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<社説>きょう憲法記念日 平和主義世界に訴える時だ 北海道新聞公布80年の憲法論議 主権者として向き合おう 毎日新聞憲法記念日 世界の激動踏まえ議論深めよ読売新聞[社説]憲法記念日に 改憲前のめりを危ぶむ 沖縄タイムス〈社説〉憲法記念日に 平和主義を拠り所として 信濃毎日(社説)戦後80年と憲法 この規範を改めて選び取る 朝日このような読み比べをするためには、ネットは本当に便利!昨日の報道特集の古賀さんの言葉にはとても共感した。このような考え方をする政治家がいなくなってきたのは怖い。「憲法9条守るべき」自民党・古賀誠元幹事長(85)が語る9条の改正と“強い国”の姿【報道特集】
2026年05月03日
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「哲学の女王たち――もうひとつの思想史入門」レベッカ・バクストン、リサ・ホワイティング 編/向井和美 訳/晶文社プラトン、アリストテレス、孔子、デカルト、ルソー、カント、サルトル……では、女性哲学者の名前を言えますか?明晰な思考、大胆な発想、透徹したまなざしで思想の世界に生きた、20の知られざる哲学の女王たち(フィロソファー・クイーンズ)。知の歴史をひっくり返す、新しい見取り図。男性の名前ばかりがずらりと並ぶ、古今東西の哲学の歴史。しかしその陰には、知的活動に一生をかけた数多くの有能な女性哲学者たちがいた。ハンナ・アーレントやボーヴォワールから、中国初の女性歴史家やイスラム法学者まで。知の歴史に大きなインパクトを与えながらも、見落とされてきた20名の思想家たち。もう知らないとは言わせない、新しい哲学史へのはじめの一書。「……人々は相変わらずこう思っている。プラトンの時代から思想の分野を担ってきたのはほとんどが男性だろうと。まるで、女性も偉大な哲学者になれるというプラトンの予言を、これまでだれも実現してこなかったかのように。」(本書「はじめに」より)【目次】◆ディオティマ Diotima(紀元前400年ごろ)◆班昭 Ban Zhao(西暦45~120年)◆ヒュパティア Hypatia(西暦350年ごろ~415年)◆ララ Lalla(1320~1392年)◆メアリー・アステル Mary Astell(1666~1731年)◆メアリ・ウルストンクラフト Mary Wollstonecraft(1759~1797年)◆ハリエット・テイラー・ミル Harriet Taylor Mill(1807~1858年)◆ジョージ・エリオット(メアリー・アン・エヴァンズ) George Eliot (Mary Anne Evans)(1819~1880年)◆エーディト・シュタイン Edith Stein(1891年~1942年)◆ハンナ・アーレント Hannah Arendt(1906~1975年)◆シモーヌ・ド・ボーヴォワール Simone de Beauvoir(1908~1986年)◆アイリス・マードック Iris Murdoch(1919~1999年)◆メアリー・ミッジリー Mary Midgley(1919~2018年)◆エリザベス・アンスコム Elizabeth Anscombe(1919~2001年)◆メアリー・ウォーノック Mary Warnock(1924~2019年)◆ソフィー・ボセデ・オルウォレ Sophie Bosede Oluwole(1935~2018年)◆アンジェラ・デイヴィス Angela Davis(1944年~)◆アイリス・マリオン・ヤング Iris Marion Young(1949~2006年)◆アニタ・L・アレン Anita L. Allen(1953年~)◆アジザ・イ・アル=ヒブリ Azizah Y. al-Hibri(1943年~)友人が読んで薦めてくれた本。私は43歳の時に通信教育で大学の勉強を始めた時、実は哲学を学びたいと思っていた。しかし、勉強が進むにつれて哲学というよりは社会学に興味を持つようになり、結局はそちらの方向で卒論を書いた。何人かの哲学者の思想について少しずつスクーリングで講義を聞いたり、本を読んだりもしたのだが、ほとんどが男性哲学者であり、私の心に響くものがあまりなかった。哲学の分野は男性が中心なのだなと感じたし、それも理論を突き詰めてゆくような感じで、あまり実生活に当てはめて考えられるものではないようにも感じることが多かった。私自身の知識や理解力・読解力が育っていなかったことが大きかったのだと思うが、何となく哲学は何かの現象などを理論的に筋道をたてる学問のように思ったはずだ。さて、そんな私がこの本を読んでまず思ったのは、女性にも哲学者と言われる人がこれほどいたのかという驚きだ。そして、それぞれの経歴や業績を知るにつれ、女性がこのような仕事をすることの困難さを思い、それでもなお自分の求める哲学を追求した人たちへの心からの尊敬が沸き上がる。女性はどの国であっても男性優位の社会で生きてきた。能力が高ければ高いほど、世の中の理不尽さや女性であるが故の不自由さを感じざるを得ない。どうしてこのような社会なのだと疑問を持たずにもいられない。そして、それを何とか解消する道はないのかと考え続けることになる。それが女性の哲学だと思う。どの人も、自分の取り巻く社会や女性たち、そして次の世代の人たちにとって役に立つ思想を求め続けている。心から凄いなあと思うばかりだ。強靭な精神力と体力のある人だけが、女性の哲学者となれるのだろう。それは、きっと現代においてもそうなのだろうと思う。この一人にでも会うことができて、直接話を聞いてみたいなと思うくらいだ。この本では、彼女たちの思想や業績の紹介程度なので、著作も読んでみたいと思う。
2026年05月02日
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鎌倉への旅や帰宅後の諸々で、この間に起きていた事件やニュースについて書いていなかったのでメモしておこう。まずは、(前略)養父の逮捕に衝撃が広がった京都府南丹市の男児遺棄事件/大阪・関西万博の開幕から1年/令和の「働き方」に迫る新企画スタート…4月のニュース振り返り 読売 5/1(金) 京都府南丹市立園部小の安達 結希ゆき 君(11)が行方不明になったのは3月23日だった。府警は、当日正午ごろに父親から110番通報を受け、25日に顔写真を公開した。その後、通学かばんや履いていたとみられる靴が山中で別々に見つかり、不明から3週間後の4月13日、同市内の山林で子どもとみられる遺体が発見された。14日に府警は、遺体の身元を結希君と特定。16日には、死体遺棄容疑で養父を逮捕した。養父は逮捕前の任意聴取に殺害を認める供述をしたという。(後略)この事件は、鎌倉に行く前に発生したので、ずっと気にしていたニュースだった。多くの人がそうだったと思うが、私も事件発生当時から義父が関わっているだろうと感じていたし、ひょっとしたら母親も何らかの関与をしているのではないかと想像していた。しかし、今までの発表では母親は関与していなかったらしい。どんなことがあったにせよ、亡くなった少年のことを思うと胸が痛む。旭山動物園で妻のものとみられるスマホ見つかる 鈴木達也容疑者(33)の供述に基づいて捜索 遺体損壊事件 2026年5月2日(土) 北海道放送 旭川市旭山動物園の職員・鈴木達也容疑者(33)は、3月31日ごろ、園内の焼却炉で妻の由衣さんの遺体を燃やして損壊した疑いで、おととい逮捕されました。 由衣さんは前の日に目撃されたのを最後に行方不明となっていて、捜査本部が容疑者の供述に基づいて園内を捜索したところ、由衣さんのものとみられるスマートフォンが見つかったということです。 また、捜査関係者によりますと、鈴木容疑者が31日午後9時ごろ、車で動物園を訪れ、大きな荷物をおろす様子が園内の防犯カメラに写っていたことも新たに分かりました。 捜査本部は鈴木容疑者が由衣さんの遺体を運び込んだとみて、慎重に裏付けを進めています。これも衝撃的なニュースだった。飼育員として一所懸命に働いていた人だということで、本当に何があったのか。動物用の焼却炉で遺体を焼いたと聞いた時、私は京都南丹市の事件を思い出した。あの時、遺体が発見する前に鳥獣用の焼却炉で遺体を処理したのではないかという憶測が出回った。今回の事件は、そのニュースに動物園内の焼却炉のことを思いついたのではないだろうか。動物を愛して仕事をしていた人が、すぐに人間を処理する場所と思いつかないのではないかと思ったからだ。それは私の勝手な想像だが、人間というものは心の中には常に善悪美醜が混在している。ほとんどの人は、嫌なことや悔しいこと、恨みや妬みを抱えながら生きる。それを上手に発散したり気持ちを切り変えることができる人はいいが、それが苦手な人は自分の内部に抑え込み続けることがある。それがどすぐろい塊となり、いつしか心の地雷となり、何かのきっかけで暴発する。私は、多くの事件がそれに類するものではないかと考えるようになった。上記の二つの事件も、そんなものなのではないだろうか。そして、次の事件も同様の構図に感じている。≪福生マッチョハンマー男・逮捕≫「騒音がうるさいと」とバイク少年を襲った無職男は庭に自力で“離れ”をつくった“子ども部屋おじさん”母は「優しくて頭がいい」と庇うが…5/1(金) 集英社4月29日早朝、東京都福生市の住宅街で起きた殺人未遂事件。高林輝行容疑者(44)は、逃走を続け、5月1日、千葉県習志野市内で逮捕された。高林容疑者は、路上にいた男女7人のグループにハンマーを持って襲いかかり、駆けつけた警察官に農薬とみられるスプレーを噴霧して、計5人に重軽傷を負わせたとされている。高林容疑者が生活していた「離れ」のなか…5月1日午後2時17分、千葉県習志野市の潜伏先アパートの一室で高林容疑者は逮捕された。盗難車を使い、埼玉、東京、千葉県内などで逃走を続けていた高林容疑者は「殺すつもりはなかった」と容疑を否認しているという。逮捕3時間前、取材班は母親のもとを訪れていた。母親は逃走を続ける息子の“自首”を願いながら「優しい子なんですけどね…」と肩を落としていた。「学歴でいえば中卒ですが、賢い子なんです。中学時代は喧嘩ばかりで、せっかく合格した高校からも、入学前にトラブルを起こして『入学を許可しない』と通告されてしまって。後に勉強して大検(現・高卒認定)には合格しましたが、結局、大学へは行きませんでした」父はプロ囲碁棋士で、「頭の回転も速かった」と母親は話すが、どんな仕事も続かなかった。「土木の仕事をしても、先輩に流れを教わった翌日には『先輩、これはこうした方がいいですよ』と口を滑らせてしまう。生意気だと目をつけられるのに、性懲りもなく口答えするから仕事が長続きせず……。でも、頭の中は緻密なんです。何でも自作してしまう人でしたから」一家が現在の家に引っ越してきたのは10年前。高林容疑者は約8年前、自宅の庭に自らの手で「離れ」を建て、そこを拠点に生活していた。(後略)頭も良くなんでも自分で作ってしまうような能力を持っているが、周囲の空気を読めずに人とトラブルになる。最近よく聞かれる「発達障害的な気質」を持っていたのだろうと想像する。幼少期から現在まで、本人にしたら理不尽なことが繰り返され、自分の努力ではどうしようもないトラブルが続き、心の中には重く暗いものが積み重なってきて、今回の事件に至ったのではないか。人に迷惑をかけないようにと頑張って来たのに自分はうまくいかずに苦しんでいるのに、人に迷惑を平気でかけるような若者たちに怒りが爆発したのだろう。これもやりきれない事件だ。それにしても、このような時にどうして一番不安で心配している母親にインタビューなんかできるのか。このようなメディアや、それを期待する社会に対して、私は怒りを覚える。
2026年05月02日
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昨日は、次男のブドウ畑の手伝いに行く。長男には実習生と孫がいて三人体制だが、次男は一人で作業をしているのでいつもそちらの手伝いとなる。今年は雪どけも早くて作業が前倒しになっていて、剪定も終わり剪定枝集めも終わっていた。毎年、この剪定枝集めがなかなか大変で腰が痛くなるのだが、この日は番線張りだった。急こう配の畑なので、上ったり下りたりで結構足が疲れるのだが、一週間前の鎌倉切通しの旅で足腰を鍛えたせいか、さほど辛くもなく午後二時頃には作業を終えた。若い頃ならもう一仕事してから上がるのだが、高齢者夫婦は切りの良いところで作業終了。それでも、また今年も作業ができることに感謝である。
2026年05月01日
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この日は鎌倉最終日。朝食後七時半頃にはホテルを出て、鎌倉駅前からバスに乗り、十二所神社前で降車。そこから歩いて朝夷奈切通し(あさいなきりどおし)へと向かう。住宅街を大刀洗川に沿って抜けていくのだが、想像していたよりも小さな小川。住宅街を抜けると人に出会うこともなく、切り通しを目当てに訪れる観光客は少ないのだなと思う。この日も晴れ曇りの天気で、暑くも寒くもなくてハイキングには最適日和。ところどころに摩崖仏があり、切り通しの道もさほど整備はされておらず、中世の雰囲気を味わえる場所だ。でも、結構な距離もありなかなか歩きがいがある。次第に自動車の音が近くに聞こえるようになった頃、熊野神社への標識があり、せっかく来たのだからと行ってみることにする。すぐそこかと思ったら、疲れた足には登りが続く長い予想より距離だったが、高い場所にそれはあった。熊野神社熊野神社って、あちこちにあるんだなと思いながら参拝したが、この神社で出会った人は一人だけ。なかなか趣のある神社だったのだが、「賽銭箱を荒らす人が多いので設置していません」という張り紙?が。こんなところまできてお賽銭を盗む人がいるなんて、情けない世の中だと思わずにいられない。熊野神社から降りてくると間もなく下界。切り通しの上を電車と道路が走っている。まさに中世と現代が交差する場所を抜けたらすぐにバス停が見えた。そのバス停から鎌倉に戻るつもりだったのだが、あいにくそのバスが行ったばかりで30分近く待たなくてはならない。すぐに来るバスは大船行きだったので、まだ時間もあるので大船からモノレールで江の島に行くことにする。しかし、このバス路線は途中から渋滞になってしまった。この日は土曜日だったので周辺の住宅街から入り込む車で渋滞していたのだろう。ともあれ、大船駅に着いたらそこはモノレールの駅からは随分離れていて、人に聞きながらなんとかモノレールに乗り江の島へ。昼食には少し早いのでまっすぐ江の島に向かう。やはり足が疲れていたので、徒歩で江の島にわたって何か食べて戻るつもりだったのだが、橋の手前で「べんてん丸間もなく出港でーす」という声が。聞くとその船は江の島の奥にある岩屋に近い場所まで行くという。夫も私も岩屋にはいったことがないので、これはいいと早速乗り込む。べんてん丸天気も良く気分よく稚児ヶ淵に到着。そこから少し歩くと江の島岩屋洞窟へ。これはなかなか見ごたえがあった。たまたまの偶然が重なってこのような場所に行けたのは、何かのお導きか?参考…神秘の洞窟探検へ!「江の島岩屋」で大自然の力と歴史を感じようそんな気持ちになりながら洞窟見学をして外に出て、そろそろお腹がすいてきたので何か食べようとブラブラ。でも、とにかく人が多くて、人気のお店によっては人が並んでいる。夫はとにかく並ぶのが嫌なので、いよいよになったら江の島を出てから食べようと思った時、お蕎麦やさんがあり人も並んでいない。ここにしようと入って、私はしらすおろしそば、夫はざる蕎麦をいただく。それからお店で教えてもらったあまり人の多くない坂道を下り、人の混雑する中を歩く。甘味処でお団子とお茶を飲んで一息ついてから、江ノ電乗り場に向かう。江ノ電で鎌倉駅に向かい、駅のコインロッカーに預けていた荷物を取り出して、少し早いけれど羽田空港に向かった。帰宅は八時半頃になったが、なかなか盛りだくさんで充実した旅となった。
2026年04月25日
