ひまわり号人生航海日記
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原始仏典を読んでいたら釈尊が次のように語っているところがありました。「無我であるにも関わらず、自我があると思うのは誤りである」自我というのは魂のことですので、このまま額面どおり読めば魂はないということになります。仏教では魂はないと言っていますので、やはりその根拠はこの言葉にあったようです。しかし前後を読んでいるとそうではないことが分かります。今の仏教が勘違いをしていると思います。それを紹介しましょう。ちょっと話が難しくなるので聞き流す方はそれでも結構です。ブログは言葉のとおり備忘的な独り言です。釈尊は五蘊(色受想行識)は無常であると何度も言っています。五蘊とは人間の体とその体の意識のことをいいます。それは幻想であると釈尊は言っているのです。その体の意識を魂と考えればたしかに魂はないということになりますが、ところがドッコイ、五蘊の外に自我があるというのは当時の常識でした。これはバラモン教からヒンドゥー教にいたるまで一貫した思想です。自我はアートマンの訳で、アートマンはブラフマン(最高原理)と同一のものであり永遠不滅の存在であるというのが当時の哲学です。釈尊もそのことは分っていたはずです。ですから人間は、体、体の意識、魂の意識の三味一体であるとすれば謎は解けます。最初の釈尊の言葉を正確に言い直してみましょう。「五蘊の中には自我が無いのにも関わらず、五蘊の中に自我があると思うのは誤りである。」つまり体の意識を自我と考えては駄目だよと教えていると思います。本当の自我は魂の意識であるということです。したがって魂はあるということです。現在のヒンドゥー教とジャイナ教(釈尊と同じ時期に仏教と同じようにヒンドゥー教から別れていった一派)が仏教を非難しているのはこの点です。ただし、仏教の中でも上座仏教(東南アジア)の場合は魂の存在を主張していますので今の大乗仏教だけが釈尊の言葉を勘違いして伝えているというのが正解ではないでしょうか。
2011年02月17日
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