つきあたりの陳列室

つきあたりの陳列室

2010.09.19
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カテゴリ: Other topics
(2008,新潮社,定価3990+税)

授業で習う「更級日記」(菅原孝標女)の序盤,作者が源氏物語について書くくだりが,私はとても好きです。源氏物語の何たるかを知らない私も,幼い娘をかくも魅入らせた物語の魅力が,一体どこからやって来るのかを知りたくなるのです。

幼い彼女は,源氏物語本の話を聞けば聞くほど欲しくなり,有力貴族である親のつてを通じても見つからず,望み薄と思い知ったある日,伯母から全巻揃いの本を渡されるという思いがけぬ幸運に恵まれます。

それからというもの,貴重な本をたった一人でむさぼり読める彼女自身の様子が,リズム良く,畳み掛けるように描写されます.その幸福に陶酔した彼女は調子に乗って「后の位なぞなんぼのもんじゃーい!」とうそぶきます。


 心もえず、心もとなく思ひ、源氏を一の巻よりして、人も交らず、几帳のうちにうち臥して、ひき出でつゝ見る心地、后の位も何にかはせむ。


彼女の望みはどこまでも個人的であり,人生で初めて執着したものを手に入れることができた高揚感と全能感に溢れています。

娘としては家長の意志に従わされ,嫁げば夫の事情に依存し,その男たちも時代や流行病や寿命に逆らえず,彼女らの人生は風に揉まれる草のように翻弄されていました。

しかしそんな時代にも,夢心地で没頭できるものを持っていた彼女は,束の間ではあっても完全なる自由と幸福に触れたかのようで,ひとり物語に耽溺するその姿にはいじらしさを感じずに居られません。





源氏物語は,受領の娘であった紫式部が,おなじく下級官吏の妻や娘たちなど,宮廷とは縁遠い同人サロンの女性達の間で回し読みされた,完全なるサブカルチャーでした.そして読者から直接紙などを援助されることで書き継がれていたので,おそらく彼女達には「わたしたちが育んだ物語」との共有意識があったことでしょう.

しかしやがて紫式部は時の最高権力者に囲われ,読者層は宮廷内に限定されてゆきます.さらに数世代下ると女性は読者としての立場から排除され,男の権力者達が占有する時代へと移行します.そしてふたたび女性や下々に読まれるようになるまで数世紀を要します.

このように読者層はどんどん変化していきますが,彼らが共通して感じた思いを表現するならば,こんな感じでしょうか:

・最も手に入れたいものはけして手に入らない,この世のままならなさと,人の弱さ.
・その弱さゆえにますます愛おしくなる,人という存在の不可思議な魅力.

権勢をほしいままにした男たちも,全てを失った寄る辺無き人びとも,源氏に執着した者達はみな,その「人生のままならなさ」への強烈な疑問と,諦観の末におとずれる甘美な痛みとを,反芻するように味わっていたのではないか,という気がしてきます.







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Last updated  2010.09.19 11:37:35
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inalennon @ Re[1]:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子(09/19) フィンちさん >この世は なんてままなら…
フィンち@ Re:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子 「人生のままならなさ」への強烈な疑問と,…
inalennon @ Re:4年はあっという間(03/04) ハオさん >バーチュー&モイヤー組見…
ハオ@ 4年はあっという間 バーチュー&モイヤー組見ました。 優雅…

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