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カランコエ(7月のピアノ発表会で貰ってきた花がまた咲いていた)琴桜が豊昇龍との一敗対決ではたき込みで豊昇龍を下して14勝1敗で初優勝を飾った。琴桜は第53代横綱の先代琴桜の孫である。5歳くらいの頃からおじいちゃんに手を引かれてあちこち歩いていたおじいちゃん子だったと解説の琴風さんが話していたが、横綱になったおじいちゃんに憧れ、自分もおじいちゃんみたいな横綱になりたいとずっと思ってきたとのことである。優勝すると多くの力士は感極まって涙を流すが、琴桜は泣かないでずっと前を見ていたことに対し、解説の舞の海さんは「この優勝は通過点に過ぎない。このくらいのことで喜んでいないで必ず横綱になる」との決意の表れではないでしょうかと言っていた。琴桜の優勝インタビューでも「先代が喜んでくれていると思うがこれくらいで満足してはいけないと言われていると思う」と言っていた。琴桜が神のように崇めている先代の琴桜はどのような人だったのだろうか。昭和15年(1940年)生まれで私とほぼ同年代で現役時代の先代琴桜はよく知っている。優勝は5回しているが、大関時代はカド番3回、勝率も悪くて大関在位32場所、とても横綱にはなれないだろうと思われていた。ところが2場所連続優勝したら横綱になれるとの規約があり、成績芳しくなかった大関が思いがけなく横綱になり、世間は驚いて「老桜の狂い咲き」と噂した。横綱になったのは32歳でその後あまり活躍できなくて引退して親方になり、65歳定年で辞め、糖尿病と心臓病があり、66歳で生涯を閉じている。琴桜からみると、とてつもなく偉大な先代だが、大関時代および横綱になってからの先代を知っている者から見るとそれ程の力士ではなかったという印象である。琴桜は今27歳、伸び盛りである。次の初場所優勝すれば横綱になれる。今場所みたいな根性ある相撲をとれば強い横綱になり、先代よりはるかに偉大な横綱になるのではないかと思う。先代に憧れて遂にここまできた琴桜、おじいちゃんをはるかにしのいで素晴らしい活躍をしてもらいたいと願っている。
2024.11.24
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ポインセチアカレンダーに赤丸が付いていて祝日になっているが何の祝日なのか分からなかったが、近づいて読んでみて初めて勤労感謝の日と分かった。近年勤労といえば働かせすぎが問題になり、働き方改革などで時間短縮や休憩時間の延長など、勤労を悪者にみる風潮が強く、勤労は大切だ、勤労に感謝しようという掛け声は小さくなっている。しかし勤労は人類にとって極めて重要なことなので当祝日の意義について解説させて頂く。元はと言えば収穫祭である宮廷行事、新嘗祭が11月23日に行われていたのを引き継いで1948年に働くことやその成果を尊重して個々の労働が社会全体を支えていることに感謝の気持ちを共有しようということで勤労感謝の日が制定されたとのことである。勤労には様々な形がある。生活のために給料をもらうための労働、主婦の炊事選択等の家事労働、米や野菜、果物、水産、畜産物などの生産のための作業、給料とは関係ない自治会活動やボランテア活動、など様々である。何のために働くかは個々人の考えで違っている。金を稼ぐために働くという人もいれば、人様に喜んでもらうために美味しい果物や野菜を作っているという人もいる。金を稼ぐための労働でもそこで造りだす製品によって人々を喜ばせたり、満たさせたりしている。自覚している、いないに関わらず、働くことは全て社会に何らかの影響を及ぼしている。殆どの労働は社会に貢献しているが、中には小林製薬の紅麹のように、腎臓病を引き起こすというマイナス結果を引き起こすこともある。製品を作る場合は常に、使用者を念頭において、その人達に害を及ぼさず健康で幸せになって頂きたいを念頭に仕事をしていく必要があると思う。仕事には大勢で力を合わせてする仕事と、自分一人でしなければならない仕事があるが、共同作業の一員である場合でも終局的には自分の責任で仕事をすることになる。個人の仕事への取り組みの姿勢で製品が良くも悪くもなる。勤労感謝の日を契機に、各人それぞれの仕事に対する気持ちを点検し、ミスを起こさないで利用者に喜んでもらえるようにとの新たな決意の日としてもらいたいと思う。
2024.11.23
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アツバキミガヨラン(ユッカグロリオサ)昨日と今日、テレビで観ていた有名人2人の死を知った。一人はNHK衛星放送の「日本縦断こころ旅」で14年間自転車で日本中を旅していた火野正平さんで腰痛の治療中腰椎骨折をして体調をくずしてお亡くなりになったとのことである。昨年までは坂道でも自転車で元気いっぱい登ったりしするし、旅の途中の飯店での料理の食べっぷりも豪快でお元気な方だなと思っていたが75歳の生涯を閉じられた。もう一人は相撲解説でおなじみの北の富士勝昭さんで心臓が悪かったとのことで心臓病でお亡くなりになったらしい。軽妙で少しくだけた解説は人気があった。82歳とのことである。お二人とも大変お元気そうに見えたので突然の訃報に驚いている。誰でもいつかは必ず死ぬが、その死を考えるうえで重要なことの一つは死ぬ時だと思う。比較的若い年齢だと本人もやり残したことが多いだろうし、周りからも惜しまれることが多い。高齢の場合はもう十分生きたと思い、周囲もそう思う。なるべく長生きした方が良いように思われる。次は内容だと思う。人生を一つのドラマと考えるなら長いけれどつまらないドラマもあるし、短いけれどキラキラ輝いている素晴らしいドラマもある。必ずしも長く生きればいいと言うものでもない。三つめは後世とのつながりである。生命は永遠であると信じている人もいれば死んでしまえばそれで終わりだと考えている人もいる。私は死とは一時的な休息でまたいつか目覚めて生まれ変わってくるのではないかと思っている。宿根草の植物は花を咲かせた後は枯れてしまうが、適度の温度や期間を経るとまた芽を出して花を咲かせて枯れていきそれを繰り返している。人間を含めて動物の死もそれと同じではないかと思っている。その死は来世につながっていると考えるならこの世で長く生きるとか短く生きるとかはあまり大きな問題ではなくなる。つまらないドラマよりいいドラマの方が良いが来世があると考えれば次はもっといいドラマを演じようと考えることも出来る。今生を素晴らしい人生にしようと努力して生きることは大切だが、死によって今までのことが全てが無くなってしまうと考えるのはあまりに殺風景だ。正平さんも北の富士さんもいつかまた生まれ変わって出現してくるのではないかと思っている。どこかでお会いするかもしれない。
2024.11.21
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チェリーセージ今日も1日が始まった。病棟回診の為に廊下に出るとあちこちで看護師や看護助手、理学療法士、ケースワーカー、薬剤師、病棟クラークなどが忙しげに歩き回っていた。入浴の為に車椅子に乗せられた患者さんや見守られながら歩行訓練をしている患者さんもいた。夜は夜で夜勤者が静かに管理してくれていたのだと思うが朝になると一斉に動き出し、さながら戦場のようだった。私も彼らにつられてそのリズムに合わせようとしたが、リズムに少し乗っていないように思えた。それでも病室の受け持ち患者さんの回診が始まったら、私のリズムが出てくる。認知症の患者さんが多いが、「今日もリハビリ頑張りましょうね」と言うと皆さん笑顔で応答してくれる。これが楽しい。中には寝ている人もいるが、足の指に触って声をかければ大概は起きてくれる。急に起こされて寝覚めが悪いかなと思い「寝ている所を起こしてごめんなさいね」というと殆どの人が「いいえそんなことはありません。回って来てくださってありがとうございます」と笑顔で答えてくれる。脳梗塞後で意識が全くなく、何の反応もない患者さんにも同じように声をかけて歩く。2階、3階、4階を回るが、4階には感情の起伏が大きく、失禁などで看護師を煩わせている75歳の認知症の女性患者さんがいる。音大を出てその後は歌手として場末の酒場を回っていたことがあるとのことだった。一曲歌ってくれますかとお願いしたら、越路吹雪の「ろくでなし」を歌ってくれた。ろくでなし ろくでなし なんて酷い 言い方ー^^♪ 声もいいしリズムも抑揚も素晴らしく回診の度にその一節を歌ってもらっている。他にも歌える歌は沢山あり、楽譜をみればどんな歌でも歌えるとのことだった。回診では軽症もいるし意識のない重症もおり、感染症で熱が下がらなくて気をもんでいる患者さんもいるが、患者さんと触れ合えることでこちらも元気をもらっている。自分は前夜とか朝調子の悪いこともあるがひとたび病院に来ると元気になる。この仕事を続けさせて頂ける福運に感謝している。
2024.11.19
