全12件 (12件中 1-12件目)
1
この日記は、6月20日から下記のところに移転しました。タイトルも、「無色透明」から「光の時代の光の日記」となりました。http://kimi1717.blog.fc2.com/長い間のご愛読ありがとうございました。この場を提供してくれた楽天さんにも感謝します。それでは、新しいサイトでお会いしましょう! 光のkimi
2012.06.20
コメント(0)
上京した時に鎌倉でお会いしたTさんからメールが届きました。その時にも話題になったお腹の塊についてでした。-----------------------------------------------------お腹のネガティブのことなのですが、瞑想などしていても、まだそこに繋がるようなことはぜんぜん出てこないのですね。ですが、今日、学校の仕事で、あっと思うことがありまして。。。障害を持った小学生の介助をしているのですが、今日、パニックを起こして感情のコントロールができなくなった男の子(小学5年生)が私に襲いかかってきまして、いきなり平手でほっぺたを殴られたのですね。以前、私の顔に唾をはきかけてきた子です。この子がパニックを起こすと、そういうことをするというのは頭では十分に理解しているのですが、いざ実際に自分が殴られると、頭と心はばらばらというか、感情が理性を奪ってしまうというか。。。今回もまた一瞬頭が真っ白になって、自分が想像していなかったほどの怒りが込み上げてきてしまったのです。今回は、すぐに冷静さが戻ってはきましたが。。。この子には、よくそういうことをされるのです。私が今までの人生の中で経験したことのないような屈辱的な行為。胸をわしづかみにされたり、人前で服を脱がされそうになったり、私の前でズボンとパンツをおろしてニヤニヤと笑っていたこともあります。私はそのたびに怒りが込み上げ、自分の感情が一瞬コントロールできなくなってしまうほど動揺してしまうのですね。この子に出会って、私の中にこれほどまでの怒りがあるということを始めて知りました。落ち込んだりしたこともありましたが、ある時から、この子は私の中にある自分でも気が付いていない怒りの存在を教えてくれるために目の前に現れた子、そう思えるようにもなってきました。そして今日、またそのようなことがあって、ふとお腹のネガティブが頭に浮かんできたのですね。もしかしてこのお腹のネガティブは、怒り?今まで抑え込んできた怒りの塊?そう思ったら、幼いころから今までのさまざまな出来事が走馬灯のように頭の中にぐるぐると思いだされてきました。自分はあまり怒りを出すタイプの人間ではないと思っていたけれど、それは怒りを感じていなかったからではなく、もしかしたら人一倍怒りを感じていたかもしれないのに、それを抑えていた。恐怖心で抑えていたこともあったし、いい子やいい人であるために抑えていたこともあった。それは、もう無意識のうちに。抑えていることすら気が付かないほどに。そんなことを思っていたら、自分がみじめで可愛そうでなさけなくて、涙がこぼれそうになりました。そして「悲しかったよね。悔しかったよね。」そんな言葉が心に自然に湧いて出て、しばらくこの気持ちといっしょにいました。。。まだ授業中でしたが。(笑)お腹のネガティブが怒りなのかどうなのか、まだよくわかりません。この子が私に対してやってくるような屈辱的な行為を、過去生で私は多くの人にやってきたのかな、とそんなことも思いました。だとしたら、相手の方々はどれほど悔しい思いをし、私を怨んだことでしょう。そんなこともひっくるめてお腹のネガティブ?もし本当にそうだとしたら、自分では一生取れないよ、と言われたこともわかるような気がします。すべてを包み込んで生きていく。。。このメールを書いているうちに、なんだかお腹のネガティブを抱きしめてあげたくなりました。-----------------------------------------------------このメールに対して、こちらから出した返事です。-----------------------------------------------------お腹のネガティブは、もしかしたら宝ものかもね。自分のなかにあるものを教えてくれる宝ものですね。こんな宝ものを簡単に取ってもらったら、もったいないでしょう。せっかく存在するのだから、その原因を自分で気づけるといいですね。まだまだ気づきがいっぱい起きそうですね。そういう気づけるスタンスが、一番重要なのですよ。気づきそのものも大切ですが、気づけるスタンスはそれ以上のものがあります。気づきは単発ですが、気づける状態は常時です。生きる姿勢そのものです。常に見守る姿勢で生きることですよ。五年生の男の子も、お腹のネガティブの塊と同様に宝ものかもしれませんね。自分のなかにあるものをいっぱい気づかせてくれるでしょう。必要があって、今、目の前に存在しているのですね。今あるものは、何でも必要があって存在するということですね。何も問題はないのですよ。すべて抱き参らせて生きていれば。だんだん冷静に戻れる時間も早くなっているし、いい感じですね。今の感じでいいのではないでしょうか。-----------------------------------------------------その後、またTさんからメールが来ました。-----------------------------------------------------Kimiさんに「今の感じでいいのではないでしょうか。」と言っていただけると、とっても安心します。ありがとうございます。この5年生の男の子は自閉症で、ほとんどコミュニケーションがとれない状態なのですが、学校の先生の中では私のことを一番慕ってくれています。家でも私の名前を呼ぶことがよくある、とお母さんがおっしゃっていました。以前、瞑想をしている時に、この子が出てきたことがあります。彼は青年で私とは幼馴染って感じで、どこかの島で5~6頭のイルカといっしょに泳いでいました。イルカとは友達で、話もできるようでした。私はイルカと話をすることはできないのですが、彼に付いて海に来た時は、いつも一頭の決まったイルカが私の側にきてくれる。。。そんな素敵な内容でした。この男の子は、私に気づきをもたらすために目の前にいる。。。今は強くそう感じています。とても強い魂なのだとも感じています。まだしばらくはご縁がありそうなので、まだまだいっぱい気が付かなければいけないことが私にはあるのでしょうね。(笑)-----------------------------------------------------人は、自分のなかにヘンなものがあると言われると、すぐに排出しようとします。霊能者に取ってもらったり、手術をしたり・・・それは、癌と似ています。いらないものは、排除しようとするのです。いらないものは取ってしまって体外に排出すればいい。というのが、一般的な考え方です。しかし、本当にいらないものでしょうか。いらないものが、本当に存在するでしょうか。癌を手術で取り去っても、また別のところにできたりします。原因をそのままにして結果だけをいじっても、本質的な解決にはなりません。心身のネガティブな塊も同様です。霊能者に取ってもらっても本質的な解決にはならないのです。その原因がわからなければ、また似たようなものができてしまいます。その原因が、怒りや恐れや憎しみであった場合・・・塊を取り去ったとしても、自分自身のパターンに変化はありません。そのうちに、また塊ができてしまうのです。大切なことは、塊を通して自分のパターンに気づくことです。自分の傾向やこれまで溜め込んできたもの。自分の反応パターン。そういうものに気づくための塊なのです。それを人に取ってもらったら、せっかくの気づくチャンスをなくしてしまいます。自分のなかにシコリや塊があることは、何らかの不自然なものがあるというメッセージです。せっかくのメッセージに気づくことなく排除すれば、メッセージの意味がありません。今目の前にあるものは、すべて意味があるのです。それを無視しないで、丁寧に感じていくことですね。いやなことを排除しないで、いやなことこそ大切にすることです。そこに宝が眠っています。それらは、すべて自分に気づくきっかけです。排除しないで、すべてを気づいていこうとするスタンスがとても重要です。個々の気づきも大切ですが、気づき自体は単発のものです。その気づきをもたらす心の状態。それこそが何にも増して重要なのです。それは、生きる姿勢です。すべてを抱(いだ)き参らせて生きるスタンスです。嫌なものを排除しないのです。すべて包み込むのです。そこからでないと、愛や慈悲は生まれません。自分に都合の悪いものを排除する生き方からは、我が儘や自己中心が生まれるだけです。気に入らないものはすぐに排除しようとするのは、自分本位です。違和感を感じるものを排除しようとするのは、自分勝手です。しかも、自分で取り除くのではなくて、人に取ってもらおうとするスタンスは極めてイージーです。物事の本質を見ないで、表面だけで生きている証拠です。目の前の現象だけを取り繕おうとしているのです。その原因や本質を見ようとしないのです。ほとんどの人は、目先のことだけを見て生きています。なぜそんなことが言えるのかというと、今の社会がそういう社会だからです。見てくれだけの農産物。毒とわかっていながら、農薬を大量に使うのです。長期保存や見栄えをよくするための合成保存料や合成着色料。熱が出たら、すぐに薬で治そうとします。原因を見ないで、症状だけを治そうとするのです。それこそが、イージーで浅はかな生き方です。もっと一つ一つの本質を見ながら生きないと・・・排除からは、深さは生まれません。深さが生まれるのは、見守って理解する時だけです。その見守るスタンスが、何にも増して貴重なものなのです。それは、自我を超えています。個ではなくて、全体です。色ではなくて、空なのです。自我ではなくて、愛なのです。そういう生きるスタンスについて、延々と書いています。個々の気づきも大切です。自分自身に気づいて成長することは、楽しみでもあります。しかし、それはまだ自我の範囲内です。今の精神世界の傾向は、ここまでです。自己実現や自己成長。あくまで自己が大切なのです。それは、まだ自我の範疇を出ません。アセンシヨンにしても、似たようなものです。単に一段階次元が変わるだけのことです。それ以上の意味はありません。見守りは、それらを遥かに超えています。自我の範疇の外にあるのです。それこそが、絶対安心につながる道なのです。始まりも終わりもない意識の状態です。宇宙に広がる意識です。最も重要なのは、生きる姿勢です。生きるスタンスなのです。見守りのなかにすべてがあります。存在するすべてのものを抱き参らせて生きるのです。『違和感の あるものすべて 意味がある 自分自身に 気づくきっかけ』『目の前に 起きてくるもの 何であれ 必要あって 起きていること』『気づきとは 日々の暮らしの なかにある 日常こそが 気づきの舞台』『見守りは 時空を超えて 自我超えて 空の領域 愛の領域』『見守って いろいろ気づき 理解して 抱(いだ)き参らせ 生きる人生』これが日記を書き始めて2722日目の心境。
2012.06.16
コメント(1)
今日の屋久島は、朝から大雨。断続的に降ったり止んだりしている。向こう一週間は、ずっと曇や雨の予報。また台風も近づいている。今朝、「神聖ゴールデン貫入」を発送した。つい先日アップしたばかりの水晶。この日記にも取り上げた。昨日、行き先が決まった。この水晶を初めて見たのは、5月31日のミネラルショー。わずか半月で別れることになった。いかにも短い。でも・・・写真だけは、永久保存。なかなかこれだけの水晶はないので、当分、在庫なしのままアップしておくことになるだろう。この水晶は、「屋久島ライトクリスタル」の最高価格の記録を更新した。これまでの最高は、146000円だった。既に30万円以上の水晶もアップされている。しかし、まだ売れていない。行き先が決まったなかでの最高は、今回の177000円。たぶん、近いうちに記録は更新されるだろう。既に20万円以上するものが、7個アップされている。最高価格は、33万円の巨大ヒマラヤ。近々、これを上回る水晶をアップする予定でいる。それは、最高クラスのマニカランのヒマラヤ水晶クラスター。しかし、これで驚いてはいけない。東京に行った時、友人の同業者と話をした。彼は、最高で300万円の水晶を売ったとか。こちらは、まだまだ足下にも及ばない。将来的には、そのような水晶も扱いたいと思っている。誰が買うの?わからない。でも、きっと必要な人がいるだろう。もう少しアップしているものが売れたら、仕入れたい大型水晶が一つある。上京した際に見てきたが、あまりにも高くて手が出なかった。もし仕入れたら、間違いなく百万円を超える水晶となる。万一売れなくても、自宅にあるだけで満足と思えるレベルの水晶。昨夜は、たくさんのラブラドライトのブレスレットを作った。大玉のラブラドライトを大量に仕入れてきた。しかし、よく見ると玉のサイズがバラバラ。すべてのブレスレットを分解して、玉の大きさを合わせて作り直した。ラブラドライトは、怪しく光る。それは、まるで星雲のようにも見える。いや、オーロラだろうか。なんとも不思議な光。ラブラドライトは、銀河系のエネルギーと言われる。確かにそうかもしれない。見ていると意識が揺れるような感覚になる。物質的なこの世のエネルギーではない。こういう石が存在すること自体が、不思議。それぞれの石が、宇宙とつながっている。そして、人の意識とも。ということは・・・人の意識は、宇宙からできている?確かにそういう側面もある。人の意識は、この世バージョンでもある。しかし、そうでない部分もある。元々そうでないものが、地上に生まれたためにこの世バージョンになっているだけかもしれない。人の意識は、元々は宇宙的。それが地球ナイズされているだけ。意識の元を辿ると・・・遥かに宇宙に行き着く。いや、宇宙以前に至る。実は、意識の方が宇宙よりも古い。意識に即して宇宙はできあがった。一旦できあがると、意識は宇宙の影響を受ける。相互に影響し合う。響き合う。物質化して忘れていたものを星々が思い出させてくれる。石たちも、元々の宇宙的な意識を甦らせる。石に刺激されて、人は純粋な元の意識を思い出す。意識の遠い原点に目覚める。そういう可能性を石は秘めている。世の中は、パワーストーンブーム。パワーストーンブームは、石をこの世バージョン化したもの。ほとんど御利益宗教と変わらない。物質的な自己の利益と結びついている。そういう扱い方をしても、自我を強めるだけ。ほとんど意味はない。もっと石の原点に立ち返ったほうがいい。石は、もっともっと深いものを秘めている。人が忘れ去ってしまった宇宙の記憶。そういうものを思い出させてくれる。潜在意識のなかにある魂の記憶。更にその奥にあるもの・・・石の波動が、人の心身を刺激する。それによって忘却していたものが甦る。まだまだ石は目覚めだしたばかり。これから更にパワーアップして人類に貢献してくれることだろう。それは自己の利益というような小さなレベルではない。もっと人の意識の領域を広げてくれる。新しい石の時代が始まる。人類がこれまで体験したことがないような石たちとの共生がスタートする。そういう石たちを提供していく。人の意識を開く石。人の意識を拡大する石。人の意識を本来の宇宙的にする石。『石の持つ 波動は遥か 宇宙的 人の宇宙と 響き合う石』『新しい 時代は人も 石たちも 共に目覚める 光り輝く』これが日記を書き始めて2721日目の心境。
2012.06.15
コメント(0)
今日の屋久島は、梅雨時にしては明るい。昨日は、一日中、暗かった。山にかかっていた雲も、かなり薄くなりつつある。朝からキジの声がしている。「屋久島とヒマラヤ」というメールが来た。単純に屋久島から届いたヒマラヤ水晶についてのメールだったが・・・ふと、屋久島とヒマラヤの関係は何だろうと思った。意外と考えたことがなかった。一番好きな水晶は?即座に「ヒマラヤ水晶」という答が出てくる。間違いなくヒマラヤ水晶が一番好きな水晶。なぜ?やはり、霊性に満ちているからだろうか。他のところの水晶とは、何かが違う。そういうわけで、自宅にはヒマラヤ水晶が数え切れないほどある。ヒマラヤ水晶と一口に言っても・・・ネパール、インド、パキスタン、チベット・・・ヒマラヤは、広い。いろんなところで水晶が採れる。それぞれ特徴がある。ネパールやインドのヒマラヤ水晶は、メジャー。どこのサイトにもある。しかし、「屋久島ライトクリスタル」の売りは、パキスタンのヒマラヤ水晶。たぶんどこのサイトよりもたくさんあるだろう。かなり珍しいものもある。マニアックなものさえある。パキスタンのヒマラヤ水晶は、宝の山。ユニークなものが、いくらでもある。それらは、世界第二の高峰K2(8611m)の近くで採れたもの。K2は、エベレストよりも峻険な山。完全な独立峰。ヒマラヤを代表する山の一つ。ヒマラヤは、天のエネルギー。屋久島は、地のエネルギー。ヒマラヤは、地球の第七チャクラ。屋久島は、地球の第一チャクラ。ヒマラヤと屋久島は、対極に位置する。なんとも不思議な関係。霊的な水晶が地上に降りてくる。それには、深いわけがある。こちらは、元々天系。霊的なエネルギーは、黙っていてもいくらでも入ってくる。しかし、それだけでは不十分。地に足が着いていない。屋久島は、いのちの島。地球の息吹が吹き出ている島。しっかりグランディングできるところ。だから、屋久島に住んでいる。自分自身のなかで天と地を調和させるために。天のエネルギーをしっかりと地上に降ろすために。ここは、安定している。しっかりグランディングしながら、霊性でいられる。