2014年12月01日
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いじめ問題を考える上で、多くの人達が陥っている落とし穴がある。それは、いじめ問題をいじめられる側からしか捉えないということである。
この問題に責任のあるはずの例えば、「教師」にとっては問題が解決さえすればよい。ということは、より簡単な方法を選択することになる。
「A君の家庭はあなたほど恵まれていないの」「分かって上げて・・」だからお前が我慢しろと言葉には出さない卑怯な女は私の担任教師だった。この女が、Aの家庭の問題解決にどう関わったかは知る由もないが、少なくとも自分にはその痕跡は見えない。
いじめの克服とか、いじめに負けるなとか、一体何人の子供が命を断てば止むのかもわからない。
いじめる側とすれば、相手は明日も学校に来る。少し言葉の揚げ足を取れば、悪いのはあいつの方になる。自分は英雄になれる。
いじめなんかと戦って、勝ったところで結局「負け」。もし自殺しようなんて考えているなら、逃げてくれ。放浪の旅も悪くない。
そして、生きて、いつか本当の力を見せてくれ。





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最終更新日  2014年12月01日 16時26分29秒
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