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小学5年生の甥は去年あたりから野球チームに入っている。最近はようやくレギュラーとして先発出場させてもらえるようになってきたらしい。日曜日は仙台市周辺の小学野球チームの大会の初日で、甥の父親(つまりぼくの義弟)はチームの副会長になっているので開会式から試合の最後まで甥と一緒に参加するというので、実家に帰っていたぼくもついて行くことにした。ついて行こうと思ったのには副次的な理由がある。その野球チームの会長が、ぼくの同級生のベー君だと聞いたからだ。ベー君は正式にはアベ君というが、小学校に上がる頃にはみんなからベー君と呼ばれていた。ベー君は6年生の息子がチームのキャプテンで、自分も会長だから、きっと大会に来るのではないかというのだ。ベー君は幼稚園の時はカンガルー組だった。あの幼稚園では年少組から年長組へ上がってきた人だけがカンガルー組に入る。ぼくはゾウ組だった。カンガルー組もゾウ組もだから同じ年なのだが、カンガルー組の園児の中には自分たちはゾウ組やラクダ組の園児よりも1才年上なのだと勘違いしているヤツがいた。同年齢だという点は理解しているヤツの中にも、何らかの理由でカンガルー組の園児はほかの2つの組の園児よりもエライと主張しているヤツらが多数いて、ベー君もそんなところがあった。根拠はないのに、カンガルー組の園児の前では、ゾウ組やラクダ組の園児もなんとなく小さくなっているところがあった。ベー君とは小学3年生のときに同じクラスになった。あの年の仙台市立F小学校3年4組はいろんな面白い仲間がいて、美人の出浦先生のもとにとても強い団結力があった。学内のスポーツ大会でもなかなか強い学級だったが、その理由の1つはベー君がいたからだ。ベー君はスポーツ万能で、サッカーでも野球でも3年生にしてすでに統率力を見せていた。ほかのクラスにもスポーツ万能なヤツはいたが、カッコをつけたりイジメをしたりせず、自然にみんなのまとめ役になるようなヤツはベー君くらいだった。朝5時半に起きて、義弟の運転する車で甥とともに小学校のグラウンドに行くと、やがて白いBMWに乗ったガタイのいいオヤジが現れた。あの雰囲気はきっとベー君だ。こちらに歩いて来た彼に、わざと当時の呼び名で「ベー君。」と声を掛けると、彼は一瞬戸惑い、思案するような表情を見せたが、ぼくが何者かまだ判別が付かないようだ。しかたないのでヒントに、ほら、F小学校3年4組、担任は出浦先生だったでしょと言うのだが、彼は依然「なんでそんなこと知ってるの?」と言うだけで、答までは出て来ない。仕方ないので身の上を明かすと「…あれ、そんなになったの!?」というストレートな反応を示した。思えばベー君とはN中学を卒業した後は高校時代に駅で数回顔を合わせた程度で、27年くらい会っていない。彼は学ラン姿のぼくしか知らず、ぼくのスキンヘッド時代も長髪時代もサラリーマン姿も見たことがないのだ。四半世紀を飛び越えて一気に中年オヤジのぼくの姿を見せられても、ピンと来なかったとしても無理もない。それに、頭髪がすっかり薄くなり肌が衰えたベー君にしてみれば、腹も出ていなければ黒髪をフサフサさせているぼくを見てもまさか同い年の同級生だとは思いもしなかったのかも知れない。実家の親からの情報によれば、ベー君は2度離婚し、最近2度目の再婚をしたらしい。6年生の息子は最初の妻との間の子供だという。ぼくが15年くらい前に実家に帰省したときは大型長距離トラックのドライバーをしていると聞いたが、今は市営バスの運転手をしているそうだ。子供たちが試合前の練習をしている様子を見ながら、ベー君から同級生たちの近況について聞く。お茶屋のNは夫婦関係に悩んで自殺した、私立中に進学したEはその後ヤクザになり、自動者事故で顔面がグチャグチャになって死んだ、N中学の番長だった不良のKは理髪士の道に進み、今は某大手男性カツラの会社で成功している、小中学校ではパンツというあだ名で呼ばれ消極的でウダツの上がらなかったIはバブルの時期に田畑を売った実家が大金持ちになり、親が死んでその遺産を受けて地域きっての大富豪になった、中学の不良グループの中では一番ダサいヤツとしてバカにされていたGも事故か何かで死んだ…地元の同級生たちも結構みんなベー君に負けない波乱の人生である。それにしても、キャッチャーのポジションでキャプテンとしてチームを率いているベー君の息子はあの頃のベー君にソックリだ。あの体格、ゲームの最中のあの真剣な表情。はにかむような笑顔。幼くして親が何度も離婚するような経験をしながら、微塵もグレた様子を見せず、ハキハキと挨拶している。将来が楽しみだね、とベー君に言うと、ちょっと照れながら「どうだかねえ…オレ自身がコレだからねえ」などと笑いながら言う。中学まで野球部にいたベー君は、スポーツでは有名な高校に進学するとラグビー部に入った。彼に言わせると、入学したら自分の名前が勝手に部の名簿に記載されていたのだという。通学時に駅ですれ違ったベー君は、先輩のユニフォームを練習後に毎日持って帰って洗濯させられ、翌日まで乾燥させるのが大変だと言っていた。自宅で乾燥し切れなかったときはコインランドリーを使うのだが、梅雨の時期なんかはカネが尽きて、同級生をカツアゲして乾燥機代を集めていたという(笑)。