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宿泊したホテルは食事つきではないので、近くのコンビニでパンやヨーグルト、サラダなどを購入して軽い朝食。前日は雨だったのだが、この日は晴天とまでは言えないけれど薄曇り。実は、私は「晴れ女」なのだ。それも、どうも父が亡くなってからのような気がしていて、私が旅をする時には父が空の上で雨雲のお掃除をしてくれていると密かに思っている。(妹たちの旅の時もそうなので、私たち三姉妹はそう信じているのだが、他の家族にはただの偶然と言われる)今回の旅も、一週間前には旅行中は雨の予報だったのだが、やはり今回も私が外歩きをするこの日は薄曇りだ。この日は、8時半頃にホテルを出て、徒歩で寿福寺→英勝寺を参拝。寿福寺の裏手にはがけ下に沢山のやぐらがあり、そこには著名人の墓も並ぶ。全部を丁寧に見てはいないのだけど、北条政子や高浜虚子の墓などはすぐに目についた。北條政子の時代から現代まで、多くの人がここに眠っているのだと思うと、厳粛な気持ちになる。英勝寺は白藤が有名のようだが、この時は五分咲きくらいだったかな。進んでゆくと竹林が美しく、根元にはタケノコがニョキニョキ。竹ってこのように育って、このくらいで皮が剥がれ落ちるのか…などと、竹林にはなじみのない地に住む私には興味深かった。その後、鎌倉の若宮大路の方に向かい、妹からのリクエストのあったお菓子屋さんへ。私は知らなかったのだが、鎌倉紅谷の「くるみっこ」というお菓子が有名らしい。実は前日、夫がお昼過ぎに紅谷に行ったらもう売り切れだったという。ということで、この日は開店の九時半に合わせて向かったのだが、まだ開店まで15分以上前だったと思うが、すでに長蛇の列が!店舗もそれほど広くないので、順次中に入って購入するというスタイル。このようなお菓子なら、鎌倉土産はこれにしようと必要分を購入した。その後、バスに乗って「火の見下バス停」で降車し、「大仏切通し」へ。鎌倉七口の一つに数えられる切通(史跡)。1241年(仁治2年)~1250年(建長2年)頃に開かれたとされています。明治時代にトンネルが掘られ、街道が今のバス通りに移りましたが、切通はかつてのままに残されため、鎌倉時代の雰囲気を残す貴重な小径です。住宅のすぐ脇を通るので、ここに住んでいる人は大変だなと思いながら切通しに向かった。夫は若い頃東京で働いていた頃には鎌倉や江の島の海にはよく来ていたようだが、当時は歴史的なものには興味がなく、高齢になってから切り通しを歩いてみたいと思うようになったとか。雨上がりで少し道は濡れてはいたが、まだ問題はなく元気に歩く。切り通しを抜けて江ノ島電鉄の長谷駅から腰越駅で降車し、昼食に予定していた「しらすや」へ。11時半頃に着いたのだが、店の前には人が沢山いるので、しばらく待つかなと思ったけれど、予想より早く店内に入ることができた。頼んだのはやっぱり「しらすづくし定食」どれもとても美味しくて、旬のしらすを堪能。その後は、江ノ電江の島から湘南モノレールで大船→(横須賀線)→北鎌倉へ。東慶寺を参詣してから亀ヶ谷坂切通しへ。そこを通り抜けてから少しバスに乗り、報国寺(ここも竹林が美しい)→杉本寺を参拝。杉本寺は鎌倉最古の寺ということで、確かにお寺も石段もご本尊も歴史を感じるものだった。しかし、この日はこの杉本寺の時点で20000歩を超えていたので、さすがに足が疲れていた。平地ではなく、山道を上り下りし、寺院も上り下りで、少しばかり膝が笑い出した。ホテルに戻ってから食事に出るつもりだったが、もう遠いお店に行く気がせず、ホテル近くのおしゃれな茶店のようなお店で、おしゃれなうどんを食べておしまい。その後はコンビニで翌日の朝食などを買って戻り、入浴してすぐにバタンキュー。さすがにこの夜はすぐに寝ることができた。結局私は23000歩も歩いたことになる。
2026年04月24日
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4月23日~25日は、夫が以前から行きたいと言っていた鎌倉の切り通しを歩くための小旅行。一日目は、私は小平市に住む高校の旧友に会い、夫は横浜在住の友人に会ってから鎌倉のホテルで合流することにしていた。ということで、朝八時の飛行機で羽田に向かい、それぞれの場所に向かう。小平市に住む友人Tちゃんは、高校卒業後に同じ東京の短大に進学。私は食物栄養学科、彼女は初等教育科で学んだのだが、私は二年生の頃にうつ状態になり中退している。その後、彼女は都内で小学校の教師となり結婚して小平市に住むようになった。時は過ぎ、私の次男が小平市にある小さなデザイン会社に就職した時、一度だけ彼女の家を次男と共に訪ねて、ご主人や息子さんとも会ったことがある。昨年ご主人を亡くし、今年に入ってから体調も崩したということで、彼女の家に近い国分寺駅で会うことにしたのだ。この日はもう一人、先月壱岐の旅に一緒に行ったHちゃんも一緒に会うことになった。三人で会うのは多分高校卒業以来初めてだと思う。羽田空港から、電車の乗り換えに心配しながら無事に国分寺駅に時間通りつくことができた。お互いに出会った頃から数えたら60年近く経っていて、卒業後のお互いの人生には色々なことがあったのだけど、話していたら昔の話し方、表情、雰囲気はあまり変わらず、きっと基本的な人生観や価値観も変わっていないのだろう。まったく違和感なく昔のことから今のことまで、途切れることなくおしゃべりに花が咲いた(と私は感じた)。高校時代の私は相手に合わせるような付き合い方をしていたので、あまり自己主張はしなかったと思うけど、さて相手からはどう見えていたのかな。私達の学年は、すでにあちらの世界に行ってしまった人も多いので、元気であればこそこのような時間を持てることに感謝するばかり。あっという間の三時間が過ぎて、再会を約束して楽しい気持ちで別れて鎌倉に向かう。電車の乗り継ぎや時間については、今はスマホで簡単に最短時間を検索できるので本当に便利になった。問題があるとしたら、都会はあまりにも各路線が交錯していて、ホームを間違いやすいかな?今は、近くに駅員さんがいないことが多いので、それだけは間違えないようにと緊張。それでも、問題なく鎌倉駅に着いたが、鎌倉は雨。ホテルは鎌倉駅から徒歩二分程度の場所だったが、あまりに近くて通り過ぎてしまった。一休みしてから夕食を取るために駅の東口方面に。店名は失念したけど、美味しかった!
2026年04月23日
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青森震度5強、気象庁がマグニチュード7・5→7・7へ上方修正 地震エネルギーは2倍に青森県で20日夕に震度5強を観測した地震で、気象庁は同日夜、地震の規模を表すマグニチュード(M)を精査した結果、速報値の7・5から「7・7」へ上方修正した。マグニチュードが0・2上がると地震の持つエネルギーは約2倍になる。発生当初はM7・4と公表されたが、その後7・5に修正され、さらに7・7に修正された。震源の深さも三陸沖の深さ約10キロから「19キロ」に更新された。【近年の主な地震のマグニチュード(M)】平成7年 阪神・淡路大震災(最大震度7)M7・316年 新潟県中越地震(同7)M6・823年 東日本大震災(同7)M9・028年 熊本地震(本震、同7)M7・330年 北海道胆振東部地震(同7)M6・7令和6年 能登半島地震(同7)M7・67年 青森県東方沖地震(同6強)M7・5「スロースリップ発生か」専門家は続発を警戒 青森で震度5強もう、トランプと京都府南丹市の男児死体遺棄のニュースは見たくないと思っていたら、地震のニュースでそれ一色になってしまった。北海道・三陸沖地震というらしい。昨日の地震では、当地もゆらゆらと揺れた。津波警報が出たので成り行きを心配していたが、今のところ予想以下の状況のようだが、今後も後発地震の注意が必要のようだ。日本列島は地震列島。どこでどんな地震が起きても不思議はない。これ以上ひどいことが起きませんように。
2026年04月21日
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先週は、屋根と台所の棚のリフォームをした。屋根は、冬に玄関前の屋根の雪が凍りそれの処理に大変だったので、凍らないうちに雪が玄関前を避けて落ちるように工夫してもらった。屋根の板金屋さんは70代、リフォームの大工さんは60代。似たような年代の人が屋根に上って作業している姿を見たら心配になるけれども、そこは長年その仕事をしてきた人たちだから私達とは違う。職人さん達は、高齢になってもできる仕事は次々にあるようで、そこは強いなと思うが、それだけに体を壊してしまったらおしまいだ。台所は、上部の棚のものを取る時にいちいち踏み台を持ち出さなくてはならないのが不便で、昇降式のものに替えてもらった。電動式の吊戸棚を見ていていいなと思っていたのだが、リフォーム屋さんが「手動もあるよ」というのでそれにしてもらった。電動で壊れてしまったら修理が大変だとかで、それもそうだと納得。そのほかにもレンジやトースターの収納を含めた可動式の棚を付けてもらって、随分便利になりかつスッキリ。私がこの家で暮らしている間は、リフォームのUさんにメンテナンスも含めて頼みたいと思っているので、何とか元気でいてねとお願いしている。
2026年04月19日
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「伝説となった日本兵捕虜 ソ連四大劇場を建てた男たち」 嶌 信彦ソ連四大劇場を造り上げたのは若き日本兵だった――。よみがえる歴史秘話。「日本人として恥ずべき仕事はしない」シルクロードに伝説を刻んだ若き兵士がいた!!1945年、秋。敗戦後、ウズベキスタンに抑留された工兵たちがいた。彼らに課されたのは「ソ連を代表する劇場を建てること」。捕虜生活の下、457名の隊を率いてプロジェクトを完遂したリーダーは、まだ20代の将校だった。「日本人の誇りと意地にかけて、最良のものをつくりたい」彼らの仕事は、ソ連四大劇場の一つと称賛され、大地震にも耐えたオペラハウス「ナボイ劇場」として結実した。堅牢な造り、美麗な内装。彼らの誇りと意地をかけた仕事は、収容所長をはじめ、現地の人々の心を動かし、語り続けられ、日本人伝説となった。敗戦後、日本兵は一大プロジェクトと闘っていた!!埋もれた偉業が明かされる!■ボリショイ劇場建設という特殊任務■収容所長アナポリスキーとの対峙■隊員に起きた転落事故死■手作りの芝居、演芸大会でウズベク人と触れ合う■永田隊長の最後の仕事は名簿の暗記だったウズベキスタンのナボイ劇場が、終戦後に抑留された日本兵が建設したことは、ずいぶん前のテレビ番組で知った。ナヴォイ劇場父がソ連の抑留を経て帰国した経歴があり、その番組を見た時にはとても感動した。だから、北海道からウズベキスタンへの直行ツアーが企画されたことを知った時には、迷わず夫と二人で参加した。その時のブログが下記である。2018年10月31日 ウズベキスタンに行ってきました。ウズベキスタンツアー記(1) ウズベキスタンツアー (2) ウズベキスタンツアー記(3) この本は、そのナボイ劇場を造った工兵たちとそのリーダー、ソ連側の収容所の兵士、地元(当時はソ連)のウズベキスタンの人達との交流などが詳細に書かれている。ソ連は広大な国だから、抑留された場所も広範囲で数も多い。シベリア抑留 Wikipediaこれによると「日本の厚生労働省は、抑留された日本人の総数を57万5000人、うち5万5000人程度が死亡したとしている。一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上との説がある。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている」とある。強制労働の内容や場所によって犠牲になった人たちの数も随分違うようだが、シベリアでの森林伐採や鉄道敷設、炭鉱労働などでは死者数も多かったようだ。ソ連抑留日本人収容地区の所在と各地域ごと犠牲者数この本に書かれている強制労働は、建設途中だったナボイ劇場の完成が目的だったため、少し様相は違っている。しかし、どんな作業ではあれ強制労働には違いはなく、乏しい食糧での重労働と、ソ連兵に監視された日々であることは同じだ。そこで様々な肉体的精神的なストレスで、絶望したり仲間内の醜い争いになったりすることも稀ではないだろう。そんな中でこの収容所の人達は、優れたリーダーの元で力を合わせ、後世に残る立派な劇場建設をやり遂げ、事故による数人の死者はいたけれど劇場完成後には日本への帰還を果たすことができた。集団でのミッションを、異なる人たちが力を合わせてやり遂げることができる要因について、考えることが多い本だった。同時に、この事実をぜひ多くの人達に知ってほしいと思う。
2026年04月17日
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子どもとみられる遺体発見 死後相当な時間か…司法解剖へ 京都男児不明から3週間京都府南丹市で、小学6年生の安達結希くんの行方がわからなくなってから13日で3週間ですが、事態が大きく動きました。13日午後、南丹市の山林から子どもとみられる遺体が見つかりました。(後略)ブログでは触れてはいなかったけれど、ずっと気になっていたニュースである。最初から最悪の事態を予想させるニュースだったのだが、遺体が発見されたということで少しだけホッとしている。これから事件の様相が解明されていくのだろうが、こんな可愛い少年がなぜこんなことにと思うと、本当にやり切れない。この事件以外でもやりきれないニュースばかりで、気がめいってしまう。
2026年04月14日
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本や絵本、映画などについてはブログに残すことが多いのだが、テレビドラマは見て「あー、いいドラマだった」で終わっていることが多いことに気付いた。ということで、最近良いと思ったドラマをメモしておこう。「テミスの不確かな法廷」あらすじ任官七年目の裁判官・安堂清春(松山ケンイチ)。東京から前橋地方裁判所第一支部へと異動してきた彼は、一見、穏やかな裁判官に見える。だが、その内側には絶対に打ち明けられない秘密が・・・。幼い頃、衝動性や落ち着きのなさからASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)と診断された安堂。以来、彼は自らの特性を隠し、“普通”を装って生きてきた。それでも、ふとした言動が前橋地裁第一支部の面々を戸惑わせ、法廷内外で混乱を巻き起こしてしまう。そんな安堂の元に、複雑な人間模様が絡み合う、難解な事件が舞い込んでくる。市長を襲った青年。親友をこん睡状態に追い込んだ高校生。そして「父は法律に殺された」と訴える娘――。やがて、安堂の特性からくる“こだわり”が、誰も気づかなかった事件の矛盾をあぶり出す。しかし同時に、彼は自身の衝動とも格闘しながら公判に挑まなければならない。果たして安堂は、公正に事件を裁き、真実へとたどり着くことができるのか!?このドラマは、内容も良かったけれど、松山ケンイチの演技には感心した。彼は本当に良い俳優だと思う。土曜ドラマ お別れホスピタル放送年度:2023年度高齢化が進行し、癌が国民病と化した現在の日本。7割以上の人が病院で最期を迎える。そんな病院の中でも 、 末期がんなど重度の医療ケアが必要な人や、在宅の望めない人を受け入れる療養病棟。 そこはまさに医療のセーフティーネット。その最前線に立つ看護師は、 意思表示の難しい患者さんのわずかな変化も見逃さず、 そこでの 日々が最善であるよう努める。ただ 苦痛を取り除くだけでなく、その人らしい「 限りある生のかたち 」 を求めて日々奮闘する。そして、訪れた最期から、その人なりに「生き切った命」を見届ける証人となる。患者さんや、その家族、そして彼らと関わる医師や看護師の、葛藤や、怒りや、悲しみや、小さな喜びや、笑顔や、素顔の先にあるドラマを通して、「死を迎える」ことと、「生きる」ことの意味を問いかける。 それは、私たちの未来への一筋の光につながっていくはず。「お別れホスピタル」それはー死の一番そばにある病院で繰り広げられる、壮絶で、けれど愛にあふれた人間ドラマ。今このドラマを調べて、再放送なのだとわかった。文句なしに良いドラマだと思ったが、ここにも松山ケンイチが出演しているNHKも良いドラマを制作してるな。「タツキ先生は甘すぎる」あらすじ楽しいことだけ、やろう! って言ってくれる先生、いてもいいでしょ? 学校にいきたくない子どもたちが、安心して過ごせる居場所 フリースクール そこで絵を描いたり、遊んでばかりのタツキ先生。学校は行かなくてもいい! 1日中ゲームをしてもいい! 好きなお絵描きだけずっとやっててもいい! フリースクール「ユカナイ」のスタッフ・浮田タツキは、アートや遊びを通して、子どもたちに寄り添い、彼らが奥底に閉じ込めた気持ちを見つけていく。しかし彼は、どうしてこれほどにまで、子どもに甘すぎるのか……。増え続ける、不登校の子どもたちといっしょに、時に笑い、泣き、迷いながらも、多様化する生き方に希望を見出していく感動のヒューマンドラマフリースクールを舞台にしたドラマなので、とても注目していた。第一話を見た限りでは、とても共感できるし良い内容だと感じた。このドラマには、フリースクールや不登校関連で活動している人など当事者が監修しているということなので、多分私の考えて来たこととはあまり違わないだろうと思う。現在、様々な立場で学校に行きづらい状態の子どもたちと関わる人たち(特に大人)に見てほしいと思う。
