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昭和国民文学全集(5)(著者:直木三十五|出版社:筑摩書房) 今日「直木賞」に名を残す作家の代表作。 文章は読点が多く、慣れるまで時間がかかる。 例えば、「近づくと、虫が、飛び立った。」というぐあい。 敵と味方の対立はあるのだが、善悪の対立ではない。 幕末の薩摩藩の騒動を中心に、新しい時代をどのように迎えるかで対立があり、親子が対立し、藩内で人が殺し合う。 しかし、悪人がいるのではなく、みなそれぞれ藩のこと、日本のことを真剣に考えた上での行動なのである。 個人的な感情を超越して行動する島津斉彬の姿に、この小説の主題が込められている。
2000.07.29
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昭和国民文学全集(8)(著者:子母澤寛|出版社:筑摩書房) 「集」とはいっても「父子鷹」一編。 全く内容を知らずに読んだ。勝海舟の父、勝小吉の一代記である。 十七歳のころから、小吉が三十九歳、麟太郎十八歳で、小吉が隠居し、蘭学を学び始めた麟太郎が、これから頭角を現していくぞ、というところで終わっている。 新聞の連載小説で、常に何かが起こり、複数の事件が平行して推移していく。 小吉が家を借りている旗本が破滅的な家なのが物語を膨らませている。 単純な善人、単純な悪人というのがいないのがいい。 文章では、「~みたい」とは言わないのが面白い。 例えば、「タコみたいだね」とはいわず「タコ見たようだね」と言う。 また、「内心はむかついていた」(p283)という表現が目を引いた。 心中面白くないことを「むかつく」というのは、そう新しいことではないようだ。
2000.07.18
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大炊介始末(著者:山本周五郎|出版社:新潮文庫) 二十年程前に一度読んだことがあった。 覚えているのもあったがほとんどは忘れていた。 「ひやめし物語」「よじょう」(題がひらがななのがいい)「こんち午の日」「なんの花か薫る」「ちゃん」はおぼろげに覚えていた。こういうものが山本周五郎らしい、というイメージがあるためだろう。 表題作の「大炊介始末」や「山椿」も、山本周五郎らしい作なのだが、その「らしさ」が鼻につくきらいがある。 その点、「落ち葉の隣り」は、意外な終わり方をする小説だった。 同じ長屋ものでも「おたふく」とは大違いである。 「なんの花か薫る」は、結局は武士は武士として生きる、という話。「人情裏長屋」の信兵衛が最後は武士として生きる道を選ぶのと代わりはない。ただ、その結果が人に与える影響が全く異なっているだけである。 新潮文庫の山本周五郎短編集としては、これが最初に刊行されたものらしい。 解説に「これまで作者が短編小説で企てたいろいろなこころみを分類し、各分野から数作を選んで一冊にまとめるという編纂《へんさん》方法をとってみました。」とある。 それで内容がさまざまになっているわけだ。 「審しげ」(p55)は「いぶかしげ」か? 「わりといいでしょ」(p97)。「おたふく」は昭和二十四年の作だが、すでに「わりに」ではなく「わりと」と言っていたらしい。 「先立つ不幸」(p184)。「不孝」の誤植だとは思うが。
2000.07.16
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中国に学ぶ(著者:宮崎市定|出版社:中公文庫) いわゆる「雑文集」だが、読み応えがある。 宮崎市定のものは、どれも、文章がわかりやすく、また、緻密で説得力があり、非常に勉強になる。 何といっても、決して感情的にならず、冷静で論理的なのがいい。 例えば、中国は何でも日本よりスケールが大きい、と、中国を持ち上げるようなことを書いていても、スケールが大きいことがいいとは限らないと述べ、「いま日本の政界にはやっている汚職は、中国の歴史上にも絶えず存在したが、そのスケールはすこぶる雄大なのである。」(p113)と書いている。文章のうまさもさることながら、対象を冷静に客観視しているのがよくわかり、感心する。 この本が最初に出版されたのは一九七一年で、文化大革命の真っ最中。 当時の報道を見ると、中国は、文革一色に染まっていたかのようにみえるのだが、著者は、「全部の学生が紅衛兵になってしまったのではない。」「あるいは小さい声ながら反対を叫んでいる勇士もないとは限らない。しかしそんな声は多勢の声にかきけされて外部へは洩れてこない。」(p121)という。 共産主義や、中共軍に対しても否定的で、日本での学生運動にも否定的だが、それが冷静で論理的で、説得力がある。ただ感情的に、共産党はダメだ、マルクスなど通用しない、とわめいているのとは違う。 東洋史、という点では、持論である、宋代以降が近世、という論調が見られるのは当たり前。 内藤湖南についての文章で、後から生まれた学派ほど、その祖を古い時代に求める、という説を紹介しているところが、他人の説の解説であるせいもあって、わかりやすく、説得力があり、まさに蒙を啓(ひら)かれた思いだ。(p290に詳しい説明がある) 私は、宮崎市定の本が読めることを幸せに思う。
