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シベリア鉄道に乗って、ウラジオストックから、モスクワへ行き、さらに、サンクトペテルブルクから、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバへ行く旅を計画していました。アジアの星一番の場合、ほとんど、99%が一人旅です。旅で出会った人と、数日を共にする場合はありますが、全ての日程を共に旅した事はないです。シベリア鉄道は、2等寝台ですと、4名の部屋です。1週間ほど、一人で旅するのは、暇だし、退屈だよなー、と感じていました。そして、お一人は、一緒に参加したいと言う人がいました。そして、さらに、お二人、参加しても良いと言う方が現れました。それで、そのメンバーで、第1回目の会合を開いた次第であります。まず、豪華な寿司を頼みましたぞ。場所は、ai寿司です。ai寿司には、ビールが置いてありません。それで、ビール飲みたいなー、と言ったら、Tさんが、買って来てくれました。自分の分も買って来るのだろうと思っていたら、なんと、自分はビールを飲まず、アジアの星一番のた為に、わざわざ、買いに行ってくれたのです。すいませんです! 申し訳ございません。おまけに、このビール、奢りだと、言ってお金を受け取ってくれません。太っ腹な方ですなー! ありがとうございます。こんな方と旅できるなら、安心ですなー。旅慣れた方で、アジアの星一番の作った、スケジュール表を小型の手帳に張り付けて、さらに、地図に、全体の行き先を示したものをコピーして持って来てくれました。それから、色々と、調べて来てくれたのですねー。行き先の気温とか、着ていくべき服装とか、食べ物だとか、シベリア鉄道に乗った人の話しだとか・・・。有難いですねー!アジアの星一番の情報より、短い期間に多く得ております。これは、魚ですが、無料でお店のサービスがありました。何回も来ていますが、こんなサービスは、始めてですな。本日、決まった事は、下記です。1.ハバロフスクに泊まるのを止めて、シベリア鉄道は、下記となります。 ウラジオストック →イルクーツク(バイカル湖) →モスクワ2.旅行社に、宿、シベリア鉄道のチケット、バウチャー、ビザの手配を 依頼する。 アジアの星一番一人ならば冒険して、自分でバウチャーを取得し、 自分でビザを取得し、宿も自分で手配し、そんな旅をするのですが、 4人ともなると、冒険は出来ません。 それで、少しお金は高くなりますが、ツアーではなく、個人旅行ですが、 必要な手配を、旅行者に頼むことにしました。 ロシアは、まだまだ、旅人にとっては、特殊な国ですからね。 アジアの星一番の旅友は、同じ時期に、シベリア鉄道に乗るのですが、 自分でバウチャー、ビザを取得する為に、行動しています。 若干、羨ましい気持ちもありますが、グループの旅の楽しみもありますよね。3.ロシアでの移動は、タクシーを利用する。 電車やバスでは、トランクを持ったりの移動で大変。そして、4名なので、 一人当たりのタクシー代も安くなる。旅行社や、旅友の情報を集めて、1週間か、10日後に、第2回目の会合を持つことになりました。一人旅と違う面が多く、別の面白みがありますね。アジアの星一番は、ウラジオストックへ行く前に、韓国か、中国を旅しようと考えています。韓国なら、韓国縦断、中国なら、大連 →瀋陽 →長春 →𠮷林 →延辺朝鮮族自治州 →ウラジオストック、となりましょうか?しかし、丁度、5月の連休なので、汽車やバスのチケットが入手出来るか、それが心配です。なので、行くかどうか、迷い中。
2019.02.16
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2013年ですから、一昨々年となりますが、「東欧南下の旅」と称してヘルシンキをスタートし、バルト3国、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、マケドニア、アルバニアと廻りました。しかし、時間が足りず、行きたかった、旧ユーゴスラビアの国々へ行く事が出来ませんでした。今年は、日本一周が完了します。その後、上記、「東欧南下の旅」の続きをしようと考えています。チェンマイにいる間に計画を立てねばなりませぬ。今は、ネットで色々と調べられますが、未だに、「地球の歩き方」、は旅の友です。持って来るのを忘れたので、チェンマイへ来られる方にお願いし、運んで貰いました。それが、数日前に届きました。皆さん、ご存じ、地球の歩き方です。この国々ですが、東欧と言う方が馴染みがあると思うのですが、「中欧」と書いてあります。従いまして、本来は、「東欧南下の旅」、でなく、「旧東欧南下の旅」としなければなりませんね。ですが、分かり易い、「東欧南下の旅」、で通します。もう、その名称で、出版済ですし・・・。まぁ、「どっちでも、ええやないか!」 と思うでしょうけどね。私も拘りはありませんが、やはり「東欧南下の旅」で続けます。下記の写真の、黒字で囲った国々は、既に廻りました。今回は、赤字で囲った国へ行こうとするものであります。1. スロヴェニア2. クロアチア3. ボスニア・ヘルツェコヴィナ4. セルビア5. モンテネグロ6. コソヴォ上記の6ヶ国ですが、これから、旅の計画を立てます。ボスニア・セルツェコヴィナって、長い名前ですねー。覚えきれません。ボスニアって、言ったら、ヘルツェコヴィナが怒るでしょうか?アジアの星一番の旅の楽しみ方は、以下、3つあります。1.旅の計画 地球の歩き方や、ネットで調べ、見知らぬ土地を夢見ながら、旅の工程を 立てます。これも楽しい作業であります。2.旅の実行 計画に沿って、そして、現地情報を得て、必要ならば、予定を変えて、 その地域を楽しみながら廻ります。写真も撮り、その時に感じた事も 日記に纏めながら廻ります。勿論、これが主です。3.旅の日記を本にする 主にブログを、そのまま本にするのですが、本にする為の作業が必要です。 あぁ、ここ行ったよなー、綺麗だったなー、 あぁ、あそこでは、騙されたよなー、損したなー、 あぁ、あの街では、親切な人に助けられたなー、 あぁ、あの郷土料理は、美味しかったなー、又、食べたいなー、 あぁ、あぁ、あぁ、を連発しながら、校正して行く作業も楽しいものであります。そんな訳で、チェンマイに居る間に、「旧ユーゴスラビアの国々」、「第一の楽しみ」、を味わいながら、旅の計画を立てたいと思います。
2016.01.15
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パリ7日目の11月2日(日)は、大満足ではなかったものの、フランスの伝統料理を食べました。そして、サン・マルタン運河のほとりを散歩し、パリの古き良き時代の雰囲気を味わったのであります。昼食を終えて、まだ時間があります。明日は、ドーハ経由、タイのチェンマイへ向けて出発します。貧乏性のアジアの星一番は、時間のある限り、どこかを見たいなー、と思ってしまいます。そして、この日は、日曜日、多くの観光場所が無料で開放される日です。それで、オルセー美術館へ行く事にしました。地下鉄に乗れば、すぐ着きます。ここが、オルセー美術館です。ご存じの通り、オルセー美術館は、19世紀の画家の作品が数多く収蔵されております。特に印象派の作品が多いのですねー。宗教画などには、あまり興味が持てないアジアの星一番には、ルーブル美術館より、ここの方が、親しみを持って見られるので、好きです。館内からは、セーヌ川も見えます。ただ、今回来て見て残念だったのは、写真撮影が禁止になっていた事であります。以前にも、まだブログを書き始める前ですから、10年以上前に、一度、来た事があります。その時は、写真撮影もokだったのですがねー。係員の方に聞いて見ましたら、3年ほど前から、撮影禁止になったとの事です。それで、写真は、建物の内部とか、窓にあった時計とか、このような物しかカメラに納められません。ここオルセー美術館には、すごい絵画の作品が多数です。モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、シスレー、マネ、などなど、見飽きません。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどの絵画もありました。ミレーの落穂拾いもここに収蔵されているのですね。シスレーについて、あまり知りませんでしたが、良い絵が多いと見直しました。それから、モネは睡蓮で有名ですが、その他、沢山の作品もあります。「ひなげし」は好きですねー。沢山のモネの作品を見て、大満足しました。どこかの壁に飾ってあった、パリ市内の絵です。これで、パリ7泊8日の、滞在は、全て予定も完了しました。もう少し居たいような、もうこれで良いかな? と言うような、久しぶりのパリでした。
2014.11.18
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貧乏旅人アジアの星一番は、パリに来ても貧乏暮らしです。食事は、パンを買って、トマトやハム、チーズとを挟んで食べる程度で済ませています。飲み物は、オレンジジュース100%を買って飲みます。栄養、健康面を考えても、これで十分でしょう?でも、せっかくパリに来たので、そんなに高くない伝統的フランス料理も一度は食べたい、もの、とネットで探しました。歩き方にも載っていますが、「HOTEL DU NORD」の1階にあるレストランバーへ行く事にしました。このホテルは、サン・マルタン運河のほとりにあります。運河です。ランチが始まるには、ちと早過ぎたので、このサン・マルタン運河のほとりを歩きました。これは橋の上から撮ったものです。「HOTEL DU NORD」、オテル・デュ・ノールへ向かいます。ここが、そうです。地下鉄M5に乗り、Jacques Bonsergent駅で降りて、運河方面へ向かえば良いので、分かりやすいです。店内には、まだ、だれ~も、いません。ランチには、早過ぎたでしょうか?ここは1938年と言いますから、75年ほど前になりましょうか、マルセル・カルネ監督によって撮られた映画「北ホテル(HOTEL DU NORD)」の舞台になった場所だそうです。ですから、映画の題名そのものが、このホテルなのです。一時は建物の老朽化により取り壊される話も出たようですが、地域住民の強い反対でレストランカフェとして1995年に改装されました。マルセル・カルネ監督のアシスタントで「北ホテル」の映画にも出演していたジェームズ・アルシュさんがオーナーとして経営、現在に至っています。との事です。(ネットで調べました。)早速、ランチセットを注文しました。英語も話せる店員さんがテキパキと聞いてくれるので、フランス語が分からん、と心配する事もありません。フルーツジュースとコーヒーが同時に運ばれて来たので、食後コーヒー派のアジアの星一番は、若干戸惑いました。パンも2種類あります。主食は、一品ずつ運ばれるのでなく、お皿に全て載せてあります。「定食」って感じです。素朴なフランス家庭料理と銘打ってあります。確かに素朴な味でした。アジアの星一番が、パリに来て、いつも食べている物と、そんなに変りません。パンの中身は選べますが、僕はサーモンにしました。まぁまぁ、美味しかったです。そして、デザートです。アジアの星一番が、主食を食べ始める頃には、席は、ほとんど満席になりました。皆さん、ランチ定食を頼んでいたようです。24.5ユーロですから、3500円程度でしょうか?これは、これで、伝統あるフランス料理ですから、味わって見るのも、良かったと思いますが、日本で食べるコースのフランス料理を食べようと思ったら、もっと高級なお店に行かねばならないですね。追伸昨夜、チェンマイに無事、戻って来ました。
2014.11.17
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現在、所用があり、急遽、日本に帰っております。雑用多数でブログのアップも儘なりません。明日、チェンマイへ戻ります。さて、パリ6日目です。昨日は、ヴェルサイユ宮殿へ行き、歩きすぎて疲れたので、ゆっくり起きました。何もせず、休養の一日にしようと思いましたが、貧乏魂が染み込んでいるのか、どこかへ行こう、と思ってしまいます。それで、市内からたった5キロの地点にある、広大な森、ブローニュの森へ出かける事にしました。近いですねー! 宿から地下鉄で行きましたが、凱旋門からなら、たぶん、5分から10分歩けば、着く距離にあります。地下鉄を降りて、歩いて行くと、白いコスモスが可憐に咲いていました。ブローニュの森に入ると、馬に乗っている人や、自転車で走り去る人や、ジョギングをしている人、さまざまに森を利用し、楽しんでおります。もうパリも晩秋ですね、黄葉、紅葉の木々が池の廻りを取り囲んでいます。割と大きな池があります。水に写る風景は、水が汚れていても美しく見えますが、ここの池の水は、透き通っています。パリ市内にこのような公園があるのは、良いですねー。昼食弁当でも持ってこのように、芝生の上で食べるのも良いでしょう。地下鉄駅を降りて、道を聞いた、男女4名のグループは、池を見下ろす芝生に座って、何かを食べながら、談笑していました。調べて見たら、東京都にも公園は多いですね。でも、きっと芝生には「立入禁止」の札が立っているのでしょう。東京都公園ベスト15、と言うのを見つけました。東京に住みながら、半分も行っていません。三分の一くらいかな?1.新宿御苑2.代々木公園3.隅田公園4.井の頭恩賜公園5.林試の森公園6.木場公園7.砧公園8.北の丸公園9.小金井公園10.昭和記念公園11.上野公園12.葛西臨海公園13.野川公園14.日比谷公園15.皇居東御苑
2014.11.15
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ヴェルサイユ宮殿の庭園は広大です。庭園と言うより森です。その広さは、1000ヘクタールと言いますから、古き日本の言い方で言えば約1000町歩となります。う~ん、分かりませんねー?1町歩は、10反1反は、300坪ですから、坪で数えれば、えーっと、300万坪となります。でけぇー! 広い! と言っても、どの程度か、想像が難しい。仮に、敷地50坪に1軒の家を建てたとしましょう。すると、6万軒もの家が建てられる広さなのです。凄いですねー! 日本ならば、一つの市が出来る広さです。概ね、その広さが、想像出来ました。これが、宮殿前の噴水から見た、庭園の写真です。(ウィキメディアより)ラトナの噴水から、大水路を見たところです。分かり難いでしょうが、ちょっと、地図で説明致します。ラトナの噴水が、どの辺りにあるか、お分かりでしょうか?そして、時間はたっぷりある、アジアの星一番、そして運動不足は散歩で解消せざるをえない状況であり、この広大な庭園を歩かない手はありません。ラトナの噴水から、アポロンの噴水を通り過ぎ、「この辺り」と書いた所へ来て、池の辺に座って、ゆったりします。ここには、鴨がいて、泳いでいます。そして大きな鯉も泳いでいます。昼食用に持っていた、食パンを千切ってあげると、鴨も鯉も競って食べます。可愛い家族連れの女の子が、羨ましそうにアジアの星一番を見ているので、食パンを1枚あげました。喜んで千切って、餌をあげています。ここで、日仏友好の輪の一環を作りました。え? いや、中国人と思ったかなー?アジアの星一番のことを? 何も聞かれなかったです。池の辺です。家族や恋人が、おもいおもいに寛いでおります。餌やりも飽きたので、マリーアントワネットの離宮の方へ歩いて行きます。こんな道です。さらに、こんな道を歩いて行きます。真っ直ぐで気持ち良いです。パリに到着した日は、曇りで寒かったですが、その翌日より天気も良く気温も上がり、観光日和となっております。スリに大金は盗られましたが、天気は、アジアの星一番を支援してくれております。ここが、マリーアントワネットの離宮の一部です。ここを見学するには、別途入場料が必要です。しかし、ヴェルサイユの宮殿に比べると、見るべきものが少なく、アジアの星一番としては、それほど興味を惹きませんでした。でも、見る人が見れば、きっと、素晴らしいのでしょう。何と、ここに、日本の菊が置かれていました。若干の説明も書かれていましたが、葬式に使われると言うような事も説明されていました。それを読んでいたフランス貴婦人が、あなたは、日本人ですか? と聞いて来て、菊の花は日本では、弔事に使われるようですが、フランスでは、慶事に使われるのですよ、とにっこり笑って言いました。さて、宮殿も見て、庭園も見て、ヴェルサイユは満喫しました。ヴェルサイユ駅から市内へ戻るのですが、宮殿前に戻るのも面倒なので、サン・タントワーヌ門から、外に出ました。これが、外の道路です。まっすぐ道が通り、気持ち良いですねー。しかしながら、道を聞き聞き、歩きましたが、駅は遠く、仲々、着きません。道に迷いました。出た門を間違えましたね。しかしながら、散歩ですから焦りません。貧乏暇なしと言いますが、アジアの星一番の場合、貧乏暇ありです。ヴェルサイユの駅でなく、宿のある近くが終点の路線の駅に着きました。やれやれです。この日は、2万3千歩も歩きました。さすがに疲れましたが、ヴェルサイユ宮殿だけでなく、広大な庭園もあるけて、天気も良く、満足な1日だったのであります。
2014.11.11
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ヴェルサイユ宮殿を見ないのは、パリに来たと言えない、と誰かが言っております。あのフランス革命の元になったと言われる、莫大な費用を投じて造られた、宮殿と庭園。パリへ行ったら見ない訳には行きません。と言う事で、市外への電車で出かけました。C線の終着駅、覚えきれませんが、「ヴェルサイユ・りヴ・ゴーシュ・シャトー」駅を降りて、宮殿方向へ向かいます。15分位歩いて、宮殿前の庭に着きました。ルイ14世の騎馬像です。宮殿への入場口まで、ここからさらに、歩きます。広いですからね。さて、宮殿が見えて来ました。もう、この時、12時に近くなっていました。宮殿を見て、庭園で昼食にしようと思っていたのですが、宮殿の前庭、人が来ない所に座って、持参のパンやトマト、リンゴ、ジュース、などで昼食です。ケチやなー、と思われるかも知れませんが、青空の下、自分で買った食べたい物を食べる方が、レストランで食べるより、美味しいのです。欧州では、特にそうですね。アジア各国ならば、食堂的現地レストランで食べますが・・・。王室礼拝堂です。白を基調に金色との色彩で、派手なようですが、厳かな雰囲気を持っています。宮殿内には、天井に沢山の絵が描かれています。日本語のテープのガイドも、入場料に含まれているので、じっくり説明を聞きながら見る事も出来ます。ですが、フランスの歴史に詳しくないので、すぐに忘れてしまいます。ここは確か、ヘラクレスの間の天井だったと思います。戴冠式の絵です。作者は、ナポレオンの首席画家を務めた、「ジャック・ルイ・ダヴィッド」。ルーブル美術館にも、ほぼ同じ絵がありますが、同じダヴィッドの作品です。この戴冠式の絵では、冠を授けているのが、ナポレオンで、授けられているのが彼の妻ジョセフィーヌです。ナポレオンが冠を授ける権利は持っていないらしいですが、それだけ、当時の彼の権力は絶大だったのでしょう。長さが73mもある、鏡の間にやって来ました。17ある窓からは、庭園の噴水も見えます。お? 鏡の間の、鏡に誰か写っていますねー? 正面にいるのは誰でしょう?アジアの星一番でした。そして、鏡の回廊を曲がって、王妃の寝室にやって来ました。歴代の后がここで出産したそうです。マリーアントワネットが、この部屋の最後の主だったそうです。フランス革命で、市民が押し寄せて来た時、この部屋の小さなドアから逃げ出したと、音声ガイドで説明がありました。時間があるので、一周したあと、もう一度、見て廻りました。貧乏旅人のアジアの星一番は、こんな豪勢な家に住みたいとは思いませんが、見て廻るには、楽しいですね。さて、次は、10キロも離れたセーヌ川から、水を引き込んで作ったと言う運河もある庭園を見に行きます。
2014.11.07
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10月30日(木)パリ4日目は、モンマルトルの丘を楽しむだけのつもりでした。ですが、そんなに長い時間、暇つぶしも出来ません。それで、元来は、ライトの灯る夜に行こうとしていたのですが、エッフェル塔に行く事にしました。それで、既報ですが、地下鉄乗換の時に、スリに遭ってしまったのです。為替の数値によっては、7万円~8万円の被害ですから、エッフェル塔の対岸についても、まだ、心が落ち着きません。この写真は、モンマルトルの丘から、地下鉄の駅へ向かう時の街角です。屋外で飲んでいるコーヒーの光景、パリには似合いますね。地下鉄Passy駅で降りて、エッフェル塔の対岸にあるシャイヨー宮へ向かって歩きます。見えて来ました、トロカデロ庭園から眺めるエッフェル塔です。そして、セーヌ川を渡って、エッフェル塔に向かいます。沢山の人が並んでいます。こりゃー、1時間は並ばねば、乗れないかなー? と我慢。ようやく、エッフェル塔の真下に来ました。もう30分以上並んでいます。一人、面白いおっさんが、歩く人の真似をしたりして、並んでいる人々を笑わせていました。時間を紛らわせるには、良かったです。その人、帽子を持って、チップを貰って歩いていましたが、アジアの星一番は、財布を出して、中身が空っぽである事を示しました。実際にスラれてないのです。そしたら、そのおっさん、「僕があげるよ。」なんて言いました。実際には、くれるはずがありませんが・・・。予想通り、ほぼ1時間並んで、エレベーターに乗り込みます。せっかくなので、お金は、15ユーロ位するけど、一番上の3階まで行こうとしたら、理由不明なれど、2階までしか行けないと言われ、9ユーロで済みました。歩いて階段を登れば5ユーロです。2階に登って、ぐるりとパリ市内を見廻します。まずは、先ほど地下鉄を降りて、エッフェル塔を眺めた、トロカデロ庭園が、セーヌ川の向こう側に見えます。その反対側まで来ました。庭園があります。これは、モンマルトルへ行こうとして、間違えて行ってしまった、モンパルナス方向です。あのノッポのビルが、モンパルナスタワーです。これは、セーヌ川の向こうを見ています。はるかかなたにモンマルトルの丘が見えていますね。やっぱり、モンマルトルの丘です。先ほど、行ったばかりですね。凱旋門も見えます。肉眼では、見難いですが、カメラだと良く見えます。じっくりと眺めながら、一周しました。シャイヨー宮の向こうの方に見えるビル群は、ラデフォンスですね。日本で言えば、以前の「丸の内」って場所でしょうか? 一流企業のオフィスがあります。実は、アジアの星一番も、あそこで、打ち合わせをしたりした時期があったのです。スリに大金を盗られて、ガックリしながらのエッフェル塔観光でしたが、エッフェル塔から、市内を眺めて、少しは気が落ち着きました。諦めたって言ったら良いのでしょうか?
