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ちょっと思いついた遊びの計画。考えていると楽しいなあ。・クルーザー(10人乗り:車より安い)・2級小型船舶操縦士免許・オーストラリアなど海外のゴルフコース・マリンリゾート型週末セカンドハウス・楽器を弾く・スキューバダイビング免許・世界遺産の旅・ネットオークション・日本列島徒歩旅行・季節に応じた海外ロングステイ・ミュージカル三昧・大空間を備えた書庫ハウス・大型の船旅
2005/10/31
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午前中は、幕張メッセで開催中の「東京モーターショー2005」を見物。世界初披露となる出品台数は79台。中央ホールは、トヨタ・ダイハツ・三菱、そしてベンツやワーゲンなどの外国メーカー。西ホールは、日産のほかは、ルノー・ポルシェ・フォード・ヒュンダイなど外国メーカー。東ホールはホンダ・スズキ・スバル、そしてBMW・GMなどの外国メーカー。トヨタや日産は人気があった。トヨタはレクサスが人気。またベンツのバッハも人だかり。これは5000万円するとか。物凄い人出で、青年・壮年を中心とする自動車ファンとその家族が多い。本格的なカメラを持っている人も多かった。------------------------------------------------------午後は、上野の東京国立博物館で「北斎」展をじっくり鑑賞する。ここは、中高年の夫婦、女性の友達同士などが中心だ。北斎は1760年生まれで1849年に没しており、数え年で90歳まで現役だったという、当時としては異例の長生きをした画家である。1999年に「ライフ」が行った「この1000年間で、もっとも重要な業績を残した世界の人物100人」の中に日本人としてただ一人選ばれている。北斎の絵は、画家ゴッホや作曲家ドビッシーなどが絶賛した。北斎は、生涯の改名は30数回で、転居は93回!名前を変えるごとに画風や対象が変化し続けた。春朗(20-35歳)・宗理(36-39歳)・北斎(39-52歳)・画狂人(42-49歳)・戴斗(51-60歳)・為一(61-75歳)・画狂人卍(75-90歳)。春朗:役者絵から錦絵宗理:美人画・西洋風景画に関心・狂歌絵本北斎:読本挿絵戴斗:絵本為一:錦絵画狂人卍:肉筆画75歳「富嶽三十六景」の跋文(後書き)「70歳までに描いたものは、じつにとるにたらないものだ。73歳で、ようやく生き物の骨格や草木の出生を悟った。80歳になればますます腕はあがり、90歳で奥義を究め、100歳になれば神技といわれるだろう」90歳の死ぬ間際「もう10年余命があればなあ」「もう5年生きられたら本物の絵描きになれるのに」。本数冊と、富嶽三十六景の一つで、通称「赤富士」で知られている「凱風快晴」を買った。自宅で楽しみたい。
2005/10/30
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土曜日は家族と東京ディズニーシーを楽しんだ。雨が降るという天気予報だったが、午後3時まではなんとか持って幸いだった。秘書だったかすみさんがディズニー・フリークで、まわる順番などの情報を貰ったのと、空いていたので効率的にまわることができた。インディー・ジョーンズミスティックイズムストームライダーウオーターカーニバルアンコールシンドバッド・セブンボヤージスチームライン改めて考えてみると、千葉に住んでいた頃から来ていなかったから随分と久しぶりだった。随分と変わっていた。アトラクションのアナウンスなど改善すべき点もいくつか気がついた。ウオルト・ディズニー(1901ー1966年)という人物に興味を持ったのは、1996年にフロリダのディズニー・ワールドで遊んだ時だった。TDLが6つくらい入るディズニー・ワールドの数々のアトラクションを楽しんだが、こういうパークを構想して実現した人物に関心を持った。資料をふたたび読んでみたい。1901年 12月5日ウォルト・ディズニー生誕1955年 7月カリフォルニア州アナハイム市にディズニーランドOPEN1966年12月15日、ウォルト・ディズニー逝去 1971年10月1日、フロリダ州オーランド市にディズニー・ワールド(WDW)マジック・キングダム OPEN 1983年 4月1日、千葉県浦安市に東京ディズニーランド OPEN1992年 4月12日、フランス パリにユーロ・ディズニー (現在:ディズニーランド・パリに改称) OPEN2001年 9月4日、TDL隣接地に東京ディズニー・シー OPEN2005年 ディズニー・ランド香港 OPEN予定
2005/10/29
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リクルートから出している無料の情報誌「R25」から取材依頼があった。なんでも、若い人向けに大きなブックフェアをやるそうで、企画やプレゼンの項で記事を監修して欲しいとのこと。この雑誌は首都圏の駅のラックに置いてあるらしく、出たらすぐになくなるほどの人気だという。「R25」を読んでいたり、聞いている人がいたら、情報をいただけませんか。
2005/10/28
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先日インタビューを受けた雑誌が届いた。宗教団体でも「コミュニケーション」がキーワードになっている。--------------------<特集 コミュニケーション考 ~より良い関係を築くために~>○コミュニケーション力をつけよう ― 図解によって「理解・企画・伝達」する ― ・・・ 宮城大学教授 久恒啓一(12ページ掲載)(P12) ○人とつきあう ― 一対一のコミュニケーション ― ・・・ 元東北放送アナウンサー 星野耀子(P24) ○会議の進め方 ・・・ NPO法人日本タイムマネジメント普及協会理事 行本明説(P34) ○よふぼくのコミュニケーション ・・・ 天理教新津分教会長 吉澤 譲(P46) 誌名の「あらきとうりょう」とは下記の意味だそうだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー荒木棟梁とは元来建築や大工に関した言葉で、山深くへ恐れる事なく分け入って木材を伐採して製材をする棟梁の事です。天理教では、まだお道が何であるかを理解しない所へ行くときには、世間の人々が嘲笑いや反対攻撃などの難儀苦労の中をもいとわず恐れないあらきとうりょうを連れて行く必要があるという例えで使われています。この事からどんな困難にも恐る事なく進む天理教の青年を、あらきとうりょうとも言っています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2005/10/27
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http://www.enaa.or.jp/JPMF/library/open/online/0510/book01.html数回は読んだと思われる内容だったので、金子さん本人に電話してお礼を申しあげた。---------------------------------------------------------------金子 雄二 ((有)フローラワールド)『合意術』 ― 「深掘り型」問題解決のすすめ ―著者の久恒氏と言えば「図解」で知られ、自ら大学で教鞭をとる傍ら政府や地域行政の研究会等で委員長や座長を務められたり、講演をされたり正に八面六臂の活躍をされている。先日新聞に「第4回市民満足学会公開シンポジム」なる全面広告が掲載(2005年7月5日、朝日新聞)された。その中に著者の名前を発見して、こんな広範囲な活動もされていることに敬服した。更に、市民満足学会なる学会が存在していること、その学会が行政のサービス等を評価して公表し、それら団体等を表彰していることにも改めて驚き感心させられた。向学のために、市民満足学会を調べてみた。その設立趣意書によると、「公共サービスの満足度は民間に比べて低い。それは独占事業なので顧客満足指向の発想がないからである。このような状況を改善するには、公共サービスの利用者満足度を向上させる手法がないためである。そこで満足度・原因分析等の方法論の研究開発をして、利用者や供給者に知らせ、改善の方向を示す」とある。更に、この学会活動から地域コミュニティを活性化して、市民主体の公共サービスが実質的に達成されることを期待すると明言している。中略合意術(その1) ―― 合意術とは根回しや談合ではない! ――合意術という言葉は、著者の造語である。参考までにインターネットの辞書検索をしたが、全て著者の書籍に関係したものしか出てこなかった。著者は「合意とは、意識を合わせること」と定義している。一般的に合意術なる新語を耳にすると、「合意」の言語イメージから根回しとか談合の類とも誤解されるので、敢えて定義したという。このお互いの意識合わせ、即ち合意形成に関わる方法論については、学問としては未だ確立されていない。だから敢えて「合意術」として、これから学問的に追求する意気込みを語ったのであろうか。著者は現在、多くの政府や地域行政の問題解決のための委員会や研究会のまとめ役として、関係者の合意形成に苦労し、その経緯から合意の必要性を痛感している。そこで、合意には「いい合意」と「悪い合意」があるという。いい合意とは、お互いに納得して満足な状態で結論に達したもの。悪い合意とは、一方的でお互いに納得しないまま不満足な状態で結論を押し付けられ、無理に結論を下した場合である。この合意形成のプロセスで、いい合意は「納得型」であり、悪い合意は「説得型」であったようだ。会社の場合でも、上司が部下に一方的に「説得して」指示するのと、部下が「納得して」指示されるのでは、結果が自ずと変わってくる。行政は、昔からお上というように予算を持っている意識と、住民は予算を配分される意識が微妙に働いて目に見えない上下関係を生んでいる。だから行政は自分達の計画通りに、住民に「説得して」実行を迫る構図となっていた。昨今、行財政改革に伴う小さな政府とか、行政と市民のパートナーシップによる協働の必要性が叫ばれ、従来の「説得型」だけでは、合意形成が難しくなっている。冒頭で紹介したように、行政も市民側も公平な評価をしたりされたりする立場にある。だから、一方的な説得ではなく、双方が「納得する」プロセスが求められている。合意術は納得するプロセスを明確化することである。この点、プロジェクトマネジメント(PM)も同じで、ステークホルダーとの合意形成のベースも、相互に納得してこそ満足いく結果が得られる経験をしている。この相互が納得する合意形成を得るには、幾つかの前提条件を満たす必要がある。先ず、何をするのか、問題点は何か等々、お互いにやるべきことが見えていなければならない。そのためには、相互の信頼関係が築かれる仕組みが必要で、「意識は情報で合わせるべきである」と著者は強調する。この情報には見える情報と、見えない情報がある。先ず、見えにくい情報であるお互いの常識や暗黙の了解に関する事項は見える情報でカバーし、見える情報にポイントをあてる。著者は過去の経験からこの見える情報は、図解が最適であると断言する。文章だと、読んで理解の度合いが異なる危険性多い。そしてその理解を合わせるのに、また文章で表現するとその文章の理解を確認しなければならない。しかし、文章を図解で表現すると、参加者の認識が一目で分かる。図解の作成に関しては後述するが、各要素を羅列し、その関係、位置、流れ等を書いていくと全体が見えてくる、この要素列記から関係者全員でやることで、全員参加の意識が自然とでき、その場で自分の意見を言って図解に手を加えれば理解が一層深まる。こうして相互のコミュニケーションが図られ、信頼関係が構築され「納得しながら」合意形成が図られる。この「納得型」合意術は、図解によるプロセスを活用してより得易くなるという。そういえばPMBOKでWBSがキチンと描け、情報が共有されればPMは割りとスムーズにいく。情報の可視化はPMだけに限らず信頼関係構築のベースである。合意術(その2) ―― 合意術は定性情報がキーとなる!! ――世の中アナログ情報からデジタル情報化している。物事を定量的に捉えると何となく納得したような気になる。そんな習慣が身に付いてくると、定性情報を軽視する傾向になる。著者が航空会社に在職中の例を紹介している。顧客のコメント・カード(苦情やらお褒めの言葉)で「食器のニオイ」「スチュワーデスの化粧のニオイ」「タバコのニオイ」が多くなった。そこで社内検討の末、数年後に国内線の機内禁煙を決断したという。それから20年後の現在を見てみると、先の定性情報は機内だけでなく、空港と言わず、一般のオフィス内までも世界的に禁煙指定となった。これはニオイだけの理由でそうなった訳ではないが、たかがニオイ(定性情報)がサービスや生活を変えることにも発展するケースである。この定性情報を整理して扱うには、多少工夫が必要である。著者はこの定性情報を、デコボコ、ゴツゴツ、バラバラした情報を深掘りして、整理する必要があるという。即ち、この定性情報は、その生の情報をそのまま使うのではなく、そのニーズや原因や背景等をよく調べてから判断する。この定性情報の深掘りから、その本質を探る(顧客、住民、本人の身になって考える)ことが重要であると指摘している。宮城県の「県民ニーズマップ作成」の例は、正に定性情報からクレームが説き解された。そのクレームは「食堂で昼前から食事をしている職員がいるが、一体どういう勤務状況なのか」のクレームに対して、定性情報の深掘りを開始する。先ず、職員が昼食時間前にどうして食事をしていたのか。昼に仕事で外出するので早めに昼食をとっといたのか、何らかの理由で上司に許可を得て食事をしていたのかも知れない。いずれにしても、外部の目を気にせず「正当な理由があるのだから、誰から見られても平気である」と堂々と食事をした。昼前から食事をしている自分を、他人がどう見るかということを全く気にしていなかった。だから、県民からどう見られているか意識していなかった結果である。県民側からすると、県職員は真面目に働いて貰いたい。県民は常に納税者としての立場で職員を見ている。だから「職員は誰から見られも平気ではなく、納税者の目を意識して行動する」必要があるという結論に達した。この合意は、県民からも職員からも納得された結論である。こうして定性情報を深掘りする作業は、時間が掛かるがその過程で少しずつ見えてくる結論は、結果としてお互いの信頼関係を構築しながら積み上がられたものである。従って、ここで得られた合意は「納得された」ものなので、次のアクションは双方で実現可能なものを選択しやすくなる。こうした全員参加の定性情報の深掘りは問題解決の共同作業方法となる。これは定性情報だけでなく、図解を使った他の問題解決にも応用出来る。PMでの定性情報(顧客満足度の向上、コミュニケーション不足、見積精度の向上等々)にも応用可能なもので、一度機会があったら深掘り作業をトライしてみる価値がありそうだ。合意術(その3) ―― 合意術は柔らかな合意ができる!!! ――先の合意術で、合意とは、意識を合わせることと定義し、「意識は情報で合わせるべきである」と言って、その情報は見えるもので共通の理解が得やすいものでなければならない。そこで、著者の得意な「図解」の有効性を説いている。ここで図解のメリットを整理してみよう。1.図解は全体を見やすく鳥瞰できるので、理解しやすい。これはコミュニケーションを活発化して、お互いの理解を深める効果がある。2.図解は矢印や位置関係を簡単に変更できので、融通が利き誤解を生まない。文章のように冗長性がないので全員の理解が早い。3.一つの図解に対して、全員が参加して双方向で相互理解が図れるので、緊張感がなく追加・修正・削除が容易に出来る。4.著者の弁を借りると、アメリカのブレーンストーミングやマインドマップ等があるが、論議を鳥瞰し相互理解のための図解でないので久恒式とは違うという。同じ漢字文化の中国では、文章を図式化する習慣がなく、どうも日本独自のもので日本人に適している方法のようだ。図解駆使には多少の練習が必要だが、要素列記、それを丸や四角や三角で囲い矢印で結ぶ。