先日、ぴあのさんからメールが届いた。夢を見たらしい。--------------------------------------------------昨夜、シトリンを枕元に置いて一緒に寝ました。夢を見ました。夢の内容はすっかり忘れたのですが、エネルギーだけは残っています。それに、夢のなかがほんのりシトリン色でした。シトリン色に包まれていて、とてもきれいでした。エネルギーも、シトリンでした。夢のなかは叡智に満ちていて、なんともいえない穏やかな世界でした。私は至福でいっぱいで、その世界も至福でいっぱいでした。夢の後半はkimiさんが出ていらして、もうすぐすごいエネルギーを持って帰ることができるから、楽しみにしていてほしいと皆さんに・・・そして私に、「結界が張られていて、まだ入れないんだよ。でも、もう少ししたら結界が開くから、そうしたら今まで以上にすごいものが現れるんだよ」、とおっしゃいました。そうおっしゃっている向こうに、透過するように巨大なエネルギーの塊が二つ現れました。私は、「あのエネルギーか、楽しみだなあ、早くこちらに来ないかなあ」と、ワクワクしていました。そこで、目が覚めました。--------------------------------------------------もうすぐすごいエネルギーが届くのだろうか。確かなことは、何とも言えない。でも、その可能性はある。時代は、それを必要としている。人類は、もっと劇的に変わる必要に迫られている。喉元過ぎれば熱さ忘れる。それが今の日本政府と国民。愚かにも原発を再稼働させようとしている。目先の利益に惑わされて最も大切なものを忘却している。もっと節電すればいいだけの話。わずか15%ぐらい、どうにでもなるだろうに・・・単純に夏場だけ生活を15%切り詰めればいいだけ。ヒマラヤに行けば、天のエネルギーは降りている。しかし、それだけでは不十分。それでは、大地に浸透しない。一人一人にまで届かない。人類に届くには、人を通してエネルギーを降ろす必要がある。天のエネルギーを受け取りやすいタイプの人たちがいる。こちらもその一人。しかし、本当に地上に根付かせるのは、簡単ではない。天の時、地の利、人の和。それらが揃う必要がある。ヒマラヤに降りる霊的なエネルギーを屋久島で受け取る。それがヒマラヤ水晶が大量に屋久島に届く理由。地球の第七チャクラから第一チャクラへ。天からの霊的なエネルギーを地球のエネルギースポットに入れる。その際のサポートとしてヒマラヤ水晶たちは、やって来ている。そのサポートを得て、こちらは日記を書いている。文章にすることで霊的なエネルギーを現実化する。文章とは、地球上の言葉。霊的なエネルギーを地球化するプロセス。言葉に変換することが、天のエネルギーを地に根付かせること。そういう作業をするために屋久島に住んでいる。そういう仕事をするためにヒマラヤ水晶がたくさんある。もちろん、サポートしてくれているのはヒマラヤ水晶だけではない。カテドラルクォーツなど他の水晶たちも、しっかりサポートしてくれている。しかし、メインはヒマラヤ水晶。天からの霊的な水晶たち。他の水晶たちは、グランディングを助けたり、地球からの発信を助けたりしている。いろんな水晶が、それぞれの役割を果たしている。それらの水晶たちに支えられて、こちらはこちらの役割を果たしている。それが自分が望んだ道。今生でやりたいこと。これまでの転生でずっとやって来たこと。数日前の日記にも書いたが、屋久島がムーの時代にも似たようなことをしていた。過去世から同じようなことをしている。屋久島ともヒマラヤとも縁がある。もちろん、水晶たちとも。そういう縁の集大成として今生がある。これまで培った能力を発揮して地球や人類に貢献する。そのために生まれてきている。それを淡々とやるだけ。特段の使命感もなければ、特別な高揚感もない。日々、普通に暮らしている。ただ、どんどん理解が深まっているのは確か。人生や宇宙の仕組みが、より明確にわかってきている。理解が深まるにつれて、心は更に安定する。人生に余裕が生まれる。ゆっくりと落ち着いて生きていける。天と地のエネルギーを感じながら・・・『ヒマラヤに 天から降りる エネルギー 屋久島の地に 浸透させる』『天と地を 結ぶ役目の 水晶が 世界中から 屋久島に来る』『人類の 意識のシフト 起こすため 天と地つなぎ 霊性満たす』これが日記を書き始めて2719日目の心境。
2012.06.13
コメント(4)
今日の屋久島は、一日中、雨だった。断続的に激しい雨が降ったり止んだりしていた。山の方は、まったく見えなかった。ただ庭の黄色や白の花だけが風に揺れていた。一昨日から「屋久島ライトクリスタル」では、新しい商品をアップし始めた。トップページのリフォームが一段落し、いよいよ東京で仕入れたものの掲載が始まった。初日は、ブレスレットを4個。二日目は、ペンダントトップを4個。今日から真打ちの水晶のアップが始まった。なんだかんだ言っても100個以上の水晶を仕入れてきた。もっと絞るつもりだったが、気がつくと100個を超えていた。お金があると、ついつい買ってしまう。しかし、ミネラルショーも既に7回目。さすがに目が肥えてきた。行く度に仕入れるものは、バージョンアップしている。幸せこの上なし。今日は、大きな貫入水晶をアップした。貫入水晶とは、水晶の中に水晶が入っているもの。「クォーツ・イン・クォーツ」または「マニフェステーション」と呼ばれる。なかなか珍しい。ただでさえ珍しい貫入水晶だが、今回のものはスペシャル。まず、そのサイズ。高さが23センチ、重さは1.8キロを超える。大きい!それだけではない。中の水晶は、なんとゴールデンヒーラー。黄金色に光っている。それを別の水晶が外側から覆っている。まず初めに中の水晶が結晶する。それをリモナイトやマグネシウムが覆う。これでゴールデンヒーラーの完成。普通であれば、ここまで。ところが何らかの地殻変動で、また水晶全体が熱水に覆われる。その熱水の中には水晶の原料となる二酸化珪素が満ちている。温度が下がるにつれて、元の結晶の上に二酸化珪素が結晶していく。これが貫入水晶ができるプロセス。だから、貫入水晶とは名ばかり。小さな方が大きな方に貫入したわけではない。貫入したように見える方が、元々の水晶。つまり、小さい方が古い水晶。このように別の水晶に覆われると、水晶の中に水晶があるように見える。そこで、「クォーツ・イン・クォーツ」と呼ばれる。この貫入水晶は、人の秘めた思いに光を当てる。なぜ?人の真の願いは、元々潜在している。外側からは、見えない。ところが、貫入水晶は外側から中の水晶が見える。つまり、内にあるものを見えるようにする働きがある。ほとんどの貫入水晶は、ポリッシュされている。それは、無研磨で美しい貫入水晶が少ないため。ところが、今回アップしたものは無研磨。自然のままでも美しい。この水晶には、神聖な雰囲気がある。ただの水晶ではない。一目見た瞬間から惹きつけられた。しかし、ミネラルショーの会場では貫入水晶とは気がつかなかった。ホテルに持って帰って、じっくり見て気がついた。これは・・・もしかしたら掘り出し物?東京では、そこまでだった。屋久島に戻って、さっそく海と川で浄化。見違えるように美しくなった。サイトにアップするために写真撮影。更に美しさが際立った。これは、もしかしたら・・・本当に神聖な水晶?そうとしか思えない。そういう雰囲気であり、エネルギー。人のなかに潜在する真の願い。それは、魂の願い。魂が、今生にかける思い。それこそが、自分自身の真の願い。そういうものに気づかせてくれる水晶。しかも、ゴールデンヒーラー。真の願いの方は、金色に輝いている。人の奥深くに眠る光り輝く魂の願い。数え切れないほどの地球での転生。その総決算としての今生。魂としても今生にかける思いは、格別なものがあるだろう。その魂の願いを胸に秘めて生まれてきた今回。自分の奥深くには、その魂の願いが生きている。生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、絶えずあり続ける。その真の願いに気づかせてくれる水晶。なんとすばらしい水晶だろうか。それこそが、水晶屋をやっている意義。人が真に生きるためのサポート。ただ水晶を売るだけでは、それほどの意味はない。人の真実を支えることこそが、真の水晶屋の役割。そういう水晶を仕入れ、必要な人に届ける。それでこそ水晶屋をやっている意味があるというもの。ただ右から左に水晶を動かすだけでは、ただの商売人。そんなことをするために生まれてきたのではない。水晶には、水晶の役割がある。それを正しく理解し、それを必要としている人の元へ届ける。それこそが、真の水晶屋。自分がやりたいこと。今日から新しく仕入れた水晶をアップし始めても、終わるのは7月末頃。まだまだアップしていない水晶が自宅には山ほどある。アップするのは、限定500個。全部アップし終わるには、次々と旅立ってもらう必要がある。ところが、最近はなかなか旅立たない。動きが鈍い。どうしたの?どうしたのだろうか・・・ゆっくり、じっくりアップしていくしかない。まだまだ魅力的な水晶が天こ盛り。サイトに写真がアップされるだけでも幸せ。実物を見ていると、更に幸せ。今回の貫入水晶は、高価。でも、本当はこれでも安すぎるかもしれない。その真の価値からすると、激安。もう一つゼロがあってもいいくらい。でも、これでも普通の人には買いにくいだろう。簡単に買える金額ではない。そこは、奥の手。買わなくても楽しめばいい。見るだけなら、タダ。見てエネルギーを感じるだけなら、無料。インターネットは、いい。何でもタダで見れる。サイトの写真からでもエネルギーは届く。それを十二分に感じて、自分の真の願いにフォーカスすればいい。そうすれば、気づけるかもしれない。何でも活用すればいい。高すぎて自分には縁がないと思わないこと。何でも使いよう。活用すれば、役に立たないものはない。どうぞ無料で活用してほしい。『新しい 時代の波は 人々に 真の願いに 気づけと告げる』『真実の 願いに気づく サポートを するためにある 貫入水晶』『この胸の 奥に秘めたる 真実の 願いに気づく 時はきませり』これが日記を書き始めて2718日目の心境。
