今が生死

今が生死

2013.03.20
XML
カテゴリ: 生き方
s-FJ310124.jpg

庭の木蓮が満開になった。今日はお彼岸でお墓参りに行って午後2時からは今度山梨県の介護認定審査委員に就任したのでその勉強会に参加して午後5時に終了した。

木蓮は私が大学卒業後15年目で医学博士号を取得した記念に植えたものである。それから28年が経過した。毎年、春を最初に告げてくれてそれから桜が咲き始める。

お墓参りではこの頃自分もそれに近づきつつあるので亡くなった人達の年齢が否応なく目に入ってきた。私と同じくらい又は、それより2~3歳上で亡くなった人もいた。6つ上の姉も1昨年亡くなった。その姉の上に長女がいて7歳で亡くなった。その子は賢くて気立てがよく、自分たちの子供とはとても思えない子で母親はその子を尊敬し可愛くてたまらなかった。

ところが小学校に上がる直前、肺炎で亡くなってしまった。その悲しみは何にも例えようがなく、言葉にも言い表せない辛さだったとよく私たちにも話してくれた。その時妊娠中で3ヶ月後私のすぐ上の姉が生まれた。その姉は昨年脳梗塞を起こし入院中だが、様々なことで辛い人生だったろうなと思う。まだお腹の中にいた時、母親が例えようもない深い悲しみに襲われた。生まれてからも長女とその子を比べてしまい、その子をみても長女が生きていたらとの思いにかられることが多かったのではないかと思う。

そしてその子が2歳になった時、今度は私が生まれてしまった。当時は男の子願望が強く、女ばかりが生まれて5番目にしてやっと生まれた男の子で可愛くてたまらなかった。母親は世間で子供を差別して育てている話を聞くと自分は全く平等に育てたといつも言っていたが、実際意識的には差別心は全くなく平等の心で育てたと思う。しかし現実には潜在意識の中で亡くなった長女や、待ちに待って生まれた男の子の方に意識が行っていたと思う。姉は自分が疎外されているのではないかという思いに敏感に育った。反対に私は家でも学校でも贔屓されているように感じて育った。

後年その姉が、年老いた母のためにと思って配慮したことに対して母は「そんなことはしなくていい」と怒ったような口調で断った。それに対して姉は怒ってしまい、母と絶交し、数年間母のところに会いにこない状態が続いた。母は「なぜあの子はあんなだろう?」と悲しく嘆いていたが、母は意識していなかったがその子の生後数年間のさみしかった思いがそのようなかたちで現れたのではないかと思っている。

人の運命はわからない。生まれる前後の状況によってもその人の運命は違ってくる。姉がまだ2才の時、待ちに待たれていた自分が生まれてしまい、姉には申し訳なかったと思っている。その姉は今は脳梗塞も少しずつ良くなり、言葉や食事などのリハビリも進んでいる。母も、そしてその上の姉達も亡くなってしまった今、この姉にはうんと幸せになってもらいたいと願っている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.03.20 21:39:47
コメント(3) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: