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昨日は高校のスポーツゼミの非常勤講師としてトレーニング理論の授業をしてきました。「最近の若者は無気力で授業もあまり真面目に聞かないんですよ」色んな学校に行った時に多くの先生からそのような声を聞くのですが、それは授業の内容にもよるのではないでしょうか。そうした話を聞くと、こちらとしては「よっしゃ、意地でも彼らをこっちに向かせてやる!」と、どんな話をすればみんなが授業に興味を持ってくれるかと授業内容を考えに考えます。ある意味、芸人魂が強いです(笑)自分は様々なスポーツ・武道を経験してきているので、それらの経験談や裏話を織り交ぜながらトレーニング理論と結びつけて話をすると、そうした話の時には多くの子が顔を上げて話を聞くんですね。「無気力」というのは彼らの問題ではなく、そのような生育環境をつくった我々大人の問題ではないでしょうか。やはりここはエネルギーの高い方の大人が子供たちにしっかりとエネルギーをかけてあげる必要があると思います。私自身もまだまだ未熟ですが、魅力ある授業をすれば必ず彼らの授業に臨む姿勢も変わってくると思います。だから授業内容もさらに研ぎ澄ませていきます。エネルギーをかけ続けて、一人でも心に火がつけば、周りにもその火はどんどんと広がっていきます。それまで指導者は彼らを燃やし続けなければいけないんです。せっかく生徒たちとの縁ができたのだから、彼らがこの授業を通じてスポーツの楽しさ、素晴らしさに気づいたり、正しいトレーニング理論を学んで競技力をさらに高めてくれたり、社会に出てからも活躍できる人財になってもらいたいですね。
2005年04月27日
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昨年より立禅という稽古法を、午前中に行う自分の稽古に取り入れています。両足を肩幅くらいに開き、軽く膝を曲げて両手は胸の前で大木につかまっているような形でただジーッと立っているだけなのですが、これがなかなかにキツいものなんです。初めはすぐに足が痛くなったり、雑念が湧いてきて集中できなかったりで5分と持ちません。しかし、日々継続しているうちに姿勢は安定し、無駄な筋肉に力を入れることなく、効率よく長時間立てるように身体が馴染んできます。さらには身体の感性も研ぎ澄まされ、「氣」が充実してくる感覚も感じられるようになります。最近は半禅といって片方の足を後方に引いて半身の姿勢で立つ方法も行っていますが、こちらの方がより不安定な姿勢なんですね。人間の身体は面白いもので、不安定なものを安定させようと働きます。この半禅の状態の時も姿勢が崩れそうになると反射的に反対方向に態勢を立て直そうとする。フラフラとした不安定な身体の揺れがだんだんと小さくなり、数分もすると安定して立てるようになってきます。人間の身体の素晴らしい自動調節機能ですね。生理的な働きについても同じですね。風邪のウイルスが侵入すれば、身体は熱を出してそのウイルスを退治しようとする。害になるものを食べれば、下痢になって排出しようとする。熱や下痢が悪いのではなく、それらは生理を安定させるための身体の働きであるということなんです。心についてもそれがいえますね。自分の思考や行動が本質からズレてしまっている時は何かモヤモヤしたりスッキリしない、心臓がドキドキする、胸が痛むなどして"身体"が教えてくれます。近年はそうした感性が鈍くなっている人が多くなっています。(自分も含めてね)筋肉がパンパンに張り、いつも緊張しているのにそれに気づいてない人、感動のできない人、他人に無関心な人。これは心と身体がバラバラな状態で日常を過ごしたり、受信・発信(インプットとアウトプット)のバランスが崩れた生活の習慣化によってもたらされているのではないでしょうか。だから症状や事象が表面化した時にはメチャメチャ崩れてしまっている、という事もあります。身体が発する内なる声をしっかりと聴いて常にスッキリとした生き方をするためにも、今に徹し、集中して事に取り組むことや受信・発信のバランスの良い生活習慣を心がけていきましょう。
2005年04月21日
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武道の世界で「残心(ざんしん)」という言葉があります。空手の稽古の時、1つの技を出した後にすぐに氣を抜いて構えを解いてしまう人がいます。本来、真剣勝負の世界では技を出したからといってそこで必ずしも決着できるわけではありません。すぐに相手が攻撃を返してくる時もあります。そんな時に技を出した後、氣を抜いて構えを解いているようでは、命取りになってしまいます。また、相手がやられた振りをしている場合もあり、こちらが氣を抜いた瞬間に襲い掛かってくる事もあるんですね。だから、技を出した後、相手を倒した後も必ずしばらくは構えを解かずに相手にしっかりと氣を向け続ける「残心」をしておく必要があるんです。ジュニアを指導する時、氣を抜いて残心を怠っている場合はスキのある顔面をパチーンと(もちろん軽くですよ)攻撃したりします。そこで初めて残心の大切さに氣づくんですね。次からは技を出した後もしっかりとガードをして残心しています。また、稽古と日常でのつながりについても話をします。「技は君たちの心を表している。残心を怠っているのは普段でも物事を中途半端で終わらせるクセがついているんだ。例えば、クツをそろえずに脱ぎっぱなしにしていたり、部屋の電気をつけっぱなしだったり、読んだ本を元の場所になおさずに出しっぱなしにしていたり、最後までキチンとやり終えないクセが技を出した後にも残心ができないということにつながっているんだよ。勝負はコンマ数秒の差が明暗を分ける。一瞬のスキが命取りになるんだ。だからこそ、技を出した後の残心をしっかりとしてスキをなくすようにすれば、もっと強くなることができる。そのためには、日常生活においても物事をキチンとやり遂げる『残心』をすることが必要なんだよ。」このようなスキをなくすこと、残心をすることの大切さを言い続けてきたことで、最近はだいぶ子供たちもスキがなくなってきましたね。そうした話は子供たちだけに言っているのではなく、自分自身に対しての戒めとしての意味もあります。自分自身も日常で「残心」をしているか物事を中途半端で終わらせていないか事に取り組んだ後にしっかりと反省をしているかご縁をいただいた方へのフォローをしっかりとしているか「残心」をしっかりとすることが、武道においてはスキをなくし、仕事などではより良い人間関係を築き、日常においては自分を律し、高めていくことになるのです。
2005年04月20日
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よく「成功者とは失敗してもあきらめずに成功するまでやり続けた人のことだ」と言いますね。よく言われるリンカーンやカーネル・サンダースなども数多くの失敗や挫折を経験し、それでも夢や目標に向かってチャレンジし続けたことで後に偉大な功績を残すことになりました。成功か失敗かは他人が決めることではありません。決めているのは他でもない自分です。心が折れなければ、そこで終わりではないんですね。その時の勝負で負けようとも、その次の勝負も負けてしまっても、そのまた次も負けてしまっても、心が折れていなければ、負けていると言えるでしょうか。例え目の前の勝負で敗れようとも、人生という長いスパンで物事を考えれば心折れずに挑戦し続けていればいつかは勝つことができる。こんな事例がありました。マラソンで優勝を狙って大会に挑戦し続けた人がいます。その人は何度挑戦しても表彰台に立つことはできませんでしたが、それでも大会に出場し続けました。そして挑戦し続けること数十年、彼はある市民マラソンの70歳代の部でみごと優勝を果たし、長年思い続けた表彰台の頂上に立つことができました。心折れずに挑戦し続けることができるのは、ひとつは想いの強さ。その事を考えただけで心が熱く滾るような燃える想い。一生を賭けてでも挑戦し続ける価値のある願望目標。想いの強さはエネルギーとなり、前進し続けるパワーを生み出してくれます。そしてもうひとつは「自分を信じる」ことどんな困難に対しても、「オレは絶対にできるんだ!」と自分を信じ続ける心。途中であきらめる時は、必ず自分が信じられなくなるんですね。「オレには無理だ」「どうせやってもムダだ」とマイナスの想念を持ったもう1人の"自分"の声に心を乗っ取られてしまうんですね。自信を持つには、やはり「勝ち体験」を積み重ねていかねばなりません。小さなことでも、「やろう!」と決めたことをやり遂げるや「これをやる!」と決めたことを1ヵ月間やり続けてみるとか。そうした時に出てくる「ダメだ」「無理だ」というもう1人の自分の声に対して打ち克つ。つまり自分との勝負に勝つ「勝ち体験」を積み重ねるんですね。克己心を育てていくことが、自信を強くしていくこともつながっていきます。ひとりひとりがみな無限の可能性を持っている。誰もが自分を輝かせる光を持っている。心燃やす目標を見つけ、自分を信じて前進し続けた時、必ずやその無限の可能性を引き出し、大きく自分を輝かせることができるでしょう。人間ってちっぽけでもあり、偉大な存在でもあるんですね。でもそれを決めるのは自分の心。プラスとマイナス、自分がどちらのエネルギーを選択するか。宇宙時間で考えれば、短い人生。どうせなら、プラスのエネルギーを湧かせて自分がどこまで進化・成長することができるか見てみたいと思いませんか?
2005年04月19日
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「練習のための練習」という言葉がスポーツの世界ではよく使われます。その練習が本番の試合の時のどんなプレイのどんな場面に必要でどの部分を鍛えようとしているのか。明確な目的・意味など本番と練習の「つながり」を理解してその練習をしているのかと言えば、あまりそうとはいえないケースが多いですね。だから、一生懸命練習はしているのだけれど、もうひとつ伸び悩んでいるという人は、ひとつひとつの練習と本番との「つながり」を再確認してみましょう。ひょっとしたら、意味のない練習や無意識にただ身体を動かしているだけのウォーミングアップなど本番との「つながり」のない無駄な動きに結構時間を費やしているかもしれませんよ。その「つながり」が理解できた時、プレイに対するひとつひとつの意識や姿勢が変わってきます。意識や姿勢が変われば練習の質が高まり、さらに日常生活における取り組みも自ずと変わってきます。練習や日常生活を含めたトータルの質が高まれば、当然自身のレベルも高まり、競技力も高められるのですね。人生においても同じことが言えると思います。ある空手の先生が真の護身についてこう語られていました。「自分を助けるためにどうすればいいかというのは、普段から人に憎まれないような行動で生活をしなくてはならない。人から信用されるような、信頼を得られるような人間になること。そうしたら自然に周りの人が尊敬してくれる。そのような人間になれば敵はいなくなる。それが戦わずに勝つということなんだ」護身と言えばそうした術を身につけることを考えがちですが、日常生活の意識や行動の質を高め、自分を磨いていくことで、「敵」という存在自体が消えてしまえば護身という技自体も身につける必要がなくなる。自分を高めることで、家庭も平和になるし、周りの人にもプラスのエネルギーを与えていけば、世の中の平和にも貢献できる。護身という事を考えた時、もっと大局的な目で物事を見れば世の中を平和にするというところにまでつながりを見つけることができるんですね。身に起こる出来事の原因は自分がつくっている、と言いますが、確かに日々自分が生きている中で、今の行動、今の思考が自分の目指す目標や夢につながっているか。エネルギーをロスする方向に消費していないかで未来の姿は変わってくるでしょうね。それだけに、どんな小さなことでも、短い時間でも、それに取り組む時の意識というものは大事なんですね。
2005年04月18日
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昨日は長男・長女は小学校の始業式。それぞれ4年生、3年生へと進級しました。2人ともクラス分けを早く知りたかったようで、いつもより早めに家を出て行きました。帰ってきた時は、仲の良い子と同じクラスになれたようで、終始上機嫌で夜までハイテンションでした。次女は幼稚園の入園式。つい最近まで「幼稚園には行かない!」と言っていただけに、当日はどうかなと思っていたのですが、本人も覚悟を決めたのか、いざ行く時になったら何も言わずに自転車の後ろに乗り、道中のキレイな花や桜を見ては「ワー、きれい!!」と楽しみながら幼稚園まで行けました。入園式では、一番前の席に陣取り、先生の話にも集中して聞いていました。全体的に見ても子供たちはちゃんと先生の話を聞いているもんだな、と感心しました。どちらかというと話を聞かずにペチャクチャしゃべっているのは親の方でしたね。(笑)式が終わった後もすぐに帰ろうとせずに園内の遊具で遊びたいと言ってしばらく遊んでいました。まあ、このまま楽しんで週明けからも行ってくれるといいんですけどね。しかし、次女にとっては新しい環境で刺激が入りすぎたのか、今朝は熱を出して寝込んでしまいました。知恵熱かもしれませんね。来週から子供たちにとって本格的なスタートです。楽しい学校・幼稚園生活を送ってもらいたいと願います。
2005年04月09日
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昨日は新道場での初稽古でした。ここは小学校の体育館を借りて稽古をさせていただいているのですが、そこを借りようと思い、学校に交渉しに行って校長先生と話し合い、了承していただいて新道場として開設が決定してからまだ1ヵ月経っていません。あまりのスピードに、何も考えずに行動しているようにも見えますが、これも計画のうちなんですね。昨年末に翌年の事業計画を立て、目標設定をしてそれを達成するためにどのように展開をしていくかのイメージを湧かせ、徹底したシュミレーションを行う。様々なイメージができているから、それについての情報やチャンスが入ってきた時にすぐ行動に移せるわけです。当初、新道場の設立は秋くらいに考えていたのですが、立地場所や環境条件などにおいて理想的な場がたまたま見つかったので予定を繰り上げました。これは言わば半年ほど時間を先取りしたとも言えます。それによって、さらに先の展開に進めることができるわけですね。スポーツだけでなく、やはり目標設定や計画を立てることは何事においても必要ですね。行動を早めるもう1つのポイントは"心の抵抗"をいかに減らすか。この新道場の設立もそうですが、ここ最近、色々と新たのものに取り組んでいます。大きなものなら沖縄・宮古島での空手の合宿から日常レベルで言えばネットオークションへの出品まで(意外とやってみるとハマるもんですね)。新しいものをやる時、必然的に防衛本能的なものが出てくるんですね。これは生育環境から来る影響もあるのですが。「失敗したらどうしよう」「こんなことしたら周りがどう思うかな」「また今度にしよう」「めんどくさいな」「自分には無理かも」こんな様々な心の抵抗を自分で勝手につくり、前に踏み出そうとする足にブレーキをかけてしまう。でも、やってみれば意外と何てことはないもんです。やる前の抵抗は大きくても、前に進み、動き出すことで流れが良くなってくるんですね。そしてどんどん抵抗がなくなってくる。やり続けていくうちに、あの時、何をためらっていたんだろうと思うくらい何の抵抗感もなく、その物事に取り組むことができるのです。そしてあくまでも私の経験上ですが、「やらなくてよかった」よりも「やってよかった」と思えることの方が多いんですね。逆にやらなくて後悔することは多々ありました。このように心の抵抗も過去の習慣からくるものなら、行動力も習慣で身につけることができるんす。日常の小さなことから、やろうと思った時にすぐ取り組む直感即行動のクセをつけてみよう。綿密かつ明確な目標設定やイメージを湧かせ、時期やチャンスがくれば直感即行動することで同じ時間を生きていても、その質や密度はものすごく濃いものになりますよ。
2005年04月05日
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