そんなさまざまな問題行為が校内で明るみに出て部が活動停止になった後はスポーツでの活躍の機会も失い、ベー君は社会に出てフツウの人になったらしい。ベー君は言う。小学校の頃、1学年上に、超速球投手のムトウ君とか、ジャンボというあだ名で呼ばれていた異常に体格のいい先輩とか、地元では知らない人はいない超小学生級(笑)の野球少年がいたが、いずれもその後はスポーツの世界で名をなすこともなく「フツウの人」になったという。ベー君自身はもう何も運動はしていないという。やはりその能力と体力を持て余しているのか、結構いつも飲んでいるようで、昨晩も地元の同級生と朝の4時まで飲んでいたという。でもたったの2時間睡眠でもシャンとしている。やっぱりスゴイ体力だ(笑)。健康診断を受けても血圧その他は正常で、唯一引っ掛かるのは肝臓だという(笑)。試合は3回裏サヨナラ逆転負けだった(小学生野球の試合は9回ではなく3回なのだ)。選手たちは勝敗へのこだわりがあまりないのか、あるいは負けなれているからか(笑)、それほど悔しい様子も見せない。打順が最後だった甥だけが、自分にバットを振るチャンスが回ってこなかったので不満そうな顔をしている(笑)。ベー君の息子が父親の元に笑顔で駆け寄ってきた。チームのリーダーも父親の前では可愛い子供だ。ベー君は息子の肩に手を掛けながら「オイ、コラ、オレのひと粒種!」などとちょっと自慢気に言う。すると息子は、まるでぼくたち大人の会話を聞いていたかのように、「うん、そういうお父さんは、小学校6年生が絶頂期だもんね!」などと返す(笑)。父親が同級生の前で息子に一本取られている。別れ際にそのうちカナダにも遊びに来てよ、ナイアガラの滝でも案内するからと言うと、行くよ、宝くじが当たったら!…とベー君。宝くじに当たるよりも、息子がスポーツで成功する方が確率が高いか。いや、どっちもどっちかも知れない。それより、酒とタバコを止めたらカナダに来るくらいのカネはすぐに貯まりそうな気もする。27年振りに会った同級生に刺激されて、少しでもまた体を動かす気になったろうか。あるいは、息子の絶頂期が6年生で終わらないよう、息子のコーチに一層力を入れることにでもしただろうか。
2010.10.31
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3007号室にドアの向こうに立っていたのは、日本人がトンガだとかサモアだとかいった太平洋上の島国の住民のイメージをそのまま戯画化したような、四角っぽい体躯に巨きな頭を乗せた、濃い顔の熟年男性であった。着ている洋服を脱がせて虎のパンツをはかせて角をつけたらそのまま赤鬼になりそうな、迫力のある顔である。彼は夜遅くまで会議をして深夜にホテルに帰ってきては毎晩心地の悪いシングルベッドに寝かされる苦痛を吐露した上、COP10の前の催し物に出席するために東京で日本政府が用意してくれたホテルの部屋がいかに広くて快適であったかを比較し、このような部屋に1晩4万数千円を払う価値はないと断言した。理由はいろいろ並べ立てるが、要するに自腹を切るのは1銭でも少ないしたいのである。オレは、彼の部屋は本来なら3万円近くする部屋であり、そんな部屋にシングルの料金で泊まれているのはホテル側の好意によるものであるからして、大臣がシングルに相当する料金しか払わないというのは妥当ではないと主張した。しかし彼は、自分がシングルから移動したという事実はないと言う。側近のクセに態度がデカいだけでなく、部屋を移動した事実を否定してまで大臣の部屋料金を値切ろうというのか。それにしてもさっきから話が微妙にズレている。大臣の部屋の料金の話をしているはずなのに、側近の彼はさっきから「この部屋 this room」が小さいとか4万数千円の価値はないとか言っている。オレはそこまで考えてハッとした。オレたちが話している相手は実は側近ではなく大臣ではないのか??オレは途端に弱腰になって、ところであなたはもしかしてあなたはトンガの大臣ご自身ですか?…と尋ねた。憮然とした表情で「Yes, I am.」と応える彼に、オレたち3人は顔を見合わせ、…エ、今まで大臣の側近だと思って話していました、I am sorry と伝え、3人並んでホテルの部屋の床の上に一斉に土下座した。もうこの時点で勝負ありだった。オレもそれまではトンガ王国の大臣とは知らず結構アグレッシブに対応していたこともあり、とつぜん「we humbly plead...」とか「we ask you kindly pay...」とか不必要なまでに丁寧な英語に変わり(笑)、もはや強く出れなくなってしまったのであった。おまけにオレなんかは「このような部屋を割り当てた環境省には我々からもクレームしておきますので…」などとつい大臣の側に立った発言までしてしまう始末であった(笑)。結局オレらは全額を取り立てるのは断念し、側近の部屋と同料金の額だけを払ってもらい、トンガ王国の大臣の部屋を退散した。オレらを見送る大臣は勝ち誇ったような満足そうな笑顔を浮かべているように見えた。部屋のドアが閉まるなり、Marijuanaさんは「あれえー、宿泊先紹介所のカウンターで話した人と同じような顔に見えたんですけど、たしかに側近にしては態度がデカいとは思ったんですよねえ」とか言い出した(笑)。