2012.06.12
コメント(1)
今日の屋久島は、雨になっている。山の方は、白い雲に覆われて見えない。海の方も、白いモヤがたちこめている。梅雨空の下、鳥たちだけが元気にさえずっている。昨夜、屋久島をガイドした人から電話があった。彼女は、その時にムーの時代を思い出した。ムーの時代の情景がビジョンとして見えた。そこには、こちらも一緒にいた。もちろん、姿形は今とは違う。にもかかわらず、どうしてこちらとわかったのだろうか。彼女に言わせると、目の奥と魂の匂いが同じとのこと。目の奥と魂の匂い・・・その当時は、宇宙の光を受け、地球の光を宇宙に届けていた。高貴な存在だったらしい。彼女に言わせると、今とは比較にならないと。今は・・・親しくなると、ただのオヤジ。オヤジギャグばかり言っている、普通のオッサン。どこにでもいる平凡な人。当時の面影もない。かろうじて日記のなかに当時の高貴さが残っている。もしこれで日記を書かなかったら、ほとんど存在価値はないかもしれない。いや、水晶屋とガイド屋で、ほんの少しだけ存在価値があるかな?小指の先ほど・・・人格が、まるで違う。その当時は、冗談一つ言わない真面目な人。真面目と言うよりも、やはり高貴。普通の人とは、まったく異なる。今は、人格的にはほとんど普通の人。けっこうこの世バージョン。普通に暮らしている。とは言っても・・・土台は、同じ。基礎部分は、魂だから変わらない。その基礎の上に建っている家が異なる。家は、時代の影響を受ける。その変わらない部分が、目の奥にある。そして、魂の匂い。変わる部分は、人格や肉体。それらは、生まれる度に異なる。共通の土台の上に、別の家を建てる。それが、生まれ変わりというもの。家の材料は、その時代のその土地にあるもの。だから、生まれ変わる度に違った家ができる。日本人として生まれれば、木の家に住む。ヨーロッパで生まれれば、石の家となる。アメリカインディアンの時は、テント暮らし。魂は共通でも、人格や肉体はその都度異なる。グループソウルは、同じ時代に生まれてくることが多い。みんなで一緒に転生している。但し、関係性は、その都度違う。親子であったり夫婦であったり・・・ある時は、敵対することもある。競争したり、競合したり・・・切磋琢磨しながら意識を深化させる。多くの体験を通して豊かな魂を培っていく。今生は、ムーとアトランティスの融合。宗教と科学の統合。霊性と物質の調和。それらを完成させるために生まれてきた。今この時代に、これまで地上に降りていないエネルギーを降ろす。それによって意識を変革する。物質ナイズされた人類の意識を霊化していく。本来のスピリチュアルな意識に戻す。そういう課題を持って生まれてきている。それは、ムーの時代を遥かに凌駕する。比較にならないエネルギーが降りてくる。その受け入れ準備は、完了した。メインのことをやっていれば、少しは遊びがあってもいいだろう。人格の三分の一は、遊び?三分の二は、真面目に日記を書いている?いや、そうではなくて・・・人格の表面部分は、この世バージョン。深い部分は、魂バージョン。その調和、統合がなかなか難しい。だんだんと魂バージョンが人格の大部分を占めつつはあるが・・・人は誰でも、基礎部分は魂バージョン。その上に、この世バージョンの人格が乗っている。どこにフォーカスして生きるか。どの部分をメインにして生きるか。この世の主導権は、人格部分にある。魂部分は、完全に人格部分をコントロールできるわけではない。人格部分には、この世を生きる責任がある。その分だけ、この人生の主導権が与えられている。いかに生きるかは、今生の人格しだい。時々、魂から人格にメッセージが届く。しかし、それをキャッチできるとは限らない。あまりにもこの世バージョンすぎる人格には、魂から雷が落ちることもある。そうなると、事故やアクシデントが起きる。それは、目覚めよという魂からのメッセージ。それに気づいて人格が目覚めてくれるといいのだが・・・なかなか気づかないのが、この世の人格。ベースは、ベース。何と言ってもベース。ここを拠り所にしない限り、人生は安定しない。自分のベースは、本来の魂に置くしかない。自分のベースをこの世の物質に置けば、不安定極まりない。自分のベースを肉体に置けば、やがて老衰していく。自分のベースを人間関係に置けば、周りに振り回される。自分のベースを魂に置く時だけ、人は真に安定する。自分のベースをどこに置くか。本来の魂に置くことができれば、人は真実を見い出す。それ以外のところにおく限り、人は迷う。目の奥と魂の匂いにベースを置くことだろうか。『目の奥に 燃える炎が 魂の この世にかける 真の情熱』これが日記を書き始めて2717日目の心境。
2012.06.11
コメント(0)
昨日、この日記は予想通り100万アクセスを達成した。これで、いつでも楽天から引っ越せる。タイミングを見計らって、どこかへ移ることになるだろう。そこで、また新しい日記が始まる。ここのところ、連日、「屋久島ライトクリスタル」のトップページのリフォームをしている。写真を多用し、ずいぶんカラフルになった。見やすくなり、わかりやすくなったのではないだろうか。そう言えば・・・先日、マスタークリスタルの一つが旅立った。それは、ヒマラヤグリーンDTマスター。まるで密教の法具のような水晶。計り知れないエネルギーを秘めていた。その水晶を手にした方からメールが届いた。その一部を紹介する。---------------------------------------------------------------------昨日、水晶さんが我が家にやってきてくれました。値段の付けようのない・・・と説明がありましたが、まさにそうですね。一見地味なんですが、会うべくして会ってしまった「運命の水晶」という感じです。以前から友人がヒマラヤクラスターの話をしていて、私は特に興味がなかったのですが、日曜日の夜に、なんとなくネットであちこち見ていて、kimiさんの屋久島の日記にたどりつきました。おもしろいなーと思って読んでいたのです。(ヒマラヤ水晶を見ずに、先に日記に夢中になっていました)そこで目にとまったのが、1月の「水晶の秘めたる可能性」でした。正直びっくりしました。値段のつけ方に。(笑)いったいどんな水晶なんだ?と興味を持ち、商品のページに移動して探しました。値段からして、これだなとすぐにわかりました。いいですねぇー。きれいです。赤ちゃんを抱いたお母さんの姿に見えました。でも、私が惹きつけられたのは、今回我が家にやってきてくれた水晶だったのです。値段を見て、びっくり・・・もしやこれも本当は手放したくないために法外な値段なのか?(笑)本当に笑ってしまいました。私は、水晶オタクでも、お金持ちでもありません。私は獅子座生まれで、とにかくキラキラ、ゴージャスなのが好きなんです。なのに・・本来なら絶対に目にとまらないはずのものに釘付けになってしまったのです。なぜなら、その水晶の中にいる自分自身が見えたのです。うまく説明できませんが、とにかく最初から決まっていたかのように「やっと会えたね」という感じでした。しかし、値段でやはり迷いました。明日になってもまだ売れていなかったら、やはり「私を呼んでくれているんだ」と思い、購入は翌日にしました。まだ丸一日しか経っていないのに、何年も、それよりずっと以前・・・前世から一緒にいるという感じがする水晶です。本当に不思議です。おまけに頂いたヒマラヤ水晶は、今にも宇宙まで飛び出しそうなトビウオに見えます。 ヒマラヤ水晶ってこんなにきれいだったんだと初めて知りました。ありがとうございました。私はパワーストーンの存在は数年前から知っていましたが、去年友人から雑誌の付録についていたという鉱物標本みたいな石をもらってから、石に興味を持ちだしたので、まだまだ初心者です。本当にいい石に巡り合えて感謝しています。何人もの人たちの努力で、遠いヒマラヤからやってきてくれたんだと思うと「ありがとうございました」と感謝の気持ちでいっぱいです。日記に書かれていたように商品の説明が丁寧で、本当に石をよく見て説明されており、石に対する「愛情」が感じられました。すっかりkimiさんの日記にはまっています。水晶もまだ欲しいものがありますので、またよろしくお願いします。---------------------------------------------------------------------「運命の水晶」「水晶の中にいる自分自身が見えた」「やっと会えた」「前世から一緒にいるという感じがする水晶」 よほど深い縁があるのだろうか。ここまで感じるとは、すばらしい!これまでたくさんの水晶を届けてきたが、こんなメールをもらったのは初めて。「運命の水晶」を届けることができて、これ以上の喜びはない。この水晶は、89000円もした。確かに法外な値段。水晶業者やコレクターからは、高すぎると非難されるかもしれない。しかし・・・霊的な目がある人なら、非難することはないだろう。むしろ、逆な意味で法外と言うかもしれない。それは、ゼロが一つか二つ足りないということ。それほど、この水晶が秘めているエネルギーは計り知れない。ヒマラヤがいくら広くても、このレベルの水晶がたくさんあるとは思えない。かなり限られた数しかないだろう。ほとんど天然の密教法具。形、色、そしてレインボー。そのどれをとっても、特別なものがある。深さというか、緻密さというか・・・まるで人格があるような感じ。限りなくスペシャルな水晶であることは間違いない。この水晶は、パキスタン産。世界第二の高峰K2(8611m)の近くのスカルドゥー(Skardu)で採れたもの。パキスタンの水晶は、まだ日本ではあまり出回っていない。しかし、そのクオリティはすばらしい。これまで何度かパキスタンの水晶がまとめて送られてきたが、その度に掘り出し物があった。この水晶も、そのなかの一つ。パキスタンの水晶は、宝の山。これからも、すばらしいものが多々出てくるだろう。幸か不幸か、パキスタンは治安が悪い。今もアルカイダが出没する。そのため外国人は近づけない。しかし・・・それによって水晶の乱開発が防がれている。水晶が出るところには、外国人のバイヤーが群がる。その結果、乱開発が進む。質の悪いものまで山から運び出される。水晶の採掘は、自然破壊でもある。節度を持って、ほどほどに。感謝しながら山の幸をいただく気持が必要だろう。あまり金儲けの手段にしすぎるのはよくない。これからもパキスタンのヒマラヤ水晶は、こちらに届く予定。更にバージョンアップしていくに違いない。それには、水晶を守る意味もあるらしい。パキスタンに置いておくことに危険がある。いつアメリカ軍が爆撃を始めるかわからない。いつアルカイダが山を爆破するかわからない。戦争が始まれば、水晶は破壊される。水晶が形成されるための時間は、バーミヤンの大仏の比ではない。水晶は、まさに世界自然遺産。地球の宝。人類の役に立つ神からの贈りもの。そういう意識で水晶と出会う必要がある。水晶を利用して金儲けすることは、邪道。結果的に水晶を扱う人も豊かになればいい。大切なのは、目的。意図。水晶を尊重し、水晶を大切に扱う。水晶を理解し、水晶と共に生きる。本当に水晶を必要としている人に届ける。水晶と人が一緒にいることによって、共に輝くように。水晶を扱う上で最も大切なことは、その秘められた可能性を理解すること。水晶に潜在するものを意識化することによって、目覚めさせること。意識化することは、光を当てること。それによって水晶の可能性が花開く。運命の水晶に出会うことによって、人の運命も変わる。その人に潜在していた可能性が現実化する。水晶は、人の可能性を引き出す。人によって目覚めさせられた水晶は、また人を目覚めさせる。『水晶は 地球の宝 水晶が 持つ可能性 計り知れない』『それぞれの 水晶が持つ エネルギー 見ているだけで 心が躍(おど)る』『すばらしい 水晶たちが やって来る 心ウキウキ 嬉しさいっぱい』『すばらしい 水晶たちに 出会うのは この上もない 生きる喜び』『水晶と 出会うことから その人に 潜在していた ものが花咲く』これが日記を書き始めて2716日目の心境。
2012.06.10
コメント(2)
今日の屋久島は、曇。とても蒸し暑い。まさに梅雨。ダイエットには、いいかも?この日記は、今日中に100万アクセスに達しそう。2005年1月にスタートして以来、6年半が経過した。この間、多くの人に読んでいただいた。その結果が、100万アクセス。最初のころから読んでおられる方もあれば、途中からの方もあるだろう。どちらかというと、途中からの方が圧倒的に多いに違いない。入れ替わりはあるけれども、一日平均368人の方が読まれている。その結果としての100万カウント。この6年半で、世の中も大きく変わった。何と言っても、東日本大震災が大きい。これによって社会が一変した。後世、きっと時代のターニングポイントとして語られることだろう。しかし、社会の変化以上に自分自身も変わっている。日記を書き始める前と今とでは、天と地ほど違う。まるで別次元。精神状態が、まったく異なる。わずか6年半で、よく変わったもの。まさに劇的に変化している。日記を書き始める前の自分とは、まったく別人。何が変わったか。色と空、個と全体。それが自分のなかで確立した。もう揺らぐことはない。何があっても微動だにしない。個として自分自身を生きている。すべてを抱(いだ)き参らせながら。自分のやるべきことをやり、水晶や自然を楽しんでいる。静かに豊かに暮らしている。特にほしいものもない。特にやりたいこともない。夢も希望も特段なし。淡々と暮らしている。別に不満もない。嫌なこともない。平々凡々。可もなし、不可もなし。好きな水晶に囲まれて幸せに暮らしている。しばくは、この暮らしが続くだろう。特に何もない。日々、夢の如し。本当に、毎日が不思議な感じ。まるで夢を見ているよう。水晶も美しいし、花も美しい。ネコも可愛いし、鳥たちも可愛い。それぞれが、それぞれのいのちを生きている。豊かな色の世界。豊かさの源は、変化。無常であるが故の人間的悲しみもある。喜怒哀楽、悲喜こもごも。それもまた抱き参らせて生きるしかない。良いも悪いも、好きも嫌いも、すべて変化する。この世に変化しないものはない。自他の成長を見守り、楽しむ。変化は喜びでもあり、悲しみともなる。出会いがあれば、別れもある。多くの方が、この日記を読み、また去って行く。深い縁のある人たちと一緒に生きる。それは、過去世からの縁に限らない。グループソウルとしての絆。みんなで共に生きている。今の時代に生まれ、今の時代を共有している。変化の時代。変革の時代。激変の時代。これから更に変化に加速度が付く。霊的なものと物質的なものに二極分化していく。本来の霊性を取り戻す人は、幸いなり。そうでない人は、重たい物を背負って生きることとなる。時代の流れ。地球の流れ。太陽系の流れ。銀河系の流れ。そういう流れの集大成として、今がある。今ここにすべてが集約されている。今ここに宇宙の始まりも終わりもある。色も空も個も全体も、すべてが今ここに収斂する。鳥の声が響いている。それは、美しい。何とも言えず心に染み渡る。その声に聞き入れば、もう何もいらない。『今生の 役割果たし 淡々と この世楽しみ この世を過ごす』『日記書く ことが役割 変革の 時代の流れ 加速すること』『日記書く ことで目覚める 人あれば それで本望 それが役割』『今生の 六十年の 人生は 日記書くため あるようなもの』これが日記を書き始めて2715日目の心境。
2012.06.09
コメント(9)