2026年04月12日
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「なぜあらそうの?」ニコライ・ポポフ【内容紹介】(「BOOK」データベースより)1ぴきのカエルが、1本の美しい花を手にしていました。そこへ1ぴきのネズミがやってきてその花をうばいました。なぜ?次に、2ひきのカエルがくわわってネズミを追いはらい、手あたりしだいに花をつみはじめました。なぜ?すると今度は、ネズミたちがもっとひどい暴力で仕返しをしました。そして、あらそいは続いたのですー。本書は、子どもたちや、すべての大人たちにさまざまな疑問をなげかける、文字のない絵本です。なぜあらそいはおこるのか、なぜあらそいはやまないのか、そして最後に何が残るのか、考えてみてください。1996年ベルギー児童図書評論賞。【著者情報】(「BOOK」データベースより)ポポフ,ニコライ(Popov,Nikolai)1938年ロシアのサラトフに生まれる。外科医の父から絵を描くことを、母から音楽や詩に親しむことを教わる。10代半ばから本格的に絵画を学び始め、1962年モスクワ印刷大学を卒業。1964年より国内外の文学作品のライストで活躍する。1975年『ロビンソン・クルーソー』さし絵でBIB世界絵本原画展グランプリを受賞。本書は1996年ベルギー児童図書評論賞に選ばれている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)文字のない絵本です。それだけに、カエルとネズミのちょっとした出来事から、次々に争いや悲しい状況に変化してゆく様子が想像力をかきたてます。年齢を問わず様々な思いが沸き上がってくるでしょう。その果てには何が残るのか。現実世界をどうしもリンクしてしまう絵本でした。
2026年04月10日
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「DANGER」村山由佳/著世界的振付家・久我一臣にインタビューをすることになった、編集者の水野果耶と記者の長瀬一平。久我の半生を辿りつつ、戦前戦後の日本バレエを紹介するつもりだったが、彼が語る壮絶な戦争体験は、二人が思ってもみなかった縁を掘り起こしてゆく。芸術と戦争を通し、過酷な運命に希望を見出す人々に迫った、入魂の輪舞曲(ロンド)。上記のサイトを読めばわかるが、作者の村山由佳さんのお父さんもシベリア抑留体験者で、彼女は第二次大戦や終戦後のシベリア抑留、その中には女性もいたということを知り、いつかは書かなくてはと思っていたようだ。そんなことを含めてのこの本のことを知り、これは読まなくちゃと購入して読んだ。事実を土台にして小説化したこの作品は、とにかく面白かった。私はバレエには詳しくないし、本物のバレエの舞台を見たこともないのだが、日本におけるバレエの歴史も重ね合わせてとても興味深かった。私は父がソ連抑留体験者だったこともあり、結構関連する本も読んでいる。だから、この本に書かれている女性の状況もある程度は知ってはいるが、記録やドキュメンタリーとはまた違う、共感性を呼ぶリアリティーが小説にはある。これが小説&物語の力だと思う。残念ながら現在もなお、世界のあちこちで紛争や戦争は頻発し、その中で相変わらず子どもや女性たちが理不尽な辛酸をなめていることだろう。ぜひ、多くの若い人たちに読んでほしいと思う作品だった。
2026年04月08日
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「ひろい海にぼくたちは生きている」長倉洋海/文・写真海に暮らす様々な人々に出会い、海がもたらす恵みと広がり、境界のない生き方について、気づいていきます。久しぶりに長倉さんの写真集(絵本)を手に取った。長倉さんの写真を初めて見たのは随分前のことだった。長倉洋海HPサッポロファクトリーに、当時関わっていた不登校状態の女子中学生と行った時、偶然に開催されていた写真展だった。長倉さんは、アフガニスタンの英雄と言われているマスード将軍と長年の交流があり、多くの写真を撮り続けていたのだが、マスードはアメリカへの同時多発テロの直前に暗殺された。サッポロファクトリーでの写真展は、マスードの追悼と彼の功績を多くの人に知ってほしいという長倉さんの強い思いで開催されたのだと思う。私はその時は何も知らずに会場に足を運び、マスードの写真に魅せられた。フリーページにもそんなことを書いている。長倉洋海さんとアフガニスタンそれ以来、札幌で開催された長倉さんの写真展やチャリティー写真展にも何度か足を運び、彼がマスードの死後も支援していたアフガニスタンの山の学校をひそかに応援もしていた。長倉さんは現在もその活動を続けていらっしゃるようだ。早く、アフガニスタンの子ども達が自由に学べる国になってほしいと思う。アフガニスタン山の学校支援の会長倉さんは人物や特に子ども達の写真をたくさん撮っている。写真の中の子ども達はみんな輝くような瞳をしていて、元気いっぱいの笑顔だ。この写真集は、海と共に生きている子ども達の姿に、自然と共に生きていることの力強さを感じさせてくれる。長倉さんもお元気のようでとても嬉しい。
2026年04月05日
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【訃報】山中恒さん死去、94歳 児童文学作家、「ボクラ少国民」3/19(木) 時事通信↑上記の記事を読み、山中恒さんという児童文学作家(ご本人は児童読み物作家と称していたそうだ)のことを知り、図書館分館で絵本「ハルばあちゃんの手」と「この船、地獄行き」を借りてきた。山中さんの作品は少年向けのようなので、この本も私にはあまり親和性はなかったのだけど、おっちょこちょいでドジばかりの男の子は、こんな感じなのかなと思っていた。そういえば、我が家の二人の息子たちにもこんなところあったかも。私はいつも「男の子は理解不能」と思っていたっけ。それはともかく、読みながら自分の子ども時代にどんな児童読み物があったかなと思い返していた。私の子ども時代は、本は学校で借りて読むもので、今思えば小さな図書室がすべてだった。次々に借りて読んでいたものは、外国の作家のものばかりだったような気がする。赤毛のアンシリーズや、少女パレアナ、小公子、小公女などなど。それと世界の偉人伝や、小学校高学年の頃にはまった石川啄木などを思い出す。男の子向けの本はどんなものがあっただろう。冒険ものもあったと思うが、トムソーヤーの冒険とか、ハックルベリーの冒険なども読んだような気がする。今確認したら、両方ともマーク・トウェインの作品で、『ハックルベリー・フィンの冒険』『トム・ソーヤーの冒険』が正しかったんだ。『王子と乞食』も彼の作品だったんだと今わかった。『王子と乞食』は感動した記憶があるのだが、冒険ものは私があまり共感しなかったようであまり覚えていない。いずれにせよ、図書室に並んでいる児童向けの本はみんな外国からの翻訳&ダイジェストものばかりだった。私は本を友達として育ち、その後も本にはとても救われたり学んだりして来たので、息子たちにも本が友達になってほしいと思っていた。だから、保育園に通っていた頃は「子どものとも」を毎月とっていたし、小学生になってからはそれぞれ毎月一冊、好きなハードカバーの本を書店で選ばせて買っていた。しかし、その頃になると子ども達は漫画に夢中になり、ハードカバーでも漫画的なものばかり買っていた。私はそれでもいいと思い買っていたのだが、やはり本当に買いたいものは漫画雑誌だったようだ。まあ仕方がないなと思っていたのだが、大人になってからは二人とも結構本を読む青年~大人になった。勿論今でも漫画も大好きで、彼らの持っている漫画を読むようになって私も漫画ファンになっている。どんな本でもいいのだ。やはり本は友達である。
2026年03月31日
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米イラン、戦闘終結へ駆け引き 「ホルムズ封鎖」で誤算 イスラエル強硬、収拾遠く〔深層探訪〕3/29(日) 開戦1カ月を経た米イスラエルとイランは、攻撃の応酬を続ける一方で、戦闘終結への駆け引きを強めている。米国の軍事作戦の目標は、当初の体制転換から事実上封鎖された要衝ホルムズ海峡の開放へと軸足が移った。トランプ米政権は核放棄など15項目の厳しい条件を突き付け、逆にイランは賠償金支払いなどを求めて対抗。イランの「脅威」排除に固執するイスラエルは攻撃強化の方針を崩さない。各国の思惑が複雑に絡み、事態収拾への道筋は不透明なままだ。(後略)戦争や紛争とは昔からそういうものなのかもしれない。その国や民族のプライドや意地はそれぞれだと思うが、トランプには損得や勝ち負けしかないから、相手のメンツを潰すことの怖さを知らなかったのかも。この状態で一番困っている国はどこだろう。イランではないはずだ。そして、それ以上に困っているのは、こんな争いに巻き込まれている無辜の人々だ。
2026年03月29日
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「ローラとわたし」キアラ・ヴァレンティーナ・セグレ 文 /パオロ・ドメニコーニ 絵/杉本あり 訳【内容紹介】ローラはわたしの親友で、いっしょに暮らしている。はじめて出会ったとき、ローラはひとりで苦しんでいた。わたしは、ローラの力になろうと決めた。毎日の散歩や、はじめて行った海…。女の子と盲導犬がともにすごす日々を美しく描いた感動の絵本。IBBY障害をもつ子どもたちへの推薦図書選定。【著者について】キアラ・ヴァレンティーナ・セグレ1982年ミラノに生まれる。分子腫瘍学で学位をとり、サイエンス・コミュニェーションで働いている。イタリアの出版社から子ども向けの絵本や読み物を出版している。パオロ・ドメニコーニイタリアのモデナに生まれる。絵画を学んだ後、広告会社に勤務した。現在は子どもの本のイラストの仕事で活躍している。杉本あり大学卒業後、出版社勤務を経てイタリアへ留学。インテリアデザインを学ぶ。エコ・デザインなど「暮らし」と「デザイン」をテーマに取材・執筆をしている。著書に 「 イタリア一人歩きノート 」「 イタリア一人暮らしノート 」(大和書房) 「 フィレンツェ 四季を彩る食卓 」(東京書籍)など。視覚に障害を持つ人達と、以前の仕事の中で出会ったことがある。先天性の全盲の人から(一人は生まれつき眼球がなかった)、色々な原因で途中で視力を失った人もいた。盲導犬と一緒に暮らしている人とは、親しくはなかったけれど時々会っていたのでその都度盲導犬の能力に感動もした。本当に犬というものは、訓練されているとはいえ、人間の仲間で理解者なのだなと感心するばかりだった。同時に、視力を失った人たちの聴力や周囲の雰囲気を感じ取る凄さにも驚くばかりだった。かつて、全盲の大学の講師に講演をお願いしたことがあり、その時に会場のドアの前で「随分大勢の人が来てくださっているのですね」と言われてビックリした。その人には、私が昼食の時などにお手伝いをしたのだが、最初に昼食の内容を教えられたとおりに時計の針の方向などで示してお伝えしたら、その後は何も説明の必要はなく、指で位置を確かめながら見えているかのように食べつつ、私達との会話が続いた。さらに、一度自己紹介をしたなら、声でその人のことを記憶するのだろう、不都合なく会話も続いた。その人はもともと能力が高い人でもあったのだろうが、もう「恐れ入りました!」と言うしかなかった。もう一人、点字図書館で働いていた男性と久しぶりに会った時に、私は懐かしさから自分の名前を名乗らず「Sさん、お久しぶりです」と話しかけた時、すぐに「あ、みらいさん、お久しぶりです!」と返事をされた時はビックリした。私の声はそれほど特徴的なのだろうか? いや、そうではなくて、彼は私達が顔を覚えるように、声と人を覚えているのだと思う。彼はほとんど見えていないと言っていたが、(ぼんやりと影が見えるような感じらしい)白杖も使わずにあまり不自由なく歩いている感じだった。その時は夜のイベントの会場だったのだが、彼は私たち以上に不自由なく動き回っていた。もう一人の鍼灸師の男性は、彼の言葉によれば「朝起きたら、何も見えなくなっていた」そうで、それから視覚障碍者として生きていくために鍼灸師の勉強をしたらしい。まだ目が見えないことに慣れていなかった頃(彼の言葉)、横断歩道を渡れずに一時間くらいそこで立ち止まって逡巡していたという。「その時が一番怖かったなあ」と笑いながら言っていたが、本当に不安で恐怖の時が何度も何度もあったことだろう。色々な障害があり、どれもが大変な不便があると思うが、私には目が見えなくなるのは一番怖いと思った。何よりも、私の楽しみは「本を読むこと」。これができなくなるのはとても怖い。当時は30代後半だったので、点字ボランティアにチャレンジしようかとも思ったことがあるが、忙しすぎて体験だけで終わってしまった。その時に点字図書にも触れてみたのだが、私の鈍感な指先ではただの凸凹にしか感じられず、白杖体験もしてみたが、アイマスクをつけて傍らには介助者もいるのにもかかわらず、一歩足を運ぶのにもとても不安だった。ためしに、アイマスクをしてまっすぐ歩いてみたらどうなるのか。スイカ割をしたことがあれば、目の見えない状態でまっすぐ目的の方向に歩くのが難しいことはわかると思う。まあ、そんな私でも本当に視力を失ったなら必死に頑張るのだろうが、私にそれができるのだろうかと、障害を持った人たちを心の底から尊敬したものだ。絵本からはちょっとはずれた思い出話になってしまったが、この絵本は中途失明者の不安や恐怖、そんな心を理解して寄り添うものの存在の大切さ、やがて勇気を出して歩き出し、次々と新しいチャレンジをしていく姿、その傍らに信頼できる相棒がいることがどんなに素晴らしいことか。そんなことを疑似体験させてくれる絵本だと思う。最初は「ローラつてどっち?」と思いながら読んでいたけれど、ああそうか、と思った時に静かに感動が広がった。犬はとても賢いし、人の言うことをよく理解するので、盲導犬だけではなく介助犬としても活躍しているはずだ。調べたら「日本介助犬協会」があったので、そのサイトを見たら色々わかると思います。実はこの絵本、友人のお勧めだったのだが、彼女が書いてくれた著者とは違っていた。別の本があるのだろうか。
2026年03月28日
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「かぐや姫のおとうと」広瀬寿子 作/丹地陽子 絵想は竹林で、いささ丸と名のるふしぎな少年と出会う。彼は1200年の前からくり返されてきたという生まれ代わりの話をする。信じられない想に、涼ちゃんが持つみごとな竹のじゅず玉こそ、その生まれ代わりの証だと…。時を超えて紡ぐ壮大な愛のファンタジー。図書館分館の絵本コーナーや児童書をブラブラしていて目についた本。「かぐや姫のおとうと」なんて面白い着想だなと借りてきた。出版社のサイトでは、「中学1年生に贈る読み物セット」と説明されているので、中学生向けなのか。ただ、読んでみたら引き込まれてとても面白かった。何だか、小中学生時代に本を読んでいた頃の気分が甦った感じ。物語の中に吸い込まれて行って、主人公やその他の登場人物と同じような気分で、ハラハラドキドキしてしまう。今でも私はそのような気持ちになる本が好きだし、そうならない本はまた違う気分で考えつつ読んでいる。さてこの本、確かに中学・高校生の少年少女の気持ちに添ってはいるが、憧れから恋愛、そして成長して大人としての愛に戸惑う気持ちがファンタジーの形をとってはいるがよく描かれている。同時に、現代の少年少女がかかえやすい様々な問題と、それを悩みながら乗り越えつつ成長していくプロセスも。最近は本を読まない子ども達が増えているらしいが、心の成長のためには、本を読みながら感じたり想像したりする時間はとても大切だと思う。そして私たち高齢者にとっては、たまには児童向けの本を読んで、かつての瑞々しい感情や感性を思い出すことも大切かも。
2026年03月27日
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「ハルばあちゃんの手」山中 恒 文/木下 晋ハルは海辺の小さな村に生まれた。「おや、ほくろのあるいい手じゃ。きっとこの子は器用だし、幸せになるよ」とハルの手をみて、みんながいった……。ハルばあちゃんの手を通して、歴史と社会が変わっていくなか、懸命に生きる女性の姿が浮かんでくる。その人生は、一見、大勢の同世代の人々と変わらず、平凡なようにみえるが、その生涯を貫いた深い愛が大河ドラマのように胸に迫ってくる。簡潔で力強い文に、モノクロの鉛筆画の奥深い世界が展開されている。新聞で山中恒さんという児童文学作家の訃報のことを知った。ご本人は「児童よみもの作家」と自称していたという、反骨の作家だったようだ。実はこの人のことを知らなかったのだが、お書きになったものを読んでみたいと図書館の分館に行った。しかし、彼の作品はあまり所蔵していなくて、この絵本があったので借りてきた。鉛筆で丁寧に描かれている絵が、ハルばあちゃんの人生をしみじみと感じさせる。ああ、私の祖母もこんな手をしていたかもしれないと思う。農家に生まれ、農家の嫁となり、あらゆるものをその手で作ってきた手。農作業で節くれだち、決して美しい手ではなかったけれど、たくましく頼もしい手だった。実はこの絵本、書庫にしまわれていたのだが(少し汚れもあるからかな)できれば多くの人に手に取ってほしいと思う。子ども向けの本というよりは、高齢者や大人が子供と一緒に読んでもらいたい。
2026年03月26日
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「怪物はささやく」パトリック・ネス 著、シヴォーン・ダウド 原案ジム・ケイ 装画本文挿絵、池田真紀子 訳【内容紹介】カーネギー賞、ケイト・グリーナウェイ賞ダブル受賞! 怪物は真夜中過ぎにやってきた。墓地にそびえるイチイの大木の怪物がコナーのもとに現われて言う。「おまえに三つの物語を話して聞かせる。わたしが語り終えたら、おまえが四つめの物語を話すのだ」闘病中の母の病気が悪化、学校では孤立……。そんなコナーに怪物は何をもたらすのか。夭折した天才のアイデアを、カーネギー賞受賞作家が完成させた、心締めつけられるような物語。児童文学に関わる仕事をしている友人に、「お勧めの児童書は何?」と聞いたら、紹介してくれた二冊のうちの一冊がこれ。当市の図書館にはこの本が所蔵されていたので、早速借りて読んだ。主人公の少年のコナーを取り巻く環境は、とても大変だ。離婚してシングルマザーの病気の母親、そりの合わないおばあちゃん、お父さんは別の家庭を持っていてなかなか会えない。それに加えて、家庭環境の噂がきっかけで、学校でも居場所は次第になくなり、かついじめっ子の標的になっている。ここまで概略を書いても、少年コナーがどれほどのストレスを背負いながら日々を送っているかわかるし、ちょっと想像力のある人なら、夜な夜な悪夢に襲われ真夜中に現れてよく理解できないことを話す怪物に悩まされていることはリアルに感じられるだろう。私も、コナー少年の心理状態に影響されながら本を読み進んだ。全体的に楽しい物語ではない。むしろ、読んでいて息苦しくなるような作品だ。しかし、その息苦しさは子どもが成長する過程で自分自身を見つめ、周囲の状況を理解しようとし、やりきれない思いを抱えながらも自分の本音は押し殺し、何とかうまくやっていこうとする時に生じる共通の心理だと思う。しかしそれを、このような物語で表現するとは!いや、児童向けの物語は多かれ少なかれそのような要素はあると思うのだが、これは規格外だ。怪物のささやきには、人間の真実がちりばめられている。人が根源的に併せ持っている善悪。苦しい時には嘘だって信じてしまう心理。生と死を見つめた時には、必ず伴う不安や孤独、かすかな希望や反転する絶望。そのことの矛盾に耐え切れず自分自身にさえ嘘をついたり、それを相手に転化したり。これは子どもだけではない、人間すべてに当てはまるし、まさに現在世界中で起きていることはそれによるものではないか。きっと、それぞれの世代によって、あるいはその人の体験によって、この本で受け止めるものは随分違うだろう。しかし、この本を多少でも面白いと感じたり、ドキドキしたり苦しくなったりする人は、コナーや周辺の人達に思いを重ねるはずだ。自分の中の混沌とした感情を揺さぶり、それを物語という形で客観視することは、老若男女誰にでも大切なことだろうと思う。さて、怪物とは何者なのか。怪物の存在を感じたことがある人ならば、思い当たることでしょう。とても良い作品だと思うので、興味のある人にはぜひ手に取っていただきたい。ネットで検索したら、映画化されているようですね。映画「怪物はささやく」
2026年03月24日
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壱岐と長崎への旅の記録ばかりで、その途中の出来事はスルーだった。ということで、この一週間の出来事メモ。3月15日(日)この日の午前中に中学時代の同級生から電話がある。「急だけど、久しぶりにKさんと会えないかな」基本的に嫌でないことは断らない私は勿論OK。ということで一人暮らしの彼女の家に行き、三時間ばかりおしゃべり。中学時代にはさほど仲良しという関係でもなかったけれど、ずっとクラス会の幹事をしてきたおかげで、彼女たちとも親しくなってきたような気がする。いつも、話すたびにそれぞれに対しての新しい発見がある。二人とも、結婚して子育てをするようになってから色々な出来事があった。それを悩みながらも乗り越えてきて、今の穏やかな生活がある。人生、こうじゃなくちゃねと思う。3月20日(金)このことについてはずっと心配していたので記録しておこう。友好ムードの会談を野党歓迎、中道・小川代表「多としたい」…共産は「情けない対米追随外交」と批判3/20(金)読売 高市首相とトランプ米大統領の首脳会談で経済や安全保障などに関する連携強化が確認されたことに対し、与野党から評価する声が上がった。与党は会談の成果や意義を強調し、野党は国会での報告を求めた。 自民党の小林政調会長は20日、「首相とトランプ氏の強固な信頼関係の下、両国の経済、経済安全保障、安全保障それぞれの面において更なる連携強化が確認されたことは非常に意義深い」とのコメントを発表した。中東情勢が緊迫化する中、「わが国へのエネルギー供給を強化する日米間の取り組みに合意できたことは大きな成果」とも指摘した。 日本維新の会の斎藤政調会長は取材に対し、ホルムズ海峡の安全確保に向けたトランプ氏の協力要請について「日本として法の枠組みの中でできること、できないことがあるのを説明し、友好的なムードで会談を行えたことは大きかった」と語った。与党内では「今回の首脳会談は今後の政権運営を占う山場だった。首相のコミュニケーション能力と政府の準備の良さが光った」(維新幹部)との声が出ている。 野党も会談が友好ムードで行われたことを歓迎している。中道改革連合の小川代表は20日、高松市内で記者団に「非常に厳しい環境の中、温和な雰囲気で会談をやり切ったことは多としたい」と評価した。その上で、会談の詳細が不明だとして、衆参両院の本会議で報告することを要求した。 国民民主党の玉木代表は自身のX(旧ツイッター)に「友好的な雰囲気で終わって良かった」と投稿した。ホルムズ海峡での航行の安全確保については「日本自身の問題として主体的に考え、解決していかなければならない課題だ」との考えを示した。 一方、共産党の田村委員長は20日、党本部で記者団に「戦争と混乱をもたらしている張本人を礼賛する情けない対米追随外交に抗議したい」と批判した。私は、とにかく変な宿題を受け取らずに終わったことにはホッとした。トランプに抱きついていった姿にはギョッとしたが、その姿を見て(彼女は役割を果たすためには捨て身で行ける人なんだな)とも思った。なにしろ、トランプのようなタイプの人は、懐に飛び込みご機嫌を取り、彼の気分を損なわないようにすることが一番なのだから。奇襲攻撃についてのトランプの発言にはムッときたし、多分高市さんも皮肉の一つも言ってやりたいところだっただろうが、よくこらえたと思う。高市さんも随分入念に準備をしていったようで、今回のことは私としてはよくやったとねぎらいたい。彼女の態度を追従し過ぎだとか、ご機嫌取りしすぎるなど批判する人の気持ちもよくわかるが、ではどのようにしたら良いというのだろう。私は毅然とした態度で接して彼のプライドを傷つけた時の方が恐ろしい。普通じゃない人に対しては、普通じゃない対応しかないだろう。本当にお疲れさまでした。【WBC】今大会無安打の近藤健介「何もできずに終わってしまった」 侍敗退後は報道陣へ丁寧対応 【WBC】伊藤大海への誹謗中傷が海外で報道「度を越えた悪口」「敗戦の張本人として非難」期待された【WBC】は、まさかの準々決勝敗退。これには日本中がガッカリしたのは仕方がないが、選手たちはみんな必死に頑張ったのだ。それに対して誹謗中傷がネットで炎上しているなんて、もっとガッカリだ。日本人の心の劣化が垣間見える。そのベネズエラがアメリカを破って優勝したのは、とても嬉しい。ベネズエラの人達は、どれほど喜んでいることだろう。この結果に拍手しかない。
2026年03月22日
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この日は旅の最終日。ホテルを出て駅前のコインロッカーにスーツケースを預けて、前日ガイドさんに教えてもらった長崎歴史文化博物館へ向かう。バスも体験しようと、博物館に近いバス停の路線を調べてバス停に。長崎は市電もバスも充実しているのか、あちこちにバス停が分散されていて、田舎者の私はちょっと戸惑ってしまう。そこは、私よりは都会に住んでいるKさんに頼ってしまう。バスを降りてからも彼女のスマホに依存しながらも、何とか博物館に到着。長崎歴史博物館どれもとても興味深く、一つ一つ説明を読んでいたらあっという間に時間が過ぎてゆく。今までの私は、夫とツアーに参加する旅行が多かったのだが、ツアーで物足りないのはミュージアム全般が日程に入っていても、時間が足りなくてサーッと見るだけになってしまうこと。しかし今回は、そのあたりが自由がきくので本当に良かった。また、見ていても彼女と少し意見交換などもできて、さらに印象深いものになる。とはいえ、この日は帰る時間が決まっているので、最後は少し急いでタクシーで長崎駅へ。また電車の中で食べるお弁当を買い、12時42分発の新幹線かもめに乗り込む。今回も武雄駅で乗り換えなくてはいけないので、乗り過ごさないようにと二人とも緊張。だが、この日は失敗はせず、無事に午後二時過ぎに博多駅へ。博多駅からは地下鉄空港線があるので、それに乗って福岡空港に到着。実は、私はジェットスターで千歳空港に向かうのだが、そのチェックインはスマホでするという。私はそんな方法でやったことがないので、それで大丈夫なのかと不安だった。ということで、まずは受付カウンターに向かったのだが、やたら混んでいる。やっと順番が来て、私のスマホ画面はもう一つ手順が必要だったのだが、何かのアプリが入っていなくて中途半端だったらしい。それで、紙のチケットを渡してくれたので本当に安心する。やはり、アナログ人間の私にはちゃんとしたチケットがありがたい。ここで知ったのは、予定の飛行機が一時間ほど遅れるということ。まあ、そんなこともあるさと気にせず、時間までは二人で最後のおしゃべり。その後ジェットスターの出発ロビーに向かったのだが、これが一番端っこ。発着便が遅れているせいなのか、やたら混んでいる。ちょっとでも席を立つともう座れなくなる状態なので、隣に座った女性二人組に荷物の見張りをお願いしあってトイレに立つ。その後もまだ時間があったので、隣の女性に声をかけた。「北海道には観光ですか?」すると、二人とも札幌で開催される「嵐」のコンサートに行くためだという。「えーっ、九州からわざわざ北海道まで?!」聞けば、第四希望で札幌になり、慌てて飛行機やホテルをとったのだという。そういえば、嵐のコンサートのために、孫は本州での用事から帰るための飛行機のチケットが取れなかったと言っていた。テレビなどでも、札幌近辺のホテルの価格が爆上がりして、旭川にまでホテル予約が殺到しているとも聞いた気がする。「それでは、チケット代もホテル代も高かったのでしょう?」と聞くと、両方とも五万円近くだとか。それには本当に本当にビックリ仰天だった。私の航空チケットの四倍である。「嵐」って本当に凄いんだなあと、改めて驚くばかりだった。ということのせいか、飛行機は満席。隣に座った親子連れも、コンサートに向かうようだった。きっと、着いてからホテルに向かうのだろうが、地下鉄も混んでいるのだろうな。と思いつつ、千歳についてJRに乗り込んだらやはり混んでいた。気のせいか、みんな嵐コンサートに向かう人のような気がしてくる。という感じで私の旅は無事に終わった。今回も天気は全行程晴れていた。「晴れ女」の面目躍如である。今回は、高校時代の同級生として出会ったKさんとの初めての旅行だったのだが、これまでの空白の時間を埋めるように色々な話をすることができた。そして、お互いに知らなかったこと、知らない一面を発見することになったと思う。彼女とこんな時間を過ごすことになるなんて、高校生の時には想像もつかなかった。やはり、「縁」があったのだろうと思う。彼女と話していて、「きっと亡き父は、私に彼女のような人になってほしかったんだろうな」と思った。父が生きているうちに彼女に合わせたかったなとも思った。彼女のやっていること、性格、関心事は、父とは私よりも話が合いそうな気がする。ひょっとしたら、私たち二人を背後から&空から追いかけていて、雲や雨を払いのけ、一緒に旅を楽しんでいたんじゃないかという妄想すら湧いてくる。ともあれ、旅に誘ってくれて本当にありがとうね、Hちゃん。またどこかに行きたいね
2026年03月18日
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≪3月12日(木)≫ この日の朝は二人とも疲れていたのか寝過ごして、私はギリギリ朝食を食べることができたが、彼女は食べないままに駅に向かう。長崎駅にある長崎市総合観光案内所で受付をして、いざ観光バスへ。9:30 長崎駅西口 出発→9:37 長崎原爆資料館(下車観光)→10:32 平和公園(下車観光)今回、長崎原爆資料館に行くことを希望していたのは、Kさんである。私は、改築前と改築後の二回この場所に来ているのだが、どちらもツアーだった。やはり、最初に資料館を見た時の印象が強かったせいか、今回は(こんな感じだったかな)と思ってしまった。広島の原爆資料館にも同じように二回行ったと思うのだが、強いショックと印象は最初に見学した広島の方だった。長崎の方が威力の強い原爆だったようだが、地形の関係で範囲は狭く、被害者も広島より少なかったという。それと、印象ではあるが広島の方が被害の残酷性を感じる展示が多いような気がしている。また、長崎は歴史的にキリスト教信者が多いせいだろう、原爆の非人道的な部分と共に、キリスト教の教えの影響なのか、原爆投下国へ怒りや恨みを中和させる空気があるようにも感じる。それでも、展示物の説明を読んでいると、あらためて(そうだったのか…)と思うことも多かった。ツアーは時間が決められているので、その後は平和公園の方に向かう。この日の天気も快晴。ここの上空で原子爆弾がさく裂したのだと思うと、なんとも言えない気持ちになる。たまたまこの場所にいた人たちは、その直前まではそんなことを予想もしていなかっただろう。予想もつかないことがこの世には起きるものだとは言え、自然災害ではなく人の心の中にある悪魔の仕業だ。敬虔なクリスチャンの多いこの地をどうして選んだのだと、複雑な思いが沸き上がってしまう。その後は車窓から如己堂(車窓)→浦上天主堂(車窓)→一本柱鳥居(車窓)→諏訪神社(車窓)→11:30 出島(下車観光)→12:30 長崎駅如己堂は車窓からチラッと見ただけだったが、本当に小さくてビックリ。この浦上の人達が材木を集めて建ててくれた二畳の家に、親子三人が何年も過ごしたとのこと。永井隆 (医学博士)は放射線の研究者だったので、原爆投下以前から白血病にかかっていたとか。それは今まで知らなかったことだった。出島は、私達のイメージは海に突き出た小島といういうものだが、現在は周囲が建物やビルに囲まれていて、海はどこだ? という感じ。しかし、復元された建物などで当時に思いをはせることができる。その後、長崎駅で降車して各自昼食となる。駅構内にあるかもめ市場では、お土産店や飲食店が並んでいて、私はやっぱり長崎ちゃんぽんが食べたかったので、平和公園でお話をするようになった一人参加の女性と三人で、ちゃんぽんが食べられるお店に入った。メニューに「長崎ちゃんぽん」と「長崎皿うどん」があり、写真ではどこが違うのか判然としない。とりあえず、私はちゃんぽん、Kさんは皿うどんを頼んだと思う。ちゃんぽんは塩ラーメンに近い感じ、皿うどんは麺にあんかけをかけたもので、どちらも美味しかった。14:00 長崎駅西口 出発→オランダ坂(車窓)→14:10 孔子廟(下車観光)特筆すべきは、孔子廟での変面ショー。動画を見つけたので貼り付けてみる。見れるかな?京介変面ショー 孔子祭2025 長崎孔子廟 2025年9月20日変面という芸能(?)があることは知っていたが、間近で見るのは初めて。毎日このショーがあるわけではないということで、本当にラッキーだった。音楽に合わせて踊りながら瞬時に顔が変化するのには本当にビックリ。しかし、どうしてそうなるのかを知りたくなるのも自然のことで、真剣に演者の顔を見つめてしまう私だった。知覚に来た時に、そのお面が布製だと感じた私は、重ねた伸縮しやすい布を外していくんだろうと予想したが、今ネットで調べてみて(やっぱりそうだったか!)と思っている。しかし、それを観客にわからないように瞬時に行うのはやはり技術だろうし、面をつけていない素顔を見せてからまた変面をするのはどうやっているのか。とにかく、とても面白かったし見ることができて本当にラッキーだった。その後、大浦天主堂(外観見学)→14:43 グラバー園(下車観光)→新地中華街 北門(車窓)→出島(車窓)→16:30 長崎駅グラバー亭は高台にあり、結構風が強かったと思う。それでも、色々と建物を巡って歩いたが、今、強い記憶に残っているのは、眼下の港に停泊していたダイヤモンドプリンセス号。本当に大きくてビックリ!午後四時に出向とのことで、グラバー亭から出港のイベントなのか、和太鼓演奏の音がずっと続いていた。良いものを見ることができて、またまたラッキー。長崎駅に戻って、バスガイドさんに半日で見学できる良い場所はないかとお聞きしたら、長崎歴史博物館が面白いと教えていただいた。次の日の予定も、これで決定。ということでホテルに戻り、次の日の予定などを打ち合わせした後、夕食のために外に出る。この日は、ホテル近くの別の居酒屋さんに行こうと思っていたのだが、そこが満席だったので隣の「活魚処海人」へ。ここが大正解だった!最初は(長崎に来て沖縄料理か…)とちょっと思ったのだが、大好きな海ブドウやお刺身、沖縄で食べて美味しかったと記憶しているパパイヤチャンプルー、初めて食べたもずくの天婦羅、島らっきょにえーと何だっけ。料理に合わせる飲み物は、Kさんはもちろん古酒、私はさんぴん茶。今回はアルコールに弱いことが本当に残念でした。そうそう最後のデザートの黒糖アイスも絶品だった。ということで、この日もラッキーと充実感に満ちた一日となりました。
2026年03月18日
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「明らかに侵略戦争」イラン側から見た実情…「国際法は今や存在しないのか?」「象徴的な戦争」研究者が解説3/18(水) イラン情勢が緊迫化する中、イラン側の内情はどうなっているのか。イランを40年以上研究している同志社大学大学院の中西久枝教授はイラン側から見た光景は不条理に尽きると指摘する。 中西教授は「どのように戦略的に考えても“無謀としか言えない攻撃”。国際人道法を完全に無視した戦争が現在行われている。明らかに侵略戦争だと思う」との見方を示す。イランから見るとすべての主権国家を無視し、核兵器を持つ国が持たざる国に一方的に攻撃を仕掛けていると中西教授は語る。 2002年、アメリカのブッシュ大統領がイラク・北朝鮮と並びイランを「悪の枢軸」と呼び、一方的にイランへの制裁を強化した。 核開発問題を巡っては一度はそのテーブルに戻り制裁は解除されたものの、トランプ大統領が就任し一方的な理由で制裁を再開。そして今回も同様の道を歩んでいる。 地元メディアなどによると、ハメネイ師殺害に関してイスラエルは数年前からテヘランの交通監視カメラをハッキングし、現地の詳細な地理やハメネイ師の日々の動向を把握していたという。 また、イスラエルはハメネイ師が殺害されたテヘランの邸宅付近の電話のネットワークを妨害し、警護要員に通話できない状態にしていたという。「“パンドラの箱”を完全に開けてしまったのが今回のイラン攻撃の最大の問題点。核保有国だと事実上ほぼ世界が認めているイスラエルとアメリカが核保有国でないイランに対して攻撃をしたということは、しかもトランプ政権のように関税を武器に『自分こそが主導権をとるんだ』と覇権を進めていく。国際法など今や存在しないのか?と思うような事態が平然と行われている。一体正義はどこにあるのか?根本的に考えさせられる非常に象徴的な戦争」(中西教授) また、中西教授は、私たちの知る情報もまた、一方的ではないかと指摘する。「イラン側の被害がどれだけ甚大なものか報道しきれていない。アメリカ兵の(死者が)1桁に対して(イランは)4桁が亡くなっている。無実で何の悪いこともしていない人たちの命が毎日失われていることに対する感覚が普段の報道では十分にされていない」。 アメリカの掲げる正義は、侵略を受け、命を失った側から見れば言われなき暴力にすぎない。(『ABEMA的ニュースショー』より)上記の内容はとてもよく理解できる。それだもの、イランが下記のようになるのもよくわかる。“アメリカとイスラエルが屈服まで和平なし”イラン新指導者のモジタバ師 停戦拒否し強硬姿勢 ロイター報道 就任後、初の外交政策会議3/18(水)こんな戦争の協力者には、日本は絶対になってはならない。トランプ氏はネタニヤフにそそのかされてはめられたとも言えるし、トランプの目的はユダヤ人脈へのご機嫌取りと、経済問題での優位性や彼の得意とする(と思っている)ディールでの勝利だから、そのあたりをうまく利用してディールで多少の勝ちを譲り、それによってイランとの争いを終結させるようにして「貴方は偉大だ!」と乗せるしかないんじゃないか。だから下記のことは理解できる。米国産原油を日本で「共同備蓄」、日米首脳が合意へ…対米投資で増産分・価格安定化や調達先の多角化図る高市さんには本当はトランプと会ってほしくないのだが、(会ってうっかり発言で戦争に巻き込まれるのが怖い)どうしても行くのであれば、何とかうまくやってくれと祈るような気持ちだ。
2026年03月18日
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≪3月11日(水)≫ この日は、壱岐に別れを告げて長崎に向かう。この日も気持ちの良い天気で、徒歩で郷ノ浦ターミナルに向かう。壱岐は麦焼酎発祥の地だということを前日聞いたので、売店で麦焼酎や少しの壱岐土産を購入。郷ノ浦 発09:25 → 10:35 博多港着→ タクシー→JR博多駅博多駅 10:53→(特急リレーかもめ)→武雄温泉→(新幹線かもめ)→12:29長崎駅博多駅で駅弁を買い、特急に乗り込む。ここで私達おとぼけコンビは、その特急がまっすぐに長崎まで運んでくれると思い込んでいた。駅弁を食べてからも、色々な話に夢中になっていて、車内アナウンスをちゃんと聞いていなかったのだ。武雄温泉に到着した時、なぜか乗客が次々と降りてゆく。「えっ? どうしてみんな降りるの?」と気付いた時には、ほとんどの人が降りてホーム反対側に待っている新幹線に乗り込んでいた。やっと気づいた私達は、大慌てで荷物を持って新幹線に移動。やれやれ、思い込みというものは本当に怖い。アブナイ、アブナイ。そんなドタバタはあったけれど、無事に長崎に着いた私達は、まずは宿泊予定の東横INN長崎駅前に向かう。まだチェックイン前だし、午後六時に夜景観光バスに乗るまでには時間があるので、ラウンジでそれまでの間に行ける場所などを探し、徒歩圏内に「日本二十六聖人記念館」があると知りそこに向かうことにした。長崎は坂の町と聞いてはいたが、道路も曲がりくねっている。私達は方向音痴を自認する二人なので、スマホを頼りに歩き始めたのだが、実は私はスマホナビもなんだか苦手。というわけで、スマホは彼女に任せることがそれからも多かった。それでも何とか「日本二十六聖人記念館」に到着する。1597年2月5日、豊臣秀吉のキリシタン禁教令により日本で初めてキリシタン26人が処刑されました。殉教の地である「西坂の丘」に1962年、日本二十六聖人列聖100年を記念して建立された資料館で、世界的に知られるカトリック教徒の公式巡礼地です。(サイトから転載)私はキリスト教には詳しくはないけれど、禁教令が出てからも信仰を守り続けた人たちのことや、磔になろうと信仰を捨てようとはしない人間の魂の純粋さや崇高さを感じるとともに人をこのように殺しても平気になってしまう人間の愚かさや怖さを同時に感じることになった。こんな残虐な命令を出した人(秀吉)に、ヒトラーやトランプ、ネタニヤフなどをついつい重ね合わせて考えてしまう。本当に権力や欲に囚われてしまった人間は怖い。色々と思いを巡らせながら記念館を後にして、バス乗車を申し込んでいた東横インに向かったのだが、ここで私は間違いをしてしまった。来るときに電車の線路を通ってきたと記憶していたので、最初の電車道に添って歩き始めたのだが(ホテルは線路に面している)、どうも様子がおかしい。つまり違う路線の線路だったのだが、ずいぶん遠回りしてしまったそれでも無事に稲佐山展望台「夜景見学ツアー」の観光バスに乗り込むことはできた。やはり夜になると展望台あたりは風が強く寒かった。それでも晴れていたので、夜景はとてもきれいだった。夜景を見てホテルに戻り、遅めの夕食をとることにした。ホテルの目の前に「ばんざい」という居酒屋があったので、そこに行くことにした。私はアルコールは強くないのだが、Kさんは強くてお酒は大好き。飲めなくても居酒屋料理は好きなので、久々の居酒屋メニューにわくわく。残念ながら写真を撮っていなかったので何を食べたかほとんど覚えていないのだが、とても印象に残っているのはきびなごのお刺身。あんな小さなお魚を、こんなに美しい刺身にするなんてと、それだけで感動!ありがたさに美味しさが増すようだ。他にも色々いただいて、お腹いっぱいの大満足でホテルに戻った。長崎初日も、充実した一日となった。
2026年03月17日
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≪3月09日(月)≫楽しみにしていた壱岐・長崎への旅、一日目。九州なのだから暖かいのだろうと思ってその用意をしていたが、前夜の湿った雪で足元はツルツル。夏靴は危険なので冬靴にして、上着もキルティングのもの。荷物は極力軽くしていざ出発。天気が心配だったのだが、旅行中は晴れの予報。よしよし。SKY772 札幌(千歳)→福岡 (10:30 → 13:15)→タクシー→博多港→15:30 九州郵船ジェットフォイルヴィーナス→ 壱岐(郷ノ浦) 16:40着JRで新千歳空港から福岡の直行便に搭乗。いつものことながら、一人での空の旅はワクワク感がある。午後一時過ぎに福岡空港に到着して、羽田から飛んでくるKさんを待つ。無事に合流してからすぐにタクシーで博多港に向かい、壱岐へのジェットフォイルターミナルへ。少し時間があったので、そこで軽いコーヒーとワッフルでティータイム。ジェットフォイルに乗船してからは、久しぶりの再会に話は尽きない。壱岐に着いたのはすでに午後五時近いので、まっすぐに壱岐アイランドハブへ。一息ついてから、その日の夕食と次の日の夕食のお店を予約。この日はホテルから徒歩5分くらいの三益寿司へ。お寿司、お刺身、魚のあら炊き、えーっとまだ何かいただいたような気がするが、どれもとても美味しかった。彼女は貝類が好きだそうで、アワビのお刺身に感動していたような…。なにせ、久しぶりのおしゃべりが尽きない合間に食べていたので、せっかくカウンターに座ったのに、いただきながらのご主人とのお話はほんの少々。お腹がいっぱいの大満足の後、お会計をすませてから立ってから、ご主人夫婦との諸々の話に花が咲いてしまった。でも、次の日からの旅の期待も含めて、とても良い1日となった。≪3月10日(火)≫ 壱岐の島観光ホテル→オリックスレンタカー 壱岐郷ノ浦店 9:00に軽自動車受け取りこの日は彼女の運転で壱岐の島の観光を予定していた。まずは ① 一支国博物館(いきこくはくぶつかん) そもそも壱岐に行きたいと思ったのは、昨年、彼女と国立科学博物館の見学 をした時に、壱岐がとても日本の古代ではとても重要な場所と知ったことがきっかけ。だから、まずはこの場所で壱岐の歴史などを頭に入れてから遺跡巡りをしたいと思ったのだ。ここでは、展示物もとても興味深かったけれど、来館者が多くなかったことで学芸員さんに色々とお話を聞くことができたのがとてもありがたかった。やはり、展示物を見て説明を読むだけでは理解できないことが沢山ある。その意味では、とてもラッキーなスタートだった。② 原(はる)の辻遺跡(弥生時代の王都跡、住居・倉庫・王の区域、祭祀空間、集落構造)博物館は高台にあるので、原の辻遺跡はよく見えた。実は私達は二人とも方向音痴で、ナビを頼りにしていても何となく不安なコンビである。それでもさほど時間もかからず、遺跡を復元した場所に行くことができた。よしよし。予想していたより広大な敷地のこの遺跡は、弥生時代前期から古墳時代初期にかけての大規模環濠集落。当時交流のあった朝鮮や中国からの客人が泊まる建物などは、素人から見ても朝鮮風。かつて、この地で色々な民族が交流・交易していたのだと想像すると、何だか嬉しくなる。当時は、お互いに仲良くしていたんだなと思い、ついその後の争いや現代の争いを考えてしまう。③ ランチ「うにめし食堂はらほげ」うに丼などは北海道でもよく見かけるが、「うに飯」は食べたことがないのでこれをいただく。とても美味しかった。④月讀神社祀られている月讀命(つきよみのみこと)は、天照大御神の弟だそうで、ふーん。思ったより小さな神社だったのだけど、ここで引いたおみくじは大吉。よしよし。⑤壱岐古墳群ここには本当にたくさんの古墳があった。鬼の窟(いわや)古墳は前室・中室・玄室まで入ることができる。掛木古墳では、観光タクシーでやってきた人と出会い、観光ガイドさんが説明している時に遭遇。私達はずうずうしくもついつい質問などしてしまい、とても詳しい説明を聞くことができた。壱岐の歴史にとても詳しい専門家のように思えたのでお聞きしたら、以前は博物館でお仕事をされていたとか。何とラッキーなことと、幸運に感謝するばかり。月讀神社のおみくじの大吉は本当だった。壱岐で予定していた場所はほとんど巡ったら、レンタカーを返却する時間になった。壱岐は予想していたより平地は少なく、山坂で細い道も多く、北海道の道路に馴染んでいる私としては少し怖い場所。そんな場所を運転してくれたKさんには感謝しかない。夕食は、前日予約を入れてあったお店お食事処まる辰に向かう。二階の個室で「ふぐ会席」を予約していたのだが、実は私はふぐ料理のフルコースをいただくのは初体験。どれもとても美味しかったのだが、特に鍋の最初に白子を冷たいダシから温めて、ポン酢でいただいたのが絶品。しかしその後、鍋の後に出てきた白子の茶わん蒸しは、超絶品だった。ふぐってこんなに美味しいんだと感動の連続だった。実は、このコースはできれば二日前に予約するべきだったそうだが、前日の予約で準備してくれたことに感謝である。大満足の壱岐の一日だった。
2026年03月15日
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明日から旅行なので、スマホから書けるかテストです。高校時代からの友人との旅行、どんなことを感じる旅になるのか、どんな話ができるのか、本当に楽しみです。とりあえず、書き込めることはわかった。
2026年03月08日
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函館に住む孫が里帰りしたので、久しぶりに家族が集まっての食事会。ひ孫も九か月となり、這い這いが上手になった。赤ちゃんがいたら間違いなくその子が主人公。息子も一人前のおじいちゃんになって、膝に抱っこしてまんざらでもない様子。今回の会食は、夫の手打ちそば、煮物にポテトサラダ、野菜のかきあげ、お嫁さんが持参した野菜サラダ、そして回転寿司でチョイスしてきた生寿司。妹が持ってきたイチゴやミカンのデザート。お正月より人数が多い大宴会だった。それにしても、このひ孫が成人する時にはどのような時代になるのか。イランやイスラエル、アメリカ、ウクライナとロシアのことを考えると、やはりそれが心配。でも、今までも人類は様々な争いや困難の時期を乗り越えてきた。日本人も縄文以前から乗り越え乗り越え今につないできた。そのことを信じたいと思う。次に集合できるのはいつになるかな。
2026年03月05日
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天気が良かったので、カーブス仲間でもあるIさんとカーブス後に長沼へ。長沼の舞鶴橋近くのガレット専門店で、久しぶりにランチとおしゃべりをする。そのお店は、一年前に中学時代の友人が教えてくれたのだが、Iさんがガレットを食べたことがないというので、そこに行くことにしたのだ。「カフェ コフェル」私達は、同じような役割で出会い、一緒に活動を続け現在に至っているので、共通の関心や話題にはことかかない。だから、多分エンドレスで話は続くような気がするので、できればお互いに長生きしておしゃべり相手になってほしいものだと思っている。今回の話題はやはりトランプを巡る話や世界の救いようのない争いのこと、読んでいる「世界99」で感じていることや、彼女が面白いと思う本。そして共通の知人についての懸念している話などなど…。その後、近くで丹頂鶴が増えているというので、できればそれを見たいと車を走らせる。昨年、中学時代の同級生に丹頂が繁殖する場所に連れて行ってもらったのだが、そこがどこかわからないのでその方向に車を進めると、丹頂をみようとして集まっているような車列が!そこには展望デッキがあり、立派なカメラを抱えた人たちが何人もいた。結果的には、そこでは二羽だけ確認できたが、その先に進んでいくと六羽が群れている姿を見ることができた。丹頂鶴の舞は確認できなかったが、鳴きあう声は良く聞こえた。スマホで撮影したが、逆光でもあり少し離れた対岸だったので、まるで隠し絵のようにしか見えない。でも、良い一日になった。舞鶴遊水地のタンチョウの様子
2026年03月04日
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「世界99 上・下」村田沙耶香 集英社(AIによるあらすじなどコピー) 村田沙耶香の『世界99』は、主人公の如月空子が成長しながら、現実と異なるディストピア的な世界での葛藤を描いた作品です。あらすじ物語は、主人公の如月空子(きさらぎ そらこ)が、周囲の人々に合わせて自分の人格を使い分ける「人間ロボット」としての生活を描いています。彼女は、過去のない街「クリーンタウン」で、他者の期待に応えるために「呼応」と「トレース」を繰り返しながら生きています。物語は、空子の成長とともに年齢を区切りとして章立てされており、彼女の内面的な葛藤や周囲との関係性が描かれています。 物語の中で、空子は「ピョコルン」と呼ばれる動物の遺伝子を持つ愛玩動物と出会い、彼女の人生に大きな影響を与えます。ピョコルンは、技術の進化によって特別な能力を持つようになり、社会の様相を変えていく重要な存在となります。 テーマと特徴『世界99』は、現代社会の病理やアイデンティティの分裂、ジェンダーロールの歪み、無自覚な差別の構造を鋭く描写しています。村田沙耶香は、読者に対して「普通」や「常識」を揺さぶるような作品を提供しており、物語を通じて深い思索を促します。 この作品は、村田沙耶香の集大成とも言える内容であり、約900ページにわたる大作です。読者は、空子の成長を通じて、自己のアイデンティティや社会との関係について考えさせられることでしょう。 読者の反応多くの読者は、この作品がもたらす衝撃や感情的な負荷について語っており、村田沙耶香の独特な世界観に引き込まれる体験をしています。作品の中には、直接的な性描写や社会問題に関する描写も含まれており、読む際には注意が必要です。 このように、『世界99』は、村田沙耶香の独自の視点から描かれた深いテーマを持つ作品であり、読者に強い印象を与えることでしょう。この作品のことを新聞などで知り、図書館で予約して借りた。来週は友人と旅行に行くので、実は上巻と下巻の少しだけしか読んではいない。しかし、読み始めた数ページで不思議な感覚にとらわれ、それはあまり気持ちの良いものではなかった。主人公の空子は周囲の人たちに合わせて自分の人格を変化させながらの人間関係を紡ぐ。それは、若い時の私の人間関係戦略であったからだ。戦略というよりは、当時の私は人と争うことはイヤで、友達と仲良くしたかったから、たとえ苦手な人とでもできるだけ笑顔で相手の話に合わせて自分を主張しなかった。しかし、高校生頃になると、自分にはしっかりとした考えや意思がないように感じて不安になった。私は読書が好きだったから友人たちよりはたくさん本を読んでいたが、それも影響していたかもしれない。面白い作品があったらその人の作品をゲップが出るほど読み続け、何冊か読んだらなぜかストーリーも予想されてしまうほどになったらその作家を卒業する。そんなことを繰り返していたので、ある時は虚無的になり、ある時は楽天的になりなんてこともあったはずだ。自分が発する言葉が誰かの模倣のように感じて、自分の内部は誰かの寄せ集めで本当の私はないような不安な感じ。それは、この「世界99」の最初の部分そのままのようだった。とても複雑な気分と、途中からは受け入れがたいおぞましさで、もう読みたくないとまで思った。しかし、作者が結局何を表現したいのかということに興味があったので、何とか上巻を詠んだのだが、その最後はとどめのような衝撃があった。この世界は何なのだ!そして確信した。人間の持つ業というか欲望が、科学技術の発達によってこんな風に向かっていくかもしれないということを書いている。私は下巻は完読していないのだが、空子に感情移入し続けて読んだためか、下巻の三分の一くらいで彼女がどのような選択をしてゆくのか見えるような気がしている。その状態でこれを書いている。多分当たらずとも遠からじではないかと思うが、返却期限が近いので読了はできないだろう。ここまできたら結果はどうでもよいような気がしている。現代がこのような矛盾と価値観の混乱、気候変動や科学技術の悪用、世界的な争いや権力者の妄想などで振り回されている中で、個人が自分の生き方や周りだけのささやかな平安や小さな幸せだけを求め、他の世界から自分を隔離しやすい状況は、地球規模で考えたらこれほど怖いことなのだ。
2026年03月03日
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トランプ氏、 イランで大規模作戦開始と表明 体制転換呼びかけ2/28(土)イラン革命防衛隊、ハメネイ師の「殺害した者たち」への報復誓う3/1(日)ハメネイ師死亡の報にイラン市民歓喜 映像で確認今後どのようになっていくのか、本当に心配だ。日本はこんなことにもアメリカを支持したりしないよね。
2026年03月01日
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内田樹の研究室「改憲について」 読者の方からこんなメールをもらった。質問へのお答えはブログに公開しますとご返事をした。こんな質問である。 質問(1):現在公開されている自民党の改憲草案(2012年作成)は、このままではとても大多数の国民が賛同するとは思えない酷い代物です。果たして、これをそのまま国民投票の材料として使ってくるのでしょうか。 ひとつのケースとして、国民投票向けに口当たり良くソフトに書き直した草案を提示してくることも考えられます。その場合、文言に解釈変更の余地を残すとか、何か抜け道を用意しておいて事後的に文言を再修正するとか、あるいは我々の想像を超えるような悪辣な手を使ってこないとも限りません。現時点では予測の話でしかありませんが、この草案の問題について、先生はどうお考えになりますか。 自民党の改憲草案をそのまま国民投票にかけるとは僕も思いません。おそらく九条二項の廃止と自衛隊の明記と緊急事態条項の追加が改憲のポイントになると思います。 その中では緊急事態条項が一番重要で、これが憲法に追加されると法的に独裁制が基礎づけられます。これは全権委任法です。 緊急事態条項についてはこれまで何度も書いてきていますけれど、問題点を再度指摘しておきます。 草案によれば、内閣総理大臣は「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」に際して緊急事態の宣言を発することができます。 問題は「内乱等による社会秩序の混乱」の「等」です。ここには何でも入れることができます。何を以て「社会秩序の混乱」であるかを規定する客観的な条件が書かれていません。ですから、内閣総理大臣の主観に基づいて緊急事態宣言はいつでも発出できるということです。 緊急事態が宣言されると、憲法は事実上停止され、内閣の定める政令が法律に代わります。「閣議決定」がそのまま法律となる。衆院選挙は行われないので議員たちは緊急事態宣言下では「終身議員」となります。ですから、もし発令時点で与党が過半数を占めていれば、国会が100日ごとに宣言の延長を議決する限り、緊急事態宣言は永久に延長できます。 そのような宣言の無制限の延長は不当であるという国民の声は議会外でのデモやストで表示するしかありませんが、まさにそのような異議申し立てそのものが「社会秩序の混乱」であるのだとしたら、それは緊急事態宣言の正当性を根拠づけるものでしかありません。 緊急事態宣言はそのような出口のないループに日本国民を閉じ込めるための法的装置です。 この条項をとくに「自然災害」の焦点を合わせたかたちで、改憲の文言に紛れ込ませるということはあると思います。 ただ、2012年の自民党改憲草案は、自民党が日本をどういう国にしたいのか、まことに正直に書いてありますし、いまもネット上で公開されています。その点では「フェア」だと思います。ほんとうに「悪辣」なら、こんなものとっくに削除しているはずですから。質問(2):例えば、所謂「ソフトな高市支持層」のような人達に改憲の危険さを伝えるとき、どういう言葉の選び方をするのが効果的か、思案しています。対面の会話の場合と文章の場合、また相手との関係性によっても様々なケースがありますが、いずれにしても、ただ一方的に高市の欠点や邪悪さをあげつらうだけでは足りない気もします。この点について、何かお考えがありましたらご教示ください。 人を見る目がある人とない人がいて、「人を見る目がない人」は簡単に、繰り返し騙されます。この欠点は補正できないもののようです。僕が知る限り、どれほど煮え湯を飲まされても、「人を見る目がない人」はその後も繰り返し騙され続けますから。 これはフロイトのいう「反復強迫」かも知れません。騙されることでどれほど不快な思いをしても、それが同じパターンを繰り返すことへの固着を解除してくれない。 フロイトが挙げているのは三人の男と結婚して、三人とも病弱で、死ぬまで夫の看病をすることになった気の毒な女性の例です。彼女はもちろん「死にそうな男」を選んで結婚したのです。配偶者を失う苦しみよりも、同じパターンを繰り返すことへの固着が優先したのです。 日本の有権者が自民党を選び続けて30年間どんどん不幸になっているのは、これは「快感原則」では説明がつきません。高市支持層はいずれ彼女が国民の期待を裏切って、生活が苦しくなり、行政サービスが低下し、税金は上がり、国力は下がり、日本の国際社会の地位が下がることを内心では「知っています」(だから、実際にそうなっても別に失望しないし、支持を止めることもない)。 これまでずっとそうやって「ひどい目」に遭ってきたので、それを回避することよりも同じ種類の苦しみと失望を繰り返し経験することの方が気分がよいのでしょう。「知らぬ仏より知っている鬼の方がましじゃけの」という台詞が『仁義なき戦い 代理戦争』にありますけれど、この言葉が日本の有権者の内心を言い当てているような気がします。見たこともない社会について希望を抱くよりも、見慣れたろくでもない社会にいた方が安心できる。 問題は高市ではありません(ろくでもない政治家なんて掃いて捨てるほどいます)。問題は高市を支持してしまう人たちが「希望ないこと」に安住しているということの方だと思います。質問(3):実際に国民投票となった場合、マスメディア(=電通)は圧倒的な物量作戦を仕掛けてくることが予想されます。我々市民は徒手空拳で戦わねばなりません。この運動を少しでも効率良く広げるために必要なポイントは何か(または、こういうやり方はマイナスなので避けるべき、などでも)、お考えがありましたらご教示ください(漠然とした質問で恐縮です)。 実際に改憲の国民投票になったら、自民党はあらゆる媒体を使って「改憲」キャンペーンを打ってくるでしょう。そして、朝から晩まで、新聞もテレビもネットも「改憲改憲」と言い立てたら、日本の有権者はころりと騙されてしまうと思います。国民投票までもってゆかれたら、「護憲勢力」がいくらがんばっても改憲を防ぐことはできません。 防ぐ手立てがあるとしたら「外圧」だけです。 中国と韓国とアジアの隣邦は日本の「先軍政治化」に強い不安と懸念を抱き、それを表明するでしょう。でも、それ以上は「内政干渉」になるから自粛するしかない。 アメリカは自分たちが日本に与えた憲法の理念を全否定されるわけですから、不愉快でしょうけれども、トランプ大統領自身がアメリカの独立宣言の理念も合衆国憲法の理念も現に踏みにじっているわけですから、日本の「変節」に対して倫理的な批判をする資格がない。 唯一の頼りになるのは、天皇陛下が「私自身は憲法99条の規定に従い憲法を尊重し、擁護してきましたし、それが間違っていたとは思いません」と護憲宣言することだと思います。天皇陛下がそのような「おことば」を口にされたら、心を動かされる国民は少なくないと思いますが、内閣はこのようなメッセージの発信を天皇の国事行為の範囲を超えるものとして禁止するでしょう。 というわけで八方ふさがりです。 とはいえ、世の中、何が起きるかわかりませんから。あまり悲観的になるのは止めましょう。 改憲発議より先に円安でインフレが止まらないとか、レアアースの禁輸で自動車産業が操業停止するとか、水膨れした自民党国会議員が次々と不祥事を起こすとか、あるいはアメリカで内戦が起きるとか・・・そういう別の事件が続いて「改憲どころじゃない」ということになるかも知れません。 希望のない話ですみません。でも、これくらい絶望しないと、話は始まりません。 (2026-02-23 10:00)かすかな希望を見出したいと拝読したが、にべもないというかなんというか、ご本人も最後に書いている通り希望がなくなりそう。絶望の次の希望を期待するしかないのか
2026年02月26日
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今朝パソコンを開くと、昨日のアクセス数がとても多かった。誰がそんなに読んでくれたのだろうと思いながら、よく読まれた記事を見たら、ブログを書き始めた頃の記事も沢山あった。その中に、2003年09月07日の「孫が教えてくれたこと」が目に留まった。もう20年以上も前のことだ。この時に書いている孫は、男の孫の方は山形から昨年自宅に戻り、長男と一緒にワインづくりの農業に携わるようになった。何でもお兄ちゃんの真似をしていた女の孫は、サッサと結婚してお母さんになり、5月に1歳になる男の子の育児に頑張っている。本当に月日の経つのは早いものだ。あの赤ちゃんが、今は赤ちゃんを育てているんだものね。私は、ひ孫がどのくらい成長するまで見守れるんだろうか。
2026年02月26日
