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この「今が生死」というブログは2005/11/26に開始され約19年後の今日、アクセス数が2777777に達しました。7がずーと6個並んでおり、珍しいので写真に撮りました。実際にはどなた様もあらゆる数字の組み合わせを並べて、数字が増えていくのだと思いますので、この数字が別に珍しい数字ではないかも知れませんが、たまたまこの数字に近づいた時に側にいたので、しばらく別のことをしてこのPCに戻り、「ブログ管理」をクリックしたら一瞬2777777になっていたので写真を撮りました。そして急いでもう一枚撮ろうとしたらもう2777778になっていたので駄目でした。そのタイミングを外したら次に7を並べた数字なら3777777まで待たなければならず、それは7年後になり、7777777なら31年後になり、いずれも生きていないと思われました。たまたま2777777の数字のそばにいてそれを捕まえることが出来て良かったのか悪かったのか分かりませんが、何となく縁起の良い数字と思われたのでここに紹介させて頂きました。277万までこれたのは皆様のおかげと心から感謝申し上げます。
2024.04.10
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妻が何年も前に山梨県の観光地清里から買ってきたイベルス毎年春になると庭の一角にこの小さな花を咲かせます。昨日国会内で行われた裁判官弾劾裁判で仙台高裁の岡口基一判事(58歳)が罷免された。SNSでの投稿が問題視され、法曹資格もはく奪されるので弁護士にもなれない。これからどうして生きて行ったらいいのであろうか。ツイッターに17歳の少女が殺された事件について不適切な用語を使って投稿し、遺族から不快な印象を受けたと抗議があっても改めず「遺族は自分を攻撃するように洗脳されている」などと投稿して遺族にさらに不愉快な感情を与えたとして「国民から与えられた負託に反した行動である」と判断されて罷免されてしまった。投稿内容は罷免に相当するほどひどいものとは思われないが、遺族が抗議してからも投稿したとして人格的に裁判官に相応しくないと判断されたようだ。SNSへの投稿は何を書いても良いと思っていたのかもしれないが、投稿内容が個人が特定されるような内容は問題で、感情的になって何度も反論したりするのもNGで、裁判官は人格高潔でなければならないに反していると判断されてしまい、今後の生活をどうしたらよいか分からない状態に自らを落としてしまった。SNSには自分の思ったことを何でも投稿してよいと思っている人もいるかもしれないが、その内容によっては弾劾されて明日からの生活にも困る事態になるかも知れないので、その内容を十分吟味してから送信すべきだと思われた。
2024.04.04
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アメリカ在住の娘とその子供達は以前から我が家に近いところに住むピアノの先生にリモートでピアノを習っていた。毎年子供の夏休みには日本に帰国してその期間は直接お家にお伺いしてピアノを習っていた。私もピアノを習っていて夏の1日そのお宅で合同発表会が行われていたが今年はコロナの関係で日本に来れないのでそのリサイタルは中止と思っていたが、昨日娘から連絡がありZoomという会議システムを使って8月30日(日)にリモートリサイタルを行うという。私も参加ということで困ってしまった。あと10日しかない。私は高齢で覚えが悪い。おまけに元々運動や音楽ではすこぶる神経がにぶい。10日で何らかの曲がまともに弾けるだろうか?と思った。でも「後10日しかない」ではなく「後10日あるではないか」と思って練習に専念してその発表会に参加しようと思う。
2020.08.21
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オニユリ 花言葉:愉快,陽気、華麗、賢者京都で嘱託殺人容疑で2人の医師が逮捕された。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の51歳の女性の「死なせて下さい」という強い要望に沿って薬を投与して死なせた容疑である。患者さんは頭はしっかりしているが筋肉を動かす神経が障害を受けて筋肉が働かなくなり手も足も動かず呼吸する筋肉も働かず人工呼吸器に頼らなければ生きていけない状況である。ブログを書くには指でキーを打つことは出来ないので視線を動かすことによって入力するシステムのパソコンで書いていた。そのブログやツイッターというSNSを通じて二人の医師と知り合いになり今回の事件につながったものと思われる。手足が動き自分で食べたり呼吸したりできる人間にはそれらの患者さんの本当の苦しみは分からないと思う。「こんな苦しみを受けながら何故生きなければならないのだろうか。早く死にたい」の訴えは痛切で心に響く。しかしALS患者で参議院議員の舩後靖彦氏のコメント「私も当初は死にたい、死にたいと思っていた。しかし患者同士が支えあうピアサポートなどを通じて自分の経験が他の患者の役に立つことを知り、生きることを決心した。死ぬ権利より生きる権利を守る社会にして行くことが何よりも大切」に感銘を受けた。想像を絶する辛さだと思う。死にたいと思わない人はいないかもしれない。しかしその中で使命を感じて生きる決心をした人もいるのである。2人の医師は患者の苦痛に同情するあまり患者の希望に沿ってあげたのだと思われるが、SNSは交流が偏る弊害がある。舩後さん達との患者同士の交流が大きかったら死なずに新たな道を見つけ出せたかもしれない。手は使えないが何とか視線で文章は書ける。詩を書いたり小説を書いたりして人生を楽しく過ごせたかもしれない。二人の先生方は安楽死肯定派の先生と思われるが医師にもいろいろな医師がいる。宗教家とか文学者などもいる。想像を絶するような病気を持ちながらたくましく明るく希望を持って生きている人達もいる。もう少し社会や人生を広く見つめて頂きたかったと思った。
2020.07.24
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ゴルフ場に現れた鹿兵庫県の揖保郡揖保川町に住んでいる77歳の友人と久しぶりに電話で話をした。午前中電話した時当方山梨は雨が降っていたが揖保川町は晴れているとのことで畑に出て一仕事して帰ってきたところだという。最近腰が痛くなったり膝が痛くなったり小指が痺れたりするようになったとのことで私は「歳をとれば誰でもしかたないことだ」と思っていたら「便利な世の中になったものだな、インターネットで教えてもらってそれらが皆治ってしまった」とのことである。「小指が痛い、痺れる」とか「膝が痛い」と入力して検索すればいくつもの答えが出てきてその通りに実践したら治ってしまったとのことで、「お金はどのくらいかかったのだ」と聞いたら「全然かかっていないよ。強いてあげればスマホの電気代かな」とのことだった。詳細を聴くことは出来なかったがネットの情報で治ったことは確かなのでこのようなこともあるということでブログにアップさせて頂いた。どのような運動をしたのかどのような手当てをしたのかもっと詳しく聴いておけばよかったが治ることもあるという情報だけでお許し願いたい。彼は学生時代柔道をしていたので柔道整復師が行うようなことを自分でしたのかもしれない。しかしネットでは確かに「しびれ、小指」といれればそれに関する詳しい情報が山ほど出てくるので便利な世の中になったものである。その後頸動脈が70%詰まっている話になった。姫路の病院に行ったら検査してくれて「80%位になったらステントを入れましょう」と言われてそうなるまで経過観察でよいと言われたがそれまでの日常生活法とか薬の話などなかったのでこれもネットで調べてみたとのことである。そしたら九州久留米の病院で内科的に治療してくれる所があることが分かりそこに通院しているとのことだった。ネットの利用法については誤って用いれば不幸になるが彼のように上手に用いると非常に便利なものだなと思った。
2020.07.18
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ママの誕生日を花火をしながら祝っている子供達「日本全国8時です」はラジオで8時から放送されている番組で、月曜は時事問題、火曜日は医学的話題、水曜日は天気の話題、木曜日は科学的話題、金曜日は政治に対するコメントである。木曜日の月尾嘉男さんの科学的話題は最高に素晴らしい。それまでにいっぱい調べてきて15分間喋ってくれる。 私は毎木曜日を楽しみにしている。 非常に素晴らしいので貴方にもお勧めします。今日の話題はユーチュ-ブで流された7分間の奇跡でした。それは東京駅で新幹線が入ってきて清掃されてまた出て行くまでのシーンである。清掃員達は7分間で非常に早く適切に社内を整備する。この動画は世界中で称賛され、1日で何百万人が視聴し、日本のおもてなしの心も称賛されている。我々は車内清掃シーンがそんなに素晴らしいとは気づいていなかったが、外国人にとってはすごい驚きだったのである。我々は日本人の清潔さ、速さ、客に対する親切さなどを誇りにすべきだと思う。 "8.00 in all Japan" is broadcasted at 8.00 from Monday to Friday, Mondayis current topics, Tuesday is medical topics, Wednesday is weather topics,Thursday is scientific topics, Friday is current comments by radio. Thescientific topics by Mr. Yosio Tsukio on Thursday is excellent, he speaks 15minutes after many research. I am looking forward to every Thursday . Youshould hear it as it is wonderful.Today's topic was the 7-Minute Miracle which was an animation sent onwebsite, you tube. It is one scene of Tokyo station during the time fromarriving to start of bullet train. Cleaners keep up in the train within 7minutes very fast and adequately. The animation was admired worldwide,millions of watcher is counted in a day and the mind of Omotenasi of japanis also admired in the world. We didn't notice the cleaning scene sowonderful, but for the foreigner it was great astonishments. We should beproud of our cleanliness, speed and kindness for the guest.
