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今日は春分の日であるが、春分の時刻は、午前7時45分であったらしく、もう過ぎてしまっている。 春分は、昼と夜の長さが同じと聞いていたが、東京の日の出は5時57分、日の入りは18時3分で、昼間が12時間6分故、半日である12時間より6分長い。その理由の一つは日の出と日の入りの定義の所為で、太陽の上端が地平線に達した時を日の出及び日の入りとしている為だそうである。つまり、太陽の上端が地平線に達するのが、太陽の中心が地平線に達するより1分以上早く、太陽の中心が地平線に達した時より、太陽の上端が地平線に達するのが、1分以上遅い為、合計で昼間が3分ほど長くなるのだそうである。 さらに、空気層での光線の屈折で太陽が実際の位置より浮き上がって見える事により、朝夕合計で3分程長くなり、上記定義によるものと併せて6分程長くなると言う。 春分に対しては秋分が有るが、夏分と冬分が無いのは何故か。逆に夏至と冬至が有るのに、春至と秋至が無いのは何故か。立春、立夏、立秋、立冬は揃っている。
2015.03.21
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3月14日のダイヤ改正で、東海道線の、平日の上り痛勤ラッシュが復活したらしい。おかしいと思って、時刻表で、8時から9時までの東京駅着の普通列車の本数を調べると、改正前が17、改正後が18と一本だけ増加している。 しかし、何本かが、15両編成から10両編成になったらしい。これでは、混むのは当然で、本来なら、15両のままとするか、本数を1.5倍にするか、何れかである。 15両は伊達乃至は酔狂だったのか、そうではあるまい。 10両は、高崎線や宇都宮線の顧客が少ないかホームが短くて余るのだろうか。途中で切り離しという手は使えないのか。兎に角、乗客にしわ寄せせず、東京以遠の顧客が少なくても、ホームが短くても15両のままで行くか、本数を増すかすべきだ。 何れにせよ、ダイヤ改正後の痛勤ラッシュは起こるべくして起こったもので、JR東日本のミスである。しかも、当然予測出来る凡ミス。
2015.03.17
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靖国神社を巡って、不毛な議論が続いている様に思う。ただ、戦没者を追悼するという点については、多分、誰にも異論は無い。 そこで、国家的な追悼施設が有るべきという点と、信教の自由という点から、国の所有施設に戻し、国家の管理とするべきだと思う。又、クリスチャンである外国の元首や、偶像崇拝を排する国家の元首にも追悼してもらえる施設とする為には、どうすれば良いかを、各宗派に集まってもらって、名前も含めて、今のままでよいか、或いは、予算上、今の施設を出来るだけ残して、最低限どの様に変えるべきか討議してもらって、変えるべきなら変えたらどうか。 祭神については、信仰の自由を逆手にとって、追悼する各人の自由とするべきであろう。戦犯など祭るべきでないと思う人は、祭られていないと思えばよい。戦犯も戦争犠牲者だと思う人は祭られていると思えばよい。どうしても、特定しなければならぬのなら国の施設なのだから国会で決めればよい。全会一致なのか、多数決でよいのかも国会で決めるべきだ。 拝礼形式も神道に拘る必要は無いとすべきである。ご神体は鏡だとかであるから、これはイスラム国の人にも抵抗は無いのではないか。十字架が無いといけないという向きには十字架も置いたらどうか。出来れば、戦没者の霊という標柱だけがよい。とにかく、このままでは良くない。
2015.03.14
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昭和天皇は1975年(昭和50年)11月21日までは、1~6年置きに靖国神社を御親拝なさっておられたが、以後、取り止められた。 戦犯合祀は、1978年(昭和53年)10月17日である。 そして、1986年(昭和61年)には、 御製 この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことに うれひはふかしと詠まれている。 この二つの事実から、昭和天皇が、靖国神社にA級戦犯を合祀する事に反対されていた事は明らかである。 今般、発行された昭和天皇実録には、1988(昭和63)年4月28日午前、皇居・吹上御所で富田(宮内庁)長官と面会したと記され、「靖国神社におけるいわゆるA級戦犯の合祀、御参拝について述べられる」とあるそうである。