喜多二郎さんらが名を連ねていて、文化人類学学界とでもいえる有り様だった。「第二章」で、著者と梅棹忠夫さんの付き合いを見てみましょう。p54~57<第二章 京大探検部から人文研へ>■梅棹研究室 梅棹忠夫さんとのおつきあいは京大探検部の学生時代にはじまり、人文科学研究所、国立民族学博物館と、半世紀以上つづいた。 アジアやアフリカなどで探検や登山をかさね、生物学の基礎の上に動物社会学、文化人類学、情報学、比較文明学の研究をしてきた梅棹さんは、専門領域の枠を超えた知の巨人だった。 私の学生時代、京大の近くに住んでいた梅棹さんは、毎月第一、第三金曜日の晩に自宅を開放して、「金曜会」とか「梅棹サロン」とよばれる会をひらいていた。この会には誰でも訪れることができたが、登山や短剣、人類学に興味を持つ若者たちが常連で、のちに学界やジャーナリズムで活躍するおおくの人材が「梅棹サロン」で育てられた。 金曜日に、梅棹家の夕食がすんだ頃に集まり、応接間で梅棹さんと話をするのだが、参加者は冷蔵庫からビールを勝手にとりだして飲み、明け方近くまで議論をするのであった。大酒飲みの貧乏学生であったわたしは、ビール飲み放題の魅力にとりつかれ、梅棹サロンの常連となった。 梅棹邸に出入りするようになった初期に聞いたことばで忘れられないのは、「若者は牙をむきだせ」といわれたことである。 平和で安定した現代社会では、イノシシが牙をむきだして猪突猛進するような行動は必要なく、牙をふりまわされたら迷惑でもある。しかし牙を失ったイノシシはブタになってしまう。「おまえたちはブタにはなるな!」と梅棹さんが学生たちを扇動したのである。(中略) いっぽう、「梅棹サロン」の常連たちも文化人類学の勉強会をつくっていた。空想人類学科設立案に関わった研究者とサロンの参加者が合流して、1964年、私的な自主講座「京都大学人類学研究会」が発足した。毎週水曜日の夜、近衛通の楽友会間に集まって開催するので、この会は通称「近衛ロンド」と呼ばれた。ロンドとはエスペラント語で「集まり」の意味だ。 梅棹研究室は近衛ロンドの事務を担当することになった。1970年、近衛ロンドが学術誌『季刊人類学』を発刊すると、わたしは編集事務をおこなうことになった。 助手のわたしは、月曜は共同研究会、水曜は近衛ロンドの準備で大忙しであった。人文研での共同研究は、今西教授時代からの「人類の比較社会学的研究」が一段落し、梅棹さんが研究代表者を務める「重層社会の人類学的研究」がはじまった。この共同研究会には他大学から参加する共同研究者もおおく、一時は20人近くが集まる研究会となった。 この時期の忙しさは充実感を伴うものだった。刺激的な議論がおおく、第一線の研究者による知的生産の現場に居合わせている快感があった。「文明の生態史観」で注目を浴び、総合雑誌への寄稿などでマスコミにもおおく東条していた梅棹さんのもとには、毎日のように来客があり、SF作家の小松左京さんもよく来られていた。この関係が後に大阪万博の基本構想づくりにつながり、小松さんとわたしの交遊も生涯続くのだが、それについてはあとで述べることにする。 梅棹さんは文化の比較研究をしながら、人類全体の将来や文明の未来について考え、普遍性のある大きな理論を構築したいと願っていた。1969年からは「文明の比較社会学的研究」という共同研究が始まり、わたしも参加した。その後、民博でも文明学の共同研究が続けられた。わたしが食文化研究をはじめたとき、まず、全世界と人類史を視野にいれた「食の文明論」を考えたのは梅棹さんの影響である。 借り物の知識より、自分で調べて独創性のある論を組みたてることをもとめた梅棹さんは、なによりもフィールドワークを重視した。わたしは梅棹研究室に約5年在籍したのだが、そのうち20カ月は海外調査に出かけていた。長期間研究室を空ける助手を、梅棹さんはいつも快く送りだしてくれた。 梅棹さんは、教育きらいで、大阪市立大学で助教授として生物学を講じていたときも休講がおおかったという。教師と生徒という環境で、一方的な知識の切り売りをするのはいやな賤業だが、自分に牙をむいて立ち向かうような若者と話すのは楽しいという。「梅沢サロン」では、酔っぱらっても、知的な会話がとぎれることはなかった。
2024.01.19
