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登山ルートに入って間もなく、こりゃ大変なところに来てしまったと思った。ホワイトマウンテン山系の山々には高い方から順番に歴代アメリカ大統領の名前がついている。いちばん高いのが昨日登ったワシントン山で、次に高いのが今日登るアダムズ山とマジソン山だ。標高は2000m足らずで、ワシントン山のように一年中突風が吹いているようなこともない。登山口から頂上までは直線距離にしてどちらも7km程度か。雪の無い季節であれば余裕で日帰りできるコースのようである。なので、雪のある今の季節であっても、頂上の手前にある避難小屋とそのそばのテント張り場には昼ごろに出発しても日暮れ前には到着するだろうと高を括っていたのであった。しかし、昨日のワシントン山と大きく事情が異なる点が2つある。1つは、今回は山の中でキャンプするために冬山用の重いテントから2日分の食料・水まで背負わなければならない。2点目は、ワシントン山のように登山者の往来も多くなければスノーモビールが行き交うような登山路でもないので、雪が踏み固められていないのだ。容量65リットルのバックパックを用意していたが、登山口の駐車場で冬山テントやら雪かき用のシャベルやらアイゼンやら保温マットレスやら羽毛寝袋といった、夏山であれば不必要な装備をいろいろ詰め込んでいたら、バックパックはすぐにいっぱいになった。なにせ装備を道すがら購入してのぶっつけ本番なので、全装備がどれくらいの量になり荷物の総重量がどれくらいになるかも事前確認せずにここまで来ているのだ。とにかく詰められるだけの装備をバックパックに詰めて(入らないものはただぶら下げて)背負ってみたら、立ち上がれなかった(笑)。キリマンジャロに登った時はポーターが運ぶ食料以外は全部自分で背負って15kgくらいだったが(注.キリマンジャロでは登山者が自分で背負うことが許されている最大重量が15kgである)、この荷物はその倍までは行かなくとも25kgくらいありそうだ(帰宅してから実際に量ってみたらやはりそれくらいあった)。マッキンリーやアコンカグアでは単独で荷物を運ぼうと思ったらさらにこの倍以上の重量を自分で背負うなり引きずらなければならないことを思うと、これくらいの重さで音を上げるわけにはいかない。いったん愛車のトランクに載せた上で背中に乗せたらちゃんと担げた。しかしこの重さは、一歩一歩進むたびにプラスチックブーツを履いた足にずしりと堪える。雪の深さは膝上程度だ。すでに登山路に入った人たちがトレースをつけてくれているが、足跡はまばらなのでしばしば自分で雪道を切り拓かねばならない。まだほとんど傾斜のないところを歩いているのに、あっと言う間に汗だくになる。出発して30分も経たないうちに休憩を入れて、ダウンジャケットを脱いだ。先に進むに従い、いろんな名前の付いたトレイルの標識があちこちに立っているのが目に入る。この山はたくさんのルートが交錯しているのだ。今日はいちばん人通りの多そうなルートを辿るつもりであったが、ふと標識を見たら自分が予定していたのとは違うトレイルに入っていたことに気づいた。大きな荷物を背負っているので前傾姿勢で足元ばかり見ながら歩いているうちに、トレイルが交わるところで別のルートに入り込んでしまったらしい。ガーン。道理で先行者の足跡がまばらになったと思った(笑)。人通りが少ないので雪が踏み固められておらず、たまたま足を置いた場所の雪が予想外に深かったりするとズブリと腰の深さまで雪にはまってよろけたり、雪の下に氷板があったりすると滑って転びそうになったりする。おまけにこのルートは傾斜が急なので、重い荷物を背負って崖みたいなところを登るのは足腰に非常に堪える。そうこうしているうちに、あっと言う間に日が暮れてきた(笑)。いちおう用意していた地図を見るが、もともと予定していたルートではないこともあり、自分がどこまで進んだのかよく判らない。それに、深雪で標識が埋まっていたり、積もった雪の重さで垂れた枝のせいで標識が隠れていたりして、現在位置がなかなか確認できない。それでも木がまばらになってきたところを見ると、そろそろ森林限界線のはずだし、森林限界線を越えればすぐに避難小屋が現れるはずなので、自分を鼓舞して前進する。いよいよ日が落ちて真っ暗になった。バックパックを下ろしてヘッドランプを出す。夜の森の中は不気味だ。雪上にいろいろ動物の足跡が付いているが、この山にはいったいどんな動物がいるのだろう。まさかホワイトマウンテンにマウンテンライオンなんていないよね?雪上の足跡が浅いところを見る限りそんなに体重のある動物だとは思えないので、自分を安心させて暗闇を先に進む。ようやく久々に標識が出てきた。もともとオレが予定していたルートへのバイパス経路の標識である。ここを1マイル(1.6km)進むと人通りの多いあのルートに合流できる。...しかし、一歩踏み出してすぐに断念した。しばらくこのルートを通った人がいなかったらしく、腰までの深さの雪が延々と続いているのだ。こんな深い雪を夜に一人でラッセルして1マイルも進むのは自殺行為だ。オレは諦めてこれまで辿ってきたルートをこのまま先に進むことにした。ここからテント張り場が現れる分岐点までは0.8マイル(1.3km)、1時間もあれば到着するだろう...オレは闇の中ヘッドランプに照らし出される木々に覆われたほの白い登山路にひたすら意識を集中し、ときどき得体の知れない動物の鳴き声にビビリながら、地道に前進した。ほら、木々の背丈も低くなってきた、もうすぐ森林限界線だ。しかし...オレは闇の中の雪の登山路に立ち止まり、「ガーン」と声に出して言った。登山路が途切れているのだ。傾斜が緩くなり木々の背丈が低くなるこの地点から先は遮るものがないので一気に雪が深くなり、木の背丈と同じくらい、すなわち腰の上まで雪が積もっている。先行者の足跡はその手前で途切れているのだ。これまでこのルートを辿った登山者たちは、明らかにこの雪の深さに先に進むことを断念し、ここで踵を返して下山したのだ。オレは途方に暮れた。こんな暗闇の中、こんな重い荷物を背負ってあんな足場の悪い急傾斜を辿って下山するのは自殺行為だ。さっきのバイパスルートに引き返すことも考えたが、いずれにせよそこからは1マイルもラッセルしなければ正規ルートまで辿り着けない。だったら、この深雪をラッセルして先に進む方が、目標地点のテント張り場までいちばんの近道のはずだ。オレは意を決して雪の中に突っ込んでいった。しかし、なにせ雪の深さと木々の背丈が同じくらいなので、どれが登山路でどれが単なる木々の合間なのか区別がつかない(笑)。もうこうなったら野性の勘というか、運に任せて進むしかない。いずれ彼方に避難小屋の灯りも見えてくるに違いない。そうして数百メートルも進んだろうか、オレはついに進むのを断念した。雪の深さがついに胸元まで達したのだ(笑)。このまま先に進んだら、足場の悪い場所にはまったら最期、頭まで雪に埋もれ窒息死しかねない。もう前進も後退もできない。オレはここにテントを張り、キャンプをすることに決めた。バックパックを下ろすと、スノー・シャベルを出し、テントを広げられるだけの空間を選び、雪を掘り始めた。すでに森林限界線に近いところまで来ているので風はそこそこ強い。出来るだけ雪を掘り下げてテントを風から防護したほうがいい。オレは闇夜の雪山の中で、「♪ネーちゃんのためならエ~ンヤコーラ」などと時々ふざけて口ずさみながら雪を掘り下げた(でも内心はけっこう心細かった(笑))。1mくらい掘り下げたところで、傾斜のある雪面を出来るだけ平らに踏み固め、テントを張った。木々の合間にはフライシートをピンと張れるだけの広さもないので、掘って出来た雪壁に2本のストックでフライシートの端を刺して辛うじてテントとの間に隙間を設けた。これでテントが風に飛ばされることも、テント内外の水分が凍りついて凍死することもないだろう。夜のうちに天候がどう変わるか分からないので、オレはいざというときすぐにテントから出れるようにダウンジャケットやシェルパンツを着用しコンタクトレンズも付けたままで寝袋に入った。もうコンロを出して料理する気力もないので、寝袋にくるまったまま行動食用のチーズとライ麦パンにフルーツ缶詰だけの夕食を済ます。明日起きたら、この先のルートをシャベルで掘り進んでみて、なんとかなりそうであればそのまま先に進むし、もう自分ひとりでは太刀打ち出来そうもない雪量であれば諦めて下山するか、少し戻ってバイパス・ルートを試してみるか、どちらかにしようと考えながら眠りに就いた。(つづく)
2010.12.31
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朝、待ち合わせ場所にした登山口のビジターセンターに行くと、昨日とはうって変わってたくさんの人が登山準備をしていた。きっと昨日の雪崩警報で登攀を断念した人たちが、若干天候の好い本日を狙って来たに違いない。相棒となるLと一緒に入念な準備をした上で、朝8時半くらいに出発する。予定では、避難小屋までが2時間弱、そこから頂上までが2時間強、頂上で少し時間をつぶして下山に3時間弱、途中の休憩を入れて7~8時間(帰着は午後4~5時)といった行程である。晴天で、登山口付近は風も微風。この好天であれば頂上を狙えるかも知れないと2人で幸運を喜ぶ。Lは30歳近いかと思いきやまだ24歳で、ノースキャロライナの出身だという。今回ホワイトマウンテンくんだりまで24時間以上自動車を走らせてやってきたのはやっぱり将来的にマッキンリー登頂を狙っているかららしい。しかし、思えばオレが渡米しノースキャロライナの大学に留学した年齢が彼と同じ24歳だったが、Lはというと40歳過ぎのオレ並みの落ち着きである。オレは自分がノースキャロライナの大学に留学していたことは話したが、チームを組んだことを後悔させないよう、年齢のことは黙っていた(笑)。Lはあとあと汗が冷えて低体温症になるのを怖れて、汗をかかないようオレのペースに合わせてゆっくりと登っている。オレはマイペースのつもりでも結構汗だくになっている。ただ登るだけなら苦にならないのだが、慣れないアイゼンを付けたプラスチックブーツを履いて3リットルの水や緊急時用のいろいろなものを背負っているので、それで傾斜のある雪道を歩くだけで結構な運動である。約2時間で避難小屋に着き、行動食でエネルギー補給した後、ダウンジャケットにゴーグルといった本格装備に替えて、いよいよ険しいトレイルへと入る。ここまではオレの先導であったが、これ以降はピッケルなどの使い方に慣れているLに先行してもらう。何せ若くて長身で足が長いので、雪道にトレースを付けてもらってもオレの歩幅にとても合わない。とくに切り立った崖のようなルートに足場を付けてもらう時、1段1段のステップが高過ぎてオレの脚力ではとても一歩では上がれない(笑)。本人はそれでもオレに合わせて歩幅を狭めにして足場を作っているつもりだというので、そのことは黙っていた。11時過ぎに森林限界線に到着した時点で一度Lが持っていた地図を確認する。オレはてっきりトレイル名の由来になっているライオンヘッド岩群を通り過ぎもう頂上まで4分の3近い行程は消化し、あと1時間少々で頂上に着くものと勝手に思っていたが、ライオンヘッドはまだこれから先で、まだ頂上までの行程の3分の2も来ていないことを知って愕然とした。主観的には2キロくらいは歩いた気でいたが、実際には高度差があったので1キロくらいしか進んでいなかったのである。この後、2つくらいのグループに次々と抜かれた。足取りがしっかりしていて、どうやら今回が初めてといった感じではない。Lは彼らのペースに釣られてどんどんペースが上がって行き、オレは次第に遅れをとり始める(笑)。さらに、さっきまでの好天とはうって変わって、雲の中に入るとともに横殴りの風雪が吹き荒れていて、ゴーグルなしでは目も開けていられない。足場も不安定で、ちょっと気を許すと風に吹き飛ばされそうである。森林限界線から1時間弱でようやくライオンズヘッドと思しき地点に到達し、小休止する。ここでようやく行程の4分の3といったところか。本来の予定であれば頂上に着いていてもいい時刻である。ここまで、互いに抜きつ抜かれつのペースで登攀していたケベック州から来ているというカナダ人4人組がいたのだが、いつのまにか若い男性2人だけになっていた。どうやら4人のうちの女の子2人は登攀を断念して下山したらしい。ここでこの2人のうちの1人に写真を撮ってもらう。下の写真でピッケルを握っているのがLで、リンク先のビデオに映っているのはそのカナダ人男性2人である。 クリックするとYouTube動画にジャンプ ビデオの最後のほうに映っているとおり、ここまでは雲の切れ間からたまに下界が見渡せたのだが、ここから先はホワイトアウト状態でとても内ポケットからカメラを出す余裕はなく、写真もビデオも撮影していない。仮にカメラを回しても白い画像に吹雪のゴーという音が入っているだけだったろう。ホワイトアウトの中、Lをはじめとするほかの登山者たちがしっかりとした足取りで先に進んでいく一方で、オレは風に飛ばされるのを怖れ、ピッケルのブレードを両手で握り、柄の部分を一歩先の雪に突き刺しては一歩進むという、まるで腰が曲がり足腰が弱ったおじいさんのような歩き方で前進するほかなかった。岩登り用語に「三点確保」という言葉があるらしいのだが、うっかり片足と片手(=二点)を両方同時に離したら最期、突風に煽られて山稜から仰向けに転落しそうなくらい猛烈な風なのである。それに、傾斜が急になってくるとアイゼンがうまく利かせられなくなってきた。利き足である右足はそれほどでもないのだが、そうでない左足は足元の雪にアイゼンを刺して安定させるといった動作がスムーズに出来ず、なかなか次の一歩が踏み出せない。安定したペースで思うように前進できないというのはなかなかもどかしいものである。ホワイトアウト状態に加え、高度が上がるに連れてあまりの寒さにゴーグルの内側の結露が氷結し、視力0.05みたいな世界になる。もはや足元が岩場なのか雪なのか判別がつかないのである。気がつくと自分がとんでもない方向に歩いていて、あわてて進路を変更したりすることが何度かあった。ときたま風に飛ばされないよう注意しながらゴーグルを外してレンズの内側の氷を拭うのだが、それでも視界が晴れない。もしかして酸素不足が視覚にきたのかと一瞬思ったが、よくよく見ると、今度は吹き付ける雪粒がレンズの外側に堆積していた。ゴーグルの内も外もこれなのである。これでは夜中にヘッドランプなしで登攀しているのと変わらない(笑)。オレはLを含む登山者たちから決定的に引き離されていった。猛風がゴーゴーと吹き荒ぶ真っ白な視界の中にはもはや誰もいない。昼食抜きで登攀しているので空腹のために次第に無気力になっていく。断熱カバーを付けていたはずのキャメルバッグ(水嚢)もとっくに凍りつき、水分も補給できていない。すると、前方から登山者の集団が引き返してきた。タイムオーバーのために頂上を諦めた連中たちが一気に引き返してきたらしい。その中にLも混じっている。頂上まではあと1キロ程度なのだが、このペースで登り続けたら頂上に着くのは夕刻近くになり、こんな状態で日が暮れた後に下山するのは命懸けになる。午後2時半をタイムリミットに誰もが一斉に踵を返したのだ。これが世界最高峰であれば話は別だが、たかだが標高2000mやそこらのホワイトマウンテンの頂上に命を懸けるのも馬鹿馬鹿しい(笑)。登山者たちは口々に「山はいつでもそこにあるし、また来ようと思ったらいつでも来れる」と言って、頂上を目前にしてさっさと下山していた。ただ、下山した登山者たちの中に例のケベック州の2人の姿はなかった。どうやらリスクを冒してまでも頂上を目指したらしい。Lは山を降りながらしきりに彼ら2人のことを気に掛けていた。いいヤツだ。後日、遭難のニュースがなかったところをみると、2人はきっと無事に下山したのであろう。1時間足らずで中間地点の避難小屋に到着し、オレとLはゴーグルやアイゼンといった重装備を外しに掛かった。Lは一番上に着ていたシェルジャケットを脱ぐと、下に着ていたダウンジャケットはまるで濡れ雑巾のようにグショグショになっていた。まるで水に浸かったかのようだ。オレも汗で上半身や腰周りが湿っていたが、一度脱いだら二度と身に着ける気になれそうもないので脱がずにいた。ピッケルの柄の表面には冷凍庫の内側のように真っ白な霜が堆積している。絶縁手袋を二重にしていてもピッケルが冷たく感じたのも無理ない。オレらは日暮れが迫っていたので下山を急いだ。さらに一時間足らずで、日が落ちてすっかり暗くなった登山口のビジターセンターに到着した。まさに生還したという感じだ(笑)。オレを置いて先にセンターに到着していたLも、足取りが軽く見えたが実際にはかなり疲労していたと見えて、ベンチに腰掛けてぐったりしていた。テーブルに移動して昼食用に用意していたスナックを食べながらお互いに感想を話すと、Lは今日のような経験が3日続くようなマッキンリー登山は自分にはまだ時期尚早だと痛感したと言った。まあ、実際に今日のような状況を経験するのはマッキンリーの登攀当日とその前日の2日程度だとは思うが、時期尚早に感じた点はオレも同感だった。体力的には余裕があったが、スピードが全然足りない。プラブーツとアイゼンを履いた登山にもっと慣れる必要を感じた。こんなペースで登っているようでは、誰ともパートナーを組めない(笑)。いずれにせよ、こんな過酷な条件の冬山を単独で登ろうと思っていたのはかなり危険な発想であったという点でもオレらは意見が一致した。実は、Lのキャメルバッグ(水嚢)は(吹き戻ししたにもかかわらず)登山開始後2時間足らずで氷結してしまい、ずっとオレの持ってきていた予備用の水に頼っていたのだ。そういうオレも、浸み込んだ汗が凍り付き手袋の指先が思うように動かなくなった後、Lにフードのコードの調整を頼んだりしていた。そんなちょっとしたことだけでも、こういう苛酷な環境でパートナーがいるというのは有難い。そういう意味で、昨日Lに声を掛けてもらったのは幸運であった。下山前まではまだ明日再挑戦するようなことをほのめかしていたLも、今となってはホワイトマウンテンの苛酷さを今日一日で十分経験できたので、明日一日を休養に当ててそのまま帰路に着くとのことであった。オレはまだワシントン山以外にも、ホワイトマウンテン山系の北側にあるマジソン山とアダムズ山に登山キャンプする予定が残っている。明日からはいよいよ単独の冬山だ。(つづく)
2010.12.30
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朝、キャンプ場から4~5キロ離れた登山口のビジターセンターに立ち寄って天候その他の情報を確認したら、案の定登山道の雪崩確率は「High」になっていた。あの大雪の後なのだから無理もない。登山者の記名帖を見てもオレの先には1人しか記名がない。今日は頂上は狙わずに、登山路の中間地点にある避難小屋まで行ってみて、時間があればその先の冬場の登山ルートの様子を見てみることにする。冬山に一人でやって来たが、実は冬山用の二重プラスチックブーツを履くのもアイゼンを履くのもピッケルを持つのも生まれて初めての体験である。何せいずれの装備もおととい登山用品の店で買ってきたばかりなのだ。使い方は店員から聞いたりインターネットでいろいろ勉強した程度だ。プラ・ブーツはとにかく重い。普段山ではトレイル・ランニングシューズを履いているオレは普通の革の登山靴でも重く感じるくらいなのだが、プラスチックブーツともなると片方だけで1キロくらいあるのだ(笑)。しかもプラスチック製なのでまったく屈曲せず、まるで足にギブスをはめた状態で歩いている感じだ。一歩一歩持ち上げては地面に下ろすような歩き方をせざるをえない。 風は確かにすごい。登山道の両脇は木々に遮蔽されているというのに風がビュンビュンと吹き交う。風に飛ばされたりへし折られた針葉樹の小枝や葉が雪の上に散っている。まだ避難小屋まではスノーモビールが往来できるようになっているので雪はある程度踏み固められているが、登山道の脇には深雪が積もっている。途中で小川の上に掛かる橋を横切ったが、小川がほとんど雪で覆われて、一部クレバスのようにポッカリと穴が開いて川が姿を覗かせていた。ほぼ予定どおり2時間程度で避難小屋に着いた。オレ以外にも何人か登山者が荷物を整理したりしている。そのうち1人は、昨晩避難小屋のちょっと手前にある屋根つきの休憩所でテント泊しようとしたが、風があまりにスゴイのでテントを放棄して下山し、ふもとのロッジに泊まったそうだ(笑)。今日はそのテントを撤収しに登ってきたそうだが、あまりの寒さと猛風にブルブルと震えている。たしかにこのあたりの風の勢いは下界で言えば台風の真っ最中といった感じだ。しかも気温は氷点下10度台。体感温度はいったい何度になるのだろう。画像をクリックするとYouTubeの動画にジャンプ 避難小屋で軽い昼食を済ました後、頂上へと向かう Lion Head Trail に入ってみる。ここからは登山路が急に狭くなり、傾斜も急になる。途中小規模な氷壁があったりして、アイゼンがないと先には進めない。途中、大学生風情の男女5人くらいのグループとすれ違った。こんな天候の時に頂上まで行って来たのかと聞くと、森林限界線まで行って戻ってきたそうだ。たしかに標高が上がるにつれて木々の背丈が低くなり、傾斜が急なこともあって次第に視界が開けてくる。1時間足らずで森林限界線に到着した。遮る木々がないので風の勢いは一層強烈だ。傾斜も急でちょっとよろけたらすぐに風に吹き飛ばされ転落しそうだ。ここから先は一人で登るのは自殺行為だと思い、ちょっと写真とビデオを撮って引き返すことにする。 画像をクリックするとYouTubeの動画にジャンプ 2時間弱で下山し登山口に戻った頃にはすっかり薄暗くなっていた。登山路は山の東側にあるので日が傾くと暗くなるのはあっと言う間である。再びビジターセンターに立ち寄って係員に明日の天候などを伺っていると、20代後半と思しき背の高い青年が「明日頂上を目指すつもりならば、一緒に登りませんか?」と(英語で)尋ねてきた。オレはまったくの冬山初心者で道具の使い方さえロクに知らないので足手まといになるだけだと言うのだが、彼自身も本格的な冬山登山は初めてなので、オレとレベル的には釣り合うのではないかと言う。見ると、たしかに彼が身につけている装備はオレと一緒で新品っぽいものばかりだ(笑)。たしかに万が一のとき、助け合うまでいかないまでも、救助を呼びに行くくらいのことはお互いに出来そうだと思い、明日一緒に登ることを約束する。天候も今日に比べればほんの少しだけ穏やかになりそうな予報である。明朝7時45分にビジターセンターで待ち合わせることにして、オレはキャンプ場に戻った。(つづく)
2010.12.29
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ビルとビルの間の路地に停めてもこの雪量である。レッカー移動に1万円、パンクしたタイヤを2輪交換してもらって2万5000円。痛い出費である。3万5000円もあったら新品の大容量バックパックが1つ買えたことを思うと悔やまれてならない。雪は止んだが風は強い。除雪作業が追いつかず、ハイウェイ上の自動車もみなノロノロ運転である。本来なら3時間で到着するホワイトマウンテンまで5時間以上を要し、冬場に唯一開いている麓のキャンプ場に着いた頃には日も暮れていた。しかし噂にたがわず、麓とは言えどすごい風である。雪量も膝上から太ももくらいまである。夕方にも関わらず除雪車がキャンプ場で除雪作業中かと思いきや、この深い雪にはまって身動きが取れなくなり、救助を待っているところであった(笑)。作業員たちにキャンプしに来たことを告げると、止めておいたほうがいいと忠告された。たしかに自分以外テントを張っている人はいない(笑)。しかしこの雪量や強風に怯むワタシではない。出来るだけ風から遮断されていそうなサイトを選ぶと、ヘッドランプを取り出し、暗闇の中で昨日買ったばかりの雪山テント(このモデル)を張り始めた。温度計を見ると氷点下15度弱。風量といい気温といい、アコンカグアの最終キャンプ地の状況にかなり近い。風に煽られつつ厚手の手袋を付けての作業は容易ではないが、この程度で参るようではアコンカグアもマッキンリーも覚束ない。シャベルで出来るだけ平らにならした雪上に建てたテントの中に荷物を入れると、これも昨日買ったばかりの携帯コンロをテントの入り口のところに置いて、夕食作りに取り掛かる。出来上がったうどんの入った容器をテントの中に入れると、湯気がすぐに凍りつきテント内がホワイトアウト状態になる。お腹がある程度膨れたところで、あらかじめ湯たんぽ代わりにボトルを入れて暖めていた羽毛寝袋に入る。さすがにジャケット類は脱いだが登山着も靴下も身に着けたままである。テント内の温度は氷点下6~7℃くらい。テントの内側には氷結した水蒸気が白い霜を作っている。外では嵐のような風の音が続き、時折激しくテントを揺らす。呼吸のために唯一寝袋の外に出した口と鼻の周りが冷たい。一昨日のブログにあった「眠ったらそのまま目が覚めずにそのまま逝ってしまいそう」云々というg-3さんのコメントを思い出し、ちょっとだけ不安に思う(笑)。朝、無事目を覚ました(笑)。「ちゃんと生きてたじゃん!」と寝袋の中で独りごつ。夜中に激しい風音や軋む木々の音で2回くらい目を覚ましたものの、比較的よく眠れた。とりあえず雪山の1日目は無事クリアだ。(つづく)
2010.12.28
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世界一苛酷な冬山に辿り着く前に下界で猛吹雪に巻き込まれてしまいました。冬山に入る道すがら、その装備を買い揃えるためにボストンに立ち寄りました。ボストンは東海岸では山々にもっとも近い大都市だけあって、山用品の品揃えはトロントとは格段の違いです。朝から小雪が散らついていたのは気づいていましたが、あいにくTVやラジオのニュースをチェックしていなかったので、この冬最悪の風雪が近づいていることを知らずに、ただ豊富な山用品の数々に夢中になって市内や近郊のアウトドア用品店をはしごしていました。ひと通り必要なものが買い揃った頃、もう日が沈んで暗くなった外に出てみたら、街はすごいことになっていました。たった数時間の間に足首くらいの深さまで雪が降り積もり、しかも猛烈に吹雪いているのです。ぼくは今日中にボストンと目的地の冬山の中間にある街まで移動しようと思っていたので、「スノータイヤを履いてるし、まあなんとかなるだろ。」と思って車を走らせました。しかし吹雪で車は揺さぶられるは、猛烈な勢いの雪で街はホワイトアウトの状態です。ぼくは道を見誤り縁石に乗り上げて、左側の前後の両輪をパンクさせてしまいました。これは困った。ボストンはこれが初めてで知人もいません。どうしたらいいか途方に暮れたぼくは、パンクした自動車をそっと走らせて、最後に買い物をしたアウトドア用品店に戻りました。この吹雪なので早めに店じまいし、鍵をかけて店を出ようとしていた店員に助けを求めました。なにせスペアタイヤは1つしか予備がないので、2輪を一度にパンクしてしまうと、自分ではどうにもなりません。店員に教えてもらったレッカーサービスの会社に何軒か電話するも、この雪で事故があい次ぎフル稼働状態、明日にならないとレッカー車は出せないと言います。たまたまそのアウトドア用品の店のそばにホテルがあったので、今晩は諦めてそのホテルにチェックインし、愛車は路駐することにしました。ホテルは、ボストン旅行から母国に帰る予定がフライトが悪天候でキャンセルになり足止めを食った人たちがたくさんいました。いっしょのエレベーターに乗ったおばさんは、3日後まで帰国便が取れなくて困ったと言っていました。ホテルのTVニュースを見て、マサチューセッツ州全体がこの猛吹雪で「非常事態宣言」を出し、よほどの事情がない限り外に出歩かないよう勧告していたことを初めて知りました。なんと1時間に2~5センチもの勢いで雪が降り積もり、ぼくの目的地であるホワイトマウンテン周辺では軽くその倍以上の雪に埋まっているだろうとフロントの兄ちゃんは言っていました。あのままパンクせずに北に車を走らせていたら、周りに何もないようなところで夜中に立ち往生していたかも知れません。ただ、さいわいなことに、エンジェルフェイスさんからのアドバイスを請けて、かなり財布に無理をしてでも信頼できる冬山用品を選んで買ってはいたので、エベレスト仕様の800fpのダウンジャケットを着て同じくマイナス30℃用の羽毛寝袋を被っていれば、路上で凍死することだけはなかったろうとは思います(笑)。そんなわけで、冬山に入る前に街中で足止めを食い、吹雪のピューピューいう音を聞きながら、ホテルのベッドの上で温かい羽毛寝袋を広げて一夜を過ごしているぼくです。
2010.12.26
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この年末年始のオレのバケーション先はここ↓「そうか、地獄か。」と思った人は、当たらずとも遠からずである。というのは、ここは地球上で一番過酷な環境なのだそうだ。オレが住んでいるところから自動車で移動できる範囲内でいちばん高い山を探したところ、ボストンの北に車で3時間、モントリオールからだと南東に3時間くらいのところにあるニューハンプシャー州のホワイトマウンテン山系に「Mt Washington (ワシントン山)」というのがあって、標高は2000m足らずなのだが、ここの山頂は北極や南極並みに寒く、地球上で過去最高の風速370kmを記録したことがあるくらい風が吹き荒れていて、雪が深く、しばしば濃霧が掛かっているらしい。ちなみにそんな記録的に天候の悪いところなので、頂上には測候所があって、どんなにヒドイ環境なのかをご丁寧にウェブカム画像つきで公開している。ちなみに本日の天候をチェックすると、気温が摂氏マイナス11度、風速55キロ、体感温度がマイナス28度という、この地にしては非常に恵まれた天候のようだ。中年オヤジが独りで過ごすバケーションには、ビーチなんかよりもこんな冬山の方がよく似合うよね。それに、一度こういうところに登っておけば、想像を絶する突風や風雪で知られているアコンカグアやマッキンリーにこれから登った時、「...ああ、天気のいい時のワシントン山みたい」と思えるに違いない。ちなみに登山路の入り口にはその日の天候や雪崩の危険度がつねに掲示されているが、仮に最悪のコンディションだったとしても決して「閉鎖」や「進入禁止」にはならないのが自己責任の徹底したアメリカらしいところである。ただしオレもバカではないので、雪崩の危険度が「高」の時にわざわざこの山に登ろうとは思っていない。アコンカグアやマッキンリーでも天候の好い日を選んで頂上アタックするのと同じように、天気が悪い日はもう少しコンディションの緩やかな周辺の別の山(Mt. Adams とかMt. Madisonとか)に登り、天候が回復したらワシントン山に戻ってくる予定である。もちろんこんな冬山に登山&キャンプするためにはそれなりの装備を買う必要があって、冬用のテント(4万円弱)とか冬用の羽毛寝袋(4万円以上)とか、冬山・高山用の二重プラスティックブーツ(4万円)とか苛酷環境用の厚手のダウンジャケット(4万円)とか、あとピッケルにアイゼンなどを買い足すと余裕で20万円以上の出費になってしまう。これだけ出費したら「元を取ろう」という心理が働き、意地でもアコンカグアやマッキンリーに登ってやろうという気になると思う(笑)。かつて独身中年のドイモイ氏がバケーションにハワイに行ってクルーズ船に乗ったらカップルばかりで気まずい思いをしたというエピソードがあったことは訪問者諸兄の記憶にまだ新しいと思う。オレはその際、「中年オヤジが独りで行ったら不審に思われる場所」と「中年オヤジが独りで行ってもごく自然な場所」というのを考察したが、そのとき中年オヤジが独りで行くのに相応しい場所に「山」や「北極・南極」を入れていたことを思い出した。日本では山ガールとか言って若い女性の間で山ブームになっているらしいが、むしろ冬山みたいな環境こそ孤独な中年オヤジの山行の場としてもっともっと流行っていいという気がしてきた。...ということで訪問者のみなさんよいお年を。
2010.12.24
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『遺書』義母は昨年、数年ほどの寝たきり生活の末に94歳で他界したのだが、その葬式に参列するために一時帰国したカナダ在住の息子から、私もそろそろ遺書を用意しておいた方がいい、などと言われて立腹した。私は72歳の現在まったくもって健康体でボケの自覚症状もないし、これからまだ2~30年は生きるつもりでいる。それを「遺書を用意した方がよい」とは何事か。しかし、最近息子と話しているうちに、その言い分が分かるようになってきた。息子はまだ40代前半であるが、「エンディング・ノート」と呼ばれる遺書のようなものをすでに作成しているそうだ。彼は海外で独身生活をしていて身寄りがない上、トライアスロンのような激しいスポーツやキリマンジャロ登山のような危険な冒険に熱中しているので、いざ自分の身に何かがあった時に周囲の人が困らないようにという意図からその遺書のような文書を作成しているのだ。思えば、義母も脳出血で倒れるまで、90歳近くになっても隣町まで歩いて行ったり庭仕事をしたりと、それは達者なものであった。そんな人並み以上に健康な人でもちょっとした脳出血がきっかけで寝たきりになり、体が動かせないだけでなく、意思疎通さえ出来ない状態になって亡くなったのだ。私もそんなことは考えたくはないが、予期せぬような事故など何らかのきっかけで、身の回りの世話を家族に頼らざるを得ないような状態になったり、場合によっては意思疎通の出来ない状態でチューブにつながれ、厳しい生死の判断を家族に委ねなければいけないようなことにならないとも限らない。自分もいずれはこの世を去るのだという事実を受け入れた上で残りの人生を有意義に過ごすためにも、そして残される遺族を困らせないためにも、息子の言うとおり遺書を作成してみようかと考え始めた昨今である。二年半前、当時70歳だったボクの鬼畜パパが通っていた地元の福祉協議会が運営する『宮城いきいき学園』の卒業文集用に、文才に乏しいパパに代わって30分くらいでテキトウな作文を書いたことがありましたが、今回は72歳になったパパがまた通い始めた『老壮大学』の閉講式文集に載せる作文の依頼を受けたので、また30分くらいでそれっぽい文章を書いてみました。他人になり切ってゴーストライターとして作文を書くのは妙に面白く、自分自身の作文よりも不思議とスラスラと筆が進むのはなぜでしょうか。今度、ドイモイさんやホウロウさんやプーニンさんと、お互いになり切ってゴーストライター日記を創作したら面白いかも!とかちょっと思いました。
2010.12.21
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自分の健忘症について日記に書いた翌日、テレビ(CBS)で「異常に記憶力のよい人」についてのドキュメンタリー番組をやっていた。むかし、『特ダネ登場』だの『びっくり人間大集合』だのいった番組に、会場の参加者の名前をすべて覚えられる記憶の達人なんかがたまに登場していたが、こういう人たちの能力はあくまでその場でだけ覚えていればよい典型的な短期記憶である。しかしこのドキュメンタリーに登場した人たちのスゴイところは、別に「覚えよう」という努力を一切しなくとも、過去に身の回りに起きた出来事をすべて思い出せるというのだ。この人たちは、何年前の何月何日の何時頃に自分が何をしていたとか、まったくランダムに尋ねられてもすぐに思い起こすことができる。その日自分がどんな服を着ていて、昼食に何を食べて、誰とどんな話をしたかといった詳細をすべて想起できるのだ。その日に起きた時事的な出来事も(その時たまたま未開の地でキャンプでもしていない限り)やはり覚えている。たとえばこんな感じだ。Q1) 1989年3月24日にアメリカでどんな災害が起きたか?Q2) 1989年6月4日に起きた大きな出来事は?Q3) 1990年2月11日に起きた歴史的な出来事と言えば?Q4) ニルヴァーナのボーカル、カート・コバインが拳銃自殺をした年月日は?(A1.エクソンの原油タンカーの座礁と原油漏れ、A2.天安門広場の虐殺事件、A3.南アのネルソン・マンデラの釈放、A4.1994年4月5日)だいたい何年の出来事かくらいまではオレでも思い出せるが、月日までは覚えていない。彼らの場合、「そのニュースを聞いた時にどこで何をしていたか」という記憶とともに、これらの出来事の年月日を何の苦労もなく、まるで昨日の出来事のように明確に即座に思い出してしまえるのだ。現在のところ、アメリカ国内でこのような能力の持ち主が6人確認されているという。アメリカの研究者たちの間では、このような能力を暫定的に「superior autobiographical memory(特に優れた自伝的記憶)」能力と呼んで研究を進めている。なぜかと言うと、こういう能力の持ち主を研究することによって、人間の記憶という根本的な機能について理解が深まるし、場合によってはアルツハイマーなどの記憶に関わる病気を治すカギとなる可能性があるからだ。オレも学生時代に臨床心理学の実験演習で迷路の中でネズミを走らせたり電気ショックを与えたりといった「記憶」に関するいろんな実験をした経験があるが、だいたい動物にせよ人間にせよ、記憶を深く刻ませるには“ショック”を与えるような経験を与えるのがいいらしい。要するに、何かを体験するときに「アドレナリン」が流れることによって、その記憶が固着しやすいようなのだ。ペットや人間が事故とか災難を身をもって経験したことが「トラウマ」となって一生残ったりするのは、その時に体内に流れたアドレナリンが記憶を強化しているからである。しかし、このような「優れた自伝的記憶」の持ち主というのは日常の些事を一切覚えているわけで、何らトラウマになるようなことだけを覚えているわけではない。この点において、これらの能力の持ち主たちはこれまで通説となっていた記憶の「アドレナリン仮説」の反証になるとして、心理学者をはじめとする専門家たちの興味を引いている。ところでオレはこのドキュメンタリーを見ていて気になったことがある。というのは、人間は一概に「記憶」というひと言で片付けているが、記憶というのは実際には3つの異なるプロセスに分かれている。つまり、1)何かを知覚・体験したことが脳みそに書き込まれる(書き込み・刻印)(=レジストレーション)2)その書き込まれた記憶が、頭の中に保持される(保存・保持)(=リテンション)3)頭の中に書き込み・保存されている記憶を検索して取り出す(呼び出し)(=リコール)「何かが思い出せない」というとき、それはちゃんと脳みそに書き込みがされていて、きちんと保存もされているのだけれども、脳内から検索して呼び出すことが出来ないだけなのか(「もう喉のすぐそこまで出掛かっている」なんていうのがこの場合)、あるいは書き込まれた記憶が脳内で破損・腐敗してしまい正確な形で取り出せないのか(父親が、実際には弟がやったことを、兄がやったこととして記憶しているような場合)、あるいは体験したことが脳みそに書き込みされずに右の耳から左の耳に素通りしてしまっているのか、少なくとも3つのプロセスのうちどれかが機能していないと考えられる。オレの考えでは、「思い出せない」場合の大多数は、1)の「書き込み」も2)の「保持」の機能も問題ないのだが、その「呼び出し」が出来ないだけだと思われる。たとえば、人が死ぬ前の瞬間に自分の人生をまるで走馬灯のように想起する「走馬灯現象」というのが報告されているが(トイモイ氏の先日の日記参照)、大体の場合、普段なら思い出そうとしても思い出せないような記憶までがビビッドに蘇るそうである。これは要するに、見聞・経験したことは自分が意識していなくとも脳みそのどこかに刻印・保存されていることを示している。一方、ボケ老人が自分の孫を娘の名前で呼んだりするケースは、明らかに記憶が脳内で混線してきており、2)の保持・保存機能に障害が発生していることが伺えるし、朝ヒゲを剃ったばかりなのにまた洗面台に立ってヒゲを剃り始めたりするのは、1)の書き込み・刻印が機能していない(惰性で反射的にやっている)ことを示している。まあ、1つだけ言えるのは、この「異常に記憶力のよい人たち」というのは、1)の「書き込み」機能も2)の「保持」機能も3)の「呼び出し」機能もすべてが優れているということである。つまり、いくらアドレナリンを体内に生起させたところで、1)の「書き込み」機能を強化し、多少は2)の「保持」機能にも影響を与えたとしても、3)の「呼び出し」能力についてはほとんど影響がなさそうだということだ。つまりアドレナリン仮説は肝心の記憶の「呼び出し」機能についてはまったく説明していないと思われるのだ。ところで、これらの「異常に記憶力のよい人たち」にインタビューして判ったことは、5人中4人は独身でガールフレンドやボーイフレンドもおらず、またほぼ全員が「強迫神経症」的な性癖の持ち主であることであった(ちなみに男性3人はみな左利きで、脳のスキャン撮影をすると全員の側頭葉と尾状核が異常に発達しているということであった)。こういう能力の持ち主は、まるで「誰も知らない国の言語を流暢に話す」能力を持っているようなもので、誰もが孤独に感じがちであった。なぜなら、友達と話していて「...ほら、何年の何月何日に、誰クンと誰チャンと、どこどこに行って、何をしたじゃない?」なーんて話を振っても、向こうはポカーンとして話について来れないからである。つまり、その能力の持ち主にとっては「昨日のような出来事」が、ほかの人たちによっては「遠い過去の忘れ去られた出来事」だったりするのだ。それに、友達や恋人と「言った・言わない」のケンカになっても自分がゼッタイに正しいのを知っているから譲るに譲れないし(笑)、結果的に相手には「可愛くないヤツ」と思われてしまう。あと、強迫神経症的な性格というのも、例えばちょっと何かに触っただけで手を洗わずにはおれないとか、壁に掛かっている絵がほんの1度くらい傾いているだけでも気になって直さずにおれないとか、朝食にシリアルを食べた後は必ず砂糖を1つ入れたコーヒーを3分以内で飲まないと気が治まらないとかいった病的なこだわりというのは、細かいことをいちいち覚えているのには役立つかも知れないが、一緒に生活をする相手にとっては煩わしくて仕方がないに違いない(笑)。要するに、凡人にとってこういう特殊な人たちというのは傍で見ている分には面白いけど、直接的な関わりを持つのは厄介な人たちだということだ。ただ、面白いのは、これらの「異常に記憶力のよい人たち」が自分の持つ人並みはずれた能力に悩みつつも「この能力を持っていてゼッタイよかった」と異口同音に断言している点だ。なぜかというと、毎日の些事を覚えている人たちにとっては人生の瞬間瞬間が意味を持っているわけで、彼らは毎日の一瞬一瞬を「特別なもの」として意図的に過ごしているからだ。我々凡人は毎日を判で押したかのように惰性で過ごしがちであり、したがって今日の出来事も昨日の出来事も昨年の今日の出来事もぜんぜん区別がつかなったりする。我々が2002年の10月3日の出来事を思い出せないのは、2002年10月4日も2003年10月3日もきっと代わりばえのしない生活を送っているからだ。そういう意味で、こういう人たちは、我々が小学生だった頃のように異常に密度の高い生活を何歳になっても送っているに違いない。オレ自身は小学生時代に比べたら5分の1くらいの密度しかないスカスカの日々を送っている(=時間が当時の5倍の速さで過ぎている)しがない中年オヤジだが(笑)、ハッキリ言ってこれくらいで丁度いいと感じている。毎日があの頃のように(あるいはこの人たちのように)「意味」に溢れていたらやり切れないと思う。人間がボケるというのも、凡人にとってはあまりに密度の高い過去の記憶の蓄積というのが重荷になるからのような気もする。誰が言っていたか思い出せないが(笑)、「忘れる」というのも人間の重要な能力のひとつだとオレは思う。
2010.12.20
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そろそろ楽天ブログの保存画像がアップロードの最大容量である50MGに達しつつあるかつて楽天ブログが「楽天日記」と呼ばれていた頃は「画像倉庫」というのがあって容量はさらに少なかった、たしか画像の枚数で150枚くらいが限界だったような記憶があるなので当時、画像倉庫の容量超過を見越して、×オシティ○ズにブログを立ち上げて画像はもっぱらそちらに保存し、楽天ブログの記事にはそっちの保存場所のURLを貼り付けるという、×オシティ○ズの運営者が聞いたら怒りそうな手段を用いていた(ちなみに某ド×モ×さんはいまもその手段を用いているようである)しかし結局楽天広場ものちに「画像倉庫」を廃止して画像アップロードの最大容量を増やしたので当面は容量超過心配することなく画像をアップロードできるようになり、以来すっかり×オシティ○ズの方は放置状態が続いていたところがブログ開設7年を超え、保存した画像の枚数がついに1000枚を上回るようになり、50MGいっぱいいっぱいにまで迫ったわけであるちなみに楽天ブログではカネさえ出せば容量を増やしてくれるサービスも提供されているらしいのだが、別に営利目的でやってるブログではないのでそこまでやるつもりはないそこでオレは×オシティ○ズに開設していた自分の留守ブログを再利用しようと何年かぶりにアクセスしようとしてふと、困った、...というもの思い出せないのである、自分のパスワードのみならずハンドルネームまでを!あらためてブログを開設すればいいのかも知れないが、×オシティ○ズへの画像のアップロードの仕方まで忘れてしまったので、今日のところは諦めたつーか、そういえば先週銀行からカネをおろそうと思って暗証番号を入力したら「間違っています」との表示が出て、「あれ、うっかり間違ったキイを押したかな」とか思って同じ番号を3回繰り返して入力したら、ブロックが掛けられてしまいカードでの取引が停止されてしまった(笑)そう、オレはその日なぜかどの口座がどの暗証番号だったが脳内で混線したらしく、日本に設けている別の口座の暗証番号を入力してしまっていたのであるふつう2回も「間違ってます」という表示が出た時点で自分の勘違いに気づくべきだが、オレときたら「この番号が正しい!」という妙な確信があり(笑)、執拗にも3回も同じ間違った番号を入力し続けたのであった実を言うと、eBayだのFacebookだの旅行ブログだのといった新たなウェブサイトに新規登録するたびにパスワードの設定を要求されるわけだが、これまでにもどのパスワードがどのサイト用だったかが思い出せず、パスワードの変更・更新を余儀なくされたことが何十回もあるまだハンドルネームや登録名を覚えていればパスワードをEメールで教えてくれたり変更・更新するというオプションも残されているが、今回の×オシティ○ズのように登録名まで忘れてしまうともうダメだ、そのアカウントは放棄・遺棄するほかない、そんなことは実は×オシティ○ズの前にもあったように思うほとんど利用していないFacebookにアクセスできなくとも困らないが、銀行口座にアクセスできなくなるようなことは日常生活に直接的な弊害が生じるので多いに困る、自分の電話番号なんかもそうだ(笑) ...ケンボー症もここまで来ると笑っていられなくなるエンジェルフェイスさんや数年ぶりに覗いたふぐ太郎のさいきんの日記には認知症になった近親者の生々しい話が書かれていたが、独身で知人の少ないオレがああなるのもそう遠くない未来のことなのかも知れないボケ防止のためかオレの母親なんかがヒマなときにやっていた数独だのクロスワードパズルだのを、オレもそろそろ積極的にやらなきゃいけない年齢になってきたのか... それともこのボケ症状はカナダみたいなノンビリした土地であまりに気楽な毎日を送り過ぎているせいか(笑)?
