全119件 (119件中 1-50件目)
なんかバトンが回ってきた。うっかり知り合いのBlogを覗いたら名指しされておりましたw↓コレ■血液型バトン■なんていうか、まぁたまにはこういうのもいいですかね。Q.1 自分の血液型は何ですか?■AB型 4人家族で3人AB。Q.2 血液型で合う合わないはあると思いますか?■そもそも意識したことがない。Q.3 自分の血液型は周りにどう評価されてますか?■妙な奴とは思われているが、血液型と関係しているかは不明。Q.4 自分の血液型で得した、あるいは損したことはありますか?■なし。 強いて言えばとある高貴な方(故人)と同じ血液型だったので、その頃やたら献血を歓迎された記憶がある。 (当時東京在住、しかも若かった)Q.5 友達で一番多い血液型は何型ですか?■聞いたことがないので不明。Q.6 各血液型に持っているイメージを教えて下さい。■AB型以外=血もらい放題 AB型=共食いQ.7 もし生まれ変わるなら何型になりたいですか?■選べないものは気にしない。Q.8 苦手な血液型はありますか?■RH-。もらえないから。Q.9 恋人(好きな人)は何型ですか?■意識して調べてないからなぁ・・・Q.10 気になる人が自分の苦手な血液型だったらどうしますか?■そもそも血液型での得て不得手がないので。Q11 旅行に4人で行くことになりました!理想の組み合わせと理由を教えて下さい。■気前の言い人、色っぽい人、運転が出来る人、いずれも独身女性が理想(血液型じゃない) 理由?聞くまでもないでしょ?Q.12 次の5人■|||||ご自由にどうぞ。(無責任)
Feb 9, 2006
コメント(369)
0:前言「現代日本の常識」問1:民主政体でその主義主張を変える手段として容認しうるものは何か?答1:選挙、あるいはそれに付随する各種合法的政治活動問2:法治国家において法に反する行為は一般に何と呼ばれるか?答2:犯罪問3:現代民主主義国家内において、暴力をもってその国家の存在を覆そうとする行為を何と言うか?答3:テロ・革命問4:日本は民主主義国家か?答4:○ 以上異論のある方はおいでだろうか?ではこれらを踏まえていただいた上で・・・問5:違法行為や暴力を容認し自らの政治的主義主張を他者の迷惑を顧みず強要する行為を認めるか?この答えはあえて明記しない。 さて犯罪を政治的に擁護するという主張が散見されるようになった。そういった主張者は概ね下記のような論陣を張る。「政治的主張があるのだからこれは思想・信条の自由の表現であり、これを裁くことは思想弾圧・政治弾圧である。」だが彼ら以外の多くの政治的主張が一切の犯罪行為を付随せず行われ続けてきたことは考慮されない。そう、これらの行為は政治的主張だから裁かれたのではない。手段として「犯罪」を用いたから裁かれたのだ。彼らは言を左右に話題を逸らし、「犯罪者」を擁護していることについては一切触れようとはしない。 目的が手段を正当化することはない。あってはならない。それすら理解出来ないから「犯罪を手段として利用する自称革命的行動」を擁護するのだろうか。1:選民主義的革命思想「全体主義への回帰」 これら独善的論者には歪んだ選民思想が見て取れる。ここではそれを証明してみようと思うので以下の引用を読んでいただきたい。ちなみに発言者当人は自らを「確信犯的な左翼」と称している。>民主主義は常に衆愚政治に陥る危険があります。多数者が正しいなんて保証はどこにもないのです。 多数決が正しいなんて保証は誰にも出来ない。だが少数よりは多数の方に「より正しい」見解を持つ人間が多数含まれている可能性は高い。ただし少数派と多数派それぞれ派の人間の知能・倫理のレベルが同じ分布曲線を示す、すなわち同じレベルの人間であるという前提が必要ではあるが。 これに続く部分が「選民思想」が溢れ出した瞬間である。当人に自覚は無いのかもしれないが、もしそうならより危機的状況であろうことは想像に難くない。>しかし、私達がシニシズムや絶望に陥らない限り、潜在的な真の多数者が目覚める時が必ず来ると確信しています。 ここが自分(とその仲間)が含まれる少数派だけが正しいと盲信している部分である。これを読み解けば、文の主語の「私達」は「潜在的な真の多数者」(そのようなものが存在する根拠は書かれない)を目覚めさせる、導く存在である、と主張していることが判る。すなわち「真の多数者を目覚めさせる」「私達」は当然既に目覚めており、「真の多数者」が含まれる一般の大衆とは一線を画した進んだ存在なのだ、そういう主張、思想、すなわち「選民思想」が読みとれる。 この発言に対し主張を同じくする他の論者から付いたコメントはこの推測を更に補強する。以下を読んでいただきたい。>私もそう思います。非人間的な人間は人間性という重みが欠けてるがゆえに、身軽で無意味に活動的で、非常に行動が迅速だという気がします。だから一人で百人分くらいの活動が出来、実際よりも遙かに人数が多いかのように見えるのです。 文頭の同意の次、自らの主義主張に同意できない人間を「非人間的」「「人間性という重みが欠けている」と言い切り、昨今の世相の変化はそういった人間が「実際よりも遙かに人数が多いかのように見える」せいで、実相はそうではないと元発言者の趣旨を補強している。当然その根拠は示されず彼らの「根拠無き思いこみ」だけがそのベースとなっている。根拠など無いのは当人がその文章の中で語っている以下の部分、>けれどもそういう人達の方が、人数的には多いと思います。サイレント・マジョリティーって奴ですね。 で明らかになる。思っているだけで何ら証明はしていない。そして自らを受け入れない社会の方が間違っており、自分たちこそが正当であると以下の結言を持ってきている。>人間性や思慮深さを無能とする、今の価値観の方がおかしいのではないか? とね。 自らは人間性を持ち思慮深く、他者はそうではない。自ら以外の多数は間違っており、自分を含む少数が正しい。根拠すら存在しないこれを「歪んだ選民思想」と言わずして何と表現すればいいのか。 ここで歴史を紐解いてほしい。ドイツ第三帝国、ソビエト連邦、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国。これらは「選ばれた思想を持つ人間がその他の一般人を善導する」といった選民思想を共通項に持ち、その途中経過で他民族や他国民、あるいは自国民すら粛正した歴史を有する国家群だ。時として自らが定めた法すら無視し、目的は手段を正当化するという行動を行い続けてきた国家。時として法の無視を容認し、目的は手段を正当化するという行動を主張し行い続けている自称「確信犯的左翼」。何かが似てはいないか? 彼らの選民思想はその劣化版コピー、不出来な孫達と言えるのではないだろうか。歴史を60年以上引き返してそういった国家体制を作るのが彼らの基本思想ならば我々の選択肢は一つしかない。2:狂気と革命の閉塞「アナーキズムの美学」>言っとくが、僕はそこらのネトウヨどもよりよっぽど執念深くサディスティックに「粘着」するタイプだからな。 >狙ったネトウヨ君のネットライフはもちろん社会的生命を根絶するところまで攻撃の手をゆるめず、2ちゃんの叩きもかくやというまでに残虐な活動をすることも辞さないほどに恐ろしくサディスティックなコミュにしたんだがね。>というわけで、こっちもネトウヨもビビるほどの邪道なゴロツキ、リンチ好きの狂犬の集団になって、あらゆる悪罵と脅迫と陋劣によって、エモノを追い詰め、ギタギタにしてやろうじゃないかと提案してるのです。弱いものイジメは楽しいぞ♪ さて、これらを読んで感じただろうか。字面だけみればそのエゴイズムと暴力的性向、そしてその背景となる狂気に恐れを抱くかもしれない。だが私は「この人は暴力を是とする無頼漢であるという「演技」に自己陶酔する哀れな人か、真性の○○なのだな」と思った。よく言われることに「ヤクザではチンピラほどいきがる」というものがある。「弱い犬ほど良く吼える」とも言う。もし本当に「完膚なきまでに叩きのめしたい」のであれば相手の警戒していない隙に行うべきだ。そのために現代戦では情報の収集・秘匿が重視されてきた。「今から叩き潰す」と吼えるのは「相手を怯えさせる事で引き下がらせる」効果を期待しているだけだ。 もう一度言う。チンピラがいきがる理由はいきがることで相手をおびえさせ自己を上位に見せかけるため、すなわち虚勢にすぎない。よって私はこう判断する。「このような手法に出る相手は、力関係において互角以下の存在であるか、そういった基本も理解できていない愚物」なのだと。 さてこういった人物が自らの友人にいた場合あなたはどうするだろう。1 友人として彼を諌める。2 友人としての付き合いを絶つ。まぁこういう感じだろうか。だがそれでは自称「確信犯的左翼」にはなれないのだ。以下は自称確信犯的左翼の発言からの引用である。>○○さんはリアルで会うと人間味溢れる本当に人間らしい方なんですよ。>○○さんはそういう発言をする方なのです。それを理解し受け入れた上で、私はかれの友人であるわけです。>かれの友人という立場を離れて、社会運動に携わる者らのうちの一人として言えば、別の作風というか運動スタイルが望ましいと考えています。>過激かもしれませんが、それでも私は○○さんのことを大切な友人だと思っているし、信頼している、ということです。そのことで私が偏見を持たれてしまうとしても、それは受け入れます「本当は良い人間性なんだ!」「友人だから無批判に擁護し受け入れるのだ!」「信頼しているんだ!」 自称確信犯的左翼は、法に反しようと倫理が怪しかろうと仲間は絶対に守るものなのだ。ああ、素晴らしき哉美しき友情、我らが麗しい同志愛に栄えあれ!それは万人が無批判に受け入れるべき崇高な精神だ!彼らは叫ぶ、自己犠牲と見てくれの友情に陶酔しながら。それが他人には絶対理解されないということを無視しながら。 一歩引けばこれが「仲間内の傷の舐めあい」「暴走族の連帯意識」と同質な低レベルのものであることが理解できる。ではこれらを平気で主張できる「確信犯的左翼」がサイレントマジョリティーから政治的シンパシーを得ることは可能だろうか?答え:「有り得ない」彼らは自身が作り出した殻、その外の人間からは一切賛意を得られない。相手を思想的に転向させることもかなわない。なぜか?「外の人間」な時点で仲間ではないからである。ディスカッションを行い、相手を論理的に納得させ、その上で相手の過去の思想をクリアして咎めないようにして仲間に受け入れることが「転向」させることである。だがかれらはディスカッションの段階で相手を罵り拒絶する。なにしろ「仲間内の論理とモラル、そして仲間自身」が全てに優先するのだから。何より哀れなのはそういった失敗を仲間内で傷を舐めあい、悪かったのは自らの失敗ではなく相手側だったのだと安易な結論へと飛びつくことだ。そう、彼らには進歩するだけの精神的キャパシティーが存在していないのである。 進歩には自らの過ちを認めそれを乗り越えることが必要だ。しかし彼らはそれが出来ない。なぜなら彼らは間違っていたと認めることがないからだ。 相手の論理を常に「反動的」「差別的」と罵り「暴力で排除しようと威嚇」して良しとするからだ。 過ちを認めて修正されない主義主張に進歩などないのだ。3:結論 左翼的政治運動の未来「流れよ我が涙、と確信犯的左翼は言った」>権力と対峙する姿勢のないところに、運動はあり得ない。 権力と対峙する自分に自己陶酔し、それだけが目的であるかのようにしか振舞えない自称確信犯的左翼。>ネットウヨへの対処法が一つしかないのが身に沁みてよくわかった。対話を拒否するしかないのだ。 対話を拒否し、自らの作り出した殻に籠もることでしか自らの思想を守れない自称確信犯的左翼。>「二重基準」など幾らでも言いなさい。私は断固として「偏向」するからね。妥協はしない。 過ちを認めず、自己の思想のみを頑なに守ることでしか自己主張できない自称確信犯的左翼。>私は一切の中立性・偽りの「客観性」・公平性を放棄し批判する。断固として偏向する。 自己を絶対視し他者の視点を認めず、己の判断基準こそが絶対正義であると唯一神の如く吼える自称確信犯的左翼。>××氏をアク禁にしました。さよなら、××氏。 論理的に対抗できないと、自らに与えられている力を行使して対話を拒絶する自称確信犯的左翼。 自称確信犯的左翼氏の哀れな姿を見て、果たして左翼的運動に未来・救いはあるのかと危惧する方も多かろう。だが安心(?)して欲しい。彼自身も語っている。>貴方は「△△△△△」の呼び掛けを揶揄しているのでしょうが、賛同人の中で私は異端的であり、主流派ではない。 そう、彼は彼が認めるように主流派ではないのだ。ある人は彼との対話で「君はこれから尾翼を名乗るって後ろのほうにいると、真面目な左翼の人々が迷惑しなくて済むだろう(笑) 」と揶揄した。そうかれは「左翼」ではない。自称「確信犯的左翼」なのだ。 そしてそれはいくら涙を流しても、自らそれを認知できない限り改めることは出来ない。さらばだ、「確信犯的左翼」とその一党。あなたたちが日の目を見ることは無い。たとえ西から日が昇ることがあろうとも。
Jan 31, 2006
コメント(10)
http://anime.livedoor.com/movie?id=7169591873476c97新兵器に関する続報です。
Jan 29, 2006
コメント(4)
自称平和主義者の方々が声高に叫ぶ「日本は世界第2位の軍事費大国だ!」というのは本当なのか。ちなみにそういう意見を出す人に「論拠は? 証拠は?」と尋ねると99%返答が返ってくることはない。のこりの1%、回答を返す人の答えですら「平和運動をしている人から聞いた」「そういうWeb-siteを見た」という又聞きのレベルでしかない。「データが古いのかな」と言う人もいるが、その古いデータはいつのものか、そもそもそれはどこから出たデータなのかは回答されない。これは楽天であろうとmixiであろうと共通の傾向である。・・・なにかそういう「指導マニュアル」でも配布されましたか? さて普段から検証せよと言っている手前、このデータの出所についても色々サーチしていたわけだが・・・・今回納得できるだけの資料をまとめることが出来たので、「世界2位派」の方達にお勉強してもらうためヒントを書いてみようと思う。問1 日本の防衛費(ドル換算)が初めて世界第2位になったのはいつか。 答え 1993年(平成5年)問2 日本の防衛費が最高額(ドル換算)を記録した年はいつか、またその総額(ドル換算)は? 答え 1995年(平成7年)、総額502億ドル。★ヒント:バブル、円高ドル安(ほとんど解答なのだが)
Jan 24, 2006
コメント(3)
楽天のブログなのにmixiの話題が続いて恐縮だが、何しろ読んでも読んでも尽きぬまさに「ネタの泉」としか言いようが無い状態なのだ。どうかご容赦願いたい。 今回の話題は仮称「反政府自衛官代弁事件」とでもしておこうかと思う。 ことの起こりは1/19にmixi内某コミュに立った一つのトピックである。(掲示板等で言うところのスレッドと考えていただきたい)そこにおいて大元の発言者(A氏とする)が「エリート自衛官(B氏とする)の声」として書いた内容を概略まとめると以下のようになる。(カッコ内は私が付けた仮名。固有名詞等は極力伏せ字とした)0 タイトル「あるエリート自衛官の言葉より」1 C会のような連中の言説は迷惑である (C会とは左翼系運動を批評・観察するコミュニティであり、左翼系論者からはウヨクの巣窟という評価のようだ)2 自衛隊と旧軍を一緒にされると困る。3 だから靖国は俺は参拝反対。4 でも公の場では言えない。5 改憲論議のエスカレートを懸念。6 理由は国外へ出て戦闘に加わる可能性があるから。7 でも命令があれば行く。8 だが、皆に伝えておいて欲しいことがある9 いつの時代でも、歯止めの利かない感情的な世論の道具になって兵士たちは死ぬのだ、と。 書き込まれた直後から多くの人から様々な批評・意見が書き込まれた。「個人の意見だろう」「実在するのか」「エリートが言ったから何?」それらに対してA氏は「特定されないように曖昧にした。それなりに地位がある人だ。作り話ではない。」とコメントした。これに続いて「文民統制」「内心の自由」「職業選択の自由」「公務員の倫理」「守秘義務」「自衛隊法違反」と様々な方向へ話題が続いていくことになる。 そういった議論の合間に「本発言は別人物のmixi日記からの引用である。」とのコメントが書き込まれ、そのコメント内において「B氏の階級が3佐」と元の日記では書かれていたことが明らかにされる。そしてC会に対するA氏の継続的なスタンス(A氏はC会批判のトピックを立てたりしていた)から、「A氏はC会批判のためだけにこれを引用しわざわざトピックを立てたのだろう」という批判の後、A氏から驚愕のコメントが付けられる。「当人はC会とは直接言ってませんでした。」 そしてこの同コメント内で、以前に彼を非難していたとあるコメントに「誤解されるような書き込みは止めていただけますか? 」と発言しているのである。誤解も何も「自ら大元の発言を改竄」しているのにである。 さらに大元を読んだ方から「引用元の記述者は、小林よしのり、藤岡信勝,上坂冬子の名前を挙げて、彼らみたいな連中、と述べていたはずです。」「防衛大出身で、三等陸佐を自称する、しかし現在は閑職にいる、という人物とコンタクトを取ったらしい」 この段階でC会批判の部分は否定され、続いてタイトルの「エリート自衛官」さえも疑わしいことが明らかになった。エリートが閑職に就くのは失脚した場合であることは、自衛隊だろうと民間企業だろうと変わらない。当然早速に「ぢゃあエリート自衛官ってスレタイが嘘ぢゃん」というコメントが付くことになる。 しかしこれだけでは終わらなかった。なんと大元の日記を精読した方から「だが、皆に伝えておいて欲しいことがある」なる記述が存在しないと示されたのである。 ここで最初に書いた個条書きをそれぞれ確認する。× 0項× 1項○ 2項○ 3項△ 4項○ 5項○ 6項○ 7項× 8項○ 9項 行頭に付加した×はトピック中で虚偽又は創作と判明した部分、△は前後矛盾の部分である。以下、各項の真偽等からトピックを立てたA氏の思惑等を推察していくことにする。 まず0項のエリートという記述が「虚偽」であることは興味深い。このタイトルはこれを付加することで自己の発言に権威付けをすることを求めていたか、あるいは3佐という階級に関する無知・先入観があったと推察される。しかし発言本文に対する改竄状況を考慮すれば、単純な誤解によるものとは考えにくい。何らかの悪意に基づく意図があったと判断するのが妥当であると考える。 第1項の改竄は論外である。明らかに「B3佐」の発言とは違っており、仮にB3佐が実在したとしてもこのような特定団体への誹謗中傷は認めないだろう。(そもそもB3佐がC会の存在を知っているかどうかすら怪しい)この項はB3佐というよりも、A氏個人の意志か思惑なのだろうが、それがいかなるものであれ他者の日記・発言を「改竄して引用する」という行為は極めて卑劣であることを忘れてはならない。なにしろ当のA氏は何があってもその責を「エリート自衛官B3佐」に負わせることが出来る(はずだった)のだから。 第2、3項についてはそれが個人的なものであると考えれば何ら違法性はない。これらは政治的な行為とは言い難く、後述する「反戦自衛官裁判判例」(以下D判例とする)に照らし合わせても何ら抵触しない。 第4項はB3佐の発言として考えれば「公にはしたくない」という意思表示である。仮にこれが事実であった場合、本発言は個人的交友の範囲でのプライベートなものでありB3佐自身は公表される類の物ではないと考えていたことが伺われる。しかるにA氏は(自己の恣意的な思想をB3佐のものであるかのように捏造して付け加えた上で)これをmixi内で公開(少なくとも公開した日記から転載)し、その意思に反した行動を行っている。法的な問題はさておき倫理上極めて不誠実な行動であり、発言者たるA氏の人間性に大きな疑いを投げかける部分である。この捏造を付け加えることが自己を保身しB3佐に全ての責を負わせるという行為に繋がっていることは言うまでもない。 第5、6項についてはいささか微妙な問題を含んでいる。もしB3佐当人が4項の発言とは矛盾するものの本発言の公開を了承していたと仮定すると、B3佐はD判例に照らして自衛隊法による処罰が行われる可能性が高い。 なぜか?この2項目については政治的要素を多分に含んでいる。自衛官は属する組織の性質上、一般国民、一般公務員よりも人権が制約されるものであると判例ではされている。特にその政治的言論が政府の政策・立場に反する、干渉する場合は自衛官がこれを公にすることは「文民統制」に反することになり、これらの行動は国民の自衛隊への政治的信頼性を損なうこととなりかねない。よって自衛隊法58条の1または52条に抵触したと判断され懲戒処分の対象となるのだ。 仮にも3佐がこういった事項(過去の事例)を無視する、忘却するとは考えにくい。すなわちこの発言は「B3佐は非エリート出身」であるか「発言自体が捏造」である可能性を高めるものであることがわかる。もちろん捏造であればその責はB3佐ではなくA氏に帰することになる。 第7項は自衛官として当然の事柄であるので問題は全くない。たとえ個人的にどう思おうと、命令には従うのが自衛官なのだ。 第8項はトピックにおいて「捏造」が明らかになった部分である。ちなみにこれが事実であった場合、4項との明白な矛盾が生じる。わずか数行の文章内において相互に矛盾する箇所が3カ所というのは、仮にもエリート(?)自衛官の作成する文章ではない。むしろ複数の人物によって書かれたと考える方が自然である。この相互矛盾から推察される「これは一人の人物では書き難い」ということは、コメントによって提起された「捏造である」ことを証明していることになろう。 第9項も問題がある。ニュアンスからしてB3佐はそれに対して不満があるようだ。当然ではあるが個人として内心不満に思うのは何ら問題はない。D判例においても個人の内心の自由までは規制されていない。しかし自衛官しかも幹部自衛官が「立場を公にして政府・国民を否定する」ようなことを言うのは論外である。それは日本という議会制民主主義国家において「国民の選挙によって選ばれた政府(とその指揮下の自衛隊)」の否定に繋がる重大発言であり、自衛官としての資格を問われかねない内容であると判断される。 本稿において述べたようにこのような愚かな発言をする自衛官がもし「実在する」というのであれば、明確な証拠をもって示していただく必要がある。理由は簡単、本事例は「自衛官としてふさわしくない人間」が武器をふるう可能性を示唆しているからだ。 もちろんB3佐が実在しないと言うのならば話は別である。その場合はA氏が「デマをもって自衛隊に対して何らかの思想活動を目論んだ」か「虚偽の言論で当該コミュ参加者間に対して不信感・不安感の醸成を企んだ」という単純な回答に帰結するからである。以上についてのA氏の説明・釈明をmixiにおいて希望するものである。 さて。文中でD判例として述べた「反戦自衛官裁判」を簡単に説明させていただく。まずは一連の流れから。S47.4.27 陸上自衛官Yは制服を着用したまま報道関係者を同道の上、防衛庁前で以下の要求書を読み上げた ・立川強行移駐反対 ・自衛隊沖縄配備反対同4.28 Y、芝公園で制服のまま「4.28沖縄返還協定反対、自衛隊沖縄派兵阻止、日帝の釣魚台略奪阻止、入管二法粉砕中央総決起集会」に参加、壇上で同趣旨の声明文読み上げに加え以下の主張を行った ・閣議決定済み各種計画への反対 ・自衛官の人権保障 ・幹部、曹・士の差別撤廃 (以上各事項の法改正)上記の各行動から陸上自衛隊は隊法58条1項などに反するとして懲戒処分、同懲戒処分に対してY、取り消し訴訟を提起した。・・・改めて書き出すと頭痛がするような事件である。「馬鹿?」というところか。ちなみに1審、控訴審、最高裁まで一貫して判決は「懲戒処分は適法」であった。それらから興味を引く物の概要をまとめてみると以下のようになる。・著しく歪曲又は誇張した事実を前提にして自衛隊を誹謗中傷した・有事に行動する武力集団としての自衛隊は、不断から一糸乱れぬ厳正な規律と強固な団結を保持することが不可欠である・これは実力組織としての性質に由来する本質的な要請である・故に文民統制の原則は当然として、内部においては所掌する者の判断と決定が最大限に尊重される必要がある・一般市民から志願してなった自衛官は市民と同じ権利自由が保障されなければならないわけではない・志願してかかる立場になったのであるから、立場の範囲内において権利自由が制約されても憲法問題は生じない【第1審】・表現の自由は公務員の地位にある者の発言が無制約であることを示すものではない・国民の信頼を損なう発言は慎むべきである、国民の信頼があってこそ行政が成り立つ・自衛隊の場合、その性質上、自衛隊員相互の信頼がその活動に不可欠であることは論じるまでもない【控訴審】・自衛官が制服や官職を利用して公然と政府を批判することは、本来政治的中立を保ちつつ一体となって国民全体に奉仕すべき責務を負う自衛隊の内部に深刻な政治的対立を醸成し、そのため職務の能率的で安定した運営が阻害され、ひいては議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の遂行にも重大な支障を来すおそれがある【最高裁】 以上で私がなぜB3佐の実在にこだわるかおわかりいただけたと思う。私はB3佐が存在するのならば、彼の発言は本当かを任務に対する阻害要因として確認する義務があるのである。しかし現段階になってもmixiにおいてA氏は沈黙を守ったままである。 私としてはA氏が正真正銘の卑劣漢で全ての発言は捏造であり、B3佐なぞ実在しないことを望んでいる。だがそう望むからと言って真実を確認しないわけにはいかない。なぜならB3佐が実在することは自衛隊にとってひいては日本にとって極めて危険な因子を内在させていることになるからである。(なお本トピックは一応未だに継続している。A氏は姿すら見せず雲隠れしているようだが)
Jan 23, 2006
コメント(1)
