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わが家の近くにある新山手病院にゆーりっくさんが受診をされました。そのあと、病院近くのレストランで待ち合わせ・・・行ってみたら、なっなんと臨時休業でした。 それで、車で 清瀬方面に走って和食レストランに行きました。 開店当初より 『四季の花』 を 支えて下さっている Mさんも ご一緒でした。Mさんは、10年前に大病をされ、再発もされ、がん研有明病院に入院、手術もされています。今もお医者さんとは ご縁がある生活ですが、毎日 明るく、笑顔で過ごしておられます。それで、その秘訣をお話していただけたらな~と思って、三人でランチをしましたMさん、ありがとうございました。久しぶりに お会いした ゆーりっくさんは とっても良いお顔で、ひと安心しました。ほんの少し、スリムになられたかも今日のことを こちら に 書いてくれています。かなり長い時間、お話していたのでお疲れになったかもしれませんが、少しずつ体力も回復して、春になったら、一緒に八国山を散歩できるといいな~と願っています。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんの入院生活、7か月に・・・
2014年01月25日
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ゆーりっくさん の入院生活が 7か月となりました。5月9日に 現在の病院を受診し、5月22日に入院。寛解導入のための抗がん剤治療を7日間ずつ2回、地固めの抗がん剤治療を 5日ずつ3回、そして、地固め 4回目の治療は 3日間に変更し、ついに年内に 退院ができそう とのことです。つらい、つらい治療でしたけれど、ゆーりっくさん、よく 頑張りました。寒さがきびしい時期ですし、退院してからも大変なことがあるかとは思いますが、お正月をお家ご過ごせることになって良かったですね。 応援して下さった みなさま、ありがとうございます。【ゆーりっくさんのこと】 『ゆーりっくさんの油症検診』 に、はてなのゆりさんが・・・
2013年12月22日
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カネミ油症事件は終わっていない で 先日、ゆーりっくの油症検診が 更新されました。ゆーりっくさんのブログ と 私のブログとから上手にまとめて、はてなのゆりさんのお顔まで載せて下さっています。ぜひ、ご覧下さ~い【ゆーりっくさんのこと】 カネミ油症のことを 世界に向けて発信♪
2013年11月14日
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ゆーりっくさんは、5回目の抗がん剤治療を終え今は、クリーンルームから 出られない状態です。毎日のようにブログアップしていましたが病室が変り、ネット接続ができにくい状態昨日は、看護師さんの配慮で 少しの間ネット接続ができて数日前にお送りした絵はがきと東村山のお菓子と闘病記・・・を 載せてくれました。『四季の花』の開店の時から ずっと 支えて下さっているMさんは がん研有明に入院し、治療を受けていました。 そのMさんが、ゆーりっくさんに本をプレゼント『 がんと迂闊なラプソディ 』 著者は、浅野直子さん浅野さんは ゆーりっくさんが がん研有明の前に通院していた病院でお世話になっておられます。Mさんと私の共通の知人である Oさんが、何かの講座で浅野さんの隣りに座って、闘病記を書かれたことを知り、それで、OさんがMさんにプレゼントして下さった本です。Mさんもつらい闘病の体験者。ゆーりっくさんに大丈夫 大丈夫 大丈夫って伝えてね、ということでした。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん、ブログの更新がないですが・・・
2013年11月09日
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ゆーりっくさんの昨日のブログ家族で過ごす最後の日 では、 明日7時に自宅を車で出発し、有明に向かいます。・・・あ~、明日から再び入院患者に戻ります。また苦しい治療に なっちゃうのかな・・・ 次に帰れるのは12月か1月。どっちかな。今回、体が大きくなっていた子供たち。2,3か月後はもっとお姉さんぽくなっているかな。書きながら、寂しくなってきてしまいました。・・・とのことで、朝から冷たい雨のなか再入院。ブログの更新がないから心配していましたが、新しい病室に移って、ネットの接続がうまくいかないためのようで、お元気そう・・・で、良かった~ めそめそしているかと思いましたら、私の方が励まされてしまいました。ゆーりっくさんって、強いんだ~と 改めて感心ました。【ゆーりっくさんのこと】 明日の東京新聞にカネミ油症のことが載ります
2013年10月20日
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ゆーりっくさんの今日のブログ 明日の東京新聞の朝刊に掲載 先日、カネミ油症の取材を受けた件です。明日の東京新聞朝刊の「こちら特報部」に掲載されます。 見開きページです。中日新聞、北陸中日新聞にも掲載される予定です。この二紙の掲載日は不明です。ぜひ、ご覧ください。カネミ油症被害が今も続いていることを多くの方に知っていただきたいです。・・・とのことです。また、同じく今日のゆーりっくさんのブログ 家族みんな入院! 血液検査の結果、今日も輸血をしました。足に黒あざができていてビックリ!多分、夜寝る時に足にあてた氷枕のせいかな。今日もシャワーはなしで、蒸しタオルで身体拭き。ウォッシュレットは大助かりです。日本でよかった!クリーン食になってから、食事がまずくなってしまって、残す量が増えました。友達にもらった白玉あんみつがすごく助かりました。白玉が入っているので、お腹にもたまる気がします。今は足が痛くてレンジや電気ポットまで行けません。自分で行けるようになれば、チンするものやカップ麺なども食べられるのですが。父から電話がありました。18日から入院しているそうです。顔半面の麻痺。目の充血から症状が始まり、眼科に最初かかり転々として、総合病院に行ったら緊急入院になったそう。一週間程度の入院予定だとか。心配です。その件を弟にメールしたら、弟も入院していると返信がきました。椎間板ヘルニアで明日退院だそうです。弟は独り身で派遣なので、これからが心配です。足の痛みにカロナールが効かないので、ロキソニンに変わりました。また夜になってきたので、これからが不安です。・・・とのことです。ゆーりっくさんは、弟さんとふたり姉弟。お母さまは62歳で亡くなられています。お父さまのことも、弟さんのことも心配!ゆーりっくさん、おふたりのためにも絶対、絶対、元気になりましょうね。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん、どうしたのかな? 心配・・・
2013年09月23日
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ゆーりっくさん、4回目の抗がん剤治療が終わって、ほっとしているかと思っていましたが、きのうから高熱39度の熱 ですって・・・私も、小学校5年の時と、子育て中の30代に子どもの風邪がうつって39度の熱がでたけど体の節々が痛くて、つらかった~! ゆーりっくさんは、前回の抗がん剤治療で発熱がつづいて、体力が消耗しないようにと今回は、薬を2割 減らしたのに・・・でも、これまでも大丈夫だったのだから絶対に大丈夫 よくなりますよね。みなさん、ゆーりっくさんを応援してあげて下さいね。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん、早く回復してほしい・・
2013年09月16日
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貧血・・・でも順調です からの つづきです。 9月9日 化学療法の前日です今朝の血液検査の結果では、まだ少し血球は予定よりも足りないのですが、長く待っている間に白血病細胞が復活すると困るので、明日から次の化学療法をすることになりました。明日から不自由な身になるので、一階のコンビニに行くことにしました。まだヨタヨタとしか歩けないし、多少貧血も残っています。看護師さんが途中で具合が悪くなったら迎えに行くから連絡してね、と言ってくれました。コンビニの往復は途中のイスに座りながら。無事に買い物を済ませて戻りました!これだけで達成感があります!今日は地元の友達がお見舞いに来てくれました。お昼までお店をして、午後に有明まで移動。子育てもあって忙しいのに、来てくれてありがとう!いただいたもの。プリンスエドワード島の写真集は6月に出版された新しいもの。嬉しいな!かわいいカードと帽子も!友達との面会中に薬剤師さんの薬の説明が入りました。薬の量が八割に減るから、発熱なしで乗り切れるといいな…。治療期間が半分きたので、退院のことを考えるようになっています。体調のいい時にスタッフの写真を撮らせてもらっています。毎日お世話になり、苦しい時を支えてくれている人達の顔を忘れないために。治療は今回限りにしたい! 9月10日 地固め二回目 スタート今日から化学療法。薬類の数が増えました。朝起きたら、グルタミンCOを水でシェイクして飲みました。最初の化学療法の時、三週間も味覚がなくなってしまい、かなり辛かったので、対策方法をネットで調べたら亜鉛を多く含む食品がよいとわかりました。病院の栄養士さんに亜鉛の栄養機能食品、グルタミンCOの試供品をもらい、二回目の化学療法期間に毎日飲んでいたら、味覚がわからなくならなかった!ちょっと高い製品ですが、効果を感じて購入しました。三回目も効果がありました。それからしばらくして、除鉄剤。これは水に溶かして飲みます。1時間してあまちゃんを見ながら朝ごはんを食べたら、また薬。いつもの三種類に吐き気止めと心を落ち着けるワイパックスが加わります。朝の10時から二回目の地固めがスタートしました。かなり身体がズドーンとだるくなって、ほぼ寝てます。今はだるさが軽減したから、本が読めそう。さっき、看護師さんから朗報が伝えられました。化学療法期間は尿の量をコップで測っていました。コップは洗う必要があり、かなり面倒です。特に具合が悪いと。今回からこの作業が不要になりました!尿量を確認する必要がない薬を投与しているからだそうです。嬉しいな!あっ、もう一つ嬉しかったこと。看護師さんの話でびっくりしたこと。「○○さん(看護師さん)がゆーりっくさんは女性らしい体つきでいいなって言ってましたよ」私、胸は下がりお腹は出て土偶のようなんですが…。でも、かなり嬉しかったです。いくつになっても褒めてもらうのは嬉しいものです。Happierにもシェアしました。今日のお昼ご飯。五目豆がおいしかったです。キーウィも!すっぱい物が結構食べたくなります。まだ常食です。9月11日 化学療法2日目きのうからだるくて眠いです。夕べから看護師さんの指示でトイレに行く時はナースコールをしています。夕べは二回トイレに立ちましたが、ふらふらして、半分寝ているようでした。倒れるのを予防するために、また看護師さんとトイレを往復です。横になって何かしていると、知らないうちに眠っています。強いムカムカがないので、眠くて済むのであれば、このままの症状で最後までいって欲しいものです。3時にデイルームでのラジオ体操に参加しました。点滴棒を持って、看護助手さんと一緒に。横になっている時間が長く、身体がなまって気持ち悪いので、可能な時は参加しています。私は座りながら体操をしましたが、それでもちょっとリフレッシュしました。先日友達からいただいた金子みすずの本を読みました。言葉がキラキラしています。繊細でいい人は早く逝ってしまった…。私は繊細にはなりたくない。Tatooって? みかぴょんさんに教えてもらったHappierというアプリを先月から使っています。アメリカのボストンの会社が運営しています。ハッピーなことをシェアして、読んだ人がすてきだと思えばスマイルを送ります。文字でのメッセージも送れます。特定の人をフォローすることもできます。最初は使い方もよくわからず、スマイルが少なくてがっかりしていましたが、いつの間にかスマイルもコメントももらえるようになりました。フォローしてくれている人は100人を超えました。コメントをくれる人がわかってきたので、私からのフォロー返しは減らしています。英語で短い文を書き、いろんな国の人のハッピーなことが見れるし、友達にもなれるので、楽しんでいます。治療仲間もできました。お互い励まし合っています。不思議なのは、アメリカやイギリスの人で主婦っぽい人でもタトゥーをしている人が結構いることです。私は日本人のタトゥーをする人は嫌なので、アメリカ人であってもフォロー返しをしていないのですが、何度もコメントでやり取りををした後にタトゥーをしていることがわかったり。感覚の違いに驚いています。元々のアメリカ人友はタトゥーをしていないような気がするけれど、全身を見てないからわからないです。 9月12日 化学療法 3日目昨日の夕方からの熱はあまり下がりません。今日は一日熱が出ています。37度弱〜38度過ぎをいったりきたり。キロサイドの副作用らしいです。薬を八割に減らしても熱が出てしまいました。ただ、幸い、わりと元気です。ウンウン唸りながら苦しんではいません。ちょっと苦しいですが、車いすで歯科に行くこともできました。ご飯はすっかり食べられなくなりました。不思議ですね。でも、いつものように何か食べたいので、いただいたゼリー等を食事時間に食べています。今日はお届け物が二つありました。アメリカのペンシルバニアの友達夫婦から。カードと窓のスティッカー。それからしばらくして、アメリカのニューヨークのお姉さんから。高校生の時、一ヶ月半、私の実家にホームステイしていた一つ上のお姉さんです。カード、夏休みを過ごしたロードアイランドの絵葉書、火を使わないで香るロウでできた器。ラベンダーとカモミールの香り。廊下まで香ります。看護助手さんが気に入ってお店の名前を控えました。興味のある人は、waxpottery com で検索してください。 9月13日 化学療法 4日目苦しいです。病院食はほとんど残しています。熱はキロサイドの副反応。カロナールで熱を下げています。一日中、寝たり起きたり。また、お母さん、と言っています。今夜は寝られるかな。昨日のコメントのお返事はまた。 9月14日 化学療法 5日目今日から5日目。24時間の薬なので、終わるのは明朝です。今朝ももうろうとしていましたが、夫は通常通り面会に来てくれました。何だか面会でシャキッとして、その後はマンガをサクサク読みました。のだめカンタービレは読了なり。昨日、大学時代の友達から届いたものをUPします。香港旅行のお土産です。愛知県から送ってくれました。嬉しかったです。今日は昨日ほどは苦しくなかったのですが、スッキリはしなくて、ダラダラと横になって過ごしました。肌に輸血か薬のアレルギー症状も出ています。ピンクになって触ると痛いです。身体の節々も痛い。何となく軽いムカムカもあります。でも、「お母さん!」と口にする回数はぐっと減りました。明日は解放される日!あとひと頑張り!ゆーりっくさんの4回目の抗がん剤治療(寛解導入のため2回、地固めのため2回)が、今日で終わりました。 けれども、まだ具合が悪く、吐き気などの副作用で辛そう。湿疹も痛いそうです。ゆーりっくさん、がんばれ~!早く回復してほしい から ご覧下さい。 【ゆーりっくさんのこと】 カネミ油症だから身体が弱いと思っている
2013年09月15日
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面会は嬉しいな からの つづきです。 9月2日 秋のプレゼントみかぴょんさんから立体カードが届きました。PUSHを押すと秋の虫の音が鳴ります。とてもステキなので、部屋に入ってくる人達に見せています!センスがいい友達ですね〜!と言われました。いつでも音を鳴らせるように机に置きました。みかぴょんさん、ありがとう!週末はいつもより院内を歩きました。前回の自由な期間より、今回の方が元気だと過信したのがいけなかったのか、コンビニやエレベーターの中で貧血になり、何度かしゃがみました。今朝の血液検査ではヘモグロビンが輸血ラインでした。自然に血球の回復を待つことにしましたが、辛ければ赤血球を輸血するそうです。でも、ラジオ体操に参加できました。私はイスに座って体操をしたのに、途中でクラクラして焦りました。でも、無事に最後まで参加できていい気分!ラジオ体操を除けば、今日はほとんど横になって過ごしています。水曜日の血液検査の結果が出るまで、一階に行く際には車イス移動をすることになりました。今日のお昼ご飯は中華。完食‼ 9月4日 貧血状態が続いています昨日のことから書きます。昨日はみちるんちゃんが面会に来てくれました。先生の許可が出たので、デイルームでみちるんちゃんと一緒にお昼ご飯を食べました。お喋りが楽しくて、私の身体を気遣ってくれるみちるんちゃんをついつい引き止めてしまいました。面会中は楽しさが先にたつけど、一人になって病室に戻るとベッドの上でゴローン。再び貧血、疲れ、耳鳴りが襲ってきました。夕食の後に回復してきましたが、夕べは早々と寝ました。今朝の血液検査の結果、ヘモグロビンがさらに下がっていることが判明。つまり貧血状態になっていることを表します。値は6.2。標準値は11〜15。フェリチンの値が高いそう。身体の中の鉄分を表すそうですが、標準が1000未満のところが3204ありました。鉄が多過ぎるからヘモグロビンが上がってこない可能性があるそうです。しばらく様子をみて、除鉄の薬を飲むことになるかもしれないそうです。先生から飲みにくい薬だと聞きました。やだな〜。ヘモグロビンが10にならないと抗がん剤ができないそうです。再び抗がん剤のスタートは延びました。来週のどこかになるそうです。ある看護師さんから、「こんなにお届け物や面会がある人は他にいないですよ。お友達が多いんですね〜!」と言われました。私は友達からのプレゼントやカードに囲まれています。応援してもらっていることが感じられるので、完全な孤独感になるのを防いでくれています。病名を隠さなくてよかった。回復を祈ってもらえるし。今日はフェイスブックで祈りの効果を読みました。ちょっと記事としては足りない要素が多かったけど、実験の結果、祈りは病気にも効果があるということ判明したそうです。「山田太郎ものがたり」が終わりに近づき、次のマンガを借りました。貧血なので、8階のデイルームに行くのに看護師さんが付き添ってくれました。「のだめカンタービレ」これも全巻そろっています!今日の昼食は大好きなかつ丼でした!朝の地震はいろんな物がゆらゆら揺れました。すぐに看護師さんが来てくれたけど、ちょっと怖かったです。 9月5日 節々が痛い明け方、トイレで目が覚めた時、身体がおかしい。熱が出た後のように、身体の節々が痛みます。一番ひどい痛みは腰。頭も痛い。熱を測ると37.4。手がむくんでいる。今日は面会が入っているのにマズイな〜。ベッドから起き上がるのも痛くて一苦労でした。先生の話では骨髄の回復期に痛みが出ることがあるそうで、それかもしれないとのこと。痛み止めのカロナールを飲んだら、そのうちラクになりましたが、腰を曲げないと歩けないのでデイルームへの移動は車いすになりました。今日は地元の英語勉強会の友達が面会に来てくれました。四人も来てくれて、嬉しかった!別れる前にクリスチャンの友達の提案で、私のためにみんながお祈りをしてくれました。感激して涙が出てきました。私は絶対に病気を克服して、家に戻ります!午後は東京新聞の記者さんの取材を受けました。先週の続きです。カネミ油症問題が東京新聞、中日新聞、中国新聞、西日本新聞に掲載されるかもしれません。ぜひ記者さんにカネミ油症問題を追いかけていただきたいです。取材が終わり部屋に戻ると、今日二回目のカロナールを飲みました。昨日までは身体が痛くなかったのにな…。この病気は状態が日々変わります。明日から除鉄剤を飲むことになり、薬剤師さんの説明を受けました。エクジェイドという水に溶かして飲む薬。20代の頃、派遣で働いたことのある会社の製品でした。耳鳴りと貧血も続いています。寒気もするので、湯たんぽをお供にしています。明日は赤血球の輸血かな…。腰と首を担当看護師さんにもんでもらいました。指圧、マッサージがとても上手な方です! 9月6日 順調です 昨日は腰も関節も痛くて、ベッドから起き上がるのが大変でした。歩くのもちょっとずつ、しかも腰を曲げて。ぎっくり腰の時のようでした。今日は痛みはだんだん和らいできています。ゆっくりと歩くこともできます。ベッドからも起き上がれます。よかった!回診で先生から非常に順調だと言われました。胸のしこりは全くわからなくなったそうです。身体の痛みは骨髄の回復に伴うもの。白血球や血小板の値がずい分上がってきました。月曜日に採血で問題なければ、火曜日から次の抗がん剤治療に入ります。薬は標準量の八割に決定しました。ヘモグロビンは低い値を横ばいなので、今日は赤血球の輸血をしました。除鉄の薬も今朝から開始!がっくり。今日は37.6まで熱が上がりましたが、その後は36度台に下がりました。車いすで歯科に行く途中、貧血状態になってしまい、ベッドに戻って休みました。一時間半後に再度出直し。車いすをすごくゆっくり押してもらいました。エレベーターでは頭がふわっとなってしまいましたが、無事に歯科を終えて戻りました。歯茎の状態がとてもいいそうです。知覚過敏の薬を塗ってもらいました。前回の歯科で知覚過敏に効くシュミテクトのProエナメルの試供品をもらって使っているのですが、かなりしみなくなりました。知覚過敏の方、お試しください。今日は珍しくスパゲティ。唐揚げも!嬉しかったです。もっとこういったものが食べたいです。 9月7日 突然の面会今日は身体の痛みは全くありません。昨日よりさらに調子がいいです。朝食前にシャワーを浴びましたが、めまいや貧血は起きませんでした。朝、看護師さんに夫の面会があることを伝えていました。10時半頃に看護師さんが、「ご主人はまだいらっしゃいませんが、女性の方が面会に来られました。」と伝えに来てくれました。心あたりはありません。看護師さんが名前を確認しに行ってくれました。もしかして、間違いかも。それとも、私の頭が働かなくて面会予定を忘れたのかな…。こんなことを考えていると、看護師さんが戻ってきて、Tちゃんの名前を伝えてくれました。ええっ‼大学時代からの大事な友達でした。津に住んでいる人なので、ビックリ!ビックリしながら会いに行きました。私は病気で入院することをあまり友達には知らせていませんでした。子供関係でお世話になる人や定期的に会う人を除いて。フェイスブックでつながっている友達が結構いて、そこに自分の様子を書いているので、そこで読んでもらえればいいかなと思っていました。でも、フェイスブックは名前を登録しているだけの人も多いです。Tちゃんもフェイスブックの記事を更新していないので、そうかなぁと思っていました。Tちゃんにはフェイスブックを始めていなかった頃、このブログの事を伝えていましたが、英語学習に関して調べたいことがあって最近読みにきてくれたそうです。そしたら、入院の記述を見つけて驚いて来てくれたんだそうです。今日は午後名古屋で用事があり、名古屋から東京まで朝なら行けると考えたとか!名古屋の用事が待っているから、短い時間しかお喋りできなかったけど、とても嬉しかったです。割と早い時間に夫が到着しました。夫も元々Tちゃんを知っていることもあり、一度は席を外れると申し出たものの、最後まで一緒にお喋りとなりました。私が頭が回らなくて、夫に席をしばらく外すように言えばよかったな…と後悔です…。Tちゃん、せっかく遠くから来てくれたのに、気が利かなくてごめんなさい…。会いに来てくれて、すごく嬉しかったです。Tちゃんが言ってくれたこと。子供の手が離れたら、一緒にプリンスエドワード島とかイギリスに行きたいと思っていた。温泉でもいいけど…。LMモンゴメリーの小説を読んだ友達と、プリンスエドワード島に行けたらいいな。もう一つ、未来の夢が増えました。Tちゃんをエレベーターまで見送って、自分の部屋に戻る途中で、貧血になってしまいました。看護師さんが持ってきてくれた車いすに乗って、部屋に戻りました。しばらく横になっていたら回復。・・・・・・・夕方、様子を見に来てくれた担当看護師さんに今日もマッサージをしてもらいました。腰、背中、肩、首。とっても気持ちよかったです。看護師さんと年齢の話になりました。私のカルテの年齢を見て思ったことなんだそうです。「48才よりずっと若く見える。お化粧したらもっときれいになるんでしょうね。」と言われてビックリ!お世辞でもこんなことを言われると嬉しいものですね。今日はいい日でした。Tちゃんの事が気になっています。がんばりすぎないでね。Tちゃんはとてもいい人だから。 9月8日 オリンピックは東京に決定バンキシャを見ていて疲れてきました。まるで日本中がオリンピックが東京に決まって喜んでいるかのような報道。スポーツ界はそうだよね。一部の経済界もそうだよね。スポーツファンもそうだよね。でも、その他は?多額の税金がそっちに使われるのかな?調べてないからわからないけど。テレビ番組なんて信用できないけど、人に影響を与える力があるんだな。福島問題等から人々の注意を逸らすために、あんな報道してるのかな〜?アメリカとイギリスの友達からも、東京に決まったね!とメッセージが来ました。決まってしまったものはしょうがないので、乗っかるしかない。東京に住んでいるから一度は見に行こうかな?でも、私はこの世にいるのかな…?身体さん、一緒にがんばろう!神様、二度と治療の必要がないようにお願いします‼ゆーりっくさん、四回目の抗がん剤治療 へ つづきます。
2013年09月15日
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回復を気長に待って・・・ からの つづきです。 8月27日 クリーン対応が外れました今朝の血液検査の結果は好中球実数と白血球がクリーンレベルを超えていました!朝からニコニコしています。早速、病院食を常食に切り替えてもらいました。常食になると、三種類のメニューから選択することが可能になります。追加料金が20円だったかな?かかりますが、長く入院していると好きなものが食べたくなるので、活用させてもらいます。クリーン対応を外れたといっても、かろうじて外れた値なので、部屋の外に出る時は自主的にマスクを二枚します。感染すると苦しいのがわかっているので、危険をより低くするための自主防衛です。会計で医療費を払いました。今月も20万円を超えていました…。それから院内のコンビニで買い物。昼食メニューが嫌いなものだったので…。朝食にも手違いがあり、期待していた目玉焼きではなく、私が嫌いな玉子豆腐でした。だから、コンビニで食べたいものを買っちゃいました。焼肉おにぎり、ごぼうサラダ、CCレモンを買いました。本当はオランジーナが買いたかったのに、商品が変わってしまったようです。CCレモンは後味が悪いです。いつも飲み始めた後で失敗したと思います。今度はスプライトにしてみようかな。炭酸が飲みたい気分です。マンガの多い8階のデイルームに行き、次のマンガを借りました。くらもちふさこの「天然コケコッコー」です。全巻借りてきました。面会も可能になりました。偶然、今日面会できるかどうかを尋ねるメールが入りました。今夜お会いできることになりました。すごいタイミング! 8月28日 眉毛メイクをしてもらいました昨日からクリーンが外れ、今日も絶好調‼朝、お向かいさんが退院の挨拶に来てくれました。二部屋だけのフルクリーンルーム仲間です。セミクリーンルームではお隣さんでした。一度退院するけれど、約一ヶ月くらいで再入院だそうです。医学はどんどん進歩しているから、病気を治す薬が現れることを願おう。それまでは、例え病状があっても、医療を受けながらつないでいきたい。そんな話をしました。前から気になっていた帽子クラブに行ってみました。帽子の販売、メイクの指導、ウィッグ販売、帽子の手作り教室?リハビリメイクで有名なかづきれいこさんのスタジオの講師の方に眉毛メイクを教えてもらいました。化学療法をすると、全身の毛が抜けます。眉毛もずいぶん少なくなりました。まつ毛も!その状態でウィッグをつけると、顔がぼやけます。眉毛の形を整えて描いてもらいました。廊下のソファーでiPadらしいものをしている人とお喋りしました。スマホに使えるスタンドのことを教えてもらいました。100円ショップで買えるそうです。その方は明日退院されるそうで、使わないからと気前よく譲ってくださいました!これでベッドで寝ながら手ぶらで動画を見ることができます。今まではiPhoneを持って動画を見ていたので、手が疲れました。ブラブラと出かけて部屋に戻ってiPhoneをチェックしたら、友達から電話の着信あり。隣の駅まで仕事できたから、面会に行こうか?という内容だったそうですが、一時間も前だったので手遅れ。残念でした!昨日借りた「天然コケコッコー」を、やけに馴染みのある方言だな〜と思いながら読んでいましたが、神楽が出てきました!調べたら、私の生まれた町が舞台でした。島根県浜田市の三隅町。作者のくらもちふさこさんのお母さんの出身地だそうです。そして、私の母の出身地です。びっくりしました〜!今日の血液検査の結果、血小板の値は更に低くなりましたが、想定内ということで、明日まで輸血はしないことになりました!金曜日の検査結果でどうなるか決まります。来週も血球の回復を待つことになりました。ということで、来週の金曜日までは面会も可能です。ラクな時間が増えてすごく嬉しいです。書き忘れていました。夕べ面会したのはカネミ油症被害者の関東連絡会のMさんでした。Mさんは昨日から3日間、私のいる病院のそばにある東京ビッグサイトで展示会の仕事なんだそうです。とてもいいタイミングでした。Mさんから今後の計画を伺いました。私と同年代の非常に頼もしい方です。朝食にわさび漬けが出ました。私はわさび漬けが大好き。クリーン対応の時期には漬物は禁止。久々の漬物でした。今日の昼食。キーマカレーのメニューを選びました。病院なのにスパイシーなカレーです。久しぶりの果物でした。 8月29日 はてなのゆりさん、ありがとう午後、はてなのゆりさんの面会!入院してから三回目!片道2時間かかるのにありがとうございます。カネミ油症の話もしましたが、ご近所さんへの対応など、いろいろ教えていただきました。長い時間、お喋りに付き合っていただいてすみません。楽しかったです。ゆりさんの画文集と今月描かれたひまわりの絵をプレゼントしてくださいました。食べ物もたくさん!おいしそうなものばかり!お饅頭も水羊羹も大好きです。スイカは今日。ミックスフルーツは明日いただきます。話題の半沢直樹をYouTubeで見ています。すごくおもしろい。今日は5話まで見終わりました。 8月30日 面会は嬉しいな今日の調子も絶好調。一ヶ月前の面会できた期間には、てすりに捕まりながらフラフラ歩いていましたが、今回は手すりなしでスタスタ歩けています。すご〜い、私!今日はカネミ油症の件で取材を受けました。若くてフレンドリーな女性の新聞記者さん。ご自分が書かれた油症記事のコピーを持参されていました。非常に読みやすく、新聞の硬い文章が嫌いな人でもスイスイ読めるものでした。被害が今も続いていることや不可解な認定基準等について、具体例とともに記事にまとめてありました。ぜひ、続けて記事を書いていただきたいと思いました。時間が足りなかったので、来週もお会いする予定です。九州以外でもカネミ油症の問題をもっともっと記事にしてほしい。今までカネミ油症を知らなかった人にも知って欲しい。この事件を埋れさせないで欲しい。ダイオキシン類が身体に入ったらどうなるか、それから生まれた症状の改善方法などの研究をする人がもっと増えて欲しい。こう願います。夜は友達が仕事帰りに面会に来てくれました。六本木に住んでいる人ですが、今回は自転車で。都心の人ですね〜。リクエストしたあんみつを持ってきてくれました! 8月31日 ダイオキシン国際会議に絡めて私のブログに度々コメントをくださっているShukuwaさんが、今週韓国で開催された第33回ダイオキシン国際会議でカネミ油症被害者の苦悩を発表されました。飛行機で長崎に帰られる途中、成田から羽田への移動の際に面会に立ち寄ってくださいました。今まで電話やメールのやり取りはありましたが、お会いするのは初めてでした。20分程度の短い時間でしたが、誠実で優しいお人柄と頭のよさや行動力が感じられ、かつて油症の支援者達が東京から五島列島まで何度も足を運び、被害者活動をしてほしいとShukuwaさんに説得を続けたことがすんなり理解できました。Shukuwaさんの発表を聞いた外国のダイオキシン研究者から今後の研究につながるような話が出たそうです。九州大学の油症研究班だけでは40年かけても進歩が感じられません。厚労省は油症研究機関をここだけに限定しています。日本だけでは症状緩和等の研究は期待できないでしょう。外国の研究者に、ぜひがんばってもらいたいです。日本でも、カネミ油症を知る人が増えれば、熱心な研究者が増える可能性もあります。もっともっとこの事件の被害者の実情の認知度を上げたいです。夫も面会に来てくれました。大学時代の先輩から自宅に届いたプレゼントを持って来てくれました。先輩は2011年の大地震と津波の被害にあった町に住んでいます。ご自分の方も大変だと思うのに、私のことまで心配してくださっている優しい人です。私は優しい人たちに囲まれて、ハッピーです。大学の扇子。懐かしい思い出がよみがえります。淡いピンクが大好きです。 9月1日 会えると思っていなかった今日は数年前にAFSでLP(担当)をしたときの親子が面会に来てくれました。日本人のお母さんとイタリア人の息子です。息子は高校時代の夏休みに約一ヶ月半、ホームステイをしながら日本語学校に通学しました。日本が大好きで年間留学を希望していましたが、その年のAFSではイタリアから日本に留学できるのは夏プログラムだけ。その後、日本に高校留学する夢を叶えたいと、私費留学をしました。彼の私費留学を実現するのは容易なことではなく、協力してくれた人が何人かいましたが、中でも夏の時のホストファミリーは全面協力!AFSと同様に無報酬で一年間のホームステイを引き受けてくれました。子育て中の家庭なのに、なかなかできないことです。すばらしい‼ ホストマザーは元々私の親しい友達。とても優しい人です。私はイタリア人息子君を甥のように思っています。三年振りの日本でしたが、日本語がさらに上手になっていました!前は十代で少年ぽさが残っていましたが、今回は大人になっていました。イタリアで日本語を話す機会はないそうですが、YouTubeでそのシーズンの日本のドラマを見ているそうです。イタリアの大学を卒業したら、大好きな日本で仕事ができるといいね。ご両親は寂しいと思うけど。次の来日の時は、絶対に自宅に戻っています‼イタリアのお土産。塩、胡椒入れ。すごくかわいい!私が食べたかったローストチキンを持ってきてくれました‼ゆーりっくさん、貧血・・・でも、順調です へ つづきます
2013年09月15日
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早く回復してほしい からの つづきです。 8月21日 ちょっと回復今朝の血液検査の結果。やった〜!久しぶりに単球と好中球が0.00ではなくなっていました。笑えるほど小さな値でしたが、私にとってはものすごく嬉しいことでした。再び貧血。また目の前がくらくらし、シャワーはやめました。今は血小板の輸血が終わったところです。隠岐の島の名誉のためプラス振り返りに、もう少し当時のことを書きます。小学校は学年一クラス。私の学年は人数が多い方で17〜18人くらいでした。三年生から転入しました。小学校時代は方言が違うし、本土から来た先生の子供というのも手伝って、からかわれました。走るのが遅かったので、体育や走りを伴うグループ遊びでは雑魚(ザコ)と言われたのがとても悔しかったです。島出身のある女の先生からは冷たくされましたが、普通に接してくれる先生の方が多かったと思います。疎外感は抜けなかったけど、それなりに友達もできて遊んでいました。隣に住んでいた姉妹には仲良くしてもらいました。その家には最初の一年しか住まなかったけど、よくお家に遊びに行かせてもらいました。中学で他の小学校からの子供たちと一緒になり、再び本土の子だと疎外感でいっぱいになったし意地悪されたけど、私の性格が女子集団からはみ出ていたのも原因だったのかもしれません。学年は二クラスで小学校時代に一緒に遊んでいた友達みんなとクラスが離れてしまいました。なぜか他薦でクラス委員になったけど、投票で敗れたのは同じ小学校出身のとても勝ち気な子。面白くなかったのが伝わって来ました。女子の間でスカートめくりや首元のリボンを取る遊びが流行ったとき楽しいと思えなくて仲間に入らなかった。成績順にテストが返す先生がいて、大抵最初の辺りで名前が呼ばれたけど、ふざけたリアクションができなかった。吹奏楽部に入ったけど、他の部員は誰も行かなくなって音楽の先生(男)と二人で練習していた。なぜか弁論大会の代表に選ばれ、一緒に出た感じのいい先輩(男)から挨拶してもらえるようになった。授業中に体調不良で何度も保健室に行った。持ち物の色合いは制服に合わせて紺やグレー系中心で、あの派手な色が多かったクラスでは浮いていた。冬は母が買ってくれたチャコールグレーのコートを着て登校したけど、他の女子はピンク等の明るい色のコート。ある女子がコートかけをチェックしながら「じいさん色のコートを着てる奴がいる〜!」と騒いだ時は悲しかった。シックで気に入っていたのに。男子は普通に話しかけてくれたし返事もしてくれたけど、女子のほとんどから無視されていました。そのうち隣のクラスの元仲良しにまで広がっちゃった。家庭科や体育等の女子だけの時間は苦痛でした。話しかけても無視されると、自分が空気になったように感じます。相談できる人はいない。親には心配かけたくなくて言えない。本土に戻る未来があることが頼みの綱。一人だけなぜか積極的に近づいて来てくれた女の子がいましたが、私の方は好きなタイプではなく、仲良しになることをゴリ押しされ、閉口していました。その子からは転校した後も、厄介な手紙が来て困りました。だから、それ以来、女子だけの集団に抵抗があります。男子には冷たい意地悪をされなかったのでトラウマにはなりませんでした。辛い時は風景に慰められました。隠岐の島の風景はどこを見ても美しかった。星が降ってくるかのような夜空。魚介類も美味しかった。飼っていたネコは家族のようで、名前を呼ぶと返事をしたし、そろばん塾の帰りにはいつも途中まで迎えに来てくれました。三年通ったそろばん塾の先生(おっつぁんと呼んでた)は子供たちを分け隔てしない、とてもいい人でした。山間の故郷とは別の意味で、隠岐の島にもまた行きたいと思っています。今はIターンも積極的に受け入れているようなので、だいぶ変わったかもしれません。みちるんちゃんからもらったポーチに苺子の日光移動教室のお土産と杏子の河口湖合宿のお土産をつけています。よく使うものなので、テーブルに置いています。 8月22日 懐かしい人とつながった今日から抗生剤の点滴が外れました。輸血もなし。血球の回復を待つばかりになりました。貧血症状が続いているので、明日の血液検査の結果を見て、輸血が追加される可能性がありますが、今日はOFFで嬉しいです。今朝、フェイスブックを見ていたら、友達かも?というコーナーにオーストラリアのご近所のお姉さんの名前を見つけました。当時は20代のおしゃれでかわいい若い奥さんで、30代前半だったMumの仲良しさんで、よく家に遊びに来ていた人です。おとなしかった私にもとても親切で、お家に遊びに行かせてもらったこともあり、大きなお姉さんのように思っていました。ホストファミリーは私以降に何人も日本人をホストしていて、他の日本人はもっと社交的だったようです。私のことは覚えてもらってないかもしれないとダメもとで友達リクエストとメッセージを送りました。とても親切にしてもらって嬉しかったことや、当時の私は感情を上手く伝えられなかったから、その時にちゃんとお礼が言えてなかったらごめんなさい、と書きました。驚いたことにすぐに返事がきました。長いお返事でした。覚えてくれていました!今はお孫さんもいるそうです。若いおばあちゃんです。ビックリ!再びオーストラリアの懐かしいお姉さんとつながることができて、とてもハッピーです。フェイスブックは便利だな〜。 8月23日 久しぶりに郵便が来たオーストラリアのMumがイギリスからカードを送ってくれました。お花が送れないから、花の絵のカードを選んでくれたそうです。Mumは孫とアメリカとヨーロッパを旅行中。今はパリにアパートを一ヶ月半借りています。パリはDadが大使の秘書をしていた時に家族で四年住んだ街。友達に会うそうです。地元のクリスチャンの友達がリビングバイブルをプレゼントしてくれました。英和対照になっていて、わかりやすい言葉に訳された聖書です。高校時代にカトリックの高校で勉強した聖書は難解な日本語でしたが、リビングバイブルは本当に普通の日本語なので、苦痛なく読めそうです。友達からもらったメッセージ本にリビングバイブルからの言葉が記載されていて、繰り返し読んで考えさせられているので、フルで読んでみたかったから、とても嬉しいプレゼントでした。今日は採血、赤血球の輸血、心電図、胸部レントゲンを済ませました。まだ歯科が残っています。貧血のため、車イス移動。車イスにもだいぶ慣れました。白血球は300。好中球実数は50。それぞれ500を超えたらクリーン対応から外れます。まだかかりそうだけど、確実に回復に向かっているのが数値でわかるのが、とても嬉しいです。 8月24日 マスクマジック? 昨日、車椅子を押してもらって歯科から病棟に戻ってきたときの話です。廊下に私の方を見てニコニコした先生が立っていました。「あれっ?もしかして◯◯先生なの?」毎日診察に来てもらっている担当の先生でした!今までマスクをしたお顔しか見ていなかったので、たまたまマスクが外れていてわからなかった…。きりりっとしたイメージの女医さんでしたが、マスクを取ったお顔を見て柔らかいイメージに変わってしまいました‼看護師さんもマスクをつけている顔しか見たことがないので、外すとわからないかも。昨日担当してくれた可愛い看護師さんはマスクをつけるからお化粧をしていないそう。でも、とても可愛いのでびっくりすると、「外すとそんなことない」と言われました。謙遜かも?看護師さんは胸にマスクなしの顔写真をつけているので、よ〜く見せてもらおうと思います。楽しみが増えました。昨日の輸血の効果で今日は貧血なし。夫が面会に来てくれました。子供たちにお皿洗いをさせているそうです。よくぬるっとした洗い残しを見つけてやり直しさせているそうです。私の夫はすごいな〜。今日の夕食。コロッケが嬉しかったです。久しぶりにソースが出ました。8月25日 笑っています日曜日の病院は静かです。外来が休みだから検査はないし、今日は点滴も輸血もありません。血球の自然な回復を待っているだけの状態。これでクリーンが外れれば最高なんだけど。まぁ、今日のよい状態を楽しみましょう。ハッピーなことを見つけて投稿するHappierというアプリについて、先日書きました。投稿を読んだ人からスマイルがもらえると気分が明るくなりますが、スマイルがもらえないと寂しくなってしまうとフィードバックを送ったら、すぐにボストンの事務局から返事が来ました。スマイルをゲットする方法などのアドバイスも。それからスマイルが増えました。事務局の人がフォローしてくれたことと、私の投稿が「こんなのもあるよ」の紹介サイトに載ったからです。スマイルをくれる人だけでなく、フォローしてくれる人も増えました。フォローしてくれる人には私もフォロー返しをしていますが、増えてくるとわけがわからなくなりそう…。嬉しい悲鳴です。昨日、夫とテレビ東京の「youは何しに日本にきたの?」の話をしたのを思い出してYouTubeで見ました。とってもおもしろくて一人で大笑いしています。まだまだ楽しめそう。明日はテレビであるみたいなので、見たいな〜。・・・・・楽しい日でした。明日は採血と心臓のエコーが予定されています。楽しい番組を見て大笑いできるのは、体調がいい証拠! 8月26日 火事⁈夕べの9時頃、警報器がなって、部屋のスピーカーから火災の知らせが流れました。「○○階のどこそこに火が〜」と言うので、部屋を出てみました。クリーンルームの他の人も出てきて、とりあえず廊下に出てみました。看護師さんから事情を確認している間は部屋で待機するようにと言われたので、部屋に戻り、避難に備えて貴重品をカバンにまとめました。15分くらいたったかな、火災ではなかったと放送が流れました。ホッとしました。私の部屋は11階。火事があったら怖いな…。私はマンションには住みたくないタイプです。地面の近くがいいです。今日は心臓の超音波検査を受けました。エコーはへっちゃらだと思っていましたが、少し痛かったです。肋間から心臓を見るそうで、女性は肋間が狭いから痛みを感じるみたいです。でも、針より全然いいけど。白血球が上がってきました。好中球実数が上がればクリーン対応から外れます。血小板が輸血ラインに入ってしまっていますが、私が今日は元気なので、イレギュラーに明日再び採血をした結果で輸血を決めるそうです。私が輸血が嫌いだということを尊重して下さっていて、助かります。今日のお昼は炊き込み御飯と鳥の唐揚げがおいしかったです。血球が上がってきたからおいしく感じられるのかなぁ。ゆーりっくさん、面会は嬉しいな へ つづきます。
2013年09月15日
