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山本周五郎はずいぶん読んだし、NHKでドラマ化されたものも見た。ところがなぜか原作を読んだことはなかった。 中編が四編収められている。 「花接」(昭和23年)、「ちいさこべ」(昭和32年)、「ちくしょう谷」(昭和34年)、「へちまの木」(昭和41年)。 意外に「ちいさこべ」はあっけない話だった。 「花鎗」はかなり初期のものらしく、凝った心理描写にしようという気負いが感じられる。 いずれも本音ではなく建前を貫き通す話だ。自分という小さな存在の望みよりも、自分はどうすべきかということを考え、その通りにする。 「ちくしょう谷」とさだまさしのことは全く知らなかった。今回検索して初めて知った。 このなかで「へちまの木」は異彩を放っている。 自立を求める青年の話のようでもあるし、武士は武士であり町人にはなれないという話のようでもある。 「人間というのはこういうものだ」という妙な悟りが随所に出てきて鼻につくのだが、今でも「人生は~」なんて歌う人が大勢いるのだからこういう話があるのは当たり前なのだろう。
2018.08.24
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入院中はすることがない。幸い本はたくさんあったので、興味を持ったものを借りて読んだ。 いつもは本の感想など面倒だから書かないのだが、暇なのでノートに感想を書いておいた。しばらく本の感想を書いていく。 テレビドラマ化されたのを見た記憶がある。たしか2作ドラマ化されたはずだ。ドラマの話の内容は全く覚えていない。 原作は読んだことがなかった。妖(あやかし)と話ができる主人公と、妖たちが不思議な事件の解明に挑む。好奇心からではなく、そうせざるを得ないのだ。 ある程度は「ゲゲゲの鬼太郎」の影響があるだろうが、江戸の大店のひ弱な若旦那という設定がいい。ひ弱な理由も明かされる。 これ1作の読み切りとして発表されたのだろうが、これを書いた時にはシリーズ化の構想があったのではないだろうか。 私が高校生だったらシリーズを全部読もうと思っただろう。面白かったけど、根気が続かないのが残念。 「心配のしどうしで」(p55)という表記があった。これは「心配のしどおしで」ではないだろうか。
2017.12.29
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中公文庫。 これは11年前に読んでいる。 「八重の桜」を見ていて、本棚にあったのを思い出して読み直した。 すっかり内容を忘れていた。 梶原平馬が主人公。 会津への思いが込められているのは感じるが、小説としてはわかりにくいところもある。もっとも、当時の京都の情勢は、簡単に説明できるものではないので、誰が書いてもわかりにくくなるのだろう。 実は作者は平馬と二葉の曾孫なのである。身内を描いたものなのだが、この小説を書くまでは、平馬に対して否定的だったことも語られている。 今回驚いたのは、武器商人だったシュネルのことが取り上げられていること。 短刀を与えられたこと、会津藩の人たちを連れてアメリカに渡り、ワカモツ・コロニーを作ったがうまくいかなかったことが会話の中で語られている。 私は、「BS歴史観」で初めて知ったと思って、その時はちょっと感動したのだが、すでにこの本で読んでいたのだ。 おそらく、地元の郷土史家の間では周知の事実だったのだろう。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2013.08.28
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浮世絵と結びつけた短編集。 「江戸女絵姿十二景」と「広重「名所江戸百景」より」の二つのシリーズ。 いずれも町人が主人公だが、人情物というわけではなく、悪女の話もある。 救いのない男の話もある。 困難な状況にあって人に救われる話よりも、救いのない話の方が書くのは難しいのではないだろうか。 作者の技量を感じさせる本だった。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2013.03.12
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再読。もしかすると再々読かもしれない。 「平次屠蘇機嫌」「五月人形」「赤い紐」「迷子札」「鉄砲の音」に、随筆「平次身の上話」「捕物帖談義」「捕物小説は楽し」を収録。 「赤い紐」はいろいろなものに収録されていて何度も読んだが、救いのない話で好きになれない。 この本の最もいいところは、作者自身が平次について語っている随筆の収録である。 平次が年を取らないことのほうが自然であるこも述べている。 気になった語。少し、唐臼《からうす》を踏むが(p9) 足が大きいとでもいう意味か。八五郎はそれでもローズものの叡智《えいち》を働かせたりしました。(942) 「ローズもの」がわからない。わざと狭く着た単衣《ひとえ》(p128) 「狭く着る」とは前を深く合わせるということか。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2012.05.23
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遠い昔に買った講談社の「講談名作文庫」の一つ。 買ったまま読んでなかったのかもしれない。 「田宮」という抜刀術を思い浮かべるが、「田宮流」とは関係がない。 どうも架空の人物らしい。 驚いたことに、主人公の坊太郎の話になるまでが長い。 なるほどこうやって説き起こして聴衆の興味を引いていくのかと感心する。 読後感は「無常」である。 見事仇討ちはしたものの、人の命には限りがある。 子々孫々まで栄えましたということにならないところに人気があったのかもしれない。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2011.09.14
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遠い昔、講談社が「講談社名作文庫」という文庫シリーズものを出したことがある。 講談社の本来の姿のはずなのだが、最近はとんとこういう企画を目にしないなあ。 それを何冊か手に入れたものの一つ。 伊達騒動といえば、山本周五郎の「樅の木は残った」だが、今では絶版のようだ。 しかも、これは通説の伊達騒動を逆転させていた。 今回、通説の伊達騒動を読んだわけだが、中心の力で陰謀が暴かれるのではなく、それとは無関係に存在した知行地争いで片がついてしまったのには驚いた。 しかし、これが現実には近いのかもしれない。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2011.09.06
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神田明神とくれば銭形平次である。 小説は、「平次屠蘇機嫌」「五月人形」「赤い紐」「迷子札」「鉄砲の音」の五編。「鉄砲の音」以外は読んだ記憶がある。 ほかに、野村胡堂の随筆「平次身の上話」「捕物帖談義」「捕物小説は楽し」が収められている。 これも読んだ記憶があるが、ほとんど忘れていたので、楽しく読んだ。 平時に年をとらせないのは意図してのことなのだ。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.09.10
