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このカテゴリでは、世の中に広まっている間違った常識を修正しようとしています。皆さんは、洋食でライスが出たときにはどのように食べているでしょうか。私は食べやすいので、右手に持ち替えてフォークをスプーンのようにしてパクパク食べてしまいます。でも、持ちかえる回数が頻繁になりそうなときには、左手に持ったフォークの背中に乗せて食べることもあります。それはそれで良いのですが、「正式なマナーは、どうすんのか?」という議論がよくあります。今回の結論は、フォークの腹だろうが、背だろうが、どちらの食べ方にしても、それを「マナー違反と決め付ける話は、間違っている!」ということです。どうも調べてみると、最近では、フォークの背に乗せるのを「愚かである」「間違いである」と断言している「マナー本」「マナーを解説するホームページ」をよく見かけます。しかも、非常に沢山売れている「マナー本」や、沢山アクセスのあるホームページにも堂々と断言されている。その主な根拠は、「日本で始められたマナーだから」ということなのですが、まずそれはそのマナーを無作法と決め付ける根拠にはならないことに注意しましょう。そもそもライスだけがお皿にポンと乗って出されるのは、日本の食文化と融合して始まったことなのですから、「日本で始められたマナーである」ことは当然のことであり、外国の正式なマナーを日本人が誤解した結果であるというケースではありません。そういう意味では、スプーンのようにしてすくって食べるのだって、日本発のマナーです。従って、フォークの背に乗せる食べ方を「間違い」「無作法」とする根拠はありません。そう断言している人がたまたま外国人がそうでない食べ方をしているのを見たとか、そんな弱い根拠で、物事を断言しているようです。外国人だっていろんな食べ方をするし、無作法な人もそうでない人もいます。外国人のすることはなんでも正しいという固定観念を持つ人が多いのは嘆かわしいことです。第二に、主食としてのライスという概念がそもそもない世界なのですから、ライスは「野菜」「付け合せ」と解釈されるわけで、それらのものをとがったほうを下にして、背に乗せて食べる食べ方は、当然無作法とはいえません。もちろんとがったほうを上にして食べるのも無作法とはいえない。付け合せのマッシュポテトや、レンズマメ、クスクスなど、いくらでもライスに似たようなものはあります。フォークの背に乗せて自然に食べることの出来る人に対して、なぜ「無作法」だと言い切れるのでしょうか。つまり基本は尖ったほうが下なのですから、それで不自由なく食べられる人のマナーを否定することはできないはず。第三に、食べるカッコウが不恰好になるからということを言う人がいます。なぜそう決め付けるのかが、そもそも疑問ですが、それなら不恰好にならないように自然に食べることの出来る人については、無作法になりませんね。フォークの背に乗せるのを無作法と決め付ける人に聞きたいのだけど、それでは付け合せにライスが出たときにはどうなのか?次にそれがライスでなくてレンズマメだったらどうなのか?マッシュポテトならどうなのか?いったいどこで線を引くのでしょう。その線引きの根拠は何でしょうか。「全国マナー協会」みたいな団体が基準でも決めているのでしょうか。あるいは全欧州の上流階級にアンケートでもとって、圧倒的多数が、そう言っているとかあるのでしょうか。大した根拠もなく、どちらかの食べ方を「無作法」と決め付けるのは、全くもって間違っています。そういう決め付けをするということ自体、「マナー」というものの本質を見誤っている人だと思うので、そういう人の書いた本やホームページは、話半分ぐらいに聞いたほうがよいでしょう。数十年前は、確かに背に乗せるのが正式とされて、その逆を無作法という人もいました。私はそれも間違っていると思うけど、最近のその真逆のことを無作法と断言する風潮も、本質は昔と同じ間違いをおかしていると思います。
2008.02.06
とくに、役人・大学などの独立法人の職員(元役人)や、生半可な知識だけあるお馬鹿な大学教員や世間知らずの学者に多い間違い。刑事裁判の原則「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」を、刑事裁判以外でも成り立つ世の中の原理原則だと信じている人がいる。刑事罰は国家権力によって絶対的な執行力でもって与える罰で、身柄の拘束や果ては死刑という、極めて重大な結果を及ぼすものだから、万が一にも無実の人の人権の侵害となることがないように、この原理が認められている。一方、民事的なことは、双方の言い分が100%証明されなくても、第三者が見て妥当と判断される線で手が打たれる。お役人や大学の教職員に共通して成り立つのは、最終的には自分にしっぺ返しが来ることを恐れているために、都合よくこの原理を拡大解釈することが多い。いわゆる「事なかれ主義」というもの。
2007.11.08
このカテゴリでは、巷でよく見かける間違いをシテキし、タダシイ知識を広めようとしています(笑)今回の話題は、多分納得しない人が多いかもしれません。というのも、ものすごい先入観がはびこっているからです。お醤油には濃口(こいくち)と淡口(うすくち)があるのはよく知られています。色から考えて、絶対に濃口の方が塩分濃度が高いと思っている人がかなりいます。しかし実際には、濃口醤油で約16%、淡口醤油で約18%で、実は淡口醤油のほうが塩分濃度は濃いのです。参考キッコーマンよく考えてみれば塩水は無色透明です。醤油の色は塩分以外の成分に由来するので、色が薄いことは、塩分が薄いことを意味しません。もちろん濃口醤油を水で薄めれば、色も塩分も薄くなるわけですが、そんなものが淡口醤油として店頭に並ぶわけはありません。それでは淡口醤油は何のためにあるのかというと、煮物などの色を美しく出すためにあります。塩分を控えたいときには、淡口醤油ではなく「減塩醤油」を選ばないと意味がないわけです。これは高血圧などで、塩分濃度を気にする人にはもはや常識でしょうね。このことと深く関係あるのですが、ときどき関西出身の人の中に、関東のうどんやおでんの汁について、「あんなに濃いものは食べれない」と言う人がいます。テレビなどでもそう言っている人がいます。しかしあれは、関東では煮物や、うどん・そばの汁に濃口醤油を使うため、色がとても濃く出てしまうためで、見た目塩辛そうに見えるかもしれませんが、実際に塩味が濃いわけではありません。ちょっと考えれば分かることですが、仮に色に比例した塩分だったら、関東風のものは出身地とは無関係に人間の食べれる限度を越えますね?本当に料理の塩分の濃度を地域ごとに調べた統計調査を私は知らないのですが、少なくとも「あの色」は、塩辛さの度合いを表していないことだけは間違いない。これが今回の「みんな間違ってるよー!」です。ちなみに、例えば県別の塩の1世帯(2人以上)当たり消費量で見ると、全国平均を100として、北海道 139東北 159関東 94北陸 105東海 84近畿 97中国 107四国 76九州 86となります(塩事業センター調べ)。つまり北海道東北がダントツで多く、四国が少ない以外は、あまりかわらない。また関東と近畿では殆ど同じということがわかります。私の外食の経験では、京都は塩味が幾分薄い傾向にある以外は、全国そんなに変わりはないと思います。基本的に外食では塩分が濃いです。また家庭料理よりも外食のほうが塩味が濃いので、地方出身で東京に住んでいる人の場合、地元では自分の家の薄味のものばかり食べていたのが、東京で外食して濃い味のものを食べて、『東京は味が濃い』と思う人も、おそらく少なからずいることでしょう。
2007.04.24
このカテゴリでは僭越ながら町でみかけるよくある間違いをシテキしてタダシイ日本語を世に広めようとしています(笑)久しぶりのこのカテゴリです。今日のネタはお寿司屋さんでの言葉です。お寿司屋さんでは、多くの人たちがなぜか、 「お茶」 をいうときに「あがり」 「お勘定」をいうときに「おあいそ」と言うのよく聞きます。普段は「お茶」「お勘定」と言っているのに…。しかし、あれはおかしいのですよね。「あがり」「おあいそ」はお店の人たちの使う業務連絡用の言葉なのです。お客さんがわざわざ普段と違う言葉を使う必要はありません。本当は安心して「お茶」「お勘定」と言って良いのです。むしろ無理にお店の人の使う言葉をお客が使うのは、知っている人から見ると「通ぶってる」みたいな雰囲気さえしてしまいます。ご注意を…。とくに「おあいそ」は「お愛想」であり、お店の側が「お勘定なんて愛想尽かしなことですみません」というのが語源らしく、お客が使うのは語源的にも合わないのです。この知識は、現在絶滅の危機に瀕しています。なんとあのNHKの、日本語を解説するまともな番組で、ガクシャらしき人が堂々と「あがり」「おあいそ」と言うと解説していたのです。なんとなげかわしい…。本日のシテキ終了!