2014.11.06
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モンマルトルの丘にそびえる白亜の聖堂、サクレ・クール寺院、画家の卵が凌ぎを削る、モンマルトルの丘、10月30日(木)パリ4日目は、モンマルトルを目指して、地下鉄に乗りました。調べた目的地を降りると、何かモンマルトルとは雰囲気が異なります。出店が沢山並んでいるので、聞いて見ると、何と、全く別方向へ来てしまいました。モンパルナスです。地上59階建のモンパルナスタワーです。高い建物が制限されているのでしょうが、このような高いビルが少ないパリでは目立ちます。昨夜、眠たい目を擦りながら調べた地下鉄駅が、モンマルトルでなく、モンパルナスだったのですね。良く失敗をします。間違えないよう、何度も確認しながら地下鉄に乗り、モンマルトルにやって来ました。サクレ・クール寺院です。これが見えなければならないですよね。登り階段には、美しいハーブを弾いている初老の男性がいました。皆さん、階段に座って聞いています。サクレ・クール寺院の内部です。雰囲気としては、ノートルダム寺院の方が、何故か、厳かな感じがします。ここは、天井に大きなキリスト像が書かれているのが有名です。さて、絵描きさんのいる広場へ行きます。以前と少し雰囲気が変わったように思えます。似顔絵描きが多く、パリの絵を描いて売っている絵描きは少ないように思えます。これらは、数多くない、絵を売っている絵描きの写真です。若い画家も少なく、おじさんとか初老の人が多く、日銭稼ぎと言う感じです。売れない画家が腕を磨く場所かと思っていましたが、違うようです。しかし、画家に限らず、詩人や、ミュージシャン、作家が集まっていたのは、第一次大戦の頃までらしいですから、以前、行った時は、そのようなイメージを持って見ていたから、そう見えたのかも知れません。ここ10数年で変わっていないのでしょうね。
2014.11.04
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ルーブル美術館を見た後、セーヌ川の辺をプラプラ歩きながら、シテ島へ向かいます。そしたら、美しい女性が写真撮影していました。モデルかな? と思いましたが、どうも結婚の記念撮影のようです。中国人の結婚記念撮影は、見慣れていますが、フランス人も野外撮影が好きなようです。フランスの真似を中国がしたのかなー?シテ島へ入ったら、本物の女優が映画撮影をしていましたが、歩くだけの撮影を何度も行っているだけで、遠くで顔も見えないし、面白くもなんともありません。さらに歩いて、ノートルダム寺院に着きました。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」と言う意味だそうです。ノートルダム寺院の内部です。観光客は多いですが、静かです。お祈り席に座って、じっとしていたら、眠気が襲って来て、30分も居眠りしてしまいました。すいませんね、キリスト様。ここのステンドグラスは、美しいですね。沢山、写真を撮りましたので、もう一枚、掲載致します。ロウソクもとてもキレイですね。ノートルダム寺院を堪能し、シテ島を後にしました。
2014.11.03
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10月29日(水)、パリ3日目は、ルーブル美術館へ行きました。宿から歩いて行きます。オスマン通りから、オペラ通りを歩きます。これは、オペラ座じゃーないの? と建物の名前を見ましたが、オペラ座とは書いてありません。でも、これはオペラ座に間違いないです。正式には、ガルニエ宮と言うのですね。オペラ通りを、どんどん歩いて行きますと、日本人ツアーの団体さんが、バスから降りて来ました。聞くとルーブル美術館に行くと言うので、後を付いて行く事にしました。途中、こんな所によりました。ルーブルのすぐ近くです。しかし、日本人ガイドらしき、おばさんから、我々に付いて来るな、と言われ、団体さんに、さよならしました。けち臭いねー。良いでしょう、後を付いていくくらい。別に一人で行けますから、問題はありません。ルーブル美術館の庭に来ました。以前と同じ、ピラミッドがあり、ここから入場です。平日だと言うのに、観光客は多いですねー! ずらーーーっと並んでいます。まずは、半地階のリシュリー翼のマルリーの中庭を見ます。これが、マルリーの馬でしょう。これは、何だったでしょう? ナポレオンの食卓だったかな?「ガブリエル・デストレとその妹」乳首をつまむ仕草は、多くの子どもを産むことができる女性を表している、と言う説があります。お昼時で腹が減ったので、美術館内のお店で、パンを買って食べました。フランスらしく、固いパンで、僕は、あまり好きでないです。1830年に起きたフランス7月革命を主題としていると言う「民衆を導く自由の女神」、ウジェーヌ・ドラクロワの作品。ギリシャのサモトラケ島で発掘された、勝利の女神ニーケーの彫像ルイ15世の王冠真珠、ダイアモンド、サファイア、ルビー、トパーズ、エメラルド、などが、沢山使用された王冠です。窓からは、セーヌ川が見えます。もう歩くのが嫌と言う程、沢山、見ました。写真も撮りましたが、その一部を紹介しています。ルーブルと言えば、モナリザであります。やはり一番人気で、モナリザの前は、凄い人です。絵を鑑賞する気分にはなれませんが、アップで写真は撮って来ました。ルーブル美術館は、今回で、5回目位になると思いますが、モナリザの前に誰もいない時もあって、じっくり一人で見たことがあります。モデルが良いのでしょうね。不思議な雰囲気をかもし出すのは。見たかった中学校の時の美術の先生に似ている絵は見つかりませんでした。そう大きくない絵なのですが、どこかに貸し出していたのかなー?
2014.11.01
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モンマルトルから、エッフェル塔へ移動する時に、地下鉄に乗りました。M2線から、M6線に乗り換える時、すごく混雑していました。乗り換えで乗る時、乗り切れない人が、二人降りたほどです。それで、2駅を過ぎた時、とある女性が、「財布落としましたか?」と、高々と、アジアの星一番の財布を、手に持ってあげています。「あ、それ、僕のです。ありがとう、ありがとう、ありがとう。」3回もありがとうと言い、財布を受け取り、どうして、落としたかなー? と不思議に思いつつ、ポケットに仕舞い込みました。さらに、2駅過ぎた頃、中身は大丈夫かいな? と、ふと思って中身を見ると、あっちゃー! やられました。 空っぽです。全く気が付きませんでした。いつスリ取られたのか、どうして、女性の乗客がその財布を、見つけたのか? 全く知らなかったです。お金の他に、宿の名刺とかメモ用紙程度は入っていましたが、それはそのまま。現金のみ持って行かれました。ユーロは、450位、ドルは、150位入っていました。あっちゃー! 7万円ほどになります。チビチビ倹約しながら、食べて観光しているのに、チェンマイ3ヶ月程の、宿代をスラれてしまいました。このズボンのポケットに入れてあるのです。ガックリです。パリはブエノスアイレスより、ずっと安全と思い、気を抜いてしまっていたのかも知れません。スリもプロ、盗りやすい奴から盗るはずです。きっと、ボケェーっとしていて、盗りやすいと思われたのでしょう。パンとトマトにジュースとか、切り詰めた食事でパリを乗り切るつもりでいましたが、数ユーロをケチって、450ユーロも盗まれては意味ありません。今夜は、やけ食いです。宿の前の中華屋へ行き、串定食を食べました。パンよりずっと美味い。ネットのニュースで、多くの中国人がパリに来るようになり、金持ちの中国人を狙って、スリが多くなっていると言うのを、読んだ事があります。アジアの星一番は、決して金持ちには見えないのですが、やられてしまいました。気を付けねばなりません。
2014.10.30
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小雨が降って来そうな雲が厚い天候ですが、せっかくのパリ、時差ボケもありそうで、体調は万全ではありませんが、散歩に出発しました。宿は、オペラ座に近い所にあり、歩いて行けます。近いとは言いながら迷いながら歩いたので、30分ほどかかり、着きました、シャンゼリゼ通りです。ずっと向こうには、小さく凱旋門が見えます。ここは、コンコルド広場。セーヌ川は、すぐ近くですが、見えません。早速、シャンゼリゼを凱旋門方面に向かって歩きます。両側は、きれいに街路樹が並んであります。10数年前と全く変わっていませんね。街のど真ん中に、これだけの敷地があれば、通常ならば、お店が立ち並ぶ、はずですが、フランス人の考え方でしょう、何ら変わっていません。もう冬のような気温で、とても寒いです。エル・カラファテや、エル・チャルテンよりも、寒いです。しかし、花は植えてあります。しばし歩くと、お店のある通りになります。有名ブランド品のお店が並んでおります。しかしキンキラしていませんねー!しっくり、しっとりしております。悠々としていると言えるでしょうか?買いませんが、シャネルとか売っている化粧品のお店も見学しました。シャンゼリゼのお店でなくても、どこの国の街にもありそうなお店です。外は、寒いので、暖かそうなお店に入って、暖をとります。ここは、ベンツの高級車が、展示されているお店でした。この辺りで、まだ昼頃ですが、時差ボケのせいか、猛烈に眠くなり、椅子に座りたくなりました。でも、適当な椅子のあるお店もないので、外に出て歩きます。シャンゼリゼの終点、凱旋門にやって来ました。中国人が多いのに驚きます。西欧人より、中国人の方が多いのではないか? ここは、シャンゼリゼ? 上海の南京路じゃーないの?と思わせるほど、ちょっとオーバーですが、それほど中国人が多いです。凱旋門から、エッフェル塔の方へ歩いて行くつもりでしたが、疲れてしまって、地下鉄で宿まで帰って来ました。チケットの買い方を忘れてしまい、買うのに苦労しました。明日は、ルーブル美術館へ行き、余裕があれば、ノートルダム寺院に行こうと思っています。
2014.10.29
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10月26日(日)14時20分、ブエノスアイレスを出発しました。イベリア航空に乗るので、又しても、ワンワールドグループです。前回、アメリカン航空のラウンジが酷かったので、今回も期待はしていなかったのです。しかし、仲々、充実したラウンジでした。これ、間違って、LAN航空のラウンジに入っていました。イベリア航空のラウンジは、その反対側に有ったのです。アメリカン航空と共同運営のものだったので、LANを使用して正解だったかも知れません。イベリア航空の飛行機です。 機内食です。14時20分に出発して、機内食は、16時過ぎです。あまり腹減っていませんが、これ以降、マドリッドに到着寸前まで、何も出ないと思われるので、無理に完食しました。ワインも半分飲みましたが、気持ち良く酔えます。体調も良くなっているようです。マドリッドには、ブエノスアイレス時間で夜中の2時20分着。丁度12時間かかりました。着陸の1時間半前に起こされましたので、3時間ほどしか眠れません。マドリッドの時間は、6時20分です。ここでもラウンジが使えますが、朝食を食べたばかりなので、食べたくもなく、飲みたくもなく、ネットだけ繋ぎました。マドリッドからパリは、2時間のフライトです。飲み物も食べ物も何も出されません。ラウンジで、水とトマトジュースを貰って来て良かったです。ブエノスアイレス時間、朝の7時、パリ時間午前11時、ランディングです。パリの市街が見えます。シャトルバスで、市内へ移動します。15ユーロしますから、安くはないです。オルリー空港ですから、近いはずなんですけどねー。20分少々で、セーヌ川に出ました。エッフェル塔も見えます。コンコルド広場を通り過ぎます。宿は、かなり無理して、オペラ座の近くにしました。シャンゼリゼとか、セーヌ川とか、歩いて散歩したいので、無理しました。7泊で、785ユーロです。11万円弱です。大金ですなー。しかし、部屋は、大した事ありません。20ドルもしなかったイグアスの宿の方が、よっぽど、使い易かったです。ここは、世界の大都市、仕方ありませんね。窓の外に、バルコニーはありませんが、通りが見えます。さて、明日から、パリ散歩です。追記宿のネットの調子が悪く、1日遅れのアップとなりました。
2014.10.29
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ブエノスアイレスの後は、タイのチェンマイに行きます。エアーチケットを調べて見ますと、欧州経由が一番安いです。しかも、ロンドンや、パリに降り立っても、ほとんど価格は変りません。それで、暫らく行っていないロンドンかパリへ寄る事にしました。ロンドンが良いか? パリが良いか? 迷いますなー?両方へ行こうか? それも、悩みますなー。しかし、悩んだ末、迷った末、予算も考慮して、パリへ行く事にしました。パリまでは、1年前から、ワンワールドグループに加入した、イベリア航空です。そして、買いました、下記のチケット。 608.94ユーロ(約8.5万円) 11月26日(日) ブエノスアイレス 14時20分発 11月27日(月) →マドリッド 6時30分着 マドリッド 8時50分発 → パリ 10時55分着パリからチェンマイも買いました。547.3ユーロ(約7.6万円) 11月3日(月) パリ 15時発 → ドーハ 23時25分着 11月4日(火) ドーハ発 1時25分 → バンコク着 11時35分 バンコク発 17時10分 → チェンマイ着 18時25分着パリからチェンマイも、同じくワンワールドグループのカタール航空です。スカイキャスナーで検索しましたが、購入したのは、airtickets24.comでした。メールで、e-チケットが送られて来ました。そして、e-チケットを良くチェックして見ますと、パリに着くのが、11月27日パリを出発するのが、11月3日えー? えええええー? パリに着くのが1ヶ月間違っている!しまった! 間違えた! 1ヶ月、間違えて買ってしまった! 焦りました。安いチケットなので、絶対に無料では変更してくれません。カレンダーを、ポチッと押して、月日を選ぶ奴だったので、Oct.の所、Nov.を選んでしまったようです。早速、ブエノスアイレス市内にある、イベリア航空へ出かけて、1ヶ月前に変更してくれるよう頼みました。そしたら、変更金額は、2575ペソで、現金での支払いは不可、カード支払いしか出来ないとの事。カード支払いだと、正規の為替となり、闇ならば、1ドル=14ペソが、8.4でしか替えてくれません。それに、手数料もかかります。すると、350US$位の金額になります。8万5千円位で買ったチケットを日程変更するのに、3.7万円もの、お金を追加で支払わねばなりません。すぐに支払う元気もなく、カードも持ってなかったので、宿に帰りました。そして、チケットを買った、airtickets24.comに、変更したら幾らになるのか、メールを送りました。Airtickets24.comは、英国にある会社のようです。対応が遅くて、2日経っても、3日経っても返事が来ません。止むを得ず、英国まで電話しました。そしたら、ようやく、その翌日メールが届き、合計、95ユーロ=1万3千円強で、変更可能との事。イベリア航空直接より、かなり安い。即刻、それで変更してくれるよう返信を出しました。又、すぐには返事が来ず、2日後に、「変更はされていません」と言うメールが届きました。計算が間違っていたのです。しかも謝りもせず、正しい金額を書いて来て、買うならすぐ返事をせよ、と言うのです。失礼なで会社ですなー。正しい金額は、162ユーロ=2万3千円ほどです。それでも、イベリア航空で直接変更するより、安いので、早速、早急に変更するよう返信したのです。その後も、すんなり変更は出来ず。最初にメールを送ってから、10日間弱かかりましたが、ようやく変更が出来ました。日程に余裕があったから良かったものの、airtickets24.comは、対応も遅くて、良いエージェントは言えません。まぁ、元々、日にちを間違えなければ、こんな手間も金もかからなかったのですが。今月は、FXで損切をして、その後、少しは取り戻したものの、今月の赤字は必至。エアーチケットでも、大きな損をしました。今月はついてないです。それでも、一応、パリに1週間の滞在は、確定しました。凱旋門からセーヌ川のシャンゼリゼを歩こう。エッフェル塔にも登って、パリ市街を見渡そう。モンマルトルも行って、似顔絵描いて貰うかなー?そうだ、ヴェルサイユ宮殿も行こう!ルーブル美術館、何度も行ったけど、今回も、丸1日、ゆったりと見よう。久しぶりのパリとなります。
2014.09.21
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2013年10月15日(火)本当に旅の最終日になりました。飛行機は、午後5時40分発ですので、宿のキッチンに、午後2時まで、居させて貰いました。ここはチェックアウトの時間が過ぎても、無料で滞在可能です。掃除のおばさんに、ちょっと嫌味を言われましたが、何と言う事はありません。黄葉の木々がある、大通りを歩きます。「3人の鍛冶屋像」も、全く同じ姿勢で立っていました。逞しい身体ですねー。バスは鉄道駅の隣から出ます。フィンエアーのバスは、15分から20分置きに出発します。市バスもありますが、皆さん、高いのに、フィンエアーのバスに乗りますね。フィンエアーにバスは、6.3ユーロ、市バスは4.5ユーロです。空港へ向かう市内です。どこもかしこも、黄葉です。大勢のお客さんが乗ったので、結構手間取りました。途中でも乗りますし。空港まで、25分と言う触れ込みですが、35分も掛かりました。チェックインして、荷物検査して、出国して、ビジネスラウンジへ行きます。大混雑です。座る席がありません。又、言いますが、アジアの星一番は、JALのグローバル会員、ワンワールドグループの飛行機に乗ると、エコノミーチケットでも、ビジネスラウンジが使えるのです。ビジネスラウンジが、こんなに混んでいるのは、ドバイの空港以来でしょうか?おまけに、食べ物も少ないです。飲み物だけは、抱負にありますが・・・。定刻よりも50分も遅れて、テイクオフです。ヘルシンキ近郊も、やはり茶色ですね。夕焼けの中を飛行機は飛びます。持参の本をずっと読んでいました。何故なら、日本語の映画はないだろうと思っていたからです。しかしながら、有ったのですねー! 3本もありました。食事が出されるので、本は読めないから、画面を取出し、映画があるのを知りました。ビジネスラウンジで、生ビールを飲んだので、赤ワインを飲みながら、そして映画を見ながらの食事です。題名は忘れました。何だっかなー? そうだ、「天国からのエール」でした。阿部寛主演の、プロのミュージシャンを目指す若者を応援する物語です。映画を見ていたら、22時半になっています。眠らなければ・・・。0時半。起こされました。2時間しかねていません。又、食事です。あと、1時間半で、重慶に到着です。さっき、食べたばかりだと思ったけど、腹減っています。寝不足なので食欲もないし、卵だけ食べて、パンとジュースは、お持ち帰りとしました。起こされてしまったので、見終わらないと思うけど、映画を見ます。「箱入り息子の恋」、やはり途中までしか見られません。丁度、良い所で終わってしまって、残念です。飛行機は、厚い雲の上を飛んでいます。重慶は、いつもの通り、雨のようです。
2013.10.16
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2013年10月14日(月)昨日、ヘルシンキへ降り立ちましたが、飛行機から見た風景が、8月に訪れた時と、全く違っています。8月は、「森と泉に囲まれた緑豊かな街」、と感じました。しかし、今回は、「茶色の街」、に変わっていたのです。早速、その確認の為に、街へ繰り出しますが、その前に、宿を紹介します。前回は、Hostel Domus Academia で、27.5ユーロ、市場などから反対の方向にありました。今回は、鉄道駅や、市場、港などにも近い場所にあります。Hostel Erottajanpuisto、と発音も分からないし、覚えられない名前です。エロッタなんとか、と言います。エロい宿かなー? 1泊27ユーロです。しかし、場所は、分かり易い所にありました。ここが、キッチンです。電気コンロ、他、自炊可能な道具は全て揃っていました。近くに、安いレストランや、スーパーは見当たらなかったですが、探せばあったのでしょうね。部屋です。普通の5人部屋ドミです。受付のお姉さんが、部屋を案内してくれましたが、部屋に先客がいました。ちらっと見えましたが、まるで妖怪のような、ご面相であります。普通ではありません。身長は155cm位で小さいですが、顔は、普通の人の2倍以上あります。目がどこにあるか、記憶にありません。頬も額も膨らんでいます。顔が歪んでいます。何かの、ご病気なのでしょう。荷物を置いて、受付に戻りました。「先客の人、病気だと思うが、大丈夫か?」と聞きに行ったのです。何度も泊まっており、全く普通の人なので、問題ない、との答えです。外見で、人を判断してはいけませんが、この世の人と思えない外見なので、全く驚きました。可哀そうですね。夜中も、息がスヤスヤでなく、フーフー言います。気になりました。 宿自体は、お奨めです。そうでした。街の散策です。大通りから市場へ行く道です。この通り、木々はすっかり黄葉しております。この木などは、黄色の色が鮮やかですね。これです。美しいですねー! 緑豊かな公園も良かったですが、今の季節、黄葉の季節も格別なヘルシンキです。黄葉の中、「バルト海の乙女像」も、同じ姿勢で、立っていました。相変わらず、豊かなヒップでありますが、この時期、少し寒そうです。「乙女の像」から市場はすぐ目の前ですが、左へ曲がります。ヘルシンキ大聖堂を見る為です。素晴らしいですね、何度見ても。この広場も広くて、気持ち良いです。ヘルシンキ大聖堂の前を通って、海側へ歩きます。ここにも、美しく黄葉した木々が沢山あります。ウスペンスキー寺院です。この前も訪れ、この寺院の向こう側のヨットハーバーのような所も歩きました。市場へ戻って来ました。昼時です。あのサーモンを食べに来たのです。高いですけどね。もうこの旅の最終日ですから、散財するつもりで来ました。お店は、ずいぶん少ないです。月曜日だからなのか、シーズンが過ぎたからなんか、それは分かりません。サーモンを頼みました。ポテトや、人参、ブロッコリー、豆など野菜も豊富です。これで、12ユーロ、今の為替で、1600円です。高いですが、美味しいですよ。サーモンを食べていたら、ここ座っていいですか? と日本語で聞かれました。妙齢のお嬢さんお二人です。イギリスに留学して、1年半。後半年で帰国すると言っていました。彼女たちは、このお店の売り物らしい、サーモンスープを食べています。そう、具が多いので、飲むと言うより、食べると言った方が合っています。それを、見ていいたら、アジアの星一番も食べたくなりました。散財ついでだからいいや、と、さらに追加注文。7ユーロ、950円也。合計2500円です。頑張りましたねー!具沢山で、サーモンは、そんなに沢山は入っていませんが、身体が暖まります。具沢山のモツ煮込みの、サーモン版のようなものです。このサーモンスープには、コーヒーも付いています。もう腹一杯ですが、飲みました。こうして、ヘルシンキ2度目の探訪も、完結したのであります。
2013.10.16
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2013年10月13日(日)「バルト3国から東欧南下の旅」も、無事、完遂しました。後は帰るだけです。本日は、重慶を出発してから、51日目、アルバニアからフィンランドへ飛びます。ティラナの飛行場へ向かいますが、下見しておいたバス停なので、迷わず10分で、簡単に着きました。雨もなく、寒くもなく、快適です。このバスです。7時発のバスが、10分も出発が遅れました。なのに、少し走ったら、又止まります。国際線は、2時間前に空港へ着く、これが頭に入っているので、少し焦ります。このまま走っても、1時間半前に着く事になるからです。何故か、ミニバスから、普通車の車に乗り換えさせられて空港へ。意味不明ですが、無事空港に着きました。チェックインも順調、荷物検査も順調、出国も順調。何ら、問題なく、空港内の待合室へ。時間もあるし、アルバニアのお金も残っているので、コーヒーを飲みに。こちらのコーヒーは、ほとんどが、エスプレッソなのですね。僕は好きではありません。食後ならばいいのですが、喉が渇いている時に、エスプレッソでは、物足りません。店員さんと話していると、一つだけ、カプチーノがありました。270レクです。空港ですから高いですね。市内ならば、ケバブや、サンドイッチが、130から150レクですから。このトルコ航空の飛行機で、イスタンブールまで行きます。定刻は、9時10分ですが珍しく、15分早く、8時55分に飛び立ちました。ティラナの街も、郊外に家が多いのですね。地上では分かりません。オフリド湖の南側を飛んでいるようです。大きな湖なので、実際に見えないだろうか? とずっと窓の外を見ていました。湖が二つ見えましたが、小さいですね。オフリド湖ではないでしょう。マケドニアの別の湖のようです。機内食です。ティラナからイスタンブールまで、飛んでいる時間は、たった1時間半です。ですから、忙しいですよ。ビールも頼みました。トルコの有名なビール、エフェスです。エーゲ海と陸の境目を飛ぶようです。左側の席だったもので、エーゲ海は見えません。飛行機は、こんな風に、ガラガラです。こんなに空いているので、飛行機代を安くしているのでしょうね。イスタンブールに着陸です。丁度、1時間半のフライトでした。ここで、インターナショナルトランスファーを通ります。そこでは、又もや、荷物検査があります。この時に失敗しました。万歩計を箱に出して、それを受け取るのを忘れてしまったのです。毎日、1万歩以上を目標に、健康管理、うつ病の発症を予防しようと歩いているのです。これは、もう癖になっています。困りましたねー。中国で売っているでしょうか?イスタンブールの飛行場は、大混雑です。さすがに、アジアと欧州の境目ですね。ここで乗り継ぐ人達が多いのでしょう。トルコエアーで、ヘルシンキへ向けて出発です。14時10分、今度は定刻通り。出発すると、すぐにスィーツを配っていました。ティラナからの便では、なかったのですが、どうしてでしょう? まぁ、貰えるものなら、ゴミ以外は有難いです。減塩の特別食を頼んでありました。減塩は、美味しくないですね。アジアの星一番の高血圧は、うつ病から来るものだと思うので、あまり減塩を気にしない方が良いかな、と思い始めました。医者に相談して見ましょう。と言っても、いつ日本へ帰るか分かりません。ビールは飲んだので、今度は、フランスワインにしました。白です。酔っ払っちまいましたねー。気分上々です。窓際の黒人のお姉さん、カメラでずっと景色を撮っています。アジアの星一番が、撮ろうとしても、撮るチャンスはありません。しかし、わずかなチャンスを活かし、ヘルシンキの街を撮りました。驚きましたねー!森と泉に囲まれた、緑の街が、茶色の街に、大変身しております。これって、黄葉でしょうか? 明日、確認して見ます。空港でのパスポート検査に手間取り、17時半に着陸したのに、空港バスに乗れたのは、1時間後の18時半。外は、もう夕暮れで、木々も薄暗闇の中です。うっすら見えますが、やはり、黄葉ですね。この変わりよう。凄いです。8月24日に降り立った頃は、夜の10時近くまで、明るかったはず。今は、6時半なのに、もう夜のとばりに入っています。19時前に、懐かしい、ヘルシンキの鉄道駅まで来ました。