2000.06.14
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昭和国民文学全集(15)(著者:山手樹一郎|出版社:筑摩書房) 「桃太郎侍」と「鬼姫しぐれ(又四郎行状記第一部)」収録。 初めて山手樹一郎を読んだ。桃太郎侍といえば高橋英樹のドラマしか知らなかったが、全く違う話。 どちらも新聞に連載されたもので、山場の連続。途中から読み始めた人にも分かるように、という配慮なのか、説明的な文章が多く、又、心理描写もたっぷり。 解説によると、「山手樹一郎は、自分の作品を家族を養い食べさせていくためのもので、ほんとうに自分が書きたい作品はべつにある、と考えていたようである」ということだ。 山手は、山本周五郎の世話になったことがあり、山本周五郎が、自分のグループに入れと勧めたが、「山手は自分は家族を食わせる作品を書かなくてはならないからと断った、という」とある。 しかし、「家族を食わせる」ためと割り切って、こういう長いものが面白く書けるものなのだろうか。 桃太郎侍も又四郎も、若く、二枚目で、明るく、とにかく剣の腕が立ち、女にもて、生まれつき備わった他を圧する気品がある。 いってみれば「若様」の理想像なのである。実にわかりやすい。 初めはそれが鼻についたが、読んでいくうちに、「これはお手本を示した小説なのだ」という気がしてきた。 武士に生まれたらこうあるべきだ、町人に生まれたこうあるべきだ、というそれぞれの環境に応じた理想像を示しているのである。 悪を憎み、弱きを助け、体を鍛え、頭も使う、というお手本を示しているのである。皆が皆、子供の頃から、こういう登場人物をヒーローとして親しんでいれば、世の中少しはよくなるかもしれない。 今の、規範が欠如した社会に求められるのは、屈折した主人公ではなく、こういう単純な主人公なのだ、という気にさえなった。
2000.04.30
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剣に生き、剣に死す(著者:縄田一男|出版社:新潮社) 書名通り、剣戟小説集。主題が共通しているのでわかりやすい。そして、どれもこれも面白い。 「眠狂四郎」「剣客商売」などのシリーズものも四編あるが、それ以外の十三編は読み切りもの。柴田錬三郎、五味康祐、南條範夫、池波正太郎はシリーズものと読み切りものの二編ずつ。それ以外の作者のものは一編ずつ。 いずれも趣向が凝らしてあり、読み応えがある。今まで不幸にして「時代小説の楽しみ」というシリーズのあることを知らなかった。編者が一個人であり、視点がしっかりしていることを窺い知ることができる。解説も編者。 もとは、1990年に新潮社から刊行されたもの。 気になる点が二つ。 一つは、出典がいずれも単行本になっていること。いつ発表されたものか、ということまで明らかにするために、初出誌に触れて欲しかった。 もう一つは、池波正太郎の「妙音記」の中で、「憧憬」に「どうけい」とルビが振ってあること(256ページ)。これは本来は「しょうけい」のはず。池波正太郎が自分で「どうけい」とルビを振ったのかどうか知りたいものだ。
2000.04.17
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南海の竜 若き吉宗(著者:津本陽|出版社:中公文庫) 題名通り、将軍となるまでの吉宗の半生を描いたもの。 著者は和歌山出身で、吉宗に対する愛着が感じられる。幼い頃から吉宗を教育してきた家臣と同じように、著者もまた吉宗を温かい目で見ている。 特筆すべきは、登場人物がみな、現代人とは異なる価値観で行動していることである。 吉宗が好みの女にはすぐに手を付けることも当然のこととし、暗君を戴くよりは英邁な君主を、という論理で君主を暗殺する。吉宗を将軍とするためには、邪魔者は消す。これはもう、丁髷を載せた現代劇ではない。 文章は平易で読みやすい。月刊誌に1年かけて連載されたもののせいか、大河ドラマを見ているような気になる小説である。
2000.04.14