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こちら からの つづきです。 8月16日 また貧血血球は骨髄で作られます。抗がん剤でよい血球も叩かれてしまい、私の骨髄は血球を作る力がない状態が続いています。昨日、トイレに一人で行ってよし、となったのですが、今朝は再びめまいが起きました。自分の部屋の洗面所やトイレに行こうと歩くとめまい。一昨日ほどひどくはありませんでしたが、頭がぐるぐる回りました。トイレでナースコールをしようかと迷いましたが、先日よりマシだったので、いろんなところにつかまりながら、ベッドに戻りました。今朝の血液検査で、輸血が必要な状態だとわかりました。今は赤血球の輸血中です。明日は血小板輸血。抗生剤の点滴は一日二回続いています。抗生剤のお陰で熱は37.5度までに抑えられていますが、もし、再び38度を超えたら抗生剤の種類が変わります。熱が上がらないといいな…。ご飯は前より食べられるようになりました。今日のお昼はハンバーグ!でも、喜びは一瞬だけでした。つなぎだらけのハンバーグ。気持ち悪くなって食べられなかった。サラダはついてきたコールスロードレッシングが美味しくて、完食しました!Huluで「孤独のグルメ」を観ています。主人公はとっても美味しそうに食べるんですよ。美味しそう〜と観ています。今まであまり行かなかった食堂が出てくるけど、おいしいお店がたくさんありそう。病気になっても食いしん坊なので、体重はあまり減らないです。 8月17日 熱が上がりませんように今日は朝食も昼食も完食しました。抗がん剤投与を開始してから18日目。胃腸の粘膜の荒れが治ってきたのかな?さっき輸血の後に体温を計ったら、37.9度でした。下がってほしいと思って、起き上がって30分後にもう一度計ったら37.4度。お布団に入っていたからか、輸血のせいで体温が高くなっていたのかな。でも、少し怪しい。検査になりたくないな…。みかぴょんさんにHappierというアプリを教えてもらってスマホに入れています。嬉しかったことを書いて、読んだ人からスマイルもらうアプリ。イマイチ使いこなせていません。ちいこさんがフォローのリクエストをくれていたのもわかってなかったし。設定項目のオンとオフがわからない。「私が書くものではなかなかスマイルがもらえないので、余計に寂しくなる。心が元気な人向けかな。」とご意見に送ったら、知らない人がスマイルを送ってくれました。事務局の人?逆に気持ちが疲れてしまうので、もう少しやってみたらやめるかもしれません。みかぴょんさん、ちいこさん、紹介してくれたのにごめんね。土曜日は夫が定期的に面会に来てくれる日ですが、夫も数日前に熱を出し、今も本調子じゃなさそうなので、家で休んでもらうことにしました。静かな土曜日です。といっても、輸血の間は看護師さんが何度も体調チェックに入られるので、寂しくはなりません。里帰りした友達が故郷の写真を送ってくれました。三歳〜小学二年生まで住んだ私が故郷だと思っている山間の町。そこは母がカネミ油を買った町だけど、私には温かい思い出がたくさんある場所。意地悪な女の子が一人いたけど、ほとんどが優しい思い出。大人の人も優しくしてくれた。ライスオイルだって、身体にいいからとご近所さんが善意で勧めてくださったもの。隠岐の島に移らずに、ずっとそこで過ごしたかったな。隠岐の島の人は荒削りで本土と島の区別をして、本土からの転校生はいくら努力しても真からの仲間に入ることができずに孤独だった。厳しかった五年間の後は松江の中学に転校したけど、友達の作り方がすっかりわからなくなっていた。一応、友達はできたけど。高校留学でいろんなことを学んで、帰国後は楽しく過ごせたな〜。でも、高校時代の友達とは疎遠になってしまって寂しいな。故郷の写真から、ダラダラと昔を振り返り。振り返ると母の笑顔まで思い出すので、もうやめよう。Mumにもホストシスターとの関係が築けなかったことが今でも辛い、なんてメールしちゃったし。また熱が上がって暗いことを考えてしまうのかも。 8月18日 洗髪してもらいましたこの一週間シャワーを浴びていません。今日こそは!と思っても、熱で苦しかったり、めまいでふらついたりで、シャワーなしの日が延びていっています。体調にゆとりのある日は蒸しタオルで体ふき。看護師さんに背中をふいてもらったりもします。夕べ熱が上がったので、今日もシャワーは見送りました。体をふいて、パジャマや下着を新しいものに交換するとさっぱりしますが、シャンプーはできません。今日の看護師さんが洗髪をする器具をもってきてくれました。美容院みたいに座ったままでの洗髪です。美容院では頭を後ろに傾けますが、こちらは前に。看護師さんが洗髪してくれました。髪は抜けてほとんどないので、頭を洗ってもらったと言うのが正しいですね。人に頭を洗ってもらうのはとっても気持ちいいです。頭のマッサージをしながら洗ってもらいました。嬉しかったです。今日、ネットサーフィンしていたら、お嬢さんがご自分のお母さんの白血病について書かれた闘病記ブログにぶつかりました。私と同じタイプの病型で今年の一月に緊急入院されたそうです。そうそう、と共感しながら読んでいましたが、地固めの途中に白血病細胞が戻ってしまい、五月に亡くなられていました…。この病気は恐ろしいです…。 8月19日 一週間振りにシャワー昨日までに二種類の輸血を受けて、めまいが起きなくなりました。今朝は抗生剤の点滴の後にシャワーを浴びました。一週間振りです。蒸しタオルで体を拭くだけより、シャワーは気持ちいいですね。今朝の血液検査の結果は輸血が必要なラインを超えていました‼でも、白血球はまだ200(基準値4000〜9000)好中球実数は0.00です。感染への抵抗力がゼロの状態が続いています。この二三日、夕方から寒気や頭痛が始まり、熱が37.5度くらいになります。夜も抗生剤を点滴し、頭痛に効くカロナール(解熱剤にもなる)を飲むからか、38度の採血(血液培養)までにはなっていません。血液培養の採血は二カ所からするので、カテーテル以外に腕にも注射針が入ります。やだ〜。注射は嫌いです。医療は嫌いなものだらけ。出産も自宅や助産院を選んだことから、病院嫌いがわかるでしょう?でも、この病気を克服するためにはそんなことは言ってられません!昨日は不安な気分だったけど、シャワーを浴びることができた自信が再び気持ちを上げてくれました。今までの流れをみると、ラッキーなことが連続しています。私が尊敬してやまない教授が、最高の病院を手配してくださいました。私の血液症状が特殊でわかる病理の医師が限られるから、普通の病院ではダメだと。がん研に移って、二回目の外来で白血病を言われましたが、最初は特殊な症状のため詳しい病名はわかっていませんでした。でも、早く治療を開始すべきという先生の判断で、一日だけ間をおいてクリーンルームに入院しました。白血病患者さんのブログをみると、血球が上がると一般病棟に移り、下がるとクリーンルームに入る話が出てきたりしますが、ここでは治療の最初から最後までクリーンルームにいるので落ち着きます。入院してから、珍しい症状の白血病でデータはない、ということも判明したし、細胞タイプもわかりました。転座がある比較的予後良好タイプのため、骨髄移植は受けないことになりました。骨髄の白血病細胞は、一回目の寛解導入で0.0になりました。寛解導入を二回したのは、乳房に残っている可能性があったためでした。念には念を。そして地固めに入れました。他の病院で匙を投げられた人もがん研でよくなって退院する人が多い、どこの病院がいいか調べてここに決めた、等、自分の耳で聞きました。前者はどこまで本当の話かわかりませんが、患者にとって満足感の高い病院であることは確かです。私には応援してくれる人がたくさんいるし、親が不在の間の子供を気遣ってくれる友達やご近所さんにも恵まれています。夫は仕事で帰りが遅いのに、心配になるほど家事をがんばってくれているし、子供たちもそれぞれがんばっているようです。不安になるより、完治を祈らないとね。今日の昼食です。 8月20日 早く回復してほしい単球と好中球がなかなか作れません。二回した寛解導入の時は、数がゼロになって数日後に増え始めましたが、今回はゼロのまま半月が経ちました。この期間は感染症になりやすいので、長いほどリスクが高まります。先生が薬が私の骨髄に強すぎると言われたのも納得です。早く回復してほしいです。夕べは37.5度熱が出ましたが、カロナールを飲まずに過ごしました。抗生剤の点滴と氷枕が効いたのか、朝には平熱に!今日も抗生剤は続いていますが、シャワーを浴びることもできました。苺子の版画を見たかわいい看護師さんに、「苺子は穏やかな癒し系で、敵を作りにくい」という話をしたら、「ゆーりっくさんにそっくりなんですね」と言われてびっくりしました。「私は敵を作りたくなくても作っちゃうんだけど…。気が強く見られるみたいで。」と言うと、「信じられない。とても柔らかい雰囲気なのに‼」と言われました。別の看護師さんにも同じように言われたことがあります。もしかして、入院患者にそう言うことが奨励されている?いやいや、私が年をとって雰囲気が柔らかくなったのかも?本当にそう思われているかどうかは別にして、穏やかさんと言われる気分は悪くないです。看護助手さんにお気に入りのレストランを教えてもらいました。葉山のラ・マレー・ド・茶屋。鎌倉プリンスホテルの海が見えるお部屋に泊まって、タクシーで行くそうです。海沿いのフレンチで、リフレッシュできる空間だそう。ネットで見たら、確かに素敵なお店っぽい。私もこのコースでいつか行ってみたいな。今日の昼食は私の好きなそぼろ丼でした。完食! ゆーりっくさん、回復を気長に待って… に つづきます。
2013年09月15日
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ゆーりっくさんの入院生活は、まもなく3か月…三回目の抗がん剤治療を終えて、血球の値が低くなり、苦しい発熱が続いているようでした。その様子をゆーりっくさんのブログから転載させていただきます。8月 8日 からの つづきです。 8月 9日 輸血決定今朝の血液検査では、更に血球が下がっていました。二回も血小板輸血の予定が入りました。あ〜あ。クリーン食になって、病院食が再びおいしくなくなりました。お腹は空くのに、食事が届くと食べられない。いただいたゼリー等で空腹を補っています。今日は友達が差し入れてくれたみかんの寒天を食べました。すごく美味しかった!外側がパリパリしたフランスパンが食べたいです‼ これは食べてもいいらしい。焼肉やステーキもすごく食べたいけどダメ。いなり寿司や太巻きもダメになりました。しょっ中、食べ物のことを考えています…。食器を返却した時に出会ったお向かいさんと少しだけ立ち話。違う血液の病気の方ですが、いつも朗らかな姿勢が素晴らしい。「原因がわからない病気だから、事故にあったと考えていくしかない」前の病院の先生にそう言われたとか。今日は回診の日でした。回診に来た女医さんから、「ここは癒しの部屋」と言われて嬉しかったです。カード、スピリチュアルな本、アロマの香りのせい?友達が送ってくれた物に囲まれて幸せです。お部屋がいい香りと言われることもしばしば。嬉しいですね。 8月10日 病室から花火さっきまで東京湾花火大会を病室の窓から見てました。大きなマンションで半分くらい遮られてしまいましたが、それでも十分きれいでした。胃がもたれています。夕食のイカリングフライ、結構食べられたのですが、油っこくてムカムカしています。今日は血小板の輸血をしました。月曜日にも予定されています。輸血の間はチューブから顔を背けています。 8月11日 ガラス越しの面会名古屋に住む友達が所用で上京した際に、面会に来てくれました。みちるんちゃんと二人で。二人とも大学時代を共に過ごした仲間です。今回は私の血球が低くて直に会うことはできなかったのですが、先生の計らいでガラス越しにインターフォンで話しをすることができました。名古屋の友達とは年賀状の交換はしているけど、会うのは20数年振り。でも、昨日も会ったようにお喋りできました。学生時代の友達は宝です。血球が低いことを除けば、体調はいいので直に会えなかったのが歯がゆかった。でも、体調が悪かったらガラス越しでも会えなかったと思うので、やっぱりラッキーだったと思い直しました。 ・・・・・みちるんちゃんは、リクエストしたカフェオレスティックやティーバック、食器洗い洗剤等も持って来てくれました。ありがとう! 8月13日 発熱昨日から熱が出ています。好中球がゼロなので、感染から身体が守れないのです。常にマスクをして、手洗いをしょっちゅうしているのに、なかなか身体を守れません。熱が38度ラインを超えたので、昨晩は採血。抗生剤の点滴は毎日二回ずつ、しばらく続きます。夕べはすごく苦しかった。熱、歯茎の腫れ、頭痛、身体の筋肉痛。今日も苦しいのですが、少し前に飲んだ解熱剤が効いているうちにブログを書いています。歩くとめまいがするので、トイレは看護師さんに付き添ってもらいます。「トイレが終わったらナースコールします」と言ったのに、ダメでした。転倒が心配だから、用を足すのも看護師さんの前で。恥ずかしいですが、転んでトイレに歩いて行けなくなると、尿のところに管を入れるそうなので、我慢ですね。下痢が続くときは、お尻が荒れていないかチェックされます。身体をさらけ出すことにだいぶ慣れました。しこりは胸だったし。熱が出ると自分の病気を思い知らされて、心細くなります。 8月14日 抗がん剤が身体にキツ過ぎる先生からの説明。今までの治療経過を見ていると、抗がん剤が私の身体にきつ過ぎるそうです。抗がん剤の度に熱を出し、身体がぐったりしているんだそう。同じ治療を受ける人みんながこうなる訳ではないそうです。次回から抗がん剤の量を二割減らす可能性があるそうです。今のままだと病気が治っても、身体が持たないとか。二割減らした場合のデータはないそうですが、身体が持たなければ意味がないので。今朝の血液検査でヘモグロビンが輸血ラインよりずっと下だとわかりました。貧血症状を改善するために赤血球の輸血をしました。抗がん剤が血球を一気に叩くので、自然に回復は待てないそうです。待っている間に心不全になる可能性があると言われました。身体が弱いことを再認識しました。でも、身体さんはずっと頑張ってくれています。四回の地固めコースでこうならば、三回になっていたら、もっと苦しんでたね。弱い身体なら、抗がん剤を減らしても効くかも…。この日のブログへの私のコメントです。そうなんですか~あまりカネミ油症のことと結びつけたくないかとは思いますが、被害を受けた方々の症例や体験などを読んでいると、通常の治療には当てはまらない方が多いように思います。治療の効果があがらず退院してから手さぐりで食事療法をしたりして、油症の症状に悩みながらも元気に生活をしておられる方々も多くいらっしゃるようです。退院してからの体力を保ちながらの今後の治療を考えて下さっている先生方のご判断には心強いものを感じます。患者さんを画一的に診ているのではなく、ゆーりっくさんの経過をよく診て下さっているんですね。一般的な治療ではなく、ゆーりっくさんに最も合ったオリジナルの治療を考えて下さっているのだと思います。すべてが良くなる、必ず回復することを信じていましょう。私たちも、必ず良くなることを信じて、毎日、祈っていますよ。ゆーりっくさんからの返信です。はてなのゆりさん私もカネミ油を摂食したから、身体が弱いと思っています。カネミ油症を知らなかった長い年月の間、症状に悩みながらも普通の生活を送ってきました。人からは身体が弱いのは気のせいと言われたり、体力作りが足りないから等と言われたりして、精神的にも苦しかったです。今回の治療が終わったら、身体の弱いことはわかっているから、工夫しながら生活するとよさそうですね。大きな病気をしたから、身体を休ませていても人から責められない気もします。ここの病院では患者それぞれをよく見て下さっていると私も思います。すごく信頼しています。 8月15日 抗がん剤は毒薬夕べから熱が下がっています。昨日の午後に赤血球を輸血したら、貧血症状が緩和しました。今朝から、一人でトイレに行く許可が出ました!まだ、身体に熱の出た痛みは残っているし、疲れていますが、再びラクな状態に戻りました。このまま熱が出ないで欲しい。夕べはすごく泣きました。身体が弱ると気持ちも弱くなります。健康を願って母が飲ませた油で虚弱になったこと。母はどんなに自分を責めたことだろう。わたしが体の不調を訴える度に病院に連れて行ってくれたけど、原因不明で怠けと言われたこともあった。油症のことを認識せずに結婚し、子供を持ったこと。子供が帰宅したときに出迎えてやれる母になろうと思ってたのに、長期入院してしまい、小学生にまで寂しい思いをさせていること。もし、再発したら、次の治療は移植。切り抜ける自信がないこと。いつまで子供たちの側にいられるかわからないこと。看護師さんたちに聞いたお話。持病があったり、高齢の人は最初から薬の量を減らしていること。薬の量を減らしても、元気になって退院していくこと。再発は薬の量とは関係ない気がするとのこと。今朝、先生から聞いた話。抗がん剤は毒薬なので、悪いものもいいものも殺してしまう。白血球などが少ない期間が長ければ長い程、感染症〜敗血症になる危険が増してしまう。最悪は死に至る。白血病の治療はそれ程厳しいもの。熱が下がって、身体がラクになると忘れそうになりますが、最初に病名を言われたときも、厳しい治療になる、と言われました。1人1人の患者の経過をきちんと見て、先生が治療を決められること。まだ、最終的に薬を20%減らすことは決定していないそうですが、そうなったときにはきちんと受け止めないと、と思います。昨日のブログへのメッセージにとても励まされました。ありがとうございました。ゆーりっくさんは、自分がカネミ油症だとわかったときに、怠け者ではなかったのだと自分を責めなくなったとのこと。そして退院してこれからは、このような大病をしたのだから家で休んでいてもいいのだと周りの人に思ってもらえる・・・・・なんて、本当に悲しいことですね。ゆーりっくさんは、元気そうで、はつらつと見えました。体調が悪いようには見えなかったので、周りの人からも自分でも、怠け者だと責められ、責めてつらかった・・・それは、カネミ油症の被害者みなさんに言えること。水俣病の人たちも、原爆で被害を受けた人たちも、原発事故で被ばくした人たちも・・・ きっと・・・ゆーりっくさんのお母さんも、ずっと体調が悪く、今の私より5才も若く亡くなられたとのことです。 ≪カネミ油が原因≫という新聞報道の一週間後の1968年10月17日に保健所へ届け出ています。その記録が、保健所にもきちんと残っているのに、全く、考慮されずに、昨年秋に受けた検診結果はカネミ油症ではありません。安心して下さい。という文書となって届いたのが、今年の春です。この直後に、ゆーりっくさんが病気になったのは『全くの偶然です。カネミ油症とは関係ありません』と言い切った カネミ油症治療研究班の 古江 氏古江増隆氏 と 未認定被害者の悲劇当時、届け出て、未だ認定されていない人は1万数千人。 症状が出ている二世、三世…どれ位の人たちが苦しんでいるのでしょうやっぱり、厚生労働省の担当者に電話をしなければ来週こそは・・・・・と、改めて思っているところです。カネミ油症のことを考えると、怒りと悲しみで免疫力が、がくんと落ちてしまいそうなのでゆーりっくさんには、心穏やかに、治療に専念していただきたいです。 【ゆーりっくさんのこと】 三回目の抗がん剤治療を終えて
2013年08月15日
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ゆーりっくさんの入院生活は2か月半を過ぎました。寛解導入のために7日間ずつ2回、地固めのために5日間のつらい抗がん剤治療を終えたところです。その様子を、ゆーりっくさんのブログ から転載させていただきます。こちら からの つづきです。 7月23日 友達からのメッセージ今日は地元の友達からメッセージブックが届きました。お花の写真とイラスト、聖書の言葉の本ですが、友達からのメッセージが数ページ毎に書かれていました。11人の友達からの優しいメッセージ。ありがたくて涙が出ました。その中にはフェイスブックを読んでくれている友達も何人かいるのですが、「前向きで励まされる」との言葉がいくつも書かれていました。身体が苦しいとしょっ中泣いているので、私にとっては意外な言葉です。治ることを願っている気持ちが文面に出ているのでしょうか? ・・・・・先生に身体はラクになったけれど、すぐに疲れて横になってしまう話をしました。そういうものみたいです。抗がん剤後に血球が下がり発熱した時はものすごく苦しかったことも。同じ治療を受ける人は死んじゃうんじゃないかと苦しく思うそうです。明日はペットCT。その後、地固めの薬を決めます。 7月24日 今日の嬉しいこと朝食を抜いて、朝イチにペットCTの検査。昨日、病室のある11階から1階に行ったら、帰りはふらふら。それで、看護師さんが地下1階の検査室に車椅子でいくように手配してくれていました。でも、朝になると車椅子は大げさな気がして、リハビリを兼ねて歩いて行きました。エレベーターで地下1階に着いたところから、だんだん冷や汗が‼廊下の手すりに捕まりながら目的地に到着しましたが、明らかにふらふらしていたようで、そこからは車椅子。血圧や脈拍数を計ることに。まぁ、でも無事に検査は終了。車椅子のお迎えが来ました。大阪の友達から荷物が届きました。奈良に大安寺というがん封じで知られるお寺があり、夫婦で私の治癒をお願いしてきてくれたそうです。感激!! 2人は私がいなかったら出会っていなかったと、今でも言ってくれて嬉しかったです。ご祈祷済みの笹水と御守り、ロクシタンのシャンプーセット、食べ物が入っていました。かわいいカードも。地元の友達が面会に来てくれました。片道2時間もかかるのに、ありがたいです。ウィッグのカタログや白樺のカードなどを送ってくれている友達です。私が夢見ていたケンタッキーフライドチキンと太巻き寿司を持って来てくれました。久しぶりに会えて、すごく嬉しかったです。友達は途中で涙ぐんでいました。毎日、私のことを祈ってくれているそうです。私のために泣いてくれるなんて。私は幸せです。チキンを二つも食べちゃいました。大満足! 7月25日 一日の振り返りと白血病細胞タイプ今日は朝イチで採血。昨日、ペットCT前の注射の後の血管が固くなっていて、採血はなかなか上手くいきませんでした。 痛かった。午前中は心電図と胸のレントゲンを撮りました。看護助手さんに付き添ってもらってエレベーターまでは歩けたのですが、そこで貧血!顔は真っ青になったそうです。結局、車椅子を取ってきてもらいました。お昼を食べたら、手すりのある廊下で自主的に歩く練習をしました。たいした距離はないのに、途中で冷汗が出て動悸が激しくなりました。休みながら三往復して部屋に戻りました。採血の結果、ヘモグロビンが輸血が必要な瀬戸際レベルだと判明。貧血状態なので、あまり歩かないようにと言われました。白血球と血小板の値が上がってきたので週末に外出してもいいけれど、できれば車椅子に乗って。