さて私は先般の日記で「最近mixiが面白い」と書いた。【以下、一部についてmixi内の規約に抵触するとのmixi事務局からの通報のため該当する部分を削除した。ただし指摘された規約に関係しない部分については削除していない。いわゆる前振り部分なので本文には影響がないのでご了承願いたい。】 では私はmixiで今私が面白いと感じているもの、それについて述べてみよう。 ここをお読みの皆さんはご存じのように、私の職業は「特別職国家公務員」である。一部主義の方々にはこの職業は蛇蝎のごとく忌み嫌われている。それはおそらく彼らが狂信的に主張する「彼らの平和主義」と対立しているからであると私は推測している。ここで誤解を招かないように言っておくが私は「平和主義者」だ。戦争など起こらなければそれに越したことはないし、武力を持って他国に侵攻する行為は好むところではない。(あくまで一般論である。無数に存在する戦争の形態をこのような簡単な形で括ってしまうことは愚かな行為であるからだ)しかしながら他国から武力を行使される危険性を考えれば、これに常に備える必要性は明白なのである。実例としてあげれば、「イラクのクウェート侵攻」はイラク軍の侵攻を阻止(あるいは国際社会・国連の介入までの時間稼ぎを)できるだけの軍事力を保有していなかったが故に発生した。クウェートの軍備状況を見たフセイン・イラクは「1対1なら勝てる」と判断し行動したからである。クウェート側は外交主体でアラブ国家群の中で生き残れると判断していたようだが、それが正しかったかどうかは歴史が語っている。フセイン・イラクの占領からクウェートを解放したのは外交努力ではなかったことこそその証明に他ならない。 さて話が逸れたが、楽天と同じくこういった「主義の方々」はmixi内にも多数存在している。むしろ開放されているが故に多くの人からの批評・批判に曝されて消え去らざるを得ない楽天他のブログよりも、mixi内には数多くの「主義の方々」が存在しているようだ。 この「主義の方々」も含めた様々な人たちが集って意見を交換するとあるコミュニティで、昨年の教科書採択問題の際の中核派の話題が出たときのことである。多くの(普通の)参加者の方は、かつて行った殺人を正当化し続けている中核派が、その正体を隠したまま行った一連の行為について「胡散臭い」と判断していた。これは至極真っ当な反応でおそらく大多数の日本国民にとっても通常の反応であると私は考える。 しかし不思議なことに執拗に彼らを擁護する発言を繰り返す数名の参加者が居たのである。戦争に反対し平和の大切さを普段から説き続け、自衛隊の一切の活動や存在意義、政府の各種外交方針、米国追従政策(?)の批判・否定を声高に発言していた人たち、彼らの口からついに出た驚天動地の擁護発言・・・それは「時と場合によって暴力を併用する平和運動は容認される」であった。 多くの「主義の方々」、特に平和主義者を自認する方々は「戦争反対」を主張している。(もちろん私も基本的には反対なのだが)そこに基づき彼らは自らの考えを絶対正義と捉え、米国の対テロ戦争やイラク紛争、あるいは世界各地の内戦について否定的意見を述べ、対話による解決を行わない(実際は国連を始めとして常に行われているのだが)国家・陣営に対する非難を浴びせ、軍備自体が諸悪の根元と主張してきたわけだ。 ところがそういった人の中から一部とは言え上記の「時と場合によって暴力を併用する平和運動は容認される」が主張されたことに私は心底驚いたのである。(加えて言うならば彼らは「法は権力側に恣意的運用をされているので守るも守らないも時と場合による」との趣旨の主張もしている。) さて私は何に驚いたのか。少し冷静に考えれば判ることなのだが、なんと彼らは自ら「戦争反対の理由」を完全否定してしまったのである。彼らは自ら(あるいは中核派が)主体的にその主義主張に基づき「(時と場合によって)暴力を容認できる」と主張したのだ。では「彼らではない誰か」が自らの主義主張で行動することを否定できるのだろうか。出来るわけがないではないか。時と場合によって、暴力を併用する平和運動は容認される。なぜならばそれは人民の国家を作り上げるために必要だからである。時と場合によって、チベットにおける民族浄化は容認される。なぜならばそれは中華人民共和国の平和を維持するためだからである。時と場合によって、他国への核兵器による恫喝は容認される。なぜならばそれは我が国の自由と主体思想を守るために必要だからである。時と場合によって、ルワンダの難民虐殺は容認される。なぜならばそれはルワンダの不穏分子を一掃するために必要だからである。時と場合によって、日本への侵略戦争は容認される。なぜならば・・・・etc.etc.... そして彼らはその発言において「行動する側の考え・判断」こそが絶対であると主張した。その行動が他者からどう見えようと、法にどう違反しようと、秩序をどう乱そうと、犠牲者がいかほど出ようと、ただ行動する側が「時と場合によって考えれば今回は問題ない」と判断すれば全て容認されると主張した。これははたして「戦争反対」「平和運動」にふさわしい行動論理と言えるのか?それは戦争に勝利することをもって自らの正当性を証明しようとする「軍国主義者」の主張と何が違うのか?・・・彼らは本当に平和主義者なのか? 彼らの最大の失敗は「時と場合によって」と書き込んだことだ。 その判断を下せるものが自分たちだけである、そう勘違いしたことだ。 法治国家においてその行動の是非を判定するのは「法(もしくは司法機関)」でなければならない。 けしてそれは個人あるいは一集団が行ってはならない、その当然のことが理解できていない彼らが一般国民の支持を受けること未来永劫ないだろう。 JSF氏始め幾人かの方が「それは平和運動ではない、革命運動である」と主張するのはもっともだ。日本では合法的に行われる各種政治活動は誰にも規制されない。私個人は社民党が大嫌いだが、社民党が(党として)違法行為をしない限りこれをどうすることも出来ないことくらいは知っている。法は「個人の嗜好を超越したところ」に存在する、法治国家はこれを忘れてはならないのだ。そして国家がそれを守っている限り、個人は法を守らねばならない。当然だが暴力を伴わず法を遵守する革命というものが存在するのならば、これは弾圧されてはならない。だが彼らはそれを否定し法を犯した。よってこれは法治国家によって駆逐されるのは極めて当然なのである。 mixiにおいてついに偽りの平和主義の仮面を捨て去った「主義の方々」は今後どういう末路を辿るのか。この一大喜劇を私は見逃すわけにはいかない。・・・こうして今日も私はmixiから目が離せないのである。【追記】 なお誤解を招かないように言い添えれば、そのコミュニティにおいて「時と場合によって暴力を併用する平和運動は容認される」「法は権力側に恣意的運用をされているので守るも守らないも時と場合による」等という無体な主張を行っているのは極々少数である。大半の参加者は「平和の大事さ」や「それを守るための手段について」や「それぞれ意見の交換」あるいは「情報交換」を目的に集っている普通の人たちである。そういう意味で「真の危険思想」が日本においては受け入れられてはいないことを私は確認しそして安心している。日本はまだまだ捨てたものではない、そう思えるのだ。
Jan 17, 2006
コメント(18)
mixiの方で戯れている事が多いです。参加してみたいという方がおられましたら、捨てメアドを添えて私書箱にお入れください。
Jan 9, 2006
コメント(3)
http://anime.livedoor.com/movie?id=7c2b96541747b374コピペして「?」での改行をなくしてジャンプしてください。(作者様:http://anime.livedoor.com/theater/2.html )
Jan 7, 2006
コメント(3)
新年早々1日2度更新の快挙・・・とか思っていたらいきなり替え歌からです。本当にありがとうございました。レッド市民僕らの世界は素晴らしい ファシストどもにゃ渡せない平和を愛する市民には ブッシュ政権許せないレッド市民 レッド市民反戦反米 条約違反倒せ悪の米国を暴け悪の虐殺を劣化ウラン弾 受けてみろ白リン爆弾 それ見たか僕らの日本は美しい ネットウヨクにゃ渡せない憲法愛する市民には にちゃんねらーが許せないレッド市民 レッド市民無防備宣言 9条堅持倒せ悪の自民党潰せ悪のプロ奴隷朝日の記事を 受けてみろ中韓反論 それ見たか【元歌:レッドバロンOP】それゆけチュウカック(右派ハ 右派ハ 右派ハ のハ)俺たちゃ サヨク (ウンウン)アッタマ いいぞ (ウンウン)レーニン毛沢東好きなもの 好きなもの 大朝日米軍自衛隊 追いかけてそれ行け それ行けチュウカックツンツン 中核~(右保ホ 右保ホ 右保ホ のホ)俺たちゃ 市民 (ウンウン)右翼にゃ 負けない (ウンウン)杉並親の会好きなもの 好きなもの 第9条扶桑社教科書 ぶっ潰せそれ行け それ行けチュウカックツンツン 中核~【元歌:タイムボカンED】☆失われた支持を求めて赤い思想に 集めた支持者行き場無くした陳情 映すテレ朝今は歪んだ思想 道連れにしてデモに出るがいいさDo you remember That's old マルクス遠い日に置き去りにした夢物語を ネタに替えて 笑ってあげる左翼は誰も 論理破綻十字架背負った 論理破綻赤い色の 左翼の夢 どこに胸の思想が 哀しすぎる右手の光るナイフ 仲間切り裂くただの嘲りだけじゃ 寂しいだろう裁いてあげる その命Do you remember That's old スターリンこの国で内ゲバをした物語を 目覚めるまで 笑ってあげる左翼はいつも 論理矛盾持論も主張も 論理矛盾赤い色の 左翼の夢 どこにDo you remember That's old レーニン遠い日に置き去りにした夢物語を ネタに替えて 笑ってあげる左翼は誰も 論理破綻十字架背負った 論理破綻赤い色の 左翼の夢 どこに【元歌:機甲創世記モスピーダOP】レッド・チャイナ日本国 赤く染め上げる記事は朝日の流した捏造だけだねあり得ないソースを 確かめるように何度もシナ向く 背中がつらいよマスメディアに咲く 真冬のバラだね消せない記事だけ 声高に映し愛しいコリアを 出来ればずっとこの胸抱きしめ 擁護したいけど圧力が最後の 捏造だなんてオオニシと 生まれる時代を 間違えたのさRed Red China in your SoulRed Red China in your Soul....日本国 赤く染め上げる記事は朝日の流した捏造だけだねあり得ないソースを 確かめるように何度もシナ向く 背中がつらいよソース出す ネトウヨの獣たちには捏造は いつでも哀しい 刃になるよRed Red China in your SoulRed Red China in your Soul燃える抗議受け 書いた記者 クビにしてOh ohohohRed Red China in your SoulRed Red China in your SoulRed Red China in your SoulRed Red China in your Soul【元歌:機甲創世記モスピーダED】
Jan 5, 2006
コメント(5)
2006年となりました。(既に5日ですが)本年も昨年同様よろしくお願いいたします。(昨年叔父が亡くなっているため、新年の挨拶をこれにて替えさせていただきます) さて・・・・ 巷では白りん弾関連の話が話題になっていたようである。(私も幾つかコメントをさせていただいた)既に大多数の愚論は鎮圧されたようだが一部くすぶっているところもある。そのくすぶりの大半が白りん爆弾だのこれを化学兵器に含むだのという、そもそもの名称や定義自体を理解していない暴論でありこれらには放置プレイでの晒し者がふさわしい。 しかしその否定の理由が「倫理上問題があるから」という主張、その背景に存在するものの放つ『妖しげな香り』だけは放置しておくには危険すぎる。今回はこういった類の『倫理の名を隠れ蓑にした危険思想』について少し私見を述べ、併せて2006年の抱負を語ってみたいと思う。【以下本文】 倫理-モラルというものは法や条約よりも早い時代から存在していたものである。言葉、文章として形作られる体系としての『法律』よりも、個人のモラル、人間関係を円滑にするためのマナー、宗教的戒律、小規模な人間集団間の暗黙の了解等といったものから自然形成された『掟』が早くから存在していたのは疑うべくもない。 ではそういった「掟」がありながら、なぜ『法体系』『条約等』といった明文化されたものが近代社会において生じることになったのか。最も古い(といわれる)ハムラビ王の法典、「目には目を」はなぜ作られねばならなかったのか。(このあたりの知識・認識は私にはせいぜいが高校生程度の知識しかないので、誤りがあったらぜひご指摘いただきたい) 法というものは基本的にそれによって律せられる社会に対して「一定の秩序」をもたらすものである。その秩序が「社会全体」「権力者個人」「宗教集団」等のどれに対して有利になるかどうかは問題ではない。社会のあり方に「一定の枠をはめ、一定の秩序をもたらす」ことが法における最低限の共通事項だからだ。 実際のところ「小規模な地域的集団」だけで社会が構成されているうちは明文化された法は必ずしも必要ではない。(と私は考える)こういった場合では「モラル」「口伝」「掟」「お告げ」「長老の判断」といったものでも十分にその小規模社会の秩序は保ちうるからだ。これを乱す者には「村八分」「追放」といった様々な手段をが採られ、それが法と同等以上の強制力を発揮した。それは歴史上の事実に見ることが出来る。(もしこれが極端に個人や一方に有利になるような方法であれば、そこで反乱や革命等といった秩序の変換が起こる。しかしその場合も秩序自体が失われるわけではなく、旧秩序から新秩序へと基盤となる「もの」が変わるだけである) 中世以降に時代が移り、地域的小集団(ムラや町)が統廃合されて国家というより大きな集団が構成されることで、地域的小集団の数だけあった千差万別の「モラル」「掟」を共通化する必要が生じることになった。一つの大きな集団(国家等)の中で「東地方では無罪、西地方では有罪」というような偏り・違いを生じさせては、共通の基盤・認識を維持できず、一つの集団として行動し得ないからである。歴史の流れの中で数多くの「モラル・掟」といったものが取捨選択により昇華・共通化され、その最大公約数的なもの(中には元になる小規模集団の発言力の違いで押し切られた例も多々あるが)が明文化して出来上がったものが『法』なのである。(『法』に反しない範囲での『地域的規則』は現代でも認められている。市条例などがそうだ) では世界における社会の基本要素が国家(法治国家)となった現代ではどうか。各国家の法はその国家における「秩序の基本」となっている。「各」と書いた理由は、例えば日本では法に触れないが別の国では死刑に匹敵する、あるいはその逆のようなものが世界には幾つも存在しているからだ。(イスラムの宗教的戒律と日本の無宗教的社会を比べればわかりやすいかもしれない。飲酒などがその明確な例である)国家の法(国内法)はそれぞれの国内における「独自の基準」であり、似通った部分はあれど基本的には別のものである。 中世世界までは各国の国内法は基本的に互いに無関係であり、これに対する干渉は原則として許されるものではなかった。しかし科学文明の発展により各国家間での交流が頻繁かつ密接になった現代世界においては、複数の国家間の共通的な基盤を(一部でも)作る必要が生じることになる。これがいわゆる『国際条約』である。 個人的モラル→地域的掟→法→国際条約、という昇華・拡大のステップを経ていくことで、それの適用される範囲は大きくなっていく。これに伴いその枠組みに影響される人間の数は増大し、個人の『倫理観』というものが相対的に小さな要素へと変化した。(母集団たる摘要範囲が大きくなるのだから当然である)ただしこれは個人の倫理自体を排除するものではない。倫理は法体系に内包され、また法体系はそれに反しない倫理を排することはないからである。倫理を内包し共通化した法体系が『最大多数が納得できる範囲』で秩序を保つには、法(あるいは条約)を逸脱することが許されないことが前提となる。これは「一個人の倫理」と「法体系」の関係を希薄にすることにもつながっていく。(その悪しき影響の一面が「法に違反しなければ何をやっても良い」という倫理の崩壊である) また特に国際条約に関して言えば、もしその条約が国内の各種規範と合致しないのならばこれを批准しないという選択肢も残されていることは忘れてはならない。(実際にそういった例も多い)こういった条件から「条約に加盟すること=その条約の提供する秩序に従い条約を遵守する」という法と同等の関係が成り立つ。この関係は、条約を遵守する制約に付随して通常は何らかの利益(直接的なものから間接的なものまで)を、条約を破れば同様に何らかの不利益もたらすことで保証されることになる。 話を少し変えよう。昨今よく見られる白りん弾弾劾や最近話題の無防備地域宣言における論法は概ね次のようなものである。「法(条約)ではこうなっていて問題はないが、倫理的に問題があり悪であるから断罪する」この論法と「倫理的に問題があるならば、法(条約)を変えてこれ以後は悪として断罪すべきである」という論法の違いが理解できるだろうか。 前者は「人治」である。 後者は「法治」である。断罪する基準が「個人の倫理」なのか「体系化された法(条約等含む)」なのかの違いが極めて大きいことはおわかりになると思う。(後者の論理に基づいた運動を行う正当な平和団体も存在していることは救いである。平和団体の全てが独善ではないことを証明する貴重な証拠だからである) さてこれらの主義の方々の主張する、「多くの人間・小集団のモラルの昇華した末の『法・条約』よりも、個人又は自分を含む小集団の倫理・モラルが優れている」と断言できる根拠はいったい何処にあるのだろうか。歪んだ選民意識なのか、はたまた想像も付かない何らかの形でその結果から利益を保証されているのか。 ここで思い出さねばならないのは、一個人(あるいは一部の小集団)の判断・倫理が法よりも優先される社会・国家・集団が日本のすぐ近くにも存在していた、あるいは今現在も存在していることである。 例えば中華人民共和国、あるいは朝鮮民主主義人民共和国、日本におけるオウム真理教という極めて危険な小集団、これらの存在が及ぼす(及ぼした)幾つもの影響(そして実害)を我々は考えなければならない。それらを無視して自らの倫理観こそが『絶対にして唯一の正義』と主張して、法を蔑ろにし他者を断罪する行為を行う彼らは果たしてどういった思想者の末裔なのか、そこまで想像しなければならない。 白りん弾を「倫理」の観点から非難する人々、無防備地域宣言を条約を曲解して主張・推進する人々、ありもしない条約を盾に他者を非難する人々。彼らの主張する倫理は本当に「正しい」ものなのか?法を蔑ろにする「個人の倫理」とはいかなるものなのか? 我々は数多くの歴史的出来事から、一個人の倫理が法を超越して国家を支配した様々な実例を知っている。そしてそれらが引き起こした「悲惨な歴史」に枚挙の暇がないことも。もちろん現存する法治が完全なものであると主張することは無茶な話だ。人間の作り出したものに完璧を要求することは傲慢以外の何物でもない。しかしながら少数の倫理による人治より、多数の倫理の昇華から作られた法による法治のほうが、その中に含まれる誤謬をより少なくしている可能性は高いのである。 そろそろ結論に移ろうと思う。 ここ数年、法・条約を軽んじてまでも自らの持つ倫理観の正しさを声高に主張する人々が増えてきた。彼らが法・条約を軽んじるのではなく自らの倫理観を法自体に反映させるべく働きかけるのならば、もしかしたらその過程でその倫理が法へと取り込まれ昇華されることで、法体系それ自体がより一層優れた高みへとステップアップすることもあるだろう。しかし白りん弾弾劾・無防備地域運動ともに、それを主張する人々は己の倫理の「絶対的無謬」を全く疑っていない。ただ疑わないだけであればまだ良いが、疑わないために既存の法を、条約を、事実を歪曲し捏造してまでも主張するのはいったいなぜなのだろうか。 繰り返して言おう。自らの倫理観の正しさを全く疑わず、他者の倫理観との整合性を図ることなく国家を運営した歴史、その結末を我々は幾つも知っているはずだ。彼らは自らの説く人道と倫理の美名の影で、その悲惨な歴史を繰り返す危険性を内在させているのである。 民主主義国家の「法と倫理」、そして国際社会の「協調と秩序」を守るために、私たちは彼らの歪んだ独善的倫理と主張をうち破るだけの知識を身につける必要がある。そして発達したネット社会はその手段を容易に提供してくれる。検証し、思考し、また検証せよ。この一連の過程に労を惜しんではならない。 私は彼ら主義の方々を反面教師として今年一年また(ゆっくりとではあるが)日記を重ねていきたいと思う。これが今年の年頭に当たっての抱負である。
Jan 5, 2006
コメント(3)
スパムを残してある。理由は・・・・わかるねw
Dec 12, 2005
コメント(8)
ちと酔っているので悪ふざけ気味。まぁジョークと捉えてもらえれば・・・(半分本気な部分もあるが)諸君 私は電波が好きだ諸君 私は電波が好きだ諸君 私は電波が大好きだ捏造日記が好きだうそ日記が好きだ反戦日記が好きだダブスタ日記が好きだ反日日記が好きだ反米日記が好きだ反核日記が好きだ左翼日記が好きだ炎上日記が好きだブログで BBSで2ちゃんで 個人サイトでニュースサイトで 企業サイトでネットテレビで ネットラジオでmixiで メーリングリストでこのネットで晒される ありとあらゆる電波記事が大好きだエントリーを見つけたウヨクの一斉コメントが 轟音と共にサヨクを吹き飛ばすのが好きだ空中高く放り上げられたサヨクが コメントラッシュでめらめら炎上した時など心がおどるウヨクの操るコメントのソースがサヨク日記を撃破するのが好きだ 悲鳴を上げて燃えさかる日記から飛び出してきたサヨクを国際条約でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだったアスキーアートをそろえたスパムの横隊が敵の日記を蹂躙するのが好きだ恐慌状態の野次馬が既に息絶えたサヨク日記に何度も何度も突撃している様など感動すら覚える事大主義のエセ平和主義者達をネット上に吊るし上げていく様などはもうたまらない泣き叫ぶサヨク達がウヨクの降り下ろした手の平とともに金切り声を上げるコメントスパムにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ哀れな抵抗者達が雑多な妄想で健気にも立ち上がってきたのを 朝日新聞の捏造露見が エントリーごと木端微塵に自爆させた時など絶頂すら覚える サヨクのブログ主にコメント削除されるのが好きだ完全に論破するはずだったエントリーが削除され コメントが消え去りぶつ切りにされていく様は とてもとても悲しいものだサヨクの捏造に押し潰されて ソースを探すのが好きだサヨク論者に強弁され 害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ 諸君 私は電波を 地獄の様な電波を望んでいる諸君 私とともにヲチしているウォッチャー諸君君達は一体 何を望んでいる?更なる電波を望むか?情け容赦のない 糞の様な電波を望むか?鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な電磁嵐を望むか?(サヨク サヨク サヨク 「 電波!! 電波!! 電波!! 」 )よろしい ならば電波だ我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だだがこの暗い闇の底で半世紀もの間 堪え続けてきた我々に ただの電波では もはや足りない!!大電波を!! 一心不乱の大電波を!!我らはわずかに一個大隊 千人に満たぬブロガーにすぎないだが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している ならば我らは 諸君と私で総兵力100万と1人のウヨク集団となる我々を忘却の彼方へと追いやり 眠りこけているエセ平和主義者を叩き起こそう髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう 連中にソースの味を思い出させてやる連中に世界の常識を思い出させてやる天と地のはざまには 奴らの妄想では思いもよらない真実があることを思い出させてやる一千人のブロガー集団で 捏造日記を燃やし尽くしてやる「最後の大隊 大隊指揮官より全ウヨクブロガーへ」第二次ゼーレヴェー作戦状況を開始せよ 征くぞ 諸君
Dec 4, 2005
コメント(16)
ようやくカゼも一段落、先週は過半を寝込んで過ごしてしまうという情けない体たらくであったが、土日を越して何とか可動状態にまで復帰できたようである。(完治とは行かないが)この場をお借りしてご心配いただいた方々には心よりお礼申し上げる。 さて、最近あちこちで『無防備地域宣言』により平和を、という動きが見られるようである。この運動がジュネーブ諸条約自体を曲解・利用しているという至極最もな指摘はさておき、これが実行動上でいかに危険な行為であるかを『実際の戦争』に関する考察を交えてつらつら述べてみたいと思う。 本運動の目的は、武力の存在しない都市であることを事前に宣言する条例を採択することで、万一の戦争勃発の際に紛争地域となることを避けて住民の安全及び財産の保全を図ることにある。(と私は解釈している)そのために自衛隊・米軍を含む一切の軍事力を地方自治体の地域から排除しなければならない、ということだそうである。根拠としてジュネーブ条約の第59条があると力説し、一般の住民に国際的なコンセンサスを得ている正当な行為であるがごとくに宣言しているが、これはジュネーブ諸条約自体を全く学んでいないことの証左である。その細部については既に多くの諸氏があちらこちらで指摘しているので、これについてはここでは割愛する。(興味をお持ちの方は、「条約」「ジュネーブ諸条約」「無防備地域」「根拠」「野戦軍」などをキーワードに検索していただきたい)○ジュネーブ条約追加第一議定書より抜粋第59条 無防備地域 1 紛争当事者が無防備地区を攻撃することは、手段のいかんを問わず、禁止する。 2 紛争当事者の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地区であって敵対する紛争当事者による占領に対して開放されるものを、無防備地区として宣言することができる。無防備地区は、次のすべての条件を満たしたものとする。 (a)すべての戦闘員が撤退しており並びにすべての移動可能な兵器及び軍用設備が撤去されていること。 (b)固定された軍事施設の敵対的な使用が行われないこと。 (c)当局又は住民により敵対行為が行われないこと。 (d)軍事行動を支援する活動が行われないこと。 3 諸条約及びこの議定書によって特別に保護される者並びに法及び秩序の維持のみを目的として保持される警察が無防備地区に存在することは、2に定める条件に反するものではない。 4 2の規定に基づく宣言は、敵対する紛争当事者に対して行われ、できる限り正確に無防備地区の境界を定め及び記述したものとする。その宣言が向けられた紛争当事者は、その受領を確認し、2に定める条件が実際に満たされている限り、当該地区を無防備地区として取り扱う。条件が実際に満たされていない場合には、その旨を直ちに、宣言を行った紛争当事者に通報する。2に定める条件が満たされていない場合にも、当該地区は、この議定書の他の規定及び武力紛争の際に適用される他の国際法の諸規則に基づく保護を引き続き受ける。 5 紛争当事者は、2に定める条件を満たしていない地区であっても、当該地区を無防備地区とすることについて合意することができる。その合意は、できる限り正確に無防備地区の境界を定め及び記述したものとすべきであり、また、必要な場合には監視の方法を定めたものとすることができる。 6 5に規定する合意によって規律される地区を支配する紛争当事者は、できる限り、他の紛争当事者と合意する標章によって当該地区を表示するものとし、この標章は、明瞭に見ることができる場所、特に当該地区の外縁及び境界並びに幹線道路に表示する。 7 2に定める条件又は5に規定する合意に定める条件を満たさなくなった地区は、無防備地区としての地位を失う。そのような場合にも、当該地区は、この議定書の他の規定及び武力紛争の際に適用される他の国際法の諸規則に基づく保護を引き続き受ける。○前提(無防備地域宣言成立と開戦) 本『無防備地域宣言』について考察する上で、彼ら運動を推進する「主義の方々」の主張が全面的に認められ、以下の事項が起こった場合について時系列に沿って考察する。設定する条件は以下の4つである。(1) ある地方自治体『A市』で「無防備地域宣言」が採択され、これがどうにかして認められた。(2) 『A市』の地理的位置は、上陸適地の海岸方向から大人口を抱える『B平野』へと抜けるための交通の要衝である。(3) その後、突如『C国』が日本に侵攻した。(4) 日本海沿岸からから上陸した『C国軍』は、『B平野』占領を企図して侵攻中である。 これは特段無理のある設定ではない。B平野を関東平野とするならば、新潟付近に上陸して一路関東平野を目指す某国軍をイメージしてもらえばよい。その場合、三国山脈を抜けた出口にある前橋、高崎、渋川の各市が無防備地域宣言をしているA市に該当するような状況だ。北海道在住の方ならば、釧路付近に上陸した某国軍が石狩平野をめがけて侵攻する様子を想像してもらうことになる。この場合A市となるのは夕張、芦別、旭川各市が考えられるだろう。離島の場合でもわずかな変更で同様の設定を行うことが出来る。無防備地域宣言をした竹富町(島)を占領すべく、C国軍が上陸してきた場合などである。この場合のB平野は沖縄本島(あるいは石垣島)などになる。○無防備地域占領戦 A市が『無防備地域宣言』を行い『日本において』(ここ重要)これが認められたという仮定がある以上、自衛隊はA市に戦力を配備して防御したり、通過して移動することは許されない。 ではC国軍はどうかというと、無防備地域は侵攻するC国軍に対して「無抵抗で占領される」ことを意味するため、C国軍はA市を無血で占領し、占領地域として施設等を接収・活用することが出来る。(通過はもちろん、戦力の配備も自由である) この段階で『無防備地域宣言』は完全に終了する。C国軍の占領下にある以上、その段階ではA市の『主権』はC国に移動している。A市が旧主権国の日本において認められていた『無防備地域宣言』は無効となる。(主権が変わるのだから当然である)ここで改めてC国A市として宣言を・・・と考えているのならば、彼らの脳内にはケシのお花畑でも広がっていると考えるべきだ。占領下の都市で軍政に対して反抗した市民は一般に抵抗分子として扱われる。日本という国において(仮に)認められた行動でも、他国を軍事力を持って占領しようと言う意図を持つC国がこれを認めるとは考えがたい、むしろ相手にもされまい。相手にもされないどころか、おそらくは様々な理由をこじつけて極刑をもって処断される状況となるだろう。彼らお得意のデモや署名運動などはもってのほかである。なぜならその場で撃ち殺されることにもなりかねないからである。侵攻してきたC国軍がわざわざ条約の条件を満たして撤退する意味など存在しないのである。○「元」無防備地域奪還戦 交通の要衝であるA市がC国軍の拠点となった以上、(前提条件によれば)そこからB平野全体が危険にさらされることになる。我が国としてはB平野(とそこに居住する大人口とその財産)を防衛するために、C国軍の拠点と変わり果てたA市を攻撃し、これを奪還する必要が生じる。A市のC国主権下における『無防備地域宣言』が行われる可能性は前述のようにほぼ皆無であるから無血奪還はあり得ない。結果としてA市はC国軍(防御)vs自衛隊(攻撃)の戦場となることが容易に予想される。 このようにしてA市は「無防備地域宣言」の有無に関係なく戦場となるのだが、その犠牲の「量」については大きく異なることが考察できる。 なぜならば自衛隊の目的は「国家、国民の防衛」であるからだ。よって自衛隊が防御側で戦闘を行っていた場合(すなわち無防備地域ではない場合)、A市市民は国民保護法等の規定に基づき自衛隊他が全力で避難させることになり、戦闘時にはそこには極めて限定された国民(避難を拒否した、あるいは間に合わなかった)しか所在しないと考えられる。 しかし日本国内において市民を避難させうる十分な占領地域及び手段を有しないC国が防御側となった場合これを行うことが可能かどうか。あるいは仮に可能であったとしてもそれを行うかどうか。C国軍の目的は「B平野(もしくは日本)の占領」であり、A市市民の保護にはないことを考慮すれば結果は推して知るべしということになる。市民の大半は避難することは出来ない、許されないだろう。結果として無防備地域宣言をしなかった場合を遙かに上回る市民の命が失われることになるだろう。○無防備地域周辺の状況 占領戦時においては、無防備地域が存在していた場合はそこでの自衛隊等の行動が制限(禁止)され、周辺地域を含めたエリアの防衛行動に多大な支障をきたすことは容易に想像できる。これによって無防備地域周辺は人命・財産等ともにより大きな被害を受ける。また無防備地域を拠点とすることでC国軍の行動はより幅を持つことができ、結果として更なる広大な地域が侵攻の危機に晒される。その反面、奪還戦時に周辺への影響は大きな変化は無い。○無防備地域宣言の有効性 前述の理由により『無防備地域宣言』を行っても行わなくても、A市が壊滅的損害を受ける可能性があることは理解いただけたと思う。ただしA市が損害を全く受けずにすむ可能性が一つだけ存在する。それは・・・・C国軍がA市占領後反撃を一切受けることなく速やかに日本を降伏させるか、停戦に持ち込むことが出来た場合だけである。この場合C国主権下のA市として、ほとんど損害の無いままA市とA市市民は存続しうる。結論『無防備地域宣言の真の目的は何なのか』 無防備地域宣言をもし本当に行い、これを認めさせることが可能とした場合の本当の目的、その主張の裏に隠されているものが何なのか。 まずその主張の裏に見え隠れするのは、周辺地域との協調を忘れた極めて利己的な発想である。「自分だけが安全ならば」「自分だけが損害を受けなければ」というこの利己的な行動の裏で、周辺の他の地域はより一層の損害を受けることになる。ただしこれは戦争の実相、あり方を考えれば実に幼稚な考え・判断で、全く無効であることは「奪還戦」の項で述べた。彼らがその損害を完全に防止する可能性などほとんど無いのである。 ではその真の目的はなんなのだろうか。「ジュネーブ条約」「平和運動」「非武装中立」と言った使い古された美辞麗句に騙されている「市民」はある意味で被害者である。彼らは真実にたどりつくだけの思考力・知識を有しないは故に利用されているだけだ。 だがしかし本「無防備地域宣言」が採択され万が一にも認められた場合、その恩恵にあずかることが出来る勢力は存在している。 それは本稿の仮定における『C国』及び『C国に協力する日本人』である。無損害で地域を占領でき、温存した戦力をもってA市市民を盾に周辺地域を占領することが出来るC国。そのC国に協力することで、自らの発言力を増し地位を向上させうる協力者達。ここまであからさまな外患誘致、反政府活動は今まで存在していない。我々は美辞麗句の元に忍び寄る危機を見逃してはならないのである。
Nov 15, 2005
コメント(6)
風邪を引いて寝込んでおります・・・治ったらレス&更新しますのでご容赦を・・・
Nov 8, 2005
コメント(7)
自民党改憲案が呈示され様々な方面で意見交換が行われている。近年ブログ等の普及で、こういった議論が今まではサイレントマジョリティとされていた層においても活発に行われるようになったのは喜ばしい。今までは「新聞の読者投稿」でもなければ見ることは出来なかった声である。新聞、特に朝日のような恣意的なフィルターがかかることなく、本当の声で意見が交換できる環境が整ってきたことこそネット時代がやってきたことの証明だと思う。しかし環境は整ったものの、それを使う人間は「ネット環境以前」から存在していた人間であり当然それ以前の教育を受けている。そしてその教育の「ひずみ」の影響は未だに色濃く世相に反映されているのだ。本稿ではその「ひずみ」を明らかにし、それを作り出した「絶対的平和主義の誤謬」について述べてみたいと思う。今回の参考サイト【FFS本舗氏のblog:http://plaza.rakuten.co.jp/ffshonpo/】必要な部分は引用して論を進めていくが、一度ぜひ全文に目を通していただきたい。【以下本文】 戦後教育は往々にして戦前を全否定する傾向がある。しかし現代というものは過去から連綿と続く連鎖の末端であり、独立して唐突に現れたものではない。年表とその上の出来事を丸暗記することで行われている戦後の歴史教育はこの点を全く無視している。例えば、太平洋戦争は開戦に至る間に様々な経緯と事情が存在する。米国から突然ハル・ノートを突きつけられて逆切れした日本が狂犬のように世界相手に戦争をしたわけではない。突きつけるまでの米国の経緯、突きつけられた日本の葛藤、開戦を決意する経緯、そしてそれらを作り出した歴史的背景や世相。まずは、これらをことごとく省みずただその結果のみを肯定あるいは否定することは思考停止に等しいことを理解する必要がある。 さてFFS本舗氏のBlogに目を向けてみよう。当該日記は以下の書き出しから始まる。>軍隊による国家防衛は可能だと思いますか?>俺は不可能だと思います。 歴史上、軍隊による国家防衛に成功した例は無数にある。いやむしろ戦争の結果が客観的に勝者と敗者を作り出す以上、その数だけ国家を防衛した例は存在しているのだ。氏はこの点を完全に忘却、あるいは無視しているようである。 更に氏はこれに関して次の問いを投げかけようとする。>「軍隊さえあれば国は守れるのか?自衛隊を自衛軍に強化すれば国は安全になるのか?」 一見しても何か「あれ?」と思える文章だが、実は既にこの時点で論理の破綻の兆しが見える。その「破綻」とは何か。 それは『改憲論者がいつ「軍隊さえあれば国が守れる」と主張したのか』だ。答えは「していない」である。改憲論者どころかおそらく北朝鮮のような全体主義国家ですら「軍隊だけで国が守れる」とは考えていない。国連しかり多国間協議しかり、地球上の全ての国家は何らかの外交的手段をもって他国との協調を模索している。氏の主張・問いかけにはこういった事実を意図的(か無知故か)に無視し、「改憲論者=戦争愛好者」という誤認識に他者を誘導しようという意図が垣間見える。子供アニメじみた善悪二元論は、所詮思考能力に乏しい幼児向けのおとぎ話である。『大昔、悪の軍隊は戦いに負けて滅びました。悪の軍隊から解放された善良な国民は、平和を愛し世界の人たちと仲良く暮らしていました。けれどもしかし、悪の軍隊の復活を目論む闇の勢力は滅んではいなかったのです。』世界は絶対悪と絶対善の2面しか持たないデジタルな存在なのかどうか、その判断はここをお読みの諸氏にお預けし次に進むこととする。>◎戦前の軍隊は国民を守ったか→>戦争中日本軍は日本人を守りはしませんでした。>軍隊は国民の命よりも軍隊自体を優先していたことは皆さんも聞いたことがあるでしょう。 >沖縄戦における捨石作戦・集団「自決」の国民への強要・軍事病院からの国民の締め出し等は軍隊が国民を軽視していたことの例としてよく挙げられることです。>同じことが二度と起こらないという保障はないでしょう。日本が戦前の思想に逆行しかねない状況の現在においては特にそう思います。この文章はまさしく詭弁である。それを証明するためにこう書き換えてみよう。◎安保の頃の大学生は勉学したか→安保の頃の大学生は勉学しませんでした。大学生は勉学よりも政治的革命的行動を優先していたことは皆さんも聞いたことがあるでしょう。東大における学生闘争・新宿における暴動・浅間山荘事件・よど号乗っ取り・革命闘争・内ゲバによる殺し合い等は大学生が勉学を軽視していたことの例としてよく挙げられることです。同じことが二度と起こらないという保証はないでしょう。大学生が安保の頃の思想に逆行しかねない状況の現在においては特にそう思います。 いかがだろう。こうするとその滑稽さ狭量さが引き立ってくる。戦前の軍において国民の命が軽視された事例があることは誰も否定しない、強調され過ぎたとは思うが。つまり「一部の例をもって全体を図る行為」は、それを行った人物の視野の狭さを明確にするだけだということだ。そしてそれを培ってきたのは、他でもない「戦後の絶対的平和主義教育」である。軍を悪として単純に否定する教育は、軍の存在・必要性、戦争という事象、情報収集の場を奪い続けてきた。この文章はその具現化に過ぎない。>◎他国からの攻撃を防ぎきることは可能か→ 軍を悪とした戦後教育は、軍とその意味する「戦争」を否定するだけでその意味についての教育を行ってこなかった。またそうした教育を受けて培われた視野の狭さは「否定するためにこそそれを学ぶ」という姿勢をまさしく否定し続けた。(その最たる例が旧社会党である) 氏は軍隊の存在意義、戦争の持つ意味、戦争を抑止する全ての構造を完全に無視しているか知らないのである。現代に限らず、あらゆる時代において他国からの攻撃を「受けた場合」完全に防ぎきることは不可能だ。子供のアニメに出てくるスーパー兵器を装備したヒーローのロボットでもない限り、あらゆる損害を受けずに勝利することは確率的に不可能であることを認識しなければならない。ここで言いたいのは氏が「軍隊の存在する意味、目的」を完全にはき違えているということだ。 では軍隊は何のために存在するのか。他国からの攻撃を躊躇させる「抑止力」、いざ戦争となったときに被害を局限し少しでも有利にその戦争を終わらせるための実力行使機関。少なくとも自衛隊はそのために存在する。日本は他国に対して戦争を行わない主義を掲げ、それが国民の骨の髄まで染みこんでいる平和国家だ。(これは自衛官でも変わらない。自衛官も全て日本国民としての教育を受けて自衛官になっているのだ。)この戦後60年の積み重ねを「たかだか憲法の改正」ごときで変えることが、変わってしまうという妄想こそ根拠がないのである。 さて氏はそのブログにおいて国土防衛を「無傷の勝利」と誤解している。1か0かデジタルでしか勝敗が出ない戦いなど無い。戦いはその双方に犠牲を強いるからこそ悲惨であり、避けるべきものだという当然の現実から目を背けている。この論法は「無傷で勝てるなら戦争しても良い」という、それこそ戦争肯定の軍国主義へ回帰しかねない危険性を孕んでいる。 「全てを守れないから不要」という論法は成り立たない。損害0は理想だが、損害1は損害10よりもより理想に近い。たとえわずかでも損害を減らす可能性があれば、その手段・準備を講じることは国としての義務なのである。実際に日本はそのためにMD構想や防衛力の整備をずっと行っている。わずかでも被害を減らす可能性を追求し続けているのだ。氏の論法は「保険は病気を防がないから不要」といった暴論と全く同じでしかない。 自衛軍の意味云々については、おそらく氏の若さ故の純粋さなのだろう。氏の自宅の前で、暴走族がガソリン入り火炎瓶に火を付けながら「オラァ、殺すぞ!」と叫んでいても同じことが言えるのならば、氏の信念は本物と言えるだろうと付け加えておく。>◎軍事力は抑止力となりうるか→>軍事力が抑止力になりうるという考え方自体がすでに破綻していると思いますね。 第二次大戦以降の冷戦期、幾多の紛争が「米vsソ」の全面核戦争に至らなかった理由、通常戦力による全面衝突に至らなかった理由、それは核兵器によるMADから来る抑止力の存在である。最も近い歴史上を省みず、20世紀初頭にまで話を遡らして自論を補強する氏の論法は滑稽である。近代史、特に第二次大戦以降の歴史教育が絶対的平和主義の名の下に軽視されてきた証拠と言えるだろう。>まあ、他国への信頼に任せる面がある以上、この考え方に否定的な人は多いでしょう。では、どちらが有益だと思いますか?国土防衛の意思を武力という形で示し、他国の敵愾心を煽る方法と、戦う可能性自体を減らす努力をし、他国との協調を進めるやり方と。 この部分の根本的な問題点は、リスクマネージメント意識の欠如である。戦争は「相手の意志」で一方的に起こされる可能性もある。こういった危機に対して準備をする、その際の準備は一般には「外交努力」と「軍事力(防衛力)の整備」になるが、氏の論法ではここに関する認識が致命的に間違っている。氏はこの二つが「排他的」なものであり「同時平行的」に行うことが出来ないと認識しているのだ。まさしくデジタル外交である。 関係の改善と防衛力整備は排他的なものではない。真に日本の国益を考えるのならば「関係改善の努力をしつつ最悪の事態にも備える」ことが必須である。経済活動でもこういった認識は必要だが、ことは「国民の命」に係わる金銭にかえられない重要事項である。これを両立させない博打打ちの絶対的平和主義なぞに「国民の生命」を賭けるようでは、それこそ政府の責任だけでは済まないだろう。>どちらにもリスクがあることを認めるならば、俺はより国にとって有益なほうをとりたいですね。 リスクは考えなければならない。では国にとって最大のリスクは何か。それは不意に攻められ為す術もなく蹂躙され、多数の国民の生命を失い、国家として滅亡してしまうことだ。このような致命的リスクを無視する氏の思考法は「絶対的平和主義」の悪しき側面の具現化としか言いようがない。>◎俺の立場→>俺は「軍事力によっては国は守れない」と考えます。 結論から言えばこれは不完全である、若しくは誤答であるとなるだろう。なにしろ前提条件で当人が自ら言っている「軍隊さえあれば国は守れるのか?」を満たしていない。上でも書いたが改憲論者を含めた多くの人が「軍隊だけで国を守れる」とは欠片も思っていない。外交と軍隊は排他的ではない。同時並行して初めてお互いの欠点を補うことが出来るものなのだ。外交努力では「戦争になったときに何も出来ない」。軍隊では「外交は出来ない」。 軍隊を絶対悪と見なして否定することが氏の論法を破綻させていることは各段毎に示してきた。これらを踏まえた上で氏の問いかけに関する答えを考えて欲しい。そうすれば何が国にとって国民にとって必要なものであり、耳に優しいきれい事がいかに危険であるか理解していただけると思う。 私を含め多くの人が受けてきた戦後の絶対的平和主義の教育は、戦争について、軍隊について考える場を奪い続けてきた。本来ならばその影の部分を踏まえた上でより理想に近づくべく議論すべきだったのだが、日本はそれを怠ってきた。改憲の時期に来てその膿が吹き出すように出てきたのも事実であるが、膿は出しきっておかねば後々禍根の元となる。否定するにしろ肯定するにしろ、それについて学ばねば語る資格はない。 日本が世界の中で平和を享受し、国際協調のもとで一層発展するために、私たちは現実を見なければならない。遠い未来の理想を実現するため近い将来の現実を解決する姿勢こそが今、日本には求められていると私は考えるのである。
Oct 31, 2005
コメント(69)
「日本も大型高速輸送艦?」 新聞記事だけで今ひとつ明確な姿の見えない「大型高速輸送艦によるシー・ベース構想」。これを実際にやるかどうかはこの際おいておくとして、第三者的に思ったことを少し述べてみたい。なお念のために言えば私の所属は「陸」であり、海上自衛隊管轄となる(と推察される)この種の情報についてはここをお読みの諸氏と何ら変わらないレベルのデータしか持っていないことをお断りしておく。 比較対照として米国の高速海上輸送艦をみると、これが凄い。満載排水量55350トン、最高速度33ノットである。対する日本の輸送艦はおおすみ型、8900トンの22ノットである。もう比較するレベルではない・・・かに思える。 さて、実はここに大きな陥穽が潜んでいる。それは何か?米国の「高速海上輸送艦」はまさしくシー・ベース構想の体現であり、紛争地域付近の港湾に迅速に大量の戦力を一気に投入することを目的とした装備・補給品の洋上事前備蓄基地である。しかし新聞で読む限り自衛隊のシー・ベース構想は「離島事態において迅速に戦力を投入する」ことを目的としており、その離島に大型艦が物資等を揚陸できる港湾が存在するとは限らないという条件を勘案していない。 ここまで読んでピンと来た方もいるだろう。そう、その任務は本来輸送艦ではなく『強襲揚陸艦』の任務なのである。強襲揚陸艦ならば、前述の米国の輸送艦ほどの規模は逆に意味がない。特に「離島防御」と「災害派遣」を兼務させようという構想ならば、なおのこと大きすぎる艦は不要である。この港湾の発達した日本本土ですら50000トン級の船が入れる施設は限定される。離島に果たしてそういう施設があるのだろうか、いやない場合が多かろう(反語)。むしろ20000トン以下の艦に、LCAC(ホバークラフト)に代表される小艇をセットにした方が汎用性は高い。(おおすみ型はLCAC2隻を搭載している)まぁ日本が今保有している自衛艦で最大のものは「ましゅう型」13500トンであるから、20000トン級でも十分大型ではあるが。 そうなった場合問題となるのは速度であるが、これもある一定の「枠」がはめられる。早いだけならエクラノプランでも導入すればよい。最高速度は500ノットであるから世界中どこでも補給の時間を加えても3日以内に到着できるだろう。だが「離島防衛の任務」を考えるとそうはいかない。護衛艦艇無しの単独輸送任務などまるで太平洋戦争のガダルカナル島ではないか。「高速大型輸送艦」の高速は、当然護衛艦艇の速度に左右されるのだ。そして海上自衛隊の各種護衛艦の速度は公称27~32ノットの範囲である。すなわちこれ以上の速度はあまり意味がない。(回避などを考えれば速いに越したことはないが、あまり大きく上回ろうとしても建造コストの増大を招くだけだろう) TSLの流用という話も書かれていたがこれは個人的には論外だ。最新技術なのは認めるが軍用品に必要なのは何よりも「信頼性」である。未だ運用実績の定かならぬ新技術、そして軍事任務用ではない設計構想。軍艦というものは民間船と大きく異なる思想で作られている。すなわち軍艦は「敵の攻撃を受けてそれに耐えた上で任務達成してナンボ」だということだ。故障した、壊れたといってその場で応急修理も出来ないような民間船、しかもそもそも「敵に撃たれる」という発想がない船では、実際に撃たれたときどうなるか見当も付かない。離島対処など恐ろしくておぼつかないではないか。 固定翼機の運用も無茶な話である・・・が、これには抜け道がある。現在米国、仏国などで開発中のUCAVである。(UCAV:Unmanned Combat Aereal Vehicle) 要は無人戦闘機だ。フランスではUCAVネウロン、米国ではX-47Bなどが構想又は試験段階にあるが、これらは限定的なステルス性を有するものである。更に米国ではこれらに長距離偵察能力を付加したシステムを開発中であり、いずれも2009年頃から実用段階にはいると見積もられている。ちょうど都合良く「高速大型輸送艦」の就役と時期が重なるではないか。もちろん自国開発を選択した場合でも、すでにヤマハがヘリ型UAVを陸自に納入している実績があるので、固定翼版も不可能ではあるまい。 むしろ問題になるのは「普段何を積んでおくか」なのではないかとも思える。米軍の大型高速輸送艦は紛争に備えた装備の事前集積であるから、積載されるものは米軍の戦闘部隊を基準に準備すればよい。しかし日本の考える「離島防御」と「災害派遣(国際緊急援助)」では装備が全く異なっていることは理解しなければならない。戦車や歩兵戦闘車を事前に積んでおけば離島防御には大変役に立つだろうが、よもや「戦車を積んだ艦」で「国際緊急援助」をしろというのだろうか?戦車では医薬品を輸送できないのだ。それこそ日本に文句を言いたくて仕方のない特定アジア諸国に「付け入る隙を与えてしまう」、まさに藪をつついて蛇を出すことになるのではないかと危惧してしまう。この積載品の問題は極めて慎重に検討する必要があるだろう。 大型艦の運用経験、予算の制約、積載品、使用目的等の諸問題を解決してこの「日本版シー・ベース構想」が実現した場合だが、果たしていかなるものが出来上がるだろうか。これは完全に個人的な見解になるが、イギリスのドック型揚陸艦/両用強襲艦のアルビヨン級が参考になるかと思う。アルビヨン級は700名の兵員を搭載、チヌーククラスのヘリ2機を飛行甲板に、かつ船内に4隻の揚陸艇を収容可能な18500トンの新鋭艦である。700名の人員搭載は現行のイラク派遣部隊の規模を1隻で十分カバーでき、また要求される大型ヘリの輸送・運用能力もある。また被災地支援等の場合は搭載の揚陸艇をもって付近に港湾がない場合でも迅速な活動開始が可能である。 こういう艦は1隻では存在意義がないので、おそらく2~3隻建造してローテーションを組むことになるだろう。(アルビヨン級も2隻ある)また日本で建造する場合は揚陸艇ではなくLCAC積載になると考える。なぜならLCACの被災地支援時の有効性はスマトラ震災時に実証済みであるとともに、すでに存在するおおすみ型と装備の共通化が図れる利点があるからだ。 高速、大型といった条件に上記の考慮事項を合わせて考えた場合、要求される性能等はおそらく以下のようになるだろう。(1)1000人規模の人員の積載能力 (イラク派遣隊+αの規模、概ね1コ普通科連隊程度)(2)上記人員分の補給品・車両等の積載・輸送能力 (状況により戦車等を含む)(3)離島防御と被災地支援両任務における共通的装備品の常時搭載 (装輪車両、偵察車両等までか?)(4)30ノット以上の高速が発揮可能 (護衛艦と同等以上)(5)ヘリコプタ運用能力 (全通甲板、同時運用数4~5機以上)(6)揚陸艇運用能力 (複数のLCAC(4隻以上)を運用・積載)(7)無人機運用能力 (偵察・警戒、限定的戦闘能力の保有)(8)個艦防御能力 (最低限、近接防空能力を確保)(9)上記能力を満たしうる排水量 (アルビヨン級以上は確実)(10)その他 (衛星通信能力、索敵能力、医療支援能力他の保有) しかしこういった装備を十分に活用するには物理的・機械的な性能もさることながら、「国民のコンセンサス」が何よりも重要になるだろう。果たしてその準備が国民には出来ているのかどうか・・・私はそこが不安である。
Oct 27, 2005
コメント(16)
某所にて・・・>こっちはいつでも、いいよ~^^。>いつでも、警察・弁護士 well come!!>Last updated 2005/10/24 9:43:18 PMちなみに・・・歓迎:Welcome で、上記は・・・well come :「井戸は来ます」さすがエリートだなぁ、凄い英語力だ。・・・あごがめり込みそうだよ、床に。
Oct 24, 2005
コメント(10)
某所での議論の過程で私に向けて質問を頂いた。あまりに長くなってしまいその場でコメントするには迷惑となりそうなため、こちらで回答させていただくことにする。お許し願いたい。また普段と違い「です・ます」調になっているが、これは本稿がイスラマバード氏への回答として書かれているためである。違和感を感じる方もおられるだろうがどうかご容赦願いたい。なお大元の議論の場所はごみかき氏のBlogである。こちらもご参照いただければことの経緯などへの理解が深まると思う。【http://plaza.rakuten.co.jp/shoochang2004/】なお頂いた質問は以下のとおりであった。> 叩き台 イスラマバードさん >Cpt.higeさんに質問したことについて、お答えにしにく>内容だったと思います。>ただ、予算の話しは避けて通れない事柄だと思います。>そこで少々乱暴でありますが、叩き台として以下のよう>なことものは如何でしょうか?>防衛費が>1:7兆円の場合>2:6兆円の場合>3:5兆円の場合>4:4兆円の場合>5:3兆円の場合>と、それぞれの予算で、何が出来て、何が出来ないのか>それを考察するというのは如何でしょうか? この質問に対する回答の形式で本稿を進めていく。【ここより本文】 まず何が出来るのかという想定ですが、物事には優先順位というものがあります。それはその時代時代で変わるので、本件の場合は「何が出来るか」ではなく「何をしなければならないか」が論点になるかと考えます。また「何が出来ないか」という点については、ある程度の予算以上で考慮する必要が無くなります。必要最小限を満たした場合には意味がないからです。以上を踏まえていただいた上で、差し障りのない範囲で回答させていただきます。0 前提条件(データ) まず17年度は約4兆8千億が防衛費なわけですが、この中で「人件・糧食費」は約45%の2兆1千5百億円です。残りがいわゆる物件費で、その内訳は以下のとおりです。(数字は概数。基本データは日本の防衛17年度版)装備品等購入費 9000億円研究開発費 1300億円施設整備費 1400億円維持費等 9200億円基地対策費 5000億円SACO関係経費 260億円その他 887億円なお16年度末の自衛官の人数は以下のとおりです。陸 約14.8万人海 約 4.4万人空 約 4.6万人1 上記から、想定した4・5項は防衛力が減少するのが予想されます。人件費以外を零にして維持するわけにはいかないからです。一度に削減を行うのが非現実的である以上は人員・装備を段階的に減らしていくと予想されますが、このときの差分、不足分をカバーできるのは装備品等購入費と維持費の減額でしょう。これは時代に合わせた新装備(より強力、効率化されたもの)を導入できないこと、現装備品の維持・修理が出来ないこと、壊れた装備品を補充できないことを意味します。給与の切り下げではこの一部しかカバーしきれないため、想定した予算でやりくり可能な人数に減少するまで「機能不全の状態」は続きます。何年かは予想できませんが・・・その機能不全状態が終わり落ち着いた段階での自衛官の予想数は、白紙的に比率が現行と同じであると仮定すれば次の通りです。(1)3兆円規模 陸 約 9.3万人 海 約 2.8万人 空 約 2.9万人最大の減少である陸で見た場合、年間仮に5千人減らしても(実行可能とは思えませんが)10年かかります。どの程度の人数なら年間で削減可能なのかはさっぱり判りませんが・・・(2)4兆円規模 陸 約12.3万人 海 約 3.7万人 空 約 3.8万人陸で2万5千人の減少です。(★いずれも各種装備品数は人員の比率に合わせて減少すると仮定しています。)(3)前2項とも「機能不全の状態」が発生しますが、現状よりも削減幅の大きい方が「長期的かつ深刻な」状態になることが予想できます。物はともかく金と人(あからさまですが)への影響が大きすぎます。(4)ミクロ視点の波及効果 以前どなたかがレスしておられたのですが、じつは地方自治体が被る影響も馬鹿になりません。一例で、北海道に上富良野町という町があります。ここは人口約13000人ですが、ここに2000人規模の自衛隊が駐屯しています。隊員数だけですから家族を入れればその倍以上になるでしょう。じつに人口の3割以上です。こういった地域で防衛力削減で自衛隊が消えた場合、地方自治体そのものが崩壊する可能性すらあります。2 想定の1~3項の場合、予算の増額で人員を増やすのかどうかと言うとおそらく大きくは増やさないと考えます。なぜなら現行の自衛官数は「基盤的防衛力構想」に基づいて「十分」かつ「適正」であると判断されて設定されているからです。強いて言えば全くの新規事業のMD関連の人員や、国際貢献要員分の人員数の増枠はあるかもしれません。基盤的防衛力構想を破棄して軍国主義にというのならば別ですが、日本がそういう状況になることは殆どないと考えます。 ここから先は完全な私見ですが、基盤的防衛力構想を維持したまま大幅に防衛予算を増やした場合、何を優先すべきかを述べてみます。述べる順番は優先順位です。(1)MD研究・配備費用の増額 北朝鮮・中国他によるミサイル攻撃を防ぐためのMD計画を大幅に増額しスピードアップします。これが最優先の理由としては「既にその危険が現実として存在する」ことが挙げられます。残念なことに現状の自衛隊ではこの攻撃をほとんど防ぐことは出来ません。いま実際にこの行使を防いでいるのはいわゆる「核抑止力」であり、抑止力は行使を抑止しますが、行使された場合の被害を減らすものではありません。もしミサイル攻撃が行われた場合にその攻撃を防御しうる手段を研究・開発することは、国民の生命を守る上で最優先と考えます。(2)偵察衛星、レーダー及び電波受信設備等の情報収集・分析関連の器材・部隊等の整備 前提条件に従い専守防衛の立場を貫くと考えると、主導権を握って防衛するには侵攻側に先手を取らすわけには行きません。偵察衛星を打ち上げ、各種レーダーを整備し、相手の電波を受信する設備を充実させ、これらの情報を分析する能力を保有することで、少なくとも完全な奇襲を受ける可能性を減ずることが出来ます。 現代戦において情報能力の差は戦力差に跳ね返ります。今まで軽視されてきた情報収集を拡充させることは、実際の戦力を増やすよりも大きな効果を発揮すると考えます。喩えて言うならば、攻撃するための牙も角もを持たないのであれば目と耳といった五感をとぎすます必要があるということです。