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持続 今まで10年ほど続けている習慣の一つについて易経(えききょう)で是非を問うてみた。多分、風邪を引いて身体がしんどいので弱気になっているのだろう。その習慣は色々ある習慣の中でも、なかなか想い通りに行きにくいモノなのだが、魅力的なモノで自分の勘や先見性も試せるモノである。繰り返すが、弱気になって自信を無くせば脆くも崩れ去るようなモノであるだけに昨日から疲れているせいで弱気になって、易経に頼ってしまったのだろう。ところでボクの易経はよく当たる。だから、こういう体調不良の時こそ頼りにしてしまうのである。当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦と言うが、ほぼ100%に近い確率で当たるのである。それだけにボクは信用しているのだ。 易経で出た卦(か)は「雷風恒(らいふうこう)」というものだった。之は最初の卦が巽(そん)で、次の卦が震(しん)とう組み合わせで出来ていて、その意味するところは現在進めている事を今後も積極的に進め、持続する事こそ成就する。そして、自分の感情を支配しようと想うなら習慣を変えよともあった。習慣を変えよというのは正反対のように想えるが、こちらの習慣は占ってみた習慣ではなく別の意味の生活習慣だろうから、整理や部屋の模様替えが丁度時宜を得ていると想える。先日来、進めている整理や部屋の模様替えが良いという意味である。そうする事で心身ともにリフレッシュし、占った習慣が前進し吉となって現れるというものであろう。 そんな折、自治会の次期会長選出委員会の二回目の会合があった。委員会は10名で構成され、自治会役員と相談役から選ばれている。委員の其々が推薦者となり適当な人物を推すシステムになっていて、複数の候補者が出れば自治会長選出委員会内で選挙によって決める事になっている。一般的には副会長の中から選ばれるのが常なのだが、三名居る副会長全員が辞退したので誰か候補者を探して今日の会合で紹介するという宿題が出されていた。しかし、誰も居なかった。ちなみに前回の会議でボクは女性副会長のご主人を推薦しておいたのだったが、彼は一昨年病気をして現在は術後の経過を観ている養生中なので無理だと正式に断られていた。 他にも現会長の処に候補者を立てた委員が居たものの、翌朝には「昨夜のことは無かった事にして欲しい」と候補者本人を伴って断りに来られたと会長から報告があり、結局のところ誰も候補者が居ない状況だった。それなのに今日の会合で委員の一人が「自治会規則に自治会長の任期は二年と記してあるので現在の会長は次期会長になって貰っては困る」と言い出したのだった。他の委員は「唐突に何を言い出すのだ?」という顔をした。「それじゃあ、あなたが会長をやれば?」と委員の一人が言うと「私は出来ません。他府県で仕事を持っていて、週の半分は留守にしていますから」とシャアシャアと言ってのけるのだ。「では、誰も候補者が無く、已む無く現会長さんが次期会長を継続されて困る理由は何なの?」とボクは訊いた。 「困る理由は、会則に任期は二年と明記してあるから」と言うので「それでは理由にならない。任期が二年というのは単なる就任期間の事で、任期を終えて次の会長に連続して成れないという意味ではありません。会則の別の項目に任期後の役員の再任を妨げないと書かれてある事でも分かる通り、会長職についても同じ事ですヨ」とボクが続けると他の委員達も異口同音に賛意を示した。「自治会役員はボランティアなので、役員になってくれる人が居れば結構な事ではありませんか。普通は文句ばかり言って自分では何もしない人が多い中で、何期でも役員をやってくれる方がいらっしゃれば有難いと言うのが我々の気持ちです」と年配の女性委員が言った。それで空気は決まった。 しかし、変な人間も居れば居るものだ。会議の後で、唯一人反対をした人物の事を会長に訊くと「あれは私の失敗でした。彼を福祉推進委員長に推薦したのは私なのですが、その時は彼の前歴を知らなかったのです。後で教員だった友人から訊いて分かったのですが、隣市の小学教員をしていた頃に支持政党が偏っていて、ストライキばかりするので、とうとう校長には成れなかった人物です。だから理屈にならない理由で何時も反対ばかりするのですヨ」「そうだったのですか、それでよく分かりました。でも今時珍しい人間ですネ」とボクは60年安保運動をしていた頃を想い出して、50年以上経っても未だそういう思想を持続させている人間の居る事に驚いたのだった。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/31
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部屋の模様替え 寝室の整理ついでに整理ダンスやベッドを移動すると、広くなって良かったものの、天井照明の紐の位置がベッドからずれて手が届かなくなってしまった。そこで終日、一番良い方法を考えていたのだったが、結局のところ照明の位置をずらす方法以外に無いという結論になり、夜中にドライバーを道具箱から取り出して取り合えず天井から外すことにしたのだった。電灯を点けたまま外すと宙ぶらりんの状態のまま斜めに光が射す形になった。消せば部屋は真っ暗になる。慌ててデスクの卓上ランプを点け、どうにかぼんやりと見える状態で天井照明の蛍光灯4本を順に外して行った。全部外すとスタンドの明りだけでも寝室としてはそれで良いと想えたが、ベッドで本を読む時に不便なので矢張り天井照明は在った方が良い。 紐の位置は照明器具を180度回転移動させればベッドの頭の位置に来るので部屋の中央のまま再度取りつける事にした。ところが想ったよりも器具が重いのだ。左手で持ち上げ、右手にドライバーを持ってビスを止める作業に手間取ってしまった。何とか6本のビスを止めカバーを取り付けると1時間ほど時間が経っていた。その昔なら、ものの15分もあれば出来たものが今ではこれでも精一杯なのだ。歳は取りたくないものだ。しかし、ボクぐらいの中高年者が天井照明を移動させるとか付け替える事なぞ考えもしないのかも知れないと想うと未だ気が若いなと自分を慰める事が出来た。足下を見ると作業の一部始終をココがジッと見守りつつ、半分眠たそうにしているのだった。 模様替えのお蔭で、ベッドは整理ダンスの陰に成って、寝室に入ってもドアからは直接見えなくなって落ち着いたものになった。家相学的には「槍射し」という凶相から解除されて吉相になった訳である。たまたま先日、テレビで家相学をやっていて、ふとそれがヒントになったのだった。と言っても家相をむやみに信じている訳ではない。理にかなったものだけを取り入れているのだ。例えば昔から言う「鬼門と」か「裏鬼門」という家相学の代表のようなものがあるが、あれは迷信に過ぎずナンセンスである。そもそも鬼門の発生は大昔の中国で毎年のように匈奴が国境を乗り越えて都にやってきて略奪の限りを尽くしたのを嫌って、その方面(西北)を鬼門と呼ぶようになっただけの話だ。そして万里の長城が出来た。 その鬼門が日本に間違って伝わって方向が90度ずれてしまった。つまり京の都では比叡山の方向(東北)を鬼門とし比叡山に延暦寺を祀って鬼門の守りとしたのである。そして御所の紫宸殿の塀には東北の角に「鬼門返し」という凹みが設けられた。尤も、都の西北の愛宕山にも愛宕神社が設けられたが、これは鬼門の守りではない。もっとナンセンスなのは江戸の守りとして鬼門に寺院を設けようとしたが山が無かった。遠くには筑波山があるが江戸からは遠すぎる。そこで已む無く(むしろ都合よくだが)方位を180度回転移動させて南西にもっていき、其処に増上寺を設けた。之は豊臣秀吉という鬼に対する隠された守りの意味があったとボクなんかは考えている。 だが、世間では飽くまでも鬼門の守りという事にしてあるので地名を虎ノ門として江戸城からの鬼門としたのだった。本来の鬼門の方位の寅(とら)をとったのである。そして徳川家の菩提寺にしたのである。まあ、いい加減なものである。さて、整理ついでに始めた部屋の模様替えが気持ちを一新させる役目となった。自分で気に入った事だから自分で好きなようにやるのがボク流である。ボクは昔から思い立ったら直ぐに夜中でも部屋の模様替えをやって来たものだ。だから重い箪笥や書棚でも平気で動かす。要するにコツを知っているのである。簡単な力学を応用すれば良いだけの事で、やる気があるかどうかだけの問題である。 他の部屋は当面は模様替えを考えていないが、書斎はそろそろその時期である。しかし簡単には行かない。その訳は、デスクや飾り棚の位置が決まっているからだ。デスクは大理石だから重く、昔、ピアノを置いていた処に置いてある。其処にはピアノ基礎を設けてあるから頑丈なのだ。もしボクがピアノをやっていればピアノを処分しなかった処だ。飾り棚はデスクの対面の壁に固定させていて地震が来ても大丈夫なようにしてある。だから模様替えできるのはそれ以外の場所で、簡単にいえばソファの置き換え程度というところだから模様替えとしては余り意味がない。それよりモノを減らす事を考えた方が正解だろう。それが整理の原点だからだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/30
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整理 整理とは整頓する前の分類やら取捨選択を指すのが一般的だが、人生の整理とまでは行かなくとも自分の身の周りの整理は常にやっておきたいものである。亡くなった両親が晩年の数年間で綺麗に身辺整理をしたのを夫婦して感心するこの頃である。如何に無駄のない人生を目指して生きて来たか偲ばれるのである。それに引き換えボクなんか雑物が多すぎて部屋の整理整頓をする以前の状態なのが恥ずかしくなってしまう。そういう事も含めて、そろそろ整理を始めなくてはと先日、妻と話したばかりなのを、ふと今朝、ココの餌をやりながら想い出して、暗いうちから起き出して(というよりも、そのまま寝床に入らずに)寝室の整理を始めたのだった。 先ず大きなものから捨てようと、オーディオ・セットを分解し始めた。青年時代に大枚を叩いて買ったもので懐かしいものである。今でも使えるのだが、青年時代のように馬鹿でかい音を出して聴く事がなくなったのと、最近ではCDの時代でもあり、MP3をインターネットでダウンロードしているから昔のオーディオ・セットは無用の長物になってしまったのだ。それに伴って大量のレコード盤もあって、取り合えず隣のココの部屋に移した。大型ゴミの手配をすれば市の回収車が取りに来てくれるから一時の置き場所である。レコード盤は、ひょっとして欲しい人が在るかも知れないので暫く置いておき、誰も無ければ捨てるつもでいる。クラシックとモダン・ジャズの二種だ。 日本とスペインの民謡も少しはあって、フラメンコの歌が日本の民謡に似ているので興味が出て集めた事があった。バッハのオルガン全集なんかは勿体ない気もするが、聴かないから仕方が無い。用が無くなればそういうものである。ターン・テーブルやアンプリファイヤーの結線をいちいち外すのも面倒で、すべてクリッパーで切断して行った。嫌になるぐらい綿ぼこりが溜まっていてブラシで払いのけながら整理し、途中で何回も手を洗いに階下に降りた。三時間ほど掛かって整理ダンスの中身の片づけも終え、寝室の模様替えが出来た。ベッドの向きも九〇度変えた。お蔭で少しばかり広くなった。ココが興味が出たのか行ったり来たりして部屋を眺めている。 次に控えているのは大量の書籍である。ボクの好きな文学関係と父が残した仏教関係のものである。以前にあった建築関係の蔵書は、七年前にブログ仲間でインテリアの会社に勤めている女性に殆どプレゼントしてしまった。建築士を目指していると言っていたのでミカン箱に五箱ほど送ったのだった。今はインターネットがあるから調べものは殆どネットで分かる時代になって書籍は殆ど不要になってしまった。が、それでも学校の教科書は別にして、独学で勉強する人も居るだろうから書籍が間に合った。古本屋に売ったところで高が知れているので欲しい人に渡って良かったと想っている。尤も、宗教関係は欲しい人が居ないだろうから文学書と一緒に処分する積りだ。 燃えるゴミだから毎週、束にして出して行こうと想う。隣室のココの部屋は、元々妻のアトリエだったから美術関係の書籍や画集が沢山ある。それは妻の領分だから彼女に任せる事にしている。画集は観ているだけでもも楽しいから慌てて処分する事もないだろう。ひょっとして息子が欲しいというかも知れない。才能がある無しに関わらず絵を観て楽しい気分になれば画集の役目が果たせると言うものだ。以上のような訳で、ほぼ整理の目処は立った。これからは極力モノを増やさない事だ。ある人が「服は三枚あれば充分」と言っていたが、それは極端にしても余分なモノは確かに邪魔である。家が広いとか小さいという問題ではなくモノに支配されない生活が大事だと言う事だろう。 形あるものは何時か滅びてしまう。あの世まで持って行けないという事を改めて肝に銘記すべきなのだ。それを般若心経では色即是空という。亦、空即是色と反対の見方もする。総てが実在するものの、実は空の(何も無い)状態で実在すると想い込んでいるだけの事だと言っているのである。形而上学的にも形而下学的にもそれは言える事ながら、人は目先の事に振り回されるものだ。ところが、一度経験すれば大抵の事は分かるのである。そういう意味で、悟るとか悟らないという大仰なことは言わなくとも、出来るだけ多くを経験する事は良い事だ。実際に知って理解するのと、知らずして理解するのとでは違うからだ。いみじくも「吾唯足るを知る」と竜安寺の手水鉢に「口」を中心に掘られた銘を想い出すのである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/29
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パター 新しいゴルフ・クラブをネット通販で買った。パターである。これまでパターの重要性を余り考慮していなかったのだが、考えてみれば半分はパター・クラブでグランドを廻っている勘定になるので遅まきながらパターに注意が行くようになったと言う訳である。最初の頃(35年前)、香港で購入したパターを20年ほど愛用していたのだったが、どうせ遊びならもっと楽しくやるべきだと、セント・アンドリュース製のヒッコリー・パターを買って気に入って、その後ずーっと使っていた。しかし最近、練習用に自宅に置いていた別の形の違うパターを久しぶりに使ってみると実に使いやすいのだ。ところが、錆が少し出ていたので同じ形のものを注文したのだった。注文して二日目には届いた。実に早い。 早速、使ってみた処、少しばかり手への反動がきつい。おかしいと想いながら一日が経って、翌日、車に積んでいたバッグからパターを取り出して比較してみると、新しい方は重さが40g軽いのだった。それに素材が鉄ではなくアルミ合金だった。僅か40gの差で手への反動や振り切り方が変わってしまうという微妙なものだ。せめて少しばかり重量を増そうと考え、電動ドリルを取り出してバッテリーを充電し始めた。しかし、充電完了のランプが点いてドリルにはめ込んだが動かない。長く使ってなくてバッテリーの寿命が来たらしい。バッテリーと言えば、先日、腕時計の電池交換に出かけたのを想い出し、あの時はまだ交換時期ではないと分かって失笑したのだったが、今度はバッテリーそのものの寿命が来ているのだ。 パターの重量を少し増すと言っても重要なバランスの問題がある。芯から均等に離れた位置に其々20g程度の重りを取りつけるのだが、試用しながらバランスと重量の良い処を探し出すのである。電動ドライバーで穴を開けて、其処に重りを入れる積りだったが、もっと簡単な方法があるのを想いついて、今度は重りに何を使おうかと考えた。見掛けの美観もある。もし、電動ドリルで上手く穴が開かなかったらパターは廃品になってしまう。だから重りを接着剤で張り付ける方法を考えたのだ。20g程度の重りに何が良いか考えると小さなボルトを想いついた。出来れば錆びない金属が良い。しかし接着剤で上手く固定できるだろうか。溶接が一番良いのは分かっている。 職人は自分の手の一部になるような道具を自分で作り出す。プロ・ゴルファーはクラブが自分の手の一部に成るほど練習をする。レーサーなんかは車の調子を隅から隅まで熟知していてマシーンは勿論、タイヤの反動から小石を踏んだとかアスファルトの凸凹まで分かると言う。スポーツ選手も職人も同じ事が言える。音楽家も自分の楽器の癖も良さも熟知している。高い金を出してストラディ・バリを購入するのも自分の持てる才能で最高品位の音を出す為だ。絵描きも出来るだけ良い絵の具を使う。書家は高価な墨を使う。弘法は筆を選ばずではなく、良い筆が自然に弘法の手に入って来るのである。何でも達人ともなれば迷う事なく良い物を無意識に手にしているという訳である。 つまり道具や物に左右されるのではなく、良い物を限界まで駆使するだけの腕や眼力を持っているという事なのだ。素人のボクなんかはプロ・ゴルファーの域に到底達する事は出来ず、パターの高級品は持てないし持つ気も無いが、出来るだけ使い易い状態にしたくなるのは楽しいゴルフをプレイしたいからだ。同じ楽しむのなら誰でもそう想うのが正常な考え方だ。但し、道具の目的精神を知って行わないと逆効果になってしまう危険性もある。そこが難しい処だが、そういう風な工夫をする事も楽しいものである。そもそも建築家というものは人間に興味が無いと出来ない仕事だし、人間の行う事全てに興味を持つ仕事なのだ。創意工夫で人間が人間らしく生きていける方法を模索するだけでも建築家としての価値があるのだ。 それだけに何にでも首を突っ込むおっちょこちょいでもある。尤も、それが良いのか悪いのかという問題ではなく、そういう能力が必要とされる業種であるということである。だから建築家くずれというのは、どのような職業にも就けると言える。カレー屋をやったりファッション・デザイナーをやったり映画監督をやったりと多方面に及ぶ。但し、建築家の中でも構造屋とか設備屋が居るが、そういう人々は意匠屋のような臨機応変さが無く、それ以外の職業には向いていない。飽くまでも意匠屋としての建築家を指すのだ。意匠はデザインであるから創造する力が大いに求められる。デザイナーは人真似では駄目で独創性が必要となる。だから建築家の設計したパターがあっても良いとボクなんか想っているのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/28
