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映画「愛を読む人」


2016年02月04日
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テーマ: 生涯学習(234)
カテゴリ: ボランティア
昨日、一昨日と、私が関わっている二つの団体のことについて、
研究者と実践者の方とお話をする機会があった。
研究者の方は、私が活動をしている官民協働の事業について、
ボランティアの立場からの実践経緯やその中で感じていること、
今後の課題などについて、行政の担当者を交えてのお話をした。
この活動は、活動ジャンルとしては「乳幼児の子育て支援」に関わるものであり、
赤ちゃんやそのご両親や家族、とりまく地域や行政が、
一つの事業を通して学び合い、成長することの重要性について話し合われたと思う。
(少なくても、私はそこがこの事業やボランティア活動の肝だと思っている)
現在、行政は「行財政改革」「経費削減」「民間や市民との共働&活用」に取り組まなくては
自治体が生き残れないような感じで推進されている。
そのこと自体は決して悪いことではないけれど、
「市民生活の安心や市民の豊かな生活」には、行き過ぎた競争原理はなじまないと思っている。
官民が一緒になって「この町の子どもたちの健やかな成長のために何が重要なのか」を考え、
その実現に向かって一緒に知恵と汗を出しながら試行錯誤することが、
行政や市民にとっての成長になるのだということを、
私はこの活動を通して実感している。
私は「決して数字では現れない効果」を、
研究者の方には一般の人にもわかる言葉で明示していただきたいと願っている。
ボランティアが一所懸命活動していると、行政の人たちはとても喜んでくれるし感謝もしてくれる。
そしていつの間にか、「これはボランティアがやってくれるからそちらにお任せしよう」ということにつながりかねない。
しかし、本当に乳幼児から始まる市民の成長のために必要な事業や活動は、
行政がしっかりと関わり続け、一定の予算づけという裏打ちなくしては、
活動が尻すぼみになることは明白だと思っている。
私たちはどうしても目先のことにとらわれて、「費用対効果」の数字を求めてしまうようだ。
人の成長や成熟を、事業とからめて数字で評価するなんて、土台無理な話だと思う。
結果が伴わない事業は無駄と削減されやすいのが常である。
その結果、大切なことを次第に見失い、その結果としての問題が起きて、
その対策のためにもっと大きな費用をかけなくてはならないことが起きるかもしれない。
そのあたりのことを、このようなことをテーマにしている研究者には、
しっかりと研究していただきたいと願いつつお話させていただいた。

次の日は、学習障害や不登校の子供たちに対する教育支援をしている人とお話する機会があった。
私たちは、不登校やひきこもりの親や当事者の「自助グループ」のような活動の世話人をしているので、
その立場での情報交換であった。
現在は、色々な形で小中学校時代不登校であっても、
「本人のやる気と元気」、そして「保護者の経済力」さえあれば、
フリースクール、塾、私立中学、通信制や単位制の高校・大学などなど、
学ぶための道は色々ある。
それでも、近年の低所得世帯の増加や一人親世帯などには、やはり様々な困難があるし、
最近しばしば聞くようになった「発達障害、学習障害」などを抱えると、
もう一つ学ぶには配慮が必要になっているようだ。

そんな話の中で、「どんな子にも学びは必要だ」ということについては、私も同感である。
そして、「学ぶ場は学校でなくてもいいのだ」ということでも同感。
しかし、その方は「教育・学習支援」をメインのお仕事&活動をしていらっしゃるので、
やはり「学び=座学」、つまり学校教育に準ずる勉強をイメージしていらっしゃる。
それは仕方のないことだし、子供や親への支援は色々な形がなければ、
子供の選択肢もないからそれでも良い。
私たちは、人がこの世で生きていくために一番必要な学びは、
実は点数で評価できる勉強ではないように感じている。
そんな気持ちで仲間の一人が、「一番必要な学びは、自分の個性を知ることですよね」と言った。
一般論としては、誰もが共感する言葉であったと思う。
そこから、「自分を理解し、思いを人に伝えるコミュニケーション力」が必要だということにもなった。
その流れの中で、「自分が支援している子どもに、学習面ではとても優秀な子がいる」と話し始めた。
その子は、学習面では問題がないけれど、友達関係を作ることが苦手のようで、
学校とも馴染めない状態にあるようだった。
あるとき彼は、「君は仲良しの友達はいるの?」と聞いたら、
その子が「友達ということがよくわからない」と答えたという。
そして、「友達ってことがわからないということがその子の問題」というニュアンスだった。

さて、「友達ってことがよくわからない」という言葉は、そんなに問題なのだろうか。
もちろん、私はその子のことが全くわからないから、それが本当に問題の本質なのかもしれないけれど、
私自身はその子がどのような意味で「友達がわからない」と言ったのかがとても気になった。
それは、自分自身の小中学生の記憶と重なったからである。
私自身が「友達って何だろう」ととても悩んだ思春期を送ったからである。
一人で本を読んだりすることが好きで、クラスメイトとワイワイはしゃいだりすることはない子供だった。
低学年の時の担任は、そんな私を何とか友達と遊ばせようとしたけれど、
私にはそれが苦痛であった。
鬼ごっこも、かくれんぼも、鈍くさくてノロマの私には苦手な遊びだったし、
それでもみんなと同調して楽しそうにしなくてはならないことだったから。
次の担任はそんな私の個性を大切にしてくれたのか、休み時間に本を読んでいる私を引っ張り出さなかった。
しかし高学年になり、自分を客観視できるようになった時、
休み時間に本を読んでいるのは本当に少数派になっていた。
つまり、遊びには誘われないし、元気に「みらいちゃーん」と呼びかけるクラスメイトは少なかったと思う。
それでも、クラス委員をやったりとクラスの中でそれなりの役割を果たしていたので、
全く無視されていたわけではない。
必要な時には話もしていたし、私のことを「あんたは私の友達」「ずっと友達でいようね」と言ってくれる子もいた。
しかし、私はその言葉にとても違和感を持っていたのだ。
相手が私を好いてくれているようなことはわかる。それも嬉しくはある。
それでも、私はその子が特別に仲良しの友達という感じは持てない。
それは彼女に対する裏切りのようにも感じたし、
かといって「うん、友達だよ」と言ったら嘘になるように思った。
さらに私を混乱させたのは「親友」という言葉だった。
どうも親友とは、何でも話せる友達らしい。悩みも喜びも共有できる相手らしい。
しかし、私にはそんな友達はいないし、いつも、周囲から浮かないようにと努力しているにも関わらず、
どんどん周囲からは浮いていくような感覚がとても悩みであった。
そんなこと、当時の私が誰にも言えるはずがない。

その後も、ずっと「友達」という言葉に対する違和感は続き、
ある頃から私は「友達とは知り合いだ」と納得するようになった。
つまり、薄く広い付き合いの中で、必要に応じて深くも浅くも付き合う関係だ。
一般的に、それを友達というのかどうか、今でも私はよくわからないけれど。
思春期までに自分が親友と思える友を得られなかった私は、
私は親友は持てない寂しい人間なのだと40代半ばまで思っていた。
しかし、私が人間関係をおろそかにしていたわけではない。
そんな自分だと思うからこそ、人間関係の糸は多分人よりも大切にしていたと思う。

はっきり言おう。私は「友達って何なのかわからない子供」だった。
だから、その少年の言葉に反応した。
その子の心にどんな思いがあってそのように言うのかを、もっと丁寧に見つめて欲しいとも感じた。
青少年期は、まだまだ自分の気持ちを自分でよくわからないし、
「言葉で表現する力」も未熟である。
だからこそ、言葉にならない思いを感じる感性が、大人に求められるのだと思う。
そして、色々な性格や経験、感受性を持つ色々な大人と出会うことが、
子どもの学びには大切なのだろうと。
そんなことを考えつつ話したことであった。










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最終更新日  2016年02月04日 16時07分29秒
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