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境界線 紙一重統一と見せかけた崩壊秩序に向かって いくつもの秩序を組み合わせて いる つもり がほんのひと吹きの煙で幻になりかかるそりゃそうだろう幻じゃないのは 幻だけなんだから幻じゃないと思ったとたん無秩序が姿を現わす秩序を組み立てることはできない組み立てれば崩れる秩序は はじめから おわりまではじめもなくおわりもなくただひとつだけなんだろうとまあこんなことスターバックスでコーヒー飲みながら書いててああ こんなのまるで二十年前に書いてた詩みたいじゃないか!ノートにコーヒーのしずくが落ちる
2008年02月28日
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「この10分、何をしようかな」「まあ、何をしたって、何をする10分であっても、どの10分であれ、10分経てば消えてしまう」「しなくちゃいけないと思えることのある10分とか、したいと思えることのある10分とか、あれこれ考える間も無い10分とかが10分経てば消えるのとはちがって…」「目標を持たない10分?」「ん? まあ、そうかな」「わかった。理由の無い、目的の無い、何もしない沈黙が運んできてくれる『ふしぎなよろこび』を感じるための10分」「沈黙のよろこび?」「沈黙がよろこびをもたらさなかったら、これほどまでに沈黙が尊ばれはしなかったろう」「きわめてシンプルなよろこび」「複雑な喜び、仕組みのある喜びは、そんなに長続きしない」「いずれ、うっとうしくなりさえする」「そう、別の仕組みに変えるか、よりいっそう複雑にするか」「そうした方法ではなく、せっかくの手つかずの10分なんだから、手を加えず、何もせず、やがて運ばれてくるふしぎなよろこびに心身をゆだねて…」
2008年02月27日
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すべてが消えるとわかり切っていて、その事実をありありと確認しているその地点。 僕は何かをしようとしている…何かする(はずの)ことがあると考えているとき、僕はその地点から目をそらしている… その地点では、何をしていようと、たんにそれを楽しんでいるだけで、それについてあれこれ考えてはいない。たとえそれを計画してから実行に移すとしても、実行に移したとたん… いや、ちがうな。何でもいいから偶然行っていることが、思考にとらわれていなければその地点だなんて、そんなふうに無作為にはできていないような気がする。どちらといえば、いくつかの作為を重ねていって、見定まらないある地点がふと、その地点とくっきり重なる…
2008年02月27日
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(ねじまき鳥クロニクル 第2部:p124:村上春樹:新潮文庫)『でもね、正直に言うと、私にはときどきいろんなことがわからなくなってくるのよ。何が本当で、何が本当じゃないのか。何が実際に起こったことで、何が実際に起こったことじゃないのか。』
2008年02月27日
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計画を立てるのはいいけど、計画における行為の細部を固定させては、息苦しくなる。 確かな行動、確かな原因と結果なんてどこにもない。 ただ、どこでもないにもかかわらず、ある特定の位置はある、と感じる。位置というよりは状況として、ある。 そして、その地点は、探して見つけ出す、という感じではなく、その地点の方から、その地点自らの姿を、あからさまに、ひろげてみせる。 そして、くりかえし、くりかえし、ふいに出会う。
2008年02月21日
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(智恵からの創造:p80:クリシュナムルティ:星雲社)より引用『私たちは安全でありたいのです。そして精神は、自らが安全でない瞬間、不確実である瞬間に辛抱できないのです。それで精神は、何かすがりつくものを、持たなければなりません。 そして、それが神秘的に暗く恐ろしく想像不可能であればあるほど、それにすがりつくのです。』
2008年02月21日
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計画している行動と行動との間に、隙間をもつこと。 時間が止まったかのような、そのときには、身動きできない。そして人は、身動きしないまま暮らすわけにはゆかない。計画された行動なしで暮らすわけにはゆかない。 起きてから眠るまでさまざまな計画を並べるのだが、隙間なく並べるのではなく、せめていくつかの、時間から解放されるための隙間を作ること。
2008年02月20日
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「‘これ’は、基本的には視覚の変化なのに、どうしてこんなにも自己認識が重要なんだろう?」「自己の根拠の無さに気づくには、根拠があるとして暮らしている、条件づけられた日常生活を認識する必要があるのだろうね」「自己の根拠の無さに気づいたら視覚が変化するの?」「深く気づけばね」「……」「……」「条件づけられた日常生活を認識したって、条件づけは消えないよ。そもそも条件づけが日常生活を支えているのだから」「究極の状態のことはわからないけど、条件づけられた日常生活に無自覚だと、自己から目をそらすことになる」「だけど、結局のところ自己が存在しないなら、‘(存在しない)自己から目をそらす’というのは、わけわかんないよ」「自己から目をそらしてたら、状況が見えない。しっかり見つめてこそ、状況が見えてくる。これは‘見る’というより、‘見えてくる’、だけどね」「だから、聞いてるのは、存在しないのに、いったいどこを見るの?」「存在していると思いこんでいるところ」
2008年02月19日
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結局のところ、あなたが救われればいいのではないか。 たったひとりのあなたが救われるのなら、無数のあなたが救われ得るだろう。
2008年02月17日
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スターバックスでコーヒーを飲みながら、大きなガラス窓の向こう、雪の舞うのを眺めていました。 それから、晴れたり、また雪になったり、また晴れたりと、祝福に満ちた一日でした。
2008年02月17日
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残念ではあるけれど、あらゆる物が光ってはいても、もう二度と、あのころのように、「(じっさいの知覚として)四方八方から(私の体に)光が降りそそぐ」ことはないんだろうな。 あのころは、くりかえし、くりかえし、いつまでも、ふいに光は降りそそぐ、と思いこんでいたけれど… どうしてなのかわからないし、どうすれば…もわからないし、しかたないなあ…
2008年02月17日
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いずれこの世(この世とは、頭の内側が、外側にあると見なしている物事、外側にあると見なしている物事を内側が解釈していく出来事)が架空のものなら、架空の私、架空のあの人、もまた、架空の出来事である。 架空の出来事であるからには、いかようにも見なせる。いかようにも見なせるからには…
2008年02月17日
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「書くことの刺激。脳が言葉で活性化する喜び」「だけど、それはもう、わかってるだろうけど、一時的なものじゃないか」「一時的だなんて言いだしたら、何だって一時的じゃないかな。こうして生きていることがもう、一時的なんだし」「そんな立場だと、永遠の今はどうするの?」「そんときは時間から離れてるから、一時的というような感覚も起こらない」「そうだな。そんときはもう、こんなことしゃべってないな」「そして、ひょっとしたら、言葉の刺激が去った後の活性化された脳の余韻と「永遠の今」とは細い糸でつながっている」「わかるような、わからないような…」「しょせん言葉だからね」「ああ、そうだね。まあ、とにもかくにも言葉はいいね」「そうでもあるし、そうでもないし…」
2008年02月17日
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飲んでもないのに胃の調子悪く、食事療法してみたり、散歩を速歩にしてみたり、胃腸薬をあれこれ飲んでみたり、あれこれあがいたけれど効き目なく、夜中に空腹時痛で目が覚め、寒いけど胃痛よりはましと布団から震えつつ抜け出し、バナナとホットミルクで痛みを紛らしながらなさけなく、これは十二指腸潰瘍かそれとも…ついに胃カメラ飲んだのだけれど、とくに何もないと言われ、とはいうものの胃は重く鈍痛あり、気力減退進み、なんとかしなくてはとあたふたし、ついに「チベット体操5つの基本形」というのを見つけて試してみたところ、あら不思議、あっというまに治ってしまった。
2008年02月10日
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(自己変革の方法:p88:クリシュナムーティ:十菱珠樹(訳):霞ヶ関書房)より引用『恐怖は思考の産物だろうか。だとしたら、思考は常に古いものだから、恐怖もまた常に古いのである。』
2008年02月10日
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(クリシュナムルティの生と死:メアリー・ルティエンス(著):大野純一(訳):p48:コスモス・ライブラリー)より引用『けっして菜食主義者であることをやめず、アルコール、ティーまたはコーヒーには手をつけなかったが、彼は新しい食事療法を、そのどれにも長くはこだわることなく、終生試み続けた。 老年期には、彼はほぼ薬局一店分ほどのビタミンおよびその他の健康食品と丸薬を摂取した。』
2008年02月07日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー1:p347/p348:クリシュナムルティ:大野純一(訳):春秋社)より引用『われわれは、何らかの形の活動に耽ることを欲する。活動がより満足であればあるほど、それだけわれわれはそれに固執する。 満足させられたいという願望がわれわれを愚かにするのであり、そして満足は、どのレベルでであっても、同じである。より高い、またはより低い満足というものはない。意識的、または無意識的に、われわれはわれわれの満足を気高い言葉で包み隠すが、満足を与えられようとする願望それ自体が、われわれを鈍感に、無感覚にしてしまうのである。 われわれは、何らかの活動を通じて、満足を、慰籍を、心理的保障を得る。そしてそれを獲得するや、あるいはわれわれがそれを獲得したと想像するや、われわれは邪魔されることを欲しなくなる。』
2008年02月06日
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(私は何も信じない:p62:J.クリシュナムルティ:大野純一(訳):コスモス・ライブラリー)より引用『鋭敏であるためには、静謐な精神、それ自身に気をとられていない精神、開かれた精神、自分が見または知覚するものによってたえず傷ついたりしない精神、を持つことが必要です。』
2008年02月06日
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(キッチン日記/J.クリシュナムルティとの1001回のランチ:p360:マイケル・クローネン(著):高橋重敏(訳):コスモス・ライブラリー)より引用『普通私たちは講話の中味や性質をクリシュナムルティに論評することは控えていた。しかし、私はそれにすっかり圧倒されていたので、どもりながらでも何か言わなくてはならないように感じた。「あれは、あれはとても信じられない位でした」 彼は私から視線を外して窓外を見て簡単に言った。「もう終わったことだよ」』
2008年02月06日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー1:p343:クリシュナムルティ:春秋社)より引用『観察者は、すなわち観察される空しさそのものなのである。それからあなたがさらに進めば、もはやそれを孤独と呼ぶことがなくなる。その命名過程がやんだのである。』
2008年02月04日
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(瞑想:p44:クリシュナムルティ:中川吉晴(訳):星雲社)より引用『言葉は すべて過去のものです それは 現実にあるものと けっして同じではありません』
2008年02月04日
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(瞑想:p29:クリシュナムルティ:中川吉晴(訳):星雲社)より引用『至福というのは ふしぎな歓びを感じることです』
2008年02月04日
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