グルメ 0
全62件 (62件中 1-50件目)
はや、新学期開始から2週間が経ちました。こわいくらい毎日がどんどんすぎていきます。おかげさまで長女次女とも元気に登校しています。ありがたやぁ一方、母はいま市内の病院に入院しています。刀根山病院から転院して1年経ちますが転院のはなしはなく、父曰く、ずっとおいてもらえそうと。家から近く、家族にとってはありがたいことです。呼吸機能は安定していて変わらず夜間のBipapだけですごしています。ただ、表情はほぼなくなってしまいました。声をかけると、チラとみてくれるけど意思のとおりに目を動かすことはできません。(動かせる時と、動かせない時があるように見えるけど。。。)でも先週、1年以上ぶりの笑顔が見れたんです。顔を拭いてる時に、「目ぇ閉じててや」といっても開けたままなので、「ちょっと失礼」とまぶたをちょっとひっぱって閉じようとしたら無表情→いきなりの満面の笑み!!で、私も吹き出してしまいました。きっと、「なにすんねん!w」と思ったんでしょうね〜。ほんとに久しぶりの母の笑顔で涙が出ました。一日中病室の壁を見て過ごしている姿を想うと胸がどよ〜んとなります。言いたい事、いっぱいあるだろうなあぁあぁぁ!せめてイエスの合図だけでも出来ればとがんばり中です!!
2013.09.09
コメント(16)
冬ごもりあけのゴマ太しつこくグーーを繰り出してみました(笑)。私も母も冬ごもってまして、母は1ヶ月半ぶりの外出でした。主人の仕事が忙しくなり、そちらに神経とられていました。結婚20年、いちども仕事のグチを言ったことのない人が「しんど…。」と言い出したから焦ったーー。夜は毎日遅く、土日も出かける元気もない状態。大好きなゴルフに行く気もなくなるくらい…。私の不安はイライラになって母に向けられ、ほんとうに申し訳ないことをしました。…というのは今だから言えることでこの1ヶ月半は母の前で笑えない日々。。。まったく気持ちの余裕が無く現状から解放されたいおもいだけが大きくなって母に当たってしまうようになり母に、もう無理…と訴え長期療養の病院探しをしていました。現状、ひとつの病院の返事待ちですが…。今は主人もだいぶ元気になって私も落ち着きつつあります。私がドンと構えてどっちも支えられればよかったのですがみんなをブンブンに振り回してしまいました(>
2012.02.28
コメント(20)
昨日から、使い始めてみました。千葉っ子ママさんから黒烏龍茶のボトルとメラチューブをいただき、もう、お試しの時とは全然違う使いやすさです母も手応えを感じたのか(笑)積極的にチューブの位置などを指示してくれ、そんなことが嬉しかったりして(^^)歯のすきまからチューブを出してみたり…口角から出してみたり、まだ試行錯誤中ですが昨日はボトルに1センチほど溜まっていました。むせもなく、母の使い心地も悪くないようであとはボトルの置き場所を考え中。。。なんせ狭いので吸引器本体は呼吸器のむこう側でーす。* * * * * *さっき自転車で仏手柑の前を通ったら、2枚目に映っていた実が収穫済みでしたあの状態が、ちょうど収穫時期だったみたいです(^^)。
2011.12.15
コメント(14)
朝、30分お願いしてるヘルパーさんが7時30分に帰って、7時45分に次女を送り出したら、母の体位交換をします。横向きにするまえに、ストレッチ。まず、ヒザをまげて立てヒザの状態に~……するときの足の曲がらなさがすごい。ビーン!と固まって、棒です。足首も、完全にせん足状態になっているのをぐいいーーと曲げてぐる~ん、ぐるん、とまわす。腕と手の指もぐーっと伸ばして、ぐるん、ぐるん。「お母さん。カッチカチやで 」と言うと、「ぶーーーーーっ」と吹き出しバカウケ。なんでやねん!
2011.12.09
コメント(12)
母の唾液の飲み込みが、かなり難しくなって来た。2ヶ月程前から、寝ている状態で口角からたまに流れるようになりここ2週間くらいは常に唾液のすじができている状態。首もとが濡れないようにタオルハンカチを左右に当てていたのだけど、何日か前からは口の回りも泡状の唾液があふれるほど。その唾液が息を吐くたびにブーブーとまき散らされる。舌がひっこめづらくなっているのもあるし、口や頬の筋力は、ほぼなくなってるんやろうね。以前お試しで借りた、低圧持続吸引器を購入することにしました。コンセント式 設置型 低圧持続吸引器とりあえず、付属のチューブで使い始めてみようと思います。使い方のアドバイスがありましたら、よろしくお願いします。
2011.12.06
コメント(6)
母のトイレ続けて3回間に合わず昨日の夕方4時15分ごろだった。コールで呼ばれ、「トイレ?」と聞くとイエスの合図。トイレの用意しようとすると『文字盤』の合図。?と思いつつ文字盤をとると 「し た」 と…。日中は2回用パッドだから尿したらゼッタイ漏れる。いそいで清式用おしぼりチンして着替えさそうとしてたら、ちょうどヘルパーさんの時間になって助かった。もうすぐヘルパーさん来る時間やから我慢しようとしてくれてたのかと思ったら、そのあと夜にかけて2回「し た」をされ思わず「どうなってんのよ!」とキレてしまった拭いて着替えさして…の間ニヤニヤしてる母に「ゴメンもありがとうも、なんもないのん!!」と言うと、文字盤で「ごめん」と。はーーーーむなしい。わざわざ文字盤使って「…ご?」「…め?」…「ごめん?」「はぁ~…」ため息。。。言えと言われたから言った、という無意味なこのやりとり。言わせるほう言わせるほうだが言ったほうもそのあとはムッとしてるしあいかわらず、『体がこうだからこうしてほしい』的な指示はなんもない。もうっ!ムカつくねん!後には山のような洗濯物ドーンヘルパーさんのように「いいよ、いいよ」なんて言えんつーの!今日は6回吸収パッド装着で間隔いつもより短めにトイレとった。1時間半ごとにトイレ。寒さ?(エアコンしてるけど)それとも母の体の機能が落ちてきたのかも…。そう思うとキレた自分のこととダブルで落ち込んだこうなると、あいかわらず母がシレッとしてるのが逆に救いだなぁ。
2011.11.29
コメント(8)
ほうほう…なかなかの黄色具合。だけどうまく撮れないお母さん、ちょっとは秋を感じられた?
2011.11.28
コメント(10)
昨日、小雪ちゃんことchienblancさんからうれしい贈り物が届きましたズバリ。ラバーシーツやっちまった私に、なんてタイムリーなこれでどんだけ汚しても安心(^^)ありがとうございます。これからの季節、ラバーシーツは大活躍。寒くなるととたんに尿の量が増えて、夜間尿漏れも発生します夜は夜用のこれを使用。【ユニ・チャーム】介護用補助品!ライフリー 一晩中あんしん 尿とりパッド夜用スーパー 長時間・夜安心 男女兼用 14枚入り 吸収量:約6回分 [失禁パッド、尿とりパッド]はじめは同じ6回吸収で『リ○レ』のを使ってたんですが漏れる漏れるちょっとケチったのがいけなかったようです。しかし、このライフリーの6回吸収でもこの時期になるとダメ。そこで思い出した。tama梅さんのコメントにあった、10回吸収パッド【紙おむつ アテント】夜一枚安心パッド【紙おむつ アテント】【値下げ!】夜1枚安心パッド特に多い方でも朝までぐっすり10回吸収18枚たぶんこれ以上の大きさのはないでしょう。。。昨夜使ってみたところ、さすがにバッチリですこの冬は安心して乗り切れそう!
