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年の瀬(6) 運命に振り廻される人生ほど詰らないものは無い。親や環境のせいで自分の想い通りの人生が歩めない話は腐るほどある。自分で開拓も努力もせず成り行きに任せるのも自由だが、それで悔いが残ったり愚痴を言うのはナンセンスだ。自分の人生は自分で切り開くのが納得の行く生き方と信じて今まで来た訳だが、そういう決断をせざるを得なかった環境に居たからこそ出来たのかも知れず、そういう意味では両親を反面教師に出来た事が別の意味で幸せであったのかも知れない。尤も、それも結果論ではある。長年生きて来て様々な事を経験し、もうこれ以上怖いものは無いというぐらいに訳知りになってしまうと少々の事では驚かなくなってしまうものだ。「末は博士か大臣」と言われた時代は彼等にも権威と権力があって人々の理想の姿だった。それが地に落ちてしまった現代では、博士は腐るほど居てロクでもない事を研究している。 そんな世界になってしまっても中には素晴らしい研究をしている人も居る。しかし、大臣はそのどちらも無くなって偽善者の象徴の様になってしまった。毎日の様にテレビ・ニュースに出ても人々は道端の犬の糞を観る様な目でしか観なくなってしまった。画面から臭い臭いがして来るのだ。糞まみれだけに彼等は金だけは持っている。彼等は金に色が付いている訳でも無いから、それが税金であろうが賄賂であろうが清らかな献金であろうが同じとして懐に入れる。何故政治家が金持ちに成るのか理解出来ない凡人や善人は政財界のからくりを知らないだけの話で、知ってしまえば失望して厭世感を抱くだけである。それなら知らずに居た方が幸せだったと想う処にナンセンスがあって、知らない事は恥だと自覚しないナンセンスに気が付かないのだ。知ってしまえば世の中なぞ実に汚ないものなのだ。 汚なく観えるものほど美味いと言うが、金儲けも汚ないものだけに旨味もあるのだ。一旦そういうのに染まってしまえば綺麗も汚なくも区別がつかなくなってしまう。味噌も糞も同じ様に観えながら全く違うものなのに彼等は嗅覚だけは異常に発達しているので嗅ぎ分けるのである。その嗅覚は犬と同じ位あって一般人の千倍以上もあり、中には1億倍もあるというから驚きである。さて政治家のボーナス・シーズンがやって来て、政党助成金を貰う為の新党づくりが活発だ。既成政党では信念が貫けないからという理由で離党し、会派や新党を立ちあげて12月31日までに届け出ると政党助成金が支払われるのだ。税金で給料を貰いながら更に助成金が出るのだから政治家にとって笑いが止まらない有難い国である。政治家とルンペンを三日やれば止められないというのはどうも本当らしい。 先日の忘年会で、ある女性が「自分の子供にだけは絶対に政治家なんかには成らせないワ」と今の政治を批判していたが、理想を掲げてマニフェストに良い事ばかり書きながら少しも実行せず、いけしゃあしゃあと弁解や嘘ばかり言うのが政治家という商売だと想われている時代は誰もがそう想っても仕方が無い。彼等は金儲けの為に政治家に成った様なものだから如何に金を稼ぐかだけしか頭に無いのである。そう想って彼等を観れば納得出来る筈だ。だから金まみれにすれば働いてくれるかと言えば、そうでも無く、節操も無いから沢山金をくれる相手の方になびくだけにタチが悪い。だからと言って怒っても仕方が無い。そういう生き物だと分かっているから矢張り金で釣れば言い訳で、相手が100出せば、こちらは200出せば話は簡単である。常に敵側よりも多い金を渡してやれば政治家なぞ何とでも成る。 頭の良い政財界人のOB連中は政治家の弱点を知って証拠も握っているから金まみれにし、マスコミも操作し、官僚にも法外な権力と実入りの良い天下り先を提供してやれば蔭の実力者として好きな様に絵が描けるという訳である。ところが行き過ぎると好々爺も無意識に不遜で傲慢な態度を取る様になり、馬鹿な政治家もその真似をするから国民が怒り出す事となる。その結果、総選挙で政権が替われば次の与党が亦似た様な路線を歩む事となる。そして、最初の内は猫を被っていた彼等も半年も経たない内にボロが出てしまう。すると数にもの言わせて居直る。一旦ボロが出てしまえば何時までも良い子ぶっている必要も無くなり、馬脚を現しながらも口では国民の為とお題目を唱え次の総選挙の禊(みそぎ)を受けるのである。運よく延命出来れば再び先生と呼ばれて有頂天になり、前の失敗を忘れてしまうのが政治家のパターンである。 政治家と官僚の悪い面ばかりを述べて来たが、当然ながら立派な政治家も官僚も居る。居るが、数では悪い方が多過ぎるから清廉潔白な方は影が薄く成る。少数派は何時も片隅に追いやられるものである。肩で風を切る連中が日本を悪くし、自分達一族はこの世の春を謳歌する。日本が悪く成った処で諸外国に歩調を合わせておけば自分達が悲惨な目に会う事は先ず無い。それどころか政権が替わったところで急に社会構造が替わる訳でも無いから春が秋に成ろうとも凋落する事は無く、次の政権に擦り寄れば良いだけの話である。そういう意味では彼等の世渡りは上手い。その上手さを外交に発揮してくれれば日本も世界で伸して行けるのに惜しいかな世界観が余りにも小さすぎ井の中の蛙で終えてしまうのだ。ぬるま湯に浸かった蛙は逃げ出す事もせず、茹で上がって死ぬまで温泉気分で居続けるのである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/31
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年の瀬(5) 丁度ほど良い運動をした後の気分で事務所に着いた。一休みしながら所員と暫く雑談をしていると今年は不況のせいで忘年会が少ないと言う。そう言えば確かに忘年会の誘いや飲み会の呼び掛けが殆ど無かった。年齢的な事もあってボクだけの現象かと想っていたが「今年は、スーパー・ゼネコンや他の建設関連の企業も忘年会が無いそうです」とも言っていた。東北大震災や福島原発事故等の事を想えばそういう気にもなれない自粛ムードが蔓延しているのだろう。その分、自宅でのビールが増えているのかも知れない。それもビールの代わりに発泡酒だったりして意気が揚がらないのでは無いだろうか。こういう時こそワ―ッと気炎を上げた方が勢いが出て良いと想うのだが、気持ちが落ち込んでいる時は「笛吹けど踊らず」で駄目なものは駄目なのだろう。ボク自身も影響されたのか忘年会で心地よく酔えず二日酔いになってしまったぐらいだった。 景気というものは人の気持ち一つで何とでも成りそうなもので、その気に成りさえすれば景気も上向くと想うのだが、その気になれない要素が多過ぎるのだろう。そういう時は釣りで言えば凪(なぎ)の時で、幾ら餌を撒いても喰いが悪く一匹も釣れないものだ。時間が経って潮目が変われば喰いつきも良く成るから景気も同じ事が言えるのだろう。その時期を経済評論家は様々なデータで予想する。が、当たったためしが無い。要するに人の力では何とも出来ない時代の流れがあるのだろう。そういう経済の気まぐれを結果分析して訳知りのように後理屈で説明するのが経済学者や評論家の仕事だからボクは連中の言う事は余り信用していない。後付け理屈なら誰でも出来るからだ。まるで占いのようなものにコンサルタント料と称して大枚の金を払う経営者の気持ちが分からないのだ。 経営者が事業に成功したとしても、たまたま成功しただけの話であって何故成功したのか原因が分からないのが一般的である。結果論で成功者と失敗者に分かれるものの同じ事をしていたにも拘わらず裏目に出る人は運が悪かっただけの事だ。そうなると人生は運で決まると言っても過言ではない。運も三度続けば実力とされる。運の強い人とそうでない人とに分かれるのも運命である。どうせ運で左右されるなら自分で占いをするのも良いのではないだろうか。米国で活動した英国出身の宗教者、著述家ジョセフ・マーフィー(Joseph Murphy,1898年5月20日~1981年12月15日)に言わせれば、常に正しい心を持って正しい行いをしていれば必ず成功するものだそうで、彼は易経にも造詣が深く、分かり易く解説した本をボクも利用しているが、よく当たる。何か問題が起きたり考え方に迷いが出た時に自分で占うのである。 自分で占う分には誰にも迷惑は掛からない。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言って五分五分の確率ではあるが、彼の易経の解説書の言葉からは様々な自分なりの解釈が出来るから、占った各自の判断には推論も入っている事になり結果が違って来る。だから占いで同じ卦が出ても解釈の仕方で対処する方法が違って来るから結果も当然違って来る。基本は人間的に正しい行為をとる様に指示されているので仮に上手く行かなくても天の配剤でそうなったのだと解釈出来るのである。高いコンサルタント料を支払う事を想えば只ほど安いものはないし、自分で納得したものだけに悔やまれる事も無い。方法は3枚のコインを6回投げて表裏の割合で卦を観るのである。はっぱ(8*8)64卦のデータから出た唯一の指示を信じるか信じないかは自分の責任で納得すれば良く、誰かのせいに出来ないから罪は軽い。要は自己暗示に掛けるのだ。 マーフィーの易経解説では無く、自己暗示に依る物事や企画を成功させる方法の一つに、メモに目的とする内容を書いて目に付く処に貼るのがある。自分の部屋やトイレや台所の壁に貼って目につき易くしておくのである。毎日それが目に入る事で頭に叩き込むと自然にその事に向かって態勢が出来て行く。脳にそれが染み込めば半分は成功した様なもので、いずれその目的は達成されるというものである。突拍子の無いものでも毎日その事を念じている内にやがては達成できるというから、やってみて無駄では無い。例えば、ボランティアでアフリカの未開地に立派な橋を掛けたいと願うなら毎日メモに書いた目的物や目標を観て暮らす生活を続けるのである。人に依って何年掛かるか分からないが必ず実現するそうである。昔その方法を売りに来たセールスマンと話をしていて「ボクは既にそのやり方をしていますヨ」と言った事があった。 彼はボクの言う事を聞いて納得したのか、それともセールスに失敗したと想ったのか二度と来なくなったが、大手の設計事務所を辞めて海外修業に行く準備をしていた頃に急に別の新しい人生がひょいと顔を出した為に、方向転換をして再就職をし結婚した頃のボクが、新しい会社のロビーの椅子に座って彼と話をしていた光景を何故か今も鮮明に想い返す事がある。その頃の人生の転換期がまさに今のボクを形成したのであって、そのセールスマンが説明した内容を既に知っていて実行していた自分の行動が運命を変える手立てに成ったのが面白く感じるのである。運命とは自分で変える事が出来るものである。絶対に変えられない運命なぞ無い。変えられないのは宿命と呼ばれるもので、男とか女に生まれついたとか親を選べない事等である。その使い分けを間違うと運命に振り廻される事に成る。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/30
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年の瀬(4) ボクの住んでいる住宅団地は奈良と大阪の県境にある国定公園内の丘陵地にあるから緑に囲まれ自然豊かな処である。大阪の都心部へ電車や高速道路で30分で行ける。それがメリットで結婚して以来36年程住んでいる。人口増加率は全国で一位か二位で小さな町だったのが今では八万人近くの市に成っても未だ増え続けている。市としての機能は一応揃っているが、デメリットは街中の下町風情の店屋が少なく住宅地は人の行き来が非常に少ないだけに寂しい事だ。日常の買い出しは市内の一つ隣の駅に近いスーパーまで行ってまとめ買いをする。が、15分も車で走れば大阪の衛星都市に行けるから必需品や娯楽や飲食はは都心部と変わらないものの、衛星都市だけに少々ダサイのが目につき、利用するのは月に一二度ぐらいなもので矢張り都心へ行く方が多い。そういう静かな処に住んで居ると情報はテレビとインターネットに限られる。 新聞はもうニュース伝達手段としての役割を終えてしまったので野菜の保存包装かバーベキューの火種ぐらいにしか使わなくなった。雑誌も送って来るのが溜まる一方で、カタログ類も溜まって仕方が無い。年をとって生活形態も変わったから今ではこの生活に慣れたものの、都会生まれの都会育ちだった我々夫婦にはこの生活に慣れ親しむのに相当年月を要した。しかし、今の住宅地の生活の方が都会生活の期間以上に長く成って都会生活が昔の事になってしまった。「人生至るところ青山あり」と言うから何処に住もうと考え方一つで慣れてしまうのだろう。風光明美な自然の中の生活に満足し何も言う事は無いのだが、人間の欲望と言うか贅沢は尽きず、欲を言えばキリが無いが、出来れば世界をゆっくり船旅でもしてみたいと言いつつ何処そこは嫌だとか、あそこなら良いだろうと言い合っている。 それにはまとまった金が要るが、ボクの子供時分からの夢は宇宙旅行だったから、その旅費となるや大金も大金、一般人が自由に行けるには未だまだ大分先の事になりそうだ。当面は国家的事業として選ばれた飛行士だけが行ける時代だ。ところが、それを安値で行ける方法を考えた人が居て、大気圏内は飛行機でロケットを持ち上げて運び、大気圏外へはロケットで行く方法である。その方法は当然ながら昔から分かっていたものだが、ロケットの本来の目的がミサイルで敵を攻撃する為の武器の一種だから、しのぎを削って各国が開発した訳だ。だから人工衛星を飛ばす為だとか宇宙開発の平和利用だとわざわざ説明をしなければならなかった。丁度、戦車(タンク)を開発していた時代に、これは水を運ぶタンクだと誤魔化していたから名前がタンクになっただけで、原子力発電も核爆弾の燃料であるプルトニウムを抽出する装置だった。 それを民生用にと誤魔化して使い出しただけで、今ではウランからプルトニウムを抽出するのにウランが枯渇してきたのと、米露で大量に製造し保有して来た核爆弾の維持管理に膨大な費用が掛かり過ぎて「これ以上の核は不要」という体制に変わって来た。それを北朝鮮やイランが核開発をしていると騒いでいるのだ。時代遅れな話である。原発の原料として安全性が高いトリウムを使う技術が既にあるのに敢えてその言葉がマスコミに出ないのには何か訳があるのだろう。火力発電用の重油や天然ガスを産する国々の思惑やガソリン車が未だ地球上の主な車のエネルギーである内はトリウム原発の話は出廻らないだろう。太陽光発電や風力発電など様々な方法で発電する技術もある。近年では燃料電池という水の電気分解の逆の現象を利用する発電方式も一般家庭に出廻り出し、電力会社の先細り経営に対してガス会社は強気経営だ。 大都会は勿論、緑豊かな環境で住むにもクリーンなエネルギーである電力は絶対不可欠なものであるが、発電方法が問題である。チェルノブイリや福島で観た様に原発が様々な公害をまき散らし、莫大な金食い虫である事が証明されてしまった今では誰も原発が良いとは思って居ない。ところが心でそう想いながらも口には出せない電力会社とそれで儲けている連中は「原発は安くてCO2を出さないクリーンな発電方式である」と未だに嘘を平気でついている。地獄へ落ちても閻魔様の前で平気でそれを言い続けるのだろうか。だからフランスの様に大地震や大津波の無い国では原発を存続させ、余った電力を外国に売り続けるだろうが、時代は既に脱原発の時代に入っている。それでも敢えて原発を新たに設ける国は、広大な国土を持っていて万が一メルトダウンしても隔離すれば良いと考えているのだろう。国民の安全なぞ二の次なのだ。 だからこそ核実験を自国でやって来たのだ。ネバダ砂漠で西部劇を撮った俳優や監督は核実験の放射能によって癌で亡くなった。すると西部劇は映画界から消えてしまった。ハリウッドはアメリカ政府のプロパガンダ製作所だから様々なシチュエーションの物語映画がスタジオで作られ、国内はもとより世界にばら撒かれた。その影響力で世界の若者がアメリカン・スタイルに憧れ真似て行った。が、不況のアメリカのせいでブリック以外の世界は不況だ。そんな折、久しぶりに大阪の繁華街へ出掛け、面白いアメリカ映画でもあれば観る積りだった。が、観たい映画も無く、丸善で本を物色してから街を歩いてみた。想ったよりも人の出が少なく、珍しく閑散とした年末風景だった。夕方には事務所の忘年会がある。時間があるので事務所のある谷町まで地下鉄駅二つ分をブラブラ歩いた。お蔭で少し汗ばんで来た。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/29
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年の瀬(3) 人々は来年こそはもっと良い年に成るようにと願いながら今年を振り返り、反省し、良かった事と悪かった事とをごちゃ混ぜにしてプラスマイナスを測る。人は決して今年が最高に良かったとは想わないものである。何年か過ぎてから振り返って、良かった時の事を懐かしく想うものだ。そして欲は尽きず、再びその再来を願い人生最大の幸福を願う。人間の欲には限りが無いのだ。だからこそ生きて居られるのだという人も居るぐらいだ。確かに忘れるという作用が働かなかったなら我々は生きて居られないと想い込むのが自然だ。しかしながら人は強い面も持っている。時間が経って心の痛みを乗り越えた時に「何くそ!」という強い意志に変えれれば大きなエネルギーの源になるからだ。今大流行りのインターネット映画で観る韓国ドラマの大半は「何くそ!」という不屈の精神が底流にある。 朝鮮民族ばかりでなく大国に虐げられた民族は機会を狙って不屈の精神を発揮させようとする。それが経済面や文化・科学面で上手く発揮出来れば世界で頭角を現す事に成る。テロや戦争という武力だけに頼るのでは無く頭で勝負する方法の成功者の代表と言えばロスチャイルド一派が挙げられる。それがユダヤ民族という一民族を越え、国際的になったのが蔭の金融組織であった。ヨーロッパ主要国の財務省の最高顧問となり経済を動かすまでになれば一つの国なぞ単なる集団の一つに過ぎず最終的には国際的立場での身内同士の情報交換や協力で地球経済が成り立って行ったと言っても過言ではない。しかしながらイギリス・フランスに多く住むロスチャイルド一派も夫々の国が高い相続税(40%)を導入する様になってからは凋落の一途をたどり、今では流石の彼等も世界の大富豪の一つにまで落ちていると言われる。矢張り人間の寿命よりも長い組織(国)の方が勝る事になるのだろう。 「驕れるもの久しからず」という平家物語では無いが、結局は仏教の無常の世界が地球を支配しているとも言える。尤も、我々はそんな大きな世界の事ではなく目先の現実社会に目が行き勝ちになる。日常生活に直ぐに影響する訳でも無い事柄は考えるのも面倒になる。知っておいて損は無い程度の情報なぞ生活に何の役にも立たないと想ってしまうのが庶民である。ところが、消費税とか子供手当という話に成れば目の色を変えてニュースに注目する。どちらも税の問題であり国家予算の入りと出の話であり、その向こうには円とドルの問題や貿易の諸関税のからみが影響している。アメリカ経済もユーロ圏の経済も絡んで居る。それにも拘わらず、面倒な事は分からないとして考えようともせず、目先の事で頭の中は一杯になってしまう。対岸の火事は眺めているだけで充分だと想って居るのである。 しかしながら今や国同士の対立よりも企業間同士の対立の方が民族意識は強く、多国籍企業ともなれば単一民族では無く複合民族となり新種の民族(家族)の様なものに成ってしまって居るだけに身内(ファミリー)の結束は更に強い。アメリカ・マフィアのようなファミリーの結束が固い新興宗教の様な連中には彼等独自の倫理規定しか通用せず、世界は経済力の勝った連中の基準がまかり通る事と成る。その表れとして中国がある。ブリックの代表の様な中国は、先ずその持つ人口で世界を圧倒し、その安い労働力で世界のドルを集め、アメリカ経済を支配する勢いである。東南アジアでは日本海や太平洋、インド洋を我が物顔で航行しトラブルを続けて居て鼻つまみ者になっている。「沖縄は元来、中国の属国であった」とか「尖閣列島のある大陸棚までは中国の領土である」という無茶苦茶な理屈で領土を広げようとまでしている現状である。まるで北朝鮮と同じ893国家である。 考えてみれば同盟国でも無い国は簡単に言えば敵であるから、仲良くしようとラブコールすれば「それだけの態度を見せろ」と迫って来るものである。人間でも名前を知っている程度の相手との交際でも矢張り最初は態度やマナーや心根を知った上で交際は始まるものだ。名前も知らない相手なら紹介者でも居ない限り交際を始めるには勇気が居るものである。それを出会い系サイトで知り合った危ない関係で交際を始め、事件に巻き込まれる馬鹿な連中が居る。若さゆえの未熟と言ってしまえばそれ迄だが、国際間でも似た様な面があって「こんな国とは知らなかった」と驚く事さえある。国際的犯罪である拉致なぞは言語道断で本来なら戦争ものなのに弱腰の我が国政府は手も足も出ず、拝み倒して「お返し願いたい」と頼んだ挙句「そこまで言うのなら先ず経済援助を」といけしゃあしゃあと言ってのけるのだ。 恥とかプライドの無い国とは薄々知っていたが、白昼堂々と国家の手先が外国で犯罪を実施する893国家を相手に正論で紳士的に向かうナンセンスを反省し交渉方法を6カ国協議だけに絞るという外圧に屈している様ではラチは明かない。大阪にある朝鮮人学校への教育補助金を中断しているのに対して、教室に飾ってあるドンやその息子の「肖像画を外せば再開を考えましょう」と言っても一向に外さず「大阪府は我々に教育補助金を実施しろ」とデモを仕掛けるぐらいだ。拉致事件の事をニュース記者が朝鮮人学校の教師や関係者に訊いても「日本人が我々にして来た仕打ちを考えれば、そんなものは問題では無い」と言い返す。理屈では当然正義が勝つから彼等はまともに応えられないのだが、最近、そのドンが突然死んで国家体制の維持に躍起になっているから多少は方針を変えるかも知れない。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/28
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年の瀬(2) 大晦日に除夜の鐘が聴こえて来るのは、のどかなものである。百八つの煩悩を表すとされる鐘の音を数えるのでは無く音色を背景に行く年をしみじみ想い返すだけの事だが、それで様々な迷いや煩悩が消え心が落ち着くとされるのである。尤も、現代社会においては寺院の近所に住むか、それとも地方の余程静かな環境に住んでいる人にしか味わえない一種の贅沢であるが、京都に住んでいた子供時分は近所の仏光寺へ行って鐘を突いたものだった。それを想い出した訳でもないが、たまたま今月の月例会ゴルフの帰りに隣にある播州清水寺を拝観した際に鐘を突いた。ひと突き百円だった。中型の鐘の音は想ったよりも高い音色で夕刻の播州平野に鳴り響いて行った。勿論、それは除夜の鐘では無く単なる拝観ついでの供養であったが、之まで彼方此方の寺院で鐘を突いた風景をを一瞬に想い出したのだった。 大きい釣鐘では南禅寺での記憶がある。儀式としての除夜の鐘は突いた事は無いが、平時に鳴らせたのだ。観光客が数人掛かりで一緒に大きな突き棒を振り、突き鳴らす光景もあった。今では観光客は突けなくなっているのかも知れないが、寺院の鐘は西欧の教会の鐘と同じ役割をもっているもので時計代わりにもなっていた。だから暮れ六つと言うように鐘を突く回数で時刻を知らせて居たのだ。京の鐘には五つの音色があり、それは平安朝に中国から入った雅楽の音階を元にしたもので、京の中央と東西南北で音色を分けて居た。それを中央の御所で貴族たちが聴いていた訳である。中央は壱越調(いちこつちょう)とし波長は292.7ヘルツ。北では盤渉調(ばんしきちょう)で波長は491.5ヘルツ。東では双調(そうぢょう)で391.5ヘルツ。南では黄鐘調(こうしきちょう)で437.0ヘルツ。西では平調(ひょうぢょう)で326.2ヘルツとされている。 そういう理屈を知って鐘の音を聴き比べれば京都の歴史を耳からも味わえる。雅楽は仏教と同じく朝廷による国家安寧を願ったものだから奈良に続いて京都という盆地に鐘の音が鳴り響く様は、さぞかし権力者達を満足させたものと想われ勝ちだが、実際は応仁の乱に観るように天下国家は荒れ、鎌倉時代にしても荘園(貴族・僧侶)の繁栄の割には武士階級の経済的疲弊に依る死活問題で反乱が勃発し、命の遣り取りは日常茶飯事となり、宗教的にも在来の大宗教を批判する勢力が勃興し大宗教家が多く生まれる事にもなる。世の中の乱れは次代への転換期となり、室町・戦国時代を経て、やがて江戸時代の安定期を迎える事となり、将来の大東京時代の礎を築く事となるのである。しかし世界は大航海時代を迎え激変し、鎖国政策も維持出来なくなり徳川幕府は潰れ、明治維新以降は富国強兵策で西欧列強に比肩するまでになるのだ。 ところが、それが行き過ぎて先の大戦で連合国から原子爆弾を二発も投下されヒロシマ・ナガサキで悲惨な地獄絵を見せつけられ、流石の神国日本も恥もプライドも捨て無条件降伏をし骨抜き国家に陥ってしまうのである。それは今の若者が生まれる前の親の子供時代の話である。しかしながら、原爆で取り返しのつかないホロコーストをしてしまったという罪の意識がアメリカをして日本を経済大国にさせるのである。一種の詫びでもあり慰謝料代わりでもあったのだろう。しかし、それも朝鮮戦争から始まって精々50年間の繁栄に過ぎず、戦後の団塊の世代が年金を受給する時代になって国家財政は破綻に近い状態に陥ってしまった。何故なら自力で這い上がった経済力では無かったが故に、親分のアメリカが風邪を引いてしまって日本は肺炎で寝込まねばならなくなってしまったからだ。 国家予算約90兆円の半分は借金である。その借金が何と積もり積もって1千兆円を越える迄にもなり、世界の信用格付け評価も既に数年前からトリプルAからネガティブAに転落し、国債が売れ残る事態に迄なろうとしている。郵貯(国民の資産)があるから大丈夫と言う評論家が要るが、その実態は既に額面通りには無いというのが大方の観方で、郵政民営化でアメリカに大量に貯金資金が流れ込み、投機の失敗という形で大半が消えてしまったと言われる。つまりTPPと同じく国際(対米)間での対等商取引という理屈で水が高い処から低い処へ流れて行く様に決して元には戻らないシステムが外交圧力で実施されているとも言われているのだ。そんな理屈が分かって居ながら何故その様な事になるのか。それは簡単に言えば政治家にとって自分の金では無いからだ。自分に直接利害の無い金なぞ政治的に利用するだけで良いのだ。 かくして国賊とも言える政治家や官僚が跋扈し、自分こそは国際人であると豪語して日本を駄目にして行く。やがて日本は独自性を持った国家では無くなり何処かの国の属国に成り下がってしまうかも知れない。それを喰い止めようとする坂本竜馬を始めとした幕末の志士達の様な若者が現れるのを国民は待っているのかも知れない。そういう時代のうねりを感じつつ歴史は繰り返されて行く。つまり危機意識を持った国民が増える時代はエネルギーが湧く時でもある。東北大震災で失意のどん底に陥ったのに更に追い打ちを掛ける様に福島原発がメルトダウンしてしまった。最悪の状態になった日本は、もう落ちる処まで落ちた。この状態が正常である筈が無い。そう国民は想っている。その証拠に「なでしこジャパン」が女子サッカー世界一の王座に輝いた。人々は先ず気持ちの入れ替えが必要と想って彼女等の行為を心から祝福したのだ。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/27
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年の瀬(1) クリスマスも済んで新年を迎えるのが数日になって来ると大して何もする事も無いのに気ぜわしく成って来る。片づけものや挨拶回りとか正月の準備が毎年巡って来るだけなのに、ボクなんか今年は何故か早々と年賀状を今月の初め頃に出してしまった。それなのに妻なんか未だデザインが決まらないからと一枚も書いていない。年を越してから、来たものにだけに返信を出す無精癖が出そうになっている様なので「去年の来た分の宛先だけでもプリント・アウトしといて上げようか」と言っても「有難う。お願いするワ」とは言うものの一向に住所原稿が出て来ない。そんな状態を気にする事も無いのに、それ程ボクは暇を持て余しているという事だ。友人と寒い京都の街を歩き回り、甘酒でも飲んで祇園さんへおケラ参りに行く大晦日だったのが、肝心の友人が既に逝ってしまい久しくなって想い出に浸るだけである。 近年では、年末に成ると来し方を想い返してしまうのが癖になっている。反省を込めて自分を見直す良い機会だと想えば無駄でも無いだろう。尤も、ボクのブログは反省日記のようなものだから今更愚痴めいた事を書いても始まらず、来年の抱負でも考える方が前向きなのだろうが、来年の事を言えば鬼が笑うと言うから、元旦にそれを書くとして、その為の準備をするのが年末の時間を過ごすには最適なのだろう。しかしながら年齢というものは生物学的なものと精神的なものとのギャップがあって、本当の意味での社会的年齢に達していなかったり既に過ぎていたりするものだ。若い内は背伸びして中年の訳知りの様な小生意気な事を言って居たくせに、中年を過ぎ老年の領域に入ってしまうと今度は中年の意識が未だ残っいて老年の考え方や悟り方が身に付いていないだけにギャップが足を引っ張ってしまう。 それは見掛けでは分からず、自分自身の内面の葛藤に過ぎないのだろうが、人が判断する年齢は総て自分が基準で、自分より上か下かという単純な分類だけにややもすると判断を誤ってしまい勝ちになる。真の芸術家は何時までも少年の心を持っているもので、政治家の様な小賢しく若年寄的な人間なぞ薄汚く観えてしまうだろう。それでも割り切って付き合う人も居て、そういう芸術家は割合世渡り上手なものだ。例えば亡くなった画家でロータリー・クラブの会員だった妻の絵の先生がそうだった。ボク達の結婚式の披露宴スピーチでボクの妻の事を「亡くなった家内が、新婦の事を・・・・と褒めて居たのを想い出します」とか「亡くなった家内と仲の良かった新婦は・・・・」と先生の奥さんの事を頻繁に言うので、祝いの席で数年前に亡くなった奥さんの事を言う常識外れで変わった先生だと想ったものだった。 ところが、ボク達の結婚後、間もなく若い女性と再婚したものだから「おやおや、先生も中々やるもんだ」と驚き、その翌年には秋の叙勲で紫綬褒章を受けられたから矢張り世渡りの上手な人だと想ったものだった。更に驚いたのは、高校の英語の先生をしていた奥さんが、その後、著名な展覧会に絵を出品し入選し受賞までしたのだった。絵の素養があったにしてもタッチや手法は夫の画家とそっくりで「先生の手が後からリードしている様ネ」と妻は笑っていた。老いた自分を振り返って生きている内に若い妻に技量を教え込もうとしていたのかも知れず、政治家的な先生の事だから妻の行く末を心配していたのかも知れない。それから15年ほどして先生が高齢の為に亡くならたと新聞に出ているのを単身赴任先の東京で見て懐かしく想い出したものだった。折から新宿の画廊で、矢張り先生の画家仲間が個展をしている最中だった。 あれから20年ほど経って結婚式に出てくれた人々の顔ぶれも別の世界へ旅立った人々が多く成り、友人も年賀状だけの付き合いに成ってしまっているのが殆どだ。中でも早くから会社をリタイアした人は何をして毎日過ごしているのか不思議で、毎年の年賀状では元気そうに見えるものの実際の処は分からない。多分、週の半分は仕事や何かで外出をしているのだろうが、一緒にゴルフでもしようかという仲間でも無い。ボクが単身赴任していた頃には既に人生の大半を終えた人々ばかりで新たな目標をもって進んだのは僅かな友人だけだった。それも自由業の人は別にしてサラリーマンは先が観えて居ただけに、それが仮に趣味だったとすればボクの様な生涯現役で行こうとする者には不可解な余生にしか観えないのだ。それに半分羨ましさを感じるものの、それだけ熱中出来る何かがあるという一種の青春のときめきを感じる様な相手だっかと考えてしまう。 人生の晩年が近づいた相手に今何かときめきを感じる事があるかと訊いたところで笑って応えてくれはしないだろうが、世の中には八十に成っても青春をする人は幾らでも居る。せめて、そういう生き方が出来れば良いなと想うだけに仮に友人にそういう相手が居れば尊敬してしまうだろう。尊敬だけでなくせめて自分もその片鱗だけでも体験したいと想うなら先ず何でも良いから気に入った事を実戦する事だ。趣味なら何でも良いが、無趣味の人なら人のやっている事の真似でも良い。兎に角やってみて続けて行く内に好きになれば目っけもんだ。続ける事が大事なのである。継続はやがて力となる。力は存在力と考えても良い。一つの力とも呼べるものに成れば楽しく成って来るだろう。それが人生最晩年の唯一の楽しみともなれば、それだけで充分だろう。自分にさえ納得出来れば、誰にも知られずに居ても関係なく楽しめるものだ。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/26
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冬枯れの頃(8) 北朝鮮のドンが死んで極東アジアの国際情勢が大きく変化しようとしている中、年末も1週間ばかり残すだけとなって、来年こそはと希望して毎日ベートーベンの第9交響曲を聴いている。第4楽章の合唱の部分になれば同じ様にドイツ語で一緒に歌うのだ。飽きもせず何回も繰り返して聴き、歌っているといよいよ年末の気分に成って来る。耳を悪くしたベートーベンは、自分の作曲したばかりの9番目の交響曲の初演コンサートでタクトを振ったものの演奏が終わっても後の聴衆の熱狂的な拍手と声援が聴こえず、演奏が成功したのかどうか不安もあって振り返る事も出来ずにいた。それをアルトの女性歌手が想い余って彼をリードして聴衆に向けさせた事で初めて成功を知ったという逸話がある。音楽家にとって音が聴こえなく成った苦しみを察するに余りあるものの、実に感動的な場面である。 彼は音が聴こえなくなってからもフォークを咥え、ピアノに当てながら、その振動で音階を身体で感じて作曲に専念していたという有名な話もあって、その壮絶なまでの生き様を知るにつけ益々彼の執念とも言える生涯に敬意を払いたくなる。其処までして何かに没頭した事がボクにはあったろうかと忸怩たる想いにもなるのである。建築家にとって目が不自由になって見えなくなる事が、それに匹敵するのだろうが、ボクなんか五体満足で居ながら大した事もせず六十数年生きて来ているのを幸せとしなければ罰が当たるだろう。尤も、三年前に突発性難聴になって左耳が不自由になってしまったが、それでも半分は聴こえるまで回復したのだから良しとせねばならない。この歳になれば何かと身体に異変を感じるのも仕方の無い事だろう。後何年生きるか知らないが健康で在りたいものである。 これまで、自分の来し方の中で様々なタイプの経営者やリーダーと呼ばれる人々と出逢ったが、一流と言われながらもこれぞという人が存外居ない事を知るにつけ、人間というものは完璧な人というものが実は居ないのが本当ではないか、それが人間である証ではないかと想う様になったのも歳のせいだろうか。「そういうお前はどうなのだ?」と問われる迄も無く、ボクなんか俗物の小物に過ぎないのは分かっているが、それでも京都人だけに批判力だけは人一倍旺盛なのだ。これまで京都人の癖を何度も書いて来たが、京都人が日本人の代表の様な言い方をするのを快しとしない人も居るだろう。しかし、木曽義仲を信州の山猿だとか徳川家康を狸親父と看過し揶揄して来た京都の町衆の批判力も、あながち的を射ていただけに代表的日本人と見做しても良いだろう。 京都に千年の都が在っただけに伊達に時の権力者を批判して来ただけでは無い町衆の底力は馬鹿にならないものがある。日本三大祭りの祇園祭を観てもそれが言える。あの時代に今でも困難と言われるフランスのゴブラン織りを大量に発注し、輸入し、祭りの山車の飾りにした事や、明治期には琵琶湖から水路を曳いて(疏水)水力発電を日本で初めてインフラとして設け、電灯を灯し、電車を走らせた町衆の財力に感心するのである。東京遷都のせいで京都が寂れ、戦後は東京一極集中が加速され商都であった大阪までもが疲弊してしまった。東京はしかし、福島原発のメルトダウンで被爆都市になってしまった。人々はそれを薄々知りながらも半分は恐怖の中で生活をしているのである。大津波と原発事故で東北は半ば死の街と成り、過疎化を助長させ、関東もこれ以上の拡大は望めなくなってしまった。 政府のその後の対応が、まるで脳性麻痺に掛かってしまった様に何も出来ず、やる気も見られず凋落の一途を辿っている。唯、税金を上げる事しか頭に無く、町衆(国民)の底力を曳き出そうともせず、役人と政治家と財界人だけが日本国民の様に考え、一般大衆は税を納めるだけの奴隷の様に考えていると言われても仕方が無い状態なのである。国民の大多数は「そんな事を考える連中なぞ一列に並べて機関銃で撃ち殺してしまえ」と心では想っているのでは無いだろうか。それが本当に成れば革命である。フランス革命は市民から起きた。60年安保闘争は学生と市民から起き、天安門のデモは学生から起きた。アメリカの市民運動は政府の傲慢と失策に批判する動きである。世界各国で政府に批判する市民運動が広まっている。それをやっきになって鎮圧しようとする政府との対立は激化する一方だ。 来年こそは良い歳に成って欲しい、否、今よりも悪くならないで欲しいと人々は願う。その為にも我々はしっかりと政府を見張り、その嘘を見抜かねばならない。黙って居れば彼等を認めた事に成り、満足しているかの様に勝手に解釈されてしまう。何せ、国民は税金を払うだけの生き物としか考ない輩なのだ。インターネットなぞという代物が出来た為に余計な事をブログやツイッタ―で言いふらす連中が増えて困っているのが政府である。あの強権で知られる中国でさえも余りにも増え過ぎたインターネットに対応も出来ず、さりとて電波を管理するプロバイダーの閉鎖に追い込めば自分達が逆に追い込まれる事を知っているだけに二進も三進も行かなくなっているのが現状である。政府批判は国民の人間らしく生きる為の当然の権利であり義務でもある。それを代弁するマスコミが政府に媚を売る様では自分で自分の首を絞めている様なものである。民主主義の原点に戻さねばならない。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/25
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冬枯れの頃(7) 妻に言わせれば「勝った負けたと言うよりも、自分も相手も良く成る事を考えないと、人間として一流では無い」のだそうだ。相手が落ちて行くと自分もそれに引き摺られると言うのである。そういう考え方も分からないでは無いが、政治や経済の世界を観て居ると勝った負けたの世界でしか無い。皆が仲良く行ける社会なぞ無いのではないかと想うのだ。宗教ならそういう事も言えるだろうが、実際は宗教上の対立や文化面の違いがあり、国で言えば戦争をしなくとも外交や経済戦争で優劣を付け、それは日常茶飯事に行われている。人類の歴史がそれの積み重ねであるのを観ても分かる。命のやり取りで無くとも結果的には相手を潰す(殺す)事と同義語になっているのではないだろうか。国際支援や援助というのも自分が生き伸びる為の一種の保険であり誤魔化しなのかも知れない。国連がそうだ。 戦勝国だけが有利になる様な政策ばかりを採決し、都合が悪ければ拒否権を行使するではないか。同盟国と言えども安心はして居られないのである。喰うか喰われるかの瀬戸際外交が政治手腕とさえ言われる。うかうかとしていれば餌食にされるだけなのだ。何処にそんなお人好しの国があるのだ。理想は理想であって、現実から目を反らせては何も見えなくなってしまう。出来ないか出来そうに無いからこそ理想を高く掲げ、その目標に向かおうとしているのである。そういう風に観れば、人間は民族や主義主張が違っても皆その根は一緒なのだと想えて来る。相手が一等国だからと羨ましがったり自分が二等国だからと悔しがる必要は無いのである。地球の持てる富には限度がり、それを70億の人類で分けあうのでは無く、数ヵ国だけで、それも権力者達の関係する組織だけが独占している状態が人類の歴史である。 世界が東西に分かれて対立する構造は意識的に構築されたまやかしであり目くらましだと想えば世界が実に単純な理屈で成り立っているのが観えて来る筈だ。それを尤もらしく学界や経済界がへ理屈を付けて説明し啓蒙し教育していくから人々はそれがさも立派な考え方だと想って、例えばノーベル賞を崇拝したり憧れて自分の受賞出来る順番を心待ちにする。中でもノーベル平和賞という訳の分からない賞なぞ政治的な思惑で誰に渡すか時代の流れで決めるから、貰った方はそれで救われたり世界の注目を集め一つの流れが出来、賞を与える側は思惑通りに行く事でニンマリと影で笑うのである。ダイナマイトを発明したノーベルは自分の発明で世界が爆破されながらも莫大な金が自分に入りこむ矛盾した恐ろしさに耐えかねて財団をつくり世界に分配する事で心の負担を減らしたと言われる。 マンハッタン計画という隠密行動で核爆弾を世界に先駆けて開発したアメリカは、その2発を日本に落とす事で絶対的な権力を手にする事が出来た。敗戦が目前に迫っていると分かっている明白な状況下で既に両手を挙げていた日本政府を騙し打ちにして日本国民を動物実験宜しくホロコーストしたアメリカの権力者は、当然ながら東洋の猿の様な民族なぞ地球から消えても屁とも想わなかった事は明らかである。だから我々は今もアメリカ国民の持つ日本への偏見や同情や理解や敵視等に対する一般常識がアメリカの一部の権力者によってつくられ喧伝されたプロパガンダに依るものである事も知っている。それが戦争だからである。人道的立場で観れば絶対に許せない行為であっても戦争と成れば総て別扱いになる事も知っている。敗戦受諾をした直後にロシアが北海道の一部を占拠してしまった事も事実として受け入れている。 第二次世界大戦の戦勝国が作った組合(国連)で、常任理事国の五つの国だけが核爆弾を持つ権利が認められたにも拘わらず、それ以外の国が勝手に核爆弾を持つ事になって世界の核の傘のバランスが崩れたとされるのも、実は常任理事国が意識的に自分の同盟国に核をばら撒いた結果に過ぎず、そういう背景ではない状態で核を保有してしまった国に経済制裁を加えるというナンセンスに世界は失敗し、新しく核保有国となった国々に世界は振り廻されている。それがイスラエルでありパキスタンであり北朝鮮であり、イランもそれに並びかけていると騒ぐのである。そもそも核爆弾の原料であるプルトニウムを作る装置(原子力発電)を平和(民生)利用とする無理な嘘を世界に広めたのは誰だったのか。 福島原発が3基も同時(今年3月)にメルトダウンして核爆弾と同じ死の灰が東北・関東にばら撒かれたにも拘わらず、東電と日本政府はパニック状態になりオロオロするばかりで、今も解決の目処が立って居ないのだ。それにも拘わらず僅か9カ月目に終息宣言という大嘘を世界に発する始末で、狂った政府は狂言強盗よろしく、火事場ドロボーの様に東北大震災復興税(原発復興税)と称して消費税をアップする法案を練り始めている。その後では財務官僚がパペット内閣を糸で操っている。マスコミも最初からその方向に操られ、国民が税に苦しむ構図が出来上がりつつある。つまり、ジワジワと不況の嵐は国民の末端にまで迫って来て、二極化の世界が出来上がりつつある訳で、アメリカの市民デモ「99:1」のスローガンも日本に上陸しようとしている。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/24
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冬枯れの頃(6) 仕事とは言え、そういう連中と付き合っていると世の中が如何に裏の社会と密着しているかがよく分かる。表面では素知らぬ顔で綺麗事を言っていても一般人の知らない処でドロドロした話は一杯在るのだ。裏社会の代表の様な893の世界は論外にしても、政治と財界の密着関係はマスコミ操作をして全く別の次元の様な報道をしながら彼等の本命とする大規模な金の流れを助けるのである。サラリーマン時代の当時の社長は経団連の役員をしていたから言う事が並はずれていた。例えば、法律でそれ以上は進める事が出来ない事業案件があれば「法律を変えれば簡単に済む話ですヨ」と言ってのけたりするのだ。全国の支社を定期的に廻りながら、腹心の部下と見做せる社員数名を早朝会議と称してホテルでの朝粥会に招待し、朝食を採りながらそういう風な口調で一種の教育や打合せをする。 招待された社員は自分が特別の存在だと勘違いして一所懸命に社長の話を聴く。ボクなんかサラリーマン社会で役付きになって行き、将来は役員にまで成る出世コースなぞ心の中で馬鹿にしていたから、社長に呼ばれてそういう会に出たりしても感激なぞしなかったし、単独行動で隠密行動をとらされても得意になる様な事も無かった。だからこそ社長や一部の幹部役員しか知らない情報を握っても有頂天に成る事も無く、口も堅かったから安心して社長室に顔パスで通って行けたのだろう。尤も、そういう立場に成るきっかけが過去にあった。独身時代に大手の設計事務所を辞めて海外へ行く準備をしていた頃、急きょ結婚する事に成り、海外へ行くのを諦め、新婚生活の為に一部上場の或る住宅会社に再就職したのだった。その直後、建築学会の設計競技に入選して、その事が社長室に伝わり、社内新聞に社長とボクとの対談記事が載った。 それで一躍社内で有名になり神話となり、サラリーマン建築家として認められる様になったのだが、全国に居る社員だけでも一万人を越える大会社だけに、大阪支社に居ても東京本社へは度々出張したり、社員教育の講師をしたりする内に幹部社員と同等の立場になって行った。しかし、ボクは早く独立してサラリーマンを辞めたくて仕方が無かったのだ。有能な建築家に成るには高給で遇されていては辞め難くなるだけという事も分かっていた。ところが17年もその会社に居たのだった。余程居心地が良かったのだろう。人間的に成長が止まっていたとも言えるのかも知れないが、お蔭で友人の建築家仲間の中では経済的には恵まれた存在だったし、何処へ出ても卑屈になる事も無かった。相手がどんな有名人であれ政治家であれ社長であっても堂々と渡り合える事が出来る様になっていたのだ。 しかしながら40代後半になって、流石に50を過ぎれば建築家としては元に戻れなくなるという危惧の念が出、サラリーマンを辞めるきっかけを探すようになっていた。その頃、単身赴任で7年も東京に住んでいたから余計にそんな考えに成っていたのだろう。たまたま大阪花博に会社が参加する事になって花博の自社パビリオンの総監督として大阪に戻る事が出来、サラリーマンを辞める準備が整ったのだった。パビリオン建設は、遅れての花博への参加だったにも拘わらず、スーパー・ゼネコンへ発注する立場でもあった事が幸いして、並みいるゼネコン各社なぞ端にも掛けず工事を進める事が出来、全体の工事遅れを気に揉んでいた建設省の審議官も感心するぐらい余裕を持って無事に出来上がったのだった。会場の竣工式で審議官が暗にボクの事を指し褒めてくれたのを支社長が聴いて大いに喜び感心していたものだった。 が、そんなボクがパビリオンの完成を機に会社を辞めると言い出したのには流石に信じられないという顔をしていた。ボクが社長と仲が良く、社長室に秘書課を通さずに顔パスで行くというだけの事でビクビクしていただけの支社長は、ボクの真意が分からず半分オドオドしていたのだった。ボクの存在が自分の地位を脅かすと想っていたのか、何か裏にあると考えたのだろう。欲が無いというのは強いものである。サラリーマン生活で好きな様に動け、仕事が出来たのもそういう気持ちで居たからだろう。後日、会社を辞めて1年ほど経った頃、バブル景気の頃に新しく出来た超高級ゴルフ場で支社長と偶然出逢った時は、目を丸くしてボクを観て居た。「良かったら亦、会社の方に遊びに来て下さい」とお世辞を言って居た声が震えていたから、多分、彼はそろそろ窓際族に追いやられていたのかも知れない。 ふと「宮使えは、すまじきもの」という言葉が浮かんだ。それにしてもボクを東京本社へ単身赴任させた張本人の支社長が、異動の理由として、ボクが本社勤務を望んでいると嘘八百を並べていた事が本社へ行って分かった時は笑ってしまった。そんなにボクの存在が目障りで鬱陶しかったのだろうか。その手法で之まで何人の部下を潰して来たのだろうか。そう考えると、そういう事があるだけに常にオドオドしながら部下を観、社長の動向を気にして情報を収集していた哀れな男が可哀想に思えて来るのだった。そういう男が今頃どのようにして生きているのかふと気にかかるのである。何故ならボクが辞めて数年して、その住宅会社は大手企業に買収され社長は消えてしまったからだ。あれほど大言壮語していた社長も国際的な企業には勝てなかったのだ。金は残ったかも知れないが失意の内に彼もあの支社長も消えてしまった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/23
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冬枯れの頃(5) 世の中が嘘でまみれ、それでも人々が平気で暮らしている現実を大人の社会と言うのなら、ボクなんかは良い歳をした子供という事になるのだろう。それは生きるのが下手な人間という方に属するのかも知れない。嘘も方便、適当な嘘は人々を幸せにするという軽い気持ちで世渡りをすれば変な事で拘る事も無いのだ。そう言えば、仕事では小さな嘘は幾らでもある。社交辞令で言う嘘を嘘と言うなら世の中には真実が本当に在るのかという事にも成り兼ねない。政治家や役人が嘘を言うのは今更珍しくも無いが、医者も患者を騙し、マスコミも一般市民を騙し、商売人が客を騙す構図等は古今東西当たり前の様に行われて来ているではないか。勿論それにも程度問題があるだろう。裁判で嘘がバレれば偽証罪に問われる。しかし嘘がバレずに整合性や論理的に通れば真実としてまかり通る。 冤罪で死んで行ったり長年の投獄に耐えた人々について、それを晴らす事が出来るのは針の穴に象を通す様なものだ。正義が何処にあるのか分からなくなった時代は不幸であり未来は観えない。我々は今まさにその時代に生きているのである。しかし、誰かが真実を明かしてくれるだろうという気持ちを捨てずに生きるのも人生である。蟻の一穴が大きな穴に変わる事も時としてあるからだ。今朝、ココに早く起こされてベットでまどろんで居ると来し方の想い出が走馬灯の様に浮かんでは消えて行くのを覚えた。特に仕事関係で接した多くの経営者のプロフィールのような記憶がまざまざと蘇えって来て、嘘八百を並べ立てていた連中の顔が次から次へと浮かんでは消えて行くのだ。それを見抜いて仕事関係を絶った連中の事だから、どうでも良い相手なのに想い出すには何か理由があるのだろう。 多分、時代が悪いから、そういう相手が今まともに生きて居るのかどうか気にかかるのだろうが、彼等に共通するのは思想が無いという事だから世の中がどう変わろうと我武者羅に生きているのだろう。つまり目先の事しか頭に無く、哲学や人間性の片鱗なぞ全く感じられない相手なのだ。金が総てで如何に人を騙し利用する事ばかりを考える相手だけに、そういう連中は何時の世にも居るもので、このところそういう連中とはトンと御無沙汰だから動向も情報も入って来ないだけの事なのだ。尤も、そういう連中との交際なぞ長続きはせず、直ぐに縁が切れてしまうだけに相手も薄々感じて何時離れても良いような付き合い方しかして来なかった。仕事は縁を切れば即座に終える。建築の設計・監理は工事が始まらなければ何も始まらないし進みもしないからだ。サラリーマン時代に社長命令で政界のフィクサーと右翼の大物と呼ばれる二人の男と付き合った事があった。 どちらも見掛けは一流企業の重役然としていたが、その世界では有名な人物だそうで、国会に近い赤坂に業界紙の会社と事務所を構え、裏では政財界の裏話で生業をしているのだった。ボクなんかその方面には全くの素人だったから彼等に言われるまま出張の形で一緒に行動しただけだったが、企画する話がまとまれば会社に相当額の設計・監理が舞い込む算段になっていた。言わば影の営業活動をさせられたのだ。だから会社ではボクが一体何をしているのか社長と一部の幹部しか知らず、タイムカードは在って無いのと同じだった。ボクのデスクは在るものの何時も出張と宴会と夜の付き合いばかりだった。相手の都合に合わせた時間調整で新幹線と飛行機とを交互に使っていたから常に乗り物に乗っている感じがし非常に疲れる仕事だった。設計内容は世界的な精密機械部品メーカーの工場建設だった。 その為の用地交渉の技術顧問としてボクは約三か月、その仕事に掛かりっきりだった。が、結論として失敗に終ってしまった。原因は、建設用地の地主達との交渉が難航した事と東南アジアからの女性就労者受け入れが当時の法律では未だ時期尚早で政府の法整備が整わなかった事だった。しかし、就労者はメーカーの研修生として受け入れる秘策があったし用地は価格さえ合えば直ぐにでも契約出来る筈だった。だから本当の失敗原因はフィクサーとメーカー社長との思惑違いだった様でボクには無関係だったが、手足となって動いていた右翼の大物も関係していた。彼は全く暴力団には見えない紳士だったが、何度目かの用地交渉中の宴会の席でボクにそっと冗談の様に「何か困った事があれば、全国から街宣車を10台や20台は直ぐに廻しますから言って下さい」と囁いたのだった。 それは表面的には政治結社と言いながら実は暴力団が街宣車や構成員を使って威圧で相手を抑えるやり方を示唆しているのと変わり無かった。それを聞いて内心穏やかでなくなったボクは、会社が隠密行動としてボクをフィクサーに付けた理由を初めて知った。そして途端に嫌になってしまったのだった。サラリーマンとは言え建築家として馬鹿にされたと想った。それ以来、ボクは以後の出張を何かと理由を付けては断って行かなかった。やがてボクが行かなくなったのと同調するかの様に用地交渉は決裂し、東南アジアの女性就労の件も流れてしまった。だから工場建設工事も流れてしまった。後日、社長が苦笑いしながら、フィクサーが右翼の大物に言ったという裏話をボクにしてくれた。「君に見限られてしまって、地主との交渉が二進も三進も行かなくなったそうだ。君に舐められた事がショックだったのだろう」(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/22
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冬枯れの頃(4) 今回の東北大震災や大津波や福島原発の事故を観て阪神大震災とは違ったイメージを持った。ボランティアについてもだ。今回の震災は余りにも膨大で広範囲だけに人力やボランティアには限界がある事をまざまざと知らされたからだ。更にはボランティアでは如何ともし難い原発事故とメルト・ダウンへの東電や政府の無能振りをまざまざと見せつけられ、東北人は死ねとばかりの政府対応に怒りを覚える国民も多い事だろう。そんな中、現在のところ冷温停止状態であるからと政府はあろう事か事故終息宣言を出したのだ。当然、何も解決していない状態で、問題が山積しているにも拘わらずその様な宣言を出すナンセンスを世界のメディアは批判した。常識で考えても分かる理屈を覆す宣言をした訳である。その批判を観て日本のマスコミの一部も批判的な論評を出す様になった。 三基もの原発が同時にメルト・ダウンした福島原発事故の核燃料が今どうなっているかの状態も分からずして9か月目に「事故は終息した」と何故宣言できるのか不思議でならない。想わず「嘘もいい加減にしろ!」と叫んでしまった。終息宣言をした翌日の日曜に細野担当相がテレビ番組で如何にも嘘を本当の様に並べ立て、赤面しながら抗弁していたが、浮足立った言葉の節々に政府の出鱈目ぶりが出ていた。ボクでなくともテレビを観て居た人は呆れかえった筈だ。放射能がこれ以上洩れ出ないように分厚いコンクリートの石棺で覆い込み核燃料を取り出す算段をするならまだしも未だ何も前向きな事はしていないのだ。水を注いで冷温停止したと政府や東電は想い込みたいだけなのである。それに危険区域に地域住民を戻す案まで出ている。サッサと逃げ出すのでは無く原発の近くに戻りたいと言うのだから無知も此処まで来れば救いようが無い。 正義感から敢えて憎まれ口を言うなら「福島県人も、お目出たいのう」の一言である。此処まで言っても未だ堪えないのだろうか。親の無知で子供達が原発事故の放射能の犠牲に成る不憫を視なければならない現実に憤りさえ感じる。政府は数多くの既成事実を作ってしまえば怖くないとでも想っているのだろうか。成長期の子供が被曝すれば甲状腺癌が発症し易い事はチェルノブイリ事故の経験や科学的根拠で知っている筈なのだ。「知らなかった」では済まないのである。その原因を作った菅直人前首相や野田現政権や閣僚達は末代まで無能の象徴として語り継がれるだろう。多分そういう状況を考えるから今年は不愉快な気分にしか成れないのだ。成るべく楽しい事を考えたいのだが考えれば考える程鬱陶しい日々が続くのである。早く正常な政治が行われる様願うしか無い様だ。 だが、冷静に考えてみれば、世の中は嘘でまみれている事が分かる。自分の経験で観てもそう想う。例えば、3年ほど前だったが、50年ぶりに小学校の同窓会に初めて出席した京都の料亭で、宴が興に乗って皆が夫々席を立って久しぶりの再会を祝って酒を酌み交わし始めた頃、ボクは女性恩師の前へ行き酌をしながら「先生、覚えていますか。社会の授業の時だったかな、先生が天皇についてどう思うかと訊いた事があって、ボクが、天皇陛下は・・・と言いかけると、陛下は要りません!と叱られた事を」と笑顔で言ったのだった。すると恩師は少し戸惑った顔をし「あの頃は、そういう時代だったものねえ」と逃げたのだった。美人の恩師は当時は新婚早々だった事もあって毎日着飾って授業をしていたから生徒間で着せ替え人形という渾名がつくぐらい綺麗だった。おおよそプロレタリアート的な思想を持っているのが似つかわしく無かった。 当然、小学生のボクには幾ら高学年の生徒であっても思想的な事は全く分からず、後年になって初めて「陛下は要りません!」という敬称否定の意味が分かった程度の子供だった。高校時代になって60年安保闘争があってデモに参加していた頃、同級生に小学校時代に天皇の事を「天皇陛下」と言って担任の教師に叱られた事を話すと「アホと違うか、その教師。天皇陛下と呼ぶのは当たり前の事やし、天皇と呼び捨てにする教師は共産主義に毒されているのと違うか」と言われたものだった。デモに参加する意味からすればアメリカの軍事同盟(反共)である安保条約に反対する立場同士にも拘わらず反共(天皇崇拝)の言葉を平気で使っていた矛盾する学生だった。片方ではアメリカのブルジョア帝国主義に反対し、片方では共産主義にも反対していたのだ。が、当時はアメリカ帝国主義とか反共という言葉を当然の様に使っていた割には本当にその意味を理解していたかどうか分からない。 唯「陛下は要りません!」という言葉がトラウマのようになってしまっのは事実だった。50年ぶりにその事を想い出し恩師に言うと簡単に言い逃れされてしまった事で、恩師が御都合主義の嘘つきというイメージが出来上がってしまった。更に、その年の暮に恩師に初めて年賀状を出したのだったが返事は来なかった。矢張り恩師にとっても50年ぶりに会った生徒から人間性を問われる様な質問をされて戸惑いがあったのだろう。しかし、ボクにとっては信念の無い恩師から義理で返事が来るよりも来なかった方が気が楽だった。いい加減な教師だった事が50年ぶりに分かった事の方が気持ちの整理が出来た。今年の祇園祭に京都で小学校の同窓生数名と飲み会を開き、酔った勢いでその事を言うと「あの先生が、そんな事を言うのか。信じられない」と驚いていたのが印象的だった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/21
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冬枯れの頃(3) 殆ど毎日自宅に居る近年の冬枯れの季節は様々な事柄を想い返す事が多く、つい建築家として、否、一市民としての自分のこれまでの実績や行動を何気なく振り返ってしまうものである。自分を検証するのに良い季節なのかも知れない。尤も今更見返したところで若い頃の様な行動力も無ければ欲も無いから単に反省して終えるだけの事なのだが、欲と言えば人間としての基本的な本能は未だ多少は残っている筈だから人並みに、ああもしたいこうもしたいと想う事もある。例えば健康面で言えば再度山登りに挑戦してみたいとか、ゴルフでは素晴らしいスコアを出してみたいとか、豪華客船でゆっくりと世界旅行をしてみたいというささやかな願いである。しかし、金で解決するものは詰らないから健康面の事や趣味の事、友人との交流等がメインになりそうだ。実際問題として身近な家庭内の事が現実的だろう。 例えば旅行するにしても夫婦で出掛けるとすればココの面倒は誰がみるのかという問題がある。一日や二日程度なら息子が居るから餌の心配は無いが、一週間とかまとまった期間だと難しく成る。犬猫病院に預けるというのもココは既に大人に成ってしまっているので嫌がるだろうし連れて行くのも大変だ。長期間まとめて餌を置いておくのも一つの方法だろうが、家の外に出してやらないとノイローゼになって家の中で暴れるだろうし、外にばかり出しておく訳にもいかず、出入り自由な小さなドアを設けておくのも何か不用心な気がして嫌である。犬なら預けておけるだろうが、我儘な猫のココでは難しいと想うのだ。生き物を飼っているとそういう問題がある。他には室内の観葉植物もある。掃除はまだしも水遣りも定期的に遣らねばならないのだ。誰か留守番が居れば良いのだが、今のところ息子しか居ないから鉄砲玉の様な男では当てにするのも難しいという事だ。 つまりは家に縛られているという生活と変わりが無い訳で実にナンセンスな生き方をしている様なものである。と言うよりも誰にも世話に成らずに生きて行くというのが難しいという事である。少なくとも誰かの世話にならねば不自由するのが現代における社会人としての生活である。山の中で独りで暮らしている訳では無いのだから多少の欲があれば人並みの事がしたくなるのは当然である。だったら自由に動き回れる生活をするには自由人としての必要条件が要る事になる。自由とは何でも自分でやれるという事であり誰の手も煩わさない事なのだが、それは現代社会においては非常に難しい生き方である。老人になれば成るほど難しく成る。だから孤独死という非常識な事まで起きるのだろう。先日、大阪南部で大手企業の元副社長をしていた金持ちが殺された。犯人はかつて向かいに住んでいた若い顔見知りの男だった。 男は他にも金持ちの夫人をその前に別の場所で殺していたのだった。遺留品が見付かってDNA鑑定で犯人が判明したのだが、殺される方に心の隙があったのかも知れず、そもそも男には人を油断させる雰囲気があったのだろう。それにしても金があるというだけで殺される物騒な世の中だけにゾッとした人は多かっただろう。事件のあった都市には親戚の老人女性の親子が今も住んで居るからニュースを知った時に気に成っていて、犯人が捕まってホッとしたものの、付近の街の状況が手に取る様に記憶に残っているだけに切実感を持って事件報道を観て居たのだった。金がある様に観える生活も考えものだが、敢えて貧相な風に観える生活をするのも難しいものである。それで想い浮かべるのは、ユダヤ人はセキュリティの立派なホテルに宿泊はするものの食事は質素なところで済ますのが当たり前なのだそうだ。 如何にも金持ちそうに観える振る舞いは身の危険を感じるからだそうだ。歴史的に長年にわたって経験して来た民族の知恵なのだろう。その点、日本人は如何にも金持ちそうな車や家や服装で居るのがステイタスだと想うのか無頓着なものである。殺されては何にも成らない。世の中には一見普通の市民に観える凶悪な人間がフラフラと歩いているものである。特に不況風が吹くと尚更で、借金で首が回らない人間が突発的に行動を起こさないとも限らないのである。阪神大震災の折、ボクがボランティア活動をしようと重装備で単独で出掛け、先ず芦屋の山手の恩師の家へ行こうと歩いていると自警団のような男性に呼び止められ行き先を尋ねられた事があった。男性は行き先を確かめるように恩師の家まで車で送ってくれたが、多分怪しい奴と疑われ行き先を確かめたのだろう。当然ながら恩師は想わぬ来訪者に喜んでくれたものだった。 被害に遭った事のある人間は常に警戒心を抱くものである。善意でやる行為であっても被災地では疑いの目で観られる事もある。だから善意の表現方法にも工夫が要る。人は見掛けでは分からないからだ。恩師の家の次に西宮の市街地まで歩いて知人の家まで行くと、壊れた家の中から衣類を出している処だった。知人は感激して迎えてくれたが、現地に居た壊れた隣家の奥さんがボクに喰って掛かって来た。多分、役所の人間と間違えたのだろう。知人の説明でボクがボランティアで来た事が分かっても謝罪もせずに離れて行った。その事がボクを落胆させた。知人と暫く話をしてから懐中電灯や衣類や靴などを渡して其処を去ったものの、人の心の荒んで居る現状を観て憂え、何とか大阪に戻ってネオンの灯る梅田の繁華街の雑踏に触れ、今観て来た光景が嘘の様に想えたものだった。帰宅してドッと疲れが出てニ三日寝込んでしまった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/20
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冬枯れの頃(2) ボクの子供時分は住宅地や街中の住まいからピアノの音がすれば和やかで優雅な雰囲気がしたものだった。上手とか下手の違いはあったのだろうが、世の中が戦後のどさくさで教養とか趣味どころでは無い時代だったから余計にのんびりとピアノの音色をさせている家庭が優雅に想えたのだった。我家では洋楽をやる者が居ず邦楽ばかりだったからお琴の音が流れて居た。毎週美人で盲目のお琴の師匠が婆やに手を曳かれて来て客間の座敷で母や妹に稽古を付けて居たのだった。そういう時代だったから近所では矢張り評判の家で優雅な家庭に想われていたのだ。その後、ピアノを学ばせる家庭が増え何処ででもピアノの音は聴こえて来て珍しくも無くなったが、その代わりピアノ騒音が問題になって行った。25年ほど前の事だが、東京に単身赴任して居る頃の事で覚えている事がある。 それは住宅の防音工事を頼まれた事だった。防音材を壁に張りつけ、防音サッシを既存のサッシの内側に取り付けるだけの事だったが、それでも80デシベルほどあったピアノの音も殆ど気に成らないぐらいになった。音大に通う娘さんの為に親が気を使って近所からクレームが出る前に工事を依頼して来たのだった。その後、大阪花博(1990年)のパビリオン工事の為にボクは関西に戻ったから今から20年程前の事に成るが、関西では未だそこまで五月蝿くは言わなかった様だった。今でこそ殆どの家では騒音を立てない様にしている様だが、サッシも機密性の良いのが開発され、ペア・ガラス・サッシなぞも大分効果がある。音は柔らかなものには吸収され易く広がり難いが、固いものには反射する性質があるからコンクリートの部屋は遮音効果があるものの、開口部があればそこから音は洩れ出す。 建築設計で遮音効果については誰もが経験しているから失敗は少いものの、よく失敗し易いのは天井にドームを造った時の残響効果を事前に確かめないで設計し仕上げてしまう事だ。竣工検査の時に残響が大き過ぎるのを始めて知る。そして慌てて設計変更をし何とか残響は解決するものの残響防止の為の細工意匠が見苦しく残る。多く経験していれば事前に分かる事だが、めったにホールの天井にドームを造る機会が無いから後付けの残響防止装置がデザインの整合性を欠く事に成り兼ねない。昔、同じ事務所の先輩が設計した地方の庁舎の竣工検査に同行した事があって、議事堂の天井がドームだったので二階の座席に座って見上げていると我々の話し声がドームに反射して響きわたった。明らかに設計ミスだった。何とか反射板を取りつけて残響は解消したが、ドームは半分以上も隠されてしまった。 音楽ホールを手掛けた著名な建築家でもそういう失敗はある。後から反射板を数か所取り付けているホールは殆どがそういう失敗例である。音響効果は専門家に任せるから大丈夫な筈なのに建築家の意匠の方が優先してしまう場合に不都合な残響があったり残響時間の長短が問題になったりする。音楽家が演奏会の前に音楽ホールをテストしている時に、誰も居ないホールの舞台の中心で手を叩いて残響を調べているとシンメトリーに音が返って来ないので不思議に想って調べると、二階座席の後ろの方にあるドアが一つ開いていたという。ドアを閉めると期待通りの残響でやっと納得したという話である。それ程、音楽家の耳や感性が微妙で敏感なものであるという事だが、音響を専門としない建築家でも同じテストはするのだろうが、音楽家ほどには感性は研ぎ澄まされてはいない筈だ。矢張り餅は餅屋に任せるべきなのだ。 そういう意味では建築家はコンサートの指揮者の様な立場だから、例えば構造や設備は矢張り専門家に任せるにしても任せっ放しでは駄目で、自分の設計ポリシーや意匠の整合性からもしっかりと監督し調和させなければならないのは当然である。しかし、専門家というのは案外頑固なもので建築家の言う事をなかなか聴いてくれないものだ。彼らなりのプライドがあるのだろうが、メインは矢張り建築家が中心なのだから最終的には建築家の言う通りに合わせる様にすべきなのだ。そこを命令調で建築家が言えば誰も心から従う者は居ず、おざなりの意匠で誤魔化してしまう事にも成り兼ねない。そうなれば建築家の人と成りや人格がものを言うものである。そこそこの建築家ならそれなりの説得性や思想がある筈だから構造屋にしても設備屋にしても聴いてくれる。が、そうでも無い場合は失敗作品となってしまう。 世の中にある有名建築でもアラを探せば1割や2割ははミス作品があるものである。建築家の名前や写真家の撮った作品を観て評価していたのでは欠点やアラは見えないから現地で自分の目で観てみれば分かる。一寸建築の心得がある者が観れば分かるものである。つまり、それほど建築は多くの人々の創意工夫で完成するものであり、誰かが手を抜いたりおざなりに施工すれば建築家の恥として残ってしまうものなのである。設計ミスは建築家の責任だが、それ以外の理由で不具合が出ても矢張り建築家の名前が表に出てしまう。ギリシャ・ローマ時代のドーム屋根にキイ・ストーンを入れて支保工を外した時にドームが崩れ落ちれば建築家は死罪になったという話を想うなら、建築の総監督である建築家は全責任を負うぐらいの気構えで真剣勝負をしなければならないのである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/19
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冬枯れの頃(1) 冬枯れの季節ともなれば寒さで身体が固く成る為に行動半径が狭められ、精々自宅か近場に出る程度で過ごす事が多く成る毎日だ。ガーデニングも冬眠中で大してする事も無く、精々ゴルフのピッチングやパターの練習をするぐらいで、室内ではブログを書いたりインターネットの映画を観る程度である。近場に出掛けるとしても行動パターンは決まっていて、月に二度ばかり、妻の買い出しに付き合うとかゴルフ練習場へ毎週行く程度のもので、たまに大阪へ妻と車で出掛けて食事したり買い物をするのも月に一度程度でしか無い。友人と飲む場合は駅前の駐車場に車を置いて電車で出掛けるが、それも面倒でつい出掛けるのが億劫になる事もある。多分そういうのを老人性の出不精と言うのだろう。毎日のように何処かへ出掛ける老人は比較的健康を維持でき元気で居られる。毎日出掛けて歩くだけでも運動になるからだ。 それなら自宅の近所を散歩でもすれば同じ効果があると想えるのだが、都会の繁華街の方が目や耳から入る情報量が格段に違うから矢張り田舎暮らしよりも都会の方が惚け防止になる。少々不健康で汚れた空気の方が人間の身体には活力を与えてくれるし、事実その方が長生きをするそうである。頭で考える様な空気の良い処でのんびり暮らすのは返って老化現象を促進させるのだそうだ。だから都会人はそういう意味では住宅事情が少々悪くて不平不満を抱きながらも長生きが出来る特権を持っていると想えば多少は気が晴れるだろう。しかし、不景気が続き税収が落ちると年金が減らされるかも知れず、仮にそうなれば泣きっ面に蜂で人生の晩年が踏んだり蹴ったりしたものになってしまう。老人は少しでも安定した生活を維持させる為に何等かの工夫をし、無駄な金を使わず有意義な使い方を考える様になるだろう。 例えば、たまたま老人達が小金を貯め込んでいるのを目撃され「一体、何の為に貯め込むのですか?」と問われれば「老後の為」と一律に言うのが流行っているそうだ。それは今よりも先の事を気に病んで貯め込むのだろうが、それにしても現在こそが老後であり、今使わねば使う機会が無くなるにも拘わらず皆同じ様に言うところが日本的でブラック・ジョークでもある。それだけ日本の社会保障が貧しいと言う事なのだろうが、よく言われるスウェーデンやノルウェー等の社会保障が充実しているという北欧諸国では果たして老人達が幸せかどうかは知らないが、老人の幸せは先ず健康である事だろう。その次に安穏な生活だ。安穏な生活には経済問題も含まれるが、精神的に安定出来る生活環境こそ人間には必要な事で、それには家族との平和な交流もあるだろう。ところが、家族や身寄りの無い老人が意外に多い。 そもそも老人は孤独なものと相場が決まっているものだが、それに慣れてしまえば人間は割り切れるもので、孤独な老人同士がお互いを気づかいながら付き合うのも孤独を紛らわせる一つの方法になる。が、元々人懐っこい人は群れたがり、中には老人ホームで恋愛をする人も居るだろうし、人との交流が面倒な人は孤高の独り暮らしでも平気なものである。当然ながら高齢者ともなれば男が少なくなるから女性が増え、老人ホームで男性の取り合いもあるという。年齢に関係なく男と女の問題は死ぬまで続くのかも知れない。確かに異性への感情がある内は心身ともに元気で居られ、そういう感情が無くなれば人間としてお終いなのかも知れない。谷崎文学なぞに出て来る老人の恋愛感情は今では珍しくも無く元気な老人が増えたのも事実である。ゴルフで言えばエイジ・シューターが増えたのが良い例だ。 ボクが毎週通っているゴルフ練習場は週の二度シニア・デイというのがあって、たまたま平日の客の多い日に帰り掛け、受付カウンターへ番号札を返しながら「今日は混んでいるネ」と言うと「今日はシニア・デイなんです。月木の週二度、料金がお安くなっていますから亦どうぞ」と教えられ、それ以来その二日間に通う様になったのだ。そう言えばリタイアした様な人が多く居て、ボクよりも年配に観える老人も居た。ボクが勝手にそう想っているだけの事で、案外ボクよりも若いのかも知れず、むしろ人がボクを観れば同じ様な事を想っているのかも知れないのだ。人は見掛けによらないと言うから、ボクは打ちっ放しの球筋を観てその人の年齢を上か下かで判別する様にしている。が、大抵の場合、ボクよりも飛ばしていないから勝手に老人と想っているだけで、実際は若いのかも知れないのだ。 月例会ゴルフに誘ってくれた人はボクよりも二歳年上で、紹介され仲が良くなった老人なぞは四歳も上で腕前もボクより上なのだ。だから60代後半のボクなんか70代の老人からすれば若い弟分にしか観えないのかも知れない。それを観て、ボクも後10年はゴルフが出来そうだと自信を持ったのだ。出来れば80代になってもエイジ・シューターに成りたいと密かに想っている。プロなぞは20代で72のパー・プレイが当たり前だから(つまりハンディキャップがゼロと言う訳だ)60代で年齢と同スコアを出すのも珍しくは無い。何でもそうだが、プロというものは我々素人が考えるよりも真剣に練習に励み、腕前を維持するもので、音楽家で例えれば一日10時間の練習なぞ当たり前という。だから音楽家の近所に住むと練習音に悩まされる事に成る訳だ。尤も、最近では防音装置が発達し夜中でも隣家に響かない装置や楽器があるから大丈夫だが、昔、騒音でノイローゼになって殺人事件が起きた事もある。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/18
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播州 清水寺(きよみずでら)2 天台宗比叡山延暦寺を始め真言密教高野山金剛峯寺などは霊場・修行場として歴史的に古く寺院伽藍も立派で、周りの杉の木立の太さも数人がかりで抱える程のものばかりである。それに対して、この播磨御嶽山清水寺は同時代に開山された古い霊場である割には山の杉木立は想いの他細いものばかりであった。1,800年もの昔の開山にしては杉木立が余りにも貧相なのが不思議に想え、その訳を考えながらゴルフ場の山肌を観ていて実に岩石が多い事で何となく納得が出来るのだった。と言うのは岩石の多い山には木の根は張り難く、木も大木に成り難いからだ。箱根街道を始めとして伊勢神宮も日光東照宮も奈良三輪明神も杉木立が立派で太い。其処は地質学的に岩石が少ない処なのだろう。岩石が多い山には修行場が多いものである。熊野、吉野の霊場は岩場の多い処で太い杉木立は見当たらない。清水寺 6(清水寺のある山) つまり霊場には巨木のある処と岩場が多い処とに分かれ、播磨清水寺は後者の方である。それだけに湧水も少ない山である。それなのに印度の修行僧が雨乞いの祈祷をしたところ霊験あらたかな清水が湧いた事で霊場として開山されたという由来があるのだ。故に名前が清水寺と名付けられ、由緒ある湧水の井戸が根本中堂の横にはあった。しかし、今では井戸には滾々(こんこん)と湧き出る水は無く、単なる井戸になってしまっている。元来水の少ない播磨地方に、それも山中に霊水が湧いたと言うだけで信仰の対象になったのだろう。以後、清水寺は西国三十三ヶ所の二十五番目札所になった。売店の食堂で温かなオデンを食べながら甘酒を飲み、店の女性と話をしていて、人出の多い季節は何時頃かと訊けば、紅葉の頃と正月の初詣と言う。初詣にはごった返す程の観光客と初詣客が来るそうである。清水寺 7(山門を越え、根本中堂に向かう石段) ならば、それ程の由緒ある寺院なのに何も知らなかった事を不思議に想い、播磨清水寺の事を詳しく知ろうと帰宅してからネットで調べてみた。すると、そもそも朝鮮半島から日本へ仏教が伝来したのは6世紀の事であり「1,800年前(西暦200年頃、つまり考古学的には、弥生時代前期の頃)に印度の修業僧法道が創建」との伝承は後世の付託である事が分かった。印度の仙人とされる法道も実は架空の人物とされるのだ。尤も、法道開基を伝える寺院は兵庫県南部に集中していることから、その由来につながる仏教者がこの地に存在したことは想定されるものの、奈良、京都の著名な寺院に抗する様に殊更由来を誇張させたものである事も分かり、知らなかった事も納得できた。更には伽藍は明治末及び大正2年(1913年)の火災で惜しくも全山焼失しているのである。清水寺 8(清水寺 根本中堂) 播州御嶽山清水寺は海抜515mの独立した小さな山だけに平地が少なく石垣と階段ばかりの伽藍である。だから泉が湧くのも季節限定的なもので、多分梅雨時分に地中に溜まった雨水が岩石の間を瞬く間に通り抜けて湧き出てしまうのだろう。泉というものは地形によって伏流水の層が露出している処に湧くものである。だから周辺に高い山が無く、御嶽山清水寺の山自体も小さな山だから泉が湧くには伏流水の層が無ければ存在し得ないのだ。そういう理屈を知らなかった古代人は盲信的に霊験あらたかな泉が湧いたと言われれば信じたとしても無理は無い。富士の樹海を経由した伏流水が下手の静岡地方に泉として湧き出る現象は、神戸の六甲山系からの伏流水として西宮の宮水として灘の酒に利用され、京都では伏見が京都の東山の伏流水で酒を造る様なものと同じである。地方には夫々の名水があり銘酒が生まれる由縁である。清水寺 9(清水寺の由来となった清水の泉) 海抜515mの清水寺から眼下にあるゴルフ場を観降ろし、更にその山の向うの瀬戸内海の方を観れば、天気の良い時には明石海峡大橋が観えるという。そう言えば、奈良の自宅の裏山(明神山)からの展望で明石海峡大橋が観えたのを想い出した。明石大橋の柱のトップに在る航空管制灯の点滅まで観えたのである。明神山から明石海峡大橋までグーグル・アースで観れば直線距離で60kmもあるが、清水寺から明石海峡大橋まで直線距離で39kmだから天気さえ良ければ必ず観える筈である。遠いと言っても高々60km圏内の事なのだ。そう言えば、単身赴任をしていた頃、新宿新都心の超高層ビルにある本社から千葉の石油コンビナートの煙突の先から出る廃油の燃える炎が観えて居たのを想い出す。あれも距離にすれば35km程度のものだった。遠いと想ってもその程度で高が知れているのだ。清水寺 10(展望台からの播州の夕景) そう考えると、畿内を車で走り回ったり電車で行き来して歩いたところで庭先を廻るのと大して変わりが無い訳だ。泊まりで小旅行する訳でも無いのだから出来るだけ普段着に近い服装で歩き回るのも良いものだと想える。都会で生まれ育ったのと、結婚してから郊外の緑多い処で住んでいるのとを比べても半々たけに都会ばかりに拘る事も無いのだ。もっと郊外にも知らない処が多くある筈なのだ。友人が夫婦して山歩きをするというのも分かる気がする。ボクの場合は妻が大病した為に体力的にそうも行かないが、車と併用すれば近場の何処へでも行ける。日帰り旅行は忙しないから、どうしても泊まりたくなるのを敢えて日帰り程度の軽いものにしようとすれば、京都か神戸か大阪という交通便利な処となる。それより遠い処は矢張り気分的にもゆっくりと泊まりで寛ぎたい。だから京都・奈良のひなびた神社仏閣を廻るのも良いだろう。播州清水寺を観て改めてそれを感じた。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/17
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播州 清水寺(きよみずでら)1 月例会ゴルフに誘われて行き始めて1年半程が過ぎた。そして初めてそのゴルフ場横の山に在る播州御嶽山清水寺(きよみずでら)に参った。月例会の名称「清水会」の由来になっている寺院なので一度は観ておきたかったのだ。ゴルフ場の土地を清水寺が貸している、言わば寺領地の本山なので興味もあった。早朝5時15分に奈良の自宅を出て、6時30分にはゴルフ場に着いたので、未だ集合時間の7時には間があり、30分ほど車で山へ登って清水寺を観ておこうと想ったのだ。清水寺と言うからには京都の清水寺とどういう関係があるのだろうと想って居たが、山頂にある山門横の立て札に書かれた由緒書きに依れば、京都のそれよりもずっと古く、1800年前の12代景行天皇の頃、印度の僧法道仙人によって開山されたとあった。西暦627年には推古天皇の命により根本中堂が建立されている。清水寺 1(夜明け前の仁王門) その後、聖武天皇の頃(725年)には行基に依って大講堂が建立されたとある。だから奈良時代には既に有名な寺院であった訳だ。行基は奈良の大仏を始めとする公共事業に明るく、西国の灌漑池で有名な西宮・伊丹付近にある昆陽池(こやいけ)や各地の土木事業なども手掛けた高僧である。冬の渡り鳥のバード・ウォッチングとしても有名な処である。だから播磨から中国地方に掛けて、かつて印度・中国・朝鮮からの渡来人や使節団の歩んだ街道沿いに古い寺院が点在していて、播磨清水寺もその一つである。京都(平安京)は奈良(平城京)よりも新しい都だから、播磨清水寺は比叡山や高野山よりも古い寺院であり、京都の清水寺なぞ比較にならない古さである事を初めて知った。古ければ良いという訳でも無いが、山がもっと大きければ霊場として栄えたであろうと推測しながら、立派な道路を車で登って行った。清水寺 2(展望台からの播州の夜明け風景) 道路は二車線あってガードレールも整備され、維持管理が行き届いていた。麓のゲートは無人で開いていた。入山料500円を取られると聴いていたから何故開いているのか不思議な気がしながら登っていくと山頂の広い駐車場には30台ばかりのパーキング車があって宿泊客か関係者の車だと想わせた。パーキングの一台にはスモール・ランプが点いたままになっていた。早朝に来た人が消し忘れたのだろうか。山門をくぐり、説明書きをカメラに収め、シャッターで閉まっている土産物店の横の鉄骨階段を上って屋上の展望台に行った。杉木立の間から未だ夜の明けきらない播州の風景が微かに観えた。本堂へ行くには時間的に無理があったので戻ったのだが、まさか夜明け前に参拝客が来る訳も無いのに駐車場の数十台の車を不審な目で観ながら下山した。ゴルフ場へ行くと既に10台ばかりの車がパーキングしていて時間は7時になろうとしていた。清水寺 3(ゴルフ場クラブハウス) 着替えてクラブハウスのレストランに行くとメンバーがお茶を飲んで居た。早速、清水寺に参った事を告げると「我々は何時も月例会が終わったら清水寺のお茶屋でオデンを食べながら甘酒を飲む事にしているのですヨ」と言われ「今日も帰りに御一緒しましょう」と誘われた。山頂の駐車場に車が多く留めてあった事を言うと「多分、朝がゆ会の集まりでしょう」と言われ成る程と納得出来た。それでゲートが無人で開いたままになっていたのだ。コーヒーを飲み終えた頃、スタートの時間になって何時ものメンバー三人で廻った。流石に山のゴルフ場は気温が低いだけあって、グリーンは凍っていた。ボールをオンしても滑ってこぼれる始末なのだ。そのせいでスコアは悪く、パターも余分に叩く結果になってしまい、今日のゴルフは思わしく無い成績で終えた。他の組の成績も同様に悪く、ボクは5位だった。清水寺 4(ゴルフ場から観える清水寺の山1) それよりも冬枯れのコースから観える清水寺が今日は気に成って、途中で何度もカメラに収めた。フェアウェーの芝生が枯れて緑が少なく成ったゴルフ場は、パター・グリーンだけが緑を保っているだけで写真風景としては面白くもなかったのもある。後でカメラを観ると、殆どゴルフを終えてから行った清水寺の写真ばかりだった。今年最後のゴルフになるからと期待して頑張ったものの、新しいクラブの慣らし運転だけで終えた感じだった。それでも練習場で試し打ちした感じと本場での慣らし運転の感じでは案外上手く打てたのが良かった。来年はレベルを上げて、もう少し近場の高級なゴルフ場に変えようと想った。高速で1時間以上も飛ばして播磨くんだりまで行かなくても奈良周辺に多くの良いゴルフ場があるのだ。時間も早朝5時という暗い内に出掛けなくても楽にゆっくり行けるのである。清水寺 5(ゴルフコースから観える清水寺の山2) 慣れ親しんだ清水会の月例会からは外れる事になるが、自分の楽しみ方としては近場で心行くまで楽しみたいのだ。誘ってくれた人には感謝しているが、月例会ではなく個人的に他のゴルフ場へ一緒に行く事もあるだろう。その方が本当の意味でプライベートなゴルフに成り、仕事を離れて気楽に楽しめそうだ。そう想うと播磨の風景も当分は観収めになると想い、プレイの写真よりもゴルフ場から観える周辺の風景の方にアングルを向けた。そして想ったのは、実に石や岩が多い山である事も分かった。播磨は石が多いので有名である。自宅の花壇の石垣や縁石に使った石は姫路産の花崗岩だった。大阪花博の際、ついでに注文して自宅に運ばせたのだ。清水寺の石積みも切り石ではなく自然石をビッシリと隙間なく巧みに積んであった。其処には長年の歴史を物語る草やコケや汚れが風景に溶け込んでいるのだった。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/16
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初冬の独り言(6) 先行きの暗い話ばかりでは詰らない。話題を変えれば、先月、月例会ゴルフに体調を崩して欠席し、今月の月例会は二カ月ぶりのグリーンとなった。未だ夜の明けない暗い内に家を出て、満月を観ながら高速道路を1時間10分走った。毎回、ゴルフ場へ行くのに早く着く様になる。以前は15分から30分は余計に掛かっていた。道を間違えたり、高速のインターチェンジを間違えたりと、カーナビを観て居ながら間違えていたのだった。勘違いもあった。しかし1年以上も同じゴルフ場に通う内にすっかり道を覚え、近道も分かって早く着く様になったのだ。今回は今年最後のプレーだけに毎晩の酒の量も減らし体調を整えた。楽しみの酒で健康を害していたのでは何にもならない。ゴルフも健康の為と楽しみの為だけに同じ楽しみのどちらの方を取るかという単純な選択だ。練習場へも通って新しいユーティリティ・クラブにも慣れた。 若い頃から既に一生分の酒を飲んでしまったのだから健康をいといながら飲み、楽しい老後を過ごさねば人生何をやっているのか分からなくなってしまう。昔から、酒と女と博打が男の遊びの代表のように言われているが、父親の姿を反面教師にしていた割に酒だけは止まらなかった。女遊びはしなかったし博打もしなかった。精々、ロト6を買うぐらいなもので可愛いものだ。親父は博打はしなかったが、酒と女で失敗した。それがトラウマになって反面教師として頭の中に叩き込まれた筈なのに酒は百薬の長と言いながら飲んだ。青年時代は行きつけのバーからよく飲んだカティーサークというスコッチ・メーカーのモデル帆船を貰った事があって今も棚に飾っている。良い客だった訳だ。今はワインに凝っている。しかし糖尿病に掛かっているので量は減らしている。 ゴルフは多分あと10年は出来そうだ。無理をせず楽しみながらやれば出来るだろう。飛距離は大分落ちたが、それでも調子の良い時はドライバーで220ヤードはキャリーで飛ばせられる。練習場のネットが220ヤードあり、調子が良ければ当たるのだ。だからミドル・ホールでは2オンも可能なのだ。ミスってグリーン横のバンカーやラフに入れる事が多いが、距離的には心配はしていない。それでも2打目のクラブをフェアウェ―・ウッドやユーティリティウッドを使う様になってからは、それまでのロング・アイアン・クラブよりも楽に打てる様になった。矢張り年齢的なものだろう。二つ年上のゴルフ仲間にそれを言うと「歳をとれば、どうしても楽なクラブうを選ぶヨ」と同じ様な事を言って居た。ボクも彼等のクラブを観て最近買い替えたのだ。2番アイアン・クラブと5番ウッド(クリーク)を入れ替えた。 ドライバー(1番ウッド)は昨年、10年ぶりに再開するに当たってデカ・ヘッドの中空クラブに替えた。慣れるのに3カ月掛かった。最近では面白い様に飛ぶようになった。スプーン(3番ウッド)は昔のパーシモンのまま使っている。軽くて慣れもあって使い易いのだ。当然ドライバーよりも飛距離は落ちるが180ヤード先のグリーンに簡単に載せられる。14本のクラブで矢張りドライバーとユーティりティ・ウッドとフェアウェ―・ウッドをよく使うようになった。ロング・アイアンは手が芝生の反動で痺れるのでなるべく使わないようにしている。タ―フ(クラブで削る芝土の事)の取り方が悪いのだろう。疲れて来ると安定した姿勢でプレイせず、不安定になってタ―フが手前から削る事に成ってしまったりボールのトップを叩く様になって矢張り反動で手が痺れるのだ。安定させる体力が要る。 それよりも何故ミスったのか自分でも分からなくなって来て猜疑心が湧くのが嫌なのだ。日頃考えられない様なミスをするのは集中力が落ちたり体力的に腰が痛くなって来たりするからだろうが、そう成らない為にも落ち着いて綺麗なフォームで楽に打てる様にする事だ。それが分かっていながら失敗するのは矢張り体力の低下もあるのだろう。だからウォ―キングを再開するのも良い筈だ。運動不足は先ず足腰から影響が出るからだ。これからは寒くなるので早朝は止めて午後からでも2時間ほど近くの山を歩く事にしようと想う。万歩計も復活させて、出来れば1万歩(7km)は歩くのが良いだろう。カメラを持参して音楽を聴きながらだから退屈しないだろう。初冬の風景もなかなか良いものである。但し、以前の様にやり過ぎない事だ。そのせいで突発性難聴になってしまったらしいのだ。 健康を維持させるのに無理をしては何にもならない。車に頼り過ぎるのも本当は駄目なのだ。近場(精々、2kmほど)なら歩く癖を今から付けておくべきである。月例会ゴルフで同じ組になった仲間が腰の万歩計を見て「今日は1万2千歩歩いた」と言っていたのを今想い出した。カートに乗ってプレイしていてもそれ位は歩くのである。カートに乗らなければ倍以上は歩く事になるだろう。全長6kmから7kmぐらいの18ホールのコースで、打ったボールが左右にぶれるのとグリーン周りで行き来するだけでそれだけの距離になるのだから馬鹿にならないものである。若い頃ならカートに乗らずに走り回ってボールを追いかけていたから2万歩は軽く歩いた。道理で翌日は腰が痛く、身体の節々も痛んだものだった。月に一度のグリーンでは運動量が少ないから、それに替わる運動も必要だとつくづく想った。この冬から毎日体力づくりに励む事にしよう。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/15
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初冬の独り言(5) ブログに宗教と政治は似合わないという人が居る。ブログを始めた当初はボクも手探り状態だったから出来るだけそれらに触れずに仕事の建築設計・監理と趣味(ガーデニング、ウォーキング、美術、音楽)に限定していた。しかし、長年やっているとどうしても時事問題に触れざるを得ない時もあり、やがてその背景と成る社会情勢や世界情勢から必然的に政治がからんで来る状況になって行った。特に世界情勢の諸悪の根源のように言われる元凶的存在であるロスチャイルドの事にも触れざるを得なくなってシリーズで書いたこともあった。最近では米英とユーロとの対立にも触れるようになって、それがやがてはアジアにおける日本の世界的地位を脅かす事にも成り兼ねず、ドルに対抗するブリック(BRICK:ブラジル・ロシア・インド・中国などの新興経済大国)にも触れる事となった。そしてわが国の下手な政治・外交にも及ぶ様になった。 ところで日本の近代化は明治期から始まったと学校の教科書には載っているので殆どの人はそう想っているだろう。しかし、その前兆は幕末の黒船来航や、その前の江戸時代の長崎出島における部分的鎖国適用外市場などがあって、ロスチャイルドの魔の手は長崎の武器商人グラバーをして伸びて来ていたのだった。ペリー来日もロスチャイルドの一派の行動であり、近年のアメリカ外交で来日していた高官ぺリーもその子孫であった。日清・日露の両戦争での軍資金で外債を募った際、協力したのもロスチャイルドであった。かくしてロスチャイルドは深く日本にも拘わりを持つ事と成り当然ながら皇室にも入り込み、近年では皇太子妃の父親が外交官実績からオランダの国際司法裁判所の判事として就任し、ロスチャイルド一派に加わっている。それを苦々しく想う政財界人が居る事もあって皇太子妃の言動が問題視され、皇室が揺れている。 皇室の事は、俗に言われる雲の上の人の事だから我々一般市民には分かり難いもので、憲法や皇室典範に書いてある事から判断するしか無い。簡単に言ってしまえば憲法にある通り国の象徴としての存在だから税金で喰って居る公務員と同じ立場に成る訳で、一般国民のような人権なぞ無く、選挙権も無い。その点を一般国民は誤解してイギリス王室と同じ様な観方をしてしまう。だから一種の芸能人を観る様な観方になってしまうのだろう。歴史的な観点からすれば南北朝の混乱で系譜はややこしく成るから正当な血統が言えるのは安土桃山時代以降の事で、鎌倉・室町時代以前の事は文書なぞの証拠記録も曖昧で、言わば口伝による神話の世界と同類になってしまう。むしろ生物学的な意味よりも宗教的な意味での伝統ばかりが強調され、伊勢神宮に観る海部(あま)族の神官としての系統の末裔であろうとする説が有力である。 民主国家になった今の時代、皇太子妃の言動ががどうであれ皇太子夫妻に息子が生まれず女子であったり、皇太子の弟に男子が生まれたからと言って大騒ぎする事も無い。仮に次の次の世に女帝が生まれても、遠い祖先が卑弥呼と呼ばれる女性であったとする歴史上の継承からすれば必ずしも男系で無ければ日本が滅ぶとする狂信的皇室主義者の主張なぞナチス党員のユダヤ人撲滅運動の原動力となったアーリア民族優秀説と何等変わりが無いのだ。民族に優劣の差をつける差別意識は何れ同じ理屈で自分達が追いやられるのが観えて来るだけに偏狭な国粋主義に陥るだけで精一杯と言う処が関の山であろう。そういう覚めた観方をする皇室研究者でも無いボクが敢えて皇室について触れる必要も無く、下手な事を書くと誤解を招かないとも限らないし女性週刊誌の様に皇室ニュース程度でお茶を濁している方が無難だ。シリアスな事を書いてファンを怒らせる事も無いのだ。 日本が民主主義国家を貫くのであれば今の官僚主導の政治家不在の政治では行き詰って駄目な事は誰もが感じ取っている事であり、親分アメリカの衰退や中国の経済成長による勃興、ブリックの世界経済への影響力を観れば、その中で賢く立ち廻れるだけの器量が欲しく成るのは資源の乏しい日本人として当然の事だろう。2012年問題は奇しくも世界のトップ・リーダーの交代期が重なっている事を指しており日本も例外なく政変は起こるだろう。政治と経済は一体のものだけに、この先、貿易立国日本がどの様に変化し世界に伸して行くかで日本の在り方も変わってくる。宇宙船地球号の中で各国が役割分担をする事で、食料、鉱工業産出国の他、重工業や航空機、自動車、船舶、機械、電子部品、家電製品などの製造や販売、サービス業と様々な分野で各国の特色が出、存在価値も認め合う事となる筈である。 資源が乏しい日本が生きて行く為に、最新鋭の機器類の研究開発、更には重工業や民生品開発等の製造で日本経済が成り立っている以上、狭い国土で農業や酪農を営むにしても付加価値のある高級品以外は海外に売るには価格で負けるだろうし、漁業も自給食糧に廻すだけで精一杯となれば、やがて来ると言われる世界食糧危機に抗するには、例えば近畿大学が研究開発しているマグロや高級魚の養殖漁業に頼らなくてはならなくなる。つまりは食糧自給率を維持しながらも獲る漁業から育てる漁業に転換せざるを得ないという事である。日本の人口がピークを過ぎ、やがては1億人を割る時代になってもそれは同じである。ビジネスで海外に打って出るのは当然としても単純労働では中国・インドを始めとする国々には太刀打ち出来ず、それはアメリカの鉄道を造ったとされるクーリー(大量の中国人人夫)を見ても分かる。彼等は手作業だけで万里の長城を延々と造って行った歴史的実績をもっているのだ。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/14
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初冬の独り言(4) だがしかし、民主党は政権を取った割には余りにも稚拙であったのと公約を果たすどころか政治手腕もお粗末でミスが多過ぎて国民の期待を裏切ってしまい、さりとて自民党は55年体制以降のアメリカの傀儡政権のようなパペット政権のままでしかなく国民の信を失い、今や両党ともひ弱な政党に成り下がってしまった。それなら他の党はどうかと言えば、公明党も共産党もコウモリのような日和見主義でしか無く、その他の諸々の政党や会派も絶大な国民の支持を受けているとは言い難い。つまり過半の国民は支持政党無しになってしまったのである。其処へ「大阪維新の会」という新しい政治団体が狼煙を上げ、喝采を浴びているのである。何処まで発展し伸びるか分らないものの、政治家が忘れていた市民への配慮や行政の不備を的確に指摘し実行している姿は新鮮なものがある。 それを目の当たりにすれば誰もが賛同せざるを得ず、反対するのは既得権益にドップリ浸かった連中でしか無い事も分ってしまった。先の大阪府・市の首長選挙で、橋下陣営に対してネガティブ・キャンペーンを張った平松陣営は、あろうことか橋下候補の肉親のプライバシーまで侵害して人権侵害までしていたのだった。平松前市長自身は元民放アナウンサーとして公平な目をもっていたと想われていたにも拘わらず、どうトチ狂ったのか赤新聞よろしく大よそ常識を持ち合わせない稚拙で低レベルの話術でしか攻撃出来ず、政策主張なぞ一切無く、市民から馬鹿にされていたのにも気がつかない哀れさを露呈していたのだった。よくぞそれで市長が務まったものだと呆れかえってしまった人も多かった。矢張り既得権益を手にした連中に依る長年のパペット市長が崩れるのは時間の問題であった訳だ。 関西人は利にさとく常に覚めていると言われ、特に大阪市民は政治に無関心と言われていた。毎回の選挙でも投票率が低く、既成政党の思惑どうりの候補者が当選するのが当たり前だった。ところが今回は違った。言う事と実行力が伴う首長が現れたのだ。人々は大言壮語して政権を取った民主党の実行力の無さと裏切りに近い政策変更に失望し、片や反論する側の野党の切り込みの弱さにも飽き飽きしていたから明確に断言し理路整然とした新市長に期待を寄せたのだろう。これまで選挙に無関心とされた若者までもが目を向けた選挙だった。役人天下となってしまった政府(国も地方自治体も)に嫌気がさしていたのだ。更には二極化の傾向が顕著に成って貧しい老人や若者が増えて来たのもあった。権力を握った者だけが豊かになる社会構造を何とか変えなくては自分達に未来は無いと考える人々が増えたのだ。 社会主義国家でもない日本が官僚による社会主義体制に似た社会を作り上げてしまったのを、再び活力をもった自由主義経済社会の日本に戻す為には、戦後の官僚の統制経済では立ち行かなくなった事に気付いたのだ。それが役人天下を変革させる事と日本の現代社会をギリシャの様にしては成らないという危機感がそうさせたのだと言えよう。既成政党の恩恵に浴した政治家や特権を持ってしまった官僚体制に浸っていず自前の職業(弁護士)で喰って行け、立て板に水の様な弁舌爽やかな男に人々は「何とかしてくれ」と頼んだのである。その手法としての構想が大阪都構想であり、教育委員会の改革であり、諸々の市の外郭団体の解体である。地下鉄の民営化もそうだ。民間で出来る事は民間でというのが小さな政府にする為の簡単な手法である事を人々は様々な団体(国鉄や公社)の民営化で知ったのだ。 代表的な例を一つ上げれば、官僚が天下りをした外郭団体の長を2年程度で辞めれば数億円の退職金が貰える。その方式を二度、三度と繰り返す元官僚が実に膨大な数に昇り、先輩・後輩に依る官僚天下が出来上がった。大阪市も同じ事を真似、多くの既得権者をつくって来て市の官僚が絶大な力を持ってしまった。それを解体する事が赤字体質の市政を黒字に変える基本である理屈を市民は薄々知ってはいたが、之までその事をを主張する候補者も居なければ具体的な政策を掲げる者も居なかった。それを言えば首長に成れない仕組みが出来上がっていたのだ。政治家は分かっていても自分が当選する為には黙認するしか無かった。戦後の数十年にわたる歴史がそうさせて来たのだ。市民も体制を変える事よりも日々の暮らしが良く成る目先の事しか考えず、官僚や議員が日々の暮らしを良くしない元凶である事に気がつかなかった。 たまたまボクが今年の春から夏にかけて耐震改修の監理業務を行った大阪府南部にある府立高校に、橋下府政の頃に民間から高校の校長に成った人が居た。アメリカで弁護士をしていた橋下知事の学友だった彼は、橋下知事に依る教育改革に協賛したのだ。そして就任して2年ほどで教育効果が出て来て、それまで目立たなかった高校が頭角を現す迄になって来た。夏のだんじり祭でにぎわう街の高校にやる気のある教師や生徒が増え、父兄も大いに関心を持ち、文化祭や発表会やスポーツの試合には家族連れの見学者が普通の高校の数倍にもなるという。それで学力が向上した高校は自信を持って更に頑張っていて、それを半年間ほど現場で観て来たボクは橋下知事の言動に賛同した事が間違いではなかったという安心と期待を新たにし、今回の大阪市の改革にも期待をしているのである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/13
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初冬の独り言(3) 日本政府の出鱈目な政策は国民を不信感の塊にしようとしている。マスコミも政府の垂れ流し情報だけを報道し、無能政府の加担をして自分達の延命を図っている。それでは益々国民がマスコミ離れしてしまう。世界的な不況と難問山積で国内問題なぞ高がしれているとするマスコミや政治家は自分の国を憂えるという心配なぞしないのだろうか。場当たり的でいい加減な国会答弁や政策を恥じも外聞も無く、プライドをかなぐり捨ててグダグダと無意味な言葉ばかりを並べ立てるのが今の政治家である。つまり彼らには一寸先の事も観えないから骨のある事は何も言えないのだろう。こうしてボクの様な一国民が指摘する事すら雑音でしか無いと考えるのだろう。ボクよりももっと過激な発言をする人々は多い。反面、何も分らずナンセンスな事ばかりを言う人々も多い。目暗千人、目明き千人と言われる由縁だ。 そんな中、幸いな事に大阪に新しい動きが出始めた。先ずは2年前に橋下知事率いる大阪府で、そして今回は大阪府知事から大阪市長に鞍替えした橋下市長率いる大阪市も改革の方向に向かいつつある。その勢いは留まる処を知らず、中央政界の注目の的であり、それに影響された各政党が我が陣営に引き入れようと躍起に成って大歓迎の気配である。日本文化は西から起きると言われ、古くから上方(関西)から新しい事が起き、下方の東国へ浸透して行くパターンがある。食文化もそうだ。それは京都に千年の都があった歴史的地盤があったからだろう。大阪から京都、兵庫、奈良、滋賀と輪は広がりつつあり、新しい歴史のうねりが始まったのである。中央政界がうかうかとしている間に日本は革新陣営が野火の様に全国に広がり、あれよあれよと言う間に中央政界だけが取り残される事に成るだろう。 橋下新市長率いる「大阪維新の会」が主張する政治原則は、行政の無駄な面の是正であり納税者である国民が行政に依る恩恵を平等に享受できる社会を造ることである。何も無茶な事は言って居ない。大阪府と大阪市との二重行政を一本化する事で無駄が無くなり余分な経費を掛けないという当たり前の事を当たり前に実施しようとする事である。役人が市民の方を向かずに自分達の為に行政を偏向させている長年の弊害を無くそうとするものであり赤字の垂れ流しが当たり前の様に為されて来た事の是正に過ぎない。それは地方自治体(地方政府)だけの事では無く国の政府にも言える事で、先ず足元の地方行政から始めようとするものである。当初から彼の主張を聴いて、大阪人ではないボクも賛同して来たのには理由がある。それは行き詰った政治の打開策として道州制を取り入れようと主張した事から始まる。 道州制そのものは彼が言い出すよりもかなり前から言われて来たものである。日本の国土の数十倍もある人口3億人のアメリカでさえ僅か50の州で構成されているのに、狭い国土の日本が同じような数の都道府県だけで国が構成され、州のような大くくりの政府機関が無いまま大きな中央政府が全部を取り仕切っている弊害を無くそうとする案は、総論賛成・各論反対の波に飲まれて立ち消えになりかけていた。ところが政府の無能ぶりが露骨に出始め、世界情勢にもついて行けなくなった昨今、世界同時不況も重なってそれこそ二進も三進もいかなくなっているにも拘わらず相変わらず国会議員は能天気な事を言い、地方自治体も似た様な事を言う有様である。出るべくして出て来た橋下新首長は関西の活力を再び取り戻そうとする原動力になるだろう。そう想ってボクは当初の関西のテレビ・タレント時代から彼を応援して来たのだった。 国や地方自治体の機能が大きく落ちている現実が、彼が現れた事で劇的に改善される訳でも無かろうが、大阪からじわじわと改革して行く事で関西が活力を取り戻し、それが中央政府をして全国的に改善の方向へ向かわせるだろうという期待のうねりが始動したばかりである。赤字だった大阪府政を黒字にした実績で次は大阪市を黒字にさせて行く彼の行動力は優秀な経営者の手腕と同じである。それを見抜いた各界の実力者が彼に応援を申し出ているのは喜ばしい事だが、単なる自分の利益の為だけに彼を取り込もうとする矮小な考え方をする政治家には注意を要する。来る者拒まず、去る者追わずで行くにしても、これからが本当の勝負だけに慎重に根回しをし反対派の言動にも留意しながら行動すべきであるのは論を待たない。特に大阪市には既得権を守ろうとする同和集団が待ち構えているだけに強力な政治力が要る。 そもそも戦後の政治を悪くしたのは日教祖と同和だと言われる通り、彼等が手にした既得権益のせいで一般市民の生活が犠牲になり、役人天下になってしまったのは誰もが実感している。ボクが子供だった戦後の昭和時代は、それまでの旧体制の生き残りと彼等との葛藤の時代であった。それが半世紀以上の間に権力構造がほぼ同格か逆転してしまったが故に、戦前も戦後も一度も権力の座に居なかった一般市民は彼等の間で被害を被っていただけであった。権力を手にした側は二度とそれを手放さない為にも仲間内の結束を強め権力の座をたらい回しにして守って来た。その両陣営の代表が自民党と社会党であり、裏ではお互いが手を組んで、時には対立をし、時には密談料亭外交をして妥協し合っていたのだ。しかし55年体制が崩れ、様々な政党が雨後のタケノコのように出来ては消え、合従連衡を繰り返す内に今の民主党と自民党との対立構造になったのだ。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/12
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初冬の独り言(2) 京の公家衆のオカマ言葉も背筋がゾッとして気持ち悪いものだが、関東の「だろ」「だよネ」という男言葉を女性が使うのも品性が無く嫌なものである。下町言葉が悪い訳でも無いが、それなりの品位を保った言葉が流行らなくなる理由は社会が荒んでギスギスした不景気な時代である事が多い。つまりは政治が悪い事になる訳だが、政治は国民が支持してこそ繁栄していくものであるだけに国民からソッポを向かれる様では言葉も悪く成るはずである。男言葉が女性間で流行るのはユニセックス時代の現れで、それも文化の一端ではあろうが、文化の成熟度が低い証拠でもある。逆にお姉(ねえ)言葉が男の間で流行るのも同じ傾向で頽廃的な社会を表している。水商売や歌舞伎で流行る言葉は、やがて一般社会でも認知される様になったが、元禄時代の役者と商家の嫁との不義密通(不倫)も同様である。 それは結局、幕府の取り締まり対象になる位、町人社会に影響力があった。江島生島の様に大奥の御殿女中と町人役者との不義密通事件は幕府の威信を大いに傷つけ、町人社会の方が武家社会よりも経済的に裕福になりつつある一種の世紀末現象でもあった。それは現代でも同じ現象があって、芸能界のスキャンダルが一般社会にも浸透し、週刊誌やテレビの茶の間の話題になるのは日常茶飯事である。それに呼応する様に政府も私利私欲に走り、まともに仕事をせず、国会答弁でも多弁な割に内容の無いものに終始し、特に予算委員会でのやり取りはまるで下手な漫才合戦の様で、テレビ中継しているにも拘わらず恥じ入るどころか居直る始末である。これでは益々内閣の支持率は落ち、次期総選挙では落選議員が続発するだろう。国民も呆れて「早く辞めろ」コールが大きくなる一方だ。 官僚は自分達が安泰であれば国難の時と言われようとも我関せずで、当面は世界情勢を観て早急に対策を立てねばならない問題なぞ無いと想っているから気楽なものだ。連日マスコミの言う「ドル防衛」であろうが「ユーロ危機」であろうが成る様にしか成らないと静観するだけで、目先の国家予算が確保出来れば良いだけの事なのだ。元来国家予算とは税収で成り立つものなのに、半分以上の不足分は借金で賄えば良いとする考えだから何か別の名目で税を徴収すれば良いという頭しか彼らには無い。だから簡単に財源として消費税を欧州並みの20%にまで上げたい処だが、現在の5%ですら国民の不満があって更に5%上げるだけでも世論操作をしなければ通らない状態である。官僚の考えは「国民というものは昔の百姓と同じで菜種油のように絞れば絞るだけ出るもの」と見下し虎視眈々とタイミングを狙っている。 多分、今の調子では来年度には政府はラストチャンスで増税の狼煙を上げ国民に信を問うかも知れない。国民もマスコミや評論家に踊らされ、消費税の値上げも止むを得ないと想うだろうという塩梅である。もし通らなかったなら国民に支払う年金を減らせば良いだけだとも考えている。老人社会になった国民にすれば踏んだり蹴ったりである。「老人は早く死ね」と言わんばかりの政府の対策は東北大震災の対応を見れば分る。まして福島原発の事故処理対応なぞポーズばかりで何一つ解決の目処は立って居ない。このままでも放射能被害は直ちには無いと誤魔化しと嘘ばかり言って、やれ除染だ、瓦礫処分の受け入れ先は他県が受け入れるべきと好き勝手な事を言い、事故報告ではジワジワと放射性物質の危険度を明かし始める。更には核燃料の取り出しは30年後と惚けた事まで言い出す始末だ。 福島原発がメルトダウンした際、当初から言われている放射能封じ込めの石棺方式は金が掛かり過ぎるとして、一号炉のみをビニールでカバーをして当面の放射性物質の飛散を抑えているだけで二号炉・三号炉はどうするのか目処も立って居ない。場当たり的な対策しか取れない東電や政府は、事故から9か月経っても精々水を掛けて炉を冷やす初歩的な事しか出来ない無能集団だ。そんな政府のやる事は、問題の先送りとアメリカの顔色を覗う事や、中国や近隣諸国からの日本政府への要望や反発をかわす為に借金した金をばら撒く事で誤魔化すばかりだ。沖縄問題でも県民の感情を逆なでする事しかせず、根本的な解決策(米軍基地を海外へ引き揚げさせる事)なぞとんでもない事として触れようともせず、思いやり予算(米軍基地存続費用)の減額すらしない有様だ。 先月16日に米国のオバマ大統領が、大統領就任後初めてオーストラリアを訪問し、北部の港町ダーウィンに2,500人の米軍海兵隊を駐屯させる計画を発表したのに、日本政府はそれを知らない事にしてヘノコ岬に新たな基地を造る作業に入っている。基地開発許可の前提である環境アセスメントなぞというまやかしの評価書を作成して沖縄県知事に近々提出しようとしているのである。それよりも2,500人の米軍海兵隊の移動はグアムの米軍基地の海兵隊だけの数では無い。当然、沖縄の海兵隊をも指している。中東やパキスタンの米軍を引き揚げようとして慌ただしくしている中、そういう動きを取りながらもアメリカは日本政府に極東における不沈空母の役割を求め、沖縄問題は日本政府の問題であるという態度で地元の基地反対世論を重視しつつ静観しているのである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/11
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初冬の独り言(1) ボクは時々、同世代の友人達が今何をしているのだろうと想う事がある。ボクの場合は生涯現役を目標として出来るだけ仕事があればそれに集中する様にしているのだが、仕事が切れて暇な時は退屈で、読書するでもなし、趣味だったクラシック・ギターを弾くでもなし、精々ブログのエッセイを書いたり、ガーデニングをしたり、ゴルフ練習をしたり、インターネット映画を見たり、妻の買い出しに一緒に行く程度の事ぐらいしかしないのだ。読みたい本が今の処無いというのもあるが、親父が残してくれた膨大な仏教関係の本が書棚にあって、亡くなった時、それを処分しようとしたものの「否、待て。暇な折に読んでみよう」と残してもう10年以上に成る。ところが読んだのはその一割にも成らず放置したままである。友人の中にはボクと同じく生涯現役組が数人居るが、趣味が全く違うのだ。 そういう連中の事ですら、今何をしているのだろうと考えても分らないのだから、暇を持て余した前期高齢者の事なぞ想像も出来ないのである。小学校の同窓生に依る月に一度の山歩き会も京都の集合場所迄行くだけでも余程早く家を出なければならず、始発に乗っても間に合わない場合が多く、結局行かなくなって案内も来なくなった。まさか車で行って参加したところで解散場所から出発場所へ戻るのもナンセンスに想え、最初から車で行く気にも成らなかったのもある。それに老若男女の行列に参加するよりも若い連中と一緒に行動する方がボクには向いている事もあって残念ながら前期高齢者の仲間としてはハグレの様な存在でもある。映画なら割引価格の千円で行けるのだが、観たい映画も無く、昔のアート・シアター的なものがあれば行っても良いとは想うものの、それも無い有様である。 それに住んでいる場所の問題もある。ボクは元々都会派だった。それが結婚して38年、郊外の緑豊かな住宅地に移り住む様になってからガラリと生活スタイルが変わってしまった。勿論、サラリーマンをやっていた頃は毎晩飲みに廻って帰宅は深夜だったが、通勤の電車が面倒で、職住近接だった独身時代のような行動は取れなくなってタクシーに乗る事が多かった。今想えば、大阪の繁華街から自宅まで一万五千円から二万円も出していた頃が嘘のように想える。余程金廻りが良かったのか浪費癖がついてしまっていたのか、ゴルフに行ける費用を連日の様に使っていた訳だ。だから中年の頃には生涯分の酒を飲み干してしまったた。最近でも晩酌はするものの酒量は極端に落ちてしまい、アテや食事の量も減ってしまった。食べ過ぎに依る弊害を気にしてダイエットに励んで居る訳でも無い。 自然にそういう生活に成ってしまったのだ。だから脂ぎった生活が今や淡々とした老人の生活に近づいた感じである。それでも毎週ゴルフ練習をしたり、月例会ゴルフに行ったり、ガーデニングやパソコンで時間を潰しているだけに未だ少しは脂ぎった面も残っている。だからボクの様な時間の潰し方をしない連中の生活が気に掛かって仕方ないのである。そんな事を妻に訊くと「あなたの様な趣味が無くても、唯ジッとしているだけの人が、それなりの時間の潰し方で過ごしているのヨ」とニベもなく応えていたが、そういうものなのだろうか。ボクには不思議な気がするのだ。そういう生活なぞ張り合いも無く、まるで枯木ではないかと想える。尤も、孫を相手に陽がな時間を潰す人も居るだろう。ところが、孫が幼稚園に行く様になると爺は嫌がられ、友達と「亦、来ているヨ」と噂するのだそうだ。 孫はおろか息子の結婚相手も恋人も居ない状況のボクには測り知れない出来事なのだが、そんな親戚の老人の事を聴くにつれ「決してそんな老人には成らないぞ」と自分に言い聞かせている。要するに寂しく人懐っこい老人というのが観た事も無いだけに勝手に頭の中で想うだけの事だが、老害と言われる何処かの新聞社主でプロ野球のオーナーの様には成りたくないと想うだけなのだ。あんな威張り散らす老人は逆に心では寂しく、誰からも真に心から相手にされず仕方なく付き合ってくれているだけである現実が観えない裸の王様のような寂しい立場である事が分からないのであろう。哀れなものである。まさしくクリスマス・キャロルの老人のようなものである。ボクなんか同情なぞしない。逆に「地獄に落ちてしまえ」と言いたくなって来るぐらいだ。そういう老人が世に憚るのは不幸な時代だ。 尤も、そういう毒舌を吐くボクの事を評して「あなたも、長生きするタイプネ」と妻なぞは嘲笑する。だから「嫌われる老人になって、社会を批判して是正しなければ、一体誰がするのか?」と反論する訳だ。関西人は昔から口が悪い。特に京都人は覚めているから、昔から権力に擦り寄る連中の事を堂々と批判する歴史がある。ボクの様に人生の半ばで京都を離れ、50km程離れた郊外から京都を観ていると京都も悪く成ったと想わざるを得ない。純粋の京都らしさが失われつつあるのだ。そういう意味では大阪も純粋の浪速風情が失われつつある。谷崎潤一郎の「細雪」や川端康成の「古都」に観るような日本の風情が忘れ去られる時代、ゲスっぽい大阪の下町喜劇が京都にまで及んで悪くしてしまった。今や関東の方に迄、誤った関西弁が横行して、それが関西文化だと称する時代である。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/10
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晩秋(7) 寒いと想ったら今朝は室温が12度(摂氏)だった。慌てて暖房を点けた。20度を割ると寒く感じるものの、未だ余裕のある寒さの内だが、12度ともなると身体が芯から冷える。寒さに強かった身体だったのに中年以降は抵抗力が減ってしまった。しかし、真冬になると室温が6度にもなるから外気温ではマイナスになり、居ても立っても居られなくなる。動けば少しは温かく成るのだが、朝から運動は無理だから先ずトイレに立って用を足してからココに餌を与え、暖房で身体を温める事から一日が始まる。この頃ではココは寒いから腹が減ってもベッドの上でボクの起きるのを待っている。早朝に起きるのが辛く成って来ると次第にベッドから離れる時間がズレ出し、今朝は8時だった。だからココは3時間ほどジッと我慢していた訳だ。それで死ぬ訳でも無いからボクは自分の体調を見てから起きる様にしている。晩秋-16(萩の黄葉) 何故なら風邪気味なのが未だ治らないので腰が傷むのだ。今度の日曜のゴルフ月例会までには治しておかないと困る事に成る。まあ、遊びの事だから何とかなるだろう。尤も、先月は体調を崩してキャンセルをしてしまった。そういう事の無い様にと慎重になってしまうのだ。その点、ココは健康そのもので、毎日毎回、餌やお八つを食べ終えると幾ら寒くても直ぐに外へ出たがる。雨の場合でもだ。濡れるから駄目と言っても出たがる。ガレージには屋根があるから屋根の下の煉瓦塀の上に乗って道路をジッと観察するのが好きなのである。体毛が長い種類の猫だからそれがレインコート代わりになって皮膚の表面まで濡れないのだろう。体毛には少々の雨ぐらい弾く脂っ気があるらしく、大抵の動物がその様になっている。しかし、ずぶ濡れになればそうも行かない。たまに夏場そういう事がある。晩秋-17(萩の黄葉) もし、それが今頃だったりすれば幾ら元気なココでも風邪を曳いてしまうだろう。夏場でも震えていたから急いでバスタオルで全身を包んで拭いてやった。ある時なぞドライヤーで乾かした事もあった。ドライヤーの音と熱風が嫌で逃げようとするのを抑えつけて乾かした処、フワフワの体毛になって気持ちよさそうに横になった。それでも一所懸命に毛づくろいをしていたが、懲りたのかそれ以来、ずぶ濡れに成る事は流石に無くなった、濡れればそういう嫌な目に遭う事を学んだ様だ。夏場でも全身雨に濡れれば寒く成るものだ。ブルブルと震える身体をバスタオルで包むのが一番手っ取り早く、ココもされるままジッとしていた。世話の焼けるペットだが、それもペットを飼う楽しみの一つなのだから仕方が無い。そうする事でペットも飼い主に馴染むのだ。我儘で気難しいココも従順になった。晩秋-18(萩の黄葉) さて、晩秋とも成れば黄葉が益々綺麗になる。そして葉が散って行く。既に前栽の真っ赤な紅葉も散ってしまった。山茶花のピンクが少しばかり赤みを添えている程度だ。前栽には黄葉になる木が無いから山茶花の花と木々の緑ばかりで華やかさは無いが、書斎の前の庭は垣根の萩が黄葉して今が一番綺麗な時である。今年は萩の花は余り綺麗には咲かなかった。その代わり黄葉が庭に色を添えてくれている。そして南天の赤い実がクリスマス・ツリー的な雰囲気を醸し出している。そう言えば、年末恒例の近所のイルミネーションが今年は灯っていない。昨夕、買い物の帰りにその家の方へ廻り道をしたのだったが灯っていなかった。毎年、見物客が多過ぎて駐車で近所迷惑になっていたから中止したのだろうか。少し寂しい気もするが、迷惑を受ける人が居る以上、中止も仕方が無い。晩秋-19(萩の黄葉) その帰り、近所の空き地にススキが群生していて綺麗だった。毎年所有者が草刈りをするのに今年は春にした切り、秋にはやらなかったのだ。お蔭で風流な気分になったが、自治会から電話で問い合わせた処、近々家を建てるので草刈りはしないという返事だったそうだ。工事が始まれば空き地は消える事に成る。ススキの風景も見られなくなる訳だ。数年前にそのススキの数株を掘り起こして庭に移植したのが毎年生えてくれる。翌朝、庭を観ると未だ穂は開いていなかった。周りの庭木で陽当たりが悪い分、開花が遅いのだ。群生しているススキも綺麗だが、数株のススキの穂も庭にあると乙なものである。月観には時期外れだが、ゆらゆらと風になびく風景も良い。ススキが咲き終えれば刈り取ってココの指定席である高野槇の下に敷き込むことにしている。ココの為のクッションである。晩秋-20(枯れ尾花) ススキを刈りとれば、いよいよ秋も終え冬に入る。冬景色を見ながら冬を楽しむのなら良いが、往々にして反対の温かな春や真夏の暑さを想い比べ勝ちになるものだ。身勝手なものだが、それが人情と言うものなのだろう。身勝手な事ばかり想う処が俗物の生き様でもあるのだ。聖人君主でも無いのだから寒いとか暑いとか文句を言いながら生きてこそ人間をやっていられるのだとも言える。ところで、年齢と体調を考えて天皇制に定年制をという惚けた事を言う宮さんが現れた。これは別の意味で身勝手な発言である。男子を授かって有頂天になり次代の皇室像を勝手に描いているのかも知れないが、皇室典範によって定められた自分の立場を弁えずマスコミに勝手に発表するなぞ狂っている。何とも哀れな皇太子の弟である。多分、誰かに言わさされているのだろうが、そうさせる影の権力者が最近の国内情勢に危機感を抱き、まるで枯れ尾花に怯えている姿が滑稽に観えて来る。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/09
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晩秋(6) 庭のクロガネモチの実が赤く成った。それを観て1年の経つのが実に速いと想う。ついこの間、ヒヨドリ達がクロガネモチの赤い実を食べつくしたと想ったのに、春に小粒の白い花が咲き、それが夏に青い実に替わり、やがて秋には黄色く色づき出したと想ったら、この処、日毎に真っ赤に成って行くのだ。せっせとヒヨドリの為に生ってくれる様なものだ。歳をとればとる程時間の過ぎるのが速い。生まれたばかりの赤ん坊は時間なぞ意識せず泣いてばかり居るものだが、それを仮に1とすれば今の1年はボクの場合68分の1になるそうだ。つまり人間の意識は若い時ほど時間は長く感じる様に出来ているという。歳をとる程1年の分母が大きく成って行き、死ぬ時の分母が寿命という訳だが、短く感じる理由は人生の経験年数が分母となり時間を細分化し、総てを瞬時に理解させてしまうのだそうだ。晩秋-11(右から、ヤマモモとクロガネモチと金木犀) つまり100歳の人の1年は1歳の赤ん坊の1年の1%しか感じられず、無限にあると感じた若い頃の時間も年齢と共に短く成って行くという訳だ。光陰矢のごとしと言わしめる由縁だ。矢が的に当たる瞬間、人生が終える。だからボクなんか的まで86mあるとすれば、今は的の直前18mぐらいな処に居る様なものだ。何と果かない命よと想わざるを得ない。それだけに毎日を吟味しながら有意義に過ごさねば勿体ないという意識が強く働く。一軒置いた隣家の老婆なぞは今年99歳で未だ元気に散歩を続けているが、矢が的に届く寸前まで今を有難いと想いながら生きているのだろう。彼女は歯が丈夫で何でも美味しいと食事を楽しんで居るそうだから未だ10m分程残っているのかも知れない。誰にも寿命は分からないものの、気力と意志力で長生きは延長されるのだろう。大したものである。晩秋-12(クロガネモチの実) 人間と違って自分では何処にも移動出来ない庭木は、人間が適材適所的な植え方をして成長を観るしか無いのだが、手を加えればそれだけ樹姿の美しさや枝ぶりに生命力を感じられる様になる。人間の数十倍を生きるだけに人生の途中でしかそれらを観る事が出来ない我々は、より美しく観たいと願い、精一杯生きる木の姿を想像しながら美を維持させる為に手入れと肥料を欠かさないのも一つの愛情である。だから毎日気を配りながら手入れをし成長を見守っているのだ。例えばこのシマトネリコなぞは精々80cm程の苗を四株買って二株は鉢植えにし、残りの二株は地植えにしたところ成長は地植えの方が断然良く、三年経った今では2mを越えるまでに成った。一方、鉢植えの方は1mを越えたぐらいである。それでも樹姿は細かい枝葉が綺麗にシルエットを見せ、他の草花とコラボレーションを演じている。晩秋-13(シマトネリコ) その横のサカキ(榊)も同じ頃に苗を植えたのだが、之は周りの木のせいで陽当たりが悪いのもあって成長が遅く、未だシマトネリコの半分位の背丈だ。三輪明神の神棚の榊が切れた時の繋ぎとして枝を切って飾っているからか成長が遅れるのかも知れない。榊を毎日神棚に飾れる迄に成るには10年は掛かるだろう。伸び放題にせず毎年剪定をするから、どうしても成長が遅れる。庭木は大きく成り過ぎると庭を狭く感じさせるから日本庭園は庭木の頭を抑えて成長を止めるのだ。それを知っているからシマトネリコは剪定をせず伸び放題にさせている。成長の遅い鉢植えの分が手前で風景のバランスを取ってくれているから丁度良い。横の百日紅も同じ箇所で剪定するから成長が遅く、コブが出来、其処から毎年花の咲く枝が数本伸びる。栄養が其処に集中して花芽を育てるのである。晩秋-14(サカキ) 夏場はその枝が水銀灯の常夜灯の光を適当に遮ってシルエットを浮かび上がらせてくれ涼しさを演出する。それも風情を計算しての配慮である。そういう風に全部の庭木のバランスが庭を適当な奥行きと高さにして書斎からの風景を保ってくれている。晩秋の冬枯れの一歩手前ともなれば寂しく成る庭も、紅葉で今が綺麗な時でもある。春は春の、夏は夏の楽しみ方と美しさがあるという訳である。そうこうしている内にダイダイの実が黄色く色づき出す。今年は生りが少ないから毎年の様な鈴生り風景は観られないのが少し寂しい。勿論実は食べられるのだが、余りにも酸っぱいので鍋物のタレに入れたり、ハチミツを入れてダイダイ湯にして飲む。風邪気味の身体が温まるのである。それでも大半は食べずに捨ててしまう事になる。他には実の生る木ではグミがある。小鳥が運んで来て育ったものだ。晩秋-15(ダイダイ) グミの甘酸っぱい赤い実を気が向けば食べる。が、家人は気味悪がって食べない。他には野葡萄の実も垣根には成る。小粒の実だから食用に成る程は無いのだが、ほのかな葡萄の味と香りがするので秋の風情を楽しめる。8年ほど前まで前栽に在った白梅の木にたわわに実がなったものだった。しかし手違いで残念ながら枯らせてしまって今は無い。かつてその実で梅ジャムを作って食べた事があった。ブログに紹介するとレシピを教えて欲しいという人が居たので紹介した事もあった。なかなか美味だった。そう言えば、ヤマモモも実が生るのだ。グミのような赤い柔らかな実で食用にはなるが、ジャムにするには手間暇が掛かり過ぎる。精々、摘み取って口に放り込む程度である。晩秋の庭は芝生も枯れ、ゴルフのピッチング練習程度でしか出て楽しめなくなりつつあるが、それでもココは毎日庭に出てゴルフ練習を観てから、おもむろに周辺を見廻りに隣家伝いに出掛けて行く。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/08
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晩秋(5) 今月のゴルフの月例会の組み合わせ表がファックスされて来た。スタートは7時22分である。30分前にはレストランでコーヒーを飲んで寛いでいたいから7時15分前にはゴルフ場に到着していなければならない。ロッカー・ルームでの着替えもある。ゴルフ場へは高速道路を飛ばして1時間少々掛かるから5時半には自宅を出なければならない。この頃では未だ夜明け前の暗い時である。遊びだからこそそんな早朝でも嬉々として起きられるのだ。夏場なら5時起床は平気だしココも起こしに掛かるから簡単に起きられるが、3年前に左耳が突発性難聴になって以来、目覚ましの電子音が聴きづらく成ってしまって、対策として先月、ベルが二つ頭に付いている旧式の目覚ましを買った。それなら電子音よりも波長が長いから聴き易いと想ったのだ。そのノスタルジーな型を見て独身時代を想い出した。晩秋-06(八手の花) その頃は目覚ましのお世話になったものだった。耳は今と違ってよく聴こえていた。しかし、若さのエネルギーというものはそれを聴きながらでも爆睡して起きられない程身体を眠らせたものだった。それで約束の時間に寝過ごして遅れる事も何度かあって、とうとう目覚まし時計以外にタイマーでステレオのテープが鳴るようにセットしたのだった。そうすれば絶対に目は覚めた。ちなみに曲は交響曲の時もあればモダーン・ジャズの時もあった。独り暮らしだったから音量を相当高くしても近所迷惑になる事も無かった。それよりも鳴りだせば飛び起きてボリュームを下げるから大きな音は数秒間だけの事だったし、隣家に多少は音が伝わっても苦情になる程の事でも無かった。京都の街中の住宅はは「しもた屋」と言って家々の壁がくっついていて所謂長屋風だったから中には安普請の家なぞは隣家の物音が聴こえた。晩秋-07(柊) しかし、余程大きな音でも無いと壁に耳でもしない限り迷惑になる様な事も無かった。そもそも日本文化は、障子や襖で仕切られた向こうの話し声は聴こえても聴かないのが礼儀とされたから隣家の物音に聴き耳を立てるなぞという失礼な事はしなかった。住んでいる地域にも依るのだろうが、ボクの生まれ育った四条烏丸(しじょうからすま)界隈では銀行や証券会社が多かった事もあって商業地域だけに家の造りも頑丈だった。中学時代に2km程西の壬生寺付近に引っ越しをして街の様相がガラリと変わったから物音は聴くともなしに聴こえた。所謂下町だったのだ。染物屋の職人が多かった。その後4年ほどして引っ越した西陣では機織りの音がどの家からも聴こえ雨が降るような音を立てていた。矢張り其処も職人の町だった。人生で二度程そういう環境に住んで職人の生活がどういうものか知った。晩秋-08(万両と山茶花と青木) 生まれてから中学3年生の秋までの16年程はオフィス街のある繁華街で育ち、中学、高校、大学と7年一寸の学生生活は職人の町で過ごし、社会人になってからは結婚する迄転々と引っ越しをしたから町の特色を知る程には馴染まずに来たせいで、住まいの印象としては最初のオフィス街と次の職人の町のイメージが大半だった。それが結婚後は閑静な住宅地に住むようになって人生の半分以上にもなると静かな環境が当たり前になって、街の喧騒で育った時代が懐かしいと言うよりも知識として頭の中に在るだけになってしまった。便利ではあるが喧しい場所は落ち着かないものである。其処は矢張り若者の街であり働き盛りの頃の生活の場だろう。言わば職住近接の時代は人生の一番華やかな頃である。そういう頃に閑静な住宅地で生まれ育った人間は大人しくお宅的な人間に成り易いものだろう。晩秋-09(浜木綿) 反対に、下町の賑やかな処に生まれ育った人間はどうしても庶民的になり住宅地育ちとは違って来るものだ。良いとか悪いという問題では無く、環境が人間に及ぼす作用の問題である。それだけに住む場所や付き合う相手に依って人生は大きく左右される。孟母三遷というのも分かる気がする。都会の繁華街で生まれ育った割には未だスレていなかったのか、青年時代、マカオで小学校の隣がカジノだったのを観て衝撃を受けたものだった。小学生同士で映画館へ行ったり、子供のくせにパチンコ屋で遊んだり、デパートで遊ぶのが当たり前だったくせに変に都会ズレしていなかったという事だ。それよりも親父に連れられて相撲見物に行った帰りに先斗町(ぽんとちょう)のお茶屋で親父が座敷に上がって酒を飲んでいる間、やり手婆というか女将が菓子をくれて「ボン、一寸待っててや」と表の間でジッと待たされ大人しくしていた経験があった。晩秋-10(ココ) それなのに、お茶屋がどういうものなのか知らず、とうとう退屈さを紛らわす為に表の格子戸を開けて出たり入ったりして石畳の通りを行きかう舞妓や芸者を眺めていたのだった。つまり、住む環境がどうであれ、それに影響もされずに育つ子もあるものだという事である。小学校の隣がカジノであろうが神社仏閣であろうが気にもせず都会ズレもせず影響を受けない子が居ても不思議でも無いのに何故ボクはマカオで衝撃をうけたのだろう。それは想うに多分に大人の後知恵がそういう気を起させたに過ぎないのだろう。となれば人間は元来持つ自分の性格で育って行き自分と言う人間を形成して行くという事なのだろうか。良いも悪いも住む場所や環境だけのせいだけではなく、亦、親や周りの人間の影響だけでも無いという事なのだろうか。環境は確かに人間に多大な影響を与える。が、そもそも人間は単にそれだけでは変わるものでも無いという事なのだろうか。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/07
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晩秋(4) 今日も風邪気味で腰が少し傷むのでゴルフ練習に行くのを躊躇している。朝ベッドから起きようとすると気に掛かる程度の痛さで、午後になれば治るのが常だから調子が良く成れば行こうかと考えている。週に二回ほどの練習場での練習は、主にドライバー等のウッドもさることながらアイアン・クラブの調子を見るには欠かせないのだ。グリーンに出てミスを出すのが意外とアイアン・クラブが多いからだ。18ホール廻って、ドライバーは四ヶ所のショート・ホールを除いて最低14回は使うものの、アイアン・クラブは総てのホールで使い、途中でボールがバンカー(砂場)に入ったり、ラフ・グリーン(フェア・ウェー横の草が伸び放題の処)に入ったりしても必ず使うから20回以上は使う事になる。ウッド・クラブはロング・ホールとミドル・ホールのフェア・ウェーでも使うにしてもアイアン・クラブの使用回数程迄には及ばない。晩秋-01(山茶花) だから矢張りアイアン。クラブはその使用回数からしてもミスの出る確立が高い。ミスと言っても打ち損ないでは無く単に飛距離が10ヤード短か過ぎてもミス勘定に入れている。グリーンに載せようとして手前で止まった場合、つまり寄せでグリーンに載らないミスを犯すのがボクの場合意外と多いからだ。言わば寄せが雑なのである。もっと慎重に打てば載る処を適当に打ってしまい、そんなものだと勝手に納得している癖が身についてしまっているのである。そういう悪い癖は直さなくてはならない。スコアの悪いのは大抵それで、10以上はそのミスで損をしている。つまり寄せが上手くなれば10は確実にスコアを縮める事が出来、ハンディキャップも直ぐに10を切るだろう。つまり、寄せが上手い人はスコアも良い。パターも大事だが、極端に下手な人も少ないだけに寄せで決まると言っても良い。晩秋-02(ヤマモモとクロガネモチ) 誰でも最初のティー・ショットではドライバーを使うから当たり前の様にドライバーの練習をする。練習場で観る風景は大抵ドライバー練習である。想い切り飛ばしているのは気持ちが良いものである。だからアイアンを練習している人はドライバーの合間に少し居るだけである。何故ならアイアンは練習場ではミスらないのだ。否、ミスに気付かないのだ。飛距離が10ヤード短過ぎても方向性は合っているからミスには気がつかず、練習場のグリーンも小さく、ラン(落下して以降の転がり)も適当に行くから誤魔化されてしまうのだ。それに何回も打つからその場では修正されてしまう。本番では一回切りだから修正は効かない。打ったが最後、その落下地点まで行って意外にも飛距離の足りないのを知る事になる。だから寄せが更に1打増える事になり、全体で10は違って来るという勘定である。晩秋-03(山茶花) 練習場でアイアン・クラブばかり練習している人は自分の欠点をよく知っている人で、ドライバーやスプーンなぞウッド・クラブは一応大丈夫というか出来上がっている人である場合が多い。ドライバーは最初にギャラリーが居る時に打つから失敗しない為にも人は練習をするものである。それでも右や左に曲がる。それはフォームが悪いのとボールの位置が確定していない場合が多い。ボールが中央過ぎたり左側過ぎたりするとボールにクラブ・ヘッドが当たるタイミングがズレ、右や左に曲がる。右に曲がるのをスライスと言って身体が開いている場合が多く、顎が上がっていたりボールの行方を気にして早く顔を上げてしまうと身体が開き易くなる。身体が開くとボールに右回転を与えてしまうのである。逆に左に曲がるのをフックと言う。フックが出るのはスライスの逆と想えば分り易いだろう。晩秋-04(シマトネリコと百日紅) しかし、そればかりが原因ではない。プロはスライスとフックを意識的に使い分ける事が出来る。それはドッグ・レッグ(犬の足)の様にコースが曲がっている場合にフェア・ウェーの中央にボールを落とす事を考えているからだ。先日、プロがアマチュアとフォアッサム(プロとアマチュアの二人一組として4人で周り、ボールを自分の組の交互が打つやり方)の試合をしていて、アマチュアが林の中に打ちこんだのをプロがフック・ボールで見事にフェア・ウェーに出し、それもグリーンそばにまで走らせたのを観て感心したものだった。流石プロだけの事はあると想った。アマチュアが真似をすれば木に当てて失敗するか、真っすぐ打って単にフェア・ウェーに出すのが精々と言うところだ。プロの技量は誰もがプロ・テストに合格するぐらいだから上手いのは当たり前である。プロは技よりも器量で決まる。晩秋-05(車輪梅とシマトネリコ) プロがアスリートとして伸して行くには試合経験と度胸と運で決まる。プロという根性もある。アマチュアの前で下手な演技も見せられない。ギャラリーはそれが観たさにコンペでゾロゾロと金魚のフンの様について廻って見物する。熱心な追っかけは遠くまで飛行機に乗ってでも応援に行くぐらいである。其処までのファンの為にもプロは頑張らねばならない。亦そうまでしないとファンは納得しないだろう。賞金は結果であって、手を抜かず一所懸命やっていれば日の目を見る様になるだろう。だからこそ一流のプロは人間的にもなかなかの人が多い。語らせてもそこそこの事を言う。それでこそアスリートと呼ばれる様になるのだ。そんな事を考えながら冬枯れの庭に出てみると山茶花が咲き始め、香りを嗅ぐと、ほのかに桜薔薇に近い香が漂っていた。桜薔薇よりも風雅さには欠けるが、それでも腰の痛みを労ってくれている様で気分的に元気になる。これからゴルフ練習場へ行ってみようかと言う気になる。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/06
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晩秋(3) 珍しく年賀状を早々に作成し終わった。何時も年末のギリギリになってから書きあげるのに、たまたま暇な事もあったのだろうが、ふとその気に成って一気に作り上げたのだ。表も裏も全部パソコンで仕上げた。これまで宛名は手書きだった。こだわっていたのだ。それなのに、その昔、未だパソコンが一般化していない30年前頃にワープロで宛名をシ―ルで仕上げて相手を驚かせていたのを想い出したのと、近年は殆どの人がパソコンで宛名を書いているのが見易く、ボクも想い切ってパソコンでやってみたのだ。やってみると実に楽に出来た。「何だ、こんな事ならもっと前からやっておくべきだった」と少しばかり悔しく成った。わざわざ一所懸命に筆で宛名書きをした意味を分かってくれる相手が何人居るだろうかと想い直してみた。多分一人も居ないのでは無いだろうか。一人で粋がっていたのだ。啼き龍-001 郵便配達人には良いだろうが、人は手書きの宛名書きなぞ有難くも思っていないのだ。要は裏面の画面か文面を観て終わりだ。1年ぶりの便りで、元気にしているかどうかを感じ取るだけの事だから最近はミニ通信のように成って近況報告の様なものが増えている。中には細かい文字でビッシリ書きこんだものまであって、自分の事や家族の事を知らせている。ホノルル・マラソンに出たとか、何処其処の山に登ったとか、ゴルフが楽しかったとか健康面に関する事が一番多い。一緒に酒を飲もうというのは流石に減って、久しぶりに会いたいというのが社交辞令にしても多いのは年齢的なものもあるのだろう。ボクも昨年辺りから自分の近況を簡潔に書いて世相にも少し触れて少しばかりユーモアとウイットを入れている。今年は干支である龍の縁起に因んで文章の背景に昇り龍の啼き龍を入れた。啼き龍-002 絵が目立っては興ざめだから文字が浮かびあがる様に薄く仕上げた。パソコンだから簡単に色を変えられる。元の絵は京都の或る禅寺の天井に描かれた啼き龍の墨絵である。それを何回もカラ―・モデュファイしたから誰の作か分からなくなった。有名寺院だから元図を見れば知っている人もいるだろうが、古くからある公共性のものだけにカラ―・モデュファイしてしまえば誰からも文句は出ないはずである。絵よりも文字が主体だから背景に薄く入っている龍が何処の誰の描いたものか分からない様にしなければ年賀状の意味もなくなる。言わば壁紙の柄の様なものである。コラージュ手法は多くあって、油絵には多用されている。プロの世界でも世界的に承認されている手法だから商用ではない個人の趣味でやる分には許されるのだ。一種のお遊びだから貰った方は其処までは考えないだろう。啼き龍-003 辰年というのはボクの父親がそうだった。享年73歳だったから生きて居れば96歳になる勘定である。先日、小学校の同窓生から父親の忌中の為、年始の挨拶を遠慮する旨のハガキが来ていた。何と95歳とあった。最近は長生きの人が多くなった。彼の場合、父親の介護が長かったらしく大変だったろうと想う。この前の小学校の同窓会に父親の介護で出席出来ないと欠席のコメント集の中にあったが、介護の理由以外にも東京に住んでいる事もあって中々出て来れないのだろう。引っ越しをしてもう50年にもなり、今では完全に東京人になってしまったという。学生時代に東京へ遊びに行った際、泊めて貰った事があって御両親とも懐かしく話をしたのが懐かしく想い出される。京都では近所に住んでいた関係でよく遊びに行って可愛がってもらったものだった。優しい人だった。啼き龍-004 それに引き換えボクの親父は怖い存在だった。中学時代に事業の失敗で没落して父親と別居生活になり、それ以降は年に何回かしか会わなくなかったから父親の権威は丸潰れになり子供時分の怖さは消えてしまったが、それまでは父親というものは何と怖いものかと想って居た。それなのに、その友人の両親は実に優しく、世の中にはこんな優しい親も居るのかと全く別の世界があるのを不思議に想ったものだった。それだけに反動が強く、社会人になってからは両親とも没交渉になり他人の様な存在になってしまった。一旦、地に落ちた両親のイメージは結婚後も回復する事も無く、親の死に目にも会わないままの別れになってしまったが、仏になってしまえば話は別で、高野山に墓を建立して両親の供養をして良い想い出だけを想い返す様にしている。相性の合わない親子というものは不幸である。啼き龍-005 辰年に成ると父親の事を想い出すというのも因果なものだが、この歳になってみて怖かった父親の子供に対する下手な接し方や不器用な性格をじっくり想い返す事が出来るのも、人生の経験を経たせいだろう。少なくともボクの両親よりも上手く世の中を観る事が出来るのも反面教師として学んだお蔭だろうと想っている。といって、何が人生の成功か分らないのも事実である。金だけしか眼中に無い人生も虚しいが、経済的な基盤を伴わない人生も虚しい。程々の経済的ゆとりを持って教養も身につけ、人とも上手く接しられる人生がベストなのだろうが、そういう人は案外少ないものである。夫々の人生には傍目には分らない悩みは付き物である。どんな幸せそうな人にも何か悩みの一つはあるものである。そう想えば世の中は皆同じなのかも知れない。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/05
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晩秋(2) 最近、ゴルフ・クラブを三本買い替えた。クリーク(5番ウッド)をフェアウェイ・ウッド(中空の金属ヘッド)に、2番アイアンをユーティリティ・ウッド(中空の金属ヘッド)に、パターを別に新しい型のものにである。夫々の特性を充分吟味し考えて注文したから練習場で試し打ちをして想った通りの出来なので満足している。パターはこれまで二本づつ持っていたピン型とマレット型の他にマレット型の改良版セミ・マレット型である。パターは練習場では無く書斎のカーペットで試していて、多分に精神的なものと想うのだが予定通りの成果が出ている。ゴルフは昨年の10年ぶりの再開時から比べると随分上手くなった。スコアにして10は良く成った。それでも、かつての全盛期に比べると未だ五つは悪い。最高に良かったスコアでは80を切っていたから90代では平均的な成績だ。ゴルフ練習場-001 この調子で行けば来年辺りからはそろそろ90を切るだろう。しかし、エイジ・シューター(自分の年齢と同じスコア)に成るには未だまだ先の話になりそうだ。70代の前半が年齢的にゴルフをする限界だろうからエイジ・シューターの成績はハンディキャップにしてシングルという事になる。月例会でも上位に入れる。が、上位入賞者は毎回入れ替わる。その理由はコンペの上位入賞者のハンディキャップは毎回減らされるからで、その度にハンディキャップはシングルに近づき、更にはシングルになれば今度はゼロに近づくからだ。シングル・プレイヤーは、常にクラブを手にして居ないと腕が落ちるという。少なくとも毎日クラブは握っていないと感覚が鈍るという事だ。何でもそうだが日頃の練習が腕前を維持させる。スポーツ選手は勿論の事、音楽家もビリア―ドも同じ事が言える。ゴルフ練習場-002 プロでも無いのだから適当に楽しめば良いとは分かっているのだが、つい成績が気に成る。そこが凡人の考えなのだろうが、上手く成り過ぎても仲間から嫌われるものだ。アベレージ・ゴルファーとは90前後で廻る人々の事を指し、ハンディキャップも18と、上手くも下手でも無い気楽なラインである。その辺りのドングリの背比べが勝った負けたと楽しめる頃合である。シングル・プレイヤーは勿論上手なのだが、一緒のレベル同士なら良いが、下手な人と一緒に廻るとまどろっこしくて面白く無い。下手な方も気持ちが萎縮してしまって心から楽しめず面白く無いだろう。ワ―ワ―、キャーキャー言いながらやっていた初心者の頃は楽しかった。スコアを気にし出すと少しづつ上手くは成って行くが余り面白く無くなる。ところが、去年の再開時から1年が経った今年の夏、考え方が変わった。ゴルフ練習場-003 たまたま月例会で台風の様な雨の日に出くわし、途中で中止になって風邪を引きそうになった事や初夏の炎天下で熱中症に成りそうな苦しいプレイをしていて「自分は付き合いとは言いながら、何と馬鹿な事をしているのだ」と白けてしまい、夏場は月例会に行かずに練習場だけで我慢していた事があった。そして秋になって久しぶりに月例会に参加して、これまでに無いプレイが出来、スコアもある程度まとまった。そして、自分なりのゴルフがようやく見えて来た気がして面白く感じたのだった。逆に同じ組のプレイヤーが途中から無口になって自滅して行ったのも冷静に観察出来、矢張りイギリス人が考えたスポーツだけあって、相手の成績が悪くなればこちらが良く成るという皮肉なものである事も分かった。これまでに無い良いプレイが出来たのは常識に捉われずに自分流でやったからだった。ゴルフ練習場-004 つまり相手を意識し過ぎて自分の本来持っている技や癖が出せないままプレイをして来た事に気付いたのだった。そう想い始めるとクラブも自分に合わないものを交換してみようという気にもなって三本替えたのだが、それが想いの他上手く行く事も分かってゴルフが楽しく成った。「何だ、そうだったのか、簡単なものだ」と自分の固定観念が解けた瞬間、球筋も良く成って、やっと自分なりのゴルフが出来るようになったと言う訳だ。しかし、もう年齢的には若くは無い。昔の様に一人でコンペに参加すると言う事も出来なくなった。そういう気力も馬力も無くなったのだ。無茶も出来なくなった。老人のゴルフとまでもは行かずとも若さでガンガン飛ばすだけのプレイでは無く、それでも中年グループと同等の飛距離も出せるだけに引けもとらない。これが自分流だというラインがやっと見え出したという処だ。ゴルフ練習場-005 想えば長い間やって来たものだ。30歳から始めて今では68歳だ。途中10年ばかり中座していた分、内面的な勉強になって自分を見詰め直せる事が出来た様だ。この歳になってやっとゴルフが面白く自分で楽しめるように成った。昨年、庭の芝生を植え替え、10ヤード程のピッチング練習を毎日やっていると、クラブもボールも身体の一部になった様で想い通りの処に打てる様になった。子供時分からスポーツ万能選手で来たのが社会人に成ってからは全くと言って良い程、スポーツをやって来なかったが、やっとその弊害からも解き放たれ元に戻った気もする。自分で工夫する事も面白い様に出来、矢張り慣れが身体に馴染んだせいだと想われる。この頃の晩秋の肌寒い空気が、次回の月例会で今年は最後のグリーンに成りそうだ。何も無理をする事は無い。楽しめるギリギリの線で楽しめば良いのである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/04
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晩秋(1) いよいよ秋も深まり、朝夕は大層冷え込む様になった。この処暇続きで余り外出はしないのだが、それでも週二回はゴルフ練習場へ通っているので近場の山の風景で秋の気配が次第に冬になって行くのが分かるものの意外と自分の家の玄関周りには注意が行っている様で行っていないのだ。と言うのは、早朝の道路風景を観がてら郵便受けを確かめに玄関先に出た処、前栽の楓が紅葉しているのに初めて気がついたのだった。この寒さで急に赤く染まったのだろう。先週は未だ真っ赤にはなっていなかった。ゴルフ練習場へ行く時には門を出ずに前栽を通ってガレージの方へ廻るから必ず目にはしている筈なのに赤くなっているのに今朝やっと気がついたのだ。それだけに綺麗な紅葉が新鮮で、秋の終える雰囲気を強く伝えている風に感じ、早速カメラを取りに部屋に戻り、何枚か撮ってみたのだった。晩秋-001 其処へ足音を聴きつけたココが興味を持ったのか現れた。ボクの顔を観ればお八つをねだる事しかしないのに、先ほど朝の餌の後のお八つをやったばかりなので流石にそれは無く、撮影しているボクの周りをウロウロとしている。少しでも変わった事をしたり人が訪ねて来たりすると何処からともなく現れ、グルグルと周りを廻って観察するのだ。人懐っこい割には付かず離れずの距離を保っている。抱っこは嫌な様で、ボクや家人でさえココを抱えると直ぐに動いて降ろして欲しい態度をとる。だから他所の人が抱っこをしようとしてもするりと逃げてしまう。隣家の猫好きの奥さんでさえ抱っこをしようとすると嫌がって逃げる。アメリカン・ショートヘアを飼って居るから慣れている筈なのに「私が抱っこしようとしても逃げるのヨ」と妻に愚痴を言ったそうだ。飼い主にさえ抱かれるのが嫌なのだから仕方がない。晩秋-002 ところが、夜はボクのベッドで寝るのだ。それも冬場だけだで、秋が深まって来たこの頃では寒いからなのかボクより先に二階に上がって行きベッドで寝ている。是まではベッド横の椅子に寝ていた。寒いから毛布の方が良いらしい。ボクにすれば事前にベッドを温めてくれている様なもので、ココの寝ていたベッドの中央部分が温かくなって炬燵代わりになっている。ボクがベッドに入っても大人しくしている。眠いのでジッとしているのだ。しかし、掛け布団を羽織ると、10分もすると暑苦しくなるらしく直ぐに端の方へ移動して頭だけ出して寝直す。端の方ならボクの身体に触らないので体温が上がり過ぎず、ボクが寝返りを打っても下敷きにもならずに寝て居られるのだ。そしてそのまま早朝の5時頃まで居る。ボクは夏場なら5時に起きていたが、最近では6時半か7時頃まで寝ている。晩秋-003 だから朝の餌が遅れる事になり、待ち遠しくなったココはベッドを抜け出ると暫く部屋の中を走り回ったり、天井照明の紐を引っ張って点けたりする。騒がしくしたり眩しくしてボクを目覚めさせようとするのである。ところが、そんな事ぐらいでは慣れっこになったボクは起きなくなったので、気短かなココはじれったく成って、隣室で眠っている息子の方に行ってしまう。息子なら啼いたり暴れれば驚いて起きるのを知っているのである。起きれば、階下で餌が貰える様に成ったのだ。餌はツナ缶では無くカリカリ(チップ状のビスケットの様な餌)だ。ツナ缶は開けたり中身を入れ替えたりと手間が掛かるので簡単に与えられる方をやるのである。そして何とか餌を食べ終えると再び息子の部屋へ行き、今度はベランダに出して貰う。ベランダに出れば外の世界へは自由に何処へでも行けるのだ。晩秋-004 6時半か7時に起きたボクは、先ずトイレに立ち、次に台所で水を飲んでから書斎の雨戸を開ける。その音を聴きつけたココは庭の高野槇の自分の指定席から飛んで来る。朝の餌の食べ直しである。やっとツナ缶が食べられるのだ。ツナ缶は80gの小さなものに切り替えた。それを二回に分けて与える。一度に全部与えると必ず残すから勿体ないのだ。それに、残った分は乾燥して不味くなり食べないまま傷むことになる。夏場だと数時間で傷んでしまい臭いがし出す。そうなるとココは絶対に食べない。贅沢というか古いものは食べないのだ。だから半分はタッパウエアに入れて冷蔵庫に夕方の餌として保存しておく。たまたまカリカリや煮干し雑魚などを誰かが与え過ぎて満腹に成り、夕方の餌時に戻って来ない時はツナ缶を与える間が無くなるから、その場合は翌朝に廻す。晩秋-005 冷たく成ったツナ缶でも朝の餌として喜んで食べる。食べたものは腹に入って消化する内にエネルギーと栄養分になって体内を廻り身体を温める事になる。猫舌と言われるぐらいだから温かい餌よりも冷たい餌の方が食べ易いのだろう。その代わり、ココは何度も餌やお八つをねだる。一日の餌の総量は、ツナ缶一缶とカリカリを大匙4杯、煮干し雑魚を数匹ずつ数回に分けて与える。少し多い目かも知れない。だから冬場は食べ過ぎて太る。豚猫になってしまうのだ。夏場は暑くて食が進まないから正常な身体に戻る。そういう繰り返しを今年で7年ほどやって来た事になる。猫年齢は1年で5歳ほどだから今は35歳の中年猫に成った事になる。中年とも成ればこの辺りの事は何でも分かって怖いもの知らずである。かつての先輩だった隣家のモモには今では鼻もひっかけ無く成った。自分も人間と同じだと思って居るココは、ボクと同じ様に紅葉が綺麗だと想って眺めているのかどうかは知らないが、何となく気には掛かるようである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/03
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建築家45年(15) 「私は人を差別しない。唯、区別をしているだけだ」と言って差別と区別とを使い分ける人が居るが、その持つ意味は全く違って危弁を弄しているだけだ。差別とは明らかに相手を見下した場合であって、分類の一つである区別に上下差を意識的に加える見方である。だから幾ら言葉のあやで誤魔化しても差別する心情は見え見えである。そういう人を見下す人は、実は自分も何かで差別され劣等感を持っている被害者意識が心の何処かに在る場合が多い。深層心理の一つの表れである。よくある話では中国人、朝鮮人、台湾人を称して第三国人と言う人が居るが、殊更それを強調する人は自分も実は第三国人の血が流れている場合が多く、それを隠す意味で言う。東京都知事がマスコミでよく第三国人とか支那人という発言をして物議を醸す事が多いが、実は彼もその血が流れているという噂があり、こだわっているのだろう。 ボクなんかに言わせれば馬鹿な事にこだわるものだと想うが、そもそも日本人のルーツがモンゴロイドなのだから中国人や朝鮮人や台湾人も日本人と同じ種族なのに何処が違って差別の根拠になるのか馬鹿馬鹿しくなるだけである。まあ、人間は他人よりも少しは上に居ると想いたいものだから何処の国でもそういう意識はあって永遠に消えない人間の性なのかも知れない。理屈では分かっていても感情が伴わないのである。そういう事は幾らでもある。しかし、露骨に人を不快にする言動は慎まなければならないのは言うまでも無い。それは一種の犯罪の様なもので、それが原因で戦争になる事すらあるのだ。平時は何事もなく平和な雰囲気であっても非常時には時として人間の嫌な面が表に出、人々をして暴動に駆り立てる事もある。ユダヤ人とパレスチナ人の対立も政治が生み出した対立だけに馬鹿げたものだ。 イスラエル建国が原因して戦後60年ほどのパレスチナとの対立は矢張り、武力では無く政治的解決でしか問題は収まらないだろう。ところが、後ろに西欧列強がつていて複雑な国際政治が力比べをしているだけに、簡単には解決せず、パレスチナを支援するイランをイスラエルが攻撃して原発施設を破壊するだろうという噂が流れ、もしそうなれば中東は再び戦争状態になってしまう。石油を巡る国際勢力が裏で操作して世界の原油価格を動かしているのだから差別に名を借りた対立構造を作り上げ、それで金儲けをし、人殺しまでするのだ。度し難い人間ばかりが傍迷惑な事をし、国連は機能せず、結局は弱肉強食の構図が大手を振って歩きまわるのである。我々日本人では手も足も出ないのだろうかと悔しい想いに駆られる。そのせいでガソリンが値上げしてしまう。つい先年までリッター100円だった。 それが今では140円前後で推移し、アメリカも日本の半額だったのが日本の価格にまで近づいて慌ててハイブリッド・カーの開発をし、挙句は電気自動車の時代に入ったと言われる。その電気も原子力が危ういとなり、自然エネルギー(太陽光、風力、水力、波動、地熱など)による発電方式に切り替えようと躍起になっているのが現代社会である。だから結局、福島原発事故の話に戻るのだが、それをどうするかの問題が根本的に解決しないまま、東電や政府は除染とか冷却水だけで誤魔化しで先が観えないままなのである。自分の国の事すら解決出来ない日本が世界のトラブルに率先して参画するというのもやや懐疑的に成らざるを得ないが、唯我独尊では地球では生きて行けない以上、世界と協調して行く事で何か知恵を得て解決の方向性を見いだせるかも知れないという淡い希望を持つしかないのだろう。 長年建築家をやっていて想うのは、もし仮に建築家ではなく絵描きにでもなっていれば政治の事なぞ気にもせず、毎日ボーっとして風景や生物を眺めて暮らしていたかも知れないという事だ。それが幸せであるかどうかは知らないが、世の中の雑多な事を気にせず生きて居られるなら少なくとも自分自身の内面では平和で居られる。つまりは逃げの人生であるのかも知れない。逃げの人生を選ぶ以上は生意気な事は言えない。人の支援(パトロンが居たり絵を買ってもらう事)を受けて生きているから文句は言えないのだ。唯ひたすらに美を追い求め、旅行をしながらスケッチに明け暮れる事が出来るならば幸せである。20年ほど前に亡くなった友人が「俺の夢は、ゴルフ場巡りをしながら旅行する事だ」と言って居たが、この夏の月例会コンペでその話をプレイ中に言うと「そういう夢は、破れる」と言われた。 確かに趣味でゴルフを楽しむ人は居ても、毎日ゴルフばかりしていても詰らないだろう。プロゴルファーは仕事だから楽しむというよりも如何に勝って賞金を得るかで悩み多い人生だろう。それが勝負師の人生なのだ。プロゴルファーは腐るほど居る。だからプロにならずにアマチュアで上手で居る方が楽しいだろう。仲間内では名誉にもなる。だからこそ楽しいのであって、毎日、仕事もせずゴルフ三昧では嫌になるのが落ちである。だから夢は夢のままである方が良いのだ。ボクの人生目標は生涯現役だが、最近では体力的に若い頃と同じ様には行かなくなって週の半分が仕事というのが良い。合間はゴルフとか買い物に出かけたり飲みに出掛けるぐらいなもので、それが老人の生き方としては良い方なのだろう。45年の建築家人生を無駄にしない為にも、この先良い仕事をしたいという欲も未だ残っているから矢張り惚けずに生きたいものである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/02
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建築家45年(14) 大阪府と大阪市の同日首長選挙が終わって予想通り「大阪維新の会」が圧勝した。これでやっと大阪に政治改革の芽が出て来た。二重行政の無駄と不良役人の排除が出来る体制に出来るからだ。ボクはこれまで建築を通して大阪府と大阪市・堺市の設計・監理をやって来た経験から役人の悪い体質を嫌と言う程観て来た。一体、誰の為の行政なのかと問いかけたくなる事例が多々あった。不良役人は役人天下の様な顔をして仕事もロクにせず威張る事しかしなかった。特にそれを感じたのは大阪市と堺市だった。大阪府は未だまともだった。ボクの義弟が大阪府の役人をしていた関係から幹部役人を内部から観察する事が出来、大阪市・堺市の両方とを比較して、両市のどうしようもない体質を何とかならないものかと嘆いていたものだった。特に両市の同和行政に観る体質の酷さは論外なのだ。 簡単に言えば大阪市と堺市は同和の天下だった。だったと言うより今も継続中である。そもそも関西は同和地区が多く、その歴史は奈良時代から続くから日本の歴史の一端でもあり、その改善の歴史が民主主義の原点であった様なものだ。同和地区の人々は世の中からいわれの無い差別を受け苦しんで来た。今もそれは人々の心の中に巣くっている。海外で言えば、ユダヤ人がそうだった。有名なものではドイツのゲットーという地区に追い込まれたユダヤ人はドイツ国民でありながらドイツ国民としての権利を充足していなかった。その中からロスチャイルドが生まれた。シェークスピアの戯曲「ベニスの商人」で金貸しのシャイロックとして描かれているのがイタリ―におけるユダヤ人とされる。イギリスではイングランドがアイルランドを差別したようなものだった。インドではカーストがある。 差別の代表の様に言われる世界中にあった植民地は、皆独立して植民地支配から脱した。近年では南アフリカのアパルトヘイトがあった。日本は先の大戦で侵略戦争の権化の様に言われているが、その実、アジアの植民地を白人列強から解放した面もあった。しかし、その前には明治期の近代国家創生で富国強兵策を取って白人列強と肩を並べるまでに成り、台湾を植民地にしたり中国に満州国という植民地の様な国を作ったから白人列強と同じ事をやり、欧米から警戒され、やがては袋叩きにされ、二度も原子爆弾の実験地にもされ敗北してしまった。そしてその原子爆弾を投下した国アメリカの支配で、表向きこそ新生民主主義国家になったものの、その実、植民地の様になってしまった。今も戦勝国アメリカの支配下にあると言えよう。だから日本の政治家と官僚はアメリカの言いなりになってしまう。 弱肉強食という構造は何も動物の世界だけの事では無い。人間社会にもれっきと存在する。唯、露骨に行動せず間接的に陰湿にやるから違って観えるだけである。人間には知恵と言う技術があるから動物の様な直接行為の弱肉強食をしないだけである。が、逆に動物の世界には無駄な殺し合は無い。生きる為の食料確保とテリトリー守備の為だけであって、そこで初めて種の保存と繁栄が為されるのである。人間の場合は「此処までやるか」という処まで行くからえげつない。そうう意味では地球上で一番危険で獰猛で野蛮な生き物は人間であるのかも知れない。最近の差別と弱肉強食の露骨な出来事では福島原発の事故処理と責任の取り方がある。東電と政府による東北人いじめである。是を差別では無いと誰が言えよう。差別されている東北人はもっと怒り立ち上がるべきである。 我々関西人は長い差別の歴史を肌で感じ取っているからこそ差別に敏感に反応するのである。同和地区出身者で無くとも関西人は感じるのである。以前にも書いた事があるが、京都も古い街だけに差別意識は強く、最近の露骨な出来事では、無意識ながら京都駅舎で京都を南北に分断している構図がある。京都駅舎は街の中心を南北に走る烏丸(からすま)通りをせき止めているのである。京都駅舎を迂回しなければ南北の交通は地下鉄以外、直線では行き来出来ないようにされている訳である。駅の北側と南側を分断する事で古くからの差別意識を残しているのである。京都駅舎の設計コンペでは南北の行き来が出来る案もあったが、審査直前で落とされてしまった。当選したのは本命とされた案では無く、JRの学閥組である東大教授案であった。しかしながら、その案は大屋根構造が京都らしからぬ面で評判が良いのである。 それで味をしめたJR西日本は、今度は大阪駅舎にも大屋根構造を取り入れる事にし、現在工事中である。たまたま先月、大阪キタに在る「お初天神」の蕎麦屋の女将と話をして大阪駅舎の事を言うと「私ら、あんなんを観ると、頭が痛うなりますワ」と顔をしかめていた。古い浪速(なにわ)の雰囲気を回顧して、それが無くなって行く近代都市を評して言ったのだろう。どんどん古いものは壊され都市の姿は変貌して行く。物は簡単に変えられるが人はそうは行かない。差別された側の復讐劇が戦後長きにわたって行政で行われて来た。そして行き過ぎるぐらいになった。特に関西ではそれを払拭する様に同和地区は見掛けだけでも消えて行った。しかし、人の心の中に生きる差別意識は一向に無く成らず、益々酷くなっているように想える。逆差別という言葉まであるぐらいである。(つづく)←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/12/01
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