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『要約は脳トレ』という言葉に惹かれて参加を決めた今日の研修会。色々考えるのは面白いし、想像力を働かせて、ああでもない、こうでもないの繰り返し。 実際の紙面を模した紙が渡され、実際に見出しを考えてみる。大見出しの文字数は10と決まっているらしい。そして決め事が色々あるらしい。大見出し、そして、中見出し。 新聞記事には前文というのがあって、ここに全て伝えたいことが述べられているらしい。第一面トップを飾る記事は、新聞社によって違う。何を伝えたいのか。どういう記事にするのか。それを限られた文字数で表すのはかなり難しい。 第一面トップ記事の見出しは大体横に。そして、縦に、場所とかにポイントを置いた見出し。 記事と称して与えられた文を一通り読んでみる。これは、全くのフィクションで事実とはかけ離れた記事だけど、読み方にも気をつけていないと、内容が把握できない。そして、いよいよ問題の、大見出しを10文字で考えてみる。 記事をまとめる上で大事なことは、やはり“5W1H”にまとめられる。誰がいつどこで何を。そして、それがどうなったのか、またどうなって行くのか。というように。 要約筆記においても、情報として抜けてはいけない事柄がある。例えば、全員でどこかへ散策に出かけるとして、それがいつ行われるのか、集合時間や集合場所。といったことは絶対に抜けてはいけない。また、会費などを集めるならば、当日なのか、前もって集めるのか。といったことなども重要になってくる。目からの情報に頼らざるを得ない人のための情報保障。情報が欠落していたのではどうにもならない。 講演会などで、講師の内容をOHPを使って手書きで。という場合、ついつい言葉を追ってしまう。でも、講師の言葉通りに100%書くなんてことは絶対に無理。例えば、今日は難聴者の集まりなのだから、少し話すスピードをゆっくり目に。とか考えてくださると、とても有り難いけれど、なかなかそうはいかないのが現実。 何を伝えたいのか。という意味では新聞と大差無いような気がするし、現実には新聞紙面として印刷される時間、紙面にも限りがあるし、一旦印刷されてしまうと、もう間違いを正すことはできない。 何かの会合などの場合、“来賓祝辞”というのは、前ロールといって予め原稿を戴いて、そのままロールに書いて準備することはできる。ところが、その場で。となると書こうとして言葉が続かなかったり、書いている途中でもう次の話題に移っている。 そこで、同じ意味の言葉で、なるべく文字数の少ない言葉に書き換え。ということが行われる。勿論瞬時のうちに判断しなければならないので、かなり“要約力”を求められる。 講師の方の癖を知っておくとか、慣れるまでには時間がかかってしまうけど、毎回講師が違う場合は全く当てはまらない。 今日は要約筆記通訳者だけではなく、難聴者の方の参加もあり、実際に手話通訳とか、PCを使ってのいわば同時通訳が行われ、凄いなぁ、と思うことばかり。 普段から新聞紙面を通して、“要約”の勉強をしなければ。俳句なら17文字だけど、新聞の見出しが10文字。これで全てを語れるのだから、高度な技術だと思う。そして、やはり物事のとらえ方が一人一人違うこと。なので、どれが正しい見出しの付け方か。なんてことは誰にもわからないこと。場所と、時間と何が起こったか。そしてどうなったか。 “キーワード”という言葉もよく耳にするけど、何がポイントになるのか。ということでは的確に表した言葉だと思う。 紅葉真っ盛りの六甲山を電車の窓越しに眺め、三宮から一駅の灘駅からひたすら歩き。お天気が良かったので、ハイキング姿のグループもいくつか。会場の近くには県立美術館もあるので、そちらを楽しまれた仲間も。ともあれお天気に助けられた研修だった。
2008.11.30
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夢にトップの画像にお借りしている、JG6TYN=松山さんの猫が登場しました。画像の猫が、雄だったか、雌だったか確認しておりませんが、子猫が3匹。そして、私の頬をすりすり。 松山さんご自身の顔を拝見したことがありません。唯一の手がかりは、学生時代に写されたという、アマチュア無線技師の免許証。彼はそのまま免許証の画像をホームページで紹介されていましたので、その印象しかありません。 私の猫好きが講じて、そんな夢を見させてくれたのかもわかりません。 私が一番先に見送った身内は祖父。そして父。生まれたときから5人家族でしたから、幸いなことに見送った人の数は私の年齢では少ない方だと思います。 松山さんの母親は、夫を亡くされた4日後に息子さんを失ってしまったことになるようです。 昨年、地元のコーラスを一緒にしている人の旦那様が他界されるということがあり、まさか、自分たちの年齢で、旦那様とお別れしなければならなくなる人が出るだなんてこと、想像だにできませんでした。でも、旦那様が亡くなられたのが晩秋、同じ年の春には義父様とお別れしたのでした。 相次いでお二人も。なんてことがあることに驚きます。どうか、お身内の方にはお疲れが出ませんよう。。。と祈ることしか私にはできません。 松山さんのサイトで、実際に彼の名前が書かれた“通夜”の案内画像を発見したときには涙が止まりませんでした。随分遅くなってしまいましたが、どうぞ安らかに。。。
2008.11.30
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今日付け地元紙地方版に、この会のことが紹介されておりましたので、そのまま引用させていただきます。 『成ヶ島(洲本市由良町)の自然環境保護に取り組む市民グループ「国立公園成ヶ島を美しくする会」(花野晃一会長)が、結成から20周年を迎えた。同会はこのほど、長年の活動成果をまとめた冊子「国立公園成ヶ島を美しくする会20年の歩み」を発行。島の自然や生き物の写真をふんだんに使い、会が取り組んできた多様な活動を知ることができる。(高森 亮) かつて潮干狩りやキャンプなどでにぎわった成ヶ島。同会は、地域の財産ともいえる島の保全と再生を願い、地元有志ら15人で1989年7月に発足した。大阪湾からの漂着ごみ清掃活動や希少生物のハマボウ観察会など、環境保護と環境意識の啓発活動に取り組んできた。 今年は神戸で開かれたG8環境大臣会合に先駆けて、成ヶ島を会場にプレフォーラムが開かれたほか、老朽化していた国民宿舎が解体され、展望台やあずまやの整備なども進んだ。 一時は4百人にまで増えた会員数は現在120人。主要メンバーの高齢化もあり、地元にこだわらず幅広く会員を集めることなど、課題もある。花野会長は「年々活動は増え忙しくなっている。多くの人が参加してくれて、守るべき価値のあるすばらしい自然環境があったからこそ20年も続いた」と振り返る。 冊子では、淡路橋立と呼ばれた島の景観を取り戻そうと、悪戦苦闘しながら松を植え続けた活動や、生物調査やGPS携帯を使ったごみ漂着実験に取り組んだことなど、20年間の活動の流れを簡潔に紹介している。 千部発行。問い合わせは花野さん電話0799・27・0393番』 もう20年も前になるだろうか、かつて、「淡路島自然史博物館協会」に顔を出していたことがあり、何故か自然消滅してしまった会。その一方で、こうして成ヶ島を守ろうと必死で頑張っていらっしゃる人の存在があること。会が20年にも亘って存続してきたことを誇りに思います。 希少生物の宝庫であることにも着目すべきですが、心無い人たちによって踏み荒らされてしまうことも心配。 波の流れによって漂着するごみの数々。捨てなくても、風に飛ばされて海へ。という経路を辿ることもあるかもしれない。でも、水に溶けたり、土の中で分解する物ならば浮遊物として漂着したりはしない。 地球全体がまるでごみ箱のようになってしまった昨今。自分ちの庭だけを綺麗にするのではなく、飲んだ後のペットボトルの始末もきちんとしなければ。 こよなく自然の花を愛しておられ、ハムとしても沢山の仲間から愛されていた、松山さんが他界されたことを知ったのは最近になってから。松山さんからは本当に色んなことを学ばせていただきました。私より6つも年下の松山さんなのに、とてもしっかりしていらして、ときには兄のような存在でもありました。 バイクによる事故で脊椎に損傷を負ったこと、また手術のときの血液製剤によるC型肝炎に感染してしまったことなどを語ってくれました。写真などは動きを限られた指ででもシャッター機能が使えるように、仲間が工夫してくださったカメラで撮影されていたとのこと。 また、“さだまさし”さんをこよなく愛していらっしゃったこと。“さだまさし”さんから届いたお見舞いの葉書をとても大事に、そしてそれが自慢でもあったこと。。。 ネットでは随分嫌な思いもしましたが、彼の存在があったからこそ、ここまで歩んでこられた私です。本当に有難うございました。どうぞ安らかに。。。 彼がお元気だったら、きっとこういう活動にも参加していらっしゃっただろうと思い、敢えて引用させていただきました。また、彼のサイトでは福祉関連のリンクもとても充実しています。何かの参考にしていただけましたらと思い、リンクはそのままにしておきます。
2008.11.29