オレ自身、よく確認せず最初から側近に会うものと決め付けて電話をしていたが、考えてみると側近の部屋の宿泊料金は支払い済みなのに、大臣の部屋の料金の取り立てのために側近の部屋に行くというのもヘンな話であった。外国人相手では負けず嫌いのオレとしては結果的に料金の一部を踏み倒されたようでかなり悔しかったが、トンガの大臣の部屋を訪れてMarijuanaさんたちと一緒に土下座をするという一生に一度の貴重な経験が出来たことに、オレは結構満足していた。イケメン課長も2勝無敗とまで言わないまでも、1.25勝0.75敗くらいの今回の勝負の結果にそこそこ納得されていたようであった。ところで後日マリファナさんからは楽天ブログの管理ページに、無償で取り立ての仕事を手伝ったお礼にいつかどこかスペシャル・ツアーへ招待してくれるとの連絡があった。彼のいうスペシャルというと、誰も知らない森の中のキノコの山とか特別な麻の草原といったイメージが浮かんでしまうのはオレの偏見だろうか。しかしそのメッセージには追伸があって、オレが短期記憶能力の劣化が原因で通訳を辞めざるを得ない状況になったら、一緒に養蜂家にならないかという勧誘で結ばれていたのだった。オレはそのツアーが少し楽しみではありながら、引き返せないワンウェイ・トリップになってしまわないかちょっと心配になるのであった。
2010.10.30
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宿泊料金を徴収するお客さまは複数いるらしかった。「ハルジさんに隣りで聞かれていると思うと緊張する(注・オレは彼に自分の本名を教えていたが、彼は上司がいる前でもオレのことを『ハルジさん』と呼んでいた)。」と言いつつ同氏は、ちょっとどもりながら英語で客室に電話をすると、宿泊客にロビーに降りてきてもらう約束をして電話を切った。Marijuana氏が手にしていた請求書を見ると、宿泊客名には「Dr.なんたら」と書かれており、住所にはアンゴラと書かれていた。アンゴラってどこの国だっけ?そういえば「アンゴラウサギ」とかいうウサギの毛が高価で取引されてたよな。どっか高地にある国だよね?南米だっけ?そういえば名前もラテンっぽいよね?…その宿泊客を待つ間いろいろ議論するものの、3人ともアンゴラがどこにあるか知らないのであった。カウンターで応対したことのあるMarijuana氏は、たしか肌の色がちょっと濃かったような気がする、ラテン系かも知れない、などと頼りないことを言う。しかしドクターというくらいだから、博士号を持つインテリなのだろう。それを考えると、丁寧な英語で慎重に対応したほうがいい。オレは、話がややこしくなりそうだったら自分がMarijuanaさんに代わって宿泊客に対応することにした。やがて、ビシッとスーツを着こなした長身の黒人男性がエレベーターから出て来た。携帯電話で誰かと話している。あれがその宿泊客だろうか?電話を終えたタイミングを見計らい、オレたちはその男性に近寄り「Dr. なんたらですか?」と尋ねると、やはりその人であった。そうか、アンゴラとはアフリカの国だったか。オレたちはロビーのソファに掛け、請求書の内容を説明した。同博士は、外交の仕事に携わり何十年も世界中を旅しているが、キャンセルした部屋の料金の8割も請求されたことはないと言った。オレは、たとえば1、2週間前のキャンセルであればチャージは発生しないだろうが、前日のキャンセルとなると話が異なるのではないか、と話した。博士はあいかわらず不満そうではあったが、ポケットから現金の入った銀行の封筒を出すと、宿泊料を全額払ってくれた。Marijuana氏は領収書を発行したあと、席をたった博士が置き去ろうとした銀行の封筒の中に千円札が残っていることを博士に指摘し、「それともこれは我々へのチップですか?」と尋ねた。すると博士はその千円札を受け取ると「今は冗談を言っているような場合ではない」と怒りを露わにして吐き捨て、その場から去って行った。出身国の物価に照らせば庶民の数ヶ月分の給与に価するようなキャンセル料を渋々払った後では「チップ」のジョークは明らかに不興であったようだ(しかしMarijuana氏に後で聞いたところ、同氏はあれが本当にチップかと思ったらしい)。さて、次の「回収」先はトンガ王国の大臣の側近であった。Marijuana氏によると、側近は自分が与えられたシングルの部屋が不服で、より広いツインの部屋にシングルの料金のままで変えてもらったらしい。しかし、最初からツインの部屋を与えられていた大臣は、それが「デラックス・ツイン」であったにせよ、自分が側近の部屋とたいして変わらない大きさの部屋に入れられ不服だったところに、日本政府の招待分を超過した1日分については自腹を切らねばならないことが判明した途端、デラックス・ツインの料金は絶対に払わない、自分は側近の部屋と同じ料金しか払わないとゴネ始めたらしいのだ。これは難題、難敵であった。オレは最初からMarijuanaさんに代わって大臣の側近の部屋に電話すると、電話に出た側近は早速不平を吐露し始めた上、とりあえずこの狭い部屋を見てくれ、この部屋で話をしようと言い始めた。まあそれもいいだろうということで、オレとMarijuanaさんとその上司は、名古屋マリオットの30階に上がることになったのであった。(なんだかまた長くなってきたので、明日につづく)