2011.11.16
コメント(16)
朝の注入で、やっちまいました。ツインライン大洪水何度目でしょーか。 3…いや4度目か?チューブの、このサイドの口が開きっぱなし母がコールで呼んでくれたけどすでにラバーシーツを突破してベッドシーツまでうえぇえぇえぇえぇぇ~~~いもちろん母も全部着替うえぇえぇえぇぇ~~~~いお母さん風邪ヒクわ。ほんまゴメンなさい……
2011.11.10
コメント(16)
5月のレスパイト入院のときにクリニックで勧められ半年間使ってみて良かったのでご紹介します。シカケア母は夜の9時から朝6時半まで、毎日約9時間、鼻口マスクで呼吸器をつけて就寝していますがマスクのつけ方が悪いと一晩で鼻の皮があっさり剥けてしまいますこれを使うまでは、以前も書きましたが『サラサーティ』を切ってあてていました。お値段的にサラサーティとは格段の差がありますが半年毎日洗って使っても遜色無し今日の状態↓ マウスは大きさ比較用です。小鼻とオデコ用にカットしてあります。(6×12センチのシートで、もう1セットとれそう。)なにより、褥そうになりにくくなって助かってますよ話は変わりますが、今日から次女が1泊2日の修学旅行です。バタバタと朝の6時半に出て行きました。きっと今頃は広島行きの新幹線の中だろう。今日は平和記念公園→倉敷泊、明日は姫路セントラルパークで遊んでバスにて帰ってくる予定です。明日のお天気がちょいと心配です。
2011.11.09
コメント(12)
昨日は母の半年ぶりの刀根山病院受診でした。思えば4月、「次の予約…10月3日でいい?」と言われたときは途方もなく先の事のように思えたけど気付けばもう10月、というカンジ。9時過ぎに父の車で到着古い寮らしきものがあった場所に、新しい病棟がドドーン!と建っていた。このなかのいくつかでいいからレスパイト用の病室にして欲しいわ~と思いつつ。。。今回は保健所の担当保健師さんも来てくださることになっていて病院で待ち合わせ。父は初対面。保健師Tさんにはいつも父のグチを聞いてもらっているのでどんなオヤジかとドキドキしてらっしゃったと思う…(^^;)。受付をすませたら胸部レントゲン、CT、心電図、骨密度検査、血液検査などまずは検査へ。(肺機能検査は無理だった。ホースなんてくわえられへんて。無理やって!と心の中で叫ぶ、私。と同時に、4月にはできてたのか…と思う。)検査に2時間程かかり、その後診察室へ。「おひさしぶり~。変わんないねえ」とニコニコ迎えてくれるM先生。先生に母が伝の心でうった手紙を渡す。「んふ~。使いこなしてるね。」と言われ、母の笑顔スイッチが入る。(笑)恐怖の動脈血採取も1発オッケーでホッとした。結果も前回とほぼかわらず、他の検査結果も問題ないとの事で次は、また4月。毎日カフアシストを頑張るように言われちゃった。知らない内に肺に唾液が流れ込む事が防げるし風邪の予防にもなるから、と。母はカフアシがきらい。肺がひろがるからね、と説明されても私は長く生きる事を望んでません、と言いたげな顔。私としては、呼吸器うんぬんは別としてそれまでは生きるって決めたんだから少しでも長くねばる姿勢を見せて欲しいと思う。お母さんのそういう態度が介護のモチベーションを下げるんだよなそんなだから私も、カフアシなんてどうでもいいと思ってた。けど。お母さんに長く生きて欲しいなら、やるしかないな私のエゴかもしれんけど。私が母のあきらめをそのまま受け入れてしまったら母はやっぱり悲しいだろう。4月なんて、まーっだまだ先の事のようだけど、きっとすぐ。無事にまた先生にお目にかかれますように!
2011.10.04
コメント(2)
母が私を呼ぶときに押すスイッチがこれです。母は顔は左右にふれるので、土台を枕の下にしいて右のほお骨か頬の辺にあたるようにセットします。コードがこの機械とつながっていて誤作動防止の長押しの設定ができます。いまは5~6秒設定でしょうか。呼ばれると、この端末機(音にビビるのでバイブ設定)がブブブとなります。顔押しスイッチ、レスパイト先のOTさんが母の使えるスイッチをということで安い材料で(ここポイント!とおっしゃってました笑)手作りしてくださり、母と私にとって、はなくてはならないものです。伝の心の入力スイッチとあわせてとても快適に使えていたのですが…。じつは最近、接触不良のためか反応したりしなかったり。でも朝、つかなくてもカチカチしたり線をぬいたり入れたり(よけい壊れそう?)しばらくいじると正常化するので修理依頼もレスパイトまで先延ばしのつもりです。万が一!のため伝の心の『呼び出し』ブザーが聞こえるように昼間はテレビも消して静かにパソコンしてます(^^;)伝の心の『呼び出し』もコールみたいに端末機で鳴るようになればいいのにな。そうすればスイッチも一個でいいんじゃない…?と思ったけどPPSスイッチは長押し対応できんかぁ。難しいね(>
2011.06.29
コメント(10)
車いすのシート下に台をつけてみました。マジックテープで板を固定する作戦。赤い部分がテープです。板をのせたところ。呼吸器をここに載せたいのですがキャリーバックがないので、今日はここまで。
2011.02.28
コメント(8)
かろうじて残っていた母の上の前歯2本を抜いてもらいました。上はその2本と奥歯1本だけが自分の歯で、(下はほとんど残っているのですが)その3本で入れ歯を支えていたのですが、もーグラグラでついに抜歯を決意した母。先週は診察のみで今週抜歯、ということで…。いよいよ抜歯。これが結構たいへんだった。普段の口腔ケアの時も最近そうだったけど母の口が開かないのです。開く時を待って、開いた瞬間に先生が急いで処置をする。でも、母の思い通りに開けていられなくて手や器具を噛んでしまう。ガッチリと。そうなると母は半分パニックになって涙目できょろきょろ。訪問歯科の先生やスタッフさんは慣れているらしく笑顔で「大丈夫ですよ~」と言ってくださるので安心したけど。止血の処置も終わって訪問歯科さんが帰った後ずっとつらそうな顔してうなっているから、どうしたんと聞いたら残った上の奥歯が下の歯茎にあたって痛い、と。とにかく、常にぎゅーっと噛んでいる状態だから1本残った上の歯が下の歯茎にささってしまっているのです。とりあえず、『ワイヤーが歪んでるけど前歯なくなったし入るか!?』と上の入れ歯を入れてみようとした。とにかく、噛まれるからめっちゃこわい。。。開くとしても2センチぐらいしか開かない。「いまや!」と入れたはいいけど、口の中で所定の位置に収まらない。うーんうーんとあれこれやってたらついにがっつり噛まれてしまった(泣)。二人とも、『やってもうたーー!』ってかんじ。 人の噛む力ってこんなに強いのかと思わず「イターーーー!」と言ってしまった。指をずらすこともできない(泣)。こうなったら力がゆるんだ瞬間に引き抜くしかない、とじっと耐える私。母は悲しげな顔で私を見てる。母に噛みつかれながら、なんやこの異様な光景…ほんまなんなんよ、この病気は…。と思ったら泣けてきた そのうち母がブーッと笑い出したかと思ったらみるみる泣き顔になり、最後は「ウガーーー!」と怒り爆発の形相で口が開いた。結局入れ歯は、奥歯だけでは、すぐはずれてしまいダメだった。訪看さんに相談してとりあえず、のどのおくに落ちないような大きさのガーゼハンカチを噛んでもらう事にしたらなんとか落ち着いて、ホッ…。はー。なんだか、久々に疲れました。あとで伝の心に『ゆびだいじょうぶ』と打ってくれてあり、ちょっと救われた。お母さんも、おつかれさま。
2011.02.25
コメント(10)
しつこくアップします。伝の心のスタンドを横から見たところ。センサースイッチの機械をフックでぶら下げています。今は空気圧入力のスイッチで使用しています。感度は8から10くらいの設定です。chienblancさんからご指摘があり気付きましたが、母はこのごっつい羽毛布団の下で今年の冬を快適に過ごしています。おととし病気を発症した夏はタオルケットの重さにすら耐えられずあわてて手作りでリヒカのようなものを用意してたのに!その後購入した、ちゃんとしたリヒカはいま、部屋のオブジェとなっています。このごっつい布団をリヒカ無しで使っているのです。不思議。。。
2011.02.12
コメント(10)
みなさんたくさんのアドバイスありがとうございました おとといの夜は布団の中に回路のチューブを入れてみましたが、夜中に母、パニクってアガーっと大きい口を開けてしまいマスクから下くちびるがとび出した状態で約2時間。私が次の巡回に行くまで耐えていた「あついかぜきた」とのこと。。。いやいや、、暖かい風をキープする為に苦労してるのよ~お母さん!あったかいじゃなくて「あつい」の~?とにかくこの作戦はダメだった アガーのせいで、また小鼻の横にマスクで傷をつくってしまいました。そして、エアコンを入れっぱなし作戦は、風があたるがヤでこれも却下。一番あたらなそうな角度にして最弱にしても気になるらしいっす 光熱費を気にしての事ではないとのことです~。母に、「結露でべたべたに耐えるのとどっちがいいか」聞くと「いままでどうりで」という返事。「拭きにくる回数ふやそうか?」というと大丈夫、と。回路の加湿器をきるのも口乾き過ぎになるからダメ。エアコンやめてオイルヒーターがいいんちゃう?と聞いてみましたがノーでした。そこまでしなくて大丈夫、とでも言いたげでした。なんだかなあ~ほんまにいいんかいな。見ていて苦しそうなのに。みなさんほんとうに貴重なご意見ありがとうございました。まだまだこれから寒くなるのにと思うと不安ですが、しばらく現状でいってみます。部屋の湿度は、tama梅さんに教えていただいたエコ加湿器を母の枕元においてみたらはじめて60パーセントまであがりました