2007.04.24
今日のネタは大したことですないんですが…。「シェフ」というのはもともとフランス語のchef(=頭(かしら)=chief(英))がもとなので、本来、コック長、料理長の意味であり、単に料理人をいうなら、cook=コック、でよいのです。これもやっぱりテレビ番組で間違って使っていました。「(あるお店の)シェフが全員集合して…」と。。お店にシェフは一人です。。。(^^;) ただ誤用がもとで、最近では英語でも chef を単に料理人の意味で言うこともあるようですね。
2006.11.13
今朝のテレビ番組で、フジテレビの男性アナウンサーが遠方の人と話をするのに、「そちらでは雨が降っていらっしゃるようですが…」って言ってました。そのアナウンサーはそんなに雨を尊敬しているんでしょうかねー。四十才ぐらいらしいけど…。一番ちゃんとした日本語喋っていないといけないのがアナウンサーだと思うんだけどなー。というわけで、本日の「シテキ」でした(笑)
2006.06.22
このカテゴリでは僭越ながら町でみかけるよくある間違いをシテキしてタダシイ日本語を世に広めようとしています(笑)「ゆがく」を「ゆでる」の場面で使う人、意外に多いように思われます。スパゲッティーを茹でるのはいいんですが、湯掻いちゃだめです。というか、湯掻けません。「ゆがく」は「野菜などのアク抜きのために熱湯にしばらくひたすこと」「ゆでる」は「熱湯で煮ること」です。ゆがくのはさっとゆでることになることもありますが、目的は「アク抜き」ですので、もともとアクのないスパゲッティーをゆがくことはできないんです。本日のシテキ完了(笑)
2006.06.21
「役」のほうが「不足」しているのが、「役不足」です。よくある勘違いは、「演じる人」が「役」に対して「不足」しているという解釈です。それは逆です。この勘違い、テレビでよく見かけます。以前、格闘系の少年漫画だったかゲームだったかの主人公が戦っている相手に対して、「おまえじゃ役不足なんだよー」って虚勢張っている場面が、CMとして頻繁に流れていました(苦笑)放送に携わっている人がこんな基本的な言葉間違えるようでは恥ずかしいですよね。
2006.06.02
「一期一会」って、よく聞く言葉です。好きな言葉・座右の銘にしている人も多いと思います。でも元々の意味が曖昧で解釈に幅があるために、誤解も多いみたいです。「一期一会」とは、オリジナルには「一生に一回しか会うことのない不思議な縁」のことです。そして、茶道の心得として「一期一会」が言われる場合には、「会」を「茶会」と解釈することもあるようです。よく見かける間違いは、「自分の一生の中で特別な『一人』との出会い」という解釈です。これは明らかに元々の意味から外れています。例えば「一生に一回の大恋愛の相手」「一生の師と仰げる人との出会い」などです。よく「一期一会の出会いを探し求めています。」などと言われるのは、これと同類です。これが元々の意味と異なることは、「会う相手」の数を数えてみると、客観的に判断できます。正しい意味では「複数」であっても構わないわけですが、この誤解ではあくまでも一人に限っています。「一会」の「一」は「会」にかかっていて、「人」ではありません。「重要な一人の人と何度も会う」のは、「一会」にはなりません。以下は主観的なことですが、茶道の心得って、一種のホスピタリティですから、自分にとってとくに利益をもたらしてくれる人かどうかは関係ないはずです。誰が相手でも、心からのおもてなしをしようという精神なはずです。博愛主義に通じるはず。しかし「一期一会」を「好きな言葉」としている方のお話を聞くと、残念ながら「博愛」とか「ホスピタリティ」に通じるような解釈を聞くことは少なく、最終的には「恋愛」とか、自分自身の人生の「一瞬を大事にする」とか、自分自身の特定の利益に結びつけているケースが多いように思われます。