上下左右、図の大きさ、重なり具合、位置関係、流れ等が表現出来れば、後は参加者全員で、論議しながら手直ししていく。この全員参加で論議しながら手直しするプロセスが合意形成に最も重要なポイントである。著者はプロセスの中にこそ合意があると書いている通り、この時間をキチンと取らないと合意形成が上手くいかない。リーダーは論議を見晴らしよくして、図解をベースにそれぞれが意見を出しながら、追加・訂正・削除を繰り返すのだ。図解が変化するということは、合意が進化することを意味する。合意するから変化する。変化するから合意することもある。これも図解での論議のポイントである。どんなに意見が対立していても、問題点がお互いに明確になっていれば当事者同士意見を述べやすい。また周りの人もその論議に参加しやすい。そこで視点を高くしたり、目的を絞り込んだりして、お互いに納得いく地点を探ることが必要である。ポイントは、見晴らしのいい論議をするために「理解」「疑問」「批判」を自分で把握することである。これらは、参加者だけではく、リーダーが最も注意を払うべきことで、ポイントはレベルを一段上げて全体を見通しての論議を即する配慮は必要である。当然のことながら、合意の結論を急いで必要なプロセスを省いてはいけないと強調している。論議すべきは多少時間が掛かっても論議すべきで、キチンとした合意でなくても、合意は変化するものと思って「柔らかな合意」を得ながら、時間を掛けてより皆が納得できるものを目指すべきである。いい合意は、参加者が何らかの納得をしたもので、それをベースに次なる合意を図ることも必要である。現在、我々PMの仕事は合意術が最も求められている一つである。合意術で有効な「図解」を活用して納得型合意形成を目指すのは、PMの方策として適しているのかも知れない。顧客や会社、スタッフに「納得型」合意を得られるために図解を使って「合意術」をPMで一度試してみたい。 (以上)
2005/10/26
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23日の東京新聞一面の「人が減る!」という連載特集の第1回の取材を受けた。国の財政も問題がメインテーマとなる連載。その記事が本日、届いた。4年前に宮城大学で行った経済財政白書の講義の内容と学生たちの反応から入った問題提起の記事。受益と負担の世代間格差を具体的な数字で説明したものだ。1回目は宮城大学での私の経験がベースとなった記事。記事の一部を以下に紹介する。-----------------------「世代間の亀裂は深まるばかりだ。ほっておけば深刻な政治問題になる」。久恒教授は予想する。「自信がある若者は海外に飛び出すばかりになる」。久恒教授は不安を抱く。-----------------------この記事を書いた記者からの「先生のご指摘はたいへん貴重です。当時はまだ不良債権問題が注目され、専門家やマスコミの目も世代間格差にあまり向いていなかったようです。ご指摘のおかげで記事を書くことができました」とのメッセージも新聞と一緒に入っていた。4年前に週刊エコノミストの経済財政白書特集に書いた解説記事を目にして、それがきっかけとなって、取材があったもの。マスコミは、白書を全部読んでいないから、白書の中の重大な数字に気がつかなかったのだが、私は仕事だったので、やむを得ず全部読んだから気がついた。
2005/10/25
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卒論の準備がたけなわだ。12月中旬が締め切りであるため、4年生は必死で取り組み始めた。今期の顧客満足ゼミ生は、サムライが多く、やりたいことが決まっている人が多く、頼もしい。今期の特徴は人数が少ないことと、大学院進学組みが多いことだ。東北大学大学院に合格している中国人留学生(社会人)のK君(女性)は、韓非子の研究で卒論を書く。明治大学の法科大学院に合格しているI君は、裁判員制度をテーマとした卒論を準備している。小説家志望のT君は宮城大学大学院に合格したが、初心を貫くために進学も就職もしないで、デビューに備えることとなった。卒論のテーマは書籍の再販制度と今後の著者戦略である。宮城大学大学院に進学する中国人留学生N君(女性)は、お風呂産業の起業に関する研究で、大学院終了後は中国での起業を目指している。「図で考えれば文章がうまくなる--図解文章法のすすめ」で紹介したように、内容の概要の図解をたたきながらつじつまを合わせ、しかるのちに文章化に入るというプロセスをとっている。毎週、個人ごとに時間をとって指導している。-------------------------------------------今日発売のプレジデント「会議の技術」に5ページ書いている。届いた雑誌を見ると、表紙に顔写真が載っていた。私のテーマは「絶対うける! 図解式プレゼン書類の作り方」。
2005/10/24
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浅野史郎知事の任期満了に伴う選挙が23日行われ、浅野知事の後継候補である前葉泰幸氏を破り、県議の村井嘉浩氏(45才)が選ばれた。投票率は過去最低だった前回の35.58%を上回る40.35%だった。先に行われた藤井市長の任期満了に伴う仙台市長選でも、新人の梅原克彦氏(51歳)が選ばれており、宮城県は新しいステージに入った。
2005/10/23
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朝から雨。午前中は整体のため多賀城に出向く。昼食は七ヶ浜の国際村のレストランで、海の幸をテーマとした定食。その後、七ヶ浜の海を見ながら周遊。海水浴場、ヨットハーバー、サーファーが遊ぶ波のある浜、外国人専用村、民宿など。天気が悪かったが、いいところということがわかった。次はこのあたりに一泊したい。仙台に出て東北電力ビルのグリーンプラザで開催されている「新渡戸稲造 武士道展」をみる。クリスロードのホソヤという以前から気になっていた靴店を見つけて入る。シューフィッターの店長の説明に納得がいき、すぐに買ってみた。靴はメーカーやサイズよりも、勧める人の知識の方が大事だと改めて感じた。さくらの百貨店で行きつけの紳士服店に寄って、秋から冬にかけての洋服を購入。この店の人はセンスがよく、勧めてくれるものは間違いない。私にとっては専属スタイリストのような存在だ。この人は絵が趣味でいい風景画を描く。すぐに買う服が決まるので気持ちがいい。宮城県知事選と県議会議員選の最終日でもあり、仙台は候補者の選挙カーが走り回っていた。明日が投票日。-----------------------------------------------------------------新渡戸稲造 「武士道」展から日本におけるドイツ年」の企画の一環である。新渡戸の「武士道」は、日本人の行動原理を武士道という倫理体系によって紹介したものだ。武士道は武士階級以外にもひろがり日本人共通の道徳になった。「願わくはわれ太平洋の架け橋とならん」という新渡戸の有名な言葉は、東大の入学面接で「農政学と英文学」を学ぶという新渡戸に英文学をやって何をするつもりかと聞かれたときに答えたものである。この言葉は札幌農学校のクラーク校長の「少年よ 大志を抱け」に対する応答歌でもある。架け橋とは何かという問いに対して、「日本の思想を外国に伝え、外国の思想を日本に普及する媒酌人になりたい」と答えたという。武士道は1899年に英語で出版されベストセラーとなったが、セオドア・ルーズベルト大統領(1858-1919年)は、1904年にこの本を読み、知人30人と5人の子どもに配って読むように勧めている。「この本はお前たちに教訓となることが多いからしっかり読みなさい。、、、理解できないところがあるはずだ。それは君主に忠、主人に忠、帝王に忠という部分だ。代わりにアメリカ国旗という文字に置き換えて読みなさい」。人ではなく国に仕えよという意味だろう。日露戦争の終結に当たってルーズベルト大統領が力を貸してくれたのは、この武士道を奉ずる日本という国を尊敬したからだ。そういう意味では日本の運命を救った一書である。「武士道」を超える、日本を説明する書はこの百年間出ていない。
