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今日は、タイの彼女の、携帯に、SMSショートメールを、NET上から、送ってから、電話で、届いているか確認したら、届いていないって言うでは、ないか。どうしてなんだろう、それと、ノンピーが、学校で、お金がかかるので、困ったという、私も困った。そういうわけで、軍資金造りに、パチンコやさんへ。でもうまくいく訳はないよね。9連敗の次に、1勝して、次に、2連敗、そして今日は、ためかなあ。負けはしなかったが、その後、買い物をしたら、トータルで、お金を減らしてしまった。家にいれば、減らなかったでしょう。今日の古本は、白人の狂気と日本 日高義樹 光文社 カッパブックス 1997年仮面海峡 深田祐介 文春文庫 単行本は平成3年 文芸春秋花のあと 藤沢周平 文春文庫 単行本昭和60年 青樹社刊山妣(やまはは) 坂東真砂子 新潮社 1996年目覚めよ日本 リー・クアンユー 木村規子訳 たちばな出版 平成13年ポコ・ア・ポコ グアテマラ・エル・サルバドロの旅 上野青士 現代書館 1992年刊相変わらず、アジア物、旅物、政治物、あとは、気分を、変えるための、清涼剤的、小説、特に、時代小説が、多いなあ。
2005.01.30
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ちょっと、難しいので、困っております。とりあえず、スライドで、試作品を、こしらえてみたい、ちょうど、目の前に、インプレス発行の、ホームページうらわざ大辞典があるのでぱらぱらとめくって見たが、なかなか難しそうで、うまくいかない、そんなこんなで、次の日の朝になってしまった。ためしに、UPしましたが、未完成なので、linkは、貼れませんが。アドバイスが、どなたか、同じように、写真を、UPされている方。教えて。どうも、私のコンピュター上では、表示されるのですが、css javか、許可されていない物を、使っているのでしょうか。とりあえず,JAVスクリプトというらしい。もう一度、改めて、では。上海の西、デリーの東 素樹文生 新潮社上記の本を、読んでいる。中島みゆきの『ルージュ』のアジアで、流行した時の事情が、書かれていた。だいぶ前に、アンタック監視の、選挙以降の、プノンペンのマティーニ・バーで、流れていた。すこしだけ、引用したい。94年2月当時。中国の国内におけるヒットチャートは、トップは、『花心』原曲は、喜納昌吉『花』それから、女性カラオケファンに人気の曲で、香港のシンガー、フェイ・ウォンが歌う『易傷心女性』という曲も、原曲は、中島みゆきが歌う『ルージ』である。 -途中略-しかも、『ルージュ』に至っては、ジェシカ・ジェイという人が、英語でカバーして、プノンペンでもバンコックでもクアランループでも、ガンガンにかかりまくっていた。アジア全体で、たくさんの人が、この曲を、聴いたろう。引用終わり。(一部、省略しています)ペンパックや、ジンタラーの前に、こんな人が、歌っていたのだろうか。本自体は、可もなく、不可も無いバックパッカーの旅行文だが、この、部分を、見つけて、評価にすこぶる良いほうに変わった。必要な、情報を、提供する事が、評価の、前提だろうか。もし、多くのガイドブックを、読んでなかったら、もっと評価が高いかもしれないが、あと、すこし、旅の出来事というより、感想に、重きを、置いている分だけ、私の評価が、高くないのかもしれない。この本は、装丁といい、文体といい、当時、買わなかっただろうか。いや、多分、熱病のように、日本を、抜け出したいあの頃なら、きっと買っただろう。3分の2くらい読んで、星ひとつ。最後で、大逆転があるかもしれませんが。それと、産経抄 を、もう一度、読み返した。江藤淳の項が、4項目在ったが、炉心溶解の、意味が、いまいちわからなかった。昭和で、何とか、日本らしいものが、あったのが、平成に変わって、更に、だめになったというといいたいのだろうが、更に、読者の文を、引用しているのだが、それと、最近の、産経抄は、書き手が、交代したのであろうか。ブッシュが、米国大統領に、当選したときに、産経抄が、ブッシュが、圧倒的に、勝った、と言っている。もし、同じ人物ならば、政治的事に関しては、無理がある表現が多い人なのかもしれない。そうそう、司馬遼太郎に関しては、さすが、詳しい。とくに、まだ、小説を、書き始める前の、司馬遼太郎のことが伝えられている。上海の西、デリーの東 新潮文庫素樹 文生 (著)産経抄―この五年石井 英夫 (著)単行本 (2004/08/04) 文藝春秋
2005.01.26
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夜に、追加記入その後、だらだらと家にいて、今に至る、たかられる大国 日本 浜田和幸を、読んだ。大体、書いてある内容は、読む前から、大体予想を、していたが、思ったより、まともに、論を、進めていると思う。ODA問題や、米国における日系企業の、訴訟問題、そして、情報戦が、もうすでに、日米、間日中間、と、始まっているという、指摘である。ひとつだけ、気になったのは、ヤオハンが、中国によって、たかられて、つぶれたような、事が匂わせてあった。そのことは、置くとしても、工業製品の、工場と、海外における もちろん国内も含めて、より、国家が関与して、流通業を、もうひとつの、車輪にしていくことは、大事なことである。軍事、訴訟、サイバーテロ、戦争中の犯罪指弾については、良くいろんなところで取りざたされているが、浜田氏の言うように、日本が『たかられる国』から、『たよれれる国』に、変わるきっかけに、いまの、状況が、プラスに、作用すればよいのですが。部数も、そんなに、発行されていないだろうが、機会があったら、読んでみても良いでしょう。以下は、昼に書いたのだろう、さすがに、年末からの、あわただしいバンコック行きから、深夜までの、呑み疲れで、疲労困憊?では、ないだろうが、ここらで、戦線を、立て直すために、二日続けて、寝て曜日を、決め込んだ、百冊を越す、本の山を、目の前にして、適当に、読み散らかした。石原家の人々 石原良純可笑しな宿 堀内俊宏たそがれ酒場 半村良喪失の日本 M.K.シャルマンなぜアパートに住んで、ポルシェに乗るのか 辰巳渚産経抄―この五年石井 英夫 (著) などである。他にも、文芸春秋の2001年10月号、あと、インターネットが繋がらなかった、メインのコンピューターを、何とか、繋がるように、LAN等を、ガチャガチャやって、なぜ繋がらなかったかは、はっきりしないが、繋がるようにした。友人に、何人かに電話をしたが、実際には、みんな忙しくて、遊んではくれなかった。電話が、無くなったり、番号が変わったのか、連絡できない人もいました。そうそう、バンコックでの、簡易写真を、アップしたいのだが、どうもいい方法が見つからない。やはり、有料の、ホームページ・スペースが、欲しくなってきている。どこか良いところは、無いだろうか。昨日深夜、タイの彼女から電話があり、何度も、電話していたらしいが、やっと、話が出来た。この前の、バンコックで、タニヤの、あるカラオケスナックで、タイの、ホステスさんから、グーと、キッツ、ストロベリーの話を、伺った。『タイ人の女の人って、日本人と付き合っていても、かならず別に、タイ人の本当の彼氏がいて、日本人のお客さんはグー以下なんだろう』『いまは、グーっていわないで、キッツって言うんですよ』『じゃあ、君は、何人キッツといえる人を持っているんだね。』『ところで、本当に君はかわいいね』『君を、見ているだけで、楽しくなるよ』『絶対に、十人はいるなあ』『本当のことを、言えよ』『好きだよ』『パクワン(口が甘い;おせいじでしょ)』『ストロベリー(おなじく?)』なにせ、そのお店のマスターが、5年ぶりくらい前に、お世話になった知り合いで、その日の呑み代は、ロハになって、さらに、...まあ、信じないかもしれないが、その彼女とは、また、そのお店で次のタイ語?を、教わりたいものです。その後、正確には、だいぶ発音が悪く、違っていて、ケンイチさんの、「バンコック留学生日記」本場のタイ語は確認してください。たしか、そのお店は日航の入っているビルの、地下飲み屋さんのフロアーの、一角、ラマンチャの、向かい側、であったと記憶している。『花』とか書いてあっただろうかあとで、バンコック在住の人に聞くと、けっこう高いんだよあそこはと言われた。と言うことは、だいぶご馳走になったらしい。今度タイに行くときは、今日本で流行の焼酎を、数本はお土産にしなくては、まあ、タニアには、日本人旅行者も、最近は、寄り付かなくなって、だいぶ、お店が減っているのが、現状であろうか。日本的サービスには、ある限界が来ているのだろう。もちろん、そんなタニヤの中では、女性のOFFも、無くただお店で、呑めるだけの、日本でいえば当たり前の、お店が、増えている。『花』も、『スター21』も、そんなお店である。もちろん、客とホステスであるから、自由恋愛はあるのであろうが、店側は、そんなことに、タッチもしないし、まして、OFF代なども、取らなくなりつつあろう。スクムビットSOI5の、フードランドの、軽食カウンターで、次の日の朝は、一人で食事を、してから。ゲストハウスに戻った。フードランドでは、年配の欧米人と、タイ人の、俄かカップルが、何組か いたが、日本がこうならなくってよかったと言うか、逆に、欧米人の、まねをして、そんなことを、目的で、タイに来ている人も、中に入るかもしれないが。もしかすると、わたしも、その亜流かもしれないが。そんなふうに、私が、酔っ払って、たわいの無いタイ語の勉強を、している間にも、カオラックはじめ、津波にあった人を、助けるために、必死で、おうぜいの、けが人の中で、通訳の仕事を、されていた方があるなどとは、気付きもしなかった。子猫が、我が家の、物干しの周りの屋根で駆け回っている完全な家猫でもなく、かといって、野良猫でもなく、たぶん、我が家の、風呂の天井裏にでも、居を、構えているのである。なにより、親猫も、子猫もいて、ときどき、我が二階の部屋に尋ねてきて、餌を、ねだるのである。名も無い、子猫が、当分は、このあたりに暮らせるように、餌ぐらいは、用意してやろうかな。
