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◆午後から話し方教室です。 3名の受講です。 内容を濃くしたいですね。 即席スピーチを準備しました。 ハラハラ、ドキドキのスリルある講になりそうです。 楽しみに 話し方の講座はこちら 結局4名となり、即席スピーチはナシでした。
2006.06.17
◆最終の打ち合わせを今日行います。 残り5席まで来ましたので、後は当日運営の打ち合わせです。 会場のあまり良くないので、接近戦を重視して満足度を落とさない戦略でいきます。 まだお申込がお済でない方は、いますぐお申込を! このセミナーは、貴方の未来を開きます。 人前で話してひと儲け!営業力の強化なら、こちら 箱田忠昭感動セミナー受付中
2006.02.18
◆アメリカの大企業の社長の72%が、成功した理由を聞かれて答えた回答。 『私が成功した一番の理由は、コミュニケーション能力を身に着けたから』 フォレスト出版さんからの資料にあった言葉です。 人生を変えたい貴方へ。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.24
◆箱田先生に影響されたのは、座禅です。 箱田先生は、座禅をするために鎌倉に引越したぐらいで、かなり前から座られています。 私も一度は経験したいと思い、鎌倉を探しましたが良くわからんのです。 そうこうしていると風のたよりで、永平寺で素人でも受け入れてくれるという話が舞い込んで来ました。 そこで問い合わせてみると、日帰りで2時間程度座るコースと泊りがけのコースがありました。 日帰りはどちらかというと観光用で、私は泊のコースを選択しました。 3泊4日食事付きで、1日2000円程度。 めちゃ安のコースです。 ところが起床が4時か5時、消燈は8時ごろだったと思います。 お経を上げ、奉仕をするだけです。 鎌倉の座禅は、向かい合って座るのですが、永平寺は壁に向かって座るので多少流儀が違うそうです。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.22
◆デールカーネギーで、アシスタントをしていて凄い人との出逢いがありました。 今は亡き、森先生は三井物産の副社長をされた方です。 その森先生は、82歳で現役のインストラクターでした。 最後に受け持って頂いた授業のアシスタントを勤めさせて頂いて光栄です。 背筋は、まっすぐ。記憶もばっちり。 良く覚えていますし、人のことを良く見ています。 カーネギーのトレーニングでは、即席スピーチというのがあります。 まずアシスタントがテーマを読み上げます。 次に、スピーカーを指名します。 スピーカーは、前に出て行って即席でスピーチをする。 こんな訓練があります。 私は、読み上げ係をしていました。 読み上げ係はゼッタイに当たらないという先入観からテーマを読み上げても、どんな話をするかなど考えていませんでした。 ところが、森先生は、君、ニコニコして楽しそうだね。 はい、岩崎君、スピーカー! これほど頭の中が真っ白になったのは、後にも先にもこのときだけです。 ということで、82歳まで現役で、活躍するのが目標です。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.21
◆営業は、向き不向きがある。なんて迷信を信じていたらいつまでたっても物は売れません。 まずは、人と会う機会を多くして下さい。 そのときに役に立つのが、フランクベドガーの「私はどうして販売外交に成功したか」です。 私の場合、訪問営業でしたのでドアを開けて訪問していくのは大変なプレッシャーが掛かります。 誰だって、見知らぬ家を訪問するのは嫌です。 そんなときは、一旦引き下がり気持ちを整理し 「さあ、やるぞ!」という気持ちに切り替えて、ドアをたたくのです。 先入観を捨て、ドアの向こうには必ず良いことがあると信じてノックするのです。 まずは量稽古から初めて下さい。 どう考えても、33歳まで営業をしたことがない私が売れた原因はココにあります。 県で1、2を争うだけの数は売れません。しかもたった6ヶ月で 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.20
