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2005年大晦日の今日で、ブログ「今日も生涯の一日なり」の連続記入は461日目となった。出張や多忙、体調不良などで記録が途切れる危機はいつも傍にあるという感じだが、なかなか途切れない、というか途切れさせられない。26日以降のインフルエンザで寝ている間もずっと気にかかっていた。きのう読んだ樋口一葉日記は16歳から25歳というからもの心がついてからずっと書き続けていることになる。最近よく訪ねている人物記念館巡りでは、その人の書いた「日記」があれば、買ってくる。作品自体も読まねばならないが、人物の吐息が聞こえる日記や自伝は読み応えがあり、人物を語る上でもっとも貴重な資料である。記録を意識し始めてから、プロ野球の数字に興味を抱くようになった。名球界入りは投手では200勝、長嶋のホームランは444本だから超えたところだ、など、、。こういう数字も継続のための道具立てにもなるようだ。何はともあれ、書くべき内容のある生活をすることだ大事であることは間違いない。昨年の秋から意識し始めた「人物記念館の旅」は、今年1月4日の福沢諭吉記念館から12月25日の松本清張記念館まで70近い訪問となった。私自身にとってこれは一つの革命である。出張や講演時のスケジュールの組み方にも工夫を凝らすようになったし、読書の傾向も明らかに変わってきた。資料や本を買い込んでくるので、読むべき本が書斎の中にあるし、人物を探求するために読むのが楽しみになってくる。地方からの講演依頼があった場合、時間のやりくりが大変なのだが、どんな記念館があるのかなと興味はそちらに向かっているのが自分でもわかる。来年には空白地帯であった佐賀に2度の講演の予定があり、大隈重信などの記念館などを観ることができるだろう。
2005/12/31
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完全現代語訳の「樋口一葉日記」(高橋和彦)を読み終える。16歳(明治20年)から亡くなる25歳(明治29年)までの9年間の日常や想いを綴った作品である。2段印刷で450頁ほどある。「恋と文学と借金」に彩られた作品で、一葉の人となりや考え方、姿勢などがよくわかる。一葉は可愛そうなくらい心のきれいな女性だと思った。一家の責任を果たそうという気概、文学への取り組み、世間というものへの醒めた眼差し、親孝行のための借金、萩の舎という歌塾での稽古の様子、鴎外・緑雨・禿木・露伴などとの交遊、桃水との恋の葛藤、一日10冊を読んだこともある読書の習慣、上野や本郷・竜泉寺を中心とする東京の様子、雑誌への小説の寄稿などの経緯、人々との会話の詳細な内容、地震や雨の多い東京の様子、お金の話、、、、、。・私のは古着ではあっても親からの贈り物だと思うと、ほのぼのと嬉しい思いがする。・思いの溢れることを書き記すことにします。・例によって、小説気違いなので、夜十時まで読み耽って、十冊ほど読む。・図書館は、いつ来ても男子は非常に多いが、女子の閲覧者が殆ど一人もいないのは不思議な気がする。・人間として忍耐ということは、どんな宝よりも立派なものだと思う。・命ある限りはどんな苦しみにも耐え、頑張って学問をしたいと思う。・田中みの子さんが私に「遠慮の姫」と仇名をつけて笑ったりなさる。・思いのままに書き続けて行くと、人のかげ口ばかりのようになって、自分でも何だか情けない思いです。・世間にはどうして、大金持ちで暇をもてあます人が、こんなにものどかに暮らしているのだろうか。・古今の有名な物語や小説を見る度に、自分の文章のまずさが我ながら悲しくなり、、、・今日から小説を一日に一回分ずつ書くのを勤めとする。一回分書かない日は黒点をつけようと定める。・一度読んだらすぐに屑篭に捨てられるような、そんな作品は書くまいと思っているのです。・千年の後にまで残そうとする大切な名声を、ただ一時的な奢りや栄達でどうして汚してしまうことができようか。・私は言いにくかったのですが、思い切って借金のことを申し出たのです。恥ずかしさに顔が燃えるようでした。・一番大切なことは親兄弟の為や家の為にすることです。「韓非子」の「説難」の篇は胸に突き刺さる程の感銘を受けた。・母上に安らかな生活を与え、妹に良縁を与えることが出来るなら、私は路傍にも寝ようし乞食にもなろう。・入るお金は四百字一枚が僅か三十銭になるにすぎない。・恋は尊くもあり、また浅ましく惨めでもある。・夜、家族みなで相談して商売を始めることに決定する。・この世を生きて行くために、そろばんを持ち汗を流して商売というものを始めようと思う。・そして暇ができたら月もみよう花もみよう、興が湧いたら歌も詠もう文章も書こう、また小説も作ろう。・このまま落ちぶれ果ててしまって、一生涯あのお方にお会いすることも出来ず、忘れられてしまって、私の恋は流れる雲のように空しく消えてしまうのだろうか。・すっかり怠けてしまったこの日記よ。・このような時代に生れ合わせた者として、何もしないで一生を終えてようのでしょうか。何をなすべきかを考え、その道をひたすら歩んで行くだけです。・昔の賢人たちは心の誠を第一として現実の人の世に生きる務めを励んできたのです。務めとは行いであり、行いは徳です。徳が積もって人に感動を与え、この感動が一生を貫き、さらには百代にわたり、風雨霜雪も打ち砕くことも出来ず、その一語一句が世のため人のためになるものです。それが滾々として流れ広まり、濁を清に変え、人生の価値判断の基準となるのです。・力もない女が何を思い立ったところでどうにもならないとは分かってはいるが、私は今日一日だけの安楽にふけって百年後の憂えを考えないものではない。・邦子が私のことを「なま物知りのえせ者」と非難するのを聞くと、本当にそう見えるのだろうと恥ずかしい思いです。・何といっても安心できるのは、独り静かに昔の書物などを読むときです。・あの源氏物語は立派な作品ですが、書いた人は私と同じ女性です。彼女が仏の生まれ代わりだとしても、やhら人間である以上、私と何の違いがありましょう。あの作品の後に、それに匹敵する作品が出てこないのは、書こうと思う人が出てこないからです。今の時代には今の時代のことを書き写す力のある人が出て、今の時代の事を後世に書き伝えるべきであるのに、そんな気持ちを持った人が全くいないのです。・才能はうまれつき備わっているもので、徳は努力して養うものです。・紫式部は天地のいとし子で、清少納言は霜降る野辺の捨て子の身の上と言えるでしょう。・世間の毀誉褒貶を超越して、静かに心をこめて筆墨を採る人が果たして幾人いるでしょうか。・何と馬鹿げたことよ、私を世のすね者と言う。あるいは明治の清少納言とか女西鶴とか言う。・世の中はいつも変わるものなのに、変わらないのは私の貧乏と彼の裕福だけ。・まして一時の情に走り酔い、恋の炎の中に身を投げ入れている人々は、やがて相手の心変わりにつらい思いをすることでしょう。・今の私はすべての欲望を棄て去っているので、、・虚名あしばらくの間のことであってやがては消えてしまおうでしょう。しかし、一度人の心に抱かれた恨みは、果たして行く水のように流れ去るでしょうか。・身を棄ててしまったら、世の中の事は何が恐ろしかろうか。・私を訪ねて来る人は十人中九人までは、私が女性であるということを喜んで、もの珍しさで集まって来るのです。・しかし、どうして今さら世間の評判など。
2005/12/30
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「リーダーのためのマネジメント&データ誌」月刊ビジネスデータ(日本実業出版社)での連載「ファシリテーションの技術」の2回目が届いた。今回のテーマは「説得から納得」。ファシリテーションという言葉をこの連載では「協働促進。組織が円滑に動き目標を達成できるように、創造・変革、問題解決、合意形成などを支援すること」と定義している。以下、一部を抜粋。----------------------------------------------今の行政は、説得型行政を行っているように見える。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、しかしここまできたのもいい方で、昔は高札を立てたり、通知を一方的に出したりしていた。お上は命令と告知というやり方で住民や国民を従わせていた。告知型・説得型行政からの脱却が行政改革のテーマなのだ。 デパートに行ってみると紳士服や婦人服売り場では、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、説得ではなく納得、販売ではなく相談、売り場ではなくて買い場と考えなければならない。 立て板に水を流すがごとく商品説明を行うセールスマンは意外に成績が悪い。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、人は人から説得されて財布のヒモを緩めたくはない。納得した上で、自分の意思で、自分の決断で買いたいのだ。家族会議で、旅行を企画する人も多いだろう。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、家族を納得させる方法を持たねばならない時代になった。 会議がまた問題だ。会して議するというのが会議の趣旨だが、議論の方法が未熟なために徒労感と疲労感にあふれた時間となっている。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。 人間は説得するのは好きだが、説得されるのは嫌いな動物である。様々な分野で、こういう人間の心理や人間に対する理解が浅いと見える。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、だから残業を重ねた準備万端で想定問答まで用意した仕事は、説得型と映って挫折する可能性が高くなる。説得ではなく納得して実行してもらうことがリーダーの仕事なのである。
2005/12/29
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北九州の小倉城脇に立つ地上2階、地下1階の松本清張記念館を訪ねる。床が磨きこまれていて、手入れの行き届いた素晴らしい記念館である。自宅を模した建物が一階と2階から見れるようになっている。放映しているビデオは、縁のあった編集者たちが語る松本清張を流していて興味深い。この作家の作品は映画化されたものが多いが、そのいくつかを上映もしている。読書コーナーも設けてある。作品もたくさん用意されており、好きなものを買うのに困らない。今までみた記念館でも最上の記念館のひとつである。入り口には北九州市と縁の深い作家の一覧が掲示されていた。平野啓一郎、佐木隆三などの名前が見えるが、松本清張(1909-1992年)の知名度が群を抜いている。清張は44歳まで小倉に住んだ。1月18日にはテレビで「砂の器」のドラマが放映されるとのポスターも貼ってあり、作者は亡くなっても作品は生き続けるのだと感じる。作家活動40年の間に書いた作品は長編・短編を含め実に1000編に及ぶ。著書は700冊。全著作がステンドグラスのように展示されている趣向にも感心した。42歳という遅い出発だったにもかかわらず、この量と質だから、常に時間との戦いということを意識していたのもうなずける。出来合いの分野の垣根を軽々と越えてあらゆるジャンルに関わりながら書き続けた。分類では、歴史・時代小説、自伝的小説、評伝的小説、推理小説、自伝・エッセイとなっていた。邪馬台国論争などにも関わり、歴史学者の心胆をさむからしめたり、とにかく守備範囲が広い。直木賞受賞作となった出世作 或る「小倉日記」伝 は、最初は直木賞候補だったが、芥川賞に回されてことをみても一つの型にはめられないところがあったようだ。清張の文学を「脱領域の文学」という評もある。主題によって小説の形式を決定し、表現方法を考えるという作風で、フィクション、ノンフィクション、評伝、古代史、現代史とあらゆる分野を跨いでいった国民作家である。15才電気会社の給仕、19歳印刷会社の見習い職人、24歳オフセット印刷所見習い、28歳朝日新聞社九州支社広告版下係、33歳正社員、35歳第24連隊、39歳朝日西部本社広告部意匠係、そして41歳週刊朝日懸賞小説「西郷札」で3席入選、44歳「或る 小倉日記 伝」で芥川賞受賞、東京への転勤を経て47歳朝日新聞社を退社し作家生活へ、49歳「点と線」がベストセラー、50歳「帝銀事件」、51歳「日本の黒い霧」、52歳所得番付作家部門1位、55歳「昭和史発掘」、、、、。清張は「好奇心の根源とは?」との問いに、「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる」とビデオの中で語っている。13才下の同時代の巨人・司馬遼太郎は鳥瞰的手法を用いた作家であるのと極めて対照的な作風である。膨大な作品群を歩いていて感じるのは、小説のタイトルがいいということだ。「砂の器」「神々の乱心」「ゼロの焦点」「点と線」「黒の回廊」「日本の黒い霧」「けものみち」「昭和史発掘」、、、。「当時の制度下で生きる人間を描くことは、現代の組織の中で息する人間を描くことになる」現代史の分野では「日本の黒い霧」で占領下の12の事件を追求している。帝銀事件、下山事件、造船疑獄、昭電疑獄、、。ここでも「先入観を持たず、権威や学問をまず疑ってかかる」ことを述べている。堅固な構造のストーリー・スピード感のある展開・絶妙に語られる人間や風景の描写・これらの要素が織り成す小説的リアリティ。「思索と創作の城」というテーマで杉並区高井戸の自宅を模した建物がこの記念館の中にできており、書庫4つ・応接室のある1階、書庫4つと資料室、そして書斎のある2階がそのまま外から見ることができる。書斎は、亡くなったその日のままにしてあるそうで、スケジュール表も見ることができる。付き合っていた編集者達が語る清張のビデオ「清張の残像」も面白かった。以下は中央公論社、光文社、新潮社、朝日、講談社、文藝春秋社などの敏腕編集者たちの清張を巡るエピソードである。 命と時間との競争だ・調べものには厳しかった・緊張感がありいつも真剣勝負だった・時間がない。他の作家がゴルフなどをやるのは信じられないと語っていた・自らを奮い立たせた人だった・とほうもないエネルギーを持つ怪物だった・書くことが多すぎると語っていた。また、自宅を上空から空撮で覗く映像から入り、家の中をカメラがずっとゆっくり映していくビデオも用意されているなど、この記念館はソフトに工夫が行き届いていると感心した。書庫には3万冊の蔵書が収納されている。世界の名著・日本の名著・人物伝など全集ものが多い。これらは執筆時に辞書として活用していたものだろう。エレベータで地下に降りると、読書室、レストラン、売店がある。読書室には机と椅子が6脚、7-8人がけのソファーがあり自由に備え付けの作品を読むことができるようになっている。面白い調査記事がその読書室に貼ってあった。毎日新聞の2004年10月26日の記事である。第58回読書世論調査の「好きな作家」(一人で5人挙げる)という結果が出ていた。芥川賞では、1位松本清張(22%)、2位遠藤周作(17%)、3位井上靖(13%)、4位石原慎太郎、5位田辺聖子、6位北杜夫、7位大江健三郎、8位村上龍、9位石川達三、10位柳美里。直木賞では、1位司馬遼太郎(17%)、2位五木寛之、3位向田邦子。この松本清張と司馬遼太郎は様々な面で興味深い比較ができるようで、両方と近い関係にあった編集者で後に作家となった半藤一利が「清張さんと司馬さん」というエッセイをものしていた。ローアングルの清張はデビュー作から最晩年の「両像・森鴎外」まで一貫して鴎外に興味を持ったのに対して、ハイアングルの司馬は晩年には漱石を懐かしむようになった。「けものみち」「推理小説作法」「或る 小倉日記 伝」「両像・森鴎外」「松本清張全集65巻 清張日記」などを買い込む。「歳をとって、よく人間が枯れるなどどいい、それが尊いようにいわれるが、私はそういう道はとらない。それは間違っているとさえ思う。あくまでも貪欲にして自由に、そして奔放に、この世をむさぼって生きていたい。仕事をする以外に私の枯れようなんてないんだな」。最後まで駆け続けた松本清張らしい言葉である。20代の頃に「けものみち」(久恒という刑事が出てくる)や「顔」という映画を読んだり観たことがある。そしてあの独特の風貌をテレビなどで見たことを覚えているが、その当時は強い印象を受けなかった。しかし、今までの持っていたイメージをはるかに超える大型の作家、あるいはそれ以上の巨大な知性を感じる訪問となった。小倉城の入り口に建つという絶好の位置取のこの記念館は清張の全生涯と全仕事を素晴らしいハードと様々な工夫を凝らしたソフトで凝縮して見せることに成功している。
2005/12/28
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今年は10日ほど前に注射を打ったのだが、九州でインフルエンザの菌をもらってしまった。効果が出る前にかかってしまったということだ。39度の熱。熱は下がってきたが、菌をばらまかないようにここ数日は直っても出歩かないようにしないと。
2005/12/27
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本日26日発売の雑誌「プレジデント」の「365日の走り方」の「手帳、PC、メモ、ノート」サプライズ活用塾の中で、1ページ強紹介されている。「やるべきことを図解化する」というタイトル。私のホームページ「図解Web」を中心とした説明。自らのホームページを「もう一つの脳」という久恒氏。トップページに図解で表示しているのは久恒氏自身。このサイトを日々眺めることで「人生を意識化する」のだという。図解Webの写真、顔写真付きの記事。
2005/12/26
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北九州の小倉城脇に立つ地上2階、地下1階の松本清張記念館を訪ねる。床が磨きこまれていて、手入れの行き届いた素晴らしい記念館である。自宅を模した建物が一階と2階から見れるようになっている。放映しているビデオは、縁のあった編集者たちが語る松本清張を流していて興味深い。この作家の作品は映画化されたものが多いが、そのいくつかを上映もしている。読書コーナーも設けてある。作品もたくさん用意されており、好きなものを買うのに困らない。今までみた記念館でも最上の記念館のひとつである。以下、続きは別途書き込みをする予定。
2005/12/25