2005.01.23
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昨日は、遅くから、家を出だし、朝方まで、呑んでしまった。ほとんど、役に立たない一日であった。古い、文芸春秋を、引っ張り出して読んでいる。沢木耕太郎の、アマゾンでの、墜落事故体験記を、見た。それと、ココに、リンクさせていただいていたはなだい01さん が、楽天の、日記を、やめられるという、貴重な、タイのダイビングの写真を、見せていただいた。ほんとうに、ありがとうございました。ちょっとだけ、呑んでこようと、懲りないなあ。
2005.01.22
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やっと、キャセイ航空で、ホンコン経由で、バンコックと、シーラチャに、行き、我が家に、戻りました。旅の途中に、カオラックへ、ボランテアに、行ってきた方の話を、伺ったので、とりあえず、書き込みます。津波の衛星写真を、google で、見つけました。あわせて、ご覧ください。URLタイトルTsunami Disaster in Asia, 2004 (アジア、2004年の津波災害)http://www.crisp.nus.edu.sg/tsunami/tsunami.html成田の、1日足止めの、ことは、またいずれ、2日に、スクムビット43の、GORO で、隣に座られた方から、(仮称)Iさんから、伺ったお話です。カオ・ラックの病院で、通訳のボランテアを、やられていたそうです。Iさんは、年に、何度も、KHAO LAK(カオ・ラック)に、行かれていたそうです。地震・津波のあった日も、クリスマス休日の日なので、予約を、入れたが、入らなかったので、行けなかったそうです。もし行っていたら、危なかったそうです。津波は、陸の、奥のほうまで、押し寄せたそうです。病院で、通訳の途中で、日本語で、『助けて』というのを、聞いたという、聞き取られたそうです。だから、日本人の被害も、もっと多いのではないかと、2日の時点でも、言っておりました。Iさんに、最初に、日本から地震・津波があったが、大丈夫かという、友人が、の電話で、掛けてきてくれたので、知ったそうです。そして、乗用車で、握り飯を、用意して、カオ・ラックに向かったそうです。4号線が、津波の被害にあっていた、通行できずに、手前から、地元の道に詳しい人の案内で、?山道を通って、向かい、深夜にカオ・ラックに、着いたそうです。カオ・ラックは、選れた、ダイビングポイントで、多くの、ダイバーが集まっていて、大部分が、長期に、こられている、特に、スエーデンや、北欧の人が、多くいたそうです。電話は、衛星電話の施設を、持っているツーリスト・ポリスのところのみ使えるような状況だそうです。その辺の、携帯電話用に、アンテナは全部なくなっていて、携帯電話は、使えなかったそうです。固定の電話も、同じく使えなかったそうです。Iさんは、ツーリストポリスから、病院で、外国人と、タイの病院スタッフの、通訳を、依頼され、28日から、1日まで、カオ・ラックの病院に、居られたそうです。多くの亡くなられた方が、まだ、多く、そのままになっていたときに、入られたそうです。空港で、タイの新聞を、見ましたが、亡くなられた方の、写真が、掲載されていました。Iさんのお話でも、日本から電話を掛けてくる、日本のマスコミに対する対応で、仕事が出来ないことがあったこと、そして、むやみに、写真を、撮る観光客に、よくない行為だと、思ったそうです。もし、ボランテアのために、プーケット方面に、これから、向かう方は、KHAO LAK(カオ・ラック)も、一考のと思う。よいダイビングポイントのいくつかは、津波で、根ごと、無くなっていたそうです。また、別のポイントは、無事のところもあり、水深や、島影などの地形によって、ダイバーも、珊瑚も、運命が分かれたそうです。まだまだ、手伝う仕事は、あると、伺ったのに、帰ってきました。
2005.01.04
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