2004年06月13日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
証拠はある。
命の教育という幻を持ち出して、何をする気かと思いきや、魔女狩り。
説得が不可能と見るや、自分たちと同意見のものたちだけで、書きこみを許してけつのなめ合い。
いったい、命の教育とやらをやって、その教育に同意できない、別の意見とか、表現とかの人たちを、排除したらどうなるか。
国語、理科、等々普通の教科であってすら、「できない」子供がいるのに、「志を立てたものが何年も修行して、ついに到達し得なかった」ようなものを教室に持ち込んで、何人の「子供」がそれを理解するのか。
おりしも、この事件のあった学校の校長というのは、いじめ放置とやらで、批判されていたらしい。どの程度やったかやらなかったかは別として、私はむしろ、批判そのものが、こっけいだ。
私のいた瓜破小学校の校長は、いじめ問題のあるクラスを担任もちあがりという形で、「処理」した。五年生から、六年生になる時だった。ほかのクラスは組変えをした!
そしてこの担任の教師は「人間、誰しも頼まれると、断れないものよ。」と、児童の前で堂々言い放った。
私は、今回の事件が、とても他人事とは思えず、自分がどうして「自分を殺すことをせず、他人を殺すことも無く、あの修羅場を切り抜けたのか」を、問うことにした。その過程で、まずぶつかったのが、「命の教育」。
それで効果のあるのは、命の教育なんぞ必要の無い子供たちだけである。
そもそも学校というところに、期待をしていないくせに、事が起こるとこの体たらく。レンジでちん。で教育ができるとでも思っているのか。え、世の親のことだよ。子供を教育することが教育と思っているんだだから、おめでたいというのが、タイトルの意味だ。
子供を教育するひまがあったら、自分が勉強しろ、自分自身がそのままでよく、子供がそのままでいいなら、何を心配する必要がある?
普段何もせずにただ生活に流され、いざとなると慌てふためき、それすら長続きはせず、せいぜい「誉めろ」と言われれば誉め、しかれと言われればしかる。
その程度だ。また同じ事が起こるが、そのときは、代替わりしている。
「二度と同じ事件が起きて欲しくない」などと言っていた輩が、その後も問題に取り組み、命の教育とやらをやっているなんて聞いたことが無い。
つづく





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年06月19日 13時16分15秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: