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本日演奏します!(5月5日午後1時/3時30分、お台場デッキ)先の憲法集会の記事と前後しますが、前日の5月2日、夜行日帰りで上高地へ行ってきました。上高地につくと、もうまったく雪はありませんでしたが前日5月1日の雨が、上の方では雪だったようです。樹林の上の方が真っ白です。朝日を受ける焼岳岳沢と吊尾根は、ガスっています。明神から明神岳を望む徳本峠を目指して登って行きましたがここで引き返しました。おそらく標高2000m前後だと思います。引き返し点付近からでもそれなりに展望はあります。西穂高岳。先の地点から少し下ったところから、明神岳を撮影。西穂高岳、山頂はぎりぎりガスがかかっています。左端が、3月に登った独標と、その右隣の第10峰です。左奥が西穂高岳、右手前が明神岳(奥穂高岳はガスに隠れています。)明神にて。梓川の支流でイワナを撮影。(一眼でも水中の魚はあまりきれいに撮影てきません。肉眼の方が鮮明に見えます)明神まで下って上高地に引き返す途中、岳沢の奥の西穂高岳。左端の尖峰が独標、そしてその右隣の第10峰西穂高岳と梓川上高地に戻ってきました。河童橋は大混雑。河童橋脇のホテル五千尺の売店で生ビールを売っていたんです。「飲みたい!!」と思って近づいたら・・・・・Sサイズ1000円、Mサイズ1400円、Lサイズ2000円!!!値段を見た瞬間、のどの渇きは消え去りました(嘘だけど)。岳沢、早朝よりずっと天気が良くなりました。河童橋と岳沢と吊尾根、確かに奇麗ですよね。復路は3時発で、何度か渋滞にはまりましたが、8時過ぎに新宿に着きました。
2026.05.05
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《衝撃》高市早苗陣営が野党中傷動画を投稿していた 今年の衆院選期間中に中道大物候補を「一度国を壊した素人」、野党批判ショート動画を続々と作成〈高市陣営が対立候補への“中傷動画”を投稿していた《総裁選の期間中に…小泉氏に「無能」、林氏に「アウト」》〉 から続く今年行われた衆議院議員総選挙(1月27日公示、2月8日投開票)の期間中、高市早苗首相の陣営が、野党の候補者を中傷する動画を作成してSNSに投稿していたことが「 週刊文春 」の取材で分かった。TikTokなど複数の政治系アカウント運営に、高市陣営が深く関与していた実態を「週刊文春」取材班は突き止めた。公設第一秘書の依頼から野党批判動画が続々と作成されており、馬淵澄夫氏に対しての動画では、次のようなナレーションが読み上げられていた。〈改革を口にする彼の背後で古い支援団体と既得権益が密かに祝杯を挙げています 彼が権力を握れば行き過ぎた労働規制が復活し日本の経済成長は完全にストップします〉~高市首相に質問状を送付すると、主に「ネガティブな情報を発する、あるいはそのような動画を作成して発信するといったことは一切行っておりません」と否定した。だが動画の流布は、馬淵氏に対してだけではなかった。岡田克也氏や枝野幸男氏も標的とされたのだ。---高市首相の公設第一秘書が対立候補を中傷する動画をばら撒いた張本人だった、と週刊文春が報じています。発端は高市が選出された昨年の総裁選で、対立候補である小泉現防衛相と林現総務相をこき下ろす動画を公設第一秘書がばら撒いていた、という話です。ただ、自民党総裁選は一党派のトップを決める内部選挙であり、公職選挙法は関係ないので、道義的には「真っ黒」ですが直接的に公選法違反に問えるものではありません。勿論、中傷動画をばら撒かれたとされる小泉や林が、それに対して名誉棄損で刑事告訴なり損害賠償請求なりを行った場合は、公選法ではなく刑法で違法性が問われることになりますが、二人とも閣内に取り込まれているので、政治的にそんな選択肢を取るはずがありません。が、第二弾として登場したのは、2月の衆院選でも野党をこき下ろす動画をばら撒いていた、という話です。自民党総裁選とは違って、衆院選は当然ながら公職選挙法の適用を受けます。この動画の製作費用をどこから出したのかが、まず気になります。公示後であれば、そのような費用の支払いは買収となります。ただ、想像するに、その辺りは抜かりなく公示前に「政治活動」として行っているのかもしれません。というか、そもそも作成者は陣営スタッフや支持者だというので、無償で作成したのかもしれません。ならば、この件は道義的にはともかく、法的にはシロなのか?そうはなりません。前述のとおり、刑法の規定である名誉棄損罪にひっかかる可能性は高いです。偽計業務妨害罪にも当たるかもしれません。与党で閣内に取り込まれている小泉や林と違って、野党の政治家が、名誉棄損について刑事告訴や損害賠償請求をためらう理由は、あまりないように思います。そして、公選法上も違法性なしではありません。公職選挙法235条が虚偽事項の公表罪を定めています。静岡県伊東市長が学歴を詐称した罪状で在宅起訴された罪状がこれです。旧民社党から参院選で当選した新間正次も、経歴詐称で有罪判決を受けて、当選無効になっています。旧民主党で衆院選に当選した古賀潤一郎も、同じ罪状で捜査を受け、議員を辞職しました(捜査のほうは起訴猶予になりましたが、これはおそらく議員を辞職したからでしょう)。で、虚偽事項の公表罪は、当選する目的で虚偽事項を公にすることのみを禁じているわけではありません。第2項にて、候補者を当選させない目的で虚偽事項を公にしたり事実をゆがめて公にすることも禁じています。従って、これらの動画の作成者が秘書だったり、あるいは秘書から指示を受けて作成していた場合はアウトです。勿論、連座制があるので公設第一秘書が有罪なら議員(首相)本人も失職です。というわけで、報じられていることが事実であり、起訴、有罪となれば高市は失職することになります。それにしても、今回は陣営スタッフが直接動画作成の陣頭指揮を執ったことが明るみに出たため、問題となっていますが、YouTubeやX、インスタなどの動画の隆盛に伴って、この手の自民党ヨイショ動画、ネトウヨ動画、野党誹謗中傷動画が大量発生している状況は、近年目に余るものがあります。作成者が政治家やその陣営と直接の関係がなければ、どんなトンデモ動画を作ろうが、そしてそのことが露見しようが、候補者に類が及ぶことはありません。百歩譲って、自分の「推し」の党は、政治家を礼賛する動画は、まだしも仕方がありません。個人的には自民党やその類似政党を持ち上げる動画など反吐が出ますけど、それは私個人の感想に過ぎず、特定の党を礼賛する動画が違法だとは言えませんから。しかし、他党、あるいは他国についてデマや誹謗中傷を行う動画、そしてそれによってお金を集めたり集票することは、日本の政治をおかしくし、ひいては日本の針路を危うくするものであると私は思います。ちなみに、私はYouTubeでその手の動画がお勧めに出てくるたびに、「チャンネルをおすすめに表示しない」を押しまくって、自分の視界内からは、ほぼ撲滅しています。それにしても、悪貨は良貨を駆逐する、悲しいけどこれは否定しがたい真理を含んでいると思わざるを得ません。それも、トランプ政権などを見ると、日本だけの現象ではないようです。
2026.05.01
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少し前に、フォルクローレに使われる弦楽器とその起源について考察しましたが、今度は管楽器について考えてみたいと思いますか。アメリカ大陸にはもともと弦楽器がなく、管楽器と打楽器しかありませんでした。ただし、現在フォルクローレで使われている管楽器や打楽器が、すべてもともとアメリカ大陸に存在したもの、というわけではありません。タルカと呼ばれる笛の合奏、「タルケアーダ」ピンキージョと呼ばれる笛の合奏、「ピンキジャーダ」タルカにしろピンキージョにしろ、いかにも素朴で原始的な民族楽器に見えます。が、この笛の構造を見ると、リコーダー(小学校の音楽の授業に使う、あのリコーダー)とまったく同じなのです。つまり、どちらの笛もヨーロッパのリコーダーが起源というわけです。一方、いわゆる一般的なフォルクローレ(ネオ・フォルクローレ)に使われる笛、つまりケーナやサンポーニャは、その原型が先スペイン時代の遺跡からも発見されており、アンデスに古来からあった楽器であることが分かっています。ただし、土着の楽器としてのケーナやサンポーニャと、ネオフォルクローレに使われるケーナやサンポーニャでは、楽器の材質、音階、奏法などに、ほとんど別物と言っていいくらいの違いがあります。そもそも、名前からして違います。「ケーナ」という名がいつ付けられたのかは知りませんが、土着のケーナ(状)の楽器は、「ケナケナ」または「チョケラーダ」と呼ばれ、ケーナとは呼ばれません。サンポーニャも、これはスペイン語で、先住民の言葉では「シーク」です。ケナケナケーナ動画のタイトルを見れば分かるように、どちらの曲も同じグループが演奏していますが、相当に違う吹き方ということが分かると思います。先ほどのタルカやピンキージョはリコーダー型の笛ですが、ケーナ(ケナケナ・チョケーラ)は、尺八・篠笛・フルートと同じ構造の笛です。だけど、ケーナとケナケナの音より、ケナケナとピンキージョの音のほうが似ているし思いませんか?おそらく、ケナケナとピンキージョを、笛を見ないで音だけで区別することは非常に難しいと思います。おそらく、笛を吹く方はすでにお気づきと思いますが、タルカにしてもピンキージョにしてもケナケナにしても、先住民の土着系の笛の奏法には、タンギングとビブラートがありません。一方、現代的なケーナの奏法にはタンギングもビブラートもあります。これは、おそらくフルートなど西洋音楽の笛の奏法の影響を受けて、かなり近年になって確立した奏法だと思います。現在では、(日本の)ケーナの教則本だって、ビブラートとタンギングは基礎の基礎として扱っていますけどね。もうひとつ、現代のケーナの奏法では3オクターブを使いますが、これも土着の奏法にはありません。それどころか、プロのケーナ奏者でも、3オクターブを絶対に使わない人が1970年代頃まではいたのです。一方のサンポーニャ。これは、パンフルート(ビール瓶で音を出すのと同じ理屈)の一種です。シーク(土着的) 以前にも紹介した動画ですサンポーニャ(現代的) これもね以前に紹介した動画です現代的なほうも、土着的な演奏スタイルを意識した曲なので、笛の音そのものにはそんなに大きな差はありませんが、やっぱりビブラートの有り無しは違います。サンポーニャ(シーク)というのは、この笛の総称です。ソプラノリコーダーやアルトリコーダーがあるように、サンポーニャも音域ごとに名前が分かれます。一番上から「チュリ」、その1オクターブ下が「マルタ」(もっとも普通に使われるサンポーニャで、アルトリコーダーに近い音域)、その1オクターブ下が「サンカ」、さらに1オクターブ下の最低音サンポーニャが「トヨ」です。トヨの全長は1メートルを超えます。(現代的なケーナの動画の中に、トヨが少し出てきます)ケーナの場合は、高音用の小さなケーナはケニージャ、大きい低音用のケーナはケナーチョと呼びます。ケニージャはあまり使われませんが、ケナーチョはよく使われます。手前味噌ですが、私自身の演奏です。前半(前奏を除く)はケナーチョ、後半はケーナを使っています。通常のケーナは最低音がソ、私の使っているケナーチョは最低音がレです。もう1音低い最低音ドというケナーチョもあります。最初に紹介したピンキージョには、もっと低音用の楽器があります。モセーニョといいます。フルートでもね低音用のものは頭部管が曲げてありますが、同じ理屈です。私は持っていません。他にも様々な笛があります。最初に出てくるのはフルートや篠笛と同じ、いわゆる横笛です。これはエクアドルの笛ですが、ボリビアにもまったく同様の横笛があります。「フラウタ」と呼ばれますが、これはフルートのスペイン語読みで、笛類一般の総称でもあります。だから、この笛だけの独自の名というのはないのかもしれません。動画の後半に出てくるのは、ロンダドールと呼ばれるパンパイプです。サンポーニャと同じ構造ですが、ずっと細い管を使っており、また見て分かるように音の並びが音階順ではありません。ひとつの音の和音のならびになるように並んでいるのですが、ちょっと酔っ払ったような感じの音です。で、ここまでは土着の笛およびそこから発展した笛です。現在では、言うまでもなくヨーロッパからクラシック系の楽器が数多く流入しています。特に金管楽器は笛よりずっと音量があるので、お祭りの音楽などでも近年は吹奏楽(スペイン語では「バンダ」)が盛んのようです。ただ、南米のバンダは、ほとんど金管楽器。木管は、入っていたとしてもサックス、たまにクラリネットがありますが、フルートは動画で見る限りは入っていないようです。もちろん、バンダには使われていないというだけで、ラテンアメリカでフルート(スペイン語ではフラウタ・トラベセラという)がないわけではありません。というか、ベネズエラやアルゼンチンでは結構盛んです。
2012.01.24
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憲法大集会2023毎年行われている集会ですが、私は参加したことがありませんでした。ゴールデンウィーク中は山登りに行く、またはラテンアメリカフェスティバルで演奏するからです。今年も行く予定はなかったのですが・・・・・自民・大空こうき衆院議員がデモ会場に苦言「重要な防災拠点」指摘も物議自民党の大空こうき衆院議員がXで、5月3日に行われる予定の集会「憲法集会」の会場について、「災害発生時に速やかな撤収」を念頭に許可の経緯を確認したことを明かし、ネット上で物議を醸している。「つながろう 憲法いかして平和な世界を!2026憲法大集会」は5月3日に東京都・有明防災公園で行われる。集会について大空氏はXで「公園の一部を所管する国土交通省に対し、問題意識を共有するとともに、防災公園において数万人規模の大規模集会を許可している経緯について確認しました」と報告。同公園は大規模災害発生時における「極めて重要な防災拠点」とした。大空氏によると、公園の利用許可の条件は「災害発生時に速やかな撤収ができること」とのこと。しかし、前年の同集会では大規模なステージが設置されていたことを指摘し、「ステージ設備を速やかに撤収できるのか、確認をお願いしています」とつづった。大空氏は「念のため申し上げると、私が問題としているのは、集会やデモの内容ではありません」としながらも、「迅速な災害対応を確保する観点から、基幹的広域防災拠点において数万人規模の大規模集会を許可することについては、極めて慎重であるべきだと考えています」とつづった。ポストには、「公園に民衆が集まること自体を問題視した政治家なんて過去にいたか?」「『集会の自由』への弾圧」「防災公園自体が企画してやっている防災フェスも出来なくなる」「あからさまな憲法集会つぶし」という批判が集まっている。(以下略)---クソだな、こいつ、という感想しかありません。災害対策を錦の御旗にして、気に入らない集会に対する難癖をつけ始めたわけです。当然の話ですが、この集会は主催団体が毎年東京都に占用許可の申請を出して(おそらく使用料もかかるでしょうからそれも支払って)、許可を得ています。※※有明防災公園は、国の土地と東京都の土地に分かれていますが、この集会で使用するのは東京都の土地部分だけのようです。初めての行事ではなく、過去何回の行われている、その実績も踏まえて許可を得ているわけですから、何も問題はないわけです。辻元清美議員がXの投稿で、国交省などに確認した結果を報告しています。それによれば<確認①>当該公園は、国と東京都がそれぞれのエリアを管理している(ほぼ半分ずつ)。憲法集会が行われるのは都側である。発災時の運用については、合同現地対策本部や自衛隊・警察などのコア部隊ベースキャンプ、人員・物資輸送に使用するヘリポートなどで運用されるのは国側。都側は、被災地外からくる広域支援部隊やボランティアのオープンスペース、物資置き場などとして柔軟に活用される予定。<確認②>もっとも緊急性の高いヘリポートの利用確保を中心に、撤収期限は「発災後12時間」をめざして段階的に定められている。主催者側はその基準に沿ってステージなどの設置・撤収計画を立て、都から使用許可を得ている。避難時の整理誘導についても、都側の要請に基づき人員を確保している。<確認③>そもそも当該公園は、平常時には「魅力的な憩いの場」として利用されることが計画で定められ、整備にあたっては国費も投じられている。イベントの開催は、発災時の運用に支障をきたさない限り、本来目的に沿ったものである。ということです。そのような基準に基づく設置・撤収計画に基づいて使用許可を得ているので、何も問題ないわけです。ちなみに、集会が終わってデモ行進の出発待ちをしている間に、ステージ上のPAはどんどん撤去されていき、ステージもおそらく2時間そこそこで撤去は終わっちゃうだろうな、と思いました。その前にデモ行進に出発したので、実際の撤去所要時間は確認していませんが。というわけで、この胸糞悪い話を知って、「ならば行くか」という気になりました。もっとも、今日5月3日は長野方面は天気が下り坂の予報だったため、山は昨日1日の夜行日帰りにしたことも、理由の一つですが。というわけで、写真です。カメラを持って出るのを忘れたため、スマホでの撮影です。ステージまでだいぶ距離がありますが、大変な人です。毎年参加している知人によると、昨年よりはるかに参加者が多いとのことです。私と同様、大空議員の妄言がむしろ宣伝になって参加した人が多いのかもしれません。主催者発表では、参加者数5万人とのことです。私は午後1時半頃現地についたのですが、それよりはるか以前に主催者が配布していたポスターは終了してしまったようです。遠い遠い、ステージが遠い。最前列、ではありませんが、そのすぐ後ろ、辺りまでたどり着きました。ただ、通路なのでここにとどまり続けるわけにはいかず、数枚写真を撮って後方に引き返しましたが。この時、壇上では社民党の福島みずほがスピーチをしていました(個人的には一連の社民党の内紛で、いささか私の中で福島議員が色あせていますけど、それは集会とは関係のない話です)。共産党の田村委員長とれいわ新選組の議員もスピーチをしていました。なんと、このプラカードが登場!まったく見ず知らずの方ですが、通りがかりに偶然見かけて、思わず駆け寄って写真を撮らせていただきました。El pueblo unido jamás será vencido直訳すれば「団結した人民は決して負けない」一般的には濱田滋郎さんの訳「不屈の民」が日本語タイトルとして使われます。チリの民衆抵抗歌です。キッチンカーも何台か出ていました。後背にあるのが癌研有明病院です。実は、父はここで亡くなりました。入院期間は合計100日以上、ガン再発で再入院したのが1月1日の朝でした(その年、我が家に「お正月」はありませんでした)。なので、私もこの病院にはかなりの回数行っています。デモ行進にも参加しましたが、昨日山に行ったし、全行程歩くのは辛いので、途中、「ゆりかもめ」の東京テレポート駅で隊列から離脱しました。実は、ここで離脱したくなかったのですが、ここで離脱しないとその先どこで駅の近くを通るか分からなかったので。なんでここで離脱したくなかったかというと、頭上の高架通路から、右翼のおっさんがデモ隊を口汚く罵っていたからです。他にも歩道で叫んでいる右翼もいました。なので、迂回してこいらと鉢合わせしないようにましたが、杞憂だったようです。これらは警察に取り囲まれた状態だったから、何事も起きようがありませんでした。頭上からメガホンで口汚くののしっていた右翼のおっさん2人組の後ろを通った際、写真を撮多のですが、周りを取り囲む警察しか映っていませんでした(笑)もちろん、この集会に人が多く集まったから改憲が阻止できる、というわけではないのですが、そのための力の一つにはなるでしょう。改めて、改憲には反対です。
2026.05.03
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知人からの情報で、大木岩夫さんが9月5日に亡くなられたことを知りました。大木さんは、1970年代、サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」がヒットした時期にケーナを手にして、フォルクローレを始めた方です(一部の関係者は「第一次フォルクローレブーム」などと呼んでいましたが、その言葉を知る人すら、現在ではごく少数でしょう)。私が初めてフォルクローレを始めた頃は、「コジャマユ」というグループでケーナを吹いておられました。その解散後、ライセスというグループを作って活動するとともに、ケーナの製作、販売も手掛けるようになりました。ただ、最近数年は、風のうわさに脳出血系のご病気になられ、郷里の福島に戻られて療養していた、と聞いています。78歳だったそうです。いつの間にそんなお年になっておられたのですね。団塊の世代ど真ん中の方で、ご本人からおうかがいしたかすかな記憶では、中卒で集団就職で東京に出てきて(ただし、勤務先は重工業系の大企業だったと記憶しています)、20代の終わりころにケーナと出会うまでは、音楽とは全く無縁だった、というような話だったと思います。大木岩夫さんと言えば、独特の髪型、アルゼンチンのケーナ奏者ウニャ・ラモス(日本では加藤登紀子が歌ってヒットした「灰色の瞳」の作者)に心酔し、その髪型を真似たそうです。そして、双子のご兄弟がいて(確か双子の弟さんも尺八を演奏される方だったと思います)、顔がまったく同じだったこと。同じグループで演奏したことはないのですが、「アンデスのこだま」というコンサートで、別々のグループで一緒に演奏したことはありますし、仲間うちの忘年会、お花見などの企画で一緒に演奏したことも何回かあります。舞台袖でビール(だったかな?とにかくアルコール)を飲んでからスタスタとステージに出て行って演奏を始めたこと、管楽器奏者としては極めて珍しい喫煙者でしたが、「タバコはケーナに良いんです」という謎の名言(笑)、いろいろなことが思い出されます。でも、間違いなくそのケーナの音色は素晴らしいものでした。YouTubeを検索すると、「ライセス」での演奏動画がいくつか上がっています。コージャ族のクエッカタラフチ「関東フォルクローレ連盟」で開催したお花見での1枚です。いつの写真か記憶がありませんが、私が弾いているギターが現在使っているメキシコ製のギターではなく、その前に使っていたギター(今も押し入れに眠っていますが)なので、おそらく1993~95年のどこか年の春です。そうだとすると、私は20代半ば、大木さんは40代半ばか後半くらいだったのだと思います。そして大木さん制作のケーナです。後年、本格的にケーナの販売をするようになってからは、「大木」という焼きごてで刻印を押すようになりましたが、この時はまだ焼きごてはなく(だから、「大木さん製作のケーナ」という証明は私の記憶の中にしかありません)値段も2000円か3000円だった記憶があります。実は、私の自作のケーナも塗装なしなので、外見は大木さんのケーナと私の自作ケーナはパッと見少し似ていて、家の中の何十本かのケーナの中から、大木さんのケーナを探し出すのにちょっと苦労しました。でも、吹き口の形状が、私のケーナはボリビアのアハユのケーナの模倣なので、そこが違います。そして、何を隠そう、私は売り物にする気ゼロで「音が出りゃ良い」派なので、上部の切断面も、吹き口の切込みの処理も雑で荒っぽいのに対して、大木さんのケーナはとてもきれいな仕上げなのです。ご冥福をお祈りします。
2024.09.19
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新元号公表は即位日に超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は5日、国会内で総会を開き、新天皇即位に伴う新元号の公表は即位日である来年5月1日を原則にするべきだとの見解をまとめた。「女性宮家」創設は不要との認識で改めて一致。女性皇族が皇籍離脱後も公務を行えるよう政府に引き続き要望する方針を確認した。新元号については「平成(であるうち)に公表されれば、現陛下と新陛下の二重権威を生み出す恐れがある」と指摘した。総会には自民党、日本維新の会、希望の党、無所属の計48人が出席した。---ちょっと前にコメント欄で紹介した話です。現行の政府方針である、即位の1ヶ月前の新元号公表だって異常な話なのに、新天皇即位まで新元号を公表するな、と日本会議系の極右議員たちが言い出しました。今の天皇が退位する意味を完全に失わせようという、実に馬鹿げた要求であり、一般社会への影響をまったく省みないという意味で、ある種天皇狂原理主義とも言えるものです。(天皇制大事を掲げてはいるものの、当の天皇自身の意向は完全無視、たまり錦の御旗として利用しているだけ)それなら、いっそのこと、大事に大事を取って、新天皇即位の100年後くらいに新元号を公表したらどうでしょうかね。まあ、それはともかくとして、いっそのこと、やってみればいいんじゃない?とも思います。以前にも書きましたが、現状の改元前1ヶ月の公表という現行スケジュール自体が、充分に異常なものなので、それを即位日に公表とすれば、この機に元号の使用をやめて西暦に統一する企業が激増するでしょうし、ひょっとすると自治体の中にもそういうところが出てくるかもしれません。元号法という法律はありますけれど、あれは別に元号を定める、というだけの法律であって、使用を強制する法律ではありません。民間企業は当然のこととして、役所といえども元号を使い続けるのは、慣習と横並び主義(他自治体もみんな元号なのに、うちの市町村/都道府県だけ捨てるのは、みたいな)の結果に過ぎません。わたしは、元号などという不便な年号の慣習はいらないと思っているので(とはいえ、仕事上はそれを使わざるを得ません)、元号が社会的に衰退することは万々歳でしかありません。その意味では、日本会議系のこういう狂信的主張を押し通すのも悪くないんじゃない?という気持ちが、半分はあります。が、この愚行に最後まで付き合う役所や企業も、おそらく少なくないであろうことを考えると、システム障害やシステム関係者の過労死の多発による社会の混乱が容易に想像できるようなスケジュールを、「よい」と言うわけにはやはりいきません。何となく、こういう超トンデモな暴論を前面に立てて、「それに比べれば1ヶ月前はまだマシ」みたいなトンデモの正当化を図る気じゃないのか、という気がしてしまいます。1ヶ月前というスケジュール自体が、充分に異常なものだということは、改めて付言しておきます。話は違いますが、例えばエクセルなどの表計算ソフトは、元号も計算式上は西暦に換算していますが、当然新しい元号に対応するには修正パッチが必要になるでしょう。しかし、私の使っているオフィスソフトは古いもので、もうサポートが切れているので、新しい元号に対応する修正パッチは提供されないでしょう。別に、問題ないですけどね、仕事以外では、元号なんて使っていないから。
2018.06.09
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今日は、某ペルー料理店でキラ・ウィルカの練習でした。昨日の記事に書いたように、メンバの一人が病欠だったので、4人編成でしたが、私が笛を吹く曲は、ギターを抜きにして演奏しました。前回の練習から2週間しか経っていないせいか、ずいぶん演奏の出来が良かった。私自身の体調も良かったのかな、サンポーニャが結構よく鳴りました。今のところ、3月上旬に、某ペルー料理店でライブをやる、という予定になっています。まだ、正確な日程は決まっていませんが、決まったら、このブログでも告知します。---ところで、話は変わりますが、笛を吹くと、程度の差はあれ、クラクラしますね。私は、ケーナでは基本的にはそれほどクラクラしません。ただ、今使っているケーナは以前のケーナより太いので、ケーナを替えた当初は、ちょっとクラクラしました。今も、長い曲で、高音が連続するような場合はクラクラします。フルートは、ケーナより管体が長いので息もより多く必要で、クラクラしやすいように思います。私はケーナの息の量が感覚として染みついているので、フルートだと自分で狙った息継ぎの場所まで息が続かない、ということがよくあります。ケーナだったらここまで息が届くので、同じ感覚でフルートを吹くと、その手前で息が足りなくなるわけです。ただ、フルートも気がつけば、吹き始めてもうじき4年になります。最近、以前ほどには「クラクラ」を感じなくなってきたような気がします。単に「クラクラ」の状態に慣れただけかも知れませんが。しかし、なんと言っても一番キツイ笛は、サンポーニャです。おそらく笛類の中でもサンポーニャ(パンパイプ類)は、息を音に変換する効率がもっとも悪い楽器だろうと思います。そのため、息継ぎの頻度が非常に高い。ケーナと比べると、同じフレーズを吹くにも、遙かに多くの息継ぎが必要です。※ただし、ケーナは高音ほど大量の息(正確には高速な息の流速)が必要なのに対し、サンポーニャは低音ほど大量の息が必要なので、高音ではそれほど違いが出ない場合もあります。サンポーニャにコンテスタード(2人一組で、1人が「ドミソ」もう1人が「レファラ」を吹く奏法)が発達したのも、この効率の悪さ故でしょう。毎年ゴールデンウィークに、「ザ・横浜パレード」という祭りに参加して、全長3キロのコースをサンポーニャを吹きながら行進していますが(南米では、もっと長距離・長時間を練り歩く祭りもあります)、あれを一人でサンポーニャ吹いていたら、とても終わりまで保ちません。一人でサンポーニャを吹く奏法は、1曲3~4分の普通の曲でないと無理なのです。さて、あの笛を吹くとクラクラする現象は、いったい何でしょうか。私が尊敬するジャーナリストの一人である朝日新聞記者伊藤千尋氏の「太陽の汗、月の涙」という著書の中で、「ボリビアのペーニャ(音楽喫茶)に行くと、3000mの高地でサンポーニャを吹いている演奏家は、まるで酸欠になりそうだ」という趣旨のことが書いてあったように記憶しています。(手元に現物がないので、おぼろげな記憶を頼りに書いています)その当時(1990年頃)は、私もまだ音楽歴も非常に浅かったので、なるほど、笛を吹いてクラクラするのは酸欠のせいか、と思った覚えがあります。で、改めて「笛・酸欠」で検索してみると、やはり非常に多くの方が、笛を吹くと酸欠になってクラクラすると思っていらっしゃるようです。でも、私はサンポーニャを吹き始めてしばらくたってから気がついたのですが、笛を吹くとクラクラする症状というのは、実は酸欠ではなさそうです。伊藤千尋氏は尊敬するジャーナリストですが、ご自身が演奏をされるわけではないでしょうからね。単純に考えて、笛を吹くときの息継ぎというのは、かなりの深呼吸です。演奏以外で、あんな深い呼吸をするのは激しい運動をしたときだけでしょう。笛を吹くことも、激しい運動と言えなくはないけれど、マラソンなどの持久運動とはちょっと違い、体が深呼吸を欲しているわけではありません。何よりも、息継ぎの間隔が長いケーナより、息継ぎの間隔の短いサンポーニャの方がクラクラするという事実が、クラクラの原因は酸欠ではないことを強く示唆しているように思うのです。また、2001年にボリビアに行ったとき、海抜4000mのエル・アルトでサンポーニャを吹く機会がありました。クラクラの原因が酸欠なら、こんな高度で笛を吹いたら猛烈にきついはずですが、このときサンポーニャを吹くことが平地よりきつかったという記憶は一切ありません。まったく平地と同様に吹けました。では、あのクラクラの原因は、いったい何でしょう。おそらく酸欠の正反対の原因ではないかと思うのです。つまり、過呼吸症候群です。昔、コンサートで、観客が熱狂したあまり失神する出来事が頻発したことがあります。あれが過呼吸症候群です。興奮して息が早くなる(=息の量が増える)、「キャーキャー」と叫んだりすることで、更に息の量が増える(笛と同じで、大声を出すときも大量の息が必要)ことで、体が必要とするより多くの酸素を体内に取り込んでしまった結果、意識が朦朧となってしまうわけです。笛を吹いているときも、おそらくはそれと同じ状態でしょう。人間は、酸素がなければ生きることができないのに、酸素が多すぎてもまた問題を生じる。人間(いや、生物)と酸素の関係というのは、実に不思議なものです。-----実は、根源的には、生物にとって酸素は有害な存在なのです。いや、生物だけに限りません。酸素というのは、あらゆる物質を酸化によって破壊する、宇宙でももっとも凶悪な物質の一つです。もともと、最初の生物が誕生した当時の地球には酸素はなく、その当時の生物はすべて嫌気性の微生物でした。地球の生物の歴史の半分以上は、無酸素状態で生きる嫌気性生物の歴史だったのです。しかし、今から二十数億年前に、光合成を行うもっとも原始的な生物(シアノバクテリア)が誕生します。それ以来十数億年の時間をかけて、酸素という猛毒物質が大気中に蓄積されていきました。その結果、ある時期を境に、嫌気性生物は大気に身をさらしては生きることが出来なくなります。そして、酸素という猛毒物質を体内に取り込んでエネルギーに変えるという、革命的な大変化をおこなった生物(真核生物)が主流になる。我々人間もその一員ですね。酸素をエネルギーとして利用する機能は、細胞内のミトコンドリアが担っています。ところが、このミトコンドリアは元をただすと別の生物だったというのだから驚きです。真核生物の遠いご先祖様は、ミトコンドリアという別の生物を体内に取り込んで、両者の共生によって、酸素という猛毒物質を御する技を身につけたわけです。だから、生殖細胞のDNAとは別に、ミトコンドリアにもDNAがあるわけです。もともと別の生物だったから。まさしく生命の神秘です。だけどやっぱり、根っこの部分では、生物にとって酸素は毒物。だから、必要以上の酸素を取り込むと、体が変調を来すわけです。なければ困るけれど多すぎても困る、自然の摂理とは、複雑にして微妙にできているなあと思います。
2011.01.30
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昨日ですが、午後例によって三番瀬海浜公園に鳥の写真を撮りに行ってみました。そうしたら、京葉線が少し遅れています。嫌な予感がしたのですが、案の定、二俣新町駅に着いたら強風。自宅近辺はそんなに風吹いていなかったんですけどね。どうしようかと思いましたが、ここまできて引き返すのは交通費がもったいないので、行ってみることにしました。駅で強風でも、海岸はそんなに風が強くないかもしれないし(なん、わけがないって!!)そうしたら、海岸に着いたら凄まじい烈風が吹いていました。ハマシギの群れ(左奥に少しミユビシギがいますが)。腹の黒い夏羽に変わりつつあります。ミユビシギ。こちらはまだ冬羽。強風のせいでしょうか、目いっぱい首をすくめています。そのせいで、何だかいつもと体型が違って見えます。オオソリハシシギ。赤い夏羽になっています。結構首の長いシギですが、こちらも首をすくめています。中央オオソリハシシギ、奥ミヤコドリ、手前ハマシギ。ハマシギもみんな首をすくめています。荒れ狂う風、激しい並しぶきをものともせずに餌を食べるミヤコドリ。強い。左ダイゼン、右オオソリハシシギダイゼン(シギではなくチドリ科)も夏羽です。ハマシギの夏羽は腹黒いシギ(笑)ですが、こちらは腹黒いチドリ。オバシギ。背中が少し夏羽になっています。ハマシギ。だいぶ夏羽になってきた個体。そして、今日葛西臨海公園。ウズラ。つい先日ウズラの玉子を食べたばかりですが。野鳥か、ペットや飼育場から逃げ出した(あるいは放たれた)ものかは分かりませんけど、野鳥だ、と考えておくことにします。葛西臨海公園のその他の写真はまた後日。
2018.04.08
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先日、チリが生んだ偉大なフォルクロリス(フォルクローレ音楽家)、ビオレータ・パラの記事を書きました。ビオレータ・パラのことを書けば、ビクトル・ハラにも触れないわけにはいかないでしょう。チリが生んだもう一人の偉大な歌い手、悲劇の最期でも知られるビクトル・ハラは、1932年、チリ南部のチジャン近郊のサン・イグナシオという村で農民の子として生まれます。ビオレータ・パラも、チジャン近郊の生まれですから、二人は同郷ということになります(ビオレータの方が15歳年上)。やがて、10代で家族ともども首都サンティアゴに出たところも、ビオレータ・パラの経歴と似ています。彼がまず頭角を現したのは、音楽家としてではなく演劇人としてでした。10代でパントマイム劇団に入り、兵役の後チリ大学演劇学部に入学します。その後舞台俳優、演出家として名を成す一方で、20代でビオレータ・パラと知り合い、チリの民謡(フォルクローレ)にも傾倒していくようになります。彼は最後まで演劇と音楽の二足の草鞋を履き続けましたが、音楽家としての知名度が決定的に上がったのは、おそらく1969年、チリ・カトリック大学で開かれた「新しい歌」コンクールで優勝した時以降でしょう。「新しい歌」Nueva cancionは、隣国アルゼンチンで1960年代初めに提唱された歌を通じた社会変革運動です。先に紹介したビオレータ・パラが、チリにおけるその創始者だったと言ってよいでしょう。その動きがビオレータの死後更に大きなうねりとなり、コンクールまで開かれるようになった、その最初のの優勝者がビクトル・ハラだったわけです。ビクトル・ハラも代表曲と呼べる曲がいくつもありますが、そのなかで1曲だけを選べと言われたら、この時演奏した曲La Pregaria a un labrador(耕す者への祈り)を挙げます。バックコーラスは、これもチリの「新しい歌」を代表するグループであるキラパジュンです。なお、残念ながら1960年代のチリでステレオ録音の音楽がほとんどなく、ビオレータ・パラもそうですが、ビクトル・ハラもモノラル録音(それに白黒映像)しか残っていません。技術水準的には、当時のチリにステレオ録音の機材がなかったはずはないと思うのですが。ビクトル・ハラは、自分では「美声じゃない」と歌っているのですが、モノラル録音のせいで損をしている部分はあるけれど、結構声はいいと私は思います。ただ、私がビクトル・ハラの曲に心を揺さぶられるのは、歌声よりもコード進行。コード進行で人の琴線を揺さぶるということを心得ている曲が多いなと思います。Cuando voy al trabajo(仕事に向かうときに)ビクトル・ハラはチリ共産党員でした。その共産党を含む左派連合「人民連合」が推す社会党のサルバドル・アジェンデが大統領に当選したのは1970年のことです。しかし、その前後から右派勢力とそれを支援する米国による様々な圧迫、妨害工作によって、チリは騒乱状態に陥っていきます。1973年7月17日、隣国ペルーの首都リマでコンサートを開いている映像がYouTubeにあります。元々ビクトル・ハラは楽しい曲、コミカルな曲も数多く作っているのですが、この頃になると、アジェンデ政権の命運と自分自身の命運を重ね合わせたのか、悲壮な曲調の歌が多くなっていきます。奥さんのジョーン・ハラが書いた「ビクトル・ハラ終りなき歌」には、むかし図書館で借りて読んだ遠い記憶ですが、確か、この頃作っていた曲の歌詞を見て、ジョーンが「遺言を書いていると思った」というような記述があったように記憶しています。(まったく余談ですが、ジョーン・ハラはビクトルの5歳年上で×1のイギリス人舞踏家です)この映像から2か月も経たない9月11日、陸軍総司令官ピノチェトのクーデターによってアジェンデ政権は倒壊、左派文化人の代表格と見なされたビクトル・ハラも逮捕され、チリ・スタジアムに収容されていた9月16日、同じ場所に監禁されていた多くの市民を励まそうと、「人民連合」のキャンペーンソング「ベンセレーモス」を歌っていたところを射殺されて40歳の生涯を閉じます。あるいは、演劇家でもあるビクトル・ハラは、自分の死すらも、後世の人々という観客に対して、見事に演出しきった、という言い方もできるかもしれません。だから、ビクトル・ハラはそのあまりにも悲劇的な死によって、逆に多くの音楽家の心の中に生き続けることになりました。El derecho de vivir en paz 平和に生きる権利日本では、ソウル・フラワー・ユニオンがカバーしているので、ビクトル・ハラの曲の中ではこれが一番有名かもしれません。元々はベトナム戦争に対する反戦歌です。映像は、昨年10月、地下鉄など公共料金値上げに端を発した、「チリ史上最大規模」と言われるデモの際のものです。この大合唱は、何度見ても、私の心は熱くなってしまうのです。Manifiesto 宣言ビクトル・ハラの生前最後に作った曲の一つです。この演奏はチリとアルゼンチンの合作、両国のトップクラスの歌い手、日本で言えば紅白歌合戦に何回も出ているような人がずらりと並んでいます。民主党(日本の)が「マニフェスト」という言葉を使い始めたとき、個人的にはこの曲のことが頭にあって、「その言葉はあまり安易に使ってほしくないなあ」「汚すようなことにはならないでほしいな」と思った記憶があります。一般名詞ですから、そんなことを言っても仕方がないんですけど。Vientos del pueblo 民衆の風スペインの詩人ミゲル・エルナンデスの詩に曲を付けたもの。ミゲル・エルナンデスはスペイン内戦時、共和派を支持し、フランコが勝利した後も国外亡命しなかったため逮捕され、死刑は免れたものの、監獄の劣悪な環境の中で1942年に31歳で獄死しました。これも「宣言」と同じくビクトル・ハラ生前最後に製作したアルバムに収められた曲です。演奏は「インティ・イジマニ」。個人的には私がビクトル・ハラの曲で一番最初に参ってしまったのが、この曲のこのグループのアレンジなのです。ジョーン・ハラが「遺言を書いている」と記したのは、先の「宣言」かこの曲のどちらかだったと思います。どちらも悲壮な覚悟を感じざるを得ない歌詞です。クーデターの際に殺された著名な音楽家はビクトル・ハラだけですが、先に紹介したビオレータ・パラの息子アンヘル・パラは逮捕されて強制収容所に放り込まれ、拷問で精神に変調をきたした状態で釈放されて国外追放されています。その姉のイサベル・パラ、先に紹介したキラパジュンとインティ・イジマニ、更にイジャプなど、亡命を余儀なくされた音楽家は数多くいます。その話は、またそのうちに機会があれば。
2020.10.17
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ヒマラヤ山脈:女子学生だけの登山隊 第一人者の訓練受け「山ガール」ブームが続く中、日本山岳会(森武昭会長)は、創立110年記念事業として女子大学生4人を集めた「ムスタン登山隊」を編成した。女子学生だけの登山隊編成は初めてで、今月下旬にネパール北西部の秘境、旧ムスタン王国にあるヒマラヤ山脈の未踏峰・マンセイル峰(6242メートル)に挑む。(以下略)---記事の中身自体に関してどうこう言うつもりはないのですが・・・・・・「山ガール」ブームが続く中えーと、そんなブームがあるんですか?もちろん、そういう言葉があることは知っていますけれど、どこまで実態のある「ブーム」なのでしょうか。登山者に占める女性の割合は、正確なところはわからないですが、決して少なくはありません。感覚的にいうと、4割くらいかな。と、思って検索したところ、こちらの資料によれば、登山者の男女比は、男性57.3%、女性41.8%だそうで、私の山勘は結構正しかったようです。ただ、私の感覚では、私が山登りを始めた約20年前にも、女性登山者は決して少なかったわけではないように思います。そして、年齢的に言えば20年前30年前にはガールでした、という人、もとい、男女問わずですけど、中高年の登山者が多い。もちろん、若い登山者が皆無というわけではありません。私が山登りを始めた当初も、若い女性の登山者はいたし、もちろん今もいます。ただ、昔より増えたかと言われると、うーーーーーーーん????どうだろうか。あまりそういう実感はありません。一つには、山域や季節による差はあると思います。夏山シーズンで比較的手軽な山になると若い女性の比率が上がるし、南北アルプスの奥のほうになると比率は下がるように思います。もちろん、比率は下がっても、皆無になることはないですけど。で、それはともかくとして、です。いわゆる山ガールの格好というのはこういうものだそうです。しかし、「山スカート」???実際にこんな格好の女性登山者に、山で出会ったことはほとんどありません。いや、記憶を探ると、ひょっとしたら1度か2度、どこかの山で目撃したことはあったかもしれない、という程度です。今年登った山で一度も目撃していないことだけは断言できます。こういう格好の「山ガール」が山に大勢いる、というのは、限りなく虚像に近いのではないかと思いますね。ちなみに、私もスペシャル若い女性と一緒に山に登ったことがありますよ。当時3歳。登ったのは高尾山です。このときは、全行程私がおんぶして登った。その、ちょうど1年後に、今度は8割方自分の足で登りましたが、それを最後に、私が山に誘っても、ついてきてくれません。フラれてばかりです。
2014.09.01
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稲田朋美・自民党政調会長「慰安婦の次はぜひ『百人斬り報道』の訂正を」「首相70年談話は何も心配ない」昨年は朝日新聞が慰安婦問題に関する一部記事を取消して謝罪した。でも、朝日新聞も毎日新聞も、昭和12年の南京攻略戦の「百人斬り」記事は取消していない。慰安婦問題の次はこの問題をぜひ訂正してほしい。百人斬りは東京日日新聞(現毎日新聞)の浅海一男記者の創作記事であり、日本刀を持った将校2人の写真を撮った元同紙カメラマン、佐藤振壽さんも「あれは戦意高揚のための記事で、あり得ない話」と言い続けていた。百人斬りが嘘であることはもう決着がついたと思っていたが、いまだに中国の抗日記念館で展示されたり、日本の学校で先生が教えたりしている。そこで元将校の遺族が平成15年に「虚偽報道で名誉毀損された」と朝日、毎日両紙などを訴え、私が主任弁護士を務めた。ところが両紙は虚偽を認めず、朝日は裁判の中で「百人斬りは捕虜虐殺競争だった」と主張し、新たな名誉毀損すら行った。両紙には虚偽を認めてほしい。私が中国で講演した際、南京大虐殺記念館の百人斬り競争の記事写真の展示について「なぜ撤去しないのか」と問うたら「これはあなたの国の新聞が書いたことです」と言われた。朝日、毎日両紙が嘘だと認めていないのに、なぜ撤去しなくてはいけないのかという反応。毎日新聞は昭和史年鑑『昭和史全記録』に「百人斬りは事実無根」と書いているのに、裁判では「それは執筆者の個人的見解であって社の見解ではない」と認めない。さらには「新聞に真実を報道する法的義務はない」とまで言い切った。結局、判決文では1審が百人斬りについて「疑問の余地がないわけではない」とした部分を、2審では「信じることはできず、甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と変更したけれど、「全くの虚偽であると認めることはできない」と遺族の訴えを退けた。でも、全くの虚偽といえるものなんて普通はない。「なかったこと」の証明はできないから。裁判所としては、ほとんど嘘だということは分かっていても、公式に虚偽と認めるには勇気が必要なことだったんでしょう。だって南京事件の象徴って、この百人斬り競争しかない。これを除いたら、誰も南京事件の実行犯っていない。裁判所には、そういう南京事件における象徴的な人物というか、実行犯の記事を虚偽だと認定する勇気がなかった。だから、判決理由で「信じることはできない」と判断しながら、名誉毀損は認めないことにしたのだろうと思う。(要旨・以下略)---例によって、自民党内極右勢力の代表格が御用新聞にお決まりの意見を開陳しています。まさしく歴史修正主義そのものです。私は、この百人斬り裁判には多少かかわりのあった人間で、話の前後関係を知っているので、この、事実の断片を適当につなぎ合わせてでたらめな結論を導き出す、稲田の言い分にはまったく腹が立ちます。「東京日日新聞の浅海一男記者の創作記事」とありますが、それはまったくのウソです。「あれは戦意高揚のための記事で、あり得ない話」と言ったという佐藤振壽元カメラマンは、裁判の原告側証人として出廷しています。確かに佐藤氏は、自身の主観としては、百人斬り競争なんてウソと考えていたようです。ただし、彼は「競争」の現場に立ち会ったわけではなく、ただその話を本人たちから聞いて写真を撮っただけですから、それはあくまでも「主観」「想像」の範疇です。彼が裁判で証言した「事実」は、この話は2人の少尉自身から聞いた話を記事にした、ということです。聞くところによると、原告側は佐藤証人が法廷で「百人斬りなんてウソだ」という趣旨の「意見」を述べただけで大喜びしてしまい、「話は2人の少尉から直接聞いた」という「証言」で決定的に不利になったことに気付いている風がなかった、という話です。判決においても、この件は本件日日記事第四報に掲載された写真を撮影した佐藤記者は,本件日日記事の執筆自体には関与していないところ,「週刊新潮」昭和47年7月29日号の記事以来,当法廷における証言に至るまで,両少尉から直接「百人斬り競争」を始める旨の話を聞いたと一貫して供述しており,この供述は,当時の従軍メモを基に記憶喚起されたものである点にかんがみても,直ちにその信用性を否定し難いものであると指摘されています。つまり、仮に百人斬りが創作だったとするなら、その創作を行ったのは2人の少尉たち自身であって、新聞記者ではない、ということです。それを「浅海一男記者の創作記事であり」などというのは、それこそ浅海記者に対する名誉毀損でしょう。「朝日は裁判の中で百人斬りは捕虜虐殺競争だったと主張し」ともあります。これだけ読むと、まるで裁判になったら唐突に捕虜虐殺競争だったと言い分を変えたかのように読めてしまいます。もちろん、そんなことはありません。歴史に埋もれていた百人斬り競争の事実が再び世に知られるようになったのは、本多勝一記者の「中国の旅」によってですが、「中国の旅」が世に出た直後から、イザヤ・ペンダサンこと山本七平とこの件で論争が生じており、その論争の中で、百人斬り競争の実態が捕虜を切る競争だった実態が、後に少尉のうちの一人から直接話を聞いた方の証言によって明らかになっています。裁判より30年も前のことです。その後、歴史学者の秦郁彦の調査によって、野田少尉が1939年7月、故郷鹿児島の鹿児島師範付属小学校・田代小学校・鹿児島第一中学校で百人斬りの体験談の講演を行っており、その際に「捕虜を斬った」旨を話していたという当時の児童・生徒の証言が、鹿児島師範付属小と鹿児島一中の2箇所から出ていることが明らかになっています。(これは、裁判の後で明らかになっているので、判決文には触れられていません)更に、当時2人の少尉と同じ部隊にいた望月五三郎氏がこのあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。「おい望月あこ(あそこ)にいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦闘中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであらうか。マスコミは最前線にいながら、支那兵と支那農民をぼかして報道したものであり、報道部の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。という手記を残していることが、裁判の中で明らかになっています。ちなみに、この手記は、靖国神社内の偕行文庫に寄贈され、そこに保管されていたものです。で、稲田は、二審の判決文が百人斬りについて「信じることはできず、甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と書いていると主張しています。実際の判決文は、こう書いてあります。当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務,1本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても、本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について、同記事の内容を信じることはできないのであって、同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。しかしながら、その競争の内実が本件日日記事の内容とは異なるものであったとしても、次の諸点に照らせば、両少尉が,南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず、本件日日記事の「百人斬り競争」を新聞記者の創作記事であり、全くの虚偽であると認めることはできないというべきである。稲田は、この「しかしながら」以下の部分に頬かむりして、都合のよい部分だけを切り取って、勝った勝ったと言っているだけです。この判決文を普通に読めば、要するに当時新聞報道された百人斬り競争には誇張も水増しも相当あっただろうけど、いろいろな証拠から考えて、それに類する行為はあったでしょ、という意味にしか読み取れません。そもそも、百人斬りが本当に戦闘行動中に敵兵を斬ったものなら、戦争犯罪になるわけがなく(敵の戦闘機を100機撃墜したエースパイロットが戦犯にはなりませんね、それと同じこと)、2人の少尉が戦犯として訴追されたのは、そもそも最初からそんなのは捕虜・非戦闘員の殺害しかありえないと分かっていたからでしょう。だいたい、記事を取消せというのは何の記事を取消せということか。毎日新聞に取消せというんだから、1937年当時の記事ということです。それなら、ミッドウェー海戦日本勝利の報道も、ガダルカナル島で作戦目的を達成して「転進」も、台湾沖航空戦大勝利も、みんな取り消し報道をしなければなりません。朝日毎日だけではなく、当時から存続しているすべての新聞がです。それらの公式発表がウソまたは事実誤認だったことは、今では誰でも知っていることですが、新聞が太平洋戦争について「自らの報道を」個別具体的に公式に訂正したことはないんじゃないでしょうか。総論としての訂正と謝罪は戦後行った新聞もあるでしょうが。「南京事件の象徴って、この百人斬り競争しかない。これを除いたら、誰も南京事件の実行犯っていない。」いやー、南京事件は、少なくとも万の単位の犠牲者が出た虐殺事件です。百人斬りは(「戦果」が報道のとおりだったとしても)犠牲者200人です。南京事件の巨大な犠牲の、ごくごく一部を占めるに過ぎない話です。それ以外にも、南京大虐殺に関しては、多くの証言、記録が残っています。いずれにしても、いかにも歴史修正主義者らしい言い分というものです。でも、産経の読者は、こういう見え透いたウソに、コロッとだまされて「百人斬りなんて捏造だ」「南京大虐殺もウソだ」と思い込んでしまうんでしょうね。人は、自らが信じたいと思うことを信じる生き物ですからね。
2015.03.22
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すでに全廃も 車内販売の未来はすでに在来線特急では全廃したJR会社もJR九州が在来線特急列車の客室乗務員廃止を検討していると2014年8月31日、毎日新聞が伝えました。「客室乗務員」は案内や車内販売に従事する乗務員。車内販売は当初から採算がとれておらず、観光列車を除くすべての在来線特急列車が客室乗務員廃止の対象とされています。近年、こうした車内販売の縮小傾向が続いています。JR東海は2013年3月16日から、すべての在来線特急列車で車内販売を終了しました。JR東海では現在、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」でしか車内販売を行っていません。そしてまもなく2014年9月15日をもって、近畿と北陸を結ぶJR西日本の特急「サンダーバード」「しらさぎ」でも車内販売が終了します。JR西日本で車内販売を行う在来線の定期特急列車は9月15日以降、紀伊半島へ向かう「くろしお」と、JR東日本系の日本レストランエンタプライズが乗務する北陸地方の特急「はくたか」「北越」だけになります。また山陽新幹線でも、「こだま」では車内販売が行われていません。JR四国は2003年にいったん全廃しましたが、2009年から一部で再開しています。しかし車内販売の営業は丸亀~観音寺・琴平間という、香川県内合計約40km程度の短区間でしか行われません。車内販売の未来はどうなる?なぜ車内販売が縮小していくのでしょうか。その大きな理由として、駅内売店の充実が挙げられます。昭和50年代ごろの鉄道紀行文を読むと食料の入手に難儀する場面がしばしば見られますが、いまでは全国各地の街に、さらに駅のなかにまでコンビニが存在。しかも品揃えで、車内販売がコンビニに勝てるわけがありません。現在は鉄道移動時における飲食物の入手が非常に容易になったうえ、品物の選択肢も大幅に拡大。相対的に車内販売の需要、必要性が低下してしまいました。コンビニに限らず、駅内における商業施設の充実は近年、目を見張るものがあります。そのため車内販売を終了しても大きな影響はないという考え方もみられます。ただ、車内販売は単純に物販の収益性だけで考えるべきものではなく、列車サービスの一部としてトータルで考えるべきという視点もあります。また山陽新幹線ではやはり車内販売の売上が落ちていましたが、九州新幹線との直通運転開始に合わせ車内販売を強化。岡山・倉敷のデニムを使ったウエストバックや広島・熊野筆のチークブラシなど高品質の商品を扱うといった工夫をして、飲食物の販売減少を補いながら売上を維持しています。ちなみに、新幹線から食堂車がなくなったことについても同様に、駅内売店の充実が理由のひとつに挙げられます。またそのほか、新幹線がスピードアップし車内滞在時間が短縮され、わざわざ車内を歩いて食堂車へ行こうという需要が減ったことなども理由として挙げられます。---JR東日本は、現時点では車内販売を維持していますが、この流れからいうとやがては消えていく可能性がありそうです。何というか、わびしい話と思う反面、自分自身を振り返ると、最近車内販売の飲食物をほとんど買っていないことも確かなのです。まさしく引用記事で指摘されているとおり、駅構内で飲食物を購入することにほとんど不自由しない、というのが理由です。もっとも、家族旅行のときなどは、子どもの「お腹空いた」攻撃が始まると車内販売でお菓子などを購入することはありますが。お酒類なども、一人で乗るときはせいぜい缶ビール1本ですけど、2人以上で乗ると、勢いで2本3本と、ということはあります。夏場だと、駅の売店でビールを買っても、そもそも列車に乗る前に飲み干している、ということがよくあったりするので。とはいえ、鉄道で移動する人の乗車時間は、大半の場合せいぜい3時間以内なので、出発駅で買いそびれた、買い足りなかったということがあっても、たいていの人は到着駅まで我慢できてしまう、という事情もあります。列車内が混雑して通路まで満員になると、車内販売が自由席まではやってこないので、買いたくても変えない、ということもあります。一時期、東海道新幹線の100系がカフェテリア車を連結しており、東北新幹線にも同様の車両がありました。面積的に考えても駅売店以上、コンビニ並の品揃えが可能だったはずですが、私自身は利用したことがないので、どんなものが売られていたのかは分かりません。食堂車もそうですが、それによって車両を1両(または1両の半分)を取られて、その分乗客が乗せられないデメリットがあるため、次第に消えていきました。というわけで、車内販売が消えていく理由、分からなくはありません。夜行列車の消滅に比べると、私自身の実用上の影響は大きくないのですかが、ただ、「旅行」「優等列車」という風情がまったく消え去っていくのは、ちょっと残念です。いや、そんなことを言っている時代ではない、ということは分かるんですけど。
2014.08.31
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100204-00000053-jij-soci横浜事件、実質無罪=刑事補償交付を決定-裁判打ち切りの元被告に・地裁戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で、治安維持法違反の有罪が確定し再審で裁判を打ち切る免訴判決を受けた元被告5人の遺族による刑事補償請求に対し、横浜地裁(大島隆明裁判長)は4日、請求通り計約4700万円を交付する決定を出した。決定は「再審公判で実体判断できたら、無罪判決を受けたことは明らか」と述べ、5人を実質的に無罪と判断した。免訴とされた元被告への刑事補償は初とみられる。横浜事件の司法手続きは、有罪確定から64年余で終結する。決定で大島裁判長は事件の経緯を詳細に検討。特高警察による拷問を認定し、元被告が同法違反に問われた共産党再建準備をしたとされる会合について「証拠は存在せず事実と認定できない」とした。その上で、確定有罪判決について「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と指摘。「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論付け、5人に法定上限の刑事補償を認めた。(以下略)----------------------横浜事件といえば、戦中最大の言論弾圧事件として知られています。何より恐ろしいのは、この事件で死刑判決を受けた被告は1人もいないにもかかわらず、4人が獄死している。どれだけひどい拷問にリンチを繰り返したのか、ということです。横浜事件だけに限りません。治安維持法の最高刑は死刑ですが、日本本土では実際に治安維持法で死刑の判決が出たことはありません(朝鮮では多くの死刑がでていますが)。でも、死刑判決はなくても、拷問によって数多くの獄死者がでています。有名どころでは、横浜事件の他に小林多喜二、野呂栄太郎、三木清などでしょうか。他にも数多くいます。そして、それら拷問で幾人も殺している特高警察関係者は、戦後一時公職追放された者はいましたが、すぐに追放解除となり、その後も警察の中枢に居座り続けてきたのです。どう見ても完全なるでっち上げであることが明らかなこの事件で、被害者が初めて再審請求を行ったのは1986年のことです。再審請求は2回棄却されて、1998年、3度目の再審請求が2003年にやっと横浜地裁で認められたのですが、検察はそれに対して抗告。検察は、この明白なえん罪(というより言論弾圧事件)の被害者の名誉回復を是としなかった、という事実は記憶しておくべきでしょう。高裁も再審請求を認めると、さすがの検察も最高裁までは抗告せず、再審が始まったのですが、結局は免訴という判決。つまり、彼らが逮捕された容疑はもうないのだから、判決の言い渡しはしないよ、ということです。再審請求は名誉回復を求めて、つまり「無罪」の判決を求めてのことですから、免訴では名誉回復になりません。しかし結局免訴という判決は最高裁まで覆らず、そこで刑事訴訟法の補償手続きでの名誉回復が、今回やっと認められたわけです。最初の再審請求から、実に24年が経過し、もはや横浜事件の被害者は全員他界しました。誰も、生きている間に名誉回復が図られることはできなかったのです。これほどまでに明白な冤罪、言論弾圧事件にもかかわらず、名誉回復が実現するまでに、なぜこんなに長い時間がかからなければならなかったのか、検察や裁判所の対応に問題がなかったのか、ということを考えてしまいます。
2010.02.04
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少し前に、福島市の子どもの尿からセシウム134、セシウム137が検出されたという報道がありました。それに対して、その程度の被爆は問題ない、大気圏内核実験が繰り返されていた1950年代から60年代初めにかけては、今回の事故と同程度(あるいはそれ以上)の被爆が日本でもあったのだ、という「反論」を述べる者も出てきました。確かに、この程度の被爆では「直ちに健康への被害はない」(聞き飽きた台詞ですが)ことは事実でしょう。でも、10年後20年後にどうなのでしょう。大人ならまず大丈夫でしょうが、子どもはどうなのでしょうか。私にはよく分かりません。(誰にも分からないかも知れないですが)それにしても、昔は核実験でこのくらいの被曝があったから、今回も大丈夫だという言い方は、どうなのかなあと私は思ってしまうのです。なぜって、大気圏内核実験は部分的核実験禁止条約によって禁止されているからです。禁止の理由は、言うまでもなく放射能汚染が危険だからです。(地下核実験は、その後も長く容認されてきた)1950年代60年代の大気圏内核実験と同程度の被爆だから問題ないのだ、という言い方をするなら、それでは何のために大気圏内核実験は禁止されているのかということになります。ならば核実験は禁止しなくてよいということなのでしょうか。ところで、では50年以上も昔に繰り返されてきた大気圏内核実験というのは、どういうものだったのでしょうか。特に有名なのは、1954年のビキニ環礁での水爆実験です。日本のマグロ延縄漁船第五福竜丸が巻き込まれ、乗組員全員が被曝して、うち一人が亡くなりました。このとき、第五福竜丸は爆心から150kmも離れており、米軍の設定した危険水域の外側にいたのですが、乗組員の被曝量は少ない人で1.7グレイ、最も多い人で6.9グレイに達したとされています(亡くなった乗組員は5グレイあまり)。グレイ=シーベルトと考えると、亡くなった方は5シーベルトの被曝であり、半数致死量を超えていたことになります。第五福竜丸が危険水域の外側にいたにもかかわらず被曝により死者まで出したのは、米軍が核実験の規模の計算を誤っていたからです。予定では6メガトン±2メガトン程度の爆発という計画でしたが、実際には15メガトンの爆発でした。もっとも、予定どおりの6メガトンの爆発だったとしても、第五福竜丸はやはり被曝して、死者が出たかどうかはともかく、かなり深刻な健康被害を生じたことに変わりはなかっただろうと思います。さて、第五福竜丸事件を含む一連の核実験は、「キャッスル作戦」と呼ばれています。実験は1954年3月から5月までの2ヶ月間に計6回行われ、うち1回は実験失敗。残り5回の中で、爆発規模10メガトン以上が3回、あとの2回は6メガトン超と1メガトンでした。さらに、それ以降も1956年レッドウィング作戦、1958年ハードタック作戦、1962年ドミニク作戦と、メガトン級の核実験を何回も繰り返しています。しかし、実は史上最大規模の核実験は米軍によるものではありません。1961年、旧ソ連が行った50メガトン級の核実験(通称ツァーリ・ボンバ)が史上最大です。結局、この間米ソ両国が繰り広げた核実験は、爆発規模の合計で軽く100メガトンを超え、おそらく200メガトンに達すると思われます。現在では、核兵器の小規模化(という言い方は非常に変ですが)が進んでおり、メガトン級の核弾頭は姿を消していると言われます。現在主流は1個の核弾頭が200キロトンから300キロトン程度のもの。つまり、200メガトンという数字は、現在の核弾頭で言えば1000発分にも相当する威力ということになります。爆発が無人地帯で行われたというだけで、爆発の規模で見れば、全面核戦争が行われたのに近いほどの核爆発が繰り返されたわけです。それほどの核実験が繰り返された結果として、莫大な放射能が全世界にまき散らされました。南太平洋や北極海の核実験場からは、日本は何千キロも離れています。それでも日本に放射性物質が降ってきたということは、全世界に降ったということです。おそらく、当時放射性物質が降らなかった場所なんて、この地球上になかったのだろうと(もしあったとすると、南極大陸くらい?)思います。広島の原爆の爆発規模は15キロトン程度と見積もられています。つまり、その後全世界で切り広げられた核実験の爆発力合計は、おそらく広島型原爆の1万数千発分ということになります。ヨーロッパ全体に深刻な核汚染を引き起こしたチェルノブイリの事故で放出された放射性物質は、広島型原爆の数百発分とされます。今回の福島第一原発の事故は、そのチェルノブイリの1/7程度の規模(放出された放射の雨量で)とされています※。つまり、今回の事故は広島型原爆の数十発から100発分程度の放射能量だということになります。もの凄い量です。そして、その福島第一原発から、福島市までは60キロから70キロ離れています。70キロも離れていると見るか、70キロしか離れていないと見るかは、人によって違うでしょうが、第五福竜丸は、爆心から150キロも離れていても、致死量の放射能を浴びました。ま、放射能の総量は、おそらく第五福竜丸事件の水爆実験の1割以下だとは思いますが。※このブログで、以前に「チェルノブイリの2~6%の規模」という記事を書いたことがありますが、その後今回の事故の規模が上方修正されています。追記報道によると、福島の子どもの尿検査は5月上旬と5月下旬の2回行われ、セシウム134/137は2回とも検出されたものの、放射性ヨウ素は1回目しか検出されなかったとか。しかし、逆に考えると、5月上旬というのは原発事故から2ヶ月近く経過した時期であり、その時点でまだ体内から放射性ヨウ素が検出されたということは(放射性ヨウ素の半減期は8日)、当初はいったいどれだけの放射性ヨウ素を内部被曝したのか、という危惧を抱きます。チェルノブイリの例で言うと、子どもの甲状腺ガンが急増したのは事故から5年以上経過した後のことです。福島の場合はどうなるのだろうか・・・・・・。
