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2023年09月16日
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先日この番組を見て、現在もこのような人たちが元気に活動していることをしり、ショックであった。
全文をコピーしておく。



​「祖国へ帰れ、お前らはゴミなんだよ」一変した慰霊と伝承の公園、関東大震災100年 デマと朝鮮人虐殺から学ぶこと【報道特集】​
関東大震災から100年。震災被害の一方で、「朝鮮人が放火した」などのデマが広がり、多くの朝鮮人が虐殺されました。なぜデマは広がってしまったのか。なぜ虐殺という事態にまでなってしまったのか。そこから今、私たちが学ばなくてはいけないこととは?

■関東大震災で起きたデマと虐殺

100年前の「関東大震災」を描いた絵巻物が新たに見つかった。震災の2年後に描かれていて、長さは2巻あわせて32メートルにも及ぶ。
平穏な住宅街の様子からはじまり、激震の瞬間、火災から逃げ惑う人たちの様子が時系列で描かれている。
1巻の終盤に、研究者も驚く描写があった。
手に棒のようなものを持った群衆が青い服の人物に襲いかかる。血を流して倒れこんだ人たち。遺体が折り重なっている。

元専修大学教授(歴史学)新井勝紘さん
「これみんな被害にあっている人、裸足なんです。靴はいてないでしょう?(後ろ手に縛られてる)」
これは朝鮮人の虐殺を描いたものだという。

1923年9月1日。関東を襲った大地震の混乱の中、「朝鮮人が暴動を起こしている」「井戸に毒を入れた」とのデマが広がり、それを信じた民衆が結成した自警団などによって数多くの朝鮮半島出身者が殺害された。

国の中央防災会議がまとめた報告書では、震災の死者数の1%~数%=つまり、少なくとも1000人~数千人に及ぶと推計されている。
司法省の当時の文書にはその一端が垣間見える記録が残っている。朝鮮半島出身者233人の殺害について起訴した記録。凶器には竹やり、日本刀などが使われていた。

危うく殺されかけた日本人もいる。俳優の千田是也氏は、東京・千駄ヶ谷で朝鮮人だと疑われた。
俳優 千田是也氏
「(自警団が)『歴代天皇の名前と言え』と。何しろね、竹やりを突きつけているし、まさかりを頭からこう振り上げている」

映画監督の黒澤明氏も自叙伝に記していた。
映画監督 黒澤明氏
「井戸の外の塀に、白墨で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸に毒を入れた目印だというのである。私はあきれ返った。何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書だったからである」

虐殺は、大きな被害があった地域だけにとどまらなかった。
避難民が押し寄せた 埼玉県北部にある本庄駅 では、町をあげて炊き出しを行っていた。そんな中、朝鮮人の放火や暴動を伝える県の通知が届くと、善良な人々がデマを信じて豹変した。
駅に程近い本庄警察署には朝鮮人たちが保護されていたが、いきり立った群衆が警察署になだれ込み、朝鮮人を見つけては襲いかかった。 80人以上が殺された。

現場にいた巡査
「子どももたくさんいたが、子どもたちは並べられて、親の見ている前で首をはねられ、そのあと、親たちをはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりで引いている奴もいた」

現場となった警察署は、今もその場所に建物が残っている。

郷土史を研究する小川満さん
「地元の人からすれば、その子孫の方もいますし。気持ちも難しいところがあると思いますけど。あったことはなかったことにはできない。語り継いで、もう二度とこういうことが起きないように」

■デマと虐殺 警察官の証言

千葉県 でも多くの朝鮮人が虐殺された。

当時、船橋警察署の巡査部長だった渡辺良雄さんの証言を記録した貴重な音声が残っている。1978年に録音されたもので、話を聞いたのは千葉県内の朝鮮人虐殺を調べている平形千恵子さんらの市民グループだ。
震災翌日の9月2日、船橋署に軍を名乗る人物から電話がかかってきたという。

渡辺良雄さんの証言
軍を名乗る人物「東京方面から来た朝鮮人3000名と砲兵隊とは、江戸川を挟んで交戦中でございます。警戒を要します」
この情報はデマ だったが、当初、渡辺さんは信じてしまったという。この2日後、渡辺さんは、署長から命令を受けた。
「朝鮮人が軍に連れられ船橋にくるので、引き継いで保護せよ」とのことで現場に向かったが…

渡辺良雄さんの証言
「『この人たち(朝鮮人)を我々にここで渡してくれませんか』」

この申し出に対し、軍は…

渡辺良雄さんの証言
軍「この人たちは船橋の自警団に引き継げと、上司から我々は命令を受けてきたんだ。それを今、あなた方に渡すわけにはいきません」
渡辺さんはこう言い返した。

渡辺良雄さんの証言
「自警団に引き渡せば、全部殺されてしまうぞ。だから我々にここで渡してくれ」

軍との押し問答が続く中、朝鮮人の一団は自警団に発見されてしまったという。

渡辺良雄さんの証言
「(自警団は)周りを見ながら、どこに朝鮮人がいるか探したわけだよ。それをやるのに、誰かが鐘を叩いたわけ。音がしましたよ。人が来た来た、たまげたよ」

渡辺さんは署長に報告するため、警察署に戻り、再び現場へ向かうと…

渡辺良雄さんの証言
「大きな声が『万歳万歳』ってやってるわけ。(死体の数が)53人ですよ。死体処理をどうするかという問題になった」

渡辺さんは、デマの恐ろしさについても語っていた。

渡辺良雄さんの証言
「こういう流言飛語という体験というのは、何か大きな問題が起こった時、ガタガタになる恐れがある、みんなは胸の中に流言飛語というのは恐ろしいものだということを一つ胸の中に入れておいてもらいたい」

■なぜデマは拡散したのか

「不逞鮮人一千名と横浜で戦闘開始」
「不逞鮮人各所に放火」
震災直後の新聞各紙の見出しです。デマに基づいた偽りの記事です。

繰り返される“不逞鮮人”という言葉。“不逞”とは不平を抱き、従順で無いこと。“鮮人”には侮蔑的なニュアンスが込められています。

テレビはもちろんラジオも無い時代。情報源としての新聞の存在は、今とは比べものにならないほど大きいものでした。
朝鮮人に対する怒りと不安をあおるようなデマを、なぜ新聞はそのまま伝えたのか。鍵を握る文書が、防衛省に保管されていました。

震災時の至急電文が綴られています。

震災時の至急電文より
「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。鮮人の行動に対しては厳密なる取り締まりを加えられたし」


発信者は内務省警保局長。 いまで言えば警察庁長官にあたります。この電文は東京近郊で被害を免れた海軍の送信所から全国に発せられました。

送信所の跡地にはモニュメントが残されています。平形さんに案内してもらいました。

平形千恵子さん
「関東大震災の時、救援電波を出して、多くの人を助けたとあるんですね。ここが『不逞鮮人をちゃんと調べろ、取り締まれ』と出した大元なんです。それだけは書かない」

東京の新聞社が壊滅的な被害を受け、震災報道は地方の新聞が担うことになりました。
不逞朝鮮人の噂は耳にするものの、現場に入れず裏付けがとれない。こうした中、内務省の電文を傍受した記者たちはこう確信します。

「やはり朝鮮人暴動は事実だった」

ジャーナリストの渡辺延志さん。関東大震災におけるデマが虐殺にまで発展した背景を歴史的に読み解く必要があると言います。

ジャーナリスト 渡辺延志さん
「日本は1910年に韓国を併合するわけですけど、日本の支配に抵抗する義兵闘争というのがあるんですが、ここでも1万数千人の武装した朝鮮人が殺された。その後は例えば三・一運動がありますし、私が考えるのは1918年に始まるシベリア出兵ですよね」

朝鮮を支配しようとする日本と、これに抵抗する朝鮮の人々。
古くは日清戦争から震災間際のシベリア出兵まで、抵抗と弾圧が繰り返される中で、日本社会には「不逞鮮人」のイメージが根付いてゆきます。

デマは簡単に信じられ、怒り狂った民衆を前に当局の対応は一貫せず、新聞社は誤報を訂正する機会を逸しました。不逞鮮人の記事は100年たった現在、虐殺否定論の根拠として利用されています。

渡辺延志さん
「読者に何かを伝えようとして、結果として実は誤報だったと。しかし、その誤報をただす機会がなかったという事だと思うんです。その誤報も忘れられて、もっともっと大きな誤報というものを、戦争を繰り返すうちに重ねてしまった」

本庄市の虐殺事件について取材する中で、こんな記事を目にしました。

「新聞記者・馬場安吉氏は極力、善良朝鮮人の保護を説き、流言飛語に惑わされぬよう説き、町内をも遊説し」

デマに振り回された記者ばかりではなかったのです。

人々を説得しようと飛び回ったのは、当時の群馬新聞・本庄支局長の馬場安吉。ただ、興奮した市民の耳に馬場の訴えは届きませんでした。

その慰霊碑は本庄市の倉庫に保管されていました。
震災から1年後の1924年、馬場安吉が本庄の記者仲間に呼びかけて作った朝鮮人犠牲者の慰霊碑です。
戦後「鮮人」の文字が差別にあたるとして立て替えられ、この慰霊碑の所在は長いこと忘れられていました。

