KIROMERU’s Web MOVIE&DRAMA@CINEMAD

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January 13, 2003
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カテゴリ: CINEMA関連
また日本が誇れる映画人が亡くなった。

『バトル・ロワイアル2』の製作発表の際に骨癌をカミングアウト。
「燃え尽きたら燃え尽きた時だ」(会見での一言)
12月半ばにはクランクイン。ドクターストップに目をつぶって撮影に望む。
しかし、映画撮影中の大みそかに危篤状態。息子の深作健太が監督代行に(1でプロデューズと脚本を担当)。
12日午前1時、死去。

30年、水戸市生まれ。53年に東映入社。
61年の「風来坊探偵・赤い谷の惨劇」で監督デビュー。
73年から広島の暴力団抗争事件を題材にとった「仁義なき戦い」は、組の浮沈をかけて命を散らす若いやくざたちの戦いを描いて大ヒット。東映実録路線を打ち立て、「仁義」は5シリーズまで作られる。手持ちカメラによる荒々しい映像と、リアルで激しい暴力描写は海外の監督にも大きな影響を与えた。
70年代後半、「復活の日」「魔界転生」などの娯楽大作を手がける。
「キイハンター」(68~73年)や「傷だらけの天使」(74~75年)などテレビドラマでも独自の切れのいい演出を見せる。
82年、つかこうへいの舞台を映画化した「蒲田行進曲」でキネマ旬報ベストワン、日本アカデミー賞作品賞など各賞を総なめに。
00年、中学生が壮絶に殺し合う姿を描いた「バトル・ロワイアル」。描写の残虐性をめぐり、国会議員までを巻き込んで大きな話題となる。

現代の歴史に見切りをつけて、日本の激動の時代ばかりを描いた司馬遼太郎。彼がが亡くなる直前に遺言のように日本の未来を語っていた。
「次の時代なんか、もう来ないという感じがあるな。ここまで闇をつくってしまったら。ここまでブヨついて緩んでしまったら、取り返しがつかない」

時代がブヨついても、今を描き続けた活動屋「深作欣二」
時代がブヨついても、映画はいつまでも力強くあれ。
撮影所で往生した活動屋の壮烈な生きざま、その執念は忘れることはない。






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Last updated  August 20, 2004 01:14:47 PM
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