(3)各種装備の更新 現在の自衛隊の装備には非常に古いものがあります。(昭和62年度製トラックとかが現役だったり)古いものがある理由はまだ動くからというものです。しかし他の各種装備が更新されているのにまだ壊れないからといって維持されている古い装備は、その機能が十分に発揮できなくなっていることがあります。例えば故障した車を回収するためのレッカー車などには、新型の車を回収するには能力が足りない等というものがあります。これではいざというときには使えません。予算の関係で、壊れていないから能力が足りなくても買い換えられず数に入ってしまうという状況が見られるわけです。 また任務形態が変化している、各種技術革新が実現していることも考慮すべきでしょう。一例として自衛隊のトラックにAT車が入りはじめたのはつい4,5年前、それまではラジオも付いていなかったことを申し添えておきます。(4)装備の統一 新旧装備混在の問題点は非効率というです。整備部品や各種備品を2種類(以上)分持ち、かつ作り続けることは民間企業ではあり得ない非効率です。本来なら一気に新型に変えることが望ましいのですが、予算の関係で数年~数十年に渡って徐々に切り替えているのが現状です。例えば小銃は2種類使用しています。64式小銃と89式小銃です。古い方の64式小銃は1964年から、89式小銃でも1989年から使われてあり、今現在でも混在しています。これらは部品は当然、実は使う弾薬も異なっており、2種類分の部品と弾薬を購入するという状態になっています。価格低下は大量生産によるコストダウンが大きいことを考えれば、これも予算額を押し上げる要因の一つです。余談ですが、戦車は74式戦車と90式戦車が混在しています。これも新旧混在と言えなくもないですが、Hi-Lowミックスと言うべき考え方で2種類使っていると言っても良いでしょう。Hi-Lowミックスについては検索していただければ面白いことが判ると思います。(5)研究開発費の増額 防衛研究から民間への技術移転の効果を考えると、技術立国日本の基礎を一部でも支えるために各種研究費を増額すべきと考えます。こういった国家規模での研究は民間以上の規模・予算を投入することが出来ます。その成果を移転できれば、今現在の技術立国日本の力を更に向上させることが出来るでしょう。軍事的な面だけでなく経済的な面でも大変有効です。また相手以上の性能の新装備をいち早く装備できた場合の有利さは、イラク戦争からも明らかです。少ない戦力で最大の効果を得るには高性能が必要。そういった意味からもこの方面は強化する価値があるでしょう。★これらは分類すると継続的に行われるべきもの(研究開発等)と、一時的なもの(装備更新等)になります。 当然新型に更新したあとの予算は維持重視になり、一定期間毎に更新の大波が来るという形になるでしょう。3 結論 防衛費の中には費用を掛ければ掛けるだけ充実するもの(装備の更新、人件費等)と、費用に加えて時間を必要とするもの(研究開発費)があります。こういった面からも日本が軍事力で世界を統一するというキチガイじみた妄想でも抱かない限り、防衛費は一定の枠以上に増えることはありません。装備更新を一気に行えば、前述したように単年度では瞬間最大風速的に増額する可能性はありますが、次の更新までの期間を平均してみれば総額はほぼ同じはずです。次年度以降は更新された装備の分、新たに計上される装備品等購入費が減るわけですね。 防衛費は金で代えることができない「国民の命」を守る上での必要経費です。必要経費は過大だと問題ですが、過少はそもそもの目的の達成に大きな(場合によっては達成不可能なほどの)影響を及ぼすものです。これの「適正な範囲」を見極めるには、軍事・経済・地理・歴史・科学技術等といった複雑な分野を全般的に見ることができる知識が必要になるでしょう。また「防衛力」とは何なのか、どういう物なのかを国民が確かな知識と見解で認識することが必要です。防衛力は「道具」です。それを扱う「主(あるじ)たる国民」次第でそれは「国防の盾」にも「侵略の矛」にも変わる物です。昔の漫画の鉄人28号ではありませんが「良いも悪いもリモコン次第」なわけです。昔の「軍部の暴走」ということは、戦後60年の平和主義により自衛官自身が否定するまでに骨髄に染みこんでいるのです。 最後に私は本件に関して自衛官として「軍事の専門家」のある程度の見解を語ることは出来ますが、それはそれ以上でもそれ以下でもありません。この長文が「一自衛官としての現状認識と意見」であることを理解していただき何か別方面からの意見をいただければ、私を含めた他にも色々と読まれている方達が何かを得るきっかけになるかもしれません。 お目汚しの長文におつきあいいただきありがとうございました。
Oct 19, 2005
コメント(2)
某所で言い逃げ踊り逃げされ、ここまで行き着けなかった。折角調べたのでもったいない(笑)のでここに纏めてエントリとして記録する。元の意見交換はここで行われている。本記事のみでは意味不明と思われるのでぜひ参照願いたい。http://plaza.rakuten.co.jp/follingangel/【以下本文】MOOTW(Military Operations Other Than War、戦争以外の軍事行動)http://www.au.af.mil/au/aul/bibs/mootw/mootw2.htm国家間の戦争の範疇に入らない事態、すなわち平和及び抗争事態における軍隊の行動の総称。「戦争以外の作戦(OOTW)」とも称する。 その内容は1 戦争行動と警察行動の境界が不鮮明な事態(人道的武力介入、テロ対処、治安行動、PKO、麻薬取引・海賊行為の取締等)2 戦闘行動を伴わない事態(災害救助、人道・復興支援、医療支援) これらの事態は平時・戦時・戦後にわたって起こり、この際軍隊は、その使用に当たって政治的・社会的・経済的考慮が重視されるため、他の国家機関と統合一体的に行動することが多い。 冷戦後、米軍はMOOTWを「戦争の抑止・対処」と同等と位置づけた。 そしてそのためのドクトリン「安定化・支援行動」(Stability and Support Operation)を策定した。【参考:imidas2005】通常の戦争との切り替え時期 →フセイン政権の崩壊時?(時期については見解の相違あり)●イラク駐留の他国軍が既にMOOTWに移行していると判断できる理由1 フセイン政権崩壊後の米軍の作戦要領にみる「包囲後の投降、退去の勧告」2 クラウゼヴィッツ的思考法「戦闘で勝利を収めて初めて政治的和解が成立する」との対比3 抵抗勢力及びテロ組織への対抗 →戦闘を伴うことがあっても政治的解決が優先 →政治的和解は敵性勢力の殺傷・破壊それ自体がもたらすものではなく その心理的影響(無力感、絶望感、恐怖心)がもたらす 以上の点の確実な認識と実践。4 上記事項の実例○安保理、米英西提案の対イラク経済制裁解除決議1483採択、シリア除く14カ国賛成(2003.5.22) (国際的な戦争終結の合意)○アナン事務総長、国連事務所の爆弾テロに関し、治安責任は多国籍軍にあると批判(2003.8.20) (治安維持の責任が米軍にある=戦争状態ではない)○駐イラク米軍、イラク西部でサウジ、スーダン、ヨルダン等、外国人ゲリラ80人を拘束(2003.9.13) (拘束という言葉の使用)○米軍、戦車等でファルージャを包囲、バリケードを設置し市内へ通じる主要道を無期限封鎖(2004.4.5) (戦車まで保有する米軍が、当初攻撃でなく封鎖を行う=治安目的) 考察できる結果米軍他の多国籍軍:「武力の使用を自制する準警察的行動」(MOOTW第1項に該当)自衛隊:「復興支援」(MOOTW第2項に該当)
Oct 5, 2005
コメント(9)
「自衛隊の防衛計画が朝日にすっぱ抜かれましたね。」「うむ」「それ見て中国が文句付けてきてるんですよ・・・」「へ?」「我が国は他国に脅威なぞ与えていない!だそうですよ・・・」「・・・どの口で言ってるんだ」以下想像中「日本の防衛計画では中国を敵扱いしているアル、けしからんアルよ!」日「・・・」中「他国を敵扱いしている日本の防衛計画はアジアの平和に対して極めて危険アル!」日「・・・」中「そういった防衛計画は日本の軍国化が・・・・」日「大概にしてください、万一の防衛計画なぞどこの国でも作ります。中国にもあるでしょう?」中「無いアル!」日「ハァ?」中「【万一の防衛計画】など大中華には無いアル! 【確実な攻撃計画】しかないアル!」おあとがよろしいようで・・・
Sep 28, 2005
コメント(10)
某所でコメントすると大幅オーバーになるので、ここに記録。 日本人、特に「反戦平和」を語る人間に限って戦争に無知である。 どう無知かというと、まず戦争という行為は「冷酷非情」で機械的に行われる行為であるが、彼らはこれを「残虐非道」と勘違いしている。冷酷非情とはすなわち人間的感情を徹底して排し目的達成に向けてロジックで行動することで、残虐非道は根本的に違う。残虐非道の根底には感情としての「嗜虐心・復讐心」があり、それは国家(戦争)目標を達成するための政治(外交)の延長としての「戦争」とは全く相容れないものなのだ。強いて言うならそういった「残虐非道」な戦争は、民族戦争や宗教戦争などの「相容れない感情」から来る戦争に見られる側面である。(内戦などもこの範疇にはいるだろう)領土を巡る紛争や経済摩擦に伴う戦争、あるいは政治的主義から来る戦争は、その行為自体に最終的には「外交的」「経済的」な利益を求めている。そこには本来感情を差し挟む余地などあり得ない。そして何らかの感情を差し挟むことになった時点で、その戦争には敗北すると行っても過言ではない。裏を返せば勝っている側は勝っているが故に冷静であり、負けている側は頭に血が上るため論理的な判断が出来なくなる、そう言い換えても良いだろう。 こういう無知もある。「自衛隊の各装備は防衛力として過剰な性能を持っており、専守防衛の範疇から越えており違憲である。」こういう論法を巡らす人間は戦争のほんの一部に過ぎない装備の性能、すなわちカタログスペックにだけ目がいっている、いわば反戦平和兵器オタクである。彼らはあらゆる装備(兵器)は何も障害のない戦場において、対等の条件下で正面から撃ち合い、終わったあとの生き残った数で勝敗が決すると信じているかのようである。これでは単なる兵器オタクの「あれが1番これが2番」と一喜一憂する子供のレベルだ。兵器は兵器として運用することができて初めて「戦力」たりうる。これはどういうことかというと、目的の戦場に兵器を「運び」「使用し」「整備し」「補給し」「補充する」という(更に言えば「持ち帰る」もあるだろう)行為全てを満たしたときに初めて「兵器」から「戦力」になるということだ。自衛隊においてはこれらの能力は極めて限定されている。限定されている内容は「運べる量」「運べる距離」「整備する能力」「補給出来る量」である。「補充できる数」に至ってはほとんどゼロに等しいのである(予備の戦車などほとんど確保されてはいない)。もし自衛隊が他国へ投入される「外征軍」としての性格を求められているのなら、これは致命的な欠点だ。しかし自衛隊の、日本の国家防衛戦略は他国領域での活動を想定していない。上記の限定された各能力は、実際には日本国及び周辺地域においての防衛行動には足りている(やや不足な面もあるが)。そういった面を規定しているのが政府の「基盤的防衛力構想」であり、当然自衛隊はその構想に基づいて編成されているのだ。 こういう妄言も目に付くようになってきた。「憲法が改正されたら徴兵制が復活し日本は再び戦争を行う。だから改正は反対である。」前述したように戦争とは国家目標を達成するための政治(外交)の延長としての行為である。仮に憲法が改正されなくても日本としての国家目標が「軍事力による世界統一」にでもなれば、政府は必ず戦争を行うだろう現行の憲法9条では解釈の範囲が広い。その気になればいかなる解釈も可能になるレベルである。(こじつけではあるが)そういった可能性を減ずるために「9条の理念」を生かし、更に明文化して恣意的な解釈の幅を狭めようというのが自民党の改憲案である。そこには「明確に徴兵制の否定」が謳われており、現行憲法以上の平和条項と、国際貢献に限定した自衛隊の運用の幅が記されている。 そういった改憲案自体を読むことなく、「政府与党案だから」といった理由で反対する視野の狭い方々には同情を禁じ得ない。無論その同情は彼らの無知蒙昧さに対するものなのだが。 さて政治的視野の狭さ以外にも、軍事的にあり得ない理由を述べよう・・・と思ったが、既に高名なJSF.氏により非常に見事な論述がされている。私がこれに付け加えることは何もない(というか私が書くより遙かに要点を明確かつ詳細にまとめている)。是非参考にしていただきたい。【http://obiekt.hp.infoseek.co.jp/peacemaker/draft_0.html】(誤字の一部を修正:05.09270150)【外征能力比較のための参考資料】●日米に見るパワープロジェクション能力の比較について 戦争における兵器とは装備体系というシステムの中の一要素であり、その装備体系システムは更に国家防衛戦略というシステムの中のほんの一側面に過ぎない。それらの装備の中には実際に戦闘に使われる兵器、それを整備するための装備、それに補給するための装備、そしてそれを輸送するための装備が存在する。 「外征能力」という面において最初に言及されるべきは「輸送するための装備」と「各種装備の事前前方集積」である。必要な装備を必要な時期に必要な場所へ、それが満たされた場合初めて機械としての装備は戦力となるのであるから、これは極めて重要である。 本項は公開されたデータから日米の外征能力を客観的に比較するための資料である。データ等に誤りがあった場合はご指摘願いたい。1 戦力の比較 総戦力が異なればこれを輸送するための能力も当然異なる。外征軍としての能力を現在最も満たしている米軍と比較することで、我が自衛隊のパワープロジェクション能力を推測することが可能になる。ここではその基本的数値、総戦力を比較する。(1)陸上戦力 ア 兵員:米国約105万人(予備役、州兵含む):日本約15万人 (比率 7 : 1 )★ イ 戦車:米国約7600両:日本約980両 (比率 7.8 : 1 ) ウ 装甲車:米国約6700両:日本約970両 (比率 6.9 : 1 )★★ エ 火砲(自走砲含む):米国約2100門:日本約700門 (比率 3 : 1 ) ★★★★米国は元々他国に駐留している軍が存在するが比較を容易にするために一括して比較した★★ストライカーは含まない★★★双方ともMLRSが含まれていないため、適正な数値比較になっていない(2)海上戦力 ア トンベース 米国576.6万トン:日本42.6万トン (比率 13.5 : 1 ) イ 隻数ベース 米国1120隻:日本150隻 (比率 7.5 : 1 )(3)航空戦力(作戦機のみ。輸送機は除く) 米国3450機:日本480機 (比率 7.7 : 1 )2 輸送能力の比較 陸海空の代表的輸送能力を比較検討する。(1)陸上輸送能力 陸上輸送は比較的近距離の輸送であり、また民間車両でも同様に行いうる(効率は異なるが)ので、ここでの比較は省略する。(2)海上輸送能力 海上輸送能力は、白紙的に保有する輸送艦の総トン数で比較する。米国側の細部データが手元にないため代表的艦のみ比較した。 (ただし自衛隊は輸送艦全艦を網羅。補給艦については積載が燃料に限定されるために割愛した) ア 米国 アルゴール級高速海上輸送艦(8隻) 55350トン 1隻あたり戦車120、車両400の搭載能力、最大速度33ノット ボブ・ホープ級大型中速車両輸送艦(7隻) 62096トン ゴードン級大型中速車両輸送艦(2隻) 65000トン シュガート級大型中速車両輸送艦(2隻) 65000トン 各1隻あたり戦車58、装甲車48、支援車両900の搭載能力、実用速度24ノット 他即応予備役船隊68隻、LSTについては省略。 イ 日本 おおすみ型(3隻) 8900トン 速力22ノット、LCACを2隻搭載 あつみ型(1隻) 1650トン 速力14ノット ゆら型(2隻) 590トン 速力12ノット 他輸送艇2隻 ウ トン数比較 米国 約114万トン:日本 約2.78万トン (比率 41 : 1 )(3)遠距離空輸能力 ア 米国 C-17大型輸送機(TRANSCOM) 134機 搭載人員空挺102人、速度M0.77、搭載量78トン 他中・小型機多数 イ 日本 C-1中型輸送機 26機 搭載人員空挺45人、速度440ノット、搭載量? C-130H輸送機 16機 搭載量空挺64人、速度340ノット、搭載量? ウ 輸送力比較 ここでは比較を単純にするため空挺隊員の輸送数で比較する。実際には航続距離等にも大きな違いがあるが省略する。 (米国の中・小型輸送機は比較対象に入っていないことには特に留意されたい) 米国13668人:日本2194人 (比率 6.2 : 1 )3 事前集積備蓄の比較 国内外の事前備蓄を検討するための資料であるが、この項については秘密性が高くデータが限定されていること(特に日本側)をご了承願いたい。(1)米国(陸軍管轄) APS-1:米国内 規模等データ無し APS-2:ヨーロッパ (オランダ、イタリア、ルクセンブルグ)、計6コ戦車大隊、4コ機械化歩兵大隊分(戦車300、装甲車250以上) APS-3:インド洋(ディエゴ・ガルシア) (LMSR×8)、1コ増強機甲旅団分(戦車123両他)、車両4200両、2万人/15日分の補給物資 ★ APS-4:韓国(一部日本) 2コ戦車大隊、2コ機械化歩兵大隊分(戦車100、装甲車200程度) APS-5:湾岸 (クウェート、カタール)、計4コ戦車大隊、4コ機械化歩兵大隊分(戦車250、装甲車330以上) ★LMSR:ワトソン級大型中速車両輸送艦 62644トン、24ノット、重量換算13000トンの積載能力 ★★この他に自走砲等が備蓄 ★★★ APS(Army Prepositioned Stocks)(2)米国(海兵隊管轄) MPS-1:地中海 事前集積船×5 MPS-2:インド洋(ディエゴ・ガルシア) 事前集積船×6 MPS-3:グアム 事前集積船×5 ★各MPSは一個海兵遠征旅団(17000人規模)の30日分の装備・補給物資を集積 ★★ MPS(Maritime Prepositioned Ship)(3)日本 国内のみ。集積の主体は整備用部品、燃料及び弾薬。4 注意 以上示したデータから、外征軍を維持するために必要な「輸送力」と「備蓄」の規模が推察できる。またこれらのデータは公表されている過去の資料から抜粋したものなので、数量等は若干変動している可能性がある。しかしながら、防衛任務主体の自衛隊と外征任務を有する米軍の、装備及び準備の違いが明確に理解いただけると思う。5 参考文献 平成17年度 日本の防衛 軍事研究 2004年12月号 他(ゴニョゴニョ)
Sep 26, 2005
コメント(13)
まずはこのたびの選挙、ご当選おめでとうございました。今後は官僚から議員として、卓越した識見と明晰な頭脳をもってご活躍されることを心よりお祈り申し上げます。 さて不躾ながらいきなり本題に入りますが、片山議員殿は先般の米国を襲ったカトリーナ台風についてどのようにお考えでしょうか。この未曾有の大災害において政府等の初動の遅れに対する非難から、ついには連邦緊急事態管理庁長官の更迭が決まりました。また、未だ人数の定かならざる多数の死者、数十万人規模の避難民、莫大な規模の経済損失と、その影響は米国内のみならず、世界経済にまで多大な影響を与えております。 思い起こせば昨年、「災害派遣には自衛隊は不要、警察と消防で大丈夫だから大幅に削減」というようなことを述べた財務省の官僚がおりましたね。幸運にもその言は退けられはしましたが。しかし現実問題として我が同盟国米国では、陸軍の災害救援が遅れたことで大統領の支持率が低下する事態にまで至りました。組織の特性上、警察と消防はあくまでインフラが機能している場合にその能力を万全に発揮できるものであり、逆に軍事組織はインフラが存在しないあるいは破壊されている環境下でも機能を発揮できるようになっております。ある程度の万能性を付与された組織の特性上、軍隊(自衛隊)は確かにそれ専門の組織に比すれば非効率な面もありましょう。しかしカトリーナ台風に襲われた被災地の民衆を、豪雨と暴風と洪水という最悪の事態が進行する中で救援できたのは、他ならぬ軍隊でありました。新聞記事によれば、警察職員の3割以上が職場に出勤することもままならず、避難民の一員として行動せざるを得なかったそうです。聡明な片山議員殿であれば、かような事態が我が国を襲った場合にどのようになるかを想像するのは児戯に等しい行為でしょう。 さて少し話は変わりますが、自衛隊の真の任務は言うまでもなく国民・国土・国家を敵から守ることです。 昨年、「世界的に軍縮だから軍縮すべき」とのたまった財務官僚がおりましたが、近年反日の度合いを強めている隣国の中華人民共和国は軍縮どころか継続的に軍事費の伸びが二桁台をキープしております。また原子力潜水艦による領海侵犯、EEZ近辺における海軍艦艇の活動など、どう見ても極東アジアの軍事的脅威度は低下してはおりません。竹島問題しかり、尖閣諸島しかり、核開発しかり、くわえるに沖縄まで自国の領土と言い出すような国家までもがひしめく極東アジアにおいては、軍事力の削減を行っているのは我が国のみであります。基盤的防衛力という我が国の防衛構想は、あくまで危険性のある国家を対象に我が国を防衛しうる最低必要限の戦力を持とうというものです。しかるに件の財務官僚は、近隣三国(特定アジアなどと最近では言うようですが)の脅威を省みず、ただただ「世界的には軍縮だ」と灯台もと暗しそのままに主張されたようです。同じ日本国民として大変に恥ずかしいことだと感じております。最高学府の中の最高学府、東大を卒業され、キャリア官僚として辣腕をふるった片山議員殿であれば、そのような視野の狭さが国民・国家に対していかなる危機を招く可能性があるかは容易に推察可能であろうと思います。 今回の選挙で当選された新人議員の方々は当面の間は自民党の派閥に入ることなく、様々な「政治的知識」を党から直接学ばれると聞き及んでおります。願わくば、片山議員におかれましてはその優秀な能力を十全に発揮され、政権与党の一翼を担う議員、そして選ばれた国民の代表として大きく羽ばたいていただきたく、乱文ではございますが一筆したためさせていただきました。お体に無理なきよう、真の政治家として国政を担われますことを重ねてお祈り申し上げます。敬具。追伸 今回の選挙で片山さつき殿が議員となられたことの真の価値は、防衛庁担当財務主計官の任から外れたことにあると考えております。願わくば政府内では「防衛以外」の専門家としてその能力を発揮されますよう、謹んでお願い申し上げます。追伸の2 髪型がダサイです。
Sep 20, 2005
コメント(10)
一つ前の日記で「選挙結果については語るべきではない」と私は書いたが、これは誤解を招く表現だった。選挙の結果として選ばれた新しい議会がどのような政策を採ろうとも、それについて「選挙で大勝したから云々」は言うべきではない、とすべきであった。ましてや新国会ではまだ何も行ってはいないのに、それについて憶測でどうこう批判することはまさに愚者の行いであろう。 さて、既にマスコミをはじめ多くのブログを含むあらゆる場所において論述されているところだが、911選挙は確かに従来の選挙と大きく異なったものだった。解散に至る経緯、その後の選挙戦、そして何よりもその結果。今回の選挙結果で明確に示された「意志を持つ有権者の力」を考えれば、議会、内閣、政府は民意に背く、あるいは国益に背く行為こそが有権者を離反させることを十二分に悟ったはずである。 また「劇場型」と揶揄されることの多い小泉首相の手法であるが、これは揶揄する側の意図とは異なった意味で図星を突いていると言えるだろう。なぜならば劇場は観客無くして成り立たない、よって劇場主(政党)は常に観客(有権者)を引きつけ続けなければならないことは自明だ。この観客の好み・要求はその時々の世相・情勢でかわるから、より民意に直結した政治が要求・評価されることになる。今回は議会内で意見が割れ、そのどちらが民意に沿っているのかを評価・判定するために選挙が行われた。直接的に民意を反映させやすい手法、というのは実に「民主的な手法」であると言えないだろうか? そういう意味で今回大勝利した与党は、世論調査などよりも明白にその進めるべき政策の方向を理解したはずだ。特にそれまで野党側に流れていた観客達の好みが、明確な「改革指向」を示して与党側に向きを変えたことは特筆すべきである。特に有権者が「痛みすらいとわない改革を支持したこと」は大きい。 本来「保守」とされてきた自民党が明確な改革方針を打ち出し議席を増し、これへの対意として「革新」とされてきた野党(今回の選挙では保守的政策、護憲や郵政改革への批判等が多かった)が軒並みに議席を減じたことの本当の意味は、観客(有権者)は改革を求めていると言うことである。政党名ではなく、その政党の、候補者の掲げる政策・方針に賛意を示した結果が、あの高投票率に現れている。今回は自民党を支持して投票したと言う有権者よりも、「郵政改革を支持した」「改革を推進する党を支持した」等という意見が多いのもその証左である。 そう、つまり。現段階において「改憲」を主張し、政府と官僚の改革と、予算を大きく見直している自民党与党は・・・・実は本当の意味での革新勢力なのである。 よって私は主張する。「本選挙において勝利したのは革新勢力である。」と。そしてその政党名は間違いなく「自由民主党」なのだ。
Sep 14, 2005
コメント(3)
私個人は本来は選挙結果については語るべきではないと考えている。 与党大勝で終わった今回の結果を、民意の結果として誰もが粛々と受け止めるべきなのである。多くの楽天を含むブロガーの反自民諸氏が至る所で悲鳴・罵声を上げているようだが、高い投票率とその上での圧倒的与党の勝利は、国民の支持が与党にあったことを明確に示しているものだ。それすら理解できず、自らが既に「弁護し鼓舞し扇動し続けてきた大衆」とは乖離した存在に成り果てたことを認めない一握りのものだけが、悲鳴を上げ続けている。曰く「日本は終わりだ」「小泉はナチだ」「日本人は大人になれなかった」こういった根拠無き批判に私は一言で答えようと思う。「それこそが民主政治なのだ」 選挙によって合法的に国民に支持された議会、政府、政治。これをないがしろにしようとする「自称市民の人々」こそ、自らが危険な独裁と全体主義へ向かっていることを自覚すべきではないか。民主政治は多数の支持を得て動く。その多数を否定し、あまつさえ無知、洗脳、信者などと罵り、自分たちだけが正しいと声高に主張して強引にその主義を通そうとするのなら、彼らは「根拠無き選民意識の虜囚」である。小泉自民党は、全くもって日本の法にのっとって動き、結果として選挙に勝利したのだ。その事実は動かないのである。なぜ声高に否定する?己の主義に会わないからか?あなた方の主張は「民主主義によって否定されたのではないか?」我々民主主義を尊重する真の国民は、このような民主主義を否定するかのような危険思想をこそ警戒しなければならないのではないだろうか、今選挙の結果に騒ぐ不穏な人々を見て私はそう考えるのである。
Sep 12, 2005
コメント(4)
夢のホラ吹き(せりふ)時は現代、ところはネット立証すら解(かい)せぬ暴論の彼方で日夜レッテルを貼るその女楽天界最大の詭弁屋にして捏造家 ぼ●んの花だが人は彼女を楽天ピ●ネーと呼ぶ!(前奏)一人の頃は 嘘をつけたよネットに繋ぎ 妄想の翼広げどこへだって 逝けた僕だったブッシュ憎んだとき 使ってた詭弁がもう一度 夢のホラ 吹くことを教えた★どっちを(どっちを)向いてもソース(ソース) どっちを(どっちを)向いても論拠(論拠) どこまで(どこまで)言ってもソース(出ーせー) どこまで言っても論拠★ぼ●んはいつも 夢のホラ吹き幼い日々の洗脳 死ぬときまで大切に 抱いてるものだよ君の嘘があれば 冷たいレスの中気にせずにくぐり抜け どこかへ逝けるだろう★~★2回繰り返し【元ネタ:キャプテンフューチャーOP 夢の船乗り】ちょっとマイナーすぎですかねぇ・・・
Sep 7, 2005
コメント(6)
今回のぼたんの花氏の発言は私にとって一つの成果であった。なぜならば当人が「自らの論拠は無い、そして明かさないことが自らの方針である」と明確に発言したからである。これにより「エセ平和主義者の論理」全てがまやかしであることが当人により証明されたわけだ。 そういう意味であのやり取りには意味があったといえる。それは「そこが知識を求める誰かにとって全く当てにならないことを証明できた」からに他ならない。 長い時間と手間の割りに小さな一歩といえるが、ネット上に存在する詭弁と虚報の塊が自らその体質を認めたこと、これは(少しは)満足すべき成果だと思うのである。
Sep 5, 2005
コメント(11)
3 国際法 国際的概念の中に「国際法」というものがある。国内法とは異なり主に「条約」「慣習法」の二つからなるとされる。条約は前項があるので省略するが、では「慣習法」とは何なのか。 一般的に慣習法とは、長期的に多数の国家が締結した条約の中の普遍的なものを「国際的法律扱い」とすることで、調印等の簡便化を図るものである。ただしこれは慣習に過ぎず、これをもってある条約等が世界の全国家に等しく適用されると判断することには異論も多い。特に実際に調印していない国家は、任意にこれを適用したりしなかったりする余地が残されているため「国家の信頼」云々を追求することは困難である。例えば「我が国は本条約(あるいは国際法)に納得していないのだから批准してはいない。にもかかわらず条約を相手に対し一部なりとも適用したのは純然たる我が国の好意によるものでしかない。」と言い張られればそこでおしまいなのである。当然、批准していない以上条約の各条項が適用されないことに異議を申し立てる権利もないが、誰に文句を言われる筋もないのである。 慣習法はこれを認める国家にのみ条約と同じ効果を発揮するが、認めるならば調印しているはずだというのが最大の問題なのである。4 ジュネーブ諸条約の問題点 第1項で条約は「相互主義」によると私は書いた。これは条約の基本条件であり、条約に基づく義務・強制に納得して批准していない限り通常は適用されないのである。 だがジュネーブ諸条約の条項には大きな問題点が存在している。要約すれば「本条約加盟国は、相手が非加盟であろうともこの条約を遵守せねばならない」というものだ。簡単な例を書いてみる。加盟国A、非加盟国Bの2国間戦争で、Aは占領したBの市民を条約に基づいて取り扱う義務を有するが、BはAの市民を皆殺しにしても条約違反にはならない、しかもAはBに対しての扱いを変えることはできないのである。これは一方的に条約加盟国側に負担を強いる条項である。 ジュネーブ諸条約の問題点とはこの欠落した相互主義の強制にある。これが故に未だにジュネーブ条約に加盟しない国が存在しているのである。 蛇足だが、日本が本条約の第1及び第2追加議定書を承認したのは、昨年6月のことである。これは上記の欠落した相互主義に関する懸念からではなく、一部野党による「平和憲法があれば戦争は起こらないから考えないでも良い。」という夢物語の悪影響が原因である。世界に冠たる平和国家日本は、自称平和主義者の夢想により人道上必要な条約すら批准できない状況にあったわけである。これを打破したのは与党政権による「有事法整備」であるが、本件が報道されたという話は寡聞にして聞かない。不思議なことである。さて下記アドレスはぼたんの花氏当人が張った国際法に関するアドレスである。【http://www4.ocn.ne.jp/~tishiki/situgi.html#q79】ご当人の無知さ加減が良くわかる一例としてここに掲示する。5 示されない答予想回答 第1追加議定書 第35条 1 いかなる武力紛争においても、紛争当事国が戦闘の方法及び手段を選ぶ権利は、無制限ではない。 2 過度の障害または無用の苦痛を与える武器、投射物、および物質ならびに戦闘の方法を用いることは、禁止する。 3 自然環境に対して広範な、長期的かつ深刻な損害を与えることを目的とするまたは与えることが予想される戦闘の方法および手段を用いることは、禁止する。 いっこうに示されない答はおそらくこの条項である。当人は意気揚々と出す気だったのであろうが、その前に某S氏さんがこれを撃破していたために言い出せなくなったのだろうと推察される。また本条約は一般に国際法と見なす向きが多い。しかし慣習法としての国際法の適用については、統一的な見解は示されていない(慣習だから当たり前)。よって本条約を米国が批准していないのに守れと強制するバックボーンは存在していない。よって本予想回答への反論は「米国は本条約を批准していない。よって条約違反を問いようがない。」でおしまいである。 またついでに述べれば、赤十字国際委員会1965年の宣言 イ 害敵手段を選択する紛争当事国の権利は無制限のものではない。 ロ 一般住民そのものに対して攻撃を加えることは禁止される。 ハ できる限り一般住民が助けられるように、戦闘に参加する者と一般住民の構成員とを常に区別しなければならない。 ニ 戦争法の一般原則が核兵器および類似の兵器に適用される。というものがある。 当人のコメントと合致するという点から推察できるもう一個の回答である。ただしこれは条約ではない。よってこれで条約違反と強弁することは「虚偽の申し立て」以外に他ならない。 更に最近ではこれらをまとめて「国際人道法」として一般化しようという動きがある。しかしそれは動きがあるだけであり、当然ながら現段階でコンセンサスを得ていないことに留意しなければならない。国際政治においてコンセンサスを得ない理念はあくまで理念に過ぎず、一切の強制力を持たないことはよく理解しておかねばならない。これを勘違いするとありもしない国際条約違反を叫ぶ羽目にもなりかねない。6 「驚異の発言」と結論 以下は某掲示板においての当人の驚異の発言、その引用である。>ありゃ? ぼたんの花さん >あの私のHPの方針知ってます?>かなり有名らしいんですが、『私のソースは、貴方が捜す。』(≧∇≦) ♪ >で、今回のソース捜しは、かなり簡単です。>(2005/09/05 12:39:24 AM) ここまで開き直った発言は北朝鮮でも無理だ。私は(某S氏さんも)本論争において一貫して「条約名は?該当するような条約は発見できない」と述べているが、これに関してぼたんの花氏から上記の回答を得た以上、「そんな条約は存在しない」となろう。もし反論があるのならば述べるだけでよい。「条約名を言う」それだけのことなのだがそれすら行わない、いや行えない。理由はそんなものは無いからであり、それについては本稿で繰り返し述べてきた。 度重なる話題逸らしと回答忌避、その挙げ句の上記発言から結論を簡潔に述べる。「本件でぼたんの花氏は無知から来る誤認識で「ウラン兵器は国際条約違反」と述べ続けてきたが完全に否定された。よってバナーの表記は虚偽又は誤記である。」7 付記:詭弁的論法への批判 自己の論理を正当化すべく証拠を集め知識を学び理論武装すること自体は一切非難されることではない。問題はその過程で自らの過ちを悟ったときの対応である。本件で、おそらくぼたんの花氏は「劣化ウランの害」についての論陣を張るべく「国際条約違反」を補強的証拠として用いようとしていたはずだ。しかし自らの無知を正確に理解せず、再三出された助け船を無視したことでその目論見は崩れ去った。確か「慣習法ってご存じですか」というような内容だったと思う。これはジュネーブ諸条約が国際社会の一部に国際法(慣習法)として扱うべきであるという見解が存在することに立脚している。しかし不勉強で批判的意見に耳を貸すだけの度量がないぼたんの花氏は、これを検証することすら行わなかった。バナーが「国際条約違反です」でなく「国際法違反の疑いがあります」であれば、私もここまで強気に押すことはできなかっただろう。その場合の論点は「国際法の定義」へと移らざるを得ない。国際法の定義は未だ確固たるものは無く、言ってみればどれも正しくどれも間違っている。よって水掛け論となり論点は更に「ウラン兵器」へ移行することになったと予想できる。そしてそこで論破を試みた場合はこのような単純な様相を呈し得なかったことは確実である。実際のところウランは「重金属としての害」を有している。いままで某S氏さんにしろ私にしろウランの重金属としての害は否定していない。それは科学的調査・検証により「存在する」とされている事項だからである。 そしてその害と「放射線被曝」の害を明確に区分した研究はない。重金属の害と比して有意の差は認められないと言う消去法的検証が主だからだ。これは再び泥仕合に陥る可能性を多分に有している事項だ。 さて振り返れば、本件でぼたんの花氏は常に最悪の選択をし続けたと考えられる。第1に「米国はジュネーブ条約に入っていないのか」と自ら掲示板に書き込んでしまったこと。第2にジュネーブ条約が幾つあるのか理解していなかったこと。第3に某S氏さんからのヒントを個人的確執から無視したこと、同様に私からのヒントも無視したこと。第4に従来どおりの話題逸らしでごまかせると判断したこと。 第1項から、すでにぼたんの花氏は答えとして最初からジュネーブ条約を準備していたのは明白だ。世間一般ではジュネーブ条約は世界共通のような誤解を与えてることは否定しない。しかし詳細に調べれば、その批准国数が各条約毎に微妙に違うこと、また当人が書き込んだ参考サイト内にも同様の記述があることなどから、それが誤謬であることは判ったはずだ。これらを理解できず誤った自説に固執したことが第1の誤謬だ。 第2はジュネーブ条約の数であるが、あまりに気の毒に思った私の「幾つあるか知っていますか?」発言は完全に無視された。実はGoogleでジュネーブ条約を検索した場合トップに来るのは「ジュネーブ交通条約」である。この他にも環境保護関連、著作権関連のジュネーブ条約等と、様々なジュネーブ条約が存在する。戦争関連のジュネーブ条約も第1条約~第4条約、そして2つの追加議定書で合計6コが存在する。そしてこれらは総称してジュネーブ条約と呼称されるが、実際には個別の条約なのである。個別である以上批准も別に行われ、それ故に米国は追加議定書に関しては批准していない。ジュネーブ条約を1コの条約と誤解し、そこから論陣を張った無知こそが第2の誤謬である。 第3は個人の資質によるものだ。本項最初に書いたとおり「自らの過ちを悟ったときの対応」は重要だ。特に誤りを指摘されたとき、それをどう判断するかはその後に大きく影響する。本件でぼたんの花氏は「相手側の指摘を無視し自説に執着」という最悪の方法をとった。これは一般に狂信者あるいは全体主義者に見られる特徴である。この両者の現代での評価を受けているかに思い及べば、このような愚行は行わなかったであろう。当人が普段の日記で軽侮する種類の人間と全く同じ行動を取っていることは極めて不可思議だが、これが第3の誤謬である。 第4はまさしく今までの行動パターンの踏襲に過ぎないのが問題だ。当該日記を見ている人であれば、その行動がかの人の常套手段であることは理解済みである。同パターンで相手をあしらい続けた場合、相手がその対応策を採ってくることは考慮し対策を講じるべきだが、全く変化のないパターンで対応可能と判断したのは、ぼたんの花氏が自らの詭弁に自信を持っていたことの証左であろうが、そもそもそれが功を奏していた理由を誤解していたことは疑いない。(それが功を奏していたのは、今までの相手方がぼたんの花氏に「呆れてしまったから」に他ならない)相手は(この場合私や某S氏さん)今までそれを見てきていた。そこを理解できなかったことが第4の誤謬である。
Sep 5, 2005
コメント(0)
国際条約というものが何なのかを理解しないで条約を語っている人がいる。喩えようもないほども無知蒙昧な妄言を、自己正当化と保身のために言い続ける姿は滑稽を通り越して哀れを誘う。だが無知蒙昧な妄言をそのままにしておいては、ひょんなことからそれを信じ込んでしまう被害者が出る可能性は否定できない。私が恐れるのはそれである。無知蒙昧な盲信者は自らを盲信するが故に他者の意見を聞くことはない。だがしかし未だ染まり切らざる多くの人はその盲信者に対抗する意見を見て何かに気が付き、意見の多様性と情報の中からより真実に近い選択をする可能性がある。【http://plaza.rakuten.co.jp/botannohana/bbs/】 私はここにおいて既に2週間以上国際条約違反についての質問を続けている。そして表立っての成果は全くない。このBlogの管理人は「知る人ぞ知る盲信者」であり、おそらく七度生まれ変わってもその盲信から解放されないのではないかと思えるほどのガチガチの強者である。(悪い意味で)本件を見た幾人かの人からは「かまけすぎですよ」との忠告もいただいた。大変ありがたい限りである。確かに一人の盲信者相手に掛ける時間としては多すぎであろう。だが私は上述のとおり「一人の盲信者」相手に話をしていたわけではないことをご理解いただければ幸いだ。 適切な形での他種の意見の表明をあの場で行わなかったとき、万が一に発生しうる怖気をふるうような盲信者増殖の可能性を私は無視したくなかったのである。【以下本文】1 序論:国際条約の定義と基本 そも「国際条約」とは何か。一般に国際条約(単に条約と書くことも多い)とは、2国またはそれ以上の複数の国家が、その条約の内容に同意しこれに批准・同意・受諾・承認もしくは条約構成文書の交換などをした場合(以下批准等という)に発生する国家間の「約束事」である。条約という名前以外のものでも一般には「議定書」「宣言」「協定」「規約」「憲章」「交換公文」などが同義として扱われる。(以下全て表記を条約で統一)不履行時の罰則等が定められている場合(京都議定書など)もあれば、罰則規定のない信義上の問題のものもある。ここで重要なのは、条約は批准等をしていない国家にとっては本質的に無関係なものであることだ。例えば日米安全保障条約は日米双方が守るべき条約として調印されたものであるが、その内容に中国やロシアは無関係である。在日米軍基地の条項に基づき在日中国軍基地を作らせろとは誰もいわない。なぜならば日本は米国とは本条約について同意・調印しているが、中国とはこれを行っていないのである。 つまり条約とはあくまで各国が同意して調印等を行った場合に当時国間でのみ有効になる、すなわち「相互主義」によるものなのである。2 条約のバックボーン 2国または多国間で成立した条約において、その遵守を保証するものは何になるのだろうか。ここで一般的な条約成立から効力を発揮するまでの過程を考えてみる。条約は本国の全権委任状を持つ代表者間で交渉され、内容が確定した段階で代表者による署名(調印)が行われる。このあと条約は各国の憲法に規定された手続きに従い、権限ある機関(議会等)の同意を経て、全ての署名国または一定以上の署名国が同意した段階で、同意国についてのみ拘束力を生じる。この際第三国に関しての拘束力は一切生じ得ない。この一般的な手続き自体も、ウィーン条約法条約という条約によって規定されている。 前項で私は「罰則のある条約、無い条約」が存在することを書いた。では罰則がその遵守の保証なのだろうか。罰則の無い条約には遵守させるためのバックボーンが存在しないのだろうか。そんなはずはない。たとえ罰則があっても、その罰則を含めて条約を保護にするならば関係がない。実際には条約の遵守については前述のウィーン条約法条約が存在する。ただしこれの批准国は96カ国であり、現在200カ国以上存在する国家の約半分に過ぎない。 条約に限らず、ある存在を保証する最大の利点とは利益である。経済的、軍事的、あるいは外交的と種類は様々であるが、条約の存在を保証するものは基本的には利益、国益である。つまり条約を結ぶことで加盟国相互が何らかの利益を得ることが基本になっているのだ。条約は完全な不平等条約でもない限り、その加盟国全てに何らかの利益をもたらす。通商条約であれば非加盟国に対する加盟国の関税率のアドバンテージであったり、友好条約であれば技術交流やビザ免除等、安全保障条約ならば相互防衛などである。当然、条約を一方的に反故にするようなことがあれば不利益を被る。端的に言えば「信用できない国」との評価を受け、反故にした条約の相手国だけでなく第三者国家に新たな条約を結ばせることを逡巡させ、様々な受益の際に不平等な扱いを受けることになる。どの国家も一方的に裏切られ、損害を被る可能性の高い相手とは真っ当につきあわない。 特に現代のように、産業・資源・技術等が偏在する世界において、他国からの信頼を失うことは国家として死活問題に直結する。例を挙げれば、日本は工業国であり技術国であるが食糧と資源に乏しい。これら資源類の輸出相手国との条約を反故にすれば貿易に大きな影響があろう。たとえ直接輸入相手との条約でなくとも、何らかの条約を反故にすることで相手国からの信頼を失えば、今後の新たな条約の締結に困難さが増し結果として国民は窮乏を強いられる可能性がある。よって条約は容易には反故にできないのである。 つまり条約遵守の最大のバックボーンは「国際社会からの信頼・信用、そしてそれによる受益」なのである。だから各国家は条約の締結には極めて慎重だ。それが国家の「信頼度」と「利益」他を含めて考えた際にメリットがあるかどうかを長期的に判断しなければならないからである。(後編へ続く)
Sep 5, 2005
コメント(0)
某掲示板で堅い話をしているので、軽めのネタを1個だけ投下。「朝日新聞御用記事」真っ赤な思想 紙面を染めて批判の嵐 青い顔黄色い新聞 あざける国民ピンクの鼻の 酔いどれ記者が守る緑の平和の主義を(ゴー!ゴゴー!!)反日主義者を 一つに併せて作れ 未来の親中を朝日新聞 御用記事(元ネタ:秘密戦隊ゴレンジャーOP)
Sep 2, 2005
コメント(0)
☆本日記はフィクションであり、実在の人物、実際の事件とは関係ありません。もし似ている場合は全て偶然です。『第二話 おハナさん暴れるの巻』 ある日おヨネさん一家の住む町に大きな地震が起こりました。たくさんの家が倒れてその下敷きになって何人もの人が苦しんでいます。不幸中の幸いでおヨネさん一家の家はほんの少ししか被害を受けませんでしたが、とにかく急いで下敷きになっている人達を助けなければと、おヨネさんは家の使用人たちを下敷きになった人達の救援に差し向けました。 現場に着いた使用人達はてきぱきと下敷きになった人達を助けていきます。 助け出された町の人達は口々に 「ありがたやありがたや、おヨネさんにお礼を言っておくれ」と言いました。そうこうしているうちに家が無事だったおヨネさんから炊き出しのおにぎりや豚汁が届きます。家が崩れてご飯も作れない人達は大助かりです。 そのときおハナさんが救助をしているところに通りかかり、その様子を見ながらニヤニヤしつつ言いました。「なんだい、地震を起こしたのもおヨネで救助も炊き出しも全部おヨネの差し金じゃないか。この分じゃ死んだ連中の葬式も、壊れた家の立替もぜーんぶおヨネの会社が契約するんだろう、丸儲けだね。あひゃひゃ!」それを聞いた救助された町の人達は言いました。「おいおい、地震を起こすってなんだそりゃ。証拠でもあるのか」あきれ返った町の人達がおハナさんに詰め寄ります。「へ、図星を突かれたからって泡を食って否定かい? アンタらおヨネの炊き出しの握り飯を恵んでもらって喜んで食ってる場合じゃないんだよ、あひゃひゃ!」相も変らぬ下品な笑い声で更に言い放ちます。「そこまで言うなら証拠はあるんだろうな。証拠もなしに人を犯罪者扱いするようなら許さんぞ!」あまりの下品さにさすがに怒りを抑えきれなくなった町の人が言いました。「へへ、証拠ならあるよ。間違いない証拠がね!」大変な爆弾発言です。もしそれが本当ならおヨネさん一家は大悪党です。「よし、それなら証拠を見せてくれ。」これは事件になるかもしれないと思った町の人達がおハナさんに詰め寄ります。「ほれ、このチラシをごらん! 町の公民館の畳の裏に引いてあった奴だよ!」おハナさんは古びて黄ばんだぼろぼろのチラシを一枚差し出しました。『ナマズ養殖・販売シマス オヨネ養魚場』日付はと見ればかれこれ50年以上も昔のものです。「・・・ナ、ナマズで地震?」町の人達はあっけに取られています。「50年以上前から企んでやがったんだよ、おヨネは大悪人さ、あひゃひゃ!」勝ち誇った下品な笑い声が響きます。「オヨネ養魚場って40年位前に閉鎖したんじゃ・・・」「ナマズと地震って科学的に否定されたんじゃ・・・」「仮にナマズと地震が関係あったとしても、そのチラシのどこがおヨネさんがやったって証拠になるんだ?」やっと我に返った町の人達が口々に問い返します。「へへへ、科学的な証拠だよ。五十年前の考え方をするアンタらごときには理解できないね。せいぜい自分で探して勉強しな、あひゃひゃ!」そういい捨てるや否や、おハナさんはくるりと背中を向けてお尻をぺんぺんと2,3回叩いて凄い勢いで逃げ去っていきました。あとにはあきれ返る町の人達と五十年前のチラシだけが残っていました。とっぴんぱらりのぷぅ。
Aug 31, 2005
コメント(4)
☆本日記はフィクションであり、実在の人物、実際の事件とは関係ありません。もし似ている場合は全て偶然です。『第一話 おハナさん吼えるの巻』 あるときある町におヨネさんとその一家が住んでいました。その一家は町一番のお金持ちで、町内会での発言力もそれはそれは大きなものでした。そういう一家ですから敵も多いです。お金持ちなのをひがまれたり、発言力が大きいのをねたまれたり・・・ですがおヨネさん一家はそれなりに筋を通す一家でしたので、ひがまれねたまれるのと同じくらいに尊敬されていました。町内のライバル、おナカさん一家、露志夫さん一家も、いつかはおヨネさん一家に取って代わりたいと思っていましたが、なかなかその思いは果たせないままでした。 あるとき、おヨネさん一家の住む町におハナさんがやってきました。おハナさんはお金持ちで発言力もあっておまけに尊敬までされているおヨネさん一家がどうにも気に入りません。「町内で偉そうなことばかり言いやがって、なんだい、きにいらないね、あひゃひゃ!」何がどう気に入らないのかさっぱり判りませんが、おハナさんはおヨネさん一家をどうしても蹴落としたいようです。 ある日おヨネさんが経営する質屋にダンプカーが突っ込んで、おヨネさんの親戚や店員や知り合いが何人も怪我をしたり死んだりする事件がおきました。ここ数年小さな諍いはあったものの、こんな大事件は町内では起こっていなかったので上を下への大騒ぎになりました。現場を調べたおまわりさんは「どうも犯人は町外から来たみたいだね、町内の地図やなんかがダンプの中に残っていたよ」と言いました。 町の人は悲しみに暮れながらお葬式に行きました。お香典を出し涙を流しながら「死んだ人はかわいそうだなぁ、けが人も大変だねぇ、おヨネさん一家も大変だ、犯人は許せないなあ」と話していました。 そのときおハナさんがお葬式をしているところに通りかかり、そのお葬式を見ながらニヤニヤしつつ言いました。「なんだい、葬式を取り仕切ってるのもおヨネの葬儀屋で保険の受け取りもおヨネじゃないか。町の人の香典も懐に入れるみたいだし、丸儲けだね。もしかしたらこれを狙っておヨネがダンプを突っ込ませたんじゃないのかい、あひゃひゃ!」それを聞いたお葬式に参列している町の人たちは思いました。「なんてゲスな考え方なんだ。どうしてこの人はこんなに下品なんだろう。」下品な笑い声であること無いことを言うおハナさんに、おヨネさん一家の人たちはじっと我慢しています。それを見てついに町の人の一人が我慢できなくなりました。「なに言ってるんだね、そんな暴言、証拠も無く言っちゃいけないよ」町の人は怒りを抑えて静かに言いました。「へ、図星を突かれたから泡を食って反論かい? アンタおヨネの色香にでも惑わされたのかい、あひゃひゃ!」おハナさんが下品な笑い声で更に言い放ちます。「そこまで言うなら証拠はあるんだろうな。証拠もなしに人を犯罪者扱いするようなら許さんぞ!」あまりの下品さにさすがに怒りを抑えきれなくなった町の人が言いました。「へへ、証拠ならあるよ。間違いない証拠がね!」大変な爆弾発言です。もしそれが本当ならおヨネさん一家は悪党です。「よし、それなら証拠を見せてくれ。」これは事件になるかもしれないと思った町の人達がおハナさんに詰め寄ります。「へへへ、大事な証拠だ。アンタらごときには見せられないね。せいぜい自分で探しな、あひゃひゃ!」 そういい捨てるや否や、おハナさんはくるりと背中を向けてお尻をぺんぺんと2,3回叩いて凄い勢いで逃げ去っていきました。 あとにはあきれ返る町の人達だけが残っていました。どっとはらい。
Aug 31, 2005
コメント(2)
某所BBSにかまけすぎ、日記の更新が遅れてしまった。暇つぶしに見ていただいている幾ばくの方には心よりお詫びする。やっと日記の更新を再開したいと思う。あきれずに見ていただければ幸いである。さて「外国の経済情報収集及び産業スパイ活動に関するホワイトハウス第10回年次報告(2005年4月)」という文書をご存じだろうか。参考アドレス http://www.ncix.gov(※NCIX=National Counterintelligence Executive(国家対情報局)の略語) 下記はその数十ページに及ぶ本年5月の報告文書の極めて簡略な概要である。細部を知りたい方は上記アドレスで見ていただきたい。私の英語能力では誤って翻訳していた部分があるかもしれない。誤訳等を見つけた方はご一報いただければ幸いである。なお、概要の意訳かつ要約であるので、内容をある程度読んでいただいて、内容が異なっていた場合にお知らせいただきたくお願いする。【以下本文】 レーガン政権時代に低迷していた米国経済、「21世紀は日本の世紀」などといわれた時代に、米国は復権を期してその原因を追及した。そして得た「低迷の原因」は、米国の開発した各種最新技術・ノウハウが米国企業自体の持つオープン性、セキュリティ意識の低さ、経済的事由等の原因から諸外国へ流出したためということであった。 これに対抗すべく米国では「特許権」「各種知的財産権」などの保護施策を強化し、米国の優位性を確保しこれを維持することで今日の経済的繁栄と漕ぎつけた。結果として21世紀の現在では「グローバルスタンダード」=「米国スタンダード」と言って良い状況を呈している。 しかしながら以下に述べる要因が依然として存在、あるいは新たに顕在化している。●米国の開放性→外国の情報収集者が複雑な科学技術情報に容易にアクセス可能●新型電子デバイスの普及→大量の企業秘密等を含む情報の記憶・保存・移送の容易化●グローバリゼーション→外国企業との合弁等で、開発拠点が海外に移動した際の情報保護の困難性●インターネットの普及→サイバー攻撃に対する脆弱性の増大・顕在化 こういった要因の分析・捜査等から、NCIXをはじめとする関係諸機関が2004年度に突き止めた違法な科学技術移転活動(要は産業スパイ)のほとんどが「軍民二重用途品目」を含んでいたことは興味深い。 ちなみに純軍事用途の技術はそれほどにはターゲットにされていないか漏洩してはいない。これは重要度から優先されなかったのではなく、これらの情報に対する厳格な管理体制、輸出時の規制、メーカー及び輸出業者と関係各国家機関との緊密なネットワークの存在が抑制的に働いたことが主要因であると分析されている。 この軍民二重用途品目に含まれる情報システム、センサー、航空宇宙工学、エレクトロニクスといった項目のほか、もっと直接的に「兵器及びエネルギーに関する材料工学技術」といったものに至るまで、米国経済の基礎、そして軍事力の優越に貢献する(してきた)技術が諸外国に移転する可能性について、NCIXは「この状態が続いた場合、外国企業が米国企業を排除した商取引を可能にし、また米国の軍事的優越を相対的に低下させ国家安全保障を弱体化させる」と警告している。 こういった事例への対処を容易にすべく、米国防総省はMCTL(Militarily Critical Technologies List)と呼ばれるリストを作成している。MCTLは上記の軍民二重用途品目等を含んだ多数のリストからなり、またこのリストを含んだ商務省の商品管理リストには各種大量破壊兵器及びミサイル兵器の技術拡散を助長する可能性のある科学・工業技術が含まれている。このリスト内の技術を応用した輸出品には極めて厳しい規制が引かれており、基本的には「米国の国家安全保障の強化」「海外政策目標の助長」「世界平和の促進」といった米国の政策に合致したものにだけ認可される。 また直接的な輸出だけでなく技術情報目的の非合法産業スパイ活動を抑止するとともに、ターゲットとされた各企業の技術情報等の保護及び更なる損害の発生を防止するため、米国ではEEA(Economic Espionage Act of 1996)、産業スパイ活動法と呼ばれる法律が施行されている。法律名から判るとおり1996年に施行されたこの法律は、ある企業で盗難された情報の告発が、同社できっちり保護されている他の情報の開示につながる危険性を考慮し、当該企業を特別に保護することを目的にしたものである。 更に米国は政府関係諸機関の統一体として「対情報コミュニティ」と呼ばれる活動を推進している。CIFA(対情報現場活動組織)、DTRA(国防脅威軽減局)、DSS(国防保全局)、FBI(連邦捜査局)、NGA(国家地球空間情報局)、NRO(国家偵察局)及び関係軍情報機関といった諸組織を横断して行われるこの活動で、情報のタイムリーな共有、重要事案の迅速な起訴を行うための共同作業、対情報ネットワークの構築といった成果が上がっている。これら成果により、米国からの重要な情報・技術の漏洩と諸外国の不法な情報取得の防止に大きな効果を発揮している。 さて上記はNCIXの報告書の概要である。これを見て何か思うこと、気づくことはないだろうか。 世界には米国と同等あるいは一部技術においては優越する「技術大国」が存在している。その国はつい20年ほど前には明らかに米国を凌駕しそうな勢いを保持していたし、両国の識者にそういう意見が発生していた。だがその国は○米国を上回る開放性→一切の法規制の存在しない情報保全○米国と同等の新型電子デバイスの普及速度→大量の企業秘密等を含む情報の記憶・保存・移送の容易化○米国以上のグローバリゼーション→安価な人件費を求めた各企業は争うように世界に進出○米国を上回る高速インターネット回線の普及→サイバー攻撃に対する脆弱性の増大・顕在化、更にこれへの危機感も警戒感も無いを行いながら、その国は米国と異なりほとんど何も対策を採ることは無かった。どこでもない、わが日本である。 日本経済の危機の原因は果たしてバブルだけだったのだろうか? 中韓の技術的・経済的発展に情報の漏洩や知的財産の流出は無かったか? 中国の軍事力の進歩速度と日本の企業の進出速度に何か整合点は無いだろうか? 我が国は純粋な軍事力の少なさを「経済力」「技術的優位性」で補い、国家安全保障の重要な一側面としてきた。今それが明確に崩れ去ろうとしているのではないか? 一時の経済的利益を追い求め、根幹たる日本人を滅ぼしかねない愚挙を、企業は、外務省は行っているのではないか?衆議院選挙の近くなって来たこの今、我々は自らの生きるこの国に対しもっと明確な意思を表すべきなのではないだろうか。各政党のマニフェストを精読し、真に日本の将来、私達の子孫が胸を張って繁栄できる環境を残しうる、少なくともその可能性の高い政党を自らの意思で選んで投票せねばなるまいと私は考える。 技術立国日本、経済大国日本、平和国家日本・・・・そして独立国家日本。 今まさに時代は変わろうとしているのかもしれないのである。
Aug 29, 2005
コメント(0)
のため、18日まで不在します。ネカフェなどから書き込む可能性はありますが、基本的にには日記の更新は1週間ほど中止します。
Aug 11, 2005
コメント(3)
アキハバラ電脳組は歌詞はあれども曲が無くてイメージがw中古CD探すかなぁ・・・などと思いつつ第3弾である。これで一応替え歌シリーズはひと段落、また普通の日記に戻そうと思います。(アキハバラ電脳組は宿題・・・出来次第UPで)【反戦反核団体団歌】反戦 反戦 日米安保 解体 解体 一役買いたい非武装中立認めない 憲法九条変えていく日本の平和をはばむやつらさ Break Out!反戦反核団体 戦力不保持 DaDaDa反戦反核団体 津波爆弾大地を揺らし!!デマを流すぜ 嘘を流すぜ 虚報流すぜ 東で 西で走る 走る 反戦反核団体反核 反核 欠陥理論 六ヶ所 東海 核開発の汚染捏造おてのもの 協力サポートいたします正義のデモ隊 ゲバ棒かざせ!! Break Out!反戦反核団体 劣化ウラン弾 Da Da 弾反戦反核団体 シュプレヒコール大地に響け!!デマを流すぜ 嘘を流すぜ 虚報流すぜ 朝日で 街で走る 走る 反戦反核団体反戦反核団体 戦力不保持 DaDaDa反戦反核団体 津波爆弾 DaDaDa反戦反核団体 劣化ウラン弾 Da Da 弾反戦反核団体 シュプレヒコール大地に響け!!デマを流すぜ 嘘を流すぜ 虚報流すぜ 東で 西で走る 走る 反戦反核団体Break Out!!(元ネタ:日本ブレイク工業社歌)【ネット猿人ピ××ー】楽天から 追放されたこの逸材を逃しはしないネットを旅して目についた 金●●を支援する(せりふ)「ぼ△△よ!共闘の時は来た!」「うがー」私はエリート ネット猿人ピ××ーなのだ誰にも負けない 理論があればどんな反論 恐れはしない捏造日記の威力見せ 人類洗脳企てる「ぼ△△よ!さぁ、やれっ!」「うがー」私は帝王 ネット猿人ピ××ーなのだ平和の理想と 目的もって強く生きてる そのはずなのに日本の敵だと言われると 身震いするほど腹が立つ(せりふ)「我々の妄想のほどを見せてやれッ!」「うがー」私は反日 ネット猿人ピ××ーなのだ(元ネタ:宇宙猿人ゴリ対スペクトルマンED 宇宙猿人ゴリ)【媚中のさだめ】作られた 記事を探し続けて俺は読みだす 朝日の紙面サヨクの臭い染みついて むせる賠償は済んだはずだ 払ったはずさ歴史を知れば 心が渇く捏造は 飽きたのさ謝罪とあれば 心を決めるそっとしておいてやれ中華に ああ おもねる記事ぐらい砕かれた論を 笑い続けて俺はさすらう 朝日の紙面教科書記述 軍靴(ぐんくつw)の響き圧力はあったはずだ NHKに事実を知れば 心が乾く訂正は 無理なのさ朝刊見れば 心を決めるそっとしておいてやれ中華に ああ おもねる記事ぐらい歴史を知れば 心が渇く捏造は 飽きたのさ謝罪とあれば 心を決めるそっとしておいてやれ中華に ああ おもねる記事ぐらい(元ネタ:装甲機兵ボトムズOP 炎のさだめ)
Aug 8, 2005
コメント(5)
調子に乗って第2弾・・・死ね死ね団のテーマは完璧です・・・私ごときには変えられませんでした orz「アキハバラ電脳組」は歌詞捜索中。見つけて出来次第でご勘弁。で、Z映画化記念(遅い)でガンダムネタ3つ+おまけ1で。『哀・サヨク』嘘 震える嘘 それはサヨクの記事 上げる持論燃え尽きて 捏造も土に帰る コメント走る 右寄りの列 反論できず 真っ赤に燃える嘘 命の嘘 真実は大地に捨てて 新たな歴史(とき)を作るか 生き残る 地球市民たち 反論走る 物証の列 顔が歪んで 真っ赤に火病(ファビョ)る(※)死にゆくサヨク達は 騙すべき市民達に 騙される市民達は 逃げゆくサヨク達に 何が書けるのか 何を残すのか (※) They pray ,pray to Believe a Liar.嘘 哀れみの嘘 いまは笑うだけ 名を知らぬ ウヨクを討ち 失敗し 血へど吐く 疾風のごとき コメントの列 あらがう術は 彼(か)の手にはない(※~※繰り返し)戦うサヨク達は まっとうな市民達に まっとうな市民達は ごまかすサヨク達に 何を思うのか 何が残るのか They pray ,pray to Believe a Liar.(元ネタ:機動戦士ガンダム 哀・戦士 挿入歌)『奴が来る』(左(サ) サ)今はいいのさ 証拠を忘れて嘘に断言 捏造重ねてこの戦場で 日記上げれば地獄に堕ちる(左(サ) 左)ソースきらめく反論ラッシュに 奴の影(左(サ) 左 左、左 左 左)捏造 陰謀 ソース奴に聞けデマとレッテル 奴がターゲット(左(サ) 左 左、左 左 左)今はいいのさ プライドを捨てて一つ残った 屍の記事があの反論で もがき苦しむ地獄の炎(左(サ) 左)ソース明かさぬコメントスパムに 俺の影(左(サ) 左 左、左 左 左)一人で死ぬかよ 奴と奴も呼ぶ反論 討論 俺がターゲット(左(サ) 左 左、左 左 左)電波きらめく 論を裂く生きて見つめる…… (元ネタ:機動戦士ガンダム挿入歌「シャアが来る」)『赤いシナに愛を込めて』赤く染まるシナの国に そっと口づけして 媚びる日々を 送る人よ今という現実で 親中は日本(ひのもと)の 脳裏に生まれた狂気ねネットにうずもれた 反論の駆け引きが炎上げ もみ合う波間さすらう 難破船のようにもう 泣かないで今あなたは探してる人がいるから味方に会いたいよと(元ネタ:機動戦士ΖガンダムOP「水の星に愛を込めて」)『スーパー憲法第9条』(1)悪のジョンイルが 時に野心を抱き 日本征服を 夢見たときに 君はどうする 市民はどうするか サヨは 蹂躙されて 黙っているのか 今だ出撃 第9条 スーパー憲法 第9条 戦争放棄 ぶっ放せ 来たぞ ノースコリアの侵略軍団 頼む頼む頼む頼む 第9条(2)悪の不審船 悪のミサイルの群れ それを操って 挑んできたら 君はどうする 市民はどうするか サヨは 悪魔の前に 跪くのか 今だ出撃 第9条 スーパー憲法 第9条 戦力不保持 決まったぞ 来たぞ チョソンスパイの工作軍団 頼む頼む頼む頼む 第9条(元ネタ:マッハバロンOP)
Aug 2, 2005
コメント(6)
わかる人は笑ってください。たまには笑いのネタを出しますので・・・「紙上の嘘」霧の中のソース 闇の中の論拠みんなどこへ行った 証明(あか)されることもなく海の中の珊瑚 政治家の圧力みんなどこへ行った 購読することもなくうそのある記事を 誰も覚えていない読者(ひと)は法螺ばかり見てる朝日よ 高い空から教えてよ 紙上の嘘を朝日よ 紙上の嘘は今どこに あるのだろう (元ネタ:プロジェクトX「地上の星」)「今日もどこかで陰謀論」誰も知らない 知られちゃいけない陰謀論が何なのか何も言えない 話しちゃいけない陰謀論の元だけは人の世に嘘がある 人の世に法螺があるこの美しいものを 守りたいだけ今日もどこかで 陰謀論明日もどこかで 陰謀論(元ネタ:デビルマンED「今日もどこかでデビルマン」)「反日ドバッと」ドバッと捏造 ドバッと反日ドバッと捏造 ドバッと反日統一見えたあの日から コリアの国に吹く風は復讐の風 辛い風追って 追って 追い詰めてドバッと捏造 ドバッと反日中国(とも)よ 中国(とも)よ 中国(とも)よ中国(とも)よ 見てくれ うなるデモコリアは 反日ドバッとさ(元ネタ:快傑ズバットOP)「売国な左翼のテーゼ」売国な左翼のように 新聞よ神話になれ赤い暴風(かぜ)が今 国のドアをたたいてもチャイナだけをただ見つめて 微笑んでる朝日ガッと望むもの 差し出すことに夢中で運命さえまだ知らない 売国な瞳もしも二国 馴染むことに意味があるなら 朝日はそう 日本を売る ためのバイブル 売国な左翼のテーゼ 北京からやがて飛び立つほとばしる赤いパトスで 歴史(おもいで)を裏切るならこの国を捨てて羽ばたく 新聞よ神話になれ(元ネタ:新世紀エヴァンゲリオンOPテーマ「残酷な天使のテーゼ」)「劣化のウラン弾」あのね ウラニウムはね 劣化ウランはね体内被曝をしちゃって 大変だよレ・レ・レ・レ・レ・レ 劣化ウランはね放射能なんだ 原爆なんだ 凶悪なんだけれどデタラメなんだ 捏造だってさいつもデータが無くっているんだよだから 反論にはとっても弱いんだってさ(元ネタ:おばけのQ太郎(初代)OP)「○○○○○○」(伏字部にはあの方達の名前を入れてください)嘘の嵐に隠された ×××××に住んでいる第2の人格 ○○○○○○地球市民を守るため 三つの電波で洗脳だ(ヤー!)(※)津波爆弾 大地震 劣化ウランは毒ガスだ テロの主犯は ブッシュだぞ(※)匿名日記に守られた ×××××に住んでいる第2の人格 ○○○○○○正論反論壊すため 暴言雑言まきちらせ(ヤー!)(※~※部繰り返し)トンデモネタをたくわえた ×××××に住んでいる第2の人格 ○○○○○○ウヨクの結束乱すため 分断工作開始だぜ(ヤー!)(※~※部繰り返し)(元ネタ:バビル2世OP)☆リクエスト答えます<マテ
Aug 1, 2005
コメント(20)
時間の奇妙な符合というものがある。見過ごしかねない小さな、ほんの小さな瑕疵ではあるが致命傷になりかねないことを当人は理解していないようであるが・・・これはぼたんの花氏の最新の当人の日記へのレス。>途中で飛んだ ぼたんの花さん >では、コメントは明日の夜書きます。>>>またミョウバン(2005/07/31 12:06:17 AM)そしてその直後のピレネー山脈氏の本日記へのレス。>抜粋部の出所は明記したら?? ピレネー山脈さん >専門家の坊や。(中略)>専門家ちゃん^^。>(Jul 31, 2005 12:36:40 AM) 平素から「二人羽織」と疑われ続けてきたご両人であるが、その可能性はますます濃厚になってきた。 なお、ピレネー山脈氏は私の日記のどこで笑ったのであろうか。推測だが「理解できなくて笑うしかなかった」というところではないかと思っているが、根拠なく「大笑い」ではなくどこが大笑いだったのかを示していただきたいものである。 なお原爆に関しての日記には参考にしたサイトが複数存在する。それがどこか、という点に関しては「ピレネーの花」氏もしくは「ぼたん山脈」氏から当人の書き込みの「根拠」が示された場合か、適当な時期がきたら示させていただく。またメールでお問い合わせいただいた上記両人以外の方については、チェックし次第関連サイト等の資料を開示するので、疑義のある方等は遠慮せずお問い合わせ願いたい。
Jul 31, 2005
コメント(0)
今の日本にはテロなど無い、そう思っている人は多いだろう。かつての日本赤軍や中核派などの活動華やかしき時代と異なり、今の日本では日本人がテロを起こすことなど無い、そう誤解している人も多いのではないだろうか。 確かに既にそのピークを遙かに過ぎた日本赤軍や中核派の散発的な活動以外、十年前のオウムの毒ガステロという希有な例外を除き日本人がテロを行うことなど無いかに見える。「テロを起こす可能性があるのはいまや日本人ではない、日本に滞在する外国人だ」という声も聞こえる。 だが待って欲しい。今ここで私は声を大にして言いたいと思う。「一部の日本人は既にテロを起こしているのだ」と。今日は少しこれについて述べてみたいと思う。 テロについて語るには、当然テロの定義をある程度明確にしなければならないだろう。本稿では一般的テロの概念に照らし合わせ、次に述べる4条件を満たすような行為をテロと呼ぶことにする。なおこのテロの定義については、防衛研究所の片山善雄氏の論文「テロ対策における軍の役割」(国際安全保障第32巻第4号2005年3月発行)を参考にさせていただいた。1 直接の被害者だけでなく社会全体が標的であること2 社会への何らかの訴えかけが意図されていること3 物理的被害よりも心理的衝撃を重視すること4 成否は社会又は政府の反応に依存すること 第1項についてはテロにおける被害が、社会全体への不安感の増大や各種経済活動への影響に波及していくことなどによる。 第2項は、テロ後の犯行声明文などがこれに当たるだろう。またアルカイダのようにその行動原理が衆知のものとなっている場合には実行するだけで訴えかけの効果が発揮できる。 第3項については、例えば残虐な殺害方法をネットで公開するなどして、これを見た対象者に恐怖や嫌悪などを植えつける行為が当たるだろう。日本に関係するところでは、香田証生君の殺害された事件などがこれを意図していたと言えよう。 第4項については言うまでもない。破壊行為等自体が成功しようと、テロに屈しない姿勢を厳然と示してテロリストの要求に従わなければテロ自体の目的を達成したことにはならない。テロリストの要求には断固応じないことこそがテロの失敗に繋がるのである。 片山善雄氏は上記の論文の中で次のように述べている。「テロは人心に働きかける暴力なのである。」と。 では日本ではどのようなテロ行為が行われているというのだろうか。暴力団の恐喝? いやそれは社会全体を標的にしてはいない。暴力団同士の勢力争いと市民標的の違法な経済活動に過ぎない。若者の犯罪の凶悪化? それは治安と教育の問題であり、政治問題とも言えるテロにはなり得ない。 日本において起こっている上記4条件に該当するテロ行為。それは「教科書採択問題」である。 教科書選考委員の家族構成まで調べ上げ「ばあちゃん、足が不自由そうだな」などという低劣な脅迫行為を行い、これが報道されることで一般社会における「つくる会教科書」に係わることへの不信感・不安感を煽る、これは第1項に該当する。脅迫電話や委員の私用車を囲んでまでの威圧的行動もこれに当たるだろう。直接被害に遭われた選考委員(とその地方自治体)の方々だけでなく、その他の地域を含めた日本全体が標的の行為であることは明白だ。 こういった行動をする団体・個人が当然のごとく「愛国的・好戦的教科書の採択に反対し社会を正そう」という意図を持っている。そのまま第2項に該当する。 深夜の嫌がらせ電話や無限FAX、あるいは自家用車に対するパンクなどは(被害者にとっては大きな被害だが)社会的には些細な被害でしかない。だがそれらは報道され、内容が詳述されることで「心理的な」衝撃を拡大していく。「つくる会教科書に係わったらやばそうだ」というような忌避感を醸成するための心理的衝撃を重視した行為、第3項に該当する。 そして彼らの行為の成否は、選考委員や地方自治体が「つくる会教科書」を採択しないことで達成される。ことの成否がそういった社会や地方自治体の反応に依存することはそのまま第4項に該当している。 自らの政治的信条を非合法な手段で社会全体に押しつけるこの行為と、昨今の爆発物テロの間にある違いは単に「死者」が出ているかどうかに過ぎない。(負傷者や精神的な被害者は実際に出ているのだ)彼らの行為が次第にエスカレートし実際的な暴力を伴ったときではもう遅い。論を力でねじ曲げようとする卑劣な行為こそ本質的な意味での「テロリズム」なのであることを、私たちがしっかりと認識しなければいずれ日本にも無差別テロの嵐が起きかねない。我々はこの現段階ではまだ矮小なテロを毅然と跳ね返す姿勢を身につけ、矮小なテロが巨大な暴力の実をつけることがないようにして行かねばならないのだ。
Jul 28, 2005
コメント(2)
3 核爆弾構成要素(1)核分裂物質 天然ウランのU235をガス拡散法などで濃縮しその純度を高めた濃縮ウラン塊、天然ウラン中のU238に中性子を吸収させPu239としたものなどが使用される。(2)起爆材(点火装置含む) ガンバレル型では標的側濃縮ウラン塊に対して、弾丸側濃縮ウラン塊を射出するのに用いられる(命中することで臨界に達しイニシエイターの中性子で連鎖反応を起こす)。この場合点火は基本的に1アクションでありタイミング・構造ともにそれほど高難易度ではない。ただしイニシエイターのタイミング調整が困難であり、実験データ等がない場合の起爆可能性は低い。 インプロージョン型では複数の爆速を持つ各種爆薬を配置し、起爆タイミングを調整し同時に一点に核分裂物質を圧縮・集中させ臨界状態を生起させる。このタイミング計算はかなり高度である。また長崎型の時代においては2乃至3種類の爆速の異なる爆薬を使用した。(現代では30種類ほどの爆薬が設計に応じて用いられる)(3)リフレクター 第1項で述べたように、放出された中性子は全てが「核分裂性核種」に当たるわけではない。確率論的に何にも命中せず濃縮ウラン塊から出ていってしまう中性子も多い。これを有効に利用し臨界量を減少させるものがリフレクターと呼ばれるものである。リフレクター、反射体は文字通りに濃縮ウラン塊から飛び出してしまった中性子を反射して再び核分裂反応に使用できるように濃縮ウラン塊の方へ跳ね返すものである。単純な鏡のように跳ね返すものではなく、Be10のように中性子1コを吸収したら2コを放出するような増殖型の素材を使うことが多い。このほかにU238なども有効である。(4)タンパー 「連鎖反応」は人間的感覚では瞬時に発生するように思えるが、実際のところは極めて微少な時間差がある。(中性子が最高でも秒速2万km程度しか速度がないため)このため連鎖反応の途中で、最初に核分裂を起こした核分裂物質のエネルギーで濃縮ウラン塊等が爆散しないようにするためのタンパーと呼ばれる機構も必要である。これには高密度・高硬度のタングステン鋼や劣化ウランなどが使われ、初期のエネルギーによる早期の爆散を押さえ臨界量を減少させる。(5)イニシエイター 核分裂を核爆発へとするためには、自発的核分裂による自然発生的な中性子では不足する。このため初期反応における中性子の不足を補うためにイニシエイターと呼ばれる機構も必要である。これは何らかの手段によって中性子を所定の時期に大量に放出させることで、臨界に達した濃縮ウラン塊に連鎖反応を起こさせるために必須である。広島型原爆においてはこのイニシエイターにポロニウムとベリリウムが使われていた。これはベリリウムのベータ線を浴びるとヘリウムに崩壊しつつ中性子を放出するという性質を利用し、ポロニウムが自然崩壊で出すベータ線をそれに活用するというものだ。機構的にはガンバレル型(広島型原爆の構造上の名称)のA端濃縮ウラン塊にポロニウム、B端濃縮ウラン塊にベリリウムを配置して濃縮ウラン塊発射による臨界量突破と同時に、これらから放出される中性子の量が連鎖反応を発生させる条件を満たすことができるようにするものである。 また後年では、核工学の進歩に伴いリフレクターとタンパーの機能を併せ持つように材料や形状が設計されるようになるが、それは「実際に広島に投下された原子爆弾」には時代的に関係がないので割愛する。4 「1kg」の(間違った)根拠群 実は「ウラニウム1kg」には歴史的なあるいは理論的な話がある。全く根拠の存在しない完璧な駄法螺というわけではない。ただそれが既に否定されている、あるいは前提条件があり得ないから否定されている、数値を勘違いしている、誤読しているのいずれかに該当しているだけである。それを修正し最新のデータに基づくのが専門家のはずなのだが、自称専門家はそれを行っていない。ここでどのような場合「1kgで可能となる」と「勘違いできる」のかを詳述する。(1)フリッシュ・パイエルス・メモの誤記述を知識として持っている場合 マンハッタン計画前にイギリスの物理学者らがまとめた書簡に「ウラニウム1kgで核爆発兵器が製造可能」という記述が実際に存在する。だが「リトルボーイ」には約64kgの濃縮ウラン、「ファットマン」には約6.2kgのプルトニウムが使用されていた。貴重な核分裂物質をなぜその書簡の数値を遙かに上回る量で使用したのだろうか。実はこの書簡後にモード委員会において各種実験が行われ、前述の核分裂断面積が書簡では実験結果の「数倍から数十倍」に見積もられていたことが確認されたのである。第1項で述べたように核分裂断面積が大きくなれば容易に核分裂が起こる。この物理的定数を誤っていたのでは臨界量もそれに比例して「少なく」見積もられるのは当然である。この書簡の誤りをそのまま理解していると仮定した場合、自称専門家の知識は1940年代以前のものであることになり、そのような専門家が存在すると考えるよりは「似非専門家」であるとする方がスマートである。(2)理想条件を実現可能であるとしている場合又はあり得ない条件を想定している場合 理論物理学等では往々にして「理想状態(条件)」という状態を仮定することがある。どのようなものかと言えば「純度100%(工学的に不可能)」や「理想気体(分子間引力を除外)」や「反応時間は0秒(反応遅延時間を省略)」などの計算上の微細な阻害条件を無視した状態を指す。これは「理論を純粋に検討し技術的可能性を探る」上では重要であるが、それを元に「工学的に実現させる上では目標理想値」にしかならない簡単に言えば「目安」にしか過ぎない。 例えば理想状態の100%U235を水溶液にした場合は実際には「1kg」で自発中性子で連鎖的核分裂反応を起こすと計算されている(約900g程度)。100%純粋な物質というものが実験室レベルでも実現しないものである以上、これは絵に描いた餅である。特に不純物(U238やその他)の(第1項で述べた)吸収断面積が大きい場合、中性子はU235の核分裂には使用されなくなり核爆発には至らないか、過早爆発(未熟爆発)となってしまう。また何よりも「広島型原爆はウラン水溶液など使用していない」という事実がある。 次に反応時間0秒については第2項(4)タンパーで述べてある。実際には初期の核分裂エネルギーで核分裂物質自体が爆散して臨界を下回ろうとするのである。これを避けるためにタンパーで爆散を防ぐとともに、核分裂物質の総量を増やし同時にイニシエイターにより多量の中性子を供給する必要があるのである。(3)データの誤読の場合 「リトルボーイ」「ファットマン」ともに爆発エネルギーはともにほぼ1kg弱の核分裂物質の核分裂により生じているという計算結果がある。これを誤読すると「1kgの核分裂物質で原爆になる」と取りかねない。だが(2)(3)で説明したように「1kgの核分裂物質を起爆させるにはより多量の核分裂物質が必須」である。よってそういった基本条件を無視しているか忘れているか、あるいは「知らないか」ということが容易に予想できる。その場合は「1kg原爆」を主張する専門家を騙る者もあるだろう。いずれにしろ本物の専門家には恥ずかしくて行い得ない誤謬である。(4)94年8月の米・自然資源防衛評議会(NRDC)からの書簡を誤読した場合 核兵器専門家トーマス・コクラン博士らが、最新の技術を検討、核爆弾製造可能量を計算し直した結果、プルトニウム1キロで核爆弾製造が可能であるとして、多くの国が持つ中程度の技術でも、1.5キロで核爆弾が製造できる、高濃縮ウランも3キロで核爆弾が製造できると述べ、核物質管理の基準にしている量をプルトニウムの場合、8キロから1キロに、高濃縮ウランを25キロから3キロに減らすことを求める書簡をIAEAと米エネルギー省に送ったと発表した事例がある。 このプルトニウムという部分を高濃縮ウランと「誤読」すれば、この発言が(間違っているとは言え)根拠を持つ可能性はある。しかしながらこの発表を受けた日本の専門家は「プルトニウムでは2kgが限界ではないか」との談話を発表している。いずれにしろウランとプルトニウムを間違うようでは専門家失格である。あるいは専門家ではそもそもないのだろう。 原爆が1kgの濃縮ウランではできないことに対する理解を深めていただけたであろうか。本稿が「似非専門家」「自称専門家」に騙されないための一助になれば幸いである。あと「自称平和運動家」にも。 なお本稿執筆に当たって、某S氏さん、ポポフさん、鉄拳アトムさん、ぱぱさんほか多数の方々の示唆に富む意見を参考にさせていただいた。文末ではあるが深謝申し上げる。ありがとうございました。【注意】なお本文中には「意図的に」嘘の表現が何カ所か織り込まれている。本当の専門家がこれを見抜けない事などありえない簡単な「嘘」である。リュック氏あるいはぼたんの花氏がこの間違い箇所を指摘できないようならば、専門家ではないとの明確な証明になるであろう。。
Jul 27, 2005
コメント(52)
古来より戦いにおいては敵の逃げ道を無くして戦うことは上策とはされていない。理由は簡単である。窮鼠猫を噛む、追いつめられた相手は逆にその実力を万全に発揮して、思わぬ損害を我に与える可能性があるからだ。死兵というものはかくも恐ろしい。それ故にいわゆる「兵糧ぜめ」という戦法が有効になるわけである。 さてぼたんの花氏とその友人である「自称専門家」のリュック氏であるが、既に無い逃げ道を模索した悪あがきの日々が続いている。某S氏さんはじめ私を含む多くの人からの追求に対し、当人達は戦国時代の忍者のごとくひらりひらりとかわしているつもりのようだが、この論戦は始まったときから逃げ道など存在していなかったことには気づいていないようだ。 本日はその点について「専門家でなくても判るように」逃げ道がないことを解説したいと思う。 まずはそもそもの発端を見てみよう。>日本は唯一米国から原爆を落とされた被爆国。>自覚持つべし。>原爆は濃縮ウランたった1KGよ?>たった、砂糖一袋分よ?>それで、こんなに苦しめられた。。(自称専門家リュック氏発言より) この文章に関する解釈は既に某S氏さんがこと細かく述べておられるが、あえてここでもう一度解析してみる。1行目に関しては事実を単に述べたものであり前提条件である。この部分にクレームを付けるような歴史知識の持ち主はおそらくいない。2行目はこの際無視しても問題はない。単なるリュック氏の感想だからである。3行目で大きな問題が出る。1行目における前提条件から、対象となる「原爆」は広島に投下された「リトルボーイ」であることが読みとれる。しかしながら「リトルボーイ」に使用された濃縮ウランは約64kgであることが明らかになっているため、「自称専門家」の弁としてはおかしいのではないかという疑問に繋がるのである。4行目については、戦争において使用された核兵器が有史以来「リトルボーイ」「ファットマン」の2発だけであることを考えれば、実験段階の物や理論段階の物ではないことが読みとれる。(ただし「ファットマン」はプルトニウム使用のため、本文3行目と反するので除外できる) 今に至るまでの間、リュック氏本人から本文章に関する「専門家的見地からの論理的説明」は一切されていない。そこも私などが「自称専門家」と揶揄する理由となっている。そして最初に言ってしまった「専門家」発言を取り消すことができない「自己正当化」だけがリュック氏の行動規範に思えるわけで、某S氏さんの掲示板に現れたときも「私は専門家」と認めてもらうことだけが目的に思えてしまうのである。 次にこれに便乗したぼたんの花氏の発言の抜粋である。>何キロのウランで広島の原爆で苦しんだか、それが現代の量か、60年前の量かは関係ないでしょう。今なら1kgで苦しむのですから。(ぼたんの花氏発言より) 既に前提条件すら根本的に判っていない。文章の読解力不足なのか知識の欠如と思いこみによる理解力の不足なのか、極めて珍妙なコメントとしか言いようがないものである。何しろここで「関係ない」と言い切っている内容は、リュック氏自身が設定したものであり、その設定に基づいて判断した場合「おかしい」というのが某S氏さんはじめ私を含む多くの人の論拠である。その前提を無視されれば「関係ない」となるのは当然だろう。 ここからは私の推測だが、ぼたんの花氏と某S氏さんの間には以前から確執があることは皆さんご存じのはずである。リュック-ぼたんラインの繋がりはおそらく単純に「某S氏さん嫌い・憎し」のレベルなのだろう。だからリュック氏本人が「何をどう言おうと」ぼたんの花氏には関係ないのである。某S氏さんと彼と意見を同じくする人間を貶めることだけが目的なのだから、そのきっかけにさえなれば事の真偽はどうでも良いのではなかろうか。 さて彼らの(と言うかぼたんの花氏の)スタンスについては理解できたと思う。そこで次のステップに進もうと思う。「自称専門家の言う1kgの濃縮ウラン使用による原爆は製造可能か」である。ここからはやや専門的な用語が増えるが、実際のところは高校の物理に毛が生えた程度の内容+初歩的な軍事的知識の産物である。「原子力の自称専門家」でなくてもこの程度のことで「1kgは論破できる」一例として読んでいただきたい。 なお内容等に間違いを発見した方は「本文最後の注意書き」を読んだ上で、楽天の私信メールでお問い合わせいただきたくお願いする。このような面倒な手順を踏むのは「自称専門家の化けの皮を剥がすため」であるということでご了承いただければ幸いである。1 核分裂基礎知識「核分裂性核種」(一般にU235かPu239)に中性子が当たるとその原子核は分裂し、より原子量の小さな別種の原子核になる。この核分裂の際に「核分裂性核種」は2~3コの中性子を放出する(U235で平均2.4個)。このうちの1コ以上が再び「核分裂性核種」に当たることで、持続的に核分裂反応が続く状態が「連鎖反応」である。 また中性子が当たったからといって必ず核分裂するわけではなく取り込まれる場合もある。そのなりやすさを捕獲断面積、核分裂断面積と加えたものを吸収断面積といい、中性子が当たって核分裂が起こる確率は、核分裂断面積/吸収断面積で表される。この捕獲断面積、核分裂断面積は「核分裂性核種」の種類と発生する中性子の種類で大きく異なる(熱中性子、高速中性子等)。 1回の核分裂で発生した中性子でk個の核分裂を起こすときkを増倍率と呼ぶ。このkが1の場合は継続的に分裂が起き、臨界状態といい、kが1より大きいと発生するエネルギー量が高くなる。原子炉内などでは中性子を吸収する制御棒でこの中性子量を制御しkを変化させ安定的かつ持続的にエネルギーを取り出すが、核爆弾ではこれは行う必要がない。(むしろ核爆弾としてはマイナスである)つまり核爆弾ではこのkの値をいかに大きくできるかが最大の問題となる。2 核爆弾の種類 既に多くの方が知識として持っているが、原爆にはその使用する「核分裂性核種」で大きく「ウラニウム型」「プルトニウム型」の2種類に分かれる。さらに構造的な面から比較的単純な「ガンバレル型」と、複雑な構成を持つ「インプロージョン型(リニアインプロージョン含む)」に分類される。広島に投下された型は「ウラニウム使用のガンバレル型」であり通称は「広島型原爆」である。長崎に投下された型は「プルトニウム使用のインプロージョン型」であり通称は「長崎型原爆」となる。 なおインプロージョン型の方が臨界量を少なくできるという特徴がある。 またプルトニウム型は不純物として含まれる放射性同位元素のPu240が核分裂に際し大きなマイナス要因となり、ガンバレル型では過早爆発を起こしてしまうためにインプロージョン型のみで製造されている。逆にウラニウム型は条件さえ満たせばどちらでも問題なく起爆するので、用途に応じて両方式で製造されている。(ただし臨界量を大きく減らせるメリットのため、近年はほぼ全てがインプロージョン型である) この他に「原爆」を起爆剤に核融合を起こさせる「水素爆弾」や、核爆発時のエネルギーを主として中性子として放出させるように各種材料を調整したタイプの「中性子爆弾」などがあるが、本稿ではこれを省略する。【続く】