2013.10.14
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2013年10月12日(土)国立歴史博物館は、両替した残金の関係上、入場を断念しました。少しばかり後悔があります。見たい物を、お金をケチって見ないのは、旅の目的が何なのか? と思うからであります。ユーロは持っているのです。土曜日でも、両替所は開いています。5ユーロの小銭でも、両替してくれます。ですから、残金を計算して、入場しないと言う、理由は、まともではありません。国立美術館は、入場料が、200レクです。国立歴史博物館より安く、残金を考慮しても、入場できました。ん? 美術館の前で、誰かいますね? 誰でしょう? 写真を撮っているようです。Pjeter Marubi (1834-1903)昔は、今で言えば、記念写真のように、このような絵も描いたのでしょうね。Kol Idromeno(1860-1939)波の描き方に特徴あるのかな、と思って写真を撮りました。Kol Idromeno(1860-1939)女性の服装に興味がありましたね。いつ頃の服装でしょう?Simon Rrota(1887-1961)始め、この人が男か女か分かりませんでした。たぶん、男性だと思いますが、このような顔が、アルバニア人の直接の祖先、イリュリア人なのかな、と考えたのです。違うかな?Simon Rrota(1887-1961)秋の収穫、どこの国も同じでしょう。大変な作業でしょうが、喜びもあるはず。Simon Rrota(1887-1961)子供の為に、必死にミシンに精をだす、お母さん。(たぶん)Zef Kolombi(1907-1949)風景画は、良いですね。Vangjush Mio(1891-1957)見事な黄葉です。この辺りも黄葉するのでしょうが、このような美しい黄色ではないように思えます。Sali Shijaku(1933- )何か、劇画のようで、迫力があります。記憶に残りますね。Nexhmedin Zajmi(1916-1991)これは、戦争、戦いの絵です。人類は、こう言う戦いを繰り返して来たのです。愚かですなー。今、この瞬間でも、殺し合いをやっています。どうして戦うのでしょう?Vilson Halimi(1931- )戦いの絵よりも、このように、家族が和やかに過ごす絵の方が良いですね。実生活も、このようであって欲しいです。Sali Shijaku(1933- )ヌードです。あの劇画を描いた人と同一人物なのですよ、画家が。ちょっと、驚きました。この方々、美術館の中で、声をかけてきました。日本人に興味があったようです。日本は、最高のテクノロジーだと、褒めまくってくれます。是非、日本へ来て下さい、と言って写真を撮らせて貰いました。真ん中がお父さん、右側は老けて見えますが、高校生位の子供で、英語を勉強しているそうです。左側がお嬢ちゃんです。美術を堪能し、心も豊かになった所で、ゆったりとこんな道路を歩いて帰って来ました。暑いので、ゆったりと言う面もありましたが。アルバニア美人が歩いて来たので、風景を撮るふりして、ズームアップして撮りました。これって盗み撮り? 犯罪になりますか?体調も良いので、地元のビールを買って一杯飲みました。麦芽が多いのかな、このビール。美味しく、快く酔っ払いました。このビール500ccで、59レク(55円)です。安いですね。
2013.10.12
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2013年10月12日(土)Hotel Reelaは、1泊25ユーロです。だからと言う訳ではないですが、朝食付きです。今までに、ドミのホステルでも朝食付きはありました。でも、ほとんど、パンとハム、ソーセージ、牛乳位でした。ここは、ホステルでなく、ホテルです。どんな朝食か楽しみです。お見せしましょう。これが、朝食です。パンに卵焼きにジュースだけですね。あんまり、ドミと変り映えしません。格好つけているだけです。その後、もう一つ、クロワッサンっぽいのが出されました。さらに、リンゴも出て来ました。食べ終わって、コーヒーでもでるのだろうな、と待っていましたが、5分待っても来ないので、諦めて、部屋に帰り、自分で作って飲みました。暫らく部屋でネットして、昼寝もして、昼食の時間が近づいたので、ティラナの街の散策に出発です。ここは、ソグー1世大通りです。宿の通りの1本、西側のメインストリートですね。スカベルデグ広場のすぐ近くですので、市の中心ですが、遊園地がありました。ここが、スカデルベグ広場の公園です。広いですよー。公園の北側には、国立歴史博物館があります。古代、中世、民族復興期、独立、第2次世界大戦、共産主義時代に分けられて、展示されているそうです。民族衣装も素晴らしいそうです。見ようと思ったのですが、両替した金額からすると、入場料が高くてお金が不足しそうなので、諦めました。これって、本末転倒かなー?昼時ですが、天気も良いし、外は気持ち良いので、野菜ハムチーズポテト入りのサンドイッチを買って、先ほどの広場のベンチで食べました。独りだから、ちょっと寂しいですが、ピクニック気分で良いですね。広場を横切って、時計塔の方へ行きます。これは、時計塔と、ジャーミア・エトヘム・ベウトと言うイスラム寺院です。時計塔です。そんなに古くなく、19世紀の初め頃に建てられました。ジャーミア・エトヘム・ベウトです。1794年から20数年かけて、建てられたそうですが、街の創建者の子孫によって造られたとのこと。これが、ジャーミア・エトヘム・ベウトの入口です。入口の壁には、フレスコ画が描かれています。内部にも同様にフレスコ画が描かれています。これが、スカンデルベグ広場の一部です。広いでしょう?街の南の中央には、水路が流れています。その水路の近くにはオスマン朝時代にかけられた、タバカヴァ橋があります。今も、庶民の皆さんが歩いていますね。橋の役目と言うより、道です。国立美術館へも行ったので、それは別掲しますが、美術館での鑑賞を含めても、2時間半で、廻って来ました。ティラナは、見所は少ないです。バルト3国や、ポーランド、チェコのような歴史ある、旅情をそそるような街並みではありません。ですが、どこか惹かれる所があります。アルバニア人のせいでしょうか?明るい、家並でしょうか? 好きですねー、ティラナ。
2013.10.12
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2013年10月11日(金)本日は、アルバニアのティラナへ移動の日。バックパック背負って歩かねばならないので、雨は降らないでくれよ! と昨夜は、祈って寝ました。が、しかし、朝から雷が鳴りだしました。雨です。大雨だったら、せっかく視察チェックした、ストルーガへの行き方ですが、タクシーにせざるを得ないな、と考えていましたが、それほど大きな降りではないので、傘を差して出発しました。7時25分です。ミニバス停まで、丁度10分。本日は、待つ事なく、数分でミニバスがやって来ました。ミニバスに乗り込むと、韓国人だろうなー、と思われる妙齢の女性が、アジアの星一番の後ろに座りました。「ティラナへ行きますか?」、と聞くと、「そうです。」との答えが帰って来ます。「どこで、降りますか?」、と聞くと、「ホテルドィーム」、との答え。やはり間違って教えられています。メモも持っていました。「HOTEL DEIM」。「そこはちがうのですよ。多くの人が間違えます。」、と既にルートをチェックしてバスのチケットも買った事を伝えました。「連れて行って下さい。」、とお願いされ、快く承諾。ストルーガの街へ入り、突き当りの道路の手前で降りて歩きます。アジアの星一番は、バックパック。韓国女性は、トランク。雨も降っているのに、傘も差さず、トランクを転がしています。可哀そうですけど、助ける手段がありません。10分少々歩いてバス停に着きました。8時15分です。余裕を見て2時間、そして5分前精神でプラス5分。2時間5分前に宿を出発しましたが、何と、50分で着いてしまいました。待ち時間、1時間15分です。しかし、韓国女性は、お話が好きで、会話も弾みます。英国への留学の帰りらしく、英語も上手です。旅好きで、色々と質問も多いです。アジアの星一番が、アフリカも、インドも、中南米も歩き廻ったと言うと、目を丸くして、驚き、さらに質問が増えます。そんなこんなで、1時間15分は、あっと言う間に過ぎ去りました。ですが、バスがありません。そのバスは、ストルーガが始発でないのですね。どこか別の場所からやって来ます。それで、韓国女性と、お話は続きましたが、ようやくバスがやって来て、予定の9時半出発から、50分遅れの、10時20分に出発しました。バスは大型バスですが、空いています。すぐに居眠りを始めましたが、車掌に起こされます。まだ30分しか経っていません。マケドニア出国のようです。車掌さんが、乗客のパスポートを集めて持って行きました。我々、乗客は待っているだけです。15分ほどで、車掌さんは戻って来ました。そして、すぐに、アルバニアへの入国です。ここでは、20分ほど待ちましたが、やはり車掌さんが全て手続してくれましたので、バスの中で待つだけです。そして、11時20分、出発しました。山の中を走ります。湖もあるこんなに美しい景色を眺めながら、バスは走ります。平地に降りたりもします。韓国女性が、道を教えてくれたお礼だと言って、パンをご馳走してくれました。ハム、チーズ、トマト入りです。ケチなアジアの星一番は、買った事がありません。うまいですな。美味しいですな。韓国女性は優しいです。しかし、韓国と言う国になると、日本を悪く言うのですから、分からないものです。12時に休憩です。正味走っている時間は短いですね。この赤い大型バスがアジアの星一番の乗っているバスです。ここは、もうアルバニアですが、マケドニアのお金、デナルも使えると言います。小銭が残っていたので、ガムを買いました。12時20分、バスは再び出発し、平野部に降りて来ました。暑いですね。バスの中は、すごく暑いです。皆さん、半袖になっています。アジアの星一番も、ウインドブレーカーを脱ぎ、キルティングを脱ぎ、ベストを脱いで、長袖1枚になりましたが、まだ暑いです。休憩から、2時間走った頃、湖が見えて来ました。お? 又、湖かい? と見ていましたが、ずいぶんと大きいです。隣のお兄さんに聞くと、海だと言います。慌てて、地図を見ますと、なんと、アドリア海なんですねー!バスの中からの写真なので、ボケています。建物の間から垣間見せる海を素早く撮っただけなのです。出来ればゆっくり見たかったです。オフリドから直接ティラナでなく、ドゥラスと言う街経由でバスは走っていたのです。韓国女性は、友人がここにいるからと降りて行きました。この地図で分かるでしょうか? 赤い線が、マケドニアのスコピエからオフリドで、青い線が、オフリドからティラナのルートです。ドゥラスの前からですが、家並の様子が、ルーマニアや、ブルガリアと異なります。もっと明るい感じがします。屋根の色も、くすんだ茶色でなく明るいですね。さらに、壁の色が鮮やかです。それで、家並が明るくみえるのでしょう。好みの問題でしょうか? 明るい方が僕は好きですね。15時10分、ティラナの中心に着きました。宿の住所を車掌さんに見せてこの近くで降ろしてくれ、と言いましたが、スカンデルベルグ広場の近くで皆さん降りて貰うと言う事でした。宿は、ここから、10分少々歩いた所です。やはり暑いですねー。25℃以上あるでしょう。ブルガリアの、あの寒さはどこへ行った? と言うような気温の差です。リラの僧院へ行った時は、手が凍えて、震えましたからねー。宿もカラフルな建物です。Hotel Areelaです。受付です。支払いは、アルバニアのお金レクでも、ユーロでも良いとの事。この後、ちょっと買い物に行きましたが、比較的、ユーロは使えるようです。部屋です。25ユーロの割には、狭いですね。オフリドの14ユーロの部屋の方が、良かったです。トイレ、シャワー室です。シャワー用に仕切カーテンがないですぞ?これでは、トイレ室が、びしょびしょになってしまいますな。明後日、朝早く空港へ行かねばならないので、バスの時刻表を確認しにバス停へ行って来ました。バス停と言ったような大げさな場所はなく、単に、標識が一つあるだけです。しかし、一番早いのが、7時と言うのは分かりました。フライトは、9時10分。7時に乗って、30分で着くと言うので、7時半には飛行場着。出発の、1時間40分前ですから、大丈夫ですね。あぁ、もう明後日は、イスタンブール経由、ヘルシンキです。旅も、終盤も終盤、後、数泊で、「バルト3国から東欧南下の旅」、も完了となります。旅の終盤は、いつもそうですが、寂しいような、物悲しいような、充実したような、早く帰りたいような、複雑な気分になります。そうそう、アルバニアは、91ヶ国目であります。
2013.10.12
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2013年10月10日(木)本日は、何にもやる事がありません。今回の旅の宿の予約も全て完了。飛行機のチケットも購入済。明日の移動も事前チェック済。朝食を食べて、ぼんやり、窓の外の景色を眺めていました。ぼぉーっとしておりましたが、隣の廃墟が何故か気になります。世界遺産の街でもあるので、簡単に建替えは出来ないのでしょうが、あの古さ。いつ建替えられて、今の姿が無くなるか分かりません。それで、写真を撮る事に。既に書きましたか? この写真のように、出窓が大きく、道路にはみ出すのが、伝統的建築物の特徴らしいのです。丘の中腹に建てられた家々なので、空間を上手く利用しようとしたのでしょうか?何もしないで、ぼぉーっとしていても、腹は減ります。朝食と昼食は、買い置きのパンや、インスタントラーメンや、リンゴやトマトや、バナナや、桃で、凌いでいましたが、夕食がありません。明日の朝の食料もないです。それで、止むを得ず、外出しました。夕食です。マック見たいなもんですが、中にポテトを大量に入れ込んであります。これ、どうやって食べたら良いのでしょう? 口は大きい方ですが、これを全部入れられるほど、大きくはありません。楊枝見たいのが付いていたので、それで中のポテトを突いて食べました。そして、それから、両脇のパンとハンバーグ、野菜を食べたのであります。お蔭で、手も口の廻りも、べたべたです。お持ち帰りして部屋で食べて良かったです。しかし、どうして、こんな面倒な作り方をするのでしょう?ハンバーガーと、ポテトは別にした方が、食べやすいと思うけどなー?夕食に時間をかけても、充分な時間があまります。夜景を見ながら、ぼぉーっとしますが、将来の事を考えてしまいますね。そうだ、小説を書くのを忘れた。もう明日は金曜日で、移動の日。明後日の土曜日は、ティラナを観光する予定。日曜日は、丸1日かかって、ティラナ →イスタンブール →ヘルシンキと移動の予定。毎週、日曜日に送付している、小説が書けそうにありません。困った。
2013.10.10
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2013年10月9日(水)隣町のストルーガまで行って、バスのチケットを買って戻っても、まだ11時半。充分時間があり過ぎます。雨は上がったものの、曇り空で、観光日和とも言えませんが、明日晴れると言う確約はありません。それで、リゾートですので、何もしなくても良いのですが、一応、街の散策に出かける事にしました。なんせ、ここは世界遺産ですし、散歩は健康維持に良いですし、心も晴れやかになりますから。ミニバス停へ行く反対方向へ歩きます。この辺り全て石畳です。各家には、このように薪が積んでありますねー。薪の暖炉を使っているのでしょう。すると。サンタクロースが入って来られる家って事ですね?湖を見下ろす家並みです。良いですなー。別荘に一軒欲しいですね。Villaとか、アパートメントとか書いてある家が多いです。リゾート客に部屋貸しするのでしょうね。10月から特別値引き料金と書いたアパートもありました。おー! 城壁が見えて来ました。丘の上にあります。はぁーはぁー、ぜぃぜぃ言って登って来ました。30デナル支払って入場します。ここは、サミュエル要塞と言いまして、10世紀末から11世紀初めの頃、ブルガリア帝国の皇帝のサミュエルによって建てられたものです。まぁ、ここは、街全体を見渡せる、非常に見晴らしのいい場所ですね。オフリド湖も、見渡せる位置にあります。街とオフリド湖です。このオフリド湖ですが、面積348km2と言いますから、どの位大きいのでしょう?日本最大の湖、琵琶湖の面積が、670km2ですから、それより小さいです。日本2番目の湖、霞ヶ浦が、172km2ですから、それよりも2倍ほど大きい。こう比較して見ると、結構大きな湖ですねー!そして、全体の四分の一が、アルバニア領に属しているそうです。サミュエル要塞自体は、非常に見晴らしが良く、敵の動きも簡単に捉えられると思いますが、それほど大きくはないですね。攻めにくいと思いますが、籠城させたら、食料補給がなければ、長くは持たないでしょう。聖パンテ・レイモン教会です。中も見せて貰いました。もう幾つの教会を見たか忘れましたが、ここは、静かなお祈りの声が流れ、誰もいないせいなのか、シンプルな割に、厳かな雰囲気でありました。外観も、レンガと石の造りですが、装飾されています。隣に初期キリスト教教会と言うのがあるはずです。見渡してもありません。そしたら、工事中かと思ったこれがそうでした。この床の絵が見所だそうです。それから、さらに岬の教会を目指します。こんな道路、道です。湖を見ながら歩きます。良いですねー。四国88カ所歩きお遍路を思い出させるような小道です。岬の最先端に、聖ヨハネ・カネヨ教会がありました。内部のフレスコ画の保存も良くないらしく、それでも、100デナル以上の入場料を取るらしいので、入るのは止めました。住宅の石垣には、色んな花も植えてあります。ここにも、薪がきれいに積まれています。ほぼ2時間で、オフリド旧市街を廻って来ました。部屋でブログを書いていたら、キレイな虹が、窓の外に、見えます。虹なんてみたのは、いつだろうか?イグアスの滝では、何本もの虹を見ました。10分位で、消えました。ふと外を見た時にあった虹です。ネットに夢中していたら、見逃す所でした。
2013.10.10
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2013年10月9日(水)マケドニアのオフリドから、アルバニアのティラナへ行く方法が、簡単ではありません。「地球の歩き方」にも乗っていませんし、ネットで他の旅行者の方のブログも見させて貰いましたが、難しいです。すんなり、バス停へ行った人は少なく、始めから、諦めてタクシーで行った人。ミニバスで行ったものの、バス停に着かず、途中で、タクシーに乗った人。ミニバスで行き、バス停のある町まで行ったが、30分歩いてバス停に辿り着いた人。このような旅の先人の方々のブログを読みました。それで、宿に着くなり、ティラナへの行く方法を聞くと、 1.ミニバスで、隣町のストルーガへ行きなさい。 2.ストルーガのバス停で、ティラナ行きのバスに乗りなさい。 3.バスの出発時間は、12時。と、教えて貰いました。しかし、9時半のバスがあるはずです。それを言うと、今は、シーズンオフだから、そのバスはないはずだ、との答えです。信用なりません。止むを得ず、移動は、明後日ですが、本日、事前の調査と、バスチケットの購入に出かける事にしました。生憎の雨なので、観光にも向かない天候ですし。まず、宿のある道を、商店街へ降りて行きます。この通りは、Klimentov Univerzitet、と言います。Klimentov Univerzitet、をどんどん、北へ向かうと、商店街へ出ます。この街の唯一の洒落た商店街ですから、地図上では難しいですが、ここへ来れば分かるはずです。商店街を通り抜けて、広場も通り抜けて、真っ直ぐ進むと、大きな通りに出ます。Boulevard Turistichka、と言う通りです。この交差点を左折します。左折した所です。そのまま進み、交差点がある、ちょっと先の反対側が、ミニバス乗り場です。分かり難いですが、道路にBUSと書いてあります。分からなければ、地元の人に、ストルーガ行きミニバス乗り場と聞けば、教えてくれます。宿から、ここまで、10分です。ですから、商店街のどこからでも、15分見ておけば、ここまで来られます。ミニバスは、15分毎に来ると聞きました。しかし、この時は、20分待ってようやくミニバスがやって来ました。ですから、ここでのバスの待ち時間は、30分は見て置いた方が良いでしょう。ミニバスに乗ると、こんな道を走ります。暫くすると、オフリド湖の湖畔を走ります。このまま、湖畔を走って、ストルーガまで行くのかな、と思っていたら、道路を右折して、湖畔を離れます。ですが、すぐに左折、左折して、湖畔に戻って来ます。この頃は、もうストルーガの街の近くです。湖畔を走って、今度も右折します。もうストルーガの街です。左折した突き当りでミニバスを降りなければなりません。ここです。ここまで、ミニバスに乗ってから約30分です。この突き当り近辺で降りられれば、もう大成功。バス停へ行けます。突き当りの道路を、右に行きます。大きな交差点がありますが、直進します。この分かり難い所を左に曲がります。手前に、工場のようなものがあり、直線道路の先には、何もないので、分かると思います。そうすると、左手の奥に、バス停が見えて来ます。着きました。ここがバス停です。ストルーガの突き当りの道で降りれば、ここまで、10分程度で来られます。もし、突き当りの道路で降りないと、ミニバスは、ストルーガを周回して、オフリドに戻ってしまいます。ミニバス停なるものがないのです。一旦、ミニバス停でもあって、そこに駐車すれば分かり易いのですが、ありません。もし、突き当りで降り損なうと、ストルーガの街を走り、湖畔に出ます。そこまで行ってしまったら、すぐに降りて下さい。ミニバスの走った道路をそのまま戻って下さい。突き当りの道路に出ますので、そのまままっすぐ行けば、バス停に行けます。湖畔まで行ってしまったら、そこからバス停までは、30分かかると思います。と言う事で、 1.宿から、ミニバス停 15分 2.ミニバスの待ち時間 最大30分 3.ストルーガまでのミニバス 30分 4.突き当りからバス停まで、10分 しかし、降り損なった場合を考慮し、30分見る。これで、合計、1時間45分前に、宿を出発すれば、間に合います。今の所、バスの出発は、毎日、9時半と、12時半です。ですから、余裕を沢山見て、宿を7時半に出発すれば、9時半のバスに乗れます。これで、完璧でしょう? このブログを読めば、オフリドから、ティラナまで行けるはずです。おっと、費用です。2013年10月9日現在、ミニバスが、40デナル。ストルーガからティラナまで、11ユーロ。このバス停では、ユーロで支払えます。勿論、デナルでも支払えますが。二日後のチケットも購入しました。このユーロ支払か、デナル支払かで、両替で残すお金が変わってくるので重要ですね。やれやれ、完璧に本日の業務は完了です。8時10分に宿を出発し、チケットの購入の完了したのが、9時55分でした。突き当りで降りるのを知らず、湖畔まで行ってしまって、歩いて戻って、1時間45分です。2時間あれば、充分余裕ですね。ミニバスの運転手に、ティラナのバス停に近い所で降ろしてくれと頼んでおきましたが、知らないようです。湖畔まで、連れて来られ、「ここだ」、と言われたのです。さて、目的は完了。せっかく来たので、ストルーガの街を散策です。街には、オフリド湖から流れ出た、綺麗な水の川が流れています。何か分かりませんが、広場に像が建っています。ここが、メインストリートです。又、湖畔の方へ戻りました。ここが、オフリド湖から流れ出る場所です。湖畔の通りに、このホテルがあります。HOTEL DRIM です。この付近に、バスチケット売り場があります。しかし、ティラナ行きではありません。地元の人も、このホテルの近くへ行け、とアドバイスしてくれましたし、ミニバスの運転手もここの近くで降りろと言いました。間違いです。地元の人も良く知らないから、気を付けねばなりません。又、40デナル支払って、オフリドに戻りました。そして、窓のカーテンを開けて、オフリド湖を見ながら、ティラナへの行き方を書いております。
2013.10.10