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 無頼の旗本の水野と、幡随院長兵衛の話。 長兵衛の側からも描いていて、そちらの方がまっとうな人間である。 「砂絵呪縛」と同じで、虚無的で、社会の規範を逸脱した主人公。 特に大きな起伏があるわけではなく、淡々と話は進み、水野は身を滅ぼす。 水野十郎左衛門を主人公にした小説は、ほかにも何か読んだ記憶があるのだが、思い出せない。 いや、主人公ではなく、隆慶一郎の吉原ものに出てきたのだったろうか。 破滅的な人間というのは、読者を引きつけるものらしい。 気になった表記。商人風に装えて 「よそおえて」ではあるまい。「ととのえて」あるいは「こしらえて」と読むだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.07.19
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 「すなえじゅばく」かと思っていたのだが、「すなえしばり」と読むようだ。 冒頭に出てくる、墓を暴くおどろおどろしい場面は、全体につながるようなつながらないようなもので、善悪入り乱れて物語が展開される。 読んでいる間は面白いのだが、読み終わって、さて、いったい誰が主人公だったのか、どんな物語だったのか、というと、なんだかよくわからない。 不思議な小説である。 最初のうちは、江戸時代の中でもいつなのかわからないが、だんだん、綱吉の時代とわかってくる。 江戸らしさを感じさせる表現。俺が上がればいいんだが、足が汚れている おそらく、明治時代も同じようなことを言っていたのだろう。 読めなかった字。お酉は屑く孫之丞を断念して 「屑く」は、辞書を引いたところ「いさぎよく」と読むようだ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.07.17
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 取手が舞台。 言うまでもないが、「一本刀」とは、武士の二本差しとは違って、脇差しの一本差しで、やくざ者のこと。 しっかり者のお蔦と、恩を受けた茂兵衛。お蔦のだめ亭主。 お蔦は、しっかり者で、人気ははあるものの、自分のことを取手の宿の安孫子屋にいるダルマ[#「だるま」に傍点]で名はお蔦と言っている。 低級な、と言って悪ければ、庶民的な売春婦でもあるらしい。 恩を受け、横綱になってみせると約束はしたものの、身を持ち崩してのやくざ者。それでも恩は忘れず、体を張って恩返し。夢は実現しなかったが、仁義は忘れない、というのが重要なのだ。 よくわからないのが冒頭の地理説明。下総の国安孫子から南東一里ばかりの利根川に沿った布施《ふせ》は、その対岸が常陸の国戸頭《とがしら》である 戸頭は我孫子から見れば北西の方角にある。利根川が我孫子の南東一里にあるわけでもないし、よくわからない。 その後に、布施は松戸方面から水海道への往来にあたるとあり、これは妥当である。 「南東一里」は「北西一里」の誤りだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.07.10
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 市川雷蔵で見たような気がしていたが、自分のブログを調べ直したら、錦之助の主演で見ていた。 映画はかなり脚色してある。 読み直してみると、複雑な話なのである。 被害者として加害者を追っていたのだが、その加害者の残した少女には罪もなく、自分が何とかしてやろうと男気を見せる。 いろいろあって、最後は、少女を救うことにはなのるのだが、渡世人同士、それなりにつきあっていくことを優先して終わるように思える。 単純な勧善懲悪ではなく、渡世人は渡世人という股旅の世界が描かれている。 これで堅気になって少女の父親代わりにでもなったらぶちこわしだ。 気になった言葉。こうばい[#「こうばい」に傍点]の早い野郎だ 逃げ足が速い、という意味らしい。邯鄲《まくら》探しの曲者に 「邯鄲夢の枕」のしゃれ。あッしゃ土足だからその森介ッて奴に、ここまで来いといってください わらじ履きの時代なので、簡単に家の中に入れないのだ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.07.04
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 再読。 ぼんやりとは覚えているのだが、細部は忘れている。 渡世の義理、任侠、股旅の要素が詰め込まれていながら、子供が大きな位置を占めているために涙を誘う。 気になった言葉。「隙さねえ子だぞ。」 「すきさねえ」のままでいいのだろうか。 映画は、渥美清も出ていて、牧歌的なオープニング。しかし、それが反転して暗い話になる。錦之助が光っていた。。 ただ、最後は違っている。 映画のように、子供が木に登って見送る方が余韻が残る。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.07.03
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 再読だし、錦之助の映画も見た。 それでも細部は忘れている。 これは作者の実体験に基づくと言われているが、やっと巡り会った肉親に冷たくされて、というのは、作者の妻の体験によるのだそうだ。 誤解が解けてわだかまりを水に流す、というよりも、この終わり方の方がいい。 気になった言葉。「それをケントクなりとして」 ちょうどいいきっかけ、という意味らしい。「顕徳」かなにかの転用か?「駕籠《かご》をいわせておくれ、三枚だよ」 駕籠を呼ばせることを「いわせる」と言ったらしい。また、駕籠を数える数量詞は「挺《ちょう》」かと思っていたが、「三枚」と言っている。 ただし、地の文には「一挺」という表記がある。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.07.01
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 副題は「上野彰義隊の春田道之助」。 幕末に、三州渥美の吉田藩の若者二人が、藩の思惑とは別に、純粋な気持ちで彰義隊に加わり、明治まで生き抜いたのだが、その事実が隠されていたのを小説にしたもの。春田道之助の養子である甲賀三郎の依頼で書いたものだそうだ。 もちろん小説ではあるが、幕末の、江戸庶民の徳川びいきや、新政府の弾圧などは、さもありなん、と思わせるところがある。 二人が上野の山から逃げ落ちる時、下駄屋の老婆が一時かくまってくれて、それから町人はこうやって歩きますよ、ようござんすかと、町人の身振りを教えられる場面がある。 服装や髪型だけでなく、身振りも違っていたものらしい。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2008.06.27
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) これも再読なのだが全く覚えていない。 初めて読む新鮮さを味わうことができた。 やくざ家業の男の純情と心意気。 ほとんど武士道のような、理念実現のためには命をかける、という世界なのである。 映画になりそうな題材なのだが、なっていないのだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.18
