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質問「すべてがきれいに見えたとして、それがどうしたというのでしょう?」心の状態とかも変化するのでしょうが、そうしたもろもろのことは人それぞれだと思います。きれいに見えると、ただきれいのです。質問「心が空っぽになって、いっさいの悩み苦しみが消えるのでしょうか?」頭に言葉が流れていようがいまいが、きれいのです。悩んでいようがいまいが、きれいのです。苦しんでいようがいまいが、きれいのです。質問「ただきれいなだけですか?」目の急激な変化のあと、それに伴っていろんなことが変化するかもしれませんが、それは人それぞれでしょうし、根本的には、そのとおり、きれいなだけです。
2008年08月30日
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『言葉は「伝達」するものだけど、この世界ではすべてが「共感」です。』いやー、いいですね。なんだか味わい深い(共感できる)表現ですね。
2008年08月28日
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クイズです。 とある(現実の)区役所に置いてある全部のボールペンのお尻に、ヨーグルトやプリンを食べるときの小さなプラスチックのスプーンの柄の部分が、セロテープでしっかり巻きつけてありました。スプーンのすくう部分がボールペンから飛び出す形です。 区役所の職員もまた、そのスプーン付きボールペンを使って働いていました。 まさか書類を書きながらプリンを食べるのに使うとは思えません。 さて、いったい何に使うのでしょう?
2008年08月27日
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珍念「言葉がただの音や形だったら、伝達の手段として使えないじゃないですか!」師匠「だから、伝達の手段として使うため、意味づけするのです」珍念「何が言いたいのですか?」師匠「意味づけされた言葉を伝達の手段として使うのはとうぜん必要なのですが、にもかかわらず、根本的には「言葉は言葉にすぎない」ということを知っていないと、混乱してしまうのです」珍念「何がどう混乱するんです? そんなの、「言葉は言葉にすぎない」だとか言いだすほうが混乱しますよ。言葉を伝達の道具としてきちんと使わないから混乱するんだ」師匠「たとえばですね、「悩み」という言葉がありますが、「悩み」という言葉に実体があるわけではありません。文字としては線や点ですし、音声としては、「ナ・ヤ・ミ」です。 にもかかわらず、「悩み」という言葉をあるとき知ってからは、悩みの感情みたいなものと「悩み」という言葉とを、あたりまえのようにくっつけてしまうのです」珍念「だけど、「悩み」という言葉を使わなくったって、悩みの感情はありますよね」師匠「その「悩みの感情」について調べてみるとき、「悩み」という言葉を使わず、調べてみるのです」
2008年08月27日
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「もし言葉にできたら、描いたりしない」ふと思うんだけど、矛盾してて馬鹿げた表現だけれど、「もし言葉にできたら、書いたりしない」んじゃないかな…と…
2008年08月27日
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肉体も精神も現象も、すべてが空であると知れば、苦悩は消えてゆきます。存在はまさに空であり、空はまさに存在です。感じたり、知ったり、意欲したり、判断したりする精神のはたらきもまた、空です。存在と精神のすべてが空なので、生ずることもなく滅することもなく(因果から自由であり)、きれいも汚いもなく(比較や判断から自由であり)、増えたり減ったりしません(得たり失ったりすることから自由です)。すべては空なので、悟りもありません。すべては空なので、悟りはないということもありません。空なので、心にはこだわりがなく、こだわりがないので恐れなく、思慮分別に惑わされることなく、思考に悩まされることなく、心は穏やかです。すべては空であると知れば、あらゆる苦しみが消えてゆきます。
2008年08月26日
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海観覧車スケート扉
2008年08月24日
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(しなやかに生きるために/若い女性への手紙:p37:クリシュナムルティ:大野純一(訳):コスモス・ライブラリー)より引用(一部変作)『単純であるとは、精神がすべての結果から自由になることです。』
2008年08月24日
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(しなやかに生きるために/若い女性への手紙:p36:クリシュナムルティ:大野純一(訳):コスモス・ライブラリー)より引用(一部変作)『ものごとを気楽に受けとめましょう。でも、内面的には機敏に受けとめるように試みてごらんなさい。 あなたの内面および外面で何が起こっているかに気づいていること。』
2008年08月24日
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珍念「地球のどこを探しても言葉は見つからないだって? いったい何言ってるんですか? 地球上のどんな街に行ったって、わざわざ探さなくても、あらゆる言葉まみれの宣伝文句が押し寄せ、言葉ボケの人間たちに満ち満ちていますよ!」師匠「言葉というのは、人間が意味づけしなければ地球のほかの存在と同じく、ただの物です。たとえば人間が登場するまでは、地球に言葉はありませんでした」珍念「そうかな? 動物や植物、もしかしたら鉱物だって、ある種の言葉を使ってコミュニケーションしていますよ」師匠「いまは彼らのコミュニケーションについて話しているのではありません。 そうですね…この話で使う「言葉」というのを、人間が使う言葉のことを指すことにします」珍念「問題がないわけではないけど、まあ、いいでしょう」師匠「そうすると、人間のいない地球には意味づけされた言葉はありませんよね?」珍念「そうかな? 地球から人間だけ取り除いたって、本は残ってるし、テレビも付けっぱなしかもしれませんよ」師匠「意味づけする人間がいなければ、言葉はただの音や形です」
2008年08月24日
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心の働きは未知なるものと知り、見つめること。何ものもあたりまえだと思いこまないこと。心の方針を見いだすべく自由であること。
2008年08月24日
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師匠「そういえばさっき、昼寝のとき、妙な夢を見ました。夢の中で昼寝していますと、夢の中のこの小屋にいつのまにやらお客さんが来られていて、私の目が覚めるのを待っておられたようなのです。 はっきりとは覚えていないのですが、たしか「地球」と「電話」の違いを、しかも実体としての地球や電話ではなく、言葉としてのちがいを尋ねるため、わざわざここまで来られたらしいのです」珍念「地球と電話のちがいですって? 師匠、そんな夢かうつつかわからない人らを相手にしてたら、まじめにはじめたはずのこのお話、おかしくなってしまいますよ」師匠「いや、いや、これまた縁なのでしょう。それに言葉としてなら、そんなに難しいことではありません。「地球」を「A」とし、「電話」もまた「A」とするなら、「地球」と「電話」は同等です」珍念「ああ、だめですよ、師匠! そんな自分でもわかってないことしゃべりだしたら、ただの娯楽話になってしまう…」師匠「なるほど、そうかもしれませんね。では、基本にもどりましょう」珍念「そうですよ。これからも師匠が逸脱しだしたら、なんとか師匠の目を覚ます工夫しますけど、師匠自身も気をつけてくださいね」師匠「ところで、もう夢は終わったのでしょうか?」珍念「たぶん…では、話のつづきを聞きましょう」師匠「地球という言葉と地球そのものは別です。地球そのものは言葉でできていません。地球のどこを探しても言葉は見つかりません」
2008年08月22日
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師匠「言葉は言葉にすぎない、という表現で伝えたいのは…あ、電話が鳴ってます…ちょっと待っててください」…え? そうです…だいたいそのような背格好です…はい、そうです…その人のようですね…わかりました、お待ちください…師匠「あなたに電話ですよ」珍念「何言ってるんです? 僕がここにいること、誰も知らないはずですよ」師匠「でも、緑の服に黄色の帽子をかぶって、赤いかばんを持ってる人って言われたら、たぶんあなたのことでしょう」珍念「わかりました、出てみますよ…いったい誰なんだろう…もしもし、どなたですか?」(珍念への電話)「辞書なんぞで「地球」がわれわれ人類の住んでいる天体とあるならば、人類以外にとっての地球は何なのだい。ぽこぺんちたま!」珍念「え? 何言ってるんですか? あんた誰?…あれ、切れちゃいましたよ」師匠「どなたでした?」珍念「わけわかんない、いたずら電話です。人類以外にとっての地球は何か、という質問です」師匠「人類以外というのが、言葉をもちいない何かなら、その何かは地球のことも言葉で表現しないのだし、それはもう言葉の問題ではなくなります」珍念「師匠! いたずら電話の質問になんか答えなくていいんですよ。それに師匠の答えもなんだかあやしいですし…」
2008年08月22日
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珍念「師匠! 気持ちよさそうに眠ってるから黙ってそっとしてあげてたら、いったいいつまで寝てるんですか! 昼寝どころか、もう夕寝になっちゃいますよ」師匠「うー…、どうかしたのですか?」珍念「地球ですよ、地球! どういう読みでもいいんだから、「たまち」(こりゃ「ちたま」の返り点読みみたいだな…)でもいいんですよ、たまち!」師匠「そうですね。この対話を読んでくれてる人には、「たまち」なり「ちたま」なり「ぺこぽん」が地球を指していることがわかるのですからね。 それに「ちきゅう」という文字を「たまち」と発音したってかまわないわけです。まあ、そのような取り決めを何人かが共有すればですが」珍念「えー! そんな何でもありなら、「あ」という文字を「い」と発音したってかまわないことになっちゃいますよ、もうめちゃくちゃです!」師匠「ちっとも、めちゃくちゃなんかではありません。そもそも言葉は言葉にすぎないのですから」珍念「言葉は言葉にすぎないって、ただの同じことのくりかえし、たとえばお好み焼きはお好み焼きにすぎない(晩ごはんはお好み焼きにしようかな…)ってのと、どうちがうんですか?」
2008年08月22日
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師匠「さて、そろそろお昼です。私は小屋にもどって食べてきます。きょうはバナナとトマトしかありませんが、どうです、いっしょに食べませんか?」珍念「いえ、けっこうです。あとで小屋にうかがいます」珍念(独語) あいつ、たいしたこと言ってなかったけど、師匠と呼ばれてるからには何か奥深い意味があってしゃべってるのかもしれないな…腹減ったな…昼めし、何にしよう…バナナもトマトも嫌いだからな…牛丼屋にでも行こう…駅、降りたあたりにあったような気が…ああ、あそこの店…ん?…まあ、とんかつでもいいか。 フーッ、食った食った…それはそうと、地球ねぇ…何だって師匠は地球の話なんか持ちだしたんだろう? こっちはそんなこと聞くためにわざわざこんなとこまでやって来たわけじゃないのに。 ああそうだ、かばんに辞書が入ってるんだよね。辞書を持ち歩いてるなんてさすが、探求心おうせいな俺様だな。「地球」を調べてみよう…なになに?…われわれ人類の住んでいる天体、だって? そりゃまあ、そうだわな。 師匠はたしか、地球という漢字をどう読むかは適当なものだって言ってたよな? ちがったかな? そういえば昔、ドクタースランプアラレちゃんに出てたニコちゃん大王が、地球のこと、「ちたま」って呼んでたような…ケロロ軍曹なんか、「ぺこぽん」と呼んでた…ということはだ、俺が地球をどう呼ぼうが自由だってことだよな。
2008年08月21日
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珍念「えー、言葉? 言葉なら知ってますよ。今さらそんなこと教えてもらわなくっても、「地球」って漢字も書けるし、「ちきゅう」って読み方だって知ってます」師匠「読み方を知っているとおっしゃってますが、「地球」という文字は形なのに、ちきゅう、と発音するのはそんなにあたりまえではないのですよ」珍念「何言ってるんですか?「地球」って漢字がただの文字にすぎず発音できなかったら、不便じゃないですか!」師匠「たしかにそうです。そしてそれは「地球」という漢字についてだけじゃなく、「ちきゅう」というひらがなでも同じことです。「ちきゅう」という文字自体は発音される音とは別ですから」珍念「そんなことつべこべ言ってたら、本なんて読めませんよ!」師匠「まあまあ、ゆっくりやりましょう。ひとつひとつ確認していく途中なのです。どうせ時間はたっぷりありますから」珍念「あんたは暇だからいいけど、僕はいつまでもこんなところにいれるわけじゃない。仕事にもどらなくちゃいけないんだから」
2008年08月20日
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ぼくの神様へのお祈りのことばとしては、いまのところ、ふたつあります。「神様、あなたのなさりたいよう、なさってください」というのと、「神様、わたしがだらだらしたなまけた暮らしをしないよう、たすけてください」というのです。
2008年08月19日
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(恐怖なしに生きる:p49:クリシュナムルティ:平河出版社)より引用(一部変作)『私たちが語っているのは行動についてです。なぜなら人生は行動だからです。たんに人生の一部を指して行動だと言っているのではありません。 生きることのすべてが行動なのです』
2008年08月18日
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(クリシュナムルティとは誰だったのか:p284:コスモス・ライブラリー)より引用(一部変作)『現実は見られるものであり、そして見ることは言葉を通じてのものではない。現実が解釈されるとき、それは現実であることをやめる。言葉で解釈すると、それはまったくちがったものになってしまう。 見ることは最も重要なことである。それは直接的で即時のものである。 そして見られるものは、二度と同じものではありえない。もう一度はないし、時間の継続の中にもない。』
2008年08月18日
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(智恵からの創造:p264/265:クリシュナムルティ:星雲社)より引用(一部変作)『(人生の)問題にはそもそもどんな答もないのです。ですから、答を探し求めることは重要ではありません。 問題を考え抜くなら、目をそらさず見つめるなら、問題を作りだしているのは先入観や恐怖心や損得といった思考であり、存在していることそのものには何ひとつ問題はないと気づくでしょう』まあな、言いたいことはわかりますけど、にもかかわらず、問題があると見なすとき、その問題について考え抜き見つめ抜き、答を真剣に探し求めるなら、驚いたことに単純な答を見いだしてしまうのだと、じっさいのところ、思います。
2008年08月17日
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いわゆる「悟り」と呼ばれているものにたいするとらえ方は、その道の人たち(?)にしたって、ぼくのこれまでの読書からすると、とてもあいまいです。じつのところ、たとえば仏教(のことなんてほとんど知りはしないのですが…)とかで、「悟り」として伝えられているものについても、いろいろバリエーションがあるように思えます。ただ、そうした「大きな何か」のなかの、かなり重要な要素のひとつとして、「視覚の急激な変化」があるんだと思っています。
2008年08月17日
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Something in the Way
2008年08月16日
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すべてのことばは妄想であるにもかかわらず、ひとつひとつのことばは、こんなにもいとしくせつなくかなしい。それはまるで、すべての人は妄想であるにもかかわらず、ひとりひとりの人は、こんなにもいとしくせつなくかなしいのと同じように。それはまるで、すべての物・事・現象は妄想であるにもかかわらず、ひとつひとつの物・事・現象はこんなにもいとしくせつなくかなしいのと同じように。
2008年08月13日
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生きるとは、奇跡が起こりつづけているということだ。
2008年08月12日
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親友なんて者に出会えるなんて 思ってもみなかったなあこがれてはいたけどもうすっかりあきらめていた子供が作文に「お父さんには友だちがいません」 だって…ちょっとむっとしたけど まあなちょっとした友だちならいただろうけど子供の目に父親の親友と見える人はいなかったんだろうな人生はあいかわらず不思議なものだ親友なんてただの言葉にすぎず親友と友だちのちがいなんてどうせいいかげんなものだろうと思ってきたけれど人生なんてどうせ思いどおりにはいかないけれど思わぬ贈り物を届けてくれるしかも とびっきりすばらしいやつをね
2008年08月12日
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ホームにて「ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの乗車券」というところがよくわからなかったのですが、当時の上野駅のホームからはネオンライトがよく見えたのですね…
2008年08月12日
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こと研で伝えようとしている「視覚の急激な変化」は、目的として設定してはいけない「禁忌」なのかもしれない。でもまあ、狭い範囲での実験だし、まるで強制力はないし、どんな行為でもそれなりに人に迷惑をかけはするのだろうし、目的を明確にすることで、どのように実験を進めてゆくか迷ったときの指標になるんじゃないかなと、楽観的に考えています。
2008年08月12日
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珍念「地球って何ですか?」師匠「わかりません」珍念「ぎゃ! それはないでしょう! ここに来たら教えてもらえるって噂があったんで、上司にずいぶん頭下げてなんとか休暇もらって、わざわざ遠くから、こんなとこまでやってきたんですよ!」師匠「噂? いったい何を教えてもらえるという噂でしょうか?」珍念「それは…えっと…うーん…なんだかとっても大切なことを教えてもらえるんだとかなんとか言ってましたね…いや、ちょっとちがうかな…教えてくれるわけじゃなくって、気づくようになる?…いや、見えるようになるだったかもしれないな…うーん…すみません、わかりません」師匠「わかりました。ではとにかく、「地球」という言葉についてしゃべってみましょう」
2008年08月12日
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起こって来る事は何であれ、神が/縁起が たった今 わたくしひとりのために起こしてくれている奇跡である。
2008年08月10日
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心の動きを細かく突きつめてゆくと、心では判断できないところにやってくる。そしてふいに、なんということだろう!、という新鮮さがそこにある。
2008年08月06日
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彼女の生き方アザミ嬢のララバイ
2008年08月06日
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『経験(それはときに試練のようなものでしたが)や出会いはすべて、今の私になるために、私の中に注がれてきた。 だから、それがひとつでも欠けていたら、花ひらくことはなかっただろう。 それは起こることすべてに線路がひいてあったような感覚…そして、これからも線路はひかれてゆく…』うーん、さすが弟子、見事な表現だな。だいたい、弟子の登場がなかったら、こと研は存在しなかった。ひとりで書きつづけしゃべりつづけてきた6~7年の間、なんだか変なことを言ってる奴だな、と思われてきたのだろうし、そしていつまでたっても「なんだか変なことを言ってる奴」にすぎなかった可能性は高い。ところがふいに、ある人に「これ」が伝わって、伝わることによってその人は弟子になり、そのおかげでこちらも師匠になれるわけで、じつに心強い味方です。ということで、師匠がまた困ったこと言いだすかもしれませんが、そのときには説教、よろしくおねがいしますね、弟子さん!
2008年08月05日
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「考えないようにしようと、息を止めて何かをじっと見る、といったことをいくら試みても、考えは止まらないんですけど…」「考えないようにする試みは必要だと思うけど、そうすることによって考えなくなることが重要なんじゃなくって、私たちが普通に暮らしているあたりまえの世界が、頭の中以外は言葉でできていない、ということに気づくのが大切なんだ。 ここで使ってる「考える」という表現は、「言葉を使って考える」ということなんだけど、つまり、頭の中以外のすべての存在は、言葉を使って考えてはいない、という事実が身にしみることが重要で、そのための方便として、たとえば、頭の中に言葉が流れるのを一時的に止めてみよう、といった試みがあるんだ。 そうすると、今見えているものも感じていることも、すべて、色・形・温度・味・匂い…そんなこと全部が、自分の頭の中で勝手に仕分けして、勝手に名づけて、勝手に納得してるだけなんだ、ってことに気づく可能性が出てくる…」
2008年08月03日
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