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国家の品格(新潮新書)新田次郎と藤原ていの次男で、大学教授の藤原正彦が書いた日本人論。講演のテープ起こしに全面的に手を入れた文章なのでわかりやすい。同じ新潮新書の養老先生の「バカの壁」と同じように、話言葉で書いてある。ふぬけた日本を叱る本。武士道が一つの鍵という見解には同意見だ。神道・仏教・儒教とが融合して日本人の魂ができあがっているという考え方は、100年前に新渡戸稲造が「武士道ーー日本人の魂」で指摘している。大人が時代におもねらず言うべきことを言ったという本だ。下流社会(光文社新書)日本の中流社会が崩壊し階層格差がひろがり、少ない「中の上」と多い「中の下」に分裂しつつあるというテーマを、統計を駆使して消費性向から論じた本。階層を分ける鍵は「コミュニケーション力」と言っており、私と同意見だ。買うもの、食べるもの、観るものが違う。学校が違う。交流する範囲が違う。結婚する相手の階層が固定する。階層分化が少子化の原因。数字と諧謔の利いた解説は説得力がある。
2005/12/24
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13時10分予定の飛行機が約1時間遅れで仙台空港を出発し、福岡へ。一周忌は11時からだったので間に合わないが、箱崎で2時間近くいて、故人を偲んだ。その後、SONIC号で中津へ。夕食は実家で摂る。
2005/12/23
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明日が知人の一周忌なので、夜の便で福岡に飛ぶ予定だった。列島が大寒波で凍える中、車を運転して東北自動車道で仙台空港に向かう。途中で雪が降ってきて、吹雪になる。1時間半前に何とか空港に着く。カウンターでは「40分遅れになりますが仙台空港は何とかもつでしょう」とのことだったので、ワインを飲みながら食事。搭乗ラウンジで待っていると、強風のため機材が到着できずに欠航になる、とのアナウンスがあった。明日の便は、朝の便がすでに満席になっており、昼過ぎの便に乗るしかない。酒を飲んでいるので、自宅に車では戻れない。空港近くに泊まるか、バスで仙台まで戻って泊まるか、自宅に戻るか、、、。結局、バスで館腰というJRの駅へ。上り列車がなかなか来ない。時間通りに運行していない。福島県から来るので雪のため遅れている。30分近くこの無人駅で待って仙台駅へ向かう。仙台駅のホームは人であふれていた。仙台駅からは地下鉄で泉中央へ。そこからタクシーで自宅というルートでやっと帰り着いた。明日の天候はどうだろうか。
2005/12/22
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連載中の「人物記念館を訪ねる旅」の第4回。 岡本太郎---「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ」 2005年の愛知万博からさかのぼること35年、アジアで初の万博だった1970年の大阪万博のプロデューサーは岡本太郎(1911-1996年)だった。大学時代にあらゆる「選択」に悩んでいた時、岡本太郎の「原色の呪文」という厚い本を読んだ。その中に、私の迷いを解決する言葉があった。「迷ったら、失敗する可能性が高い方、自分がダメになる方を選べ。そうするとエネルギーが湧いてくる」。この言葉で、どちらを選んでもでもいいんだと思って気が楽になった。 中略東京青山の骨董通りの近くの一角にある素敵な建物が「芸術は爆発だ!」で知られる岡本太郎記念館である。自宅とアトリエを兼ねていたが、生前そのままに公開している。中略庭には、「座ることを拒否したイス」というテーマの椅子が17脚ある。そう言われると逆に座りたくなって(そういう気落ちにさせるのが目的かもしれないが)その一つに座って庭を観察する。中略 縄文文化の発見者であった岡本太郎は、過去と未来とを橋かけるという、もっとも創造的で現代的な課題に取り組み素晴らしい業績もあげた。だがこの人の場合、岡本太郎という人間の傑作が現われたことに高い価値がある。岡本太郎のどんな仕事を語っても結局は岡本太郎論になってしまうという不思議さ。「なれるなら岡本太郎になりたい」と石原慎太郎が語っているほど魅力的な岡本太郎は、あの「太陽の塔」のように日本人の中でただ一人屹立している。
2005/12/21
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朝から会議や学生との接触が多かったが、夜はみやぎNPOプラザ(県の施設)での2時間の講演と実習。対象はNPOの幹部が中心。プラザで担当者と会ったら、宮城大学OBの佐々木ひとみ君だったのでビックリ。副館長という肩書きだった。一時私の研究室で手伝ってもらっていたが、岩手県立大学大学院に行き卒業し、1年たった頃だとか。「男の台所」「多賀城民話の会」「多賀城市民スポーツクラブ」「水環境ネットワーク」「ソキウスせんだい」「みやぎ生涯学習インストラクターの会」「職人集団住改善」「みやぎNPOプラザ」「杜の伝言板ゆるる」「日本盲導犬協会」「呆けたらいかん 豊かに老いなはれ」という団体の人たちだった。このプラザの運営を委託されている館長さんも宮城県の県民サービス向上委員会で一緒に仕事をした人で、宮城大学の大学院にも通っている人である。私の関与しているNPOは仙台市のNPOセンターにブースを持っているが、ここは少し不便だが、駐車場があるので、便利。障害者団体などにも便利らしい。元の県立図書館跡だ。
2005/12/20
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知的生産の技術」という講義の今期の11回目の授業。この授業では「自分史」を書くというテーマを課している。ゲスト講師は八木さん。 作文より作品 自分ってどういう人? 身の上話 他人の話は面白い・自分の話も面白い 自分を書くには、他人を、周りを書く 自分を書くには、時代を書く 自分との接点で時代を書く どんなことが山場としてあったのか 自分をできるだけ客観的に書く、ただし主観的な自分と自己分裂に陥る うそを書かない、ありのままを書く できるだけ長く書く ネタには不自由しないはず トラウマのある人は殻から出ないと新しい自分が始まらない学生たちは八木さんの人柄に魅了されていました。
2005/12/19
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午後から、宮城大学OBの蔡社長、石巻の事業家・佐々木社長、大手IT企業のM部長、知研の八木会長と石巻で遊ぶ。佐々木さんのやっている本格中華料理を堪能、よく行き届いた施設の岩盤浴を試す、MYROOM石巻というビジネスホテルに宿泊。
2005/12/18
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「半落ち」、「震度ゼロ」など多作な人気作家・横山秀夫の書いた「クライマーズ・ハイ」は読んだことがある。1985年の日航機事故に対応する地方新聞社(上毛新聞がモデル)のデスクを主役とした物語で、新聞社の内部事情や記者魂や仕事への取り組みを考えさせる傑作だった。この事故には当時、内部に居た私にも様々な感慨があるが、外から眺めるとこういうこともあったのかと感銘を受けたことも想い出す。山男が、ロッククライミングの中で感じる至高の瞬間をクライマーズ・ハイという。ランナーズ・ハイという言葉と同じで、ある苦しみを超えると短いが素晴らしい瞬間が現われる。実際の登山でのシーンや仕事上の苦しみを超えた時点など、クライマーズ・ハイと思われる部分があった。横山秀夫はタイトルの付け方がうまい。この作品が長いドラマとなって放映された。昼間は社会人と留学生対象の特別入試だったのでずっと大学にいて前半は見ることができなかったが、夜の後半部分は見ることができた。主役の日航全権・佐藤浩一や他の配役も熱演している。
2005/12/17
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真夜中の午前3時半頃、突然家が揺れた。いよいよ宮城沖地震か、震源地は関東だったら偽装マンションはどうなるか、というような考えが頭をよぎる。ラジオをつけると、震源地は宮城県沖で、海に面した石巻あたりが震度4で、仙台は震度3とのことだったが、体感ではもっと大きかった感じがする。深夜で静かだったからだろうか。出張の多い東京が大地震の周期に入っているし、住んでいる仙台が宮城沖地震の周期に入っている。どこで地震に遭遇するだろうか。二つとも遭うか、どちらかで遭うか、どちらにも遭わないか。どれだろう。
2005/12/16
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PHP誌の姉妹誌で女性向けの雑誌のPHPスペシャルの12月10日号でインタビューを受けている。この号は「決断」がテーマで、私は図解を使った決断について語った。女性向けの雑誌でも最近、図解の記事が多くなってきた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【特集】いいことが起こる人の決める!技術 -うまくいく人の決断の仕方を盗め! ■巻頭インタビュー 優香さん ――うまくいくと決めて決断すれば必ずうまくいく! ■特集すごろく/決断力アップのヒントをお教えします! あなたの「決断力」を測定しよう! ■ダメで元々と石橋を"飛ぶ"勇気を! 黒木 瞳さんにみるいいことを起こす決断術 ■いつもうまくいく人の相談術 決断上手は相談がうまい! -監修・大野 裕 ■悩み続けないで、スパッと決める! 大事なことは直観で決めよう! -監修・福島哲史 ■特別寄稿/焦って決めて、ゆっくり後悔しないために 「決められないとき」の過ごし方 -文・中山庸子 ■悩みのタネがスルスルほどける! 図で考えれば決断はうまくいく! 久恒啓一 ■特集インタビュー ・信頼できる人の声を聞く! -桜沢エリカさん ・責任を背負う「覚悟」があるか!? -辻口博啓さん ■もう後悔しない!スピート決断術9 -文・粟生こずえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2005/12/15
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4年生の卒論の締切り日だったので、朝からバタバタしていた。内容はもちろんだが、様式のチェック、文章量の確認などもしなければならない。全員に現時点での指示を出したが、年末に全部読んで、書き直しの指示を出し、最終的に年明けの中旬に完成させるというスケジュールだ。今年のゼミ生は4人。いずれもサムライだ。進路は以下のとおり。東北大学大学院文学研究科明治大学法科大学院宮城大学大学院事業構想学研究科宮城大学大学院合格後辞退、小説家デビューを目指すーーーーーー河北新報の一面広告欄に「図で読み解く!ドラッカー理論」(かんき出版)の広告が載っていたのを発見。
2005/12/14
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ある私立大学の先生(70歳)から葉書が届いた。定年となり、自分のやりたいことを強く意識し、世事に煩うことをやめたいので、年賀の挨拶はしない、よろしく、という内容だった。シャーロックホームズの研究家で名高い河村幹夫先生である。三菱商事時代に日本エッセイスト賞をとり、取締役にも昇任したが、自ら大学教授へと転身した方だ。2度目の定年(一度目は自主定年)ということになる。ビジネスマン時代は、この方の生き方に共感を持っていたので、その後も時々お目にかかっていたり、年賀状でのやり取りをしていた。私も、早々と今年は年賀状を出すのを止めることにしている。毎年、数百枚の年賀状のやり取りをしているが、その労力は膨大にもかかわらず、多くは儀礼的なもので、年に一度の交流が多くなってしまっている。まず、ここ数年ネット時代の中でホームページ、メルマガ、ブログといったメディアに挑戦してきており、この世界での知り合いが多くなってきたので、年賀状の役割はこういったメディアで代用したい。メルマガには、知人の多くに登録してもらっているので、漏れる人はそう多くはない。むしろやり取りをする人が増え、人との縁が広がっていくということになる。また、大切な友人や先輩、先生に対しては手紙や葉書で一人一人に近況をきちんと知らせるようにするなど交流を強めていきたい。人との縁が深くなっていくということになる。親戚に関しては、家族で写った写真を載せた年賀状を送るのが我が家のならわしとなっているがこれは継続する。子供二人の成長や夫婦の状況も、この写真年賀状を見ればわかるから、親戚には好評だ。我が家の歴史にもなってきているので続けられるだけ続けていきたい。
2005/12/13