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ココの午睡 ココは腹が膨れると外へ出たがるのが常だ。が、最近は冷たい北風が吹いているので横着して外に出ず、居間から書斎へ通ずる隠しドアに前脚を掛けて開けようという仕草をする。それはポーズで「開けて頂戴」という願いを、観ている相手に示しているのだ。隠しドアは書斎側から観れば壁と同じデザインで一寸眼には分からなくして意外性を持たせてある。つまり、格子の駒がえしデザイン(格子の幅と間隔を同じに揃えたもの)にしてあって焦げ茶のワニス塗装をしてあるから来客はドアが其処にあるとは気がつかない。妻がお茶を運んで来る時に初めてドアがあった事に気付く仕掛けである。居間側は、フラットなデザインで明るい木目調のドアになっていて、居間側に開く。COCO-011 だから、ココには引く事が出来ないから前脚で押すポーズをするのである。書斎から前脚で一寸押すだけで力も要らず開くからココは書斎から居間には好きな時にやって来る。腹が減ったり人の話し声に関心を持つとやって来るのである。書斎には誰かが入れてやるか、ボクが入った時に一緒に付いて来たりして入る。書斎でボクが居ない時はボクの椅子に乗って寝ている。大抵はソファに乗って寝そべっているのだが、最近の日中は陽の射す窓際のカーペットの上で日向ぼっこして寝ている。それも仰向けにひっくり返って安心しきった姿でだ。外敵が居ない安心感と、家人は自分より下位にあると想っているからだ。家ではボクがココより上で、家人は自分より下だと勝手に決めているのである。COCO-012 動物には総てそういう習性があるようで、餌をくれる相手が上で、それ以外は自分の下だと想うらしい。だから餌をくれる立場の人間が、たまたま上司にお辞儀でもする姿を観られれば、もう自分よりも上とは想わず舐めてかかるそうである。単純というか動物の世界のヒエラルキー(序列)は人間のように複雑ではないのだ。ココはその点、節操が無いのか、それとも気まぐれなのか、ボク以外に餌をくれる相手に対して目上という態度を取らない。ついでに餌をくれる人というだけの事で、食べ終えるとプイと離れるので「やり甲斐のない奴」と嫌われる事もある。そのくせ誰彼となくなつくので、なつかれた相手は悪い気がしないのかコロリと騙されて乗せられてしまうのだ。COCO-013 ボクが書斎に入ってソファにココが居ない時は窓辺のカーペットを観る。そこにも居ない時はボクの肘掛け椅子で寝ている。デスクの向こう側に回ってみて初めて分かる場所なので、ココとしては睡眠を妨害されず日向ぼっこもできる位置という事で重宝な場所なのだろう。それでもご主人様の場所というのを知っているから気がつけば自分から降りる。気付かずに寝ている時はそのままの形でソファに移してやる。寝ぼけている時は眠ったままソファでも動かず眠りこける。何とも安心しきったペットである。安心した態度はベッドの中でもそうだ。ボクに蹴飛ばされない位置を知っていて足元の少し離れた外側で布団の外に顔だけ出して朝まで寝ている。COCO-014 ボクは寝返りを打っても殆ど上半身だけだから蹴飛ばされないのを知っているのだ。ボクは寝返って背中が外気で冷えてくると亦元通りの姿勢に戻って寝る。そんな繰返しを何度もしているのだろうが、ココは早朝までベッドの片隅の同じ場所で眠っている。そして5時頃、ボクがトイレに立つと一緒に階下に降りて来て朝飯をねだる。えさを与えて亦ボクはベッドに戻ると暫くしてココは寝室に入って来るが、今度は壁際の椅子に乗ってボクの起きるのを待ってる。未だ辺りが暗いのと寒いので、ボクや家人が起き出すまでジッとして待っているのである。外に出たくて仕方が無いのだろうがガラス戸や雨戸を開けて貰わないと出られないからだ。COCO-015 ココの寝姿を観ていると神様は面白いデザインをするものだと感心する。パンダもそうだが、白と黒の模様が愛嬌のあるデザインで世界中に人気があるから中国は神様のお蔭で楽をしていると言える。ココも顔が黒く、足と尻尾と耳が黒い。顔だけ観ると獣丸出しだが、全体を観れば長い毛も作用して名前の通り(ラグドール)ぬいぐるみのコロコロした人形のようなものだ。猫は四六時中寝ているから寝子(ねこ)と名付けられたという説があるぐらいよく眠っているが、本来は夜行性の動物だったから夜は家の中を徘徊する。尤も、今は寒い冬の最中だからボクのベッドで寝入ると朝までジッとしているが、暖かくなれば亦ぞろ家中を動き回って、早朝にはベッドの周りを走り回ってボクを起こしに掛かるのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/27
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ターミナル 腕時計の電池交換など用件を四つほど書いたメモをポシェットに入れて大阪へ出かけた。目的を書いておかないと、どれか一つ忘れる事があるからだが、効率よく廻る為にもメモは大事だ。先ず、ターミナル駅にあるデパートで時計売り場に向かった。電池交換なぞ簡単に出来ると想っていたら「二、三週間お預かりさせて頂きます」と言われ「えッ!どうして?」と想わず訊いてしまった。「気圧の関係でメーカーに出しますので」と言う返事だった。「この前は、数時間で出来たのに・・・、何処か悪いの?」と更に訊くと「最近は防水の気圧を測定しておかないとクレームになる場合がありますので、二、三週間お預かりさせて頂いております」ターミナルー01 暫く修理に出していなかったから以前の状態を忘れてしまったらしい。そういえば以前、リューズ交換もして貰ったから日数が掛かったのだった。あれから三年ほど経つ。暫くしてパーティションの向こうから出てきた社員が「お客様、時計は動いておりますから、未だ行けそうですヨ」と言う。「ほう、先日は止まっていたので電池切れだと想ったんだけど、どうして止まったんだろう?」「もしかして、携帯の横に置かれていれば影響を受けますが・・・」「電磁波の?」「はい、磁気の影響が出ますから5cm以上は離して置くようにお勧めしております」そう言って「電磁気製品の磁界の強さ」の一覧表といのを手渡してくれた。ターミナルー02 確かにテーブルの上に、携帯と時計とポシェットを一緒に置いている。毎日そういう状態だから多少なりとも影響が出たのかも知れない。携帯の充電器を其処に置いているのだ。これからは離して置くようにしなければならない。まだ電池が残っているようなので交換は後日の事にして礼を言って地階へ向かった。ドンクのパンを買う為だ。それぞれ九枚切りの角食と山食とバゲットを買って、後で取りに来るのでと預かってもらってデパートを出た。次は猫の蚤取り薬を買いに専門店へ向かうのだ。以前、デパートの屋上のペット用品売り場を覗いたのだったが無かったのだ。ターミナル周辺を歩くのは久しぶりの事だったから風景が変わっていた。ターミナルー03 風景が変わっているというのは、超高層のマンションが出来ていたり新歌舞伎座が出来て、デパートの駐車場へのルートが変わっていたりしているのだ。最近は大阪に車で出るのが少なくて電車で出るからターミナルの裏側の風景の移ろいに気がつかなかった。この辺りは文教地区が近いから繁華街にしては静かな処である。子供がこの辺りにある進学高校に行っていた頃は、ボクもサラリーマンだったから同じターミナルを利用していた。毎日のように風景を観ていると一寸した変化にも気がつくものだが、全くの久しぶりに観ると線路際の風景以外の移ろいが急変しているのに驚く。まるで違った風景に戸惑い、お上りさんの様なのだ。ターミナルー04 猫の蚤取りは現在のところは薬を染み込ませた首輪をしている。しかし、首輪には、赤いベルをぶら下げていて、そのスタイルをココが気に入っているので交換するのを嫌がるのだ。嫌がるというのは爪を立てて暴れたりするという事だ。だから怪我をしない為にも今回は薬を使う事にした。首の後ろに薬液を掛けてやるだけなので簡単で早い。効き目は一カ月だが、様子を見ながら薬剤散布すれば良い。後ろ足で首の周りを掻きだせば蚤がいるサインである。人には噛まない事になっているが、昔、飼っていた猫の蚤に噛まれた事があるので信用出来ない。今の処、ココが来てこの六年、一度も噛まれた事が無いが、念の為に薬剤散布をしている。ターミナルー05 残る用件は事務所を訪問してチーフ・デザイナーと簡単な打ち合わせをした後、現在はまだ暇な時期だから若い所員を励ます事ぐらいなものだ。前回は若い所員に何か質問を考えておくように言っておいたが、考えているだろうか。多分、何も考えてないのでは無いだろうか。何を訊けば良いのかも分からないのだろう。だから、お八つを届けるだけでも良い。ボクだって、20代の頃はボーっとしていたのだ。30代になって結婚をし、忙しい中でコンペティションにせっせと応募していたのだった。想い起せば楽しい時期だった。今の時代はそういう楽しみは無い。可哀想なものだが、何かを自分で探すしか無いという事でもある。全部の用件をクリヤして、ターミナルで電車を待ちながら風景を撮ってみた。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/26
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腕時計の電池交換 先月、電池交換したところなのに亦、腕時計が止まっている。ところが、よく見れば別の時計だった。大体同じ頃に電池交換をしているのに減り方がバラバラなのだ。五個ある中で買い増した時期や電池の入れ替えのタイミングがバラバラだから仕方が無いのだが、同時というのが無い。早くても1カ月違いという処だ。3年ほど前に輸入高級腕時計の修理に5万円ほど掛かったのを記憶しているが、それから以後は国産の高級腕時計の修理(分解掃除)が一度あった切りで、後は年に一度の割で電池交換が巡って来るような気がする。早く巡っても2年は持つ勘定だから5個の使いまわしでも結構毎年のようにあるので面倒である。 しかし、使っていないと次回に久しぶりに使おうと想うと電池交換だけでは動かず分解掃除や修理に出さなくてはならないから、結局は常時動いている状態にしておくのが一番良いのだそうだ。一時、携帯があるからと腕時計をしない時期があった。5年ほど腕時計をしていないと改めて時計をはめると重たい気がするのと違和感が暫く続いたものだった。しかし、修理代の事を想うと、仮に誰かが使う事になった時に矢張り余計な金額が掛かるから常時動いている状態にしておいた方が時計の為にも良いという理屈が分かって、今では毎年のように電池交換をしている。しかし、輸入物が国産の倍の値段になるという理屈が分からない。時計屋の陰謀だろう。 単に時間を見るだけなら3千円ぐらいのもので充分である。デザインもそうおかしくはない。しかし、変なステイタスから百万円程度の時計がよく売れるそうである。男のお洒落は腕時計ぐらいしか無いからだろうか。ボクも流行に釣らされて買った訳だが、暫く腕時計をはめなかった反動のようなもので、黒地のものが二つある。見易いというよりもファッションである。服装に合わせて着替えるという広告コピーライトに乗った訳だが、確かにカジュアルな場合とフォーマルな場合では見かけが全く違うし違和感もある。女性の場合はもっとお洒落にはうるさいだろう。パーティーの場合は時計というよりもブレスレットである。 昔、海外旅行の土産に買った妻の腕時計が、10年ほどして偽物と分かった。たまたま輸入高級時計のペアのものを買った時に妻のはめている時計を分解掃除に出して分かったのだった。それ以来、妻はその時計をはめなくなってしまった。ブランド志向のせいもあるが偽物と分かって気分を害したのだ。しかし、同じ頃に矢張り海外旅行で買った宝石(ヒスイ)は当然ながら本物で、ヒスイの周りにダイアモンドを入れる加工をし得意そうにはめている。偽の時計の数十倍はしたものだから嬉しいのだろうが、時計は機械物だけに中身までは分からず、専門店で偽物と言われて初めて知ってショックを受けたのだろう。だからそれ以来、偽物は絶対に見向きもしないようになった。 ところで、中国は偽物国家として有名である。パテント(知的所有権)という意識が国民に欠如しているのである。かつてロシアがそうだった。海外の優れたものはドロボー(産業スパイ)してでも自分のものにする国家だった。それは核爆弾に始まり、アメリカにも蔓延し世界中が真似をするようになった。国家機密や国家存亡に関わる事はスパイをしてでも自国を防衛する事は当然の権利のように考える政治家が増えたという事だろうか。日本はその点、馬鹿正直で下手というか、真似は武士道に反するとか礼節という言葉の重みだけを出して実際の政治や行政には役人の為になる事以外は真似をしないようになった。 国際法でも解釈次第では逆に解釈出来るものでも馬鹿正直に条文通りに護ろうとする。だから不法占拠された領土でも弱腰で、事なかれ主義のような腰抜けな態度しか取れないのだ。先の大戦で負けた事が腑抜けにしてしまったようだ。敗戦後65年も経っているのにまだまだ未来永劫そういう態度をとり続けるつもりなのだろうか。心ある国民が、そういう政治家連中を抹殺してしまうだろう。テロは恐ろしいが、時代がそういう連中を創り上げるから我々国民は常に馬鹿な政治家の襟を正すよう監視し糾弾し続けなければならない。国民の心を無視して私利私欲に走る政治家や官僚は殺されるというのが歴史の語るところだからである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/25
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朝日の如く爽やかに(Softly as in a morning sunrise) この有名なモダン・ジャズ・ナンバーを聴く度に、ボクはモダン・ジャズに凝っていた青春時代を想い出す。色々なアーティストが演奏しているスタンダード・ナンバーだから、ファンも多い事だろう。ところが、この曲の爽やかなイメージに反してボクが聴かされた解説は意外なものだった。というのは、ある朝、娼婦の館で目覚めた女の恋の終わりの切ない気持ちを謳ったものだというものだったからだ。娼婦の館というものをボクは映画や小説でしか知らないのだが、ボクが中学の頃に赤線が廃止されたから経験する事も無く昭和の文学で日本的な娼館というものを知っている程度だ。外国物ではメグレ警視を読むとパリの娼婦の館がよく出てくる。 カトリーヌ・ド・ヌ―ヴ主演の映画「昼顔」で出てくる娼婦の館のイメージがそれである。欧米では娼婦と言う商売を合法化しているので日本のようなジメジメした暗いイメージは無い。アメリカ映画ではヤクザの紐が居る薄汚い世界に描かれているが、実際はどうなのだろう。高級娼婦というのがあるそうだが、上流階級で秘密裏に成り立っている商売というのはよく聴く。政財界やセレブの間で客の秘密を護る事で成り立っている商売だというが、実際はそういうスキャンダルを握られた顧客は危ない位置にいる事に成る。もしマスコミにバレたりすれば一挙に地位を失いかねないからだ。しかし、そういう世界はスキャンダルを握りつぶす組織や力を持っているのだろう。 007の映画では美人スパイが高級娼婦のように暗躍するが、実際でもそういう事があるらしい。CIA(アメリカ)やKGB(ロシア)やMI6(イギリス)の秘密諜報員が色仕掛けで情報を得るというのは有名で、中国の女スパイも日本人(防衛省)相手にやっているという。中には中国人と結婚して知らない間に機密情報を漏らされていたというのもあった。映画丸出しのような話だ。諜報活動というのは古今東西、ありふれたもので如何に分からないようにやるかというのが腕の見せ所だが、実際は私生活は破綻し、人生も狂ってしまうから嫌な話である。近年ではロシアのスパイ団がアメリカで捕まって国外追放(実際は捕虜交換)となったニュースがあったが、その中に美人が一人居て、帰国して英雄扱いだと言う。 ここまで書いて来て、ふとボクは大いなる勘違いをしているのではないかと想えて来た。というのは「朝日の如く爽やかに」を「朝日の当たる家」と勘違いしているのではないかという事だ。それなら娼婦の館というのが分からない訳でもない。朝日の当たる館とは娼館の事を指しているからだ。退廃的な職業の女たちが迎える朝に眩いばかりの朝日が窓から差し込む図は黙示録的なものを暗示しているように感じられる。男達は急いで自宅や会社へ向かう。何か気まづい想いでうつむき加減に煙草を咥えながら想うのは、過ぎ去った昨夜の想い出と今日一日のやるせない生活や仕事の事だ。出来れば新しい稼ぎの良い仕事に代わりたい。しかし、良いツテは無い。 「ええい、成るように成れ、という半分捨て鉢な気持ちなのだ。それなのに今日も朝日は容赦なく降り注ぐ。多分、うるさい上司はノルマの達成が出来ていない俺に嫌味を言う事だろう。帰宅すれば、うるさい女房が金が無いとわめくだろう。子供はギャアギャアと泣きわめき、アパートの二階の住人は床をギシギシ鳴らしながら下手なギターを鳴らしている。どいつもこいつもうるさい奴等ばかりだ。だから俺は馴染みの娼婦に一時の安らぎを求めてのめり込むってえ訳だ。それが悪い事か?俺だって誰にも邪魔されずに休みたい時もあるのだ。安物のバーボンを喰らって喉がカラカラに乾き、煙草は口の中をヒリヒリさせる。このまま何処かへ消えてしまいたい気持ちだ」 「神様よ、今度生まれ変わるとするなら、俺は一層の事、娼婦にでも成ってみたいものだヨ。ジッと男を待って、馬鹿な客を軽くあしらって金を巻き上げてやるのだ。マダムにはノルマの上納金を入れれば良いだけの事だ。俺なら良い女になってそれぐらいな事は出来るさ。そして、潮時を観て独立するのだ。若いピチピチした娘を何人も置いて、やり手婆の上を行くやり方で上流階級の客を集めるのさ。そういう商売をやっていれば裏の世界も観えて来るだろうし美味い話も転げ込んで来るだろう」というような三文小説の世界が「朝日の当たる家」からは見えてくる。しかし「朝日のごとく爽やかに」は、もっと上品な明日に向かって羽ばたける気落ちにさせる。大いなる勘違いに気付いて良かった。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/24
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ショパン「ノクターン第20番 嬰ハ短調(遺作)」 有名なショパンのピアノ曲小品である。この曲は、映画「戦場のピアニスト」で一層有名になったから、よく知られるようになった。ボクのコレクション「ドイツ三大B(バッハ、ブラームス、ベートーベン)シリーズ」に特別に加えていて時々パソコンで聴いている。一般にノクターン(夜奏曲)とされているが、初版では副題「姉のルドヴィカが私のピアノ協奏曲第2番の練習の前に弾くために」とあるように、ノクターンとしてよりもピアノ協奏曲として意識したようで、片想いであったコンスタンツィア・グラドコフスカを想い描いて作曲されたものと言われている。それだけに物悲しくも狂おしいピアノ曲である。 メロディーの最低音と最高音の幅は、3オクターヴと半音もあるから実際に歌うことは無理で、それだけに華やかで劇的でもあるので、ピアノ以外にヴァイオリンでもよく演奏され、なかなかしんみりと聴かせてくれる曲である。ボクは涙もろいので毎回聴いていて、つい眼がしらが熱くなってしまう。4分前後の演奏時間だが、人によっては3分半から4分半と1分もの差があり、ボクなんかはどちらかと言えば4分少々というのが丁度良い。勿論、速度はLento con gran espressione(ゆっくりと、とても表情豊かに)と記されているので演奏者の解釈に任されるが、3分台の速さでは軽く聴こえ、4分半と遅過ぎるとまどろっこしくなる。 ボクがショパンを最初に聴いたのは小学生の頃で、夏休みに遊びに行った父方の田舎の従兄弟から手紙が来て「ショパンのエチュード{別れの曲}が好きなので、ぜひ聴いて下さい」と書かれてあったのだが、エチュードという意味が理解できなかった。後日、レコードで聴いて初めてその意味を知ったぐらいで、彼の姉が大学の音楽コースに居た関係から彼も洋楽に詳しかったのだろう。が、ボクの一家は邦楽専門で、母と妹が琴を習っていて、父は謡曲を少々やっていた。だから従兄弟が羨ましくモダーンな気がしたものだった。都会に住むボクの方が音楽を一切やらなかったのだが、琴の師匠が来て座敷で教えているのを観ている内に聴き覚えてしまっていた。 ある日の事、誰も居ない時に勝手に琴曲「千鳥」を弾いていた事があって、たまたま帰宅した母がそれを聴きつけて驚かせた事があった。門前の小僧、習わぬ経を読みという奴である。それでもボクは男の子という事で音楽の習い事はさせてもらえず、大学時代になって初めてギターを独学でやり始めたのだった。やがて「禁じられた遊び」のテーマ曲が弾けるようになって本格的に習おうと十字屋へ通い始めたのが習い事の初めだった。しかし1年か2年で「あなたは、ご自分で出来ますヨ」と言われたせいか、それとも他の事で忙しくなったのか止めてしまった。根気よく続けていれば今頃はプロになっていたかも知れない。、 ボクにショパンのエチュードを教えてくれた従兄弟は父方の親戚では歳も近く唯一の友達だったのに親の都合で両家の交流が途絶え、その手紙が最後になってしまったのは残念だった。その後、彼が薬科大学を卒業し、薬剤師になり、ドラッグストアを開いて頑張っているという噂を聴いた事があったが、その数年後に蜘蛛膜下出血で亡くなってしまったという。実に呆気ない一生だった。生前にもう一度ぐらい会っておくべきだったと悔やまれた。以来、ボクと気が合った人間が一人も居なくなってしまった事もあって、遠方と言うこともあるが、ボクは父方の親戚とは全く交流が途絶えてしまったのだった。それこそ本当の別れの曲になってしまったのだ。 ショパンの曲は全般的に物悲しいものが多い。それは東西列強に挟まれ時代毎に翻弄されて来たポーランドという弱小国に生まれ育った彼の生い立ちに大きく影響しているのだろう。繊細な神経の持ち主である芸術家は様々な方法で自分を表現し主張する。音楽以外にも絵画や彫刻や小説にも個人の人間性が現れる。ところが、ヒトラーがしがない絵描きだったと言われ、彼の場合、芸術ではなく政治の世界で個人の人間性が現れた為に世界に甚大な被害が出てしまった。それが政治ではなく芸術という形で逆に現れていたなら世界は別の意味で大きく変わっていたであろう。ちっぽけな一人の人間の影響力でも馬鹿にならないものがあるという事である。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/23
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夢の続きの話 自分の生き方が正しかったのか、それとも間違っていたのかと想い返したところで仕方のない年齢になってしまうと、残りの人生を如何に有意義に過ごすかという事に集中した方が幾らかましな気がするのは人生の反省から来る一種の教訓なのだろう。何故そんなしょうもない事を考えるようになったのかと言えば、50年以上も出席していなかった小学校の同窓会に3年前と、その次に開催された昨年の二回出席して、つくづくと考えさせられたからだった。50年以上も会わなかった同窓生というものは浦島太郎のようなもので、何処かの老人会に出席したような気分になるものである。当然、相手も同様な気になっていた事だろう。 ところが、そもそも同窓会というものが自分の現状を相手に知らせる意味もあるが、真の処は一種の自慢なのではないだろうか。もし、尾羽打ち枯らしてみすぼらしく、決して見た目にも人生の勝利者でない場合は同窓会なぞには出席したくも無いだろうし、特に、かつて羽振りの良かった者が今では落ちぶれていたりすれば絶対に旧友に自分をさらけ出したくは無いだろう。人間、同情されたり見下されでもすれば居たたまれない気持ちになるものだ。逆に、他人の不幸は蜜の味と、他人の不幸を観て喜ぶのが世の常である。3年前の同窓会に出席して、50年以上も出席しなかった理由を訊かれて「誰も、連絡をくれなかったじゃないか!」とボクは言い返した。 すると「あなたは、行方不明とか死んだという情報が飛び交っていたのヨ」と、老婆になって出席していた恩師が言った。「ボクが中学時代に引越しをしたせいで住所が分からなくなったと言うけれど、高校が同じだった連中が10名も居たのだから行方不明者扱いというのは薄情な連中だな」と更に言い返すと流石に周りは黙ってしまった。「じゃ、どうして分かったのか知ら?」と誰かが言った。「それは、高校の百周年記念の卒業生名簿が発刊されたから、それを見たからだろう」と言うと「あなた、高校は何処だったの?」と恩師が横から訊くのだ。ボクの事を行方不明と聴いていたと言うのに進学先を訊いてないとは、いい加減な恩師だと想ったものだった。 ボクの進んだ高校は、創立100周年記念をやるぐらいだから市内でも有名な学校だった。それを同窓生の誰もが知らない訳が無かったし、同じ高校へ進んだ連中が一言もボクの事に触れなかったのが腑に落ちなかった。生徒会の役員までしていたボクの事を知らないというのは不自然で、一種の悪意を感じたぐらいだった。が、そんな事はどうでも良かった。口では「心配していた」という恩師は口先だけの社交辞令を言ったに過ぎなかったのだ。結論として、大学が同じだった同窓生が一人居て、学部が違ったから交友関係は無かったものの彼が高校の卒業名簿からボクを探し出してくれたのだった。 ボクは唯懐かしがっているだけの恩師に、ボクの心に長年引っかかっていた事を口にした。「先生、社会の時間に天皇の事を質問されて、ボクが、天皇陛下は・・・と応えようとしたら、陛下は要りません!と言下に言われてしまいましたネ」と言うと、少し困ったような顔をして「あの頃は、そういう時代だったものねえ」と弁解した。それを聴いて、ああこの先生は信念というものが無い、時流に流されていただけの人だと想ったものだった。そして昨年、情報通の同窓生が「先生が、あの歳で大きな家を建て替えたんだが、息子夫婦と上手く行かず同居してくれないと愚痴っている」と言うのを聴いて「あの歳で?ご主人が亡くなったというのに?馬力(パワー)だな」と感心したのだった。 そして「もう、そうなれば意地だな」と言うと「そう、意地だヨ」と返って来たのだった。それを証明するかのように、今年、年賀状を先生に出したのだったが返事がなかった。その事は先日のブログに書いたが、心の余裕を失った恩師が気の毒な老婆にしか見えなくなってしまった。「あなたは、行方不明とか死んだという情報が飛び交っていたのヨ」と平然と言ってのけたり「あの頃は、そういう時代だったものねえ」と言い逃れた彼女ならではの事と納得が行くのだった。自分の生き方が正しかったのかどうか自信の無い人生ほど惨めなものはない。言うには少々早いが、先日の「夢の続き」で想ったように、残りの人生を泰然自若と行ければ良いと、つい願ってしまう。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/22
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新年会 1月も下旬に入ってタイミングとしては少し遅い新年会が今日あった。ボクの住む住宅団地の老人会の新年会である。言わば楽しい昼食会をし、カラオケとビンゴ・ゲームで楽しんでもらおうという会だ。老人会の会員は200名近く居るのだが、参加者は毎回40名以下の2割程度である。そういうボクも妻も会員登録をし年会費も払っているのだが、一度も会員としてどの催しにも参加した事がない。ところが、ボクは自治会役員として招待されて参加して来た経緯があるので、最近も相談役という立場で招待され顔を出している。老人会の会員としてはボクも妻も参加する事で年寄り臭くなるのが嫌で参加を渋っている訳だ。 ところが、自治会役員という立場では断れないので、ボクだけは矛盾しているのである。ちなみに老人会の催しものに参加しない会員の大方は、大体ボクと同じ考え方である。特に男性の場合は殆どが参加しない。それだけに敢えて自治会役員の男性は積極的に参加する事にしている。それでも40名の内、男性は1割程度である。ボクと同じ考えとは違って別の理由で参加しない会員も居る。その理由の代表的なものは引きこもりである。引きこもりの理由は様々あるのだろうが、要するに面倒なのであろう。次には老人の中に群れるのが嫌なタイプの人々である。老人は我がままに成り易く、そういう相手に気を使うのが煩わしい人なのだろう。 人の事なぞ気にしない唯我独尊の人も居るだろうが、単に群れるのが嫌という人も居るものだ。そして三番目の理由としては自治会に反発する人々である。かつて自治会や老人会に参加していたのだが、新しい自治会や老人会の役員と気が合わない人々である。要するに自分の天下だと思っていた人々が時代と共に追いやられてしまった立場の人々である。かつての威張っていられた時代を懐かしがっても誰も自分を立ててくれないので参加を拒否しているという処だ。可愛そうな人々だが、新しい役員と折り合いがつけば参加するかも知れないが、自分からアクションを起こすと沽券にかかわると思っているらしい。そういう人は自然に消えて行く事になる。 何故なら年齢的に高齢になれば身体がついて行かなくなるからである。どうしても活躍できる年齢というものがあって、70歳代がピークで80歳代は下りだろうから、かつて役員をやっていた人々は既に峠を越してしまっているのだ。ボクのように60歳代の人間は少なく、本当はそういう年齢以下の人々で運営されれば良いのだろうが、そういう人々は現役の人が多いから役員に成りたがらないのである。かくしてリタイヤした人々の中から役員を選び、数少ない協力者が頑張って自治会や老人会を盛り上げる事になる。勿論、地域にもよるだろうし住民の文化的レベルにもよるが、文句ばかり言って協力しない会員が多い時代だけに役員も大変だ。 そういう時代だけに、リーダーシップが取れる人というものは案外居ないものである。昔のリーダーシップと現代のそれとの違いもある。昔は見るからに風貌がそう見える人が多かったものだが、現代はむしろそういうタイプではなく、忘年会の幹事役のような人が向いている。時代の傾向である。つまり世話役として小まめに動く人で威張らない人という事なのだ。会員はお客さん意識が強く、文句ばかり言うが自分では世話役のような面倒な事は嫌がるものである。それとも従順な羊のように群れたがって大人しいかのどちらかである。そういう人々を喜ばせ満足させるリーダーは、きめの細かい神経が必要になって来る。誰かがやってくれるだろうという意識では出来ないのだ。 かくして順調に新年会は終えた。そして、次なるイベントである「雛祭り」が直ぐにやって来る。そして4月はめでたく新年度を迎え、役員も新しく入れ替わる。4月には統一地方選挙がある。何かと気ぜわしい時である。それに向かって役員は新しい会長を選び、新役員を決める。会長の任期は2年で役員の任期は1年である。出来る事なら終身会長で来年度も今の会長でやって貰えれば有難いと想うのだが、縁の下の力持ちに何時まで耐えてくれるかが問題である。無理強いは出来ないが、自治会に反発する連中がボランティア精神をもって頑張ってやろうという気になってくれれば万々歳なのだが、どうなる事やら。相談役としては頭痛の季節である。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/21
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幽霊列車 尿意をもよおしてトイレに立った。真っ暗だった。終わって寝室に戻り、壁の時計を観れば5時前だった。数年前なら、このまま起きて身支度をしてウォーキングに出る時間だったのを想い出した。ココが布団から頭だけを出して眠りこけている。ベッドに入り、天井の明りを紐を引いて消した。温かな布団の温みに身体が馴染んで行くと再び眠りに入りかけ、先ほど観た夢を想い出した。亦、夢の続きを観るのかなと想った。それは寂しい夢だった。夜に近い夕方の闇が迫っていた。何処かの駅の線路沿いに立って、夕方発と言うだけで何時来るか分からない列車を待っているのだった。待っている人は数人しか居ない。まるでハリー・ポッターのような世界で、知っている人にしか分からない列車なのだ。 ボクも噂を聞きつけて是非とも乗りたいと想った一人だった。ジッと待っていれば必ず現れる列車で、なかなか来ないからと油断してトイレに立ったり、キオスクへ行って買い物なぞしていると、知らない間に来て、サッと出発してしまう列車だという。だから線路脇で注意しながら根気よく待っていないと見逃す列車なのだ。プラットフォームには停まらず、貨物列車の線路に停まるだけに、線路沿いで待って居ないと乗れないという。次から次へと列車が通り過ぎ、やがて風のように現れたグレーの薄汚れた列車が来て、20mほど先で停まった。多分、それが目的の列車なのだと想った。急いで乗らないと待っていてくれそうにないので、走り寄って乗った。 満員だった。空き席は無く立ち席で辛抱しなければならなかった。ふと気がつくと列車は既に夕闇の中を走っていた。静かに走っているので分からなかった。周りを観れば顔見知りが数人居た。顔見知りと行ってもボクが知っているだけだから相手はボクを知らない有名人だ。それでも知り合いのように話しかけて来る。その中の一人は噺家だった。苦労して一家を成した初老の噺家だけあって日頃から注目している芸人の一人だった。他にも有名人が居たが、ボクは特別な目で見ず、むしろ以前からの知り合いのように接していた。すると深い皿に入れた料理が一皿出て、それを美味いと想いながら食べ始めた。それは妻の作る家庭料理の味に似ていた。 薄味ながら醤油と味醂が煮干し雑魚の出汁に上手くマッチした所謂おふくろの味がする料理だった。刻んだ揚げが、大根、茄子、菜っ葉によく合っていた。どうしてこんな場所に一皿だけ出て来るのか不思議だったが、美味いので最後まで綺麗に食べきった。「綺麗に食べたな」と噺家がつぶやいた。少しも残さなかったのが気に入った風だった。ふと、妻の事を想い出し、どちらが先に亡くなるかしらと想った。先に亡くなれば気が楽だろうと想えたが、後に残すのが不憫な気がした。と言って、ボクが残されれば、もっと困るとも想った。胸が締め付けられる気がし、すべてのものと別れるという事はこういう心の状態に成るのかと想った。、 そんな事を考えると言う事は、多分、この列車が幽霊列車で、これに乗るという事は、あの世への旅立ちなのではないかと想った。すると更に息苦しくなって来て、寝てなぞいられないと想った。本当に寝ているのか、それとも意識は起きているのか、兎に角この状態から脱しないと困った事になると想えた。ガバッと布団を撥ね退け、そして電灯の紐を引っ張って明りをつけた。ココは眠ったままだった。未だ5時過ぎで早過ぎる。再度眠るか、それとも横になって休んでいるか迷ったが、想い切って起きる事にした。ココは起きないので餌の心配は要らないと、そのまま書斎に降りて行った。昨夜、充分に餌をやったので腹が減っていないのだろう。 しかし、嫌な夢だった。夢の続きと言うよりも考え事のイメージを観ていた気がする。幽霊列車は興味があるが、未だ死ぬには早過ぎる。というよりも未だまだやり残した事が多くあるのだ。死んでなぞ居られない時だ。仕事も、趣味も中途半端な状態でしかない。こんな未達成の状態で亡くなってしまって良いものかという気がしてならない。が、死を意識する世代に入ったという事だろうか。両親の例から観ても未だ20年は早いと想うのだが、何の保障もない。何時亡くなっても良いだけの心の準備だけはして置かねばという気もする。正月早々そんな縁起でもない夢を観るなぞ何故なのか分からないが、逆夢という事もある。昔の武士なら武士道にのとって泰然自若としていた筈だ。が、泣きわめいてみるのも良いのかもしれない。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/20
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だるい身体 どうも身体がだるい。そういう時は概して風邪気味の症状である。そう言えば今朝、寒い庭先でパターの練習をしていたから風邪をひいたのかも知れない。それより、家人が先日から風邪をひいて薬を飲んで養生している最中だから、ひょっとして空気感染したとも考えられる。幸い軽い症状だからウガイを励行して温かくしていれば治るだろう。ボクは年がら年中、軽い風邪をひいているから治し方や養生の仕方は分かっている。実際は日頃から免疫力を付けておくべきなのだが、その為には日頃の鍛錬が大事だ。しかし、果たして鍛錬に何をすれば良いのか迷ってしまう。山歩きも良いが、消極的な方法としては日常生活で暴飲暴食をせず煩わしい事をなるべく考えない事に限ると言う事だろうか。 ところが、最近は煩わしい事が多すぎる。政治の茶番劇を筆頭に、三面記事的事件や海外で起きているいざこざである。日本でも人殺しが珍しくなくなってしまった。人の命を奪うという尤も卑劣な行為がどういうものなのか分からず殺しているのだから殺される方にすればたまったものではない。殺されれば人生はその瞬間に終わってしまうのだ。その先は周りが大変である。殺した方は「殺す気は無かった」とうそぶくだけで日本では大抵の場合、死刑にならずに済むが、親族・友人ははらわたが煮えくりがえる程腹が立つ事だろう。ヤクザの出入りでは無いのだ。そこには一切の美学も正当性も無い。あるのは殺した方のもやもやが晴れるだけの事である。 殺しておいて反省のような言葉を発するという軽さというか無責任さは聴いていて実に不愉快なものである。無関係の人間ですらそう想うのだから被害者家族や関係者はどんな気持ちだろう。死刑廃止論者なぞ自分の身内が惨殺されれば果たしてどのような態度に出るか見ものである。他人事の内は綺麗な事が言える。まるで聖人のような態度を保っていられるかどうか。政治家や評論家は綺麗事を言って幾らの商売だから、死刑廃止を謳っていれば人気は上がるかも知れない。それが世界的な流れだから死刑廃止論を言っておけば間違いが無いと安易に考えているのだろうが、自分の事に置き換えて考えて欲しいものである。 勿論、ボクだって裁判員として呼び出され死刑かどうかを決めなければならない立場になれば大いに迷うだろうし、死刑判決なぞ出したくもない気であることは間違いない。しかし、問題は絶対に死刑廃止という極論だけでは問題は解決しないという事である。見せしめという効果や抑止力効果はある筈である。それよりも勝手に相手の命を奪っておいて、その代償も考えずに「さあ殺せ」と居直る犯人は論外としても、幾ら反省し金銭で補償しても相手の命は蘇らないのだから、それなりの償い(死刑や終身刑や無期懲役など)は実施すべきである。人間性善説に立てば許されるかも知れないが、人間はそんな簡単に分類出来るものではないのだ。、 「極悪人だから、殺しても良い」という殺人理由と「正当防衛で、已む無く殺した」というのとでは全く意味が違うが「金欲しさに殺した」というのなぞ極悪非道の人間の仕業で論外なのは誰にでも分かる理屈だ。戦争で敵を殺す行為は許されるから、それに乗じて戦争という名目(大量破壊兵器を製造しているというねつ造の疑いで攻撃する行為)の殺人行為までもが許される不条理は実にナンセンスの一言だが、それが現実社会なのだ。だから煩わしい事が多すぎるとボクはボヤく訳なのだが、ボヤいているだけでは何も解決しない。せめて自分で出来る事だけでもしようと想うのだ。その一つが教育でありボランティアであり寄付行為なのだろう。 劇画の「タイガー・マスク」に感化されたり便宜上その名を利用したりして、ささやかな善行を行う事が全国的に流行るご時世は、逆に言えば如何に偽善がまかり通っているかを物語っているという事で、社会福祉事業が形骸化している証拠でもある。赤十字やNHKの慈善募金が疑われているとも言える。理事と称する名誉職がポーズでする施設や団体への寄付ニュースも一種のやらせのようになっているのでは無いだろうか。善行は隠れてこっそりやる事で皆がホッとするのである。これ見よがしにやる善行には何かしら嫌味が残る。16年前に阪神大震災のニュースを観て、居ても立ってもいられず単身、西の宮市や芦屋市に出かけてボランティア活動した事を想い出す。あの時も身体がだるかった。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/19
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インターネット映画 インターネット映画の連続ドラマを観ていると、1週間の過ぎるのが早く感じる。毎週、新しいドラマがシリーズものの中で演じられるから、毎回完結方式ながら次回が待ち遠しくなるのだ。現在観ているドラマは、アメリカものでは「ミッシング・FBI捜査官」の物語パート2、「スパーナチュラル(超常現象)」という一種のオカルトもの、「ヤング・スーパーマン」というスーパーマンの若い頃の物語、ニューヨークの「警察と消防と救急隊の合同チーム」の物語、生物科学者の「テロ防止研究所」のドラマ、「クローザー」という事件を見事に解決する(クローズする)刑事班のドラマの六つ、台湾ものでは「探偵物語」、他には韓国もの、香港のもの、その他という具合である。其々かなり面白く、役者も上手で観飽きないものばかりだ。 観ていて感心するのは、日本なら考えられないような事件や出来事が平気で起き、解決方法もダイナミックでドラマチックな事だ。勿論、ドラマだから面白く演出してあるのは分かるが、それでも流石、外国物(大陸的)だという点が興味を引く。とても日本人では出来ない演技や大雑把な考え方が観ていても面白い。しかし、ボクの専門である建築に関して言えば、幾ら外国物でも技術の基本は同じだから施工方法の矛盾点が出て来たり不備が多く散見されると雑っぽく、矢張り監督や俳優はその方面では素人なのだなと笑えて来る。例えば高層建築の鉄骨組み立てやコンクリートの打ち込みでも安全性を無視した場面が平気で演出されると腹が立つというよりも間違った解釈に危惧さえ感じるのだ。 更には、そういう誤った場面が観客に悪影響を与えてしまう危険性を心配してしまう。その国内だけで放送されて終えるのなら問題は無いが、海外に輸出され違う法体系や慣習の社会に与える影響力は馬鹿にならない。かつて韓国で、デパートの床が数階分も崩壊して多くの人々が犠牲になった事件があった。ドラマではなく実際の事故だった。それをニュース映像で観て、とても考えらえない事例だったので印象に残っているのだが、韓国のあるドラマで建設現場があって矢張り間違った工法を平気で映していたのだった。そういう工法が常識的に行われていたとするなら、デパートで起きた事故は当然起きるべくして起きたと想えた。 アメリカのドラマでも日本とは違ったやり方の建設現場を観ていると同じ事が言え興味深いものがある。日本の建設工法はアメリカから学んだものが多いだけに、日本では起きない事故がアメリカで起きたり、その逆だったりすると国民性の違いを感じる。先日、モノクロの記録映画で多分、昭和初期の頃だと想われるビルの工事現場で、コンクリート打設場面があった。今のようなポンプ車が未だ無い頃だから大型クレーンで大きなバケットに地上でこねたコンクリートを天空高く持ち上げていた。すると驚いた事に打ち終わった空のバケットに多くの職人が乗って地上に運ばれて降りているのだった。それも全員が嬉しそうに手を振っているではないか。、 撮影されているのが嬉しかったのか早く地上に降りられて良かったと想ったのか知らないが、非常に危険な方法で人を運んでいたのだった。工事現場は整理・整頓されていず雑然とした状態で、職人もヘルメットを被っていたりいなかったりとバラバラなのだ。作業場の道板も乱雑で手摺もなかったり、足場の組み方も雑で、よくもまあ之で事故が起きないものだと想えるものばかりだった。事実、その頃は人身事故は当然のように起きていて、日本で3K(きつい、厳しい、危険)の職業と言われるようになる前の事とは言え、人命を軽やかに観ていた社会情勢が観え、先進国アメリカでさえ社会的弱者は危険と同居しているのだった。 勿論、現在はそういう事は無く殆ど改善されているのだろうが、ドラマ映画の中で未だそういう場面に近いものがあると言う事は一般社会に安全性が未だまだ徹底して浸透していないという事が分かるのである。最近でも中国なぞ未だ足場丸太に竹を使っていて、先日の上海の超高層マンションの改修工事で火災が起きたのもそれが原因でビルそのものまでもが丸焼けになってしまった。経済優先で邁進している国は安全という金の掛かることには無頓着なようである。逆に、日本は安全過ぎるぐらい労働基準監督署の検査が厳しいのは有難いのだが、ややもすると重箱の隅をつつくような方向に行っているのは問題である。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!http://ping.blogmura.com/xmlrpc/idjlbau56cwx
2011/01/18
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「寒中お見舞い申し上げます」 松の内が過ぎて「寒中お見舞い申し上げます」という葉書が届いた。観れば友人からで、昨年暮に来ていた「喪中につき年頭のご挨拶はご遠慮させて頂きます」と同類のものだった。我々世代は、高齢の両親を持っている事が多い。80歳代はざらで90歳代のものまである。中には百歳を超すものまである。長寿国世界一になった証である。しかしながら日本は、今後は下り坂になると言われる。我々の世代が長寿の最後だろうという訳である。団塊の世代が前期高齢者に入り、戦後のベビーブーマー世代も終えようとしているのだ。団塊の世代が高齢者に成り、その後に続く世代は大事に育てられたせいでひ弱で根性が無いと言われている。そして小賢しい小物の世代とも言われている。勿論、全部がそういう訳ではないが。 長寿になる条件は食糧事情と環境が大きく作用する。が、食糧事情は何も栄養のあるものばかりが良いとは限らない。贅沢をすれば良いわけではないのは誰でも分かる。逆にそういう方が悪い場合があるのは周知のとおりである。ちなみにロシアの周辺国コーカサスという処には長寿者が多い事で有名だ。其処は寒い国で、人間が住むのに決して良い環境とは言えない。食糧も決して良いとは言い難い。ところが、ヨーグルトを毎日食している事で健康な状態を保て長寿になっていると言われる。だから日本でもヨーグルトがよく売れるのだろうが、日本でそういう生活を急に真似ても長寿になれるとは限らない。長年の風習や習慣があって初めてそういう状態になるのだろう。 だから乳製品業界はこぞって健康食品を開発して売りまくる。それに乗せられた人々が健康の為と競って購入し毎日食べる。そういうボクの妻もその一人だ。ボクなんかに言わせれば、それは単なる嗜好品に過ぎない。だからボクは、そういう商品ではなく、コーヒー(マンデリン)を毎日立てて飲んでいる。健康の為と想って飲んだ事なぞ無く、好きだから飲んでいるだけの事である。外で飲めば一杯500円するところを家では二杯飲んでも100円にもならない。金の問題ではなく、それこそ嗜好品だから一種の癖でもある。妻はコーヒー党ではなく紅茶党だから数種類のものを用意して矢張り毎日飲んでいる。勿論それは栄養としてではない。精神的栄養にはなっているのだろうが。 要するに長寿は好きなように生活している人が出来る事のようである。何かに縛られ意識しビクビクしながら生活している人で長寿なぞ聴いた事なぞない。一軒置いた隣のお婆さんなぞは今年で99歳だから百歳に向けて毎日杖を突きながらも散歩を欠かさない。耳も達者で、ボクの言う言葉をしっかりと受け止め、返事もシャキッとしている。「お元気なので百歳まで、まだまだ充分行けますヨ」と数年前に散歩に出かける処を自宅の前で出くわして言った事があったが「いやいや、大分弱くなって、もうあきませんワ」と即座に返事があった位だから元気なのが分かった。それがもう99歳なのだから110歳ぐらい平気で行くのではないだろうか。 彼女は何にでも興味があり老人会には長老として毎回出席しているから、自治会や老人会の相談役に祭り上げられているボクとしても大丈夫だろうと眺めている次第だ。老人会と言えば、来週、新年会に出席を要請されているから行かねばならない。ボクも形では会員の一人なのだが、一番若い事もあって雰囲気に馴染めず何時も欠席している。昨年、久しぶりに小学校の同窓会に出席したものの老人会のように想えて嫌になったのに、それよりも年寄りばかりの会に出るなぞ考えただけでも嫌になる。つまり自分の年齢を忘れて若い積りで居る事自体、老化を意識している証拠なのだろう。だから、そういう処に交われば加速的に老けてしまうと想う。 まあしかし、長生きだの老人会だのと言ったところで精々人間の寿命の100年以内の事だから屋久杉(縄文杉)のように数千年も生きて来た生き物の事を考えれば赤子のようなものだ。それに人間は亡くなれば、魂が原子の素粒子になって宇宙へ放散されるだけの事だから、残された死骸は腐って大地に戻るにしても魂は宇宙空間に漂いながら我々を観ていると想えば「あの世も、この世も、地続き」と言った役者のように泰然自若としていれば良いのだ。その役者の伯母さんというのが昔我が家に来て、茶の間の火鉢に当たりながら母に「うちの甥っ子が今度、役者になると言うのヨ、どうしたものか知らと心配しているの」と話していたのを小学生のボクが横で聴いたのを思い出す。遠い昔の事だ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/17
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今年初めてのグーグル・アース(5) 「今年初めてのグーグル・アース」のシリーズも今日で終える。シリーズの最後だから55年ほど昔(昭和30年・小学5年生)の幼い頃の想い出をたどってみようと想う。と言うのは、子供時分に、まさかこうして人工衛星で故郷を観る事が出来るなぞ想ってもみなかった事が現実に起き、脳裏に何時までも幼い頃の風景が残っているからだ。だから現在の風景をトレースしながら改めて想い起こしてみたいのだ。何故なら、其処にボクの建築家としての原点があるからだ。ボクが建築設計のエスキースを描く時、必ず想い浮かべる風景が何故か其処の風景なのである。つまり、建築を設計する動機が其処から生れ出ているという事だ。1.GoogleEarth-(下鴨) それはゴッホの麦畑のような眩しく黄色い夏から秋にかけての田園風景だ。最初の写真は京都下鴨の全景で、加茂川(左)と高野川(右)の二つの川が交差する三角の土地である。川と川に挟まれた土地は空気が清浄で高級住宅地として昔から人々が住んだ処である。その昔は映画の撮影所があって、今ではずっと西の太秦(うずまさ)という処に移って映画村として観光名所になっているが、現代は住宅密集地である。大昔(平安時代)は糺(ただす)の森の中に下鴨神社がある程度で、周辺は田園地帯だった。ボクが小学生の頃でも神社の東側は田園地帯だった。そういう処に父がこの辺りに分譲住宅を建てて売っていたのだった。2.GoogleEarth-(下鴨神社前の道) 分譲住宅という言葉自体、まだまだ珍しい頃だった。分譲住宅以外にも個人住宅の請負現場も下鴨にあったから、毎日、父は自転車で見回りに行っていた。父のこぐ自転車に乗せられて工事現場に連れられて行くのがボクは楽しみだった。今の時代なら車で行く処だろうが、車と言えばトラックだけで、乗用車なぞ未だ無かったし、トラックの運転手は資材を運ぶ専門職だった。運転免許証を持たない社員や大工は自転車で現場に行っていた。戦後の住宅難で父の建築請負業は大いに繁盛し忙しく大いに稼いでいた。そんなある日、下鴨神社の前の道路を通ると、ケヤキの大木を根元から掘り起こして切っている職人が居たのだ。3.GoogleEarth-(下鴨泉川分譲住宅跡地) 根は大人の脚ほどもある太いもので数本が大地にしっかりと喰いこんでいた。まるで大蛇と格闘している風に観え、細い砂利道を拡幅しているのだった。数日掛かっていたのだろう、その次に分譲住宅に連れてもらった時には大木は無くなっていて道は少し広がっていた。目の前の田園風景が、うっそうとした糺の森から抜け出た眩しさで目が眩む想いだった。その風景が強烈に脳裏に残った。その辺りは泉川町と言って、父はよく「みかの原 わきて流るる泉川 いつみきとてか恋しかるらん」と万葉集か百人一首かの歌を詠んでいた。泉川というゴロに合わせて詠んだのだろうが、みかの原は京ではなく常陸だと後年ボクは知って父の間違いを知ったのだった。4.GoogleEarth-(下鴨七本松バス停) が、そんな間違いなぞボクにはどうでも良かった。父が詠う泉川という語句と眩しい田園風景が分譲住宅のイメージとしてボクの記憶に残り、ボクにも風流の心が芽生え、分譲住宅の場所を覚えて独りで行くようになってからは近くのバス停である「下鴨七本松」も同じように強く覚えたのだった。尤も、バスで行き来した記憶は無く、当時は未だ珍しかった子供用と大人用との中間の大きさの自転車を買って貰って走っていた。下鴨の大通りには未だ市電は走っていなかったから自転車で走り回っても交通事故なぞ心配も要らなかった。バス停を北へ行くと交差点の角に育苗店があってグラジオラスの球根を買っては持ち帰って庭で育てた。5.GoogleEarth-(下鴨交差点の育苗店跡) 想えば、ガーデニングに興味を持つようになったのもその頃が始まりだったのだろう。木造住宅の出来あがるプロセスを眺めているのが楽しくて仕方が無く、小学生時代には木造建築の手順を覚えてしまっていた。大工は何時仕事をするのだろうかと想うぐらい何時もカンナの刃を砥石でといていたし、カンナから出る綺麗なカンナくずは惚れ惚れする美しさだった。何もかもが楽しい風景だった。まさか建築家になるとは考えもしなかったが、建築は空気のように自然にボクの身体に入り込んでいたのだろう。懐かしい響きの土地「下鴨(地図では下賀茂)」が今もボクの建築設計の原点になっているのは単なるノスタルジーだけでは無く必然的な出来事だった気がしてならないのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/16