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2013年10月8日(火)親切な、マケドニア人に助けて貰って、辿り着いた、Sirma’s Hostel、寒くて、震えながら寝た、Sirma’s Hostel、2泊目は、電気ヒーターが使えたので、多くの文句はありません。宿泊者数が少ないので、キッチンを朝の早くから、一人で使えましたし。しかしながら、誇大広告には感心しません。Sirma’s Hostelの、ホームページに、オールドタウンまで、歩いて15分と記載されています。しかしながら、実際に歩いて見ますと、30分以上かかりました。もしかしたら、競歩の選手に測らせた記録かも知れませんが、それは、ホームページに書いてはいけないでしょう。バス停からの道順を青で示しました。一度で行けたら天才です。分かり難いです。青の点線が、間違えて行った所。赤で書いた線が、宿からオールドタウンです。バスか汽車でここに来る人には、この宿は、お奨め出来ませんね。最もタクシーで来られるお金持ちならば、静かな住宅地にあるし、良いかも知れません。参考までに道順を記載しました。さて、青のルートを逆に歩いて、バス停までやって来ました。あ、そうそう、バス停の両替所ですが、1ユーロ=61.2でした。他の両替所では、ほとんど、1ユーロ=61.3でした。ほとんど差がありませんね。ここは良心的な両替所です。珍しいです。どこの国でも、空港や、バス停、鉄道駅付近は、10%、20%と料率の悪い所が多いですから。このミニバスで行きます。客も少なく、こりゃー、楽だわいと、乗った途端に居眠りを始めました。目が覚めたら30分後、どこかに駐車してボンネットを開けてありました。暫らく待ちましたが、降りてくれと言われます。説明もないので、何が何やら、意味不明ですが、親切なマケドニア人の青年が、バスが故障で動かないので、車を換える、乗り換えです、と教えてくれました。CLASSICと言う会社なのです。「クラシックだからねー!」、と言ったら、その冗談が通じたようで、イギリス人夫妻が笑っていました。そして、アジアの星一番の真似をして、この写真も撮っていました。乗り換えた、ミニバスです。満席で、一番後ろの狭い座席です。参ったなー、これで、残りの2時間半も行くのかい? とがっかりです。あれー? 見たような城塞だなー? と思いきや、あそこに座って、街を見下ろした城塞です。スコピエの街に戻ってしまいましたよ。別のバスを準備したのでなく、目的地のオフリドからスコピエに戻るバスに乗せられたのです。そして、1時間ごとに出発する、2時間遅れの、13時のバスに、再々度、乗り換えて、出発しました。丸々、2時間のロスです。バスに沢山乗ったから良いだろう? と言われてもこの時間のロスは、喜べませんね。ようやくバスも調子に乗って走ります。民家がポツンとありました。これも、普通の民家ですね。鉄道の近くですが、ゴミが結構見えます。丁度、半分の、1時間半の地点で、トイレ休憩しました。そして、山間を走ります。もっと、綺麗な場所が沢山あり、写真も沢山撮ったのですが、ことごとく失敗作で、良いのがありません。残念です。途中、お客さんが、ポツポツ降りるので、最終バス停まで行かないで、宿の近くで降ろして貰おうと、運転手さんに言うと、もうここだ、降りなさい、と言われて、教えて貰った道を、トコトコと歩きます。教えて貰った通りです。仲々、洒落た通りなのですよ。こんな所にあるホテルか? さすが、超高級バックパッカーが選んだ、ホテルだなー!と、我ながら感心しつつ、ホテルを探しながら歩きました。ですが、そのホテルはありません。何人もの人に聞いて、商店街のとある場所へ行くと、おじいちゃんが、こっちへ来い、と言います。又、お金をせびられ、嘘の道を教えて貰うのは、敵わんなー、と思いつつも、付いて行きました。そしたら、別の男に何やら言っています。その男が、電話で連絡を取っています。オーナーが車で近くに来ているから、そこまで案内する、と言います。なんだか、やばそうにも思えたので、Villa old town だぞ? と念を押すと、携帯電話を見せてくれて、アジアの星一番の控えてあるホテルの電話番号と同じでした。それで、安心して、付いて行きました。オーナーが友人だそうです。すぐ上(登り)の道路でオーナーが待っていました。連れて行かれたホテルです。な、なんじゃー! これは? 廃墟じゃろ、これは?と思ったら、上の写真は、隣の家でした。本当の宿はここです。いくら、1泊14ユーロと安くても、廃墟に泊まるのは困ります。受付です。狭いですが普通ですね。部屋です。まぁまぁでしょう? 14ユーロにしては。シャワールームにトイレです。清潔ですよ。狭いがバルコニーがある、と言います。ほんと狭いですな。オーナーさん、同じ料金で、オフリド湖が見える部屋にしました、と言います。そうなのです。一番安い料金なので、湖の見えない部屋を予約したのです。ところが、見て下さい! バルコニーから見える景色です。素晴らしい景色です。オフリド湖が丸見えです。バルコニーに出なくても、部屋の窓からも、同じ景色が見えます。最高ですなー! 勿論、エアコンは使い放題。シャワーの湯量も、温度もばっちりです。やりました。良いですなー、超高級バックパッカー昇進は。しかし、残念な事もあります。ホテルですから、キッチンも、リビングもありません。安上がりのスパゲッティが作れません。電子レンジもないので、温めて食べる物も買って来られません。仕方ないので、夕食は、ピザにしました。ありゃ? 食事だけは、普通のバックパッカーじゃなー。超高級バックパッカーなら、レストランで食べろよ、と言いたい所です。
2013.10.09
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2013年10月7日(月)明日から、超高級バックパッカーに昇進します。今回の旅では、普通のバックパッカー並みでありました。宿泊は全てドミ。食事も安食堂か自炊。まぁ、それでも、楽しい旅を続けて来ました。前半は、体調が優れず、最終目的国まで辿り着けるか心配しました。スケジュールを変えて、ハンガリー辺りで帰るか? とまで検討しました。しかし、思わぬ方法で、薬を受領出来て、1日2回の服用に増やせた事が功を奏したのか、体調は、ビールを飲めるほどに回復しました。そして、当初の予定は、ルーマニアからブルガリア、そして最終目的地は、トルコのイスタンブールでした。フライトは、重慶―ヘルシンキ往復を買っております。それで、調べたら、イスタンブールからヘルシンキより、アルバニアのティラナからヘルシンキンの方が、飛行機代が安いのです。イスタンブール → ヘルシンキティラナ → イスタンブール → ヘルシンキこの2ルートですが、イスタンブールから同じ飛行機、同じ時間なのです。でも、ティラナから乗った方が安いのです。不思議な料金体系ですよね。それで、ブルガリアからイスタンブールを止めて、ブルガリア、マケドニア、アルバニアとなったのであります。それと、超高級バックパッカーと何の関係があるのじゃ? と疑問ですね。それが、明日から、個室の宿を予約したのです。実は、ヘルシンキのドミは、27ユーロもします。明日、移動する、オフリドはリゾート地です。ドミもありますが、シングルルームの個室が、14ユーロで泊まれるのです。それで、個室にしました。このリゾート地に3泊します。そして、その後、今回の旅の最終目的地、ティラナへ行きますが、ティラナも思い切って個室にしました。25ユーロもしますが、ヘルシンキのドミより安いです。そんな訳で、個室に泊まるバックパッカーに変身ですから、超高級と冠する事が出来るでしょう? 明日から、超高級バックパッカーです。すごいな! やった!まだ、普通のバックパッカーであった昨夜は、寒くて震えながら寝ていました。毛布1枚しかないので、もう1枚貰いましたが、毛布です。布団ではありません。きっと寒いだろうと思って寝ましたが、案の定、1時間も眠れないで起きました。もっている、セーターも、キルティングも全部来て寝ました。それでも寒いですが、何とか、眠れた次第です。朝7時で、気温2℃程度ですから、夜中は、零度位になったのではないでしょうか? それでも、暖房は別費用と言うのですから、驚く、ホステルです。同室のイタリア人に聞いたら、彼も寒かったと言いますが、彼は、自転車で旅していて、寝袋を持っているのです。その寝袋も使ったらしいですから寒くないでしょう。さて、本日の、昼食を紹介します。オールドタウンにあったレストランです。魚があったので食べたくなりました。ヘルシンキの市場以来でしょうか?魚を食べるのは。魚の隣にある、5つの小山はライスです。さらに、パンも付きます。これで、100デナル、200円ちょっとですから、安いですね。いつものように、買物もしたので、幾らで買えるのか紹介します。02パン3個 55円バナナ3本 75円リンゴ2個 60円キューリ1本 20円トマト2個 25円如何でしょうか? 安いですね。追記毛布の件、受付の二人(どうもカップル)に言いました。寒くて寝られなかった、と。そしたら、翌日は、電気ヒーターを使って下さい、と返事がありました。彼等は、オーナーの友人らしくアメリカ人で、マケドニア語も話せません。旅の途中、友人に管理人をやって欲しいと、頼まれたようです。それで、権限がなく、常にオーナーと連絡を取って、指示を仰いでいたのです。ここ数日、急に寒くなったと言い、オーナーが申し訳なかった、と伝えて欲しいと言う言葉と共に、電気ヒーター使用の許可が出たのです。翌日の夜は、良く眠れました。言ってみるものですね。って言うか、言わなければダメですね。必要な要求はしないといけないです。泣き寝入りはダメです。と思いました。
2013.10.07
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2013年10月7日(月)本日は、スコピエの街を散策します。9時50分に出発しました。宿のホームページでは、オールドタウンまで、15分と書いてありますが、15分歩いても、まだ、こんな道路です。あ、間違えました。ここは、もう既に30分近く歩いて来た所です。凱旋門のような、白い建物が見えます。30分ほど歩いて、ようやく、マケドニア広場の入口が見えて来ました。色は異なりますが、凱旋門のようですね。この凱旋門を潜って、少し歩くと、マケドニア広場です。馬に乗る戦士の像が、目立っています。ど真ん中にあります。そして、マケドニア広場を、ヴァルダル川の方へ歩くと、石橋があります。名前が、ストーンブリッジと言うようです。ブリジストンとは関係ないと思いますが・・・。橋の向こう側に見える立派な建物は、裁判所のようです。石橋の右側です。この写真良く見て置いて下さい。良く整備されていますね。石橋の左側です。工事中です。工事中だとしても、整理されていないですね。国民性でしょうか? 首都の、観光地のど真ん中です。工事をするにも、もっとやり方があろうかと思います。この噴水の女性の像も、可哀そうに、白く汚れています。そして、その向こうのビルは、廃墟のようです。やはり、これも何とか出来ると思います。日本人ならば、ですが。発想が違うのでしょうかねー?大きな道路を渡ると、オールドタウンに入りました。いきなり民族衣装でも作るような生地屋さんがありました。ここは、オールドタウンらしくなって来ましたね。このように美しく通りを保てるのですから、あの石橋辺りも、もっとキレイにして欲しいです。このような通りが、続きます。写真は撮りませんでしたが、洒落たレストランも色々なお土産屋も沢山並んでいます。見ているだけで、楽しいです。これは、教会でしょうね。名前は分かりません。どんどん歩いて行ったら、露天商の通りが出て来ました。東欧では珍しいでしょうか? 露天商がちょこっと並ぶのは見た事がありますが、こんなに多いのは、始めてかな?大きな市場もありました。そろそろ生姜がなくなるので、この大きな市場の隅々まで探しましたが見つかりません。何人もの人にも聞きましたがありません。どこかのスーパーでもなくて、生の生姜がなくて、粉の生姜を買わされた事がありました。日本や中国では、生姜は必需品ですが、東欧の料理には、生姜は使わないのでしょうか? 不思議です。アフリカでも、インドでも、中南米でも、生姜の購入で苦労した事はなかったです。ムスタファ・オアシナ・ジャーミヤにやって来ました。外見の通り、ここはモスクです。1492年、オスマン朝がやって来て、すぐに建てられたそうです。教会ばかり見て来たので、モスクは新鮮です。美しいですよね。ここは、無料でトイレも使わせてくれます。有難いですね。市場の西側にある、城壁にやって来ました。街の西側が良く見えます。見えますか? これが残っている城壁です。11世紀に造られた城壁です。全部は残っていませんが、結構、見られますよ。ちょっと危ないですが、城壁に座って、暫らく、スコピエの街を眺めていました。ヴァルダル川も、石橋も、マケドニア広場も、そして、街の南西にある山もそして、その上にある十字架も良く見えるのです。こう言う時を、至福の時間と言うのでしょうね。観光客もほとんど来ず、誰にも邪魔されず、この市街を独り占めですから。見える景色の一部です。景色に見飽きて、居眠りが出そうなので、又、歩き出しました。城壁の内部です。見難いでしょうが、オールドタウンも見えます。9時50分に出発して、今12時半。2時間もあれば、大きな見所は、全て、見られます。但し、博物館とかを見る時間は含まれていませんから、それらを丹念に見れば、1日は必要だと思います。
2013.10.07
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2013年10月6日(日)時間通りに、スコピエのバス停に着きました。明後日には、マケドニア唯一の観光地とも言える、オフリド湖へ向かいます。本日は、日曜日、銀行は休みです。おまけにバス停ですから、為替レートはすごく悪いと思いますが、本日の食費、バスチケットの購入の為に、両替をしました。1ユーロが61.2デナルでした。明日銀行で替えたら、幾らなのか楽しみです。さて、宿に向かいます。約3Kmありますが、勿論歩きます。「地球の歩き方」、にも載っていない場所にあるので、事前に、ルートの道路名を詳細に書き留めてありました。まず、この大通りを歩きます。それから、大きな通りを左に曲がって、又、大きな通りが出たら、左りへ曲り、3つ目の交差点を右に入り、突き当りの前の道を左に曲がり、道なりにあるいて、次の道路を左に曲がれば、辿り着くはずでした。しかし、大きな道路にも、標識がありません。地元の人に聞いても、道路名を知りません。一人、確信を持ったように教えてくれた人がいましたが、結局、間違った道を教えて貰い、元に戻りました。途中、道を尋ねたら、案内すると言う人がいました。どうも怪しいので、道を教えて貰えれば自分で行くと言ったのに、いや、ついて来てくれ、と言って、どんどん歩きます。結局、お金を要求されました。怪しいと感じる本能はただしいですね。その怪しい男が教えてくれた場所も、全く違う所でした。勿論、お金は払っていません。お金がなくてタクシーに乗れない、と歩いている時に彼に言っておきましたから。歩いては迷い、迷っては歩き、1時間半が経ちました。住宅街に迷い込んでしまっています。もう、どうにもこうにも、ならないので、洗濯物を干していた、おばさんに道を尋ねました。そしたら、ちょっと待って、と言って家の中へ引っ込みます。なんじゃー、怪しい男に思われたか? 失敗したな、と待っています。すると、ご主人が出て来ました。この方です。この人が、とても良い人で、電話帳で、住所、電話番号を調べてくれました。しかし、見つかりません。そしたら、パソコンを持って来て、Sirma‘s Hostelの名前を頼りに、検索してくれます。探し当てましたが、電話番号が載っていません。アジアの星一番のパソコンには、住所、電話番号が載っています。WiFiが繋がるかどうかですが、その人の個人用WiFiに繋がりました。それで、宿に電話してくれて、場所を聞き出し、なんと、車で送ってくれたのです。ここが、宿です。歩いて来たら、絶対に分からないでしょう。Vasil Minovskiさんと言いますが、重いバックパックを持ってくれて、受付へ行ってくれます。しかし、どこが受付か分かりません。庭には、こんな実が沢山成った木があります。この写真の2階へ行きましたが、受付はなく、客が出て来ました。こんな狭い所を通って、行かねば玄関に辿り着かないようです。ようやく辿り着きました。ここが、Sirma‘s Hostelの玄関です。Vasil Minovskiさんが、呼び鈴を押し、宿が正しいかどうか、確認してくれて、中へ入りました。Vasil Minovskiさんは、本当に親切な方ですね。道に迷い、タクシーもなく、1時間半も歩いて疲れ切っていました。どうすれば良いのだ? と考えあぐねて、訪ねたのが、Vasil Minovskiさんの家でした。感謝しても感謝しきれません。このブログで、マケドニア人の親切さ、優しさを皆さんにお伝えしたいと思います。マケドニア、大好きになりました。そして、Vasil Minovskiさん、本当にありがとうございました。これは、日本語のブログですが、URLをお伝えします。感謝の気持ちを、英語に翻訳し、記載致します。本当にありがとうございました。Mr Vasil Minovski, he is really kind person.I lost the way, because of no road sign and without the taxi, I totally exhausted after the one and half hours walk.When I was puzzled about what I should I do, Minovski' home subconsciously came to my eye.Words can't express my gratitude for you.In order to represent my thanks on you and my likes on Macedonins' hospitality and kindness, I would like to cover your story on my blog.I will tell you URL of my blog sending by e-mail.Anyway, I sincerely hope, this translated English sentences can convey my gratitude to you.寝室です。4人部屋ですが、ここの後ろの方に、アジアの星一番のベッドがあります。ここが、アジアの星一番のベッドです。2段ベッドではありません。予約する時に、このベッドにして欲しいと、頼んでありました。ここが、キッチンテーブルと、その向こうがリビングです。ここがキッチンですね。早速、買物に出かけ、ビールも買って来ました。つまみは、キューリとトマトです。酔いますねー! 酔っ払いました。頭がクラクラします。体調は、良くなっていますが、まだ万全ではないですね。体調万全であれば、もっと、気持ち良く酔います。まぁ、飲めるようになっただけ、幸せであります。因みに、ビールは、105円程度、トマトとキューリで、55円。〆て160円です。夕食は、これです。ソーセージに豆。これで230円相当です。これは、10分間、熱湯で温めるだけです。簡単ですね。ちょっと、しょっぱ過ぎますが、充分、夕食になります。色々な種類があるので、明日は別の物を買って来ようと思います。追記Vasil Minovskiさんの話では、大通りに何故、道路名の標識がないか?新政府が、新しい道路の名前を検討中で、名前が変わる可能性が大、それで書いてないのだそうです。困りますねー、首都の大通りくらい、標識を出して置いて欲しいです。しかし、別の考えで見れば、標識がなかったお蔭で、Vasil Minovskiさんと知り合えたのですね。そのように考えれば、標識がないのも、1時間半も歩いたのも、幸運と言えるかも知れません。
2013.10.06
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2013年10月6日(日)本日は、移動の日です。ブルガリアからマケドニアへ。バスの出発45分前に来いと、チケット販売代理店のおばさんに言われました。ソフィアの長距離バス停には、沢山のバスチケットの代理店があります。各代理店には、番号が付けられております。61番は、地球の歩き方にも紹介されていると、呼び込みの人が言っていたので、そこで買ったのですが、サービスは悪いですね。値段も他と同じだし、出来ればここで買わない方が良いです。出発の40分前に行きましたが、結局、椅子もなく、立ったまま20分も待たされました。バスは、9時30分、予定通り出発です。アジアの星一番の後ろのおばさんは、早速、爆睡です。道路は良いですよ。高速道路なのでしょうな。晴れた日の、ブルガリアの街並みですが、如何でしょうか?雨の日よりも、寂しい感じはしませんよね?このマケドニアへの道は、山を越えて行きます。とても良い風景が続くので、居眠りする暇も、ミュージックを聞く暇も、無論ながら、本を読む暇もありません。時々、町とか、村も出て来ます。ブルガリアの民家です。晴れの日でも、豪邸には見えません。このバスには、トイレがありません。出発前にコーヒーを飲んだので、トイレに行きたいなー、お願い、止まってよ、と思っていたら、出発の2時間後にようやくトイレ休憩に止まってくれました。トイレは有料です。0.3ラヴァ必要でした。小銭を残して置いて、良かったです。この20分後に、ブルガリア出国でした。荷物検査も厳しく、バックパックからショルダーバックの中を全部調べられました。それで、出国に45分もかかったのです。マケドニアへの入国は、荷物検査もなく、15分で通過。又、山の中を走ります。ブルガリアのソフィアから、マケドニアのスコピエへの道、変化に富んで、今回の旅では、最も良かったです。場所によっては、日本を走っている感覚もありました。こんな草原(たぶん牧草地)もあるし、山あり、谷あり、小川あり、町あり、村あり、良かったですよ。運転手も親切、隣のおじさんも、ブルガリアとの時差を教えてくれたり、とても親切でした。唯一、腹の立ったのは、後ろに座った、爆睡のおばさんです。目が覚めたら、アジアの星一番に、椅子を後ろに倒すな、と言うのです。実際に倒していません。それに、仮に倒していたとしても、バスは空いていて、2列の座席に一人ずつしか座っていません。ですから、アジアの星一番のすぐ後ろに座らず、窓際へ移ればいいだけなのです。どうして、文句言ってくるのか、分かりません。どこの国も、おばさんは、おばさん、全く図々しですね。(図々しくない、おばさんもいますので、全部ではないですね。とても優雅で素敵なおばさまもいますから、誤解を生む書き方です。すみません。)バスは、予定通り、ぴったり5時間で、スコピエにバス停に着きました。この後、宿へ向かうのですが、大変でした。疲れました。宿に辿り着くまで1時間45分かかりました。しかし、マケドニア人の優しさ、親切さに触れる事も出来たので、疲れも癒え、快い気分でありますが、別掲します。
2013.10.06
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2013年10月5日(土)昨夜は、久しぶりにビールを飲んで見ました。体調が、ずっと良いので。スーパーで、ブルガリアのビールですよね? と念を押して買ったものです。KAISERです。しかし、ネットで調べて見たら、どうも原産国は、オーストリアのようです。ブルガリアのビールは、アスティカ、ザゴルカ、カーメニッツァ、アリアーナなどと言うのがあるようです。調べてから買えば良かったですねー。野菜サラダとゆで卵をつまみに、美味しく飲めました。体調回復ですぞ。有難い事です。本日は、遠いのですが、「リラの僧院」へ行く事で、ツアーに申し込んであります。アレクサンダル・ネブスキー寺院、9時集合で、出発しました。ツアー代は、25ユーロ。それに入場料が、9ユーロ必要になります。合計、34ユーロ。宿代が、3泊で、18ユーロですから、高いツアーです。最も、宿は値段の通りで、言いたい文句が沢山あるのですが・・・。途中の景色ですが、如何でしょう? 雨の時と、快晴の時の違い?感じますでしょうか?1時間半ほど走ったら、周囲は鬱蒼とした山、森の中です。山の間を、さらに走り、丁度2時間で、着きました。リラの僧院の、入口です。入口の門を潜ると、そこは、もう聖母誕生教会です。この教会の壁には、周囲一面にフレスコ画が描かれている。皆さん知っているでしょうが、フレスコとは、生乾きとか、新鮮の意味で、漆喰を塗って乾き切らない内に、水彩絵具で描きます。石灰の層の中に絵具が染み込み、そして、乾いていきます。漆喰は乾燥が始まると表面に固い透明な皮膜ができるために、それが絵の保護層となって非常に堅牢な画となります。その壁画をフレスコ画と言います。(ネットと辞書で調べました。)天井にも全て描かれています。漆喰が濡れているうちに全て描いてしまわなければならないため、あらかじめその時間内に描ける部分の面積を決めて下地を作る必要があるそうです。しかし、寒いです。寒さ逃れの為に、僧院内にある歴史博物館に入ろうと思いました。しかしながら、ユーロでの支払いを認めてくれません。ツアーのパンフレットには、ユーロで書いてあり、ユーロの支払いは可能ですな、と念を押して参加したのです。明日、マケドニアへ移動するので、ブルガリアのお金が余っても困るから、計算しながら使っているのです。困りますよねー。止むを得ず、散歩しようと、僧院の裏へ出ました。裏には、土産物屋や、ベーカリーがありました。皆さん、美味しそうに食べていたので、アジアの星一番も、注文して食べました。白い粉をかけて食べています。甘いです。裏道を、手を擦りながら歩いていたら、村人らしい2人連れに会いました。これは、地元の人に違いない、と写真を撮らせて欲しいと、頼みます。こう言う感じの人が、元々の、ブルガリア人なのでしょう。お父さんらしい人は、写真は嫌だと、断られてしまいました。小さなホテルが現れました。こんな所に泊まる人もいるのですね。枯葉の小道を歩きます。誰も歩いていません。この自然をアジアの星一番独り占めです。小川が出て来ました。このような川は、今回の旅では初めてですね。まぁ、山へ入ったのが始めてです。山があまりなかったですね。空も青く気持ち良いです。久しぶりの真っ青な空です。木々も黄葉しています。寒いはずです。山の上には、雪が見えます。階段の坂道があったので、登って行ったら、車の通る道路に出てしまいました。そこを引き返します。リラの僧院へ戻りました。これが、フレリョの塔です。この僧院内で、19世紀の火災を逃れたのは、この塔だけで、14世紀に建てられた時、そのままの姿と言う事です。鐘がいくつも置いてあります。どうやって、いつ突くのでしょう?音楽のように、鳴らすのでしょうか? 聞きたいものです。聖母誕生教会の周囲に、4階建の建物があります。白と黒と茶色の色で塗られたものが、とても印象的です。ここには入れません。住居とか事務所なのでしょう。もう一度、聖母誕生教会を見て頂きましょう。内部には、金を使った壁があったらしいですが、見逃しました。金閣寺よりも多い金が使われているそうです。ここは、独特の顔を持っていますね。山を散歩しても、1時間しか経っていません。集合時間まで、まだ1時間あります。合計2時間滞在します。あまりに寒いので、フィンランド人のご夫妻と一緒に、ここで日向ぼっこして時間待ちです。フレスコ画とか、教会内部の装飾などに、興味がないと、2時間は要らないですね。この後、レストランへ向かいました。アジアの星一番は、そんな事は知らないし、きっと高いだろうからと、サンドイッチを作って、バナナと桃も持参しました。だから、食べる必要はありません。しかしながら、皆さん、ゆっくり食べるので、1時間半も待たされました。ですが、レストラン内に、暖炉があり、椅子を持って来て、ここで居眠りしていたので、じっくり休養が出来ました。この小型バスで、ツアーです。1台では足りなかったようで、2台で廻りました。これで、市内へ帰るのかと思ったら、まだ、Boyana Churchとか言う教会へ行きます。もう教会はうんざりしていますが、皆さん一緒なので、チケットを買いに列に並びました。しかし、ここも、ユーロを使えません。丁度良かったです。入場するのを止めました。ここでも30分待ちです。青空の元の、アレクサンダル・ネフシキー寺院へ戻って来ました。午後5時20分です。リラの僧院ですが、教会を見飽きているせいか、感動は少なかったです。時間待ちも、合計3時間もあり、おまけに寒いので、堪りませんでした。世界遺産ではありますが、行かなくても良かったかなー?
2013.10.05
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2013年10月4日(金)先ほどは、通り過ぎただけの国立美術館に来ました。入場料は6レヴァ(400円)です。写真は、フラッシュを焚かなければ、無料でどこでも、何でも、撮っても構わないとのこと、有難いですね。写真を撮らないと、忘れてしまいます。ニコラ・ミハイロフ(NIKOLA MIHAILOV)の作品。とても、可愛らしい少女の絵なので、記憶に残そうと撮りました。サッカー選手で同じ名前のソフィア出身がいましたね、セリエAのゴールキーパーでしたが、この人と関係があるかは、知りません。アタナス・ミホフ(ATANAS MIHOV)の作品1879年9月24日に生まれ。(1879-1975)ブルガリアらしい作品だと思って写真を撮りました。後で調べて見ましたが、彼は、ブルガリアの美しさを、キャンバスに表した、と評されています。イヴァン・ミレフ( IVAN MILEV)の作品1897年2月18日生まれ。(1897-1927)変わった作品だなー、と思いました。これは、ガラスが前面に入っていて、光が反射してうまく写真に撮れません。ガラスはない方が良いですね。CHRISTO STANCHEV典型的なブルガリア人をモデルに描いたのかと思って、写真を撮りました。でも、作者は、あんまり有名でないらしく、プロフィールとか出て来ません。とても、良い表情だと思うのですが、如何ですか?VLADAMIR DIMITROV – THE MASTER1882年2月1日生まれ。(1882-1960)彼は、有名な画家のようです。ここへ入場する時に、有名な絵を教えて欲しいと、係員の方に聞きました。二人教えてくれた人の一人です。彼の肖像と作品には、表現力豊かで鮮明な色、理想主義的なイメージの質、深い強さと独創性があるとされています。この絵は印象的でした。愁いを帯びた女性達。表情の奥に、深い悲しみが見え隠れしているように見えます。TZANKO LAVRENOV1896年11月24日生まれ。(1896-1978)この画家も、係員の方が推奨してくれました。ブルガリアの巨匠と言われています。彼は20世紀のブルガリアで最も重要なアーティストの1人と言われます。彼の絵は独特の、伝説とおとぎ話のような、明るく色のついた場面を現し、名声を獲得したそうです。この絵などは、そんなに素晴らしいと思えないのですが・・・。これは、すっきりした明確な表現で良いと思いました。現物は、もっと大きいです。下の部分のみ、写真に撮りました。これも、すっきり明るい描き方ですよね。VASSIL STOILOV1904年2月29日生まれ。(1904-1990)子供に乳を与える。命の源泉で、最も美しい姿であると思います。現代は、乳房はセックスの象徴とされるようで、このように子供に乳を与える場面に出会う事は、相当、未開国へ行かなければ見られません。良いと思いますけどねー。KARL YORDANOV変わった肖像画の描き方だと思い、写真に撮りました。BORIS IVANOVこれはですね、もしアジアの星一番が、画家だったならば、この人をモデルに使わないだろうな、と思いました。それで印象に残ります。ボリフ・イヴァノフさんは、どうして、このモデルを選んだのでしょう?GENKO GENKOVDIMITER BUYUKLIISKYブルガリアの画家の絵を堪能しました。この程度の入場料で、これだけの絵を見られるのは、幸せですね。絵画を堪能した後、旧共産党本部の地下に、遺跡があると言うので行って見ました。セルディカの遺跡と言います。2~14世紀の城壁と、五角形の塔が見られるとの事です。何だか分からない遺跡でした。行く必要を感じません。ソフィア最後の見所、バーニャ・バシ・ジャーミヤです。オスマン朝時代、最高の建築家と言われた、ミマール・スィナンによって設計され、1566年に建てられたものです。イスラム寺院ですね。バーミヤとは、トルコ語で、風呂を意味するそうで、このすぐ近くにトルコ風ハマムがあるようですが、見つかりませんでした。久しぶりにハマムに入りたかったです。昼食です。宿の近くの、現地食堂へ行きました。パンと、お皿に盛ってあった、料理を頼みました。鶏肉とポテト、それに人参なども入っています。パンは、この汁を付けて食べました。まぁまぁ、美味しいです。これで、2.8レヴァ。パンが0.3レヴァ。〆て3.1レヴァ、200円って所です。大食いなのか、これだけでは足りなかったので、インスタントラーメンを作りました。一食分が、日本のラーメンに比べて少ないです。タイのラーメン程度でしょうか?21インスタントラーメンと言えば、レバノンで、インスタントラーメンを見つけ、喜び勇んで、確か、3袋も食べてしまい、腹を壊した事を思い出します。それで、食後ですし、少なめの1袋で、スープ代わりに食べたのであります。0.5レヴァ位ですから、35円位です。こんなものでしょうか?
2013.10.04
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2013年10月4日(金)本日は、曇りですが、雨は止んでいます。ポツリポツリの雨を含めると、もう、何日間降っていたでしょうか? ブカレストでは、全部雨でした。絶好の観光日和とは言えませんが、ソフィアの町の散策に出かけます。宿から、アレキサンドラ通りを東へ10分ほど歩いたら、大きな建物が見えて来ました。きっと、ガイドブックにも載っている有名な建物に、違いない。と、調べましたが、載っていません。ホテルのようです。どでかいホテルです。その向こう側にも、きっと有名であろうと思える建物が見えました。その下に、何故か、みすぼらしいような屋根が見えます。このみすぼらしい屋根が、「聖ペトカ地下教会」なのであります。道路を潜って、近くへ行って見ました。この半地下の「聖ペトカ地下教会」は、オスマン朝の治世下にあった14世紀に建てられたそうです。ここが、階段を降りた入口です。残念ながら、現地語が読めません。何と言うのでしょうか?この教会、外見は、みすぼらしいですが、内部の装飾は素晴らしいとの事。残念ながら、入れませんでした。半地下教会の道路を隔てた反対側に建つ、背の高い像です。何か云われがあるのでしょうが、日本語のガイドブックにも、宿で貰った、現地の案内書にも載っていません。ですが、目立ちますなー!これが、旧共産党本部です。町の中心にデンと座っています。さらに歩いて行くと、旧共産党本部の、対面にある巨大な建物の入口で、衛兵の交代のような事が行われていました。これは、衛兵の体操の一種でしょうか? 誰もみていません。時間的にも、10時12分でしたから、特に交代するような時間でないです。何の建物ですかねー? 大きいのですよ。馬鹿でかいと言った方が良いような建物です。何か、書いてありました。読めません、分かりません。意味不明です。宿に帰って聞きましたら、「大統領官邸」、だそうです。道理で衛兵がいたはずです。そして、でかい建物のはずでした。(宿で貰った、資料には載っていました。)国立美術館です。今まで見た、どでかいだけの建物と異なり、ちょっと別の雰囲気を持った建物ですね。オスマン朝時代に市庁舎として建てられ、その後は、王宮として使われたそうです。ブルガリアの画家の作品が多数あると言うので、時間があれば、後で、見たいと思いながら、横目で通り過ぎました。聖ニコライ・ロシア教会です。この教会は、そんなに古くなく、1913年に建てられました。ロシア外交官の命令により建てられたそうですが、この街の建物に似合っていないような作りですね。解放者記念像です。国会議事堂前に建っています。後ろに見えるのは、ホテル・ラディソンSASです。ロシア皇帝アレクサンダル2世の騎馬像であります。彼は、何百年にも渡るオスマン朝の支配から、ブルガリアを解放した英雄なのです。第2次世界大戦後、共産党内閣が出来て、1989年まで、共産党の一党独裁が続いたのですね。国会議事堂です。大統領官邸や、旧共産党本部などの建物に比べると、ちょっと小さいですね。騎馬像の後ろに立つ、ホテルの方が、ずっと立派です。国を動かす、国会議事堂ですから、もっと立派な場所にしたら良いと思うのですが、如何なものでしょう?そして、上の国会議事堂の写真にも後ろに写っていましたが、これが、バルカン半島で最も美しい教会と言われる、アレクサンダル・ネフスキー教会です。この寺院は、ブルガリア独立のきっかけとなった、露土戦争(1877年)で戦死した20万人のロシア兵の慰霊の為に作られたそうです。1882年から、40年かけて完成したとの事ですが、壮大ですね。内部には、大理石やメノウが沢山使われています。そして、祭壇が3つあります。これは、向かって右側にある、ブルガリアの祭壇です。これは、向かって左側にある、スラヴ諸国の祭壇です。中央が、ロシアの祭壇です。造られた経緯からしても、ロシア主体ですから仕方ないですが、ロシアの祭壇が、際立って大きく、立派です。ブルガリアの祭壇の前では、信者が来るたびに、牧師が美しい声で、お祈りを捧げていました。バルカン半島で最も美しい教会と言われているそうです。ですから、別の角度からも撮って見ました。因みに国会議事堂側からも撮ろうと思いましたが、何故か、警備員に止められてしまいました。聖ソフィア教会です。バルカン半島で最も美しい教会の斜め左前に、ひっそりと佇んでいます。6世紀に建てられたそうですから、こちらの方がずっと歴史はあります。オスマン朝時代は、イスラム寺院として使われ、その後戦災で破壊され、1900年に復元されました。このような歴史の教会は、旧東欧の国には、多いですね。ブルガリアの象徴はライオンらしいですが、そのライオンが、聖ソフィア教会を守っております。ソフィアの街を見始めて、まだ1時間半も経っていません。時間はたっぷりあります。国立美術館へ、戻る道、国会議事堂の斜め前に見たような文字が見えました。「幸せ寿司」、と書いてあります。ニッポンの寿司ですねー!メニューだけ見せて貰いましたが、昼食弁当などもあり、700円位で食べられます。(寿司ではない。) 貧乏旅人にも、手の届きそうなお値段です。寿司一人前も、日本円に換算すれば、2000円以下でした。食べたいなー! と思いますが、食べません。
2013.10.04
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2013年10月3日(木)結局、ブッキング・ドットコムから返事を貰えないまま、夜行列車に乗る為に宿を出発せねばならない時間になりました。21時50分。ほんの少し、雨がポツリ、ポツリと落ちて来ます。ですが、傘を差すほどの降りでなくて、助かりました。天の助けです。20分歩いて、ブカレスト北(ノルド)駅に着きました。ほとんど、乗客もいませんね。ですが、お店はかなり開いています。01今回の旅のルートでは、ルーマニアは、危険だと言われています。ブカレストは、野犬もいるし、人間も危ないのがいると聞きました。しかし、幸運であったのか、夜の夜中に近い時間に、歩いても、危ない目には遭いませんでした、良かった。良かった。発車の1時間も前に着いてしまい、おまけに、ベンチもないし、寒いし、重いバックパックを背負って、寒さ凌ぎに、プラプラ歩かねばありません。出発の、20分前になって、ようやくホームが決まりました。6番ホールです。汽車には、少し待っただけで、乗り込めました。02上段、下段の2段ですね。これは、1等車かなー? チケットを買う時、特に何も言わなかったので、2等車だと思っていたのですが・・・。チケット売りのおばさんには、アジアの星一番が、高級な人間に見え、何の迷いもなく、1等車のチケットを売ったのでしょうか?厚めの敷き布団に、かけ布団。準備してすぐに寝ました。発車が23時12分ですから。1時20分、起こされてルーマニアを出国。パスポートを持って行ってから戻るまで、30分かかりました。1時50分に、再出発です。その30分後、うとうとと、まどろむ程度で、ブルガリアへの入国で、又、起こされました。その後は、爆睡し、目覚めたのは、7時半。良く寝ました。4人部屋のコンパートメントですが、アジアの星一番、一人だけなので、完全な個室として、使わせて貰いました。良く眠れたはずです。窓の外を見ると、寂しげです。ルーマニアもそうでしたが、ブルガリアも、何となく寂しそうな景色に見えます。天気が悪いせいもあるのでしょうが、やはり家の色も影響しているのでしょう。バルカン山脈が、ブルガリアの中央を横たわっていると言うだけあって、ソフィアへの道も、山が多いです。山々の木々も、見えにくいでしょうが、色づいています。山間には、部落が見え隠れします。明るくなってから、トイレに行って、気付いたのですが、この汽車のトイレは、そのものを、線路に落とす方式です。水は少し流れますが・・・。日本の汽車も昔は、線路に垂れ流しだったそうですね。山下清画伯は、良く線路を歩いたらしいですが、汚物を踏みながら、歩いたのでしょうね。お小水も、うんちも、ペーパーも、そのまま線路に落ちるのですから、周辺に住む人々は、嫌でしょうなー。買い置きのサンドイッチを頬張り、オレンジジュースで、流し込む朝食も済み、物思いに耽っていたら、ソフィアに着きました。ほぼ予定通り、9時半着です。駅も寂しそうですね。駅前も同じく、寂しそうです。この右手が、長距離バス停があります。ここで、次のマケドニア行きのバスの時刻と金額を確認しました。一日に5本のバスがあります。6時、9時30分、16時、19時、24時。5時間から6時間かかると言うのですが、それぞれ、中途半端な時間ですね。まともなのは、9時半出発です。これにしようと思います。値段も全て同じ、32レバです。2200円位です。12時前には、宿に入れてくれませんが、宿の方へ歩くしかありません。運が良ければ、誰かが出て来るタイミングにばったり出会い、入れるかも知れませんし。駅から真っ直ぐ南へ延びる大きな道路を歩きます。寒そう見えるでしょうが、実際に寒いです。たぶん、5℃くらいではないでしょうか? 昨日、天気予報で気温を見たら、最低温度は零℃。最高気温が、9℃、とありましたのです。The Danish Hostel ですが、場所も分かり難いです。住所の番地をメモして行かなかったら、辿り着けない所でした。近所で聞いても、そんなホステルは知らないと皆さん言います。暫らく入口で待ちましたが、誰も出て来る気配もなく、寒いし、重いので、コーヒーでも飲んで休む事にしました。幸い、近くにトルコ人(人種的にトルコ人)の経営するレストランがありました。コーヒーは、あまり好きでない、エスプレッソが出て来ました。イタリアではコーヒーと言えば、エスプレッソのようですが、トルコもそうでしたか?それだけでは、時間が持たないし、トルコ式ピザが、3レバ(200円)だと言うので、昼時でもあるし、注文しました。意外と美味しくて、良かったです。12時過ぎたので、ホステルに行きました。メールの返事をくれた、変な親父が変な応対をするのだろうなー、と、嫌々ながらドアのベルを押すと、若い女性が出て来ました。早口の英語で、ペラペラとしゃべります。英語が上手だねー、と言ったら、喜んでいました。イギリスに留学していたとか言っていましたが、道理で分かり難い英語じゃわい、と思った次第です。ベッドルームです。8人部屋ですね。アジアの星一番は、一番奥の下段を選びました。キッチンです。広くて良いのですが、電気コンロが壊れています。ここが、食卓で、アジアの星一番のネット場所になる予定です。変なホステルと思って来たせいか、それほど悪い印象はないので、安心しました。部屋が2階で、キッチン、テーブルが3階なので、それがちょっと面倒なだけです。
2013.10.03
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2013年10月2日(水)本日は、ルーマニアのブカレストから、ブルガリアのソフィアへ移動の日です。しかし、1日に、2本しか列車はなく、1本は、ソフィア到着が、22時過ぎ。もう1本は、夜行列車です。夜行寝台列車を選びましたが、出発が、23時過ぎです。丸々1日あります。Umbrella Hostel は、昼の12時にチェックアウト後、何時まででも、談話室なり、キッチンに居て良いと言います。有難いですね。(バックパッカー宿は、概ね、どこも、そのような待遇で行ってくれます。)本日は、雨も止みました。今、明日の宿、ブルガリアのソフィアの宿と揉めています。The Danish Hostel と言いますが、夜行列車なので、朝着きます。9時25分です。それで、チェックインは無理でも、共通エリアに居させてくれと、メールを送ったら、12時まで、受付は居ないから無理だ、との返事。返事の書き方も良くないです。丁寧でないです。予約した、ブッキング・ドットコムにも連絡したら、電話しても対応が悪く、早く宿に入れないとの事です。バックパッカー宿にしては珍しいです。あんまり、行きたくないですが、この宿は、ネットで申し込みと同時に、行かないとキャンセル料が、宿泊分、必要になるのです。困りましたね。ブッキング・ドットコムに、無料でキャンセルしたい旨、メールを送ってあるもののその実現の可能性は、低いです。困りました。行くしかないかなー?