38年前、群馬県内でこの碑を探し当てた嶋田道雄さんは碑に込められた思いをこう語ります。

嶋田道雄さん
「群衆の前に立って、やめろと立ちはだかったけど止められずに、本庄で80何人が亡くなってますから、思いは強かったと」

新聞のデマ情報が結果的に虐殺を招いてしまった事に対する新聞人・馬場安吉の無念、自責の念はいかばかりだったのでしょうか。

■一変した 慰霊と伝承の公園

東京・墨田区にある都立横網町公園。震災の際、避難してきた3万8000人もの市民が亡くなった場所です。いまは「慰霊と伝承の公園」とされ、毎年9月1日には慰霊のための大法要が行われます。

その建物の横で、50年続けられてきたもう一つの式典があります。震災ではなく、デマによって虐殺された朝鮮人犠牲者のための追悼式です。
毎年、粛々と執り行われてきた式典が注目されたのは、2017年の事です。

東京都 小池百合子知事
「全ての方々への哀悼の意を述べさせていただくという気持ちには変わりなく、特別の形での追悼文を出すことは控えた」

歴代の都知事が送ってきた追悼文を取りやめると発表 したのです。

発端は2017年3月の都議会で、自民党の議員が追悼碑にも刻まれている犠牲者数六千余名という数字を問題視したことでした。
しかし、追悼碑は50年前、都議会全会派が参加した委員会での賛同を経て建立された経緯があります。
追悼文を送らない理由について都知事は「大法要で全ての犠牲者を追悼している」と毎年、判で押したような答弁をくり返しています。

2017年を境に、公園内の雰囲気は一変しました。 「6000人の虐殺はなかった」と主張する団体「そよ風」が朝鮮人虐殺の追悼式と同じ時間、わずか20メートル先で新たな活動を始めた のです。そよ風は朝鮮人犠牲者の追悼碑の撤去を求めていました。

慰霊祭というものの、嫌がらせとも思える行動をエスカレートさせていきます。2019年に大きな垂れ幕とスピーカーを外側に向け、「犯人は不逞朝鮮人」「朝鮮人によって家を焼かれた」などと発言。こうした主張は、東京都によってヘイトスピーチと認定されています。

震災から100年の2023年は、時間を大幅にずらして、撤去を目指すと言っていた追悼碑の前で「真実の慰霊祭」を行うと明らかにしました。

関東大震災の虐殺を研究してきた加藤直樹さんは憤りを隠せません。

ノンフィクション作家 加藤直樹さん
「朝鮮人を悼むと、心にもないことを言って、集会を追悼碑の前で開こうとしている。こんなことは許されないと思う。もしベルリンで、ホロコースト追悼碑の前で、ネオナチが集会を開くって言ったら認めるのか?」

関東大震災から100年を迎えた日。「そよ風」のグループが公園の裏口に設けられた専用の通路から現れると現場は騒然としました。
東京都は、状況を見て「そよ風」に集会をあきらめるよう伝えました。追悼碑の前で開催する目的について参加者に記者たちがマイクをむけると…

そよ風の集会 参加者

ーー6000人について?
「あれは全くのデマ」
――碑の撤去の主張を変えたんですか?
「変えたんじゃない。ひっこめてるだけ」

そよ風の集会 参加者
「虐殺はしてません。そんな事実ないと聞いています。日本人側としてはね」

「そよ風」は公園の一角で集会を行っていきました。帰り際、集会の参加者が叫んでいました。彼らの本音があらわれています。

そよ風の集会 参加者
「朝鮮帰れ、祖国の朝鮮、祖国へ帰れ。お前らはゴミなんだよ、クズなんだよ、早く帰れ、日本にいらない」

後日、「そよ風」のブログには「ならず者に屈した東京都」と不満がつづられていました。都とは何度も話し合って企画書も提出したと記されています。

「そよ風」の集会についてどう判断したのか。
都の担当課に尋ねると「個別の申請について詳細は答えられない」「提出された企画書の内容を信じて許可している」と答えました。

■問われる 慰霊と伝承

私たちが歴史的な資料を調べる中で偶然出会った文書があります。震災の翌年、当時の東京市の社会教育課長が雑誌に寄稿していたものです。

「私どもはなんといって鮮人諸君にお詫びしたらよいかを知らないものです。天人共に、長く許し難き罪悪と思います。日本人は根本的に生まれ変わって出直さねばなりません」

この番組で 「そよ風」 という団体があることを知った。
何と、「日本女性の会そよ風」という女性団体だった。
思わず頭を抱えてしまった。
この会の成り立ちや背景をもっと調べてみたい。

​関東大震災の朝鮮人虐殺…“ファクト”否定したい人たちを助長する都知事








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最終更新日  2023年09月16日 09時03分11秒
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