2006.06.01
今日のネタは「みんな間違ってるよー!」ではなくて、「間違ってたんだよー!」が正しいかもしれません(^^;)「システムエンジニア(SE)さん」という職業ありますよね。。あれは元々はユーザーの要求を聞いて「システム」の仕様を考え、フローチャートを書く人のことだったのです。すなわち「システムエンジニア」は、ハードもソフトも精通し、ユーザーの要望も理解できる、コンピューター技術者の中ではごく一握りのエリート、上級の技術者のことを指していました。そんな「高級感」のためか、いつのまにか「システム」に関わるエンジニア全員を「システムエンジニア」と呼ぶようになってしまいました…。ごく末端のプログラマや技術者まで、「エスイー」なんて呼ばれ、自称するようになっています。コンピューターに関わっている人たちまでが言葉の意味を誤解し、殆ど定着していまいました。たしかに、SEさんとプログラマさんの境界は曖昧で、はっきりと分けることは出来ません。でも、中には謙遜して「ボクはまだSEではないですよ、下っ端のプログラマです。」なんて言っている人がいてもいいのに、見たことがありません。プログラミングをしたことない人まで、自信満々に「私はえすいーです!」って言われます…。言葉の意味って、誤解から出発しても、定着しちゃえばそれが正しくなってしまうものかもしれません。でも(昔の)本当の意味を知っていた立場からするとちょっと悲しい…。
2006.05.30
よくテレビのグルメ特集などで、「この店では○○がいただけます」と言っているのを頻繁に耳にします。しかし、その主語は「お客さん」「視聴者の人」ですよね~。そうすると、「いただく」は謙譲語なので、テレビ局から見たときに、「お客さん」「視聴者の人」が「お店」よりも下の身分であることを暗に前提にしていることになります。「お客」がお店に対して謙遜して、自分から「いただく」と言うならともかく(それでもいくらか違和感はありますが)、なんで関係ないテレビ局の人なんかにそんなことを前提にされないといけないのかと思うと、私は強い違和感を覚えます。
2006.05.23
よく飲食店を紹介する本や雑誌の記事に、「ムーディーなお店」という表現が見られますが、英語で「moody」は、 むら気な、気分屋の、むっつりした,不機嫌な、ふさぎ込んだという意味です。文脈から察せられるような「雰囲気の良い」っていう意味は全くありません。せっかく面白い記事を読んでいても、「ムーディ」なんて書いてあるとガッカリしてしまいます。とくに著者が、食べ物や飲み物のことについての博学を披露しているような本に書いてあると、余計ガッカリです(^^;)桜塚やっくんみたいに「がっかりだよーっ」って叫びたくなってしまいます。ちなみに、「ムード(mood)」という言葉には、雰囲気という意味はあり、こちらのほうはそういう意味で使っても、セーフといえばセーフなんですが、主に「気分」という意味で使われることが多いようです。
2006.05.21
最近よく「セレブ」という言葉を耳にします。「セレブ」は、英語の「celebrity」が元と思われますが、「名声、高名、有名人、名士」という意味しかありません!しかし、テレビでも雑誌でも、日本では「お金持ち」という意味で使われています!お金持ちだけど有名でない人は、セレブリティではないんですよ!見たこともないようなおばハンが(ブランド物で身を固めているかもしれないけど)、テレビ番組でセレブと呼ばれていたりします。みんな間違ってるよ!
2006.05.20
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