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今まで行った人物記念館の訪問の日本地図を眺めていると、空白地帯があることに気づく。東北でまだ記念館を一つも訪問していないのは秋田県だ。秋田には誰がいるのか調べないと思っていたら、毎週月曜日に届けられる週刊「司馬遼太郎 街道をゆく」の今号が、「東北の巨大な精神 秋田県散歩」だった。「奥州・羽州には、しばしば 人間の蒸留酒 とおもわれるような人がいる」と述べた司馬遼太郎は、青森県の陸かつ南、岩手県の原敬、宮城県の高橋是清、そして秋田県の狩野享吉、内藤湖南を挙げている。狩野の説明は「明治期の非専門的な大知識人」、湖南は「明治期の新聞論説筆者」である。人間の蒸留酒は、「透きとおった怜悧さ、不都合なものへの嫌悪、独創性。精神の明るさ。独立心。名利のなさ。もしくは我執からの解放といった感じである。明治の薩長型のように、閥をつくってそれによって保身をはかるというところがいっさいない。」との説明だ。狩野享吉は漱石より2つ上の1865年生れ。大館出身。四高教授、五高教頭、一高校長(34歳)、京都帝大文科大学長(42歳)、44歳依願退職、以後古書にうずもれて暮らした。東北大学図書館に10万8千冊の狩野文庫がある。歴史の中に埋もれていた安藤昌益を発見している。内藤湖南は、狩野より1つ下の1866年生れ。鹿角出身。「湖南は世界の古今をおおう感覚をもっていた」。狩野推薦でジャーナリストから京大教授になり、東洋史学を確立した京都支那学派の祖師。東北での次のターゲットは秋田としよう。
2005/12/12
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ネット・オークション ヤフー・オークションを初めて使ってゴルフのドライバーを、その時点の最高価格で注文してみた。欲しいものはいくつも出ていて、時間、価格、信用等の関数で選べるようになっていて面白い。そして気になって他のオークションの情報量がどのくらいかと調べてみた。オークションに出ているクラブの本数だけで比較すると、ライブドア19、楽天974、yahoo39359ということだった。つまり、楽天はライブドアの50倍、yahooはその楽天の40倍、ライブドアの2000倍となる。だから商品はヤフーに集中し、一人勝ちになっていくという構造だ。最近のライブドアや楽天の性急な動きは、こういうところからも理解できる。ヤフー以外は商売になっていない。カラリオ・プリンタ PMーA890 コピー・ダイレクト・スキャナ・プリンタという多機能写真プリンターを買った。デジカメで撮影したメディアから直接写真のプリントができる。説明を聞いて技術の進歩の速さに驚いた。ネガフィルムがデジタル化できて永久保存可能になる。いい映りの写真だけをプリント。そして安い。写真スタジオもこれでは廃業や業態変革をするところが出てくるだろうと推察する。SONY-WALKMAN NW-A608 3行表示可能な有機EL搭載・3分充電3時間再生・50時間連続再生・FMチューナー搭載・USB対応。2ギガ。出張時の新幹線で音楽を楽しめるスティック型音楽再生装置。録音していた講演も聴けるということだから楽しみだ。
2005/12/11
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土曜日はゴルフの予定だった。8時49分に予約してあった西仙台カントリー倶楽部は前日夜の雪で、使用不可能になったとの連絡が朝入り、急遽、泉パークタウンゴルフ倶楽部を10時に予約し直して向かう。9時半頃から練習グリーンでパッティングの練習をするが、なかなか調子がいい。少し遅れていて、コースに出る30分前あたりから雪が降り出して、みるみるグリーンが白くなってきて、富田さんと相談してやめることにした。おさまらないので、S-ingアカデミーというゴルフスクールを予約してフォームを見てもらったが、的確なアドバイスをもらった。昼食後、十字屋の屋上にある練習場で打つ。先ほど貰ったアドバイスで修正したフォームで打つと不思議によく当たる。何か希望が出てきたような気がする。雪のためにコースに出れなったが、結果的にはよかったことになった。今年の冬は、スクールでフォームから直したい。雪が積もり、今年初積雪となった。家の前の公園の雪景色がきれいだ。
2005/12/10
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11時24分の新幹線で東京へ。14時から最高裁で講義。17時56分の新幹線で仙台へ。日帰り。昨年末から裁判所での講演が多くなってきた。最高裁判所、東京高裁、仙台高裁、宇都宮地裁。2009年からの裁判員制度導入で、感度が高くなってきているとの印象。
2005/12/09
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午前中は、東京で大学の仕事。午後は、仙台のエムジョイという人材企業の新社屋移転記念会で講演を行う。この会社には宮城大学の卒業生が3人いる。「企業活性化のドラッカー理論」というテーマで、仙台を中心とした企業の経営者や人事担当者が聴いた。新幹線に乗る前に東京ブックセンターをぶらついたが、ドラッカーの棚があり、多くの本が並べられていて、私の「図で読み解く!ドラッカー理論」も置いてあった。終了後は、パーティにも参加。
2005/12/08
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8時:大学に出勤9時:秘書と打ち合わせ10時:来年度赴任予定の二人の助教授のアテンド12時:臨時学科会12時20分:臨時教授会14時20分:2年生へのゼミ説明会15時20分:学科会18時24分の新幹線で、東京へ羽沢ガーデンで会食。明朝の仕事のため宿泊。
2005/12/07
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近隣の高森中学校の1年生3人の男子生徒が11時に来訪する。大学教員とはどんな仕事をしているのかというテーマでの来訪で、昨年から2度目だ。初めは研究室の本やファイルボックスを見学して、その後は質問を受けながら話をする。途中からは、図の面白さについて描きながら説明したり、実際に彼らに「自分を巡る人々」をテーマに描いてもらった。お昼の弁当も研究室で食べてもらうなどゆっくり接した。最後に、私の著作から1冊ずつあげるといって選んでもらう。彼らは「頭のいい子は図で育つ」「図で考えれば文章がうまくなる」「勉強してはいけない!」の3冊を選んだが、最後の本は誤解の無いように説明はしておいた。午前は会議2つ。午後1つ。夜は、NPO法人知的生産の技術研究会仙台のセミナーで日本経済新聞仙台支局長の篠原さんに「編集する」というテーマで語ってもらった。その後の懇親会も盛況だった。
