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東海道五十七次完全踏破旅日記、やっと書き終わったでござる、かたじけない。 * 此方にてござ候: http://plaza.rakuten.co.jp/istyle/diary/?ctgy=12五十七次のゴール大阪高麗橋は日本橋と同じく高架下にありまするが、江戸日本橋、京都三条大橋と違って人通りも少なくひっそりとしており、さぞかし秀吉公はお悲しみのことでしょうな・・・。さて。しばらく大阪の街を堪能した後は、ここ高麗橋より東へ延びたる暗越(くらがりごえ)奈良街道にて奈良へ向かうでござんすよ景気良く、いよっ、どんどんど~んっ!!!いよいよお江戸へ向かうのでございます。
May 18, 2012
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さて、本日最終日、つまりは本日東海道五十七次完全踏破でござれば。昨日のゴール、守口宿文禄堤本町橋には8時半少し前。いざ、いざいざいざいざ出立でござるっ、どんどんど~んっ臨場感たっぷりに!?お送りします。あっ、決して手抜きじゃないから。ぷ。今日もがっつりでっぱつぅ!曇り。降らなければ歩きやすいね。まずは昨日のゴール守口宿文禄堤本町橋までGO~! posted at 07:52:00@yaonyaosuke2 お互いいよいよですね('-^*)b posted at 07:53:15@saesho ありがとぉん! posted at 08:03:48守口宿文禄堤本町橋でござる、さぁさぁさぁさぁ、目指すは高麗橋。いよいよ五十七次完全踏破に向けて出立ぅ!どんどんど~ん(・∀・) posted at 08:23:12あげぽよ! http://t.co/cgObb95r posted at 08:51:30あーもー間違えた!そして雨(T^T) posted at 09:59:58もうすぐ…ヾ(^▽^)ノ http://t.co/RhXxMHVK posted at 10:28:32東海道五十七次完全踏破!ありがとう! http://t.co/YlxiWFvV posted at 11:15:06高麗橋は高速下にあり日本橋に雰囲気が似てる!?1時間近く居座りさすがにちょぴっと泣いたw書き足した東海道手ぬぐいとひとまずご苦労様赤い靴そしてまさかの「麦ホ」は売っておらずプレミアムモルツ(悲)@mamepon2 あぁぁぁぁ~りがとぉぉぉ~っ! posted at 11:33:52ゴール時は雨がやむ奇跡(笑) posted at 11:38:54@mrs__sherry あざっす! posted at 11:48:52飲むぜぇ~、飲んでるぜぇ~! posted at 11:51:13@Kankichi_Pug あざっす、帰り寄り道します故よろしく哀愁っ! posted at 12:33:23なんばへ寄り道、満足! http://t.co/Q1WFSA0N posted at 13:30:38 なんばでやっと「麦ホ」いやっほい新幹線から初めて見たw、あっぱれ富士山っ!!!→→→大好きなANTHEMを聴きながら大好きな酒を飲み大好きな新幹線に乗ってる贅沢、幸せ~(*´д`*) posted at 15:33:06え!?今日休みなのけ? posted at 16:44:47こぉ~まるんだけどぉ~ヽ(*`Д´)ノ posted at 17:04:52う~ん、どこで〆よう… posted at 17:06:20五十三次もそうだったけど五十七次もゴール後、一人寂しく飲むとはね。ま、そんなもんか…(´_ゝ`)プッ posted at 17:09:54@bayskyjp ありがとうございます!次は伊勢まわりの復路です!?(笑) posted at 17:44:58@uny747 ありがとぉん!私も似てると思った(笑) posted at 17:46:29予告、泣く(笑)! posted at 19:52:27てか、すでに半ベソ(´_ゝ`)プッ posted at 20:04:46あたたかいお心遣いに感謝! posted at 22:22:01 お一人様上野にてお祝い立ち呑みwハーレーに乗ってお祝いにかけつけてくれたあざっす今回の旅も色々ありましたが(笑)、たくさんの方々に応援・見守られ無事ゴールする事が出来ました。ありがとうございました。そして、ワタクシの旅はまだまだ続くのでございます。
May 6, 2012
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快晴おはよーございます!朝飯がっつりだん!でっぱつぅ! posted at 07:34:20ケーブル乗りますヾ(^▽^)ノ http://t.co/oOr87dJg posted at 08:32:34寄り道からの~ぉ、昨日のゴール橋本なう。いざいざいざ出立でござる、どんどんど~んっ! http://t.co/lozWOTn4 posted at 09:30:06いきなり違う気がする…((((゜д゜;)))) posted at 09:58:33枚方宿入り口でござる! http://t.co/2jbI22Fu posted at 11:37:06間違えた!戻る… posted at 12:45:49う~ん、迷子だ posted at 12:51:33戻れた(´・ω・`) posted at 13:08:18ひたすら堤防歩きでござる。迷わないけど、風強く歩きにくいし帽子被れないし、難儀いたしておるぞなもし… http://t.co/v2OhxzcX posted at 14:17:55くっそー、また迷子ヽ(*`Д´)ノ posted at 15:45:21今日は守口宿文禄堤本町橋で終了でござる。よーぉっ、よよよいっ、よよよいっ、よよよいよいっ!乙!後半キツかった(-。-)y-゚゚゚ posted at 16:31:53明日はいよいよゴール、五十七次完全踏破でござる!誰かゴールテープを…(・∀・) posted at 16:35:43お久しぶりヒューガルデンうまいっ!うまいよー(T^T) posted at 16:46:55奮発、ステーキがっつり食ったった! posted at 17:12:47 守口市駅前のステーキ屋で肉肉肉ぅ駅でお買いもとめた堂島プリン(金)今回の旅はやたらと迷子になりまするな・・・。ぷ。
May 5, 2012
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枚方宿を後にテクテク。この旅最大の迷子になったモノの(笑)、なんとか京街道復帰にて蓮如上人開基の「光善寺」。その先には「蓮如の腰掛け石」があり、蓮如はこの石に腰掛けて村人に説法したとか。なんだか有り難すぎて恐れ多くて、腰掛ける(!)なんてとんでもないし、触ることすらせず、遠巻きに南無南無したのみの小心者でござった(笑)。せめて撫で撫でくらいはすれば良かったか、、、は、後の祭り。むむむ。 光善寺付近は趣あり/蓮如の腰掛け石そして、淀川っぺりに出て、後はひたすら堤防を歩いた訳ですが、BBQやら小学校の運動会やら釣り人などなど、たいそうな賑わいながらものんびりした風景が広がっておりましたっけ、とにかく風が強くて難儀でござった。ってか、河川敷で運動会って斬新・・・。そして、大阪にもモノレールがある(!)と言うことを初めて知りました。 淀川っぺりはBBQに凧揚げ 小学校の運動会は玉入れなう/釣り人もさすがの川っぺり歩きは迷子になりませんでしたが、川っぺりから外れた途端迷子になると言う・・・。ぷ。だって、道が難解やねんっ!!!なんとか守口宿にさしかかり、守口一里塚、そして文禄堤跡付近。文禄五年(1596年)に豊臣秀吉が毛利輝元、小早川隆影、吉川広家などに命じてつくらせた堤防。伏見城と大阪城を結ぶ最短陸路として整備したものですが、淀川治水の役割も果たしました。本日は、文禄堤跡の本町橋で終了でござる。乙っ!!!よーぉっ、よよよいっ、よよよいっ、よよよいよいっ 淀宿~枚方宿~守口宿 約22.5kmゴールまで約10km・・・意外と淀川っぺり堤防歩きがキツかった・・・。 「東海道守口 左:京 右:大坂」の道標こうなってれば迷子にならないのにwww 文禄堤付近、ゆるやかな上りになっていて堤跡が感じられる明日はいよいよ東海道五十九次完全踏破っ、ゴールは大阪高麗橋でござるっ つづく・・・。
May 5, 2012
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さて。寄り道をちゃっちゃと済ませ、9時半。昨日のゴール、橋本駅よりいざいざいざいざ出立するでござるっいよっ、どんどんど~んっ!!!この辺りは、戊辰戦争に関係している遺跡(?)が多く。[戊辰戦争]1868年(慶応4)1月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いから1869年(明治2)5月の箱館(はこだて)戦争までの戦争をいう。1868年が干支(えと)で戊辰(つちのえたつ)の年にあたるので、この呼称がつけられています。 色々な姿を見せてくれまするな京街道「寺田屋」付近はまさに激戦地であり、そして戦火で焼け、京都競馬場のそばには「戦没者の碑」が建っており、そしてこの「楠葉砲台跡」→→→元治元年(1864年)、徳川幕府は、大阪湾から淀川を通って京都に侵入する外国船に備えて、淀川左岸の楠葉と右岸の高浜に砲台を築きました。両砲台に設置された砲は、カノン砲4門づつだったとと考えられています。やっぱり本日ももちろん(!)、いきなり間違えちゃったり、ウロウロと行ったり来たりはお約束でござれば。ぷ。そして、枚方宿には11時半過ぎ。枚方宿は、「ここはどこじゃと船頭衆に問えば、ここは枚方鍵屋浦 鍵屋浦には掟はいらぬ 三味や太鼓で船止める」と「淀川三十石舟唄」にも歌われたほど大層賑わったところで、今でもその船宿「鍵屋」が残っています。京阪電車に京街道そして国道13号 鵲(かささぎ)橋手前の天野川の土手w/橋を越えると枚方宿 「鍵屋」のあった裏が鍵屋浦/その先「泥町」付近そして、この辺りでは「めしくらはんかい。酒のまんかい。サァサァみなおきくされ」「われもめしくふか。ソレくらへ。そっちゃのわろはどうじゃいやい。ひもじそふなツラしてけつかるが、銭ないかい」と近づいてきては乱暴な言葉で強引に売りつけに来る(笑)物売りの小舟「くらわんか船」も名物だったそうな。その様子は弥次喜多の「東海道中膝栗毛」の中でも描かれており、言葉の乱暴さに弥次さんが「イヤこいつらアいわせておきやア、とほうもねへやつらだ。よこっつらアはりとばすぞ。」と怒ったとか(笑)。こいつぁ~おもしれぇ~しばらく進むと西見附。こうして枚方宿を後にしたでござる。 つづく・・・。
May 5, 2012
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伏見宿を出て、淀川っぺりをテクテクと歩くはのどかでござる。それにしても、京阪電車の線路沿いにはたくさんの撮り鉄さんがいらっしゃるのですな。ワタクシからみたら、なんてことないのどかな電車(!)なのですが、何かこう、、、惹かれるものがおありなのでしょう。本当に多くてびっくり花子でしたのん・・・。 淀川っぺりを歩く/the Harleyオーナーさまからの餞別w 京都競馬場/淀宿付近京都競馬場を左に見ながら、ずずずぃ~っと進みますと淀宿。淀と言えば淀城が有名ですが、今の淀城跡と言われている城跡はアノ(!)淀君の、、、ではなく徳川二代将軍秀忠公が、元和九年(1623年)に京都の警護を目的として築いた城跡なので華麗にスルー(笑)。もちろん、その淀君の旧淀城跡もあるそうですが、いずれにしろ城はないから、まぁいっか・・・。さて。日中歩きをモットーとするワタクシ、時間も時間、15時半も回る頃。本日のゴールは橋本駅と定めまして、宇治川に架かる御幸橋、木曽川に架かる御幸橋を立て続けに渡り八幡市駅を右に、橋本駅までは真っ直ぐ、、、の所で、「がんばりやぁ~」と中年(?)の男性に声を掛けられましてね。前回同様、今回もワタクシと同じように街道歩きをしている方を見かけていましたので、この付近の方々は皆、そう言う歩いている人がいると知っていると思っておりましたっけ、「ありがとうございます」と返事をしたのが運の尽き!?その後は執拗な質問攻め。 「なぁなぁ、じぶん、泳げるぅ~?」 「そんなら、水着持ってるぅ~?」 「何枚持ってるぅ~?」「何色持ってるぅ~?」 「わし、13日なら暇やから、家に遊びに来てやぁ~」 「水遊びしよなぁ~」「その後は裸遊びしよなぁ~」 「ほんなら13日待っとるでぇ~」うぇ~っ、キモイキモイキモイっ!!!ま、こんな事感じの事は以前にもあった(!)し、どうってことないと言えばない、、、かしらん!?全然怖くなかったと言えば嘘になるけど、とにかくキモかった・・・ってかさ、ワタクシ、40過ぎのオバチャンですけどぉ~!?ぷ。 御幸橋に声を掛けられた現場wwwヘンタイなオッチャンを適当にあしらい、無事橋本駅着は16時過ぎ。本日はここまででござる。乙っ!!!よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと 髭茶屋追分~伏見宿~淀宿 約23km強今も昔も、女の一人旅って危険危険きけーん橋本から淀屋橋までばびゅーんと行きまして、お一人様では入りにくい(笑)ちょいと小洒落たお店にて、がっつりと大阪らしい食べ物に美味しいお酒をいただきました。特に「大阪屋長兵衛」は好みのお味。激ウマっ 京都なう!がっつり曇り( ´∀`) 追分までまだまだ移動 posted at 06:48:23追分なう! posted at 07:37:04髭茶屋追分を左に!いざいざいざ出立でござる、どんどんど~ん! http://t.co/Hp65U36f posted at 07:49:11ただいま伏見手前でござれば、道中立ち寄った藤森神社はお祭り故、『どて焼き』一服つかまつった( ´∀`) http://t.co/s9t1JaQR posted at 10:45:22カッパカントリーに立ち寄り候。カッパと言えば黄桜でござる。…今回の旅は酒三昧か(´_ゝ`)プッ posted at 11:51:03寺田屋でござる。幕末はあまり好きではない(笑)拙者も、さすがにアゲポヨぜよ! http://t.co/F0DchrZ4 posted at 12:44:37いやいやいや、難儀でござる… http://t.co/Gwb2OkA3 posted at 13:34:14あり!?迷子か!? posted at 14:47:18怖すぐる…(>_
May 4, 2012
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藤森神社で一服つかまつった後、伏見宿の街並みをテクテク進みますと、 かっぱっぱ、るんぱっぱ、今日も良い天気ぃ~で!?お馴染みの黄桜のお店「カッパカントリー」なるお店を発見。酒好きとしてはここで寄らねば漢が廃るっ。ぷ。 黄桜地ビール「ケルシュ」は地ビールっぽくない優しい!?お味ちょうど日本酒ハイボール試飲会の時間だったのでもれなく試飲これくらいでほろ酔く、、、なるわけもなく(笑)、カッパカントリーを出発してすぐのところの人だかり。龍馬にお龍、寺田屋事件で有名な 寺田屋でござるいよっ、どんどんど~んっ!!! 裸のお龍さんが駆け登った裏階段戦国らぶのワタクシにとっては、ぶっちゃけ幕末はあまり興味がないのですが、さすがに寺田屋を前にあげぽよ~したっけ、幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものだとか。う~む、ちょっち残念でござる。ちなみに、(龍馬の部屋以外の部屋で)宿泊する事が出来ます(!)。慶応2年1月23日(1866年3月9日)、龍馬や長州の三吉慎蔵らは深夜の2時に、幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれ、いち早く気付いたお龍は風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり投宿していた龍馬らに危機を知らせました。捕り方に踏み込まれた龍馬らは、拳銃や手槍を用いて防戦し、捕り方数名を殺傷するも、自らも手の親指(左右)を負傷。その傷を癒やすため、ここ寺田屋浜から三十石船に乗って九州の霧島に向かったそうで、このお龍との旅行が一般的には日本初の新婚旅行とされています。 寺田屋浜から見た寺田屋と三十石船寺田屋浜向かい三十石船乗り場の広場にある「龍馬とお龍、愛の旅路」と名付けられたブロンズ像の前で、ワタクシも愛の旅路のお供をいたす(笑)→→→いやぁ、この旅も実に楽しい・・・だがすかす、この先怖い思いをする(!)ことになるとは。 つづく・・・。
May 4, 2012
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深夜バスにて京都駅前着は6時半過ぎ。さして渋滞にも遭わず。そのまま電車を乗り継ぎまして、追分駅。ちょっち迷って(笑)髭茶屋追分前には7時半過ぎでございました。がっつり曇り。追分を右に進めば京都三条大橋へ、左に進めば大阪高麗橋へ。さぁ、さぁさぁさぁさぁっ!!! 東海道五十七次完全踏破、 高麗橋へ向けて出発でござるっ どんどんど~んっ!!! 五十三次の道中同様、簡単な地図片手の旅故、微妙に間違えたり迷子になったりしながら、「あー、これこれ、街道歩きって、この感じw」と再確認したでござる。ぷ。今回は、その道中に見かけた面白い(?)モノを。 おとうふ屋さんの前に置かれた大量のおから(!)思わずニヤニヤしちゃった表札あげぽよ~っwww 某病院の敷地内にあった謎の手の銅像、フレミング!?(違)土手にワシワシとローズマリーが!!!個人宅と思われる庭先にあった大量の石灯籠に石道標 京都市内に唯一現存する大宅一里塚遺跡タケノコにょきにょきにょっきにょきっ藤森駅前を下っていく途中の藤森神社はお祭り。平安期以前からの古社で、神功(じんぐう)皇后が軍旗や武具をこの地に埋め、神に祀ったのが始まりと言われています。ここで一服つかまつったでござる。 たいやきパフェも興味津々だったけどどて焼きにビールに負けたw つづく・・・。
May 4, 2012
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感動の京都三条大橋ゴールは去年の夏でござったなそろそろ江戸に戻ろうかと思うとったが、東海道の延長線として京街道(大坂街道)の宿場(伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿)を含めて東海道五十七次と呼ぶとか呼ばないとか。53番目の宿である大津宿先にある髭茶屋追分から三条大橋に行くか、伏見宿に行くか別れておる→→→→故、そこから本来の(?)ゴール高麗橋(大阪)へ行こうと思うておる。・・・ってことで今晩出発、明日の朝髭茶屋追分より高麗橋へ、 東海道完全踏破~東海道五十七次やりまっせ~っいよっ、どんどんど~んっ!!!今回は果たしてどんな旅になるのか、たのしみたのしみたのしみたのしみ・・・また迷子になるんだべか!?ぷ。ガンガンつぶやく(@izumiane)つもりなので、気になる方はぜひチェキよろしく哀愁ぅ。* 大阪府/歴史街道ウォーキングマップ:http://www.pref.osaka.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html
May 3, 2012
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頼んでいた本が、やっとキターーーーーーっ!!! 中山道を歩く旅なんだ!?日本橋へ帰るんではなく、結局こっちをやるのか!?出来るのか出来ないのか、これからじっくり吟味するでござる中山道は「毎回峠越え」のイメージですが、そんなことよりも街道までの交通と宿が不安材料だっぺ。果たして東海道みたいに、行き当たりばったり(!)で行けるんじゃろか??? 野宿上等!?ぷ。ん~、ちょっち自信ないずら・・・
Sep 22, 2011
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五十三次、最後の記事、うぷすますま。 江戸日本橋を出発したのがH21.1.12 京都三条大橋に着いたのがH23.7.172年半ほどかかりましたが、延べ日数は23日。伊豆へ行く途中で通る小田原まで来たときには、「凄ぇ、ここまで歩いて来ちゃったよ」とテンションが上がったっけ。まだまだ序の口ひよっこぴよぴよでかわゆす(笑)。小田原~三島へ一日で越えちまいました(!)が、やっぱり天下の剣箱根峠は凄かった。そして、その三島宿もある意味思い出深いです。ぷ。吉原宿では、日が暮れてしまってから迷子になり、自分の場所もよくわからずに涙がちょちょぎれましたな。一番見たかった景色、憧れでもあり、きっかけと言ってもいい薩多(さった)峠からの眺め、広重の画と全く同じで感無量でした。浜松宿で食った鰻は、今までで一番うま男でした。七里の渡しは具合が悪くて、後にも先にも旅一番のピンチを経験。初めて途中で中止して帰ろうと思いました。関宿の街並みの素晴らしさに宿内を何度も行き来し(笑)、鈴鹿峠前後の行程では泊まるホテルが見つからず焦ったこともありました。草津宿で江戸城の太田道灌の酒があることを知り、祇園祭で賑わっている中、三条大橋に着きました。自由気ままな一人旅。たくさん迷子になりました(笑)。色々な体験をし、色々な人に出会い助けられ、無事ゴールすることが出来ました。こんな面白い旅はしたことがありません。これで終わりにしてしまうのはつまらないしもったいない。ゴールしてしまった今、コレまでのそういった所をつまみ食いで再び訪れるのもいいですが、 今度は日本橋に向かって帰るでござんすよっ!!!え!?でないと、「京都に行ったきり」になっちまいますから。ぷ。 さぁさぁ、今度はお江戸日本橋へ!!!行きとはまた違った発見、体験が出来ると思います。どんな旅が待っているのか、楽しみでござんすっ最後に所長へ。いつも黙って送り出してくれて、ありがとうございました。そして、そういうことなのでまたお留守番よろしく(笑)。
Jul 21, 2011
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昨日の疲れは全くなく!?いや、むしろ闘魂注入されたわけで(笑)、元気にお宿を出発は6時半前。昨日のゴール地点に7時半過ぎ。さ、いよいよ最後の旅、 京都三条大橋に向かって、 いざ出立でござんすっどんどんど~ん!!!意気揚々と歩き始めたっけ、いきなり道を、ま、間違えちった5分ほど戻りまして、しばらく行くと「大津宿本陣跡」。はい、皆さんご一緒にっ。 大津宿だよっ、おしんちゃんっ!!!最後の宿でござんすよっ。本陣を過ぎますと、ゆるゆると長い上り坂になっていきます。「蝉丸神社」と言う、聞けば余計に暑くなるような神社の前に線路が走っておりまして、参道に線路が横切ってる感じ!?ちょうど電車が通ったので、ぼへっと眺めておりましたら、スプリンクラー(?)から霧が出て線路を冷やしているのを発見したですよっ。面白ぇっ!!!と、しばらくガン見しているうちに、止まっちゃいましたが。あり!?ずっと出ているわけではないのねん・・・。たぶん、そんなにお珍しいシステムではないとは思うけど、まじまじと見たのは初めてでした。坂を上りきったところに「逢坂の関跡」。今度はゆるゆると長い下り坂になります。 そして、いやぁ~、並ぶ並ぶ鰻屋さん。古民家風な店もあったりと、なかなかすてきんぐ特に「日本一のうなぎ」とうたっている「かねよ」さんは魅力的でした。どんなんだべ興味津々丸。第○駐車場とか、同じ並びに別店舗があって、こちらで言えば浅草今半みたいな感じなのかしらん!?でも、ワタクシ的に鰻と言えば浜松宿で食べた鰻。美味しかったなぁ、もう一回食べたい・・・。さて、どんどこ下っていきますと「走井餅」を売っていたと言う「走井茶屋(跡?)」。大津(走井茶屋)左下に湧き出てる井戸が描いてあります餅は今も大津の名物であり、茶店の前に描かれているこんこんと清水が湧き出る走井の井戸も保存されています。残念ながら中には入れなかったので、鼻の下を伸ばしつつ覗きましたらね、 ホ、ホントだっ、今もこんこんと湧き出とるっ!!!感動しながらも、これまたガン見でしたのん。当時は旅人の喉を潤したそうですが、ワタクシも飲んでみたいっ!!!追分道標を右に行き、旧三条通りを進みます。 今も湧き出る「走井の井戸」に「追分標識」そして9時過ぎ、いよいよ京都市に入りまして。来たぜ京都、さすが京都、暑いぜ京都、ゴールは近いぜ京都、京都、キョウト、きょうとぉ~っ!!!っつか、またしても眉ナシのブサイク顔だよがっでむ。京都だけに麻呂!?ぷ。理髪店(だったと思う)の前に「車石」なるものが保存してありましてね。石を見ればわかるとおり、溝が切ってありそこに荷車の車輪をはめて進んだそうですよ。へーへーほーほー。 旧三条通りに車石そして、最後の迷子(笑)。これまたとってもわかりにくかった最後の難所「日ノ岡峠」への道。間違ったら洒落にならないくらいキツかったでござるよ。最終的にあっていたけど、楽しみにしていた「亀水」を見逃しちゃったんだからもー こんな住宅街の中の狭い道わかるかいっ道路標識に「三条大橋」の文字が日ノ岡峠を越えれば下り坂。道路標識に「三条大橋」の文字にテンションMAXのぶっ壊れ気合い一発、拳を上げながら(!)紋章を歌いつつ(!!)、一気に進みますそして11時。ついに、、、 京都三条大橋、終点でござんすっ!!!ちなみにこの時かかっていた曲はThe Sign(号泣)。 三条大橋にある弥次喜多像の前で 京師(三条大橋)誰も待っちゃいませんでしたが(笑)、こちらに来ていた「うっちーねーさん」が後から大汗かきながら駆けつけてきてくれ(あざっす!)、また、みんなからたくさんのお祝いメールやメッセージを貰い、もちろん麦ホで乾杯ろんぐかーん ありがとうございます!!! そして、おめでとうっ、わし!!!痛みに耐えてよく頑張ったっ(笑)。奇しくも京都の街は祇園祭の真っ最中。街を上げてワタクシのゴールを祝ってくれているようでした(違)。 では、最後に。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと 大津宿~三条大橋 約11km
Jul 17, 2011
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花金the Harleyにて、久しぶりのニコラシカは「ダイヤモンドニコラシカ」。オーナー様に店長、常連の方々に気持ちよく送り出して頂きまして、新宿に23時半頃。今回のバスは、なんだかチェックイン方式でしてね、飛行機に乗る時のように何分前まで機械でピピっと手続きをしてバーコードを入手しておかなければいけないらしく。めんどくさっ!!!しかも、何時発のバスは何番ゲートよりなんつってやるもんだから、ゲート付近は大混雑ずら。んー、よっぱどお安くない限りこのバスはもうヤメよう。・・・と思った次第。結局バスに乗り込んだのは24時半頃。すっかり酔いもさめちった・・・。 チェックイン完了、Dゲートより23時40分発まぁ、乗車までの混雑やら渋滞やらで、時間通りにはいかないのがバス。お安いから文句はないけども(笑)。京都方面は特に遅れますれば。今回も約1時間ほど遅れて到着は8時前でした。コインロッカーに大きな荷物を入れ、バスで通り過ぎた前回のゴール付近、南草津駅まで電車で移動しまして、、、 いざいざいざいざ、出立でござんすっ、どんどんど~んっ!!!「野路一里塚」前に8時半過ぎ。実は、この辺でよくわからなかったからゴールにしちったと言うのは内緒の話(笑)。「まずは道を見つけねぇと」ってことで、つまりは初っぱなから迷子でござる。ぷ。15分ほどウロウロしたり行ったり来たりでやっと見つけた東海道、わかりにくいってばよ道がわかればこっちのもんだいっ、てやんでぇっ、べらぼうめぃっ、改めてでっぱつだってんだっ!!!ひたすら歩きます。しばらく行くと「弁天池」。池には「弁天社」があり、地元の方々が集まって酒やお供え物など法要(?)の様なことをやっておられました。軽く挨拶をした後、旅の安全を祈願しました。 そして、ついに 琵琶湖だよ、おっかさ~んっ10時過ぎ。ついに歩いて琵琶湖まで来ましたか、なんか凄くね!?「瀬田の唐橋」を渡ります。この橋は、京都へ向かう唯一の橋であったため、源平の合戦、応仁の乱、本能寺の変など戦乱のたびに焼け落ちたそうです。レガッタの方々がたくさん練習しておりましたよ。賑やかな石山駅周辺を過ぎまして、静かな住宅街の中を進んでいきます。 唐橋から琵琶湖を眺めるしばらくすると、木曾義仲と松尾芭蕉の墓がある「義仲寺(ぎちゅうじ)」。11時半過ぎ。芭蕉はんのお墓はここにあるのか。知らなかったよパトラッシュ・・・。思わぬ収穫にゾクゾク「拙者も道中でござる」とご挨拶の墓参り。「芭蕉翁墓」:芭蕉は元禄七年(1694年)十月十二日午後四時頃、大阪の旅舎で亡くなられた。享年五十一。遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜門人十人、遺骸を守り、川舟に乗せて淀川を登り伏見に至り、十三日午後義仲寺に入る。十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。今も当時のままである。そして、ここにはなんと伝:芭蕉はんの杖(椿)が展示してありました。「伝」とは言え、凄ぇ・・・。もちろんガン見だっぺ(笑)。杖は思っていた以上に細く、そして小さかった。でも、コレを持った芭蕉はんが容易に想像できるモノでした。えぇもん見させてもろたなぁ。 義仲寺に芭蕉の杖そして、やっぱり恒例(?)、ここを管理しているおっちゃんに「ちょっとここにお座りなさい」話しかけられ(笑)、しばしお話。大津宿の素晴らしいところを色々と教えていただきました。ありがとうございます。義仲寺を出た頃には、日もだいぶお高く、暑くなってきておりましてね。ちょっち時間を気にしつつ、やや足早に大津宿入口付近には12時過ぎ。って事で、本日はここまで!!! よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっとのっぴきならない訳あって、今回はお早めに終了なのでございました。 草津宿~大津宿 約10kmさぁさぁ、明日はいよいよゴールでござんすよっ!!!
Jul 16, 2011
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先日の東海道五十三次記、やっと書き終わったでござる。興味のある方は、ずずずぃっと日付をさかのぼってご覧下さいませ。よろしく哀愁っ
May 17, 2011
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本陣にて一服したものの、腹が減っては戦は出来ぬ!?そろそろ何か食いたいなぁ、と思っておりましたら、脇本陣が蕎麦屋(!)じゃござんせんかっ!!!気がつけば庭が眺めるテーブル席で、おビールと「陣そばセット~じゃこ飯付き」を食しておりました。えぇっと、昨日から蕎麦ばかりですな。ぷ。 なんでも、こちらの「陣そば」は薬味にワサビだけではなく味噌(!)も入れるのだとか。ほほぅ~、これはお珍しい。風味が増してとても美味しかったです。店を出るとき、ワタクシのリュックに付いているたくさんの山バッヂにお店のオバチャンかぶりつき(笑)、今日は山談義をしばしいたしましたよ(笑)。脇本陣を出て、しばらく進みますと、道はアーケードの商店街になり、その途中にワタクシ最後のお楽しみ、 「道灌蔵」と言う酒蔵歴史にちょっちお詳しい方ならわかるはず、太田道灌の道灌でござれば。江戸城の創設者太田道灌が遠祖の太田氏は三代将軍の頃、海道の守りを仰せつかって近江の草津に移り、のち酒造りを始め、遠祖の名にちなんで「道灌」と名付けました。これまたかなり萌え~お店に入りたくさんある酒を隅から隅までガン見しているところへ、店のオジイチャン(たぶんここの社長で道灌十八世の孫にあたる方と思われる)がお声を掛けて下さいましてね。辛口をリクエストしましたら、何本か持ってきて下さり「どうぞ」と。 あり!?自分で注いぢゃっていいのん!? 某酒造で一回り(!)しちゃったワタクシですよ!?・・・まぁいいか、ぷ。遠慮なく波々試飲させていただきました。いよっ、社長っ、太っ腹っ!!! お陰様で「コレっ!!!」と言う美味しいお酒を見つけましたのでね、自分用はもちろん、実家の両親の分、それからお土産の分とたんまりお買い上げしたのでございますゴールの三条大橋はもう目の前ですが、本日最終日、帰ることも考えまして、今回はこの先にある「野路の一里塚」辺りで終了。最寄り駅の「南草津駅」より京都経由(!)で江戸へ帰ることにしました。15時半過ぎ。乙っ!!! よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと 庄野宿~亀山宿~関宿~坂下宿 ~土山宿~水口宿~石部宿~草津宿 約68.5kmゴールの三条大橋はもうすぐそこなんだけどなぁ・・・。最初にも書きましたが、今回の旅は途中西の難所と言われている鈴鹿峠を挟んでいたため、行程にかなり気を使いましたな。いつもとはちょっち違い、あまり寄り道もせずわき目もふらず黙々と歩いた感があり反省する部分も。余裕なさ過ぎだっぺ。でも、ハプニングはもちろん宿もギリギリとれた幸運など、相変わらずこの旅はおもしろい(笑)。また、興味深い建物や歴史に景色、たくさんの方との出会いや交流もありました更には、お話まではしませんでしたが、今までで一番「東海道を歩いている方」に出会いましたな。その数10組(!)近く。実は密かにブームだったりするのよねー。わかるわかるー、おもしろいものそして、 次回はいよいよ、いよいよいよいよゴールしますっ!!!いつ!?(笑)長くなりましたが、今回も最後まで読んで下さってありがとうございました。
May 5, 2011
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味噌田楽も食べそびれたワタクシは、「じゃじゃじゃじゃじゃぁ~、名物『うばがもち』でも食いますか」と道からはちょいと離れますが、「うばがもちや」さんへ。信長に滅ぼされた佐々木義賢(よしたか)からその曾孫を託された乳母、福井とのは、郷里の草津に身を潜めていたが、養育費を捻出するため餅を作って街道筋で売ったのが始まり。創業およそ四百三十年。したっけ、う~ん、量が多い上に店では食べられず土産のみ・・・これまた泣く泣く諦めまして、先を急いだのでございました。それにしても腹が減った12時過ぎ。 草津宿だよ、お津ちゃんっ!!!広重さんも、この「うばがもちや」を描いておりますれば。今は国道一号沿いにありますが、当時は矢倉(草津宿の南の入口)にあったそうですよ。草津(名物立場)っつうかぁ~、あたしぃ~、草津ってぇ~、滋賀県にもあるなんてぇ~、知らなかったしぃ~、まじウケるんだけどぉ~。バカっぽく言ってはみたものの、ハイ、最近知りましたです(恥)。ワタクシの中では草津=群馬でしたから。ははは・・・。宿入口の横町道標を過ぎ、水の流れていない草津川沿いの東横町をゆるく下って行きますと、東海道と中山道の分岐点「追分道標」、「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と彫られた、常夜灯が建っています。ここが宿の中心地。さらにずずずぃっと宿奥へ進みますれば、史跡:草津宿本陣があります。ちょいと上がらせていただきましてね、一服つかまつったでござんすよ。靴を脱いだ足が気持ちえがったですなそれにしても大きなお屋敷でした。(陣内は撮影禁止)本陣の少し先にある「草津宿街道交流館」とは、お得なセット料金になっているので、こちらにもお邪魔いたしましてね、「浮世絵刷り」の体験をさせていただきましたのん。 黒・青・緑・赤とそれぞれ刷りまして、、、えっと、ちょっちズレちった・・・。ぷ。今まで宿の資料館なるものは、それこそたくさんお立ち寄りになりましたから、当時の街並みやら旅人の持ち物、旅籠の食事の再現等々、内容自体はどこもあまり代わり映えしないというのが本音ですが(汗)、この浮世絵刷りはお初なこともあり、なかなか面白かったです ・・・つづく。
May 5, 2011
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疲れがたまってますか!?寝起きに鼻血一発出したとです。ぷ。本日最終日、天気は薄曇り。昨日のゴール地点「三雲駅」より出立するでござんすよ、どんどんどーん。8時過ぎ。朝早いせいもありますが、これまた誰もいない道をてくてくと・・・、三雲城跡を通り過ぎたあたりで、道脇の横たわる毛むくじゃら。 た、たぬちゃんが倒れとるっ!!!結構大きかった・・・。藤川の松並木で見たオニヤンマ(?)に次ぐビックリ花子でした。あ、さすがに写真はないずらよ。更に進みますと、今度はトンネルがっ!!!今までトンネルってくぐったっけか!?っつか、昔からトンネルだったのかしら!?それとも小山を乗り越えたのかしらん!?謎。そんなくだらないことをあれやこれやと興味津々でござれば。ぷ。 そして、9時半前、 石部宿だよっ、お軽ちゃんっ!!!「京たち石部泊まり」といわれ、京をたった旅人の一泊目がこの石部宿です。するってぇと、あと一泊でゴールってことですな 石部宿の街並み途中にある「吉姫神社」で、たぬちゃんのぶんもお参り。古い立派な神社でしたが、「立派ですね、ステキです」と言いましたっけ、神社のオバチャン「でも、古くて手入れが大変ですよ、落ち葉も多くて困るのよぉ~」と嘆いておりました。お疲れさまですそして、ここ石部は「田楽発祥の地」でもありまして、たくさんの田楽茶屋が並んでおったそうですよ。これまた、時間がお早くて食べられませんなんだが。 石部(目川の里)宿のはずれにさしかかると史跡「和中散本舗(わちゅうさんほんぽ)」と言う大きなお屋敷があります。この辺りは石部と(次の)草津の中間にある間(あい)の宿として栄えたそうで、道中薬を売る店が数軒ありました。ここはもともと、和中散を売る「ぜさいや本舗」で、茶屋本陣にもなりました。家康が永原(現在の野洲市永原)に滞在中、腹痛を起こしたときにこの薬で治り、この名を与えたと伝わります。そうそう、気を付けないと、道中は腹の具合が悪くなるでござんすよそれにしても立派な建物でしたが、中が見られないのは残念ですな。道中にあった「東海道五十三次」のモニュメントこの区間はずっと、国道や大きな道路は通りませんでしたのでね、妄想豊か(笑)に進むことが出来たのでございます。確かにゴールは近いでござんすよっ ・・・つづく。
May 5, 2011
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おいらはぁ~、宿無しぃ~歌ってる場合じゃねぇ・・・。携帯で沿線をにらめっこしつつ「さてどうすんべぇか」と、マジで途方に暮れていたワタクシ。したっけ、出かける直前に一軒だけ下調べした宿のメモを思い出しまして、すぐざま問い合わせてみたとです。 空室あり~っ!!!いやっほ~っい!!!奇跡のげっとん、涙がちょちょぎれた。ぐっじょぶワタクシさすが戌、鼻が利きまするな。ちょうどこの先4~5km先、東海道沿いにある「三雲駅」が最寄り駅。よし、今日はそこまで歩くでござるっ!!!安堵し再び出立は17時少し前。 松並木と『泉』一里塚w 文政五年(1822年)旅人の目印として建てられた石燈籠やがて、東海道は野洲川(横田川)にぶつかりまして、「横田の渡し」の大灯籠がお出迎え。東海道十三渡の一つとして重視され、軍事的な意味からも幕府の管轄下に置かれました。そのため、他の「渡」と同じく通年の架橋は許されず、地元泉村に「渡」の公役を命じ、賃銭を徴収してその維持に当たらせました。3月から9月の増水期は4隻の船で船渡しとし、10月から翌2月の渇水期は流路に土橋を掛けて通行させたようです。文字通りの、大迫力ですな。すすけておりますが、今でも灯すのかしらん???このままでは野洲川は渡れないので、国道の橋を渡ったら再び東海道に戻りまして、本日のゴール「三雲駅」18時頃。乙っ!!!いやいやいや、今日は久しぶりに色々ございましたな。ぷ。本日奇跡のお宿は駅からだいぶ離れてはおりましたが、部屋とは別にジャグジー大浴場がありまして、プチセレブ気分を味わい。ほほほゆっくりと疲れをとった後、向かいにあるコンビニで買い物、部屋食いまったり過ごしました。本当に、、、ありがとぉ~
May 4, 2011
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大満足で土山宿を後にしまして、ひたすらてくてくと 久しぶりに松並木に遭遇したり、造り酒屋の面白いモニュメント(?)などなど、いやぁ、東海道さんったら飽きさせませんなぁ・・・。そして、15時。 水口宿だよっ、おみちゃんっ!!!もとは天正十三年(1585年)に築かれた岡山城の城下町で、関ヶ原の合戦の後に落城し、寛永十一年(1634年)徳川家光が上洛する際の居館として新たに水口城が築かれ、水口はその城下町として栄えました。ここは面白いことに宿の中に三筋の道が通っているのですな。主要は真ん中なのかしらん!?真ん中の通りを「東海道」と案内してありました。 造り酒屋さんの前にあった酒樽樽の中には造っているお酒が飾ってありました 水口宿の街並み左の道が更に二股に分かれ三筋の道が通っている水口石橋駅付近で道は再び一つになりますが、ここでまたご近所のオッチャンに声をかけられましてね。しばしご歓談ターイム。ぷ。オッチャンと別れた後は、ちょっち道を外れ水口城へ登城でござれば。どんどんど~ん。平成三年(1991年)に復元された角櫓(すみやぐら)16時、だいぶ日も傾いてきましたので本日是にて終了にしようと、お近くの駅前交番で宿を聞いたとです。おまわりさん、ありがとー。2軒ほど教わり地図をコピーしていただきまして、いざ突撃っ!!!だがしかーし、2軒ともアウトでしたがっでむ2軒目でこの辺の宿や数駅先の繁華街などを聞いてみてみましたっけ、この辺りには宿は3軒しかなく、繁華街だったら草津あたりまでいかないと、でもこの連休ですからねぇと言われてしまう始末。 あり!?なに気にピンチですかっ!?不安的中。徹夜で歩く(!)か、野宿(!)を覚悟したワタクシでございました。・・・そ、それは嫌だなぁ。ってかどっちにしても怖すぐる!!!ヤバイヨヤバイヨ。・・・つづく(笑)。
May 4, 2011
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やはり国道をはずれますと静かですなぁ、のどかですなぁ。海道橋を渡りますと田村神社の前に出ます。11時半前。 田村川にかかる海道橋橋のたもとにある札「この橋を渡ることが出来るのは、安永四年(1775年)の閏月十二月の二十三日からである。(旧暦には閏月があり、この年は十二月が二回続く)この橋を渡る時、幕府の用で通行する人たちや、武家の家族が渡るときには無料である。また、近村に住む百姓達の中、川向うに田畑があり、毎日橋を渡って生活しなければならない人達の渡り賃も無料である。しかし、それ以外の住人および一般の旅人については一人につき三文、また荷物を馬に乗せて渡る荷主についても馬一頭につき三文、渡り賃を取ることになっている。この規則は一時的なものではなく、橋があるかぎり永遠につづくものである。」宮司さんがお払いをしておりましたがね、車(!)に車体周りはもちろん、ドアも全部開けまして、中までシャッシャッとお払いしておりましたよ。凄ぇ、初めて見た・・・。国道を今度は横切り、観光客の皆さんで賑わっている道の駅「あいの土山」の脇をずずずぃっと入っていったところが、「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われた 土山宿だよっ、お山ちゃんっ!!!道の駅からすぐというのに、人もまばらでしてね。静かなたたずまいです。そして、その中で素敵な蕎麦屋さんを見つけたので、お昼にしましたのん。 祝:鈴鹿峠越えかーんぱーいっ!!!ぷ。したっけ、ここの蕎麦は「十割蕎麦」なのだとか。ワタクシ初めて食べましたが、コシがあって蕎麦の香りが強く、、、つまりは、うーま男っ!!! しかも、一麺(?)のみお猪口のお水に入っておりまして、まずは蕎麦そのものの味を味わえと。自信の現れですなぁ・・・。どこぞの海老様が、威張って「美味い蕎麦は水蕎麦で食え」なんつっていたのをTV見たことがあり、「ほほぉ~、一度やってみたいもんだ」と思っておりましたが、こんな形で実現するとは。実に嬉しいじゃござんせんかっ。帰り際にご主人と少し話をし、大満足で土山宿を後にしたのでございました。 ・・・つづく。土山(春の雨)
May 4, 2011
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岩屋観音を過ぎてすぐに測道へ入りますとね、すでにもーバリバリの山道でござれば。 今シーズン初の「山登り」ってぇことになりまするな。わっせわっせと登っていきますと、どど~んと目の前に立ちはだかる「片山神社」。「鈴鹿権現」とも言われ、往来する人々の信仰を集めましたが、平成十一年に本殿などを焼失し、現在は神楽殿のみとなりました。かつての石垣がこれまた見事です 東海道は、その片山神社を登りながらぐるっと回りまして、西の難所「鈴鹿峠」へ入っていきます。伊勢と近江の国境にまたがる鈴鹿山の脇を縫うように越えるのが鈴鹿峠越えです。なだらかな近江側とは違い、山深い「八町二十七曲り」の急な山道は、古くは山賊の話が伝えられ、江戸時代には箱根越えに次ぐ東海道の難所として知られていました。そして、短い距離でしたがお久しぶりの「石畳」に遭遇!!!いやっほいっ!!!いいですな、雰囲気出ますな。気分は弥次喜多。ぷ。更に登り進めていきますと「馬の水飲み場跡」があります。 うーむ、凄ぇ。・・・馬がこんな山道を荷物や人を乗せて登ったのか。そーりゃ難儀だっぺ。 右:馬の水飲み場跡鈴鹿山(?)の山頂近くで、道をちょっちそれまして「鏡岩」をご見学。珪岩が断層によってこすられ、露出面が鏡のようにつやがでたものです。昔、鈴鹿峠の山賊が往来する旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたので「鬼の姿見」とよんだと伝えられています。 ・・・ま、つやはなかったけどね。ぷ。つまりはこの岩に隠れつつ、上から旅人を物色していたのかしらん。怖っ 左:鏡岩から眺める坂下宿方面右:峠を越えたところにある巨大な石灯籠久しぶりの山登りと言うこともあってか、「さ、さすが西の難所だぜっ!!!」ひぃひぃ息を切らしつつ登っておりましたっけ、あっという間に峠越え完了。・・・あり!?でもって、峠を越えれば さよなら伊勢の国・三重県 こんにちわ近江の国・滋賀県おぉ~っ、滋賀県ですよっ、し・が・け・んっ!!!そして、東海道は国道一号をところどころそれながら次の「土山宿」へ続いているのでございました。 峠越え乙っ!!! ・・・つづく。
May 4, 2011
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早寝早起きは三文の得、ハイっ、6時には朝食を盛々っといただきまして、早速出発。どんどんどーん。本日は鈴鹿峠越えが控えておりますれば。昨日のゴール最寄り駅「関駅」には7時15分頃。天気は晴れ、すぐさまスタートです。うーん、朝の関宿もすんばらしい、あっぱれでござるな 道沿いの「観音堂」で本日の旅の安全をお祈りしておりましたら、これまたご近所のオッチャンに声をかけられまして。目の前に住んでるんだってー。なぜか、オッチャンには人気があるワタクシ。ぷ。それにしても、よく赤い髪の人に怖がらずに(?)声をかけまするな。オッチャンこれから散歩に出かけるというので、途中までご一緒させていただきましたのん。最後に写真を一緒に撮りましたら、その写真を送ってくれとこう申されまして、ご住所しっかり控えさせていただきましたよ(笑)。そんなオッチャンとは「西の追分け」で別れまして、道はいよいよ山っぽくなってきたでござんすよ。車も通らなければ人っ子一人いない広い道を、ちょっち心細くなりながらものんびりと歩き進みましてね、9時前 坂下宿だよ、お坂ちゃんっ阪之下(筆捨山頂)「筆捨山」:その昔、画家の狩野元信が旅の途中でこの山を描こうと筆をとったところ、山の風景が刻々と変わってしまうことに絵を描くことを諦め筆を投げ捨てたことからこの名がついたと伝えられています。江戸時代から名勝として世に知られ、浮世絵での坂下宿はほとんどのものが筆捨山を描いています。 本陣跡と本陣周辺西から来た旅人は鈴鹿峠を越えてホッと一息、東から来た旅人はこれから越える鈴鹿峠を前にこれまた一息入れた宿場で、当時はたいそう賑わっていたそうですが、ワタクシも利用した関西線の開通と共に急速に寂れていったとか。時代とは言え、なんだか寂しいですなぁ・・・。 前回、四日市宿付近でニアミスした「にゃおすけ」さんのブログに載っているモニュメントの前を通り、「おぉ~、ここのことかぁ~(嬉)」と一枚パチリ。しばらく進みますと「金蔵院跡」。鈴鹿山護国寺ともよばれ、江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられており、上洛途中の徳川家康や家光が休息したとか。参勤交代の大名は山門前では駕籠から降りることを通例としていたと伝えられています。明治に入り廃寺となり、現在は石垣だけが当時を偲ばせておりまするが、こういう話には食いつきっぷりが半端ねぇ(笑)。「下々」のワタクシは、休憩することもなく金蔵院を通り過ぎたのでございました。宿のはずれにある、道中の安全祈願のために阿弥陀如来と十一面観音、延命地蔵の三体が安置されている「岩屋観音」とその隣に流れ落ちる「清滝」。ここも楽しみにしておったのですが、いかんせん毎月3日と18日のみの開扉となっており、見ることは出来ませんでした。って、昨日ぢゃんっ!!!さ、そこを過ぎるといよいよ、いよいよなのでござるっ ・・・つづく。* にゃおすけさんのブログ: 「ボラボラわーるど」http://borabora.seesaa.net/にゃおすけさん、いつもありがとー。
May 4, 2011
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川沿いの道をのんびりと抜け、国道1号をちょちょっと進みますと、「関宿」の看板。「関宿」は、古代に鈴鹿の関があったととろで、街並み1.8kmに渡って古い建物が今でも良く残っており、昭和59年には国の重要伝統的建造物郡保存地区に指定されています。伊勢別街道との分岐点である「東の追分け」を過ぎますと、目の前に広がる江戸時代。 関宿だよっ、お関ちゃんっ!!!このより西は「関西」、東は「関東」と言うわけですなそれにしても、どうよ、この街並み。すてきんぐ。 関宿の街並みに旅人宿石垣屋今日はここまでと決めたので、時間の許す限り行ったり来たりしちゃったんだからもー。早く今日の宿を探さないといけないっつーのに。ぷ。街道沿いに「旅籠」を見つけましてね、素泊まり¥3500、寝袋を持っていると¥2500で泊まれると言うリーズナブルさ。しかし残念ながら、行ったり来たりしていたり関まちなみ資料館なんぞを見学しておる間に、つきさっき(布団が)一杯になってしまったとのこと。次回はぜひ泊まってみたいでござる。あ、ちなみに宿の主人がてっちゃんに似ていた、、、気がする(笑)。* 旅人宿「石垣屋」:http://ishigakiya.tyonmage.com/関(本陣早立)さて、石垣屋で断られたこともあり、さすがに今日の宿のことが気になり始めまして。周りにはビジネスホテルと見受けられる建物は見あたりませんでしたから、たぶん電車で移動になるかも、と思っておったとですよ。まずは、関駅まで行きまして、その中にある観光協会で聞いてみましたのん。したっけ、おじさんが一生懸命探してくれまして、5軒目でようやくげっとでございます。 あぁ~、おじさん、ありがと~と言うことで、手前の亀山までばびゅーんと。無事、宿にチェックイン後は、お近くのファミレスにて本日初めて食事らしい食事(肉肉肉ぅ!)をがっつりとったのでございました。いやぁ、おビールの美味かったこと美味かったこと帰り道に、大型スーパーで部屋飲み用の酒を追加購入しまして、明日の予習をしつつちびちびとやった初日の夜でした。ここのスーパーではレジ袋が¥5でした。必要なければもちろん無料。エコですな。さて明日はいよいよ西の難所、 鈴鹿峠越えでござるっ峠越え自体は心配ないとして、宿がもの凄く不安だなぁ・・・。何もなさそうだもん
May 3, 2011
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弾丸で歩き続けておりますると寝不足も手伝い、どうしてもお腹の緊急事態は避けられなく。ぷ。トイレのタイミングもとても難しいずら。和田一里塚を過ぎた頃、雲行きが怪しくなってきたところにパッと目の前にコンビニ出現で助かったのでございます。ふぅ、かたじけのうござる。それはさておき。亀山と言えば、そう「カメヤマローソク」が有名ですな。その本社工場の脇を抜けまして、いよいよ、、、 亀山宿だよっ、お亀ちゃんっ!!! 当時の茶屋町やら鍋町やらを通り抜けまして、江戸口門跡。亀山城下町は今は商店街になっておりましてね、「いずみや」跡なんつーのも見つけてちょっち嬉しかったり(笑)。・・・てか、何屋だったんだべか!?途中、大手門跡から東海道を外れまして、亀山城へ登城は14時過ぎでござれば。どんどんどーん。広重の五十三次の中でも有名な「亀山(雪晴)」も見たかった図の一つですが、実はこれはこの先の京口門から眺めた図、、、と言うことを京口門跡の案内板で知ったorz....。 亀山(雪晴) 右:ハイ、城下町の入口は「枡形」でしたな亀山城は只今石垣修復中。その石垣のすぐ下(!)のグラウンドでは高校球児が元気良く野球をプレイしておりましたよ幹回り6m、樹齢約400年のムクの巨木が立派な野村一里塚の前を通りまして、静かな道のりを次の関宿へと進むのでございました。ひょっとしてさ、遠くに見える山々は鈴鹿峠なのかしらん!? 野村一里塚に遙か彼方の鈴鹿峠!? ・・・つづく。
May 3, 2011
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さて。前回歩いたのは去年の10月「石薬師寺宿」まででしたな。って事で、ふと思い出したように歩き出しました、東海道五十三次。どんどんど~ん。えぇっと、深夜バスで往復の弾丸弘前から帰ってきて、次の日一日仕事をした後、その日の夜にはこれまた深夜バスにてご出発と言う弾丸っぷりGWまっただ中と言うこともあり、道路はもちろん大渋滞。第一の目的地「四日市駅付近」には約2時間遅れの10時近く。そこから電車を乗り継ぎまして、第二の目的地の最寄り駅に「加佐登駅」着き、やっとのスタートは11時でございました。実は今回の行程には、西の難所と言われている「鈴鹿峠」越えがあり、うまく考えて進まないと、交通手段難で動けず宿無しに可能性が高く。うひぃ~もちろん今回も宿など前もってとっておりませんし、土地勘もありませんがなにか!?つまりは、どうなるか全くもってわからない、ザ・チャレンジャー。まぁ、それもまた面白いと言えば面白いですが、ほら、やっぱり女性の一人旅は何かと危のうございますから。ぷ。まぁ、心配しても仕方がないので、いざいざいざ出立でござーるっ天気は薄曇り。気持ちよく10分も歩くと、 庄野宿だよ、お庄ちゃんっ!!! 庄野宿の街並みちょっち押していることもあり、旧小林家の庄野宿資料館や式内川又神社(3つある!)などは、チラ見でささっと済ませたっぺ。 先を急ぐぜよ丁寧な案内板のお陰で「道がねぇっ!!!」なんつって迷子になることもなく、まずまず出だしは順調でござる。 一番目の川又神社wと案内板そして、「従是東神戸領」の碑を過ぎたと言うことは、神戸領を出たんでしょうな。しばらく行くと2番目の川又神社の前に「従是西亀山領」の碑と言うことは亀山領に入ったって事でしょうな。はい、ちょいとお邪魔しますよぉ 「従是東神戸領」の碑と「従是西亀山領」の碑亀山宿はすぐそこ。 ・・・つづく。
May 3, 2011
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仕事が終わったら、再びバスで旅に出ます弾丸っ昨日の朝、弘前からこれまたバスで弾丸お帰りしたばかりというのに!?バカなの!?ぷ。今度は、 東海道五十三次でござんすよっお待たせ、どんどんど~ん。前回は確か44番目「石薬師宿」でしたなどこまで行けるかお楽しみってんだいっ、てやんでぇっ、べらぼうめぃっ!!!うーむ、ブログがおっつかねぇずら・・・。
May 2, 2011
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昨夜は愚弟と「さし飲み」した姉。朝までじっくり腹を割って話が出来てよかったっぺ あ、、、お誕生日おめでとう!!!そして、母に頼まれておった父の書斎の片づけをやりましたのん。まずは、ドアが開かないがっでむどうにか自分が入れるくらいの隙間を作り潜入成功!!!本棚の本はほぼ全て落ちており、膝近く(!)まであります。どんだけ読んでんだよっ!!!ってか本当に全部読んだのかよっ!!!ってくらいの本の山。医療の本はもちろん、レーニンさんやら、漱石さんやら、清張さんやら、日本の歴史に世界の歴史、それから知らない方々の20巻近くの全集(!)に、囲碁やら、英語・ドイツ語講座のテキストなどなど山盛り盛り。 うーむ、これを片づけるのか。めんどっちぃ・・・ ワタクシ、初めて本の山の上に立ちました(笑)。覚悟を決めたら、おビール飲みつつ、ロンTに軍手という出で立ちで、ANTHEMさんをガンガン流して歌いながら、ひたすら本の山と格闘ずら。・・・なんだこのシチュエーション。ぷ。したっけ、しばらくして「東海道五十三次」と書かれた立派な箱が出てきましてね。ももも、もしかして!?と思い開けてみましたら、広重の版画が出てきたじゃあーりませんかっ。びんご!!! ぬぉ~っ!!!テンション上がるぅ~っ ずいぶん前に父がご購入したらしい。一方のワタクシは、五十三次、旅の途中でござれば、よよよいよい。只今「石薬師宿」。同じ様なことに興味を持っていたなんて、DNAを感じてちょっち嬉しくなっちった「お宝発見」でした(笑)。あとで父ちゃんにおねだりしてみっぺ妹時々父の約3人ががり(笑)の半日でだいぶ片づきましたが、お陰様で腕ではなく足が筋肉痛でございます。・・・本の山の上に立ってたからだな。ぷーぷぷぷ。
Mar 20, 2011
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本日、早速食したでござんす 四日市宿:笹井屋「なが餅」高虎さんも食したなが餅。ワタクシも同じモノを食しとるっ!!!なんか萌えぇ~正解は「日永(里)の永餅」なのですが、高虎さんがひっかけるのも頷けるほどやや長い。長くてペラペラですな。でも「あんこ」入っちょります。「お餅」と言うよりは「求肥」に近くてあっさり系。ばくばく食えます。「あんこ」も甘すぎず多すぎず少なすぎず適量。ばくばく食えます。要するに、あっさりとばくばく食えるって事です(笑)。おぉ~いしかったぁあっという間になくなっちったんだからもー。もっと買ってくれば良かったずら・・・。 「吾れ武運のながき餅を食うは幸先よし」!!! 桑名宿:貝増本店「志ぐれ煮(蛤)」ご近所浅草にも老舗がございますから、佃煮なんぞは時々食すのですが、これはか・な~り「しょっぱい」。ご飯がすすむくんですな。でも、ちびりちびりと酒のつまみにしても良いかもぉ。ふふ♪残りは「お茶漬け」でもしてみようかのぅ・・・。まだまだ知らない美味しいものがあって面白い。この旅ならではの美味しい体験でございます
Oct 12, 2010
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無事、杖衡坂(つえつきさか)を越えた後、妥女一里塚前のドライブイン跡地にて昼食。冷たい麦茶が美味でござった。そして、旅はいよいよラストスパートずら今回のゴールを加佐登駅と定めまして、ひたすらひたすら歩きますれば。15時過ぎ。 石薬師宿だよ、お石ちゃんっ!!!この辺りもお祭りでしてね、獅子舞を奉納しておりましたよ。途中に立派な小沢本陣跡がありまして、ここの宿帳には「忠臣蔵」で知られる赤穂の浅野内匠頭や大岡越前守の名前があります。 そして、宿の南はずれの「石薬師寺」へお参り。石薬師(石薬師寺)その少し先に「蒲桜」があります。寿永の頃(1182年~1185年)、源範頼(頼朝の異母弟で、義経の異母兄)が平家追討のため西へ向かう途中、石薬師寺に先勝祈願をした際、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さにさした。それが芽吹いて育ったと伝えられており、「逆さ桜」とも呼ばれ、ヤマザクラの変種として植物学上にも珍しいものだそうです。・・・見てもさっぱりわからなんだが 時間的にも疲れが顔に出る頃合い、気の抜けた顔でぼへっと歩いておりましたら、通りがかった近所のオッチャンに「このまままっすぐ、あの坂を上るんだよ」と声をかけられたでござる。あ、ありがとうございます。お陰様で迷うことなく、本日のゴール加佐登駅には16時半前。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと今回の旅は、旅史上最大のピンチでござんしたなぁ。痛みに耐えてよく頑張ったっ!!! 鳴海宿~宮宿~桑名宿~四日市宿~石薬師宿 約57kmちょうど電車が来まして、名古屋を経由し新幹線でばびゅーんと江戸へお帰りコースですが、それでも3時間近く(!)かかると言う・・・。帰るのが面倒になるくらい、ずいぶん遠くまで来ましたなぁもちろん名古屋でぶらり途中下車の旅、昨日食べられなかった「味噌煮込みうどん」でほっこり癒されたのは言うまでもなく。わははいやぁ、おビールの美味いこと美味いこと、至福の時でござる。 そして、気が付けば(え!?)TIME MACHINEのカウンターで「ただいまっ!!!」現代人に戻ったワタクシでございました。
Oct 11, 2010
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すぐにお泊まり場所は確保出来まして、いつもなら繁華街をうろちょろするところですが、駅に隣接するスーパーでお総菜&酒をご購入にて、さすがに部屋食いでござれば。もう無理ずら・・・。さっさと汗を流し、ま~~ったりしててもまだ19時前(笑)。ベッドで横になりながらテレビを見ていたっけ、いつの間にか落ちてました。そりゃそーだ。一度3時半頃目が覚めましたが、残りのおビールをもう1本飲んで(え!?)再び就寝。そして7時過ぎ起床。よぉ~寝なすったなぁ昨日の不調が嘘のように、体調よろしく食べ放題の朝食はおかわり(!)しちゃったんだからもー8時半、ホテルを出発。まずは四日市駅から富田駅へ。そして、9時。 いざ出立でござんすよっ 特に迷うこともなく順調に進みまして、三滝橋を渡ると、、、 四日市宿だよっ!!!お市っちゃん!!!四日市(三重川)橋を渡ると、あの!戦国武将「藤堂高虎」も参勤交代時には必ず立ち寄りお買い求めた「なが餅」の「笹井屋」さんがあります。創業天文十九年(1550年)。 ちょっと、おまえさんっ!!!藤堂高虎ですよっ!?高虎がまだしがない足軽だった頃、日永の里で笹井屋という店が「永餅」という名物を売っていました。銭はなかったが、どうにも腹が減ったため、出世払いという約束で永餅を食べさせてもらいました。空腹だったせいもあるけれど、餅の旨さに感心。しかも、この餅の名は「永餅」だといいます。餅の名と武運が長く続くこととをひっかけて「吾れ武運のながき餅を食うは幸先よし」と言っていたく喜んだのです。後に出世を果たし慶長11年(1606)、津に転封された折、笹井屋彦兵衛を召して、過日の礼を述べて厚く遇したといいます。以来、参勤交代の折には必ず笹井屋に立ち寄って永餅を賞味しするようになったのです。もちろん、ワタクシだってお買い求め。食べるのが楽しみなのでございます。10時半前。その先は商店街の中を抜けるのですが、ここで桑名名物の「志ぐれ煮」を売っている店を発見。あり!?ここは四日市だよね!? 昨日、うっかり八兵衛忘れてしまい後悔していたので、ここぞとばかりお買い求めましたが、ご主人に聞いたところ、桑名に本店があるとこと。なるへそ。「貝増本店」さん、「旧東海道、桑名の宿唯一の老舗」と銘打ってありますれば。桑名宿のお話をたくさん聞かせてくれました。その後はひたすら歩き、「日永の追分」にて一休み。12時。ここは旧東海道と伊勢参宮道の分岐点で、神水が、、、滾々とわき出ると言うよりも、ドバドバと豪快にあまりの大盤振る舞いっぷりに、なんだかありがたみが・・・(笑)。←罰当たり ご近所の方々がどんどこ汲みに来ておりましたよ。もちろんワタクシも喉を潤し一服したでござんすさて、今回の旅は、ワタクシの大好きな松並木が全くありませんでね、寂しい・・・。そんなことをぼへっと考えながら先に進んでおりましたら、、、えぇっと、どこで曲がるのん!?的な状況再び。またもー勘弁してくれー期待を裏切らない女とはワタクシのこと!?案の定これまた豪快に間違えましてね。しかもかなり単純なミスでウケた(笑)。アホか!もちろん引き返しましたともでも、今回のロスは約1時間だったので傷は浅い!?(もーその感覚がバカずらw)そして、やっと本命の「杖衡坂(つえつきさか)」。14時過ぎ。日本武尊が剣を杖がわりにして越えたという故事が伝わるほどの急坂で、松尾芭蕉も馬でこの坂にさしかかったときに、落馬したと言います。 そして時が流れ、今日このワタクシめが、同じ坂をいざ越え~んっ ・・・キツっ!!! そりゃ、日本武尊も剣を杖がわりにするっちゅーねん そりゃ、芭蕉はんも落馬するっちゅーねんま、距離は短くあっと言うまでしたが(笑)、そんなことを思いながら越える坂はそうそうありませんぜぃっ!!!旦那っ!!! たぁ~のし~ぃっ ・・・つづく。
Oct 11, 2010
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七里の渡し場(宮宿側)を後にしまして、しばし寄り道でござんすよ。 熱田神宮宮(熱田神事)ここは厳島神社の次に行きたかったところでして。なんつったって、永禄3年(1560年)織田信長とその手勢が、桶狭間の戦い赴く際に立ち寄り、戦勝祈願を行った神社ですぜぃっ、旦那ぁっ!!!祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)であり、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ。天叢雲剣)を神体としています。お参りの方はもちろん、祝言やら、七五三の方々で大変賑わっておられましたよ。ワタクシは、遠くにおられるご神体様をいつものようにガン見参りしたのでございますその後、七里の渡し(桑名宿側)へ行くべく、ばびゅーんと移動でござる。11時半過ぎ。でも、なぁんか調子が悪く。気持ち悪いし、お腹も痛い。フラフラするのねん。水分は十分過ぎるほどとっておる(だから腹が痛いのけ!?)のですが、体温が高くなり過ぎちゃってる(だから気持ち悪いのけ!?)感じ。寝不足なのも関係してる(だからフラフラするのけ!?)かもぉ。 今回は、もーここでやめて帰ろうかな・・・この旅を始めて、初めてそう思いました。涙ちょちょぎれたずら。ちょうど名古屋駅で乗り換えがありましたので一端改札を出まして、名古屋に来たら恒例の「味噌煮込みうどん」を食って精を出し、とりあえずはホッと一息入れようとしましたっけ、三連休のちょうど昼。こちらもまたもの凄い行列っぷりに萎え萎え。ヤメ。だったら「ひつまぶし」だぎゃ~っ!!!行列からガラガラまで店はぴんきりにありましたが、ちびっと並んでいる店をチョイスしまして、いただきましたっ。 「稲生」さんの「ひつまぶし」まったくお腹はすいておりませんでした(!)が、とにかく食わないとと、がんばって完食。せっかく美味しい「ひつまぶし」だったのに。ぷぅ。でも、涼しい店内、冷たい麦茶が染み入りました。元気出てきた、ありがてぇ・・・。* ひつまぶし稲生:http://www.ciao-morita.co.jp/inou/更に桑名までの電車内でうつらつらつらとしましたら、だいぶ楽になりまして、元気に桑名駅を出発。七里の渡し桑名宿側着は14時。 桑名宿だよっ、お桑ちゃんっ!!!そして、祝:三重県突入でござんすよっ!!!いよっ、めでてぇなっ!!!桑名(七里渡口) 「七里の渡し場(桑名宿側)」と「桑名宿の街並み」 「桑名城の堀と石垣」に「春日神社の青銅製の鳥居」桑名宿は焼き蛤や時雨煮など蛤が有名ですが、古くから鋳物業の町として栄えたそうで、春日神社の鳥居は青銅製で、そのシンボル的な存在として寛文七年(1667年)からたっています。老舗料亭が並ぶ、雰囲気のある静かな桑名宿を通り過ぎまして、後はひたすらひたすらひたすら歩きますれば。この辺りは神社仏閣がもの凄く多いですな。 「矢田立場跡の火の見櫓」に「ばーちゃん」(笑)この乳母車、今時お珍しい。ちゃーんっ!!!そして例の症状が。ちっ、またかよ・・・緊急ではないので、急いではおりませんでしたが、トイレを探すも、歩いているところがちょうどコンビニもなければ最寄り駅にもトイレはなっしんぐと言う田舎っぷり。む、、、て、手強いでござる。やっと、コンビニに出会いまして、休憩をとり症状回避。・・・なんだか今回はこの繰り返しだなもーなんとなくの予定では四日市駅辺りまで行く予定でしたが、今朝の豪快な間違いが響きまして4つ手前の近鉄富田駅付近で本日は終了でございました。17時。 心なしかげっそりぃ!?先の四日市駅までばびゅーんと。そして付近で宿探しでござんす。 いやぁ、今回はほんに難儀いたした・・・昔の人は更に大変だったろうな。そりゃ、行き倒れもするてんだいっ。 ・・・つづく。
Oct 10, 2010
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今回はお天気の関係で、せっかくの3連休も2日しか歩けず。 だったら丸々2日 歩いてやろーぢゃねーのー!?と、前夜の深夜バスにて弾丸決行でござれば。あはは。だけど、がっでむなタイミングで背中を痛めておりましてね、バスではほとんど眠れず。名古屋駅前着は朝の5時。雨はやんでおりますが、まだ真っ暗だぬーん・・・前回のゴール最寄り駅「鳴海駅」へは47分の始発に乗りまして、6時過ぎ。駅では、全身まっ赤っかな「Tifosi」2名様とすれ違いましたよ、そっか今日はF1でしたな。それにしても、気合い入っておりまするなー。一方のワタクシは早速旧道へ。いざ、鳴海宿を出立するでござんすよっ!!!したっけ、いきなり曲がる道がわからず。う~ん、ここか!?この先か!?こっちのような気がするけれども、こっちかもとA案にて曲がりひたすら歩きますれば。・・・でも、いつまでたっても出てくるモノが出てこない。しかも、こんなに距離も歩かないハズ。おかしい・・・。間違ってるのはわかったけど、今度は地図上で自分の現在地もわからないので、修正しようもなく。仕方がないので、迷ったところまで引き返しB案で曲がり。ほぼ再スタート(!)ずら。 こっちだったよ、パトラッシュ・・・1時間半(!)もロスしちったんだからもー最初の頃は、間違えたかなと思ったらすぐに引き返していたのに、最近は慣れちゃったというか、どうにかなるべと豪快に間違えるようになりましてね。ま、それも旅の醍醐味でござれば(笑)。とは言ってみたものの、一気に疲れちゃったワタクシ。お早い出発ではりきっていたのに、再スタートに泣けた萎えた・・・。更に追い打ちをかけるように、雨上がりと言うこともあり蒸し蒸しと暑く、まだ午前中と言うのに早くもバテバテのフラフラに。なんとなく危なくなりそうな予感がしたので、コンビニで「にぎりめし」をチャージ、ホッと一息のやや復活ぅまだまだ道中は長いでござる。無理はいけませんからな。その後は迷うことなく進み、市が200万円もかけて治療した老エノキの笠寺一里塚を通過、立派な笠覆寺(りゅうふくじ)、泉増院(せんぞういん)にお参りしました。 宮宿だよっ!!!お宮ちゃんっ!!! 「笠寺一里塚」と「笠覆寺」笠覆寺は、その名の通り寺が荒れていた頃、雨に濡れていた「十一面観音」に笠をさしかけた鳴海長者の下女が、その優しさが縁で藤原兼平の妻「玉照姫」になった話があります。泉増寺はその玉照姫を祀った寺で、このシンデレラ物語にあやかって縁結び祈願をする人が多いとか更に道を進みますと、今日はお祭りのようでしてね、町の方々が準備に精を出しておりましたが、何やら不思議なお人形があり→→→き、気になる・・・。訪ねてみましたら、その人形は「しょうや(?)」と言いまして、病気や災いなど悪いモノを追い払ってくれる人形なのだとか。各町内毎にお人形が微妙に違って面白かったです。写真を快諾してくれましたので、遠慮なく撮らせていただきましたのん。ナイスなタイミングで、これまた興味深いモノが見られたでござんすよそんな賑やかな街道を抜けまして、いよいよ「七里の渡し」場着。10時半前。当時はここから船に乗りましてばびゅーん(?)と4時間かけて、次の宿「桑名宿」まで七里(約27km)を渡りました。 手前にある熱田名物ひつまぶしで有名な「蓬菜陣屋(ほうらいじんや)」は開店前でしたが、もう既にかなりの並びっぷりでございました。 ・・・つづく。
Oct 10, 2010
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本日、いよいよ箱根越えのEVOLTAくん、どうやら石畳の旧道ではなく、国道を(含め)走っているご様子。そーりゃ、そーだ。でもちょっち安心した。でも、大変なことに変わりはなく。EVOLTAくん、スタッフさん、 がーんばれーっただいまUSTREAMで絶賛配信中でござるっ!!!* http://www.ustream.tv/channel/panasonic-evoltaちょろちょろと見覚えのある場所が(懐)。今日は特に目が離せませんな・・・。
Oct 6, 2010
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え~、ワタクシ「ゆるゆる」五十三次に挑戦しておりまする(ただいま「鳴海宿」)が、他にもネットはもちろん実際にも挑戦している方をお見かけしたりします。その中に、某Panasonicさんを代表して「がしがし」挑戦している方が。 EVOLTAさんこのお方、確かル・マン24時間に挑戦(!)したり、グランドキャニオンも登られて(!!)ましたね。今度は五十三次ですか。ま、負けられねっ 「どちらが先にゴールするか競争でござんすっ!!!」いやいや、負け確定だっぺよ!?わはは・・・EVOLTAさんのTwitterにて随時見守っておりまするが、10/1現在、藤沢宿に入ったらしいですよ。この先に控えております「難所:箱根越え」は見物ですなぁ。大丈夫かしらん、ちょっち心配・・・。 がんばれっ!!!EVOLTAっ!!! ・・・ってか、オマエががんばれよって話(笑)。旅先でお会い出来るといいなぁ* EVOLTAチャレンジ:http://panasonic.jp/drycell/evolta/
Oct 1, 2010
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池鯉鮒(ちりう)を後にし、またひたすら国道1号をえっほっえっほっこれまた逸れる道がわからずに軽く迷子。ぬ・・・。 1号には色々手こずりまするなぁしかもアスファルトの照り返しがきつくて暑い。すごく暑いずら。国道にも関わらずなかなかコンビニがなく、気が遠くなりかけたとき、目の前にコンビニが現れ。た、助かったでござる。元気復活っ。左のコンビニを出て、行くのは右の道。したっけ、 横断歩道がなーいっ!!!マジスカ!?遙か彼方に見えるよ、横断歩道。やむなく戻る。ぬぬ・・・。やっと渡って、元のところまで戻ってきたら、下にくぐる道があったとさ。なんだよっ、渡れたぢゃんっせっかくの元気も振り出しに戻る。暑い、あ”ーつ”ーい”ーっ!!!15時半、文字通りの「境川」を渡ると 達者で三河国、いよいよ尾張国でござんす「阿野一里塚」あたりから緩やかな登り。そして暑さもMAX。し、死ぬ・・・。せめて国道1号でないのが救い(笑)。昨日出来た足のマメも痛く、だいぶペースも落ちてきましてね、ぶっちゃけフラフラなのねん。そうは言いつつも、寄り道だけはしっかりするワタクシ 桶狭間古戦場跡詳しい説明はいりますまい。古戦場跡と言うので、だだっ広い野原を想像しておりましたが、否。今川義元らが討ち取られた(と言われている)場所が小さな公園になっておりました。向かいにある高徳院とあわせてお参り。14時半。 その後は1号に戻ることなく、のどかな道を進みますれば、知立と鳴海の間(あい)の宿「有松」。尾張藩の庇護を受けて作られた「有松絞り」の産地として繁栄し、昔ながらのたたずまいが当時を偲ばせます。素敵でござんす鳴海(名物有松絞)有松を出ると、しばらくは寂しい道が続き、扇川にかかる中島橋を渡ると、、、 鳴海宿だよっ、 お海ちゃんっ!!!問屋場跡あたりで、今回の旅は終了でござる。16時。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと今回もよう歩きなさったなぁ・・・。 吉田~御油~藤川~岡崎~知立~鳴海 約50km 乙っ!!!最寄り駅は「鳴海駅」。そして、ここまで来ると「名古屋」(!)へ出て帰るわけで。おぉ~、名古屋ですかぃ。ってことはっ!!!この間の名古屋の夜を思い出しつつ「味噌煮込みうどん」を喰らいまして、新幹線でばにゅーんと江戸へお帰りでございました。そうそう、新幹線は満席で座れずじまいでしたが、約1時間半(?)はワタクシにとったら屁でもねぇっ(笑)。そして、もちろん〆はTIME MACHINE。19時半過ぎ。「ただいまっ」「おかえりっ」今回の旅ー。もちろん色々あったのは言うまでもなく。まぁ、一言で言えば「迷子」これにつきまするな(笑)。 とにかく国道1号線は苦手でござる・・・
Sep 20, 2010
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無料だからって盛り盛りと朝食をいただきまして、元気に出立。8時。てくてくと乙川ほとりを歩きまして、まずは寄り道を。 岡崎城へ登城でござーるっ かいも~んっ!!!まぁ、朝がお早かったので開門はしておりませんでしたが、うっとりと天守を眺め、苔むした石垣に萌え~なワタクシでしたのんそして、城内の龍城神社にお参り。龍城神社は家康を祀った東照宮の一つでもあり、岡崎城を築城したさいに龍神が現れ、城の井戸から水を噴出させて天に去っていたと伝えられています。以降、天守に龍神を祀り、城の名を龍ヶ城、井戸の名を龍の井と称し、後に岡崎城で徳川家康が誕生した際にも金色の龍が現れたと言います。 その後は、最寄りの「岡崎公園前駅」より「宇頭駅」へばびゅーんと。今日は何事もなく到着(笑)。9時半前。早速旧道へ出まして、ひたすらひたすら歩きます。西へ西へ、えっほっえっほっえっほっほ~いっしばらく歩いておりましてね、なんか変だなぁと。 あ”っ!!!ノー○ラでござんすよっ!!!今頃気づく朝食にふらっと無防備(?)に行ってしまい、そのまま忘れて出かけちゃったんだ。わははー、ウケる。ま、いいや、どうせわかりゃしねぇやっ(笑)。え!? 30分程進みますと「永安寺」。ここには「雲竜の松」があります。樹齢300年のこの松はクロマツですが、一般に松の主幹は直上して伸びるのに対し、これは横に伸びて広がる形状を持っています。地上から1.5mのところで幹が三つに分かれ、それぞれが地を這うように伸びており、まるで雲の中をゆく竜のような姿から名付けられました。 こぉれはまた、実に見事な松でござるなぁ・・・さらに進み「来迎寺の一里塚」を過ぎると「知立(ちりゅう)の松並木」にさしかかります。この松並木には両側に側道があるのが特徴で、広重の絵にもあるように馬市の際、馬を繋ぐためだったと推測されています。池鯉鮒(首夏馬市) 側道のある知立の松並木と馬市之跡碑その先、込み入った銀座商店街に入りますと、 池鯉鮒(ちりう:知立)宿だよっ、お池ちゃんっ!!!桶狭間の戦いで落城したと言う「知立城」跡を寂しく眺め、155号をくぐりまして知立神社へ寄り道休憩。その少し先には徳川家康の側室で秀安の母、於万の方誕生地である「総持寺」があります。12時。 知立神社 総持寺に於万の方誕生地碑お昼を回ってだいぶ暑くなってきましたな ・・・つづく。
Sep 20, 2010
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巨大なトンボにビックリ、そして藤川の松並木を抜けまして、国道1号に合流したり逸れたりして道は続きます。昨日の教訓、今日は迂回路も迷いませんでバッチリ大岡越前守陣屋跡に寄り道した後、いよいよ 岡崎宿だよっ、お崎ちゃんっ!!! 右:大岡越前守陣屋跡岡崎宿は岡崎城の城下町でもあり、城下の道は、外敵には城までの距離を伸ばし、間道を利用して防衛することができる屈折の多い道が常で、岡崎はその典型。これが二十七曲りです。しかし、徳川の安定政権が続くと防衛の意味もなくなり、城下町・宿場町として栄えていきました。掛川宿の七曲がりでも迷子になっちゃったワタクシ、二十七曲がりなんて絶対に迷子になる自信満々で挑みます。14時過ぎ。案の定、最初の入口から迷いまくりんぐなんだからもーこんなにたくさんの道の中から、東海道だけを選んで歩くのは無理ぽ。戻ったり見失ったりと倍以上歩いた気がするずらなんとか途中まで来たものの、あまりの難解さにギブ。ぬぉ~っ、イライラするっ岡崎城下の某コメダにて頭を冷やしたでござる。ふぅ~・・・。30分ほど休憩しまして、気を取り直し出立。今度は標識を頼りにスムーズに進むことが出来ましたのん三曲がりほど飛ばしちゃいました(!)が、無事二十七曲がりをやり過ごしまして八丁味噌の味噌蔵が並ぶ八帖町(昔は八丁村、岡崎城から八丁・約870m離れていることから)を抜ける矢作川にぶつかります。 右:NHK連続テレビ「純情きらり」ロケにも使われた八丁味噌の味噌蔵矢作橋を渡り、またひたすらひたすら1号を進み、宇頭駅近くで本日終了としました。17時半。いやぁ、今日も色々ありましたなぁ・・・。岡崎(矢矧橋)アングルが道の反対側から撮らないとイカンかった・・・東岡崎までばびゅーんと戻りまして、ライトアップされた岡崎城を遠目に眺めつつ宿探し。お陰様で本日も1軒目でげっとん、無料朝食付きのビジネスだけれどもここには天然温泉大浴場(!)がついておるそうで。いやっほ~いっ!!!「男女時間別」なので、女子風呂になるまでの間、再び町をブラブラと。コレと言った店がなかったし、今日はさすがにお疲れでしたので寿司におビールをお買い求めの部屋食いにしましたのん。女子高生(?)の運動部の合宿の子たちと一緒になりましてね、それはもー賑やかに風呂に入りましたよ。 良いお湯でございました そして、「安眠」を唱っておるだけありまして、ここの枕は素晴らしかったです。欲すぃ・・・。* スーパーホテル岡崎:http://www.superhotel.co.jp/s_hotels/okazaki/ ・・・つづく。
Sep 19, 2010
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昨日のゴール「名電赤坂駅」までばびゅーんとすべく、「豊橋駅」へ。8時、オハヨーゴザンス。ちょうど特急(?)が発車するところでしてね、各駅でしか停まらない赤坂駅へは行けるのかどうか駅員さんにお問い合わせ。したっけ、「次の停車駅で降りて各駅に乗れば行けますよ」とのお返事をいただいたので、急いで乗ったです。ふぅ~、グッドタイミングでもね、なんだか乗っている時間が長いのよ。長い、長すぎる。もっと近かったような・・・。通過する駅を見て、車内にある路線図と見比べ、、、 あり!?とっくに通り過ぎとるっ!!!容赦なくどんどんどんどん通過してく電車。どこまで行っちゃうのー。もー降りたいんですけどーやっと停まった先は、今日のゴール予定地。いきなりなんだか萎えた(笑)。今日も初っぱなからやってくれまするなぁ・・・もちろん引き返しまして、やっと名電赤坂着は9時半過ぎ。気を取り直して出立でござんすよっ!!!えぃえぃおぉ~っまずは「大橋屋」さんの中をちらっとご見学。やっぱ怖くて泊まれねぇ、、、かもぉ(笑)。広重の絵にある旅籠「清須屋」のソテツは大橋屋手前の浄泉寺に移されたと伝えられています。ずいぶんでっかくなっちゃったなぁ。でも、ちょっち感激したでござんすよその後はのどかな街道をひたすらひたすら進みますれば。赤坂(旅宿招待) 左:「赤坂(旅宿招待)」に描かれているソテツそして1号に出てしばらくしますと、本宿町。平成六年に建てられた「冠木(かぶき)門」をくぐりまして、また脇へ逸れ静かな道が続きます。 国道1号と冠木門 右:法蔵寺途中で、家康が幼少の頃修行した「法蔵寺」をお参り。11時過ぎ。ここには新撰組隊長の近藤勇の首塚があります。江戸板橋で処刑されて京都でさらされた首を、同志が盗み出して密かにここに葬ったと言われています。当初は世間の目もあったので、石碑は土で埋められ、無縁仏の様にしていたので、そのうちすっかり忘れ去られ(!)、近年になって当時の記録から発見されました。そこのご住職としばしお話をした後、更に歩くこと1時間、 藤川宿だよっ、お藤ちゃんっ!!!藤川(棒鼻図)東棒鼻跡西棒鼻跡「棒鼻(ぼうばな)」とは、宿場の出入り口のことです。ですから東と西とそれぞれあるのですな。広重の絵の中にもたびたび登場します。30分ほどで藤川宿を抜け、藤川の松並木。いやぁ、松並木には毎回癒されまするなぁ途中、色鮮やかで巨大なトンボが落ちていまして。え!? でかっ!!! こ、これはオニヤンマ??? 本物??? キモっ!!! 怖っ!!! ぴくりとも動きませんでしたが近づく勇気もなく。がんばってこの距離でしたのん。わはは。田舎モノノワタクシでも初めて見たのでございます。びっくりした。 ・・・つづく。
Sep 19, 2010
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気持ちよく御油の松並木を抜けますと、あらやだ、もう・・・ 赤坂宿ですよっ、 お坂ちゃんっ!!!近っ!!!しばらく歩き、本陣跡を過ぎますと、江戸時代からほとんどそのままに営業をしておる(!)旅籠「大橋屋」さんがあります。松尾芭蕉も泊まったことがありますれば。ちょうど夕暮れ時、行燈に灯がともっていて良い雰囲気でござんすなぁもちろん今でも泊まれるので、しばし考えてはみたものの・・・、えぇっと、やっぱパス。だってさすがに怖くね!?←小心者(笑)。そして、もうだいぶ日が暮れてきましたのでね、今日はこの辺で終わりにしたのでございました。17時半過ぎ。 いやぁ、初っぱなから色々ありましたな、わはは さて、最寄り駅は「名電赤坂駅」。駅前踏切待ちしている合間に電車は行ってしまい、次は30分後。あり!?でじゃぶぅ!?しばしホームで黄昏まして、やっと来た電車でばびゅーんと、、、「豊橋」まで(笑)。半日かけて歩いた距離を、電車で乗り換え込みで約20分なんて、切ねぇなぁ・・・。宿探しも慣れたモノ。本日も1軒目チャレンジでげっとんチェックイン後は、早速夜の街へ繰り出します。え!?「旅の最中の夜はがっつりお肉ずらっ!!!」と決めており、ファミレスでもいいのでステーキを必ず喰らい鋭気を補うワタクシですが、ところによってはファミレスはおろか気の利いた店がなく居酒屋しかなかったりと、お一人様女子でも入りにくい店でこれまた難儀する事も多く。今回もこれまたファミレスが見つからず、フラフラと駅前の商店街を歩いておりましたら「名古屋コーチン」と多々目に入ってくるのですよ。 あー、そうかー、名古屋コーチンねぇ・・・正直、鶏って気分じゃなかったのですが、他にこれといった店がなかったし、またこのあたりはお土地柄ですからね、入ってみましたのん。威勢のいい、しかも若いイケメン(!)スタッフさんたちを眺めつつ(笑)。ちょっちラッキー♪ まずは、エビスビールの美味いこと美味いこと。あっという間に空でござれば1杯目特に串は出てくるのに時間がかかりますから、トマトなんぞをつつきながらゆっくりと2杯目、それから日本酒へ突入っ。そして、お待ちかねの名古屋コーチン「おまかせ五本盛り」。 がっつり喰らいましたともっ!!! 名古屋コーチンっ!!! すっごいジューシーでウマママママ~脂が違いますなぁ。大変美味しゅうございました。会計時、事情を知った店長のお兄さんに「道中、お気をつけて頑張って下さいね」と励ましのお言葉をいただき、オバチャン感激ほろほろ酔いのご機嫌で店を出まして、ホテルへ戻りホテルでまったり。ちょうどTVで和可菜ちゃんが「白馬岳」の大雪渓を登っておりましたな。う~ん、ワタクシも登ってみたい・・・。「そろそろ風呂でも」と思ったっけ、先日の友人から連絡があり、またしても急遽お出かけ。えぇ!?またまたおビールをいただきつつ、オバチャントークを小一時間ほどかましましたのん。ありがと、楽しかった。こうして豊橋吉田宿の夜は更けていったのでした明日はどんな旅になりますやら、風まかせ~、つづく。
Sep 18, 2010
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昨夜は久しぶりに妹と飲みまして。なんとなーく修羅しゅしゅしゅ(!)のそれとなーく2人して泣き(!!)が最近のパターン、わはは・・・そして案の定。あー、やっぱりねー。予測済み(笑)。それにしても最近仲良く飲めないねぇ。ま、そんなこんなで、ゆっくりお出かけお昼頃。大好きな新幹線でばびゅーんと、、、 豊橋へっそう、本日より五十三次続きの旅でござればっ!!!今回の旅はどうなることやら楽しみでするなさて、前回のゴール吉田宿本陣跡に13時半頃。いざっ、出立でござんすよっ吉田(豊川の橋)しばらく行きますと豊川に架かる「豊橋」。豊橋市の地名の由来となった橋で、矢作橋(愛知県岡崎市)、瀬田の唐橋(滋賀県大津市)とともに東海道三大橋の一つでござれば。その後はひたすら、ひたすらひたすらひたすら歩きます9月も後半というのにこの暑さ、心が折れかけた頃「古民家カフェ」なる店を発見っ!!!なんでも「手作りシフォンケーキ」が評判なんだとか。更に古民家にも目がありませんからね、早々に寄り道です立派な梁に高い天井、白塗りの壁。良いですな。そしてテーブルはなんと足踏みミシンの台(!)を再利用。思わずパタパタと踏んじゃったんだからもー、懐かし過ぎ。美味しくシフォンケーキをいただきまして、元気が出たっ!!!再び出発でござる。* 古民家カフェ「もくせいの花」: http://www.ccnet-ai.ne.jp/mokusei/国道1号が厄介でしてね、横切る度に横断歩道がなく渡れなかったり、迂回させられたり、高架下に潜らされたりと、なかなか歩く人に優しくなく。しかもわかりにくーい。今回も然り。てっきり1号にぶつかったと思って曲がったら、高架下をくぐらされ。標識もなにもないまましばらく歩いておりましたら、そろそろ曲がらなくてはいけない道が全くないのですな。しかもやっと出てきた標識をよく見たっけ1号じゃないし。がっでむ あり!?軽く迷子かしらん???コンビニに入りまして道を聞きましたら、これまたこの辺には詳しくなさげなオニーチャン。あまり話がかみ合わず(笑)、仕方がないので間違えちゃったと思われる処まで戻りましたのん。なんて事はない、一本手前を曲がっちゃっていたのでしたが、これがまたなんつーか・・・1:まず横切ってる道が1号ではないのに比較的大きな(笑)道路2:中央分離帯にガードレールがあり、向こうに道がまだ続いているのが見えない3:「つきあたったら左」と地図にあったらさーで、曲がっちゃった(違)。これは何かの罠ですか!?それともワタクシがすっとこどっこいなのですか!?すっかり騙されたよ、パトラッシュ・・・。でも後で思い出してみたら、なんだか迂回路の看板があったかもぉ、、、気のせいにします(笑)。つまりは後者、ワタクシがすっとこどっこいだったって事で。「大きな国道に出るんだから間違えるハズがない」と過信が見落としの原因!?危ねぇ危ねぇ、このまま行ったらとんでもないところへ行くところだったずらとにかく無事戻ることが出来たし、「そんな素敵すぎるイベントもこれまた旅の醍醐味でござる」・・・と思うことにして先に進みます。そしてついに、 御油(ごゆ)宿ですよっ、お夏ちゃんっ!!! 17時過ぎ。吉田からの道のりがこんなに長かったのに、御油はあっという間に通り過ぎましてねー。ちっちゃっ!!!でも、夕暮れの中なかなか風情のある宿でした。 御油宿入口に架かる「五井橋(旧御油橋)」に御油宿御油(旅人留女)そして、国の天然記念物にも指定されている「御油の松並木」のクロマツの並木道が約600mに渡ってワタクシを慰めてくれたのでございます。癒された~ つづく・・・。
Sep 18, 2010
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白須賀宿もサラッと通り抜けまして、12時45分。 ついに入りました、 愛知県だぎゃーっ!!! さようなら、静岡県。長かった・・・ こんにちわ、愛知県。これからよろしくテンション激アゲ(笑)。そーりゃ、東京から愛知まで歩いちゃったんだから、当然だってんだいっその勢いで国道1号をひたすら歩きますれば。だがしかーし、この1号。何もないし、トラックびゅんびゅん丸で空気も悪いし、とにかく暑い。じゃっかん距離もありましたので、さっきのテンションはどこへやら。早々に萎えたずらそんな1号もやっとそれまして、当時の面影を残す街並みへ突入。いやぁ~、ホッといたしまするな。 二川宿ですよ、お川ちゃんっ!!!ここは遠江国から三河国に入った最初の宿で「清明屋」と言う立派な旅籠があります。ちょっくらごめんよっ、休憩でござる二川宿の旅籠「清明屋」 二川宿の街並み/「清明屋」内部本日は「お琴」の演奏やら「お茶席」を無料で催しており、ワタクシも茶をいただこうと思ったら、本日売り切れ御免でして。ちっ・・・。仕方なく宿の施設をあれこれ見学しておりましたら、「一席余りが出たというのでどうぞ」とお声をかけられ、ありがたーく茶をしばきました。ありがてぇやっ!!!すっかり元気も回復の再び出発。15時前。今回のゴールは次の吉田宿に決定。最寄り駅は「豊橋」でござる。ゴールが決まれば、後はひたすら歩くだけ。ラストスパートがってんだいっだいぶ街らしく賑やかになっていたところで、路面電車を発見(驚)。意外と路面電車って走っているのねん。 そして、今日も最後に軽く迷子になり。なんかお約束になっておりまするな(笑)。大きな街になると、旧道は本当にわかりにくいのです。なんとか旧道に戻りまして、ついに 吉田宿だよ、お吉ちゃんっ!!!本陣跡(今は鰻屋さん)の前にて、今回の長い旅は終了にしました。17時過ぎ。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっとよう歩きなすったなぁ・・・。 丸子~岡部~藤枝~島田~金谷~日坂~掛川~袋井 ~見付~浜松~舞坂~新居~白須賀~二川~吉田 約107.4km 乙っ!!!その後は、豊橋市内に住む友達と久しぶりに再会。おビールにがっつりと肉を喰らってから、大好きな新幹線でばびゅーんとお江戸へそして、いつものようにTIME MACHINEにて「ただいまっ」「おかえりっ」と〆た、そんな今年のGWでございました(遠い目w)。今回も色々な人に出会い、長かった分色々なことがあった、またまた思い出深い旅になりました。ずいぶん進みまして、半分超えましたよぉ
Sep 16, 2010
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さて、最終日。浜松駅にておにぎりチャージ。「たまごかけご飯風」ウマすっ!!!ばびゅーんと移動、舞坂駅出発でござんす。8時前。前日くじけそうになった時に救ってくれた(笑)美しい松並木を抜けましたらすぐに見附跡。 舞坂宿だよっ、お舞ちゃんっ!!!舞坂宿は小さい宿場町。本陣・脇本陣をあっという間に通り過ぎますと、目の前にどど~んと浜名湖がっ。 ついに浜名湖まで来ちゃったなぁ・・・ 広~ございまするなぁ・・・釣りをしている方々がたくさん。おチヌ様狙いかしらん!? 舞坂宿の脇本陣/どど~んと浜名湖舞坂から新居までは、当時「今切の渡し」と言って船で浜名湖を渡りましたので、この先の最寄り駅「弁天島駅」~「新居町駅」一駅分これまたばびゅーんと移動。 新居宿だよ、お新ちゃんっ!!!その新居宿には「新居関所」があります。関所なんて「箱根関所」しか知らなかったワタクシはびっくり花子でしたよ。他にもあったんだ・・・。江戸時代には関所が五十数カ所設置されており、東海道には「箱根」とここ「新居」の二カ所だったそうです。早速、吟味されるワタクシ。ぷぅ。 右:このお役人さんは人形ではなく本物さんなのです;;;通行手形はもちろん女手形すら持っておりませんでしたからね(笑)、危ういところでしたがお代官様の寛容なご沙汰により通ることが出来たのでござんすっ、ありがてぇやっ。9時過ぎ。ホッとしたところで、関所前にある旅籠「紀伊国屋」で一息、関所を抜けられ気が抜けしばし横になり(笑)。 寝心地はなかなかカピカピらしいけど(笑)、当時の蒲焼きのタレが残っていたりしてなかなか興味深かったですな。そして、新居宿を後にしまして、どんどん先を急ぎますれば世の中GW中だというのに、人も車もほとんど通らないのどかな車道を2時間ほど歩いた後、じゃっかん登りに入ります。ちょっと登ったところに「蔵法寺(ぞうぼうじ)」があります。宝永四年(1707年)の大地震による大津波で、一里塚あたりにあった昔の白須賀宿は全滅しました(その近辺は「元白須賀」と呼ばれています)、汐見観音のお陰で危難を免れたと伝えられています。お参りも済ませまして、更にどんどん登り、汐見坂へ。途中で超~ぅ怨念怖い(!)ところがありましたが、触れるのも怖いので省略ぅ。 正直、箱根越えよりも怖かった立ち寄らなければ良かったよ、パトラッシュ・・・。汐見坂を登ると、お休み処・展示館「おんやど白須賀」があり、そこでトイレ休憩。そこでもやっぱり管理人さんにつかまり(笑)、しばし東海道談義をしましたのん。かなりの確率ですな、わはは。その先には「汐見坂公園跡」。むかし、徳川家康がここに茶室をつくり、武田勝頼を破って終わりに帰る途中の織田信長をもてなしたと言われています。ま、今は茶室はありませんが、信長になったつもりで遠州灘を眺めつつ茶を一服。うーん、家康殿、苦しゅうないぞ 蔵法寺/汐見坂汐見坂公園跡より遠州灘を眺める公園跡を過ぎると、枡形に折れ曲がている道「曲尺手(かねんて)」。12時過ぎ。これは敵やしのびの侵入を防ぐための工夫で宿の出入り口にございましたな。これまたハッキリ残っておりますれば。つまりは、、、 白須賀宿だよ、お白ちゃんっ!!!それにしても、全くと言っていいほど人をお見かけしません。ちょっち寂しい・・・ ・・・つづく。
Sep 16, 2010
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ワタクシが利用しているこの楽天ブログ、一ヶ月前までしか投稿出来ないらしく。がっでむ・・・。前回の五十三次の続き最終日前夜からの話、今日の日付で書くでござんす。よろしく哀愁っ!!!゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・舞阪駅からばびゅーんと浜松駅まで戻りましてね、電車の中は「浜松祭り」に向かう方々で満員御礼。むぎゅぅ。人混みに揉まれながら、出番待ちの山車をチラ見しつつ街中をウロウロしておりましたっけ、昼間聞いたアノ威勢の良い野球の応援団(違)の音がっ!!!「練り」と言われるモノで、大きな旗を持った人が先頭に立ち、ラッパ隊、提灯隊と続きます。 ・・・・やっぱり、野球の応援団ぢゃん(違)* 浜松祭り練り:http://www.youtube.com/watch?v=IrUuB8C-yDU おぉ~もしろ~いっそれにしても、全国にはまだまだ知らないお祭りがありますなぁ。ワタクシ初めての体験でございました。そんな浜松祭りを堪能しました後は「浜松と言えばやっぱ「鰻」っしょっ!!!」っつーことで鰻屋さん探し。でも、 いやぁ、やっぱりお高いのねん数軒覗いてみましたがどれも同じ様なお値段だったので、それが平均価格なのかと納得しまして、今日は最後の夜だし、大盤振る舞いってんだっ、てやんでぃっ、べらぼうめぃっ!!! うなぎ料理専門店「曳馬野」さん老舗っぽい、なかなか雰囲気のあるお店でござれば。早速、おビールを飲みつつ、ひたすら出てくるのを待ちます。時折、店の前を「練り」が元気良く通り過ぎていくのですが、気が付いたら突然店の前に集合しておりまして、 「『曳馬野』さんの、商売繁盛を祈願しまして万歳三唱っ」 「ばんざーいっ、ばんざーいっ、ばんざーいっ!!!」そんな店の中にたまたまいるワタクシってば・・・。わはは。激レア体験ずら(笑)。そして、いよいよ来ました、うなぎぃ~。 フワフワ柔らかく、うーままままままままっタレはご飯がビショビショになるほどかかっておらず、お味もしょっぱすぎず、程良く甘く、お上品。今まで食った鰻の中で一番美味いかもぉ。さすが天然国産ですなぁあっという間にご完食。ごちそうさまでした。 「練り」は商店街の中も縦横無尽に走り回るのです「練り」の皆さんとすれ違いつつホテルへの帰り道、一足お先に「仕事」が終わった「練り」の皆さんが、BARの前で「テキーラ」の一気飲み大会(!)をされておりましたよ(凄っ)。一方のワタクシはと言うと、これまた奮発!?エビスをお買い求めになり、ホテル飲み。そんな最後の夜でございました明日は最終日。いよいよ、愛知に入るでござんすっ!!!
Sep 15, 2010
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東海道五十三次旅日記、ぼちぼち書いています。えぇっと、筆がなかなか進みませんが・・・ よろしかったらぜひ日付の関係上、トップには表示されませんので、ずずずずいっと下にスクロールするか、カレンダーまたはカテゴリからお願いします。よろしくどーぞ。
May 10, 2010
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4日目、今日の一番の楽しみは「行興寺(ぎょうこうじ)」の長藤。本堂横の「熊野(ゆや)の長藤」は樹齢800年、県・国の天然記念物で、なんでもちょうど今「長藤祭り」絶賛開催中でござれば、ナイスタイミング。これはぜひとも見ておかないとー。そんな予定もありまして、本日お早めの出発8時。朝御飯はホテルの無料モーニング、トースト2枚にコーヒー2杯。ありがてぇっ!!!心配だった足は、、、あり!?痛くない。痛くないよーだがしかーし、油断は禁物。ゆっくり新調に歩き進めまして、とりあえず迷うことなく目的地「行興寺」着、9時半前。寺前には屋台が出ていて、まだ早いにも関わらず結構な賑わいです。 ぬぉわ~っ、きっれ~っい いいにお~いっ どこまでも続く藤棚。こんなデカい藤棚は初めて見ましたのん。凄い。うちにも欲しい(笑)。しばらく藤棚の下で、しっぽりまったりうっとり~ぃ奥には能舞台がありまして、能やら色々なイベントが時間スケジュールで組まれておるようでしたが、キリがないので30分ほどで出発、すぐそばを流れている天竜川を無事渡りきり10時過ぎ、浜松市に入りました。 この辺は当時の面影は全くないので、ずいずいとひたすら進みます。小腹が空いた12時前、コンビニにてトイレ休憩・甘味水分を補給。店の前にて、若者よろしく座って休んでおりましたらね、店から出てきた殿方がワタクシの事をガン見するんですよ。見られている本人が気が付くくらいの、目線をそらしていても見てるってわかっちゃうくらいの、もの凄いガン見。 う~ん、見てる、見てるよね!?したっけ、話しかけられまして。 「車に乗ってく?」もちろん丁重にお断りしましたよ。う~ん、今日も色々ありまするな・・・。さて、浜松駅が近づくにつれて、どんどん近代的な雰囲気になっていく町並み。面影全くなっしんぐです。冷たいモノ一気飲みで、お腹が緊急事態になりかけ(!)、またまたコンビニ休憩。ふぅ~、危なかったよ、パトラッシュ・・・。前にもありましたな、あのときはマジヤバかった(笑)。そして、えぇっと、野球のデーゲームでもしていますか???ラッパに太鼓の賑やかな音が聞こえてきましてね、思わずそうつぶやいたら 「それはきっと浜松祭りの音ですよ」とフォロワーさんに教えていただきました。ありがとうございます。これまたナイスなタイミングな事に、「浜松祭り」も絶賛開催中でござれば。そう言えば、昨日の府天満宮の宮司さんもお祭り云々とおっしゃっておりましたな。大きな広場では、夜に向けてたくさんの山車が準備待機しておりました。それにしても、お祭りでこの音色、、、マジですかっ!?ワタクシには、どうしても野球の応援にしか聞こえませぬ(笑)。そんな不思議音を聞きつつ、祭りの影響も考えて駅前にて早々宿探し。この辺に泊まって祭りも見てみたかったし。1軒目チャレンジ某有名チェーンビジネスホテルをげっとん。今日こそはと覚悟していたので、よ、よかったぁ。安堵。フロントに荷物を預け、もう二駅ほど先に進もうと再び出発、13時半。 浜松宿だよ、お浜ちゃんっ!!!家康で有名な浜松城がありますがスルーして、屋台を後目に本陣跡を通過し、後はひたすら交通量の多い道路を先に進みます。15時過ぎ、そろそろ足の付け根も痛くなってきたし、車の多さにへきえきしていたワタクシの前に、340本・700m続く松並木が出迎えてくれましてね。感動。元気出たウットリしながら、松並木を進みましたら、うっかり今日のゴール舞坂宿ちょっと手前舞阪駅をずいぶん通り過ぎちゃったんだからもー。そのまま先には進みませんで、舞阪駅まで戻り、今日の旅は終わりにしたのでございました。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっとナイスなタイミングだらけの、そして色々あった4日目でした。そして、今夜は最後の夜でござる
May 4, 2010
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見付宿に入ったワタクシ。最寄り駅で言いますと「磐田」でござれば、街中にジュビロの旗があふれておりまする。そんな旗や、ここでもたくさんの鯉のぼりを眺めたりして進むことしばらく。最後に曲がらなくては行けない場所を間違え(!)、1本手前で曲がっちまうことまたもや街道はずれの迷子になりましたのん、、、ふ、不覚 むむむ、見たいところがあったのに・・・。しかも、最後の直線はかなりの距離。足はとっくに痛いので戻りたくねぇ・・・。今日は、実際迷子になっていなくとも、ところどころで「???」と思う事が多々ありすり切れっぱなし。これで心が折れちゃった(笑)。旅はまだまだ続く、今日は早めに終了しよう。どちらにしても、本日のゴールは「磐田駅」でしたので、駅に向かって歩き駅前にて早々に宿探し。したっけ、1軒目でちょうどキャンセルが出たお部屋をゲット出来ました。16時半。 あり!?ツキはまだワタクシに向いているかもぉ!?とりあえず部屋に入りしばらく休憩しようとエレベーターに乗りましたら、「レンタル自転車」の案内が目に入りまして。あっ・・・。 「そうだっ、チャリで戻ればればればっ」日が暮れるのにはまだ時間がありましたし、かなりの距離でも、足が痛くても、チャリならイケると。な~いすアイデアっ駅前でチャリを¥200で借りたら、 おぉ~っ、電動自転車でござるよ初めて乗ります電動。それだけですっかりテンションあげ。単純早速、こぎ出しましたら、、、お、おもしろ~い。凄ぇ~おもしろい。ぐいっと力を入れると、ぐんと加速する。まるで出来の悪いオートマみたいハイスピードで、旧街道を逆行(笑)。1時間ほどで、見そびれた 「府八幡宮」 「姫街道道標」 姫街道:浜名湖の今切渡しを嫌った女性たちの迂回路 「旧見付小学校」 現存する日本最古1883年の五階建て小学校をカバーしたのでございました。 立派な府八幡宮/モダンな旧見付小学校結果オーライ、これにて本日の旅は終了。ふぅ~っ。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと心が折れた3日でした。そして、今晩は駅前で見つけた「ジュビロカフェ」でお洒落にいただきました。カレー、うまかった。 いよっ、ご当地ですな。
May 3, 2010
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掛川城であげあげで出発したワタクシ。左かかとマメは思ったほどでもないけど、指の付け根が既にちょっちヤバいでござる どこまでもつか・・・!?旧街道に戻りしばらく行くと「円満寺」があります。ここの山門は、明治五年掛川城廃城と共に払い下げられた折に、掛川城にあった蕗の門(富貴門)を移築したものです。移築にともない柱の下部を一尺五寸(約75cm)切り取って形を整えられていますが、今も当時のままの姿を残しています。こういう使い方は、「宗安寺」の赤門(佐和山城の正門を移築)など意外とあり、城が残っていないとなおさらゾクゾクしますその少し先に「平将門十九首塚」。将門とその一党合わせて十九の首級が祀られている場所です。平将門は、天慶二年(939年)に関東一円の国府を襲い、国司を追放して自ら文武百官を任命し、いわば朝廷の支配を排除して独立国を組織した武将です。当時の人々にとっても、そして出身地が近いワタクシにとっても将門はヒーローで、以前大手町の首塚に行ったことがありますれば。お参りをしていると、そこを管理しているじいちゃんに話しかけられまして、しばらく五十三次談義に花を咲かせたのでございました。これまた色々な話を聞きましたよ。ありがとうございました。時刻は既に10時過ぎ。急いで先に進みます。11時過ぎ「善光寺」前。東海道のちょうど真ん中にあることから「仲道寺(ちゅうどうじ)」とも言われています。 円満寺の山門/仲道寺 ついに中間まで来たでござるお参りした後、そこから気持ちの良い松林を歩き、天橋(あまはし)を渡りますと、 袋井宿だよ、 お袋さんっ!!!その橋のたもとに「どまん中茶屋」がありましてね、広重の絵に似せて造ってあると言う凝りっぷりをそこのじいちゃんに自慢され(笑)つつ茶を一服あまりに自慢するもんだから(?)、「それなら同じ構図で写真を撮るからお願いします」と、じいちゃんカメラマンにして、あっちから・こっちからとあれこれ指図するワタクシその後もしばらく話に花が咲き(笑)。13時。じいちゃんのススメでご芳名帳に記帳しましたが、五十三次をやっている方で今日ここを訪れたのはワタクシで10人目(!)でした。東京の方多し。 意外とやっていらっしゃる方いるのねん茶屋を後にしまして、後はひたすら歩きます。 袋井(出茶屋)木・ぼう示杭・囲炉裏・煙草の火をつけている旅人・立て札に燕同じ構図!?特に寄り道するところもなく、ひたすらひたすらひたすら・・・。そして、指の付け根もそろそろmAX痛くなってきた15時過ぎ。木戸跡を通りまして、、、 見付宿だよ、おみっちゃんっ!!!京からくだると、ここで初めて富士山が見えたところから「見付」の名前が付いたそうです。へーへーほーほー。本日最後の宿、見付宿に入ってホッとしたのも束の間、またまた街道を見失い迷子になるのでございました。えっ!? ・・・つづく。
May 3, 2010
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泣きが入る程痛かった足は、昨夜の必死の(?)冷水マッサージにてほぼOK。 冷水マッサージ、恐るべしですなんが、左かかとにウケるほどでっかいマメがっ。さすがに画像で紹介できないのが残念(笑)。ま、痛くないからいっかーサービスのカップヌードル(朝から!)そしてにぎりめしを食べ、まずは掛川城に登城でござる。8時半。 そぉ~りゃぁ~っ、つっこめぇぇぇっ平成六年(1994年)に本格的な木造の城として復元されました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、土佐一国を与えられて高知城に移転するまで、1590年(天正18年)から豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が5万1千石(のち5万9千石)で入りました。現在見られる城郭の構造の基本的な部分は、その一豊によるものです。そう言われてみると、確かに高知城に似ておりまする。 城は現存ではありませんが、とっても良いお城でございました特に、この城を落そうと家康が攻撃を仕掛けた際、井戸から立ちこめた霧が城をすっぽりと覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなり、以来、掛川城は、「雲霧城」とも呼ばれるきっかけとなった噴霧井戸(現存)などは興味深かったです開門は9時でしたが、GW中と言うこともあってなのか、ちょっちお早い開門で、ラッキーでした。何しろ1時間以上(!)おりましたからなぁ(笑)。 朝からテンションあげあげで、今日も元気に出発でござんすよ
May 3, 2010
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涙がちょちょぎれた末、やっと掛川宿の入口17時前、もうすっかり日も傾きかけてござれば。後は「新町七曲がり」「本陣」あたりで今日は終了しよう、、、したっけどちらも見つからない。 旧街道を見失いましたのんえぇぇぇぇっ、ここにきて。ここまできて。そして足痛い(号泣)。しばらくぐるぐるしておりましたが、どうしてもわからないので、まずは宿探しを先に、、、したっけ、今度は宿も満室だらけで見つからない。 む、、、さすがGW。本領発揮か最初の宿のおねぇさんが、これまた親切にリストを下さり、適当にまわること4軒目(!)にやっとげっとん。新記録だ(笑)。それが一泊¥3000のカップヌードル付き。安っ。壁は薄くてバスタブは小さいけど綺麗です。十分十分、ありがとうございます。そこで荷物を置きまして、再び旧街道探し。17時半。足を引きずりながらも、ぐるぐるしていたら掛川城に出くわしましてね、城好きのワタクシ、ちょっちアゲ(笑)。明日、出発前に寄り道しようっとそして、結局、最終的にタクシーの方に聞いて、やっと見つけた18時過ぎ。ありがとうございます。わかりにくいのは予想していたけど、これはさすがにわからねぇってば。今は住宅地、道が網の目にたくさんあって、どこをどう曲がって良いのかわからないもの。あってるのか外れてんのかもわからねぇ・・・。案内板を見つけたときにはホッとしました。安堵いたした。これで心おきなく2日目終了~。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと とっても辛かった2日目でした。明日、大丈夫か!? 宿入口の常夜灯/新町七曲がり/本陣跡今日もファミレス見つからず、お一人様の赤ちょうちん(!)でございました。
May 2, 2010
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苦手な石畳をやり過ごし菊川を過ぎますと、いよいよ本日の難所「小夜の中山」でござる。13時半前。茶畑の中、お茶を摘む方々を横目に、どんどんどんどん、あ、どんどん登っていきます。ひ~っ、きっつい・・・ 茶摘みの皆さん/山肌に「茶」の文字(驚)登り切ったところに久延寺(きゅうえんじ)。ここは、掛川城主・山内一豊が、関ヶ原の合戦にむかう家康を接待するため、境内に茶室を設けたと伝えられる寺で、家康手植えの五葉松があります。また、「夜泣き石」が祀ってあり、むかし妊婦が山賊に殺されましたが、さいわいお腹の子は助かったものの、殺された母の霊が石にこもり、毎晩泣くので、読経してなぐさめたと言う悲しいお話があります。そのちょっと先に「扇屋」と言う茶屋があり、そこで名物「子育て飴」を買って一息つきました。・・・あまり甘くなかった。そこからは、こんどはどんどんどんどん、あ、どんどん下っていきます。これまた、ひ~っ、きっつい・・・最後に「七曲がりの急坂」でトドメを刺され(笑)、やっと登り下りから解放されると、、、 日坂宿だよ、お坂ちゃんっ!!! 扇屋の飴売りおばちゃん/七曲がりの急坂古いおもかげを残す静かな町並みです。15時。旅籠「川坂屋」でトイレ、ホッと一息つく暇もなく、先を急ぎますれば。さすがに足が痛い・・・。 本陣跡は小学校日坂宿を出てすぐの所に「事任(ことのまま)八幡宮」。願いが「こと(事)のまま(任)にかなう」と言う評判がたちとても賑わったそうです。立派な楠の木とご神木「大杉様」が、でで~んとありましてね、巨木好きなワタクシ、パワーをいただきましてとっても癒されましたのん。その後は、国道1号を歩いたりちょっとそれたり。山を下りてきてからはとにかく足が痛くて辛かった筋肉痛ではなく、蹴る時に足の指の付け根が痛い。関節痛に近い!?まだ筋肉痛の方がマシかもぉ。何も考えず(考えられず!?)ただひたすら右左と足を出す。掛川までは本当に長く感じましたな。久しぶりの難所でござった。小夜の中山、恐るべし ・・・つづく。 楠の木にご神木「大杉様」
May 2, 2010
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