2010.12.16
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トロント周辺でこの冬いちばんの大雪が降って、場所によっては道路も通行止めになったりして、大変でした。北米は今年は冬の到来が早い上に、気温も例年より低いらしい。アメリカ南部では今日、あちこちで最低気温の記録を更新したそうだ。オレの住んでいる周辺ではここ数日は最低気温が氷点下12~13℃、最高気温が氷点下8℃くらいで、おまけに風が吹いているので体感温度は氷点下15~20℃という感じ。ところで、自宅から自動車で4~5分、ジョギングで10分、徒歩で20分のところに、森とは言わないまでも林と言うには広過ぎる、森と林の中間みたいな所があって、中にはちょっとしたトレイルが走っている。ただの山だと思っていたのだが、このトレイルを走ったり犬を連れて散歩している人がずいぶんいる。なかなかアップダウンがあるのでトレーニングにももってこいだ。登山靴を履き、まるで雪山に登るような重装備でトレイルに入ってみると、森の中は木々に風が遮られているので、あまり寒くない。まだ冬眠していないリスがまだチョロチョロしていた。高い所からはオレが住む街が見渡せる。なかなかいい景色じゃん。いつも通勤で通っているハイウェイも見える。トレイルを全部回ると雪の中を歩いて3時間くらい、雪がなければ走って1時間半くらいか。重いバックパックを背負ったらなかなかいいトレーニングになりそうだ。こりゃいいや。ということで、この冬のトレーニングのベースはここに決定。
2010.12.14
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ところで、エベレストに登頂した人を一番多く出している国はどこであろうか。日本ではない。日本は3位である。アメリカでもない。アメリカでも2番目である。そう、1位はネパールなのである。アメリカの3倍、1000人くらいは登頂に成功しているそうだ。エベレストの登頂回数ではどうであろうか?2年くらい前に三浦雄一郎氏と一緒に登頂した村口 徳行氏は5回で日本人最高。世界最高記録は19回、ネパール人のアパ氏である。そう、いずれもシェルパである。実は、エベレストに初登頂したのはニュージーランドのエドムンド・ヒラリー卿ということになっているが、これもネパール人シェルパのテムジン・ノルゲイの方が先にヒラリー卿より頂上に着いていたのではないかという話もある(笑)。何が言いたいかというと、エベレスト登頂者にせよ七大陸最高峰制覇者にせよ8000m14座を征服した人にせよいかにも超人的な偉業を達成したとしてメディアに取り上げられるわけだが、実はホントにスゴいヤツってのは、黒子役のシェルパの中にいるのではないか?と思うのだ。たとえば、2001年にキリマンジャロに走って登ったイタリア人が居て、普通なら頂上まで3~4日掛けて登るルートをなんと5時間40分で登り切り、通常1~2日掛かる下山ルートを3時間弱でマラング・ゲートに到達、ゲートと頂上を8時間半で往復して世界記録に認定された。しかしオレがキリマンジャロに登った前の年、地元タンザニアのガイドがまったく同じルートを8時間27分で頂上と往復し、あっさり記録を塗り替えてしまった。しかも本人は頂上に着いてから余裕をかまして3分くらいビデオ撮影していたそうである(笑)。要は、彼らシェルパやガイドがこんな先進国の登山客並みに“本気で”トレーニングしたり記録に挑戦していたら、七大陸最高峰登頂だとか8000m級14座制覇の記録も全部塗り替えられているのではないかと思うわけだ(笑)。先進国の登山家がそういった「記録」を自慢していられるのは、シェルパやガイドが仕事(黒子)に徹していてくれるからなのだ。なんつーか、これら地元のシェルパやガイドはあくまで生活のためにエベレストやキリマンジャロに登っているわけで、「エベレスト登頂!」とか「8000m峰制覇!」とかいちいち自慢しないし、ましてや記録を打ち立てるためにトレーニングしたりしない(笑)。つーか、何をあんなムキになって山頂を目指すのか根本的に理解できないだろう。つーか、彼らにそんなカネとヒマとエネルギーがあったら山になんて登っていまい(笑)。そういえば、何年か前に日本のどっかの国際マラソンで、ペースメーカーとして先頭集団を引っ張っていたアフリカ人の雇われランナーが、本当はゴールの何キロか手前でレースを放棄して脱落しなければいけない約束だったところが、何を思ったか先頭集団を抜け出してゴールを目指し始めたのを、関係者たちが慌てて止めているのが報道されていた(笑)。自分の出身国の年収以上の報酬をもらう代わりに出場資格を放棄してペースメーカーなんかさせられているが、実は参加選手たちをぶっち切って優勝する実力の持ち主だったのである。なんだか国際マラソンとやらが茶番に見えてシラケた瞬間であった(笑)。要は、マラソンにせよアイアンマンにせよ登山にせよ冒険にせよ、所詮は金のある国のヒマ人の娯楽やヒマつぶしの類に過ぎないのだ。莫大なカネを払ってまでツライ想いをしたいバカどもの酔狂。彼らシェルパやペースメーカーは、我々のそんなガキみたいな酔狂におカネと引き換えに付き合ってくれているオトナというわけヨネ。
2010.12.12
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去年の年末年始に参加したアメリカのアドベンチャー・バス・ツアーの会社から誘いの案内が来た。今年はメキシコのバハ・カリフォルニアのツアーに加え、コルテス海の周り(ゴールド・コースト)をグルリと一周するツアーを企画しているらしい。ツアー後半の一部は去年のバハのツアーと同じ。2週間で費用もバハ・ツアーとほぼ同額(10万円弱)。うわ~、行きてえ~!実はオレは、この秋から単発でガイド仕事を始めたアドベンチャー・ツアー会社の社長(あるスキー種目の元カナダ国内チャンピォン)が主催している8週間のスキー講習を年始から受けようかと考えていたところであった。なにせオレは東北出身のクセにスキーをしたことがなく、今回せっかくアドベンチャー・ツアーの現地ガイドの仕事を始めたのだから、カナダ人としては基本であろうスキーとカヌーくらいは習っておこうと考えていたのだ。それに、これから高い山とか極地に行く機会を想定しているのであれば、スキーの基礎くらいはマスターしておいて損はないだろう。しかしこのバス・ツアーに参加したら、このスキー研修の大事な最初の2~3回が潰れてしまうのだ。それに、そのスキー研修受講料と、今年のアコンカグア及び/又はマッキンリー登山の遠征費用のことを考えたら、今年は年末年始の休暇をガマンすべきだろうと考えていた。このバス・ツアーなら飛行機運賃を入れて15~6万円、東海岸の冬山でトレーニングを兼ねた休暇をするにしても予算は10万円弱だ。これだけで南米チリやアラスカのアンカレッジまでの移動費くらいはセーブできる。しかし、このバス・ツアーへの招待メールを見てオレの心は大きく揺れ動いた。この極寒の地カナダで単発仕事と孤独な耐寒トレーニングをしながら過ごすのと、あのメキシコのセミトロピカルなコルテス海の周りを世界各国の仲間とツアーして過ごす姿を脳内にイメージしてみたら、そりゃ後者のほうがいいに決まっている!常識的に考えたら、同じカネを遣うのならより楽しいことに遣いたいに決まっている。しかしこの場合、バス・ツアーという目先のほぼ確実な楽しみに対する比較対象は、将来役に立つかどうか分からないスキーの基本と、アコンカグア又はマッキンリー登頂というまだ可能性に過ぎない不確実な楽しみというか達成感(及びそれに伴う多大な苦痛)なわけである。しかしなんだか、たかがメキシコへのバスツアーへの誘いだけでこれだけ迷うということは、オレのアコンカグアやマッキンリーに対する集中力の程度が知れるというものだ(笑)。山屋が聞いたら、山なのか海なのかハッキリしろ!とか、山をナメとるんか!とか怒られそうな気がする。もうこの際、いっそのこと貯金を食い潰す覚悟でバス・ツアーも行ってスキー研修も受けてアコンカグアにも行ってマッキンリーまで全部行ってやろうか(笑)。ガンで余命宣告でも受けていればたぶんそういう選択をしてるんだろうけど(笑)。っつーか、なるべく貯金を維持したまま「あれかこれか」とかいった選択を考えている時点で、もう最初から保身に走ってるよなあ(笑)。
2010.12.11
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先日、高峰登山をしている連中の中には世界七大陸それぞれの最高峰「セブン・サミット」の征服を狙う一群がいる(2010年時点で世界中で250人くらいが成功、うち日本人は5~6人)ことを書いたが、世の中にはこれに加えて世界に14座ある8000m級の山全部の登頂を狙う一群(2010年時点で成功者は22人、日本人はゼロ)がいて、さらにはこれに北極・南極の制覇を含めると冒険家の「極地グランドスラム」と言うそうで(笑)、5年前に韓国人男性が初めてこれに成功しているそうである。ちなみに今年はついに女性で初めて8000m級14座の征服者が2人出たが、これがちょっとした騒動になっている。...というのは、この2人の女性のうち先に14座登頂を達成した韓国人女性が、14座のうちの1つに登頂を果たしていないのではないかという嫌疑がかけられている、というのだ。というのも、彼女が昨年14座の1つ(カンチェンジュンガ)に登攀したのと同じ日に、カンチェンジュンガの登頂に成功している登山家たちが、誰も彼女が登頂したのを見ていないと主張している上に、彼女の「登頂写真」は同じ日に登頂したほかの登山者たちの写真と違って「足元に雪がない」というのだ。おまけに、その疑義を投げかけている「同じ日に登頂した登山者」の中には、彼女に先を越されて「14座征服2人目の女性」に甘んじることになってしまったライバル登山家が含まれていたりして(笑)、話をややこしくしている。ネットで登山だとか冒険の記事を読んでいると、いつもこの「疑惑」の話に突き当たる。