2010.10.29
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国連生物多様性会議(いわゆるCOP10)の仕事の合間に楽天ブログのメッセージを確認していたところ、7年来の楽天ブログ仲間であるMarijuanaさんから「(国際会議場の)2号館の宿泊案内所で仕事してます」との連絡が入っていた。ブログ上では出身地を明らかにしておらず、まったく面識のない彼であったが、名古屋近辺の在住だったのだろうか。いずれにしてもすごい奇遇である。自分の仕事の詰め所も2号館だったオレは、どれがMarijuana氏であろうかと遺失物預かり所の隣にある宿泊案内所に立ち寄ったところ、同氏のブログのプロフィール欄にある白黒写真によく似た背広姿の若い男が英語で外国人の応対をしているのを発見した。ハンドルネームに規制物質の名称をそのまま用い、ブログのヘッドラインにも規制物質の名称を並べている同氏が、ちゃんとスーツを着て仕事をしている様子を見て、オレはちょっと意外に思うとともにちょっぴり安堵した。カウンターに近づいてきたオレに気付くと、まるで面識があるような表情をした背広男の様子に、ほぼMarijuana氏であろうと目星をつけたオレは、英語で「I hear you are dealing marijuana here...(すいません、ここでマリファナの取引きをしていると聞いたのですが...)」と小声で尋ねた。すると彼はまるで秘密に触れられたかのような慌てた反応を示し(あとで聞いたところ、同氏はその日朝っぱらから一服してリラックスし過ぎてしまい、仕事に大遅刻するという失態を犯していたそうである)、「I know who you are!」と返してきた。これで彼がMarijuana氏であることは確定したので、オレは仕事が終わり次第このカウンターで再会する約束をして、仕事に戻った。ちなみにその日はまさにこの生物多様性会議の最終日であった。数多くの会議や審議のほとんどが先進国と途上国の利害や考え方の違いにより紛糾し、参加者も我々支援スタッフも疲労していた。オレはといえば前日は分科会で各国代表者の発言や声明を、体育館2つ分くらいはあろうかという巨大な会議室内を駆け回って収集する仕事をしており、前の晩4時間しか寝ていなかった。同様に、Marijuana氏をはじめとする宿泊案内所のスタッフも、やれキャンセル料を払いたくないだ、自分が頼んだような部屋があてがわれなかっただの言ってはカウンターに詰め掛ける外国人客への対応に追われ、充血した目をしてかなりテンパった表情で仕事をしていた(…しかし今思えば、彼らが充血した目をしていたのにはほかの理由があったのかも知れない)。はたして最終日は、前日までの飲まず食わずでの関係者の尽力によって多くの決議案が採択されたものの、一部の文書は最終日の深夜になっても折り合いが付かず、オレが準備を担当することになっていたその夕方の記者会見はどれもキャンセルとなった。おかげでオレは、下の階でカウンターの撤収作業をしていたMarijuana氏と一緒に帰れることになったのであった。ただし、Marijuana氏は帰る途中に寄るところがあった。「回収業務」が残っているというのである。オレは、同氏の友達ということで、彼の派遣先である某大手旅行会社のバンに乗せられ名古屋駅前のマリオットホテルにて同氏と一緒に降ろされた。Marijuana氏はどうやらここで同旅行会社の上司と待ち合わせ、「回収業務」に向かうようである。Marijuana氏はどちらかというとテンションの高い男であった。何かを思慮してから口に出すというより、自由連想法的に思ったことがそのまま次々と口にでるタイプというか。英語を話している時にせよ日本語を話しているときにせよ、いつも何かに突き動かされるかのように喋る。しかし、きれいな目をしていて、話すことにウラがないことは分かる。要するに純朴な男である。思えばオレもこのくらいの年齢のときは丁度こんな感じだったかも知れない(笑)。まもなくホテルのロビーに現れたMarijuana氏の上司は、某大手旅行会社の課長とはいうものの新卒間もない若手のサラリーマンにしか見えない爽やかで礼儀正しいイケメンであった。彼はすぐにMarijuana氏にホテルのレセプションから同ホテルの滞在者に電話をするように促した。そこでオレはようやく「回収業務」というのがCOP10に参加した外国人客からの宿泊代取り立てであることを悟った。(長くなってきたので、つづく)
2010.10.29
