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約50年ぶりの卒業記念私的演奏会となった「邂逅」は都内の小さな音楽ホールで開かれた。
ざっと座席をカウントして見たら70人くらいが参加していただろうか?
予想以上にペア券が売れたようだ。中には孫を連れてきた同級生もいたが、
よく知った仲間の多くは皆一人で来ていたようだった。伴侶と死別している人もいたはずだ。
僕はといえば、久しぶりに彼女を連れて行ったが、待ちあわせの時間を間違えたのと
連絡がぎりぎりになったので、ひどく怒られた。
昼食もそこそこに、慌てて正装してきた彼女は、若くきれいだった。皆からどう見られたろうか?
幹事たちとは会釈程度の挨拶だったので、誰も彼女の存在をいぶかるものも居なかったかも
しれない。
いずれにしろ、NYから1週間前に帰国したバイオリニストのI君と作曲家のM君のピアノのジョイン
トコンサートは偽りなく素晴らしかった。
ベートーベンのソナタが中心だったが、中学,高校以来,というから50年以上経つという共演は、仲間たちの貴重な交流イベントにもなった。
アンコールのせいで終演が30分ほど長引いたが、長旅で疲れているI君には気の毒な感じすらする。
演奏中の二人の真剣なまなざし。堂内に響く生のバイオリンンとピアノの共鳴。聴衆の静寂。
2時間40分の演奏会は、こうして終わった。たぶん死ぬまでこんな機会はもうないだろう。
終演後、僕たちは皆と反対の方に別れて、界隈を散策することにした。
途中、延命地蔵にお参りし、小さなイタリアンレストランを見つけて昼と夜を兼ねた食事をした。
今更ながら、自分は何をしているのかなと思う。妻が行く気はないと断ったから、彼女と
来てしまったという言い訳はあるのだが、どうも心は晴れない。
妻にも演奏の感動を聞かせたかったが、今更おためごかしになるのだろう。
人の生き死にと夫婦という縁。
あの時、ああしなかったからこうなったと思っても、人生の選択肢はままならない。
今日の会場にも、56年間の異なる人生がそれぞれにあったはずだ。
一芸を究めて世界的な音楽家になったI君も、あの時は、結構ワルな少年だった。
作曲家として有名になったM君も3度目の離婚の後、若い愛人にも去られて今は独り身らしい。
僕はと言えば、これでそれなりに幸せなのだが、後悔もある。
妻を狭い世界にとどめてきた責任は私にもある。妻に人生を返せと言われれば、
今はひたすら頭を下げるしかない。
しかし妻の6人の兄弟姉妹は、離婚をしたり、最初から結婚しないなどで、
結局いまは皆一人になったものが多い。変わり者が多いのか?
どういう宿命を持った家族なのだろうか?私の方の家族とは、合うはずがなかった。
妻を選んだのは私の責任だ。妻に責任はない。だから心から幸せにすべきだったのだろう。
私の偽善といわれれば、いまは沈黙しかない。
ただ、最近では孫たちと遊ぶ時、一人で好きな芝居を見に行く時に見せる華やいだ妻の顔は、
それなりに幸せそうではあるのだが、私にはその心の奥まではわからないままだ。
そして私の父や母や妹との妻の不仲はとうとう最後まで解決しなかった。
妻が私の人生の大半を支えてくれたことには感謝はしているが。
妻は私の前に大恋愛した彼氏がいた。その破局のいきさつを話してくれた事がかつてあった 。親の反対に抗しきれなかった彼が意気地なしだったと言う時、私は妻に同情した。
その言葉に、若くて愚かだった私は、対抗心を燃やしたのかもしれない。しかしそれも私自身の責任だ。
私の愛した彼女の死も天の采配だったのかもしれない。
いまさら私自身の延命は望むべくもないが、妻には心やすらかであって欲しいと勝手に思う。
そして私たちの人生も表面は穏やかに、このまま静かに終わって欲しいと思う。