外出するならウィッグが欲しいと、車椅子で院内のフォンテーヌの美容院に行き試着。フォンテーヌの医療用ウィッグは四種類しかありませんが、日曜日に間に合いそうなので次の予約を入れました。部屋に戻ってスマホでフォンテーヌ情報をチェックしたら、油症の加害企業カネカの子会社だったことがわかりました。美容院のスタッフさんに罪はないのですが、慌てて予約をキャンセルしました。ごめんなさい。今日は久しぶりにフレッシュな果物登場!バナナです。クリーン食は缶詰フルーツだから、バナナが嬉しい!看護師さんに教えてもらいました。白血病の治療の場合、寛解導入の一回目は白血球数が上がっても常食にはならず、クリーン食が続くこと。白血球数の中に悪いものも含まれている疑いがあるからなんだそうです。そうそう、私の白血病細胞タイプを書いていなかった気がします。M2(8;21)です。ネット情報によると、俳優の渡辺謙さんもM2だったそうです。昨日のペットCTの詳しい結果が知りたいです。かなり小さくなったことだけ聞きました。 7月26 面会DAY 今日は嬉しい面会!面会!最初はカネミ油症被害者支援をされているお二人。(一人ははてなのゆりさんです)面会時間に歯科受診が入りお待たせしてしまい、ごめんなさい。私は頭の回転が遅くて、自分が被害を受けた問題についてもなかなか詳しく覚えられないのを再確認しました。このお二人は被害を受けていないのに、この問題にアグレッシブに取り組んでいらっしゃいます。元々が違うのかな…。差し入れをたくさんいただきました。食べたいものを幾つもリクエストしちゃいました。カットスイカは夕食時にペロリといただきました。みちるんちゃんも来てくれました。リクエストした大判焼きとプチパンも買ってきてくれました。写真は大好きなアフタヌーンティーのバスタオル。小花柄好きなので、私の好みにピッタリ!もったいなくて使えないけど使っちゃおうかな…。お喋りの時間が足りませんでした! 7月27日 赤ちゃんはかわいいな 私が入院している病院は東京湾エリアにあります。夫が「今夜の隅田川の花火大会がみえるんじゃない?」と情報をくれたので、看護師さんに尋ねてみました。私の病室からは方向が違って見えないそうです。反対側の病棟から見えるそう。場所を下見に行く途中、デイルームを通りかかったときに小さい赤ちゃんが!患者さんのお孫さんでした。四カ月の赤ちゃん。大きな目で顔をじっと見てくれました。とってもかわいい。私はその時たまたま看護師さんと一緒にいたのですが、同じ科の患者さんだとわかりました。「抱っこしますか?」と言われましたが、看護師さんに「もう少し元気になってから」とやんわりお断りされました。いや〜、赤ちゃんは見ているだけで癒されるし、パワーをもらえます。かわいいな〜、と見ていたら涙がこみ上げてきてしまいました。病気がわかってから、涙腺はすっかり弱くなりました。看護師さんと別れて、花火が見えそうな窓の下見を済ませた帰り道、再びそのご家族に会いました。お互い希望を持っていきましょうと少しだけお話し。初めて患者さんと話しました。温かいご家族でした。私の病室からは東京湾の花火大会は見えるそうです。8月10日。体調はどうなっているかな…。 7月28日 15年振りの再会今日は名古屋から友達が面会に来てくれました。高校時代にAFSで留学したオーストラリア。キャンベラに配置されたのは5人でした。アメリカ人2人、インドネシア人1人、日本人2人。日本人は今日来てくれた友達と私でした。キャンベラにはAFSの支部が二つあり、日本人とアメリカ人は二つに分けて配属されていましたが、年に数回合同ミーティングがあったりして彼女と親しくなっていきました。学年は私が一つ下でしたが、気さくな優しい人で、当時から互いを下の名前で呼び合っています。大学時代は同じエリア。一緒に楽しく過ごしました。その後、私は東京に引っ越し、友達とは距離が離れてしまいましたが、心の中ではずっと姉妹のように思っています。彼女は赴任地の名産品を送ってくれたり、震災の時は食料不足を心配して食品を送ってくれたり。でも、お互いなんやかんやで会えないうちに15年が経ってしまいました。彼女は医師なので病院のことは詳しいです。いい病院に入れてよかったと言ってくれました。私の病気を知った時は、すぐに会いにいきたいと言ってくれていました。今回の面会可能な期間に会えてよかったです。前日長野で用事を済ませて、東京に移動してくれました。お土産がたくさん‼ クラブツリー&エブリンのハンドクリームと食べきれない程のお菓子です。食べ物の写真は一部です。移動するのに大変だったんじゃ⁈偶然、私が入院前につけていた香水はクラブツリー&エブリンのウィステリア。このお店の品の香りも大好きです。ゆーりっくさん、三回目の抗がん剤治療 へ つづきます 【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんの面会に行ってきました♪
2013年08月09日
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ちょっと、くつろげた数日間 からの つづきです。 7月29日 地固め療法が決まりました次の治療についての説明がありました。ペットCTの結果は腫瘤は縮小し、強い反応がありませんでした。腫瘍細胞を食べるお掃除細胞があってもこの検査では光るので、その状態という判断がされました。寛解になったとみなして、地固め療法に入ります。地固め療法は抗がん剤を3回と4回のパターンがあり、私は4回受けることになりました。あと4ヶ月以上入院することになります。私は自分の年齢を考えて、強い薬で3回のパターンと言われると予想していたので、少し驚きましたが、理由を説明されて納得。悲しくなりました。3回より4回の方が薬が若干マイルドです。今まで受けた抗がん剤の後、二回とも発熱したこと、2回目が白血球のゼロの期間が長かったこと、赤血球の回復が遅い等の経過をみると、私の骨髄が元々弱めの可能性があるそうです。3回の治療では大量のキロサイドを使うので、リスクが大きいそうです。4回のコースもリスクはあり、特に心臓をチェックしながら治療を進めていきます。治療説明後15分してからカテーテルを入れる予定でしたが、私が説明を聞いている途中で泣き出してしまい、15分後も涙が止まらなかったので、明日に延期になりました。泣いてヒクヒクしてたら手術はできないですよね。自分の身体が弱いことはわかっていましたが、初めて病院で証明された気持ちです。強い薬の3回パターンがより効き目があるというデータがあるそうですが、先生は限られたところでのデータだから絶対ではないと言われました。私にはリスクが高いのなら、治療中に命を落とす可能性だってある。無理!4回でも治っている人はたくさんいると思うので、希望は持ち続けよう。赤血球が回復しないので、明日は赤血球の輸血をすることになりました。血球が抗がん剤に耐えられる数値に回復したら抗がん剤治療に入ります。今週のどこで抗がん剤投与が始まります。私の地固め療法1. キロサイド 5日、ノバントロン 3日2. キロサイド 5日、ダウノマイシン 3日3. キロサイド 5日、アクラシノン 5日4. キロサイド 5日、ラステット 5日、オンコビン 8日目、フィルデシン 10日目完治できるようにお祈りしよう…。 7月30日 カテーテルを入れました寛解導入療法の二回目の後、発熱が止まらなかったので、感染源を疑われたカテーテルを抜きました。いろんな看護師さんに会うたびに励まされました。地固め療法が始まることになり、今日はカテーテルを入れました。処置の1時間前に気持ちを落ち着けるワイパックスを飲みました。それでも私が怖がっていたし、緊張していたので、先生が音楽を流す提案をしてくださいました。iPhoneに入っていたロッドスチュアートのTimeを流しながらの処置となりました。このアルバムは大学同窓の友達がプレゼントしてくれたものです。ロッドスチュアートは喉頭がんを克服し、歌に復帰。67才だったかな。励まされますね。胸から上をカバーし、首に消毒。麻酔の注射を打ち、カテーテルを入れました。その後は再び麻酔。針で縫って終了。痛いと思ったけど、どうにかなりました!すごく汗をかきました。飛び散った血を片付けて終了。レントゲン検査もオッケー。先生に三回と四回の治療の違いについて再度聞きました。これで納得して治療を受けられます。繰り返しになりますが、白血病細胞のタイプがよく、薬がとても効いて寛解したので、地固めをがんばりましょう、といったお話。三回のさらに強い薬で途中でうまくいかなくなったりする場合もあるし、退院後に普通の生活ができないくらい身体が弱くなる場合があるので、そうならないように考えて四回にしたそうです。今は赤血球の点滴が終わったところ。薬剤師のお兄さんが次の抗がん剤の説明に来てくれました。ついお喋りしてしまいます。この病院は優しいスタッフばかりです。三回目の抗がん剤治療を終えて へ つづきます 【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん、ちょっと くつろげた数日間
2013年08月09日
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三回目の抗がん剤治療を前に からの つづきです。 7月31日 地固め一回目 初日今日は地固め療法の初日。ゆうべワイパックスを飲んでから寝ました。心を落ち着けるためと吐き気止めのため。いつもは夜中トイレに立つのに、朝の6時まで爆睡しました。そのあとデイルームに行く途中で話しかけた患者さんがいたのですが、勘が当たっていました。看護師さんからケンタッキーフライドチキンが食べたいという患者さんが他にもいると教えてもらったその人。初めて同年代の患者さんとお喋りしました。病気は違いますが、彼女も今日から抗がん剤だそうです。お互いがんばろう!朝ごはんは完食!病棟担当の先生の診察。先生は三回と四回の違いと四回にした理由をさらに詳しく説明してくださいました。三回は大量キロサイドを使う。予後のよいタイプの五年後の生存率は70%。四回は50%。でも、副作用の問題があり、私の治療経過をみるとリスクが大きい。寛解導入の薬よりさらに強くなる。ましてや、このデータは急性骨髄性白血病のもの。私は急性髄外性白血病で、データがない。この結果をそのまま当てはめてもよいのか断言できない。こんなところでした。はい、私は納得して四回を受けます。午前中に抗がん剤投与がスタート。今回は青色の薬があるので、トイレでも青い尿が出ます。前回は赤だった。お小水の計量も復活。お昼ごはんは久しぶりにおいしかった!中華系メニュー。回鍋肉、ナムル、ごはん、卵スープ、みつ豆!味もちゃんとわかりました。完食なり!今日も昨日のお兄さん薬剤師さんが様子を見に来てくれました。今のところ順調です。身体に大きな変化は感じません。朝もワイパックスを飲んだからか、眠いです。日曜日に友達からもらったサマーヒルのハンドクリームをつけていると、看護師さんがいい香りって。つけてあげました!今日は二人の看護師さんにこのクリームをつけてあげたわ。今日は北海道のお兄さんから荷物が届きました。AFSの私より少し上のリターニーの方。富良野の近くにお住まいです。嬉しいな!みなさんからの応援、励まし、祈りがとても力になっています。ありがとうございます。 8月1日 抗がん剤2日目 眠い昨日から眠いです。今日はダルさも加わりました。気持ちを落ち着けるワイパックスを朝と寝る前に飲んでいるせいかもしれない。ワイパックスは吐き気を抑える成分もあるそうです。今日は採血と歯科。採血は左腕からうまくできなくて、右腕にやり直し。ペットCTで注射を失敗してから、注射はなかなかうまくいきません。 ・・・・・昨日からすぐ眠くなるので、ドラマの途中で寝ちゃってます。抗がん剤が始まって薬の数が増えました。先日Tさんにいただいたクリップで薬袋をまとめています。 8月2日 抗がん剤 3日目 ぐったり昨日の夕方から熱が出ました。熱は38度で止まったものの、採血ラインなのでどきどきしていたのですが、恐らくキロサイドの副作用だろうと解熱剤の処方で終わりホッとしました。寒かったり、暑かったりで、湯たんぽや氷枕を使っています。身体はぐったり。頭痛あり。37度台の熱ですが、ふーふー言っています。三回コースはキロサイドが10倍の量。無理だ‼病院食には箸が進みません。いなり寿司を買ってもらって食べました。今日はほとんどうなっています。今は少しラク。でも、この辺で失礼します。 8月4日 抗がん剤4日目 午後から発熱前日に解熱剤を飲んだら、翌朝には熱が下がりました。9時過ぎ、抗がん剤の切れ目にシャワーを浴びる元気も復活。土曜日なので夫が面会に来てくれました。お昼の病院食をキャンセルし、テイクアウトしてきたマクドナルドのチーズバーガーとフライドポテトでランチ。身体に悪いけど、たまにはいいでしょ?と自分に甘いです。私はフライドポテトが大好き‼なかなかやめられません…。夫が帰った後、再び熱が上がりました。苦しかったけど、解熱剤なしで。氷枕をもらいました。夕食はあまり食べられなかったです。夜中はトイレに三回起きました。足と腕の痒みに気づいて、看護師さんに来てもらいました。軟膏を塗って様子を見ることにしました。かきむしってパジャマに血がついてしまっていました。薬の副作用かも。痒みは今までも起きてます。日曜日。10時半過ぎに抗がん剤5日目が、始まりました。だんだんだるくなってきました。 8月5日 抗がん剤 5日間終了今朝、抗がん剤が終わりました!頑張りました!やったー!病室に入ってくる看護師さんや先生に会うたびに嬉しくて笑顔になります。キロサイドの副作用で毎日午後になると熱が出て苦しかったけど、最後の二日間は解熱剤を使わず、氷枕だけで熱が下がりました。今朝の採血は腕から。まだ抗がん剤が入っていたので、カテーテルからは取れず、残念!五本分の採血でした。結果にビックリ!血球がドカーンと落ちています。緩やかでなく。寛解導入を二度したことで、骨髄にダメージがきているそうです。白血球 800 (基準値 4000〜9000)単球はゼロクリーン対応に戻るのは、次の血液検査の結果を見る水曜日から。でも、今から感染しないように気をつけて過ごさないと。あの熱はとても苦しいから。採血や抗生剤の点滴も増えるし。今は生理食塩水を4時間点滴しています。明日は輸血になりました。経過を見て、次からの薬を調整するそうです。点滴が終わったら、別のフロアのデイルームに行って漫画を借りて来ようかな。 8月6日 漫画にコンサート! 昨日抗がん剤が終わり、すっかり身体がラクになりました。既に血球が下がっているから、明朝の血液検査の結果でクリーン対応になる予感がしています。発熱も迫っているかもしれない。その前の束の間を楽しく過ごしています。毎朝、5時前後に起きることが多いですが、8時の朝食までにはお腹がペコペコになってしまいました。一階のコンビニが7時に開くとすぐに買い物。サンドイッチに加え、いなりと細巻きのセットを買いました。部屋に戻ってサンドイッチを食べ、お寿司も少し食べました。朝食が入るかなと心配していましたが、小さな鯵の干物に大根おろし、切りこんぶとさつまいもの煮物、ご飯、豆腐の味噌汁とお腹に良さそうなメニューだったので完食!昨日珍しくお通じがなかったので…。さすがに胃もたれ。赤血球の点滴が来たので、ボランティア文庫で借りてきた漫画を読んだり、友達がくれた本を読みながら午前中は寝てました。佐々木倫子の「ヘブン?」を完読。先日Huluに入りました。画質は時々すごく悪くなるけど、auのビデオパスより見たいドラマはずっと多いです。大好きなアグリーベティにもいつでも会える!既に日本のドラマを二つみました。「ヒミツの花園」と「まっすぐな男」。どちらも途中で疲れてきてしまった…。もっと楽しいドラマを探そう。ますますバカになってきたかも…。でも辛いから気分を逸らさないと。(いい訳?) 8月7日 再びクリーン対応に 予想が当たりました。今朝の血液検査の結果は白血球も好中球実数もボーダーラインの下でした。感染予防のため、今日から食事はクリーン食。クリーンルームの外には基本は出ないことになりました。面会もバツです。自分を守るためだから仕方ありません。すごく気をつけたけど、寛解導入の時は血球が下がるとすぐに熱が出て苦しかったです。今回は使った薬が違うので、前回よりは苦しくなりにくいみたいです。平穏に過ごせるといいな〜。ちょっとだけ頭痛と口の中に違和感が始まりました。怪しい…。悪化しないで欲しい。今日のランチからクリーン食でしたが、病院食では大好きな天丼としじみの味噌汁!ラッキー! 8月8日 苺子も頑張っています私が入院して二ヶ月半が経ちました。子供たちは夏休み。家族はどうしているかというと…。夫はいつも通り仕事。高2の杏子は部活や塾に出かけることがほとんど。小6の苺子は1人の時間が長いです。苺子の仲良しさんとそのママにとても親切にしてもらっています。朝は一緒にラジオ体操に行き、家に戻って朝ごはんを食べたりした後に、仲良しさんのお家等で一緒に勉強したり、遊んだり。ママは外で仕事をされているのに、苺子の分までお昼ご飯を用意して下さったり。夏祭り等のお出かけにも一緒に連れて行っていただいたり。勉強の方はかなり疎かになっていて、困ったものですが、私がいなくて羽を伸ばして楽しんでいると思っていました。夕べ苺子から電話がありました。夜の9時頃。「夜は1人で怖いから、暑いけど布団の中にもぐっている」と言っていました。「水曜日はお父さんの帰りが早いはずなのに、まだ帰ってこない。お姉ちゃんはそろそろ帰るかな?」1人で心細いけど、頑張っていたんですね。「あと四カ月入院したら家に戻れるからね」と伝えると、「もう1/3が過ぎたね!あと少しだね。」と言います。電話を切った後、「ごめんね、苺子」と涙が出てきました。以上、ゆーりっくさんのブログからでした。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん、三回目の抗がん剤治療を前に
2013年08月09日
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昨日、Tさんと一緒に、ゆーりっくさん の面会に行ってきました。ゆーりっくさんは、お元気そうでした。この数日は、フルーツや生野菜も食べられるとのこと。『思ったより 元気そうなので 安心した。 眼力(めぢから)もあるし、大丈夫だわね』と 帰りに Tさんが 言ったように、ゆーりっくさんは、生き生きとしていました。きびしい治療に、泣き、苦しんで耐えたあとにおとづれた ここ数日の安らぎを 心から喜んでそしてまた、来週からの三回目の抗がん剤治療にのぞむ覚悟ができて、必ず完治するという意志が強く働いているのだろうと思いました。お互いにマスクをかけての対面でしたが、ゆーりっくさんに会えて本当に良かった♪私も、元気がもらえました。ゆーりっくさんと、Tさんと、私と、三人で池袋で お茶のみをしたのは 今年の2月カネミ油症関東連絡会、第一回の集まりのあとでした。 ゆーりっくさんが 2~3才のころに美容と健康に良いと宣伝されていたカネミ油をミルクにまぜて飲んでからのことを伺いました。この時には、ゆーりっくさんが こんなに早く重い病気になるなんて夢にも考えませんでした。ゆーりっくさんは、それからまもなく胸にしこりを感じて、医院や近くの病院で検査、がん研有明に転院されました。池袋の街を見下ろしながら、おしゃべりしたのが遠い昔のように思われましたが、5か月前でした。Tさんは、5月から6月にかけて、『四季の花』 にてお話をしていただいた 石澤春美さん に 同行されて長崎県の五島市に出かけて、カネミ油症の被害者の方々にお会いし、お話しを伺ってこられました。帰りには、Tさんからそれらのお話しや、その後に 読んでいる カネミ油症事件が なぜ起こったのか?そういう本についての情報などもいただきました。昨日は、ゆーりっくさんからは 元気と 明るさを!Tさんからは情報と刺激をいただいた一日でした。ゆーりっくさん、Tさん、ありがとう【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんの入院生活、二か月 【その1】
2013年07月27日
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ゆーりっくさんが入院してから、二か月が過ぎました。寛解導入の治療のあと地固め療法ということでしたがもう一度、寛解導入治療をすることになりました。大変にきびしい一か月でしたが、よく頑張りました。その様子を ゆーりっくさんのブログから4回に分けて、転載させていただきました。 6月24日 慎重を期すため 先生からもう一度寛解導入をしましょうと言われました。決して上手くいっていないわけではなく、順調だと思っているけれど、徹底的に白血病細胞をやっつけてから地固めに移りたいという説明でした。ネットに八割が一度(一ヶ月)で寛解に成功していると記載があったのでショックを受けていると話しました。先生は、「寛解は顕微鏡で骨髄細胞を見て5%なければ寛解というけれど、もともとゆーりっくさんの場合は骨髄の白血病細胞は顕微鏡では見えないくらい少ない。(マルクの後は染色体検査)乳房に残っているものをどう判断するのか難しいところで私たちが慎重過ぎるかもしれないけど、徹底的にやっつけたいのでもう一度寛解導入をして白血病細胞をゼロにし、復活させないようにしたい」と言われました。今日の血液検査の結果、白血球はだいぶ回復し、血小板は基準値になりました。でも、抗生剤の副作用か肝機能障害が見られるので、今日から薬を投与するそうです。水曜日には治る見込みで再び一週間の寛解導入が始まります。薬は前回と同じダウノマイシンとキロサイドです。マルクは今日の午後2時半からです。 6月25日 マルク前のひととき 昨日はマルク。骨髄に麻酔の注射を打った後、骨髄組織を採取する検査です。検査時間の少し前にみちるんちゃんからお楽しみBOXが届きました。何冊もの本に、大好きなアフタヌーンティーのスリッパやロクシタンのシャワージェル、ポーチ。みちるんちゃんは学生時代からの大事な友達です。私の好みをよく知っていてくれてて嬉しい!ちいこさんはリラックスできるようにと子ブタちゃんの写真を送ってくれました!可愛かった!ちょっと和んだところでマルクの時間。二度目でした。前回は外来で、今回は病室で。今回は太い針は使わず、細い針だけだと聞いていましたが、それでも怖い。みちるんちゃんに教えてもらったように深呼吸をずっとしていました。うつ伏せになって麻酔の注射。「痛い!」麻酔の注射が痛かったです。いくつか麻酔の注射を追加しました。汗びっしょり。採取もどうにか終わってホッとしました。私がずっと深呼吸をしていたから、先生が「今、針入ってないですよ」と何度も教えてくれました。心理的な怖さがあるのかもしれない。前回は最初から最後まで体の震えが止まらなかったけど、今回は震えなかったので、進歩したかな。でも、慣れないわ〜。注射ですら嫌いなんだから仕方ない。30分安静にすることになっているけど、自主的に長く寝てました。今は肝臓の薬の点滴中です。血球が上がったから保険の手続きに医事課に行ってもいいそうです。コンビニに寄ってもいいって!今、もう1人の主治医の先生が来室されました。しこりの触診では、さらに小さくなったのがわかりました。「薬はすごくよく効いているけど、乳房に名残があるので、二度と戻って欲しくないからもう一度寛解導入します。幸い副作用は軽かったし。回り道のように思えるかもしれないけど、来年になってあんなこともあったな、と言えるいい思い出にしましょう」こう言われました。気分がラクになりました。 6月26日 ウィッグどれにしようかな 昨日、友達からウィッグのパンフレットと雑誌が送られてきました。わざわざウィッグを調べてくれて、スベンソンからパンフレットを取り寄せてくれたと知り、感激しました。一回目の抗がん剤で既に頭はカッパの髪が薄くなった状態です。あと五回あるから、間違いなく尼さんになるでしょう。ウィッグどれにしようかな。綿帽子でさえ蒸れるのに、ウィッグ大丈夫なのかな?体験談を探そうと思います。今は血液検査の結果待ちです。肝機能が戻っていたら二度目の抗がん剤が始まります。24時間を一週間!ふ〜っ。病院食が食べられなくなるかもしれないと思い、ハーゲンダッツのマルチパックを買いました。ストロベリー、バニラは好きですが、クッキーのはあまり好きではありません。でも、サイズがちょうどいいし、贅沢は言えませんね。 6月27日 穏やかな日です肝機能に問題があり、抗がん剤投薬が始まっていません。昨日のエコーの結果は問題なし。毎朝飲んでいるバクタという抗菌剤の副作用の可能性を考えて、昨日からバクタを外し、肝臓の薬を飲んでいます。肝臓の薬の点滴は今日で四日目でした。明日か明後日には抗がん剤が始まると思います。今日は歯科に行きました。白血球が戻り、口内の状態が回復していたので、すぐに終了。病室に戻る前にコンビニで白血病の本を買いました。入院しているがん研有明の先生が書かれた本です。(回診される先生方)日本における白血病の年間の発症人口10万人あたり、5.9人。元々が多い病気ではないから稀といわれる髄外性はほんとに少ないんでしょう…。肝臓に問題がある自覚症状は全くありません。体調はいい感じです。食欲も旺盛。夜もここのところグッスリ眠れています。ハタと思いました。足の裏に樹液シートを貼って寝てるからかも?ゆーりっくさんの入院生活、二か月 【その2】 2回目の抗がん剤治療の7日間へ つづきます。
2013年07月23日
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ゆーりっくさんの入院生活、二か月 【その1】 二回目の抗がん剤治療の前にからの つづきです。 6月28日 久しぶりに友達と面会! 昨日の夕方、友達から差し入れを届けておくねとメールが来ました。昨日はコンビニに行かせてもらえたので、看護師さんに面会してもいいか聞きました。短時間ならオッケーと言われ、ラッキー!ちょっとだけお喋りできました!ゼリーをもらいました。抗がん剤が始まると、病院食を食べるのがキツくなりそうなので、ゼリーはすごくありがたいです。今は肝臓の薬を点滴中です。抗がん剤はこの後始まりそうです。ちょっと身構えてしまっています。気楽にしないと。前回、味覚障害が長かったので、栄養士さんに相談をお願いしました。亜鉛を多く含む食品がいいそうです。味覚が戻ってからまだ一週間くらいです。病院食が楽しめたのは、ほんの一瞬でした。 6月29日 七夕に願いごと 抗がん剤2日目に入りました。主治医の診察あり。やっと仕組みがわかってきました。外来で最初診察にあったベテランの男性の先生が主治医で、病棟の担当医が若い女性の先生。お二人の名前が担当医として書かれています。重要なことは、血液腫瘍科の医師全体で決まるよう。胸の腫瘍はまだ日々小さくなっています。「薬はとてもよく効いているし、タイプもいいから、あまり心配しないで治療を頑張って受けて下さい」と言われました。ムカムカして、食事が受け付けなくなってきました。できるだけ頑張って食べていますが、半分ちょっとくらいでダメ。炒め物やバター、温かいアスパラの匂いなど、ダメになってきました。夕食は冷たいうどんにしました。夫が今日も来てくれました。オーストラリアのMumとAuntyからのカードを届けてくれたので、早速窓辺に飾りました。Auntyからの便りは何十年振りだろう。嬉しかったです。昨日、七夕の短冊に願いごとを書いて、看護助手さんに吊るしてもらいました。ネットで調べたら、「…になりますように」と書くよりも、「…です。ありがとうございます。」と願いが叶ったような断定的な書き方が効果的なんだそうです。もちろん私もそう書きました! 7月1日 骨髄検査の結果骨髄の染色体検査の結果が出ました。かなり詳しい検査をしたそうですが、現状では白血病細胞はないそうです!薬が効いたんですね。あとは胸だけ。部長先生は名残が残っているだけ、という考えで、他の先生たちも多分そうだと思われているそうですが、今回の抗がん剤で名残りもなくしてしまう方針です。昨日から苦しくてあまり書けません。24時間投与です。 7月3日 昨日届いたもの二回目の抗がん剤投与はあと2日半。点滴の管を見るのも嫌でたまりません。身体の症状は毎日違いますが、日々酷くなるのは口内環境。口の中や舌のただれが酷くなっています。うがい薬や軟膏などで酷くなるのを防いでいても、口が気持ち悪いです。昨日、主治医に次からもこんな強い薬ですか?と聞きました。先生の回答は、「二つやり方があって、地固めに強い薬を三回するのと、もう少し緩やかな薬を四回する方法があります。これから決めて行きましょう。」年齢を考えると、強い薬になりそうです。昨日、るーみんさんから美味しそうなゼリーが届きました!七夕のメッセージもついて。嬉しいな!はい。完治します!アメリカ、ペンシルバニアの友達からはDr. Shollのアロマソックス、メモ帳とメッセージ。グッタリしていたところに、友達から思いがけない荷物が届いて、励まされました! 7月4日 車椅子に乗りました夜中は二回トイレに立ちます。入院中はお小水の量を毎回測るので、結構な作業です。カップに入れて、計量器に移します。それが終わると、カップを洗い、トイレットペーパーで拭いておきます。点滴をしているから、トイレへの移動も一苦労。そんな夜が明け、朝。バスルームに行きトイレを済ませてから、足裏に貼って寝た樹液シートをはがして、足を洗います。いつも1人で「もうやだ〜!、辛いよ〜!」と叫んでいます。心にゆとりがないんですね。朝は心を落ち着ける薬を飲んでから、抗がん剤を投与しています。午前には歯科に呼ばれました。体力温存のために、車椅子移動です。助手さんに車椅子を押してもらいました。歯科では消毒のほかに、唇の裏側にたくさんできている口内炎にソフトレーザーを当てました。ちょっとラクになりました。でも、痛いわ。舌と上顎の裏が荒れてるし。チキンが食べたくて看護助手さんにコンビニで買ってもらおうと思ったのに、なかった!!病院のコンビニには置いてないそう。冷凍ピザを買ってもらいました。 ・・・・・今朝、名古屋の叔父が食べ物のリクエストを聞いてくれたので、即答したものに、さっき追加をメールしたけど、遅かったかな。二回目の抗がん剤は明日の午前で終わります。看護師さんたちから、あと少し!と励まされています。 7月5日 抗がん剤かないとラク今朝、一週間の抗がん剤投与が終了しました。これがないと身体がラクです。取れたときは、やったー!と叫びたい気持ちでした。あっ、叫んでたかも。投与中は気を紛らすために、無心でできるテトリスやぐるたんなどのゲームをしたり、韓国ドラマを見たり。それもできないときは、苦しいと唸りながら寝てました。数日たったところで、心を落ち着ける薬を飲んでから、投薬を受けるようになりました。この方法はよかったです。あ〜、まだあと三~四回残ってる…。やだな〜。肝機能は回復してきました。肝臓の薬の注射(点滴)は終わるそうです。御飯も食べられるようになってきたので、栄養剤の点滴も辞めてもらいました。夕べからの下痢は止まりました。血球が下がってきたので、感染症にならないように気をつけなくては。今日はアメリカを旅行中のオーストラリアのMumからカードが届きました。インディアンのCherokee Reservationで購入したそうです。Mumは旅先からもちょくちょく励ましてくれています。嬉しいな。次のメッセージがプリントされていました。Within you lies the strength of spirit that will take you up any mountain and beyond(あなたの中にはどんな山をも乗り越えて行ける魂の力が宿っている)ゆーりっくさんの入院生活、二か月 【その3】 二回目の抗がん剤治療を終えてへ つづきます。
2013年07月23日
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ゆーりっくさんの入院生活、二か月 【その2】 二回目の抗がん剤治療、7日間からの つづきです。 7月6日 なぜか涙が止まらなかった抗がん剤投与が終わった解放感はあるのですが、下痢が続いています。そのせいかどうかわかりませんが、朝から涙が出てなかなか止まらず。治るかどうか半々で移植も視野に入れてと言われて入院し、病気が予後のよいタイプだとわかり、移植はなくなりました。さらに、骨髄にも病気はなくなりました。胸のしこりは名残りカスのようなものだと思われています。こんなによい方向に向かっているのに、なんで涙が出るんだろう。朝、巡回の看護師さんに泣いているところを見られ、慰めてもらいました。私は弱いな〜と思います。土曜日なので、夫が来てくれました。苺子が昨日小学校の移動教室から戻ったのですが、家族それぞれにお土産を買ってきたんだそうです。行き先は日光でした。私も秋にバス旅行で行ったな〜。苺子らしいかわいいお土産です。 7月8日 二回も荷物が届きました 下痢の回数は減りましたが、お腹の調子が微妙なので横になっています。白血球がだいぶ低くなったので、下痢がよくならなければ整腸剤が処方されるそうですが、点滴はないそうです!今朝の白血球数は300。(基準値は4000〜9000)肝臓、腎臓には問題がないそうですが、二度目の抗がん剤後は初回より血球が下がるそうなので、一回目以上に輸血が必要になりそうです。今日は名古屋から二つも荷物が届きました。朝は私が姉のように思っている友達から羊羹。午後は心から親身になってくれている叔父と叔母から食品の詰め合わせ。電話、手紙、メール、ネットといろんなところで励ましてくれる友達がたくさんいます。私は親切な人たちに恵まれていて幸せです。 7月10日 またまた荷物が届きました 昨日から頭の中がグルグル回っています。今朝の血液検査の結果、ヘモグロビンの濃度は7.4(基準値は11.0〜15.0)。予想通り貧血の症状です。好中球実数がゼロなので、まだまだ下がる予測です。金曜日から赤血球の輸血が始まりそう。今日も荷物が二つ届きました。少し前にウイッグのカタログを送ってくれた友達から、別の会社のカタログと、那須のトラピストガレットと立体型のカード。このカードは押すと川のせせらぎとカッコウの鳴き声が聞こえます。とてもキレイ。もう一つはカリフォルニアの友達からカードと格言のミニブック。格言はマザーテレサとか、私の心に響くものでした。カードのプリントを読んで、ちょっとだけ泣きました。If there's one thing you can be sure of, it's this:whatever comes, you won't be alone. You'll have thoughts and prayers surrounding and protecting you every step of the way.So just picture yourself right there in the middle of a big circle of caring...because that's where you are. And there's no safer place to be. 一つだけ確かなものがあるとしたら、この先何が起きても、あなたは一人ではないということ。あなたは思いや祈りに包まれて、一歩一歩が守られます。だから自分を暖かく見守る輪の中心にいることをイメージしましょう。そこがあなたのいる場所だから。これ以上安心できる場所はありません。変な日本語になってしまいました。失礼しました。 7月11日 カネミ油症三者会議 被害者側の思いカネミ油症事件が発覚してから45年。2013年6月21日、被害者、国、加害企業の会議が初めて開催されました。ちなみに出席できた被害者は、被害者団体からの代表者のみです。団体があることすら知らない被害者は大勢いるのではと思うのですが、個人単位では何も取り合ってもらえないのが現実です。ネットで検索すると、マスコミの報道記事がいくつかヒットしますが、被害者の思いに詳しく言及したものはありません。そこで、長崎県五島市のカネミ油症被害者の会事務局長・宿輪さんが感じられたことをこちらに載せたいと思います。ご本人の了解済みです。はてなのゆりさんの6月26日のブログを元に感想を書かれて、メールで添付書類として送られてきました。スマホから添付書類のコピーの方法がわからないので、打ち直します。宿輪さん、打ち間違いがあったら申し訳ありません。矢印の下が宿輪さんの思いですが、被害者全てに共通する気持ちだと思います。どうぞ、はてなのゆりさんのブログと併せてご覧下さい。1人でも多くの方に呆れた現状を知っていただきたいです。日本は企業を保護しても、被害者は切り捨てる。すごく残念ですが、私の中でこんな国になってしまいました。ここから:被害者の要望に対する回答が項目別に読み上げられた。 ↓会議直前に送られてきたこの回答書は、信じられないくらいに小さな文字で飛行機の中で読もうとしたけれど読むことは不可能だった。本当にひどい。被害者はほとんどの人が読めなかったはず。この字の小ささは嫌がらせとしか思えない。今回の回答が昭和58年の協定より低く、それより悪くなっているのはおかしい。 ↓悪くなっている項目だらけ。話しにならない。相変わらず、「悪いのはPCBの安全性を強調したカネカで自分たちは何も知らなかった。仕方なかった。」ということを社長が言ったときは本当に腹が立った。カネカに大きな罪があることは事実だが、自分の会社は仕方なかったとするカネミ倉庫の態度は決して許せない。卑劣な会社だ。決算をしてみて余りが出たら何ができるか考えるという意味の発言をした。「被害者の健康回復のために何が必要か」ではなく、「余りが出たら何かやりましょう」とは何たることだ!非常に馬鹿にしている。農水省も今年度以上の支援は不可能だと言い切った。何のための法律だ!亡くなった人への補償がなさ過ぎる。昭和58年に2万円の香典となっているが、現在も同じ。もらっていない人もいるし、1万円に減らされた人もいる。 ↓被害者を馬鹿にした額。この会社は500万円の和解金も、確定された判決金も払っていない。裁判を起こした被害者が死ぬのをひたすら待っているのだ。こんなことがまかり通っていいはずがない。以上 7月13日 苦しかった一昨日の夕方から熱が上がりました。急遽、血液検査、抗生剤の点滴、薬を飲みましたが、翌日になってもなかなか熱が下がらない。熱と入れ替わりにめまいは止まったものの、耳鳴り、頭痛、咳、悪寒、全身の筋肉痛でふーふー言って寝ていました。苦しい時に出る言葉は、神様とお母さん。母はだいぶ前に亡くなっているのにね。子どもにとって母親はその存在だけで価値がある。退院してからも、人並に動けなくて寝て過ごすことも多いかもしれないけど、長く生きていたいと思います。咳がぶり返したので再び胸部のレントゲン。大きな器械が部屋に運ばれてきました。点滴は抗生剤の他に、血小板の輸血も。首から入っているカテーテルが怪しいと、カテーテルを取ることになりました。カテーテルが感染源になっていても、白血球が少ない状態だと痛みを感じないので、そのまま入れておくと敗血症になることがあるそうなのです。「もう十分がんばったから、カテーテルを取りましょう。」と言われました。カテーテルを入れ直す処置が怖いので、最後まで持たせたかったのに、無理でした。心を落ち着けるワイパックスと痛み止めを飲んでからカテーテルを抜きました。先生が入れる時の20分の1の時間と言われた通り、縫ってあった糸を切って、カテーテルを外に出したのですが、あっと言う間で、ちっとも痛くありませんでした。それから点滴用に腕にルートを作り、早速抗生剤の点滴。私はすぐに眠ってしまい、終わったこともわからず。7時くらいから11時半まで爆睡しました。今朝もまだ微熱がありますが、回復しているようで、座ってスマホで作業することもできます。名古屋の叔父夫婦からまた荷物が届きました。ゼリーでした。アメリカのエリー湖畔の町に住む姉妹からカードが届きました。高校時代に私の家にAFSでホームステイして一緒に学校に通ったシスターです。カードの中には小学生のお子さんの絵もありました。 7月15日 厳しい治療だな 熱がなかなか落ち着きません。具合のいいときは自分が病気のことを忘れそうになるけど、それはほんの一瞬。一週間24時間抗がん剤を点滴し、そのあと血球が下がると熱が出て、抗生剤の点滴や感染症を知るための血液検査を受けます。更には輸血。輸血の副作用もあり。昨日は血小板の輸血もありましたが、きつかった。やっている最中から口の中が痺れてきました。抗がん剤の時みたい。昨日は夕方から熱が上がり血液検査。38度前後で血液検査になります。一日三回以上、体温を測りますが、いつもドキドキです。昨日は悪寒と頭痛が始まったので、熱が上がるのがわかりました。湯たんぽをもらって寒気と戦った後は熱くなったので、次は氷枕をもらいました。感染症の血液検査は二箇所から採血します。注射も嫌いです。毎日38度の後半くらい熱が出る。辛いです。苦しいです。採血の後は抗生剤の点滴。今までのが効かなかったので、薬の種類が変わりました。今朝はちょっと頭痛がしていますが、熱は37度前後を行ったり来たり。朝ごはんの後、歯磨きしながら鏡で自分を見て苦笑しました。首と腕には処置のテープだらけ。髪の毛は抜けてる。病気なんだな。苦しいはずだわ。今朝はブログを書く気力があってよかった。シャワーを浴びるのはキツイけど、自分の臭いが気になります。あ〜あ。 7月16日 シャワーを浴びる気力あり連日、発熱が続いています。今は微熱。夕方から熱が上がらないといいな。このところ、夕方になると寒気が始まり、38〜40度近くになる日が続いています。抗生剤の点滴は一時間ずつを一日二回続けています。今日は血小板の輸血も予定されていましたが、今朝の血液検査の結果、血小板がだいぶ回復していたので、中止!大喜びでした!血小板輸血は口の中が痺れてくるから嫌いなんです。嫌いなんて悠長なことを言える状態じゃないのにね。白血球や好中球はほんの少しですが、回復傾向が見られました。先生はこの一週間で上がるといいね、と言われています。今日はアロマサロンをしている友達からアロマグッズが届きました。一番嬉しかったのはパジャマやシーツにかけられるスプレーです。友達がブレンドしてくれました。病院ではシーツを週に二回交換してもらっているし、パジャマも毎日交換してもらえるのに、それでも臭いが気になるので、助かります。ゆーりっくさんの入院生活、二か月 【その4】 三回目の抗がん剤治療を前にへ つづきます。
2013年07月23日
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ゆーりっくさんの入院生活 二か月 【その3】二回目の抗がん剤治療を終えて からの つづきです。 7月17日 熱が治まったかなこの何日か毎日出ていた熱が今日は今のところ平熱です。身体がラク!昨日は先生が三人!朝は病棟の担当医の先生が二人。「少し元気になってきたみたい」と言われました。午後は主治医の先生の診察。胸の腫瘤はさらに小さくなりました。「厳しくて辛い治療ですが、一つ言えることは良い方向に向かっていること」と言われました。今朝は先生から「声に張りが戻ってきましたね!」と言われました。まだ好中球はゼロですが、少しずつ回復しているようです。20代の私は、熱が一週間近く続くだけでも辛いのに、よくがんばったなぁと思います。新卒で入った会社では入社翌日から、二年間熱が出ていました。病院で精密検査を受けても異常なし。会社を辞める頃は、朝は微熱、夕方から38〜39度の熱の毎日。それでも負けたくなくて毎日営業に出かけていました。時代の波にのって結果もついてきて、それなりに面白くもありました。結局、身体が持たなくて退職。バカでしたね。キャリアウーマンの言葉に踊らされていました。首のカテーテルを抜いたので、今は腕に点滴用のチューブがあります。3日に一度針を差し替えています。まだ交換は昨日の一度だけ。抗生剤の点滴が今日を合わせてあと3日。うまくいけば、それでチューブが終わりになります。手首のそばに針が入っているので、ちょっと不便です。チクチクもします。血球が戻ったら再びカテーテルを入れなくちゃいけないので、今からドキドキ。 7月18日 栄養士さんの配慮入院生活も二ヶ月が終わろうとしています。治療が始まる前は美味しいと思った病院食でしたが、いつの間にか感じ方が変わってしまいました。薬の点滴をすると口の中は荒れるし、味覚障害も起きます。においがいつも以上に気になります。熱が出たり等、身体の具合が悪いと食欲が落ちたり食べたいものが変わってきます。今までもご飯をおにぎりにしてもらったり、牛乳をジュースに変えてもらったり、朝食を和食にしたり洋食にしたりと工夫してもらってきましたが、もっとリクエストができることがわかりました。栄養士さんに病院食の相談をしました。治療が始まって長い間、油やバターで炒めたものが食べられませんでした。においも味も気持ち悪くなるのです。揚げ物はオッケーですが、野菜に絡めてあるのはだめ。禁止にしてもらいました。澄まし汁もダメ。生臭い。これも禁止に。通常のメニューは三種類あり、料金追加でチョイスできますが、私はクリーン食なので一つの決まったメニューしかありません。禁止にしたら品数が減るのかと思ったのですが、そうではなくて他のメニューからクリーンでも可能なものが来るそうです。例えば、澄まし汁の代わりに味噌汁とかスープとか。洋食屋さんに出てくるようなものも食べたいとリクエストもしました。あまり期待はしていないけど、メニューの見直しの時期らしいので意見が反映されるといいな。いろんな場面で、この病院は患者の気持ちに沿ってくれることを感じます。食事もここまで相談できるなんて思っていませんでした。ありがたいです。 7月19日 昨日嬉しかったこと熱が出なかったこと。病院食に変化が見られたこと。名古屋に住んでいる友達から、お菓子の詰め合わせが届いたこと。お試しのアイスをもらったこと。(病気の人向け?亜鉛がとれるアイス)ホスピタルコンサートに行けたこと。ダメもとで行ってもいいか聞いたら、血球が上昇傾向だからマスクを三枚重ねして行くようにとのこと。後で熱が出ないかなとドキドキしましたが、車イスではなく自分の足でホスピタルストリートまで聴きに行きました。ウクライナ出身のカテリーナさんのコンサート。ウクライナの民族楽器バンドゥーラを弾きながらの歌。透き通った美しい歌声でした。生の音楽はいいわ〜。残念ながら私はすぐに疲れてしまったので、最後までは聴かずに病室に戻りました。ふらつくので途中見つけたイスに何度か座りながら。27、28日の週末に外泊してもいいそうです。(次の抗がん剤は週明けからスタート)カテーテルやチューブが身体に入っていない状態で、血球が回復している頃だろうから。嬉しいのですが、迷っています。昨日歩いてすごく疲れたので、暑い中を片道二時間かけて自宅に戻る自信がなくなりました。すごく疲れそうだし、ウィッグなしでは外には出たくないかも。ケア帽子は病院では違和感ないけど、外ではギョッとされそう。 7月22 パンフレット作成に関しても矛盾先月の三者協議会において伝達されたことの一つに、医療機関向けに厚労省の科学研究費補助金を受けている研究班(九州大学医学部)がカネミ油症パンフレットを作成中である、というものがありました。被害者代表を作成に関わらせて欲しいという要望は無視され、研究班が作成しています。7月17日にカネミ油症五島市の会事務局長の宿輪敏子さんが厚労省に宛てて要望書を送付されましたが、そのコピーをシェアして下さいました。被害者は辛い体調を抱えながらも、国、研究班、加害企業等に要望をずっと伝えてきました。具体的な形で被害者の行動が公けになる機会は多くありませんので、私のブログにコピーを転載させていただきます。残念ながらフォームはくずれてしまいましたので、文面だけをご覧下さい。研究班は何の仕事をしているのでしょうか。厚労省も丸投げですか?40年以上たっても被害者の健康状態を改善する研究報告はなさそうです。………………………………………………… 油症パンフレット作成に関する要望書厚生労働省医薬食品局食品安全部企画情報課長井原和人様 2013年7月17日カネミ油症五島市の会事務局長 宿輪敏子井原課長、三者協議ではお疲れ様でした。あの後、私も含め油症被害者の多くは、数日間、体調不良を起こし、大変でした。「油症患者は、半病人じゃもんなあ。」私の父の口癖です。こんな体で、真の救済を願って必死で闘っていることをご理解ください。会議の冒頭で、カネミ油症関東連絡会の前島太共同代表は「これだけ多くの要望を今日中に協議し終えるはずがない。そちらが説明したことで私たちが承諾したと思わないで欲しい。」という趣旨の発言をしました。貴省ももちろん承諾しました。今回の三者協議では時間が足りず、何一つ結論が得られなかったので、全ての要望はそのまま存在しています。この中で、油症の手引き(油症パンフレット)の作成に関しましては、油症対策委員会の中で、古江班長が、「医療機関向けの最新の情報を盛り込んだパンフレットを作成中である」と言われていたので、取り急ぎ再度要望いたします。この件について、カネミ油症被害者10団体は、厚生労働省に次のように要望していました。「医療関係者がカネミ油症の症状などを理解できるよう、医療関係者向けの『油症の手引き』を作成すること。そのために油症治療研究斑内に特別チームをつくり、被害者代表も加えてよりよいものにすること。」これに対して貴省は、三者協議の中で、「今年度の研究班で、医療従事者向けの啓発資料を作成したり相談員に寄せられるご質問などをまとめる予定と聞いており、出来上がった資料については、医師会等の関係団体や都道府県に情報提供する予定としております。」と、油症研究班の計画を単に伝えるのみので、これを回答としました。つまり、厚生労働省は、「特別チームを作り、被害者代表も加えてよりよいものにして欲しい」という、油症患者の要望をいとも簡単に無視し、要望実現のために何の努力もしてくださいませんでした。このことは、「カネミ油症支援法(略称)」の付帯決議の前文「政府は、本法の施行及び今後の施策の実施に当たり、カネミ油症患者の要望及び意見に配慮しつつ・・」という条文に違反しています。また、本法の基本理念「カネミ油症患者に関する施策を推進するに当たっては、カネミ油症患者及びその家族の人権が尊重され・・」の条文にも反していると言わざるを得ません。PCB及びダイオキシン類が人体にどのような症状をもたらすのか最もよく知っているのは、これを食べた被害者自身です。これらの内分泌撹乱作用や酵素誘導作用は、実に奇妙で複雑な症状をもたらします。検査結果には反映されないことも多く、通常の医師には理解されません。また、全国の被害者の症状を聞き取ってきたYSCの健康実態調査は、重視されなければなりません。従って、カネミ油症患者やYSCの意見を聞くことなく、現場に足を運ばない油症研究班によって、一方的に作られたパンフレットを全国の医療機関に配布することは、私たちの要望に著しく反します。これを認めるわけには行きません。このパンフレットは、全国に散在する油症被害者にとって、今後、非常に重要な意味を持つものになります。ですから慎重に作られなければならないのです。どうぞ、早急に、患者の代表が、医療機関向けの油症パンフレット作りに参加できるようご尽力ください。厚生労働省が、「カネミ油症施策法」の趣旨をご理解くださり、患者の要望を無視することなく、その実現に向けて、積極的に施策を講じていただきますようお願い致します。なお、進捗状況を今週中にメールにてお知らせいただきますようお願い致します。宿輪 敏子……………………………その後で、宿輪さんの元に厚労省から次の内容の返信が届いたそうです。……………………………本日いただきましたご要望につきまして、対応方法について、油症治療研究班と相談したいと考えております。対応方法が決まり次第改めてご回答させていただきたいと存じますので何卒よろしくお願いいたします。……………………………どんな回答が来るでしょうか。 7月22 血液の回復今日の血液検査で好中球実数が700、白血球数は1400。基準値には達していなくても、どちらも500を超えていたので面会可能、常食オッケーになりました。嬉しいな!前回はクリーン食から常食に切り替わらなかったけど、その時の担当看護師さんが気づかなかったのかも。クリーン食はお肉はカチカチ、フルーツは缶詰のみ。常食はどんなものが食べられるんだろう。一週間ちょっとだけですが楽しみです。以上、ゆーりっくさんのブログからでした。ゆーりっくさんの入院生活、二か月【その1】 二回目の抗がん剤治療を前に【その2】 二回目の抗がん剤治療、7日間【その3】 二回目の抗がん剤治療を終えて【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんの入院生活、一か月
2013年07月23日
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ゆーりっくさんが入院して一か月になりました。一週目 は こちら二週目 は こちら三週目 は こちらその後の様子を ゆーりっくさんのブログから一部省略(・・・)して転載させていただきました 6月13日 脱毛が始まりました 昨日の午後イチにシャンプーをしたら、いきなりごそっと髪が抜けてびっくり!髪と身体を拭いたタオルも髪の毛だらけ。部屋に戻ってドライヤーをあてたら、そこら中が髪の毛の山!抜けることはわかっていたけど、実際になるとショックで泣いてしまいました。治療の期間中、カテーテルを入れているので、シャワーの前に看護師さんに保護シールを貼ってもらい、シャワーの後に剥がしてもらいます。来てくれた看護師さんが、シャワーと部屋の掃除を手配してくれて、あっという間に髪の毛で汚れた床がきれいになりました。泣いている自分に、この歳になっても髪の毛が抜けることで泣くなんて、とびっくりしました。涙顔が治まってから、歯科のクリーニングに呼ばれました。今回も途中のイスで休みながら行きました。ついでに五月の会計も済ませました。クリーンルームの外に出られて、嬉しかったです。 ・・・・・ 6月14日 LINEってすごい! 昨日はとてもいい日でした。まず、体調がよくて、ほとんど横になる必要がありませんでした。 ・・・・・友達に勧められてスマホにLINEを入れました。LINEって無料でメッセージが送れるだけでなく、通話もできるのです。双方がLINEに登録していないとダメですが、登録も無料。大阪の友達とも、いい回線状態で話しができました。外国にかけても無料なんだそうです。 ・・・・・大阪の友達からは、白血病で半年入院したあと、7年後も仕事をしている人の話を聞きました。ゆーりっくも治ると思ってるから、心配していないって。大歓迎の情報でした!更に嬉しいこと。友達から荷物が届きました。10人の連名にビックリ!こんなに気にかけてくれる人達がいることに、幸せを感じました。・・・・・6月14日 医療費のこと、ホッとしました 数日前のブログに五月の医療費が16万円台だったと書きました。たったの10日間でこんなにかかるんだとショックでしたが、友達から健保の制度があるかもしれないとの情報が入りました。早速、夫に会社の健保について調べてもらいました。窓口支払い額が月額2万円を超えた場合、四カ月後に2万円を引いた金額が自動的に給付される制度がありました!先に多く支払う必要はあるけれど、実質の医療費は2万円で済むのです!・・・・・ホッとしました。友達と健保さんに感謝! 6月15日 カネミ油症検診私が治療を受けている特殊な白血病はカネミ油症が原因だと、油症被害者や支援者の方々は思われています。それで、私が認定されるように考えて下さいます。認定されるためには、年に一度のカネミ油症検診を受けることが必要です。関東地区では今年は10月23日、神奈川県相模原市にある北里大学病院が会場です。最寄り駅からバスで30分の場所にあり、集合時間は早いです。はっきり言って不便な場所です。東京の比較的神奈川寄りに住んでいる私でも、朝6時頃の電車に乗る必要があるくらいなので、前泊しないと検診が受けられない人は多いでしょう。仕事を休むことにもなるし、出費も大きいですが、新しく認定される人の数は非常に少ないようです。認定者にはカネミ倉庫から交通費と昼食代500円が支給されるのみ。これでは検診を受ける人は限られてしまいます。厚労省の科研費が支給されている研究班による検診ですが、何の意味があるのでしょう。担当医にその日に北里大学病院まで検診を受けに行けるか聞いてみました。難しいかも、という答えでしたが、「キャンセルできるのなら申し込んで、必要なら入院している証明書を出しますよ。」と先生の方から言われました。先生と病院の患者に対する姿勢が伝わってきたようで、嬉しかったです。検診項目は、どこの総合病院でも可能なものなので、もっと受診者を考慮してもらいたいものです。元々、検診を受ける人は体調が悪いのですから。 6月16日 孤独じゃない今は白血球がほぼゼロ。毎日熱が出ています。今も横になってiPhoneでブログを書いている状態です。昨日、Shukuwaさんから樹液シートがたくさん送られてきました。副作用が軽減するようにと。数の多さに恐縮してしまいましたが、ご好意は素直に受け取ることにしているので、ただただありがたい気持ちです。夕べは早速足の裏に貼って寝ました。・・・・・週末の病院は掃除の方はお休みなので、私の病室の床は抜けた髪の毛だらけ!でも、昨日看護助手さんが、クイックルワイパーで床掃除をしてくれました。業務外なのに。今日も別の看護助手さんが床掃除をしてくれました。シャワーの後、ドライヤーをかけるのですが、終わった時間に再び来てくれるそうです。昨日の看護助手さんから、かわいそうな状況だからやってあげて、と引き継ぎを受けたそうです。担当の看護助手さんは三人いて、日替わりでローテーションを組んでいるそう。どの人も親切です。以前は孤独感に襲われることがよくありましたが、病気になって優しい人にたくさん囲まれていることに気づきました。みなさんに支えられているから、孤独を感じなくなりました。 6月17日 乳房の白血病細胞 担当の先生から乳房の白血病細胞は骨髄のものと同じタイプだったと教えてもらいました。とても嬉しい知らせです。予後のとてもよいタイプ‼腫瘍はものすごく順調に小さくなっているそうです。「この病院では骨髄移植は不要だと考えますが、骨髄移植の先生にセカンドオピニオンをできれば聞きに言って下さい。白血病細胞が胸から現れた特殊なケースなので。」とのお話でしたが、まずはホッとしました。セカンドオピニオンを受けるのは強制ではなく、患者が決めることだそうです。血球は低いけど回復傾向があって、二度目の輸血は回避できました!咳が出るので、肺のレントゲンを撮りました。撮影に行くものだと思っていたのに、病室での撮影!大きなレントゲンの器械が来てビックリしました。もっとクリーンな病室が空いたので、明日はお引越しです。今よりも広くてシャワーがついている部屋になるそうです。本来ならその病室がよかったそうですが、空きがなかったため、今のところになったんだそうです。 6月18日 病室をお引越ししました夕べから抗生剤の種類を変えて、再び点滴を受けています。夜と午前、一日二回ずつ。前回は1時間の点滴でしたが、今回のは2時間です。薬が効いたのか、今日は昨日ほど熱が上がっていません。今日はお引越しでした。今まではセミクリーンルームにいて、シャワーと冷蔵庫は四人で共有していました。フルクリーンルームに空きが出て、昨日引越しが決まりました。前の部屋に比べてずいぶん広くて、まだ落ち着きません。冷凍冷蔵庫、シャワーもついているので、なるべく部屋から出なくて済むように作られています。治療に必要な個室なので、差額ベッド台はなし。贅沢ですね。さらに隔離されてしまったので、人の声が聞こえなくなり、ちょっと寂しいです。 6月19日 不在者投票をしました都議会議員選挙の不在者投票をしました。 ・・・・・今日は熱が上がらず、ラクに過ごせています。心のケア担当の看護師さんの訪問がありました。がん患者の二割がうつ病になるそうです。私はうつではありませんが、週に一度、訪問面談を受け始めました。五回まで医療費がかからずに受けられるそうです。その後も希望すれば、医療費は発生しますが、面談を受けることができます。心のケアも万全です! 6月20日 院内の催し今日はお知らせのアナウンスが二件ありました。一つはかづきれいこのメイクアップ。・・・・・もう一つは院内コンサート。・・・・・どちらも行きたかったけど、私はずっとダメみたいです。血球が落ちるから。他にも帽子クラブ、アロママッサージ、ラジオ体操など定期的に参加できるものがあります。いいな〜。今日はずっと具合がよかったです。抗生剤がよく効いてるみたい。 6月21日 再び寛解導入かも 熱が下がって3日目です。今夜で抗生剤の点滴は終了します。今日は乳房のエコー検査。その後、結果を聞きました。残念‼薬がよく効いて、非常にしこりは小さくなったものの、白血病細胞がまだ残っている可能性がありそうとのこと。あ〜あ。週明けに先生方で話し合いを持つそうです。血球が上がってきたので、月曜日に骨髄検査。再びマルクを受けます。水曜日から次の化学療法が始まります。二度目の寛解導入になるか、地固めに移るか…。 以上、ゆーりっくさんのブログからでした。寛解導入になるか、地固めに移るか・・・ってどういうことなのかと思い、検索してみました。こちら によりますと、寛解導入療法とは、骨髄中の白血病細胞を5%以下にし、かつ末梢血や骨髄が正常化し、白血病の症状がなくなった寛解状態を目指す。白血病を発症した時点で、骨髄には約1~10兆個の白血病細胞があるとされているが、寛解導入療法により約10億個以下に減らすことが出来れば、骨髄中の白血球、赤血球、血小板などが回復してくる。白血病の治療では、寛解導入療法により白血病細胞を10億個以下に減少させ、寛解後療法によって、寛解状態を持続させることが重要になってくる。寛解後療法としては、「地固め療法と維持強化療法」「大量化学療法」「造血幹細胞移植」が行われる。地固め療法とは、寛解導入療法と同様の強力な抗がん剤が使われるため、入院治療になる。 文字数の関係でこれで終わります。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん、抗がん剤治療後の一週間
2013年06月22日
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6月4日の朝、第一回 化学療法が終ってからの一週間 ・・・は、免疫力がなくなって、面会はできないそうです。その様子を ゆーりっくさんのブログ から 一部を省略(・・・・・)して転載させていただきました。 6月5日 身体がラクになりました 昨日の朝、寛解導入の抗がん剤7日間が終わりました。身体がどんどんラクになりました。朝食後に数種類の薬、毎食後に便を柔らかくする薬を飲みますが、これはしょうがないですね。お昼はキーマカレー、サラダ、りんごの甘煮。カレーというのも手伝ってくれて、久しぶりに完食!今日はゆっくりした時間を過ごしています。今日のスケジュールは血液検査、先生の診察、シャワー、歯科でのクリーニングだけ。まだ歯科が残っていますが、久しぶりにクリーンルームから出られます!白血球の値が下がり、さらに感染しないように注意が必要なので、人が少なくなった時間に歯科に呼ばれることになっています。肌があちこち痒いので、痒み止めが処方されました。感染による痒みではないそうです。 よかった! 6月6日 下痢と痒み 数日前から足や手が痒かったのですが、昨日は痒いところの湿疹がひどくなりました。夜勤の看護師さんがアイスノンを持って来てくれて、痒いところを冷やしました。ラッキーなことに病棟担当の先生も夜勤!抗菌剤か胃薬の副作用の可能性があるそうで、しばらく薬を変えることになりました。新しくアレルギーの錠剤とアトピーで馴染みのあるリンデロンが処方されました。朝、だいぶラクになりました。今朝は五回下痢。便を柔らかくする薬が効き過ぎたみたいです。ちょっとグッタリしていますが、相変わらず食欲はあり!昨日の昼から完食が続いています。しこりはまた小さくなりました。・・・・・ 6月7日 今日の血液検査の結果白血球はゼロに近づきました。血小板も下限値よりはるかに下になりました。好中球も少なくなり、感染や出血しやすい状態です。来週は輸血になりそうです。この病気は輸血が避けられないと言われました。イヤだけど、仕方がないですね。下痢は治まりました。今日は結構座っています。・・・・・ 6月8日 So-netのWiMAXキャンペーン 週末の病院はとても静かです。今日は夫が面会に来てくれました。私が順調そうな様子を見て、安心したみたいです。・・・・・ 6月9日 寝てます今朝から頭痛が取れなくて寝ています。この前効いた薬を二回飲んだけど、ダメ。まあ、病気がわかる前も時々あったことだから、いつもの頭痛だろうけど、WiMAXの手続きの後はほぼ横になって過ごしています。身体の凝りや、目の疲れのせいかも。具合のいい時は座って過ごせるので、横になりたいときは素直にそうしています。一年前から自宅でもそうするようになり、パソコン仕事をしない時は寝ている時間が増えていました。そして家事がますます疎かになり、手伝いに来てもらった綺麗好きの義母に呆れられている様子です…。あ〜あ、ダメな主婦…。 6月10日 予後がいいタイプかも 夕べから発熱し、抗生剤の点滴、血液検査を受けました。今日の午後は輸血です。白血病細胞が骨髄からも見つかりました。先生によると、通常の白血病細胞の数の十分の一ほどで、病理では見つからないものなんだそうです。この細胞タイプは予後がよく、骨髄移植は勧めないそうです。まだ胸の細胞を引き続き分析中なので、決定はできてないけど。この病院に出会えてよかった。もし、別の病院にいたら、詳しいことはわからなかったと思います。単球がゼロからじわじわと回復してきました。これは骨髄の状態がよいことを表すそうです。今朝まで感染症のショックと高額な医療費請求に泣いていましたが、その後に思いがけないニュースが聞けて気分はアップしました。先生からも朗報だと言われました!医療費は高額医療費制度を適用しても、五月分は16万円を超えていました…。病気になるってお金がかかるんですね。 6月11日 帽子を買いましたちょっとだけ抜け毛が増えた気がするので、看護助手さんに専用の帽子とコロコロを買ってきてもらいました。帽子の色は淡いピンクにしました。看護師さんにお買い物をお願いしておくと、3時に看護助手さんが来てくれるので助かっています。病院のコンビニで買い物してもらえます。普通のご飯が受けつけなかった時はプリンやゼリーなどをお願いしました。コインランドリーに行けなくなったので、しょっちゅうクリーニングもお願いしています。・・・・・ 6月12日 予後がいいと言っても昨日、がん研有明を手配してくださった教授から、病型を教えて欲しいと言われました。早速、担当医に教えてもらいました。骨髄の白血病細胞は8番と21番の転座、M2だそうです。満点に近い低リスクタイプだが、骨髄外に発症したものがあるので、いずれはがんセンターでセカンドオピニオンを受けて欲しいということ。満点に近くても五年後の再発が六割ないくらいだと聞いて、ショックでした。それだけ難しい病気だとわかりました。でも、移植はリスクが(命)大きいので、このタイプの場合は勧めないそうです。友達の親戚に白血病の治療を受けて、移植をせずに30年たっても普通に生活している人がいるそうなので、私もそうなりたいです。白血球は少しずつ回復してきました。抗生剤の点滴は続いていますが、追加の輸血は今のところなさそうです。歯科に行っていいと言われました。久しぶりにクリーンルームの外に出られます。 宿輪さんから ゆーりっくさんへのコメントゆーりっくさん、五島で「カネミ油症五島市の会」の事務局長をしている宿輪です。「満点に近い低リスクタイプ」だとわかって、心から安心しました。低リスクとは言っても予後の高リスクに怯えていることでしょう。でも、大丈夫です。ゆーりっくさんは、絶対に完全に良くなります。なぜかと言うと、あなたは「とてつもなく大切な方」だからです。神が絶対味方します。この意味は、あとでわかることになると思います。ゆーりっくさんが大変な病気だと知ってからこれまでの体調がわかるところを読みあさりました。そして、「これがカネミ油症じゃなくて何なんだ!」と、思いました。私はたくさんの被害者を聞き取っていますし、実際ダイオキシンを食べているので、油症の症状については油症治療研究班の古江班長よりずっと詳しいです。はてなのゆりさんと古江班長とのやりとりを腹の煮えくり返る思いで見ました。私にできる最大限のことをしたいと日々考えています。「クソッ!絶対認定させてみせる!」と、心に誓っています。ことばが野蛮でごめんなさい!でも、悔しくて・・涙が出てきます。油症治療研究班は、ぬけぬけと「治療法はない」と、言ってきましたが、彼らが被害者本位で回復への道を必至で研究してきた事実はありません。研究発表に使えるものしか興味がないのです。被害者は研究論文を書くための都合のいいモルモットなのです。しかし、回復への道は絶対あります。認定されると、医療費はもちろん、あらゆる安全な健康回復の措置が無料で受けられるようにすることが私の願いです。私はこの12年、日夜自分の体で被害回復のための人体実験をしてきました。父は、43年間やってきました。何としても、子や孫をこの被害から守って見せます。少なくとも被害を最小限に食い止めます。この決意が体の弱い私を奮い立たせています。この先進国と呼ばれている日本で、カネミ油症ほど人権侵害の甚だしい食品公害事件は、存在しません。これは、カネミ油症の慢性毒性の甚大さを社会が知らないからです。加害企業は本よりこれを放置してきた厚労省の責任は重大です。ゆーりっくさんのこのブログは、社会にカネミ油症を知らしめるための大変な起爆剤となるものです。私がやりたくてもやれなかったことをゆーりっくさんがしてくれていることに心より感謝します。本当にありがとう!早く回復する必要はないから、ゆっくり良くなってね。あなたは、絶対守られています。会える日を心待ちにしています。長くなってごめんなさい。疲れたでしょ。(2013年06月12日 18時03分52秒)先ほどのメールで、『今日はシャワーを浴びたら、本格的に脱毛が始まり、抜け毛の山になってしまいました。 その後、ドライヤーをかけたら、再び山。 予期していたのに、びっくりして泣いてしまいました・・・・・・再発しないことを祈ろうと思います』とのことです。ゆーりっくさん、1回目の治療で、しこりが小さくなったのですから、必ず、よくなると信じましょうね。【ゆーりっくさんのこと】 宿輪敏子さんから お電話をいただいて…