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ほうろうさんの奥さん、昨日は恥ずかしい気持ちを忍んでお食事にお付き合いいただき、ありがとうございました。直接本人の口からは聞けないほうろうさんのいろいろな話を伺うことができて、本当によかったです。『カナダからの手紙』や『後ろから前から』といった曲で知られた畑中葉子や、篠山紀信の写真集で一躍有名になった金八先生の川上麻衣子といった70後半~80年代前半のアイドルを思わせる奥さんは、25年以上前の高校時代のあの頃からほうろうさんの変わらぬ愛の対象であり続ける“永遠のアイドル”です。そして、「究極のところ、男は顔。」と言い切る奥さんが生涯の伴侶に選んだ男は、40代半ばを過ぎても10代の頃から変わらぬ体型とファッションに身を包み、昭和末期のアイドルのようないかにも優しそうな笑顔を平成の今になっても周りに振り撒き続けている熟女たちの永遠のヒーローです。2人は、四半世紀にわたる関係を経ても褪せたり倦怠することのない永遠の愛に結ばれた「ソウル・メイト」であり、お互いにとって欠かすことのできない「ベター・ハーフ」であり、日本では類いまれな「ハイスクール・スイートハート」であるというのが今回タイ料理を一緒に食べた末の結論です。友達の飼っていた犬を発泡スチロールの箱に入れて海に流したり、小学4年生やそこらですでに喫煙を始め、中学に上がる頃には盗難バイクを夜な夜な乗り回し、高校は暴走に夜遊びに朝寝・パチンコetc.で出席数は進級ギリギリ、社会に出れば上司に飛び蹴りを喰わせて新しい職場を半日で辞めて帰ってきたり、肉親や姉を殴ったり、通りがかりの酔っ払いを池に放り込んだり、仕事の休憩中に規制物質を吸って「人間ああなったら終わりだ」云々と同僚から言われていたような、ドイモいさんとはまた違った意味で普通の人にはちょっとついていけないすごい人物を、まるで子犬のように手なずけてしまえる奥さん。すべては愛と信頼のなせるワザといえましょう。でも、今回の食事の席には、レストランのユニホームであるタイのタイトな民族ドレスを着てきて欲しかった。ほうろうさんも、食事の席はいいから、長女も次男も出掛けているときにタイのドレスで自宅に帰ってきたらいいなとぼくに言っていた。ほうろうさんはぼくのブログにたまに「ぼくたちも4人目に挑戦しようと思います!」みたいなコメントを残していきますが、実はもしかすると本気なのかも知れない。奥さんと2人並んで写真を撮ってもらったとき、「奥さんの肩に手を回していいですか」「じゃあ腰に回すのはどうですか」と訊いて、夫であるほうろうさんが是認する前にすでに手を回していたぼくをファインダーを通して見ていたほうろうさんは一瞬少し険しい目をしていた。でもそれもぼくの気のせいかも知れない。ほうろうさんはちゃんと今回の食事の際に決めたことを守って、次男が高校を卒業する頃を目標に、奥さんをネパールに連れて行ってくれるだろうか。そしてその時、今回決めたとおりにぼくの同行を許してくれるだろうか?4年前に一緒に燕岳に登ったときみたいに、ブログのコメントで2~3回やりとりしただけで決めたことを実現させたように、ぼくが言ったことをちゃんとマジにとってくれるだろうか?まあいずれにせよそれまでにはほうろうさんも奥さんの希望に沿って喫煙をほぼ止めているだろう。そして奥さんも、絶倫の夫について見晴らしのよい高みに行けるよう持久トレーニングを積んでいるに違いない。それがぼくの夢だ。
2010.10.24
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今日ぼくは、出稼ぎ先の名古屋で、万引き犯のタイホに協力しました。名古屋国際会議場からホテルまで徒歩(というか、ジョギング)で帰る途中、金山駅前付近で男がダッシュで走って行くのを、エプロンを付けた若い男が「ドロボー」と言って追い掛けていました。お、これはひったくりか万引き犯の逃走劇だろうか、と思ったぼくは、反射的に男を追って走っていました。男は横から追ってくる通り掛かりのぼくに気付き、道をそれて駐車場に入って逃げようとしましたが、足が絡んで派手にすっ転びました。盗んだとおぼしき単行本は、手元から飛び出してアスファルトの上をスライドしていきました。エプロン姿の青年はその本を拾い上げると、興奮した様子で息を切らしながら、男を詰問し始めました。どうやら本屋の万引きだったようです。ぼくは、逃げるのを諦めた様子の男を後ろから羽交い締めにすると、「We are making a citizen's arrest!」と宣言して男を立たせ、店員らしき青年と本屋まで連行しました。逃げ出すかと思い肘をしっかり絡ませて歩きましたが、不思議と抵抗する様子はありませんでした。顔は20代後半といった感じで、ハアハアさせている息はタバコ臭く、衣服からも据えた臭いがしました。彼の脇をしっかりと掴みながらぼくは、彼の体臭が自分のスーツに染み込みそうで、ちょっとイヤだなーと思っていました。本屋のレジで証拠の品を確認すると、それは『ワンピース』の単行本でした。ぼくの姪が小学4年生の頃に愛読していた人気のアニメ漫画です。ぼくはその万引き犯がちょっと可愛くなって、その老け顔の丸い横顔を見ながら微笑んでしまいました。店員が警察と店長とおぼしき相手に電話している間、ぼくは男が逃げないよう、彼のバックパックをつかんでいました。きっと中に彼の素性がバレるような物が入っている可能生が高いので、これを掴んでいる限り逃げることはないだろうと思ったからです。まず、店長が到着しました。小柄で髪を赤く染めた40代後半といった感じの女性です。彼女はまず、騒々しいので、店員と犯人を奥の部屋に移動させました。