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何気なく玄関を見たら白いサザンカが咲いていた古代ギリシャの医師ヒポクラテス全集に「医師は生き生きとした雰囲気を身につける必要がある。しかつめらしい硬さは健康な人にも病人にも拒絶的な感じを与えるからである」医師が生き生きとして気さくな感じであれば患者さんも話しやすいし不安が和らぐこともある。また「人間への愛のある所に医術がある」とも述べており、医学の根本は人間への慈愛であると教えている。たまたま成績が良かったから医学部に入ったという人もいるが、医師の資質は成績よりも人間性だと思う。成績は悪くても、人間愛にあふれていて医学に興味のある人は何年浪人してもよいから医学部に入ってもらいたいと思う。
2024.11.17
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アメジストセージ昔、若手医師たちが集まるある会合で「優しさ」についての講演を聞いたことがある。「もし他人の不幸を傍観して同情しても手を差し伸べないとすればそれは優しさではなく冷淡な人と非難されても否定できない。泥まみれの実践と溢れる正義感、エネルギーに満ちた生命を伴って初めて優しさは現れてくる」との教えだった。医の原点はこの「優しさ」であり、それを発揮するためには日進月歩の医学の研鑽は勿論だが、強靭な精神や肉体の錬磨が必要であるというものであった。ロシアとウクライナ戦争、ハマスとイスラエル戦争ではもちろん、シリアやアフガニスタン、リビア、イエメン、ミヤンマー、スーダンなどでは今でも内紛が続いており、多くの人命が失われている。医師は目の前の患者さんの治療に当たる一方で、紛争で失われている命のことも思う。国境なき医師団の一員になって活動を続けている人もいる。その悲惨な状況に心を痛めていても何もしないのは卑怯者であり、泥まみれの救出行動があって初めて優しい人間と言えるとの講演はかなりハードルが高く、現実には何もできなくて忸怩たる思いでいる。せめて被害者の救出や衛生環境確保のためにささやかな寄付を行っているが、根本的解決にはならない。政治家を志したのはそのためだが願いをかなえることは出来なかった。
2024.11.16
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サルビアガラニチカ(メドーセージ)一般職員も自分自身も気が付いていなかったが、よく考えてみたら私が当院で最高齢者になってしまっていた。非常勤で名誉職の先生が私より数か月高齢だが常勤職員の中では私が最高齢者だった。廊下を歩いていると容易に追い抜かれてしまうし、先方を歩いている職員を見ると足取りは軽いし早い。自分はどうしてこんなにのろくてよたよた歩いているのだろうかと考えたら、自分の半分も年齢を重ねていない職員が主体の職場なので、彼らはサッサと歩いているのだと気が付いた。気がつかなかった方が良かったのかも知れないが、看護師たちは私を最高齢者とは思っていなかっただろうし、私もそうは思っていなかった。歩き方や歩く速度で初めて年齢差に気が付いた。意識すれば歩き方だって彼らに負けないと思う。今後は歩き方に気をつけようと思うが、逆に考えると歩き方を除けば全て彼らと同等、若しくは彼らより能力がある(自己判断なので思い上がりがあるかもしれない)ようなので、歩き方に気を付けて彼らに負けないようにしようと思った。
2024.11.15
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シバザクラは春咲く花だが庭を見たら今は深秋なのに咲いていた。12月8日に県民文化ホールで第九の演奏会があると知ったがこんなに遅くなっては券はないだろうと思って電話してみたらまだ券はあるというので有頂天になって文化ホール迄早速券を買いに行こうとしたら妻が「そんな遠くまでわざわざ行く必要がない。セブンイレブンで買えるのだよ」と教えてくれた。早速文化ホールに電話してその方法を聞いた。この電話で購入して頂き番号を伝えるのでその番号をセブンイレブンに示せば券は自動的に出てきてお金も払うことが出来るとのことだった。そのようにしたら手数料を192円取られたがあっという間にチケットを手にいれることが出来た。便利な世の中になったものだと思った。今年はベートーべンの傑作「交響曲第九番」が初演されてから200年の節目にあたる。最終楽章の「歓喜の歌」は日本でも大いに親しまれている。ベートーべンは1770年12月ドイツのボンに生まれた。父は歌手だったがひどい酒飲みで一家の生活は貧しかった。しかし彼は幼い頃から才能を発揮して11歳でオーケストラの一員になり、父の代わりに家計を助けた。16歳の時、最愛の母親を結核で失い失意の存底に沈んだ。21歳の時オーストリアの作曲家ハイドンに師事するため音楽の都ウイーンに渡った。彼は貴族の屋敷で演奏したり、ピアノを教えたりして生計をたてていた。しかし20歳代後半次第に音が聞き取れなくなってしまったのだ。音楽家にとって聴力を失うのは死にも等しいので次第に人前に出るのが少なくなり、密かに治療を続けたがその効果はなく、31歳の時には日常会話に困るほど聴力が落ちてしまった。1802年10月(31歳)に書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」の中で絶望がもう少し大きければ、自らの命を絶っていたと記し、芸術だけが私を引き止めた。自分の中にあると感じているもの全てを生み出すまではこの世を去ることはできない」「忍耐、それを今私は自分の道しるべとして選ばなければならない」と述べていた。難聴以外に経済苦にも悩まされながら創作の手を休めることはなかった。40歳代半ばになると補聴器を使い、その後は筆談でコミュニケーションをとるようになった。交響曲第九番は晩年の1824年(53歳)に完成させたがその頃は耳は殆ど聞こえなくなっていた。第九の初演の頃から体は衰弱し、数回手術を受けたが体が良くなることなく1827年3月56歳で人生の幕を閉じた。生命を鼓舞してやまない人生への贈り物「第九」は決して順風の中でなく、逆境にさらされた苦闘から、そして不屈の志から生まれたものだと言われている。そのようないわれを知ったからにはベートーベンの苦痛や願いをよく聴いて来ようと思っている。思いがけなくチケットがとれて本当によかった。
2024.11.13
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ナンテン先週変形性膝関節症の手術をしてその後のリハビリ目的で入院してきた女性は91歳だったがハキハキしていてすこぶる元気で老人とはとても思えないたたずまいだった。11月8日NHK放送の「ときをかけるテレビ:きんさんぎんさん100歳のとき」では約30年前放送された100歳になっても元気で活躍していたきんさんぎんさんの生活ぶりの再放送だったが、お二人は双子の姉妹で当時100歳以上の人は珍しく4000人位だったが今は99万人ですぐ10万人になろうとしているとのことだった。日本人は確実に長命化しており、生まれる子供の数は年々減少して子供や若年者が減少して高齢者が急激に増えている超高齢化社会になりつつある。今までは生まれた子供を立派な社会人に育てた後は役目を終えて静かに消えていくのが高齢者の人生と考えられてきたが、現在の年齢別人口構成分布をみると、高齢者や老齢者は次世代にバトンを渡す役目だけでなく、れっきとした社会の一員であり、自分達の生活の質を高めることを考えてもよい世代と位置付けられるのではないかと思えてきた。市の広報では手芸教室、書道教室、合唱クラブ、読書クラブ、英会話、体操クラブなど様々な習い事の誘いをしている。昔は「年寄りの冷や水」と言って、年寄りは若い人がやるようなことをするべきではないと戒めていたが、最近の趨勢は、年寄りでも何でも貪欲に学んで人生をエンジョイしていこうという空気になりつつある。齢をとったら若い人たちに養ってもらうという考え方も改めていく必要があると思った。齢をとることの意味が変わり、老年者の役割も変わってきているなとつくづく思った。
2024.11.12
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アメジストセージ(サルビア レウカンサ)昨日87歳のパーキンソン病の男性患者さん宅に訪問リハビリに行ってきた。理学療法士は毎週リハビリ施療に通っているが医師は3か月に一回リハビリ施療が効果をあげているか確認するために訪問することになっている。今回で3回目の訪問だが相変わらず寝たきりで、予定されていた白内障の手術も全身状態不良で中止になり、眼もほとんど見えないみたいで、いよいよ人生の終焉を迎える頃なのかなと思ったが、話を聞いてみたら食事をする部屋やトイレに奥さんが連れて行き介助しながら食事を食べさせたりトイレをさせたりしているとのことで、できるだけ今までの生活スタイルに沿うようにしているとのことだった。車椅子でなく今度は歩行車でトイレに行けるようにしたいとも言っていた。プロの理学療法士も手を取ったり両肩で各腕を支えて歩行訓練を行おうとしているが中々困難で歩行器歩行は難しい現状だが、土日手伝ってくれる息子さんやヘルパーさんの力を借りて不可能と思えることも出来るようにしてしまう奥さんなのでやってみて下さいとケアマネさんが激励していた。目がほとんど見えなくて耳も殆ど聞こえない中で何とか意味を汲みとって意志の疎通を図り、患者さんが満足するように介護している奥さんの行動をプロのセラピストも賞賛しており、「奥さんから自分の方が教えてもらうことが多い」と言っていた。