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 「太平記」というのはもちろん「太平」ではなかった時のことが書いてあるのである。 ある一時期ではなく、吉良が上杉を食い物にするところから、上杉鷹山の時代まで。 ただし、鷹山はあまり登場せず、家臣の中の勢力争いや、改革騒動などが描かれる。 悪弊排除の先鋒であった男の末路など、現実的だ。専横を排除したはずなのに、みずからが専横そのものになってしまうのだ。 童門冬二「小説上杉鷹山」は、評判になったので読んでみたが、どうも小説らしくなく、感心しなかった。 それに比べるとこちらは小説になっている。 童門冬二はおそらくこれを読んでいるのだろう。意識して似たものにならないようにした結果、「小説上杉鷹山」はあんなふうになっちゃったのかなあ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.16
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講談社「大衆文学大系11 長谷川伸 土師清二 集」(1972.2.20) 再読のような気がするのだが、なにも覚えていない。 作者も少し肩肘張りすぎのように思える。 機会を待つのではなく、作り出すというのであれば、もっと早くできたはず。 時代が元禄というのは重要で、後に「武士道」と呼ばれる概念は、実際に命のやりとりをする戦国から時が過ぎ、世が平安になってから生まれたもの。 世が平安であるからこそ、この物語が成り立つのである。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.14
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徳間文庫。2004.11.15初刷。「化猫騒動」岡本綺堂 何度も読んだのに、はじめの方は忘れていた。「黒兵衛行きなさい」古川薫 掌編。理屈がないのがいい。「猫のご落胤《らくいん》」森村誠一 シリーズものの一つらしい。やや理に走りがち。 地の文が少なく、台詞が多い。 また、地の文で、「サバイバル」や「ライバル」という語がつかわれているのが時代小説には珍しい。「おしろい猫」池波正太郎 友情や愛情よりも悪いやつの欲の方が深いという話。「猫姫」島村洋子 文章が凝っているというか屈折している。亡くなった上様のご寵愛を受けて剃髪《ていはつ》した妹のあってはならない噂という文章などわかりにくい。 若い女性らしく、叙情性が前面に出ている。「化猫武蔵」光瀬龍 冒頭に「耳袋」の一話が惹かれている。 江戸には、化け猫に見えた母を殺してしまい、自殺した息子の話というのがいくつもあったのだろう。(岡本綺堂の「化猫騒動」も、そういう話に基づいているわけだ) 「耳袋」は全部読んだが、猫の話は一つも覚えていない。「大工と猫」海野弘 短く、余韻の残る話。話し手が自分のことはほとんど説明しないのがいい。「猫清《ねこせい》」高橋克彦 事件帖スタイル。長い物語の一挿話というところで、登場人物の関係がわかりにくいところがあるがおもしろい。「野良猫侍」小松重男 のんびりした大衆小説。「薬研堀《やげんぼり》」平岩弓枝 「御宿かわせみ」の一つ。 編者による解説は、「文学における「猫」の位置づけ」と題しているが、「位置づけ」というような大仰なものではなく、猫好きが、猫の出てくる話をいろいろ並べて、「ほーら、みんあ猫が大好きなんだ」と言っているようなもの。 それだけに読みやすくおもしろい。 (12月24日読了) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2008.01.02
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光文社文庫。2002.5.20初版。2004.2.10第8刷。 この作者の本を初めて読んだ。 全体的に映像的で、ハリウッドのアクション映画を見ているようだ。 主人公は、出生に人と異なるところがあり、とにかく強く、無限の体力を持ち、そして女に好かれるという、主人公の見本。 山場の連続で、昔の新聞小説のようだが、文庫のための書き下ろしだそうだ。 偶然知り合った人に助けられたり、燃える酒や火薬がたまたま手に入ったりと、行き当たりばったりのようではあるが、先が読めないというおもしろさはある。 しかし、外国船が、修理代代わりに火薬をおいていくだろうか。工芸品か何か無難なものを置いていくのではないか。また、受け取る方も、使いようのないものを受け取るだろうか。 305ページに、李白の「把酒問月」の冒頭の四句の書き下し文があり、次の通りになっている。晴天月有ッテ来幾時ゾ我今盃ヲ停メテ一タビ之ヲ問フ人明月ヲ攀ヅルハ得可カラ不月行却テ人興相随フ 「有ッテ」や「可カラ不」という書き方は珍しい。 「興」は「與」の誤植か。「老人はどこか腹を据えたような顔をした」(p274)の「腹を据えたような顔」とはどのような顔だろう。(12月22日読了) 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.31
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講談社文庫。1984.12.15 関ヶ原の合戦直後から物語は始まる。 義理堅い修理之介《しゅりのすけ》、金が第一の新蔵、女好きの兵馬という三人が出会ったり分かれたりしながら話が進んでいく。 見せ場をつないでいく書き方で、次々にいろいろなことが起こる。 最後まで読んでおどろいたこと、話が終わっていない。 これはどうしたことかと思ったら、磯貝勝太郎の「解説」によると、この小説は「週刊公論」に連載されたもので、その週刊誌が廃刊になったために、この本になっている「運命篇」だけしか書かれなかったそうだ。 作者には、この続きの構想があったそうで、それも書いてくれれば良かったのに、と残念に思う。 『おれは侍だ 命を賭ける三人』という題で映画化もされている。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.04.24
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新潮文庫。1997年9月。 フジテレビで放送された、特別版の原作かと思ったら、その後日談で、新シリーズの発端となるものだった。 (その経緯は、解説に詳しい) 「生きている幽霊」「泣き笑い飯盛り女」「諸行無常の響き」「舞い戻った疫病神」「新たなる旅立ち」の五作収録。 中山道の宿場・板鼻の大店の世話になることになり、土地に定着するかと思われた期間に起こったできごとを描く連作。 最初は、世話になるきっかけ、最後は旅立つきっかけ。 紋次郎を助けるのは堅気の衆の「情」であり、旅に追いやるのも堅気の衆の疑心である。 「泣き笑い飯盛り女」と「諸行無常の響き」はミステリになっていて、紋次郎が謎を解き、ことが表沙汰にならないようにしてやる。 読む方も慣れてきたので、「木枯らし紋次郎さん」(p133) という台詞で、相手の正体が読めたりする。 良寛の書がでてくるが、かえってリアリティが失われてしまった。 また、ほかの小説でも気になることで、「取締出役」の「出役」に「でやく」とルビが振ってあるが、これは「しゅつやく」と読むのが正しい。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へどうぞ。
2007.01.22
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「女たちの百万石」1989年11月。講談社文庫 「百万石」で察しがつくように、加賀前田家の物語。 前田利家の正室の「お松」を中心に、三代にわたる、前田家存続のための苦悩が描かれる。 自ら天下を取ろうというのではなく、所領安堵を目指す者としては、より強い者に従うしかないのである。 豊臣家から徳川家に乗り換え、人質を差し出し、縁組みを強いられ、それでも家のために堪え忍ぶのだが、必ずしもそれが不幸なこととは限らない。 そして、前田家は女たちの力で生き残ることができた、という話。 橋田壽賀子といえば脚本家であって小説家ではないという先入観があるためか、描写が表面的で、小説を読んでいるのではなく、ドラマの脚本を読んでいるような気になるのだが、巻末の「記」を読んで得心がいった。「本作品は、一九八八年十月、日本テレビより放送された、開局三十五周年記念ドラマ『女たちの百万石』の橋田壽賀子氏の原作脚本をもとに、山田元弘氏が小説化し、同局出版局より刊行された単行本に、今回文庫化にあたって、原作者が修正加筆したものです。」とのことである。 この文章を読んで、「山田元弘氏」がどういう人なのか、どういう立場で小説化したのか気になったが、ネットで検索しても見つからなかった。 ノベライズが職業として成り立つとは思えない。どんな仕事をしている人なのだろう。 話のものもはよくできているが、小説として読むべきものではなく、ドラマとして映像で見るべきもののようだ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へどうぞ。
2007.01.12
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新潮社。1997年9月20日。 「峠だけで見た男」「十五年の沈黙」「かどわかし」「三人と一匹の別れ」「観世音菩薩を射る」「折鶴に甘い露を」収録。 このうち、「峠だけで見た男」は異色作。 斬り合いがあるわけではない。短い時間に峠の茶屋で起こった小さな出来事が描かれる。 そして、それを見ていた雲水が、紋次郎の内面について思うところを語る。 それだけである。 本人の言動から描くのではなく、第三者の目から描くというのが新鮮だ。 これを「木枯らし紋次郎」シリーズの最後にしてもいいくらいだ。 そのあとの「十五年の沈黙」は作りに作った話。作りすぎているくらいだが、これぐらいにしないと読み物にならない。 「三人と一匹の別れ」は、さらに無理があり、見ず知らずの渡世人である紋次郎に、「口が裂けても他言しない」と誓ったことをペラペラしゃべってしまう。紋次郎の方から事情を聞きたがるのもらしくない。 しかし、「折り鶴に甘い露を」を読むと、紋次郎の性格に変化が起こっていて、他人と関わらずにいようとしても関わらずにいられないのなら、積極的に他人の代わりに恨みを晴らしてやろうとするようになっていることがわかる。 気になったこと。 「クマンバチはスズメバチの別称で、つまり同じ蜂であった」(p158) ずんぐりむっくりのクマンバチと見るからに凶暴そうなスズメバチは別のもののはず。 地方によってはスズメバチも「クマンバチ」と呼んだのだろうか。 「関八州取締出役」に「かんはっしゅうとりしまりでやく」とルビ。 「でやく」ではなく「しゅつやく」のはず。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へどうぞ。
2006.11.29
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ちばテレビで、毎週月曜日に「木枯らし紋次郎」を放送している。 それを見ていて、久しぶりに読みたくなった。 新潮社。1996年12月の発行。10年前にもまだ書き継がれていたのだ。 収録されているのは、「仏前の握り飯」「同じく人殺し」「割れた鬼の面」「反魂丹の受難」「何れが欺く者」。 初期の、ナントカ峠にカントカを見た、というような散文的なタイトルはない。 中年となった紋次郎は、人との関わりを避けようとしながらも、ついつい自ら関わってしまう。 虚無的でありながら虚無的になりきれない。 許せないやつは許せない。 文章は読みやすい。 さすが、流行作家と呼ばれるだけのことはある。 むやみに書き殴っているわけではなく、きちんと史料に基づいていることは、規則や地理の説明でわかる。 驚くべきエネルギーだ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へどうぞ。
2006.11.26
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「大衆文学大系19」(講談社。1982年)所収。 昭和14年から翌年にかけて東京日日新聞に連載されたものだそうだ。 お姫様が主人公なのかと思うと、主人公は美貌の若者。 姫、主人公、その妹、主人公に思いを寄せる女の四人が主要な登場人物で、藩を揺るがす陰謀を巡って物語が進んでいく。 大衆小説のお手本のような巧みな展開で、ご都合主義でも無理を感じさせない。 今でも入手できる。蛇姫様(上)新装蛇姫様(下)新装 また、何度も映画化されている。では、林与一と美空ひばり。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へどうぞ。
2006.10.26
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「大衆文学大系19」(講談社。1982年)所収。 渡世人に身を落としてはいるが、元はといえば御直参の若殿。 世話になった親分が暗殺され、一人娘が苦労していると知って、単身、悪党一味を退治する、という明朗時代劇。 剣の腕前は並はずれているというのは、もとは侍なのだからかまわないのだが、関東取締出役と俺、お前の仲で、その力を借りたりしちゃって、都合が良すぎる。 まあ、小難しいことは抜きにして、ということなのだろうけれど、すっきりしないなあ。 東映映画にすると面白いのかもしれない。 題名から、最後は再びわらじを履くのだろうと見当がつくのだが、それだけでは終わらないのが一工夫。 「出役」にはちゃんと「しゅつやく」とルビが振ってあった。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.10.18
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「大衆文学大系19」(講談社。1982年)所収。 解説によると、長編三部作の一部らしい。 幕末が舞台であることはわかるのだが、主人公らしい「金太郎」が何をしたいのかよくわからない。勤王なのか佐幕なのか、よくよめばわかるのだろうが、長いので、途中で忘れてしまう。 長編でありながら、登場人物は多くない。 少ない登場人物が非常に濃厚に絡み合っていて、それぞれの関係が頭に入らない。 「昭和九年九月から翌年末へかけて都新聞に連載された」ということだが、毎日少しずつ読んでいた人は、登場人物それぞれの関係が理解できていたのだろうか。 文体は「矢も楯《たて》も堪らないものですから四郎次、毎日一人ぼっちで、酒びたしになって憂さを晴らしているのである。」と、ですます調とである調が混在している。 初めのうちは「ですます」が多いが、後半は「である」がほとんど。 後学のために読んでみたが、正直なところ、私の歯が立つものではなかった。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.10.15
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「大衆文学大系19」(講談社。1982年)所収。 「金色の処女」「赤い紐」「雪の精」「お藤は解く」「迷子札」「麝香の匂い」「金の鯉」「八五郎の恋人」 どれもこれも読んだことのあるものばかりだが、例によって例のごとく、ほとんど忘れてしまっているので楽しく読んだ。 「金の鯉」は、真犯人を知っている人が何人もいるのに……というところは気になる。 再読なのに意味がわからなかったりした言葉。(前にも取り上げたかもしれない)「鍋銭《なべせん》」(p152) 粗悪な鉄銭だそうだ。実物は見たことがない。銅銭よりは投げるのに適していそうだ。「潮吹男《ひょっとこ》」(p162) 「ひょっとこ」に「潮吹男」を当てるのは、例として辞書にも載っている。 しかし、なぜ「潮吹男」なのかはわからない。 「火男」なら、形状からも納得できるのだが。「烏金《からすがね》」(p182) 借りた翌日返済する貸し金。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.10.06
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「大衆文学大系19」(講談社。1982年)所収。 「甲武信ヶ嶽」は「こぶしがたけ」と読む。 「銭形平次」以外の野村胡堂の小説を初めて読んだ。 1936年から翌年にかけて雑誌に連載した長編伝奇小説。 人物が錯綜し、怪事件が次々に起こる。舞台はほとんど江戸。 「銭形平次」と同じく、ですます調である。 悪は滅び善人は栄え、めでたしめでたし。 知らなかった言葉。「白丁《はくちょう》」 「白丁を一つ縄でくくってブラ下げた」 「勝手の棚の白丁がちらちら見える」 白い徳利のことか? 検索したら、そられしい用例があった。「態夫《わざふ》」 「昨日青梅から、態夫が持って来たんだそうで」 雇われた人とでもいう意味か。 検索したところ、戦争中の用例もあった。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.30
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先日ちょっと書いたが、講談社「大衆文学大系8」(1971年11月)所収の松田竹の嶋人「黒駒の勝蔵」を読んだ。 次郎長もので悪役で出てくる男。 こちらを主人公にしたものには、ショーケン主役の「風の中のあいつ」がある。 青春時代劇で、けっこう面白かった。 さて、この「黒駒の勝蔵」だが、かなりの長編で、なんと、この「大衆文学大家」には、途中までしか納められていない。博徒から勤王の志士となって京に上って、さあこれから、というところまで。あれあれ、このあとどうなったんだ。 実地取材もしていて、「紬の文吉」は「津向《つむき》」にすんでいたから「津向の文吉」の訛伝だろう、などと、実証的なことも書いている。その一方で、近藤勇が、新徴組として甲州にいた、と、首をかしげるような場面もある。 勝蔵が主人公で、勤王派ということで、次郎長や、地元の対立する博徒は佐幕派ということになっている。当時の博徒に、そんな意識があったのだろうか。 歴史的には、勝蔵は、赤報隊に入り、新政府軍に使い捨てにされ、処刑されてしまうのだ。 勝蔵が勤王に傾くきっかけを作るのは、武藤藤太という人物である。 甲州の武藤。全日本プロレスの武藤社長の縁者? 漢語に和語を当てる表記もいろいろ。 「白地《あからさま》に」、「清淡《すっきり》」、「焦燥《あせ》る」、「慰撫《なだ》める」はわかるが、「敦圉《いきご》んだ」は、見慣れない用法。辞書を引いてみたが、「敦圉」という語はないようだった。 「嬋妍《あでやか》」「纏頭《はな》」などは、漢語の知識が豊富でないと思い浮かばないよう法では。 音読みで和語を表記した例としては「迂路《うろ》つく」、音読み訓読み混合では「痴乎褒乎《ちやほや》」が目についた。 「言質」には「げんしち」とルビが振ってあった。昔はこう読んだと、何かで読んだ記憶がある。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.24
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作家・平岩弓枝さん、恩師・長谷川伸の人情を語るという記事の中で、長谷川伸のことが語られていた。 代表作として、「一本刀土俵入り」、「沓掛時次郎」、「瞼の母」などが挙げられていた。 私は、これらの作品を読みたくてずいぶん探し、目にするまでずいぶん時間がかかった。 時代劇ファンなら知っている作品名なのに、本が出ていないのである。 かろうじて、「沓掛時次郎」は新・ちくま文学の森(3)で読むことができる。 映画は、錦之助版と雷蔵版がある。 「瞼の母」は、ちくま文庫があるが品切れ。DVDは、錦之助版が出ている。 任侠ものや股旅ものの原型を生み出したのは長谷川伸である。 音楽で言えば、スタンダードのような、誰もが一度はふれるものであっていいと思うのだが、このままではどんどん消えていってしまう。 なんとからなないものか。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.09.09
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秋田書店。1968.5.30。 「時代推理小説選集というシリーズの一つ。 収録されているのは「浮世絵師」「雛の別れ」「禁制の賦」「名馬罪あり」「雪の精」「仇討果てて」「くるい咲」「紅筆願文」「酒屋忠僕」「二人浜路」「青い帯」「娘の役目」「正月の香り」「仏喜三郎」「痣の魅力」。 ほとんどが、すでに読んだことのあるものなのだが、例によってすっかり忘れてしまっていて新鮮な気持ちで読めた。 殺人犯を見逃してやってしまう話が多く、犯人探索も司法も一手に引き受けてしまっている点では「大岡越前」のようだ。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.06.24
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祥伝社ノン・ポシェット。1995.3.1。 副題は「崇禅寺《すぜんじ》馬場の死闘。 実は電車の中に捨ててあったのを拾って読んだ。 この人の小説を読むのは初めて。 読み始めてすぐ「これはポルノ小説に時代小説の味付けをしたものか」と思ったが、そうではないようだ。 いろんな女が出てくるが、みんな、することは同じ。 濡れ場を描くことに工夫を凝らしているわけではなく、破滅的な男とその剣を描くことに力を注いでいる。 チャンバラ小説なのである。 書き手のエネルギーは感じるのだが、ほかの作家とはかなり異質なものを感じる。 自分の書いたものが長く読み継がれることなど願わず、むしろ、読み捨てにされることを望んでいるかのような雰囲気がある。 実際、電車の中に捨てられていたわけだし。 江戸の戯作者というのは、こういう人だったのかもしれない。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.06.18
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嶋中文庫2005.9.20 「二枚の小判」「権八の罪」「仏喜三郎」「茶碗割り」「蜘蛛《くも》の巣」「秤座《はかりざ》政談」「縞《しま》の財布」「彦徳《ひょっとこ》の面」「遺言状」「槍の折れ」の十編。 巻末に随筆「江戸の昔を偲ぶ」が付録としてついている。 いずれも、いつもながらの銭形平次で、おそらくこうだろう、と察しのつくのもある。 題名の付け方が作者の腕の見せ所で、「槍の折れ」など、「折れ槍」でないところがさすが。 欲得尽くの事件よりも、恨みを晴らそうとする話の方が多い。 なお、「槍の折れ」では、謎の内の一つは明らかにならないまま終わっている。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.05.11
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「駕籠《かご》の行方」「雛《ひな》の別れ」「井戸の茶碗」「仏師の娘」「火の呪い」「鐘五郎の死」「紅い扱帯《しごき》」「第廿七吉」「父の遺書」「五つの命」 いずれも同じ雰囲気の十編。 謎解きがあるようでないようないつもの平次なのである。 もちろん、「これが犯人だろう」と目星がつくのもある。 「火の呪い」は初期の作で、明暦の振り袖火事から三年目。 「果たし眼」(p117) 「はたしめ」かと思ったら「はたしまなこ」と読むらしい。 「必死の目つき」ということだそうだ。 巻末の付録は野村胡堂の「平次放談」。 平次にまつわる随筆ではあるのだが、終わりの方は、女性落語家の第一号の話だったりして、筆の赴くままという雰囲気。これはこれで野村胡堂を知るよすがとなる。 「今日も長時間レコードを仕入れてきたが」(p280)というところで、レコードを仕入れるのに時間がかかったのかと思ったら、そのあとも読むと「長時間レコード」を仕入れたということだった。何かというとLPレコードのことである。 といっても、CDしか知らない人にはわからないかもしれない。 シングルレコードではなく、「アルバム」と呼ばれていた、何曲も入っていた直径たしか30cmのレコードである。楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.02.24
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毎日新聞社。1981.9.10 二人の孫子、孫歩と孫[月賓]《そんぴん》を描いた小説。長編と中編という分量。 「孫武の巻」は、孫武よりも、伍子胥に筆を費やすことが多い。 孫武本人の活躍があまりないのだ。その理由は「あとがき」で説明している。 戦いを好まない性格でありながら、将軍となって敵を殺すという設定に無理があると思うのだが、無理は無理なりに書き上げてしまうのが実力というものなのだろう。 春秋時代の戦乱続きの時代なので、国と国の関係や、人間関係の複雑さなど、内容豊富で読み応えがある。 みんな命がけで生きている(←変な表現だ)という感想を持つ。「しくしくと漕ぎ進むのを見て」(p175)の「しくしく」は「粛々」の転訛かと思ったが、調べたら、漢字では「頻頻」と書き、「しきりに」という意味だった。「四分五裂、七花八裂」(p178)の「七花八裂」は初めて見た語。「呉国の軍勢を途中からポイ返してくれる者があったら」(p185)の「ポイ返して」はどう読むのだろう。 「ぽいへんして」なのか「ぽいかえして」なのか。 作者が読んだ資料に使われているからなのか、単に作者の好みなのか、「慨然」という語が頻出する。(現在は講談社文庫に収録されている)楽天ブログランキング←クリックしてください
2006.02.22
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「一太郎で青空文庫」に岡本綺堂「三浦老人昔話」を追加。 以前、底本と同じものが手に入り、読んだことがあった。 一太郎ファイル化しながら読み直した。 半七老人に紹介されて知り合った三浦老人に江戸時代にあった話をきかせてもらう、というもの。 捕物帳ではないので、「こんなことがありましたっけ」というだけで終わる。 町屋の話よりも、旗本などの出てくる話が多い。 人が殺される話もあるのだが、淡々とした語り口で陰惨さはない。 この世そのままで、合理的な世界ではないので、一件落着めでたしめでたしとはならない。 殺され損で終わってしまうのもある。 しかし、これはこれで江戸時代の実相に近いのではないかと感じさせる。 もちろん、「青空文庫」で読むことができる。 「三浦老人昔話」はここ。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2006.01.18
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「銭形平次捕物控 (13)」 【野村胡堂】「土への愛着」「お由良の罪」「矢取娘」「唖娘」「青い帯」「辻斬」「弥惣《やそう》の死」「月の隈《くま》」「お吉お雪」「仏敵」 いずれも殺人事件。女が犯人というのもある。 トリックを生み出すもとについては、巻末の随筆「銭形平次打明け話」で正直に書いている。 今まで「吐月峰《はいふき》」と「火吹き達摩」を混同していた。 「はいふき」は、たばこ盆についている筒だった。「マチンを食わされた」(p26) 「マチン」はそういう名の木で、その実から殺鼠剤などをつくったそうだ。「車井戸」(p230) 滑車式の井戸。「浅黄色の絹をくけた#[「くけた」に傍点]腰紐」(p254) 「くける」は縫い目が表に見えないように縫うこと。「天馬、手振りの賦役《ふえき》の激しさ」(p311) 「天馬」「手振り」ともに意味がよく分からない。辞書を引くと「手振り」は従者のことらしい。「木鼠小僧はやはり許してもらいたいのである。」(p313) 「木鼠小僧」がわからない。「木鼠」はリスのことだが、「りすこぞう」では盗賊らしくない。「むささびこぞう」かと思ったが、そのまま「きねずみこぞう」と呼ぶのかもしれない。「駅路《えきろ》の研究者」(p316) 鉄道かと思ったが、「駅路」とは宿場のある道のこと。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2006.01.17
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「火遁の術」「狐の嫁入り」「北冥《ほくめい》の魚」「遺書の罪」「二階の娘」「女の足跡」「雪の夜」「吹矢の紅」「白紙の恐怖」「六軒長屋」。 このうち「火遁の術」は読んだことがあり、かろうじて覚えていた。 「二階の娘」は珍しく人が死なない。ほとんどが殺人事件なのである。 いかに野村胡堂といえど、人死にのない事件を作り出すのは困難だったのだろう。 さすがによく言葉を知っており、「粗笨《そほん》な記憶」(p227)などという表現が出てくる。読者もたいてい知っている言葉だったのだろうか。 「そんなしみっ垂《た》れな三下野郎を相手じゃ役不足だ。」(p267)の「役不足」は正しい用法。 自分の実力に対して、役の方が不足している、ということ。「力不足」ではない。 知らなかった言葉。 「烏金《からすがね》を貸してひどい取立てをした」(p323)の「烏金」。 借りた翌日、元金と利息を返す高利の貸し金だそうだ。 巻末の「随筆」は、「ペンネーム由来記」。 その中に、(ここから)「にぎゑびす」に対する「あらえびす」で、更に砕いて言えば熟蕃《じゅくばん》に対する「生蕃《せいばん》」である。」(ここまで)とあった。 これも知らなかった。 「にぎゑびす」は「にしえみし」とも言って、朝廷に従順なえみし。「あらえびす」は帰順していないえみしのこと。 楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2006.01.12
