HQ鍛えて幸福家族♪♪

HQ鍛えて幸福家族♪♪

PR

Calendar

Favorite Blog

「恋心」「人魚姫」… 47弦の詩人さん

モンドの親子未来塾… モンド父さん
子供と一緒に成長し… HOT じゃすみんさん
安らぎのクレヨン画 安らぎのクレヨン画家さん
思考を考える(脳と… Shinapseさん
「普通の子」になぁ… happy-miracle123さん
風に吹かれて 唯我独尊7さん
うまい営業・へたな… なにわの進藤さん
『ビジョン実現への… れおなるど・てんぷうさん
~レッツ!スタディ … トコリン3さん

Comments

王様@ 潮 吹 きジェットw サチにバ イ ブ突っ込んだ状態でジェット…
お猿@ やっちまったなぁ! http://feti.findeath.net/q-pg873/ ちょ…
チリチリ@ 次は庭で全裸予定w http://kuri.backblack.net/kbmxua9/ ち○…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…
ヒゲメタボ@ クマたんと呼ばれてます(^^; 最近はこれが流行ってるって聞いたので …

Archives

2024.12
2024.11
2024.10
2024.09
2024.08

Keyword Search

▼キーワード検索

2007.05.04
XML
カテゴリ: 心に残る話
 先月、南紀のバス旅行をした。世界遺産・熊野古道の視察旅行だ。

その道中バスガイドさんより非常に感動的な話を聞いたので紹介してみます。



エルトゥールル号の遭難 

和歌山県の南端に大島がある。その東には灯台がある。
明治三年(1870年)にできた樫野崎灯台。今も断崖の上に立っている。

びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。明治二十三年九月十六日の夜であった。

午後九時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。
灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。
「何か大変なことが起こらなければいいが」

灯台守は胸騒ぎした。 しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、 もう、
何も聞こえなかった。

このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流されてきた。
全長七十六メートルもある船。しかし、まるで板切れのように、風と波の力で
どんどん近づいてくる。
あぶない!灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には岩が
にょきにょき出ている。

ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。

船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。

この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
乗組員全員が;海に放り出され、波にさらわれた。
またある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。
どうすることもできない。波に運ばれるままだった。
そして、岩にたたきつけられた。一人の水兵が、海に放り出された。
大波にさらわれて、岩にぶつかった。
意識を失い、岩場に打ち上げられた。

「息子よ、起きなさい」

懐かしい母が耳元で囁いているようだった。

「お母さん」
という自分の声で意識がもどった。

真っ暗な中で、灯台の光が見えた。

「あそこに行けば、人がいるに違いない」

そう思うと、急に力が湧いてきた。
四十メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。
灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。
顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。
灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。
「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。

「あなたのお国はどこですか」

「・・・・・・」

言葉が通じなかった。
それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船は
トルコ軍艦であることを知った。
また、振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。

「この乗組員たちを救うには人手が要る」

傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。

「樫野の人たちに知らせよう」

灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。電灯もない真っ暗な夜道。
人が一人やっと通れる道。灯台守は樫野の人たちに急を告げた。
灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。
全員傷だらけであった。助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。

この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。
船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。
だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。
目をそむけたくなる光景であった。村の男たちは泣いた。

遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうになった。

「一人でも多く救ってあげたい」

しかし、大多数は動かなかった。

一人の男が叫ぶ。

「息があるぞ!」

だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。自分の体温で
彼らを温めはじめた。

「死ぬな!」

「元気を出せ!」

「生きるんだ!」

村の男たちは、我を忘れて温めていた。次々に乗組員の意識がもどった。
船に乗っていた人は六百人余り。そして、助かった人は六十九名。
この船の名はエルトゥールル号である。

助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
井戸もなく、水は雨水を利用した。サツマイモやみかんがとれた。
漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。
ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。

このような村落に、六十九名もの外国人が収容されたのだ。
島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても、助けて
あげたかった。
だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。
台風で漁ができなかったからである。

「もう食べさせてあげるものがない」

「どうしよう!」

一人の婦人が言う。

「にわとりが残っている」

「でも、これを食べてしまったら・・・・・」

「お天とうさまが、守ってくださるよ」

女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に
食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。
また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。

このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇
に言上された。
明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに
送還なされた。
このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。
日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。

次のような後日物語がある。

イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。
イラクのサダム・フセインが、
「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべて の飛行機を撃ち落とす」と、
無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。

日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。
しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。
空港にいた日本人はパニック状態になっていた。

そこに、二機の飛行機が到着した。
トルコ航空の飛行機であった。日本人二百十五名全員を乗せて、成田に向けて
飛び立った。
タイムリミットの一時間十五分前であった。

なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。

前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった
献身的な救助活動を、
今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」



今の日本人でこの話を知っている人は一体どれだけいるであろう。この話は、

昔の日本人の心のやさしさを知ることのできる素晴らしい話だと思う。最近、

道徳教育は必要ないというような記事を目にしたことがあるが、このような話や

多くのユダヤ人を救った外務省リトアニア領事の杉原知畝の話などは、ぜひとも

道徳の授業で取り上げていただきたい題材である。

人類愛、郷土愛、祖国愛、家族愛を大切にする人間教育こそが今一番大切な時代

ではないか、とこの話を聞いて心の片隅にわいてきた。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.05.04 18:46:33
コメント(4) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


感動しました!  
mayuどん  さん
もう、じーんとうるうる目頭が熱くなりました。
日本人はあたたかい心を持ってたんですね。
今でもトルコの人たちは恩を忘れてないんですね!
私たち日本人は、日本のよさを思い出したいですねo(^-^)o
(2007.05.04 21:27:33)

子ども達に伝えたいです  
mypreschool  さん
拝見していて、そうした先人の行いが現在につながっていること。想いが言葉を超えることを感じました。
是非トラックバックさせてくださいね。 (2007.05.05 14:59:34)

Re:感動しました!(05/04)  
kitamarty66  さん
mayuどんさん

おはようございます。

>もう、じーんとうるうる目頭が熱くなりました。
>日本人はあたたかい心を持ってたんですね。

古来日本人はすごくあたたかい心を持っていた人種だと思います。それがいつの間にやら欧米の考えに巻き込まれてしまったようですね。残念です。

>今でもトルコの人たちは恩を忘れてないんですね!
>私たち日本人は、日本のよさを思い出したいですねo(^-^)o
-----
本当にそう思います。自らが良き日本人として歩んでいけば子どもたちもついてきてくれると信じています。
(2007.05.06 08:11:01)

Re:子ども達に伝えたいです(05/04)  
kitamarty66  さん
mypreschoolさん

おはようございます。コメントありがとうございます。

>拝見していて、そうした先人の行いが現在につながっていること。想いが言葉を超えることを感じました。

私たちもこのようなあたたかい心を持った人間でありたいものですね。

>是非トラックバックさせてくださいね。
-----
ありがとうございます。^^
(2007.05.06 08:12:40)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: