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八百屋を辞めて叔父の会社にひろわれた。水商売のバイトをしながら、「オーストラリアにワーキングホリデーに行ってくる」などとわけ分からん事を行っている長男(おいらは長男なのです)の行く末を案じて、多分親爺が頼んだんだろう。「用があるから会社へ来い」叔父から電話があったのは、ワーキングホリデー資金を貯めよう!と「高給保証!」に釣られオフィス電話営業の仕事の面接を受けた後だった。まあ、そんなのどうでも良い。断ったんだから。翌週開けに叔父の会社へ行くと、いきなり共同経営者(3人で共同経営していた)と話をさせられた。「今まで何しとったん?」「明日から来い」「・・・」訳が分からんまま、採用された。そんなもんだ人生は。それから10年間、辞める辞めると言いながら働き続けた延長が今だからな。この会社は、大阪の南船場(今でこそカフェやおしゃれなショップが出来て有名だが、当時はファッション関係の会社が集まる卸のメッカで、一般的な知名度はなかった)にあり、まわりじゅうファッション関連の会社ばかり。日本一のファッション集積地だった。最近は元気がないが。神戸の自宅から1時間、通勤ラッシュにもまれ、普通にサラリーマンとしてのガラスの人生が始まった。業種はインポート専業卸、つまり海外から服飾雑貨を輸入し、小売店に卸す業者です。その中でも、最も高級な部類のヨーロッパの婦人服・雑貨を扱う会社だった。取引先は、ほとんどが小さな個人経営に毛の生えたブティック。店主1人~2、3人の規模のこじんまりとしたショップが相手です。大きなところではソニープラザ。ここの靴下売り場は、ルーズソックスの爆発的な人気が出るまで、ほとんどをおさえておりました。社員は、入社当時ガラス込みで8人。そのうち3人は経営者。経理1人と営業4人です。ガラスはぺーぺーの営業職。倉庫にある見るもの触るものが面白くて、あちらこちらの箱をひっくり返しては面白そうな商品を探しておりました。ガラスの仕事は、当初は靴下の発送業務、たまに先輩の代わりに心斎橋のブティックやアクセサリーショップへ納品。ある日、先輩に頼まれ心斎橋まで納品へ、「○○へ配達行ってきまーす」一同大笑い。「配達って、八百屋ちゃうでえ~。納品や~」文化の違いを身をもって感じた時だったな。恐るべしインポーター。1986年の事だから、まだバブルは始まってもいなかった。それでも、輸入物=高い物で、靴下も1足1000円~2500円。小さなアメリカ製の(キャロナンと言うブランドだったな)木のバッグが13000円。ドイツ製ソーイングボックスが10000円程、と当時のガラスの金銭感覚では、高級品がいっぱいあった。今でも家で使っているが、丸いフランス製のテーブルクロスは、確か6万円程していたはずだ。恐るべし輸入モンって感じだった。ガラス的にはだ。これらを東京アメ横のブティックや京阪神のブティックへ卸していた。その頃からJJ(光文社のジェージェーだ。今でもお姉様系やキレイ系には絶大な人気を誇る雑誌だ)なんかに商品掲載されてたな。会社へ入った当初は、ガラスは普段着にろくな服がなかった。毎日会社へ出かけるのはGパンにTシャツ。それもヘインズの真っ白なTシャツ。見かねた叔父が「お前、下着で会社来るな」八百屋上がりだ、スーツなんか展示会以外着ていく会社じゃなかったが、それでも若者らしい汚い格好で行っていた。まだ22歳になったばっかりだったしな。これから数年かけて、社会人らしい格好や常識を覚えていったな。怒鳴られながら。電話の掛け方、手紙の書き方、取引先との付き合い、etc etc「会社名の後はごちゅうって書くんですね」「・・・、おんちゅう(御中)や!」最初の3ヶ月は試用期間。営業に行かせてもらえる訳もなく、毎日、一人倉庫で靴下の値札付け。ソニプラからの注文ファックス見ながら、棚から商品を出し、取引先コードと値段をペタペタ捺して(途中から印字機でバーコードになった)靴下の先にピストルで付けていく。注:ピストル=値札を留める白いビニールのフックは、ピストル型の機具で取り付ける。ほかに業界内でエノキとかイカと呼ばれる輪っかになるジップロックというものがある)一人作業で面白くないので、単位時間でどれだけ効率よく出来るか、一人で記録作りに励んでいた。ピストルの持ち方、効率的な値札の作り方・・・無地の状態ではロール状につながって巻いてあるので、12枚(靴下1袋の入り数)ずつ折り曲げ(検数が同時に出来る)値段を打つ、作業時の並べ方、棚出しの順番などを効率化して、記録に挑む。そんな事をして給料をもらっていた。有給もあり、公休も日祝+第2、3土曜、「へ~、サラリーマンって楽~」と驚きだったな。こんな事で3ヶ月を過ぎ、正社員採用が決まった。いよいよ営業へ出かける。楽しい楽しい営業職。次回の『お仕事放浪記』はここからだ。今日は、お色気話はナシ。だって、一人で倉庫仕事だったからな。こく訳にもいかんし・・・・おならの事だ。変な想像しないように!