誰かが“偉業”を達成すると、「本当に登頂したのか」「実は極点まで到達していないんじゃないか」とかいった疑義が投げ掛けられるのが常であるようなのである。たとえば日本語の登山関係のウェブサイトでいちばん目に付くこのテの記事は、栗城とかいうセブン・サミットを目指す青年の「無酸素・単独」の話。この青年は世界七大陸最高峰に日本人としては初めてとなる無酸素・単独での登頂を目指していて、残すはエベレストだけらしいのだが、その「単独」「無酸素」の両方に疑義が投げ掛けられているらしい。...というのも、世界にはガイドをつけない「単独」での登攀が許されていない山というのがあって、世界七大陸最高峰のうちの2つ(キリマンジャロとマッキンリー)がまさにそれなのだ(笑)。要するに「単独でのセブン・サミット」というのはあり得ないということである。また、彼が公開している登攀のビデオには、酸素ボンベを持って待ち構えているシェルパの姿がしっかり映っていたりして(笑)、登攀に失敗した時点でそのシェルパが駆け寄って酸素ボンベを吸わせていたりして(笑)、まるで昔の水曜スペシャルの川口浩の探検隊みたいで、ネットではこっ酷く叩かれているようである。まあこの青年の場合、ほとんど限りなく黒というか、マトモにとりあう方がバカというか、まだ“偉業”を達成する前の段階であることもあって、山業界の関係者は彼(...というか、彼のスポンサー)の「単独・無酸素」の主張を冷ややかな目で看過しているらしい。川口浩の大発見が学会に取り上げられないのと同じことなのだろう(笑)。...ちょっと話が逸れたが、オレはこの「疑義」と「証拠」の話には個人的に不愉快な経験がある。オレは高校2年の夏休みに、バイトで貯めたカネで3週間弱掛けて北海道を自転車で一周したことがあるのだが、夏休み明けに会った同級生たちの中に、陰でオレの「北海道自転車一周」の話がウソだと言ってるヤツがいることを知ったのだ。その自転車旅行の話をオレから詳しく聞かされていた親しい友人の中には疑っているヤツはいなかったと思うが、オレと親しくない連中の中に「そんなのウソだ」と言ってるヤツがいたらしい。オレと親しくない「ウソだ」と言ってる連中とも親しいけど、オレとも親しいヤツの話によると、「そんなことできるわけない」「証拠の写真もない」というのが彼らの論拠らしい。オレは、北海道自転車一周なんてオレ以外にもやってるヤツを知っていたし、それが大してスゴイことだという意識さえなかったのだが、狭い世間しか知らない連中には「北海道を自転車で一周する」程度のことが「不可能なこと」の範疇に入っているんだなあ...とむしろ哀れに思った。あと、写真については、オレは旅行中にはスケッチ入りの日記をつけていたし、後で自分で思い出せればそれだけで十分だったので、最初からカメラを持っていかなかった。かつて独り旅したときはしばしばそうだったように、別に他人に証明するために旅行に行くわけではなかったからである。(まあその時は旅先で知り合って友達になった人が撮って送ってくれた写真もいくつかあったけど。)オレがその経験から最終的に結論したのは、「ウソだ」と言っている連中は「自分には出来ないと思っていることを軽々とやってしまうヤツ」を嫉妬していたのだ、ということだった。だって、そもそも、自分が何か熱中することをやっているなら他人が何をやってようが関係ないし(笑)、他人のやったことが「ウソだ」「ホントだ」という発想が出てくるはずがない。そういうヤツはきっと自分の周りの狭い世界だけに安住したくて、その世界のスケールより大きい出来事を見聞するたびに「ウソだ」「そんなこと不可能だ」と否定して暮らしているのだろう。そして、どうしても否定できない証拠を突きつけられた場合には、「アイツはフツウの人とは違うから」とか「どうせオンナにモテたくてやってるんだろう」とか、自分を納得させるいろんな言い訳があるんだろう。...またちょっと話が逸れたが、何が言いたいかというと、自分が好きでやっていることで「証拠」を残すというのもヘンな話だよなあ...ということなのだ。自分がやっていることに心底納得・満足できているのであれば証拠なんてどうでもいいはずだし、そもそも「証拠をとっておこう」などという発想が出てこないはずだ。逆にいえば、「証拠を残そう」と思っている時点で邪心があるということだ。北極圏到達でもアイアンマン完走でもいいが、誰かに証明するためにやるんだとしたら、カワイソウなことだと思う。きっと薄っぺらな満足しか得られないだろう。それは、他人に誇示するために見栄えのよい男や女と付き合うとか、相手に好く思われようと常に意識しながらセックスするようなものだ。まーでも実際の話、そんな境地に達せられる幸運な人はごく一握りで、ほかの大多数は「他人の目」とか「誰かへのアピール」というのをモチベーションにしか行動を決められない、不幸な人なんだろう。そういうオレも、アコンカグアやマッキンリーに登るときは間違いなくカメラを持っていって(笑)、このブログで公開するんだろうし。
2010.12.10
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先日の日記にセブン・サミッター(世界七大陸最高峰征服者)について書いたのだが、それからいろいろ調べているうちに「さすがにオレもエベレストは無理だわ...」と思った。アコンカグア(6962m)はなんとかなるかも知れない。マッキンリー(6194m)も努力次第でいけるかも知れない。しかし8000m級はシャレにならない。キリマンジャロ級の山とマッキンリーやアコンカグア級の山の間には越え難い壁が存在すると言われるが、そのアコンカグア級の山とエベレストをはじめとする8000m級の山の間に存在する壁というのはさらに高くて厚い。スポーツ選手にたとえれば、キリマンジャロとアコンカグアの違いが筋のいいアマチュアとセミプロ(実業団レベル)の違いだとすると、アコンカグアとエベレストの違いは実業団レベルと第一線のプロの違いと言えそうな気がする。筋のいいアマがメチャメチャ調子のいいときに実業団レベルのヤツに勝てることがあったとしても、実業団レベルのヤツではまず第一線のプロには勝てない、そんな感じ?なんせ、キリマンジャロはよほど準備が出来ていないか無茶なことをしない限り「死ぬ」ことはまずない。アコンカグアやマッキンリーも常識的な判断さえ失わなければ命を落とすほど危険ではない。しかしエベレストは「誰にとっても無茶」なことが前提であって、そもそも生命体の存在が赦されない8000mの境界線を超えた「デス・ゾーン」に踏み入るということがすでに常識を逸している。統計によるとエベレスト登頂者の17%前後が生還していない。5~6人に1人。まさにロシアン・ルーレットと同じ確率である。ふつう山で死ぬというと、風に吹かれて滑落とか雪崩に巻き込まれて窒息とか悪天候で遭難して凍死や餓死というのが死因の定番だが、エベレストはしばらく「そこにいるだけ」で死んでしまう(笑)。空気中の酸素量が3分の1で気温は快晴でも氷点下20度以下、風が吹いていれば体感温度は氷点下40度。別に事故に遭わなくとも、登頂に時間が掛かり過ぎ下山が遅くなって日が暮れたらまず生還できないし、フツウに登ったり降りたりしている最中に力尽きて死んでしまうこともある。悲惨なのは、八ヶ岳や大雪山などと違って「誰かが」救助に来れるような余裕など微塵もない世界なので(笑)、8000m以上のところで誰かの体調が悪化してその場に倒れても、その人をかついで降りてくれる人は(仮にシェルパであっても)誰もいないし、医者を呼ぶにもそんな高度のところに医者を連れてくる手段がそもそも存在しないのだ(笑)。それに、仮に「助けて...」「一緒にいて」なんて消え入る声で懇願されても、1分・1秒長く居るだけで砂時計のように生存可能性が低下していくそんな標高の世界で立ち止まって介護なんてしていたら、いずれ自分が死んでしまう。要するに、そこで「もう歩けない」状態になってしまったら、もう置いていくしか仕方がないのである。だから、エベレスト山頂への経路にはそういう風にして死んでいった登山者たちの死体が普通に転がっていて、またそんな標高では死体は腐敗することがないので、登山者はそんな死体の横をいつも通り抜けて山頂を目指す。下のYouTube動画は、エベレストに2回登頂している山下健夫さんが登頂日に撮影したビデオと写真を組み合わせたものだが、ご本人の淡々とした飾り気の無いナレーションがその殺伐とした「本来、人がいてはいけない世界」を却ってリアルに伝えている。山下さんの前を登攀していた登山者が、いわゆる「第2ステップ」と呼ばれる難所を登り切る手前で力尽き、岩場の上に座り込んでそのまま死んでしまうところの描写が特に強烈だ。また、頂上からほんの200m下で仰向けになって死んでいたまだ新しい死体の描写も、写真や動画がなくてもまるで頭に浮かぶようである。あと、「第1ステップ」の上で横になっている2人の登山者を、誰もが見て見ぬふりをして通り過ぎて行く話もスゴイ。下のYouTubeビデオはまさにそのような「見殺し」にせざるを得ない究極の世界を体験したエベレスト生還者たちにインタビューしたビデオだ。ヒラリー卿も登場して言っているとおり、もし誰かがトラブルに巻き込まれていたら「too bad. (お気の毒に...)」のひと言で通り過ぎるほかないのだ、8000m以上の世界では。あと、大事な点として「頂上がゴールではない」というのも忘れてはならない。マラソンだったらフィニッシュラインを超えたらあとは倒れようが大の字になろうがそこで終わりである。ゴールまでに全力を出し切ればよいのだ。しかし登山では、とくに山頂が“デス・ゾーン”にあるような山では山頂はあくまで「折り返し地点」に過ぎず、下界のベースキャンプ(厳密にはアプローチベースキャンプ(ABC)だが...)がゴールなのである。このYouTubeビデオでインタビューされている生還者も口を揃えて言っているが、エベレストでの死者は登頂で力と時間を使い果たし、下山時に亡くなった人が多い。いくら登頂できる余力があっても、頂上からベースキャンプまで戻って来れる時間や体力が残っていないと判明した時点ですぐに下山しなければエベレスト登山者は生還できないのだ。あとちょっとで到達できそうなところに世界最高峰の山頂があるのに、それを目の前にして、時間が遅いからとか下山時までに天候が悪化しそうだからという理由できびすを返すのには大変な冷静さと根性が要るに違いない。要するに、世界最高峰に「余裕」を残して登れるレベルの人でないと、生きて帰って来れないのだ。オレは日本人にしてはこれまでかなりアブナい道を経てきた方だと思うが、そんなオレでもロシアン・ルーレットをやる根性はない。弾倉が20個もある確率5%のリボルバーだったとしてもイヤだ(笑)。そこまでのリスクを冒してまでエベレストに登りたいとは、全然思わない。オレがもしエベレストに挑戦することがあるとすれば、もうほかのすべての大陸最高峰も登り尽くした上で、かつ「別に死んでもいいかあ。」と思えるくらいあらゆる面で満足した時だけだと思う。そんな日が来る確率はまあ、17%未満だろうなあ。
