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今日も雨模様の屋久島。庭には、石蕗(つわぶき)の黄色い花が咲いている。小さな白い菊の花も咲き出した。秋から冬へ、季節は深まっている。ここのところ、連日、射手座の水晶祭りの準備をしている。まず、何を出すかを決める。その際にも水晶をよく見る。出すものが決まると、次は解説文を書く。その時には、更によく観察する。それだけではなく、インターネットで意味を調べたりもする。そうすると、更に深くその水晶がわかるようになる。今回も、たくさんのことを学んだ。今回は、特にクンツァイトとダウクリスタルについて学んだ。クンツァイトは、純粋な愛を象徴する。それは、ピュアーで繊細な愛。まったく汚れを知らない愛。愛の石は、クンツァイトに限らない。ローズクオーツもインカローズも愛の石。それぞれに愛の種類が異なる。愛にも種類がある?男女の愛、親子の愛、師弟の愛・・・愛と一口に言っても、いろいろある。自我が混じれば、愛憎の愛にもなる。肉体的な接触のないプラトニックラブもある。インカローズの愛は、情熱的な愛。強く激しい愛。燃えるような愛。深い深い愛。ローズクオーツの愛は、やさしい愛。すべてを包む聖母マリアの愛。あたたかく、やわらかく、やさしく・・・どこまでも美しい愛。クンツァイトの愛は、純粋な愛。初恋のようなピュアーな愛。プラトニックとも言える愛のエネルギー。清楚な愛。鉱物にも、たくさんの種類がある。それぞれにエネルギーが異なる。植物も動物も、多種多様。この世は、多様性の世界。物だけではなく、エネルギーも多様。愛だけでなく、ありとあらゆるエネルギーが存在する。そのバリエーションの豊かなこと。その組み合わせが、人の個性を形作る。人の個性は、様々なエネルギーの組み合わせ。その時々のセッティング。千変万化の意識。変化し続ける現象。すべては、エネルギーの組み合わせ。その複雑で精緻な構造。宇宙全体が、エネルギーの組み合わせ。元のエネルギーは、ひとつ。ひとつのエネルギーが、分かれ分かれて千変万化の現象となっている。毎瞬、刻々、すべてが変化している。それが、生きているということ。生命宇宙。豊かと言えば、豊か。すばらしいと言えば、これ以上すばらしいことはない。ただ景色を眺めているだけでも、すばらしい。花を見つめているだけでも、限りない喜びがある。深く味わえば味わうほど、すべてがすばらしくなる。表面的に見ているだけでは、味わいは生まれない。ゆっくり、じっくり眺めることだろうか。そうすれば、すべてはすばらしさに満ちてくる。多くのものを所有する必要はない。なぜなら、周りは豊かさに満ち満ちているから。自分が所有しなくても、世界は豊かさの宝庫。ただそれに気づけるかどうか・・・窓の外を見れば、ススキの穂が風に揺れている。遠くの山には、白い雲がたなびいている。山の中腹では、雨で滝が膨らんでいる。イスの上では、猫が寝ている。静かに時間が流れていく。静かさのなかに無限の質量がある。宇宙を創造する無限のエネルギーが満ちている。ひとつの存在が、まるで龍のように舞っている。宇宙は、龍の舞。瞬々刻々に変わる龍の舞。その舞を見ずして、何を楽しむのだろうか。今日も龍は勢いよく宇宙の舞を見せている。『目の前に 見える世界は 龍の舞 瞬々刻々 宇宙創造』これが日記を書き始めて1785日目の心境。
2009.11.23
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日記のコメント欄に次のような書き込みがあった。「日記を読ませていただいて、最初は伝えていただいている本質をなかなか素直に受け取る事が出来ませんでした。読み返す度に、でも・・・それは・・・だって・・・と、余計な思いや感情が先行してしまっていました。夏から秋にかけて諸々の整理整頓と共に浄化の波がやって来て、今までの自分の生き方、在り様、自分自身を見つめる事となりました。そんな中で、どうにもならない後悔、ハートがちぎれそうな痛みや行き場のない寂しさと深い悲しみ、不安だらけの心が大きな恐怖と怒りに変わる瞬間を繰り返し感じているうちに、私は今までそんな自分の心からも逃げて、感じないようにしていたんだという事を知りました。生き方も自分自身も人とのかかわりも子育ても、みんな形だけ小手先だけ上手く行くように、こうしなきゃ、ああすれば、色んな方法ばかりを追いかけて、全てが中途半端。がんじがらめで、もうどうしようもないところまで来ていました。自分が本当はどう感じているのか、どうしたいのかって事も、わからなくなっていました。今、目の前にある現実はそんな生き方の結果なんだ・・・とつくづく実感しています。以下、略」逃げても逃げても、逃げ切れない。