2011.01.11
コメント(4)
呼吸器のマスクに結露がたまって困ってます。回路のなかには熱線(?)が螺旋状になっていて結露防止の役割をしてくれてるはずなんですが全然ダメです。夜中にマスクをはずして拭くのですがそれでも間に合ってないカンジですごく溜まっててはずしたとたんにダーッと流れてヘタすると首のうしろまでー。エアコンは就寝時に朝4時に入るようにしてきってしまいますが、やはり部屋の温度が低いせいですかね?去年の冬、病院ではこんな事無かったと思います。加湿器は一番低いレベルにしています。なにか、良い方法はないでしょうか?よろしくお願いします。
2011.01.07
コメント(20)
先日、母の小鼻の横の皮がめくれてしまいました 。夜の9時~朝6時までBiPAPで今は口と鼻を覆うマスクを使っていますが上のベルトをしめすぎたようです。レスピロの担当さん(女性)に教わった『サラサーティを当たる部分に切って貼る』方法をやってみましたが、リークが多くなって装着が非常に難しい。かさぶたがとれたので大丈夫そうだけど念のためしばらくサラサーティ生活続けます。っていうか、サラサーティなくても難しいです、マスクの装着毎日やってるのにいまだコツがつかめましぇん(汗)。マスクもベルトも大きいし長いよ ぶーぶー。完全にアメリカ人サイズだもん。。。東洋人サイズのマスク頼みます 。
2010.12.15
コメント(6)
tama梅さんにリクエストいただきましたお家と携帯の比較写真をアップします。ちょっと物が多すぎますね(汗)。* * * * * * * * * * * * * * 注入用チューブのブラシを買ってみました。一番下のがそうです。『PEGドクターズ』というNPOのホームページで買えます。税.送料込1500円です。上のチューブは1ヶ月に1回、1本ずつ胃ろう交換のときにもらえますが1ヶ月2本だと結構汚れてしまって 買ったブラシ(50センチ)が長い方のチューブには足りませんでした。ちゃんと計らず買った私が悪い 75センチのも今日注文しました。
2010.12.14
コメント(12)
母、おとといの昼食の途中で舌がフリーズ…。4口目くらいから口も開けづらそうで、そのまま「もういい」の合図。そして、いつも歯磨きするために上顎の義歯をはずすのだけど、 口が開かん。1センチ弱開いた状態でかたまってる。本人も気持ちを集中してあけようとしてるのは分かるんだけど、開かん 。1分程じっとまってちょっと力がゆるんだ!隙に義歯をはずしなんとか口腔ケアできた。その日は朝ご飯の時も舌が半分くらい出たままの状態で5~6回、15秒程とまることがあり、明らかに今までより舌の動きが悪いなと思ってた。1ヶ月前程前には30分だった食事の時間がこのごろは45分かかるようになっていたしじょじょにしんどくなってたんだと思う 舌の上のベストの場所に置けさえすれば飲み込めるからまだ大丈夫と思ってたんだけどなあ (むせは、一度の食事で2~3回。←これ、どうなんでしょう。多い?)そして、昼食後に伝の心に「食事だんねんする」 とあった。きのうは一日ツインラインのみ。。。でも唾液は飲み込めてるし、ヨーグルトだけでもおやつに食べてみる?と思った矢先にアクシデント発生 夜間BiPAP装着して就寝中に、あくびをしてしまったのか夜中に見に行ったら口鼻マスクから下クチビルがとび出してしまってて『アガーーーーー』状態!!そのうえはずれて口の奥にずれた義歯をおもいきり噛んだらしくささえの前歯2本から出血という惨事に...義歯の針金部分がゆがんでたから、そうとうな力で噛んでしまったんだと思う。歯茎も切れてた 明日、訪問歯科がきてくれます。。。夜間の介護方法考えないとそして、心配がもうひとつ。。。義妹が『くも膜のうほう』の疑いでMRIをうけることになりました 家で一瞬意識を失って(!)倒れたのがきっかけでCTを受けて、(倒れたのは生理前の腹痛とデトックスグッズを試した事による腹痛の痛みのせいらしく、因果関係はないらしいのですが)そのときのCTに『のうほう』らしき物が写っていたとのことでMRI検査を。。。のうほうがもしあっても、大きくなっていないか定期的に経過観察ということになるそうです。いつも母の介護を肉体面、精神面でささえてくれている彼女の存在の大きさを思い知りましたーきっと大丈夫よ ナイナイのやべっちも持ってるらしいよ!ただ、こんなことでもないとゆっくりできないからね。○○(弟)に家事やってもらいなね。
2010.11.09
コメント(8)
昨日、レスパイトから母帰宅しました 車まで、ヘルパーさんと看護師さんが「また来てね」と、見送ってくださりました。ほんとうに、お世話になりました。入院前から伝の心のビッグスイッチが押しづらくなっていたのでSTさんが手作りスイッチを作ってくれていました。ひとつはコール用に顔で押せるようホッペの位置に、伝の心の入力用に右手の甲側で押せるように工夫されたスイッチです。なんだか愛情がこもってるわあと感激。。。ただ家のマットが自動体位交換マットレスなので今日も朝から調整に四苦八苦だす大きく変わったことと言えばそれくらいで、一安心しています 私もやりたいと思っていたことをほぼコンプリート!できたので充実の2週間でした 母に聞いたら、とてもよくしてもらっていたみたいで次もここでいい?ときいたら笑顔で応えてくれました。よかった、ほんとに 。あらゆる面でサポートしてくれるの方々とのあらたな出会いが今回なによりの宝物です。ほら、お母さん、安心して呼吸器付けていいんやでーーって心境です。
2010.11.03
コメント(10)
本日から母、レスパイトのため入院しました。受付でこんにちわーと言ったとたん、ヘルパーさんたちが「こんにちわー」とドヤドヤと玄関まで出迎えてくださり、母はあっという間に5人くらいのヘルパーさんにとり囲まれて自己紹介されたり、わいわいと楽しそう 車から一緒に荷物を運んでくれる人までいて、私も父もこの嵐のような状況に、嬉しビックリ!ここのスタッフさんは訪問入浴のスタッフさんなみの明るさ&笑顔 OTさんPTさん、先生も神経難病の療養対策に熱意のある方達でした。母も、みんなのペースに巻き込まれた様子で笑顔 でまずは一安心。。。でも、やっぱり終わってみないとわからないのがレスパイトですよね。それに、どんなによくしてもらっても家がいちばん快適に母が過ごせる場所だとおもうから、母に感謝してこのレスパイトの時間を有効に使わなきゃ!と思っています
2010.10.20
コメント(10)
母、昨日予定通り退院しました 今回説明を受けて、やっと覚えました。前のは『ボタン・バンパー型』で、今回のが『ボタン・バルーン型』!次からは往診のO先生に在宅で交換してもらえます (1ヶ月に一回)交換自体は10分くらいで終わり、あとの痛みもないようで安心しました。それより、今回入院中に血液ガスの検査もしたのですが、採血の後ももの付け根に貼ってあったサージカルテープをはがされる時の方が痛かったらしい。二酸化炭素の数値はよく、安心しました。新しい胃ろうボタンはスケルトンで、月面着陸船のような足がついています。付属のチューブもスケルトンで近未来的なデザインでかっこいいです。(tama梅さんごめんなさい。 交換時に新しいチューブがもらえると聞いて 安いチューブを捜索するのさぼってました m(__)m)退院する時、お世話になった看護師さんが途中まで送ってくれて、別れ際に母、号泣 ←こんな泣き方じゃなく号泣Sさん、ありがとうございました。ほんとうに今度こそもう大学病院のお世話になることはないんではなかろうか。外来でお世話になった長野先生、すごくいい先生 ちょうど7月から研究で東京へ移られることになり病室に会いにきて下さった。これでもう大学病院に未練はない。そしてゆうべは母、一度も目をあけない まるっきり私のペースで体位交換。痛みで寝れなかったらどうしよう、という心配は無用だった。今朝、伝の心で「ゆうべはばくすい」と打っていた。やっぱりー。この4日間、父には仕事休んで車だしてもらった。でも、あいかーらず母の身体介助となるといーかげんなことばっかりやってるようで伝の心に父への文書(苦情)がめっちゃ打ってあった(笑)。母が口からぼろぼろこぼすのに対してため息&「もういやや」連発での食事介助やめて。などなど。でも、母も言いたいこと言えるのはきっと父だけなので不安な気持ちやストレスをぶつけてしまっているのかも・・・。父と母二人きりにしておくと、階下から『ウガーーー!』という母の叫びが。またキレている・・・(汗)。でも、父も母にめっちゃにらまれようが、きついこと言われようがめげない。(ってか、母の言ってること右から左?)もう、夫婦のことに首を突っ込むのはやめようと距離をおくことにしている。父にも母にも無理のない範囲で父の手を借りていきたいと思う。