2005年05月29日
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ガラスの『お仕事放浪記』は2004年4月16日から始まっています。気が向いたら最初から読んでね。最初に、輸入の仕事に興味を持ったのは小学4年の頃だった。この年、始めて父の故郷神戸へ旅行した。宮崎生まれ鹿児島育ちのガラスにとって、神戸は憧れの地だった。幼稚園児代から、神戸から祖母や従兄弟などが来るたびに、「早く神戸へ行きたい」という夢があった。念願かない、小学4年の夏休みに、一つ上の姉と二人で(往きの付き添いには岡山まで教会のシスターが一緒だった)、神戸へ向かった。月光2号、鹿児島~岡山までの寝台特急。当時はまだ岡山までしか新幹線が開通していなかった。岡山で新幹線に乗り換え新神戸まで。客室内の速度表示器が250kmを指すのを、目を凝らして見ていた。が、多分250kmも出さなかったと思う。「シュワ~ン、シュワ~ン、シュワ~ン。走る光の超特急。時速250キロ。トンネルなんかはぶっ飛ばせ」・・・・ちょっと間違ってるかもだ。この歌のせいだな、250キロは。長いトンネルを抜け、気がついたら神戸だった。たしか叔父か叔母が迎えにきてたはずだ。記憶にない。2週間程の神戸滞在で、出来立てで荒涼たる荒れ地のようなポートアイランド、須磨浦のビヤガーデン、明石城、ポートタワー、京都の三十三間堂などに行った。そんな事どうでも良い。貿易商の話だった。この旅行から帰ってから書いた文集に、外洋船の挿絵を付けて「将来は外国に行く船であちこち行く仕事をしたい」と書いていた。神戸=日本一の貿易港(当時だな)のイメージがあり、戦後間もなく亡くなった祖父は開戦前から外国語学校の先生でタイプライターの名手(この学校は貿易商を育てる学校で有名だった。今でも元町にある)。叔父、叔母ともこの学校を出て貿易の仕事や英語の先生をしていた(今でもしている)。神戸から戻ったガラス少年の頭は、完全に海外へ飛び出していた。それ以来、中学~高校と年月を重ねても、将来は「外国に行く仕事」という基本コンセプトは変わらなかった。で、前にも書いたが、高校3年の1学期に担任と対立し退学届を出した時も「学校辞めて、神戸の専門学校へ行きます」とタンカを切っていた。アホだ。そんなタンカを切ったが、結局卒業まで高校は通った。が、すっかり勉強の意欲はなくなり、さっさと働く事ばっかり考えていた。当時は国公立に入るには共通1次を受ける必要があったが、そんな気はさらっと無くなり、どうしたら外洋船に乗れるかを考えていた。で、卒業後の進路は・・・・・大阪電子専門学校・・・・・??? なぜ?つまり、勉強嫌いが簡単に船に乗るために、通信士になろうという甘い考えを抱いたのである。甘い!甘すぎる!甘すぎて3ヶ月で学校を辞めた。学校の先生曰く「外洋船? うち出ても漁船が良いとこだよ」「・・・」よく調べてみると、その頃の外洋船はコンピューターの発達で数人で航海出来、通信士は船長を始めとする航海士が皆持っているので、通信士だけでの仕事なんかなかったのです。先の事はよく調べてから行動しましょう。で、専門学校を辞めて始めたのが水商売。このあたりは2004年4月16日以降に詳しく書いている。興味があったら読め、だ。と言う事で、当時からず~っと、八百屋を辞めるまで「外国に行く仕事」をコンセプトに戦ってきた(誰とだ?)。八百屋を辞める時面接受けたUTAフランス航空もしかりだな。本日のお題は「貿易商に憧れて」だった。つまり、小学4年の神戸旅行から、心は貿易商だったんだな。この4年生夏の旅行の帰り。往きの逆に岡山まで新幹線に乗り、そこから寝台特急月光1号に乗り換えて鹿児島へ向かった。多分に夜10時を過ぎての出発だったと思う。ホームでは発車のベルが鳴り、売れ残りの弁当を抱えた駅弁売りが最後の一稼ぎと車両の入口付近で声を張り上げていた。発車のベルが鳴り止んだその時、パンタロン(当時の流行だ)にサイケなシャツを身にまとった、年の頃で20代半ばの女性が、ホームの階段を駆け下り汽車に飛び乗ってきた。女性は、発射に・・間違った、発車に間に合った安堵感か、頬を紅潮させ嬉しそうだった。そしてガラスの向かいの寝台に腰を下ろした。寝台特急月光号は、中央の通路を挟んで左右に窓に沿う形の寝台が3段あった。上の段程狭くなるが、それぞれに小さな窓があった。頬を紅潮させ嬉しそうな女性「おミカンでもいかが?」ガラス「ありがとう」注:当時の国民的おやつはおミカンか酢昆布か芋飴だった。頬を紅潮させ嬉しそうな女性「坊っちゃんは、どこまで?」ガラス「終点の鹿児島です。」「父の実家、神戸へ出かけていたので」ませガキである。頬を紅潮させ嬉しそうな女性「そう。楽しかった?」ガラス「まあまあですね」「お姉さんは?」頬を紅潮させ嬉しそうな女性「うん、これからちょっとお友達に会いに・・」ガラス「だから嬉しそうなんですね。いい人ですか?」頬を紅潮させ嬉しそうな女性「やだ、恥ずかしい」ガラス「若いって良いですよね。おミカン美味しかった、ありがとう」頬を紅潮させ嬉しそうな女性「酢昆布もあるわ、いかが?」そう言って、カバンを取りに立ち上がった時汽車が揺れた。ガタン・・・頬を紅潮させ嬉しそうな女性は、ゆれた拍子にバランスを崩してガラスの上に倒れてきた。・・・・・・目の前に迫る頬を紅潮させ嬉しそうな女性の熟れた唇、長い髪がガラスの顔を覆う。そっと目を閉じた・・・・・・・・・・「間もなく終着西鹿児島~、西鹿児島~。お忘れ物ないよう、お手回り品~」目が覚めると、窓枠のゴムに顔を押し付け、カーテンをかぶっていた。小学校のときは裏山で雨に濡れたエロ本ばっかり探してたな。だからこんな夢を見るんだな。明日は、いよいよ貿易会社で仕事の開始だな。楽しみに待て!だな。
2005年05月25日
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ながらくご無沙汰の『お仕事放浪記』だが、そろそろ再開するかな。前回は多分八百屋を辞めたところだったかな > ちゃんと調べろ(一人突っ込みだな)ちゅうことで、ガラスのお仕事放浪記~おいらは貿易商~だな。まあ、仕入れに出るまで3年の下働きがあったから、まずはそのあたりかな。と言うことで、明日からボチボチ始めるぞ。 >今日ちゃうんかい!じゃあな。今日は腹が減ったから帰って飯を食うぞ。(23時です)明日までまつべし、だ。
2005年05月23日
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~「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク主催~「死刑を止めよう」宗教者ネットワークは、「死刑の執行を止め、死刑についての議論を行い、命について考える機会をできるだけ多く設けよう」という願いのもと、日本の宗教者・団体が結集した多宗教ネットワークです。イタリアの聖エジディオ共同体が主催した「共にいのちを考える(第1回死刑廃止セミナー)」をきっかけに、2003年6月に設立。で以下のセミナーがある。キリスト者として避けては通れぬ議論故、ここに問題提起します。ガラスは・・・?第5回死刑廃止セミナー in 神戸「共にいのちを考える」基調講演「いのちを見つめて」シスター・ヘレン・プレジャンシスター・ヘレン・プレジャンは、メダイユ聖ヨゼフ修道女会に所属するカトリックの修道女です。ルイジアナ刑務所に服役していた死刑囚との文通を通じ、カウンセラーとして死刑執行の現場に立ち会いました。以来、死刑問題と積極的に取り組み、近年は被害者支援組織も設立して活動を続けています。ご自身の体験を著した「デッドマン・ウォオーキング」は1993年に出版され、12カ国語に翻訳されるベストセラーとなりました。1996年には映画化され、アカデミー主演女優賞を受賞しました。今回は4回目の来日で、被害者遺族の苦しみと、死刑廃止を願う気持ちや命の尊さを語って頂きます。1939年米国ルイジアナ生まれ。■ スライドショー「少年死刑囚を撮り続けて」 トシ・カザマトシ・カザマさんは、ニューヨーク在住のカメラマン。アメリカには、少年犯罪でも死刑が執行される州がありますが、彼はアメリカ大手放送網であるABCやNBCでさえ撮影許可が下りない中、8年に渡り20人の少年死刑囚を撮り続けています。撮影を通じて出会った少年たちの命を見つめ、奪われる命、奪う命の意味を問いかけます。2005年5月26日(木)午後6:30~9:00(6時開場)会場:カトリック神戸中央教会(旧中山手カトリック教会)神戸市中央区中山手通1-28-7 Tel:078-221-4682参加費:無料(席上カンパをお願いします)以上、本日のガラスの日記は「命について考えるセミナー」の案内だな。たまには問題提起もな。
2005年05月16日
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ホームページの改造が山を越えた。『匠の革トランク』サイトがリニューアル。ただし、fm21のトップはまだです。 http://www.fm21.com/takumi/takumi1.html 今回は『匠の革トランク』に専念。それぞれの古いページは、まだこれから修正かけますが、取り敢えずトランクのトップは作り直せました。fm21のサイトは、最初に作ってから8年間放浪しております。21世紀のファッションミッション(fmの由来)ということで、取引先のショップ紹介と最新ファッション製品の紹介サイトのつもりで作り出し、5年程は放置プレイ。3年前からガラスの仕事紹介とピノンが入り込み、つづいて革トランクの紹介が参加し、ブランド作りの通信講座『お店やろう!』と『お仕事クリエイター』が加わったら、何のサイトか分からなくなってしまったのです。それで評価を受けたらズタズタだったのでございます。今回のサイト改造は、匠の革トランク』の販売ページを作ったので、ユーザーの使いやすさ向上のための改造でした。本当はさっさと別ドメインにしなくっちゃね。ガラスの日記トップに「丹波の山」の画像を入れました。今回のサイト改造で使わせて頂いた「夫婦でテクテク登山」サイトの画像です。山歩きをされる方は、山の写真がきれいなのでぜひ覗いて下さい。関西中心の登山日記もあります。山に行きたくなります。 http://www.h6.dion.ne.jp/~yabu56/index.htm
2005年05月11日
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おおっ久しぶりの楽天ちゃんだ。昨夜は怪しげなおっさんお○ちゃんおねえちゃん連中が神戸に集まり、健全なプチフレンチ食事会と怪しげな飲み会が開かれた。集まったのはがんちゃんさん北川涼子さん http://plaza.rakuten.co.jp/ryokomegane/ 風花さん http://plaza.rakuten.co.jp/fuuka200404/BOKU笑太郎さん http://plaza.rakuten.co.jp/workdiaryガラスさん http://plaza.rakuten.co.jp/galas/貴人鉄舟さん http://plaza.rakuten.co.jp/kijintetu/glory joyさん http://plaza.rakuten.co.jp/joyjoybeauty/夢子さん http://plaza.rakuten.co.jp/yumenokotonoha/なないろまみーさん http://plaza.rakuten.co.jp/nanaironikki0408/西沢知樹 http://plaza.rakuten.co.jp/nixizawacate/たおやかに、怪しげに、天然・・・じゃなくナチュラルに、神戸の夜は更けた。ということにしておこう。ガラスの帰宅は4時を回っていたとだけ報告。只今、独自ドメインサイト(http://www.fm21.com/)のサイト改造に取掛かっている。これまでの自己紹介サイトから、トランク販売サイトを本格化させるためである。これに伴い、参加しているNPO団体全国EC協議会の侍MLという集まりにサイト評価を依頼した。メッタ切りである。ボロボロである。ケチョンケチョンである。ここまで切られるのかという程、切られまくっている。普通にコンサル受けたらン十万取られる程の評価が上がってくる。全国の超有名ネットショップ店長が自ら切りにやってくる。オッソロシイのである。曰く「舞台に上がる以前の問題。退場」酷評だらけ。そりゃそうだ、B2B向け自己紹介サイトで作ったんだった。小売りの恐ろしさをつくずく思い知らされるメッタ切りである。サイト改造でゴールデンウィークはぶっ飛んだ。今月中頃には、スンバらしきサイトに生まれ変わるはずだ。
2005年05月01日
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