2006年10月07日
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カテゴリ: 倭人の末裔
では次に、家庭で家人が介護を行う場合を考えてみよう。
この介護者は、多くの場合、介護の方法などをテレビ等のマスコミを通して入手するであろう。しかし、一般化して方法論やハウツーを教えてもらっても、最大の問題は残される。
その、最大の問題とは、被介護者と介護者の人間関係である。
すなわち、夫婦間、親子、兄弟姉妹の間のことである。日本のように、男社会では、男性は威張っていて、そして要介護状態となった場合、誰に介護を頼めるか、という問題が出てくる。
もし、要介護状態の者が、自分の生活の手段として、困った、弱った、痛い、ひどいことをされるという表現を用いていたら、介護者は、ついには追い込まれ、被介護者に反撃するであろう。
その結果が、心中とか、自殺、殺人に結びついているのである。
では、介護の方法を、個別に指導してもらったらどうか。その場合も、指導者のする通りには行かないだろうし、たとえ同じことができても、それが良いやり方かどうかは大いに疑わしい。なぜなら、あらゆる介護と名のつく現場で、腰痛を初めとしてヘルパーの体が痛んでいる現状を見れば明らかである。そんな介護のやり方を、いい加減に変えてみたらどうか。
かく言う私も、さる作業所で介護に携わっているが、ほかのヘルパーとは違うやり方をとることがしばしばある。
たとえて言えば、柔道を習ったものが総て同じ技を得意としているわけではない、ということでもあろうか。
さて、そうして介護者は、日々、被介護者から、一種のいじめを受け続ける。そして追い込まれる。
この循環を断ち切るには、どうするか。
まず、介護者は、介護の目的をはっきり自覚すべきである。何のために、何をしようとするのか。そして、自分に今、できることは何なのか。
ここのところが大事で、自分がすべきことと、できること、したいこと、それらを分けて考えることである。
私の意見は、介護は、被介護者の気持ちを第一として考えてはいけない、ということである。なぜなら、人の力には、限界があるからだ。
そのことを忘れたかのごとく、介護を、優しさとか、思いやりとかの言葉の羅列にしてしまっている所に、悲劇の始まりはある。





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最終更新日  2006年10月07日 20時30分03秒
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