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去る2月25日、歴史秘話ヒストリアで、「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相」が放送された。その中で、御前会議の図や出席者の写真が示されたが、その時には、私には何の違和感も無かった。 しかし、昨日、偶々、手持ちの「鈴木貫太郎 自伝」に目が行き、手にとって見ていると、編者であり貫太郎氏の子息である鈴木 一氏も御前会議に出席したとある。貫太郎氏の耳が遠い為、出席者の発言を傍に居て伝える為である(職名は総理大臣秘書官、ただ、一氏は、それだけでなく、終戦に反対する一部青年将校が総理の暗殺に来るであろうから貫太郎氏の盾となるつもりもあったという、事実、青年将校ならぬ予備役大尉佐々木武雄率いる横浜工専の有志等が鈴木首相宅を襲い、全焼させた。首相は一足違いで避難し、無事だった)。 となると、会議のメンバー以外の一氏の居ない、番組の当該図は、番組の本筋には影響が無いかも知れないが、誤りという事になる。 貫太郎氏が、当初、首相就任を固辞した理由の一つが、耳が遠い事であった。一氏が、会議の場に居ないと、固辞理由は大袈裟で、一氏など居なくても、会議を取り仕切ることが出来たという事になる。つまり、貫太郎氏が嘘を言った事になる。 又、貫太郎氏の耳の遠さを知った人が、御前会議そのものを疑う事になりかねない。とにかく、介護者が居た事は事実だから、書き加えた方が良かった。 ただ、一氏は、「十四日午前二度目の御前会議が有り、再度のご聖断が下り、更にマイクの前に立とうとまで言われた瞬間、参列者は声を上げて泣き伏したと言われる。」と書いておられるので、二度目の会議には一氏は参加しておられなかったのかも知れない。 なお、天皇、鈴木貫太郎、それに、陸相辞任をしない事によって鈴木内閣瓦解を防いだ阿南惟幾の三人が終戦の立役者だと思われがちだが、そのお膳立をしたのは、高松宮殿下、戦犯に問われた近衛文麿、木戸幸一等らしい。
2015.02.28
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終戦前後の大日本果汁は、どうだったのかについて関心を持っていたが、早瀬利之著「リタの鐘が鳴る(リタが始業・終業を知らせる為に、最初はカウ・ベル、後に教会の鐘を鳴らした)」に、それに関する記述が有った。フィクションだとの断り書きがあるが、一九四五年年十月中旬二台のジープが余市に向かったというのは、事実だろうと思う。八月でも九月でもよいのに、十月としている事、一台でも三台でもよいのに、二台としている事、リタの護身用にライフル銃を贈った事等からである。 カービン銃を携行していた事は、或いは当然かも知れないが・・・。 とにかく、彼等の目的は、大日本果汁からウイスキーを調達する事と、ジェシー・ロベルタ・カウン(竹鶴リタ)を庇護する為であったという。 ウイスキーは、ともかく、余市に居る一スコットランド出身女性を進駐軍が把握していたのが不思議である。カウン家からの依頼により、兄弟国であるイギリスからアメリカに一女性の動静を探るよう要請し、アメリカが応じたとしか思えない。 又、大日本果汁は、戦時中、爆撃を受けなかったそうである。上空にB29が一機飛来(戦後、米軍が工場を確認する為だつたとリタが聞いたとされている)したり、艦載機が飛来したりした事は有ったそうである。
2015.02.27
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私は、所謂鼻べちゃ で以って、メガネを掛けていますが、一度、奨められて多焦点レンズを使ってはみたものの、真正面以外がボケるので視野が狭く、見辛いので、境目の有る二焦点レンズにしています。 その場合、鼻べちゃの為、枠と境目が下に下がり、近距離を見る時、遠距離レンズで見る事になり、顎を無理矢理突き出して、近距離レンズで見るようにしなければなりません。 眼鏡屋はつる(テンプル)を短くしようと言いますが、やってみると、眉毛が、枠かレンズに接触するは、まつげまでレンズに接触してしまいます。 そこで、パッド(ノーズ・パッド)に厚いテープを何枚も貼り付けて鼻から枠を離してみると良さそうです。 となると、枠とパッドが一体である枠よりは、枠にクリングスとかいう金具がついていて、それにパッドがついているメガネ枠の方が、クリングスとパッドを調整し、テープ無しで距離を調整し易そうです。 そこで、目下、クリングスとパッドがついた枠にレンズを入れてもらう様依頼中です。
2015.02.23
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深川に用があり、久しぶりに門前仲町で降りた。以前行った時には、大江戸線の門前仲町駅は無かった。平成12年12月12日に開通したらしい。 処で、何故、門前仲町なのだろうと思った。 調べると、菅原道真の末裔とされる長盛法印が京都から江戸に下り、永代嶋(えいたいじま)と呼ばれた砂州であった小島を開拓し、町筋を整えたとされる。長盛は、寛永元年、遍照院(29年後の承応2年に大栄山 金剛神院 永代寺(えいたいじ)と改称)を建立し、寛永4年には富岡八幡宮を創建したとされる。 門前仲町は永代寺門前仲町である。古地図には、永代寺門前町、永代寺門前東町、永代寺門前東仲町、永代寺門前山本町もある。 干拓が難航したため、波除八幡(横浜市富岡、嘗て津波が富岡を襲った時(応長元年5月18日:1311年6月13日)、神社の裏山が集落を守ったという)の別称をもつ富岡八幡宮を分霊したと横浜の富岡八幡宮の八幡宮明細帳にあるという。勧請したのは、埋め立てを命じた徳川家光だと言われている。永代寺には、住職長盛の、砂州の埋め立て(六万五百八坪)の功により二万二千百九十三坪の所有地を賜った。 又、別に、長盛法印が、夢のお告げにより八幡大菩薩を携え江戸に下ったともされる一方、砂村に有った富賀岡八幡宮の「八幡神像」を永代嶋に移したともあり、それは、寛永10年、富賀岡八幡宮(標高マイナス1.9m)の八幡神像が関東郡代伊奈半十郎の家臣興津左衛門により、深川の富岡八幡宮(標高2.8m)へ寄付されたといわれている事と符合する。 京都から八幡大菩薩を携えて来たなら「八幡神像」の寄付を受ける必要も無いだろうし、富岡八幡宮の分霊も必要が無いと思われるが良く判らない。富岡八幡宮という名からは分霊説が濃い気がする。さらに、横浜市の富岡地区は、名の通り、津波で壊滅した長浜とは異なり、やゝ小高い丘(標高6m余、この程度の標高で津波を免れるなら大した津波ではない)になっているが、砂村も深川も丘とは縁遠く、分霊ならともかく、地形からは、富賀岡、富岡等の、岡と名が付く筈が無い。 永代寺は富岡八幡宮の別当寺(神社を管理する寺)として栄え、深川一帯でも指折りの広大な寺院であったが、明治2年の神仏分離令により廃寺。今は無い。現在の永代寺は、旧永代寺の、廃止を免れた塔頭の吉祥院が、後に再興したもの。 永代橋(えいたいばし)架橋は元禄11年故、年代的には、永代嶋->永代寺->永代橋の順である。
2015.02.16
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何故2月11日が建国記念日であるのかを調べた処、日本書紀に「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」とあるからだそうである。 確かに、2,674年前の紀元前660年の年の干支は辛酉であり、その年の1月1日(旧暦)の日の干支は庚辰であり、それは新暦2月11日である。
2015.02.11
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昨夜は、よく晴れて、星が、はっきり見えたので、相対眼位を確認してみた。 メガネを掛けたままで、左目だけで見て、次に、右目だけで見ると、星が右上に移動した。星は無限遠に有ると見做せるので、本来は、同じ位置に見える筈なのに、移動するという事は、両目の眼位が異なるという事だと思う。移動量は左右が、上下の半分位であった。 プリズム入りのレンズを入れて貰う予定なので、出来上がったら、又、見てみよう。
2015.02.10
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後藤さんが、殺害される前、瞬きでモールス信号を送ったと言う説が流れている。もし、そうなら、和文なのか。英文なのか。 瞬きでモールス信号を送るにも、ドットとバーとスペースとが必要である。 私が考えるのに、スペースは、目を開いている時だろう。ドットは短時間目を閉じている時だろう。そして、バーは心持長く目を閉じている時だろう。 そして、見捨てろなら(・・-・- ---・- ・-・-- ・-・-)で、助けるななら(-・ ----・- ・-・-- -・--・ ・-・)だろう。 又、英文なら、文字と文字との間のスペースとそれより長い語と語との間のスペースとが必要であろう。そして、Turn their backs onなら(- ・・- ・-・ -・ - ・・・・ ・ ・・ ・-・ -・・・ ・- -・-・ -・- ・・・ --- -・)で、Do not helpなら(-・・ --- -・ --- - ・・・・・ ・ ・-・・ ・--・)ではないか。 確認の為に、もう一度、例の動画をスロー再生で見てみたいものだ。 なお、これらの例ではモールス符号で送る場合は和文の方が短くて有利だ。 極限状態では、原始的なモールス信号が威力を発揮する事を示してくれた。 モールス信号を使うなら、瞬き以外にも、例えば、正面を向いた時がスペース、右を向いた時はドット、左を向いた時はバーとして情報を送れる。首又は上体の前屈、後屈でもよい。同じく左傾、右傾でもよい。 モールス信号以外では、読唇術というのが有るそうだから、普通に喋っても、心得の有る人には解読してもらえるのではないか。ただ、高解像度の画面でないと口の動きまでは見えないかも知れない。 何れにせよ、テロリストが齎した折角のチャンスなのだから、黙って坐っているだけでは勿体無い。拘束されている地名など知らせられなかったのか。
2015.02.04
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安倍総理大臣の発言の当否については、私と同様、不適切とする向きと擁護する向きとが有る様だが、発言に対するイスラム国側の対応のタイミングと発表の中の金額とから見て、発言が殺害の原因となった事は間違いない。 安倍総理自身も、最初は、イスラム国と戦っている国を資金支援したと言いながら、殺害予告が出た後に、人道支援だと言い直している。最初から難民支援をしたとだけ言っておれば、イスラム国に、日本が有志連合に加わったと言わせなくて済んだかも知れない。 さらに、イスラム国から正式な申し出があれば、イスラム国内の難民をも支援する用意が有ると付け加えておけば、満点であった。 微妙な国際情勢では、事実で有っても、言っていい事と悪い事、言っていいタイミングと悪いタイミングが有る事は当然である。 今回、安倍総理は、その配慮を欠いた。
2015.02.03
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危惧された通り、後藤健二さんを殺害したとする情報が流れた。 もし殺害が事実だとすれば、該情報における文言の内容から見て、安倍総理大臣の発言が殺害の直接原因となった可能性が極めて高い。 イスラム国と称する情報が出たタイミングからみてもそうだし、その情報内での2億ドルという額も、総理の発言と一致している事からもそう言える。 安倍総理の発言は、日本は何もしていないと言われない為の、日本の同盟国に対するものである。イスラム国側の感情など、何等考慮していない。でなければ、取って付けた様に、"イスラム国と戦っている国(有志連合)に対する援助"などという必要は無い。ただ人道援助をすると言うか、黙って人道援助をすればよい。そうすれば、どの難民がイスラム国との戦いによる難民かどうかは判らない。それを、わざわざ、イスラム国と戦っている国に対する援助などと言うから、イスラム国との戦いを援助しているのだと思われてしまう。 現に、私などは、政府が支援する難民が、すべて、イスラム国による難民かどうかを知らない。 一国の総理としての配慮を欠いた、残念、且、不用意な発言であった。後藤さんに代わって猛省を望む。
2015.02.01
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