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「お秀の父」「金蔵の行方」「巨盗還る」「活き仏」「刑場《しおきば》の花嫁」「懐ろ鏡」「梅吉殺し」「ガラッ八手柄話」「二人浜路」「十万両の行方」 さすが、と思ったのは、「お秀の父」に出てくる人相書き。 時代劇だと似顔絵になっていることが多いのだが、ここではちゃんと、顔の特徴を文章で書いたものになっている。 知らなかった言葉。「ズキが廻った」(p75) 手配される、目をつけられる、という意味。「大伴《おおとも》の黒主《くろぬし》などに化ける気遣いは」(p303) なぜここで六歌仙が、と思ったら、歌舞伎では、大伴黒主というと大悪人ということになっているのだそうだ。「議論はいずれ春永《はるなが》として」(p364) 「春永」とは、いずれ暇なとき、他日ゆっくりと、という意味だそうだ。 巻末の随筆「銭形平時以前」に「後の万朝報《まんちょうほう》」というのが出てきた。 「よろずちょうほう」のはず。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2006.01.06
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嶋中文庫。2005年2月20日第一刷。 「百物語」「南蛮仏」「忍術指南」「笑い茸」「許嫁《いいなずけ》の死」「紅筆願文《べにふでがんもん》」「金色《こんじき》の処女《おとめ》」「お篠姉妹」「禁制の賦」「ガラッ八祝言」 十巻目というきりのいい巻数だし、最後に八五郎が嫁をもらって終わるのかと思ったら、そんなことはなかったので一安心。 「金色の処女」は銭形平次第一作。 八五郎は出てこないし、お静はまだ、互いに憎からず思う間柄でしかない。 家光が出てくるのだから時代設定はかなり古い。 なぜ執筆順に収録していないのか不思議だったのだが、これを読んでわかった。 初期の作品は、まだ手慣れてなくて、ぎこちなさがあり、完成度が低く見えてしまうのだ。 話は大がかりなものなのだが、銭形平次の本領は、市井の事件で発揮されるべきものなのだ。もともと町方なのだし。 ほかの、円熟した作品を読んだ後でなら、第一作も興味深く読めるというわけだ。「吉備真備《きびのまきび》の読んだ野馬台《やばたい》の詩」(p214)。特に説明もなく出てくる。昔の人は教養があったのだなあ。「槍の棘《とげ》なんか残っていると、後でとがめ[#「とがめ」に傍点]るよ」(p340)。この「とがめる」は傷が悪化するの意。知らなかった。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.18
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嶋中文庫。2005.1.20。第一刷。 「死相の女」「金の茶釜」「敵討果てて」「三千両異変」「百四十四夜」「身投げする女」「不死の霊薬」「復讐鬼の姿」「七人の花嫁」「永楽銭の謎」 そしておまけに「コント 初姿銭形平次 八五郎手柄始め」がついている。 このうち「復讐鬼の姿」と「七人の花嫁」は平次の独身時代の話。 石原の利助は何度か顔を出すが、万七親分は出てこない。比較的初期の話が多いらしい。「郭巨の釜掘り」(p45) 二十四孝の一つ。郭巨が、母の食事を減らさぬ為、我が子を土中に埋めようとしたら黄金の釜が出てきた、という話。広く知られていたのだろう。「諏訪法性《すわほっしょう》の兜《かぶと》」(p71) 武田信玄のかぶっていた兜だそうだ。「樽天神《たるてんじん》をきめ込んで」(p198) 樽の上にどっかり座ることか?楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.15
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嶋中文庫。2004.12.20。第1刷。 「鈴を慕う女」「路地の足跡」「濡れた千両箱」「怪伝白い鼠」「朱塗の筺《はこ》」「お珊文身《ほりもの》調べ」「鉄砲汁」「お染の嘆き」「雪の精」「縁結び」 こうして題を並べてみると、その付け方の巧みさに感心する。 題を見ただけで、どんな話なのか興味をそそられる。 このうち「濡れた千両箱」はほかの本で読んだことがあるのだが、いつものことながら、すっかり忘れていた。 執筆順に並んでいるのではないので、設定がちぐはぐ。 「鈴を慕う女」は島原の乱の記憶も新しい頃、という設定。「近頃の東京と違って電気事業も避雷針《ひらいしん》もない江戸時代には、びくりするような大夕立が時々あったということです。」(p77) 野村胡堂は「夕立の女」でも、発電所ができて雷が減ったということを書いている。「喉仏の二つや三つローズにしたって構うことはねえ」(p219) バラ色にするということか?「昔は鎌鼬または神逢太刀《かみあいたち》と言っておそれたものです。」(p296) 「かみあいたち」が「かまいたち」に変化したのかもしれない。「峰の高い刃物――たぶん合せ剃刀《かみそり》かな」(P307) 合わせ剃刀がわからない。どんなものだろう。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.11.12
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「瓢箪供養」「平次女難」「玉の輿の呪い」「血潮と糠」「名馬罪あり」「受難の通人」「巾着切りの娘」「振り袖源太」「お局お六」「九百九十両」 これもまた読んだことがあるのもあるが、初めて読んだのが多い。 平次が発見したものが読者には明かされずにいることが多いので、本格ミステリではないが、誰が犯人かを予測する楽しみはある。 中には、「巾着切りの娘」のように、犯人捜しが主眼ではないものもある。 この話、むしろ犯人捜しを主にして、平次の手柄にしてしまった方が娘には傷が付かなかったのではないかとも思うが、最後の人情優先のためにはやむを得なかったのか。 この巻にはお神楽の清吉も時々出てくる。 こうなると、執筆順に読みたいものだ。 最初は石原の利助が張り合っていたが、病気になったり平次の世話になったりしてその娘が平次の力を借りることが多く、新たなライバルとして万七親分が幅をきかせてきたものらしい。 巻末の随筆は、「平次と生きた二十七年」と題して、擱筆の弁。 最初の方には「三百八十余編」とあるが、「四百二十幾編を通じて」という文章もある。「四百二十幾編」というのは、銭形平次以外の作品も含めての数だろうか。 今回も知らなかった言葉から。 「ガラッ八の八五郎は、あわてて弥蔵《やぞう》を抜くと」(p7) 人名かと思ったが、前後から考えて追い抜いたわけではない。 辞書をひくと、懐手で両手を握り、肩のあたりをあげるかっこうだそうだ。 「手絡《てがら》」(p123) 女性の髷の根本の飾りの布。 「伊達者《だてしゃ》」(p199) 「だてもの」と読むのかと思ったが、複数の辞書を引いても「だてしゃ」。知らなかった。 「油をかけてくれます」(277) 「油を差す」と同じで、力づけてくれることらしい。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.10.08
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「和蘭《オランダ》カルタ」「たぬき囃子」「捕物仁義」「嘆きの菩薩」「迷子札」「小唄お政」「結納の行方」「八五郎の恋」「麝香《じゃこう》の匂い」「富籤《とみくじ》政談」 大変だぁ! いやあ驚いたのなんのって。 巻頭の「和蘭カルタ」を読み始めてビックリ仰天。 「女房のお静が身重で、暮れまでには、平次も人の親になるはずだったからでしょう」(p8)と書いてある。 その後どうなったんだろう。 残念ながら執筆順に並んでいるのではないのでわからない。 あるいは、これにはこう書いたけれど、その後は全く触れていないのかもしれない。 気になってしょうがない。 読んだことのあるのもあったが、たいてい忘れているので、楽しく読めた。 今回は、正直なところ意味がわからなかった言葉について。 「少し天眼《てんがん》に歯を喰いしばった死顔の不気味さ」(p118)の「天眼」。 「宙をにらむ」というような意味かと思ったら、痙攣で眼がつりあがることのようだ。 「小唄お政じゃお職《しょく》すぎる」(p182)の「お職」。 「お職女郎」という、最高位の女郎のことだそうだ。 「七里潔灰《しちりけっぱい》(結界《けっかい》)」(p209)。 七里四方に結界を作って魔物を寄せ付けないことを「七里結界」といい、「けっかい」がなまって「けっぱい」になったのだそうだ。 「落しの中の石畳の下にあった、百二十両の小判」(p270)。 手元の「広辞苑」(第四版)には、「おとし」の項に「木製火鉢の内部の、灰を入れる部分。」というのがある。これのことか。 ああ、どうしてこう、世の中、知らないことばかりなのだろう。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.10.07
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嶋中文庫2004.9.20 第一刷「路地の小判」「二度死んだ男」「二本の脇差し」「金の鯉」「殺され半蔵」「幽霊にされた女」「呪いの銀簪」「江戸阿呆宮」「赤い痣」「幻の民五郎」 底本はかつて中央公論社から出た『銭形平次捕物百話』なのだそうだが、不思議なことに、執筆順に並んでいるわけではない。 「路地の小判」に「今(昭和十一年当時)」とあり、「殺され半蔵」に「今(昭和七年当時)」、「呪いの銀簪」に「今(昭和六年当時)」とある。「呪いの銀簪」では平次はまだ独り身。 また「幽霊にされた女」「幻の民五郎」では、初期の設定で、寛永ごろが舞台となっている。 この巻は殺人が多く、なかでも「呪いの銀簪」は陰惨な話である。 いつものことながら、テレビと違って銭を投げることは少ないし、万七親分が出てくることはほとんど無い。「赤い痣」に「三輪の万七親分のところに居る、お神楽《かぐら》の清吉」(p290)とあったのが珍しい。 万七親分と清吉は、おそらくテレビが作りあげたキャラクターなのだろう。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.10.05
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雨の山吹(著者:山本周五郎|出版社:新潮文庫) 「暗がりの乙松」「喧嘩主従」「彩虹《にじ》」「恋の伝七郎」「山茶花帖」「半之助祝言」「雨の山吹」「いじが奢る」「花咲かぬリラの話」「四年間」 最初の、悪人が心を入れ替える話と次の武士道物語以外は恋愛の関係する話。そのうち時代小説はハッピーエンドなのだが、最後の二作は現代物で、暗い面がある。 また、「花咲かぬリラの話」は設定としては無理がある。 それでも、いずれも山本周五郎の味があり、読後に独特の味わいが残る。 これを読んだのは「初蕾」を見たのがきっかけだった。 妻にあらすじを話したら、「それは昔、秋吉久美子でドラマ化されたものではないか」と言うので調べたら、そちらはこれに収められている「山茶花帖」だった。 身分違いの恋の成就という点では同じだが、味付けが違う。 終わりの方は、妻に聞いたドラマのあらすじの方が面白かった。 当人が知らないところで計画が進められ、訳もわからずあっちこっち行かされて、という方が展開としてはいいと思うのだが、分量が多くなってしまうし、作者として描きたかったのはそういう解決法ではなく、主人公の心だったのだろう。 新字新かななのだが、「画期的」ではなく「劃期的」となっている。(P212) 「歴史のどの一頁でも」(P214)の「一頁」は「いちぺーじ」と読ませるのだろうか。「いちけつ」ではわからないし、「いちよう」と読ませるなら「一葉」と書いた方がわかりやすい。楽天ブログランキング←よかったらクリックしてください
2005.01.26
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岡本綺堂妖術伝奇集(著者:岡本綺堂/東雅夫|出版社:学研M文庫) 妖女の登場する「玉藻の前」「小坂部姫」「クラリモンド(翻訳)」 いずれも独特の美意識によって書かれたもので、単なる正と邪、光と闇の戦いという話ではない。 世を乱し人を滅ぼそうとするものの美しさが描かれている。 「小坂部姫」では「天守閣」ではなく「天主閣」と表記している。 キリスト教の影響によって、教会をまねて造られたという説を最近読んだが、その名残か。 「まだまだ不幸が仕足らいで」(p415)は「不孝」の誤植。 戯曲「平家蟹」「蟹萬寺縁起」「人狼」「青蛙神」 いずれも怪異譚。歌舞伎と同じで、特に謎が解き明かされる、という訳ではなく、不思議な話は不思議なまま終わる。「青蛙神」は「猿の手」の本案だが、それとわからないほど独自性を持っている。 短編小説「青蛙神」「蟹」「五色蟹」「木曽の旅人」 いずれも読んだことのある話だが、文章に読ませる力があるので、新鮮な気持ちで読める。 随筆「江戸の化物」「高座の牡丹燈籠」「舞台の牡丹燈籠」「小坂部伝説」「怪談劇」「温泉雑記」 怪談の考証や、怪談にまつわる思い出話。知識の広範さを知ることができる。 「舞台の牡丹燈籠」の終わりに「巴里《パリ》にはバジン・テアトル(芝居風呂)などと洒落た名前を付けた湯屋もある。」とあるが、パリにも銭湯があるのだろうか? 関連資料「木曽の怪物」「蓮華温泉の怪話」 小説「木曽の旅人」の原話。こういうものを資料として採録してあるのはありがたい。(「玉藻の前」だけの感想はここ)
2004.11.16
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岡本綺堂妖術伝奇集(著者:岡本綺堂/東雅夫|出版社:学研M文庫)所収。 岡本綺堂の伝奇小説。 かつて天竺や唐土で世を乱す元となった魔女の魂が少女に乗り移り、少女はやがて魔性の女となる。 その一方で、少女の幼なじみの少年は陰陽師の弟子となり、魔物を退散させようとする側に立つ。 しかし、妖術使い通しの戦いが描かれているわけではなく、幼なじみを恋しく思う男女の葛藤や、世を乱そうとする怨念の暗黒美が中心。独特の美意識によって書かれた小説なのだ。 光と闇の戦いなどという図式化された話ではない。 こういうものを出版しておこうという志はありがたい。 もとは歴史的仮名遣いのもので、それを現代仮名遣いになおしてある。「御利益がなうでか」(p8)というところ「なうでか」ではなく「のうでか」にすべきだろう。「玉藻の前」だけの単行本もある
2004.11.12
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