近く一泊旅行で富士山が見える河口湖に行ってくるとのことで眼も見えない患者さんにどうして富士を見せてやるのかなと思ったがご夫婦のコミュニケーションの中で決まったことだと思う。私が最も感心したのはケアマネさんが教えてくれたことだが、数日前に、寝ダコの重症化したものである褥瘡が出来ていたのを奥さんと息子さんでマッサージしたり塗り薬を変えたりして治してしまったとのことである。ケアマネさんによると、今までにも何度も褥瘡が出来たがその都度奥さんと息子さんが協力して治してきたとのことである。褥瘡は一度出来ると治すのは困難で、私達も大変苦労している病気だが、出来る度に治しているとはすごいことで、その方法を教えてもらいたいと思った。パーキンソン病で85歳以上に生存するのは稀で、肉体的にも精神的にも困窮の極致にあると思われる患者さんと精神的交流を保って、QOLが向上するように日々努力しながら、一方では自分の仕事である琴の師匠として、琴教室も別の部屋で続けているというのだから凄い人だなと思った。
2024.11.09
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今日も庭で咲いているマーガレットコスモス遂に全世界が注目しているアメリカ大統領選の投票日がきた。投票では大統領候補者の投票と連邦議会選挙、上院と下院の選挙も行われて行政府と立法府が決まり、司法長官などは連邦議会で決めて大統領が任命する。大統領選は各州に選挙人が定められていて州ごとの勝者に選挙人数が全てその候補者の人数となり最終的には選挙人数が多かった者が大統領になる。8年前のヒラリークリントン氏とトランプ氏の決戦では全体ではクリントン氏の方が200万票以上多かったが、選挙人の数ではトランプ氏の方が74人多く、過半数の270人を超えて大統領になった。勝った州で選挙人の数を全員勝者に渡すのは不合理である。選挙人数が50人の州では勝者が40%の得票率、敗者が30%の得票率なら無効票を除いた票数の割合6対4の割合で選挙人の数を分配して30人対20人にすべきでそれが死票を少なくする民主的方法で即時改めるべきだと考える。現行の仕組みでは死票が多く、国民の意思を反映していない極めて不備な選挙制度だが、今回はその方法で投票が行われたのでその方法で当落を決めなければならない。最終結果は数日かかるとのことだが、今流れてきている速報ではトランプ氏優勢の形勢だ。事前の調査で両者極めて伯仲しており、最後の最後まで大統領は決まらないかも知れないが、私はトランプ氏が勝利するのではないかと予想する。トランプ氏はロシアとウクライナ戦争、イスラエルとハマスとの戦争を即時解決、終戦させると言っているが、その方法論には問題はあるかもしれないが、毎日、毎日多くの死者を出している両戦争が終了するなら歓迎する。
2024.11.06
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家の裏側にまだウズラバタンポポがひっそりと咲いていた大方の予想を覆して横浜ベイスターズと福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズは4勝2敗で横浜が勝ち日本一になった。ホークスは42の貯金(勝ち越し)があってぶっちぎりのパリーグ優勝だったのに反し、ベイスターズは2試合しか勝ち越しがなく、セリーグの優勝チームから8試合も離されて3位だっただけに誰が考えてもホークスの優勝は間違いないと思われた。ところがその反対になってしまったのだから短期決戦の特殊性を思った。横浜が何故勝てたのかその要因を考えてみた。ペナントレースの成績から「横浜など問題にならない」という油断がホークス選手の心の中に生じてしまっていたのではないかと思う。反対に横浜は、「とても勝てる相手ではない。当たって砕けろで全力でぶち当たっていくしかない」という覚悟が大きかったのではないかと思う。個人的には第2試合から第6戦まで連続5試合に打点をあげてMVPを獲った桑原の活躍が際立っていたが三浦監督以下全員が一丸となって戦った結果だと思う。桑原はシリーズ前は守備力では定評があったが打撃面では好不調の波があり、これほどの活躍するとは思われていなかった。第2戦敗戦後の選手同士のミーティングがそのきっかけになったと言われているが、どこかでスイッチが入り、攻守両面で縦横無尽の活躍をすることになったのだと思われる。表のMVPが桑原なら陰のMVPは戸柱捕手だと思う。今シーズンの正捕手は山本捕手で戸柱は控え捕手だった。ところがその頼みの山本捕手が9/16の広島戦で死球を受けて右手の尺骨を骨折してしまった。