2013.10.02
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2013年10月1日(火)昨夜は、体調不良により、午後5時半には、ベッドに入ってしまいました。うつらうつらしながら、寝たり目が覚めたり、夕食も食べずに、横たわっていました。ちょっと厚い毛布一枚では寒くて、風邪を引いたかと心配し、もう一枚毛布を貰って、ようやく人心地がついたのは、午後8時頃でした。そのまま、寝たり目覚めたりでしたが、夜中の1時半頃から、もう眠れず、ベッドにいるだけです。宿は混合ドミです。色んな人が居ます。どこかの宿で、おばさんがベッドにカーテンのように布を垂らして、その中にずっと居た宿がありました。どこだったかなー? ワルシャワでしたね。1カ月も滞在していたおばさんです。隣の白人のお姉さんは、ベッドの上で、ずっとラップトップと睨めっこ。上のベッドは、カナダ在住の中国人。ほとんど談話室にいるので、不在。その奥の男性は、出たり入ったり、忙しいです。そしてアジアの星一番の頭の方の隣のベッドは、おばさんです。どこにも行かないようで、ずっとベッドで横になっています。それでも、夜は、鼾をかいて寝ていますから、どんな人なんだろう? 出来れば関わりたくないなー、と思っていました。このおばさん、ドアを開けっ放しにすると、「閉めろ!」と怒ります。従って、他の皆さん、気を使って静かにしています。それはそれで、とても有難いですね。そのおばさんと、朝食が一緒でした。ここがキッチンです。「日本はテクノロジーが進んでいる。」、とパンを食べながらポツリと言いました。どうも、アジアの星一番が、日本人であることを知っているようです。「いや、今や、中国でしょう?」、と言うと、「中国の技術は駄目だ。それに共産主義だろ。」、とどうも中国嫌いのようです。共産党が支配していた時代、深刻な物不足で、国民の生活は圧迫され、秘密警察が置かれて、恐怖政治も行ったので、その思いが、このおばさんにもあるのだろうと推測されます。「国民の館」を、作ったチャウシェスク第一書記夫妻は、革命で処刑され、その後、民主化が進んだのですね。この、おばさんには、二人の息子さんが居て、ポルトガルで働いていると事。半年後からは、ポルトガルに行って住むのだ、と言っていました。この変わったおばさんですが、日本贔屓です。有難い事ですね。贔屓でなくても良いですから、正当に評価して見てくれたら有難いです。日本人は、決して残虐非道な人間でなく、親切で優しく、争いを好まないのですから。日本政府は、中国や韓国に比べると、世界への説明や、アピールが不足と言われていますが、親切で優しい日本人を見て、このように思ってくれる人が世界にいるのだな、と、少し安心しました。本日は、朝から、ずっと宿に籠っています。他の皆さんもほとんど談話室でラップトップと睨めっこですね。アジアの星一番は、キッチンのここを、定席にしています。朝の混雑する時を除けば、あんまり人も来ないし、談話室よりも落ち着いて居られます。静養のお陰か、体調も良くなり、血圧も正常です。時間があるので、百度の土豆で、「半沢直樹」の8話、9話を見ました。あと、最終回が、残っているだけです。今夜、見てしまうかなー?追記半沢直樹、最終回まで、全部見ました。まぁ良かったですが、最後がちょっと想像と違ったので、なんだ・・・、って思いはありました。それから、常務に土下座させる場面も、かなり不自然だなー、と見ていました。しかし、これだけ、視聴率を取るドラマもないですから、続きも作るのでしょうね。
2013.10.02
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2013年9月30日(月)昨日の朝、夜行列車で、ブカレストへ着いてから、ずっと雨です。天気予報によれば、明日も雨、明後日も雨。その翌日に、ようやく雨は上がりそうですが、もうソフィアへ移動しています。例の、日本を庇ってくれたカナダに住む中国人は、2泊したが、どこにも行かず、明日、チェックアウトして移動するそうです。全く出かけないのも、面白くないので、「国民の館」とか言う、どでかい建物を見に行く事にしました。雨だけでなく、風もあります。風速8m。傘をきっちり持っていないと、吹き飛ばされそうです。ここは、まだ宿の近く。ブカレストのメインストリートである、マゲル通りの、1本、西側のヴィクトリア通りを南に向かいます。風格のある建物がありました。雨と風なので、ガイドブックも開けられず、何の建物か分かりません。その隣の建物も、大きいですね。革命広場かも知れません。これは、何でしょう? 写真を撮るだけで、何か分かりません。この頃、靴もズボンの裾も濡れてしまっています。これは、軍事博物館のように見えますが、どうも違う場所だったような・・・?軍事関係に間違いはないようですが・・・。全く分からなくて、すみません。もう雨の中、30分以上歩きました。川を渡って、右へ曲がるはずなのですが、まだ、川が出て来ません。ようやく、川がありました。もういい加減、歩くのが嫌になりましたが、まだまだ歩きます。40分歩いた頃、ようやく見えて来ました。「国民の館」ですこの建物は、チャウシェスク大統領が、1500億円もかけて造らせたと言う巨大な建物で、未完成だそうです。地上8階、地下5階、地下最下部は、核シェルターになっているそうです。そして、部屋数は、なんと3000を超え、3107もあるとの事。入場料25レイ、カメラの使用料30レイを支払って待ちます。あ、尚、ここは予約制のようで、宿の、Umbrella Hostel のおやじさんに電話して貰いました。待っている間、いや、歩いている時から、いや、その前の昼食時も少し吐き気がしていましたから、昼前頃から、体調が良くなかったのですが、待っている間に、目眩がしてきて、このまま見学が出来るのか、危ぶまれました。体調不良に陥りました。原因不明。無理して、もっと悪くなるといけないので、入場料とカメラ代を返して貰って、宿に帰る事にしました。不調ですねー。タクシーを拾おうとしましたが、仲々、掴まりません。結局、帰りも宿まで歩かざるを得ませんでした。雨に打たれて、寒いです。宿に帰って、暑いシャワーを浴びても、体調は戻らず、まだ、午後5時半なので、ベッドに潜り込みました。1時間横になっても、眠れません。寒いです。2時間横になってもまだ寒いです。毛布をもう一枚貰って、ようやく人心地がついた感じです。風邪でも引いたかなー? と額に手を当てても、熱はないようです。そのまま、夕食も食べずに、ベッドに横たわったままです。あの「国民の館」、未完の宮殿ですが、天井、壁、窓枠にいたるまで、金の装飾が施されているそうです。宮殿を支える、大柱は、白、赤、黒、ピンク、ベージュの大理石らしいです、総面積、2200m2の大ホールもあるそうです。因みに、アジアの星一番の実家の敷地が、300坪、990m2ですから、その2倍以上の広さの大ホール。すげぇー! でけぇー!官庁や宮殿の建物では、アメリカの国防省ペンタゴンに次ぐ、世界第2位の規模だそうです。お金をケチった訳でなく、体調不良で見られませんでした。残念です。
2013.10.01
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2013年9月29日(日)ブラショフの街は、たった1時間で見終わってしまいました。まだ汽車の出発には時間があります。それで、残り少ない、今回の旅のスケジュールの検討とファイナライズの作業を行いましたこれから、あんまり見所の多い街はなさそうですが、田舎の方まで行く日程は取れません。それで、マケドニアの唯一の観光地と言われているらしい、オフリド湖へ行く事にしました。これで、よっぽどの事がない限り、全ての予定は決定です。昨日は、シギショアラからの汽車が遅れて、偉い目に遭いましたが、本日のブカレスト行きは、予定通り出発しました。座席です。アジアの星一番の席は、窓際のはずですが、おばさんが二人、向かい合わせに座っています。それでチケットを見せたら、通路側に座れ、と言われてしまいました。気の弱いアジアの星一番は、力なく頷いてそこに座りました。こんな時は、「ガンバレ! ニッポン!」の必要はないですよね?仲々、りっぱな座席で、通路はさんだ反対側は、一人席です。もし、空いていたら、そちらに移ろうと、狙っていました。すると。窓際のアジアの星一番の対面に座っていたおばさんと、全く関係ない所に居たおばさんが、知り合いらしく、一人席に移って、話を始めました。くっそ、先を越された。残念だなー、ですよね。それから、車掌がチケットの確認に来たので、チケットを見せて、「あっしは、窓際の席だろう?」 と手真似で言った所、前の車両を指さし、「あっち」、と言います。なんじゃ? おかしいなー? と思いつつ、車両を移りました。ここが2等車の座席。おばさん達が座っていたのは、1等車だったのですね。アジアの星一番は、当然2等車です。通路側でも残念ではなかったのです。あのまま、座って行ければですが。1号車の46番だったのですが、46番が沢山あるので、分かり難いです。まぁ、2等車は、隣に女子高校生が座り、ゲームやったり、座席を揺すったり落ち着きがないですが、別に座席自体は悪くはなかったです。外の景色です。シナイアの駅を過ぎた頃、居眠りからも醒め、外を眺めました。今まで見て来た景色と違います。黄葉も始まっています。何が違うのか? もっと北の方は、概ね白樺と松でしたね?ここは、広葉樹もあるようで、黄葉が見られます。それが違いますね。(写真では、黄葉は見難いです。)予定より、15分ほど遅れて、17時25分に、ブカレスト駅に着きました。小雨が降っています。タクシーに乗ろうかどうか、迷いましたが、やはり、歩きました。1Kmと聞いていたので、15分ほどで着くと思ってあるいたのですが、初めての道且つ、小雨。それで、行ったり来たりもしたので、30分以上も掛かってしましました。宿に着いたのは、18時35分でした。買物にも行けないし、近くに安レストランもなさそうだし、雨も降っているので、持ち歩いている、スパゲッティで、夕食としました。キッチンです。ここには、電子コンロがあるので、自炊出来ます。夜、談話室でネットをしていたら、ルーマニア人の従業員がテレビを点けました。そしたら、中国では毎夜、どこかのチャンネルで、やっている極悪非道の日本人が、中国人を殺しまくる映画をやっていました。どうして、こんな映画が、ルーマニアに来ているのでしょう?中国政府が、輸出しているのでしょうか? 中国国内だけでなく、他の国へ持ち出してまで、反日運動をやっているのでしょうか?ならば、にっくき中国です。ルーマニア人、「日本人は、残虐だなー!などと言いながら見ています。全く嫌な気持ちで、見て見ぬふりをしていました。そしたら、隣に座ったのが中国人です。キッチンで会ったので、中国語で挨拶だけはした人でした。彼が、テレビを見ている人達に、この映画は本当のことではない。中国のプロパガンダだと言ってくれました。彼は、カナダに住む中国人で、国際感覚を持っています。全うな意見を持って、談話室にいた皆さんに、説明していました。日本人は、真面目で、親切で、映画のような人たちではない。この映画は映画であって、事実ではない。嘘だ、と。このような中国人ばかりならば、中国と日本も仲良くなれるのでしょう。しかし、彼も言っていましたが、多くの中国人は、外のニュースを知らない。無知な国民が多い。彼等は、政府の情報を信じるであろうと。分かっている人も、中国人の中には、居るのですね。
2013.09.30
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2013年9月29日(日)ブラショフに来てから、1日はブラン城へ行き、1日はシギショアラへ行ったので、3泊もしているのに、ブラショフの街を歩いていません。それで、本日は、ルーマニアの首都ブカレストへ移動ですが、午後2時過ぎの汽車のチケットを買って、午前中は、街の観光に当てました。勿論、ここの優しい受付の女性は、チェックアウト後も、キッチンにいつまで居ても良いですよ、と笑顔で言ってくれました。嬉しいですね。優しい言葉は。朝の9時10分に宿を出発しました。宿の前の道路は、このように、歩行者天国と言うのか、道路にお店がありまして、街の中心の道路のようです。日曜日だからか、まだほとんど、誰も歩いていません。寒そうですが、実際に寒いです。吐く息も白くなり、手も冷たいですから、温度は、10度以下でしょうね。この看板が眼につきました。たぶん、ヴラド・ツェペシュではないかと思います。ネットで調べて見ました。やっぱり、ドラキュラのモデル、ヴラド3世です。この街は、ドラキュラで、収益を上げていますね。きっとそうです。宿の前の道路を歩いて行きますと、スファトゥルイ広場に出ます。旧市庁舎、今は、歴史博物館が、広場の中央に建っていますが、現在は、塗装中か、修理中か、カバーが掛けられています。スファトゥルイ広場、旧市庁舎の左側です。噴水もあります。広いですね、この広場。黒の教会にやって来ました。高さが65mあるそうで、街では目立ちます。14世紀から15世紀にかけて、80年もの長い期間をかけて建設されたそうです。1689年の、ハブスブルグ軍の攻撃で、外壁が黒焦げになったので、この名称になったとの事。別の角度からの、黒の教会です。本日は、日曜日、信者の方々が、集まり始めております。どんどん歩いて、スケイ門にやって来ました。この門は、スケイ地区と隔てられた門だそうです。ドイツ人移民によって、ブラショフは開発されたようですが、先住ルーマニア人は、このソケイ地区に移住させられ、スケイ門によって、中心街と隔てられたそうです。ルーマニア人は、特別の許可がないと、このソケイ門から中へ入れなかったとの事です。ドイツ人は、ずいぶん古くから、東欧へ進出していたのですね。ポーランドとか、バルト3国もそうですから。そのソケイ地区にある、聖ニコラエ教会です。ルーマニア正教の教会です。この他、美術館、博物館、民族博物館とか、ありますが、それらを除くと、ブラショフの見所は以上です。簡単ですね。ほぼ1時間で見終わりました。簡単すぎるので、横道も歩いて見ました。落書きとか書いてあります。それから、トゥンバ自然公園が、標高865mのトゥンバ山にあり、ロープウェイでも登れるのですが、時間もないので、止めました。トゥンバ自然公園を歩き、美術館でも見れば、1日は必要だと思います。簡単に見ようと思えば、1時間で見終わります。
2013.09.29
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2013年9月28日(土)本日は、遠出します。汽車で、2時間半から3時間半程度の所に、世界遺産の街があるのです。シギショアラと言う街です。ルーマニアには、7つの世界遺産がありますが、ブラショフから日帰りで行って来られるのが、一つあるので行かない手はありません。昨夜、キッチンで、日本人的なおばさんに声をかけられました。中国人だと言うので、得意の中国語で少し話しましたが、「明日はどこへ行く?」と聞かれたので、「シギショアラへ行く。」、と答えました。そしたら、何と、一緒に行きたい、と言い出します。孤独が好きなアジアの星一番ですが、誘われたら、断れない気弱な面があります。以前からそうです。それで、結局、一緒に行く事になりました。アジアの星一番は、7時45分に出発しましょう、と言いましたが、汽車の出発時間が、8時40分と言うと、7時半に出発しましょうと言います。「早過ぎるよなー、駅で待たねばならないぞ。」、と思いますが、気の弱いアジアの星一番は、「はい、分かりました。」と答えてしまいます。翌日、本日ですが、案の定、8時前には、駅に着いてしまいました。40分以上待たねばなりません。しかも寒いのに。だから、孤独の方が良いのですよね。汽車は、予定通り、8時40分に出発しました。アジアの星一番の座席が、一番後ろの車両だったので、後ろの景色を見る事が出来ます。今朝は曇って雨模様だったのですが、良い天気になりました。こんな青い空は久しぶりではないでしょうか?青い空、白い雲、緑の草原に、羊の群れ、良い景色ですねー!11時15分、ほぼ2時間半で着きました。この列車は速い列車です。お値段も少し高いですが、鈍行は、3時間半かかります。早速、道を聞きながら、シギショアラの町へ向かいます。南の方向へ歩いて行くと、川がありました。橋を渡って振り向くと、美しい教会が建っています。正教会です。5分も歩かないだろうと言う近い感覚で、着きました。ここは、博物館ですね。裏手から入ってしまいました。これが、シギショアラ中心の時計塔です。12時7分位前です。観光客が立ち止まって見上げていますので、12時になったら、何かありそうです。それで、時計塔の前を散歩します。このレストランですね。ドラキュラのモデルが住んでいたと言う家。説明書きもありました。1431年から1435年まで、ヴラド・ツェペシュが住んでいたと、そのような事が書いてあるようです。さて、12時になります。時計塔に戻りました。何があるのでしょう?何にもありません。一番下の向かって右側の人形が鐘を叩くだけです。大した事ないですが、皆さん見ていました。そして、山上教会へ向かいます。ここは丘の上ですが、さらに上に行きます。この屋根付き階段を登って行くのが、面白いですね。屋根は冬場に礼拝や通学のために丘に登る人々のことを考慮して付けられたものだと言われております。これが、山上教会です。教会の裏手は、お墓です。日本のお墓と変わりませんね。何となく、陰気くさいのは、お墓のイメージがあるからでしょうか。山上教会から、街が見えます。中世の雰囲気を残す世界遺産と言うので、観光客が歩かない通路も行って見ました。雰囲気はありますね。ですが、とても小さい街なので、すぐに通り抜けてしまします。この街並みの景色、旧東欧以外でも見たなー? とあちこちの街を思い起こしてみましたが、中米ニカラグアのグラナダですね。似た雰囲気を持っています。一応、見終わったので、下へ降りて来ました。下の町から見る時計塔です。世界遺産ですが、小さな街で駅からも近いので、3時間あれば十分であろうと思っていましたが、2時間で十分でした。しかし、汽車がないので、3時間後に帰らねばなりません。1時間まったら、電車がさらに1時間遅れて来たので、2時間も待ちました。汽車の時間は意外と正確だと誰かに聞いたような気がしますが、そうでもないですね。駅の戻り、ここで、1時間以上待ちました。追記中国人だと言っていたおばさんですが、途中色々と話をしたら、実はシンガポール人でした。ですが、ご主人が中国で仕事をしているので、一緒に中国に居るようです。昆明に2年、煙台2年、後は忘れましたが、合計8年間、中国滞在で、今は、上海にいます。今回の旅は、4ヶ月で、イギリス、アイルランドが2カ月、東欧が2カ月。ご主人のいる女性の一人旅ですから、何とも優雅ですね。中国人だと、ビザの取得が大変なはずなのに、どのように一人旅しているのか興味がありましたが、シンガポール人と判明して、ビザの件は分かりました。明日の夜行で、ルーマニアの北の方へ行くそうです。夕食も誘われましたが、アジアの星一番には、ブログを書かねばならない、毎日の仕事がありますので、丁重にお断りしました。すみませんです。あ、それから、おばさんは、図々しいです。コートを買いたいのだが、もし荷物が多くなかったら、中国へ持って行ってくれないか? って言うのです。バックパッカーは荷物を最小限にして、歩いています。持てる訳ないでしょう? これには、如何に従順で素直なアジアの星一番も、お断りしました。
2013.09.28
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2013年9月27日(金)快適な夜行寝台列車は、予定より、わずか5分ですが、遅れてブラショフの鉄道駅に着きました。時間はかなり正確ですね。昨日、おかしいなー、と、あのお母さんと話した事があります。子連れのお母さんは、ブラショフの一つ手前で降ります。その時間が7時38分かその頃です。アジアの星一番のチケットのブラショフ到着時刻は、9時12分です。お母さん、言うのですね。そんなに時間はかからない、と。一駅だから、私が降りてから、30分程度で、ブラショワに着くはずだ、と。駅が近づいて分かりました。ハンガリーと、ルーマニアは、1時間の時差があるのです。お母さんの時刻はハンガリー時刻で書いてありました。アジアの星一番のは、ルーマニア時間だったのです。そんな書き方をするのもおかしいとは、思いましたが、その時間差の意味は分かりました。鉄道駅です。そうそう、忘れる所でしたが、この列車で、パスポートに出国と入国のスタンプが押されました。フィンランドに入国してから初めてです。何故ならば、今まで廻った国は、「シェンゲン協定」の、加盟国だからです。あれ? おかしいぞ? 以前調べた時は、ルーマニアも、ブルガリアも加盟していたはずなのですが? 分かりませんな。スタンプは間違いなく押されました。駅近辺は、両替のレートが悪いと身に染みていますので、10ユーロだけ両替しました。そして、宿は遠いので、バスに乗ろうと思いましたが、いや、アジアの星一番は、バックパッカー。高級と名は付くがバックパッカーである。歩かねばなるまい、と歩き出しました。途中、あれ? ANAがあるぞ? と顔をあげます。異国で、自国の会社を見るのは、嬉しいものです。しかし、違いましたな。全く違いました。木の葉もこんなに色づいています。ここも、もう秋なのですね。50分歩きましたが、宿に着きました。宿に着いて見ますと、チェックインには時間が早すぎました。元々、荷物を置いて、すぐ出かける予定であったので、荷物を預かって貰って出かけます。両替屋を覗いて見ると、1ユーロ=4.42です。駅前は、4.3でした。少しだけの差ですね。ブダペストは、20%以上もの、手数料、暴利をむさぼる悪質両替屋が駅近辺に沢山ありましたが、ブラショフは、常識範囲内です。あの吸血鬼、ドラキュラのモデルと言われる、ブラン城へ出かけます。まずブランまで行くバス停へ行かねばなりません。バスを乗り換えます。宿から歩いて7分市内バスでバス停まで、15分バス停から、45分。待ち時間なしでも、1時間以上はかかります。バス停までの時刻表を見に行くと、今11時なのに、11時45分まで、バスがありません。少ないですね。本数が。それで、腹ごしらえです。本日も、ケバブです。ケバブは、栄養バランスが良いので、そして手頃だし、良いですね。野菜がたっぷり入っています。これで、12レイ(360円)です。ボリュームたっぷりですから、割安感があります。予定通り、オウトガラ・ドイと言うバス停で、バスを乗り換え、12時45分にブランへ着きました。お土産屋の前を通らないと入口へ行けません。ドラキュラが住むような、家がありました。実は、ここにドラキュラにいるのです。今は昼ですから出て来ませんが、夜になると、出て来るのですねー。嘘ですよ。こんな道を登って行きます。これが、ブラン城です。入場料は、25レイ(740円)です。4~5年前は、12レイだったらしいですから、2倍以上に値上がりしています。おまけに、以前は、野外村落博物館も、この入場料に含まれていましたが、今は、別途7レイ取ります。値上がりしてます。ここは、トイレへ行く階段です。何か出そうな雰囲気です。昔の写真(絵?)がありましたので、撮りました。こんなだったのですね。マリー王女の寝室です。この階段にドラキュラが潜んでいるのですぞ。 怖いですね~!嘘ですが、本当に潜んでいそうな階段です。このお城は、階段は凄く狭いですね。やっと一人が通れる位です。これは、居間です。階段に比べると、こう言う所は、広々としています。窓からは、街が見えます。とんがり帽子の建物のこちら側は、中庭になっております。夜になると、ドラキュラが座る場所です。ここで、生き血を吸う人間を待つのです。嘘です。何故、ここが、ドラキュラのモデルの城かと言いますと、この城の主の孫がドラキュラのモデルなのです。ワラキア公ヴラド一世が最初の城主です。そして、孫のワラキア公ヴラド3世が残忍な男で、裏切り者や、オスマン朝の兵士を見せしめの為に、串刺しにして処刑するなど、あらゆる拷問を考えて実行したと言う事です。別名ヴラド・ツェペシュの、ツェペシュは、ルーマニア語で、串刺しの意味だそうです。そして、ドラキュラはルーマニア語で悪魔(ドラクル)と言う意味だそうです。と言う事で、モデルの意味も分かったので帰ります。又、ずいぶんとバスの時間待ちをして、ブラショフの町に帰って来ました。バスに乗っている時間は、15分+45分で、丁度1時間ですが、バスの本数が少なく、待ち時間が必要ですから、行く方は、さらに45分ほど、余裕を見た方が良いと思います。ここが、宿の入口です。受付です。そして受付の女性です。美しいかたでしょう?あの忘れもしない、ブダペストのバカ女受付とは、全く違います。普通は、このように、微笑んで親切な女性受付が多いですが・・・。キッチン兼食堂です。机が4つもあって広そうですが、一人が一つ使うと、4人しか使えません。長机の方が、多くの人が使えますね。部屋です。下段を希望していましたが、他の人が使ってしまったので、受付の女性がグレードアップしてくれて、シャワー、トイレ付のドミにしてくれました。有難や、有難や。ほんまに有難う。天使様に会ったら、天国に行けるよう、頼んでおきますからね。これからも、お客さんが、気分良く泊まれるよう、頑張って下さい。