2011.07.09
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“生前退位”内閣法制局「憲法改正が必要」天皇の生前退位をめぐり、内閣法制局などが、将来にわたって生前退位を可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘していることが新たに分かった。天皇陛下のお言葉を、安倍首相は「重く受け止めている」と述べたが、憲法との整合性をいかに保つか、難題にぶつかっている。政権幹部によると、憲法と法律との整合性をチェックする内閣法制局などは、生前退位を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘しているという。これは憲法の第1条で「天皇の地位は国民の総意に基づく」と定めていて、天皇の意思で退位することはこれに抵触するという理由。一方、生前退位を今の天皇陛下だけに認めるのであれば、特例法の制定で対応可能だと説明しているという。政府は来月にも有識者会議を設置して、特例法を軸に議論を進める考え。菅官房長官「有識者会議の設置も含めて、どのように対応していくかということを、現在考えているところであります」一方、8月に行ったNNN世論調査では、「将来にわたって生前退位を認めた方が良い」との答えが77.0%に達している。政府はこうした世論の動向も見ながら、生前退位の制度化についても長期的な課題とすることを検討している。---目下のところ、「指摘していることが分かった」という、まだ非公式の話のようですが、いずれにしても、天皇の生前退位問題すら憲法を変えるための材料にしようというあきれ果てた話です。「指摘した」ですって?嘘でしょうよ。アベ様の意向を汲んで、生前退位問題を憲法改正に利用できないか、一生懸命考えたのでしょうよ。しかし、これは過去の内閣法制局の公式見解とは正反対の解釈です。1978年、参議院予算委員会で、社会民主連合秦豊参議院議員の質問に対する真田秀夫内閣法制局長官の答弁があります。第84回国会 予算委員会 第12号 昭和53年3月16日(木)○秦豊君 法制局に伺いますが、皇室典範による摂政を置く条件と国事行為の臨時代行に関する法律の場合、健康状態の把握のランクが違いますね。○政府委員(真田秀夫君) おっしゃるとおりでございます。皇室典範による摂政を置く場合の要件は、精神もしくは身体に著しい障害がある、あるいはまたこれに準ずるような事故がある、そういう場合に摂政が置ける。臨時代行の方の要件は、その著しいというのが実は外してありまして、したがいまして、おっしゃるとおりの結論に相なるわけでございます。○秦豊君 お元気な天皇で大変結構だと思いますが、お元気であればあるほどいまのうちに――退位や譲位がないんですね、皇室典範を変えなきゃならぬわけですね、法的には。○政府委員(真田秀夫君) その点もおっしゃるとおりでございます。もちろん、学説の中には、退位は憲法上できないんだという説もないこともないのですけれども、通説としては、憲法上その退位ができるかできないかは、法律である皇室典範の規定に譲っているというふうに言われておりますから、おっしゃるとおり皇室典範の改正が必要だということに相なります。○秦豊君 皇室典範を改めるというのは、何か法的な妨げがございますか。○政府委員(真田秀夫君) 同じく皇室典範と申しましても、明治憲法下の皇室典範は一種特別な法形式でありましたが、現在の皇室典範は通例の法律と同じように国会の議決によってつくられたものであり、国会の議決によって改正することができます。 あと、どういう内容の改正をするかということにつきましては、これは政策問題でございますので、私からお答えする限りではございません。○秦豊君 ならば、政府提案でも議員立法でもよろしいと、こうなるわけですね。○政府委員(真田秀夫君) おっしゃるとおりでございます。天皇の退位は憲法上できないという学説も「ないことはない」が、通説では退位の可否は「法律である皇室典範の規定に譲っている」、その皇室典範は国会の議決によって改正できる、政府提案でも議員立法でもよろしい、と明言しています。この、内閣法制局長官の国会答弁を反故にして、天皇の生前退位は違憲だ、ということにしたいようです。一昨年、長らく政府(内閣法制局)の公式見解として、集団的自衛権の行使を違憲としてきた憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使は合憲だと言い出した、あの解釈改憲と同じことを、またやろうというわけです。つまり、内閣法制局は、法の番人ではなく、安倍の番人になった、ということです。しかし、報道から見る限り、その内容は支離滅裂としか思えません。生前退位を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」なのに、生前退位を今の天皇だけに認めるのであれば、特例法で対応可能(つまり、憲法を変える必要がない)のだと。まったく理解不能です。天皇の意思での退位は、憲法第1条「天皇の地位は国民の総意に基づく」に抵触するから憲法改正が必要だ、というのですが、その理屈ならば、今の天皇に限定して生前退位を認めることだって抵触するでしょう。一連の問題は、全部天皇自身の意思に端を発しているんだから。要するに、日本会議系の極右連中は、天皇の生前退位なんて、本当は一切認めたくないのです。だけど、世論は完全に生前退位に賛成だから、これを阻止することは難しい。ならば今の天皇一代限りの例外にとどめておきたい、ということです。そんな彼らの意向(おそらく安部自身の意向でもある)に沿うように憲法を解釈した、ということなのでしょう。だから、客観的な整合性などまるでないわけです。いったいどういうアクロバット的解釈によって、天皇の意思による退位は憲法に抵触するのに、今の天皇だけの一代限りの特例法なら抵触しない、という理屈が成り立つのでしょうか。おそらく、ですが、今の天皇の退位には圧倒的多数の国民が賛成している。だからそれは国民の総意に基づく退位であり、憲法に抵触しない、という理屈ではないかと思います。しかし、確かに世論調査では今の天皇の退位には賛成が圧倒的多数ですが(私も賛成、というか反対ではありません)、それでも100%ではありません。反対意見がないわけではありません。それでも、これを国民の総意とみなすなら、国会において賛成多数を得て皇室典範を改正することも、国民の総意でしょう。だって、民主選挙で選ばれた議員による議決なんですから。ちなみに、ですが、自民党の憲法改正草案だ第1条は天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくという文面になっています。主権の存する日本国民の総意に基づくという規定は、自民党の改憲案でも今の憲法と変わっていません。この憲法解釈に基づくなら、自民党の改憲案の下でも天皇の意思による退位は憲法に抵触することになります。つまり、「生前退位を将来にわたって可能にするためには憲法改正が必要」と言いつつ、実際には「憲法を変えても、天皇の生前退位は将来にわたって」認めません、というわけです。
2016.08.25
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「白い貴婦人」、東京にお立ち寄り チリ軍の帆船が寄港「白い貴婦人」の愛称で知られるチリ海軍の練習帆船「エスメラルダ」が26日、東京・晴海埠頭に寄港し、歓迎式典が催された。~週末の27、28日午後2時から午後6時まで、無料で一般公開される。30日には次の寄港地、韓国・釜山に出発する予定だ。---チリ海軍の練習帆船が寄航、というので、晴海まで行ってきました。練習帰りだったので、着いたのは5時過ぎ、しかも管楽器ケース(スペイン語でNo a la guerra-戦争反対、と大書きしてあるやつ)を持ったままです(笑)横浜の日本丸にも、多分15年くらい前だったと思いますが、いったことがあります。現役の帆船に入るのは初めてです。船首に、コンドルをかたどった紋章があります。乗船口。天気はよくなかったですが、見学者は、かなり大勢いました。でかい蛇輪ですが、実際に普段これで操舵しているかどうかは謎です。船体前部にブリッジがあるので、そこで操舵しているんじゃないかな。乗組員がマストに上がって作業しています。どうやら、電飾のための電灯つきワイヤを張るところだったようです。船首からブリッジを撮影。ブリッジに「Vencer o morir(勝利か死か)」と書かれています。それがこの船の標語なのでしょう。一応、チリ海軍に所属する軍艦なので、大砲も積んでいます。ただし、礼砲用なので、実弾はおそらく撃たないでしょう。軍艦だけど、商売にも励んでいます。ワイン1本2500円。うーーーーん、何故か、気が付いたら買っていた私。本当は白の方が好きなんだけど、白は売っていなかったので赤ワインを買ってしまいました。奥はピスコとウイスキー。4本マストで、1本目だけが横帆、後ろ3本は縦帆なんですね。日本丸などたいていの大型帆船は前3本が横帆で、一番後ろだけが縦帆だけど。で、エスメラルダ号の後ろには、海上自衛隊の護衛艦「まきなみ」の係留されており、こちらも一般公開中でした。私のように、反戦平和を叫んでいる人間が、自衛隊の船を見学してよいのでしょうか?見てはいけないはずがないので、こちらも見学してみました。ただ、見学時間は6時までということで、もう時間がなかったので、ささっと見ただけですけど。ヘリの格納庫と搭載ヘリコプター。格納庫の上には、CIWS(レーダー自動制御の20mm対空機関砲)が搭載されています。対艦ミサイル。左右両舷に3機づつ搭載していました。実は、今まで4機ずつ搭載しているものだと思っていたのですが、1本欠けているんですね。真横から撮影。これも真横からの撮影。カバーがかけられているのは、一般に見られたくない装備ということでしょうか。これで、全長151m、満載排水量6300トンだそうです。エスメラルダは全長113m、満載排水量3673トンだそうなので、それより一回り大きいようです。でも、どちらの方が優美かと言ったら、それはえすめらるだのほうを私は取ります。
2016.08.28