店員がぼくに「証人として、ついていてください」と頼むのでぼくは彼らにずっとついていましたが、ホントは一対一になったときに犯人が暴力に訴えてきたら怖いから、店員はぼくにいて欲しいんだろうと思いました。店長は、たった1人だけになったレジの対応に追われています。犯人と店員は、防犯カメラのモニター前の椅子に向かい合って座り、なんだかずっと口論をしています。犯人は相変わらず「ドロボーと言われてビックリしたから逃げた」とか言って言い逃れをしていて(笑)、それに対し店員は「ドロボーと言ったのは逃走してかなり経ってからのことだ」「そもそも出入口の防犯ブザーがなってから走り出したらその時点でドロボーだ」と反論していました。どっちもさきほどの逃走劇の興奮から醒めず、かなり興奮した口調です。レジの手が空いたのか、店長が部屋にやってきました。「もうすぐ警察がきますから」「万引きで潰れる店だってあるんですからね」などと、丁寧語で説教をしていましたが、やがてふと脇に立っているぼくに気付き、怖い顔で「あなたはこの男性のお友達ですか?」と尋ねて来ました。そうか、ぼくはさっきからずっと傍でニヤニヤして立っていたし、どちらかと言えば善人顔より悪人顔なので、まさかタイホ協力者だとは思われず、犯人の仲間くらいに思われたのでしょう。ぼくは苦笑して返答に戸惑っている間に、店員はぼくがタイホ協力者だと慌てて説明してくれました。店長は深々と頭を下げて本気でぼくに謝っていました(笑)。ようやくケーサツ官が2名でやってきました。ことの次第を説明する店員に対し、往生際悪く「ブザーが鳴って驚き、どうしていいか分からなくなって逃げた」と言い訳しようとする男に、年輩のほうのケーサツ官が「そんなバカな説明はないだろう」「盗む意思がなければそこで止まれば済むことじゃないか」などと、辛抱づよく犯意が明らかになるよう反駁していました。さいきんは自白強要だとか冤罪が社会問題になっているので、決め付けるような言い方は避けているようです。年輩のケーサツ官は、だんだん人情刑事みたいになってきて、犯人の素性、たとえば母親と2人暮らしだとか、派遣で働いているとか、前科はないが少年時代に補導されたことがあるとかそういったことをスルスルと引き出していきました。両親が離婚し、女手ひとつで育てられ、定職もなく派遣で食いつなぎ、非行で親を泣かしながらも母ひとり子ひとりでひとつ屋根の下に暮らし、30近くになって金曜の夜に『ワンピース』を読んで過ごしているこの男の日常を想像し、なんだか憎めなくなりました(笑)。ぼくは、最初のうちはこんなやりとりをニヤニヤしながら楽しく聞いていましたが、だんだん飽きてきたので、ケーサツ官に「すいません、通り掛かりのぼくは、もう帰ってもいいでしょうか。」と尋ねました。ケーサツ官は店長よりずっと見る目があったらしく(笑)、最初からぼくがタイホ協力者かなんかだと目星をつけていたようでした。身分証明に免許証の提示を求められたので、カナダの免許を見せ、いま名古屋国際会議場でやっている生物多様性会議の仕事でこちらに出張していると説明したら、店長ともども驚いていました。滞在先のホテル名と部屋番号を教えたら、すぐに帰してくれました。それにしても、いかにも「通り掛かりの善意の人」といったフリをしながら、ホントは単にやましいヤツを追い詰めて捕まえるのが楽しかったというだけで、しかもホントは単に興味本位でずっとケーサツがくるまで当時者に付き合って話を傍で聞きながらクスクス笑っていたぼくは、万引犯にまさるとも劣らない心の腐ったヤツだよなあ、と思いつつ、でもこんな楽しい経験ができて、日本に来てよかったなあ、と、ホテルに向かって夜道をひとり歩きながら、とってもすがすがしい気分になりました。(おわり)
2010.10.23
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スシローと、ザ・メシヤがウマイよね
2010.10.22
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暑いね(出稼ぎ中の名古屋にて)
2010.10.22
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今回紅葉観光ツアーのガイドをするまで知らなかったのだが、「もみじ」とは植物の名前ではなく「紅葉」のことを言うそうですねみなさん。ぼくはカエデの葉の形をした「もみじまんじゅう」というのがあるくらいだから、モミジというのはカエデの一種を指していうのかと思っていました。そしたら、秋に色が変わる葉っぱの総称が「モミジ」だそうで、カエデはモミジの一部に過ぎないそうです。実際、パソコンで「もみじ」と入力すると「紅葉」と変換されますね。それにしても、日本もそうでしょうけど、カナダの紅葉はほとんどカエデの葉によるものですが、こうして紅葉を見に世界中から観光客が大挙やってきてくれることを考えると、カナダにとっては「カエデさまさま」って感じですね。カエデというのはご存知のとおりカナダの国旗にあしらわれているくらい、国の象徴となる木ですが、カナダといえばやはりメープルシロップが国の特産品で、観光客がみんなお土産にこれを買って帰るところを見ると、やっぱりカエデ抜きにカナダは語れないくらいつながりが深いよなあ、と思ってしまいます。