「なお、平成18年には、富田長官のメモとされる資料について『日本経済新聞』が報道する」とも記載されているそうである。 その記事とは、2006年7月20日付日本経済新聞朝刊で、「富田長官が残したメモから、昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社に強い不快感を示し、『だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ』と長官に語っていたことが判明とある。 これらの事は、昭和天皇のA級戦犯合祀反対の御意思を裏付けるものである。又、今上陛下の靖国御親拝が無いのも、昭和天皇の御意思を継承しておられるからかと拝察される。 靖国神社宮司や、自民党の一部は、憲法の信仰の自由を楯としてはいる。しかし、昭和天皇を天皇と思わず、奉っているふりをしながら、自分達のやりたい事をやっている点で戦犯と同じである。彼等は、戦争を引き起こした一握りの戦犯を合祀する事によって、皇室と、国の命令によって戦場に赴き命を捧げた246万余柱の英霊とを隔離してしまった。 なお、合祀に関しては、勅許を得る事になっていたが、新憲法の政教分離で、靖国神社が行なっており、一方、春秋の勅使派遣は新憲法下でも勅祭社のままであるので、天皇の御意向とは無関係に続けられているに過ぎない。何だか、ねじれ現象を感じる。
2015.03.09
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ネット上に、「竹島問題研究会関係者が、台湾の出版社が1972年に出版した、(朝鮮の宗主国であった清国の)「東藩紀要」復刻版を入手した。」とあり、その内容から、我国の竹島は朝鮮の版図に入っておらず、朝鮮地図にも記載は無いとしている。それらの事実には問題は無いが、慶応義塾大学には昭和十一年(1936年)十一月に、花房子爵から寄贈された原書と思われるものが有る。 何も、新しい復刻版によらずとも、証拠としては後者の方が有利であろう。http://books.google.co.jp/books/about/%E6%9D%B1%E8%97%A9%E7%B4%80%E8%A6%81.html?id=9E-UVOYWBPMC&redir_esc=y 上記アドレスを入力しても、何故かエラーとなるので、Googleのホームページで「東藩紀要」と入力し、現れた画面で「東藩紀要‐Google Books」を選択してクリックし、現れた画面(この時、上記アドレスが表示される)で東藩紀要と墨書した前表紙の図をクリックすれば連なった全頁が見られる。前表紙と並んで地図のページが2頁現れる事も有るが、その時は前表紙の下に「タイトルページ」の文字が現れるので、それをクリックする。
2015.03.05
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今日を以って雛祭りだと、うそぶいている連中が多いが、季節感をしかと持て。 去る2月3日は節分であった。その翌日が本来元日であるが、旧暦では本来の元日を含む月の朔の日を以って、名目上の元日とする規定なので、2月19日が元日(旧正月)であった。名目上の元日の僅か12日後、本来の元日の27日後、豆撒き(本来の大晦日)の28日後が3月3日の桃の節句となる筈がないではないか。言わば、梅の節句だ。 今年の本来の桃の節句は、4月21日であり、良い季節である。季節無視の語呂合わせなど、いい加減に止めて、古人に倣い、その時節に、祝ってやるべきだ。 現在でも、全世界がグレゴリオ暦を採用している訳ではなく、インド、タイ、サウジアラビア、イスラエル等は、公式な暦として、佛暦、イスラム暦、ユダヤ暦等を使い続けており、中国、イラン、インドネシア等は、公式な暦はグレゴリオ暦であるが、宗教行事、民間行事では、伝統的な暦を大切に使い続けており、使い分けている。 旧暦も、我国で生まれた暦ではないにしろ、千二百年もの間、慣れ親しんだ暦と文化を簡単に捨て去るのは、潔良過ぎるし軽率である。何という民族か。【参考】http://keisan.casio.jp/menu/system/000000000240 Keisan->世界のこよみ
2015.03.02
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