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剣よ風を呼べ(著者:日本文芸家協会|出版社:講談社文庫) 十四人の作家の短編を集めたアンソロジー。 日本文芸家協会編『代表作時代小説』の昭和六十年から六十三年度版までのものからさらに選んだもの。 顔ぶれは多彩で、井上ひさし、戸川幸夫、平岩弓枝、日影丈吉、安西篤子、白石一郎、梅本育子、藤沢周平、神坂次郎、津本陽、早乙女貢、北原亞以子、遠藤周作、泡坂妻夫のものが収められている。 連作の一編というのも多いが、独立した一編として読むことができる。 時代小説とは言っても、明治初期を舞台としたものまで含まれている。 どれもそれなりにおもしろいが、藤沢周平のと神坂次郎のが気に入った。 白石一郎のもよかったが、解説によると、「資料に拠らず現代風俗を過去に投影してみる心づもりでこの連作をつづけている。」のだと言う。これでは一歩間違えると、ちょんまげを乗せた現代劇になってしまい、時代劇である必要が無くなってしまうが、これに収められている者を読んだ限りでは、時代小説である必然性があって書いているように思われる。 内容は充実しているが、書名はよくない。 これでは剣豪小説集と思われてしまう。ただ単に、『時代小説傑作選』でよかったのではないだろうか。
2000.04.12
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昭和国民文学全集(1)(著者:中里介山|出版社:筑摩書房) 『大菩薩峠』の「甲源一刀流の巻」から「女子と小人の巻」まで九巻。 四十一巻まではあるのだから半分も読んでいない。 未完の小説だということは知っていたが、たしかにこれは終わりようのない話だ。 登場人物がどんどん増えていき、それが複雑に絡み合い、物語が広がっていく。 主人公は机竜之介というわけではない。 たしかに机竜之介を中心に物語が進んでは行くのだが、新の主人公は、中里介山の作り出した世界そのものである。 新撰組なども背景にあり、かなり幕末なのだが、四十一巻のあたりではいったいいつになっているのだろう。 文体はですます調で、穏やかなのだが、それがまた虚無的な雰囲気をかもしだす。 現代仮名遣いになおしてあるのだが、「じゃ」はすべて「ぢゃ」になっている。「面目丸つぶれぢゃ」という具合。 作者がこれを書き始めたのが二十八歳の時で、それから二十年以上書き続けたのだから、常人ではない。 島田虎之助と並ぶ人物として「男谷下総守」という名がでてくるが、「男谷」に「おとこや」とルビが振ってある。これは勝海舟のいとこの「男谷精一郎」であり、「おだに」のはずだ。
2000.03.12
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さすらいの狼(著者:生島治郎|出版社:春陽文庫) 実に久しぶりに春陽文庫を読んだ。 腰巻きには「新・股旅時代小説!」とある。「股旅」というからには時代小説にきまっているのだが、そういうことはこの際横に置いておこう。 挟んであったパンフレットには「大衆娯楽の宝庫 春陽文庫の時代劇」とある。実にその通り。相変わらずの文庫でも上下二段組。昔は、郷土玩具をテーマにしたしおりが入っていたのだが、今はないらしい。 おそらく週刊誌に連載したものなのだろうが、次から次にまあ、いろんなことが起こる起こる。もう何でもありの世界。ジェットコースター時代劇とでも言おうか。 しかも、生島治郎である。ハードボイルドの雰囲気を漂わせる股旅なのだ。木枯らし紋次郎のような虚無的な雰囲気はあるのだがら、情念の世界に生きているのが根本的に違うところ。 タイトルからして時代小説の感覚ではない。 春陽文庫は「解説」などというたいていは役に立たない余計なものを排除しているのだが、今回はちょっと困った。一体、これが何時書かれ、何に発表されたのかが分からない。 気になるのは、文章の中に、「ニヒル」「スタミナ」といったカタカナ言葉が出てくるところと、「~のような」ではなく「~みたいな」と表現するところ。「~みたいな」と言われると、口語的すぎて、肩すかしをくったような気になる。
1999.12.15
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新陰流小笠原長治(著者:津本陽|出版社:新潮文庫) 「八寸の延金」が出て来るというので読んでみたが、肝心の、明に渡ってからのことがほとんど書いてない。 双節棍が中国渡来のような扱いになっているが、これは沖縄のものではないか。 津本陽の小説はこれが初めて。いろいろと詳しく調べてあり、読んでいて安心感があるが、セリフがちょっと大仰な気がする。
1996.05.19
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