今日の屋久島は、曇。これから大雨の予報が出ている。昨日、水汲みと水晶の浄化に行って正解。浄化は、一日に2回も行くことになった。これで今回仕入れた水晶たちは、すべて浄化が終わった。今、机の前に並んでいる。すばらしい!実にすばらしい!!浄化すると、本当に見違えるように美しくなる。キラキラと輝き始める。本来持っている光を発し始める。浄化する前は、眠れる獅子。水晶の可能性を引き出すためには、まず浄化。それから、よく観察する。その水晶の特徴を深く理解する。それを意識化することによって、水晶は活性化する。特に写真に撮ると、更に細かい特徴がわかる。写真にすると何倍も美しさが際立つものもある。それは、それだけ潜在能力を秘めていたということ。ただ見ただけではわからないこともある。一昨日、屋久島でガイドをした方から電話があった。この方は、kimi水晶館にも寄られた。その際に大きなヒマラヤ水晶のクラスターを求められた。ピンク色の美しいヒマラヤ水晶だった。その後、大型水晶にはまってしまったとのこと。ネットオークションで買いまくったらしい。自宅には、たくさんの大型水晶たちが並んでいる。ところが・・・どうも彼女のヒーリングパワーの質が落ちているとか。どうして?こんなに大型水晶が増えているのに?それは・・・どうも質の悪いものが含まれていた様子。大型水晶だけでなく、大型のブレスレットもネットオークションで購入したらしい。そのなかには、モリオンやラピスラズリのブレスレットもあったとか。ところが、これが偽物。放射線をかけたり染色したりしたもの。中国経由のものは、偽物が多い。その偽物によって、彼女のヒーリングパワーの質が落ちたらしい。彼女は・・・いつも母親にヒーリングしている。そのお母さんは、エネルギーが見えたりするらしい。それで、質の低下を指摘されたとか。何でも大きければいいというものではない。やはり、質でありクオリティ。その水晶にどれだけのエネルギーがあるか。それと同時に重要なのが、どのような経路を辿って自分のところに届いたか。実は、そちらの方が更に重要。というのは、ほとんどの人は水晶をそのまま使う。自分流に浄化する人は、少ない。そうなると、購入した時点の水晶の状態のまま。それは、多くの人の手を経ている。まず採掘した人。それを仕入れて売る人。途中で加工されれば、加工した人。それを販売する人。自分で採掘しない限りは、多くの人の手を経て自分のところへやって来る。水晶は、ピュアー。多くの人のエネルギーを吸収する。もしそれが・・・儲け主義の人の手を経ていたら・・・儲け主義のエネルギーが入ってしまう。お金になりさえすれば何でもする未熟な人たちもいる。特に最近の中国は、何でもあり。ブランド品に限らず、水晶やブレスレットの世界でも偽物が横行している。偽物でなくても、安く買いたたいて少しでも儲けようとする業者もいる。彼らは、質は問わない。ただ安ければいい。クオリティの低い水晶やブレスレットを大量に仕入れて、大量に売りさばく。そういうものが、日本でも1000円ブレスなどとして売られている。それは、ほとんど自然破壊に近い。彼らは、儲かりさえすれば何でもやる。そういう水晶やブレスレットを手に入れて、どういう意味があるだろうか。もちろん石本来のエネルギーはある。しかし、それに+αが付いている。その+αに問題がある。低いエネルギーのものを手にすれば、自分自身のエネルギーも低くなる。逆に高いエネルギーのものを手にすれば、自分自身のエネルギーも高くなる。金額の多寡ではない。何のために水晶やブレスレットを手にするのか・・・ただきれいだから?美しいものを手にしたいから?それもいい。しかし、それならエネルギーも美しい方がいい。ネットオークションでも、説明文が丁寧であればいいかもしれない。それは、個々の水晶やブレスレットをよく観察していることを意味する。よく実物を見ていないと、詳しい解説は書けない。どれも似たようなおざなりの解説文なら、そこから買うのはやめた方がいい。それは、水晶やブレスレットに対して愛情がないことを意味する。ただ儲かればいいという人は、詳しく観察したりはしない。適当な一般的な解説文がコピーされているだけ。写真の撮り方も不自然に色を強調してある。こちらも写真の加工はする。しかし、それは実物に近づけるためのもの。必要以上によく見せるためのものではない。まして故意に色を濃くしたりはしない。しかし、ネットオークションの大手では、いつも必要以上に色を濃くしているサイトがある。あり得ない色味と、あり得ない価格。偽物か写真の加工か・・・少なくとも愛情の結果でないことは明らか。そういうところから安く手に入れることは可能。でも、そういうものが高い波動を持っていないのも明白。いくら安くても、波動が低くては話にならない。水晶は・・・それに対してどれだけのエネルギーを注いでいるか。どれだけの愛情を持って接しいるか。それによって、波動がまるで違ってくる。すべては、よくよく水晶を見つめることに尽きる。よーく観察して、その特徴を見極める。それを明確に意識化することによって、水晶は活性化する。それが人と水晶のコラボ。それでこそ水晶も活き活きと人のために役に立つようになる。もちろん、それを自分でできるなら安く買ってもいいだろう。これまでの経歴を帳消しにして、本来のピュアーな状態に戻せる自信があったらネットオークションでもいい。でも、できれば素性の良い水晶やブレスレットであるに越したことはない。いくら浄化しても、偽物ではどうにもならない。良心的なネットショップを見分けるコツは、解説文。個々の水晶に対して丁寧に書かれているかどうか。これが写真だけとかタイトルだけでは、話にならない。それは、個々の水晶をよく見ていない証拠。水晶が好きで水晶に愛情があるなら、解説文も充実するはず。そういうサイトであれば、安心して買っていい。水晶を大切に扱っているし、水晶を見極める目もしっかりしている。そういうところは、一般的に良いものを仕入れている。やはり、サイトのエネルギーが大切。エネルギーの良いサイトには、エネルギーの良い水晶が集まる。それは、波動の法則。すべては、共振共鳴。波動の高いものを身近に置けば、自分自身の波動も高くなる。好循環。波動の低いものを身近に置けば、自分自身の波動も低くなる。悪循環。自分自身の基準が問われる。安ければいい?逆に高ければいい?いずれもお金が基準。波動の高いものを手にすることだろうか。自分自身の波動を高めたかったら。金額も考慮する必要はあるが、後先が逆。まず波動、それから金額。これは、水晶やブレスレットに限らない。丁寧に心を込めて作られたものを手にすること。それが最も価値がある。金額の多寡ではない。水晶やブレスレットであれば、それがどのように扱われているかを注意した方がいい。儲け本位か、愛情を注いでいるか。それによって、波動は天と地ほど異なる。ピュアーで美しく、波動の高いものがいい。電話をしてきた方には、偽物は海などの自然に帰すように話をした。波動の低いものは、海や川などで時間をかけて浄化するように勧めた。そして、これからは金額ではなくて波動に注意するように。そのことについては、ご本人も深く自覚されたようだった。『愛情を 込めて水晶 見つめれば それに応えて 水晶光る』『水晶も 物も何でも 同じこと 心を込めた ものが一番』これが日記を書き始めて2714日目の心境。
2012.06.08
コメント(0)
今日の屋久島は、台風一過。さわやかな天気になっている。さっそく、水晶の浄化に行く。ところが・・・まだ台風の余波で、海は大波が打ち寄せていた。波の勢いが強く、干満の差も激しかった。川は、大増水。これまでに見たこともないような勢いで流れていた。いつもより上流の水の少ないところに水晶を入れたザルを置く。それでも流されそうになる。石で支えて、やっと安定する。確かに海も川も台風一過。今日は、天体ショーもあった。金星が太陽を横断した。そのサイズたるや・・・まさにケシ粒の如し。まるで大日如来と孫悟空?いや、ルシフェル・サタンと神?ルシフェル・サタンは、以前は明けの明星のような天使だったとか・・・そんなことを聞いた記憶がある。圧倒的な存在感の違い。太陽に比べたら、金星はゴミのよう。しかも、太陽の方が遥かに彼方にある。実際の違いは、比較にならない。これこそが、まさに抱き参らせの世界。太陽=大日如来は、すべてを抱き参らせている。善も悪も、正も邪も。それらの違いは、大日如来の前ではほとんど意味を為さない。とは言っても、ネガティブが凝り固まると・・・石よりも硬くなってしまう。もうどうしようもなくなる。そうなると・・・やがて、自己破壊する。極限まで凝縮されたものは、やがて爆発する。爆発して粉々に砕ける。原形を留めない。それは、天罰ではない。自分で選んだ道。ネガティブの行き着く先。それは、自己分裂の道。つまり、自我は極限まで行くと自己破壊する。粉々になって宇宙に帰す。それは、物質と同じ。それが自然な流れ。凝り固まらないで、しなやかに生きることだろうか。それが生きているということ。凝り固まることは、死への道。それは、心も体も同じ。生きているということは、しなやかさ。しかし、しなやかさだけでは形を保てない。それでは、水のようになってしまう。しなやかさの内に芯が必要。芯は、真であり、神でもある。中心に真を持つ。真とは、神そのもの。霊性。中心に真=神を保ちながら、現実をしなやかに生きる。不動の霊性を保ちながら、現象に臨機応変に対応する。変化極まりない色の世界を、揺るぎない空と共に生きる。ゆったりと見守る視点を持ちながら、てきぱきと仕事をこなす。いつもの金星は、明けの明星。東天に光り輝く美しい星。しかし、太陽の前では見る影もなかった。小さな黒い塊に過ぎない。相対的と言えば、相対的。あまりにも太陽が大きすぎる。太陽こそが、太陽系のいのちの源。すべてを抱き参らせる大日如来。太陽の光は、無償。ただ与えるだけ。それこそ、まさに無償の愛。それが抱き参らせの世界。すべてを抱き参らせて、自分を生きる。個であり全体である自分を生きる。ゆったりと大きく構えつつ、現実に即して生きる。全体の視点を常に保ちつつ、個として生きる。『金星は 愛の星ゆえ 太陽の 前を過ぎれば 愛がいや増す』『次々と 天体ショーが 起きる時 人も宇宙も 変容し出す』『日常の 小さなことに 囚われず 抱(いだ)き参らせ 生きてゆくのみ』これが日記を書き始めて2712日目の心境。
