2005年03月27日
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カテゴリ: 倭人の末裔
罪を憎んで人を憎まず。刑法の基本理念はこれに尽きる。
然るに現在の日本では、人と罪と罰と人権が渾然一体として訳が分からず、最後になると「それは問題がある」という一言で決め事が骨抜きにされてしまう。
犯行当時、心神耗弱だったと認定されれば、どんな事をしても無罪である。これでは、精神的に強いものは、精神的に弱いものより不利であり、国民こぞって傷つきやすい、ナイーブ(これは「あほ」という意味だとある教授は言った)な者になりましょうということなのか。
いや、それは病の人について言っているので、精神の強弱とは関係ないというむきもあろう。しかし、である。もし病によってそのような犯罪を犯すことが許されるなら、その病でありながら、罪を犯す人とそうでない人がいるのはなぜか。
また、少年が罪を犯してまで何かを「したい」という欲望を持ち、それを我慢しながら成人し、そこで実行したとすると、少年でなく普通の刑法犯と言うことになる。
他方、我慢しきれずやってしまった「少年」は、少年法の下で保護される。
つまり、やりたいこと(悪いこと)はお早めにと言っているのか。
こういう議論に際して、少年法の改正、修正とかそれに対する反対とかの立場に固執する人たちがいるが、私の話はそれとは違う。
すなわち、私が問題にしたいのは「プライバシー」である。
すなわち、真相究明。分かったからといって、死んだもの、されたと、心の傷がいえるわけではないが、せめても、事の後、このような事態・事件を防ぐ手立てはあるのかという訳である。
真相究明とは、すなわち犯罪者のプライバシーをいちいち公開することに他ならない。しかしここで問題なのは、いわゆる個人情報(住所・氏名・写真)等ではなく、加害者がどのように育ち、周りのものはどのように接し、彼(女)がどのような人となりかという事である。一日どれくらいビデオを見たか、どんなゲームをしたか、どんな態度で生きているのか、人生そのものが暴かれなければならない。
しかし、それを初めからやらないというのは、つまりは、人間は興味本位でしか人のプライバシーを扱わないと決めてかかっているからにほかならぬ。
たとえば、神戸の酒鬼薔薇にしても、ビデオが深くかかわっている。しかし、それを公にしたのは、真に志あるマスコミか興味本位のマスコミか、いずれにしても公のルートではない。
酒鬼薔薇がいかなる理由であのような事をしでかしたのか、それはついに今もって明らかではない。したがって、有効な防止策は当然無い。
私はほかのところでも、繰り返し書いているが、病気ならば、ほかに多くの同じ病気の人たちがいて、どうして酒鬼薔薇だけが、あのような仕儀に及んだのか。そこの所は今のような犯罪に対する対応では、絶対に明らかにならない。少なくとも、一般の人間には。
罪には罰が必要だし、防止策も講じられねばならない。それを現在の制度では、刑法という枠の中にすべてを入れてしまおうとしている。刑法が適用できない犯罪に対して、別の体系、たとえば「第二刑法」という別の筋道を考えるべきである。





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最終更新日  2005年04月14日 21時42分36秒
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