2005/12/06
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6日の河北新報朝刊に中経出版から出た本の広告が載っている。1890円。「企画立案・集客からあとかたづけまで 地域振興に役立つノウハウ満載」「ボランティア活動に知恵と活力を与える本!」「宮城大学教授 久恒啓一先生 推薦!」という言葉も載っている。以下は、表紙の裏のソデに載せた推薦文。------------------------------------------------------------------仙台は祭りの盛んな都市である。七夕祭り・青葉祭りに加えて、SENDAI光のページェントや定禅寺ジャズフェスティバルなどの新しいイベントが市民の手で行われ、街に活気と潤いをもたらしている。新興のイベントを支える仕組みの高度なノウハウ化によって、組織運営や方法論や伝統を改めて意識にのぼらせた「SENDAI 光のページェント」は更に一段の発展をみるはずだ。この本は仙台・宮城・東北、そして全国の志ある人たちに勇気と希望を与えることだろう。-------------------------------------------------------------------
2005/12/05
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京王線蘆花公園駅で降りて徒歩15分で蘆花公園に着く。蘆花は「美的百姓」と称して晴耕雨読の生活を送った。蘆花が恒春園と名付けた自宅の後でが現在では公園になっていて、私鉄の駅の名前にまでなっている。兄の蘇峰の住居後も公園となっている。蘆花が植えたモウソウチクの林やクブギ、コナラなどの雑木林が紅葉で美しく、武蔵野の面影が残っている。この公園には、20年間住んだ徳富蘆花旧宅と蘆花記念館がある。蘆花記念館には、身辺具、小説などの作品、原稿、農工具などの遺品が並べられている。徳富蘆花(1868-1927年)は、本名は健次郎。熊本県水俣の惣庄屋兼代官をつとめる名家に生まれた。5つ違いの兄が蘇峰(徳富猪一郎)である。少年期に京都同志社に学び、いったん熊本に戻った時期にキリスト教に入信する。後に同志社に復学したが、新島襄の義理の姪との恋愛をとがめられて、上京する。兄蘇峰の経営する出版社・思想結社、民友社に加わる。同社の「国民新聞」「国民之友」などに原稿を寄せ、1898年(33歳)に書いた代表作の不如帰(ほととぎす)は、実に50万部の大ベストセラーとなり一世を風靡した。この本は、大山巌の長女信子とその嫁ぎ先との不和を題材としたもので当時の人々の共感を呼んだ。日清戦争を契機に、蘇峰が平民主義的な立場から国家主義へと思想的立場を転じていく中での思想対立があり、1903(明治36)年には民友社を去り、自費出版した「黒潮」の巻頭に、兄との決別を告げる「告別の辞」を掲げる。その後、富士山登頂中に人事不省に陥り、回復の過程で「再生」を体験する。パレスチナへの巡礼とトルストイ訪問などを経て世田谷の粕谷で半農生活に入る。1906年(39歳)にはトルストイ邸には5日間滞在し、農業生活をすすめられている。晩年のトルストイと一緒に馬車に乗った貴重な写真も見ることができる。トルストイから「君は農業をして生活できないか」と助言を受けている。「世を照らす光はこれと人知るや 翁が窓のともし火のかげ」との歌も詠んでいる。1911年には一高(新渡戸稲造校長)において「謀反論」を講演し、物議をかもす。そして1919(52歳)年には愛子夫人を伴い世界一周の旅にも出ている。1911年の一高弁論部の河合栄次郎・河上丈太郎らの要請で行った演説「謀反論」の資料をみると、「幸徳君(幸徳秋水)らは時の政府に謀反人と見做されて殺された。が、謀反を恐れてはならぬ。、、、」から始まっている。そして「新しきものは常に謀反である」との言葉が続いている。この講演は大きな問題となり、校長の新渡戸らは処分を受けている。「人間は書物のみでは悪魔に 労働のみでは獣になる」ベストセラー作家、文豪という名声が負担になって、納得のいく作品を書くこと、自分にしか書けないものを探し回った。「トルストイは30代で『戦争と平和』を書いた。おれは50代でやっとおれのモニュメンタルワーク(金字塔)に着手しようとしている」蘆花は1927年に永眠しているが、療養先の伊香保において絶縁していた蘇峰と対面し、和解する。そしてその夜に永眠する。享年は数えで60歳、満58歳だった。兄蘇峰は95歳までの長寿を全うしたのに比べるといかにも若い死である。この蘆花記念館でも、資料らしきものは売っていない。わずかに、蘆花恒春園の絵葉書、「急がじな楽しみ積まむ父の秘す いのちの書(聖書のこと)を日に一葉づつ」という短歌、そして「天皇陛下に願ひ奉る」と題した幸徳秋水らの大逆事件の首謀者とされた12名の助命を嘆願した書を売っているのみである。
2005/12/04
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徳富蘇峰(1863-1957年)は25歳の時に日本最初の総合雑誌「国民の友」を発刊、続いて28歳の時に「国民新聞」を創刊したジャーナリストである。国民の友は、政治・社会・経済及び文学の評論を目指して、平民主義を唱えており、国粋主義の「日本人」と論壇を二分した。この蘇峰の足跡を訪ねて大田区立山王草堂記念館を訪問した。明治維新を書くという志を持った蘇峰は織豊時代にまで遡るべきという考えから、世界最大の著作「近世日本国民史」全100巻を書いた。驚くべきことに、この畢竟の大作は56歳から90歳までの実に34年間を費やしている。56歳では第1巻「織田氏時代」、そして100巻が「明治時代」である。総ページ数42,468ページ、総文字数は19,452,952でギネスブックにも「最も多作な作家」とある。この間、毎朝5時に起きて原稿用紙17万枚を埋めた。