Jul 27, 2005
コメント(1)
「判断の基準は私の脳内に蓄積した情報です」 珍妙無類な発言である。質問を理解していないか、日本語を理解していないかいずれか二者択一としか思えない文章であるが、これをのたまった方は至って「真面目」らしい。某S氏さん、瑠璃家さんはじめ私に至るまで多くの人が「その蓄積した情報の源を示せ」と言っても聞く耳は持たない。怪しげな自称専門家の言葉を「自らの味方であるから」と盲信し、「津波兵器」だの「911は自作自演」だのあげくは「日本は核兵器を開発している」とまで言い始めると、苦笑を通り越してその愚かさ自体が犯罪であるとさえ思える。 さてかの人はご当人の古い日記に対する私のコメントをわざわざ全文引用して新しい日記を書いたあげくに、何の根拠もなく「×、残念」と断定したあげくに「何が間違っているのか」を一切示せないでいる。全文引用を著作権がどうこうなどと言う気はない。(これは著作権を放棄したわけではなく、今回の議論の基礎となる内容を含んでいるから主張しないというだけである)しかしながら、わざわざ新規日記エントリーを私のハンドル名を含む内容で立ち上げたあげく、「脳内判断基準」で「残念」とかほざかれてはこれをこちらで取り上げないわけにもいかないだろう。 かの人の日記において「自称専門家」は三菱重工で高レベル廃棄物再処理の安全性向上に携わっていたと言っているようなことが書かれていた。そしてそれをかの人が信用するに至った理由というのは以下の3つの質問に答えたかららしい。1 「ふげん」と命名された理由2 再処理時に使用する溶液名3 六ヶ所村再処理施設のモデルとなった原発名以上の3つについて「1.2.3.の答えを知っている人は書き込んでください。」などとのたまうので実は私も回答したのだが、自らと主義主張の異なる人間は絶対に信用しないというかの人の論法によって、私は専門家として認定してもらえなかった。まぁ私は「高レベル廃棄物の再処理の専門家」(←ここ重要)ではないので、それをどうこう言う気はないのだが。専門家認定こそされなかったものの、かの人は自分の日記の中で私のその回答がかの人の「知識を越えていた」ことは吐露している。要は専門家でない人間(私だ)でもネットでちょっと調べただけで「あの程度の回答はできる」のであって、逆を言えば「ネットですら調べもしないで相手を簡単に専門家と認定する」ことがいかに愚かなことか、かの人には理解できなかったと言うことを示しているのである。 話が逸れた。今回はかの人の愚かさを指摘するエントリーではない。そもそものことの発端は「1kgの濃縮ウランで広島型原爆」という既に閉鎖(夜逃げ?)したとある場所での「自称専門家」の書き込みであった。これに関して某S氏さんをはじめとする幾人かが疑義を表明した。それに対し「素人は黙ってなさい」というような趣旨の反論があったわけだが、肝心の当人の「専門家」が自称又は虚偽ではないかという疑問が持ち上がっているわけである。ここにかの人が「某S氏さん憎し」で参戦してきたというのが今回の顛末である。 さて、怪しげな「自称専門家」についての「自称」の部分への倫理的な疑義は前回の日記で示した。今回はその本質である「専門家」の部分に迫ってみたいと思う。上の方で私はわざわざ「高レベル廃棄物の再処理の専門家」と書いた。ところが「自称専門家」は「三菱原子力にて原子力発電所開発チーム」にいたということらしい(かの人の日記による)。既にその時点で「質問が」間違っていることに気が付かないだろうか?質問にある高レベル廃棄物の処理は「湿式ピューレックス法」で行われる。これは純粋な「化学反応」なのである。しかし「核分裂反応」は「物理的反応」だ。工業高校や高専レベルでの教育ですら核反応は無機化学から物理の領域である。まして原子力発電所開発チーム(?)とやらにおいて、発電所建屋の建築工学や核物理学あるいは安全工学ならともかく化学の専門家ということはありうるのか?同じ「原子力関連技術」とはいえこれを一緒くたに語ることは到底「専門家」の行うことではない。確かに核分裂反応の専門家は再処理の基本技術は押さえているだろうし、再処理の専門家は原子炉の基本的技術は押さえているだろう。だがこれをもって「核分裂反応の専門家」「再処理の専門家」が、それぞれ逆の専門家を名乗ることが適切なことだろうか。 また自称専門家が所属していた(らしい)三菱原子力の研究の内容は以下のようなものである。どこに「再処理技術」が関係するのだろうか。1 PWRプラントの信頼性・安全性の追求のための研究開発2 メカトロ技術を活用した各種ロボットの開発3 次世代PWRのなどの開発4 燃料の信頼性向上および改良のための研究開発(なお日本においては国家以外がプルトニウムを保有することは違法であるため、実験も許可制である) 更に言えば「超臨界直接抽出法を用いた処理能力50tHM/y の再処理プラントの概念設計」という新式の再処理工程は「サイクル機構」「三菱重工業」「ARTECH」の研究家達の手によって、「超臨界二酸化炭素を媒体として用いる金属元素の抽出分離法の研究」は東海研究所先端基礎研究センターアクチノイド溶液化学研究グループによって行われている。基礎研究は本社又は研究所の化学系の本当の「専門家」によって行われたことが容易に読み取れるだろう。 かの人の言う「自称専門家」に対して、その真贋を確かめる材料となった事項は極めて不適切といえる。なにしろ1は公式ホームページで見ることができ、2は核工学と関係のない化学の質問であり、3にいたっては六ヶ所村には原発など存在しないという体たらくである。そのような内容で「私が彼女の職歴を間違いないと確信した」などとはチャンチャラおかしい話ではないか。また私は核工学系の専門家である線も疑わしいと思っているが、その点は某S氏さんの日記が詳しい。ぜひ参照して自らの判断で「どちらの言い分に信があるか」を確認していただきたい。なにしろ「1kgの濃縮ウランで広島型原爆」である。核爆弾のイニシエイターの存在すら知らないのではなかろうかと思われる「自称専門家」と「その信者」は早々に妄言を引っ込めて大人しくなることをお勧めする次第である。【業務連絡】仕事で数日不在になります。次のネット接続は月曜の予定です。
Jul 20, 2005
コメント(0)
自分より詳しい知識を持っている人は「専門家だ」と言い張る人がいる。はっきり言おう、それは単にその人があなたより「物知り」なだけだ。あるいはもっと簡単に「資料をいっぱい持っている」だけな人かもしれない。その人の論法では小学校1年生から見ればあらゆる人が専門家に位置づけられるだろう。 また私は現職自衛官として「軍事の専門家」であると言えるだろうが、専門家であればこそ語れない、匂わすことすら許されない職業上の秘密というものが存在する。私が何かを語るとき「ネット上の情報」または「書籍として刊行されたもの」以外を用いないのは、軍事のプロ、専門家としての「職業倫理」からである。その職業上の秘密を「ネット上で同じ論陣に位置する」というだけの理由で軽々に教示するような人物は、専門家としての資質に欠けるとしか言いようが無かろう。少なくともそのような職業倫理上大きな問題を抱えている人物は、周囲から専門家として扱われるような地位につくことはないし、ついてはならないのである。 さて某所において20世紀半ばの空想科学小説並みの想像力で世界を描こうとしている人がいる。その人の思考の中ではこの世界は「陰謀と超科学の渦巻く極彩色の世界」である。そして自身はその世界における真実を知る主人公のつもりのようだ。3兆ドルの経費をかけた気象兵器、1kgの濃縮ウランで起爆する核兵器、911テロを企てた米国の軍産複合体、地球の自転すら遅らせる規模の地震を引き起こす津波爆弾、etc,etc...確たる理論的根拠もなくソースすら示されない数々の「事実」は、その人と主張を同じくする「脳内世界での主人公達」を活躍させるためだけに偽りの輝きを放っている。そしていくら現実を突きつけても「陰謀と超科学の渦巻く極彩色の世界」の住人たるその人は聞く耳を持たない。 さて件の「専門家」の件であるがその人物が真の専門家ではない理由は以下のとおりである。1 1kgの濃縮ウランで核分裂反応が連鎖的に起こりうると仮定した場合、それを国家が何らかの理由で秘している理由は、おそらく今までの概念で必要とされる量よりも格段に濃縮ウランの必要量が減少し容易に核兵器が製造できるようになり、国際社会にとって極めて危険であるからであろうと推測できる。そういった日本はおろか国際規模での危険な情報を、ネット内で意見を同じくするというだけの海のものとも山のものともつかない怪しげな人物に漏らすような人物は、そういった秘密を持つ業務に付き物の資格審査で「はねられる」のが通常である。よってその人物は存在し得ないということになる。2 1kgの濃縮ウランで核分裂反応が連鎖的に起こらない場合、そういった虚偽の情報を真実のごとく偽る行為は専門家の行為とは言えない。よってそのような人物が居た場合その人物は専門家ではないといえる。「1kgの濃縮ウランの核分裂」の真偽にかかわらず、そのようなことを言う人物が「専門家ではあり得ない」ことは以上から明白である。そしてそういう人物の言を信じて「陰謀と超科学の渦巻く極彩色の世界」に信憑性を持たそうという行為がいかに愚かなものかをかの人は知るべきだろう。
Jul 19, 2005
コメント(6)
ここ2回ほど私は靖国神社に係わる日記を書いていた。なんとか靖国について論理だった思考をしようという試みだった。過去幾度か靖国神社へは参拝した経験があり、その面と自らの職務上の経験を併せて自分が漠然と感じている何かを文章にしてみたいと思って書いていたものである。その試みにあわせ「みたままつり」の時期ということもあって改めて靖国神社へ参拝してきたのだが、結論から言うと改めて参拝した結果「完全に己の力不足を思い知らされた」次第である。 完結していない日記記事を放置するのは、個人として悔しくないわけではない。これを笑っていただいても結構、敗北宣言と受け取っていただいても結構である。「靖国神社の件は世俗の垢にまみれて語ることができるほどチープなものではない」これが私が改めて参拝した結果として得た結論である。 祖先を敬う、祀るという精神は、思想の左右を問わず日本人には普遍のものだと思う。今回私はそういった純粋な視点を欠いたまま靖国に参拝しようとした。これがそもそもの間違いだ。自らの思想の裏付けを得ようという邪な思いを抱く私に対して、靖国神社は先人の気高い思いをただ淡々と示してくれた。軍国主義、帝国主義、侵略戦争と口汚く罵る「主義の方々」にも、ぜひ無心で参拝していただきたい。靖国神社はそういう批判の的になるものではない。そこはただ自らの私心を捨てて愛する人、愛する国に殉じた人たちの御霊が祀られている場所なのだ。 政治的思想も復古主義もそこにはない。人生半ばでその命を何かに捧げた先人を偲ぶ精神(こころ)だけが靖国を形作っている。一度政治的な思想を持たず、靖国神社へ参拝しなくても良い、彼らの心を知るために遊就館だけでも訪ねて欲しい。「主義の方々」に本当に「平和を愛する心」があるならば、戦争の悲惨さをどこよりも如実に知ることができるだろう。
Jul 19, 2005
コメント(0)
【続き】2 『断絶した国の歴史、連綿と続く民族の記憶』 前回の日記では表題のうち『断絶した国の歴史』についてまで述べた。日本という国は昭和20年8月15日に終戦によって誕生したが如き「主義の方々」とその眷属教師の教育は、平成のこの世になって最も彼らの望まない形で結実したというのが前回の私の日記後半の要旨である。あえて付け加えるのならば受験教育を重視する余りに、日本史は「明治維新から自由民権運動まで」を主として教育を行い、試験対策のための年代暗記に偏った教育を行ったことにもその責を負わせるべきだろう。歴史的事件にはそれに至る時代背景に密接に連携した原因が存在しており、それを無視して年代と事件名と概要のみを憶えたところでそれは「歴史の知識」とはなり得ないからである。 そしてそういった詰め込み型教育が、歴史の背景を無視して「現代の論理」で行為の善悪を判定しようという「自らが神の視点を持っていると思いこむ誇大妄想狂」の発生につながっていることも厳然とした事実なのである。 さて前回の日記の内容が当てはまるとした場合でも、その成果が結実した世代が「靖国を参拝すべし」という意見を持つと断言するにはにはやや力不足であることも否めない。ここにおいてこれを明確に説明するためには、本章タイトル後半の『連綿と続く民族の記憶』について語る必要がある。国家の歴史は前述のとおりの理由で断絶させられた。だが、大日本帝国も現代日本もその構成員たる国民は一貫して同じ「日本民族」であることを失念してはいけない。(日本民族という人種的区分は厳密には存在しないのではあるが) そして日本の民族意識的風土と中韓におけるそれとの相違点が、靖国神社参拝に関する対応・思考法に現れているのだ。 まず次の文章を読んでもらいたい。「私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久に、この国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられていることである。」これは著名な民俗学者柳田國男氏の「先祖の話」という本の中の一文である。執筆時期は第二次大戦末期の空襲のあった時期であるらしい。その過酷な時代から60年を経た平和な今でもこの「信仰」の基本スタイルはまったく変わっていない。この考えの間接的証拠として例を挙げれば、我々日本人は亡くなった先祖のために、その命日にあるいは盆にまたあるいはお彼岸に、お経を上げてもらい、あるいは墓にお供え物をしているではないか。柳田國男氏はこれを宗教とその本に書いておられるが、私は宗教と言う強圧的なイメージを持つものよりもむしろ「精神的風土」なのではないかと思う。多くの日本人が前述の日々に、普段は足を向けることがないような先祖の墓参に行ってしまうのはそれが既に潜在意識の根底部分に刷り込まれているからと考えるのがしっくり来るからである。 では対する中韓はどうなのか。「諸君!」8月号において佐々淳行氏が「罪九族ニ及ブ」という「法家思想」の存在について述べている。「誰かが一人罪を犯せばその罪は子々孫々、一家眷属に及ぶという、およそ現代の日本でも国際社会でも全く通用しない中国の封建思想である。」(諸君!8月号の佐々淳行氏記事より)というものだ。ちなみに韓国もこれと同様の思想から戦時中日本に協力した人間を裁く国内法を施行したのは記憶に新しい。このような思想は、国が変わるたびに前王朝の功績を全否定し絶対悪化し続けた中国系の国家における特徴的思想だ。また日本においてこれに類似した思想は、「江戸時代初期」には無くなっていたことは対比の上では面白い。到底「近代国家の行動論理」にはなり得ない野蛮な思想・風習が今でも続く中・韓と、それを三百年の昔に捨て去った日本。その双方の民度の違いは、産業・工業・科学の差よりもよほど大きな差があると考えられよう。こういった思想が残っているのならば、彼らの記憶の根底に「60年前に中国(韓国)を支配していた日帝」を彼ら自身の歴史上の過去の王朝になぞらえて扱われるのもある意味当然の論理である。(なにしろ実際に国土を統治していたのだから)その場合「既に滅び去った大日本帝国」は彼らの認識上「悪」であり、悪の時代の記憶に従ってそのかつての拠り所に参拝する現在の政府要人を「悪の手先」「悪の復活を目論む」と罵るのも彼らの論理からすれば十分正しいと言えるのである。これに加えて先に述べた「祖先の悪行の報いは子々孫々、一族郎党に及ぶ」法家思想が現存するということを考慮対象とすれば、彼らの行動にも説明が付くのである。3 『エイジアンパワーゲーム』 日本にしろ中韓にしろ、こういった思想的背景を抜きにしてお互いを否定・非難し合うことの愚は判らないはずがない。実際日本では靖国神社参拝に賛否両論が存在し、中韓の思想的背景にまで考察を及ばせている。日本としてはただ非難し合う「その愚」を認識しているのである。そして中韓の参拝否定論に対して多くの日本人が反感・違和感を感じる理由はこれとは別の事象面に存在しているのである。(ほとんどの人がはっきりと、あるいは薄々と感じている、理解していることではあるが) ここで考慮すべき事実とは、中韓は米国やベトナム、北朝鮮等が行う戦死者墓地への国家指導者の参拝・追悼に何ら反対を表明していないということだ。ではなぜ日本だけがそういった批判の矢面に立たされなければならないのか。その矛盾に対する疑問こそが「歴史の断絶」でも述べた「なぜ今の日本だけが干渉されたり謝罪したり賠償したりする必要があるのだろうか?」といった日本国内の昨今の反応に繋がっていく。 ここで中韓の真意を読み解くべく、歴史の流れを振り返ってみる。 中国と韓国では靖国反対を言い始めた時期は中国が遙かに早い。その関係上当初は中国について述べることになる。靖国神社にA級戦犯が合祀されたのは1978年、発表は翌年の春の例大祭直前である。しかし中国が首相の公式参拝に対してクレームを付けてきた最初の年は1985年、実に6年の歳月が開いている。この6年の間に中国が態度を変化させるための何らかの要因があったと考えるのが妥当である。ではいったい何があったのだろうか。勘のいい読者の方は既に思いついておられるだろうが、この間は「冷戦真っ最中」なのである。冷戦と言えば「共産主義陣営vs自由主義陣営」と考える人がいるが、実際にはそうではない。 ソ連と中国はともに共産主義国家であったが、この2国はけして蜜月関係にあったわけではない。むしろ冷戦終了までの間どちらかと言えば対立期間の方が長いのである。しかも外交的対立だけではなく実際に戦火を交えてさえいる。中ソがにらみ合っているその時代において、まだ発展途上とはいえ中国をしのぐ経済力を持つ国家である日本と対立することは当然得策ではない。加えて言えば「日本は防衛力を強化すべきである」という意見まで当時の中国から出ているのである。もちろんその目的は「対ソ連」の外部からのプレッシャーの増加にあったことは言うまでもない。 そういった時代の流れの中で米国とソ連の対立が激化し、結果としてソ連の対中圧力の比が下がることになる。(これはレーガン時代到来とほぼ同期している)ソ連の対中圧力が下がれば、当然日本の防衛力強化は中国にとって第2の仮想敵国である米国を利する行為となるとの判断から、一瞬にして中国の「日本防衛力増強提案」は消滅し軍事大国化を懸念する意見がこれに取って代わった。その「軍事大国化の懸念」という捏造(当時から日本の防衛費はGNP比でかなり低いものであった)を、諸外国に対して強く主張するためには何か具体的な事例が必要であり、そのために「A級戦犯を合祀した神社への首相の参拝」がやり玉に挙がったのである。 こうした一連の行為のうちに、米国との軍拡競争に耐えきれなくなったソ連が崩壊し、冷戦時代は終結することになる。冷戦時代の終結に伴い、中国の外交姿勢と内政は大きな変革を迎える。ソ連という国境を接する「仮想敵国」は崩壊し中国内においての切迫した危機感が低下するに伴い、「竹のカーテン」の隙間から漏れ出す旧西側諸国の発展と豊かさが中国人民の間に広がり始める。自国の貧困・格差に対する不満の膨張は戦争勃発の可能性の低下を触媒に、民主化運動となって中国人民により大きな動きとなって急速に拡大した。その噴出が「天安門事件」である。隣接する国家との戦争の危険性は低下し、自らの国を省みる余裕の出てきた国民は民主化運動を活発化させ、結果として国内は不安定化の一途を辿る。その運動を鎮圧・弾圧することが更に政府への不満につながり不安定化は更に拡大する。中国共産党にとっての悪循環であった。 この状況を打破するために中国共産党が新たなるスケープゴートとして照準を定めたのが、海を隔てた経済大国の小日本だったわけである。人間は共通の敵があれば不満不平があってもその敵に関する問題が解消されるまで一致団結する。そして中国人民は「過去の戦争を悔いることなく再び軍拡を目論む極東の経済豊かな軍事国家日本」を憎み、倒すために大同団結した。【まだ続く】
Jul 9, 2005
コメント(0)
靖国参拝問題が色々と騒がしい。まるで国内を2分するかのような騒ぎになっているが、なぜ靖国神社参拝がこれほどの騒ぎになってしまったのだろうか。今日はこの原因・要因ついての個人的な考えを述べてみたいと思う。1 『誰が靖国をけなしたか? それはアジアと中国が言った。』 靖国神社参拝について積極的な反対を表明しているのは、どこの国かと言うまでもなく中国と韓国、北朝鮮である。政府規模での反意を表明しているのはこれらのみであるが、一部議員・マスコミによる反対も勘案すればシンガポールと台湾も加えるべきなのかもしれない。ただしシンガポールの場合は華僑系マスコミ、台湾の場合は大陸系の高砂族詐称の議員による反対であることは明記せねばならないだろう。(ちなみにシンガポールは人口の約77%が中国系である) これらの国家による声明や報道をもって朝日新聞などの一部マスコミ及び国内の「主義の方々」は、「アジア諸国の反対の声」などと主張・記述しているようだが、アジアに国家が幾つが存在しているかをしっかり明記しなければその表現が本当に正しいかどうかは判らない。 ここで少し実際的なデータを見て考えてみることにする。一般にアジアと言えば極東アジアから中東くらいまでの地域を含むことが多いが、靖国参拝問題に関係するのはこのうち極東アジアから南アジアにかけての、いわゆる前大戦で日本と関わりのあった地域と考えられるだろう。その場合の該当地域内の国家名及びその数は以下のようになる。(当時存在しなかった国家も含む)(1)極東アジア(5カ国) 中国、韓国、北朝鮮、日本、台湾(2)東南アジア(11カ国) ミャンマー(ビルマ)、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナム、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、東ティモール(3)南アジア(7カ国) パキスタン、ネパール、インド、バングラディシュ、ブータン、スリランカ、モルディブ(★国名他のデータはimidas2005(集英社)より。以下同じ) 日本を除く22カ国のうち最大でもたった5カ国が「アジア諸国の声」ならば、無視されている他の17カ国の立場はどう判断されているのだろうか。仮に百歩譲って人口比という論法を使った場合でも、アジア地域全体の人口は約34億弱(日本を除く)、そのうちの約42%が中・韓・北鮮・シンガポール・台湾である。(台湾はごく少数の声なのでここに含めるべきではないかもしれない)過半数にも満たない数をもって「アジア諸国の声」とは、朝日新聞及び「主義の方々」はどのような判断基準でそう言っているのか甚だ疑問に思える。 国家数ではわずかに(最大限に見積もっても)22カ国中5カ国、人口比でも過半に届かない事実からして、ただ単に「大きな声を張り上げている自らに都合のいい主張をする国家」をアジアの代表と見なしていると思うのが普通一般の考え方であろう。正確な報道、意見表明を行おうとするのならばこれらのことを明記し、曖昧な表現による印象操作を行うことがないように十分な注意を払うことが必要ではないだろうか。2 『断絶した国の歴史、連綿と続く民族の記憶』 靖国神社参拝に対する最も強硬な反対論者たる中国及び韓国の主張と、日本国内の主張の食い違いにはいったいどのような原因があるのだろうか。まずは日本国内の状況から推察してみることにしよう。日本においては、戦後一貫して戦前の大日本帝国を全否定し悪の権化のごとく説き続けてきたにもかかわらず、昨今では比較的若い世代に旧軍の戦死者を祀る靖国神社参拝に対して賛成派が増加しつつある事実が、これに関して考察するためのヒントとなる。誤解を招くのを恐れずに言わせてもらえば、この戦後一貫して偏向して教育されてきた「大日本帝国=悪=全否定」という概念が、今の世代になって完全に効果を発揮したことが原因と言えるのではないかと私は考える。 太平洋戦争における敗戦の日「終戦記念日」で、悪の大日本帝国が行っていた全面悪の戦争行為は終結し、日本は民主国家の連合体によるGHQの指導のもと平和を愛する新生民主国家「日本」へと生まれ変わった・・・(意図的に誇張表現を使用)。当時の戦争の記憶を持っていた人たちが多く存命していた20世紀には、まだ大日本帝国から現代日本へと国の歴史は連続性があることは彼らの記憶が証明していた。また身内が戦争で亡くなられた方も多く、身内の亡くなった軍人の方々が悪であるとは思えない世代の人たちは、その戦争の責を「大日本帝国」という体制に負わさざるを得なかっただろう。日中国交正常化のときの声明にもその苦悩の表現が見て取れる。 それ故にその世代では「戦犯」も祀られている靖国神社に対しての否定的・嫌悪感的な感情がくすぶっていたとも考えられる。しかしそういった「戦争の悲惨さ」を直接の記憶として伝える世代が次第に減少し、その悲惨さと過去の歴史が「教育のみ」で語られるようになった現在においては、大日本帝国から現代日本への歴史の連続性は途絶えてしまったのである。 教科書を見ても大日本帝国から日本への変遷は、大きな断絶(GHQによる占領)と変化(新憲法の発布他)によって為されたと表記されている。そして日教組型教育に代表される「戦前全否定」教育によって現代日本は大日本帝国と隔絶した別種の存在として教育され、結果として被教育者たる学生に「日本と大日本帝国は全く別の国」という認識が刷り込まれたわけである。「過去の別の国のやった行為で、なぜ今の日本が干渉されたり謝罪したり賠償したりする必要があるのだろうか?」 中国・韓国の対日政策の現在の状況を歴史的知識・先入観無しで見れば、それがいかに無礼きわまりなく論理性に欠け無法なものかは明らかである。そして先入観なくこれを判断できる素地、教育の高さが今の日本には間違いなく存在する。先般行われたNHKのBSディベート関連のアンケートで、対韓国に親しみを感じない率が90%以上に上ったのも無理はないのだ。そしてそういった対中韓感情を作り出した最大の要因こそ、歴史の連続性を意図的に無視し戦前を全否定し続けた偏向教育にあると考えられるのである。昨今「日本が右傾化した」と主張する「主義の方々」や「偏向教師」が多いが、その原因を作ったのは彼らの主張あるいは行い続けてきた「大日本帝国は今の日本とは異なる悪の帝国でした」という教育だということに思い至らねばならないのである。【あまりに長いので続く】
Jul 6, 2005
コメント(4)
十人十色、人それぞれに思うところが違いその意見・思想は様々である。精神的豊穣と物質的豊穣の優劣、思想の左右、ジェンダー問題等この日本に存在するあらゆる問題に対して全く同一の思想・価値観を持つ人間が存在する可能性など皆無である。 だが日本は憲法においてその思想を自由に持つことを保証している。どのような価値観を持とうがそれが犯罪的思想でもない限り公的には非難されない。そこが言論統制・思想統制を法の名の下に行う中国や南北朝鮮とは大きく異なる、日本の国としての「優越した、進歩した部分」である。 さて「週刊金曜日」という雑誌がある。多くの人はご存じのことと思うがいわゆる「左翼系」雑誌だ。その思想的価値については本稿での論評を避けるが、そこに以下のような文章があった。【以下引用】「日本国憲法の後半は、国会、内閣などの国の仕組みについて書かれています。前半は、国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重です。一部、納税などの国民の義務が書かれていますが、ほとんどは『国家がやってはいけないこと』が書かれている。憲法は主権者である一人ひとりの個人が、国家権力に対して縛りをかける最高法規なんです。つまり、国の主人である私たちから権力者に対しての命令が憲法です。」(週刊金曜日No.555 憲法を活用して声をあげよう! から、九条の会事務局長小森陽一氏の発言)【引用終わり】 某廃墟においてピレネー山脈氏からWinStrategy氏に対して幾度か繰り返された質問はおそらくこれが元ネタなのだろうが、この文章が大嘘なのは憲法をじっくりと読んで考えてみれば簡単に判る。 上記の発言において、まず考察しなければならないのは「国とは何か、国民とは何か」である。つまり「個人が集まり国民となって国家を構成する」のか「国家に属する各個人が国民である」のかということである。これについては日本国憲法の「主権在民」という文言により、主が「国民(個人)にある」ことを明示していることから前者の「個人が集まり国民となって国家を構成する」ことが正解だろうと考えられる。ここまでは小森氏も間違ってはいない。 だが憲法に規定されている各種縛りは、国家はもちろん国家を構成する基本要素たる国民にも等しく効果を持たねばならないものである。氏はそこを意図的に歪めて伝えている。例えば戦争放棄、国家としては戦争を放棄する、では個人(国民)として武器を準備し戦争を行っても良いのか?例えば言論の自由、国家としては言論の自由を保障するが、国民は自らの見解と相対する言論を弾圧・検閲して良いのか?例えば基本的人権の尊重、国家としては基本的人権は保障するが、国民は他者の人権を保障する義務を負わないのか? 彼らが金科玉条として掲げる代表的な要素においてすら、国家が守るべきことは個人も守らねばならないことは明々白々なのである。他の条文にも同様に「国家にも個人にも」行動を規制する条文が列挙されている。「何人も」と書かれている条文などはその顕著な例だ。それをみて「国家だけが規制される、守らねばならない」と考えるのは文盲である。 もちろん国家という個人よりも規模の大きな集団には、個人にはなしえない規模の様々な行為・手段が存在する。そういったより規模の大きな行為への縛りが憲法内には存在するのは当然だ。だがそれをことさらに強調し、憲法が国民からの一方的な命令であると極論するのは「木を見て森を見ず」の大きな誤解であると言えよう。 「主義の方々」の脳内においてはどうやら「国・国家・政府」と「国民(個人)」は対立する存在で、そこには上下の階級差が厳然と存在しているとの認識のようである。そしてその階級差は今現在は「国家>国民」という誤った姿であり、それを「国民>国家」へと正そうとするのが彼らの運動の目的のように見える。例えば先ほど引用した文章の最後、「国の主人である私たちから権力者に対しての命令が憲法です。」などがその顕著な例だ。 主人と主権者、似て非なるこの二つの言葉を同一の語句のように誤用・混同することに問題があるのである。意図的なのか、無知から来る誤用なのかは別としてもだ。ここで語句の意味を明確にするため辞書を紐解いてみよう。○しゅけん 【主権】 〔sovereignty〕(1)国家の統治権。他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利。領土・国民とともに国家の三要素をなす。(2)国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利。(しゅけん-しゃ 【主権者】 〔「しゅけんじゃ」とも〕主権を有する者。)○しゅじん 【主人】 (1)一家のあるじ。「店の―にかけあう」(2)妻が夫をさしていう語。また、他人が、人の夫をさしていう語。「―に相談してからお答えします」「御―によろしく」(3)自分の仕えている人。雇い主。(4)客をもてなす側。ホスト。「―役として接待につとめる」★三省堂提供「大辞林 第二版」より 日本という国家において主権が国民にあるということの意味はどういう意味か。「主義の方々」の階級意識においては国は国民に仕えるべきものである。だがその前提からして既に違う事は上記より明白だ。国家は「誰にも」仕えていない。国家の3要素たる「主権」「領土」「国民」を保護することが国家の存在意義であり、その究極の目的である。その行動の規範を定めているのが憲法であり、当然その憲法が国家の行動を規定する以上、その構成要素の国民の行動も規定する。しかし「国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利」がその憲法で国民にあるとされており、その方法はやはり憲法の中に明確に示されている。ではそれは何条にあるのだろうか。それはなんと一等最初「前文」の先頭部分なのである。>日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(日本国憲法前文より。以下略) 日本の選挙制度は様々なゆがみを抱えてはいるものの、その内容においては他国とは比較にならないほど「正当」である。その選挙において選ばれた議員、それが構成する議会、議会から選出される内閣・・・これらは当然「正当」な存在である。つまり国民は正当な選挙によって国の「運営権」を「議会・議員・政府」に依託している、故に本来の「主権」は「国民」にあるということが明確に理解できる。そこには主従関係はない。あるのは信頼関係と国家運営業務の委託関係のみなのである。 「国家」=「国民」という対等な健常な姿が見失われて久しい。国民無くして国家無く、国家無くして国民無し。ただそれだけのことが理解できないという現代の日本人、そしてそういう人間を生み出してしまった偏向教育こそを、私達は今こそ正すべきなのである。
Jun 30, 2005
コメント(13)
戦争は外交の延長線上の一行動形態にすぎないとよく言われる。これは少なくとも近代以降の「多極化・多面化した国際情勢」においては真理であると言えよう。 外交とはそれぞれの国家戦略に基づき、複数の国家が「非ゼロ和ゲーム」をシミュレートし「相手が妥協可能な範囲」で自らが得る「最大利得」を獲得、「目標を達成」することを目的とした各種行動・手段を指す。現実として双方が完全な情報を得て行動することはほとんどないため、それぞれのシミュレートには誤差が生じその判断には結果として「ぶれ」「幅」が生じることになる。そしてその「ぶれ」「幅」が一定量を超えた場合に、各種行動・手段は武力の誇示から行使へと次第にエスカレートして遂には戦争へと至ることになる。 最も基礎的なゲームにゼロ和ゲーム、非ゼロ和ゲームと示される概念がある。ゼロ和ゲームとは一方の損失が他方の利益とイコールのものであり、最も単純なゲームである。非ゼロ和ゲームとは一方の損失が他方の利益とはイコールでないものであり、例としては双方が利益又は損害を得たり、あるいは一方が10の損害を他方が3の利益を得たりするタイプのものである。この利害の最終的な相対量が非ゼロ和ゲームの勝敗となる。 こういった戦い、ゲームは1対1の単純なものから1対多、多対多となるにつれ状況の複雑さを増していき、シミュレートすべき要素を増大させていく。また各国の国家戦略・目標も同一ではなく、同一国家内にすら異なる意見・見解・派閥が存在している。こういった複数の条件から国家は「最大多数の幸福」を追求して国家戦略を策定する必要がある。 現実の外交、国際政治はこの最も複雑な「多対多」かつ「相互に異なる目標」の形式を取っており、神ならぬ身には自らにとってのベストを選択することは相当困難だ。故に各国はより良いベターを達成すべく、友好から敵対あるいは戦争に至るまでの手段を考慮、模索していくことになる。 国家というものは一個人の幸福を追求しない。民主政治が万全に機能するほど、国家・政府は一個人の思い描く幸福に対する努力が希薄化する。それは国家というものが複数の個人から構成され、それぞれの個人が自由意志を持って思考する限り全ての個人を満足させることが不可能だということに起因する。このような状況から、民主国家の民主政府が追求するのは「最大多数の最大利得」に他ならないことが推測できる。国家・政府が一個人の幸福を追求するとすれば、それは独裁国家における独裁者の幸福を追求するときだけだ。 「最大多数の最大利得」という概念は、相互理解と対話の中にしか生まれ得ない。互いが自己の意見のみを主張し、他者の意見を無視・封殺・弾圧するようでは「複数の個人の幸福の最大公約数」を導き出すことができないからだ。自己の意見のみが正しいと主張する個人は、最終的には独裁者か無法者にしかなり得ない。 戦争という行為はいわゆる軍事力を使用し、相手国家に対して自国の「目標達成」を強要しこれを認めさせる「負の非ゼロ和ゲーム」というべきものである。現実世界においては完全情報下での行為が理論上にしか存在しない以上、最適解を求めることは不可能であり戦いによる負債は常に増大する。勝利後に敗者から利益を得た場合も、ゲーム参加者全体での利害得失が0以上になることはない。駄文終了。
Jun 28, 2005
コメント(0)
戦前の軍をただ全てが「悪」であったかのように論評するBlogが多い。なるほど、証拠の有無はともかく軍が戦争行為の中で「何か」を行ったというのは事実だろう。だがそれが「主義の方々」が声高に主張する「残虐行為」だったのか「戦闘の中」の行き過ぎた行為だったのか、はたまた完全に「合法的行為」だったのかが示されることは少ない。特に物証が示されていることはほとんど無いと言って良い。 物証に関しては戦後60年という時間の流れの中で、散逸し失われてしまったものも多いのだろうと好意的に解釈も出来る。それ故に生存している幾ばくかの人たちの証言や、わずかに残された文献・書類等から類推するしかないのだとも思う。だが「主義の方々」の取り上げる証言は極めて偏向しており、それに対する反証・反論だけでなく他の生存者からの証言すら受け付けないという言語道断な主張も多い。 ここで私個人として彼らに反証すべく、かつての陸軍が本当に「非合理的」「自己中心主義」的な「悪の権化」な組織だったのかについてすこし文献を示してみようと思う。この記事を読んで何らかのインスピレーションを得てくれる方がたとえ少数でも居たならば、それだけでも書く意味があると思い記すことにする。 「排日移民法」というのをご存じだろうか。1924年に米国で成立した法律で、米国の人口調査に基づき各国からの移民の数を比例配分しようという趣旨のものだ。この基準を白紙的に適用すれば日本からの米国移民は年間百数十名になるはずであったが、米国は日本人に対し「帰化不能外国人」という評価を与え、移民そのものを認めない方針をとった。 この事実は当時の日本人の自尊心を大変傷つけるものだった。結果として日本国内で「主要新聞各社」による米国非難の共同社説の掲載、抗議のための割腹自殺、米国映画のボイコット、米人宣教師への嫌がらせなどの動きが見られた。当時まだTVは存在せずラジオは全く普及していなかったから、新聞というのは今でいうところの「マスコミ全般」と言っていいだろう。客観的報道をすべき新聞社が陣頭に立って国民を煽り続けたということである。 こういったマスコミに煽られた国民全般に当時の在郷軍人会も同調し、青年団と同調したデモ、大使館への抗議文送付準備などの動きが起こり始めた。 在郷軍人会とは従軍経験者、兵役終了者だけでなく徴兵検査で「適」と判断された全ての者に会員資格がある組織だった。その構成は正会員約263万人(1931年時点)のうち半数弱の約124万人が現役勤務の経験が無いという異色の組織である。このためその活動内容も軍事協力(基礎教育、知識の普及、遺族救護等)に限らず、農業知識の普及教育、道路灌漑工事協力、援農などの労働奉仕まで非常に多岐に渡っており、その積極的な民生協力の姿勢故に国民からの支持も高く、世論形成への影響力はなかなかに侮れないものがあった。(当時の人口が1億に満たなかったことを考えれば、263万人の重さが判るかと思う)その在郷軍人会が本腰を入れて反米を明確に主張したならば、一般の国民も更にその動きに同調しその動き自体がどんどん増幅され、当時の日米関係は太平洋戦争を待たず破綻していた可能性も否定できない。 常に「悪の権化」「戦前の軍国主義の象徴」と言わんばかりにけなされている軍はこれに対してどのような動きを取っただろうか。実は在郷軍人会を監督する陸軍省は陸軍次官名で以下のような通牒を発し、この一連の動きを「戒めた」のである。「苟モ一時的感情ニ駆ラレ報復的手段ニ出デ無縁孤立ノ居留米人ヲシテ不安ノ念ヲ起サシムル如キコトアラバ実ニ大和民族ノ名誉ヲ汚涜スルノミナラズ国交上ニ至大ノ影響ヲ及ボスベキ虞有之候在郷軍人会会員ヲシテ軽挙妄動ヲ戒メ罪ヲ憎ンデ人ヲ憎マザル我ガ武士道ノ教義ニ訴ヘ深慮自省シ真ニ国民ノ中堅トナリ其ノ本分ヲ尽サシムル様指導相成度」 マスコミの論調の大半は「大和民族の名誉は排日移民法で貶められた」という見解で占められており、それを共同社説という形で広めた結果として国民世論が反米一色に染まりかけていた時代に、あえてこういった通牒を発した陸軍省の対応こそが悪し様に罵られ続けてきた軍組織の持つ「冷静さ」「分別の高さ」、すなわち俗に言う「民度の高さ」を示していると言えるだろう。 今を去ること80年の昔に、ともすれば今に至るまでの間常に「悪の権化」と評され続けた軍組織自体から示されたこの通牒、現代でも十二分に通じるいやむしろ現代社会では失われてしまったのではないかとさえ思えるこの明晰な思考力こそ、我々の父祖の世代が重んじてきた真の「武士道」と「大和魂」の具現なのである。※私が言いたいのは、戦前の軍が常に理性的だったと言うことではない。 理性的なこともあったのだ、ゆえに常に「悪扱い」するのはおかしい、それだけである。【参考資料:修親6月号内記事『「民族の名誉」と「武士道」 戸部良一氏(防衛大学校教授)』による】※「修親」とは陸海空自衛隊に所属する幹部自衛官(及び幹部待遇事務官)の機関誌である。参考URL http://www11.plala.or.jp/shushin/
Jun 20, 2005
コメント(7)
いい加減突っ込みどころしかない興禅氏の新規エントリーに反論記事を付けるのも疲労感に直結となっている状況だが、なにしろご当人は論破されまくったことが怖くて自日記のコメント欄も封鎖している体たらくなのでわざわざこちらに書かざるを得ない。 相手にしないという選択肢も存在しているのだが「相手にしないことでつけあがる輩」というのは間違いなくこの世に存在し、かつ氏はその典型のようなので手間ではあるがこの場にて徹底的に論破しておこうと思う。 念のためにいえば私はこの手の記事を書けば必ず相手方にTBを送っている。最も「主義の方々」がそのTBに反論することさえ出来ず常に存在を抹消していることは百も承知の上でのことではあるが。 さて本文である。まずは軽くタイトルからだ。>自衛隊ごときにのこのこ入る奴は これからして氏の名言「早い話が、喧嘩を売りたいんだろ?」状態なのであるが、これが氏の「高邁な思想」と「高潔な人格」を如実に表しているのだから勘弁しておこう。こういった書き方、文章を見て一般の人はどのような「本性」を持った人がこのBlogを書いていると想像するかそれも判らないのだな、とかわいそうには思うのだが。>無用の長物として、その実体はただの税金泥棒である疑いが全く晴れない陸上自衛隊ですが、 晴れていないのは氏の脳内にかかっている「偏見」「無知」という名の霧ではなかろうか。いや無知は正しくないかもしれない。なぜなら実に多くの人が氏に対して「陸上自衛隊の有用性」「抑止力としての効果」「現実的な使用実例」を事細かに述べていたのだが、それらは全て氏のBlogと(おそらくは)脳内から綺麗さっぱり削除されてしまっているようだからだ。 これは知っていて無視しているか、理解できなかったかのいずれかを示す状況証拠である。これらから考えるに氏は「無知の知」ではなく「無知の無知」を体現する存在であると推定できる。ただし当人が判っていないのが始末に悪いことおびただしい。今まではそれでなくとも長文の私のBlogが更に長文になるのを避けるためあまりにも常識的な事柄は書いていなかったのだが、本当に判らないでいる可能性も考え、できるだけ細かく書くことにしようと思う。 自衛隊が役に立っているかどうかを決めるのは興禅氏ではない。他でもない「日本国民」である。もし自衛隊が氏の言うように「無用の長物」「税金泥棒」であるのならば、当然国民の自衛隊に対する印象は低下することは明白だ。ここで資料として「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」をみてみよう。なお日本の世論調査は中国のようなデータの操作されまくっているようなものではなく、比較的確度の高いものだ。さて平成15年1月に行われた調査によると、自衛隊への全般的な国民の印象は>良い印象を持っている:27%>悪い印象は持っていない:53.3%>良い印象は持っていない:11.2%>悪い印象を持っている:1.6%>わからない:6.8%となっている。 ただしこの調査の時期は微妙な時期である。イラク派遣の話が出る前であるし16年度の怒涛の災害派遣の前だからである。現在ではもう少し数字が変わっている可能性があることを割り引いても、日本国民の大多数は自衛隊に対して否定的印象を持っていないといって間違いなさそうである。この点からも興禅氏が「一般の日本国民とは大きく乖離した思想」を有していることが推察できる。>そんな彼らにぜひ聴かせたい歌があります。ご存じの方も多いと思いますが、故・高田渡さんの「自衛隊に入ろう」です。この歌は下記のページで聴くことができます。 お好きにどうぞ。歌を紹介する前に他に学ぶべきことが山のようにあるでしょうとだけは言っておく。>自衛隊ごときにのこのこ入る奴は馬鹿だと言っているのではないでしょうか。私にはそのように聞こえます。 まず「自衛隊ごとき」などとは歌詞の中では言ってない。もちろん「馬鹿」などとも言ってはいない。客観的に考えて高田渡氏が言いたかったのは「反戦・平和」であり、その思想に対抗・対立するものの代表として現代日本における軍事組織としての自衛隊、その背後にある思想的・政治的動きを揶揄したものと考えるのが妥当である。どこをどう読んでも「自衛隊ごときにのこのこ入る奴は馬鹿だ」などという個人レベルでの誹謗中傷は読みとれない。 反戦・平和思想自体は特に非難されるものではない。自衛官だって戦争はしないに越したことはないと思っているし、平和が一番だと思っているのだ。ただ攻められれば守るそれだけだ。こういった歌が誰にも邪魔されずに歌えたということは、反戦ソングすら自由に歌えない中華人民共和国や北朝鮮に比べていかに現在の日本が「自由と権利」を最大限保証してきたかの好例であるとさえ言える。そしてそういった自由を結果として保証してきたのは氏曰くの「アメリカの犬」である自民党政権であったという歴史的事実の積み重ねをどう考えているのかを氏には確認してみたいところだ。 さて作者は既に故人であるそうなのであえて興禅氏に問いただそう。「作者個人が明記しない表現をあなたはどこから知ったのですか?」根拠もなく「私には読みとれたのだ」というのであれば、まずは「日本国における国語の基礎的教養を小学校レベルからやり直してください」と勧告する。興禅氏の故国ではおそらくそういった基本は教えてもらえなかったのであろうから、基礎知識が欠けていることは大目に見てあげるのでまずは学んでから語ることをお願いしたい。またもし「歌の響きにそういう感じのがあるのだ」というのならば、耳鼻科への通院を強くお勧めする。日本の健康保険証がない場合はかなりの高額の費用が必要だが、氏の故国の病院よりは遙かに高い医療レベルでの治療が期待できるので我慢していただきたい。>国力にそぐわない軍備拡張を行い、それが原因で経済的困窮に陥り大陸侵略を続けたおまぬけで非道な大日本帝国。和平路線を捨て対米英開戦に突入した結果、ハルノートに書かれていたことをはるかにしのぐ被害を国内外に与えた大馬鹿で恥ずべき大日本帝国。 某国ではそういった歴史教育が行われていることは近年の報道で明らかになっていることではあるが、残念ながら偏向教育と偏向報道による偏向発言は、我が国を含む一般国際社会では通用しない。太平洋戦争でお互いに血を流し合った米国や欧州ですら、日本の当時の状況について様々な客観的分析が為されている。そして歴史や思想を語る多くの教養人は氏のような「おまぬけ」「非道」「大馬鹿」「恥ずべき」「糞」などといった言葉は使わない。過去に起こった事実を感情をまじえず客観的に語ることが出来ない人間には、歴史も思想も語る資格がないことをそろそろ認識されたらいかがだろうか。正直な話、低レベルなプロパガンダ工作員としてその正体を徐々にあらわにしていく興禅氏には大きな失望を禁じ得ない。>この糞国家を復活させるべくアメリカの犬(自民党議員)たちは奔走しています。 さて日本において終戦後60年近く政権を担当してきた(短期間の例外はあるものの)、氏曰くアメリカの犬「自民党」は、なぜそれほどの長期間をかけても「新生・大日本帝国」を築くことが出来なかったのだろうか?直接に核と通常戦力の圧力を感じ国家自衛のための行動として理由付けしやすかった冷戦時代にすら、氏の言うような行動は成功していない。勢いのあった時代の共産党・社会党などと政権を争い、そして常に勝利し続けていた自民党はそれすらできないほど無能だったのだろうか。そしてもし自民党がそこまで無能なら、その自民党に負け続けていた共産党・社会党はもっと無能だったのだろうか。そういった無理な仮定を持ち出すまでもなくもっと簡単にすっきり「新生・大日本帝国」が建国されなかった理由は説明が付く。氏がしきりに誹謗中傷するのとは正反対に「自民党にはそういう考えは全くなかった」だけなのである。そしてそれは今も変わってはいない。>皆さん方の中に軍隊に入りたい人はいませんか?>一旗あげたい人はいませんか?>軍隊じゃ人材求めてます>上記は高田さんの歌詞の中の「自衛隊」を「軍隊」に置き換えただけです。そういうことにならないように、良識派は反動派の詭弁をはねのけ日本の舵取りを誤らないようにしましょう。 何度もいうが「良識派」は氏のような言葉遣いは恥ずかしくてできない。そして国語力の乏しいと見受けられる興禅氏に対して、老婆心ながら国語辞典から語義を掲載しておこう。○きべん 0 【▼詭弁】 (1)間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論。道理にあわない弁論。「―を弄(ろう)する」(2)〔論〕〔sophism; sophistry〕人をあざむくため故意に行われる、虚偽の推論。 ご自分の言葉が理にかなっているというのならば、どうかその理を証明できる「物証・証拠」を提示してもらいたいものだ。多くのことを語っているようで何一つ具体的な論拠を示せず、ただ己の頭の中の妄念を垂れ流すようでは到底良識派とはいえないことをまだ判らないのだろうか。 さて、ここをお読みの皆さんに興禅氏がどの程度良識派なのかが判る面白いお話をしよう。私と氏が、焼け落ちる前の旧「命のための会議場」でやり取りをしていた日時をみて欲しい。 (2005.06.06 02:27:11) が私の書き込みに反論できなくなった氏からの「書き込み削除宣言」の日時であるのだが、この日時の前に氏が「自衛隊」に関する日記を書いていたかどうか調べてみて欲しい。読むに耐えない記事ばかりではあるが、「国旗国歌」「天皇批判」等は行っていても直接に自衛隊を批判する記事を書き始めたのはいつか。 (2005.06.06 02:35:05) が掲示板において取ってつけたような発言の日時だ。この発言の中で氏は> 自衛隊の戦力について検証する必要があると思います。とのたまっている。ここで再度辞書を引いてみれば「検証」とは○けんしょう 0 【検証】 (名)スル(1)真偽を確かめること。事実を確認・証明すること。「誤りがないかどうか―する」(2)裁判官などが推理・推測などによらず、直接にものの形状、現場の状況などを調べて証拠資料を得ること。「―調書」→書証(3)〔論〕〔verification〕判断・命題の真偽を実地に確かめること。特に科学では、ある仮説から論理的に導出される結論を、実験や観察の結果と照合し、当の仮説の真偽を確かめること。論理実証主義においては、ある命題が観察命題の集合から論理的に演繹可能であることをいう。となっているが、その後の日記を見ても氏は自説を垂れ流すだけで確認・証明、証拠資料、論理性の一切を行っていないことに気づく。 さらに日記記事の日時を見てみれば、最初の自衛隊批判は>最終更新日 2005.06.08 01:24:13 の「真の国防とは」である。 内容のお粗末さには触れないとしても、この「自衛官である私にやり込められた48時間後に一方的な自衛隊批判」という興禅氏の行動を読者諸氏はどうお考えになるだろうか? その判断は皆さんにお任せする。ただ一ついえるのは「ああいう人間にはなるな」ということであろうか。
Jun 15, 2005
コメント(7)
「それはあなたが望む終戦だ。我々が望む終戦でもなければ、日本が望む終戦でもない。あなたが言ってることは書生論、それも暴力を伴った危険な空論だ。人の本質を見極めたようなことを言っておきながら、近づきもしていない。寂しい男が腹立ち紛れに紡いだ独善、それだけだ。我々はそのようなものには決して膝を折らない。日本がこの先どうなろうとも、かくも卑しく狭い想念によって国の未来が穢される事態は、断固として阻止する!」(中略)「これより《伊507》は、一個人の怨念が歪めた歴史を---日本国の未来を修正するために行動を起こします」出典「終戦のローレライ」福井春敏 最近、知識も無く軍事を語りたがる興禅氏の悪文を見つづけたせいか疲れがたまったので、名作を読み返していたらこのような台詞があった。なんというか今の状態にぴったりである。私に「なぜそこまで彼の日記を取り上げたがるのですか」と質問された方にはこの言葉で返答としたいと思う。終戦を「平和」に読み替えればドンぴしゃりとなる。 北朝鮮の核武装がまたぞろ話題になっている。ミサイルに搭載可能な弾頭の有無には言及を避けたが、彼らが核兵器をブラフに使い日本に対して圧力をかけてくることは想像に難くない。 この米ABCへのインタビューにタイミングを合わすかのように、事前に日本の原発に対するミサイル攻撃への危機感を煽ろうとした者がいる。日本国内に不安をばら撒き、北朝鮮のブラフに乗りやすい世論を醸成しようとしているかのような絶妙のタイミングでである。国内で原発攻撃への不安を煽るとともに、国外からは核兵器のブラフ、この奇妙な符合は何を意味するのか。おりしも北朝鮮はワールドカップ予選で我が国に破れ全敗街道を驀進中である。国威発揚と自国民への奮起を促すため、このような暴挙に出たと勘ぐられても仕方あるまい。 幸いにも「開かれた議論の場」を僭称していた氏の掲示板は、氏自身いわくの「仲間との自慰行為の場」へと移動した。だがまだ悪文と無知と暴論の日記が、相も変らぬ自虐史観と日本の弱体化を目論んで活動している。 最後に繰り返して言おう。「私達は、一個人の怨念が歪めた歴史を---日本国の未来を修正するために行動を起こします。」 いや、あまりにかっこいい台詞なので言ってみたかっただけなんですがね。陰謀史観は好きじゃないけど、思い当たることが多すぎるってのはありますが・・・
Jun 9, 2005
コメント(7)
全119件 (119件中 1-50件目)