2005/10/22
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私の友人で、ある企業の社長を60歳で退任された方の、現在の生活パターンを聞いてみた。このT氏は、現在63歳で仙台在住。-----------------------------------------------朝は7時半起床 ストレッチ体操で体をほぐす(20分) インターネットで株式投資(10時頃まで) インド株購入など、世界と日本の経済事情の勉強も兼ねている。10時から夕方までは自由時間。 ゴルフ:月5回ほどラウンド ゴルフ練習・ゴルフスクール 卓球 テニススクール 英会話教室 気の教室企業研修講師:月2日-3日程度気の講師:月1回程度夕方から寝るまで ラジオ英会話:18時50分から19時40分まで レッツ・イングリシュ:22時半から 英語放送:11時10分から 就寝前に腕立て伏せ30-50回・腹筋背筋50回-------------------------------------------------本人の言葉を以下に紹介する。「私の目標は野田一夫先生であり、身近にはもうじき94歳になる父親です。今年も数回海外旅行にいってますし、93歳になってからインターネットを覚え、毎日楽しくてはまってるそうです。家内の父母がガンや痴呆で苦しんで最期を迎えたのとは正反対で、お迎えの寸前まで人生を楽しんでいるような感じです。やはり元気は努力で勝ち取るものでしょうね。」-------------------------------------------------------------いずれ海外ロングステイを実行するつもりで、そのため英会話やテニスを学んでいるそうだ。体力維持のための工夫をしながら、スポーツも存分に楽しんでいる。ロングステイはニュージーランド、ハワイなどが候補とか。その目標に向かって生活を統一しながら楽しんでいる。この人の明るい顔を見ていると、仕事に未練など全く無く、清々しい感じがする。定年後の生活の素晴らしいモデルの一つだと思う。
2005/10/21
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日記タイトルに、毎月とっている雑誌、読んでいる雑誌を並べてみた。「日経ビジネス」や「プレジデント」は、ビジネスマン時代からよく接していた雑誌で、ビジネス界ではメジャー雑誌なので目を通すことにしている。「モノマガジン」はこの雑誌ができるときに企業の広報担当として協力したため関心もあり、取り上げる商品に興味もありずっと読んでいる。「Foresight」は、国際・政治・経済中心の雑誌だが情報の質が高い。初代編集長の熱意や編集方針に共感してずっと読み続けている。「りらく」は、仙台・宮城・東北の情報満載の楽しい雑誌で、地元の穴場や話題、人物を知ることができ、リラックスしながら楽しんでいる。先月末からとり始めた「サライ」は毎回優れた特集と肌理の細かい感度の高い情報や商品が載っており、読み応えのある記事が多い。今日届いたサライは、創刊16周年記念特別企画として、著名人のファンの声が載っている。サライは中東で「宿」を意味するそうだ。兼高かおる(旅行作家)・小泉武夫(東京農大教授・62歳)・淡島千影(女優・81歳)・須田寛(JR東海相談役・74歳)・池坊専永(華道家・72歳)・中村富十郎(歌舞伎俳優・76歳)・早乙女貢(作家・79歳)・田沼武能(写真家・76歳)・塩川正十郎(元財務大臣・84歳)・平野次郎(元NHKキャスター64歳)・西澤潤一(首都大学東京学長・78歳)・山折哲雄(宗教学者・74歳)・服部禮次郎(セイコー名誉会長・84歳)。古き良き日本の伝統を、新しい視点で見直すきっかけなればというのがサライ編集部のメッセージだ。「サライ世代」という言葉があるそうだが、良質な、成熟した、大人を感じさせる、いい響きの言葉である。団塊の世代の退職が始まる2007年から2010年以降、この膨大なマーケットを虎視眈々と各出版社も狙っているが、なかなか答えを見出せないらしい。「サライ」的なものは一つの回答だろう。この世代へ向けて「サライ」を超える雑誌が今後どのような形で登場するか、楽しみでもある。
2005/10/20
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東北の人物記念館に関する情報はやはり地元紙だけあって、河北新報は厚い。10月で目についた記事も多い。一週間で切り抜いた人物情報は以下のとおり。魯迅、新渡戸稲造、宮尾登美子、原敬、後藤新平、藤沢周平。10月9日 魯迅の「正伝」に迫る 藤野先生との関係や文学者転身の謎 東北大留学時の医学ノート復刻へ 6冊で900ページ、講義書き写す 北京博物館が複製寄贈10月14日 現代に通じる「武士道」 新渡戸稲造企画展 独留学時代の資料も 仙台10月15日 仙台文学館特別展 宮尾登美子の世界展--生き抜く情熱を見すえて 心打つ作品の原点へ10月15日 「後藤新平を満鉄総裁に」 原敬の書簡発見 盛岡の記念館20日から公開10月16日 藤沢周平展 創作過程 明らかに 世田谷文学館「蝉しぐれ」生原稿も
2005/10/19
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先月から始めた雑誌での「人物記念館の旅」の連載執筆。第2回目は、東大阪の司馬遼太郎記念館。PHPの「ほんとうの時代」。今号は創刊15周年特別記念号で、メイン特集は「定年革命!」。堺屋太一・加藤仁の巻頭対談、、、、、。--------------------------------------------------------------「河内小阪という駅がある。-------------私は三十年まえにこの地にきて小阪駅の次の八戸ノ里駅周辺に住んだ。--------文字どおりの場末である。」という記述が「以下、無用のことながら」という司馬遼太郎のエッセー集の「駅前の書店」という文章の中にある。夏の季節に司馬遼太郎記念館を訪ねた。近鉄奈良線の準急の止まるこの河内小阪駅で降りて、果物を売る店や食べ物屋のある昔風のアーケード商店街を抜けて小さな道を案内に沿って歩くと朝日新聞東大阪支局が目に入る。司馬遼太郎の自宅と記念館はその隣にあった。自宅の表は「司馬遼太郎(福田)」との表札があり、みどり夫人が住んでいる裏の表札には「福田(司馬)」とある。中略ふと見ると、コンクリの天井部分に雨の「しみ」が浮き出ていた。そのしみは、写真で見る竜馬の上半身にそっくりで、「竜馬が現れた」と小さな話題になっていて愉快な気分に浸った。コーヒーを飲みながらエッセー集を読むという、ゆったりした、ぜいたくな時間を過ごしていると、あの優しい眼差しの司馬遼太郎が傍らに、、、。後略
2005/10/18
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本日の河北新報朝刊に、大きな紹介記事が出ている。「図解で考え文章上達」「宮城大久恒教授 主題の整理法伝授」という2段見出し。西洋と日本の子育てを比較をした「日本の育児・教育」の図解を、本の表紙のかわりに載せている。7段なので文章量はかなり多い。最後は「文章が苦手というあなた、一度、図解文章法を試してみてはどうだろう。」で出版元のPHP研究所の電話番号を載せてもらっている。マスコミで話題になることは有難いことだ。出版元によると、在庫はもう無くなったということなので、増刷に向けていい圧力となることを期待している。
2005/10/17
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若い頃から親しく接していた郷里中津の横松宗先生が亡くなった。92歳。90歳のお祝いの会では新著を出版されそれをお土産にされたので驚いたことを思い出す。90を超えてなお現役であった。魯迅や福沢諭吉の研究家であり、またそれ以上に地域に無くてはならない人だった。様々の会のお世話をしており、恩恵を蒙った人は実に多い。自伝「大正から昭和へ」など素晴らしい本を書いている。家族で先生ご夫妻と接していたが、その人柄と深い教養にいつも尊敬の念を抱く。私のロンドン時代に車で案内したときが最初だからもう四半世紀になる。家族での密葬で、後日、お別れの会を催すとのこと。-------------------------------------------------------以下、弔電(横松知子様)横松宗先生のご逝去の報に接し、巨星落つの感を深くしております。先日の帰省の折に、母ともども先生の謦咳に接することができましたが、今となっては最後のお別れができたとの想いがあふれております。奥様には、心からお悔やみを申し上げます。遠く仙台より先生のご冥福をお祈りいたします。
2005/10/16
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土曜日は朝早く、豊橋から名古屋に出て、名鉄線で新可児まで行き、そこからタクシーで30ほどかけて、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館を訪ねた。11日の日本テレビの2時間のドラマを見て、急きょ訪問を決めたものだ。終戦60周年ドラマスペシャル「日本のシンドラー杉原千畝物語・六千人の命のビザ・世界が涙した愛と感動のストーリー大戦下のヨーロッパで6000人ものユダヤ人を救った日本人がいた」は2時間の大型番組だった。第二次大戦の前後、外務省職員の杉原は当時リトアニア勤務。ドイツのユダヤ人虐殺が始まった頃、本省の反対を無視して2139枚のビザをユダヤ人に発行する。国外退去の寸前まで駅頭で書き続ける。終戦後、杉原はこのため解雇される。20年後にイスラエル大使館から、助けたユダヤ人の連絡が入る。1985年にはイスラエル政府から正式の感謝が伝えられる。そして1986年に死去。日本政府は生誕100年にあたって2000年にようやく名誉回復の措置をとる。当時の外相は河野洋平である。外務省の外交資料館には杉原の顕彰プレートが設置された。八百津町は、昔は木曽川を使った木材の産地で賑わったが、今はマツタケの産地として知られている。秋の冷え込みと多雨がいい品質のマツタケ生育の条件だが、今年の収穫は悪いらしい。名鉄八百津線は既に廃線となっていた。途中、兼山という町があった。森蘭丸の里だ。また近くには明智という場所もあるなど、信長ゆかりの武将の出身地がある。総檜づくりの杉原千畝記念館は、生誕100年にあたる平成12年7月にオープンした。1900年1月1日生まれだから年齢が数えやすい。英語教師になる夢を抱いた杉原は早稲田大学高等師範部英語科に入学するが、2年目にアルバイト先の倒産などの事情から、学費支給で3年間勉強できる外務省留学生試験を受けロシア語研修生として満州のハルピン学院の第一期生としてハルピンに渡る。この学院の校長は満鉄総裁であった後藤新平。杉原の座右の銘は「自治三訣」だったと館内の映像が語っていたが、それは後藤新平がボーイスカウト総裁として子どもたちに送った言葉だったことに気がついた。卒業後、外務省に入るが、上司と共に満州国外交部に移る。そこで北満鉄道の買収交渉で名をあげる。ロシア勤務を拒否され、1939年にリトアニア領事代理として家族と共に赴任する。このことが杉原の運命を決める。1940年7月に、100人ほどの人々が領事館の前で何かを叫んでいる。聞くと、ナチス・ドイツのポーランド侵攻から逃げてきたユダヤ人で、中立国であったリトアニアに住んでいる人たちだった。彼らは日本の通過ビザを求めた。カリブ海のオランダ領キュラソー島に入れるという証明書をもらっていた彼らは、シベリア鉄道でソ連領を通過し日本に出て、そこからキュラソー島に渡るという計画を持っていた。それにはシベリア鉄道でロシアを横断する必要があった。その鉄道に乗るには日本の通過ビザが必要だった。当時は日独伊三国同盟が締結されており、大量のビザを出すことは敵対行為であり、外務省は反対した。杉原は、悩んだ末「人道博愛精神第一」との結論に達し、1か月にわたり、以後2132枚のビザを発給し、6000人の人々の命を救う。本国の反対を押し切ることで、文官服務規程に違反し昇進停止ないし解雇の恐れがあり、職を賭しての決断だったことがわかる。「ユダヤ民族の永遠の恨みを買ってまで、、、。国益にかなうことだというのか。」と書いている。ユダヤのことわざには「一人の命を救うことは世界を救うことだ」という言葉があり、そうならば杉原は宇宙を救った聖人だという声もあった。「もし、同じ事態に遭遇したら、私は、もう一度同じことをするに違いありません」との言葉も杉原は残している。終戦後、ソ連に抑留された後、日本に戻った杉原は外務省を解雇される。以後、外務省との付き合いを避ける。いくつかの職場を経て、川上貿易という商社に勤務しモスクワ事務所長としても活躍する。イスラエルは6000人の命を救った杉原を探すが、見つからない。1968年にビザ発給者の一人と再会。1969年にはイスラエル政府宗教大臣より勲章を受ける。イスラエルからは1985年に「諸国民の中の正義の人・賞(ヤド・バシュム賞)」を受けるが、翌1986年に永眠した。記念館には「決断の部屋」があり、杉原の机と椅子、そして当時の部屋が再現されている。椅子に座ってみるとビザのスタンプがあり、これを押すと壁の画面に「ありがとう」も文字が現われるという工夫もあった。また「肉声テープ」もあり、杉原の声を聞くことができた。命を救われた世界中のユダヤ人からの手紙が展示してあった。大臣や博士など多くの有能な人々、そしてその子孫(ある人は30人の孫がいると書いてあった)が救われたのだ。杉原ウイーク2005という行事の中で短歌大会があり、小学校373、中学校804、高校273、一般430、もの短歌を集めていた。一般の部では「分秒を惜しみひたぶるに千畝書きし 命のビザよ 文字の乱れて」(井上さなえ)という歌が入選していた。領事館のあったカウヌス(リトアニア第二の都市)の民家には「1939-1940 ユダヤ人の恩人・杉原千畝がここに領事館を構えていた」という石版がある。そして「スギハラ通り」もある。日本は、2000年になってやっと杉原の功績を認め河野洋平外務大臣が外交資料館の顕彰プレート除幕式で挨拶をしており、名誉回復がなった。この記念館は雨にもかかわらず、家族連れをなど多くの人々が訪れて、杉原の偉業に親しんでいた。大正出版の「六千人の命のビザ」「決断」という2冊の本を買い、中部国際空港経由の帰路に読んだ。偶然と必然によって、歴史的局面に遭遇することがある。杉原はこのときの決断によって仕事を取り上げられて、以後苦しむが、永遠の輝きをもって歴史に名を遺したことになる。
2005/10/15
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愛知県田原市の青年会議所での講演の前に、蛮社の獄で知られる渡辺崋山の記念館を訪ねた。田原城址に立つこの記念館は竹下総理時代のふるさと創世資金を使って建てられたものだ。12歳のときに備前池田候の行列から辱められた崋山少年は殿様と対等に話せる人物になろうと学問の世界で身を立てることを決意する。崋山は藩士として有能で後に家老職にのぼる。暮らしを支えた内職の絵の才能も素晴らしく、画家としても大成する。絵は谷文晁に学んだ。そして蛮社の獄の原因となった「慎機論」の著述で知られるように当代きっての蘭学者でもあった。藩士・画家・学者という3つの顔を持つ崋山は、刻苦勉励型の努力家だった。「日省課目」という一日のスケジュール表をつくっている。それによれば、朝は午前4時に起き、前日の復習、学問、6時には子どもへの教授、8時には講義、10時には絵を描く。正午は登城し藩士としての仕事、2時からも同じ、4時には模写。午後6時からは詩、文章など。2時間を単位として生活のスケジュールをつくっている。睡眠時間は3時間というスケジュールだった。いつの時代もマルチに人生を生きようとすると時間の捻出と効率的な仕事のやり方が大切ということだろうと、崋山の人柄に共感を覚える。崋山はスケッチやメモをとるという方法を用いていた。