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*********************************************************図書館で『ペンの力』という新書を手にしたのです。おお 「政治と文学」をめぐる巨頭の緊急対談ってか・・・これは興味深いのでおます。【ペンの力】浅田次郎×吉岡忍、集英社、2018年刊<「BOOK」データベース>より戦後70年間、暗黙のうちに、政治的な立場を表明せずに中立を保つことが作家のとるべき理想的態度とされてきた。だが、特定秘密保護法案やいわゆる「共謀罪」が可決され、言論の自由が岐路に立たされつつあるいま、「政治と文学」をめぐる従来的なスタンスは根本から問い直されている。閉塞感にあふれた「もの言えぬ時代」の中で、日本ペンクラブ前会長・浅田次郎と現会長・吉岡忍が、もはや絵空事とはいえなくなった「言論弾圧」の悪夢に対して警鐘を鳴らした緊急対談。<読む前の大使寸評>「政治と文学」をめぐる巨頭の緊急対談ってか・・・これは興味深いのでおます。rakutenペンの力第6章でエネルギーや環境問題あたりを、見てみましょう。p198~202<第6章 それでも私たちは戦争に反対する>■ソ連のチェルノブイリ原発事故吉岡:福島へは、ペンクラブの面々もずいぶん行きましたよ。そうね、スリーマイルやチェルノブイリのときは、どうだろう、何か声明みたいなものを出しているのかしら。浅田:ペン小史を読んでいるんですけど、出てこないですね。信じられないな。吉岡:いずれにしても、よくも悪くも世界が身近になって、北朝鮮のミサイルと核開発や中国の言論状況はもちろん、世界中のテロと世界と難民問題でも、エネルギーや原発問題でも、何かすべてがつながって、日本の問題、ペンクアブの課題になってくる。そんな時代ですね。浅田:そうなんでしょうね。だから、ある意味、井上ひさし会長時代から、ちょこちょこそういうことを、ペンクラブでやり始めた。吉岡:やっぱり9.11があったからですよ。冷戦崩壊後のグローバリズムの・・・あれは一つの帰結ですね。浅田:9.11があったから。■地球環境問題吉岡:さっき言ったように、梅原猛会長の時代にね、地球環境ということを積極的に言い始めたんですよ。むろん戦争は最大の環境破壊である、と言うことも可能なので、それ以前から意識はされていたとも言えるんですが。 でも、例えば、石牟礼道子さんの『苦海浄土』をどう受け止めたのか。あの作品はチッソの水銀汚染だけじゃなく、人間と歴史の関係、文明のあり方の問題まで、魂に触れるような言葉で描いていますが、それがペンのなかで問題になったという話はあまり聞いてないですね。浅田:環境問題というのも、僕もずっと覚えているけれども、いろいろな問題が積み上げられてきたよね。 でも、それは、どこかで、原発の肯定にすり変わったんだよ。原発が一番クリーンなエネルギーであるという話に変わったんだよ。吉岡:ああ、そうだね。使用済み核燃料を10万年も保管しつづかなきゃいけない、なんていう問題はなかなか頭に浮ばなかったんですもんね。浅田:何かね、あそこが、やっぱり一つの分岐点だったね。吉岡:いや、3.11で福島原発事故が起きたあと、ペンの主催で、日比谷の日本プレスセンターで集まりをやりましたよね。会員同士、ペンは原発問題についてどう考えるのかを議論した。 その会場で、会員のなかから、東京電力の原発キャンペーンのCMに出ていたような会員を除名すべきだ、という意見が出たでしょう。何人も賛成者がいて、ちょっともめたことがありました。浅田:あった。吉岡:どう考えるんだと言われて、壇上に、浅田さんや僕もいて・・・。浅田:つるし上げられたな。吉岡:そうとう批判されましたよ。でも、その場で答えなきゃいけない。 僕が言ったのは、僕自身は原発に反対だ、と。だけど、原発に賛成した人を追い出す、除名する、そういう組織のあり方がいいとも思わない、ということね。僕だって、いまこうやってしゃべっていることが、いつか間違いだったと気づくことがあるかもしれない。誰だって、何かを間違えることがあるんだから。 それはね、言論表現の自由を主題とする団体として、いつも考えておかなくちゃいけないことだと思うんですよ。対話する、議論する、考える、そういうなかで間違いなら間違いを修正していく、やっぱりそれがペンのあり方なんじゃないか。 もちろん会員もそのことは十分理解しているから、その場はそれで収まりましたけど、あのときはペンの存在意義が問われているな、と感じました。逆に言えば、それだけ原発問題を僕らがちゃんと考えてこなかった、ということでもあったんですけどね。浅田:3.11の前までは、原発論議は、環境問題に押しまくられていたよ。吉岡:そうでしたね。浅田:むしろ問題は、火力発電のCO2をいっぱい出す問題とかさ、水力発電の自然破壊だとかさ。吉岡:温暖化問題ですね。浅田:そう、そう、そう。そういうふうに言われていたから。 あのね、僕は、もちろん、原発には反対ですけれども、それ以前にあまり言われてないことなんだけれども、あるにしても、数が多過ぎる問題。『ペンの力』3:エネルギーや環境問題『ペンの力』2:作家が従軍するもう一つの理由『ペンの力』1:日中戦争期の戦争と文学
2024.01.19
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図書館で「エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層」という新書を手にしたのです。家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。【エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層】鹿島茂著、ベストセラーズ、2017年刊<「BOOK」データベース>より英国のEU離脱、トランプ当選など予言を次々と的中させ、世界中で注目を集めているフランス人類学者エマニュエル・トッド。なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?大胆な彼の発言を支える理論を、鹿島茂教授がわかりやすく解説します。明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめました。初の解説書。「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明ができる」と、世界史の有名な出来事や混迷する社会の問題、さらには現代人の悩みや未来の切り開き方まで、トッド理論で紐解いていきます。<読む前の大使寸評>家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。rakutenエマニュル・トッドで読み解く世界史の深層「序章 人類史のルール」でトッド理論の基礎を、見てみましょう。p17~20<トッド理論のあらましを知る>■四つの家族類型とイデオロギー トッド理論の基礎となるのは、「家族システム」ないしは「家族類型」という考え方ですが、いきなり、こうした分類法にたどり着いたわけではなく、出発点にはケンブリッジ・グループのそれと同じくらいに大きな一つの疑問がありました。 それは人口学のイロハとなっている大きな問題と関係しています。 人口学にとって最も初歩的かつ最も解くのに困難な疑問は、人類はなにゆえに多産多死型社会(伝統的社会ないしは前工業化社会)から少産少死型社会(近代的社会ないしは工業化社会)へと移行したのかというものです。 人類は長い間、正確にいうと18世紀の半ばまで、たくさんの子どもを産み、その子どもがたくさん死ぬという再生産パターンを踏襲していたのです。これは医療が不完全でしかも栄養状態が悪ければ乳児死亡率が高いので、スペアとしてたくさん子どもを産んでおかなければならないという、現在でもアフリカの発展途上国に見られるタイプです。■人口の急激な増加が起きた理由 ところが、人類は18世紀のある時期に、コノパターンを脱却して、少なく産んだ子どもを死なないように育てるという少産少死型社会へと移行を開始したのです。 しかし、さらに詳しくみると、少産少死といっても、この二つの現象が始まるには時期的なずれがあるのです。 最初に始まるのは少死化です。すなわち、乳児死亡率が下がって、人が若くして死ななくなるのです。これはさまざまな要因から説明可能です。つまり種痘などのワクチンの発明と栄養状態の向上です。人口動態学では、この少死化の始まりのことを死亡力転換と呼びます。反対に出生率が低下することを出生力転換と呼びます。 ところが、死亡力転換が起こっても、出生率の方は高止まりしたままなのです。死亡力転換が出生率の低下を正比例的に導いて、出生力転換が起きることはないのです。その結果、どういうことが起きるかというと人口の急激な増加です。 世界は全体として見ると、いまでもまだこの状態にあります。ワクチンの普及や栄養状態の向上で死ぬ人が減っているのに、産まれてくる子どもは多いままなのです。 では、ユニセフがアフリカでやっているように避妊知識の普及や避妊器具の無償配付などを行えば、出生力転換が起きるのかといえば、そんなことはありません。こうした努力は少子化にほとんどつながらないのです。 しからば、死亡力転換が起こっても、出生力転換が起きることはないのかというと、これは先進国を見ればわかるように、歴史のある時期において、確実に起こったのです。 いいかえると、死亡力転換が起こってからかなりの時間をおいた「ある時期」に出生力転換が起きると、出生率はそのまま下がり続けます。日本のように、下がり続けて止まらない国もあり、よほど人為的な政策をとらない限り、再び上向くことはほとんどないのです。 要約すると、死亡力転換からしばらくすると出生力転換は確実に起きる。しかし、それがいつ起きるかについては一概には言えないのです。 なぜかというと、出生力転換が起きるのは、個人個人の意識の結果の総和としてではなく、あくまで集団的な無意識の結果だからです。 トッドが人口学者として問題にしていたのはこの点です。『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』2:ドイツ・日本型の家族システム『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』1:エマニュル・トッドとは何者か
2024.01.18
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