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出張を命じられて何日経っただろう。お天気になれば良いのに。と思っていたら朝の冷え込みのきついこと。普段は、家から車を運転しての出勤なので気がつかなかったけど、吐く息が白くなっているのに驚いた。 スカートなんて履くのは、今月に入って初めて(3日にはロングスカートだった)にも関わらず、ストッキング一枚の寒いこと、寒いこと。渋滞に引っかかったら大変。と鉄道輸送ではない淡路島から神戸市への移動には私は高速バスを使うので、思っていたのより1便早いのに乗ることにする。やはり、現地へは一番乗り。受付を済ませると、席はもう決まっていた。二人がけの席のお隣は、垂水からの人。 「震災のときは大変だったでしょう?」と、会話を切り出したのは私。開会の挨拶が始まるまで、今日初めてお逢いするにも関わらず、話が盛り上がってしまった。ま、同じ仕事をしている仲間なんだし。という思いもあったし、彼女の方が随分お若いのに。と思いながらも研修はスタート。 中に組み込まれていた発声練習。ハミングなんてのもあって、思わずここはどこの合唱団?みたいに思ったのは私だけかな?このお陰で、私自身は随分リラックスすることができた。 クレームの対応などについては細やかなところまで実践。というわけにはいかなかったけれど、それなりに中身の濃い2時間半余りの時間だったと思う。 一番最初に今日集まった人たちのうち、5人の人に挨拶と名前の交換、握手をしてみましょう。というコーナーがあり、片っ端から声をかけてみる。どうしても自分からは近いところに居る人に限定されてしまう感じだけど、これが案外スムーズに行った気がする。 ボランティアの講習会とは違い、仕事となると、やはり皆さんの目の色が違う感じ。そしてまた、職場へ戻っても、今日の報告が待っている。文章は嫌いじゃない。とは思いつつ、人に伝える難しさを思うと、つい筆が止まってしまう。えらいこっちゃです。。。
2008.11.27
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朝から珍しく兄からのメール。実は明日が父の命日だったこと、頭からすっかり飛んでしまっていた。神戸出張を言い渡されて、それ以来そのことしか頭に無かった。 今日は朝から診察予定を2ヵ月前に指定されていたので、年休扱いにはしておいたけど、夫が買ってきた大根の葉っぱは鍋に入れて食べ、肝心の白い部分はおでんに。と思っていたところだったので、診察予定時間までに卵と大根を茹でて。。。こんにゃくとかは診察後に買って。と予定していたところだった。 でも、父の命日をほったらかし。というわけにも行かず、兄が午後から休みにするというので、実家へは午後2時に集合することに。 母が入院していた間は、私が専門みたいにお墓参りをしていたのに、母が退院してからは、それは母の役目と、全く足を向けていなかった。どうやら、秋の彼岸以来兄もそのままにしていたらしい。 父が好きだった甘い物を買って、そして花屋さんでしきみを買っていざ実家へ。お天気が良かったから、しきみを買う間でも窓を少しすかしておかないと暑いぐらい。 それでも、雨の降り方が適度だったのか、お墓の花入れに入れられたしきみはまだ青々としている。誰かが入れてくださったものかもしれないけど。 戦時中に亡くなったという父には兄に当たる人のお墓、そして先祖代々と、何故か祖父母。母には実家のお墓が隣り合わせにあるので、知らない顔はできない。買ったしきみは5束。お仏壇へ少しだけ。そして兄が買ったお仏壇用のを合わせてお墓へ。 草にまみれていると思ったけれど、やはり近隣の方々が時折手入れしてくださったのか、思ったほど雑草は無かった。兄の奥さんと3人で手分けして、掃除をしたり水を入れたり。1人だとなかなかの作業も、3人だと手早くできる。 そのまま実家へ戻ってしばし団欒タイム。母には何よりだったようだ。気にはなっていただろうけど、自分1人では思うように動けないのだから。ってことは、お墓の守も母には任せないということになる。もう少し頻繁にお墓へ行く方が良かったのかな。 炊事や洗濯など、自分でできる範囲のことは自分でやっているのだから、これ以上のことを頼むのは酷というもの。眼科への通院も、整形外科への通院も、車から降りたら車椅子が良いのだとか。それも、自力で動かすタイプのものじゃなく、座っているだけの。勿論介助は兄。 理学療法士さんは、余り動かさないように、と仰るらしいのに、主治医の先生はひたすら動かすことを勧めるらしい。これってどうなのかなぁ。やはり、身体が思うように動かせないと、口ばかりが達者になるような気がする。次から次へと指示を出そうとするけど、そんなに母の言うようにはこちらは動けない。気になることは早く片付けてしまいたいのはわかるけど、頼み方ってあるよなぁ。
2008.11.26
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ロッカーのキーを、昨日は確かにジャケットの右ポケットに入れたはずなのに見当たらない。なので、早目に職場へ入り、総務に申し出てスペアキーを造る予定だった。ところが、ひたすら歩いて辿り着いた金物屋さんには、その鍵の種類が無いとのこと。今日は午後1時からのシフトだったから既にお店の中で12時半を回っている。そんな殺生な。と思いつつ、職場へ戻って、総務で借りたキーでロッカーを開けようとしても開かない。そりゃ、開かない筈だ。総務が渡してくれたのは、隣のロッカーなんだもの。一体、何のために1時間も早く職場へ入ったんだか。ロッカーが開かないのじゃ、着替えもできない。まぁ、キーを無くしてしまった私が悪いのだけど。 正直、キーにはキティちゃんのキーホルダーと、戴いた今年の干支のネズミに鈴が付いたのをくっつけていたから、簡単に見つかると思っていた。ところが。。。どこにもない。ポケットに入れておいたものが落ちたなら音で気がつく筈なのに。 誰かが拾って、もし私のロッカーの鍵だと知っていたとしたら、これは一体どういうことになるんだろう。別の人もたまたまキーを紛失したらしく、届けの一覧に名前を発見して驚いた。確か、入り口を入ったところの棚の上に、昨日置かれていた気がする。確かめたら、やはりその人のキーだったらしい。また、別の人は、結局見つからなかったとのこと。 ロッカーの鍵なんてそんなに大きくはないから、落としてしまったとしても気が付き難いようだ。 ロッカーに入れているものといっても、着替えくらいのもの。でも、貴重品となると、何だか気味が悪い。拾った人がいるならば申し出て欲しいけど、悪用されたりしたら怖いなぁ。明日が休みで、明後日が出張。2日連続で職場へは顔を出さないことになる。簡単に見つかると思っていた(というより、誰かが拾って届けてくれていると思い込んでいた)から、却って気味が悪くなってしまう。 そして、いよいよ勤務時間。事務所へ行くと、午前8時からのシフトの人が何やらもぞもぞ。3人居たのに、片付けられなかった書類が山の様に積まれている。しかも、3人のときは1人ずつお昼休憩に入ることになっているのに、1時からが3人だからと朝の3人が一斉にお昼休み。そんなアホな。なので、本来なら5人でできるところをずうっと3人で3時まで(休憩が終わっても、朝の仕事の遣り残しを片付けるのに必死だったから、3時からのシフトの人が来られるまで)こなさなきゃいけない有様に。これでは疲れが取れない筈。1時からの人のことなんて全く考えないんだもんなぁ。我が道を行く人ばかりが揃うと、1時から入る人はたまったものじゃありません。もう少し人のことを考えて行動しなきゃ。 昨日なんて、私ともう1人のたった2人だったのに、遣り残したりしなかったよ。しかも98件。3人で一体何やってたんだろう、ったく。
2008.11.25
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いつも素敵な画像を拝見させてくださるminsuke821さんに刺激されて。。。というわけではないけれど、庭石を撮影してみた。大きな石がいくつか並べられていて、そこは猫たちの日向ぼこの格好の場所にもなっている。それぞれ、好みの位置も決まっているらしいから不思議。人間でいうところの、枕の位置。みたいなものなのだろうか。寄り添っているところなどは本当にほほ笑ましい。 チラッと見える灯篭は、実は阪神淡路大震災のときに転倒してしまい、実はところどころ損傷してしまったけど、そのまま起こして外れてしまった部分を載せただけ。なので正確には垂直にはなっていない。なのでときどき私を惑わしてくれる。やはり、真っ直ぐなものは真っ直ぐになっていて欲しいので。バックにブロック塀があるので尚更気になるけど、気にしているのはどうやら我が家では私だけのようだ。処分するには勿体無いということで、そのままになっている。 猫が集まる石の足元は淡路島を模した池っぽくしつらえられていたらしい。今は何やら水を溜めてはいけない方角だったとかで、石が敷き詰められている。 結構、凝った作りの庭だと私は思う。楓、山茶花、ボケの花。そして球根類ではアマリリスが毎年目を楽しませてくれる。 亡義父はこの庭を何度愛でることができたのだろう、雪見障子越しに。なんてことはあったのかなぁ。
2008.11.25
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NPO法人KHJ香川県オリーブの会第77回月例会に参加し、「立ち上げから現在までの道のり」と題して小規模作業所 にしき工房所長 小西由季子さんより説明があった。 『高松に在住する心身障害者で就労困難な在宅者が共に生活学習、技術学習、余暇学習などを行い。。。』と要覧には述べられている。 最初はクッキーなどを焼いて販売するだけだったのが、喫茶コーナーを設けたり、手作りの惣菜やお弁当の販売も行っているとのこと。利用者を知的障害者ということにしているので、専門的な調理作業などは職員が、そして、例えばコロッケを作るときのジャガイモを洗ったり、皮を剥いたりの作業を利用者に担当させているとのこと。 丁寧にやるから時間がかかる。だからこそ一般の企業には馴染めない。。。見た目はどこに障害があるのかわからないような人の方が今は苦労しているというような話があった。 地域に根ざしたグループということで、立ち上げには地区・学校区の社会福祉協議会、民生委員さんが多数関わってくださったとのこと。 子どもたちの将来的な不安を抱えたお母さんたちがことを起こされて、ここまでになったこと。そして間もなく地域支援センターとしての位置づけが始められることなどが説明され、それでも安心材料ばかりではないこと、厳しい現実が語られると、何かできることから。と思わずにいられない。 『全て手作りで、国産小麦、甘藷糖、PHF、さくら卵を使用し、材料にこだわった自然派お菓子です。ご予算。ご希望に応じて詰め合わせ、ラッピングいたします。ご相談ください。』 また、『前回の月例会より』として、香川大学教育学部准教授・臨床心理士 竹森元彦氏による講演内容を添付ファイルで案内とともに送ってくださり、とても目を惹いた事柄がありましたので、少しだけ引用させていただきます。 『人生というのは一昔前は、なだらかな坂道を登る形で人生を送っていた。学校の先生になろうとか警察官になろうとか、見える目標が比較的はっきり分かり易かった。近くに居た。今の子どもたちは険しい坂道を登っていっている。何回も何回も峠のある坂道を登っていて、銀行がつぶれたり、証券会社が崩壊してしまったり、簡単に首相が変わってしまったりとか、何を目標にしていいのか分からない中で生きている。とにかく一生懸命は汁のだが、それもうまく行かない。険しい坂道がいくつも人生の中で出てくる。。。』 『人間というものは回復していくもの。時間と栄養が必要。ゆったりした時間を持てると回復していく力をもっている。それに任せていればだんだん回復してくる。ひきこもらずに、ずっと生き続けることは不可能である。』 時間にもよるけれど、ある程度のひきこもりは誰にも必要だということ。何となく納得できたような。人間誰しも一人になる時間はとても大事だと思うし、四六時中誰かと一緒というのはやはり疲れてしまうだけだ。 介護保険を受給(利用)するためには要介護認定が必要になる。介護の度合いによって、利用額が決められる。が、これも高齢者にのみ通用する制度で、病気の場合は、いくつかに限られることになっている。ただ、若い人の場合、精神障害などには適用されないようで、これも言ってみれば片手落ちな制度じゃないか。というような意見もあった。 高齢者でいうところのデイサービスみたいなとらえ方をすると、にしき工房を立ち上げた目標とは違う方向に行ってしまいそうだけど、何らかの障害を抱えてしまった場合でも、自分自身ができる範囲のことで社会に参画しているんだ。みたいな促しができたら今元気な人たちにとっても、大きな救いになりそうな気がする。人間誰しも明日のことはわからないのだから。 また、意見として、時給自足の時代から、今や全てが企業人になってしまったことで、企業に馴染めない人たちが出始めたこと。。。 そして、究極はやはり、「人に迷惑さえかけなければ」という、後半のビデオ学習からNHKで放送された「ハートをつなぐ」から「大人のひきこもり」に出演していた一人の言葉。この父親からの言葉で随分楽になったと仰る。 誰だって、背中に重い荷物を背負って生きているわけだけど、少しだけ軽くしたって良いと思う。また、他の人による働きかけ。だからこそ訪問サポート士としての活動が期待される部分が大きいと思う。ただ、サポートする側にもそれなりの学習が必要だし、サポートのあり方というものを学ぶ機会がもっとあってもと思う。
2008.11.23
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正直、我が家の付近には牛を飼っていらっしゃるお宅が多く、自然と空気や香りそのものを楽しむには程遠い日があったりする。洗濯物などにも匂いがうつってしまうし、空気そのものがその匂いなのだから、これはもう慣れるしかないけど、珍しく甘い香りが漂っているのに気がついて、見たら白い花が沢山。以前、季節はずれの不思議なヒイラギを紹介したけれど、その、同じ木に花が沢山ついている。甘い香りはこちらから漂っていたもの。ここへ、バックの山茶花の赤が加われば、そのままクリスマスカラーが揃う。 手入れが行き届かず、花をつけるのかどうか心配だったけど、私の手の届かない高い位置で花を付け始めたので画像がなくてごめんなさい。 また、石垣の中側に紅葉と隣り合わせに山茶花が植えられており、その山茶花も虫にやられたりして、一旦坊主状態に刈り取ってしまったため、こちらも花をつけるのかどうか心配だったけど、何とか赤いのが見えるようになった。蕾もいくつか発見。 白、緑、赤が揃い、クリスマスカラーそのものだ。庭そのものは義父が丹精込めた。。。というより、やはり専門家に頼んだらしく、池の周りに花も楽しめるようにと山茶花。そして春のアマリリス、ボケ。。。四季を楽しめるようにしつらえられているのは見事だと思う。 以前は、通り門があって、牛小屋があって、庭そのものの存在があやふやな感じだったけど、今は牛小屋も通り門も取り払って、存在感を増したと思う。 あるじは客間の障子も『雪見』にすることで、お客様をもてなす工夫がされている。。。と、この家へ初めて来たときに驚いた。というか感心させられたものだった。今は、当時のあるじ殿(義父)はとうに他界し、義母が一生懸命維持している。庭木の手入れを自ら買って出てくれる人もできて、義母は草抜きの手を休めない。観て楽しむ側の私。本当に有り難いこと。
2008.11.23
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桑の枝はとても硬い。枝の先の方に表情があるのを選んで体に、そして用。中間添えにはアルストロメリア。そして、もう一本のアルストロメリアは控えの花様枝として留めを兼ねて右後方へ。根〆にはタゲテス、モンステラを。タゲテスは適当に小さく分けて使いながらもある程度高低差を出して。二枚のモンステラの一枚はアルストロメリアとタゲテスの間へ。そしてもう一枚は思いっきり前へ出す感じで茎をちょっと剣山に押し付けるようにして前面に出す。 前回に入れたのが6日。ストック以外のものがまだまだ元気なので、タゲテスの余りを添えたので、今日の花器は角型になってしまった。師匠宅では丸いのを使ったのでちょっと感じが違うけど、ま、こんな感じかな。モンステラの扱い方がイマイチ。 午前8時からのシフトを終えて、駐車場への坂道を駆け上がり、少し汗ばむ感じで師匠宅へ。流石に、私のことを思ってか暖房を止めておいてくださった。流石! 桑はどうしても硬いので、根元を十文字に切って入れる。タゲテスは茎が細いのでなかなか形が決まらないけど、何とか基本の形にまとまった。前回のがまだ玄関を飾ってくれているので、今日のは床の間へ。寒いから少しでも長持ちしそうな。
2008.11.20
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つい、ウッカリ。というわけではないけれど、前をよろよろと自転車の男性が走っていたものだから、それに追随する感じに一旦停止を無視して交差点へ出てしまった。右折して、自転車の男性は銭湯へ入ろうとされ、またもや自転車を停める場所を探してウロウロ。なので、ブレーキペダルに足が。そして、走り出したところへ一台のバイク。背中には『兵庫県警』なる文字が。 やっちまいましたねぇ。そして、反則金が何と!7000円。その警察官も、気の毒そうに仰る。「自転車にばかり気をとられていたから、停止を忘れたのですよねぇ」その通りだった。当てたらこちらの負けだと思うから、スピードも出せない。でも、一旦停止。。。のつもりが、タイヤは動いていたようだ。なのでアウト。 18年に更新されたとき、ゴールドとばかり思っていた免許証が、たった1回のシートベルトでアウト。5年間有効だけど、青いのだった。今度こそは。と思っていたのに、こんなところでつかまるとは。といってもまぁ、事故を起こしてしまったと思えば安いもの。 一旦停止は完全に停止すること。「あなたは曲がってからブレーキを踏んだでしょう?」ゆっくりゆっくりだったから、確かに停まったのやらどうやらわからないまま交差点を右折してしまったのは確か。 反則切符を切っているとき、前を携帯で話しながらの自転車。それには目もくれずに、ひたすら切符に専念していらっしゃる。ま、違反というのはこういうものなんだろうなぁ。 3ヵ月は猶予期間があって、その後はマイナスが消えるらしい。でも、またしてもゴールドを逃してしまった。5年は5年だけど、重みが違う。今度こそ! 皆様、お気をつけくださいまし。一旦停止は完全停止でございますゆえ。。。
2008.11.20
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やっと、できたんだ!という感じで、やはり18日付の地元紙、淡路版で見つけた記事。そのまま引用させていただきます。 『豊かな温泉をPRし観光客の増加につなげるため「南あわじ温泉郷連絡協議会」はこのほど、ホームページ(HP)を開設した。関連施設が一目で分かる温泉郷マップを掲載し、周辺観光スポットも紹介。幅広い情報を見やすく集約している。 同協議会は、温泉観光地や健康保養地として地域振興と発展を目指し、南あわじ市が誕生した2005年4月、市内の旅館や民宿が参加して発足。現在は36施設が会員になっている。これまで看板やパンフレット、テレビを通じてPR活動を続けてきたが、効果が見えにくいとの指摘も出ていた。 HPでは市内6つの泉源の泉質や効能を紹介。外湯や足湯など湯巡り情報も豊富に盛り込んだ。また、マップから直接、会員宿泊施設や温浴施設のHPへアクセスすることもできる。 同協議会の田辺孝宏会長は「現代は情報源としてインターネットが主流になりつつある。さまざまな施設とリンクしているので相乗効果も生まれれば」と話している。 ホームページアドレスはコチラ(橋本 薫)』 『さまざまな施設とリンクしている。。。』というのが便利だと思う。どれも冷泉と聞いたような気がするけど、効能のほどはどうなんだろう。地下から湧き出る温泉。体には良さそうな。皆さんも是非!
2008.11.19
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18日付け地元紙淡路版に、喜ばしい記事とは裏腹に、『生活相談 「ネット詐欺」増』なる見出し。そのまま引用させていただきます。 『淡路生活科学センター(淡路市多賀)に寄せられた本年度上半期の消費生活相談で、ネットを悪用した不当請求や多重債務などの相談が増加していることが、同センターのまとめで分かった。総件数は525件で、前年同期より40件(7.1%)減ったが、同センターは「トラブルがあればすぐに窓口に相談してほしい」と呼びかけている。 総件数は過去5年で最も少なかった。昨年最多だった「架空請求」が42件で、前年同期比64.1%の大幅減となったのが大きな要因という。 世代別にみると「70代以上」だけが増加しており、前年の1.8倍の83件だった。昨年発足した「淡路くらしの安全・安心ネットワーク会議」を通じて地域で高齢者への働き掛けを強めた活動などの影響が考えられるという。 高齢者の特徴的な相談として、電話で「皇室の写真を送る」と言われ、高額な振込用紙とともに送られてきたという事例が相次いだほか、住宅リフォーム関連も目立った。 品目別では「電話・インターネット等関連サービス」が76件(同11.8%増)と最多。うち「ワンクリック請求」が29件と4割近くを占めた。次いで「フリーローン・消費者金融」が54件(同12.5%増)。ほかに、今年6月に倒産したエステティックサロンに関する相談が24件あった。 相談や問い合わせは同センター電話0799・85・0999 (石田 雅志)』 淡路島みたいな田舎だからこそなのか、田舎なのになのか、結構被害に遭っていらっしゃる方が多いのに驚く。架空請求とか、変なところからの葉書一枚で慌ててしまって、問い合わせをすると、そのまま料金を請求される。みたいなこともあったようだ。 簡単にお金を渡さない。振り込まない。大慌ての息子さんの声に、「飼っている犬の名前は?」これが案外効果があるようで、妙な手には引っかからないためにも、電話には慌てないことが必要だと思う。
2008.11.18
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本当は15日の時点で、今月23日以降4週間分の勤務指定が決まるはずだったのに、一体どういうわけか、何の音沙汰も無い。1週間前には決定。ということが法律でも決まっているらしいのに。 11月に入って、私的にはコンサートへの参加であったり聴く方であったりが多かったので、連休の希望を2回申し出て、そして明日は、久々の平日休み♪今のところ予定は何も立ててないので、のんびりと過ごせそうな。と、明日のことは明日になってみなければわからないのが正直なところ。何しろ、新聞を読んでそのまま神戸へ行ったり。などということをしてしまう私なのだから。 本当は、お友達を誘ってランチでも。なんてシフト表を手にしたときは思っていたのに、早くも明日になってしまったので、今さら声をかけるわけにもいかない。 お天気が良ければ良いで、主婦には大忙しの一日になりそうだし、まぁ、起きたときの気分次第ということにしましょうか。第三火曜日だから美容院ってわけに行かないんだよなぁ。
2008.11.17
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今日の地元紙『正平調』では、不登校について述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『その女性は中学3年のときに不登校になった。親などの期待に応えようとするあまり、「本当の私を見失った」という。そして不登校の子どもを対象にした朝来市の高校「生野学園」に入った◆女性は続ける。「スタッフは私が落ちた暗く深い穴まで降りてきてくれた。でも穴から抜け出すのは私自身であり、抜け出す手段を見つけるのも私」。詩や親友と出あいながら、自分を見つめようとする一人の少女。宇都宮誠学園長がまとめた「生きるための学校」(日本評論社)に載っている卒業生の体験談だ◆不登校児と向き合う全国初の高校・生野学園は、今年で開校20年目になる。6年前から併設する中学校を含め現在、約百人の生徒が教職員と一緒に寮生活を送っている。今月23日には記念の式典を予定する◆宇都宮さんは語る。「国は“不登校は誰にも起こり得る”と簡単に言うが、本人や家族にとって痛ましい現実に変わりない。十代のうちに人と深くかかわる。自分はかけがえのない存在と実感する。そんな教育を続けたい◆生野学園を創立した姫路市の精神科医森下一さんは、不登校が抱える背景に、「希薄になった親子関係」を挙げる。親と子、さらに地域と親子の関係をもっと強くするため、多彩な体験をしてもらう「てらこや」活動を全国に広げようとしている◆冒頭の女性は5年前に保育士になった。自分を必要とする人がいる。その手応えが、社会へ踏み出す力になった。小さくとも、心を温めてくれるともしびのような存在。これまでに生野学園が送り出した少年少女は、560人になる。』 気になったのは、『希薄になった親子関係』という言葉。同じ屋根の下にはいるけれど、それぞれが個室にこもってそれぞれの好きな時間を過ごしている風景。一家団欒とは程遠い環境。“うざったい”とかの言葉が頻繁に飛び交う関係。社会を形成する一番小さい単位であるはずの家庭がこれでは学校を卒業して社会人となっても、社会に馴染めるはずがない。そんな風に思えてしまう。 学校へ通う間ならまだ“学生”として保護される。ところが、学校生活を終え一旦社会に出てしまうと、もうそれは“社会人”としての振る舞いを要求される。上司の叱咤激励であったり、会社人としての共同参画。家で個室にこもっているのとはわけが違う。 当り前だけど、まるで社会へ放り出された感じ。社会人になって先ず思うことだと思う。暑いからといって夏休みがあるわけじゃなく、毎日、決まった時間の出社。勿論好き放題なんてできるはずがない。 “親などの期待”。。。親にとって子どもというのは世界一なんだと思うし、それが当り前だと思う。ところが、その期待が子どもを押しつぶしてしまうという気がしてならない。何も、揃いも揃って東大へ進学することはないと思うけど、“約束された未来”があるとするならば、やはり高学歴ということに拘ってしまうかも知れない。確かに、私が高校へ通っていた頃に比べると、随分レベルが上がったと聞く。80点で喜んでいては駄目で、みんながみんな100点を目指しているらしい。だから、学校の授業だけでは物足らず、塾通いが始まる。少しでも家計の足しにと、母親はパートに出なければならなくなる。家族の誰もが忙しい思いをしている中、家族団欒の図など描けるわけがない。 本当は試験で良い点取るよりも、毎日休まずに仕事に出ること。このことがどれほど大切なことなのか、社会へ出てみなければわからないというのも、どうかなぁ、と思えてしまう。仕事の単位でのグループ。グループの和。学校生活における友達づくりと共通している気がしてならない。人間なんて、所詮一人では生きては行けないのだから。
2008.11.16
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神戸文化ホールにて午後4時から神戸フィルハーモニック第57回定期演奏会。今回のテーマはブラームスということで、第一部はハンガリー舞曲集。21曲の中から10曲を集めての演奏。そして、第二部は数少ない交響曲の中から最後の4番を。 いつもの席に陣取り、フルート奏者の席を確認。しめしめ。私の席からは正面になる感じに。と、演奏会なんだから、奏者を観るのじゃなく、あくまでも音を聴くのが目的のはず。でも、やはり観えるにこしたことはない。 私が知っている彼女が登場するのは第二部。そして、見事なソロを披露してくださる。これがジャズのコンサートなら、スポットライトが当たって、ソロの演奏が終わったら拍手喝采というところだけど、クラシックだと、こうはいかない。それでも光輝く。という感じの音色に暫しウットリ。 弦楽器だけでもこの響きは出ないと思う。神戸フィルハーモニックは、ブラスにもかなり厚みがあって、だから私の好きな音になる。コントラバスが7本。。。これが多いか少ないかはわからないし、曲にもよるかも知れないけど、かなり迫力は増すと思う。 音の好みというのは本当に人様々だと思うけど、弦楽器のみに頼らず、管楽器もふんだんに使われているところが音をより厚みのあるものにしていると私は思う。 それにしても、こんなにたくさんの曲を見事に仕上げてしまうのはさすがだと思う。コンサートの前には必ず朝比奈先生が演奏される曲目について細かに説明してくださる。それがまた楽しみの一つでもある。よりわかり易く、物語ってくださるから自然に頭に入ってくるから不思議。 「ハンガリー舞曲第5番」は、実は今愛車で掛かっている、フジコ・ヘミングも奏でていらっしゃる。なので毎日のようにピアノで聴いていたので、今日は改めてフジコ・ヘミングの素晴らしさに納得できた気がする。 11月に定期演奏会があって、年明けにはニューイヤーコンサートが既に予定されている。何というハードなスケジュールなんだろう。合唱と違って、暗譜なんてことはないにしても、それに近いことを要求されるだろうに、凄いね。 改めて定期演奏会、本当にお疲れ様でした。そして、感動を有難うございました!
2008.11.15
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本当はこの時間、尼崎市にいなきゃいけないことになっていたのに、こんなことしてます。“尼崎”のことが完全に頭から飛んでしまってました。なので、少し早目のお昼を済ませたら、午後4時開演のコンサートに向けて家出。今日のイベント参加は一つだけということに。 ボケに良く似た色のものを庭で発見して携帯を近づけてみました。サボテンそのものはとても小さいのに、何やら赤いものが一杯。それが蕾なのか、既に花が咲いた後なのかわからないけど、こんなに小さいのに、ちゃんとこうして生きてるんだ!と驚いた次第。何時の間に、こんな狭いところに芽を吹いていたものか、全く気がつかずにいた。庭の手入れなどは主に義母が担当してくださるので、私は、花が咲いたといっては近づいて携帯を近づけるだけ。 また、先日入れた赤芽柳。水盤に入れた残りをガラスの花瓶に挿しておいたら何と白い根が出ている。だからまだまだ元気なんだと実感。赤芽の赤い殻のようなものが取れると白い。。。それが花の部分なのかな?猫柳のあの白い部分っぽいのが顔を出してくれる。既に殻が取れたのもあって、一体、今が秋なのか、春なのかわからない。
2008.11.15
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ここのところ朝の冷え込みがきついので、冬用のあったかインナーの着用を始めた。そしてジーンズの下にはパンティーストッキング。今朝は午前8時からのシフトだったため、やはり昨日と同じように着込んで行った。すると、やはり駐車場までの坂を上がると、少し汗ばむくらい。お日様がギラギラと照りつけていなかったのが私には幸いだった。でも、車の中はちょっとしたサウナ状態。やはりエアコン無しではきついものが。 流石に暫く走ればエアコンなど要らなくなる。少し窓を開ければ済むことだけど、雑音を入れたくないので、ついついエアコンに頼ってしまう。 そして、パソコンを置いている場所そのものが我が家では一番北の端なので、やはりホットカーペットのスイッチを入れてしまう。 さて、一体鍋物が食べたくなる気温というのはどのくらいなんだろう?19℃では暖か過ぎるかなぁ?昨日とはうって変わって、いかにも雨の前を思わせるかのような曇り空。そして、湿度も結構上がっている。風邪の菌にとってはいや~な湿度かもしれないけど、私にとっては有り難い。でも、明日は何パーセントかの確率で雨になるのだろうなぁ。 何故か、夫が鍋物用の具材を買っていたものだから、朝から夕食は鍋と決めていた。でも、気温のことまでは想像がつかなかった。鍋は失敗だったかもしれないけど、生ものをいくらチルドルームとはいえ、そのままにしておくわけにはいかない。購入したのが昨夜だから、既に一晩経ってしまっているのだ。 正直、消費期限があるような、生ものの購入は避けたいところだけど、買ったものを捨てるのはもっと嫌なので仕方なく。。。なんて言ってしまうと、夫には悪いかな?昨日のうちに冷凍室へ移動しておけば良かったのかなぁ?
2008.11.14
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地元紙経済欄の隅っこでみつけたこんなタイトル。『ねこ鍋ネコらの日々』“7”とあるから、シリーズで掲載されていたのだろうか。全く気がつかずに7回目?残念なことをしてしまったなぁ。まぁ、処分してしまった古新聞のことは仕方がないので、今日のをそのまま引用させていただきます。 『デロカリデロカリ…。 「きれいの呪文(じゅもん)を唱(とな)えるように毛づくろいする猫たち。ぱあと開いた指の間、そして背中も忘れずに、デロカリデロカリと舐(な)めてとかします。 よく手入れする自慢の毛だからこそ、陽(ひ)のあたる場所ではふわふわと毛先がきらめくのでしょう。そんな猫たちに続けとばかり、天気の良い日には、ありったけの布団をひっぱり出します。ベランダや庭の物干しに一斉にかけられた布団は、風と光を浴びながら四角い影を落とします。わが家の猫たちにとって、絶好の日傘。 6匹の猫たちは影に入ると、「仕上げです」とばかり、お互いマッサージするように磨き上げるのです。まさに猫の手を借りて、洗いにくい舌の死角もぬかりなし! たまに、猫たちがぐるりと円になって座り、それぞれの前の猫の背中を毛づくろいしているのを見かけます。なんともほほ笑ましい光景です。 私も猫たちのみけんをそっとなでてあげると、気持ちよさそうに目を細めてくれます。猫たちも、私のほおやおでこをデロカリデロカリ…。 「デロカリ」とは方言で、ペロペロとガリガリを合わせたようなもの。 猫の舌はザラザラしていて、なめられるととても痛いのですが、猫の愛情表現と思うと幸せ!顔のほうは、あきれるほどにやけてしまいます。 特に、ましゅまろ大仏はけなげな子。鼻の頭がもう限界だ!とヒリヒリいうまで一生懸命です。 もう駄目だと目をそむけたところで、猫足は私の顔を押さえつけ、おろし金のような舌が迫り来る!そこで私は観念して目をつむり、せめて鼻と口だけ手で守ります。 布団の影から、家族の声が聞こえることも。 「いででで、痛ぇますちゃ!」 猫たちに手招きされるのは、私だけではないようです。 (エレファント=愛猫家)』 エレファントさんのご家族皆さんが猫好きでいらっしゃること、手に取るように伝わってくる。だからこそ、6匹の猫ちゃんたちも仲良く暮らせるのだと思う。 猫は本当に気持ち良さそうに目を細めてくれる。顎の下などは特に。そして、やはりみけんなども気持ち良さそうだ。だからこちらも手を止められない。。。 事情で猫を飼うわけにはいかないけれど、長いこと猫を触っていないなぁ。不思議と感触だけは手が覚えているんだよなぁ。
2008.11.13
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勤務先からちょっと離れた小高い場所に駐車場を借りている。坂を下りる途中で、何と、東浦(淡路市)にそそり立つ観音様を発見して驚いたことがある。これでお天気が良かったり悪かったりがわかるような。 昨日は、淡路島からは明石海峡を挟んで対岸の恐らく神戸市辺りがくっきりと見えていた。念のために傘を持って歩いていたのに、不思議な光景。ところが、こんなに良いお天気なのに、昨日と今日では見え方がまるで違う。一体、どういうことなんだろう。澄み渡った青い空が限りなく続いている感じなのに。 勤務先へ向かって歩く右側は山になっていて、最近特にカラスたちのランデヴーを見かけることが多くなった。それまではトンビが悠々と輪をかいていたのに。これも季節の移り変わりということなのかなぁ。やがて巣からは雛が巣立ち、越冬となるのだろうか。いや、それとも雛のままで越冬というのは余りにも厳しいだろうから、巣立ちの時期ということかな? 本当に気持ち良さそうに飛んで見せてくれる。そしてトンビなど、間近で見る機会がなかった私には、トンビが案外人に近づいても平気なのが不思議に思えて仕方がなかった。 カラスなど年中見る鳥ではあるけれど、やはり、季節によって行動なども違ってくるのかなぁ。と、そんなことも今まで考えたことさえなかったのに、最近、毎日のように滑空に出会っていると、今まさに、カラスたちには恋の季節だったりするのかなぁ。 11月22日を“いいふうふ”なんて決めたのは勿論人間だけど、生物たちにとっても次代へ繋ぐ良い季節ということなのかなぁ?“猫の恋”は春の季語だったような気がするけど。 まるで吸い込まれるような、青い空。こういうのは眺めていても本当に気持ちが良い。早朝見上げた空に満天の星だったから、お天気が良くなるだろうとは想像していたけど、気持ちまでウキウキしてくるから不思議。
2008.11.12
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見つけたのは昨日。庭に何か小さい赤い物を見つけて近づいてみたら、今にも開きそうなボケの蕾。そして寄り添うようにもう一つの蕾。ここまで大きくなるのには数日かかっているはずなのに、気がつかなかった私。申し訳なさに携帯を近づけてみた。でも、こうやってUPしてみてわかることなんだけど、何だか、下草の方にピントを合わせて撮ったかのような。目でちゃんと確認しているつもりなのに、どうも様子が違う。手元が震えていると見事にボケた写真になってしまう。そんなに手の動きに合わせなくてもなぁ。と思うのは、前回使っていた携帯の方が私には馴染んでいたからかなぁ。 手振れ防止なんて、デジカメかビデオにしかセットされていないのかなぁ、それともカメラも性能が良くなると、手振れっぽく写る。なんて技が加わったりするのかなぁ、ならば私には高級過ぎて。
2008.11.11
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念願どおり休暇が取れたので、結婚記念日を前に、観劇後は宝塚ホテルで宿泊ということになった。 予め、出張が決まっているという場所の下見。高速バスは三宮止まり。JRに乗り換えて神戸駅で下車。道なりに進むと、目的地は直ぐにわかった。そして、歩いて三宮まで戻り、今度は阪急で宝塚南口まで。宝塚南口到着は何と正午かっきり。思い切ってホテルへ入ったら、そのままチェックインが許された。 部屋をチェックして、荷物を置き、暑いからと着ていたベストも脱いで、ちょっとくつろぎながらコーヒータイム。宝塚歌劇団上演中の写真をプレゼント。なんてのもあって、応募してみることにする。7日が初演のステージ写真などあろう筈がなく、それでも、可愛い人だと思う写真をチェックして応募してみることに。当選発表は景品発表を以って。ということなので、届かなければそれまで。 いざゆかん。宝塚歌劇場。宝塚南口駅からだと、橋を渡ることになる。雨量を物語るように、水量が豊富な気がする。 歌劇場に入ると、やはり女性が一杯。当り前なんだけど、男性は圧倒的に少ない。先ず、プログラムを手にする。そして、待つこと数分で開場時間。 第一印象は、女声の声の伸び。オイオイ、どうしたの?という感じ。練習で喉を潰したのか、どういう理由なのかわからないけれど、“宝塚”を期待していたのだから、ちょっと話が違うんじゃないの?と思われたファンの方は多いのじゃないかなぁ。 やはり、内容もそうだけど、ステージのセットにはいつもながらに目を見張るものがある。私自身は、どの方のファンということではなく、正直、この公演が“月組”だったということもホテルのフロントで手にしたチケットを見て初めて知ったという感じ。熱心なファンの方には叱られてしまいそうな。 ただただ『源氏物語千年紀』ということで、とても興味があったから観たいと思った。というのが正直な理由。主演の匂の宮さんを男性トップスター瀬奈じゅんさんが演じられるなどということにも目が行っていなかった。 第二ステージはうってかわって、ショータイム。このときの指揮が何と、女性だった。指揮が。と案内があったとき、第一ステージでは、スポットライトを浴びての登場だったのに、第二ステージでは無かった気がする。どの場面でも女性が大活躍するのは本当に嬉しい。歌劇が主なのだから、オーケストラピットなんて観えるわけがない。ひたすら音を楽しむだけ。 ステージを観ていつも思うことは、宝塚歌劇団の一員だ。という意識がとても高いということ。音の一つ一つに手を抜かない演奏。まぁ、それがプロといえば当り前の話かもしれないけど。そして、この音がなければ宝塚歌劇だって、味気ないものになってしまうと思う。 二つのステージを終えて、ご挨拶に立たれた瀬奈さん。ちょっととちってしまわれて、思わず会場から笑い声が。緊張の連続で初日を無事に終えられたこと、その喜びやら、色んな思いがあふれ出たのだと思う。初日を終えられ、これからが大変だけど、どうかお体には気をつけられ、無事に千秋楽を迎えて欲しい。淡路島からじゃ、そう何度も足を運ぶというわけには行かないけど、ステージを創り上げた全ての皆さんに、感動を有難う! 二日目の8日は、宝塚市内で繰り広げられるという『音楽回廊』を楽しみにしていたのに、ちょっとリッチにと食べた夕食に、アボカドとか、からすみが加わっており、それが体調を崩す原因となったのか、ホテルに11時半まで滞在することとなり、あえなく退散。すごすごと淡路島へ引き揚げることに。新聞によれば、元町でも高校生たちによるジャズストリートみたいなイベントがあったような。知っていれば、そっちを楽しめたかも知れないのに。と、9日が仕事だったため、その方が私には心配で、おとなしく帰ることに。 いつもながら、公演に合わせたピアノ演奏のCDが発売されるようで、ホールのロビーに置かれた自動演奏のピアノでもムーディな音が会場の音を伝えていた気がする。目で観て楽しむ人、私はまだまだ耳で。の方が勝っている気がするけど、だからなのかな。喉の調子が気になったのは。ごめんなさい。
2008.11.10
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結局は10月もお休みして、本当に久々のお稽古。10月には思い立つようにして、大丸神戸店で行われた秋のいけばな展へ一人で行ったことを先生に話したら、「チケットあったのに」と言われてしまったけど、それは仕方ない。新聞を目にしていなかったらわからなかったことなので。 珍しい赤芽柳を体・用・留に、初心に戻って体芯Aという形に。中間添えにはレウカ。根〆にスプレーストック、赤クロトン。赤芽柳にしても、レウカにしても、赤クロトンにしてもよく似た色合いの「赤」がポイントになっていて、スプレーストックも、白でありながらほんの少しだけピンクを帯びたような。 レウカも、葉っぱの感じがこれに似たような、キングプロテアというのを入れたことがあって、あれは重くてどうにもならない感じだったけど、今回は2本。そして赤クロトンも2本。スプレーストックは大きいのが1本。それをブロッコリーみたいに小分けにして使う。 赤芽柳を見たときは、正直「もう春なんですね」と驚いた私。でも、赤芽柳は今の季節にピッタリ。というのも、紅葉を連想させるところからなのかな。家に居ながらにして、「紅」が楽しめるのは有り難い。芽吹いてくるとやはり殻が取れてネコヤナギっぽく銀色のが出てくるから不思議。 7・8日と外出していて、ずうっと雨模様だったもので、入れてから少し経っての撮影になりましたが。。。
2008.11.09
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母は「要支援2」。これだと、週に2回まではデイサービスを利用できるらしい。行くかどうかは母次第。送迎もしてくださるとのこと。入浴も気が向いたときだけという利用ができるらしい。「気が向いた」だから、全く利用しない。という場合もOKなのだとか。 母の場合、視野狭窄が入っているのと、何しろ足元が無用心なため、全く初めての場所へは行きたがらない。そして、お手洗いの場所がわからない建物だと、とても不安に思えるようで、本当に外出を好まなくなってしまった。 暑中見舞いの葉書をたった一枚出しておいただけなのに、わざわざ携帯メールを送ってくださったケアマネさん。昨年、母が手術をすることになったときも、随分心配してくださった。本当ならば、このかたを母のケアマネさんにお願いしたいところだけど、色々と仕組みがあって、こちらが思うようには行かないのが現実。 とても親身になって考えてくださるし、栄養のことも勿論だし、これから先のことを考えると、「認知症」とかが加わる前に。と仰る意味がよくわかる気がする。 一日を家で過ごしている母は、横になって過ごすことが多くなってしまった。確かに、横になっているのは楽だけど、運動量としては全く足りていない。そして食事量はというと、減らない。そりゃぁ、太るのが当り前。 目や足のせいにして知らないところへは行こうとしないのはわかるけど、他の人と交わることも大切だし、少しは気分を変えて違ったところへも出かけて欲しい。今出かけるといえば、週に一度のリハビリだけ。それと、眼科医院への通院。傷跡が痛いからと、尚更出るのが億劫になってしまったようだけど、何か外へ出るきっかけを作って、新しい仲間と会える楽しみみたいなものができればと思う。 施設のパンフレットをいただいて、母には目を通してもらっているけれど、兄がどう判断するか、要は本人次第ということになるけど、たまにはみんなで歌を歌ったり、笑ったり。そういうことが「認知症」を遠ざけるのであれば、きっかけを作るのは私たちの役目かなと。 まだまだ自分で自分のことができるなら有り難いと思わなきゃいけないかな。でも、今の状態から悪くならないためにも、デイサービスの利用はとても良いことな気がする。目先の変わったお昼が楽しみ♪なんてことになってくれれば良いのになぁ。
2008.11.05
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今日付け地元紙の『正平調』では、兵庫の山について述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『兵庫県のほぼ中央部、宍粟市一宮町と朝来市の境にそびえる段ヶ峰に登った。山道にはリンドウが咲いている。標高1103メートルの山頂にたどり着くと、一気に360度の展望が開けた◆北西に望む県内の最高峰・氷ノ山は、頂に薄い雲がかかっていたが、南東は千ヶ峰から笠形山、さらには砥峰高原、南は播磨灘まで見渡せる。周囲には標高千メートル前後の尾根が連なり、兵庫は山国でもあることを実感する◆段ヶ峰は、宍粟市が今年3月に剪定した「宍粟五十名山」の一つである。市域の9割が森林の同市で、山を観光資源にしようという取り組みだ。選定委員会のメンバーがそれぞれの山頂に標柱を立てたり、ルートマップを造ったりしている。既に五十名山すべてを踏破した人には認定書が渡された◆段ヶ峰へは、選定委員会会長の須磨岡あつむさんと一緒に登った。本格的に登山を始めて、もう半世紀になる。名だたる山にも挑んだが、気持ちが休まるのは慣れ親しんだ山だそうだ。「登るたびにリフレッシュできる」の言葉にうなずく◆選定委員のひとり、森井修治さん(宍粟市)は、生まれつき目が不自由だ。10年ほど前から、介助者とともに登山を続け、少しでも高い山をと、今夏は氷ノ山と鉢伏山に登った。そのつど、山の楽しさを全身で感じる。そんな体験が五十山選びに生かされている◆氷ノ山の紅葉がやっと見ごろになった。例年より1週間から10日も遅い。段ヶ峰周辺でも、遅まきながら広葉樹が色づき始めていた。ふもとまで美しく染まるころ、兵庫の山々はそろって錦繍に包まれることだろう。』 生まれも育ちも淡路島のその中でもまるで山の中といったような土地の私。やはり見慣れた景色というのは山そのものの姿だ。目が覚えているというと変だけど、この山が目に入るころになると、やっと家へ帰って来たんだ!と実感できた。 淡路島の最高峰は608mなので、とても高い山とは言えない。それでも一番高い山ということで、年の瀬から新年にかけて山歩きをする人が多い。道路が整備されたので、車でも登ることができる。さて、これが良いのか悪いのか。。。 大阪湾と瀬戸内海の間にぽっかり浮かんだような淡路島なので、言ってみれば欲張りなのかも知れない。獲れる魚の種類なども違うだろうし、何と言っても瀬戸内に面した側はまだまだ海が綺麗だ。一方の大阪湾側だと、途中からくっきりと海の色が違うのがわかる。これがまた不気味でもある。 琵琶湖より小さい島でありながら、一周しようとすると結構時間がかかる。宍粟市が始められたなら、それをお手本に。というと何だか二番煎じみたいだけど、自然を生かした、自然そのものが観光資源になるんだ。ということ、もっともっと胸を張っていいのじゃないかなぁ。 高いビルも豪華なレジャーランドも無いけど、だからこそ、淡路島なのだから。ずっと自然のままであって欲しい。そんなこと言ってるから、若者たちが定住しないのかなぁ?空気が綺麗のが一番の贅沢な気がするけど。。。って若者には通じないかな?
2008.11.04
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午前7時半過ぎには家を出て。。。と、まるで朝8時からのシフトさながらに家出。先ずはキーボードを設置するテーブルと椅子の用意。そうだ、椅子は二客必要だったんだ。いつも練習している部屋は作品の展示に使われているので、少し離れた場所での発声練習と、音合わせとなるため、キーボードを台車で運ぶことに。出番直前なので、家からロングスカートをはいて出かけたものだから、一苦労。 発声練習は午前8時半から。とメンバーには伝えておいたのに、音が出せたのは何時だっただろう。暫く、高校時代に戻って、一人、発声練習よろしくキーボードをひたすら叩いていた。 出番そのものがプログラムの4番目。演奏時間は12分余り。私たちの準備といっても、ピアノをセットするだけ。それと、指揮者用の譜面台。こんな準備の簡単な団体は他に無いと言って良いほど。平台も何も要らないんだもの。 「ローレライ」「月の砂漠」「Sing」の3曲。始まってしまえば、本当にアッと言う間に終わってしまう。 スタッフとしてステージ脇に詰めてくださっていた、同級生が仰るには、「何度も聴いたけど、今日のが一番良かった!」彼らは、淡路島伝統芸能のひとつである、檀尻歌を披露するグループのメンバー。男性が多いので、力仕事の殆どを任せられている。プログラムの内容が盛りだくさんなため、ステージのセッティングを少しでもスピーディーにと殆ど全員が朝からの準備に回ってくださった。この人たちの存在が無くては、成り立たないといって良いほどのイベント。 以前は、町長までもが作業着で待機してくださり、諸々の準備をしてくださった。ところが、4町が合併され、文化祭そのものは出演者たちの手に委ねられることに。それでも、会場慣れしている人の存在は本当に有り難い。 私自身、実は昨日の会場で喉を痛めてしまっていた。ひたすらのど飴が頼りのステージだった。ことに、メゾソプラノパートの私が、「月の砂漠」ではソプラノを歌うことになっている。「ローレライ」は、三声のうちの、何故かメゾソプラノが一番低い部分を歌うという変ちくりんな編曲で、長いこと練習を休んでいて、久しぶりに参加したときに、思わず、アルトのパートを歌ってしまったほど。「月の砂漠」は、正直ゆったり歌うと、かなり厳しいものがあるけど、曲調のことを考えると、やはりゆったり目が良いのかな。変に速くなると、まるでマーチ?みたいになってしまうので、私にすれば、ひたすらゆっくりと。という感じだった。でも、喉が痛かった割には声が良く出ていたと思う。といっても楽譜上の一番高い音がFだから、普段からソプラノを歌っていたり、ずうっと「第九」を歌っている人にはお茶の子さいさい。なんだと思う。「Sing」なんて勿論カーペンターズの様には行かなかったけど、まぁ、それなりに楽しそうに歌えたと思うのは、ただひたすらピアノ伴奏者のお陰だと思う。アップテンポ気味かな?と思ったけれど、それが本来の「Sing」っぽく聴こえたと思う。 歌い終えたら、今度は即座に着替えてスタッフの仲間入り。平台を出したり、長机を出したり。それでも演目の最中には客席で観たり聴いたりするのは自由。艶やかな着物姿にウットリさせられたり、中学生たちが演じるところの淡路人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門・巡礼の段」ではやはりハンカチ無しでは観ていられなかった。たった一人の太夫さんなのに、本当に上手に語り分け、(母親と幼い娘)涙してしまう。恐らく、この語りを聴いて、涙しない人は居ないのじゃないかな。師匠も大したものだと思うし、隣で一心に三味線を弾いていた人も、中々の腕前だったと思う。 人形の遣い手さんたちだって、中々のもの。手の動き、そして指先にまで神経が行き届いている。人形なのに、人形ではないように観えてしまうから不思議。 私たちの出番が終わったのは、午前10時のちょっと前だっただろうか。何時に歌い終えたかまではわからないけど、10時前にはスタッフとして詰めていたから、結構長い時間をステージ脇、客席で過ごしたことになる。帰宅したのは午後4時半過ぎ。私たちのコーラスグループからはもう一人が出てくださったので、その人に後をお任せして、私は申し訳ないけど、他の展示作品などを眺めてそのまま帰路に。 懐かしい顔は大正琴の中に。そして、意外だったのは私自身が知らなかっただけだけど、彼女が産休の間、やはり郵便局でアルバイトさせていただいたことがあり、見事な詩舞を演じていらっしゃった人。また、地区からも素晴らしい作品をご夫妻で出展された方、元コーラスグループの仲間として活躍してくださった方が七宝焼きの見事な作品を展示していらっしゃったり。 期待していた、菊花展の会場には、地区からの参加者はいらっしゃらず、ちょっと残念だったけど、素晴らしい作品の数々に触れ、ステージの発表を楽しみ、これぞ『文化の日』という一日だった。 スタッフとして頑張られた皆さん、本当にお疲れ様でした!
2008.11.03
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楽しみにしていたコンサート。“第30回”というのが凄いと思う。結成されたのが1976年だそうで、実際は32年になるとのこと。こんなに長い間続けてこられたのは、やはり団長さんのお人柄に尽きる気がする。でも、その団長さんご自身が心筋梗塞を患ったとのこと。“細く長く”という言葉通り、何とか“第40回”“第50回”目指して続けて欲しい。 団長の挨拶にもあったけど、構成メンバーの殆どが女性になりつつあるとのこと。確かに、今の中学でも高校でも、ブラスバンドと言えば女子のクラブみたいな雰囲気があるらしい。そして、器用にドラムセットを叩いていらっしゃる。男子が金管楽器、女子が木管楽器。なんて決め付けていたら叱られそうだ。 懐かしい曲あり、コンクールの課題曲ありで、本当に盛りだくさんの演奏会。休憩が30分間。そしてアッと言う間の終了。 結成当時は10名だったのだとか。何かを始めるって、本当に大変だったと思う。結成以来ずうっと団長として束ねていらっしゃる人は実は今は特定郵便局の局長さん。私が淡路島へ戻った翌年、当時の普通局へもアルバイトに行ったけど、そのときは郵便の窓口にいらっしゃったったっけ。その後、私と一緒に貯金の窓口担当だった方(淡路島における生き字引のような存在)が他局の局長となられ、後に続いて転勤、その後特定局の局長としても大活躍。 学年が違うし、私は高校時代はコーラスしかやっていなかったから、実は団長のことを知ったのも、アルバイトをしていたとき。そして暫く練習に参加させていただいたのだった。ところが、とある事故が原因で家族からは夜間外出禁止令が出て、あっけなく休団。そして退団。 在学時代にブラスバンドの経験があるか無いかで、随分差が出てくる。コンクールなどとは全く縁がなかったから、ブラスバンド独特の曲など、耳に馴染みが無い曲ばっかり。それが、高石市でブラスバンドと出会い、社会人バンドの気楽さで何とか続けることができたのだと思う。 今日の演奏でも懐かしい曲が登場し、中でも「アフリカンシンフォニー」では、まるで自分もステージにいるような、そんな感覚になってしまった。 アンコールにと選ばれたのは、「青い影」。高石市でも何度か演奏したことがある。そして、電子オルガンなどでも定番の曲だったりする。ベース(左足)のための練習曲といった感じに編曲されていたから、一度演奏されたら忘れられない曲になるのじゃないかな。 演奏の頭って、本当に緊張するのに、幕開けとなった「ブライアンの休日」は見事だった。ソロで始まる曲って、本当に恐ろしい。何度やっても緊張感は抜けない気がする。それと、改めて、会場の音響効果の良さに驚かされたのも事実。いえいえ、その前に淡路吹奏楽団(とっても実力のあるグループ)なのだから、当り前かな?皆さん、本当にお疲れ様でした!現役学生の団員さんも、やがて進学されて淡路島へ戻られましたら引き続いてメンバーとして活躍して欲しいです。
2008.11.02
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私の人生に大きく関わっている、高石市。ネットを開くと、『ロザン、受験生にエール』という見出しが目に飛び込んだので、早速お邪魔すると、菅さんが、何と、高石市出身とあり、驚いた次第。大阪府立大学中退とプロフにはあったけど、そんじょそこらの頭では入れない大学だと思う。クイズ番組などでは、相方の宇治原さんが京都大学出身ということで目立っている感じだけど、菅さんもなかなかどうして。 年齢が違い過ぎるから、どこかですれ違っていた。。。?なんてことは無いにしても、高石市出身でいらっしゃることが、とても親しみを感じてしまう。 私自身、住んでいたといえば、ほんの4年余り。それでも、ずうっとブラスバンドの練習で高石市へは足を運んでいたので、本当に懐かしい響きを持った市ということになる。現在も叔母ご一家がお住まいなので、時折訪ねる大阪府下の市の一つ。 初めて南海電鉄高石駅で降り立った頃は、♪南海電車高石駅を東へ10分。。。♪が高石市の代名詞みたいだった。駅の階段を下りると、高石会館の色鮮やかなネオン。ここからは時折マーチが流れてくるので、それを聴きたいがためにそのパチンコ屋さんに飛び込んだことがある。 今や景色もすっかり変わり、私が大阪に居た頃の練習会場だった、高石市民会館さえも、高石駅前のビルに入り込んでしまった。これには本当に驚いた。その、当時の高石市民会館が現在どうなっているのかは、怖くて聞けない。3階の音楽室の隣にあった準備室の奥にあった窓が私は大好きだった。ここの窓越しによく風景を眺めていた。窓から差し込む光で、楽譜をながめたりしたものだった。。。確か、高名な建築家のデザインだと聞いたような。 ホールが一つ。ロビーが広くて、事務所は2階にあり、その横に喫茶室。その横の空間は、展示などもできるように工夫されていた。ホールが主だとしたら、外階段を上がっての1階だから、実質は2階ということになるのかな。確か地下にも部屋があって、そこはどういう風に使われていたのかは余り覚えていない。楽器の搬入などのときに階段を下りていたような? 市民会館の裏手に回ると、そこには運河があって、その向こうが臨海工業地帯。化学コンビナートみたいなのがひしめき合っていたので、運河が不可欠だったような。勿論海の向こうなのだから埋立地。 市民会館の隣には大阪府臨海スポーツセンター。道路があって、堤防のようになっているから、昔は海だったようで、そのまま北へ歩くと、浜寺公園へ自然に辿り着いてしまう。駅で考えると高石・羽衣・浜寺公園なのに、本当に不思議。 懐かしく思えるのは、もしかしたら淡路島の実家からよりもはるかに近い場所に海があったからなのかな?ただ、同じ高石市にお住まいでも、こうして市民会館へ足を運ぶ機会が無い人にとっては、こんなに間近に海を眺める。なんてことはできない気がする。 南海電鉄高石駅。今は東側が大きく変貌し、最早、田圃を探すなんて不可能。次々とマンションが建ち並んで、ウッカリすると車にはねられそうになるのは、信号がついたから。これには本当に驚く。一方の西側は。。。実は叔母のお宅が西側から東側へと引っ越したので、駅の西側へ向かって歩く機会は皆無となってしまった。確か国道26号線も東へと移動したかと。第二阪和なんて呼んでいた、東の方に。大阪市内へ入ると、昔の26号線の延長線上になるのかな? 都会だと、人が増え、グングン成長していく感じなのに、これが田舎だと若者が定着しない。高校を卒業すると一旦島から出てしまう。「パナソニックが三洋を買収」なんてことになると、建設中の三洋電機の工場は一体どうなってしまうのだろう?若者流出に歯止めがかからない淡路島。救世主だと思っていたのに、これでは一体。。。? 益々発展するかに見える高石市のことを思うと、余りにも差があり過ぎる気がする。
2008.11.02
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随分久々に(楽しい方の)と紹介しているコーラスグループの練習に参加した。仕事が午後7時に終わるので、駐車場からだと坂を下りた所が練習場。という感じなので、近くの店でパンを買って、(お茶は勤務の前に買っておいたので)車の中で食べることにする。 たまたま、他のグループの集いがあるらしく、入り口の鍵を開けてくださる。いつもの部屋へは勿論一番乗り。椅子を並べて練習の準備。。。 来年10月25日には演奏会を開くため、会場を予約したと聞いて、慌てて。というわけではないけれど、仕事が午後7時までだったり、午後9時までの日は帰りに練習に寄れるのに、午後2時45分で終わってしまうと、一旦家へ戻って再出発。ということになり、ガソリン代高騰、朝のシフトの連続で中々顔を出せずにいた。だから夏の“淡路音楽祭”にはこのグループとしては出演ならず。地元のグループもメンバーが集まらずに不参加となったため、私はひたすら客席を埋めていたに留まった次第。 当面は、12月に入って予定されている、施設でのクリスマスコンサート出演のための練習になるらしい。曲目は全て決まっていて、何度か歌ったのやら、私には全く初めてのやら。でも、先生が御指導されている別のグループから3人も見学に訪れてくださった。これは凄いことだと思う。その別のグループは女声コーラスなので、混声だとどういう味わいになるのか。なども含めて良い刺激になったと思う。 同じ曲でも、混声用と女声用では編曲が違うので、例えばアルトでも譜面そのものが全く違う。そういうことも、面白かったと思う。 さて、初めての曲のひとつに、「カントリーロード」。先ずはパート練習から。男声と女声に分かれて、少しずつ譜面に慣れて行く。でも、一言で、「難しい!」ことを発見しまい、投げ出してしまいたくなる雰囲気。それでも、アルトの中に大変珍しい主旋律を見つけて大喜び♪これなら何とかなりそうな? ただ、問題はリズム。乗り切れなきゃ本当につまらない曲になってしまう。まぁ、歌いこんでいかなきゃ無理だけど。難曲と思えば思うほど仕上がったときの喜びは大きい。頑張らなきゃ。。。と、次週は宝塚なんだよなぁ、いきなりのお休みになっちゃうけど、ごめんなさい!
2008.11.01
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