2013年06月12日
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今日は、宿輪敏子さんからお電話をいただきました。宿輪さんは、こちら と こちら で 紹介されています。宿輪さんは、五島列島の奈留島に お住まいで、都内での集まりや、厚生労働省への働きかけで東京にいらしていて 『今日3時の飛行機で帰る。昨日なら時間があって 『四季の花』へ会いにいけたけど、まだ知らなくて 残念』 とのこと。宿輪さんが 言われるには、『ゆーりっくさんが ブログに書かれていることは カネミ油症の未認定被害者にとってとっても貴重な証言で、ものすごいことです』 とのこと。『そして、はてなのゆりさんのブログに載せていただいた古江増隆氏 と 未認定被害者の悲劇 は これまで被害者が ずっ~と苦しめられてきた 古江氏の人物像そのものが よく表わされていて、それをネット上に 載せていただいたことは とってもありがたいことです』 とも 仰ってくれました。よくよく思いおこすと、このブログを始めたのは五島列島に ひとり旅ひとり五島列島で 1 ようやく長崎へひとり五島列島で 2 福江島の玉之浦へひとり五島列島で3続き PCBの入ったカネミの油などを 載せるためでした。 そして、五島列島への旅では奈留島へも寄って、ほぼ 半日 海が見える小高い草地でスケッチをして過ごし、夕方 となりの島へ移動しました。 この時、宿輪さんたちが一生懸命にカネミ油症のことを訴えていると 知っていったら、お訪ねしたかったですが。この旅では、もう五島列島へ行くことはないだろうと10日間かけて 主な島をまわりました。 けれども今年1月、カネミ油症の集まりに参加するようになり、また五島に行くことになるだろうなと思っていました。宿輪さんは、たいへんな苦しみをのり越えて、カネミ油症被害の悲惨さを訴えておられます。その訴えの少しでも多くを、まわりの人たちに伝えていきたいと、私も思っているところです。でも なかなか 思うようにはできませんが・・・宿輪さんのように、子どものころ被害を受けた若い世代の人たちが 訴えているのですから、少しでも お役に立てたらいいなと思います。 まとまりがつきませんが、今日はこのへんでお休みなさい・・・です。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんの抗がん剤治療、7日間
2013年06月08日
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がん研有明に入院した ゆーりっくさんの第一回 化学療法の7日間が終りました。その様子を ゆーりっくさんのブログ から転載させていただきました。 5月28日 化学療法開始 朝は尿検査と血液検査。朝食後に四種類の薬を飲みました。シャワーを浴びて、化学療法開始。カイトリルバッグ 15分ダウノマイシン 30分生理食塩水 8時間キロサイド 24時間薬は首のカテーテルから体内に入れています。トイレが近くなりました。いつもより眠くてだるいです。強い薬で治療をするので、しばらくクリーンルームから外には出られなくなりました。面会もダメです。来てくれる予定だったみなさん、ごめんなさい。コインランドリーに行けなくなったので、クリーニングを頼みました。明日は採血と歯科が入っています。 5月29日 寝てます 化学療法 2日目。身体はだるく、頭痛がします。37.8度発熱しました。今日は ほぼ一日寝てます。先生から治療の説明を聞くため、夫が来院しました。食欲もありません。熱がでてるからかな。朝は歯科で歯のクリーニングをしました。 骨髄移植 骨髄移植か…。さらに辛い治療…。国立がんセンターに転院。骨髄移植しても再発する場合もある…。まだ勇気がでない。 5月30日 3日目化学療法の3日目。今日は発熱はしていません。便秘気味で処方された下剤か効いて、 下痢が三回。もう止まったみたい。午後は横になっています。看護助手さんに買い物をお願いしました。歯科で勧められた歯磨き用品。口内環境をよくしておかないと。プリンも買ったよ。楽天で注文したミネラルウォーターも届きました 5月31日 4日目 食欲不振で昨晩はほとんどの食事を残しましたが、今朝は一皿以外は完食。朝食をパンに変えたのがよかったかも。夕べはトイレに二回起きました。寝汗がすごくて、ショックでした。白血病の特徴なので。パジャマもシーツも汗びっしょり。看護師さんにパジャマとシーツを交換してもらいました。それから不安な気持ちを聞いてもらったら、涙が止まりました。遅れていた生理が来ました。治療中は出血が止まらなくなるかもしれないので、生理になったら薬が処方されます。薬はこれからです。 6月1日 5日目昨日から結構涙が出ていました。生理でよけいに情緒が不安定なのかもしれません。夕べも2時間間隔でトイレに立ちましたが、寝汗がひどく、パジャマを交換してもらいました。朝も涙が出ていましたが、夫が来てくれたので気分転換になりました。一緒に住んでいる家族だけが病室に入れるのです。今日は座って本を読むこともできました。それに、乳房のしこりが小さくなってきているのが自分でわかります!土日は先生がお休みなので確認していただけないのが残念。お腹は空くけど、ご飯が来ると食べられない。つわりのときみたいな感じ。アンパンが無性に食べたくなったので、買ってきてもらいました。いざとなったらこれを食べます。おやつにしちゃおうかな。 6月2日 6日目 夕べは寝汗なし!やったー!朝ごはん前にはお腹がすいてたけど、食事が来ると食べられないのは変わらず。食べられたのはコンソメスープ、りんごジュース、食パン二枚。カロリーは取れてそう。9時半に24時間投与の薬が終わり、シャワー。その後で、6日目開始。今日からは1番強い赤い色の薬はありません。透明のものだけ。でも、もうチューブを見るのもイヤ!なるべく見ないようにしています。口内炎ができてしまいました。口内環境には注意して、歯科で勧められた歯磨きペースト、マウスウォッシュ、乾燥を防ぐクリームを買って毎回使ってたのに、ダメだった。今日から薬が処方されました。うがい薬みたいなものです。お昼はベリー食の冷たいポタージュスープを注文。ビシソワーズでした。美味しかったです。無性に食べたくなって昨日買ってきてもらったアンパンも食べました。昨日は座って過ごせたけど、今日はほぼ横になっています。今は仰向けになってiPhoneをタップしています。眠いです。しこりはまた少し小さくなったのがわかります。 6月3日 7日目今日は頭が痛くて寝てます。やっぱり薬もらおうかな。今朝の血液検査の結果単球がゼロ白血球がどんどん減っている腎臓はがんばっている血小板もがんばっている白血病の治療としては、血液がよくがんばっているんだそうです。骨髄がきれいだからでしょうね、と言われました。体さん、がんばってくれてありがとう!今日で寛解導入の薬は終わり。三週間のうちに寛解できるといいな。今日も食べられない。ごはんをおにぎりに替えてもらったけど、塩なしでした。クリーン食だから、チョイスもできなくて残念! 6月4日 初回の投薬期間は終わり朝、薬が終わりました。看護師さんから、初回は体への反応が強いから、ゆーりっくさんがどうなるか心配していたけど、副作用が少なくてよかった!と言われました。自分では具合が悪かったし、結構涙が出ましたが、軽めの症状だったんだそうです。体調も心も、もっと崩れる人は多いそうです。今日も食べることばかり考えてしまいます。薬が終わったから、少しずつですが食べられるものが増えてきました。身体のふらつきが始まりました。多分、また血液の値が変わってきているのでしょう。今日のコメントで、『看護士さんたちの間で患者の様子も連絡が行き届いていて、安心感がありました。皆さんが優しいので、白衣の天使という言葉がピッタリ!薬が終わって身体がだんだんラクになってきました』・・・とのことです。抗がん剤治療を7日間。その一週間後くらいが白血球がかなり減って、面会はできないとか…その後、2週間の回復期間をおいて、2回目の治療それを5回、くり返すとのことです。1回目の治療で、しこりが小さくなって良い結果がでることを祈っています。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんの入院生活、一週間
2013年06月04日
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ゆーりっくさんが、がん研有明に入院してから一週間になりました。その様子を ゆーりっくさんのブログから・・・・・の部分、省略しました。 5月21日 明日から入院します昨日はPet-CTを受けました。その検査結果を待って、血液腫瘍科の先生の外来。明日から(水曜日)無菌室に入院することが決まりました。 ・・・・・診断の参考になるかどうかわかりませんが、カネミ油症認定申請で作成した私の症歴をまとめたものをアップデイトしてお渡ししました。(先生はカネミ事件の被害にあった人に初めて会ったとおっしゃっていました。)乳房のしこりの生検ではやはり血液の病気が出ているそうです。白血病は血液検査の結果で見つかることが多いのに対し、私のケースは珍しいようで、こちらの病院でも年に1人くらいとか。 ・・・・・しこりは放射線治療ではなく、血液の標準治療で小さくするそうです。化学療法を5回受ける予定です。7日間は抗がん剤投与、そのあと3~4週間は経過を見た後に再び7日の抗がん剤。これを5回です。治療中は白血球の値が0に近くなり、病気を感染しやすくなるために、基本は無菌室にいます。首の血管からカテーテルを7日入れっぱなしになるそうです。髪は抜けると言われました。吐き気は人によって差があるそうです。 ・・・・・ 5月22日 入院初日 入院しました。家族で朝食を食べた後、五時半に友だちが車で迎えにきてくれました。車に別の友だちが同乗していていました!駅に着くと、別の友だち2人が!ママが忙しい早朝にも関わらず、見送りにきてくれる優しい友だちがこんなにいて、幸せだと思いました。最後は涙が出てしまった…。 ・・・・・疑いのある病名が 髄外性白血病 に変わりました。治療方法は同じです。強い薬で悪いものをやっつけるそうです。今日は胸部レントゲンと心電図を撮りました。 ・・・・・ 5月23日 外泊許可!昨日はPet-CTで甲状腺の異常が見られ、がんか血液の病気の疑いを言われました。それで今日はエコー。結果は良性でした!これからもエコーでチェックするそうですが、とりあえずは生検までには至らず。よかった〜!先生から週末外泊許可が出たので、土曜に自宅に戻ります。一泊だけですが、すごく嬉しいです今日は甲状腺のエコーの他に胸上腹のCTを撮りました。造影剤を体に入れると、体がもあっと熱くなるのは気持ち悪いですが、前回よりマシでした。この検査では肝臓がひっかかったので、明日は内臓のエコーが入りました。今日はデイルームにあった漫画を読みました。一条ゆかりの「女ともだち」を読破!ご飯は毎食美味しいです。 ・・・・・ 5月24日 今日の結果 内臓、循環器には問題がありませんでした。肝臓腫瘤は良性。定期的にエコーで観察していくそうですが、とりあえずはホッ。骨髄検査のざっくりした結果にも、病気が見られませんでした。乳房だけに現れています。骨髄と乳房は詳しい検査の結果待ちで、わかり次第治療に入ります。やっぱり非常に稀なんです〜今日は「白鳥麗子でございます」を読み始めました。コメディ大好きです。デイルームで看護師さん主催の大人のラジオ体操にも参加しました。今日は午後に腹部エコーで昼食の時間が4時にずれましたが、6時の夕食まで完食!痩せないはずですね…。 ・・・・・ 5月25日 三日ぶりの自宅 水曜日に入院して3日たっただけなのに、自宅が久しぶりに感じられました。病院を朝の9時に出て、ゆりかもめに乗りました。 ・・・・・さて、自宅。特別なことはなく、普段通りに過ごしています。日常生活のありがたさに気づいているので、普通がとてもうれしい。領収書を家計簿ソフトに入力したりとか。短いうちに帰ったからか、子供たちも全く普通です。 ・・・・・昨日、友達が高尾山で買ってきたというお守りを届けてくれました。すごく嬉しかったです。 5月27日 初めての面会 夕方、再び病院の人になりました。警備員さんにお帰りなさいと言われました。6時頃、弟が面会に来てくれました。家から電車だと1時間かかるけど、タクシーで15分だったそう。弟は二つKindleを持っていて、軽い方を貸してもらいました。なかなか便利そうで、紙の本から移る人が多いのも理解できました。弟のアカウントで本を買っていいと言ってくれましたが、甘えることが申し訳ないので、弟が買った本から読んでいこうと思います。漫画もあって嬉しいです。 5月27日 カテーテルが入りました今朝は検査が入ってないからオフだと聞いたのですが、10時頃、先生に呼ばれました。「骨髄外白血病とわかったから、今日カテーテルをいれましょう。」治療の説明を受けて、同意書にサイン。四週間で一コース。ダウノマイシンを5日間1〜2時間投与キロサイドを7日間24時間投与。血小板の値が下がったら輸血。輸血は必須。一回で寛解にいかなければ、あと一回。それでだめなら、あとは??だそうです。うまくいけば、地固めを四回。同種移植も念頭にいれておく。あとは副作用の話でした。首のカテーテルを清潔にして守りたいので、院内の美容院内で髪を短くカットしました。病室に戻ると回診。シャワー。はてなのゆりさんが面会に来てくださいました。続けてカテーテルを入れました。ネットで読んだ体験談には怖い話しばかりでしたが、麻酔が効いたからか先生の腕がいいからかあっけなく終了^_^我慢できました!今夜は学生時代の友だちが来てくれるそうです^_^昨日、面会に行ってきました。ゆーりっくさんは元気でした。でも そのあと、すぐに 首の血管から心臓までカテーテルを入れるとのことで緊張していました。そのカテーテルで2種類の抗がん剤を7日間投与し、3週間 様子を見て、効果があればそれを5回くり返すとのこと。1回目の投与で しこりが小さくなるかも…それで 効き目がなくても 2回目を投与してみて効かなかったら 他の治療になるとのことです。4月末、近くの病院での検査では、切除してから抗がん剤治療か…というような診断でしたので、手術しないで、体力のあるうちに抗がん剤治療というのは よかったのかもね…とも思いました。どうか、しこりが小さくなってくれますようにゆーりっくさん、それを信じて がんばって下さいね。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん、元気になることを信じてますよ~!
2013年05月28日
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『四季の花』 で、石澤春美さんのお話を伺っている間、がん研有明で検査だった5月17日、ゆーりっくさんのブログから 今日の検査は怖かった今朝も5時半に自宅を出発して、病院に行きました。病院では歯科検診。化学療法に入ると、虫歯がひどくなることがあるので、その前の検診でした。虫歯のチェックと歯茎のチェック。入院中にときどき消毒とクリーニングをしましょう、ということで終了。その後はバコラ生検。乳腺科の外来の先生が2人も!私が非常に緊張していたので、先生方は「リラックスしてください」って苦笑されている感じでした。麻酔の注射が一番痛かったです。といっても、多分、大したことないのですが、私はとても痛みに弱いので。そして大きな音をたてて生検が始まりました。最後は傷口を10分押さえてもらい、胸にテープや包帯を巻いて終了。押さえてもらっている途中から傷の痛みを感じ始めたので、すぐに薬局で痛み止めをもらって飲みました。そこでアップデイトされた予定表をもらいましたが、月曜日に入院説明の予約が入っていました。入院になるんですね。ショック…。お昼をはさんで、午後いちで骨髄検査、マルクでした。もう私は緊張というより恐怖で体が震え、部屋に入ったらすぐに先生や看護師さんたちに怖くて緊張していることを伝えました。みなさんとても優しいスタッフでした。横になっても怖くて涙まで出てきていましたが、ずっといたわってもらいました。麻酔も痛かったし、そのあとも痛がったので、麻酔を追加しました。でも痛いといっても歯医者さんでも痛いので、私が痛がりなんだと思います。その後は30分仰向けに寝て血が止まったのを確認してもらい終了。涙が止まらなかったので、優しい看護師さんに話を聞いてもらいました。あー、今日も疲れました。まだ8時前ですが、寝ます。ゆーりっくさんが、自分はカネミ油症の被害者であることを知ったのは、昨年の2月ごろでした。カネミ油症のことを調べて、10月に検診を受け、12月に市内の都立病院で再検査を受けました。その診断結果は、『体質のせいでしょう』 とのこと。その3か月後、胸にしこりを見つけて、町医で受診、そして、H病院で検査、特殊な悪性のものとのこと。自分がカネミ油症であることを知ってからのことをブログのトップ に このように 書いています。こんにちは。ゆーりっくです。 私は物心ついてから安定しない体調が続いています。ぐったり疲れやすく、身体の中が時々痛みます。1日~1週間単位での発熱はしばしばあり、約2年間発熱が続いたこともあります。でも、幼少期から何度精密検査を受けても異常は発見されず精神的な問題まで疑われ、ずっと悩んできました。2012年2月になって、体調と汚染されたカネミ油の関連を疑うようになりました。定期健診の血液検査の結果と体調が悪化し、親に誰の遺伝なのかを素朴な疑問として尋ねたところ、「遺伝ではなくカネミ油を飲んだから」との答えが返ってきたからです。私は幼少期に健康によいと宣伝していたカネミ倉庫製造のカネミ油(ライス油)を牛乳に混ぜて飲んでいました。次第に幼児なのに「ふらふらする」と言うようになりました。カネミ油が事件としてニュースになり、被害の申請をしたけれど、当時の基準に達しておらず認められなかったことを知りました。2012年に油症検診を受けましたが、認定されませんでした。2013年4月、胸のしこりのために受けたマンモトーム生検で特殊な悪性リンパ腫の可能性が高いと診断されました。血液のがんと言われる病気です。しかも特殊なものだそうでわかる医師がほとんどいないようです。私は認定されなくてもカネミ油が原因の可能性が高いのではないかと思います。今までは悩みながらも自宅で寝たり起きたりしながら生活できていました。カネミ油の被害があっても自宅で生活できるのは恵まれていると思ってきました。でも、今後はどうなるか全くわかりません。カネミ油の問題は、調べれば調べるほど被害者の人権を無視した恐ろしい事件です。製造過程で脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化しました。2002年以降になってから、原因物質はPCDF(ダイオキシンの一種)及びCo-PCBであると確定しています。森永ヒ素ミルク中毒、水俣病と並ぶ3大食品公害なのですが、被害者に対する救済はほとんどありません。似た体調にお悩みで病院でたらい回しのようになっている方、カネミ油症の可能性も探ってみてくださいね。カネミ油は家庭でお料理に使われただけでなく、レストラン(食堂)でも使われていました。(おそらく西日本が多い)そのまま飲んでも身体や美容によいと宣伝されていたので、私のように薬のように飲んでいた人たちもいるはずです。遺伝もするので、事件が発覚した昭和42年、43年以降に生まれた方でも油症の可能性があります。2004年から認定基準も変わりました。年に一度都道府県庁の保健担当部署を窓口にした油症検診が各地で実施されています。疑いの可能性のある方は、ぜひ問い合わせてみてください。認定されることは難しいようですが、大勢の人が被害を訴えることで、問題提議の規模の拡大につながります。フリーページの「カネミ油症」、カテゴリの「カネミ油症」にも関連記事や情報を書いています。ゆーりっくさんは、カネミ油症のことをもっともっと知って、周りの人たちにも伝えていきたかったと思いますが、明日は、入院の説明があり、そのまま、入院となり、長い治療が始まるようです。小学生のお子さんを含めて、ご家族から離れて、どのような気持ちでしょうか。ゆーりっくさん、どうか、がんばって元気になって下さい。必ず、治ると信じていますよ~ でぃさんから、ゆーりっくさんへの応援メーっセージです 明日出発です。 ここに、ゆーりっくさんの応援書いてもいい? 向こうはネット環境悪いから、 文章が切れたりするかも・・・ 停電もしょっちゅう、起こるし・・・ でもね、ほんとにほんとに、心から、 毎日毎日ゆーりっくさんの無事祈っているから・・・ がんばれー!って応援入れてあげたい・・・ ゆーりっくさん、勝ってね。 きっとだよ。 ぜったいだよ。 本当に、思いが天に届くように祈ってる。 空はつながってるもん。 ゆーりっくさん、がんばれー!! 【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんが 急性骨髄性白血病?!