2015.06.25
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いま英国のBBC放送で話題になっているレポートがある。貧乏なインドの少年が、退役したイギリスの女性教師にインターネットを使って勉強を教えてもらい、フィリッピンの大学医学部で学ぶことになった話である。5年前インドのカーン少年が13歳の時友達と一緒にイギリスの退役教師フューウイング先生とメール交換を始めた。彼は英語などをみっちり教えてもらって学力を磨き、医師になる決心をして、英国の大学で勉強したいと相談するが、進路についてもフューウイング先生は色々アドバイスしてくれて結局フィリッピンで学ぶことになった語である。60歳のフューウイング先生は退役したがまだまだ少年少女たちを教えたい気持ちに満ち満ちていた。インターネットを通じた生徒は最初はたくさんいたが次第に脱落して最後はカーン少年だけになった。かなり厳しい教え方だったがカーン少年はそれについてきてくれて実力を磨いてきた。二人はいまだに一度も直接会ったっことはないが、お互いにどちらかの人がいない人生は考えられないという位に親しいフレンドシップを築いてきた。インターネットの出現により、世の中はぐんと縮まった。昔ならインドの少年が何千マイルも離れた異国の教師に教わって医師になるなどと言うことはとても考えられないことである。便利になったものである。インターネットを上手に利用してこれ以外にももっと成果を上げたいい話が探せばいっぱいあるかもしれないと思った。
2014.04.25
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庭の朝顔私は高校3年くらいからよく日記を書いてきた。大学ノートの一ページを使ってその日に自分が感じたことやダメだったことなどを書いてきた。でも8年前の2005年11月からブログを書き始めたので以来その紙日記は一度も書かれれず、白紙のままだった。久しぶりに取り出して書いてみたが机の上にはパソコンが載っていて、大学ノートを開くスペースがなく、膝の上に大学ノートをおいて書いた。同じ日記でもブログは公開されるので個人的なことはなるべく避けて、日々の事件や政治的動向等に対する自分の感想を述べることが多いが、紙日記では自分だけのものなので自分の内面的なことや「こんなことではだめだ」と自分を鼓舞する内容が多くなる。8年前の紙日記を読んでみたら今のブログの内容よりスケールが小さかったように思えた。確かに紙日記とブログの役割は異なり、ブログを書くから紙日記はいらないということにはならないと思うが、ブログも日記であり、ある程度は代用できて、紙日記より優れた面があると思えた。そのひとつは文章力である。紙日記なら誤字があっても文章表現が曖昧でもどうせ誰かに見せるものではないのだからと雑のままにしておくことが多いが、ブログだと何回も読み直し、何回も書き変える。従って紙日記よりブログの文章の方が洗練されて読みやすい。紙日記を書いたことがないで人もブログを書いている人はいる。ブログは紙日記の代用になるし紙日記にはない文章を洗練させる側面も持っており、皆さん大いに活用したらいいと思う。
2013.08.01
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岩手県の県会議員が、県立中央病院で名前でなく番号で呼ばれたことに腹を立てて病院に抗議の電話をしたり、お金を払わないで帰ってきたことなどをブログに書いたら批判の電話やメールが殺到し、東京のフジテレビまでもが取材に駆けつけるという大騒ぎになった。そしてその方が本日車の中で遺体となって発見された。ブログは本来日記という意味で、日記はその日の出来事や感じたことを書くもので、自分の本心や、秘密を書く事が多く、その日に頭にきたことなどは真っ先に書くことになる。復興庁の参事官が「左翼の犬どもが騒いで哀れに思った」なども最も日記に書きたい内容である。Web上でなく昔ながらのノートに書いた日記ならなんら問題はなかったが、web上に書いたために一人の方はお亡くなりになり、もうひとりは左遷された。ブログやツイッターをこっそり書いていた日記と同じようなものとどこかで思っていたことが今回の大事件に発展してしまった原因の一つだと思う。またブログやツイッターを書く時、ブログ読者は自分の味方、自分のフアンと錯覚してしまう怖さがある。実際にはただ読んでくれるというだけでフアンでも何でもないのである。変なことが書いてあれば一斉に批判の嵐が巻き起こるのである。それと各人の社会的立場がある。「番号で呼ばれて頭にきた」と一般の人が書いたら誰も反応しないだろうし問題にもならない。県会議員や復興庁の参事官という社会的に重要な立場の人のブログやツイッターということで騒ぎが大きくなったのだと思う。公な立場にある人はブログの内容や表現に気をつける必要があると思う。一般人は何を書いても咎められないと書いたが、基本ルールは同じだと思う。秘密のことや頭にきたことなどは今までとおり大学ノートに書いて引き出しの奥の方に隠しておくべきだと思う。公開されるのだから、引き出しに隠している日記とは違うことを肝に銘じて、自分のことばかり書くのはほどほどにした方がいいと思う。ほんの少しでも社会のお役にたてたら、という気持ちが根底になかったら、ブログを書く資格はないのではないかと思っている。
2013.06.25
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