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今年初めてのグーグル・アース(4) グーグル・アースで大都市の各部を観ていて気付く事は、ビル以外にも実に多くの不燃建築があるという事である。その中には勿論、法以前建物(昭和25年に建築基準法が制定される前から存在する建物)が多く存在するが、その中の大半の可燃建築物である木造を火災から護る応急処置としての22条処置をされた物が目立つ。簡単に言えば、屋根を不燃材で覆った建物の事で瓦屋根や鉄板屋根などがそれだ。屋根瓦は江戸時代に普及したもので、それまでは身分制度から町衆は瓦を敷く事は出来ず、単なる板に石ころを重石として載せていただけだった。ところが江戸の花と言われた火災が余りにも多く発生するので類焼を防ぐ為に瓦屋根を政府が許可し奨励したお蔭で火災件数は大幅に減ったのだった。1.GoogleEarth-(道頓堀マンション) それでも火災は全く無くなった訳ではなく、類焼はまぬがれなかった。貴族や武家の屋敷から火災が発生する事はまれで、殆どが町衆の火の不始末から起きた火災の類焼が多く、多くの罹災者が放り出されると避難場所の寺院の境内から何処かの裏長屋の空いているところに移り住むという方法が取られたのだろう。だから再建される建物も立派なものではなく雑木で造られた。火災時には犯罪も多発し、逆に犯罪の証拠隠滅と逃亡の時間稼ぎの為に火つけをする場合も多かったから、テレビ・ドラマでお馴染みの「火盗改め方(鬼平)」という組織が編成されたぐらいだった。今でも犯罪の証拠隠滅で火つけをする犯罪者が絶えないから人間は余り賢くなっていないようである。2.GoogleEarth-(京橋マンション) ところで、ボクはマンション設計は火災の事を考慮してガスを止めてオール電化にしている。ガスの方が火力があるので調理には電気よりも良いのは分かっているが、自宅で料理をする人が少なく、精々湯を沸かすか電子レンジで温める程度だから電磁調理器で充分なのだ。その代わり換気は絶対に必要だから各戸からの排気筒として屋上に鳩小屋を設けている。鳩小屋というのは建築用語で、屋上に排気の為の小さな箱情のものを設けるのである。パリやニューヨークでは鳩小屋でなく煙突が林立している。あちらはアパートが主流だから庭なぞ無く、建築基準法の違いもあって薄暗い部屋が多い。小説「メグレ警視」なんかを読むとパリの生活がよく分かる。3.GoogleEarth-(桜川マンション) そして屋根伝いに犯罪者が逃げるシーンもよく現れる。ニューヨークでも下町では屋根がひっつくか少しばかり離れているだけだから屋根や屋上づたいに逃げる。日本のように雨が多く降らないから屋根の庇は短く、全く無いものもある。だからグーグル・アースを見ていると国の状態や文化がよく分かる。日本よりも欧米の方が整然として観えるのはローマ以来、区画割りと建物高さを決めてから建築させるからだ。日本の場合は高さも区画もバラバラで揃っているのは京都の町並みぐらいなものである。それはかつての中国の都であった長安を真似て宮殿を中心にして碁盤の目のように条里を決めたからだ。京都は御所を中心に東西南北の条里が出来た。4.GoogleEarth-(上汐マンション) その昔には羅生門という町(城)の入口が都の中央を南北に走る朱雀大路の南の端にあった。外周壁(城壁)には各方向毎に出入り口が設けられ、都は原則的に囲まれたものだった。その外は別世界という訳だが、勿論、外敵を意識したものであったものの、それよりも宗教上の意味合いの方が強かった。陰陽師が鬼門を始め、神社仏閣や御所で魔除けや封じ込めの儀式をして都を護ったのだ。科学万能時代の今から観ると馬鹿な事のように観えるが、現代社会でも陰陽師に似た占い師や僧が真面目な顔をして祈祷しているから千三百年経っても人間は余り進歩していないのではないかと想ったりする。そうでないと宗教そのものが成りたたなくなってしまうのだろう。5.GoogleEarth-(桜川マンションB棟) バード・ウォッチングのように街の建物群を観て行くと自分までが鳥になったような気分になるが、どんどん位置を高めて行くと宇宙空間に出てしまうから今度はUFOに乗った宇宙人になった気分になる。そういう光景を子供時分から何度もアメリカ映画で観て来たから珍しくも無いが、人間の源初は海から陸に出てきた魚の進化したものと考える説よりも宇宙人が地球に飛来して来て住みついたと考える説の方が説得力があるように想えて来る。ボクなんか青年時代に巨大なUFOを目撃しているから、その方が現実味がある。グーグル・アースで地球を観ていても一向に飽きないのもそういう経験があるからなのだろうか。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/15
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今年初めてのグーグル・アース(3) 今年初めてのグーグル・アースの3回目は日本の代表的な五つの国際空港を取り上げてみた。先ず千葉県の成田空港である。日本で一番大きな空港と言うよりも難産の末にやっと出来た空港として有名である。難産の理由は、地権者の同意を得ないまま強制退去させ、大いにこじれて出来た空港だからだ。反対派の了承が得られるまで交渉開始から何十年も掛かって、やっと完成を見たたものの、しこりが残った。強制退去の方法がエンクロージャー(囲い込み運動)と同じやり方だったから中世のイギリスの権力者のやり方を連想させたものだった。それまで日本には無かったハブ空港(自転車の車輪のリブのように放射線状に同時に離発着出来る滑走路をを持った空港)を政府がどうしても造りたかったのだ。1.GoogleEarth-(成田空港) 滑走路はA・B・Cの三つ(其々2本ずつあるから合計6本)あって、其々の向きが正三角形の辺の方向になっているからどの向かい風・追い風にも対応出来るようにしてある。その形式は東京(羽田)空港も同じである。三つの滑走路を持つ空港はこの二つだけである。羽田空港のC滑走路は成田空港の完成後に出来た。ハブ空港として機能させるにはどうしても三つ目の滑走路が必要なのだそうだ。残りの三つの空港の内、滑走路が二つ(四本)あるのは大阪の関空(関西国際空港)と北海道の千歳空港で、五つ目の福岡空港は一つ(2本)の滑走路だけだから、他の名古屋、神戸、その他各県にある多数の空港と何等変わらない。しかし、立地的に主要空港になっている。そういう意味では沖縄の那覇空港も主要空港と言える。2.GoogleEarth-(東京(羽田)空港) 昔は船舶が主流だったから港湾が発達したが、現代社会では飛行機が主流だから空港が不可欠なのだ。しかし、貨物輸送はまだまだ船舶には量的に及ばないから港湾は貨物輸送で活況を呈している。余程、急ぎの物でない限り船便が普通で、コンテナ輸送が安い。ちなみに北米から日本へコンテナ輸送した場合、ひとつ二十万円程度で済むのに、同じコンテナを横浜から大阪までトラック輸送すると五十万円も掛かるそうだ。実にナンセンスな話だが、ガソリン代や人件費、トラック代が高い日本ならではの話だ。それを貨物列車輸送にすればその中間位になるらしいから輸入する場合の時間と採算ベースからどれを選ぶかが問題となる。3.GoogleEarth-(関空) 何故そのような事を知っているのかと言えば、バブル経済最盛期に円高を利用してアメリカのプレ・カット木材を輸入してツー・バイ・フォー工法の住宅を建てようという話があって詳しく調べた事があったからだ。そしてバブル破綻直後に阪神大震災があって、ツー・バイ・フォー工法なら大量に安く手に入る事と、大工見習いでも建てる事が出来、被災地にも早く供給出来るから事業にしたいという話があったのだ。ところが、話を持ち込んだ知人が全くの素人だったのと彼がボクに紹介した輸入代理業の男も胡散臭く、ボクはその男を調べようとボクの持っている資料と計画書を元に男が具体的にどういう行動をとるか試してみたのだった。4.GoogleEarth-(千歳空港) ところが何だかんだと言って話を反らすので、言わば素人だと分かった。だから、ボクは慎重になって、知り合いの大手企業の幹部にも企画の相談を持ちかけると既にそういう動きをしている企業が数社あって数十棟ほど建築中である事も知った。結局のところ知人とその友人の輸入代理業者はボクの資金を当てにして、新規事業を興し、それに乗っかるだけだと分かった。そういう話は、数年前には考えた事があったものの、ボクの求める建築とは少しばかり違うので半分懐疑的だった。しかし、知人は阪神大震災を機に、自分が被災者になった事でもあり、ボクに技術面での協力を求め、近所に住む彼の友人も渡りに船と乗ったらしい。5.GoogleEarth-(福岡空港) もし、本当に事業としてやる気なら、もっと本気に率先して動き回らねば駄目だし、他人の褌で相撲を取ろうとするなら尚更の事だ。そんな事を想い出しながら空港写真を観ていると、空港では無いが、港湾でコンテナ輸送のバースなんかは今や神戸は震災以来落ち込みが激しく、韓国にトップの座を奪われて久しいのを残念に想う。昨年の夏の神戸でのコンクリート講習会で観たコンテナバースがそうで、活気が無かった。価格の問題もあって日本のように世界水準の高賃金になってしまっては勝負にならないだろう。空港使用料(着陸料)も高く、関空なぞは当初の見込みの半分も消化できていないそうだ。本当にハブ空港にしたいのであれば国が補助対策を取らないと駄目だ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/14
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今年初めてのグーグル・アース(2) ボクの設計・監理した大阪市内に建つマンションをグーグル・アースで見ると、現時点では2007年の撮影のものばかりなので工事中のものが半分もある。今では完成したものばかりだからグーグルの撮影が数年に一度でしかない事が分かる。その代わりストリート・ビューは割合新しくて最近のものが観られる。完成して写っている中の一枚は心斎橋マンションのA棟とB棟で今日の最初の写真である。これは阪神高速から観えるので昨年書いたブログの中でも取り上げた。吉野の材木屋へ見学に行った際に大阪から観光バスに乗って横を通ったのだ。ボクの設計したビルは殆ど外壁に小口タイルを貼るから完成後4年経っていても綺麗なままだ。1.GoogleEarth-(完成直後の心斎橋マンション) 吉野では木造建築を見直す会のようなものだったから在来の木造建築以外にRC造であれS造であれ、人の肌に接する部分の材料であるなら用途は問わないのだった。だから内装材に限って使うだけでも業者は有難く想っていたようだ。構造材に吉野の木材を使ってくれれば一番嬉しいのだろうが、時代が不燃化の方向に向かっているから贅沢は言えないのだ。贅沢と言えば、建築に限らず船舶の擬装も木材が使われ、高級感を出している。つまり、木材が人に優しい材料であるという事である。ところが、RC造のコンクリートむき出しのインテリアが若い人の間で流行っている。まるで倉庫に居るような冷たいイメージしか受けず、ボクは嫌いだ。2.GoogleEarth-(工事中の土佐堀マンション) 更に、最近ではコンクリート打ちっ放しのデザインの壁紙まである。それがモダーンだとして若者向けのマンションの内装に使ったり、スタジオのセットにも使われる。コンクリート型枠のセパレートの穴まで本物そっくりに印刷してあるから、一寸観ただけでは偽物とは気がつかない位だ。インテリアは飽きれば模様替えすれば良いという考え方なのだろうが、ボクのデザイン・ポリシーは、スケルトンとインテリアの融合が原則だから、インテリアを単なる箱の状態から全く構造とは別のデザインにするインテリア・デザイナーの発想とは全く違うのである。尤も、意識的にそういう事をしなければならない場合なら仕方がないだろうが。3.GoogleEarth-(工事中の瓦屋町マンション) しかし、建築本体から設計する場合のインテリアが構造と異質なものに成るのは心苦しいのだ。それでは、まるでクライアントを騙している事になってしまうと想うのだ。何の為の建築設計なのか、建築とは何なのだと考えれば当然の事だ。しかし、こうして、RC造のマンションを多く設計・監理していると石の箱状態の部屋ばかりだから、スケルトンとインテリアとの融合に疑問を抱く事もある。そこが問題なのである。マンションはクライアントの商売上の手段でしかない。が、そこに住む人々は利便性と快適性を求めるのだ。利便性は生活に便利な場所の事である。仕事も遊びも生活の内である。学生なら学業もアルバイトもそれに入る。4.GoogleEarth-(工事中の谷町マンション) 利便性も快適性も基本は健康面や安全面や美観が大事な要素である。幾ら健康的でも防犯・防災が守られていないマンションは失格だし美観上好ましくないマンションは客が逃げる。万人が利便性を享受し快適と想う環境を作り出すのが設計であり、それを造り上げるのが監理である。そこにはクライアントの要望以外の要素も入るが、クライアントの要望よりも上位に来るのが人間性の問題である。だから、クライアントが人間性を無視し、商売だけの事を考えれば建築家は注意しなければならない。注意して直らない場合や無視されると、クライアントと建築家との信頼関係は崩れる。かと言って設計を断られれば建築家は喰いあがってしまう。5.GoogleEarth-(工事中の住吉マンション) そういう飯の種をクライアントが建築家の良心を無視して取り上げるとするなら、そういうクライアントは本来のクライアントでは無いという事になる。そういう似非クライアントが昨今の日本社会に多くはびこって、良心的な建築家は生き辛くなってしまった。その逆の、良心なぞ何処かへ預けてしまった建築家は五万と居る。だからクライアントは建築家に不自由しないと想っている。そこが問題なのだが、仕事が欲しい建築家は自分の後ろに控える所員や妻、子供の事を考えて黙して語らず言いなりになって仕事をするのである。そして上手く行けば大先生と呼ばれ、文化勲章も貰えるかも知れない。だから、何が本当の建築家なのか何が本当のクライアントなのか分からなくなる事がある。それが現実社会というものなのだろう。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/13
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今年初めてのグーグル・アース グーグル・アースで日本の各地を見ていて鮮明に見える処は東京とか大阪のような大都会ばかりなので、どうしてもそういう処ばかりを優先的に見てしまう。ボクの住む大阪と奈良の県境の丘陵地にある住宅団地は中間的な鮮明度である。中間的な鮮明度とは、大都会の解像度と田舎のそれとの中間という意味である。だから精々家の形や車の輪郭が分かる程度である。それでも最初のグーグル・アース(7年前)の写真と現在表示されている3年前に撮影された写真とを比較すると僅かだが鮮明度が増している。そして空き地だった処に新築された家が点在している。7年前には建っていなかった家だ。変わらないように見えても少しは変化しているものである。1.GoogleEarth-(住宅団地のボクの家がグーグル・アースの開始位置にしてある) 次にボクの生まれ故郷の京都を同じスケールで観てみた。最初に明治期に立てられた南禅寺の別荘地を観てみると、先ず野村証券のオーナーの別荘「碧雲荘」が目につく。敷地が1万6千坪あるというだけあって別荘群の中でも一等広い。戦後、米軍に接収されて無茶苦茶な改造をされた為に、返還後に元通りに改修工事をして復元し現在に至っている。先年、テレビで内部を放映していたが、なかなか良い建物である。今では茶室やその他の数寄屋建築が重要文化財に指定されている。そうでもしないとこういう名建築は残らないのだろう。非公開だが、世界的な企業の持ち物であるが故に維持管理が可能になるという事だ。2.GoogleEarth-(野村別邸 碧雲荘) ちなみに、ボクがサラリーマンをして東京に単身赴任していた頃、社長がこの建物に招待されたという自慢話をしていた。琵琶湖から曳いた庭の小川の清流にはアユが泳いでいたので驚いたという話や、座敷に戻って池を振り返りながらふと軒先を見上げると青竹の軒樋が掛かっていて「何と、竹の雨樋ですネ」と訊けば「お客様を御接待する度に付け替えています」という返事があって、その為の竹林が庭の片隅に用意されていて庭師が付け替えるのだという。流石、世界的な金持ちは、やる事が違うと想ったそうだ。が、それはボクが子供時分に父から聴いて知っていた事だけに今更ながら驚く程のものでも無かった。京都人で数寄屋の心得がある者なら常識になっている事なのだ。3.GoogleEarth-(金閣寺) 本当の金持ちは自分の財布に幾ら入っているか知らないものだそうだ。が、もっと金持ちは財布なぞ持たないものだ。それは権力者がそうだし、政商といわれる大金持ちなぞもそうだろう。時の権力者は財力に物言わせて権力の象徴的なものを建てる。それが寺院であったり別荘であったりする。金閣寺は足利時代の権力の象徴として建てられ、今は国宝となっている池にある金閣は、当時の理想とする象徴として三層式となった。最上部は当時の先進国であった唐風様式、二層目は武家の書院造様式、最下層は禅宗の仏殿風様式となっている。終戦直後、残念なことに色香に狂った僧が付け火をして消失し、それを国費で再建されたものである。、4.GoogleEarth-(竜安寺) 四番目に観たのは枯山水の石庭で有名な竜安寺である。中学時代から心を落ち着かせる為に何度も通った事がある。社会人になってからも通った。住宅団地の区画と比較して二区画(2百坪)程度の小さな石庭だが、鑑賞していると無限の広がりを感じる庭である。白川砂(花崗岩)を敷き詰め、海原や雲海に見立てた庭である。置かれた石は、虎が子を連れて海をっているとか、京都の五山を表しているとか、心という字を表しているとか様々な説があるが、鑑賞者は黙してジッと観ていて心休まれば、それだけで充分なのである。要するに雑念を振り払う事を目的とするのが禅寺の役目なのである。現代人に特に求められる事だ。5.GoogleEarth-(京都御所) 最後に京都御所を観たが流石に広い。紫宸殿の東の方に新迎賓館が出来ているが、それも相当大きなものだ。南北に延びる長方形の敷地で、ニューヨークのセントラル・パークの半分はあるだろう。子供時分、よく蝉取りに行ったものだった。時代劇の映画の撮影もそこでやっていた。広大な敷地と松並木や長い塀がセットとして役立ったのだろう。近年は撮影が出来ないのか見かけなくなった。年に二回、春秋に紫宸殿を一般公開しているから大勢の観光客が行列をする。この他にも京都市内には広大な土地の処があるが、大抵は神社仏閣である。それ以外に植物園とか動物園とか国際会議場があるが、千年の都があった歴史の街だけに明治・大正・昭和の名所名跡も残したいものである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/12
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年賀状の返信 年賀状の返信は三が日の内に出しておいたから、松の内に遅れて来た分は殆どが年を越して書かれたものや返信である。本来、年賀状というものは元旦に書くべきものだが、今では元旦に届くように事前に書いておくのが一般化している。事前に出した中で、昨年の秋に久々に小学校の同窓会に行って四人の世話役に礼の積りで年賀状を出しておいた内、二人だけ返信があって、もう二人からは来なかった。それが不思議で成らなかった。別に返事を期待していた訳でもなかったからそれだけの事なのだが、彼らが虚礼廃止を実践しているような信念の人間とは想えず、むしろボクという人間を快く想っていないのかも知れないと勝手に解釈するしかなかった。 考えてみれば二人とも小学校時代から目立たない影のような存在の生徒だった。だから卒業後は付き合いもなかった。それに反してボクの方は大柄な健康優良児で母親が派手でPTAの役員をしていた関係から目立つ存在だった。そういう相手に対して、卒業後一度も同窓会に出席しなかったボクなんかが、たまたま住所が判明して50年振りに案内があったからとは言え突然のように出席したのが面白くないと想ったとしても不思議はないのだ。それに宴会で賑やかに飲んで騒ぐなぞ新参者にあるまじき態度と感じて影からジッと見ていたのかも知れないのだ。そんな事を考えると、人生なんてものは子供の延長のように単純なものに観えて来るのだ。 影のように目立たなかった存在の彼らが同窓会の世話役がまともに出来、挨拶も立派にに出来た事に恩師が往時を想いだして涙ぐんで感銘したぐらいだった。それを聴いた恩師の周りの誰となくが失笑した中にボクも入っていた。そういう恩師も80歳の老婆で、近年、大きな自宅に建て替えたと事情通の同窓生がボクに話してくれていたのを想い出す。「へえ~、あの歳で御主人も亡くなっているのに独りで建て替えるなんて馬力だな。意地で建てたのだろうか?」と訊けば「そう、意地だな。教員をしている息子夫婦と上手く行ってなくて同居しないそうなんだ」「折角、大きな家を建てながら?」と聞いてはならない家庭の事情を聴いてしまった感じになった。優雅そうに観えても誰もが色々事情を抱えているものなのだ。 当然ながら恩師にも50年ぶりに年賀状を書いたのだったが、返事はなかった。それも不思議な気がした。「高齢だから返事を書けないのだろうか?」と妻に言うと「息子夫婦と上手く行ってなくて、正月にも自宅に来なかったとしたら独り悶々として年賀状どころでは無かった筈ヨ」「そうか、あんな大きな家に独りで暮らしているのか・・・」とボクは貰った名簿からグーグル・アースで観た恩師の家を想い浮かべていた。ストリート・ビューも観る事が出来て、道路から家の全景が連続で観えるのだ。門の横にガレージのシャッターもあるので息子の車を想定しての建て替えだったのだろう。そう言えば、そういう事例は近所でも多数散見されるのだ。、 わざわざ息子の為とか娘の為にと、隣地に建てた家に子供が戻って来ないのである。親にすれば老後の面倒を見てもらう引き換えに、家をプレゼントすれば充分ではないかという下心がありありと出ていようがお構いなしで、息子や娘からすればそれが精神的な重圧になるという事が分からないらしい。今や自宅を一戸建ての持ち家でなくとも借家やマンションで充分と考える若者が多いのだ。家というものに執着しない世代と言っても良い。自分達が育った環境がそうだったから今更親が苦労して貯めた金で買ったり建てた一戸建てに親が住もうが自分達には関係がないという訳なのだ。職場や住環境、教育環境に慣れた若い家族は親の住む住宅地なぞ魅力が無い。 住む処よりも仕事が重要で、自分達の老後の事なぞ考えてもいないのだ。だから親の事なぞ自分で何とかするだろうという気で、むしろ核家族が住みやすい条件になっている。配偶者も義理の親に変な気を使わなくても良い訳だ。来る時が来れば、それはその時に考えれば良く、自分の実の親の事さえ兄弟に任せているぐらいで、一人っ子の場合は遠い将来の事のように考えたいのである。かつて深沢七郎の小説「楢山節考 」を読んで、昔は壮絶な老人が居たものだと感銘したものの、それは文学の世界の事としてボクは片づけていた。お蔭様と言うべきか、ボクも妻も両親はポックリ逝ってしまったから介護という面倒な事は知らないが、年賀状ひとつで、他所の家庭の風景が見えて来るのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/11
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天井照明 これまでにボクが設計・監理したマンションのエントランスの天井照明について述べてみよう。マンションのエントランスなぞ何処も変わり映えしないものだが、規模と戸数によって住人の数が比例変化するから小さなマンションでは大きなものよりも空間の余裕が少なく面白味も余り無い。しかし大きくなるとエレベーターの数も増え、ポストや宅配便ロッカーも増えるからエントランスも当然大きくなる。外部のアプローチもガレージも広くなる。つまり遊びの空間も比例して出来るからデザインも自由度が増すから住人以外の不特定多数の来客の事も考えねばならなくなる。そういう人々を迎えるエントランスは派手にしたくても品位を損なわない程度のものにしないと住人は嫌がる。1.天井照明(住宅街・上町台のマンション) 水商売の住人ならそれでも良いかも知れないが、一般的には堅気の素人対象だから、どうしても地味に成りがちである。しかしながら地味で暗くては陰気な建物になってしまう。建物は陽気で無ければならないという不文律が昔からある。葬式会場ではいけないのだ。健康的な建物というものは大体明るいものである。意識的に暗くする建物もあるが、マンションは概して明るすぎず暗すぎない平凡なものが好まれる。それは先ず機能的であるのは当然としても疲れないという前提があるからだ。寝る事と生活する事が基本のマンションはパブリックな空間は私的な要素は出来るだけ排除するのが原則となる。パブリックとは平均的なという意味もあるからだ。2.天井照明(オフィス街・谷町のマンション) しかし、そうは言いながら建設地の環境によっては同じ設計者なのに全く正反対の形やデザインになる場合があるのは当然である。例えば大阪で言えば、心斎橋のような下町的繁華街と谷町や土佐堀のようなオフィス街、更には寺院の多い下寺町では其々入居者の仕事が違うから生活スタイルも違い、デザインも変わらざるを得ない。郊外の住宅街に出来るマンションも環境に合ったデザインにしないと浮き上がってしまう。心斎橋の場合、場所が場所だけに家賃も高く派手好みの入居者が好むデザインにする。オフィス街はビジネスライクな上品なもの、郊外の住宅街は如何にもパブリックなものでありながらアットホームな雰囲気を出す。3.天井照明(繁華街・心斎橋のマンション) アットホームと言ってもプライバシーは守られたセキュリティのしっかりしたものは当然ながら求められる。そうでないと安全協会のお墨付きが得られず家賃にも影響する。分譲マンションと違って賃貸マンションは入居者が常に入れ替わる事を念頭に置いておかないとメンテナンスの難しいデザインはクライアントに嫌がられる。汚れにくくメンテナンスのし易いものが当然喜ばれるが、それでデザインが制約を受けては詰らないので、かなりの対応力を持って居ないと自分のカラーが出せない。そういう風な見方をすると公共住宅なんかはボクから言わせると死んだ住宅のような陰気くさいものに見える。役人は芸術性には無頓着なのだ。、4.天井照明(京橋駅近くのマンション) 逆にいえば、芸術性を持ち合わせている位なら役人なんかには成らないと言う事だ。それほど人間性を否定した職業の代表のような処に勤めるという事自体が役人に打って付けの人間という事である。役所と言う非人間的な世界に居ると人生も無味乾燥なものになってしまい貧乏性な性格が助長され、役人生活を終えると直ぐに亡くなってしまうというパターンになってしまう。直ぐに亡くなる人は未だ人間性が残っている方で、定年退官後も生けしゃあしゃあと長生きするような人は何が面白いのかという生き方しかしない。何でも損得の理屈で判断し、只ほど安い物は無いという理屈で生きているから卑しさしか残っていないのだ。5.天井照明(リーガ・ロイヤル・ホテルの近くのマンション) ボクの設計・監理するマンションはそういう公務員を対象とはせず民間人ばかりだから人間味溢れるデザインを基本といする。其処が日本と欧米との違いであろうか。欧米の公務員は日本の公務員よりも多少は人間臭さがあるから官民の隔たりは日本程ではない。勿論、公務員用住宅もあるが、民間の中に溶け込んでいる場合が多い。それ程詳しくないボクでもそれ位は分かる。日本の場合は上級官僚ほど公私混同で税金を100%利用しようとする。それが特権であると勘違いするのである。「悔しかったら成ってみな」とうそぶくのである。まあ、そういう乞食根性の人々なぞ放っておいて、我が民間世界の住宅の程度の良いのを設計・監理して行けば、日本も欧米並みにレベルがアップして行くとボクは信じているのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/10
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ヒマラヤスギ 庭から見えるヒマラヤスギを見ていると、剪定をしたものと、しないままのものとではこうも違うものかと感心してしまう。我が家のものは毎年のように剪定をしているので余り大きくならないのだが、裏の空き家のものは30年ばかり剪定をしていないので伸び放題なのだ。だから相当大きくなっている。最初は同じ大きさだった。庭木も剪定をせず伸び放題にしておくと山に戻った状態になるもので、最近では大きな松ぼっくりまで出来ていて完全に自然の状態にかえっているのだ。どちらかと言えばボクは自然のままの状態のヒマラヤスギが好きだから他所の庭木ながら良くぞ自然状態で育ってくれているものだと一種の楽しみの目で毎日観ている。1.ヒマラヤスギ(左手前が剪定をしたヒマラヤスギ。向こうは伸び放題のヒマラヤスギ) 出来れば松ぼっくりが欲しい処だが、ヒマラヤスギの松ぼっくりは落ちないで、胞子が飛んで行き子孫を増やすのだそうだから唯観ているしかない。数年前、近所の明神山でのウォーキング最中に大きな松ぼっくりを拾って、溜まったのを玄関にオブジェとして飾っているのだが、それはせいぜい10cmぐらいなのだ。それに引き換えヒマラヤスギのはその倍の大きさである。パイナップルのようで、事実「松のリンゴ」と名付けられた果物の由来が分かる気がする。尤も、それは味がリンゴのようだから見かけと味をからませてパイナップルと名付けたのだろう。実際はヒマラヤスギは杉科ではなく松科の一種なのだろう。レバノン杉も同様のようである。2.ヒマラヤスギ(30年も伸び放題になったヒマラヤスギ) そういえば日本に輸入される北欧材の杉もどうもそのような気がする。建築用材でよく使われる米杉(べいすぎ)も杉の代用品として使うが、原木を見るとまるで松である。製材された用材を見れば、シラタはまだ良いが、芯の赤身が直ぐに黒くなるので嫌われる。数寄屋建築で鴨居に赤杉を使う処を材木屋が代用品として米杉の赤身を持ってきた事があった。代用品として試しに使った処、二年もしない内に黒ずんで来て、クライアントから相談を受けた事があった。最初に米杉の性質を説明してあったからクレームにはならなかったが、矢張り長年使ってきた材料に負ける事をまざまざと見て、使う場所を考えなければ駄目だと思ったものだ。3.ヒマラヤスギ(山にかえった状態のヒマラヤスギ。松ぼっくりが見える) ところが、昨年、吉野の材木屋へ見学に行った折、米杉が化粧材として売られているので不思議な気がして訊ねると「金額の関係で最近はよく使われています」との事だった。しかし、吉野杉も最近では需要が落ちて安くなってしまい「輸入材とトントンです」とも言っていた。但し、色を気にしないクライアントは長尺物の特性を生かして米杉を多用するそうである。時代も変わったものである。尤も、数寄屋建築では矢張り内地材が主流である。というのは、外材では内地材のような木目の細かさや照りや粘りが見られないからだ。矢張り長年愛され多用されてきた用材にはそれなりの良さがあるのだ。吉野の材木屋はそれを言いたかったのだろう。、4.ヒマラヤスギ(伸び放題で、我が家のヒマラヤスギの倍の高さになった) しかし、業者がそれを言えば商売がらみと見られるので我々設計者に言って貰えれば世間の目も納得してくれると期待している風だった。住宅着工件数が年間100万戸から120万戸もあった時代が昔話になるほど70万戸代に落ち込んでしまった今では悲鳴を挙げて何とか使って欲しいという目をしていたのが印象的だった。これからは若手の建築家も木造建築に着目して頑張って行くだろうからジワジワと需要も増えて行くのではないだろうか。但し、数寄屋建築は次第に贅沢の域に入ってしまいそうだから尻すぼみになり、新感覚のモダーンなデザインで普及する事になるだろう。其処には当然ながら空調も取り入れた安くて住み易い近未来型になる筈だ。5.ヒマラヤスギ(ヒヨドリが時々やって来て、辺りを見回して行く) ふと見ると、ヒヨドリがヒマラヤスギの梢に来て辺りを見回している。時々来ては周辺のクロガネモチの赤い実の食べごろを図っているのだ。同時に南天の赤い実も狙われ風前のともし火だ。正月まで何とか持ったのだから、そろそろ食べごろだろうし、天の恵みだから許してやろうと、ボクがその気で居ても、ココは闖入者に対しては厳しい。ヒヨドリもココの存在を知っていてココの居ない隙を狙って来るだろう。ヒヨドリと言えば源平合戦で奇襲攻撃を掛けた義経の鵯越(ひよどりごえ)辺りも今頃はヒヨドリが多く舞っている筈だ。そこを神戸電鉄で通ったのが懐かしい。その先にある三木・西脇などの市役所へ建築の事前申請の相談に何度か足を運んだ事があった。もう10年も前の事になる。早いものだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/09