2013年05月19日
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明日の集まりは、ゆーりっくさんが出られる時間帯にしたのですが・・今日の検査結果が良ければ、出てくれるかもと思っていたのですが・・それも 無理となりました。がん研有明での検査から戻って、夕方 ゆーりっくさんが書いたブログから 転載を させていただきました 血液腫瘍科に移りました 今日は一日病院でした。午前中に乳腺科を受診。急性骨髄性白血病の疑いが大きいと言われました。それで、急きょ血液腫瘍科に予約が取られ、受診してきました。急性骨髄性白血病の可能性が大。もしかしたらほかの病気かもしれないそうですが、何れにしても特殊な病気。またまた検査が今日から始まりました。尿検査、血液検査、胸のレントゲン、心電図を済ませました。生の(ナマの)細胞が必要なので、明日は再び生検。ヴァコラ生検だそうです。骨髄検査も明日受けます。ガーン!避けたかった検査。月曜日には再びPETーCT。来週から無菌室に入院するかもしれないとのこと。家族にも話をしたいそうです。入院は長期間になりそうなので、赤ペン添削を続けられるのかわからなくなりました。治る見込みは五分五分だそうです。明日の朝も早いので、添削を片付けたら休もうと思います。・・・とのことです。私が、今年になって カネミ油症のことに多少でも 関わりをもつようになったのはゆーりっくさんが、自分はカネミ油症だったと 知ってから あれこれ調べて、連絡をとったり前向きに考えて、それらを 伝えていこうと努力をしていたので、少しでも その応援ができたらいいかなという気持ちからでした。でも、まさか、こんなに早く病気になってしまうなんて・・・ゆーりっくさん、必ず、必ず、治るって 信じてますよ~【ゆーりっくさんのこと】 細胞さん、静かにしていて!と 祈るばかり…
2013年05月16日
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ゆーりっくさんが 昨夜も、その前も、痛みで目が覚めているとのことです。5月9日に、がん研有明での受診が決まっていますけど、それまで待って いなければならないのは つらいこと。ゆーりっくさんといっしょに、細胞さん、お願いだから、いい状態を 保っていて!…と、祈るばかりです。東京都の担当を通して、古江増隆氏と電話で話をしましたが、あのような やりとりになって、古江氏の心象を 害してしまい、ゆーりっくさんに とってマイナスになったかも?と悔やんでいます。ゆーりっくさんは、今日も 朝から検査 でした。5月2日に、詳しい検査の結果がでるとのこと。そのあと、新しい病院の受診が 5月9日・・・ゆーりっくさんの痛みがとれて、リラックスができて、心穏やかでいられるよう、ただただ祈るばかりです。 【ゆーりっくさんのこと】 古江増隆氏 と 未認定被害者の悲劇
2013年04月30日
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ゆーりっくさんは、昭和40年3月生まれ。幼児の頃、カネミ油をミルクにまぜてお母さんと いっしょに 飲みました。お母さんは62才で他界されています。 カネミ油症のことが報道された一週間後の43年10月17日、保健所に届出ています。体がふらつく、皮膚症状などがあったとのこと。翌18日に調査を受け、油を購入した店や摂食期間と 量、商品名、ロット番号などを記載した記録が保健所に残っていました。 昨年、初めて受けた検診の結果、カネミ油症ではないという結果が届いてから、まもなく、ゆーりっくさんは深刻な状態になっています。 現在の病気が、カネミ油症と関係はないのか? 切除した部位の検査をきちんとしていただきたい。などについて、長年、カネミ油症研究班の班長をしてこられた 古江増隆氏と電話でお話した内容です。※ 初めのうち、録音ボタンを押すのを忘れていて、途中からですみません。 :古江氏 :私・・・血中の濃度が高くない方をですね、カネミ油症に暴露されていると証明することは、今できません。 えっ? たとえば、私自身が私の血液を使って正常範囲だけど、私は、昔、暴露したと言って、それを区別することはできないので、診断することはできません。 そうしましたら、私も消費者の立場として、そういう本来入っていてはいけない毒物が入っていた油を食べて、具合が悪くなって・・・ ですから、食べられたかどうか、飲んだかどうかがわからないですよね。 でも、保健所では回収されているんですよ。 仰ろうとしていることはよくわかるんですけれど、医学的にするということは不可能なので、それはできません。 それでは、それが関係ないということを証明していただきたいと思うんですよ。 それは不可能です。 ( 沈 黙 ) 不可能というのは? たとえば、どの病気でも、そういうリンパ腫が一般の方にでも起こるわけです。誰にでも・・・ 誰にでもおこるわけじゃないですよ。 ええ、誰にでも、その可能性はあるわけです。 それは否定されませんですよね。 それは否定しません。ただ、Yさんだって、非常に身体を大事にしてきて、食事生活もきちんと気をつけてきているわけです。 はい、それは誰でもそうですよ。 それは・・・誰でも一生懸命に・・・病気になりたい人はひとりもいないから、一生懸命にやっているわけですよ。 それでも、病気は必ず、おこるわけですよね。あ る、一定の頻度でですね。 で、それを、たとえば、この方の場合、たばこかもしれないし、あるいは、いろいろな食べものかもしれないし、カネミ油症かもしれないし。 すべてのことが、別にカネミ油症に関わらずですね、すべてのことが影響するわけですよ。 それで、その影響でないことを、私に証明しろというのは、言われても、それは不可能だと言わざるをえないわけです。 それでね、検診結果の通知のコピーをもらったんですが、あなたを油症であると診定することはできませんでした。しかしながら、PCB、PCQ、PeCDFが すべて正常範囲内であったことは、安心できることと安堵いたしておりますって・・・ はい、そのとおりです。 この直後にですよ、どうしてこういう病気になったのでしょう? それは、わかりません。 だって、それは、たとえば、もし、この検診をですね、今から三年前に受けられたとしたら、その直後ではないわけですよね。 ( 沈 黙 ) でも、三年後でも、直後ではありませんけど、三年後ではありますよね。 たぶん、私が今、言ったことで、お気づきになってるかと思うんですけど、それは、偶然。 偶然‥というより、何ていうか、今年受けて、何か病気がでました、そこには何の因果関係もない。 でも、そうしましたら、この血中濃度ではカネミ油症の診断はできないということではありませんか? いえ、カネミ油症ではないということは言えます。 でも、45年前にですよ、摂取したものが、血中に残っているかどうか‥ですよね。 それはもう、司法の判断で何か出ればいいですけど、われわれは、医学的でしか証明できないので‥。 われわれがやらなければいけないのは、医学的に、それをどう考えるかです。 そうしましたら、医学的にですね、人間の体の中で、PCBとか、PCQとか、PeCDFとかが、人体の中で、どのように排泄されていくかとかは、医学的に解明されているんですか? 今、一生懸命に研究はしていますけども、まだ、その途上だと思います。 それで、体から排泄される前にですよ、どのように、いろいろな身体の中で悪さをしていくかというのは、解明されているんですか? それも、当然、まだ解明の途中だと思います。 それでは、排泄されてしまってですよ、排泄される前に、どういういたづらをしていったかというのだって、わからないわけじゃないですか? それではですね、それと似たような話にすりかえてみますと、私が昔、インフルエンザにかかりました。 それから10年後に肺炎にかかりました。 その間に因果関係があるかどうかを証明しろということは、全く誰にも証明することはできません。 それと、まったく同じです。 でもね、ダイオキシン類ですか、こういうものは本来‥ ですから、それは、その方がダイオキシンに、高濃度に暴露されていたら‥の話です。 ですけど、高濃度に暴露されていたら、カネミ油症の患者さん方、たくさんおられますように、今、その人たちに残っているということは、わかります。認定されている人たちがいるのは、そのためです。 その人たちと、Yさんとは、あきらかに区別ができます。 でも・・・ それでわかっていただけなかったら、これはもう押し問答になってしまうので。 そうですか、でも、ぜひ、一度、お目にかかって、もっと詳しくお話を伺いたいんですが。 いや、とんでもございません。今のお話でしたら、私はそのつもりは・・・この電話で十分ですので。これで、おしまいにしたいと思います。 それでは、切除したものの検査は、どこででしたら検査していただけるのでしょう? それは、わたくしにはわかりません。 わからないといっても・・・ ですから、それは、私の責任ではございません。 でも・・・ 考えてみて下さい。それは、わたくしの責任でしょうか? ええ、責任あると思いますよ。 絶対にありません。 責任あると思います。 いや、それは、あなたが考える責任であるかもしれませんけど、私には、ちっとも責任あるとは思いません。 私の責任とは思いません。 それでは、その責任のもとに多くの人が苦しんでいてもいいんでしょうか? ええ、それをわたくしに問われても、わたくしが解決できる問題ではございません。 それでは、どなたが解決して下さるんでしょう? わかりません。厚労省にでも聞いて下さい。申し訳ございません。 厚労省のどなたにお聞きすればよろしいのでしょうか? よく、わかりません。ご自分で調べて下さい。 えっ? 申し訳ないんですが、今、おっしゃっていることは、本当におかしいことですよ。 どうして、私が責任をとらなければいけないんですか? どうして、私にそういう責任があるんですか?考えてごらんなさい。おかしくありませんか? 検診にご協力いただき、ありがとうございました。お問い合わせがございましたら、以下にご連絡くださいませ、と書いてあるじゃないですか。 ですから、もうちゃんと答えました。 はい、これでもう私は十分だと判断しております。 では、これ以上のことはどこに問い合わせしたらよいでしょう? わかりません。私には・・・ この方の場合には、私はこれで、説明できることはすべて申し上げました。 それでは、厚生労働省のどこに問い合わせすればよろしいのでしょう? わかりません。ご自分で調べて下さい。 そうですか。わかりました。ありがとうございました。 はい、どうも失礼いたします。ゆーりっくさんは、検診の時に何枚もの資料を添付して提出したそうです。古江氏は それらをきちんと見ては 下さっていないようですね。≪古江増隆とカネミ油症≫で 検索してみましたらトップででてきた こちらの記事 によると「‥誰が研究班を信頼しているというんですか」「真剣さが足りない」 - 2007年12月、福岡市で古江班長と面談した患者ら約50人の多くが、不信感やうっせきした思いをぶつけた。・・・とのことです。 【ゆーりっくさんのこと】 カネミ油症研究班の古江氏に電話してみました
2013年04月29日
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三日続けて野良仕事 の 初日、4月22日は草むしりや、北川べりの草刈りなどをしていため電話に出られず、次のメールをいただきました。ゆーりっくさんからのメールの一部です。 ゆりさん、こんにちは。さきほど病院から帰ってきました。予想に反して悪性でした。悪性リンパ腫か悪性葉状腫瘍のようです。検査結果を外部に出し、詳しく検査しているのですが、5月2日に結果を聞くことになりました。どちらにしてもしこりは切除するので、今日から術前の検査が始まりました。悪性リンパ腫であれば、血液内科のある病院に通院することになるそうです。10月の油症検診や健康診断で血液の値がおかしく、健康診断では多血症の疑いのために精密検査と記載があったので、市内の都立病院、血液内科で検査を受けたのですが、体質的なものという答えに終わりました。その際に胸の触診もあったのに、どうしてわからなかったんだろうとがっくりしています。 (後略) 私は これを読んで、ゆーりっくさんの 今回の病気がカネミ油症と関係あるのではないか? 関係ないというのであれば、それを証明してほしい。 切除したものを きちんと検査してほしい‥と思い、カネミ油症被害者支援センターの方に連絡し、翌日、ゆーりっくさんと 一緒に 伺って、相談にのっていただくことになりました。けれども、その日、ゆーりっくさんのお子さんが発熱し、学校を休んで眠っているので行かれず資料をあずかって、私ひとりで 行ってきました。私もいただいた資料類の束から、カネミ油症の検診結果のお知らせを見て、がく然としました。 ○○ ○○○ 様 あなたの PCBパターンは 【C】 パターンでした。 ※ Cパターン(健常人のパターン) 血中PCQ濃度は 【0.02 ppb以下】 でした。 ※ 0.02 ppb以下 : 通常みられる濃度 血中PeCDF濃度は 【1.6 】pg/g 1ipids 以下でした。 ※ 30pg/g 1ipids 未満 : 通常みられる濃度以上の所見とあなたの臨床症状や経過も含め、総合的に検討した結果、あなたを油症であると診定することはできませんでした。しかしながら、PCB、PCQ、PeCDFが すべて正常範囲内であったことは、安心できることと安堵いたしております。 検診にご協力いただき、ありがとうございました。お問い合わせがございましたら、以下にご連絡くださいませ。 〒812-8582 福岡市東区馬出3-1-1 九州大学皮膚科学 古江 増隆 (電話:092-642-5582、FAX:092-642-5600)4月24日、東京都のカネミ油症の窓口に電話して、上記三つの質問をしました。『こちらでは判らないので、カネミ油症研究班に聞いて下さい』 とのこと。私は、『カネミ油症研究班は、被害者への対応がそっけないと聞いているので‥』 と 言いました。『それでは、こちらから問い合わせしてみます』ということになり、私の電話番号を伝えました。そして 夕方、東京都の担当の方が、『古江先生が、直接、ご本人にお話をしたいとおっしゃています』 とのこと。それは、そうですよね。 家族でもない私にゆーりっくさんの個人情報を 話すとしたら、専門職としては、失格 私も納得して、その旨を ゆーりっくさんに 伝えました。そして、東京都の担当の方も その旨をゆーりっくさんにも伝えてくれましたが、『自分の病気のことで、エネルギーを使い果たしてしまっているので、ゆりさんに全ておまかせする』 とのことでした。それを、東京都の方が 古江氏にお伝えしたら『代理人でもよい』 ということになり、4月25日、ふたつの会議があり、古江氏から後ほど連絡を下さるということで、夜、電話でお話できました。その内容は、氷のように冷たいものでしたその電話の前に、ふと思いついて 電話の解説書を見たら、簡単に録音ができることがわかりました。わが家で、現在の電話機を使うようになって10年近くになりますが、初めて 録音をしてみました。カネミ油症未認定被害者を苦しませ続けている考え方の、まさに元凶のような やりとりです。これから テープをおこして、明日のブログに載せたいと思っています。【ゆーりっくさんのこと】 自宅で生活できる幸せが、一転して‥
2013年04月27日
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ゆーりっくさんのブログ の初めにつぎのように書かれています。 こんにちは。ゆーりっくです。私は物心ついてから安定しない体調が続いています。ぐったり疲れやすく、身体の中が時々痛みます。1日~1週間単位での発熱はしばしばあり、約2年間発熱が続いたこともあります。でも、幼少期から何度精密検査を受けても異常は発見されず精神的な問題まで疑われ、ずっと悩んできました。2012年2月になって、体調と汚染されたカネミ油の関連を疑うようになりました。定期健診の血液検査の結果と体調が悪化し、親に誰の遺伝なのかを素朴な疑問として尋ねたところ、「遺伝ではなくカネミ油を飲んだから」 との答えが返ってきたからです。私は幼少期に健康によいと宣伝していたカネミ倉庫製造のカネミ油(ライス油)を牛乳に混ぜて飲んでいました。次第に幼児なのに 「ふらふらする」 と言うようになりました。カネミ油が事件としてニュースになり、被害の申請をしたけれど、当時の基準に達しておらず認められなかったことを知りました。2012年に油症検診を受けましたが、認定されませんでした。2013年4月、胸のしこりのために受けたマンモトーム生検で特殊な悪性リンパ腫の可能性が高いと診断されました。血液のがんと言われる病気です。しかも特殊なタイプなのでわかる医師がほとんどいないのです。私は認定されなくてもカネミ油が原因の可能性が高いのではないかと思います。今までは悩みながらも自宅で寝たり起きたりしながら生活できていました。カネミ油の被害があっても自宅で生活できるのは恵まれていると思ってきました。でも、今後はどうなるか全くわかりません。( 後 略 )そして、昨年10月に カネミ油症の検診を受けて、カネミ油症ではないという結果が届いたのですが、最近になってのブログです。 3月22日、胸のしこりで乳腺内科を受診少し前から左胸のしこりが気になり始めました。熱も持っているみたい…。乳腺の専門医に見てもらおうと、近くの病院を探しました。自宅から自転車でいけるF病院に専門外来があることがわかりました。早速予約の電話をかけましたが、3週間先まで予約でいっぱい。最短日をとりあえずキープし、より早く受診できる病院を探したいと電話受付の方に尋ねました。とても親切!快く近隣の病院を2件、教えていただきました。( 中 略 )複十字で教えていただいた病院に予約が取れたので、今日、受診しました。マンモとエコーを受けました。マンモは数年前に別の病院で受けたときはすごく痛かったのですが、今回はラクでした。マンモの結果ではのう胞かもしれないということでしたが、エコーを受けたら葉状腫瘍かもしれないとのこと。細胞診を受けることになってしまいました。乳腺穿刺は3回。ちょっと痛かった~。元々痛みに弱いので…。グアムから帰った2日後に結果を聞きにいきます。結果次第では翌週に予約を残している複十字を受診することになるそうです。葉状腫瘍なら手術…。病院を出たとたんに涙が出てしまいました。この数週間は体調がよかったのに、ここに来て別の健康問題発生?? 4月9日、胸のしこりの検査が続いています3月29日~4月3日はグアム旅行を楽しんできました。旅行の詳細は少しずつその日付のところに書いていこうと思います。さて、胸のしこりの話です。旅行の前に胸のしこりを診てもらうため、乳腺科を受診しました。マンモグラフィー、エコーの結果、そのまま細胞診。細い針を胸の奥まで刺したのですが、ちょっとだけちくっとしました。私の場合は3箇所。その後は授乳中の乳腺炎のようにしばらく胸が熱を持ちました。帰国後に結果を聞きに再受診。紹介状を書かれて、次の病院に行くことになりました。昨日は、その病院へ。この地域で乳腺医療で紹介される病院です。10時半の予約だったのに、順番が来たのは11時半。外来担当は明るくて感じのよい女の先生でした。マンモや細胞診のデータを持っていったのですが、さらに詳しいものが必要とのことで、再びマンモグラフィーとエコーをしました。その結果は、初めの病院と同じ診断。多分良性だろうけど、葉状腫瘍か繊維種かがわからないのでマンモトーム生検をすることになりました。葉状腫瘍であれば、摘出になります…。予約がいっぱいの病院ですが、たまたま検査のキャンセルが出ていた木曜日にマンモトームを受けることになりました。マンモトーム前の採血をし、病院が終わったのは2時頃。どっと疲れてしまい、夕食はインスタント。夫と娘のお弁当も作れませんでした。体調を回復させるために、今日の予定はキャンセル。今朝は家族が出かけた後、寝ていました。ちょっと体調が回復したので、添削の仕事をします。今月の後半から添削の繁忙期に入るから、それまでに体調を回復させたいです。 4月11日、マンモトーム生検を受けました2時間前にマンモトーム生検を受けました。病院は自転車で15分のところです。近くてラッキー!病院であらかじめ説明事項を渡されていました。シャワーを浴びてから来ること、痛みについてなど。今日はお風呂には入れません。明日はシャワーがOK。病院によっては検査後に念のために入院するところもあるそうです。とてもドキドキして行きました。検査の場所は前回のエコーを受けた部屋でした。外来の先生がいらして、ホッとしました。先生は若くて朗らか&優しい女医さんです。スタッフも朗らか。いい雰囲気でした。ベッドに横になり、まずは胸に麻酔薬を打ちました。チクッとしましたが、耐えられる程度。それからバチッ、バチッという音が聞こえてきたので、どうやら生検が始まった様子。麻酔が効いていたので、太い針を刺しても痛みはありませんでした。1時間くらいと聞いていましたが、あっという間に終了。スタッフの優しいお姉さんが針の後をギュッと10分間押さえて止血。血圧もOK。胸にさらしを巻いて、帰宅となりました。3割負担で23,130円。手術でも入院がないので、私の医療保険は適用外でした。あー、出費が痛いです。はっきり言って、細胞診の方がずっと痛かった!細胞診は麻酔なしで細い針を胸に入れていくもの。私は3回しましたが、こちらはピリッときました。それでも耐えられる程度ではありましたが、ちょっとでも痛みはいやなものです。今は麻酔がまだ効いているのか、ほとんど痛みがありません。でも、しっかり痛み止めを処方してもらいました。痛みのないうちに、添削仕事を進めようと思います。今日は早く寝ます。 4月14日、再び乳腺炎の症状マンモトーム生検の後の痛みはだいぶ治まりました。ちょっとずつ生検を受けた左側の手を上げることに抵抗が薄れてきました。今は左胸が炎症を起こしているみたい。授乳していたときになった乳腺炎のような症状に似ています。胸の検査が続いたから、胸に負担がかかったのだと思います。発熱しないだけいいですね。症状がひどくならないように、自主的に乳腺に負担の少ない食事を採っています。乳製品はなるべく採らない。牛乳、チーズは怖くて食べません。(好きだけど)脂っこいラーメンはバツ。(好きじゃないのでOK)お肉は好きだから、ちょっと食べてしまいますが。基本はごはんに漬物です。これを機会に和食中心の食事に戻そうかな。1年ちょっと前からガクッと不調になった体です。腰、脚、胸…左側ばかりです。関連していそう。私は、ゆーりっくさんより18才も年上です。クライミングで、上腕の粉砕骨折をして手術したほか、たいした病気はしていませんし、マンモトーム生検についても知りませんが良い結果になることを 信じていました。でも、事態は深刻でした。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさん と カネミ油症
2013年04月27日
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英会話を教えていただいていたころゆーりっくさんは、体調がよくないと こぼすことが たびたび ありました。 見た目には とても 元気そうなのに、 丈夫ではないのかな~と思いました。昨年の2月、ゆーりっくさんのブログカネミ油症の症状? を読んで、おどろきました。体調の悪くなることが 多くなったので、『私の体調が悪いのは 遺伝のせい?』と、島根県のお父さんに電話でたずねたら『カネミ油症だ』 と 言われたとのこと。2~3才の頃、≪美容と健康によい≫と宣伝されていたカネミ油を、ご近所の方にすすめられて ミルクにまぜて 飲んでいたとのこと。ゆーりっくさんがカネミ油症の被害者? 西日本一帯での できごとと思っていたのに・・・ カネミ油症の被害者が目の前にいたなんて私は、今から41年前、25才の時に、カネミ油症の被害者を訪ねて、福岡や 北九州、五島列島、広島などに 行ったことがありました。ゆーりっくさんは カネミ油症のことを調べたり、問い合わせをしたりして、昨年10月、カネミ油症の検診を受けました。この検診と健康診断の時、血中の値が高いと言われ昨年の12月に市内の都立病院で検査をしています。結果は、≪体質的なものでしょう≫とのことでした。今年1月27日、ゆーりっくさんのブログに、カネミ油症 関東地区集会のお知らせがありましたので、私も参加してみました。私は、この7年間、いくつかのグループでの活動に参加して、自分がいかに周りの人たちとの協調性がないかを 痛感していた時だったので、自分ひとりでやれることだけをやっていこうと 固く固く心に決めていました。 カネミ油症に関わるのも ほんの少~し、 ゆーりっくさんの応援だけ‥のつもりで参加しました。カネミ油症関東のつどいでは、私が41年前に訪ねた時、捕りたてイワシの美味しい たたきをご馳走して下さった 漁師さんの息子さんがおられ、何かのご縁を感じました。その息子さんは、1才で発症されたとのことですから、私が訪ねた時は5才。ご家族と一緒に認定されていて同じく、五島列島の奈留島ご出身の方とふたりでカネミ油症関東連絡会の共同代表となりました。子どもの頃から カネミ油によって苦しんでこられたゆーりっくさんたち、40代、50代の被害者たちがカネミ油症のことを広く訴えていこうとしています。知っていても何もしてこなかった私であっても 今からでも 少しずつ 関わっていこうと思って、4月18日と5月17日、石澤春美さんにダイオキシンとカネミ油症 についてお話をしていただけることになり、小学生のお子さんがいるゆーりっくさんも参加しやすい10時から、軽食をはさんで午後2時まで‥としました。でも、ほぼ確実に、5月17日の会には、ゆーりっくさんは参加できなくなりました。昨日一日、ゆーりっくさんは泣いていたそうです。4月22日付けのブログ 悪性か… と昨日の 悪性リンパ腫の中でも特殊なもの はゆーりっくさんが泣きながら、昨日、書きました。ゆーりっくさんとカネミ油症の苦しみ、なぜ 未認定のままなのか‥など、私も 書いていこうと思います。【ゆーりっくさんのこと】 ゆーりっくさんとの出会い
2013年04月27日
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今はもう過去のことになってしまいましたが、東村山駅西口再開発の見直しを求める署名活動が 行われました。 このブログを始めた2006年今から7年前のことです。気がついたら、いつのまにか 『四季の花』店内が 署名の集約先になっていました。その時、ゆーりっくさん がブログを見て署名用紙を もらいに来てくれて、『お友だちにも頼みたいので‥』 と 言って署名用紙を 何枚も持ち帰ってくれました。ほとんどが 私と同年代の人たちの中で、若くて 愛らしい ゆーりっくさんの姿が、 印象的で、今も鮮明に思い出されます。 そのあと、ゆーりっくさんのブログに、『子どもたちが幼稚園に行っている間に英会話を教えたい』 と書いてあり、英会話のテキストを、何回 買っても1ページさえ 手につかなかったのでぜひ 教えて ‥ と お願いしました。ゆーりっくさんには、3年間も続けていただいたのに、私が市の財政分析だとかに熱中してしまい英会話を またもや 投げ出しました。今では、教わったこともすっかり忘れてしまい、ゆーりっくさんには申し訳ないな~と、時々、心の中で お詫びしていました。でも、いつか また外国に行ける日がきたらテキストを引っぱり出して おさらいをしようと、思っては いるのです。ゆーりっくさん、長い間、熱心に教えて下さり、ありがとう
2013年04月26日
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