2010.06.12
コメント(8)
刀根山病院のレスパイトは3ヶ月ごと。退院時のカンファレンス時に8月のレスパイト予約もさせてもらった。けど、レスパイト先をもう一カ所はおさえておいたほうがいいとのことでMSWのOさんや市の保健師さんも探してくれていたのだけど退院の時点では見つけられてなかった。私も『レスパイト入院』でググリまくった。そして、豊中市内のレスパイト専門病院なるものを見つけた。そこは、往診や訪問看護をされているステーションが訪問先の患者さん用につくった病院でできてまだ2年目。先生が去年聞いたときは、訪問先の患者さんが対象なのでと断られたらしいが・・・。ダメ元で電話してみると、今年の9月から外部の患者受け入れを始めるべく準備に入っているとのこと!トントン拍子に話が進み、刀根山のMSWさんからその病院の入院申込書が送られてきました。言ってみるもんです。あたってくだけろです。それにしても、これまでいくつの病院に電話したことでしょう。『レスパイト入院』という言葉すら知られていないのが現状ですね。茨木市内の、特定疾患病棟を標榜している、ある病院の地域医療課に相談電話した時、「担当に変わります」と言われ、3人目に出てきた(おそらく)50代の担当者。「れすぱいと?はあ・・?」「『社会的入院』ということですか?」と聞かれたが、あとで調べてみたらそれも私の言いたかったレスパイト入院とはちょっと違う。介護者の休息の為に短期間の入院をお願いしたいんです、ということをうまく伝えられず、悔しい想いをした。特定疾患病棟があっても長期的な入院でしか受け入れてもらえない。しかも、呼吸器装着者については2~3年待ちです、と。わが市の在宅呼吸器装着者や家族は、みんなどうしてはるんやろ。うちはほんとにラッキーなタイミングだったと思う。とにかくこれで、1.5ヶ月ごとのレスパイトになりそうです。母も我が家の負担を心配してくれていたので笑顔でこの話をきいてくれた。いい病院だといいなあー。安心した反面・・・今度は母を入院させるのが少しかわいそうな気もしてきた。どないやねん(汗)。
2010.05.24
コメント(10)
カフアシストがBIPAPのように支給して頂けることになったそうですね カンファレンスの時に保健師さんが主治医に「いつからでしたっけ?」と言うと、「持って退院してもらうよ」と。退院までに使い方をマスターせねば これも全国で給付に向けて尽力頂いた方達がいてこそ。ありがとうございます
2010.04.02
コメント(4)
ふと気づけば、もう4月です・・・ 毎日チョー忙しいスケジュールで、母の在宅療養に向けて順調にいっております。昨日はカンファレンスがあって、これからお世話になる事業所の皆さんが集まって下さいました。家族、主治医、担当看護師、病院のMSW。訪問スタッフ6名、ケアマネ、市の保健師。しかもヘルパーさんはこれで全員じゃない、と。これだけの人たちがチームだと思うと心強くもあり、人の出入りが多すぎるのも大変かも、、、と今さらちょっと心配もあり。でも、スタートしてから考えていけばいいや。そしてカンファレンスのあと、昨夜はナイトトレーニング。一泊、私の介助だけで過ごすという退院前試験のようなものだ。大部屋から個室に移動して、スタート。やっぱり一番のポイントは体位交換だった。うまくいかなくて、夜中に5回くらいおきた。母はバイパップしながら合間は爆睡してたけど、私はほぼ徹夜。側臥位の位置がキマらなくて母はうなり声あげるし、もー四苦八苦なのに、今朝母が文字盤で『 ゆ う べ む き か え た ? 』 はい???? 「5回くらいかえたよ。うーうー言うてたから。 もしかして、覚えてへんの!?」と言うと、ニヤリと・・・。快適やったらしい。そうなんやったら、あまり唸っててもあせらずやっていこう・・・。この病気は日々状態が変わっていくんだと情報として知っていても目の前で実際にそれがおこると「エ?エ?なんでそんなに怒んのよっ!?」などと思ってしまう。感情のふりこが大きくなるのもALSのせいと分かってるのにな。でもあんまりのんびり構えてると文字盤で冷静に苦情が来そう。明日の夕方、うちにベッドなどのレンタル品が来る。そんで4/4~4/5は試験外泊!4/10~4/11はディズニーへ!! そしてそのまま退院です。いよいよです~
2010.04.01
コメント(10)
今日は、となりのとなりの市にあるO病院へ、父と家族面談に行ってきました。刀根山病院以外のレスパイト先確保の為です。MSWのAさんは穏やか~なかんじのかたで、ていねいにお話してくださいました。でも、結果的には母を受け入れてくれる予定だった病棟ではストレッチャーでの入浴ができないため、母の現在の状態を照らし合わせた結果・・・おためし入院は保留 (サマリー作成時はシャワーチェアだったもよう。)今回予定していた病棟(4F)よりも介護度の高いかたのための療養病棟(5F)が現在満床で、そちらは「呼吸器のかたの人数も多く手がまわらないので・・・すみません・・・。」というお話でした。ストレッチャー浴がネックになるとは せっかくなので、一応病棟ご覧になりますかと言われ、4F、5Fを見せて頂いた。しかし、事前のAさんのお話にもあったのだけど『呼吸器使用患者をこれ以上増やすのは難しい』という病棟の空気もびしびし感じられて、現実の厳しさを垣間みた思いになった。「・・・では、5Fがあいた時に、 あらためておためしからお願いします。」とお願いして帰って来たけど、「いつになってしまうか分かりませんが、、、」と言ったOさんがどこかホッとしたように見えたのは気のせいぃ~ どこの病院も、こんなギリギリ状態で受け入れてくれることになるんだろうか。いやー厳しいねぇー・・・なんて、まだどこか人ごとな私 ゆうべもたっぷり睡眠をとって絶好調の今の私には、まだまだなにもかもが分かっちゃいないことばかりなのだろうな。とにかく、次~ またOさんと相談です。
2010.03.09
コメント(4)
昨日、介護認定の予定だったのでケアマネSさんが病院に来られた 母はSさんに会うのは4ヶ月ぶりくらい。「○○さんお久しぶりです 」といつもの優しい笑顔。母も嬉しそうなんやけど、このごろは笑顔でいるのもしんどいみたいですぐにしかめ顔に戻ってしまう。Sさんは「お母さん、だいぶしんどいみたいですね 」と私といる時に心配してた。4ヶ月会ってないと、やっぱりそう思うよね・・・。表情がなかなか思うように作れなくなってる。言葉も伝わらない、文字盤の指差しもしんどそうになってきた。そのあたりが最近とくにすすんできたな と思う。昨日は妹も来てくれてて、あまりにもチンプンカンプンなことを私らが言うから「ウギャーーーー」って母が叫びをあげた ホントに「ウギャーーーーーー」だった そのあとも笑ってんのか泣いてんのかわからない状態で『ひぃーーーーーーー』って引き笑いで息すったままはけない すぐ落ち着いたからよかったけどもう、妹とめっちゃアセりました~ 結局言いたかったことは、痛いしんどいのことではなく緊急性のあることでもなかったが。でも話の内容に関係なく、文字盤を先読みされて見当違いなことをあーだこーだ聞かれてることがガマンできなくて大きい声を出してみたら「違う」にならず「ウギャーーー!」となってしまったんだろう。一旦笑いだしたら止まらないしな~。それも苦しそうでかわいそう (前に、妹が持ってきた綾小路きみまろのCDでホントに窒息しかけた)ま・・・ほどほどに・・・病室の外でSさんと在宅についての話をしていて、「ヘルパーさんのことはどういうカンジで考えてられますか?」と聞かれた。前に、『朝から夕方まで今日はヘルパーさんの日』みたいな内容の誰かのブログを読んだ記憶があったので・・・、できたら午後1時頃から3~4時間くらいまとまった時間来てもらえたらその間に仮眠できて助かるんですがと言ったら、「それは見守りになってしまうので・・・長時間は無理なんです」とのこと なにか身体介助としてやることがないといけないし、1時間半づつ、くらいの時間じゃないと難しいんだって 重度訪問介護は介護保険分を使い切ってからじゃないと使えないし・・・と言われました。長時間ヘルパーさんに来てもらえるのは、障害者支援法の方なんですかね?りゅうさんがブログで『介護保険になるからいろいろと大変』のようなことを書いてはったのはこのことか~~~!?と思いました。まあ・・・それなら仕方ない。朝も夜も6時~8時が忙しいのでその時間に入ってもらって、着替えやトイレを手伝ってもらえたら助かりますとお願いした。う~ん・・・ なにか身体介助・・・3時間分もないな・・・ ってか、ないんなら私、お母さんの横で寝てればいいんかあ(笑)
2010.03.02
コメント(13)
昨日、以前お世話になっていたケアマネSさんから電話が。病院のSMWさんに、「またSさんにお願いするつもりです」と伝えていたので連絡して下さったらしいもし今Sさんの手がいっぱいだったらお願いできないかもと思っていたのでホッとした。改めてお願いするまでもなくサクサクと話が進んで3月1日に介護認定を受けることに。「近々、保健師のMさんとお母さんのお顔見に行きますね」と。またお二人に会えるなんて、母も喜ぶだろう 一方父は、今になってというべきか頭ではずっとずっと考え続けていたんだと思うけどデイサービスで知り合った同病のかたの在宅介護の様子を見せてもらいたいと言い出した。そのお宅も母と同年代の奥さんがALSで発病の時期も同じころ。母より半年程はやく胃ろうを造られて、ご主人が在宅介護されている。それで・・・見てお父さんは自分がお母さんを看るつもりなのか聞いたら「あんたらに迷惑かけるのがな・・・。」と。我が家への気遣いと、夫としての義務感はあるんだろうな。でも、母への気持ちはどうなんやろう。世間体と言ってしまったらかわいそうかもしれへんけど私にはそう思える。自分であちらのおたくに連絡とってお願いして・・・。そういう物事のだんどりも、きっと父は今までの人生でしてこなかったことだ。介護なんて、『だんどり』だらけ。相談して決めてお願いして実行して・・・の繰り返し。与えられた仕事だけこなせばいいわけじゃないのだ、きっと。一回自分でやってみたらいいわ。「俺も後悔したくないしな。」と言うのならなんにも止めはしない。「デイのオーナーさんに聞いてみたら?」で放置してみました。「でもこっちの準備も進めるからねー。」ということで・・・
2010.02.17
コメント(2)
旅に出て帰って来たら・・・在宅が決まりました 主治医の先生とMSWさんが私のいない間に母と話をしてくださって、母の気持ちが揺らぎました。家族に迷惑かけるといっても、おそらく長い期間ではないだろうこと。孫達に生や死について経験させるのはとても貴重なことだということ。先生の話は、母にとってつらい話だったに違いないです。でもそれを現実として受けとめて、家族に介護されることを選んでくれました。もちろん私は母に生きて欲しいと伝えましたが、母の答えは呼吸器はノーです。それはまたこれからのこととして・・・。これから忙しくなりそうです 正直、未知の領域で不安だらけですが、やれるところまでやってみるつもり 見守って下さい
2010.02.10
コメント(10)
正月あけ早々に、刀根山病院に再び戻りました。この数日で母の言葉がかなり聞き取りにくくなってきた 秋頃からリハの時間に伝の心の文字の入力を練習し始めた母。大きなスイッチをカチカチと押して入力しています。胃ろうの手術で少し時間が空いてしまいましたが・・・使い方はきちんと覚えていたようでリハのK先生から「新しい事もすぐに覚えはるんですよ。すごいですよ(笑)」と褒められ、私が嬉しくなった。この病気になって、できなくなったことばかり増えたけど新たにできるようになることだってあるんだ 母が打った言葉『胃ろう 手術 ショック』ソレを見たk先生は「えーっ!つくったほうがいい言われてウン言うて行ってきたんちゃうん」(笑)先生と母、爆笑してるし 母に、「ほんまはつくりたくなかった?」と聞くと苦笑いしてた・・・。もー!どやねん!! 「そろそろ申請かけてもいいと思う」という先生の言葉で意思伝達装置支給の手続きをすることにした。さっそく、保健師Mさんに電話で相談した。母は障害者手帳を持ってはいるが、言語にかんしてはひとつも記載がない。それでも大阪府はわりと支給してくれる傾向にあるらしく、ALSということでだしてもらえそう・・・。ほんとうにありがたいことです 。それにK先生、「もしここに入院中に間に合わなかったら、電話で相談にのるから」と言って下さり、ほんとうに心強かった。次、どこに行くのかな・・・。つい暗くなっちゃうなあ~私は、母の置かれている環境が少しでもよくなればとそれを一番に思っているのだけど母本人は、自分の身体がだんだん動かなくなる事のショックが日々こころの中を占めていて胃ろうしたことのショックや言葉が伝わらないもどかしさに耐える事で精一杯なんだな・・。まだまだ、というよりきっと一生この病気を受け入れるなんてできないと思う。きっと自分も無理と思うから。「もう、あれができない、これもできない」と悲しそうな顔で言われると、私も一緒にへこんでしまう。でも、へこんでばっかりいられないのだ。伝の心、頑張ろうね!
2010.01.16
コメント(6)
胃ろうのオペが12月24日に決まりました。サンタさんからのプレゼントだわ。しかし、予定より1ヶ月もずれ込むとは大学病院てこんなんですかね。入院さしてもらっててほんとよかった。まあ・・・今の主治医のM先生と大学病院のN先生は連絡を取り合っていたみたいなので母の状況を見ながらこのタイミングだったのかもしれません。ここのところ普段の様子を見ててもしんどそうだったのでとりあえず、ホッ です。
2009.12.09
コメント(8)
書いた内容が『公開する』を押しても公開されずに消えてしまうことしばしばいま書いてるのもうまくいくかな・・・最近かなり母の言葉が聞き取りにくくなってきました。先週あたりからレッツチャットの練習が始まりました。こないだ病院に行ったとき丁度レッツチャットの文字入力練習中で、作業の先生に伝の心のことをきいてみたら「見ます?」といってだしてきてくれた。初めて現物を見ましたパソコンは全く初心者の母。そして私もおそるおそるさわる。文字の入力方法は一緒だからこれだったら大きいスイッチでメールできるね・・といったら母もうなづいていた。もちろんネットの世界をのぞくこともできるしね~まだ支給してもらうのは無理だけどいろんなツールに触れて不安を少しでも解消できるようにしてあげたい。病院によっては病室にパソコンをつなげないところもあるらしいけどいま第一希望にしている所は、大丈夫ですと作業の先生から情報をゲットしたただ、車椅子に座っているのがかなりつらそうでかといってベッドに横になっても右向きは30分と持たないらしいラクに過ごせる体位を探すのも今後の課題です。もともと、2年前にしりもちついて(ALS発症してたのかな)腰椎圧迫骨折してから座骨神経痛持ちだからなあ。おすすめの車椅子用クッションなどありましたら情報お願いします
2009.11.27
コメント(2)
あぁ~ホントなら今頃JRの駅にいる時間だよ?・・・などとアンニュイな気分・・・でいるヒマはない旅行がないとなれば、つぎは今月下旬の胃ろう手術のことが気になる。そして、母の介護を在宅から病院療養に・・ということ。先週の金曜日、刀根山病院のMSW、Oさんと今後のことについて話をする時間があった。今の我が家の在宅介護が父の協力なしでは成り立たずその継続が難しいこと、母本人が入院を希望していることを伝えた。ひととおり話を聞き終わったOさんは「ヘルパーさんは入ってもらってないんですよね? もっとデイを増やすとか・・もっとやりようは あると思いますけどね~。 ケアマネージャーは 何をしてたのかって正直、思っちゃいます。」と、腕組み。「いえ、提案はいろいろ頂いていたんです。 それを、うちが受け入れられなかっただけで・・」ヘルパーのことは言われると思ってた。ヘルパーさんに目一杯はいってもらって・・ということもさんざん考えてケアマネさんとも話しあってきたことだ。でも・・・どんなに頑張っても、全く父の手を借りずに24時間は埋まらない。父がすんなりと「じゃあ、ヘルパーさんはいってもらおうか」と言ってくれたらまだ希望がみえたんだけど、父が納得しないままヘルパーさんをいれたらどうなるか私が強めに言えば(ちゃんとした)反対はしないだろう。でも絶対そのストレスのしわよせは私ではなく母にいく。父と二人きりになる毎日何時間かと日曜日、母の精神的な苦痛はガマンの限界に達している。(父も限界に達している。)母の気持ちに寄り添った介助ができない状態の父にこれ以上続けてもらうのは、私も限界だ・・・。物理的に今以上の時間を母の介護にあてればみんなが無理をしなければならなくなってしまう。それは母が一番わかっていて、気に掛けていることだ。私も母もOさんに思いの丈を全部話した「そうか~・・。たいへんだったんですね・・・。 わかりました。 じゃあ、在宅には戻らず病院をさがす方向でいいですね? 入院してもお出かけしたり旅行したりできますからね! ・・え?来週、旅行? ちょっと待ってくださいね・・。 (どこかに電話)あ、はい○○サン。外泊?一旦退院?はい、どうも。 ・・いったん退院になるみたいですね。どこに行かれるんですか? あぁーあそこはいいですねえ ぼくも一回行ったことあります。30すぎてからですけど。」旅行のことはともかく・・・母の居場所がやっと見つかるという安堵感「お母さん、よかったな・・・」と言って声がつまった。母も泣きながらうんうんうなづいていた。「そんなにつらかったんですか~・・・。」Oさんが母の気持ちを理解してくれてとても心強かった・・・・・・ 私はどうしたらいいのか、どうしたいのか。いま母のためにできることはなんやろう・・?母に生きる希望をもってもらう為には・・・?残り時間は?日常のいろんな事とのバランスをとりながらしか母に関われない自分が歯がゆい。仕方ない、と割り切れる日とホントに仕方ない?とおもう日がある。とにかくミッキーには絶対会わせッから