崋山の優れた観察眼の秘密はこのスケッチやメモにある。「商人八訓」には、「先ず朝は召使より早く起きよ」「十両の客より百文の客を大切にせよ」「買い手が気に入らず返しに来たらば売る時より丁寧にせよ」「繁昌するに従って益々倹約をせよ」など、商売のコツをしっている観察に優れた崋山の姿が浮かぶ。大坂商人との外交にあたっての「八忽の訓」も面白い。「眼前の躁廻しに百年の計を忘るる勿れ」「前面の功を期して後面の費を忘する勿れ」40歳で家老になった崋山は、農業や海苔の生産などに励む。報民倉という米の備蓄のための倉庫をつくり、その米を後の天保の大飢饉の時に放出し、餓死者がなく幕府から表彰もされている。紀州藩破船流木掠取事件、幕命の新田干拓計画助郷免除なども解決している。崋山の蘭学を通じて外国事情に明るかった田原藩は軍備の近代化にも成功していた。絵画には遠見番所という灯台も設置した。崋山は難破した漁民を届けようとしたモリソン号を幕府が打ち払った事件を「慎機論」で批判したという罪で、「戊じゅつ夢物語」を書いた友人の高野長英(1804年生まれだから崋山より11歳年少)らとともに捕らえられる。この蛮社の獄は、無人島渡航計画のうわさから出たもので10数名が捕らえられた。長英は永牢、崋山は蟄居を申しつけられる。「慎機論」では五大州のうちアメリカ・アフリカ・オーストラリアはヨーロッパの植民地となり、アジアでも独立国はペルシャ・中国・日本のみであり、その中でも西洋人と貿易などをしていないのは日本のみであると書いている。働き者の崋山は、蟄居の間も農業とともに絵にも力を入れる。千山万水図、月下鳴機図、虫魚帳などの名作もこの間に描いたものだ。ところがこれが「罪人身を慎まず」と悪評になり、死を決意する。「自決脇差」がちょうど展示してあった。墓には「不忠不孝 渡辺登」と書く。君主への不忠、親に先立つ不孝をしたとの意である。崋山は登(のぼり)という名をもたっていた。画家としての崋山は、線を主体とした東洋画に、立体・質感・遠近などの西洋画の手法を取り入れている。一掃百態図などは庶民の生活を描いた動きのある名画である。両国橋図稿など動きのある風俗描写も素晴らしい。また、人物画に優れ多く描いている。写生の中に、人物の性格も表現した。崋山と椿山(弟子)の人物画の企画展も開催されていた。鷹見泉石、佐藤一斎、林大学頭述斎、崋山像(椿山画)、ナポレオンなど多くの優れた人物画をみる。崋山の先生でもある佐藤一斎の絵を興味深く見た。崋山は19歳の時に学んでいる「年を重ね穏やかになった一斎」と解説がある。一斎夫妻像は夫80歳、妻73歳のときの全身像である。刀、扇子、脇差、烏帽子なども細かく描かれてある。一斎は有名な儒学者で、名言が多く、西郷隆盛なども一斎に大きな影響を受けている・「少にして学べば壮にして為すことあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べばすなわち死して朽ちず」という私が一番好きな言葉は、この一斎の言葉だ。一斎は1772年生まれで88歳の長寿を全うしている。美濃岩村藩の出身で34歳の時に幕府の昌平坂学問所塾長になっている大儒である。田原藩の上屋敷は、皇居に面した今の最高裁判所の辺りにあった。そこで崋山は江戸家老として過ごしている。蟄居していた家が崋山を記念した公園の中にある。崋山の像が立っていた。崋山が自刃して1年後には打ち払い令を緩め、10年後にはいくつかの国と国交を持ち、そして27年後に明治維新となるから、時代を先駆けた人物だったということだろう。
2005/10/14
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GIN総研フォーラム2005 秋季勉強会に出席。テーマは、寺島実郎の視座「2005年、戦後60年----夏の総括」だ。マスコミ人・政治家・ビジネスマンなどが100人ほど集まって寺島さんの報告を聴く。情報の新しさ、本質に迫る目など静謐な空気の中で、目を開かれる講演だった。寺島さんの話は「腑に落ちる」のが素晴らしいが、なぜそうなのかと考えながら聴いた。1.多角化された良質な情報源(今回触れたもの) 東証アドバイザー 連合の委員 国立大学法人評価委員 国交省の委員 ジョージ・ソロスとの会見2.的確な数字(大数)による現状認識 世界経済ーー異様なまでの高成長の同時化局面 米国------急速に疲弊するアメリカ 日本ーーーポテンシャルの生かし方 アジアダイナミズムーー大中華圏の躍動 ユーラシアダイナミズムーー大ロシア主義・イスラムの復興・ 欧州の欧州化 21世紀の世界潮流ーー日本の選択肢3.体験・経験の重視(今夏訪問) ハワイではミズーリ号博物館 ワシントンではエノラ・ゲイ(航空博物館別館に組み立て展示) 広島平和記念館 そして、自ら「脳力」を振り絞って、総合的に「考える」。
2005/10/13
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セミナーが決まった。11月24日、東京で。以下、案内文から。-----------------------------------------------------NPO法人知的生産の技術研究会・東京セミナー&人脈フォーラム講師・・・久恒啓一 宮城大学事業構想学部教授 NPO知的生産の技術研究会理事長とき・・・2005年11月24日(木)PM7:30~8:50ところ・・商工会館6F(虎ノ門・特許庁隣のビル 霞が関ビル裏 電話 03-3581-1634 最寄駅営団地下鉄銀座線「虎ノ門」より徒歩4分。霞が関ビルを右に見ながら特許庁の角を右折、霞ヶ関ビルの裏側、1Fは弁理士会)参加費・・2000円(会員のみ 非会員は3000円)先に図解してからそれを文章化するというのは、これまで誰も考えつかなかった盲点である。というより実に合理的で賢いやり方である。これだったら楽に文章が書けるようになるし、物を教える立場の人は必ずこの方法を生徒や部下におしえるべきだ。どの書評もこの点に注目している。以下、3つの批評は読者の感動を伝えている。「・・今まで漠然と抱いていた「上手な文章の書き方」イメージが180度ひっくりかえされた感じである。作者の主張をまとめると、「文章を書く前によく内容を考えよう」というただそれだけのことなのですが、今までに読んだことのある文章読本よりも実際的で、物になりそうです。・・・練習方法が的確ならば、上手になるのも格段に速いというものです」。(bk1)「図で自分の考えをまとめていくと、自分のいいたいことの全体像が見えてくる。これは文章の設計図と言っても過言ではない。・・図という文章の設計図を用いるやり方は非常に有用であるし、図を用いることでより文章が明快になることも、この本で示されている・・。」(bk1)「なぜ文章を書く前に図解するのがよいかというと、図解はあいまいなものや、美辞麗句、過剰な形容詞づくめの表現やくだくだしいおしゃべり、こけおどかしの個性などは表現できず、最初から抑制してしまうから、正確で合理的なものしか内容にのこらない。こうしてすっきりまとまったものを文章にするのはたやすい。先ほどの5氏(この本がとりあげている読書論を書いた著名な文章の専門家)が共通して言っている「正確に、明解に書け」という教えにここでぴったり符節があうのである。・・」(amazon.co.jp)この日の講演を聞いて帰った方は確実に文章がうまくなる自信がつきます。 (実際に文章を書く実習もあります)申し込み方法 メールかFAXでお送りください。その時点で参加OKです。 Mail:tiken.org@nifty.com BCCでweekendmaster@nifty.com FAX:042-365-5744
2005/10/12