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この5年のココ(2) 最近のテレビを見ていると愛犬家よりも愛猫家の方がよくインタビューを受けているように感じる。勿論、愛犬家の方が圧倒的に数が多いから今さらインタビューして犬を紹介する必要も無いのだろうが、注意してみると犬は全体的に小さくなってしまっているのに気付く。だから大型犬を探すのに苦労する程である。昔はシェパードやコリーやダルメシアンという外国産の大きな犬を散歩させている風景を見かけたものだった。たまに土佐犬とかチャウチャウ犬なども見かけたが最近では殆ど見掛けず、パピヨンやミニ・ダックスフントのような小型犬ばかりである。流行りだから仕方が無いのだろうが、昔流行った小型犬のスピッツなぞ全く見かけない。1.COCO(正月休みの食卓でボクに抱かれたココ) 猫は、海外のものが増えた。一番多いのはアメリカン・ショートヘアだそうだ。うちのはアメリカ産のラグドールで、順位としては10番目位である。ラグドールはぬいぐるみという意味で長毛だから普通でも肥って見える。尻尾も太くフサフサとしている。子供の頃は毛も短くイタチのように細いのだが、長毛になるにつれコロコロと丸く肥って来る。うちのココはその上によく食べるので本当に肥っているから、ダイエットの心配をしながら餌を与えている。美食家で我々の食べ物を美味しい物と信じているから餌を与えた後も食卓の下でお下がりを待っている。腹が減っているからではなく人間の食べている物に興味があるのだ。2.COCO(よく肥った現在のココ) 餌の時間は昨日書いた通りで、お八つも入れると3時間おきに与えている事になる。暇なときは良いが、忙しい時は6時間ほど与えない時もある。家族全員が外出している時は餌は多い目に皿に入れておく。皿は原則は家の中に置くのだが、家族全員が居ない時はココも外に出ているから前栽に近い勝手口辺りに置いておく。家の中に入れっ放しで出かけると、外に出られない欲求不満からテーブルの上の物を撒き散らして発散するから外に出すようにしている。外と言っても家の周りに居るから留守番役のようなものであるから帰宅する車の音でガレージに飛んでくる。屋根伝いに来てガレージのポリカーボネイトの屋根にドンととび降りる大きな音でココが来たのが分かる。3.COCO(生後4カ月頃のココ) ポリカーボネイトの屋根は美観上余り好きではないのだが丈夫だから辛抱している。ガラス屋根だったら、ココの飛び降りる衝撃でとうに割れていた事だろう。以前は隣家のアメリカン・ショートヘアのモモが其処に居た。ココがやって来てテリトリーが入れ替わったのだ。それにモモは10年以上になるから老女になってしまっている。世代交代がココが来て2年目ぐらいで起きたのだった。どちらも雌猫で体長は雄よりも小柄だがラグドールの方がアメリカン・ショートヘアよりも少し大きい。その上、ココはよく食べて肥り、モモは一回病気したのかげっそりと痩せてしまったので比較すれば見かけだけでココに圧倒されるようになってしまった。4.COCO(避妊手術の後のエリザベス・カラーを付けたココ) それでも一時はモモの気性の荒さが出て、我が家の庭で遊んでいたモモを何気なく捕まえようとした途端、ガブリと手を噛まれて甲から血が出た事があった。ココばかり可愛がるので腹を立てていたのだろうか。直ぐに消毒して赤チンを塗っておいたから化膿しなかったが、それ以来、ボクとの関係は気まづくなってボクの顔を見れば逃げ出すようになってしまった。そうなればもうココの天下で、ココのテリトリーはグンと広くなったのだった。その頃から隣家はモモの応援団のように小型犬(パピヨンとミニ・ダックスフント)を飼い始め、垣根越しにボクやココの雰囲気を感じるとキャンキャンと吠えるようになった。5.COCO(子供の頃の細かったココ) ココは犬連中がうるさいので垣根を通る時は小走りになる。だから余計に首のベルが小刻みに鳴るので犬共は気付いて亦キャンキャンと啼くのだ。うがって考えればココが犬連中をからかっているようなものだ。ボクと言う大きな後ろ盾が居るのだから怖いもの無しなのだろう。それなのにボクに抱かれるのを嫌がる。モモもそうだったがココも人に抱かれるのを嫌がる。モモの教育なのか、それとも小さい時にモモを見て育ったから真似ているのかも知れない。尤も、夜寝る時は大人しくボクのベッドの中で朝までジッとしている。その代わり潜ってばかり居れば暑くなるので顔だけは布団から出している。そして早朝に起き出し、腹が減った事を飛び回って知らせるのだ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/08
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この5年のココ ココが我が家に来て早6年が経ち、完全に家族の一員になっている。正月は何処にも出かけずに自宅に居たから終日ココの顔を見ながら過ごす事になった。ココは早朝から餌をねだり、昼にはお八つを、3時には夕方の餌を、6時にも、寝る前にもお八つをと最低5回はツナ缶、カリカリ(乾燥食材)、煮干し雑魚等を求めるから一日が直ぐに過ぎてしまう感じだった。五日に仕事始めに出かけ、昼過ぎに帰宅するとガレージに迎えに出て、家の中では走り回って喜ぶ有様だった。出かけていた餌番が戻ってくれたという安心感なのか、それとも御主人さまの顔が朝から見られなかった不安からなのか、背広から普段着に着替えている間もついて回るのだった。1.COCO(1年目) 息子が仕事先から帰ってくる時もココは玄関に迎えに出る。そんな具合だから息子も、この頃ではココの事が可愛く気になるらしく、ボクの居る書斎から出てこない時なぞ気になって、そっとドアを開けて覗いてみたりする。ココは、餌を食べてしまうと直ぐに外へ出たがるから家人が勝手口から出してやるのだが、戻って来る時は決まって二階のベランダから息子の部屋を通って降りてくる。息子の姿を見ながらベランダのガラス戸の向こうで「ニャア(開けろ)」と相図するらしい。そうする事で息子の機嫌を取る手段になる事を知っているのだ。息子は喜んでか嫌々なのか、その都度開けてやっているから満更でもないようだ。2.COCO(2年目) ココは妻にも御機嫌を取る。台所で夕食の支度をしている妻の足元にまとわりついて何かを求めるのだ。家族(人間)が食べるものは絶対に新鮮で美味いものだと信じているから何でも美味そうに見えるらしい。刺身や焼き魚の臭いがすると、調理台の腰壁に前足を掛けてピョンピョンと立ちあがってねだるゼスチャーをする。調理台の高さ(95cm)なぞ直ぐに飛び上がれるのに上がらないのは叱られるからだ。流しの横の出窓に乗っても叱られるので何とか調理中の料理を見ようとウロウロと動き回り、少し離れた椅子に乗って眺めたりもする。それを意識する妻も面倒臭くなって蒲鉾の切れ端を与えたり、汁ものの出汁雑魚を与えたりする。3.COCO(3年目) 要するにココは少しでも良いから我々の食べ物が食べたいのだ。朝はボクの食べているバゲットのサンドイッチを欲しがる。朝食時にいちいち構って居られないから素知らぬ顔で食べていると我慢が出来ずに前足をボクの膝に掛けて催促する。サンドイッチを手でちぎって与えても食べないから食べているものを口から少し手に出して与えるのが習慣になってしまった。すると美味そうに食べるのだ。腹が減っているからではなくボクが食べているものが欲しいのである。それも少しだけで充分で、二口ほど食べれば満足して勝手口の方に向かって行く。そして手前でジッと戸が開けて貰えるのを待っている。妻は直ぐには開けてやらない。、4.COCO(4年目) ココが外へ出たがるのが分かっても直ぐに戸を開けてやるのが馬鹿馬鹿しくなるのだろう。「ココちゃん、開けて欲しかったら啼いて合図をしなさい」と何度も妻が言うのだが一向に啼かない。開けて貰えるのが当然と想っているから根気よく待っているのだ。その点ではココの方が上手だ。書斎ではボクも開け役で、二階では息子がと、其々ココに使われている。勝手に自分で開けて出入り出来る小さなスイング・ドアを取りつければ良いのかも知れないが、外気に面するドアは用心が悪いのと隙間風が入るので取りつける気は無いのだ。が、ボクの寝室のドアには20cm角のスイング・ドアを取りつけてある。ココが夜中に隣の自分の部屋へ用便しに行く為である。5.COCO(5年目) そのスイング・ドアがあるお蔭でココは夜中に勝手に出たり入ったり、階下に下りたりと階段を行き来している。寝る前に階段下に餌皿を置いてカリカリを一スプーン分入れておき、ボクは先に二階へ寝に行くのだ。食べ終わると二階のボクの寝室に来て椅子の上で眠る。寒い時はベッドの足元に入って来る。朝はボクを起こすか息子の部屋の戸が開くのを待っている。早い方が朝のツナ缶を与える事になっているから、ココはボクでなくとも息子にも御機嫌を取るようになった。家族全員が餌番のようなものだから、順位としてはボク、妻、息子と決めているようだ。餌がペットと人間を繋ぐ絆になっている感じである。単純なものである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/07
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仕事始め 仕事始めで大阪の事務所へ出勤した。7時半の電車に乗れば8時半には事務所に楽に着く。電車はラッシュという程ではなかったが大阪に近づくほどに混んで来て、ターミナル一つ手前のJR駅との交差駅で乗客の殆どはJR線か別方面の線に乗り換える。だから終着駅では電車の出入り口だけが混む状態だ。ターミナル・デパートは10時開店だからそちらは人がまばらで、改札口付近の客の半分は地下鉄方面に向かい、他はターミナル付近にある会社へ向かう。多分、8時半始まりの会社が多いのだろう。ボクの事務所もターミナルの近くだが、歩いて10分程の処で9時始まりだから途中でコーヒーを飲めるだけの余裕がある。しかし、何時も素通りである。 最近は外でコーヒーを飲む事が減った。大体、独りで喫茶店に入るのが嫌いだからだが、誰かと一緒の時とか打ち合わせ、更には昼食後のコーヒー程度でしか入らないのだ。しかし、かつては大阪から電車に乗って京都の行きつけのコーヒー・ショップによく行ったものだった。余程暇だったのだろう。それを常連客から「贅沢なコーヒー」とか「優雅なコーヒー」と冷やかされたものだった。何か気分がむしゃくしゃするとか落ち着かない時に行った。行き帰りの時間を入れると3時間のロスを仕事もせずに費やした訳だ。それで仕事が滞ったとかチャンスを逸したという事はなかった。仕事の目処がついている時にしか行かなかったのもある。 京都の行きつけのコーヒー・ショップのようなレトロな雰囲気の店が大阪には無いという理由もあった。コーヒーの味は、今は何処でも美味くなったから味に惹かれて行く店なぞ独身時代にとうに卒業してしまって、今では自宅で自分で立てるコーヒーが一番美味い。だから店の雰囲気だけで選んだり、誰かと一緒の時だけに限られるようになったのだ。余程、喉が渇いた時は、自動販売機で和茶かスポーツ・ドリンクを買って飲む。余ればショルダー・バッグにも入るから気にする事も無い。そういう時代になった。ゴルフでも途中の茶店にも入らなくなって、ゴルフ・バッグから和茶かスポーツ・ドリンクを飲んでいる。 昔はよく途中でビールを飲んだが、スポーツをするのにビールを飲むナンセンスに気付いてからは止めてしまった。遊びと考えればこだわる事もないのかも知れないが、自分で車を運転しているのだから不謹慎というか後ろめたさもあった。矢張り、ビールはビヤホールで生ビールを飲むに限る。ドイツの金持ちは、ビール工場から専用の配管をして生ビールを送って貰うというが、それはパ-ティー用の事だろう。水道のようにメーターが付いているのだろうか。面白い話である。確かに工場直送のビールは美味い。だからボクはビール・メーカー直営店のビヤホールで飲むのが好きだ。満員の時は立ったまま独りでも飲んだものだ。 立ち席の場合は、無料サービスとして備え付けられたビール樽のテーブルのピーナツをアテにして飲む。テーブル席が空けば、そこへ移って料理を頼んだりもする。それは夏場に限らず冬でもそうしたものだ。日本では仕事中に飲酒する事は不謹慎とされるが、最近では昼食時に軽くコップに一杯程度飲むサラリーマンも居るようだ。午後なら許されるのだろう。勿論、顔に出たり酔う人は駄目だ。接待で食事時にビールを飲むのと同じ理屈だと想えば分かり易い。しかし、こう世の中が不景気になるとそんな余裕も無いだろう。不甲斐ない政治家が跋扈する時代は息苦しく詰らない世の中だ。学生運動家が、そのまま政治家になったせいもあるのだろう。 さて、仕事始めだが、今年最初の打ち合わせ会議で不景気の対策や目標を話し合ったものの、昨年の忘年会で言った事と同じだから簡単に終えた。ボクは午前だけで終えて事務所を出、ターミナル・デパートで何時ものパン屋で食パンとバゲットとベーコン・エピを買った。ついでに古くからある銘菓の饅頭も買おうとしたが、何故かターミナル・デパートには売って無くて、ブラブラと歩いてひと駅隣の銘菓直営店まで買いに行った。勘定の際、財布からスタンプ・カードを出すと上手い具合に一杯になり「何処のお店でも500円のサービスをさせて頂きます」と戻してくれた。気分がよくなって再び事務所に戻り「皆の茶菓子として」と饅頭を渡しておいた。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/06
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年頭の誓い 今年から年頭の誓いは止めにした。出来る出来ないの問題ではなく、毎年のように「こういう事をやってみたい」と自分を律する事がナンセンスに想えたからだ。例えば禁煙があった。結婚して翌年の春に子供が生まれる事になって正月に禁煙を誓った事があった。子供にニコチンの悪影響が出るのが嫌だったからだが、その前に妻が「煙たい」と言ったのが気になって「この際、止めてみるか」と想ったのがきっかけだった。正月に親戚が遊びに来て来客用の煙草を1カートン買っておいたのが半分ほど余った。それを禁煙を始めるには先ずこれを処分すべきだと朝から続けて全部吸ってしまった。お蔭で口の中はイガラくなってしまった。 ボクの禁煙はその翌日から始まったのだった。最初の一週間は無事に吸わずに居られた。しかし二週目からは同僚がボクの禁煙を知って、いたずら半分に妨害するのだった。それでも誘惑には乗らなかった。ひと月、ふた月と経って行き、半年ぐらい経つと自分から吸いたいとは思わなくなってしまった。そして36年が過ぎた。それまでのヘビー・スモーカーが嘘だったような気になったものだ。かつてロンドンのダンヒルからパイプ・カタログを取り寄せたり、香港で買ったりしたダンヒルのパイプを惜しげもなく全部バーのマスターにプレゼントした事もあった。他人の煙が煙たく感じるようになってしまったのだった。 新幹線でも禁煙が当たり前になり、世の中が喫煙者に冷たくなった。ボクは時代の先端を行っていたのだ。しかし、振り返ってみて禁煙して良かったのかどうか分からない。別に煙草の害があった訳ではなかったし迷惑も掛けていなかった。パイプの香りは癖があるから嫌がる人の前では吸わなかったし、シガレットも廻りの雰囲気を見極めて吸っていた。いわば紳士のマナー程度の事はしていたのだった。煙草は止めたが酒は止まらなかった。別に禁酒をした訳でもなかったから好きなように飲んでいたし今もほどほどに飲んでいる。止めなければならない理由もなかったからだが、人々がわざわざ禁煙や禁酒を誓うには健康的な理由があるからだろう。 そうでないのに止める誓いを立てるというのはナンセンスだ。ボクは何事もそういう風に考えるようにしている。だから「よく禁煙が出来ましたネ」と言われても別に何とも思わない。止めたいから止めただけの話なのである。しかし、是非これを止めなければとか実行しなければという自分を律する事は意味が無いと思うようになってしまった。山歩きもそうだ。歩きたいから歩く、唯それだけで良いと想うのだが、誰かを誘ってとか仲間と一緒でないと歩けないというのがボクには分からないのだ。二年前に止めた山歩きも、たまたま突発性難聴になった為に中止したまでの事で、最近、亦気の向いた時に独りで歩いても良いなと想っている。 ゴルフもそうだ。昨年、10年ぶりに再開して月例会にも参加するようになったのだが、飽くまで趣味の世界の事で自由参加だけに勿論強要されてするものではなく気分次第で決めようと想っている。月例会というのも半ば強制的な面があって気分で決めれば良い筈のものが仲間と変な約束をしてしまうから行かねばならない気分になってしまうのだ。出来れば、午後からでも行ってプレイしてみようかという自由度のあるゴルフをやりたいものである。その延長でボクの仕事(設計・監理)もそうあれば言う事は無いのだが、仕事は相手がある事だからそうも行かない。完全にリタイアしているのなら別だが、生涯現役が理想だから半ば強制されるのだ。 その他にも、年頭の誓いになるような事は何も誓わず、やりたければやり、やりたくなければやらないという風にするのが良い。人生、60年以上もやって来て今さらこうあらねばならないなぞと想うのは余程意志の弱い人のやる事だ。そういう風に誓いを立てて自分を律するのは勝手だが、それで自分を追い込まないと出来ないような事なぞ、どうでも好い事なのかも知れない。好きこそものの上手というように勝手に身について行くものが本当の当人の為のものなのだろう。自由人というのは自然のままに生きるという事だから昔の宗教家や哲学者のように自然の空気を読んで、決して逆らわず飄々と生きる事こそボクの理想とするところである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/05