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明け方、私が中学生の時に亡くなった祖父の夢をみた。私が生まれ育った古い家の仏間の隣の和室で、布団の上に文机を置いて本を読んでいた。何か声をかけて祖父が私を見て、静かな笑顔で何か返事をしたようだった。その部屋は、祖父が最初に脳卒中で倒れて寝ていた場所だった。祖父は私が小学校に入る前に倒れたので、元気な姿は記憶にない。半身麻痺と顔面の麻痺の後遺症があったので、言葉もはっきりと言えなくなった祖父しか知らないのだ。その時の祖父はまだ五十代だったはずだ。記憶の祖父は最初から体が不自由なおじいちゃんだったから、ずいぶんな年寄りだと思っていたが、大人になってから「まだ若かったんだな」と可哀そうに思ったものだ。祖父は、農業をしながら通信教育で教師の資格を取ったと聞いている。それがどういうことかよくわかってはいなかったが、きっともっと勉強したいと思っていたのだろう。結局はその資格は生かせず戦中戦後に入り、戦後は農地解放で多くの土地を失い、父が復員して結婚しこれからと希望を抱いた頃に叔父が自死した。祖父の世代は多くがそうだと思うけれど、時代や政治に振り回され、思い通りにならない人生だったと思う。初孫の私をとても可愛がってくれたそうだが、残念ながらその記憶もほとんどなく、覚えているのは私が家に居る時には、さほどの用もないのに「オーイ、オーイ」と私を呼んだことだ。そのたびに私は枕元に行って、水を飲ませたり布団を直したりしていたと思うが、ある時面倒くさくなって「おじいちゃん、用事がある時はまとめて言ってよ」と言ったことがある。その時の悲しそうな顔が忘れられない。今となってよくわかる。祖父は寂しかったのだ。私の顔を見ていたかったのだ。不自由ではあってもボケてはいなかったと思うので、どれだけ自分が情けなく悲しい思いをしていただろうか。子どもであった私はそんなことは想像もできず、そればかりか家族みんなが祖父を心の中ではやっかいな存在と思っていたと思う。祖父の両親も脳卒中で倒れていたので、妻である祖母は三人目の介護だったから、祖父を邪険に扱っていた記憶はないが、さほど優しくしていた記憶もない。年齢を重ね、少しは障碍を持つ人達や家族などへの知識を持つようになった私は、何かにつけて祖父の姿を思い出し、申し訳なかったな、可哀そうだったなと思うばかりだった。昨日は、金沢と能登半島への旅行に行った長男家族がやってきて、私のルーツの越前の漆器のことや、祖父が建てた納屋の移築のことなどなどを話す機会があり、北海道に渡ってきた曾祖父や祖父のこと、ルーツの鯖江市のことを思い出したから、夢に祖父が出てきたのだと思う。夢の中の祖父は穏やかで優しい笑顔を見せてくれた。本を読んでいる姿に、「おじいちゃん、体が不自由になっても本を読んでいるの偉いな」と思っていた。祖父が本を読んでいる姿は記憶にないのだが、新聞は読んでいたような気がする。どんなことに興味があったのか、どんな話を私としたかったのか、夢の中の祖父でいいからもっと話してみたいと思う。
2026年02月25日
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人形浄瑠璃2026 さっぽろ人形浄瑠璃あしり座公演【さっぽろ人形浄瑠璃あしり座】北海道で唯一の人形浄瑠璃一座として1995年に誕生。歴史のない北海道から新たな気持ちで人形浄瑠璃を発信していきたいとアイヌ語から『あしり(=新しい)』座と命名。北海道発の新たな伝統文化の創造を目指している。「さっぽろ人形浄瑠璃あしり座」の公演について北海道新聞で紹介されていたので、久しぶりに行ってみたいなと思っていたら、珍しく夫も行きたいというので初日の昨日行ってきた。私が人形浄瑠璃あしり座のことを知ったのは、十年以上も前のことだったと思う。北海道で人形浄瑠璃をやっている市民劇団があるということに驚き、観に行った時にかなり本格的だということに二度驚き、小中学生がやっているということに三度驚いた。その時のことをブログに書いていないかと探したけれど見つからない。忙しくてブログを書けないような時期だったのかな。ともあれ、人形浄瑠璃あしり座が30年以上も継続して活動していることに、あらためて感心している。その歴史については下記の記事参照。さっぽろ人形浄瑠璃 あしり座三十年のあゆみこのあしり座の運営や財源がどうなっているのかわからないが、このような活動を続けることには大変なご苦労があったことだろう。人形浄瑠璃の伝統は北海道はゼロだから、人形があってもそれを操る技術は本州からプロを呼んで指導してもらう必要がある。三味線や義太夫だって然りだ。そんなことを思うと、この人たちがどれほど凄いことを続けてきたのかとそれだけで感動してしまう。それに、この公演は午後1時半から4時過ぎまでの長丁場。途中で説明があったり休憩もあったけれど、これだけの作品を仕上げるまでにどれほどの稽古を重ねたのだろう。今回の演目は「幕開き三人三番叟」(開演の15分前に上演)「女形くどき集~酒屋・宿屋・十郎兵衛住家の段」「東海道中膝栗毛 赤坂並木より古寺の段」「鳴響安宅新関 勧進帳の段」最後の演目は新作ということで、私達が見たのはその初披露となる舞台。どれもとても素晴らしく楽しく、心からの拍手をした。ただ、長時間だったのでちょっとお尻が痛くなってしまった。夫は人形浄瑠璃を初めて観たこともあり、いたく感動して終演後に人形と握手してきたなどと喜んでいた。私が感動しているもう一つは、この人形浄瑠璃集団にはユースクラスがあり、20人以上が練習を続けているとのこと。その子たちが育って、本格的な舞台で演じるまでの道筋をつけているということが本当に素晴らしい。これまで歩み続けてきたあしり座の皆さんに心から拍手したい。さっぽろ人形浄瑠璃あしり座Facebook
2026年02月22日
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勝敗分けた「一つのミス」と、坂本花織が残した功績 町田樹がフィギュア女子FSを解説 スポーツナビ 2026年2月20日 ミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケート女子フリースケーティング(FS)が現地時間2月19日(日本時間20日)に行われ、日本の坂本花織が合計224.90点で銀メダルを獲得した。優勝は自己ベストを更新する226.79点をマークしたアメリカのアリサ・リュウ。ショートプログラム(SP)首位だった17歳の中井亜美は219.16点で3位、千葉百音も自己ベストの217.88点で4位と、日本勢が上位に入った。 SP2位だった坂本は、後半のコンビネーションが単独ジャンプになるミスが出て、悲願の金メダル獲得はならず。それでも2大会連続の表彰台入りと、日本女子のエースとして大きな存在感を見せた。200点超えの選手が13名と、極めてハイレベルだった女子FSをソチ五輪の男子シングル5位入賞、現在は國學院大學准教授を務め、今大会の団体戦から男子シングルまでを現地ミラノで解説した町田樹さんに分析してもらった。(後略)坂本花織が銀、中井亜美は銅!日本女子ダブル表彰台は史上初の快挙 千葉百音4位、金メダルはアリサ・リウ【冬季五輪】坂本選手は悔しかったようだけど、私達からみたら本当に素晴らしいの一言。みんな本当によく頑張ってくれました。心からの拍手と感謝を送ります。
2026年02月20日
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今日の感動はこれしかない!朝から私ももらい泣き。本当に素晴らしい運命のペア。きっと伝説のペアになるんじゃないかな。逆転金のりくりゅう SP失意の木原を救った言葉「璃来が龍一くんのために滑るね」【表彰式後一問一答】2/17(火) 世界王者でSP5位からの逆襲を狙った“りくりゅう”こと三浦璃来(24)、木原龍一(33)組=木下グループ=で会心の演技をみせ、世界歴代最高となる158・13点をマーク。合計231・24点とし、現行採点方式となった06年トリノ五輪以降最大となる6・9点差を大逆転し、金メダルを獲得した。 失意のSP5位から逆襲のフリーで大逆転金メダルが決まると、三浦はなかなか信じられないかぼう然とした表情を浮かべ、木原は泣き崩れた。各国の選手と健闘を称えあった後、木原は座り込み、涙、涙。三浦に背中をさすられていた。「今日泣いてばっかり!本当に」と笑われていた。 2人の一問一答は次の通り。 -演技を終えて 木原「本当に感謝の気持ちしかないです。皆さんには感謝してます」 木原「涙が止まらない。昨日の夜も。睡眠の質も良くない状態で。経験したことのない気持ちで。終わった後は璃来ちゃんが僕の気持ちを立て直してくれた。その後しっかり寝たので。オリンピックで諦めていいわけがない。絶対に自分たちで攻め切ろうと。試合前に立て直したので大丈夫でした、『まだ終わってない。積み重ねてきたことがある。絶対できる』と」 三浦「毎試合サポートしてきてくれたからこそ、今大会は私が強くないと」 木原「『璃来が逆に隆一くんのために滑るね』と言ってくれた。自分たちは絶対できると話をした」 三浦「ずっと龍一くんが泣いてたので。ウォーミングアップ中も泣いてたので。今はどういう気持ちで泣いてるのって聞いたら、『なんで泣いてるのかわからない』っていうから、赤ちゃんだねって」 木原「眠かったんですかね」(三浦がツッコミ「赤ちゃんやん!」) 木原「8時間確保したけど、寝てるけど寝てない。寝てないと気持ちの余裕もなくなる。普段試合の前は寝ないんですけど、30分寝るから起こしてねと。それがよかった」 (コーラを手に取り乾杯) 三浦「コーラとかいつぶり?」 -リフトは成功 木原「ラストは怖さしかなかった。力が入っていたので、リラックスって」 -メンタル面は? 三浦「龍一くんの落ち込みがすごかったのでサポート側に回ってて。まだフリープログラムは団体戦で155。ノーミスすれば可能性あると、私は折れることはなかった」 -点数と内容 三浦「団体戦もいい滑りをさせていただいたけど、それを3点以上上回って、可能性は無限大だなと」りくりゅうが大逆転の金メダル!フリー世界歴代最高点でペア日本史上初の快挙 SP5位から“五輪史上最大”の逆転劇2/17(火)三浦璃来「いつも引っ張ってくれる龍一くんが…」りくりゅう大逆転Vの裏側明かす「今回は私がお姉さんでした(笑)」【ミラノ五輪】
2026年02月17日
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フィギュア男子フリー・鍵山優真が銀メダルで佐藤駿は追い上げて銅メダル…マリニンはまさかの8位、金メダルはカザフスタンのシャイドロフ 読売オンライン【写真:ロイター】 ミラノ・コルティナオリンピックは13日(日本時間14日)、フィギュアスケート男子フリーが行われた。ショートプログラム(SP)を終えて2位だった 鍵山優真 (オリエンタルバイオ)はフリーで伸びなかったが、銀メダルを獲得。金メダルは ミハイル・シャイドロフ (カザフスタン)だった。SP首位の イリア・マリニン (アメリカ)はフリーでミスが相次ぎ8位だった。SP9位の 佐藤駿 (エームサービス)はフリーで追い上げ、銅メダルだった。 三浦佳生 (オリエンタルバイオ)は13位だった。(デジタル編集部(後略)オリンピックは、何が起こるかわからないとはこのことだ。まさか、マリニンがあんな状況に陥るとはだれも予想しなかったことだろう。鍵山選手もミスをして、かなりガックリしていた様子だったから、良くても銅メダルだと思っていたのだが…。そして、多分本人も想像していなかった佐藤駿の銅メダル。それが決まった時の鍵山選手の祝福する笑顔。もう、この日はこれで十分だと思った。マリニンはしばらくはショックを引きずるだろうが、この悔しさや情けなさに打ち勝ってまたトップに戻ってくるだろう。実は、彼のフリーの曲や彼自身のナレーションの意味を知った時、この若さでこれはちょっと…と思っていた。少しばかり自信過剰さがあったと思うので、それが打ち砕かれたことは彼の人生にとっては良いことではないかと思う。とにかく、鍵山選手、佐藤選手、本当におめでとうございます。
2026年02月14日
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「わが心のジェニファー」浅田次郎 浅田次郎が描く米国人青年ニッポン発見の旅日本びいきの恋人、ジェニファーから、結婚を承諾する条件として日本へのひとり旅を命じられたアメリカ人青年のラリー。ニューヨーク育ちの彼は、米海軍大将の祖父に厳しく育てられた。太平洋戦争を闘った祖父の口癖は「日本人は油断のならない奴ら」。日本に着いたとたん、成田空港で温水洗浄便座の洗礼を受け、初めて泊まったカプセルホテルに困惑する。……。慣れない日本で、独特の行動様式に戸惑いながら旅を続けるラリー。様々な出会いと別れのドラマに遭遇し、成長していく。東京、京都、大阪、九州、そして北海道と旅を続ける中、自分の秘密を知ることとなる……。圧倒的な読み応えと爆笑と感動。浅田次郎文学の新たな金字塔!浅田次郎氏の作品は、あまりはずれがない。大衆小説にちょっと不思議なエッセンスを加えて、読みやすく面白いので図書館で目についたら借りることが多い。これも、読みたいと思って借りたというより、まだ読んでない本が並んでいたからという感じで借りた。(私の利用する図書館は分館なので、新刊などは少ない傾向がある)さて、内容はアメリカ人青年の目で見た「日本発見物語。私達にとっては、日本再発見の小説と言えるかな。深く考えさせられるという感じでもないので、サラサラと面白く読める小説。その中にも、チョッピリミステリーや複雑な感情を抱えて育つ子どもの心など、現代的な課題もちりばめている。でも、日本観・日本人観には目新しさはないような気がするし、うーん、私としては素晴らしいとも言えなかった。ただ、面白さはあるし、最後にこのようにまとめるかと小説家の発想や構成力はやはり凄いなと思った。
2026年02月14日
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私としては、今日の一番はこのニュース。また失敗したらどうしようと、親か祖母の気持ちで結果を心配していたので、本当にホッとした。前回のオリンピックでの失格の時は、本当に可哀そうだったし、立ち直れるのだろうかと案じていたので、本当に良かったと彼女の諦めない気持ちと努力に感動している。高梨沙羅が涙 開口一番「みんなのおかげです」4年前のメンバーにも感謝「有希さんと幸椰さんと」 ずっと笑顔も伊藤との20秒間のハグで涙腺崩壊 デイリースポーツ 「ミラノ・コルティナ五輪ノルディックスキー・ジャンプ混合団体・決勝」(10日、プレダッツォ・ジャンプ競技場) 日本は丸山希(27)=北野建設=、小林陵侑(29)=チームROY=、高梨沙羅(29)=クラレ=、二階堂蓮(24)=日本ビール=で挑み、合計1034・0点で同種目初のメダルとなる銅メダルを獲得した。高梨にとっては18年平昌五輪のノーマルヒル以来2大会ぶりのメダルとなった。 スーツ規定違反による悪夢の失格から4年。一度は引退もよぎった。この4年間は課題のテレマークや、スーツの問題。試行錯誤を繰り返し、成績も低迷した。それでも最後まで前を向きたどりついた4度目の夢舞台で、自身の選択が正しかったことを証明した。 ずっと笑顔を浮かべていた高梨だったが、4年前の団体戦でともに戦った伊藤有希とハグを交わした涙がこぼれた。20秒以上抱き合い、何度も伊藤が高梨の頭をなでた。丸山の台頭もある中で今回は団体戦メンバーには入れなかった戦友。思いを重ねた抱擁の瞬間に、互いに涙が溢れ出した。 4年前の団体戦でともに戦った伊藤有希とハグを交わした瞬間。丸山の台頭もある中で今回はメンバーには入れなかった戦友。約20秒間の熱い抱擁の瞬間に、お互いに涙がこぼれた。 インタビューで高梨は開口一番、「みんなのおかげです」と語った。「有希さん、幸椰さん」と4年前のメンバーで佐藤幸椰の名前も口にし「本当に一緒に飛んでくれた仲間、日本チームのみなさんのおかげで練習、個人戦以上にいいジャンプができた」と感謝した。 4年前の悪夢を払拭した。「毎回チーム戦となると、足を引っ張ってしまう試合が多く、団体戦の苦手意識が、硬くなって自分のジャンプができないことが続いていて選ばれたときは自信もなくて、コーチに相談したこともあったが、トレーニングで自信を持って試合に臨めて、自分だけの力だけじゃなくまわりのみなさんの支えもあって、メダルも取れて本当に感動しました」と、声を震わせた。 4年前のメンバーだった伊藤、佐藤への思いに触れ「あの時、一緒に飛んでくれた、有希さんと幸椰さんと、取ることができなかったメダルを、今こうして自分もこの舞台に立たせていただいて、取ることはできたんですけども…。それでもずっと応援してくれる有希さん、幸椰さんのおかげで今ここに立たせてもらっているので。自分の取ったメダルではないと思いますが、たくさんの方々の力があって取れたメダルです。間違いなく今日のメダルが人生で取ったメダルで一番嬉しい。すごく幸せな日」と、あふれる感謝の思いを伝えた。