2013.09.28
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2013年9月26日(木)昨夜は、体調も良いし、ハンガリーのお金、フォリントも余っているし、ウィスキーを買って来て、最近野菜不足でもあるので、生野菜も買って来ました。お湯割りで、一杯飲みながら、半沢直樹 第6話を見ました。やっぱり、面白いですね。人気があるはずです。同時に同じく中国でダウンロードしたリーガル・ハイも見ました。これも面白いですが、同じ役者・堺雅人が演じていても、やはり半沢直樹に軍配は上がると、アジアの星一番は思います。7話以降が楽しみです。旅の途中で最終回まで、見たいと思っています。中国ソフト、「土豆」 ありがとう! と言いたい。さて、本日は、夜行列車で、ルーマニアへ移動します。このElizabeth Bridge Hostel の、受付のバカ女、最初の1日、談話室で爆睡した後、意地悪く、窓を全て全開にして、帰って行きました。寒いですよ。ったく。あの女は、絶対に長生きしませんね。あれは、天国へも行けません。そして、昨日の担当は男性。年齢不詳ですが、あのバカ女とは、全く態度が違います。これが、同じホステル? と言った感じです。温泉の情報も正しく教えてくれました。とにかく親切です。そして、本日の女性。見た目は太めでよろしくはありませんが、笑顔で対応。やはり、あのバカ女と比べたら雲泥の差です。この3人にて交代で、受付を行っているようですが、オーナーも教育などしないのでしょうね。あのバカ女に、10時にチェックアウトしたら、すぐに出て行け、と言われて揉めました。昨夜、男性に同じことを言ったら、オーナーが居なければ、何時でも構わないが、午後2時以降は、バッグの預り料を貰う規則になっている。だから2時以降は難しいとの答えです。その規則は、廊下に貼ってありました。あのバカ女、それをきちんと説明してくれれば良かったのです。そして、本日の太めの女性、男性と同じような答えです。午後2時には、出るようにして欲しい、と言いましたが、必ずしも、ぴったり2時でなくても見逃すような言い方でした。あのバカ女とは違います。それで、彼女が、オーナーに怒られないよう、午後2時20分には、宿を出発しました。汽車は、16時40分ですから、かなり駅で待たねばなりませんが、仕方ありませんね。重いバック背負い、夜行列車で食べる、夕食、朝食などの重い食料も持って、駅まで歩きます。バスもありますが、時間がありますから、歩きます。貧乏旅人は、時間を使っても、お金は使いません。14時55分、35分歩いて、東駅に着きました。これが正面です。しかし、幸運なのか、駅に着く直前に雨が降り出しました。もし、宿でもっとゆっくりしていたなら、雨に降られて大変な所でした。全く、駅に着くのを、確認して、雨を降らせたようだったのであります。天に感謝しましょう。1時間ほど待って、電光掲示板に、プラットホームが、4番線と出ました。16時です。4番線で待とうと、そちらへ行くと、もう列車は止まって待っています。すぐに乗り込めます。これが通路です。コンパートメントです。6人用寝台部屋ですね。これを見たら、広いと思うでしょう? でも、そうでもないのです。アジアの星一番は、下段を希望しましたが、全て売り切れと言う事で、中段を買いました。この写真の梯子みたいに写っているのが上段で、その下の茶色の板のようなのが、中段です。ここに6人で寝るには、ドミよりもっと厳しいです。これでも、62ユーロです。部屋に荷物を置いて、トイレに行って帰ると、二人の子連れお母さんが座っていました。6歳と3歳の子供を連れています。フィンランドに住んでいるが、親の家が、ブラショフで里帰りだそうです。3人のベッドのチケットを買っているのか? と聞くと、下の3歳は自分と一緒に寝ると言っていました。ここが満室だと大変だねー、と話が合います。それに、荷物を置く場所が、全くないのですね。お母さんは、アジアの星一番より、もっと大きいバックパックを持っています。次に、年齢は不詳の女性が入って来ました。30歳前後かなー?さらに、中年の男性二人がやって来て、そろそろ出発の時間になります。参ったねー、満席だねー、とお母さんと顔を見合わせて、ガッカリしていたのです。定刻の午後4時40分、汽車は出発しました。汽車に揺られていたら、眠くなって、居眠りです。わずか10分位、寝たでしょうか? 起きて見ると、お母さんと子供が居ません。荷物もありません。女性に聞くと、別のコンパートメントに移ったと言います。そう言えば、満室だったら、車掌に少しお金を掴ませ、他へ移るとかな? と言っていましたな。その手を使ったのでしょうか?それから、中年男性二人と女性が談笑しています。何語なのか、さっぱり分かりません。車掌が来てチケットをチェックして行きます。その時、中年男性がしきりに、車掌に話しかけていました。それから暫くすると、中年男性二人は、荷物を持って出て行きました。あれー? どうしたの? と女性に聞くと、別のコンパートメントに移動した、と言います。「え? すると、ここには、貴女と私、二人?」 と聞くと、にっこり笑って、「そう。」と、答えました。にっこり笑ってですよ。そう、と答えたのは。そうか、そうですか、と窓の外を眺めます。小さな湖がありました。沼と言った方が良いですね。広い緑が見えます。しかし、このコンパートメント、このように、入口にドアがあり、鍵もかかるのです。カーテンもあります。完全な密室になるのですよ。そして、夕方、7時を過ぎた頃、車掌が、寝具を2セット持って来ました。そして、「下段に寝て良いよ。」、と言います。「どうして?」、下段は、満席だったはずじゃーないの? さらに、下段の隣は、妙齢な女性です。隙間はありますが、ダブルベッドに寝ているような気分じゃーないですか?困りましたなー。男女混合ドミに慣れているとは言え、一部屋に女性と二人だけと言うのは、滅多にないですぞ。パタゴニア地方の、エル・カラファテの、宿では、韓国女性と二人で、何泊か一緒に寝ましたが、それ以来でしょうか?まぁね、夜行寝台の旅も、悪くはないですな。午後10時、「もう寝ましょうか?」、と言うので、ベッドを作りました。こんな感じです。手を延ばせば届きますなー。仲々、良いでしょう? 2等車とは思えません。1等車を超えて、特等車と言ってもいいでしょう。え? 眠れたかって? そりゃー、勿論、ぐっすり8時間寝ました。彼女が洗面に行っている間、ベッドを椅子に戻しました。10因みに、アジアの星一番が寝るはずだった中段のベッドを倒して見ました。座ると、頭がぶつかりますぞ。ここに、6人で寝るのと、妙齢の女性と二人で寝るのは、どちらが良いでしょうか?答えは決まっていますね。しかし、それは、アジアの星一番と、妙齢の女性の答えが同じではありません。(推定するに)妙齢の女性は、若くてハンサムな男性が好きなはずですから。そう考えると、そこの所が、少し、残念と言えば、残念です。人間、産まれながらに、不公平を背負っても、健気に生きている者もいるのです。
2013.09.27
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2013年9月25日(水)もうブダペストは、ペスト側も、ブダ側も廻りました。もうちょっと足を延ばせば見る物をありますが、もうゆったりしたい、と考えます。毎週、日曜日発行の連続小説も、旅に出てから、発行したりしなかったりで、よろしくありません。数回分、書き貯めておきたいです。さらに、ズボンの洗濯もしてないので、これを機会に洗っておきたい。それで、本日は、温泉に行くだけで、後は、宿で書物と洗濯です。昼前に、宿を出発しました。まずは腹ごしらえ。ケバブです。ブダペストにもケバブ屋さんは、多いですね。これです。この奥の方まで、ケバブが入っていますので、食べ甲斐があります。これで、600Ft(280円)ですから、安いかも。あの王宮で食べた、ハンバリー伝統の丸いパンケーキのような奴より、ずっと栄養もあるでしょう。入っているのは鶏肉と野菜ですね。ケバブは、中東の料理ですから、豚肉がないのは当たり前です。そう言えば、中華屋さんにも、豚肉がなかったです。ブダペストも、モスリムだったですか? おかしいなー?又、エルジェーベト橋を渡ります。ゲッレールトに丘へ行った時と同じです。ゲッレールトの丘が見えますね? そして、シュロを持った女神像も見えますね? その下の方の、黄色っぽい建物の横の、赤い屋根がルダシュ温泉です。前回、来た時は、全く知りませんでした。あそこに見えるのは、ゲッレールトの像です。これですね。ゲッレールトとは、ハンガリーの初代国王によって、イタリアから招かれた、伝道師です。ハンガリーでキリスト教を広めた立役者だそうです。しかし、異教徒により、この丘の上から突き落とされて殉教し、この丘の名前に、ゲッレールトと名付けられたと言う事です。このすぐ下が、ルダシュ温泉ですね。入口です。受付です。美しいお姉さんが、にっこりとチケットをくれます。ですが、3000Ft(約1450円)と、入場料は高額です。宿の1泊より高いです。今の宿は、1泊2000Ft(900円強)ですから。ここが、温泉の脱衣所の入口です。脱衣所の奥が、温泉になっていますが、ここからは、撮影禁止です。受付で渡されたキーが、電子キーになっていて、入場も、着替所の番号も入っています。入口に、フンドシのような、前掛けのようなものが置いてありました。気が付かずに、脱衣所に入ってしまい、係の人にフンドシを持って来て貰いました。ドジですなー。撮影禁止ですが、個人のだから、よろしいでしょう。ちょっと、腹が出ていますなー。これは、前掛け見たいな一枚の布に紐が付いているので、後ろは丸見えです。フンドシとは違いますね。とても雰囲気の良い、温泉です。天井には、七色の電気がついています。内部は、撮影禁止なので、見せられないので残念です。と思って、yahoo画像を探しましたら、ありました。こんな感じです。温泉が流れ落ちる所辺りは、硫黄の匂いがします。温度はぬるめです。ですから、長い事入っていたくなります。サウナも、スチームサウナもあります。この温泉の4隅に、湯船が4つあります。そして、温度がそれぞれ異なります。サウナも楽しみ、温泉も楽しみ、気分は上々。3000Ftで、1日中居られるそうですが、そんなに温泉に浸かっていられません。出て来てから、聞いたのですが、寝そべって休む所や、温泉から売店の方へ出て来られる通路などもあって、ゆっくり出来るようになっているようです。知らないもんね、そんな事。始めに教えてよ。売店に、ハンガリーのお酒、UNICUM(ウニクム)が売っていました。12アルコール度数は、40度強位。以前、海外出張で来た時は、会食も多く、ハンガリー人に接待もして貰いましたが、その時に、食事が終わってから、これを飲むのだ、と出されました。(確か)ウニクムとは、ユニークと言う意味だそうです。因みに、このルダシュ温泉、男女別に入浴日が決められています。月曜、水曜、木曜、金曜は、男性のみ火曜、は女性のみ。土曜、日曜は、男女混浴男女混浴の時は、フンドシ(前掛け)ではなく、水着でなければならない、と聞きましたが、実際に、行ってないので、定かでありません。男性は、フンドシ(前掛け)ですが、女性は、エプロンのようなものを付けて入るようです。ですから、女性も後ろは、完全オープンですな。ふふふ、色っぽいじゃろーなー。
2013.09.25
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2013年9月24日(火)8月24日に重慶を出発しました。本日は、9月24日。従いまして、今回の旅に出て、丸1ヶ月が経過致しました。重慶からの直行便が降り立った、ヘルシンキも、北欧らしく美しい街で、良かったです。市場で食べた魚も美味しかったです。そして、未知の国、バルト3国。この名前に惹かれていたのですね。それで、「バルト海沿岸各国巡り」を、計画した次第です。しかし、それは、何度もここで、説明していますが、断念し、北欧の旅に縮小。日本に戻り、重慶に帰りましたが、バルト海、ここへ行きたいと募る気持ちを抑えきれず、「バルト3国から東欧南下の旅」に出たのでありました。その1ヶ国目、エストニア、タリンです。ここが、気に入りましたねー! イエメンのサナアを思い起こさせる、街並み。大きくもなく、小さすぎず、狭いながら、見所も豊富。宿の受付のお嬢さんも、ちょっとデブながら、とても親切。バルト3国、ええなー! と幸せ感に包まれた次第です。ラトヴィア、リストニアも、それぞれ、見所もあり、世界遺産の街を堪能。ここまでは、数時間で移動できる、いわゆる、狭い国、地域でありました。ポーランドへは、夜行バスです。それだけ、ポーランドは、広く、大きいと言う事ですね。確かに、ワルシャワに着いた時は、今までとは違う、と思わされました。チェコのプラハも、良かったです。この辺りになって来ると、訪ねた街も多いので、写真やメモを見ないと、どの光景が、どの街か、あやふやになって来てしまいます。まぁ、でも、プラハは、忘れません。管楽コンサートも、良かったです。ちょっとがっかりだったのが、スロヴァキアのブラチスラヴァ。もう少し情報を仕入れていけば、あぁ、こんなもんだな、と思ったのでしょうが、今までの街を見て、期待もあったのでしょう。あまりに小さい首都に気落ちした次第です。でも、悪くはないですよ。期待があったので、それが、小さくなったと言う意味です。そして、今いる、ブダペスト。実は、ここはもう既に来ているので、1泊程度で素早く移動しようと考えていたのです。しかしながら、この後の行先を考えると、何日も泊まって見るような所がなさそうなのですね。それで、5泊も滞在する事にしたのであります。今日は、何もせず、時間もあるので、今回、訪ねた国、街の人口を調べて見ました。下記の通りです。1位 : 335万人 ワルシャワ 「ポーランド」 3800万人2位 : 174万人 ブダペスト 「ハンガリー」 999万人3位 : 120万人 プラハ 「チェコ」 1037万人4位 : 75万人 クラクフ 「ポーランド」 5位 : 70万人 リーガ 「リトアニア」 325万人6位 : 60万人 ヘルシンキ 「フィンランド」 533万人7位 : 56万人 ヴィリニュス 「リトアニア」 325万人8位 : 45万人 ブラチスラヴァ 「スロヴァキア」 545万人9位 : 42万人 タリン 「エストニア」 134万人 13万人 シャウレイ 10万人 タルトゥこの人口は、ネットで調べた範囲であり正確であるかどうかは、分かりません。ですが、傾向は表していると思います。ワルシャワ、大きい街だなー!チェコ、今まで訪ねた町では、一番大きいのではないか?ブダペスト さすが、ハンガリー王国を誇った街、大きい。街に降り、感じたことですが、人口から見ても、その感じを裏付けています。バルト3国は、国自体が小さいですから、街も小さいでしょう。国の人口からみても、ポーランドが圧倒的に多く、次に、ハンガリーとチェコですね。バルト3国は、国と言えるのかと言うほど、少ないです。そんなこんなで、1カ月が過ぎ、残りは半分ありません。折り返しをターンしました。持病薬も、ワルシャワで手渡しで、受領し、不足の心配もありません。後半は、見所の少ない国、街かも知れませんが、肌で感じて来たいと思っております。さて、兼ねてより、旅の軌跡を地図で示したいと思っておりました。しかしながら、仲々、うまく行かず、先輩、友人に作り方を教えて貰って、ようやく出来たのが下記です。地図部分だけアップしたかったのですが、文字部分も出て来てしまいます。トリミングで、カットしたのですが、元図は残ってしまうのですね。これでは、分かり難いですねー! もう少し何とかしたいものです。さて、本日は、宿を移動しました。泊まっていた、Bazar Hostel の安い部屋が満室だったもので、同じ道路の並びにある、Elizabeth Bridge Hostel と言う、名前を見ると、立派なホステルへ移動です。ここが、入口です。入口を入ると、共同ビルのようで、中庭もありました。ここの3階です。部屋です。2段ベッドではないですね。6人部屋ですが、アジアの星一番は、一番奥の窓際のベッドにしました。隣に寝ていないし、荷物も置きやすいです。キッチンです。ガスコンロも、電子レンジも、冷蔵庫もあります。冷蔵庫には何も入っていないし、ここは、客が少なそうです。そう言えば、チェックインで、受付のおばさんと、ちょっと揉めました。最終日、明後日の、24日ですが、午後4時40分の夜行便です。なのに、10時チェックアウトは譲れない、と言うのです。部屋は出る、だが、共通の部屋で待たせて欲しいと言っても、駄目の一点張り。「キャンセルは出来ないか?」、と問うと、ようやく、チェックアウト後、談話室に居て良い事になりました。通常、バックパッカーの安宿は、夜行で移動する人が多いので、朝早く来ても、チェックインは出来ずとも、食堂や談話室で待たせてくれます。チェックアウト後も滞在も可能だし、荷物も預かってくれます。あんまり、ここは、親切ではなですね。ここが、談話室です。誰も来ないで、一人で使えれば、これほど良い場所はありません。それから、これから廻る地図も作って見ました。分かりますか? 少しでも、イメージが湧けば良いかな、と思います。
2013.09.24
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2013年9月23日(月)ゲッレールトの丘から、王宮へどう行けば良いのか? 丘から見えていましたが、どのように行けば良いか、難しいです。簡単なのは、エルジェーベト橋まで、戻って、ドナウ川の辺を歩くのが、分かり易いです。しかし、遠回りですね。で、地元の人に聞きながら、歩きました。結局。橋の近くまで、戻らねばならなかったです。これが、王宮。しかし、後で、分かりましたが、ここは裏側なんですね。近道をしようとしないで、ドナウ川の辺を歩けば、正面から入って来られたのです。お蔭で、エレベーターに乗らねばならず、200Ftも取られました。王宮の中に来ました。13世紀に建てられたそうですが、数々の戦争で、打撃を受け、特に第1次、第2次世界大戦での被害は大きく、現在のように修復し、完成したのは、1950年代とのことです。王宮から、くさり橋が見えます。この橋が、最初に、ブダとペストを結んだ橋だそうです。このくさり橋が出来るまでは、渡し船で行き来していたそうです。この建物は、何でしょうね? 衛兵が二人守っています。ガイドブックの地図を見ても、これが何も建物か分かりません。でも、衛兵がいるのですから、重要な建物なのでしょう。衛兵の、交代式が行われました。いきなり、始まりました。時間も中途半端でしたねー。二人だけで行いましたが、結果的に、右側の人が左へ、左側の人が右へ、それぞれ移動しただけでした。同じ姿勢でいると疲れるから、歩くための交代かなー? と思いましたです。それとも、アジアの星一番の為に、見せてくれたのかなー?昨日、食べ損なった、丸いパンのような物が売られていました。これから見ると、ハンガリーの古くからの食べ物のようです。KURTOSKALACS クルトシュコラッチと、呼ぶようです。味も、好みにより、バニラ味とか、チョコレート味とか、ココナッツ味とか、選ぶ事が出来ます。ココナッツ味で、頼みました。これで、700Ft(300円位)です。少し甘い感じで、このお店には、ケーキと書いてありましたが、ケーキほど甘くはないですが、パンとケーキとすれば、若干パン寄り味のケーキと言った所でしょうか。これで、昼食と言うには飽きます。昨日食べた、ピザのようなランゴスの方が、アジアの星一番は、好きですね。ドナウ川の反対側(西側)です。高級住宅地のようですよ。マーチャーシュ教会が見えて来ました。ブダペストのランドマークの一つだそうです。歴代の王の戴冠式が行われたので、「戴冠教会」とも言われているそうです。ここも戦争の影響を受け、モスクにもなったものの、オスマン朝撤退後、すぐにカトリックに戻ったとのこと。これが、教会の前に建つ、「三位一体の像」です。これを、バロック様式と言うようですが、中世欧州で猛威を振るったペストの終焉を記念して、18世紀に建てられたとのこと。これが、漁夫の砦です。まぁ、単なる城塞の砦ですが、とんがり帽子のようで、変わっていますよね。この場所を、ドナウ川の漁師組合が守っていたので、この名前が付いたようです。一応、王宮とその近辺は、見終わりましたので、帰ります。下から見た、砦と王宮です。くさり橋が見えて来ました。くさり橋の、入口には、ライオンが、見張っています。くさり橋の上から、ドナウ川を撮りました。クルトシュコラッチでは、昼食に不足、中途半端なので、ピザを買って、腹を満たしました。本日の昼食は、いずれも歩きながらです。これで、本日の観光は完了です。
2013.09.24
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2013年9月23日(月)昨夜の夕食です。宿のすぐ近くにも、中華屋さんがありました。他のお店と同じ方式で、トレイに、種々料理が入っていて、それを選ぶ方式です。どれを選ぶかで、多少の値段が変わってきます。昨夜は、ご飯と、豚肉野菜にしました。量が多くて、嬉しいのですが、満腹になっても食べ切れません。味も良いし、ブダペストでの食事には困りませんねー。毎夜、中華で良いです。本日、23日(月)は、ドナウ川を越えて、ブダ地区へ行きます。エルジェーベト橋です。ブダ側とペスト側を結ぶ、ドナウ川にかかる橋は、全部で9つあります。一つは、鉄道専用ですので、歩いて渡れる橋は、8つです。 その内の一つですね。今日は、風が強くて、橋を渡っていると、吹き飛ばされそうで怖い位でした。勿論、帽子は、脱いでバッグに仕舞い込んで歩きます。欄干にしがみ付きながら、ペスト側の風景を撮りました。続いて、ブダ側の風景です。やっぱり王宮などの建築物があるせいか、ブダ側の方が、歴史を感じさせますね。ブダ側の左手に、何か像が見えます。地図を見ますと、ゲッレールトの丘、と言うのがあります。標高235mの岩山です。ここが登り口のようです。登って見ましょう。少し登りました。エルジェーベト橋も、小さくなって来ます。第2次世界大戦で、ドナウ川にかかる9つの橋は、全て破壊されたそうです。先ほど、渡った、あのエルジェーベト橋も、完璧に破壊されました。破壊される前は、優雅な皇妃にふさわしい装飾的な橋だったようです。ですが、1964年に、今のようなシンプルな橋として再建されたそうです。こう見れば、今の橋でも、充分、美しいですがね。ドナウ川と、エルジェーベト橋と、ペスト側の街をアップで見て下さい。橋の上から見えた像です。シュロの葉を掲げて立っている女神像です。ナチス・ドイツからの解放を記念して、旧ソ連軍が立てましたが、その時は戦いで命を落としたソ連兵の名を刻んだ慰霊碑や兵士像も置かれていました。しかし、ソ連崩壊後、それらは、撤去されたそうです。華奢な大砲も置いてあります。戦車も置いてありますね。これから、丘を降りて、王宮へ行きます。
2013.09.23
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2013年9月22日(日)遊園地や、出店のあった所は、西洋美術館の前の道路の南東でした。さらに少し歩くと、観覧席が設けられた、大きな会場が見えて来ました。ここは、英雄広場でしょう。女性達も、広場に座り込んで、談笑しております。やはり英雄広場ですね。ハンガリー建国1000年祭りの事業の一環として1896年に造られた広場です。目立つ塔は、記念碑で、高さは35mです。大天使を柱頭に、首長とか、歴代国王、芸術家なども、彫像としてあります。この広場に入ったら、入口が閉ざされてしまいました。なんじゃ? 困ったな。外に出られなくなってしまった。と首を傾げていると、馬がやって来ました。どうも、競馬が行われるようです。それで、観覧席が設けられていたのですね。この馬が優勝した馬です。実際のレースで走る馬は、人並みに隠れてわずかしか見えませんでしたが、広場には、大きな画面の映像が二つあり、それで見られました。思わぬ競馬を見られました。さて、競馬が完了して、ようやく入口を開けて貰いました。英雄広場の隣に、西洋美術館があります。古い、「歩き方」を持って来たので、それには入場無料と書いてありましたが、今は、1800Ftも取られます。写真を撮ると、さらに300Ft必要です。止む無く、合計、2100Ft支払いました。1000円位です。これは、思わぬ出費です。エル・グレコご存じスペインの画家ですね。クレタ島の生まれで、ヴェネツィアで修業、トレドで活動した巨匠です。宗教画が、得意だったようですが、このような絵もありましたルーベンスフランドルの画家。バロック絵画の巨匠で、豊富な色彩で、独自の境地を開拓した画家と言われています。これは、人物画です。ヤンセンスフランドルの画家。1598年より、ローマに滞在。ルーベンスが現れるまでは、最も優れた歴史画を描くと、評判であったようです。ブリューゲルフランドルの画家。風景画、農村の風刺画などで知られる。親子で画家です。これは、エルダーと書かれていましたので、父親の絵ですね。ルーベンスの絵がありましたこれも、ルーベンスですPaul de Vos ポールデボスと読むのでしょうか?動物の絵ですが、すごく、緊張した感じで出て、特徴的だったので写真に納めました。ゴヤの絵ですね。これも、ゴヤです。あのマハと似た所はあるでしょうか?ゴヤとは縁があるようで、プラド美術館では、十分に堪能しました。ずっと昔、東京にやって来たゴヤ展も見に行きました。欧州の美術館でも、見ていますね。その他、レンブラント、セザンヌ、ゴーギャン、ルノアール、モネ、シャガール、などなど、そうそうたる巨匠の絵があるとガイドブックにありましたが、足を棒のようになるまで、全館くまなく探しましたが、見当たりません。監視の女性に聞くと、「それは、国立美術館の方だよ。」と言います。おかしなー、国立美術館には、主にハンガリー出身の画家の絵、ここに西洋の画家の絵があるはずなんですが・・・。ないと言うのでは、仕方ありません。帰ります。帰り道は、英雄広場の前の道路、アンドラージ通りを歩きます。と言っても、歩けない程の人、人、人、人、人です。屋台と、このような演奏の舞台、ずらーーーーっと、並んでいます。剣道着のような物を着て、刀を持っているグループもいました。すごいですよ。屋台が途切れることなく、2Kmほど続いたでしょうか。途中、警察の人に何の祭りか聞いて見ましたが、良く分かりませんでした。アントラージ通りの端、ようやく屋台もない場所に来たら、この横断幕がありました。9月16日から22日、即ち本日が最終日で、行われていたようです。これを見ても、何の祭りか意味が分かりませんが。宿に帰って受付の女性にこの写真を見せて聞きました。環境を重要視する祭りで、歩行者天国になっている、と言っていました。そうなのですかね。それにしては、大掛かり過ぎる、お祭りのように思えました。
2013.09.23
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2013年9月22日(日)ブダペストは、以前にも来たし、今日は、夜行列車のチケットを買ったら、後は、ゆったり宿にいよう、と思って出かけました。が、結果は、な、なんと、大散歩になってしまいました。ペスト側をほぼ一周した模様です。2万歩を超えました。疲れた~!泊まっている宿のビルです。右側のビルですが、看板が、どでかくあるので、すぐに分かりますね。宿から、歩いて、東駅に行きました。昨日、ドナウ川へ行こうと思って、間違えて、歩いた道です。ほぼ東駅の直近まで行っていましたね。これが鉄道の東駅です。ここが駅の正面入り口だと思ってはいりました。立派ですからね。しかし、ここが正面ではありません。正面の前の道路、広場が工事中だったのです。まぁ、裏口でも、どこでも入れば良いですが。チケット売り場です。国内のチケット売り場と、国際のチケット売り場は、全然違う場所です。ここは国際線専用のチケット売り場です。今の日本の銀行のように、順番のカードを受け取り、その番号が窓口に表示されます。立って並ぶ必要がありません。良いですねー!しかし、この写真を撮ったら、係員のおばさんに怒られました。「なんで~?」って聞いたら、仕事場だから。と言う返事。その理由では、何故、写真を撮ったらいけないのか、分かりませんな。いやー、チケットを買うのに、良いシステムだし、他の国に紹介しようと思って、写真を撮った、と説明したら、嬉しそうな顔していました。褒められるのは、嬉しいのでしょうね、誰でも。地下鉄は、欧州では、ロンドンに次いで、2番目に出来たと言いますから、ブダペストの人は、鉄道関係に誇りを持っているのかも知れません。9月26日(木)には、ここから、夜行列車に乗って、ルーマニアへ行きます。そうそう、夜行寝台、2等車なのに、高いですよ。62ユーロもしました。宿が、大体、10ユーロ以下で泊まっていますから、6倍ですよ。高いね。駅を出て、「さぁ、どっちへ行くかなー?」、と思って、きょろきょろしながら、歩いていたら、「おじさ~ん!」と、声をかけられました。(たぶん)「おー、可愛い娘やんか、なんかようかい?」、と振り向けば、「アイス買ってー!」、と言われました。なんだぁ、アイスクリーム売りの、お嬢さんでした。そう言えば、今回の旅では、地元の人の顔写真が少ないなー、と思います。アフリカでは結構、撮りましたね。どうしてでしょう?撮る気がしないのかな?まだ、昼にも早いし、このまま宿に帰っても、仕方ないなー? とガイドブックを見ますと、ペストの東でやや北側に、西洋美術館てのを見つけました。欧州の名だたる巨匠の絵があると言うので、そちらへ向かいます。そしたら、賑やかな広場が、道路の反対側にありました。暇だし、元々、好奇心は旺盛なので、行って見ますと、移動遊園地ですな。動物と、直接触れ合うコーナー、と名付けたらよいような場所もありました。馬や、ヤギがいます。すごい人が出ており、屋台も多いです。日曜日なのですが、ちょっと普通の日曜日と違うよなー? それとも、ブダペストは、毎日曜日は、こんな風に、お祭りのようなのかなー? と不思議に思って見て廻りました。女性が並んでいます。何でしょう?ピザのようですが、ランゴスとか呼ぶようです。前に並んだおばさんに聞いて見たら、ハンガリー独特のものだ、と言います。薪で焼いた、焼き立てを取り出しています。これを、切って、売ります。アジアの星一番も並んで買いました。これで、800Ftですから、400円弱ですね。ピザと同じだと思います。パンにハムやベーコン、チーズを乗せて焼いた、そう思います。まぁ、美味しいですよ。歩きながら食べます。こんな屋台もありました。太いソーセージですね。その向こう側は、肉です。舞台まで作って、唄っているグループもいます。普通の日曜日では、ないよなー? 祝日かい?この人々を見て下さい。多過ぎですよ。お祭り状態ですよ。屋台では、こんなのも、焼いて売っています。多くの人が並んで買っていますから、人気商品なのでしょうね。アジアの星一番は、もう、ランゴスを食べましたので、そんなには、食べられません。一度、食べて見たいですね。こちらは、豪快な焼肉です。ジャガイモも焼いています。混ぜ合わせて、これらを売ります。仲々、西洋美術館に辿り着きませんので、続きにします。
2013.09.22
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2013年9月21日(土)腹一杯だ! もう食えねぇ~!何を食べて来たかと言うと、蘭州拉面と、炒面なのです。え? どこでだ? 重慶に帰って来たのか? ですと?違いますなー。なんと、ハンガリーのブダペストなのです。宿のある、ラーコーツィ通りを、夕食前に、ドナウ川まで散歩しようと歩いたら、間違えて、反対方向へ歩いていたのです。そこに、ぽつぽつと、中華屋さんがあったのですねー!それで、蘭州拉面を食べてしまったのです。それで、足りなかったので、別の店で炒面を少しくれと、言ったのに通じず、一人前出されて、勿体ないから、全部食べてしまったのです。それで、もう、腹一杯! もう食べられません! と言う事なのですが、いつもの通り、順を追って記載して行きます。本日は、ドナウ川下りを断念して、バスでの移動です。その前に、昨夜の夕食ですが、昨夜も中華屋さんで食べたのです。やっぱり、洋食よりも、中華の方が良いですね。ホット&サワースープに、チャーハンです。1ユーロ+1.5ユーロですからこの辺りでは、格安食堂です。何故、ドナウ川下りを諦めたか? もう記載しましたよね?毎日、運航していないのです。乗ろうとメールを送った会社は、運航していないと返事が来ました。それで、ブラチスラヴァで、船に乗る為だけに滞在するのも、馬鹿らしいので、バスに変更した次第です。バスは、いつもと同じ、スチューデント・エイジェンシーです。ブラチスラヴァの天気、滞在中、ずっと同じだったのですが、天気雨が降るので、おちおち、ゆっくりしていられません。ザァーッと降る時もあります。そんな時は、雨宿りしていれば良いのですが、ぽつぽつと降る天気雨は、傘をさすのも面倒だし、嫌ですね。バス停へ行く時も、同じようなもので、青空も少し見えているのに、雨がパラつきます。少し濡れて、バス停に辿り着きました。バスは、プラハからやって来たので、若干遅れて出発です。と言っても、11時15分発から、5分ほど、遅れただけですが。途中の景色も沢山撮りましたが、変わり映えしないので、1枚だけアップします。バスは、予定通り、14時にブダペストに着きました。2時間40分で、国境を超えて来たのです。手続きは、全くありません。長距離バス停のすぐそばに地下鉄駅があります。ですから便利です。便利でないのが、お金。両替です。地下鉄の駅員に聞いて両替屋へ行きましたが、両替率は絶対に悪いに決まっています。おまけに本日は土曜日。銀行もやっていません。宿には、ユーロで支払っても良いと、確認を取ってあるので、最低の20ユーロのみ、両替しました。5140フォリントも、貰いました。円よりも、金額の大きい国のお金は少ないと思いますが、ハンガリーもその少ない国の中の一つです。地下鉄です。6駅目で、M2号線に乗り換え、次の駅で降ります。地下鉄があるって便利ですね。宿へ向かうのに、迷う事がありません。宿は、Bazar Hostelと言います。3泊で、22.2ユーロ。1泊当り、7.4ユーロです。予約した、翌日、2泊延泊しようとしましたが、既に、満室で、1泊25ユーロしか残っていませんでした。一瞬で満室ですね。早めに予約して置いて、良かったです。ここは、受付と、食堂、談話室兼用です。広いですが、部屋数も多いので、客の人数も多いはずです。占有して使えるかどうかが、居心地に関係して来ます。トイレとシャワーも、二つづつしかありませんから、ちょっと少ないかも。部屋です。6人部屋です。予約する時に、下段を要求してあったので、奥の下段が残されていました。既に、ベッドは全て埋まっているようです。又、男女混合で、上も隣の上下も女性です。上の人は、ブラを堂々と、干してあります。恥ずかしくないのかなー?ハンガリーは、8~9年ほど前に、仕事で一週間程度、滞在した事があります。仕事も、大した内容でなかったので、早めに終わりにして、後半は観光でした。今だから言えますが、会社の金で、旅していましたね。(内緒ですよ。もう時効でしょうが。)それで、特に観光の予定は組んでいません。ゆったりするだけです。夕方、買物ついでに、ドナウ川でも、眺めに行こうと、歩き始めました。そしたら、こんな看板を見つけました。中国蘭州酒店と書いてあります。こりゃー、蘭州拉面が食べられるぞ! 買物も、ドナウ川も延期して、早速、入って見ました。そして、蘭州拉面、牛肉入りを頼みました。890Ft(フォリント、以後Ftと書く)430円相当です。味は? → ダメですなー。残念ながら、中国で食べる、蘭州拉面と違います。あの、香菜の匂いがないのですね。香菜がなければ、蘭州拉面とは言いません。(アジアの星一番の思っている蘭州拉面は。)それに、麺も美味しくない。残念でしたが、スープは別味ですが美味しかったです。残念だなー、量も少なかったし・・・、と同じ、ラーコーツィ通りを歩いて行きますと、中華屋さんが、結構あります。蘭州拉面は、食べましたが夕食には、物足りなくて、中途半端です。何軒か、中華屋がありましたが、この店に入りました。好きな物を選べます。そして、焼きそばのような、炒面を、半分下さいと注文しました。しかし、こんなに盛って出されました。380Ft(180円位)です。食べ切れない程ですが、勿体ないので、全部平らげました。腹一杯です! と、冒頭の話しに繋がるのであります。追記この通りに、両替屋も沢山ありました。店によって、まちまちです。20ユーロで、幾らになるのか、聞いて歩きました。 20ユーロ → 5140Ft (バス停の近くで、実際に両替したもの) 20ユーロ → 5470Ft (500Ftのコミッション) 20ユーロ → 5700Ft (250Ftのコミッション) 20ユーロ → 5860Ft (コミッションなし) 20ユーロ → 5900Ft (コミッションなし)やはり、損しましたねー! 実際に替えたものと、高値では、760Ft違います。もう少しで、蘭州拉面が食べられます。焼きそばなら、丁度2杯分です。損しましたが、地下鉄に乗らねばならないので、フォリントは必要なのですね。10ユーロにしておけばよかったかなー。
2013.09.21
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2013年9月20日(金)ブラチスラヴァは、スロヴァキアの首都でありますが、見所は限られております。昨日、宿のHostel Mansard に、チェックインする時、教えて貰いましたが、1時間もあれば、廻れると言うのです。それで、ゆっくり朝食を食べて、10時前に出発しました。宿の前の道路です。目の前をトラムが走ります。これって非常に危ないです。何の仕切もないし、音もなく近づいて来ますから。アジアの星一番は、危うく轢かれそうになりました。トラムの車体が、身体に触れたのです。怖いですねー! 気を付けましょう。ほんのちょっと、トラムの線路に沿って、西へ歩くと、ミハエル門が見えて来ます。この旧市街も、元々は城壁に囲まれていたそうで、門もいくつかあったそうです。しかし、現在残っておるのは、これだけだそうです。ミハエル門です。この門から、旧市街へ入って行きます。ミハエル門の真下で、多くの観光客が、下を見ています。何だろうなー?大道芸人が何かやっているのか? と興味津々でありました。観光客の一団が、立ち去った後、見たら、これです。世界の主要都市への方向と、距離が記載されています。勿論、東京もありました。9142キロです。遠くへまで、来たもんですねー!フラヴネー広場に来ました。旧市庁舎があります。この旧市庁舎は、現在、市の歴史博物館として使用されているそうです。その隣には、日の丸がしょぼくれて見えました。風になびいておらず、折れています。何だか、寂しい日の丸ですが、ここが日本大使館なのです。せっかくの日の丸、もっと堂々と、全容を見せていて欲しいです。南へ下り、ドナウ川までやって来ました。ドナウ川と言うと、「美しい川」、とのイメージがあります。しかし、実際の川の水は、そんなにきれいに見えませんね。何故、ドナウ川は、美しい印象があるか?それは、誰でも聴いたことがあるであろう、「美しき青きドナウ」の印象でしょうか。ヨハン・シュトラウス2世の作曲ですね。ワルツの代表的作品と言われておりますし、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のアンコール曲としても知られているはずです。YouTubeで、聞けますので、聞いて見て下さい。ドナウ川に浮かぶ、大きな船です。どこへ行くのでしょうか?実は、船に乗って、ブラチスラヴァから、ハンガリーのブダペストまで行こうと予定していたのです。しかしながら、調べて見ますと、毎日運航されておらず、今回は、断念しました。ドナウ川の辺から、ブラチスラヴァ城が見えます。そして、聖マルティン教会も見えます。14世紀初頭に建てられたようですが、ロマネスク様式のようですね。ブラチスラヴァ城は、小高い丘の上にあります。登って見ましょう。少し登ると、ブラチスラヴァの街が一望出来ます。ドナウ川も見えますねー!因みに、ドナウ川は、ドイツから流れて来ますが、国際的な川で、何と、10カ国もの国を通って、黒海に注ぐのですね。通る国を挙げて見ましょう。ドイツ →オーストリア →スロヴァキア →ハンガリー →クロアチア→セルビア →ルーマニア →ブルガリア →モルドバ →ウクライナと、まあ、こう言った流れです。これが、ブラチスラヴァ城です。本日は、生憎中国の要人は来ているそうで、入場制限されていました。午後になれば入れるそうですが、又、来るのも面倒なので、外から見るだけにしました。四角い建物の四隅に塔があるので、「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれているそうです。今まで見た城とは、ちょっと異なりますね。中国の要人には、会いたくないので、早々に引き揚げます。この石垣で、思いだしましたが、写真では綺麗に見えますが、あのインカの石垣と比較しますと、精密さが全く異なります。インカ帝国とは、凄いものを作りましたなー、と改めて思いました。さて、昼時です。そして、ここスロヴァキアの、お金は、ユーロです。両替の心配がありません。いくら使って、いくら残せばいいか? などと気を揉む必要もありません。それで、スロヴァキア料理を食べる事にしました。パブのような店です。2階へ上って行きます。ビアホールと言えば良いのでしょうか?そんな感じのお店です。昼ですが、皆さん、ビールを飲んでいます。アジアの星一番も、又、調子に乗って頼みました。ズラティ・バジャント(Zlaty bazant)と言う、地元のビールです。1.4ユーロ、180円位。チェコの方が安かったですね。飲みやすいビールですね。美味しいです。本当は、ここならば、ワインを飲みたい所です。ブドウの栽培が盛んで、白ワインはスロヴァキアの名物らしいのです。ですが、アルコール度が強いので無理です。ビールでさえ、飲めるかどうかと言った状況ですから。料理は、ブリンゾヴェー ハルシュキ(Brynazove haluskv)です。これが、スロヴァキアの独特な代表料理です。3.9ユーロ、500円強のお値段。この付近では、安い方です。すりおろしたジャガイモと小麦粉を練って団子状に丸めて茹でて、クリームソースと、カリカリに炒めたベーコンをのせたものです。ベーコンが、良い味を出しますね。ベーコンがないと、物足りない味です。ベーコンを、一粒ずつ、小さな団子状のものと一緒に食べました。
2013.09.20
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2013年9月19日(木)5泊も滞在した、プラハともお別れです。連日の曇り空、小雨交じりの空でありましたが、今は、少しだけ、青空も見えています。朝の7時45分。地下鉄に乗って、バス停に着きました。宿から、歩きを含めて25分です。駅は、たった3駅目ですから、そんなに遠くないです。そうそう、余った、170コルナですが、チェックアウトの時に来たのが、例の初老のおっさんでなく、おじさんの手前と言う感じの、お兄さんが来まして、彼に、両替して貰いました。124コルナで、5ユーロくれました。彼も、気持ちだけ、儲けましたな。お互いに良かったです。残金は、22コルナのみです。このバスで、スロヴァキアへ行きます。見た事あると思いますが、チェスキー・クロムロフへ行った時に乗った、スチューデント・エイジェンシーと言う会社のバスです。予定の、9時ぴったりに出発しました。ここで、問題です。バックパックを、バスの下の荷台に預けたら、10コルナ下さいと、運転手が言います。南米ではしょっちゅうありましたが、今回の旅では、荷物預り料を取られるのは初めてです。小銭22コルナ余していて良かったです。運転手の小遣いにするのでしょうね。途中の景色も、バルト3国や、ポーランドと同じようなものです。途中、出国も入国も、検問も、なんらなく、スロヴァキアに入りました。87ヶ国目ですが、国を超えた気がしませんね。時間も、たった4時間15分で着きました。ここが、バス停です。バス停から、歩きます。全く普通の田舎の町って感じですね。とても国の首都とは思えません。迷いながらも、歩いて40分。着きました。外からでは、見にくいですが、ピンクっぽい建物の、向こう側が、ホステルになっています。受付です。狭いですね。ここ、2泊で、31ユーロと言われて、びっくりです。21ユーロ+市民税で予約したからです。全部で、24.3ユーロのはず。その旨、説明すると、受付は調べだして、「はい、確かにその通り、すみません。」と、問題解決です。普通は、14ユーロ+税金のようです。ネットで頼んだ方が、安いです。部屋です。2段ベッドが、4台。8人部屋です。ここは、男性専用なので、昨夜のように、女臭い部屋に遠慮しながら、寝る必要はありません。男女混合ドミって、良いような、悪いような、複雑な気持ちですね。男子専用ドミに泊まると、男女混合ドミに泊まりたいと思うし、女性ばっかりの部屋に一人、泊まると、何とも落ち着かないし・・・。キッチン、食堂です。ここには、電子レンジがありましたが、今度は、ガスコンロも、電気コンロもありません。最も安上がりの、麺だけのスパゲッティが作れませんね。夕食は、スーパーで、買って来ました。まずは、生野菜。1ユーロです。今は、132円位でしょうか?そして、豚肉野菜ライス。電子レンジがあるので、今回は、上手く作れました。って温めるだけですが。3.09ユーロです。400円程度ですね。中華屋さんもあったので、値段を見て来ましたが、ライスと一品で、最低の品が6ユーロ位でした。麻婆豆腐に、ご飯で、7ユーロ、900円強ですから、ここも物価が安いとは言えません。因みに、ケバブ屋さんの、定食も、6ユーロ以上しました。そう言えば、ここスロヴァキアは、お金が、4年前にユーロになったのです。それで、物価も上がっているのでしょうか?
2013.09.20
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