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正月三が日風景 20年ほど続けていたホテルでの年末年始の生活を止めて10年近くになるだろうか。正直なところ飽きてしまったのだ。世間で流行り始めた頃には厭になるという事もある。それに近所に住む親が亡くなってしまえば年末年始の行動を一緒にしなくても良くなり、逆に昔のように自宅で正月を過ごすのも好いものだと見直した事もある。案外のんびり出来るものなのだと想った。確かにホテルに居れば家事からは解放されるから女性(母や妻)へのサービスにはなる。その代わり男にとっては退屈で、初詣や観光で時間を潰すしかない。考えてみれば20年もの間よく続いたものだと想う。お蔭で関西の著名なホテルは殆ど泊った。 遠くは志摩か白浜辺りで、近場では大阪・京都のホテルだった。夏の家族旅行とは亦違う味わいがあって、よく知っている積りの土地でも、改めて観光客の振りをして巡ると新発見があるものだった。その代わり、途中で知り合いに出会うと旅行という気がせず白けたものだった。遠くへは疲れるので近畿圏のサービスの徹底したホテルが一番望ましいのだった。しかし、慣れてしまえば何処も同じに想え、退屈に成り出し、20年目辺りが限界だったのかも知れない。そしてデパートから取り寄せたおせち料理での自宅での正月がこの10年ばかり続いて来たという流れとなり、静かな三が日を過ごす事となったのだ。 年末年始の帰省ラッシュのニュース映像を観て「嗚呼、もうああいう経験をしなくて好いのだ」と想うようになって久しいのに、今でも時々そういう気持ちになる。東京へ単身赴任をしていたサラリーマン時代の事を思い出す度に嫌な気持ちになってしまうのだ。そこには懐かしさも多少はあるものの日本の経済構造が東京中心になっている歪をもろに体験させられた一人として苦く思い出すのだ。ところが、その頃の同僚から今も来る年賀状を見る度に苦しみよりも懐かしさが勝つのはどうしてだろう。多分、同僚も同じ想いだったのだろうと想うと一種の戦友のような気分になるのだろう。孫に囲まれて好々爺然としている光景が想像できる。 ボクなんか未だ孫どころか結婚もしない一人息子が居て、正月三が日は学友と飲みまわっているありさまだ。この分だとあと数年は無理だろう。最近は、そういう若者が増えて、妻の友人の子女なんかも同様だと聴く。結婚して安サラリーの生活よりも親元に居て気楽にしている方が良いとする若者が増えているのだ。情けないというか親が死んでしまえばどうするのだろうと思うが、死ねば遺産相続して独身でも良いのだそうだ。金なんか使ってしまえばあっという間に無くなってしまうものなのに分からないらしい。其処まで親が心配しても始まらないのだが、その時はその時と能天気に暮らせる神経が羨ましい。若者は若者なりの打算なり計算があるのだろう。、 そういう現象は日本だけでなく中国でも同じだそうで、一人っ子政策で更に問題は深刻なのだという。彼らは大事に育てられ甘やかされている上に高学歴だけに額に汗して働く事をナンセンスと考えるそうだ。勿論、全部が全部そういう訳ではないのだろうが、何せ人口が日本の10倍だから若者層の人口も半端ではない。大学は出たけれども職が無いという現象は日本と同様だが、なまじ金があるからあくせく働く気にならないのだ。大学院に残って研究すれば良いとは言うものの無給でゴロゴロと博士号やその卵が居るのに生産性が無いのだから戦力にはならないのである。そういう連中は命令されるのが嫌と来ているから仮に就職出来ても長続きしない。 幾らGDPで日本を追い越し世界第2位になっても後が続かないから直ぐに他所の国に追い抜かれてしまうだろうと言われている。それで日本が安心出来る訳ではないが、他山の石として気持ちを引き締めないと同じ現象のまま日本も沈没してしまうかも知れない。そういう悲観論ばかり考えていても詰らないので正月はもっと景気の良い話でもしたい処だが、ボクなんかは京都人特有の皮肉屋だから残念ながら直ぐにはメジャーな話が出てこない。メジャーと言えば、正月料理を食ってワインやビールばかり飲んでいるから、先ほど湯あがりに目方を計ると2kg増えているのだった。減量を心がけているのにプラス・マイナス3kgから4kgの増だ(反省)。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/04
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年賀状 遅い夕食が終ってから昼間に書き留めておいた年賀状の返信を出しに近所のポストまで歩いて行った。ポストは近くの集会所の前にある。距離にして150m程度である。こちらから既に出している相手からのものが元旦に届いているのが一般的なのだが、出していない相手から来た分の返信を毎年のように数枚は出している。忘れていた訳ではなく、昨年と一昨年に来ていない相手には出していないのだが、一昨年は母が亡くなって一年間は喪中だったから昨年の年賀状は控えていたのだ。そういう事もあって今年は年賀状は予想通り少なかった。それでも長年続いている相手には出すから今年の分が少ないと言っても昨年よりは少しは増えていた。 毎年の事だが、家族の中ではボクが一番枚数が多く、次に妻、そして息子という順だ。今年はボクの減った分が妻の方に回ったような感じで、彼女の方の枚数はボクの半分位までに増えていた。それがお互いの交友関係の数という事である。業務用の方は事務所用の年賀状が出るから自宅用にはカウントしていない。自宅の個人的なのは毎年じわじわと減って行っている。年齢とともに減って行く。もう完全に仕事からリタイアした友人が殆どだから孫の事とか健康についてのコメントが書かれているものが多い。そうなれば暇を持て余した新しい人生の展開になるのだろうが、ボクには孫が居ず、息子が何時結婚するのかさえ目処が立っていない。 だから彼らの仲間入りという訳にも行かないのだが、気持ちは分かる。中でも大病を経験して以来、山歩きやウォーキングを始めたお蔭で健康になったという内容の文面が意外に多かった。昨年の秋に小学校の同窓会に出席して、気の合った仲間で山歩きをしているというのを聴き、一回だけ参加した事があった。が、ペースが合わず疲れてしまった。ペースを合わせるのがしんどかったのだ。大病をして健康回復の為に始めたという世話役が一所懸命に歩く姿が何か無言の行のように見えて、もっとリラックスして、だべりながら歩く会だと想っていたボクが間違っていたのだ。ボクの身体がなまっていてペースを乱されたのだ。 山歩きはボクの方が経験者なのだが、この二年ばかりやっていないので足腰が弱っていたのだろう。若い頃は日本アルプスを歩いたものだったが、社会人になってからはもっぱらゴルフと水泳ぐらいが運動だった。しかし、それさえも最近10年ぐらいブランクがあって、健康の為に4年ほど前から始めた山歩きも、やりすぎたせいかどうか分からないが、突発性難聴になって二年前から止めていた。何でもやり過ぎは危険である。原因が分からないものの突発性難聴になってからは用心深くなったせいで身体がなまってしまった。亦、ボチボチ山歩きを再会しようかと想っている。ゴルフの運動と併用すればやり過ぎる事もないだろう。 要するに自己管理は自分のペースを守るという事だから自分の納得いくやり方が良いのだ。自分の健康管理を人に合わせてしまうのはペースが合わなくなって当然なのだ。息子が小学生の頃、ボーイスカウトに入らせ、デン・ダッド、デン・マザーとして夫婦して山登りに参加した事があった。ところが、妻のペースが皆と合わず、遅れ遅れになりながらもボクがサポートして何とか登り切ったのだった。ボクは経験者だから好いとしても、ロクに運動もしていない妻が同じように参加したのが間違いで、彼女は「死ぬかと思ったワ」と言うぐらい大変だったようだ。以来、山登りは絶対に行かなくなった。自分の分を知って行動しないと大変な目に逢う。 逆に、なめて掛かると大変な事にもなる。昔の経験があるからといって実践する高齢者の山歩きで、よく遭難者が出るのはそのせいである。これからは団塊の世代がドッと山歩きに参加するから社会問題にもなるだろう。ポストに投函して戻り始めると、部屋で寝ている筈のココが迎えに来ていた。「おや、ココ、どうした?」と声を掛けると一緒に歩き出した。家まで戻ると家人がニヤニヤして「ココちゃん、待って居たでしょ?」と言う。ボクが家を出ると慌てて家人に「出して頂戴!」と啼いて回ったそうだ。それで出してやったという。てっきり家の前で待っていると想っていたそうだ「へえ~、ポスト辺りまで行ったの?」と驚くやら感心するやら。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/03
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夢 夢で目覚めた。未だ暗い。時計をみれば4時だ。トイレに立った。ガウンを羽織って階下のトイレに立つと冷気が襲ってくる。ベッドの温もりが身体に残っているから寒くはないが、長引けば寒くなる寒さだ。終えると直ぐに戻ってベッドに入った。矢張りベッドは温かい。冷えた身体を温めている内にトロトロと眠りに入りそうになって夢の続きが亦始まった。夢を観ているのだという考えと、そんな覚めた考えよりも夢の中に溶け込みたいという気持ちが入り乱れている。夢は大学の同窓会だった。大学の同窓会なんか行った事もないのに何故見るのだろう。しかし、何処かの料亭で先輩達ばかりが居る。ボクは最年少だ。 そういえば以前に同窓会ではないが、学科の中で作られている同窓会のような会に一度出た事があった。建設会という会で、教授になったり役人になったり大手のゼネコンの部長になっている連中が会を仕切っていた。其処へ新参者のボクが出席して先輩にお酌をしているのだ。同級生も数名居たが、テーブルは指定席になっていて最年少者は独りだけ配されていて先輩ばかりなのだ。先輩といってもボクの仕事とは関係が無い人々ばかりだった。というのは土木工学科だから建築の道に進んでいる者はボク一人だけなのだ。各テーブルには母校の教授や助教授、助手が居たり、その次に他校の教授が居たり、建設省(現在の国交省)の役人や都道府県の役人が居る。 ゼネコンの部長連中が居るものの役人と会社人間とはほぼ同数で、サラリーマンの方が下位に居る感じである。ボクなんか異端児なのか同じような設計事務所の人間なぞ一人も居ない。どんな話をしているのか聴き取りにくいが、学生時代の思い出話が中心で、とうとう寮歌まで歌いだすテーブルまである。当然、時代が違うからボクなんか寮歌なぞ知らない。校歌さえ忘れてしまっているのだ。聴いていると何処かで聴いたような歌だ。全国的に何処も似たような節回しなのだろう。20年ぐらい前まで、テレビで寮歌祭というのがあって好い年をした男達が大声を張り上げて歌っていた。最近は殆どそういう年配者が亡くなってしまったのか放送されなくなった。 タイム・スリップしたような宴会にボクは居るのだ。ふと気がつくとボクは別のテーブルで飲んでいた。話の聞き役だが、結構ボクもしゃべっている。其処へ「なんで建築技術者は現場で先生と呼ばれるのだ?俺たち土木技術者は先生とは呼ばれた事がないのに」と尋ねられた。「さあ、どうしてか知ら。多分、教える事が多いからでしょうな」「俺達も教えているのに、そう呼ばれないぜ」ボクの答えに反論する意見が出たものの適当な答えが見つからず「まあ、話は変わるけれど、先生と呼ばれて気にしている内は本当に先生になり切っていないという事さ。呼ばれても当然と思うように成るまで経験が要るようだ」とボクは応えた。、 それで納得したような顔にはならなかったが、酔っているから出た言葉なのか、土木と建築の違いを殊更意識しているのか、それともボクへの当て付けなのか様々な場合を考えてみたのだった。この会の中にヒエラルキーがあるとすれば、役人の上に教授があり、役人の下にサラリーマンがある事になる。そういう序列を意識する会なぞ馬鹿馬鹿しくて出られないなと想った。そしてそれ以降は連絡があっても出席しなくなってしまった。そういう会を思い出して夢に見たのだろうか。それとも現実の社会構造がそういう風になっているのを皮肉っているのだろうか。そういう事なら教授や役人の上に立つ国会議員の方が偉いという事になるのだろうか。 夢はその辺りで終わったのだが、昨年の秋にあった小学校の同窓会旅行を思い出し、バスの中で近況を訊かれ「未だ現役だヨ。建築家だから年齢制限が無いから」と応えた。感心したり驚いたりの声が挙がる中で「あらゆる階層の人々と話をする仕事だヨ、例えば大臣とか役所の人間とか教授とかネ」と付け加えた。すると横から「紙と鉛筆と、しゃべって幾らという商売だな」と言う声がした。そして「多くの若い子を使って描かせてピンはねする商売さ」と言う声もした。ボクは笑いながら「まあ、そんな処さ」とニヤニヤしていたが、考えてみればその通りなのかも知れない。若い所員にキャドで図面を描かせ、クライアントや役人にそれを元に話をしているのだから。新年早々、変な夢だ。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/02
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新年の御挨拶 皆様、明けまして御芽出とう御座います。今年も皆様の御多幸を願いつつ、どうぞこのブログが倍旧の御贔屓にあずかりますようにと、お願いする次第です。 KenMae こと マイケル さて、此処から「ますです調」から何時もの「である調」に替えるとして、今年こそは良い年になるよう願いたいものである。しかし、今年も世界情勢は悪く、日本もご多分にもれず不景気風は相も変わらず吹き荒むと予想される。いや、昨年よりももっと悪いという観測まである。しかし、そんな悪い予想ばかりしていても仕方がなく、一人一人が最善を尽くして一所懸命に頑張れば何とか成るだろうという希望を持ちたいものである。人生は演劇やマラソンによく似ていると言われる通り、演出が必要であり、山あれば谷もあり平坦な道ばかりとは限らないし起承転結の繰り返しなのだから決して諦めて投げては駄目だと自分に言い聞かせ人生の目標に向かって行きたいものである。 その為にも、昨年の暮れに大阪の事務所のスタッフで忘年会をし今年の目標を立ててみたのだった。それは余り芳しく無い事ばかりだった昨年とは違って、今年は何とか光明が見え、皆を安心させる材料で励まし、方針を説明したものだった。具体的には現在進めているマンション計画も何とか確認申請の段階に差し掛かり、2月下旬か3月上旬には着工できそうな事、これまでの引き渡し実績のあるマンションで古くなった住戸のリノベーションに専属で取りかかる不動産業者の営業担当が出来、大手のゼネコンによる協力体制が出来た事、更には1年後に迫った大型プロジェクトの某駅前再開発の編成チーム(スーパー・ゼネコン、商社、設計事務所)が正式に決まって覚書を交わした事等だった。 要は、願望を持つだけではなく、具体的な行動を如何に実行し、やる気を出すかの問題で、スタッフの緊張感を鼓舞する為のものだった。ボクなんか半分リタイアしたような人間だが、若いスタッフはこれからの人生を抱えているだけに彼等が如何に自分の人生を全うできるかの進路を暗示させる責任がボクにはあるのだ。それは単なる仕事仲間といよりも一期一会で知り合った仲間という現実をお互いが自覚を持って見つめ合い協力し合いながら同じ仕事をすると言う事である。しかし、少なくとも若いスタッフは息子のような年齢だけに年長者のボクがリーダーシップを取って牽引しなければ、どうしても現実と理想との乖離(かいり)にぶち当たってしまうだろう。 かつてボクが若い頃、同じ事で悩み苦悩して来た事を彼らも経験している筈だ。現実が思い通りに進まないジレンマに陥って仕事を投げ出したくなる気持ちになる場合もあるかも知れない。しかし、それは自分との戦いである事を自覚しない限り、上司が幾ら口で説明しても分からないだろう。巣の中の鳥のように口を開けて親鳥が運ぶ餌を待っている訳には行かないのだ。そういう現代社会の厳しい状況を自覚し、どうすれば自分の思い通りに生きて行けるかを考え行動するかを模索する事こそ基本だとボクは想うのだ。自分の夢の為に安易に身を売ってはいけない。人間は喰う為にだけ生きているのではないという事だ。 最近では若者もしっかりしている。ちゃんと合理的な生活設計もしている。中にはチャッカリした者も居て大人顔負けというのもある。しかし、惜しむらくは頭でっかちが多すぎる。それは経験不足から来るものだから仕方がない面もあるが、ボクなんかの経験者から言わせれば、人生は一度しかないのだから安易に楽な道ばかりを選んでいると自分の理想とする生き方が出来なくなってしまうという事だ。そんな事はないと想うだろうが、人間は偶然上手く行くと、ずーっとそれが続くと思い込んでしまうものなのだ。大人でさえそれで失敗をする。廻りを見ても夜逃げをする商売人は後を絶たない。それを見て、安易な計画だと言うのは楽だ。 「人の振り見て我が振り直せ」とは自分への戒めの言葉である。かと言ってビクビクしていては何も出来ず想い切った行動も取れない。一か八か想い切る事も必要だ。心に秘めた大事な事の実現の為に仮初めの姿で頑張っていても恥ではない。最後に笑うものが成功者だと想えば良いのだ。他人は好きな事を言う。やっかみもある。時として「他山の石」ならぬ「隣の芝生」に見える事もあるだろう。今年の目標として、ボクはそういう事を若いスタッフや出会う若者に言って廻りたいと想っている。半分リタイアした人間だからこそ出来る事なのだ。そういう意味で、未だまだ老人会のメンバーとして遊んでいる暇はないと年頭に想ったりするのである。←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!
2011/01/01
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