2010.12.08
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ここ1週間くらい、1日数時間はネットでアコンカグアやマッキンリーをはじめとする山のサイトばかりネットサーフィンしている。とくに寝る前にベッドで横になってiPadで読む他人の登頂記は面白く、気がつくといつも深夜になっている。この種の登頂記録というのは得てして登山を趣味としている人が書いたもので、とうぜん同じ趣味の人であれば理解できるような登山用語も登場するし、何よりも山への敬愛が感じられるものが多い。一方でオレはというと登山が趣味なわけでもなく、山に入るのはもっぱらマラソンやトライアスロンのトレーニングの一環だとか、極端に標高の高い世界を経験してみたいとかいったフトドキな理由であり、足元の草花を愛でるとか素晴らしい風景を記録に収めるといったこともせずにひたすら頂上やトレイルの終結点を目指して走り回っていることが多い。なのでこれらの登頂記を読むたびにほんのちょっとだけ神妙な気持ちになっている(笑)。ただ、登山を趣味としている人の中にも必ずしも純粋に山を愛しているわけではなく、世界七大大陸最高峰への登頂なんかを目標にひたすら世界中の「一番高い山」ばかり選んでを登山をしている「セブン・サミッター Seven Summitter」狙いというのがいるらしい。これは明らかに「一番高い山を征服した」という満足感のために登山しているわけで、景色を十分エンジョイしたからと言って途中で帰ってくることはまずあり得ない(笑)。マラソンの「完走」と同じく「登頂」自体が目的で目標なのである。本当に山を愛する人に言わせればこのような動機での登山は邪道なのかも知れない。ちなみに2010年時点で七大大陸最高峰を征服したセブン・サミッターは250人くらいいるそうで、そのうち野口健さんをはじめとして日本人も6~7人いる(ちなみに植村師匠は南極最高峰までは登っていないのでセブン・サミッターではない)。(注1)世界各国に遠征して1~数週間かけてそれらの山に登るのには毎回(マッターホルンあたりの)数十万から(エベレストの)1000万円くらいは費やしているはずで、それだけの体力や精神力はもとより、それだけのカネを「登山」にポーンと遣ってしまえる感覚がまず常人離れしてるよなあと思う。やっぱ1000万円とかあったら常人であればすぐ新車を買うとかブランド物を買うとか南国のリゾート地に旅行するとかいった発想をするはずで(笑)、わざわざカネを出して生死ギリギリの淵のツライ体験をしに行くところがこれらの人のスゴイところなのだろう(笑)。まあそういうオレも単にシンドイだけのアイアンマン・レースに参加料6万円を2回も払ったことがあり(笑)、これらのレースに出るために何の実用性もないトライアスロン・バイクに40万円以上を費やしたような人間なので、たぶん価値観的にはこれらのセブン・サミッターに近いものがあることは間違いない。ところで昨年アイアンマンを完走した後で旧友から指摘されたとおり、オレはずっと前からタナトスだポトラッチだの自分をギリギリまで追い詰めるだの言ってる割にはなかなか死なず(笑)、それどころかむしろ10年くらい若い頃より健康になっていたりして(笑)、さいきん保身に走り始めた自分に気づき、ちょっとだけ反省している(笑)。「将来どうなるか分からない」とか言ってしっかり貯金をキープしようとしている44歳の自分を30代の自分は決して赦さないだろう(笑)。「どうなるか分からない」ときのためのカネがあったら、それこそエベレストにでも登れや!...と言いたくなるわけである。まだ正確に計算したわけではないが、実のところオレも貯金をぜんぶはたけばもしかしてセブン・サミットに1回ずつくらいは遠征する程度のカネ(≒カナダの田舎に小さな家を立てる程度のカネ)をすでに持っているような気がする。どうだ、カナダに家買って独りで住んでたって何にもならないだろ?思い切って次はドーンと世界七大最高峰でも目指すか(笑)?そんなわけでオレは今、「バカなことは止めとけ」という自分と「どうせ先の短い人生んだろ」という自分との間で、軽く脳内で葛藤しているところなのである。(注1)世界最高峰エベレストだけの登頂者だと日本人だけで141人いるそうである。ちなみに最近で挑戦者が一気に増えてなんと年間400人くらいが登頂してるらしい。さいきんの世界的なアイアンマン人気と一緒か(笑)。
2010.12.06
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先日の日記に書いたとおり、来年の目標を6000m級の山にしようと思いここ数日ネットで調べていたのだが、アコンカグアにせよマッキンリーにせよいろんな意味でハードルが高いことだけはよーく分かった。まず装備だ。もともと登山の基礎知識も訓練の経験もないオレが、体力への自信だけを頼りに4年前キリマンジャロに登ったとき、装備には身の回りにあったキャンプ用品でほぼ間に合わせた。標高は6000m近いものの、技術的には富士山登山に必要なレベルでOKと聞いていたので、新たに買った物といえば40ドルの安物ステッキと1万円足らずの登山ブーツくらいであった。登頂日の氷点下20度以下の環境への装備も、その前の年末にアラスカに行ったときに揃えた防寒用衣類で間に合った。しかし、アコンカグアや、ましてやマッキンリーとなるとさすがに富士山の延長というわけにはいかない。オレはある山岳系旅行会社の装備表を見て困惑した。なんとなく耳にしたことはあるが、何なのか知らない登山用品がいっぱい載っているのだ。アイゼンは何か想像がつくが、カラビナって何?ピッケルもイメージが湧くが、プラブーツって何よ?それより、持ってないと参加を断わられる「二重登山靴」ってどんなの?つーか、アイゼンはいてピッケル持って、身体にロープを巻き付けなきゃ登れないような山だったのかアコンカグアは? 経験者たちの書いた登頂記を読んでも、「トラバース」だの「荷揚げ」だのよく分かんない言葉がいっぱい出てくる。それに、キリマンジャロの時は登山口から5日で登頂し、1日で下山、計6日で帰ってきたが、アコンカグアだと14日前後が標準だという。高度順応のための「停滞」に数日費やしたとしても、正味の登山だけで倍の日数を要するということだ。これがマッキンリーとなると、天候のために足留めを食う予備日の日数を入れて3週間だ。そして当然これらの日数分の食料を持参しなければいけない。装備プラス食料で実に70キロ!自分をもう1人かついで登山するようなものだ。あと、これらの登頂記(あるいは登頂失敗記)を読んで気が滅入るのが、死ぬ話があちこちに出てくる点だ(笑)。途中まで一緒に登っていてベースキャンプで別れた人が、山頂から戻ってテントをのぞいて見たら中で死んでたとか(笑)、知人が何年か前にアタックして滑落死したところを通って下山する話とか、伝聞としてではなく自分が身近に経験したこととして死が語られているのだ。キリマンジャロでも何年か前にどの国から来た人がどこで死んだという話は耳にしたが、どれも伝聞の伝聞だった。やっぱりアコンカグア、ましてや植村直己師匠が命を落としたマッキンリーともなると、死の危険性が一気に現実的になるのだ。現実といえば、装備に数十万円、旅費に数十万円で予算はたぶん5~60万円、旅行期間に3~4週間ってところだろうか。予算的は定職に就かないと厳しいし、逆に旅行期間の方は正社員が休暇を取るには厳しい長さだ。やっぱり定職に就く前に貯金を切り崩してでも実現するほかないか。誰かが、キリマンジャロやモンブラン級の山と、マッキンリーやアコンカグアのようなレベルの山の間には超え難い壁があるといったことを書いていた。そういえば、キリマンジャロの登頂成功率は5~6割だったが、アコンカグアでは3割を切っているらしい。こうして調べていると、ここから先はホントにいろんな意味で難易度が一気に高くなることを痛感する。…でも、マラソンからアイアンマンにアップグレードした時には機材だけに何十万円&トレーニングに数年費やして、おまけに会社も辞めてるし(笑)、今回のアコンカグアにもきっと数十万円費やして来年は南米に遠征してるんだろう。そろそろ厳しい山岳トレーニングも開始かなあ。今年は例年にない厳冬になるそうだし、耐寒訓練にもタイミングかもなあ。
2010.12.03
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ニャーと猫の鳴き声で鳴く羊の夢を見たそれまでは羊の鳴き声でメエ~と鳴いていたのが、オレがそばにいた猫の方ばかりを可愛がったからか、猫が去った後、オレの前まで毅然と歩み寄ってきて、ちょっと間を置いたあとで意を決したかのように「ニャー」と鳴いたのである。それは完璧な猫の鳴き声であった。その前後に何かストーリーがあったが忘れた朝、出掛けにボーっとTVを見ていたらふと思い出した。
2010.12.01
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