◆昨日の日記で、マイクロソフトさんからお褒めを頂いたと書きましたが、全然違う方法だったので 勝ったというと問題がありますね。 実はプレゼンの前に原稿を結構チェックされるんです。 私は、最初から原稿通りに話すなんてまったく考えていなかったものですから、大変でした。 完璧な原稿を書けば書くほど、融通が効かなくなってくるからです。 そもそもカーネギーの話し方教室では、原稿はご法度です。 お陰で個性を発揮する講演が可能になりました。◆さて箱田先生の影響というのは、それまでにもかなり効果を発揮しています。 私は33歳のときに、営業をやる羽目になりました。 自分から言い出したことですが、それまで一切お客さんと接したことがない私が、車の販売をするのです。 周りは反対しますね。 社内でも、反対されました。 君では売れんよ!大多数がこの言葉でした。 反対するのは簡単ですよね。 売れなかったら、「そらみろ!俺の言うとおりだろ」 売れたら、「いや君ならやれると思っていた」 そんな中、たった一人君なら売れると言ってくれた人がいます。 当時取締役で営業部長をされていたT氏です。 しかし立場上そういったのかもしれません。 なんせ車の営業を自分からしたいなんて言う人間いませんから。 じゃぁ、自分自身も売れるかどうかなんてわからんかったです。 売れるとも、売れないとも思わなかったのが正直なところです。 そんな状態で、営業に突入したのです。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.19
◆マイクロソフトさんから、ケーブルテレビ会社を紹介して欲しいと依頼がありました。 この時点で私は、CATVの会社の人はたった一人しか知りませんでした。 その方を頼りに、マイクロソフトさんと以前の会社でイベントをやりましょうと持ちかけました。 その時に描いた理想の形は、同じ立場でお客さんには見えて、しかも費用は一切出さないということでした。 マイクロソフト社はご存知世界的な企業。 CATVは、地元では大企業。 それに控え、無名のソフト会社しかも、お金が無い。 さて皆さんなら、どうしましか。 まずは、CATV会社とマイクロソフト社さんとの引き合わせです。 自分たちの出番をここで終わらすことも出来ますが、もう一歩進んで私が講演します。 こういうストーリーにしました。 CATVの社長が関連会社で、誰かいないのか。という話が出たそうですが、現れず。 最終的には、マイクロソフトさん、CATVさん、自分と3名が話すことになりました。 プレゼンはMSさんが最もなれています。 自社をPRするには、同じようなプレゼンでは駄目です。 そこで、アドリブの利いたプレゼンに変えたのです。 講演後、MSさんが言うには、この原稿であんな話ができる人は、マイクロソフトにはいません。 という感想を頂きました。 これぞ!カーネギーの話し方でトレーニングしてきたことなのです。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.18
◆私は一時GAを引退したことがあります。 理由は、社員を派遣する為にです。 さらにその上には、社員にGAをさせるためです。 小さい会社でしたので効果を上げる為に、受講させたらゼッタイにGAに選ばれるようにと指示しました。 おかげさんで、3名派遣をして3名ともGAを経験。 大変効果が上がりました。 ところがその先に私自身の戦略が無かったことを悔やんでいます。 単に、個人の技量が上がっただけになってしまったのです。 今ならゼッタイに生かせることが出来ます。 残念。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.17
◆本当は何回か書くべきですが、覚えていません。 4から5回は、やったと思います。 名古屋のコースは、年に1回行われていましたので5年ほど勤めたことになります。 12週×平均4回の話を5年勤めれば240回生徒のときを混ぜると260回は話をしています。 アシスタントを務めて、もっとプラスだったのはいろいろな人と知り合いになれたことです。 例えば、ミサワホーム東海の前社長は、私のことを先生なんて言ってくれました。 これが35歳ぐらいのときでして、天狗になってはダメですが気分はいいです。 それ以外にもデンソウの部長など、ゼッタイ会えない人と友達感覚で話をさせてもらっています。 その間にどんどん年賀状の枚数が増えていきました。 そしてこの間に目標の500枚に到達したのです。 続けることの重要性はSMIで気付き、この辺りで自覚してきたのかもしれません。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.16
◆1988年2月に講演を聞いてから、4年後私は既に会社を代わっていました。 平成3年に転職し、既に1年半が過ぎた頃です。 デールカーネギーコースを、調べますと8大都市を中心に行っているようでした。 名古屋のコースは、年に1回。12週に渡り毎週土曜日というコースです。 以前の会社は自動車販売会社ということもあり、土曜日を休むと言うのはムリと断念していました。 転職後の会社は、月に1回土曜日が出勤日でしかも有給休暇も比較的使いやすい環境でした。 そこで実費で十数万払って、入校しました。 念願のデールカーネギーコース入校の瞬間です。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.14
◆箱田先生のセミナーに出てきたフランクベトガーの本は早速読みました。 もう一つデールカーネギーの方は、本より話し方自身に興味があり直ぐには読みませんでした。 しかし箱田先生のセミナーは機会があれば、出席したいと目論んでいたのですが 中々こちらでは開催されません。名古屋でもないのです。 そこで、探し回りましたら大阪でプレゼンテーションのセミナーがあると聞き出席を決意しました。 決意したというのは、障害がいくつもあったからです。 まず一つは、費用です。9万8千円だと記憶しています。 たった2日間です。 さらに、この2日間は平日ですので、会社を休まなければなりません。 当時有給休暇はあってないようなもの。 販売会社の間接員では、肩の狭い思いをしていますので中々休む勇気が出ません。 そんなわけもあり、私にとっては大決断でした。 結局、休日出勤をして代休を取ったと思います。 それでも連休にするには大変でした。 当時のトレーニングビデオがありますが、恥ずかしい限りです。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.13
◆当時、自動車販売会社でSEをしていたい私は、先生の話が役に立つのかどうかなど分りませんでした。 しかし、話を聞くと勇気が湧いてくるし、前向きになったのです。 そこで、将来商売したら絶対に役に立つと思い家内を連れて行きました。 おまけに、その会社の役員までチケットを買ってもらったのです。 セミナーは2回。昼間と夜。懇親会は無かったです。 当然両方出ました。 一番前で、セミナーを受けカンゲキです。 その当時のビデオが残っていますが、私の宝物です。 その後、車の中でSMIと箱田先生のテープを聞き続けたのであります。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.12
◆そんなこんなで、どうしても箱田先生の講演を見たくなった私は、当時カセットをくれた SMIの担当の方に、箱田先生の講演が近くにないか? そう尋ねました。 暫くして、今度四日市であるようです。主催者は鈴鹿市に山下という人です。 そして電話番号を教えてくれました。 電話をするとなんと、隣町にいたのです。 歩いても行けるところです。 そして私は当時彼が住んでいたマンションを尋ねたのです。 これが山下氏との出会いでもあります。 この山下氏が、後に竹田陽一氏との出会いを演出してくれるのですから、なんとも不思議な縁です。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.11
◆箱田先生との出逢いで、初めてフランクベトガーという人の名前を知りました。 大リーガーだったベトガーが怪我をし、保険のセールスになる。 しかし全く売れない。 そこですがりついたのが、デールカーネギーはなし方教室であった。 ここで私の人生に影響を与えた二人目の外国人の名前が登場したのです。 厳密には3人目です。 一人目の外国人はポールJマイヤー氏ですが、又別のときに触れます。 早速私は、私はどうして販売外交に成功したか。この本を買い読みふけりました。 まだ営業をするなどとは、これっぽっちも考えていないときです。 当時、私は顧客管理システムを開発し運営する立場で、営業に関する勉強をしなければならないときで 新人の営業研修なども担当していました。 そのときによくベトガーの話は使わせて頂きました。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.10
◆箱田忠昭という先生をご存知ですか? 現在、インサイトラーニング社という教育会社をやっている人です。 この先生との出会いは、18年ほど前にある人から貰ったカセットテープが初めです。 まだ人前で話すなんてとても出来なかったころのことです。 サラリーマンで一生終わるなんていやだなぁと思っていた頃で、営業なんて全然やったことがない。 それでも、お金と、人脈と、営業が必要。その他いろいろな専門的な資格がほしいなどと思っていました。 しかし、悶々としているだけで、何も進まない。 そんなときに、出逢ったカセットテープです。 私は、顔もまだ見ぬ箱田先生の話し方に魅了されました。 うまいなぁ。 そうです。うまいという言葉がぴったりです。 そのうちどうしても、講演を聴きたくなり地元でないかと探してもらいました そして初めて会うことが出来たのが、1988年2月10日のことでした。 それが、来年会うことが出来るかもしれないのです。 箱田先生のセミナーはこちら
2005.12.09
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