旅行に際しても史料をつめた大きなカバンを持参して旅先でも、病中でも、そして家族の死亡でも執筆を継続している。三叉神経病、眼病を患った80歳の時には「本日ハ顔面神経病尤モ劇。ソノ為めシバシハ筆を投シ、漸ク之を稿了セリ。後人ソノ苦を察セヨ」と第83巻執筆時に述べている。蘇峰は交遊が広い。与謝野晶子、鳩山一郎、緒方竹虎、佐々木信綱、橋本関雪、尾崎行雄、加藤高明、斉藤茂吉、土屋文明、賀川豊彦などの名前と手紙などの資料が飾ってある。古希の祝いの時に与謝野晶子が歌を詠んでいる。「わが国のいにしへを説き七十路(ななじ)す 未来のために百歳もせよ」「高山のあそは燃ゆれど白雪を置くかしこさよ先生の髪」。多くの人に尊敬された学識、人柄を偲ばせる。蘇峰は1924年大田区大森の山王の地に居宅を建て、山王草堂と命名して、起居する。草堂の隣には蘇峰が収集した和漢書10万冊を保存した成き堂文庫も設けられた。鉄筋コンクリート3階、地下1階の堂々たる書庫で、この資料を使ってライフワークである近世日本国民史を書いたのである。名前は蘇峰の祖父徳富美信へ頼山陽が書いた言葉を使った。蘇峰の本名は徳富猪一郎といったが、若い頃の写真を見ると、大きく聡明そうな眼を持ったさわやかな青年だった。また70歳代、80歳代の晩年の顔もその学識や人柄を感じさせるいい顔をしている。蘇峰の記念館は5つもある。熊本、水俣、大田区山王、二宮、山中湖。そして生誕記念館は益城町、水俣市にある。記念館の中に展示された建物は、山王草堂の2階部分を復元したもので、蘇峰の書いた本などが展示されている。記念館で蘇峰関係の書籍を求めたが、売っていない。熱心に書籍を売る記念館もあれば、そっけない記念館もある。この記念館は後者の方だ。展示してあるものを列挙すると、「蘇峰自伝」(徳富蘇峰・日本図書センター)、「弟 徳富蘆花」(中公文庫)、「近世日本国民史」、「近代日本人のアメリカ観」(沢田次郎・慶應出版会)、「吉田松陰」(岩波文庫ワイド版)。蘇峰は、総合雑誌や新聞を発刊したが、28歳で同志社大学創立に尽力、34歳でトルストイ訪問、49歳貴族院議員、63歳帝国学士院会員、75歳帝国芸術院会員、81歳文化勲章、92歳水俣市名誉市民、熊本市名誉市民と、活動範囲が広い。そしてライフワークである大著作をを56歳からはじめ90歳で完結したという偉業に感嘆する。高齢化時代に生きる私たちに勇気を与える生き方でもある。いったい蘇峰とは何者であるか。蘇峰という人物は、思想や行動があまりに変化に富んでいるので、なかなかその全貌をとらえることができない。「維新以前に於いては尊王攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり」(日本国民の活題目)とその思想は時代とともに変化している。蘇峰はつねに時事に即して最良の歴史的対策と選択を構想しつづけた歴史思想家であったのではないかと指摘している書もある。変化する時代の潮流の中で、日本の進むべき道を構想し続けた人だと言えるかもしれない。草堂のある記念公園は、山あいにあり美しい紅葉に彩られていて、訪ずれる市民も多い。大森から馬込にかけての地図が公園の入り口に掲示されている。この付近は九十九谷と呼ばれたほど起伏の多い土地だが、馬込文士村とも呼ばれている。「馬込放送局」と情報発信力の高さをうたわれた尾崎士郎・宇野千代夫妻がこの地に居を構えた影響を受けて、関東大震災後に、多くの文人が集まっている。
2005/12/03
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リクルート発行の「25歳以上のオトコの情熱誌」をテーマとした人気男性週刊誌R25。団塊ジュニア世代の気持ちを勇気づけ、行動を支援するための情報提供を目指している。毎週木曜日に首都圏で60万部発行する無料マガジンだ。主に首都圏の駅、コンビニ、書店、大手飲食チェーンなどでもらえる。毎月、発行されると人が殺到し、すぐに無くなってしまうとか。この特別発行の別冊が届いた。「25歳からの10年が君の人生を決める!?ビジネスマンのお悩みを解消する4大特集」の中で、入社3年目には「社会人適応力」、入社5年目には「情報活用力」、入社8年目には「企画プレゼン力」、入社12年目には「人身掌握力・問題解決力」という特集があり、企画プレゼン力の中の一つのアイテムを私が監修している。悩みは「頭の中が混乱してうまく整理ができない!」というもので、「図を使って問題を整理してみよう」というアドバイスを展開していくという内容だ。記事の最後には、マイクロソフトのVisio2003の紹介、監修者の写真と経歴、「図で考えれば文章がうまくなる」(PHP)が紹介されている。この雑誌で紹介されている16冊の本は、首都圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県)の大手書店で開催中の「ビジネスR25ブックフェア」でまとめて購入できるようになっている。なかなかユニークで広がりのあるプロジェクトだ。
2005/12/02
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2004年8月に初版が出た「図で読み解く!ドラッカー理論」(かんき出版)の増刷の通知と11月28日の日付の本が到着した。第5刷というからそこそこまだ売れているらしい。最近、台湾での翻訳出版が行われて本が送られてきたが、中国本土と韓国でも翻訳出版が進行中というから、東アジアでも「経営の神様」ドラッカーへの関心が高いということだろう。11月には95歳でドラッカー博士も亡くなったたが、時を同じくして(11月17日だったか)日本に「ドラッカー学会」が誕生した。私も発起人の一人になっているが、この学会の前途も楽しみだ。宮城大学の野田一夫初代学長が「現代の経営」(自由国民社)という日本発の翻訳書(監修)を出してベストセラーとなったのが、昭和31年(1956年)で、この本でドラッカーは日本で有名になったが、野田先生も経営学のスターになった。当時はまだ20代の若さで、それ以来ずっと活躍しているから凄いことだ。あれから50年近くたっており、弟子である私がドラッカーの本を書いたのも何かの縁かもしれない。
2005/12/01
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