2009.11.11
コメント(8)
母のALS年表の続きです。私の記録ノートの走り書きを参考にしています。20096月~ 水曜・土曜デイサービスに通い始める。 火曜日 訪問リハ開始。 障害者手帳申請。7月 大学病院受診時、左足があげにくい。 左手の小指と親指でわっかがつくれない。 刀根山病院の名前がでる。 ・・やはりいつまでも大学病院で診てもらえる訳では ないようだ。ここが一番近いからいいのになあ。 父の負担を減らすべく奮闘期。7.16 夕方、母呼吸苦を訴える。SPO2 93。 チアノーゼあり。すこしパニック状態? 大学病院にTEL、翌日入院することに。7.17 入院。 肺活量62.3%。 バイパップの説明を受け、この入院中に使い始めることにする。 IPAP 8.5cmH2O EPAP 4.0cmH2O ・・・単位などあってるのか分かりません、 すみません。7.30 在宅医に大学病院からの紹介状持参、家族面会。8.3 退院カンファレンス。 気管切開についての説明など。 8.14 退院。 母の日課 火曜日 往診、訪問リハ。(午後から各1時間) 水曜日 デイサービス。(9時頃~16時頃) 金曜日 訪問看護・訪問歯科。(午後から各1時間) 土曜日 デイサービス。(9時頃~16時頃)8月~ 電動3モーターベッドをレンタル。 寝返りは自分では困難になり、2~3時間おきに 介助が必要。 バイパップ夜2時間。 退院にあわせてくるま椅子購入。 (入院中に介護保険の区分変更申請と調査は済んでいたが 判定が退院に間に合わず、要介護1ではレンタル難しいので 購入した。旅行の予定もあったので、あってよかった。) 要介護4認定される。 浴槽台、浴槽ボード購入。 車椅子の時に使うテーブルレンタル。 このころは2時間おきに車椅子とベッドを行き来するかんじ。 食事は入院中から全粥と刻み食になり、家でも そのようにした。 (前歯が介助のたびにぶつかり、ついにぐらぐらになってしまった。 部分入れ歯を支えていた歯だったので 入れ歯なし、上は前歯2本だけの状態。 訪問歯科にきてもらい、治療開始。 週1の訪問。10月23日完了) 湯村温泉旅行。 9月~ この頃の進行はゆるやかだったように思う。 母の体調のことより、介護体制(みなさんご存知、父) が大変になってしまって ノートには母の身体のことがほとんど書いてない。 9月のはじめから私が週3回、弟が1回泊まり開始。 寝返りは2時間に一回、寝る時に2時間程バイパップ。 先月までは大学病院受診の時に病院内の美容室で カットしていたが9月からは訪問理容を頼むことにした。 階段を降りるのが困難になり、デイサービスに 行くときは男性スタッフさんが2人で抱きかかえて クルマに乗せてくれるように。 その後一人の方が腰を痛めてしまって・・・ 階段昇降機を試してみることにしたが、結局断念。 スタッフさん1人と父とで母を介助してデイに行っていた。10月~ 足、腕ともに急に力が入らなくなってきた。 特に左手はてすりにのせてもブランと落ちちゃうくらい 握力がなくなった。 右手は、スプーンを使って口まで食べ物を運べる。 体重は45キロくらい。 元気な時(2年程前)は60キロくらいあったのになあ。 食事の時のむせは大丈夫。 夜、唾液でむせることがある。 10.27~ 母、私とも在宅の限界を感じ 刀根山病院入院。
2009.10.30
コメント(4)
昨日、朝方には台風も行き過ぎて子ども達も1時間遅れで登校し、9時半より階段昇降機の練習会がありました。結果から言うと・・・、レンタルはしないことにしました。うちは2階で、踊り場が2カ所あるんですがココのスペースが足りなくて切り返しが大変でした。とくに、父が機械を扱いにくそうだったので。とにかく思っていたより使い勝手がよくなかった。正直難しかった~業者さんは慣れですよ、と言ってたけどもっと気軽に使えるイメージだったのになあ~。残念だけど、、、練習会やってもらってよかったわ。また違う方法を考えようと思う。おととい、昨日あたりから、母の足の動きが急に悪くなってきた左の腕も拘縮がぐっとすすんで、曲げたままなかなか伸びない。トイレで手すりを持って立ち上がるのも、手すりに手を持って行くのに介助が必要になってきた。今日は自分で老眼鏡をかけられなかった。ほんと、腕の力が急におちてるきっとこれでは食事を口にはこぶのもかなりしんどいと思う。今日は食事の事については父に言わなかったけど、そろそろ食事の介助も必要だ。父が気づいて手助けしてくれる人なら問題ないんだけどそうはいかないんだろうな・・・。朝ご飯と、夜ご飯の介助。これが近々必要になる。父は、どうするつもりかな~。私的には、『お父さんは絶対またお母さんにあたりちらすんやろうな、そして誰にも相談もせず、この状況をどうしたらお母さんも自分もベストなのかを考える事もせず、ただただ母に当たり散らしてオレ流の介助で押しきるんだろうな~』という確信がある。もう父の行動パターンは悲しいほど安易に想像できる。トイレ介助も、父のオレ流ではもう限界。いくら母が腰をおすなと言ってもおしてきて、手すりにやっとつかまっている状態で今日はそこから動けず結局抱きかかえで車椅子へ移乗したらしく、「お父さんにトイレの介助教えたって。」と母。「お父さんいままで一緒に住んでて何やってたん・・・。」と思わず言うてしもうたわ。とにかく、その気のない人になにを教えても無駄なのでもう、なにも教えたくはないが。母がかわいそうすぎるので教える事にする。食事は命に関わることだから、父がダメならついにヘルパーさんか・・・?父になんにも教えたくない私はつい父を母の介助から排除する方法ばかり考えてしまう。でも、まずは母の状態観察と母の気持ちだなあ。あとはヘルパーさんに助けてもらう為には乗り越えなくてはならない難関、、、父の説得またお手紙書きますかニャ・・・母の状態がこんなに変わってきてるんだから、父の意識も変わってきてもよさそうなもんだぞ。お父さん、頼むよ。頼りにしてるのよ!
2009.10.09
コメント(4)
困るなあ・・・明日は階段昇降機の練習会の予定。でも、台風が大阪に来つつあるので延期の可能性が。明日の朝、連絡が来ることになった。使う人全員が講習を受けなければレンタルしてもらえないらしい、『スカラモービル』という昇降機。いまうちにきている介護用品業者さんのところでは扱っていなくて(危険だからとの理由で)、担当のTさんには「うち、扱ってなくって・・すみません。 けど、気をつけて下さいねえ~。」と、ビビらされた使用する人の背が150センチないとNGだが、その点はギリギリセーフ!とにかく実物を見てみないと、使いこなせるか分からない。ああもう明日やってほしいなあ。台風早よ行けぇ~。
2009.10.07
コメント(2)
早いもので、もう連休おわりです。2泊3日、実家へ子らと行って参りましたパパにクルマで送ってもらって、パパは私たちがいない間、独身生活です。いつもありがとね~。子らが小さいときから私だけ子連れで実家にお泊まりはよくあることなので、その点ではパパも慣れてくれてて、ホント助かります。父を見てて思ったけど。パパも一人でも食事の準備も洗濯もできるようにしておかないと私に何かあった時にきっと娘達が大変だ。その点は、母も反省してるみたい・・・お泊まりのあいだの日は妹夫婦と甥っ子が来てくれて、旅行の手続きやなんかをしてきました。ホテル今回は、というか、いつものシェラトンシェラトン大好き朝ご飯のバイキングがいい!とろとろのオムレツがいいのよ~一応『バリアフリールーム』と名のついた部屋があり、モノレールの駅へも歩いていけるので、決定!ホント~はディズニーランドホテルにしたかったんだけどね・・・。部屋の空き具合と、やっぱりお値段が。旅行会社のパックでも早割とかきかないもんねあとは新幹線チケットですが、一ヶ月前の販売だそうです。妹が勤めてる旅行社の店長さんにお願いできたので私は付いて行っただけで妹と店長さんが時刻表やら座席表やら見ながら多目的室の近くの車椅子席にねらいをつけてくれました。どうか、とれますように・・・そして、どうか母の体調がこのまま2ヶ月安定してますようにトイレの敷居をまたぐ時とか足の『あげ』が少ししんどくなってはきているけど、つかまり立ち上がりはできてる。SPO2は94くらい。のみこみも大丈夫。しびれ、上腕の痛みはかわらずあるらしくてそれが今いちばん気になる症状。今のんでる痛み止めが効きにくくなってきたのかも?あと、、便秘に悩まされてる。マグラックスが効かない~。先週、往診のO先生に便秘薬を替えてもらったのだけど薬局へ処方箋出して、まだもらってきてない~薬局、第3土曜日が休みとは知らんかった。ゴメンよ!その薬が効けばいいんだけど。昨日は休日も関係なく往診があって息抜きしないとダメですよと、先生が父に話して下さった。「きょうはこの話をしにきたようなものです。」とか言ってた。保健師Mさんから話がまわったらしい。Mさん、ありがとう(^^)!レスパイトのことも、刀根山病院だけでなく先生のつながりのある神経内科病院に当たって下さったみたいだけどそこへ通院している患者さんでいっぱいらしい~まだまだ、家族の休息の為に検査や調整といった名目で入院させてくれる病院自体が少ないし『レスパイト入院』という考えを理解してくれる病院がうちの地域には少ない、ていうかないみたいですうちが開拓するか先生が父に言ってくれた。「遊んでいいんですよ。お父さんがリフレッシュして帰って来てくれるのが奥さんにとっても一番なんですよ。」などなど・・・。これで父が、自分の時間を持つ精神的余裕ができて意識が変わってくれたらなあ。母の気持ちに寄り添ってくれるようになったらなあ。いいのになあ~。手紙も渡したよ返事はきませんが。母に、「こんな手紙もらった・・・」と見せたそうです。どういうふうに受け取ってくれたかはまだ分からないけどこれからも思う事があったときは書きたいと思う。休みが終わって、また日常生活が始まって、これからです頑張ります。
2009.09.23
コメント(4)
今日は刀根山病院の診察。さて外出・・・となると、団地2階の母宅・・・いきなりにして最大の難関、階段をクリアしなくてはなりません。前回、旅行に行くときは かなりへっぴり腰やったもののてすりを自分で握って一段ずつ降りれたんやけど・・・。今日は 膝がカクッとなって、アブナーイ!!ダメダメ!!デイサービスに行くときは男性スタッフさんが おぶっておろしてくれてる。それを いつも見ている父が、「よし、お母さん!わしがおぶるわ!」母もこわごわ 父の肩に手をまわし体重をかけた瞬間、父 「ああ~あかんあかんちょっと待って~!」私 「おお~お父さんヤバいヤバい~!」母 「・・・。」(必死の形相)危うく階段の一番上で座り込んでしまうところだったわなんとか体勢を立て直し、2人で両側から母に肩を貸して母は完全な宙づり状態で 降りたもう、必死すぎてテンション「ちょっと待って、ハイOK!」「足、足!」「ハイ、せーのーで!」「ゴメン!痛かった?!」母も「フ、フ、フフフ」とおかしなテンションになり無事にクルマまでたどり着いた時には、ホッとしたのもあって 3人で爆笑だったやっとのことで 刀根山病院へ行ったら、先生が体調不良で本日休診ですとなぬう~!!予約なんだから連絡くれてもいいじゃんいいじゃんと思ったが・・・。受付の人が気の毒なので、おとなしく(いや、父が2,3コト言ったが)次回の予約をしてもらいさあ、帰るか~、と・・せっかく ココまで来たから、豊中にあるケーキ屋へ寄って帰ろう!と提案。「お母さんモンブラン」って、気ぃ早っ!無事、『ムッシュマキノ』にたどりつき、うちと 弟、妹んちの分ふくめ13個のお買い上げ~色々大変やったけど、今日はなかなかいい日でした(^^)ちなみに、帰りの階段のぼりは 下りよりうまくいきました。ただ・・・母のひじを壁にこすってしまって皮が少しはげましたお母さん、ゴメンな~
2009.09.07
コメント(4)
ゆうべ、とりあえず行ってきた10時頃行って、今朝6時半に帰って来た。行ったら、もう父も母もご就寝消灯して、まっ暗状態。父は別室で寝てて、母のベッドの横に私の寝床がちゃんと用意されておりました。母はBiPAP中で、1時間ぐらいつけてる、と。ちょうどお父さん自分が寝る時に着けてくれたんやな。11時ちょい前にBiPAP終了。一回目の体交。10分程して父がスゴい勢いでトイレへ行ってそのままの勢いで部屋に入ってきた。(部屋、暗闇)「・・・あれ?あーービックリした!いつ来たん?!びっくりした~」声、デカ!こっちがビックリするわ!「(BiPAP)はずした?」「はずしたよ」「そうか~」と自分の寝床へ帰って行った。私がまだ来てないと思って見に来たようだ。1時間バクスイしてたみたい。もう、のんきやなあ~。お母さん、呼んでなかったからよかったけどな。その後、ゆうべは2回体交した。ほんとはもっと呼んでたんかな?大丈夫やった?もろもろの確認はまたゆっくり聞く事にして、そ~っと出て帰って来た。う~む、こんなんでいいんかなあ?私、けっこう普通に寝ちゃってたような携帯のバイブ機能のような呼び出しブザーが欲しい。私だけがわかるようなやつ。
2009.09.04
コメント(0)
体交、ゆうべは なかなかうまくいかなかったみたい。父は 気分によって、すぐあきらめたり また暴言。ゆうべは父の機嫌が悪かったらしくて、寝返り しんどかったけどガマンしたって。母も父もこのままではキツいと思うから明日の夜、泊まり込みしてみようと思う。父はどう思うか分からんけど,知らねえ~~押しかけたら 帰れとは言わんだろう。やきもきしてるより、きっとマシ
2009.09.02
コメント(0)
今日も笑顔の多かった 母昨夜は5時間BiPAP付けたまま目が覚めずに寝れたらしい寝返りをしたときの 手や足の位置。これは とっても重要ですね。ジャストな位置がなかなか決まらず 父も母も苦労してる。ほんの数センチ、いや 数ミリの世界!ゆうべの父は とても根気づよく調整してくれたらしく結果 5時間もお父さん、やったね!いよいよ今週末あたりから週何日か泊まり込みに行くつもりだった。だから、ナ~イスタイミング父に教えてもらわなくちゃね!このまま連続睡眠がとれたら 父の負担はかなり減るんやけどな~。今晩 どうでしょかね~。この頃、母の足がタンタンタンタンとなる。びんぼうゆすりの激しい版みたい。痛くはないんだってね。手で押さえてもなかなか止まらなくて、周りの私たちが 止めなきゃってアセるのを見て母が笑い出す。笑ってるよ~。これも進行の現れかもと思うと 複雑だよ~。でも、そもそも ほんとうに笑いたいわけじゃないかもだもんね。つくづく 不思議な病気・・・って思う。でも、できれば『泣き』より『笑い』でお願いしま~す
2009.09.01
コメント(2)
今日の母は明るかったSPO2が92だったし・・お風呂のときの足の動きも先週に比べても固くなっているようだったしーけっして特別に体調がいい訳でもないのによく笑ってた。「夜のBiPAPどう?お父さん付け外し、めんどうがってない?」って聞いたら、「マジックテープが扱いにくいみたい~。私に腹立ててるんか、 テープに腹立ててるんか、もー分からん~ふふ・・ブホッ(笑)」「お父さん、鍋の後片付け、いやがってる?」と聞くと、「それはいやがってるな~~、 洗い物するのに30分もカチャカチャやって~、 皿一枚ずつ戸を開けては閉め、開けては閉めで~ 食器棚に片付けてる~ワシがやってますアピールや~ブフッ(笑)」前にも同じ話を聞いたけど、その時は涙ぐんで話してた。父のイヤミ~な言動を、少しは受け流せるようになったのかな?あいかーらず、母以外の人の前では態度の違う父。「やっとくから」連発。今日も母から聞いた父のあんなこんな話で義妹と情報をやりとり日曜日、掃除洗濯が済むまで朝ご飯を待たされたらしい、と。「待って」と言われたら母はじっと待つしかない。ちょっと、おかしくない?私らが泊まりに行ったときは起きたらふつうにご飯が先やん。その件は弟が、「12時間以上も飲まず食わずじゃアカンやろ」と言ったらしいが父は笑ってごまかしたらしい。前にも母がトイレ介助を頼んだら、「ワシかてやることあるんじゃ!」とカーテンを干していた、ということもある。もう少しなにかあったらまた言わなきゃねと同時に、やっぱり父も疲れているだろうから、ということで意見がまとまった。父はあいかーらずだが、周りの人間は対処法がわかってきた。あきらめも半分だけどね~介助が無理なら手はあるんやから「自分がやるやる言うてお母さんを泣かすなよ」ってことで。私には母の笑顔だけが支えなんですもん
2009.08.31
コメント(2)
母のALS年表2007.12 近所の公園の植栽ボランティア中に1メートル ほどの花壇から転落、しりもち。 (自転車をおして自力で帰宅) 済生会病院整形外科受診。 腰椎圧迫骨折と診断される。 自宅にて安静療養。2008.1~ 骨折は完治したと言われたが 腰~大腿部の痛みとしびれがよくならず。 同病院脳外科でもCT,MRI検査するも異常なし。 座骨神経痛と診断される。 これ以上のリハビリは近くのクリニックで 受けるよう言われ、この時点では 大学病院への紹介は無かった。 春~ あちこちの整体に通い、自宅近くの 外科クリニックでリハビリをうける。 痛み、しびれは治まらず。 左足をかばって歩くようになる。 夏~ このころ自分の声が低くなったようだ、と。 徐々に歩行困難がすすむ。 秋 子どもの運動会を見に来た時、立ち上がろうとして シートに足を取られ転倒。 手をつくことができず顔面を打って鼻血がでた。 かなりショック。 自分の感覚と実際の体の動きが違う、と。 2009.1 父と整体に行った帰り、自宅団地の階段前の 10センチくらいの段差で転倒、 コンクリートでほほを強打する。 幸い骨折は無かったがしばらく 痛々しい顔になってしまった。 この2度目の転倒でクリニックの先生が おかしいと思ったのか、 大学病院の神経内科へ紹介される。 ずっと圧迫骨折が原因と思っていたのに。 腰椎の病気ばかり調べてたのに・・・。 2.12 大学病院初診。 2.26 大学病院受診。検査入院予約。 3.19~ 検査入院。 4.3 『原発性側索硬化症』と告知される。 しかし、リルテックを処方するにあたって、 『筋萎縮性側索硬化症』という病名でないと 公費が使えないので 『筋萎縮性側索硬化症』で手続きをして下さい、と 言われた。 以来、そのまま母の病名は『筋萎縮性側索硬化症』です。 調べていた病名を言われてショックだった。 その時の前後の事はあまり覚えてない。 母が泣いて、「大丈夫やで」って言って、 呼吸器着けてっていうようなこと言ったと思う。 この入院中は歩行器で歩いていた。 痛みはあいかわらず、だるさも。 掛け布団が重くて寝られない、と。 4.25 退院。 自宅療養開始。この頃の母の訴えは「重い」「痛い」「だるい」。家の中での移動は、つたい歩き。腕をあげるのがかなりきつい。お風呂は立ったまま洗い、片方づつあしをあげてあげれば浴槽に入れる。湯があれば浴槽のふちをもって立ち上がれる。掛け布団の重さがつらい。朝、布団からの立ち上がりは困難。一人では手すりがあっても難しい。(たっちあっぷレンタル)改修で風呂場てすり、生活動線上にも手すり設置。嚥下は大丈夫。退院時はこんな感じでした。つづきはまた今度にします
