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革人形の夢工房さんCategory
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ちょい面白い二つ並んだ鳥居画像でこんばんはです。
寝苦しさで眠れないのでストックしていた記事を放出です。
そう。
17日にぶらりとかつてどうしても場所が判らなかった、わが街に残る、とある史跡をおとずれたのでございます。場所が判明したのは例のらびっとの日記事シリーズ (←ブログ内で『らびっとの日』タグをググれば一発ででます)
で通ったルート上の案内看板で場所が判ったのでした。
それはさておき、
まずはご一緒に、向かって右側の月瀬八幡宮なる神社へと足を踏み出してみましょうか( ´-`)ノ
月瀬八幡宮、二の鳥居より奥を望む。
posted by (C)風々堂くも
すぐに急な上り坂に…
posted by (C)風々堂くも
急勾配は、かつてここであった激しい攻防を彷彿とさせる。
posted by (C)風々堂くも
途中合祀された稲荷神社も
posted by (C)風々堂くも
閑散とした御境内(左手に猫城祉の石碑あり)
posted by (C)風々堂くも
ほんのささやかながらも急勾配を登りますと到着するのがこの境内。そう、月瀬八幡宮そのものというよりも、上の画像左手にある石碑がくもの目的物でございますよ。
──猫城。
城と行ってもそこはそれ、ちいさな砦のような小城です。
けれどもこの小さな小城において、こちら近郊を二分する二大勢力がせめぎ合ったのでした。
麻生家と宗像大宮司家。
我が街を流れる遠賀川。
ふたつの豪族がぶつかった地がちいさな砦ながらも攻めにくく守りやすいという猫城でした。
宗像大宮司家といえば、権力の極みである政教一致にて、こちら一帯を古代から収めていた胸形の君、直通の子孫でございます。あの宮地嶽神社の古墳で眠るのも胸形の君、そしてこちら一帯で一番大きな神社──海の正倉院を要する宗像神社を起こし、奉じてきたのも宗像大宮司家につながる一門でございました。
結局上の解説画像通り、猫城での攻防は宗像大宮司家でございました。
が、しかーし。勝った宗像大宮司家でしたが、この堅実な賢主とも、悲劇の君主とも称えられる宗像大宮司氏貞の病死を最後に廃絶してしまうのでございます。
時に1586年のことでございました(・_・)b
その後────
1838年──171年前建立の拝殿
posted by (C)風々堂くも
それから52年後、黒田藩主黒田忠之公によりましてこちらに、お茶屋をば作るにあたりまして、守護神として神社が建立されました。
それが今の月瀬八幡宮。
最初は猫城八幡宮と名乗っておられたそうな。
その後、側を流れる月瀬川にちなみ、月瀬神社と。
かつて血なまぐさい攻防の地は今はこうしてご近所に親しまれるちいさな神社に変貌しとるわけですな。
と、ここで明日深夜予定の後半につづく。
画像多すぎて容量オーバーしちゃうんだもん(^_^;
ちなみに宗像大宮司家最大の惨劇が起こった地も、先日訪れました。
なので、よろしかったら氏貞さんの事、覚えておいてくださいね~v最近郷土史づいている風々堂ですな(笑)