2012.06.06
コメント(1)
上京した時、初日に鎌倉の水晶のお店に行った。そこで、長くこの日記を読んでおられるTさんにお会いした。メールのやりとりも多く、これまでに何度も日記に引用させてもらっている。帰宅したら、またメールが届いていた。----------------------------------------------------------------------------- 素敵な水晶とたくさん出会えましたでしょうか。鎌倉ではお世話になりました。Kimiさんにお会いできて、すごく嬉しかったです。たった3時間でしたが、私にとってはものすごく濃い3時間でもありました。お店で体験したことは、私にいろいろな気づきをもたらしてくれました。「お腹にあるネガティブなものは自分では取れない」そうお店のオーナーさんに言われた時には、すごく動揺してしまいました。教えてもらったヨガ教室に行ってみようかという気持ちにもなっていました。でもそれは恐怖心から行こうとしてるだけで、結局、それも依存ですよね。後でkimiさんから「大丈夫だと思いますよ。」と言ってもらえて、どれだけ気持ちが落ち着いたことか。。。今はお腹のネガティブさんといっしょにいてあげようという気持ちでいます。これが何なのか、そのうちわかる日がくるでしょうか。これからは瞑想などの時に感じてあげる時間を持とうと思っています。でもわからなくても、kimiさんが言ってくださったように、私がもっともっと光で満たされれば、もうどうでもいいことなのでしょうね。Kimiさんとお別れしたその後はとっても気分が高揚してて、ぽわんとした温かい気分になっていたのですが、次の日になると寂しい気分でいっぱいになってしまいました。過去世でご縁があってその関係からこんなに寂しくなるのかと思っていましたが、今朝、瞑想をしてた時にkimiさんのお顔が浮かんできたのですね。それと同時に観音様のような温かいエネルギーというかなんというか、慈愛?そんなものを感じまして、あ、これだ!と思いました。Kimiさんの側にいると、とってもとっても心地よかったのですね。すべてを包み込んでくれるような、なんでも許してくれるような、何とも言えない安心感。このエネルギーにずっと包まれていたい、そんな思いが寂しさに結びついたのかもしれません。私自身の中からも同じような慈愛がどんどん湧いて出るような、そういう存在になりたい。Kimiさんにお会いして強く強くそう思いました。もう少しお金が貯まったらサンストーンとラブラドライトのブレスレットと次男のアルプス水晶をまとめてオーダーさせていただこうと思っています。後2週間ぐらいで貯まりそうなのですが。。。日記や水晶のアップを楽しみにしています。ありがとうございました。----------------------------------------------------------------------------- このメールに対して、こちらから送ったメール。----------------------------------------------------------------------------- 無事に屋久島に戻りました。お店のオーナーには、少し驚きましたね。あんなパワーがあるとは・・・でも、大切なことは、やはり自他を見守りながら自分自身を生きることですよ。瞑想中にお腹のネガティブなものを感じてあげるといいでしょう。排除しようとしないで、あたたかく包み込むことですね。それが何ものにも増して貴いことです。そこからしか慈しみのエネルギーは生まれませんから。排除からは、慈愛のエネルギーは生まれないのですよ。ゆっくり落ち着いて進んでいけば大丈夫ですよ。(後略)----------------------------------------------------------------------------- 水晶のお店のオーナーは、不思議な人だった。人のチャクラの状態がわかり、それを開いたり閉じたりできた。また、体に憑いているものも見えるようで、それを取ったりもできた。なんとなく霊能者のような人だった。本人に言わせると、霊能者の次元は超えているとのこと。もちろん霊能者にありがち悪意はなく、善意に満ちていた。Tさんは、彼から腹部に何かネガティブなものがあると言われた。それは、一生自分では取れないとも・・・Tさんは、以前から腹部に違和感を感じて病院で検査したりしていた。でも、特に異常は見つからなかった。そういうこともあり、気になった様子。お店で教えられたヨガ教室に通ってみようという気にもなったようだ。何かが憑いていると言われると、すぐにでも取ってもらいたくなるのが人情。得体の知れないものは、すぐにでも排除したい。その気持ちは、わからないでもない。しかし・・・取ってもらっても・・・また憑いてしまう。一時的に良くなっても、また元に戻ってしまう。それが多く見られるパターン。自分自身が根本的に変わらないことには、本質的な意味はない。確かに一時的には楽になるかもしれない。しかし、それは一時しのぎ。それだけでは、他力本願の依存のまま。Tさんの基本スタンスは、賞賛に値する。ネガティブなものと一緒にいて、それを理解する。いたずらに排除しようとしない。すべてを抱(いだ)き参らせる。排除の論理からは、慈しみのエネルギーは生まれない。それは、結局、身を削ることで終わる。いらないものは取ってしまうというのが、現代医学。なんでも手術して排除するというのが現在の西洋医学。手術して速く楽になりたいと思う。しかし・・・手術したが故に更に悪化したり、挙げ句の果てに亡くなったりするケースも多く耳にする。そもそも・・・いらないものは取ってしまうという考え方そのものにイージーさがある。表面しか見ない浅はかさがある。本質を見極めようとしない生きるスタンスに問題がある。そこには、この世オンリーバージョンの生き方が垣間見える。イージーな生き方は、イージーな結果を生む。落ち着いて、じっくり見極めることだろうか。わからなければ、わかるまで一緒にいる。そんなに急いで排除しようとしない。基本は、すべてを抱き参らせる。すべてを大きく包み込んで、それぞれを尊重する。たとえネガティブなものでも、それにはそれなりの存在理由がある。それを見極め、理解する。ガン細胞は、体の他の部分を守るためにできる。忌み嫌うべきものではなくて、それこそが救生主。身を犠牲にして全体を守ろうとしている勇者。それを悪者視して排除しようとするのは、あまりにも浅はか。すべてのものに存在理由がある。それを理解することが、この世を十全に生きるためには必要。理解するためには、いたずらに排除しようとしないこと。すべてを抱き参らせて、わかるしかない。抱き参らせていれば、ネガティブなものも変化していく。自分自身の光が強くなれば、ネガティブなものは自然に消えていく。自覚し、意識し、光と共にある。そうすれば、すべては光化していく。排除の論理というのは、この世バージョン。自我の世界。自分を個と思うが故の錯覚。全体であれば、排除という発想はあり得ない。慈愛のエネルギーは、全体のなかにある。個のなかにはない。排除しようとしない時にのみ現れる。排除がある時に慈愛はない。個として生きる際には、選択も必要。しかし、それだけでは排除の論理。全体的な無選択があって、その上で個としての選択をする。個としての選択だけで生きると、混乱が生じる。個から慈しみが生まれることはない。慈しみは、全体からしか生まれない。愛は、慈しみの子供。個々の愛は、慈しみに続く道。個としての愛は、全体としての慈しみにつながる。氷が融け、水が温まり、やがて水蒸気となる。個として固まっていたものが、愛によってゆっくりと融けていく。その愛は、やがて水蒸気となって全体に広がる。個別性を持たない愛は、慈しみへと変容する。それが、人類史。一人一人が歩いている道。愛から慈しみへの道。『繊細に 静かに満ちる 慈しみ すべてを包み すべてを活かす』『個々の愛 通して至る 慈しみ 抱(いだ)き参らせ 抱き参らせ』これが日記を書き始めて2710日目の心境。
2012.06.04
コメント(1)
今朝は、雨の屋久島になっている。しっとりとした空気感。これが、屋久島。東京とは、まるで違う。東京は、羽田からモノレールに乗ると、砂漠にやって来たような気分になる。その原因は、緑の少なさと乾燥した空気。屋久島のしっとりした空気とは、まるで異なる。そして・・・寒々とした人間関係。電車の中で、あたたかさというものがほとんど感じられない。屋久島は、もっとほのぼのとしている。お互いに知っている人が多いということもある。それに加えて、のんびりと暮らしているから。東京のように急ぎ足で歩いている人はいない。人口密度も、ぜんぜん違う。まるで異星人のような気分。それでも東京で暮らしていると、これに慣れてしまう。でも、殺伐とした暮らしをするつもりはない。空気と同じように、しっとりとした屋久島の方がいい。呼吸が楽。屋久島空港に着いて飛行機から降りた途端に感じる、この解放感。このやさしい空気感。本当にやさしく、やわらかい。しっとりとして心身にやさしい。東京では、たくさんの水晶やブレスレットを仕入れた。200万円近く買ったので、かなり大きな水晶も含まれる。無研磨で透明感のある大きな水晶が4~5本はある。シトリンもカテドラルクォーツもヒマラヤ水晶も買った。今回のミネラルショーは、珍しくシトリンとカテドラルクォーツがたくさんあった。そのなかのベストのものを買ってきた。ゴールデンヒーラーも、かなり仕入れた。珍しいものもあった。水晶の中でヘマタイトがキラキラ光っているもの。ゴールドルチルならわかるが、ヘマタイトが輝いているのは初めて見た。美しい黄金色のエルムウッドのカルサイトもあった。レコードキーパー(△)が付いた水晶も大量に仕入れた。珍しいところでは、モリオン(黒水晶)のクラスターを3個。こちらは、カテドラルになっている。かなり大きなガネーシュヒマールもあった。全体が緑色をしている。ガネーシュヒマールは、ネパール政府の方針で輸出規制されているらしい。原石ではなくて、できるだけ加工したものを輸出する方針とか。特にアンモナイトなどの化石は、ほとんど輸出できない状態らしい。そのアンモナイトの化石を1個だけ買ってきた。それは、完全に石の中にあるもの。石が半分に割られていて、それを開けるとアンモナイトが出てくる。こんな化石は、初めて見た。ヒマラヤは、太古は海底だった。知り合いにも何人か会った。初日に北鎌倉の卸の店で、Tさんに会った。わざわざ横須賀から会いに来てくれた。ネット上の知り合いなので、初対面。三日目には、20代からの友人の秋田のSさんと夕食。食事の後、ホテルで4~5時間も話してしまった。近況報告、懐かしい話、これからの話。親しい人なので話が尽きない。ミネラルショーでも、顔見知りの業者とたくさん話をした。それによって、水晶業界の近況がわかる。水晶業界の近況とは、つまり世界の水晶事情。そして、日本の動向。以前東京に住んでいて、原発の影響を避けるために奥さんの実家の山口に引っ越した同業者ともミネラルショーで会った。しばらく一緒に見て歩いて、共同仕入れなどもした。たくさん買うと安くしてくれるため。彼はヒマラヤ水晶専門なので、こちらよりも丁寧に見ていた。細かいところまで時間をかけて見て、すばらしい水晶を発見していた。一緒に見ていながら、明らかに彼の方が目利きだった。こちらは、彼に比べればアバウト。もう少し正確に注意深く見ないと・・・ちょっと反省。最終日には、何度も屋久島に来たことのあるUさんとミネラルショーの会場で合流。お薦めのお店に連れて行って、いくつか鉱物をゲット。しかし、ミネラルショーは、ものすごい人。あまり長い時間はいたくないところ。一般公開の前日に業者デーがある。その時は、そんなに混んでいない。しかも、商品も良いものがたくさんある。その上、特別価格にしてくれる。その日のためにミネラルショーに行くようなもの。今回もスペシャルなものが買えた。それは、シトリンのカテドラルクォーツ。単なるシトリンカテドラルなら珍しくはない。こちらは、ものすごく澄み切っている。上から下までクリアーそのもの。色も濃く、最高のシトリン。カテドラルの形も極めて美しい。ブラジル人の業者が、あなたが買わなかったら10分で売り切れると豪語した一品。まだ誰も来ていない一番に行ったから買えたもの。これだけ美しいシトリンは、久しぶり。一部研磨されているが、未研磨の部分にはたくさんのレコードキーパー(△)が付いている。ミネラルショーの前に行った北鎌倉の店では、5キロ近いヒマラヤクラスターを仕入れた。インドのマラカラン産の最高品質のもの。透明度も照りも最上。トップも完璧。普通の水晶にゴールデンヒーラーが貫入したものも手に入れた。高さが30センチぐらいある無研磨のポイント。ピンク色の巨大なポイントもゲット。スモーキーシトリンの超クリアーな大型水晶も購入した。数年前に出た初期のレムリアンシードの大きなポイントもゲット。今では、このようなタイプは見当たらない。典型的なレムリアンシード。でも、高かった。最高級のコロンビア水晶のカテドラルクォーツも手に入れた。こちらも飛び上がるほど高かった。コロンビア水晶は、ものすごく値上がりしているらしい。高くなりすぎて、なかなか買えないと卸業者が嘆いていた。値上がりした原因は、コロンビアの採掘業者が市販価格を知ってしまったため。水晶も、かなり価格変動がある。産出量や人気にも左右される。珍しいものは、極端に高い。その極端に高いものの一つが、ブルートパーズの原石。シトリンカテドラルを買ったブラジル人の業者が持っていた。放射線をかけていない天然無研磨のブルートパーズ。ブルーの色が濃く、それはそれは美しかった。形も完璧に結晶していた。大きさは、10センチ近かった。価格は、70万円。お金に余裕があったら買いたかったが・・・同様に世界最大というアクアマリンの結晶もあった。高さが15センチぐらいはあった。価格は、150万円。こちらは、見るだけで満足。そういう高価なものも、たくさん見られるのがミネラルショー。別に買わなくても、親切に見せてくれる。行く度に知り合いの卸業者が増えているので、どんどん楽しくなっている。でも・・・インド人が持って来るヒマラヤ水晶は、行く度に値上がりしている。一般価格は、前回と同じ1グラムあたり60円。ところが、卸値が高くなっていた。もっとも、相手を見て卸値も変わるのだが・・・こちらはベストのものばかり少なめにチョイスしたので、高く吹きかけられた。結局、前回よりも1グラムあたり5円も高くなった。でも、トップクオリティのヒマラヤ水晶が手に入った。ヒマラヤ水晶に関しては、日本人から買った方が安いことも多い。今回仕入れたものは、これから浄化する必要がある。しかし、季節は梅雨。なかなか晴れてくれない。しかも、一度や二度では浄化しきれそうにない。さて、いつまでかかるか。浄化できた分からアップする。大型水晶が、どんどんアップされるだろう。かなり見応えがあるに違いない。ミネラルショーに行く度に、ネットショップは充実していく。質量共にアップしている。後は、価格だろうか。もう少し安い方が買いやすいかな?客観的に言うと、ブレスレットの方が割安。水晶の方が少し割高。思い入れが強い分だけ、値段も高くなりがち。特にあまり売りたくないものは、高めの価格設定になる。ブレスレットはそんなことはないので、コンスタントに割安。他のネットショップと比較しても、質からすると安い。これからは、もう少しブレスレットを増やす必要がありそう。ブレス系も、たくさん仕入れてきた。と言っても・・・金額ベースでは、原石系が三分の二でブレス系が三分の一ぐらいだろうか。どうしても自分の好みが反映される。ただ、ラリマーとラブラドライトだけは大量に仕入れてきた。両方とも今の時代に必要な石。特にラブラドライトは、大粒のブレスレットをたくさん仕入れることができた。最近は、大粒で良質のものはほとんどない。1ヶ所だけあったので、良いものはみんな買ってきた。ラリマーは、珍しくペンダントトップを仕入れた。ハート型の可愛いやつ。もちろん、ブレスレットも何個かは買った。ブルームーンストーンは、大玉も小玉も仕入れられた。今、最大の問題は、水晶を置く場所。今日か明日には、自分で梱包してホテルから送ったものが届く。大型水晶が多いので、場所を取る。自宅は、既に水晶で満員状態。さて、どこに置いたものか・・・本をしまうにしても、もうしまえるのは棚一つ分だけ。既にほとんどの本は、倉庫のなか。最後の手段は、もっと置く密度を高めるしかない。これまでは、屋久島バージョンの置き方。これからは、東京バージョンの置き方?ちょっと息苦しいが、売れるまでの辛抱。もっとも・・・また業者が自宅に水晶を送ると言っていたので・・・なかなか減らない在庫。と言うより増え続ける在庫。さてさて、どうしたものか・・・『次々と すごい水晶 やって来る ここは屋久島 水晶の島』『屋久島に 届いた水晶 開ける時 言うに言われぬ 幸せがある』これが日記を書き始めて2709日目の心境。
2012.06.03
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1