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「クローズアップ現代」は、地域医療がテーマだった。郷里の中津市民病院の取り組みを紹介していた。赤字の国立病院が2億円の黒字の市民病院に生まれ変わったという物語を中心に番組が展開していく。市民病院はいくつかの部門を廃止し身軽になる。民間の医師は市民病院の施設を使って手術ができるようになる。結果として患者と行政、民間の三者にメリットがある。審議会の委員長は高校で2級上だった弁護士の山本洋一郎さん、市民病院の意義を説く市会議員は同級生の須賀留美子さん、いくつか名前の憶えのある医院も出てきた。またスタジオで解説する東大の黒川客員教授は先日講演を聞いた方だった。郷里の人たちも頑張っている。民放の終戦60周年ドラマスペシャル「日本のシンドラー杉原千畝物語・六千人の命のビザ・世界が涙した愛と感動のストーリー大戦下のヨーロッパで6000人ものユダヤ人を救った日本人がいた」は2時間の大型番組だった。第二次大戦の前後、外務省職員の杉原は当時リトアニア勤務。ドイツのユダヤ人虐殺が始まった頃、本省の反対を無視して2139枚のビザをユダヤ人に発行する。国外退去の寸前まで駅頭で書き続ける。終戦後、杉原はこのため解雇される。20年後にイスラエル大使館から、助けたユダヤ人の連絡が入る。1985年にはイスラエル政府から正式の感謝が伝えられる。そして1986年に死去。日本政府は生誕100年にあたって2000年にようやく名誉回復の措置をとる。当時の外相は河野洋平である。外務省の外交資料館には杉原の顕彰プレートが設置された。インターネットで調べてみると、岐阜県八百津町に記念館があった。今週末の愛知県での講演の帰りに寄ってみようか。
2005/10/11
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今日は、一日自宅でゆっくりした。犬を連れての朝・夕の散歩、これで7千歩。自宅の周辺もいつの間にか秋の気配がしてきた。木々の葉も少し色づいてきたようだ。昼間にお風呂で、健康関係の本を読みながら汗をたっぷりかく。人の酵素の量は一定であり、ストレスなどで減っていく。なこれがなくなったら寿命が尽きたということ。酵素をできるだけ減らさないような生活が必要。腑に落ちる理屈である。朝はテレビ体操、昼はゴリラ体操、テレビを見ながら腹筋背筋、ストレッチ、、、。ゴリラ体操は東北福祉大の作品。朝はインターネットでファンである松井選手のヤンキースの逆転劇を楽しむ。2勝2敗で明日敵地で決戦だが、投手陣の弱体にもかかわらずヤンキースは実にしぶとい。力があるのだろうと感心する。この様子では、なんとか勝ち抜いていくだろう。夕方は、テレビで、アメリカンエクスプレス社の世界ゴルフ選手権でのタイガー・ウッズとジョン・デイリーのプレーオフを楽しむ。デイリーは自滅、実にあっさりしている。タイガーは総合的に素晴らしいゴルファーだ。その合間に、監修する本の原稿のチェックと、エッセイの連載原稿を2本片づける。明日からまた忙しい。
2005/10/10
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宮城・秋田・岩手の3県の県境にまたがる名峰・栗駒山にドライブ。目的は、紅葉ともう一つは栗駒高原自然学校を見ることである。この自然学校の校長である佐々木さんは、50歳前の人だが現在仕事の合間をぬって宮城大学の大学院に通っている。昨年は私の授業で、この人の問題意識ややっていることに接し感銘を受けたので、いずれ訪ねようと考えていた。今日は佐々木さんは仙台での学会発表とかで不在だった。不登校・引きこもりなど問題を抱える子どもたちのための自然体験、山村留学・寄宿の生活体験、体験学習法をベースとした野外教育・冒険教育・環境教育の企画運営指導、子ども自然キャンプ等自然体験活動の主催、、、、。自然学校のログハウス本館でおいしいチャイとスパゲッティの昼食を摂る。ハウスの周りにはチャボを飼っている。近くに建っているキャビン、スタッフハウス、研修所なども歩きながら見物する。廃材を使った建築物がいくつかあった。もう10年ほど事業をやっているのだそうだが、最初からの佐々木さんの苦労をしのぶ。スタッフの何人かと少し接したり、そして問題をかかえる子ども数人を見かける。子どもたちは挨拶がきちんとできるようだ。次代を担う青少年のために「生きる力」と「豊な心」を育む教育の場を提供することやファミリーや成年、シルバー世代には「豊な時間」を過ごすためのアウトドアレジャーやレクリエーションの場を提供することを使命としている。豊潤な栗駒山の自然を通じて、地球環境を考える自然派の仲間との語らいを大切にしようというのがこの学校の趣旨だ。手作りの物品、環境グッズ、自然素材食品なども本館で販売している。栗駒山を愛した築館出身の詩人「白鳥省吾のふるさと逍遥」という本があったので買う。紅葉は、頂上付近だけでまだ見ごろには早かった。近くの温泉に入って帰路についた。
2005/10/09
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今日は土曜日だったが、丸一日、七十七銀行の管理職研修の講師だった。七十七銀行は、地元の有力銀行。場所は中山の研修所で、以前よく来ていた東北電力の研修所の近く。受講者は支店長クラスが20名ほど集まった。年代的には40代後半が主流だろうか。熱心で気持ちのいい人たちだったので、こちらも気合が入った。昼食は、数人の支店長と一緒に摂り、いろいろ話をする。サービスに関する私の提案などにも、改善に向けて敏感に動く気配もあった。仙台東口支店長、県庁支店長、南光台支店長、多賀城支店長、向陽台支店長、鮎川支店長、日本橋支店長(東京)、渡波支店長らと名刺交換をした。終了後も、本へのサインを頼まれて、色々な話題に花が咲く。
2005/10/08
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本日の日本経済新聞に、日経ビジネス人文庫「図で考える人は仕事ができる」と「手帳200%活用ブック」(名前が紹介されていた)の広告が出ていた。昨日は、NHK宮城(テレビ)の「もうすぐお昼」の本の紹介コーナーで、最新刊「図で考えれば文章がうまくなる」(PHP研究所)が丸善の石森さんから紹介があったらしい。アマゾンで盛り返してきているのはこの番組のおかげかなあ。本が売れるにはどうしたらいいかを日頃考えている。いい本を書くことが前提だが(商品開発力)、以下も頭に入れている。・固定客(ファン層)の維持・拡大のための仕組みの構築と運用・マスコミに対する戦略広報(テレビ・雑誌など媒体との良好な関係構築)・初速をあげるためのネット広報 、、、、。
2005/10/07
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昼食勉強会の講師。対象は、国土交通省東北整備局の局長・部長ら幹部と(社)東北建設協会の幹部10数名。東北地方整備局からは、局長、副局長、総務部長、企画部長、建設部長、河川部長、営繕部長、用地部長、企画部長。東北建設協会からは、理事長、専務理事。昼食を食べた後の1時間半の間、随所に笑があるなど、和やかな雰囲気での講演となった。数年前、一度この勉強会に呼ばれたことがあり、今回は2度目。
2005/10/06