2009.08.30
コメント(0)
母の介護保険の区分変更申請結果が出まして要介護4になりました。あがるだろうとは思ってたけど、いきなり4とは!デイサービスのオーナーさんが「介護度があがったら自己負担額もあがるからねばりなさいよ」と言ってくれていたけど一気にあがってしまいました明日、ケアマネSさんがプラン表を持ってきてくれるけどどんなもんでしょう。
2009.08.26
コメント(0)
先日、訪問看護師さんに『階段を一人介助で車椅子ごと降りられるマシン』があると聞いた。しかも市内でレンタルで使用されている方がいるらしい。話を聞いてもあんまりイメージできなかったのでネットで調べてみました。ありました。たぶんコレ。『スカラモービル』動画を観た。「おお~~なるほど」「えーっ!らせん階段も?」「ええーっ!途中で休んでって・・・コワ!でもスゴッ!」・・・いいかも~~コレが使えればデイサービスに行くのもずいぶん楽になるし、とにかく一人介助で家から出れる~引っ越さなくてもいいんじゃない・・・?でも、もともと母が引っ越したいとか出掛けたいとか言ってたわけじゃないので・・スカラモービルに関しても興味ないかもでもでもっ・・デイに行くのに介助が楽になるなら喜ぶかな。それをきっかけにどこかに行きたいと思ってくれればいいな~これを使うには、使う人全員が講習を受けなくてはいけないらしい。でも、そのほうが安心だわ。見てて練習は絶対必要って思ったもん。で、身長150センチ以下の人は介助不可らしい。セーフ、セーフ!ギリギリセーフです
2009.08.24
コメント(2)
昨日届いた透明文字盤次女とやってみた。「3文字でお願いします。」「はーい」『あ○○』(長女の名前) ・・・『あ』の時点でわかっちゃった。2度3度やってみる。なかなか難しい前の文字から言葉を想像しにくい場合、ここらへんかな?でヘタすると9マスの中から選ぶぐらいの精度話し手に板を近づけると分かりやすいけど・・・。今回は5回くらいで終了。読める人ははじめから読めるらしいですが、私は読めない人ですた~また練習つき合ってもらおうっと
2009.08.19
コメント(7)
行ってきましたケアマネSさんも病院で合流して下さって、母、父、私、Sさんの4人でお話きいてきました。M先生は、とても気さくなかんじの先生でした大学病院ではうやむやな説明しかされなかったところをどーんどんつっこんで話されたので、逆に母も今日は泣くタイミングを逸したカンジ「まず命に関わる大きな選択が2つあるんよね、・・・」と説明すべきところは、はっきりと言って下さって、後はメンタル的な話に時間をさいてくださった。落ち込んだままの人ももちろんいるけれど、大半の人たちはある時期を過ぎて生きる価値を見いだして行かれますから、、、今は先の事を考えられなくてもね・・・。はっきりとは言われなかったけど『大丈夫ですよ』と遠回しに言われているのが伝わってきたああ、だめだ~!!この辺で母も私もウルウルとにかく、優しくて明るい先生でよかった今後は月に1回こちらに通院することになった。今は大学病院でBiPAPの管理をしてもらっているが、そうすると管理しているところへは月1回必ず受診しなくてはいけないので、往診の先生にBiPAPの管理をお願いしてみてはどうか、とのこと。正直、もう大学病院はいいかな・・・と思っていたので(理由・・ドクターがN先生以外、めっちゃ事務的。診断だけが仕事なのかと思う)すぐ、「きいてみます!」と返事した私。でも、胃ろうの手術はここではできないんだってまだ大学病院にお世話にならなきゃいけないらしいわ~。母と、「残念やな~」(笑)大学病院とも3ヶ月に一度、くらいのつながりは続くのでしょうかね~。ドクターの人柄というのはホンッ当に大事なポイントですよね~
2009.08.18
コメント(6)
今日はパパはゴルフ子ども達は弟が甥っ子と共にプールへ連れて行ってくれて私は実家へゆうべは問題なく過ごせたよう。BiPAPのマスク装着もよかったです。寝返り介助はやっぱり4回くらいしたみたいで、それでもなかなかベストポジションが決まらなかったみたい。一晩で4回起きて体交するのって絶対キツいよね・・特に父の方が。これは要検討。お風呂は、父が浴室内で介助、衣服の着脱が私担当で今日は二人でやってみた。トイレと脱衣所がすぐ横でスペースが無く車椅子が入れないので、手引き歩行で脱衣所へ・・・。ほんの50~60センチの距離なんだけど方向転換しなきゃいけなくて、これは思っていた以上に大変だった一人でだと、、、ゆっくり時間かければ大丈夫そう。でも母がグッタリになるだろうな~。要観察。とにかく左足がつっぱって、動きが固まってしまう。父もかなり戸惑っていたけど、母に「これでいい?」と確認しながら介助してくれていた父、進歩だ!お願いやからこの調子のままこれからも介助してあげてね~これはお風呂の前のことだけど、お昼を3人で食べながら母に、胃ろうのことを話した。私も父も、弟も義妹も造って欲しいと思っているというのをまず話して・・。最終的には・・・こっちの「造ってほしい」にうなづいてくれた。胃ろうしなければ、その分早く楽になれると思っていた、母でも実際には命が危ないとなれば点滴で栄養補給され続けて、しかも病院のベッドで長い時間(胃ろうを選んだのと同じかも知れないくらいの時間)過ごさなければならない可能性だってあるし、そんなに弱ってしまってからでは胃ろうの手術はできないということを説明した。それに、胃ろうは呼吸器とは別の物で、造る前と後でガラッと生活が変わったり、介助が格段に大変になるものではないし「実際造った人によると、むしろ便利らしいで~」と、ダメおし(りゅうさんありがとう)「そう・・・」と泣きそうになりながら考え込んだ母。「皆に迷惑かけるからって、 早ように病院に入るためやったんか~・・?」と父。母、泣いちゃってますますしゃべれなくなってるそれもあるだろうけど・・・やっぱり体がつらいんだと思う。私たちは、迷惑だなんて思わなくていいからって思ってしまうけど母は体のしんどさや、すごいストレスと24時間一緒なんやから、本当はそれどころじゃないと思う。早くこの病気から逃れたいと思っての胃ろう拒否だったわけで・・。お母さん、ガッカリしないでね痛みがあっても息苦しくても、これがやりたいと思うことが見つかるように支えていくからね!造ってよかったって言ってもらえるようにするから!で、私がブログをしていること、母に今日言っちゃった(義妹にも~!)「ブログの友達に色々教えてもらってるんやで」って言ったら「いっぺん見てみなアカンな~」と実家にパソ導入せねば
2009.08.15
コメント(8)
母、無事家までたどりつきました両手で手すりを持ち、父が左腕と脇を、弟が後ろから腰を支えて、私が左足をあげる補助。左足がピーン!となったままだから段差が上れないのねでも、抱きかかえずに行けたから良かったわ。あとで、母の体にダメージがこなければいいけど・・・。13時から母の在宅に関わって下さる方達がほとんど全員集まって下さって、まず在宅医のO先生のお話。胃ろうの説明を・・というところでてのひらを横に振る母。「自然にまかせたいです・・・」と。「へっ?胃ろうもバツ?」と私が聞くと、涙目でうなづく。びっくりした。胃ろうは造るものだと思っていたから。先生もちょっとビックリしたカンジで、でもすぐ優しい口調で、「今の気持ちとしてお聞きしておきますね。」と言って、もし胃ろうがなければ痛みを和らげたい場合にお薬の投与が点滴に限られたり、もちろん栄養補給を点滴に頼る事になれば在宅では困難になるし・・・つらい時間が長くなると思いますので、などなど・・。18日に刀根山病院に行ったらそちらの専門の先生にもお話されてみて下さいね、と。どの状態で『自分は天命を全うした!』というラインにするかは人それぞれかもしれない。でも、『胃ろうを造らない』ことでは人生は終わらないんだもんね・・。そこからまだ人生は続くんだから!
2009.08.14
コメント(4)
全62件 (62件中 1-50件目)