カエデには、葉が真っ赤に変わるレッド・メープルとか、日本ではウリハダカエデとよばれているストライプト・メープルなどがあり、これらのカエデの木からもシロップが採取できないこともないようですが、市販されているメープルシロップが取れるのはシュガー・メープル(サトウカエデ)だけだそうです。カナダの国旗にあしらわれているのも、ほかでもないシュガー・メープルの葉ですね。メープルシロップは冬の終わりから春の初め頃の、最低気温がマイナス5℃、最高気温がプラス5℃くらいになるタイミングを狙って採取されるそうです。この時期になると、裸の枝に葉をつけさせるために、冬の間根に蓄えられていた糖分をたっぷり含んだ樹液がカエデの木の上方に向かってどんどん吸い上げられるそうです。この時期の樹液を採取し、一昼夜煮込んで30倍くらいに濃縮させたのがメープルシロップです。ぼくはてっきりメープルシロップはカエデの木の上から落ちてくる樹液を採取しているものとばかり思っていましたが、実はもともと根に蓄えられていたものだったのですね。シロップは採取し過ぎると木が栄養不足で枯れてしまうので、樹液を取る場所は1本のカエデにつき3箇所までだそうです。また、木が十分に成熟していることも重要な条件なので、樹齢40年以上(直径20センチ以上)のカエデだけを選んで採取するようです。カエデからメープルシロップを採取するのは、もともとカナダの先住民(インディアン)が古来からやっていたのを、ヨーロッパからの探検家や開拓者たちに伝授したものらしいです。あと、カナダ名物といえばメープルシロップの次にカヌーが挙げられますが、カヌーももともとカナダの先住民が古来から樺の木とその樹皮から作って使っていたのを、ヨーロッパからの開拓民に伝授したものだそうです。このように、自然を破壊せず、共存・持続可能な範囲でその恵みを享受して自然とともに生きていくことを、カナダにやってきたヨーロッパからの開拓民は先住民たちから学んだわけですね。そして、アメリカなんかと違って、開拓民が先住民を追い詰め迫害したりすることなく、同じ土地に両者が仲良く共存・混血し、また時には協力してアメリカからの侵攻に対抗して戦ったのがカナダなんですねえ。そういうことを考えると、カエデというのはカナダという国の象徴として実にふさわしいよなあ、なんて思ったわけです。
2010.10.18
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まあそんなわけで、山の中に2週間いたことはいたんですけど、いちおう毎日の泊まりはホテルだったんです。自然公園内のロッジ泊まりのときは別ですが、ホテルの場合はとうぜんテレビも電話もインターネットもあるわけです。日中は山の中に入って一日中ハイキングをして昼はピクニックランチですが、朝食・夕食なんかはホテルの豪勢な食事で、新聞なんかも無料で届けられたりして、完全に文明と切り離された2週間ってわけではありませんでした。でもやっぱり、毎日山の中で過ごして、落ち葉を踏みしめながらケモノ道を歩いたり、ビーバーが川に作ったダムだのキツツキが木に開けた穴だのを見たり、崖の上に登って紅葉を一望したり、湿地帯でムースを観察したり、水音や鳥の鳴き声を聞きながらカヌーで湖に乗り出したりといった生活をしていると、日常の雑事みたいなことに関心が薄れるもので、ホテルに戻ってからもテレビをつけたり新聞を読んだりする気にならないものです。自宅で生活してるときは毎日注目していた世の中の出来事が、どうでもよくなるんです。これは山から自宅に戻ってからも続いていて、これまでの習慣でいちおうニュースの時間にテレビをつけたり、インターネットに接続するとニュース・サイトにアクセスしたりはするのですが、それらのニュースを見聞きしていても「どうでもいい」という感覚は山の中にいたときと一緒です。やれチリの炭鉱事故の救出劇だ、尖閣諸島問題で中国の対応がどうだとか毎日派手な見出しでやっているようなのですが、なんだか遠い星で起きている自分に無関係な出来事といった感じで、どんな感慨も湧かないんですね。2005年の暮れに1週間ほどアラスカに行って犬ぞりキャンプしたりオーロラを見て帰ってきたときもこれに似た経験はしたことがありますが、あのときに感じたのは、空気が不味いなというのと、スーツを着て舗装されたハイウェイを自動車を飛ばしてビジネスビル内のオフィスに通っている自分はニセモノだという感覚でした。やっぱりテレビもうるさく感じたし、大量のモノに囲まれた世界が気持ち悪かったのを覚えています。でも気がつくと、半月足らずでそれまでの文明生活にすっかり戻っていたように思います。今回はそういった「気持ち悪さ」はないのですが、世の中の出来事に対する無関心だけがとてもハッキリしています。テレビにせよインターネットにせよ、メディアが喧伝してるようなことがとにかく「どうでもいい」のです。どうしてそんなことがニュースになっているのかが理解できない、と言うか。