チームとしては絶望的なダメージを受けたがその後控えの戸柱がその穴を埋めてクライマックスシリーズのMVPになり、日本シリーズでも強打のホークス打線を完全に抑え込んだ。抑えるのは投手だが、その配球のサインは戸柱が出していた。ホークスの4番山川はホームラン王であり打点王だ。その前後を打つ首位打者近藤や勝負強い柳田がいる。その3人が起爆剤で打ち出したら止まらない。たちどころに叩き潰されてしまう。しかし第3戦以後はその3人に連打を与えなかった。投手が潜在力を発揮して絶妙の投球をしたからだと思うが、それを支えた戸柱の功績は大きい。戸柱は打撃でも大切な所で打っており、殊勲者の一人に上げられると思う。打撃では他に、オースチンや筒香、牧、宮崎、佐野、森、等も活躍し、投手では東、大貫、ケイ、ジャクソン、坂本、森原、伊勢、濱口なども活躍して全員野球で勝ち取った日本一だと思う。来シーズンはこれを起爆剤にしてペナントレース優勝を目指して頑張ってもらいたいと思う。
2024.11.04
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今の時期は咲いている花が少ないが千日紅はまだ咲いている妹からもらって植えたケイトウも未だずっと咲いている大谷、山本が所属するロスアンゼルス ドジャースがワールドシリーズで4年ぶり8度目の優勝を遂げた優勝パレードの様子をテレビで観た。ロスアンゼルス市民が25万人も押しかけたというから凄いことだ。このシリーズは大谷は第2試合で2塁盗塁で滑り込んだとき左肩を脱臼して重傷を負ってしまった。ロバーツ監督は大変心配したが大谷が試合に出ますということで次の第3、第4、第5試合に出場して打席に立った。結果は3試合で1本ヒットを打ったが殆ど目覚ましい活躍は出来なかった。同僚のフリーマンは各試合に連続ホームランを打って勝利に貢献しMVPを獲ったがそれ以上に期待されていた大谷は三振や凡打の山だった。優勝はしたが自分はあまり活躍できなかったので内心忸怩たる思いがあったと思われるが、優勝の瞬間やパレードでは本当に心から喜びはしゃいでいた。負傷を押しての出場については彼がいるだけで優位に立てると考えたロバーツ監督の判断だと思われるが、大谷もバットを十分振り切れないことは感じていたが監督の気持ちを汲んで自分のベストを尽くすつもりで頑張ったと述べていた。大谷は技術が優れた大打者だけでなく、怪我という不幸に見舞われても挫けることなく、明るく自分の出来るだけのことが出来る精神的にも強い選手で改めてその偉大さを思った。
2024.11.03
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玄関の所で咲いているツワブキ昨日日本シリーズ第5戦、ベイスターズがソフトバンクを7対ゼロで下して3勝2敗、あと一勝すれば日本一という大手をかけることになった。戦前の予想は実力のパで2位以下を13.5ゲームも引き離してぶっちぎりでパリーグ優勝を飾ったソフトバンクの強さは際立っており、対する横浜はセリーグ優勝巨人に8ゲーム、2位阪神に4.5ゲーム離された3位で貯金は2ゲームしかなく、クライマックスシリーズを勝ち抜いてきたとはいえ、ソフトバンクの強さに比べればライオン対ネズミのようなもので、あっという間に決着がつき横浜は一勝もできないだろうと思われていた。開幕1,2戦はまさにその予想通りで、横浜は簡単にひねられてしまった。その後ソフトバンクの本拠地福岡ドームに移動して試合するのでソフトバンクは益々優位になって4連勝で優勝を飾るのではないかと予想された。所がである誰も思いもしなかったことが起きたのである。3戦目は4対1、4戦目は5対0,5戦目は7対ゼロで横浜が勝ってしまったのである。だれも造像しなかった展開である。後2ゲーム残っており、その2ゲームをしぶといソフトバンクが物にしてソフトバンク優勝になる可能性は十分あるが、昨日までに3勝2敗とした横浜は凄い大健闘だと思う。誰もが簡単に負けると思っていたチームが5戦目までに3勝2敗とした戦績は多くのダメ人間に光明を与えたと思う。戦う前からとてもかなわないと思い、対戦しても簡単に負けてしまう。そういう人が世にあふれていると思う。今年の日本シリーズはダメ人間でも勝つことがあることを教えてくれた。私もそうだが戦う前から巨大な相手には負けるに決まっていると思っている諸君は今年の横浜のようなことがあることを知って、怖気ることなく敢然と向かって欲しいと思う。
2024.11.01
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