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以下の案内が来ております。私も参加する予定です。南京への道・史実を守る会は、「南京・史実を守る映画祭」と題し、2007年の南京事件70周年を期して制作された映画の上映会を行って来ましたが、この度、東京・四谷の四谷区民ホールへ場所を移し開催します。上映内容は、陸川監督『南京!南京!』、F・ガレンベルガー『ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~』。いずれも数々の映画賞を受賞し世界的に注目を集めた作品です。また、それぞれの映画上映の後にアフタートークとして戦後責任研究会 神子島健さんと大阪府立大学の永田喜嗣さんにご登壇いただきます。是非とも、皆様お誘いあわせの上ご参加ください。戦後責任研究会・「南京・史実を守る映画祭」実行委員会南京・史実を守る映画祭http://johnrabe.jp/2017年12月2日(土)第1回(映画+アフタートーク)12:30開場 | 13:00上映 | 15:30アフタートーク『南京!南京!』(陸川監督、2009年、中国、133分)第2回(映画+アフタートーク)16:30開場 | 17:00上映 | 19:30アフタートーク『ジョン・ラーベ 南京のシンドラー』(F・ガレンベルガー、2009年、独・仏・中、134分)アフタートーク神子島 健 (戦後責任研究会・成城大学)永田 喜嗣 (大阪府立大学)料金 一上映1000円全席自由席(前売り券無し、予約致しません)場所 四谷区民ホール(9階)交通地下鉄:東京メトロ丸ノ内線 「新宿御苑前」2番出口(大木戸門)より徒歩5分都バス:品97 新宿駅西口~品川車庫「新宿一丁目」下車■お問合せ 戦後責任研究会・「南京・史実を守る映画祭」実行委員会
2017.11.16
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桐島容疑者名乗る人物、建設関係の仕事従事 保険証なく自費診療1974~75年の連続企業爆破事件のうち一つに関与した疑いがあるとして指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線『さそり』」メンバーの桐島聡容疑者(70)とみられる男性が神奈川県内で建設関係の仕事に就いていたことが、捜査関係者への取材で判明した。本人しか知り得ない情報を話しているといい、警視庁公安部は桐島容疑者本人の可能性が高いとみているが、県内の病院に入院中で重篤な状態という。公安部は任意で調べを進める方針。捜査関係者によると、桐島容疑者とみられる男性は職場の同僚に付き添われ、来院した。入院したのは1月に入ってからで、健康保険証や運転免許証など身分を示す物は所持しておらず、自費で診療を受けているとみられる。男性は当初、違う名前を名乗っていたが、25日に桐島容疑者本人と認める話を病院関係者にしたという。その際に「最期は本名で迎えたい」と話していたとの情報もある。警視庁公安部がDNA型鑑定などで確認を進めているが、少なくとも数日はかかる見通し。---いや、びっくりしました。そういえば私も、この人の手配写真を見たことはあります。しかし、おそらく20代の頃の手配写真と70歳の今では、容貌も相当変わっているのでしょう。しかし、50年近く逃亡して、偽名故に保険証を持つこともできず、癌でおそらく手遅れの状態になって救急搬送とは、ちょっと悲惨な結末ではあります。冷静に分析すると、桐島の関与した事件は、Wikipediaの記述を信用するなら、指名手配容疑である1975年4月18日韓国産業経済研究所1975年4月19日オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件の2件と鹿島建設爆破事件(1974年12月23日)間組本社ビル及び大宮工場同時爆破事件(1975年2月28日)間組江戸川作業所爆破事件(1975年4月27日)間組京成江戸川橋工事現場爆破事件(1975年5月4日)における共謀、実行ということですが、いずれの事件でも死者は出ていないようです。指名手配容疑の2件は夜間の爆破だったので死傷者なし、その他の4件では、合計2人のけが人が出ているということですが、8人の死者を出した三菱重工爆破事件には関与していないようです。それが事実であれば、逮捕されても死刑や無期懲役はなく、十数年程度の懲役刑だったことが予想されます。早々に逮捕されていれば、早々に刑期満了で釈放されていたかもしれません。今の日本で、このような人物が50年も逃亡を続けられる、ということにびっくりしました。それにしても、当初一部のマスコミは「捜査関係者への取材で男が「海外で逃亡生活をしていたが、最期は日本がよかった」という趣旨の話をしている」などと報じていましたが、この報道と、数十年間神奈川県内の建設業者(とも工務店ともいわれる)に住み込みで働いていた、は明らかに矛盾する報道内容です。数十年間神奈川県内で働いていた、という方には、関係者の多くの証言があり、そもそも病院にも同僚が付き添っていた、という辺りから、まず間違いはなさそうです。ということは、「海外で逃亡生活を送っていいた」というのは、がん末期のせん妄とか、勤務先に迷惑をかけたくなんて嘘をついたとか、あるいは「数十年前」より以前の逃亡初期に、本当に海外に逃亡していた時期があって、それを最近のことのように言っただけか、いずれにしても事実ではないか、少なくとも直近の事実ではないようです。それを訂正もせずに、いつの間にか「20~30年くらい(工務店で)働いていた」と報道するのはどんなものかと思いますよ。私も広い意味では左翼の端くれ、もしくは端くれだった人間ではありますが、とはいえ、現在の日本(1970年代でも同様)で爆弾闘争というのは、いかに考えても賛同できるところはありません。結局、この種の軽挙妄動が、左派全体の評判を落とす方向に作用してしまったことは否定できません。それにしても、50年弱、長いですねえ。実は、一連の爆破事件のどれかは分かりませんが(三菱重工本社の可能性が高いですが、確実ではありません)その爆破現場のすぐ近くを通ったことがあります。別の用事で父に連れられて(弟も一緒だったような・・・・・)近く行ったときに、多分寄り道して現場近くに足を運んだのだと思います。大手町か日比谷かその近辺だったと思うのですが、だとすれば大手町の三菱重工か、中央区の大成建設、西新橋の三井物産のどれかだったはずです。瓦礫とガラスの割れた破片が散乱していたような遠い記憶があります。そして、まったく余談ながら、桐島の属していたグループは「さそり」ですが、東アジア反日武装戦線の3つのグループの一つ「大地の牙」を明らかにもじった名前のアニメが、それからわずか7年後に製作されます。太陽の牙ダグラム数あるロボットアニメの中でも特に好きだった作品の一つです。今だったら、「不謹慎だ」「テロを称賛するのか」などと「炎上」騒ぎになってしまい、とうていそんなタイトルはつけられなかったでしょう。
2024.01.28
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先週の日曜日ですが、柳沢峠から秩父山地・大菩薩嶺の北に位置する黒川山に登ってきました。柳沢峠の前に奥多摩湖に立ち寄りました。東京23区ではもう桜は終わっていましたが、奥多摩湖ではまだ満開。奥多摩湖の桜奥多摩湖の桜桜はきれいでしたが、奥多摩湖の水位がヤバいことになっていました。(樹間から分かりにくい写真しか撮れなかったので、写真なしです)現在、奥多摩湖の貯水率は34%しかありません。荒川水系も43%しかなく、いずれも平年を大幅に下回ります。唯一利根川水系だけは貯水率68%で平年を超える貯水率ですが、これも安心はできません。今年は日本海側も平年よりは雪が少ないからです。3月以降の高温で、雪解けが早く、言ってみれば貯金を早く取崩しているので今は現金が少し多いだけ、とも言えます。5~6月上旬には更に貯水率が上昇するのが例年の傾向ですが、先に雪が解けてしまったので、今後はそれほど貯水量は増えない可能性があります。この先、梅雨の降水量次第で東京は水不足になる可能性があります。さて、柳沢峠に到着しました。さすが何標高1470mはまだ広葉樹の葉は芽吹いていません。黒川山山頂に到着。1710mです。元々太平洋気候なので雪は多くない山域ですが、それにしてももう雪は一切ありませんでした。多分これが大菩薩嶺だと思います。もちろん笛を吹きます。見晴台に到着。実は、ここを鶏冠山と誤認してしまい、鶏冠山まで行くつもりが、行かずに下山してしまいました。黒川山見晴台からの景色。秩父山地主稜線が一望できます。富士山は木の陰に隠れています。樹間の富士山。それでも富士山はかろうじて見えましたが、南アルプスは完全に木の影でした。下山して、柳沢峠の近くまで降りてきたところで、もう一度秩父山地主稜線が見える場所があります。木賊山(とくさやま)破風山笠取山のつもりで撮ったけど、違うみたいです。唐松尾山飛竜山。針広混交林を下って行きます。針葉樹はシラビソ、ウラジロモミ、コメツガ、カラマツ、わずかにチョウセンゴヨウ(またはキタゴヨウ)、広葉樹はダケカンバ、ブナ、ミズナラ、ホオノキ等々。今回、柳沢峠到着が9時半を過ぎてしまったので、このコースにしましたが、あと1時間早く着ければ、次は大菩薩嶺を目指そうかな。
2026.04.16
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この場では告知していませんでしたが、先週土曜日に演奏してきました。ボリビア舞踊のダンスパーティーで、参加すると踊りへの参加も必須なので、やや敷居が高いイベントです。住宅街の真っただ中にあるタンゴスタジオが会場です。そして、私も演奏しました。Sojaraya ソハラヤタイトルの意味はよく分かりません。吉野家、CoCo壱番屋に並ぶ飲食チェーン、「蘇原屋」開業!ではないことは確かです。Corazoncito コラソンシートコラソンは心臓、心の意味ですが、この場合は心の人→愛しい人、という意味でしょう。そして、以前告知したように、5月5日も演奏します。第7回ラテンアメリカへの道フェスティバル会場:お台場デッキ(ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線「台場駅」下車すぐ)5月5日(祝)午後1時/3時30分(全体のステージスケジュールはこちらを参照)(当初2回目の演奏を3時と記載していましたが、変更になったようです)余談ですが、前の駐日ボリビア臨時代理大使のナタリアさんが参加されていました(「臨時」代理大使だけど2020年から5年間在任)。昨年退任したのですが、プライベートで再来日しているようです。5月初めに帰国するそうですが。で、打ち上げ(なぜかいつも、中華料理屋が会場なのです。なぜなら、そこは音出しができる場所だからです)にも参加していたのですが、みんなであれこれ演奏しているうちに、ノリと勢いでカルカスの「ボリビア」を演奏したんですよ。そうしたら、ナタリアさんが、ものすごく感動していました。1984年ヤマハの世界歌謡祭(第15回)に参加で来日した際の東京公演での映像です。(2番の前半がカットされています)ボリビアの第二国歌と呼べるのは多分Viva mi patria Boliviaでしょうが、この曲も近い扱いなのでしょうか。それを日本人が演奏したことにいたく感動したようです。演奏するときは心しておかなくては。日本の愛国歌は好かないけど、ボリビアの愛国歌は大好きな私です(笑)
2026.04.29
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