毎日自然の中に浸っていると、自分の感覚も野生に近くなってくるのか、朝になると日が昇って夜になると日が沈んで満天の星空になって、また朝になると日が昇って…とか、春になると芽が出て草木が茂って夏になって花が咲いて実が生って秋になると葉が散り積もって冬になると雪が降って寒くなって、また春が来ると雪が解けて草木が芽を吹いて…みたいな自然の摂理というかリズムが自分にとってもごく当たり前になってきて、そんな自然のペースと関係ないところで日々為替相場が変動していようが政治家が討論していようが、すごく些細なことというか、「ああ、そうなの」としか感じないんですね。去年グランドキャニオンやモニュメントバレーにいったときも感じたことですが、山の中っていうのは、そんな自然の摂理というかペースが何万年、何百万年という単位で延々と繰り返されているところで、そういう時間の流れの前では、自分が子を作って日々生活してやがて老いさらばえ、そしてくたばるというのは、草花が芽を吹いて成長し生い茂ってやがて枯れるのと同じことで、毎日ニュースで喧伝してるような事柄というのは、人間もそんな自然の摂理の一部であって草花となんら変わりないという現実からの逃避というか、必死のあがきみたいに思えてきたりもします。やっぱり、せめて川の流れる音が聞こえ、地平線に沈む太陽や星空が見える場所で生活していないと、生物としての感覚が狂うよな、とは思いました。
2010.10.15
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まあそんなわけでカナダの紅葉を見に来る日本人客のガイドのために2週間ほど山にこもっていたのだが、これまで「きれいだな」とは思っても特に意識したことがなかったこの辺の土地の紅葉を見るために、40万円とか50万円も出してわざわざ地球の裏側までやってくる人たちが千人単位で存在することを知って、ちょっと驚きました。ただ、業界の人に言わせると、日本人観光客というのは「水道の蛇口」と同じで、これまで誰も気に留めなかったような場所が脚光を浴びるようになった途端、突然観光客の群れが押し寄せるようになり、しかし流行りが去ると手のひらを返したかのように誰も来なくなるそうです。アルゴンキン公園もケベック州のモン・トレンブランもほんの数年前までは日本人にはほとんど知られていない土地でしたが、ここ数年日本人を乗せた観光バスが次から次へとやってくるようになり、地元の人たちはみんな驚いています。まあ、いずれ「蛇口」が閉まればこれまでのことがウソのように、ピタリと誰も来なくなるんでしょうけど、数年前まで自治体が破産の瀬戸際にあったモン・トレンブランなんかは、日本人観光客の群れに嬉しい悲鳴を上げているに違いありません。ところで、ナイアガラの滝なんかもそうですが、地元に住むボクにとっては自動車で2時間足らずのところにあって何度も見ていてもう大して感慨も湧かないのですが、日本に住む人にとっては世界三大瀑布の1つとか言って、莫大なカネを払ってでも見る価値があるわけですね。実際、ナイアガラの滝を見て感動の余り心臓麻痺で死んだ日本人観光客も過去にいたそうです。そんな、自分にとっては当たり前の事物・事象を見るためにボクのようなヒコクミンのガイドにおカネを払ってくれるなんて、初めて売春する少女みたいに軽い後ろめたさを感じたりもします。なにせ、たまたまその辺に住んでる日本人ってだけで、元手はゼロなんですもん。まあ、お客さんもイギリス語が話せれば航空券からホテルからレンタカーまで自分で手配して、ツアー会社に払う料金の半額くらいで同じモンを見て同じ経験が(しかも自分のペースで)できたんでしょうから、イギリス語が話せるということにまだ付加価値がある事実をボクは有難く思わなければならないんでしょうけど。まあ、通訳なんかに比べると割はよくないけどずっと楽しくてラクだし、タダメシも食えて寝心地のいいベッドで眠れるこの仕事は、けっこう好きです。あいにく稼ぎ時が年に数回しかないのが欠点ですが、通訳仕事だって年がら年中あるわけじゃないし、それくらいの頻度でちょうどいいのかも知れない。とくにハイキングやキャンピングを伴うツアーの場合、ボクみたいな体力のある日本人ガイドはそうはいそうにないし、競合が少ないのがいいよなあ。みんなもカネを貯めて、来年はカナダ東部にアウトドア観光に来てね、ただし旅行代理店を通して!(おわり)
2010.10.13
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G8の会期中に要人たちが宿泊したディアハーストに泊まりました紅葉ピークは過ぎているものの、なかなかいい感じ部屋の前の、夜明けの湖今回は公園の中でムースのオスを発見しましたあ、こっちに近づいてきました お客さんの一部は逃げていましたおや、角がひとつしかありません、生え変わる途中のようです距離は、目の前10mってところでしたモン・トレンブラン公園のほうはすっかり紅葉が終わってましたあの山も半月でこんなになってました ホテルのシャンプーがたまっていきますおわり
2010.10.10
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こんな感じ満開って感じ公園の外の村はこんな感じムースの母子を発見クロースアップ ほかにビーバーも見ました公園内のロッジの朝 完璧な無音つづく
2010.10.03
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