2026年02月11日
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「唯一の誤算は…」なぜ日本団体は米国を1点差まで追い詰めることができたのか…無良崇人氏は「限りなく金に近い銀」と評価 2/9(月)ミラノ・コルティナ冬季五輪のフィギュアスケート団体戦の最終日が8日(日本時間9日)ミラノで行われ、日本はペアフリーの“りくりゅうペア”こと三浦璃来(24)・木原龍一(33、木下グループ)が世界歴代3位となる高得点で1位となり、続く女子シングルフリーで坂本花織(25、シスメックス)も連続1位で首位に並び、最後の男子シングルフリーで初出場の佐藤駿(22、エームサービス/明大)にバトンを渡した。佐藤はノーミスで自己ベストを叩き出したが、ミスの出た“4回転の神”イリア・マリニン(21、米国)に勝てず2位となり1ポイント差で銀メダルとなった。グランプリシリーズや4大陸選手権の金メダリストで現在プロスケーターとして活躍中の無良崇人氏(34)は「日本の層の厚さ、総合力の高さを出した。同じ銀でも前大会よりレベルの上がった限りなく金に近い銀だった」と、日本勢の戦いを評価した。(後略)衆議院選挙の結果一色の今日、私にとってはこれが本当に嬉しいニュース。この団体戦だけに出場した吉田唄菜(22)森田真沙也(22)のアイスダンスを含めて、全員が自分の力を出し切った素晴らしい演技に心から感動した。最後の佐藤駿のフリーも彼にとっては完璧だったと思うので、きっと嬉しさと悔しさがこみ上げたことだろう。それよりも、マリニンの後の最終滑走者としてのプレッシャーと怖さによくぞ負けずに滑り切ったと思う。本当に素晴らしかった。おめでとう! そして、ありがとう。
2026年02月09日
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自民党、単独で3分の2を超える316議席を獲得…過去最多を更新 中道は公示前から120議席近く減2/9(月)私はこの国では少数派になってしまったようだ。アメリカのトランプ以上に国民に熱狂的に支持された高市自民党。かすかな望みは、自民党内での良識的なバランスがとれるかどうかだ。これからの日本の方向が本当に気がかりだ。もう一つの希望は、チームみらいのこと。若い人中心のようだし、公約や話していることはしごく真っ当だと感じている。これからどうなってゆくのかわからないが、見守っていきたい。
2026年02月09日
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「水は動かず芹の中」中島京子いつの時代も、戦を止めようとしたものがいた――。長いスランプに陥り、やけっぱちになった小説家は気分転換に唐津を旅することに。陶芸体験をした窯元の夫婦から、水神にまつわる伝承を聞く。今でいう「難民」であったという流浪の民・水神は、戦国時代、いかにして秀吉の朝鮮出兵を止めようとしたのか……。『かたづの!』の著者が、かつてないスケールで歴史と現代を深く結びつける長篇小説。ぼちぼちさんのブログでこの本のことを知り、図書館で借りてきた。日本における陶芸は朝鮮から渡ってきた(連れてこられた)陶工からその技術が伝わったことは知っていたし、当然秀吉の朝鮮出兵についても大まかには知っていた。だから、きっとそのあたりのことの小説だろうと思って読み始めたのだが、少しばかり予想とは違い、水神(河童)の目を通して描かれた歴史ファンタジーというものだった。現代と歴史上のことが行ったり来たり少し落ち着かず、そのテーマがわかるようなピンとこないような消化不良になりそうな作品。ただ、先日シネマ歌舞伎「朧の森に棲む鬼(松也版)」を観た時に感じたような、権力の魔物に取り込まれた人物の愚かさや狂気が、現代のあれこれを連想させられた。つまりは、いつの世もそんなものなのかもしれないということだ。それでも、そんなどうしようもない無力を感じる状況にあっても、何とかしようと奔走するのも人しかいない。中島京子氏は随分頑張って、そんなテーマをわかりやすく描こうとしたのかもしれないな。ただ私の印象では、親しみやすくわかりやすくという努力は、ちょっと成功していないかもしれない。
2026年02月07日
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前から観たいと思っていたシネマ歌舞伎「朧の森に棲む鬼(松也版)」を観てきた。【作品紹介】伝統と革新!見逃せない奇跡の舞台がスクリーンへ。伝統に革新的な表現を融合し、次なる挑戦の意思を掲げた「歌舞伎NEXT」。前作『阿弖流為〈アテルイ〉』に続く待望の第2弾『朧の森に棲む鬼』は、シネマ歌舞伎史上初の主演違い2バージョン連続公開!劇団☆新感線の数々の名舞台を手掛けてきた脚本家〈中島かずき〉と演出家〈いのうえひでのり〉のもと、歌舞伎俳優が大スクリーンで躍動します!主人公・ライを尾上松也が熱演!本作の主演は、2007年の《InouekabukiShochiku-Mix》公演に憧れていたという次世代の歌舞伎界を担う尾上松也!シェイクスピアの名作「リチャード三世」などに着想を得た、危険な魅力を放つ主人公・ライを演じました。底知れぬ欲望に捕らわれ、狡猾な詭弁で人々を騙し、底辺から王座を狙うライ。行きつく先は、栄華か、それとも—。劇団☆新感線☆RS「メタルマクベス」disc2で主演し、劇団☆新感線とも所縁の深い松也によるライをぜひ、ご堪能ください。【あらすじ】《嘘》という名の男の舌に この世の正義は奪われた―いつとも知れぬ戦乱の世。とある島国の深い《オボロの森》の中、野良犬のごとく屍の山を漁る男が一人。その名は《ライ》。落武者狩りで屍から金品を奪っていたところに《オボロの魔物》が現れ、《ライ》の奥底にある欲望を呼び覚ます。それは、この国の王座を我がものにすること――魔物が与えた〝オボロの剣〟は《ライ》の舌に合わせて動き、人を斬っては赤い血の雨を降らす。この出会いこそが破滅の始まりだった――。松本幸四郎と尾上松也のダブルキャストだけど、歌舞伎で尾上松也を見る機会があまりなかったのでこちらにした。元々は、「劇団☆新感線」の演劇だったものを、歌舞伎とコラボしたらしい。私はこの劇団の芝居は見たことがないのだが、異種がコラボレーションした時のエネルギーというものがあるんだろうと思う。古典的な歌舞伎とは圧倒的に違うのが立ち回り。音楽や光や歌舞伎特有の音などが融合して、とにかくすごいの一言。それと、やはりこれは歌舞伎だと思うのは、役者たちそれぞれの声の出し方や動きの美しさ。底辺で食べ物をあさるようなところから、朧の森の魔物との悪魔の契約により力を得て、嘘や騙し合いなどを駆使して冷酷に這い上がってゆく主人公。「リチャード三世」の悲劇に着想を得たとのことだが、人間が欲望に支配されるということはすべて悲劇だな。どんどん凄みを増してゆくライ(松也)の変化が、悲しくも実に見事としかいえない。尾上松也の力量は凄いと思ったけれど、彼もまた這い上がってきている役者ではないだろうか。幸四郎のライは見ていないが、きっと松也のほうが合ってるんじゃないかと思う。しかし、この作品もまた、どうしても現代の争いのありようと重ねてしまう。嘘やはったり、だまし討ちなどの数々は、世界で起きていることや現在の日本の政治の姿を連想してしまう。魔物に取り込まれ、魔物すら取り込んで鬼になってしまった姿は、何を表現しているのだろう。実に面白かった。
2026年02月04日
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Facebookでみつけました。さて、いくつありがたいことがあるでしょうか。これが少ない人を支えるのが社会福祉であり、政治ではないでしょうか。
2026年02月04日
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期日前投票をしてきたのだが、今回はどうしようかと迷った。小選挙区は決めていたが、比例代表の政党について迷ったのだ。以前のブログにも書いたのだが、世界中が予測不明の状態であり日本も何がどうなってこうなってしまったのかちゃんと整理もできないが、みんな目先のことばかりに振り回されてあちこち劣化が進み、とうとうタガも外れてしまった。このままじゃあ怖い予想しかできないのだが、やはり未来を少しは信じたい。それには私のささやかな一票をどう使おうかと直前まで迷いつつ、今までの「バランスを考えての投票」ではない選択をしてきた。最高裁判事の国民審査は、今回も棄権することに決めていたのだが、係の人にそう伝えたらとても戸惑っていた。さらに「何も書かずに入れていいのですよ」なんていう。エーッ、そんなこと言っていいのですか?何も書かずに入れるということは、白紙委任というか白紙承認をすすめているのですよ。(きっと、ドタバタ選挙で急に係になって注意事項も徹底できなかったのではないだろうか)私が敢えて毎回棄権をしているのは、こんな形骸化した制度への抵抗でもある。私だって、気になった最高裁裁判のあった時には、審査対象の判事がどのような判断をしたのかはチェックしている。でも、何たって前回の国民審査から一年余りだし、任命されてからも日が浅い。せめて棄権でこの制度への批判票にしたいのだけど、ごまめのはぎしりです。フッと浮かんだ一句政治家の やるやる詐欺には ご用心
2026年02月03日
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今日は、私の祖父の命日。私が中学二年生の冬だったと思うので、多分62年前の吹雪の日。自宅からお寺まで、私たち家族の車が通れるように、近所のおじさん達がスコップで雪かきをしてくれた雪道を、歩くより遅いほどの速さでノロノロとお寺まで向かった光景がよみがえる。私が小学生の頃に中風で当たってから(多分脳梗塞)ずっと寝たり起きたりだったから、元気な祖父の記憶はなく、ずいぶん年寄りだと思っていたけどまだ67歳だった。随分若い頃から体が不自由になっていたことを、大人になってからはっきり知ったと思う。そして、今日は夫の父の命日で、多分51年前。(五十回忌はしていない)私達が結婚した時義父母はまだ健在だったが、義父はもう70歳を少し超えていた。夫は末っ子だったので、私達の結婚をとても喜んでくれた。30過ぎても独身の末っ子がなかなか結婚しないことを案じていたようで、これで思い残すことはないような話をしていた。一応「お元気で長生きしてください」なんてお愛想めいた言葉をかけた私に「大丈夫、あんたたちには迷惑かけないから。もうすぐあっちに行くからね」と、義父が笑いながら冗談めかして言った言葉に、若かった私は何と返事をしていいかわからず困った。しかし、それから3年もしないうちに、義父は多分脳梗塞から軽度認知症のようになり、あれよあれよという間に旅立った。それから1年半後に、義母も大腸がんで逝ってしまった。 義父が亡くなった日はどんな天気だっただろう。多分吹雪ではなかったはずだ。祖父と同じ命日ということに、強い縁を感じてしまう。二人ともとても優しい真面目な人だったはずだ。初孫の私をとても可愛がってくれたという祖父。色々な意味で案じていた末っ子の伴侶となった私に感謝してくれた義父。きっとあちらの世界では、二人で私達を見守ってくれているのだろうと思っている。そんな祖父と義父の命日には、二人が大好きだった「ぼたもち」を買って一緒に食べるのが供養だ。二人ともお酒は強くなかったようで、その代わり甘いものが大好きだったとか。子どもの頃には祖父が大好きだったので、年に何度かはぼた餅を大量に作っていた。祖父は、食事代わりにぼた餅を食べていたような気がする。私も好きだったけれど、今のようにレンジがないので固くなってきたぼた餅を食べ続けなくてはならないのはイヤだった。 あちらの世界にはぼた餅はあるのかな。
2026年02月01日
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内田樹氏のブログにほぼ共感したので転載します「攪拌が欲しい」2026-01-28 いろいろなことがあった一年だった。 際立つのは日本社会の劣化が進んだことである。嘘をつく人、詭弁を弄して言い逃れをする人、口を尖らせて他責的な言葉を吐き散らす人。そういう人がほんとうに増えた。 むろん、いつの時代にも「そういう人」は一定の割合でいる。だいたい人口の7%くらい(これは経験知なので、何のエビデンスもない)。 その逆の「まっとうな人」も7%くらいいる。正直で、親切で、人を責め立てたり、威張ったりしない人がそれくらいはいる。 残りは風向き次第でどちらにつくかころころ変わる「その他大勢」である。 今の日本は「嘘と詭弁と他責」が優勢な時代である。「その他大勢」は深い考えもなしに優勢な方になびく。自分が得をするわけではない。みんなと同じふるまいをしていることで安心を得るだけである。 自己利益を最大化するために合理的にふるまう人を基本に近代市民社会は制度設計された。でも、20世紀に入って「多数派と同じようにふるまうことを最優先する人」が登場してきた。 そういうふるまいはしばしば自己利益を損なう(同じポストを争ったり、同じ商品に欲望を感じたりすれば競争が激化するだけだ)。 にもかかわらず、損を承知で「大勢に従う」人のことをオルテガ・イ・ガセットは「大衆」と呼んだ。 だが、自分と区別しがたいほど似ている人間がたくさんいるのはそれほど気分のよいことなのだろうか。それは言い換えると、「お前の代わりなんかいくらでもいる」ということである。「お前なんかいてもいなくても誰も困らない」ということである。多数派に紛れ込むというのは自分に対する呪いなのである。 世間の風向きはなるべく頻繁に変わった方がいい。そうやって攪拌すると大衆は方向を見失って「嘘つき」と「正直者」の間でばらける。 ばらけると世の中の風通しもいくぶんかはよくなる。今年はそんな攪拌の起きる年になって欲しいと思う。(信濃毎日新聞2025年12月26日)↑をお書きになったのは昨年暮れ。まずは日本の政界で攪拌が起きているようだが、これで風通しが良くなるのだろうか。攪拌の結果に多少は期待したいものだけれと。
2026年01月31日
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今季最長寒波で平年の2倍以上の積雪 明日26日かけ更に増加 交通障害や停電に注意1/25(日)今季最強・最長寒波の影響で、北陸など日本海側では平年の2倍以上の積雪となっています。今夜(25日)にかけて、北陸~北海道の日本海側では雪が降り続くため、更なる積雪増加による交通障害やなだれ、屋根からの落雪、着雪による倒木や電線切断による停電などに警戒が必要です。平年の2倍以上の積雪 札幌は4年ぶりに1メートル超え 酸ヶ湯は1月1位月20日の大寒(だいかん)に合わせるかのように、今季最強・最長寒波が襲来。昨夜(24日)~今日25日にかけて2回目のピークとなり、石川・金沢市や札幌市など平地でもドカ雪となりました。6時間降雪量は、石川・金沢市で37センチと観測史上1位(25日午前6時まで)。鳥取市30センチ、札幌市28センチ(ともに25日午前5時まで)と、ともに1月として1位の記録的な降雪となりました。石川県や鳥取県では、25日未明~今朝にかけて、「顕著な大雪に関する情報」が相次いで発表されました。また正午の積雪は、豪雪地帯で有名は青森・酸ヶ湯では441センチ、秋田・鹿角市115センチと1月1位の値を更新しました。札幌は101センチと、2022年3月以来、4シーズンぶりに積雪が1メートルを超え、1月とし2000年からの統計史上最も多い雪が積もりました。その他、日本海側では広い範囲で今季最大の積雪となっており、新潟・長岡市や福井・大野市は、20日明け方まで0センチだった積雪が、ここ数日で一気に1メートル超えとなりました。(後略)当地も、朝からずっと雪が降りやまない。こちらはまだ寒さで雪が軽いから本州よりはマシなのだろうが、連日の除雪で豪雪地帯の人達は大変なことだろう。あまりひどい災害にならないことを祈るのみ。
2026年01月25日
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