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新潟県民でもないのに、でも前から、バンコックの、携帯電話事情や、PDA事情で、一番詳しい集まりで、ヤフーグループらしいのだが、申し込んでしまった。http://nipug.s53.xrea.com/blog/archives/2003/0129043915.html中公文庫のシリコンバレー物語を、読んでいる。この中で、狭い心の、人と、広い心の人、という、対象軸が、描かれていて、当然、広い心の人が、成功もして、お金持ちにもなるって、描かれているが、本当の、世の中は、本当かなって所もあるけれど。日本の方も、心の広い人が、たくさんでて、後輩も育てて、切磋琢磨して、伸びていくほうが、いいかなあと思う。最近の、ライブドアとか、フジとか、ヤフー?とか、どうかなっておもう。まあ、2ちゃんねるの、株式の、ページや、その辺の、周辺情報を、斜め読みしただけれども、それと、今週発売の週刊誌なども、一応、ぱらぱらと。めくったのであるが、わが田舎では、ニッポン放送って、あまり良く入感しないのだけれど。(アマチュア無線では、いろんなことを、教わった。コンピュータってのも、けっこう関連があったりなかったり ちなみにCQ誌と、アスキーって、本のつくりが似ていた。)判官びいきではないが、ホリエもんを、応援したいものです。朝日テレビの昼間ワイド!スクランブルになかにし礼が、出演していて、やっと、閉鎖的なものが、先に進みそうだったのが、ソフトバンクの登場で、1歩前に出たのが、2歩下がることになる。いっていたが、私も、そんな気がする。言葉が悪いが、放送局の道具としては、朝日新聞グループより、フジサンケイグループのほうが、一段上でしょうね。中国や、韓国に行って、是は是、ってやっているほうが、相手と一緒になって、火をつけているよりはマシである。日枝氏も今回のことで、ずいぶん男を落としたものです。今度のことで、意外と、ニッポン放送に番組を持っていた人の中に、つまらない人も、けっこういたというのが、わかっただけでも、良かったんじゃないかなあ。話は、違うが、フジテレビのウッチャン、ナッチャンを、観ているのもつらい。ラジオも、テレビも、どこまで、子供相手の番組になっていくのだろうか。そういう、自分が、年をとったせいかもしれないが、番組のスポンサーってのも、罪つくりだよね。結局、昔は良かったなんて、爺さんの独り言で、終わってしまう。コブ平が、シンショウだって、まあ、似合わないってのが、第一印象であるが。顔つきが、替わってきたが。マスコミももちゃげればい良いってものでもないもんだ。最近は、料理評論家に食を得た。益なんとかさんが、落語の解説してたときは、生意気だけれども、買っていたのだが、いまでも、でれば、見ないってことはないが、あるさびしさがある。私にとっては、壇流クッキングが、一番であったろうか。阿川さんと壇ふみさんの、本 第2弾というのを、読み始めたが、うまい、この毒舌的友情が、今風で、いいなあ。読んだのは、まだ、アメリカでのお見合いと、ドライバーのところだけれども、はなしゃ、更に替わるが、『あぶり絵』星川清司 日本経済新聞社 刊2002年11月18日発行1800円というのを、これも読み出している。大正から昭和にかけての、浅草が舞台で、エノけんや、落語家、築地小劇場とか、あまり。ふだん、聞けないものが、小説仕立てで面白い。書き出しは、確か、「昨夜、芥川が死んだ」とかで、始まる。これを、よむと、吉原のことや、浅草仲見世。そして、東京大震災のことも、数日前に、写真のことを、書いたが、彫しと、摺りしなどは、十年も、二十年もかけて、一人前になる。そこには、生半可な素人の芸とは、違うものが出来る。技術の発展は、素人が、プロ並みのことを、サラサラと、させてくれるところもあるが、違いはあると思う。もちろん、そうはいっても、世の中は広い、腕のあるのが、一番である。
2005.03.28
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これは、私の住む街や、この近くを、撮り集めた写真集で、わが町を、取り上げているのが、普段以上に、その写真が、気にかかった。テレビの、発達で、lifeという、ような、定期的に出版される写真雑誌が、力を、失ってきた。ビデオで、ニュースや風景や、けっこう、難しく、たとえば、スマトラ沖の、地震の、ニュースも、昔以上には、積極的に、集めようと、思わなかったこともあるが、決定的な写真というものは、なかったような、気がします。ただ、カオラックのことについては、いまだに気になり、いくつかの、サイトの情報や実際に津波の日に、プーケットに、いたという人の話などを、聞こえてきましたが、いまは、デジタルカメラが、そこらじゅうに、あり、多くの写真が、撮られているが、逆に、印象の少ない写真があふれていて、こころに、響く写真は、少ないのかもしれない。一度、デジタルカメラと、パソコンと、プリンターさえあれば、ランニングコストは安く、たくさんの写真を、撮れる時代になった。出来たら、画素数の、多いカメラを購入して、気にいるところを、写しながら、暮らしが出来たならば、いいなあと思う。サロンという、写真好き、旅好きの、集まりや、居酒屋さんでもあって、そこで、ワイワイやれたなら、面白いのではないでしょうか。1枚の写真で、自分を、時代を、変えられるかもしれないのは、旅と、同じような役割を、持っているような気がします。わが町近くを、撮影されている、へっぽこ写真を、link します。
2005.03.27
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沖縄の写真。いいですね、もう一度、行ってみたいなあ。それと、タイから電話貰いました。わが町に、今度は、ゆっくり来てくれるそうです。もしかすると、そのときに、沖縄の写真、もらえたらいいなあ。とまれ、そういうわけで、よく、私の、何倍も、飛行機に乗っているようです。
2005.03.26
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とりあえず、アップしてみました。サムネル?にしないと、重くて、フリーズしてしまうかもしれません。はるるさんのような、いい写真に比べると、どうしょうもないですが。クロントイ市場は、けっこう、よく行っていたので、しょしんしゃとして、今度、もっと、別な方法を、おさろうと思います。『アメリカが、アジアになる日』読み始めました。ちょっと重い本ですが、アメリカが、フィリピンを、支配するために、フィリピン人を、40万人も、殺傷したという、記述がある。すこし、米国の対アジア政策を、考えるのに、役に立つ本である。ウォレン・I・コーエン小谷まさ代 訳。草思社2002年9月12日 第1刷発行1600円
2005.03.23
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今時分の、沖縄は、あまり暑くなくて。いいのかなあ、のんびり、沖縄の、海に浸かりたいものです。そういうわけで、むかし、沖縄に、行ったときのお話し。やっと、日本に、返還されたばかりの、沖縄は、外国のようだった。言葉の通じる、外国。そんななかで、同じ民宿に泊まり合わせた、数人と、組み合わせは、当時私は、うら若き青年?あと、二人くらいは、若者、そして、現在の、私くらいか、もう少し、若いくらいのおじさん。その、4人で、沖縄の夜の町を、散策しようということになって。タクシーで、Aサインバー、ではなかったか、かなり怪しいお店に入った。8ミリで、映画を、やっていたのか、今の、バンコックの、歓楽街で、ゴゴーバーで、よく流れているような、非常に怪しい映画を、見せられて、特に、女の人が、隣に付くでもなく。かなりの、値段を、取られた。そのあと、また、そのおじさんと、タブン、二人で、那覇の、ある居酒屋さんに入って、そのおじさんが、お店の主人と、親しくなって、そのお店の器、親父によると、益子焼で、有名になった、浜田庄治の作という、物を、貰っていた。わたしは、その良さもわからず、でも、調子の良いおじさんに、感心もしていたのかなあ。なんと言ったって、30年前の話を、今でも覚えているのだから。先週、居酒屋さんで、栃木の、税理士さんと、話したことも、忘れてしまう自分なのに。あのころ、僕、若かったということか。振り返ると、今の、バンコックや、パタヤで、あるいは、そのうち、マニラあたりで、歓楽街で、飲み歩く原型は、このときに、始まったのかもしれないなあ。先日、照屋さんという人が、亡くなったらしい、あの当時の、沖縄のイメージは、今に比べると、暗い、うらびれたという。いつの間にか、自分の中でも、そして、世間でも、沖縄の、イメージが、明るくなって良かったと思う。そういえば、前の会社の、一人が、奄美大島の出身といっていたが、律儀で、ガツガツしているところがなくて、良い人だった。のんびりした気質は、島育ちの人の典型的かもしれない。話は変わるが、先日、古本屋で、石原慎太郎の『還らぬ海』を、見つけたが、買わなかった。この本の初出は、1963年である。私の中の、海のイメージを、けっこう、深いものにしてくれたのも、この頃の、彼の、本によるところが多い。それでも、自分で、原付で、北埼玉の田舎から、箱根を過ぎて、伊豆半島の付け根まで来て、朝を、迎えたときには、ある感慨に、ふけったものだ。まあ、小さな椅子で、お尻もしこたま痛かったが。こんど、車が戻ってきたら、のんびり、伊豆あたりを、ぶらついてみても良いかなあ。沖縄の話から、脱線して、長々と、くだらない話に、付き合ってくれてありがとう。もし、すこし、ストレスがたまってきたら、どこかで、波の音とか、滝の音とか、川に流れを、眺めるとか、してもいいかも。『くだける波に。。』井上陽水の唱が、思い浮かんだので、good night
2005.03.14
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バンコックの、地図を、更新した。JALの、地図を、参考に、ほかに、タイで買ってきた、タイ語の地図も、はかには、DACOの、バンコックバス路線図も、更に、更には、昭文社の、バンコックのガイドブックも、良かったら、見に行ってね。URLは、コメントに、1番に、入れときます。タイに、電話を、しました。シーラチャで、居酒屋さんを、経営している友人の、アパートへ、もしかすると、初めて、電話を、入れてみました。『メールを、出しても返事が無いので、心配していた』との弁hotmailが、うまく開かなかったので、そのまま、2週間以上、開けなかったので、メールが、いっぱい、たまっていた。今日から、沖縄に、行くらしい、こんど、フィリピン経由で、来るときは、マニラの、地図と、雑誌を、買ってきてもらおう。そういう訳で、今日か、明日には、沖縄からの、おはなしがきけそうである。そうそう、我が中ブルの愛車も、車検の、日が来た代車を、貸してもらい1週間は、修理とか、やってもらう予定である。車を、掃除していたら見つからなかった、デジタルカメラが、見つかった。その内、気が向いたら、今度の職場近くの、利根川の、埼玉大橋からの、風景でも、UPしようかな。この橋は、利根川の中流に位置していて。少し、さかのぼると、利根大堰という、ダムの、小型判があり、そのため非常に、水かさが今の時期は、少ない。それでも、夕日の時刻になると、大きな堤が、夕焼けに染まって、良い景色が、広がる。夜には、さすがに、一日中家にいたので、買い物がてら、スーパーマーケットと、コンビニに、出かけた。コンビにでは、パソコンの雑誌を、2冊立ち読みしてしまった。相変わらず、デジカメ、ノートパソコンの、項目に、目が入ってしまう。トレンドマイクロに、17の、セキュリテイホールが、見つかったという、道理で、期限の切れかけているそのソフトが、普通は、アップデイトできないはずなのに、急に、出来ていたのは、そのためであったろうか。更新の、時刻は、2005/03/13 22;00であった。
2005.03.13
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こんな会を、作ろうかな。掛け金を、ある程度して、もらえない人って、どれくらいいるんだろうか。まあ、最悪の場合は、タイでも、移住、しますか。そういえば、タクシン首相は、貧乏人で、年金も、無い日本人は、タイに、長く居て欲しくない、なんて、こといっていたっけ。体が、丈夫なら、沖縄に、行こう。そあと、どうしようかな。簡単に、沖縄とも、いえないくらいだが、何とか、方法を、考えよう。まあ、何とか、出来る人は、払い込みましょう。一日あたり、1000円も、しないのだから。この関係の、意見がある人、書き込みにでも、まあ、本当のところは、頭を、ぶっつけ無いように、もう寝ます。
2005.03.07
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今日も、明日が仕事があるのに、地元で呑んでいた。祥がねえなあ、ココも、もしかすると、潰れちゃうかなという。KAN3お気に入りのお店があったのだが、今日、お店に行ったら、普段より、ずっと混んでいた。誰か来るという、様子で、少しまっていると、隣町の、同じ、Bという名前で、やっている、お姉さんの登場である。いろいろ、そのお姉さんの、ほめる言葉も、けなす言葉も、聴いていたが、一や客を、飽きさせない、話術がある、まあ、結局、姉貴が、弟のお店を、応援に来たのかなあと、思う日であった。傍目から、肉親の、情の、感じた一日であった。ぞういうから、重ちゃんが、だめではないが、やはり、基本的に、私の独断で言うと、お姉さんのほうが、上でしょうか。まあ、そんなことより、どんな人にでも、親子の情は、普通あるであろうが、兄弟愛、他にもあるかもしれないが、身内の、そして、親でもない、誰かの、気持ちのこもった、対応は、全然、関係のない、私にとっても、うらやましい、いいものであった。今日は、朝撮りの、イチゴを、ご馳走になった。その、イチゴを、摘んだという、お隣さんの、無骨な、人柄と、体育会系の雰囲気は、このお店にあっていた。それにしても、本格的な、話は、出来ないのかなあ。あと、とあるところで、ある先輩に逢った。オイKEN 猫の避妊やっておけ、明日つれて来い。と言われた。猫のためだから、飼い主として、猫に、避妊を、してあげなさい。という、ことである。家に、午前、2時過ぎに帰って、久しぶりで、餌を、やったら、親猫、子猫3匹、プラスもう1匹。登場である。やはり、親子の情か、自分の、子猫が食べ終わるまで、自分が食べずに、子猫の、食べるのを、見守っていた。まあ、本当は、全然、違うが、飼い主の、私に似たのかな。子猫にも、責任を、持つように、しよう。これから、猫の話題が、多くなったら、ゴメン あまり、詳しく書けないが、身近で、とっても良い事がありました。今日は、親子の情、兄弟の情、猫にまで、人間と、同じような、行動があるって、目の当たりにしました。そういうわけで、猫にまで、教えられる今日この頃です。いっや、ここ数日の、パチンコの、稼ぎを、全部、使ってしまった。そのうち、武州荒木の、ppのお店に、行こう。まあ、タイもあるので、何も、お店のだけで、外にまで、出てからは、何もないだろうが、タブン。
2005.03.06
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全日空の、国際便で、パンが、足りなかった件了解しました。残念でしたね、私は、ほとんど、UAを、利用しているので、全日空の、国際便は、利用しませんが、わかるなあ、たぶん、パンに、少なからず、こだわりがある様子、文章に、現れて、私も、そう思います。ちなみに、私が、UAを、なぜ選ぶかというと、アメリカ人のほうが、いつも、戦争を、やりなれていて、大砲を、撃ちながら、飛行機を、操縦しているので、民間に移っても、民間の旅客機ぐらいなら、簡単に、操縦してしまうのでは、ないかという、期待からです。ちなみに、私の場合は、エコノミーを、いつも、利用していますが、食事が終わって、少し時間が経って、まだ、おなかがすいていると、こっそり、スッタッフの人に、おなかがすいて、何かないですか、というと、時には、ビジネスクラスの、食事とか、普通は、あまっているものを、どうせ、捨てるのでしょうから、持ってきてくれます。たぶん、私のほうが、旅慣れていて、うまく、それぞれの、航空会社の、都合に、合っていたんでしょうね。ちなみに、ビジネスクラスの機内食が、もらえたのは、機内が、真っ暗な、深夜でした、たぶん、周りのエコノミーのお客さんの、コンプリートの、恐れが、ないからでしょうね。ちなみに、エコノミーの、配られるパンは、お代わりOKですよね。いいなあ、ほのぼのした話題で、ちなみに、今年の、私の、最高の経験は、バンコックの、すし屋さんで、ボランテアの人に、カオラックで、まだ、弔われない死体が、海辺に、多数、おかれている中で、12月28日から、1月の2日まで、病院で、病院に、担ぎ込まれた?外国人と、病院のスタッフとの、通訳を、されていた話を、聞いたときに、バンコックで、遊びまわっていた、自分の、血がいっぺんに、引いたことでしょうか。また、遊びに来ます、どんどん、全日空に、クレームつけてください。いや、本当に、勉強に、なりました。http://plaza.rakuten.co.jp/easytravel/diary
2005.03.04
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この時代劇小説の、後半に、今にも、川に、飛び込むような様子の、若者を、見かけ、主人公の、新八が、その若者と、友達になってゆく過程が、藤沢周平タッチで、(あくまで、私に感じたままだが)そこに、若者の成長や、友情、嫁選びなど、 昔も、現代でも、同じように、誰でもガ、通ってゆく過程を、それらの事が、描かれている。さわやかな青春小説を、読みたいのなら、ぜんぱんは、後回しにして、後半の、3部を、読んでくれ。講談社 BOOK倶楽部 ホームページから、http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2636050
2005.03.02
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