現実から目を逸らしても、いつかは直面しなければならなくなる。この世で逃げても、あの世では逃げられない。宇宙の果てまで逃げても、自分自身から逃げることはできない。逃げれば逃げるほど、ツケは大きくなる。利息が嵩んだツケを払わなければならなくなる。それでも逃げようとすれば・・・強制徴収が待っている。強制徴収は、他人がやるわけではない。自分のハイアーセルフが、そのように設定する。このままでは行き詰ると判断すれば、ハイアーセルフや魂は容赦ない。それでは、この世に生まれた意味がないから。特に今の時代は、アセンションという目標がある。そのために今という時期を選んで生まれてきている。それに見合った生き方をしないと、生れて来た意味がなくなる。逃げてばかりいれば、やがて嫌でも現実に直面させられる。もう一度生き直すしかない。すべてをリセットして、ゼロから生き直す。それは、たいへん?でもない。意外と、その方が楽に生きれる。これまでのシガラミをすべて清算して、新たにリニューアルする。新しい人生を生き始める。生まれ変わったつもりで生きる。そのためには、現実の生活を一変させる必要はない。意識を変えればいいだけ。今ここを新鮮に生きればいいだけ。新たに生まれ変わったつもりで生きればいいだけ。日々刻々、生まれ変わったつもりで新鮮に生きる。逃げないで、現実と直面しながら生きる。自分に正直に生きる。素直に自分を生きる。『逃げようと すればするほど 底なしの 深みにはまる 泥沼地獄』『逃げないで 直面すれば その場から 別の展開 開き始める』『逃げないで 一つ一つに 丁寧に 対処する時 道は開ける』『逃げないで 直面すれば 真っ直ぐな 生きる姿勢が 人生変える』これが日記を書き始めて1768日目の心境。
2009.11.06
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今日の屋久島は、曇。気温は、少し回復している。もうそんなに寒くはない。明日は、更に暖かくなるだろう。今日は、蠍座の水晶祭りの全員受付が終わって、当落決定メールを出す日。今回は、リクエストが偏った。そのため、抽選の倍率が高かった。当選した人は、問題ないのだが・・・今回は、全体的にリクエストが多かった。そのため、落選する人も多くなってしまった。特にレムリアンシードにリクエストが集中した。その結果、レムリアンシードにリクエストした人は、落選する確率が高くなった。リクエストした人は、それなりに水晶と合っていた。しかし、当の水晶は1個しかない。どうしても最も合う人のところへ行くだけとなる。合っていても、更に合っている人がいれば落選してしまう。抽選と言っても、実際に抽選している訳ではない。リクエストした人の全員の名前を確認する。それから、抽選になった水晶を前に置いて瞑想する。そして、一番合っている人を決める。その瞑想をした時、今日は益救神社のエネルギーに似たものが来た。益救神社のエネルギーは、屋久杉のエネルギーと同質。そのエネルギーが、この家にも降りて来た。もっとも、益救神社のエネルギーよりは弱かった。ミニ神社級のエネルギーと言ったところ。そのエネルギーに身をゆだねながら、誰に行くのが最も相応しいかを感じる。ということは・・・水晶の行き先を決めるのは、神事?極力、私心が入らないようにする。私情を入れると苦しくなる。どちらにも送ってあげたくなって、心が痛む。私情を棚上げするのが、一番楽。公平無私。それが、一番楽な生き方。恣意を入れると、すべてが混乱する。自分も混乱するし、行くべきところへ行かなくなる。私心を排すれば、届くべきところへ届く。最も必要なところへ届くことになる。私心とは、自我。自我のままに生きれば、苦痛と混乱。自我を外せば、すべてが納まるべきところに納まる。最も自然で、最も安定する。それを行うのが、瞑想。私心のないクリアーな意識。蠍座の水晶祭りは、既に三分の二の行き先が決まった。残りは、八組。そのうちに決まるだろう。行くべきところへ行く。今回は、解説文を充実させた。そのために、いろいろ調べた。これまでで一番時間をかけた。たぶん、それだけのことはあるだろう。注いだエネルギーが、還ってくる。自分が注いだものを自分が受け取っているだけ。極めて単純。それ以外の何ものでもない。どのようなエネルギーを注ぐか。それによって、還ってくるものも決まってくる。いい加減にやれば、いい加減な結果となる。誠意を持ってやれば、誠意に満ちた結果が還ってくる。自分で播いたものを自分で刈り取っているだけ。極めて単純。自分が注いだだけのエネルギーが、自分に還ってくるだけ。ひとえに、いかなるエネルギーを注ぐかにかかっている。それが、人生の原理原則。自分がクリエイトする自分の人生。自分の人生の創造者は、自分自身。他の誰でもない。誠心誠意、全力を尽くせば、それなりの結果が還ってくる。急ぐことも慌てることもない。静かに自分の納得のいくようにやればいい。静かに深いエネルギーを注ぐことだろうか。『水晶の 行き先決める 瞑想は 水晶ネットの 光の神事』『注ぎ込む エネルギーとは 還りくる エネルギーなり 現実創造』これが日記を書き始めて1767日目の心境。
2009.11.05
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今日の屋久島は、曇。まだ気温は、低い。明日ぐらいからは、暖かさが戻るだろうか。新しいススキの穂が、美しい。蠍座の水晶祭りは、レムリアンシードにリクエストが集中している。まったく予想外のこと。どうしたのだろうか。解説文を詳しく書き過ぎた?太古の時代は、生と死は今とは違っていた。肉体は、何万年も生きたらしい。メンテナンスをきちんとすれば、永遠に生き続けることも可能だったようだ。そのため、十分にこの世を体験したら、自分から肉体を脱いだとか。細胞は、日々、死滅している。同時に、新しいものが生まれている。肉体は、新陳代謝を繰り返している。しかし、肉体そのものは変わらないように見える。肉体は、宇宙と似ている。宇宙も、日々、変化変滅している。だから、厳密には同じ宇宙とは言えない。しかし、宇宙という場としては変わらない。肉体も宇宙も、場。器であり、スペース。内容は、日々変化している。しかし、器としては継続している。生と死と言っても、単なる変化。十二単(じゅうにひとえ)を一枚脱ぐだけ。肉体から別の器への引っ越し。単なる移動。死は、客観的にはそういうもの。主観的には、記憶の魔術。これまで傍にあったものの喪失。自分のものと思っていたものの消滅。比較が、悲しみをもたらす。もう二度と会えないと思うことが、悲嘆の原因。思いが、感情を沸き立たせる。思いがなければ、単なる変化。宇宙は、変化の世界。色の世界は、変化によって成り立つ。変化こそが、いのちの躍動。変化がなければ、現象宇宙は存在しない。生も死も変化。新陳代謝であり、循環。それを思いだけが、嘆き悲しむ。記憶からくる執着が、悲嘆を生み出す。永遠の変化のなかに存在するだけ。生も死もない。変化あるのみ。色の世界は、動の世界。空の世界は、静の世界。何の変化もない。空に包まれて色がある。愛に包まれて、いのちの躍動がある。『細胞は 生死を常に 繰り返し 肉体という 器支える』『生も死も 単なる変化 組み替えて 新しくする 新陳代謝』『生と死は 色の世界の 決まり事 形を変えて 輪廻するのみ』『固まった 肉体脱いで 新しい 器に移る 死とは引越し』『生と死は 色の世界の 衣替え 一枚脱いで 軽くなるだけ』『生も死も 記憶と比較 愛着の 時間のなかの スローなドラマ』『生と死は 時間がつくる メロドラマ 生も死もない 変化あるのみ』『刻々に 生と死がある 真実は 生も死もない 今ここすべて』『生と死を 見つめてそれら 超えていく 生も死もない すべて在るのみ』 これが日記を書き始めて1766日目の心境。
2009.11.04
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今日の屋久島は、晴れているけれども寒い。山々はクリアーだが、ススキの穂が風になびいている。猫の毛も心なしか伸びたようだ。冬に向かっている屋久島。六日連続で仕事をしていた時、コスモスを見るのが楽しみだった。日々、花の数が増えていった。昨年から始まったコスモス畑は、今年も楽しめそう。もうすぐ満開のコスモスが見られることだろう。花も美しい。水晶も美しい。花も水晶も、いろんな種類がある。それぞれに美しい。朝陽も夕陽も美しい。この世に美しいものは、尽きない。気がつけば、美しさに囲まれている。なんと幸せなことだろう。今日から「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPでは、蠍座の水晶祭りが始まっている。蠍座的な水晶が、24組登場している。牡羊座から始まった12星座は、いよいよ蠍座に到達した。生と死を見つめる時に・・・牡羊座から始まった、生き残れるかどうかというサバイバルゲーム。牡牛座で安定し、芽吹く時期を迎える。双子座では、好奇心が芽生える。蟹座は、感情が発達する時期。獅子座は、自分を確立する時。乙女座は、恋に目覚め、冷静な思考力が発達する。天秤座では、個から全体の調和へ意識が向き始める。蠍座は、生と死に直面し、人生とは何かを真剣に考える時。人は、死という現実に直面する。そして、人生を真剣に考えるようになる。生きるとは、何か。何のために生きているのか。死があるからこそ、真剣に生きれるとも言える。死は、生の対極として存在する。限られた命をいかに生きるか。普段は忘れて生きていることを、時として思い出す。死は、恐怖をもたらす。自分の存在が消えることの恐怖。自己消滅は、最大の恐れ。確かに肉体は消滅する。しかし、肉体が消滅しても消えないものもある。意識は、継続する。但し、肉体にまつわる意識は消える。消える部分と継続する部分がある。それは、幽体や霊体や神体も同じ。それぞれの体にまつわる意識は、消えていく。しかし、継続する意識もある。どこまで行っても意識はあり続ける。意識はあるが、今のような個別意識ではない。個別化した意識、グループ意識、全体意識・・・いろんな意識のレベルがある。それは、十二単(じゅうにひとえ)みたいなもの。体にまつわる意識がある。着物を脱ぐように体を脱ぎ捨てる時、体にまつわる意識も消える。しかし、もっと内側の体や意識は残る。その繰り返し。だから、実際は何も心配することはない。意識は、永遠に継続する。なくなることはない。なくなるのは、体にまつわる外側の意識のみ。もっとも、一番内側の意識に個別性はない。だから、今のような意識ではない。でも、意識が消えることはない。今もある意識の一部は、永遠に存在する。そういうことがわかれば、何も恐れることはない。まったく恐怖は、不要。不安も心配もいらない。何も問題はない。真剣に人生を見つめればいい。蠍座とは、そういう時。そして、真実を理解すればいい。頭だけでなく、全身全霊で。それには、全身全霊で取り組む必要がある。何よりも大切なことだから。自分の人生のすべてがかかっているのだから。お金や恋人よりも、更に大切なもの。人生を真剣に見つめながら生きる。そうすれば、周りの美しいものが更に美しく感じられる。漫然と生きたのでは、漫然とした美しさしかわからない。真剣に生きれば生きるほど、美しさが際立つ。美しさとは、いのち。いのちの輝き。共に生きるいのち。この世に花咲くいのちたち。『通るたび 日毎に増える コスモスの 花のそよぎは 秋の深まり』『それぞれが 十二単(じゅうにひとえ)を 着て生きる 個性花咲く 地球(ここ)は花園』『身に付けた 十二単は それぞれの 意識と体 すべて方便』『着たものを やがて脱ぐだけ 死ぬ時は 十二単を 一枚減らす』『恐れずに 楽しめばいい ファッションを 自分好みの 十二単で』これが日記を書き始めて1765日目の心境。
2009.11.03
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今日の屋久島は、晴れている。けれども、風が強い。しかも、北西の風。少し気温が低い。六日間続いた仕事が終わった。ちょっと一息ついているところ。六日間は、浄化の嵐。お客さんだけでなく、自分自身も大きく浄化された。2009年は、浄化の年。強烈な浄化が続いている。ここへきて加速度が付いている。質の変化を感じる。今年は、ガイドの仕事をほとんどオリジナルコースに変えた。一般的な観光コースは、行かなくなった。お客さんは、不況のせいもあって昨年より少ない。しかし、ガイドの質は、格段にレベルアップした。これまでもヒーリングガイドではあった。しかし、今年は本格的にスピリチュアルガイドになっている。観光と言うより、心身の浄化という感じ。大自然のなかで霊気を感じる場になっている。別に修行という感じはない。しかし、観光というほど軽薄でもない。けっして表面的ではない。もっと深いガイドになっている。たぶん屋久島では、誰もやっていないこと。エコガイドとは、まったく質が異なる。完璧なスピリチュアルガイド。自然のなかでのスピリチュアルガイド。静かに瞑想する時間が増えている。お客さんも瞑想したり、体を動かしたりしている。これまで溜まっていたものを解放しようとしている。手放して、本来の状態に戻ろうとしている。これから、ますますこの傾向が強くなるだろう。物質的な感じが徐々に薄れている。スピリチュアルに、ピュアーになっている。このまま更に深化していくだろう。2009年も残り二ヶ月。最後の仕上げの時期になっている。2010年になれば、また波動が変わる。スピリチュアルな感じで安定に向かう。方向性は、はっきりしている。時代と共に深化していくしかない。深い深い本来の自分自身へ回帰しようとしている。本来の自分自身なので、何の無理もない。自然な状態。楽な状態。スムーズに流れる状態。我のない澄み切った状態。それが、これから向かう方向。周りとどんどん融け合っていく。自然や動植物と融け合う。すべてが繋がっている感じが、ますます強くなっていく。『山茶花(さざんか)の 花びらの散る 岩にいて 沢の音聞き 独り瞑想』これが日記を書き始めて1764日目の心境。
2009.11.02
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