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台湾でおいしかった物はいろいろありますが、中でも”寧記剥皮脆辣椒”は絶品でした。 内容説明には”青胡椒”とありますが、青唐辛子のようです。ピリッとして、ごはんやお酒にとても合います。 寧記は会社名のようです。 寧記剥皮脆辣椒
2006.03.31
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サヨンの鐘 「司馬遼太郎短編集」(司馬遼太郎著)と「良寛のこころ」(松原哲明著)を読みながら、台湾の各地を旅した。故宮は見応えがあったし、タロコ渓谷は絶景であった。一番印象的だったのは、台湾東北部宜蘭県の山奥にあるタイヤル族のリヨヘン社の少女、サヨン・ハヨンの話であった。1938年に、当時この地の学校の教師を勤めていた日本人警官のもとに出征の命令が届き、山を下りることになった。引っ越しに村の青年達が荷物運びを買って出て、その中の一人に当時17歳の少女サヨン・ハヨンがいた。その日は悪天候でリヨヘン社から麓まで行く途中の川に掛かった丸木橋を渡るとき、荷物を背負ったサヨンは足を滑らせて川の激流に飲み込まれ帰らぬ人となった、という。他説もあるようである。日本統治時代には愛国美談としてサヨンの村に記念碑と鐘が作られたが、第二次世界大戦後に碑は川捨てられ鐘は撤去された。その後、地元住民によって引き上げられ、新しい記念碑と鐘が建てられた。現在、金洋村を結ぶ橋は「サヨン橋」と名づけられ、武塔村にはモニュメントと鐘を配したサヨン記念公園が作られている。良寛さまには、1828年の新潟三条大地震に関して、「災難に逢時節には災難に逢がよく候」と書いた手紙がある。この点について、以前読んだ本には、末法の時代の災いの必然とあるがままに受け入れることが書かれていたが、松原氏は、良寛の言をすべてよしとすべきではなく、ここは良寛の誤りという指摘がある。サヨンにはいろいろな災いが及んだが、災いについてのどちらの解釈にも理があるように思える。「サヨンの鐘」の作詞は西条八十氏、作曲は古賀政男氏である。嵐吹きまく峰ふもと流れ危うき丸木橋渡るは誰ぞ麗し乙女紅きくちびるああサヨン晴れの戦いに出てたまう雄々しき師の君懐かしや坦う荷物に歌さえほがら雨は降る降るああサヨン散るや嵐に花ひとえ消えて哀しき水けむり蕃社の森に小鳥は鳴けど何故に帰らぬああサヨン清き乙女の真心を誰か涙に偲ばざる南の島のたそがれ深く鐘は鳴る鳴るああサヨン司馬遼太郎短編総集良寛のこころ(松原哲明さんの著作一覧の中に出ています)なぜ台湾はこんなに懐かしいのか私の今回の旅路とよく似ています。
2006.03.30
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