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3年前に出した「図で考える人は仕事ができる」(日本経済新聞社)が「日経ビジネス人文庫」の一つとしてこの10月に発刊された。単行本の文庫化は初めての経験だ。253ページという分量で、定価は税込みで700円。1万5千部。内容は全く同じで、末尾に「文庫版あとがき」をつけただけだが、装丁も含めていい感じに仕上がっている。ハードカバーの単行本と比べて、手に取りやすく、買いやすく、持ち運びやすいのと、文庫本は単行本と違う読者層がいるということなので、従来の読者層が広がれば嬉しい。----------------------------------------------------------「はてなダイアリ」によると、文庫とは「同一出版社から続いて刊行される、同一の型・装丁の叢書。特に、廉価で普及を目的とした小型本」とある。「貧乏人の味方。利幅が薄いのであまり供給側からは愛されてない」文庫化「単行本が文庫本として再出版されること。通常は同一出版社の文庫に入るが、出版社の経営方針などにより例外が生じることもある。そもそも文庫化とは、その本が(流行りものではなく)定番のタイトルとして評価されたゆえに行われたものであったが、現在では、価格やサイズの手ごろさがその大きな特徴として前面に出されている。読者にとっては、文庫化に際しての、あとがき、解説、加筆訂正もしくは新章の設置なども楽しみのひとつである。文庫化にかかる時間は一般に3年ほど。最近は短期間のものも目立ち、例えば飯島愛の『プラトニック・セックス』(小学館)は出版から10ヶ月ほどで文庫化された。また逆に、絶版の後に数年を経て文庫化により復刊される本もある(これは学術書に多い)。また、「文庫落ち」とも言われる。正確な定義があるわけではないが、文庫化とともに元の単行本が絶版ないし入手困難になることを含意することが多い。書誌学的興味を持つひとや、装幀にこだわるファンが悲しむことから、「落ち」という否定的なニュアンスの言葉が用いられるのだろう。------------------------------------------------------------------2002年の日経新聞社の本の中では、この本は単行本で1位の売り行きだったが、その時も確か文庫本では2-3冊もっと売れた本があったように記憶している。やはり価格的にも安いので買いやすいのだろうか。http://www.bk1.co.jp/product/2594387http://item.rakuten.co.jp/book/3652894/
2005/10/05
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少し前から床屋を止めて「美容室」に通っている。そこでは女性客が多いから、当然のことだが女性誌が置いてある。MOREや25ANSなど外国語のタイトルの雑誌が多い。女性の間で、どんなことが話題になっているか興味を持って眺めることがある。「女性自身」(光文社)の最新号(10月18日号)をパラパラとめくってみる。表紙は氷川きよしの笑顔。・ヨンさま「冬ソナイメージの微笑み」再び!・杉田かおるNHK大河ドラマ「ギャラ安降板」で「女優出演料」大調査・魅惑の韓流 イ・ビョンホン ウ・オンビン クオン・サンウ、、・「主婦力」検定テスト・東京ディズニーリゾート丸かじりガイド・私が乗り越えた再就職の壁(7人の主婦の実例インタビュー)・雅子さま「女性天皇容認」に愛子さま「帝王教育」の気がかり・白昼デート撮!・おすピー「KABAちゃんとは絶交!」宣言そして、私の名前を見つけて驚いた。本の紹介のページに「総合バカ売れランキングTOP10」というコーナーがあって、その5位に「図で考えれば文章がうまくなる」がランキング(9月19日--9月25日)されていた。こういう雑誌はほとんど読まないが、見つけるとは不思議な感じがする。
2005/10/04
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初めての秘書を持ったのは、大学教員になって2-3年目だったろうか。仕事が膨らみはじめていた頃で、細かな事務によるエネルギー・ロスを最小限に抑えることが目的だった。その後、学外に出て行くことになるが、それを銃後で支えてくれたのは秘書の存在である。その秘書である力丸かすみさんが、本日で退職した。子どもが生まれることになり、しばらくは子育てに専念したいとの意向だ。研究室内の資料の整理、仕事にともなう事務処理、電話やメールなどでの講演依頼などへの対処、研究室訪問者への応対、学生諸君との橋つなぎなど、その控えめで柔らかく暖かい人格で上手に対応してくれたので、いい雰囲気で存分に仕事ができた。特に、ここ数年、本を書いたり、講演をこなしたりで多忙な日々を支えてもらった。今では、研究室はいつの間にかシステム化されている。勤めはじめてから6年8ケ月というから8年6ケ月の大学人生活の大半を一緒に仕事をしたことになる。かすみさん、本当にありがとうございました!
2005/10/03
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大学で明日からの授業準備をした後、話題の「蝉しぐれ」を観る。素晴らしい映画だった。自然の映像も素晴らしいが、音楽もよかった。2時間25分、誰も席を立たない。話の展開が自然で、見どころ、山場が多い。藤沢作品はファンが多いとのことだが、それを裏付けるかのように、シネコンの館内は人が多かった。また中年夫婦が多い。120万部売れたという原作も読みたい。藤沢の生まれ故郷の鶴岡近郊の風景、日本海の荒海、雪、桜、。文四郎(市川染五郎)とふく(木村佳乃)の歳月を超えた恋に涙を誘われた。以下、引用。--------------------------------------------------------------------江戸時代、下級武士の養父によって育てられた牧文四郎。彼は父を誰よりも尊敬していたが、その父は切腹の運命に遭ってしまう。謀反人の子としての汚名を着せられた文四郎は、母を助けながら、質素に暮らしていく。そこには変わらず彼に接する幼なじみたちの姿もあった。数年後、牧家は名誉回復を言い渡される。そんな中、幼い頃から想い続け、今や殿の側室となっていた、ふくが派閥闘争に巻き込まれていることを、文四郎は知るのだった。故人となってなお、山田洋次作品などで映画界でもますます注目を集めている作家、藤沢周平。120万部を超えるロングセールスを記録している藤沢の同名小説を映画化。また新たな藤沢作品がスクリーンに登場する。構想15年をかけ、映画化を実現させた黒土監督による、日本の四季を感じさせる映像は美しく、魅力的だ。主人公の文四郎に市川染五郎。歌舞伎役者としてはもちろんのこと、舞台、テレビにと活躍を続ける彼が、時代劇においてもその存在感を発揮。観る者を惹きつける。文四郎とふくとの恋物語には、目頭を熱くする人も多いだろう。-------------------------------------------------------------------
2005/10/02
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今回の訪中はいくつかトラブルがあった。国慶節連休で長春への往復のTKTがとれずに、吉林大学を訪問できなかった。また政府主催の建国56周年記念パーティに参加予定だったが、招待券が手元に届かなかったために欠席となった。そして、帰国ルートも同様だった。8時45分出発の予約してあったチャイナエアに乗るべく、1時間以上前にカウンターに並んだのだが、途中で呼び出しがあって「923便はもいう出ました」と言われて驚いた。抗議すると「仙台行きはすでに満席で乗れない」という。結果的に「成田便なら9時40分に乗れる」との話で、腹がたったが、「どういう風に処理するのかな」というように気持ちを切り替えて楽しむことにした。まず、現金で800元を補償費としてもらった。日本円では12000円ほど。座席は足がのばせるいい席だった。成田に着くと感じのいい男性が待っていて、成田から仙台へのルートを二つ提示してくれる。成田エクスプレス・新幹線はやてを使うと18時37分に仙台駅着。18時発の飛行機(全日空)を使うと19時20分に仙台空港着。動かないでいいので飛行機を選択する。「なぜ予約しているのに乗れなかったのか」という質問をしたら、「繁忙期はオーバーブッキングをしているので、こういうケースが出る。こういう言い方をしてはいけないが、できるだけ早く空港に」との回答だった。そして食事代として2000円の食事券をくれた。使ってみてわかったのは、お酒には使えなかった。国内便乗り場に行くと、「到着機材遅れ」のアナウンスがあり、苦笑せざるをえない。フォカー50というプロペラ機は革張りの座席で肌触りがいい。19時20分に仙台空港到着。稲荷タクシーの送迎タクシーで帰宅。バッグを開けようとしたら、今度はカギの紛失に気がついた。(^^;)最後まで、トラブルの連続の旅だった。こういう旅は珍しい。
2005/10/01
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